前回からの続き。
人間の災害対応の話。特に避難所運営の話。
結論は、それを進める行政の動きの話。そこが要になるから。
とてつもなく長いです。結論(私がいいたいこと)だけ知りたい人は文末だけ読んでください。それで納得できない人、詳しいことを知りたい人は長い長いそしてくどいしつこい私の書いたものを読んでください。
まず避難所を「利用する人」、避難所を「運営する人」の感覚の話をしたいのですが、その前に人と人の関り方について。
その関係で、日本におけるインターネットの歴史も。
災害対応においてボランティアの力が大きい。避難所を運営している人たちも多くの場合、ボランティア。
日本においてボランティア元年と言われているのは 1995年(平成7年)の阪神淡路大震災の年。当時から現在まで約30年経ったことになる。ちなみに私は昭和の時代に成人し、阪神淡路大震災の当時、ぼ30歳。
1995年と言えば Windows95が発売された年でもありインターネットが身近になり始めた頃でもありましたが、日本ではダイアルアップ接続の時代で皆が身近に使うものではなりませんでした。私も今でいうところのインターネットではなくパソコン通信でネットを見ていた。
その2~3年後ADSLが普及し、個人の利用が広まっていきました。
当時、それまでの「報道はテレビやラジオのニュースと新聞」の時代から「ネットからの情報」へ変わり始めるだろうと言われた時期でもありました(「新聞がなくなる」と見聞きしたのを記憶しています)。インターネットが幅広く使われるようになると、見知らぬ人との繋がりはネットを使うようになってゆきました。
それ以前は雑誌に「読者のひろば」などのページがあったり新聞の2~3行の広告に、個人が住所・氏名を公開し仲間を募集することが一般的でした。
インターネットが広まると個人情報を公の場に表示することの危険性が強く指摘されるようになりました。なのでハンドルネームが一般的になりました。住所などの個人情報は公表しないし(それまでは著名人の葬儀に自宅住所が新聞に載ることもありました)、ネット上では実名を使わない。
私は1996年くらいまで実名を使っていましたが、ほぼ全ての人がハンドルネームを使うようになってしまったので仕方なく私も使うようになりました。
その後、ネットが普及し、個人がブログを立上げ、mixiのようなSNSが広く使われるようになります。今あるようなX(旧Twitter)やFacebook(こちらは実名が基本となっていますがそれが故、今の日本では不人気になっているとか)などが日本でも広く使われるようになり始めたのは、2011年(平成23年)の東日本大震災の少し前くらいなります。
ただし、この頃のモバイルネットワークインフラは(4Gでなはく)3Gでした(それでもダイアルアップ接続と比べ超高速と謳われていました)。
そのような時代に東日本大震災になり、電話が通じなくてもSNSなら連絡がとれたことを記憶している人も多いでしょう。
やっとボランティアの話。
東日本大震災以前からSNSをはじめネットの世界で仲間を募り被災地にボランティアとして向かう人たちがいましたが、東日本大震災の後からは特に活発になったように感じます。
その時、私は大きな違和感を抱いた記憶があります。
ネット上で人を募る人も参加する人もハンドルで使う。ネット上に実名を載せなるべきではないのは理解できますが、行動を共にする時もそのままの名前で呼ぶ人たちもいるとか。
あくまで私の感覚ですが、誰かと行動を共にする(例えば一台の車で移動する、同じ部屋で寝泊まりする)のであれば自分が誰であるか実名くらいは知らせるものだと思っていました。それは昭和の時代に成人を迎えた古い人間の感覚のようです(私の年代の人たちの間ではその様な時は実名を使う人が多い)。
個人情報保護法が公布・施行されたのが平成15年(2003年)なので、2011年には実名を明かすのは最低限にするのは当然の感覚だったのかもしれない。
とにかく、最低限の個人を示す情報だけ知らせるだけで活動出来る時代になり、その結果ボランティア活度も活発になったような印象を私は持っています。
そして今の時代も誰かと行動を共にする時、必要最低限の情報を開示すればよい。
随分と前からご近所付き合いはなくなってきていたし、個人情報保護の意識は高まっていた。その先にある今の世の中がこの様になったのは当然のことだったのかもしれない。
やっと避難所の話をしたいが、その前に世間一般の世の中の流れ。そして「今」はどうなのか。
災害対応、特に発災直後の避難所の在り方や被災者に必要なことを考えるにあたり、昔と今の生きてゆく最低限の違いを考えてみる。
昔は、何日間も水も食べ物も手に入らなくなるから自分の三日分くらいは用意しておきましょうと言われた(今も言われていますが)。
ちなみに私が子供の頃は、関東大震災(今は関東地震と呼ぶみたいですね)を教訓に災害対応が語られていた。関東大震災(大正12年、1923年)と私が子供の頃(昭和40年台、1960~70年台)は何かと違っていた。勿論、私が子供の頃と今とでも違う。
例えば物流。子供の頃にサンマやイワシのお刺身は見たことがなかった。産地から消費者まで運ぶスピードと技術がまだまだだった。物流だけでなく生鮮食品の保管一般についても。私が子供の頃、一般の食品が傷んでいるかどうかは自己責任だった。賞味期限や消費期限という表示はなかった(製造年月日はあった)。
関東大震災当時のことは祖母に聞いたことがあるが、私の子供時代と比べても世の中そもものが完全に別世界。食べ物にあたる人も珍しくなかったし、消化管の寄生虫も珍しくなかった。医療も(今と比べれば)発達していなかった。肺炎や結核(脊椎カリエス含む)で亡くなる人も珍しくなかった。
物流と言えば、道路そのものも今と比べれば脆弱だった。車そのものも。
今の日本には世界に誇れる水道システムがある。しかし地震で水道管や上下水道施設が被害に遭うこともある。それを復旧させるための重機なども今はとても進歩している。なので道路の復旧も昔に比べれば格段に速くなった。
また、私が子供の頃は、ヘリポートは自衛隊基地の中などしか見たことがなかった。今では大きめの公園で見ることもある。ビルの屋上にもそこそこあるらしい。
阪神淡路大震災以降の話として、災害が原因で水や食料が手に入らず餓死したという話は記憶にない。
今の日本に生きている健康な人であれば、水さえどうにかなれば二日くらいでは餓死しないだろう。
ある程度の商業地域であれば、そこに食料の在庫があるだろう(買い占める人はいるだろうけど)。そしてすぐに外部から水や食料が届くだろう。
余談になるが、東日本大震災の二日後に被災地に向かった時、停電が続く中、手作業で会計をしているスーパーがあった。
現在東京23区では在宅避難が推奨されている。関東大震災の教訓もあり耐震化が進んでいることで在宅避難が可能と思われる建築物が増えたからだろう。また延焼が起こらない街づくり、道路計画もされている。
長くなるついでに、また余談。東京の近代的な都市計画を本格的に進められようになったのは大正11年の東京都市計画区域の決定だと私は思っている。皮肉なことに、その翌年に関東大震災がやってくる。
今の時代の話に戻ります。
在宅避難は、自分の生活リズムを守りたかったり、個人情報をできるだけ知らせたくない今の人たちにはマッチした考えでもある。
在宅でなくても車中での避難生活を選ぶ人が少なからずいる。やはり同じ様な考えからことらしい。「いつも見ていたテレビ番組を観たいから」という理由で車中避難していた人の話をネットで見たことがある。これも食べ物はどうにかなる、死なない程度になんとかなると考えるからこそ出来ることだろう。
親戚や知人宅に身を寄せる人もいる。それまでどうにかなりそうなら在宅避難をするだろう。
どうにもならなければ避難所にお世話になるしかない。そのような人たちのために避難所があるのだろう。
(風水害時などの一時的な避難もありますが、大枠の話として。)
また、在宅や車中で避難している人たちに食料をはじめとする物資や情報などを提供する場所にもなる。
先の方に書きますが「地元住民が」物資や情報を得られる場所にもなる(なんのことか分からない人は先の方をお楽しみに)。
東日本大震災時の私の記憶から発災直後のことを思い出す。
前回書いた猿楽祭のシンポジウムで「想定外」という言葉が何度が使われた。珠洲市の副市長さんは「役場の人間としては使ってはいけない言葉ですが」と前置きしながら「多くの想定外があり、それを解決してゆくのが災害対応では重要」というようなことを仰っていた。実際そうだとおもう。
私は東日本大震災の時にペット関連の物資を送っていただく拠点でボランティアをしていた。そこに集まった物資を被災地に送り届ける人たちもその施設に出入りしていた。なので現地の話も聞くことができた。
役所はあらゆることを想定し準備していたが想定外の事態となった。決められたルールが無い状況になっている。勿論モノが足らない。出来るだけ調理が必要のない食べ物、暖かく出来る服や毛布、底冷えしないための敷物などが必要とされていたようだ(私はペット関連なので一般の方のことはあまり詳しくない)。必要とする所に必要なものが届かないことも報道されていた。
東日本大震災当日の夜、私が自宅周辺で見た光景についても書いておく。
都心で東日本大震災に遭った人であれば、夜中まで人がぞろぞろと歩いていたことを記憶にある人もいるだろう。我が家は都心からから少し外れているが、夜遅い時間に世田谷通り(片道一車線だが広めの道で町田まで続いていて周辺には戦後開発された住宅地が広がる)に凄い数の人が歩いていた。
あの日、時帰宅するために4~5時間で帰ることが出来そうなら(多くの人が帰宅困難者用の避難所の情報を得ることが出来なかったこともありますが)避難所などを利用せず帰宅することを多くの人が考えた。今のようにネットで地図アプリを見ながら歩くことが一般的ではなかった時代に。
可能であれば何時間かけても家に帰りたい(それは自宅が安全である前提であるけれど)。それは在宅避難を選択することも意味する。
それ以上の状況にならなければ避難所は必要とされない、と私は当時を振り返っても感じる。
やっと、今の避難所の在り方を考えてみる。
これから私が書くことは私の「想定」を基にしている。なのできっと外れるだろう。それでも書いておく。
何故なら誰が考えても「想定」にしかならないから(AIが考えても同じだろう)。災害関連のことに関心をもらうためにどのように呼びかけても、その人たちの「想定内」で考えること。
今まで書いてきたことを整理する。
・今の時代、誰かと連絡を取る時はネット。余程親しい人でない出来る限り個人情報を知らせたくない(そうするべき時代である)。
・基本的に他人にお世話になりたくない。
・大してお世話にならずとも発災後の2~3日間で餓死することはないだろう。
・その2~3日の後には生きるための最低限のものは手に入るだろう。
・どうしようもなくなった時、避難所にお世話になるかも。お世話になっても最小限にとどめたい。
・自宅が安全であると思えれば(避難所のお世話にならずに)何時間かけても帰宅しない~在宅避難したい。
これらを前提に考えたい。
避難所は「仕方なく利用する」もの
自宅はもう危ない状態、他に行く所がない、衣食住もままならい、これくらい困窮しないと避難所を利用しないだろう。
帰宅困難者、帰宅途中の人などの一時的な休息所というニーズはあるかもしれない。
それを先に考えてみる。
前回書いたが「地域の避難所は地域の人のものである」と行政が決めていることが多い。つまり帰宅困難者や帰宅をしようとしている人のことは考えなくていいとしている。もう少し正しく云えば(行政が避難所運営側に)「地域の人たちのお世話だけでも大変なのにそこまでお願いするのは申し訳ない」と考えているのだろう。
前回のシンポジウムで渋谷区が考える避難所の規模は、避難者一人当たり畳約一畳を利用すると考えて算出するらしい。それは住民の全てを考えると足りない。それ以上は受け入れられない計算になる。なので「お願いすることが出来ればしたいが、どう考えても無理なのでお願い出来ない」そのような感じなのだと想像しています。
しかし東日本大震災の時のことを思い出すと帰宅困難者・帰宅途中者の休息所、または仮眠所としての方が(都心とその周辺は)ニーズが多いのではないかと考える(参考までに猿楽町は都心といってもいい場所)。
多くの人が長時間お世話になりたくないし、皆さん忙しいのでゆっくりもしていられない。
それを日々実感しているのか、猿楽町の町会長さんは「帰宅困難者や帰宅しようとしている人たちを受け入れないことは出来ない」と感じているのだろう。
多くの人は町が壊滅的になること(大規模災害)は予想していないが、避難所運営側はそれを予想している。
多くの人は大規模災害が起っても帰宅したい。その時の休息所はあったら嬉しい。避難所運営側はその気持ちに対して(行政から与えられたルールとして)するべきではないとなっている。
行政が想定(計算?)できる範囲での大規模災害時対応は、避難所を用意してくれる人(避難所運営者)が少ないので、どうてしても(計画として)最低限になってしまう。
それに対して日々町に生き、町のことを考えている人は、この町を通る人の世話をするのは当たり前と考える。
この辺りの違いが、平時に災害時のこと、避難所運営のことを呼びかけるときに戸惑いにもなるし、届かない原因があるのではないかと私は感じている。
なので避難所運営は「多くの人が期待している避難所」と「行政や今まで避難所運営をしてきた人たちが考えている避難所」の二本立てで考え、呼びかけも行う必要があるのではないか。
災害のこと避難所のことを呼びかける時は、まず「多くの人が期待している避難所」について関心・協力の呼びかけをする。
運営側の内部ではその考えに加えて「行政や今まで避難所運営をしてきた人たちが考えている避難所」のことも考え話を進め、それも平時から発信する。
帰宅困難者用の避難所や帰宅途中者向けの支援ステーションの存在は少し後ろの方に書きますが、私は詳しいことは知らない。それらの運営に携わっている人の話を聴いたことがないので何処まで考えてどの様な準備をしているのかわからない。
現在(今迄何度も書きましたが)住民用と帰宅困難者用の避難所などを別に考えている。
しかし現実を考えてみよう。
「自分がお世話になる避難所を確認しよう」という話はたまに聞く。
しかし通勤している人が、大規模災害時のことを考えた場合、帰宅困難者用の避難所や帰宅途中の支援ステーションまで具体的に確認している人がどれだけいるだろうか。それらが具体的にどこまでのことをしてくれるのか分かるのだろうか。
また、公共交通機関が止まるくらいの災害が起った時に、徒歩経路がどれだけ確実に確保できているか予想出来る人がどれだけいるのだろうか。
東日本大震災の時の東京のように公共交通機関は動かなくなるが道路は安全なのか。東北地方沿岸部のように人間の通行が危険な場所ができるのか。たぶん誰も考えることは出来ないだろう。
帰宅途中で休憩するような施設を一時滞在施設というらしい。東京都が発表している都立一時滞在施設一覧としてこちらのページがある。我が家の近く(でもないけど)の施設を確認する、長距離の帰宅者が使うであろう幹線道路沿いには少ない。
帰宅途中の人たちを支援する施設として「災害時帰宅支援ステーション」があるらしい。東京都はこの名前で呼んでいるが他道府県がどう呼んでいるか知らない。
こちらの施設、東京都の場合、学校、コンビニ、ファミレス、ガソリンスタンドなどを利用させていただくことになるらしい。
こちらは一時滞在施設よりも数が多いが、我が家の近くの施設を確認すると、東日本大震災の夜の行列を思い出すと足りないのではないかと感じてします。
東京都におけるそれら施設の確認はこちらのページで出来る。
左側の項目に「災害時帰宅支援ステーション」はありますが、避難所、避難場所、一時滞在施設の表示はありません。それらは「防災施設」をクリックすると表示されます。
また、都立施設を活用した一時滞在施設の 運営マニュアル も見つけたが、この通りに利用者の管理ができるのだろうか。
尚、一時滞在施設は「帰宅困難者を一時的に受け入れる施設」であり、帰宅困難者とは「公共交通機関が広範囲に運行を停止し、当分の間、復旧の見通しがない場合において、徒歩で帰宅することが困難な者」とのこと。つまり、帰宅途中の人は含まれない。
例えば帰宅途中で一時滞在施設でトイレだけ借りたい場合やほんの少しだけ休みたい場合も利用可能なのだろうか。その時も受付名簿等の記入など手続きが必要なのだろうか。それとも「災害時帰宅支援ステーションに行ってください」言われるのだろうか。
これら資料を見ただけでは、発災時の運営が想像できない。その時にならないとニーズが分からい。
夏なら夜通し歩き続ける人も多いかもしれないが、真冬だととても寒い時間帯は暖かい場所に入りたくなるだろうしトイレに行きたくなる回数も増えるだろう。その他状況によりニーズは変わるだろう。
どんなに準備をしても想定外のことが起こりニーズも変わり、運営している人が出来る限り柔軟に対応することになる(その人たちも被災者なのに)。今までの災害でもそうだったと聞いている。
(迅速にボランティアが被災地に入れたとしても、それは帰宅困難者が落ち着いた頃になるだろう。)
それでも想定内の考えで準備を行うことは大切。行政がよく言うように「一般の避難所の住民が利用するもの」と定めておくことも必要だろう。大規模災害が起ったら想定外の状況になり柔軟に対応すればいい。
一般の避難所に長距離帰宅途中の人が立ち寄った場合、そのような人たちを断っている姿を避難所を利用している人が見たらどの様な気持ちになるのか。トイレを貸してあげたり水分を補給させてあげた方が避難所の雰囲気もよくなるのではないか。
先に、「多くの人が予想している避難所」と「行政や今まで避難所運営をしてきた人たちが考えている避難所」の二本立て、と書いた。
後者については、今まで時間をかけて議論し準備してきたので改めて考える必要もないだろ。
前者について考えてみたい。
まず帰宅途中の人の利用
・トイレを借りる
・水分補給やカロリー補給に立ち寄らせてもらえると嬉しい
・情報の提供場所(提供方法、提供ニーズを改めて調べる必要があるかも)
・スマホをはじめとする「充電」スポット(今は服の中に電気による温度調節機能があるものもあるし)
一時利用である。そして個人情報を開示したくない人、出来るだけ他人のお世話になりたくない人も少なからずいるだろう。なので世話になることはちょっとしたことでいい。
何をすべきかがはっきり分かれば準備は出来そうだ(しかし想定外になる)。
一時利用であることを考えると、利用者に名簿記入を求めるのは如何なものか。それは運営側にも負担になる。
マイナンバーカードに紐づいたアプリで名簿記入の代わりになることが出来ればいいのかも。
一時的な利用はコンビニなどの災害時帰宅支援ステーションで足りるかもしれないが、それら施設の数が足りるのか疑問。
多くの人は、学校が避難所や避難場所、一時滞在施設であることを知っている。それらが帰宅中の人の一時利用も可能にしてくれれば混乱を減らすことが出来るような気がする。
次に、帰宅困難者の利用を考える
帰宅中の人との違いは、最低でも横になれるスペースを確保する必要がありそうだ。
また情報収集というよりも、家族や今後お世話になる人を探す連絡手段の確保。
帰宅中の人に加えて、要望として
・横になるためのスペース、底冷えしない場所、体を痛めない風邪をひかない程度の寝具がほしい。
・(スマホで連絡がとれない親戚知人との)連絡手段の提供があると嬉しい。
・飲料・食料がほしい。
利用者側はこんなところではないだろうか。
連絡手段については、避難所となる学校などのすぐ近くに公衆電話(電話ボックスでもいい)を作るようにすればいい。最近の若い人は公衆電話の使い方を知らないと聞いたことがある。教育のためにもあるといいのではないか。
日本の人が住んでいる島では必ず信号が一つはあるらしい。そこで育った子供が他の場所に行った時に信号を知らないと困るという理由でそうしているらしい。それと同じ考えて小学校の近くに作る価値はあると私は考える。
受け入れ側は、受け入れが出来ないほどの人が来た場合のことや、配慮が必要な人たちの受け入れ方法なども予め考えておかねばならないし、行政など関係各所との連携も必要だが、それらは一般の避難所も同様のはず。
ある程度は先に紹介した東京都の資料も書かれている。
考えることは出来ても実践するのは大変である。運営を始めれば想定外のことも起こる。
それでも避難所を運営する人たちは考え準備せばばならい。なので不人気。
もし商売だったら?
60年近く生きていれば、ただ考え研究しているだけでは長年実現しなかったものも、商業ベースにのるとあっという間に実現することもあることを知っている。その感覚で考えてみたい。
やはり多くの人に目を向けてもらうことが必要。身近に、魅力的に感じてもらう。そして「あなたは必要としていいますよね」と語りかける。
「東京都心とその周辺だけ」の話になってしまいますが、帰宅中の人や帰宅困難者用の避難所運営をもっとアピールする。東日本大震災後、さかんに行われていたこは記憶にありますが、今はもうほとんどの人が忘れているのではないか。
行政は「帰宅困難者や一時的な利用者のお世話を一般の避難所を運営している人たちにお願いは出来ませんが、参考までにこれらの情報も提供しておきます」程度の動きをしてもいいと思うし、やはり一時滞在施設や災害時帰宅支援ステーションをもっとアピールしたり増やす必要があるのではないかと感じる。
今まで、一般の避難所に一時的な利用も可能なルールにしてはどうだろう書いてきましたが、逆にしてはどうだろう。商売だったら、そう考えるとおもいます。
つまり、行政は一時滞在施設をもっと増やす活動をし、それらが学校など大きな施設であれば、ある程度の数の地域の住民も受け入れる。その様にした方が、幅広い人に身近に魅力的に感じてもらえるのではないか。
この形にすることで数も増やせるだろうし、住民に限らず在勤の人も避難所運営に携われる。
そうなれば、一般の避難所との垣根を取り払ってもいいだろう。
学校と言っても高校や大学などになれば、そこにはそこの生徒学生は住所がなくても、そこの運営を手伝うことは彼らにとって大きな経験になるのではないだろうか。
別の表現をしてみる。
現在の避難所運営は住所を基準に考えている。つまり居住地基準。
それよりも勤務地や学校を基準に考える。活動地基準。
活動時間を基準に考え、自分たちが帰宅困難者になればその対策(避難所などの運営を含む)も考える。そして余裕があれば地域住民もお世話する。
その様な考えにするのがいいのではないか。
活動的な体制になり易いし、議論の機会も得やすい。
学校に学校関係者以外は入れたくないという考えがあるのかもしれませんが、避難所運営は特別と考えてほしいと願っています。
また、活動地基準と考えるのであれば、学校以外の施設を今まで以上に避難所に活用することを検討出来るのではないか。
書いてはいけないことかもしれませんが、読む人なんてほんの数人だろうから書いちゃいます(太字にしたい気持ちですが注目されたくないのでしません)。
今の小学校(避難所に指定されているのは小学校が多い)は「力を合わせ楽しいことをやる仲間が集う場所」ではないと聞いている。子供達だけではなく保護者同士も。先生方も。
そのような場所よりも職場や、もっと言えばレジャー施設で避難所運営団体を作った方がいいのではないか。
これが現在考えられる(想定内の)避難所運営を今以上に多くの人に関心をもっていただける、そして協力してみようかなと考える人も増える方法だと私は考えています。
書いている自分でも裏付け情報が欲しい部分も多々ありますが残念ながら持ち合わせがりません。なので、私の想定内からの思い付きという妄想レベルの話になります。
あまりにも現在の考え方と違うので、検討することすら簡単でないことは理解しています。
だからこそ書いてみました。たぶん心の中で同じ様に感じている・考えている人はいらっしゃると想像しています。その方たちの代弁の意味でも長い長い(&拙い、読み難い)文章を恥ずかしながら書きました。
タイトルに「避難所運営」とだけ書き日本全国のように読めますが、東京都市部とその周辺だけの話になってしまいました。
都市部では、ご近所付き合いはなくなってきていますが、学校活動・経済活動・レジャー活動・市民ボランティア活動は活発に行われているので、このような考えで検討する価値はあるのではないかと考えています。もしかしたら東京都市部に限らず他の地域でも当てはまるのでは。
今回はとてつもなく長くなりましが結論(私のいいたいこと)はこの程度のことになりました。
避難所運営について詳しい人が読めば突っ込みどころいっぱいの夢物語かも。
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