2021年8月 4日 (水)

7月の「犬とゆく」

オリンピックがはじまりましたね。
我が家はテレビがないので何がどうなっているのか詳しいことは知りませんが、メダルをいっぱいとれているとか。
アスリートの皆さん、いつかYouTubeなどで観させていただきます。その時を楽しみにしています。

オリンピックから一ヶ月くらい前でしょうか。梅雨時に、伊豆山はじめ(線状降水帯による)豪雨災害がありました。被害に遭われた方々が一日も早く元の生活に戻ることが出来るよう陰ながら祈っています。

梅雨が明け、猛暑がやってくると言われた割には、35℃越えの日も少ないようです。先週の週末、朝9時くらいでも公園に犬連れが集まっている姿がありました。
でも、暑さ対策は忘れないようにしたいものです。人も犬も。

 

■ 一般の公開

今月は全て飲食店。一店を除いて長野県。
コロナ禍でなければ、長野の高原で涼しい風を受けながら7月のひと時を過ごしたいものです。
長野県ではないお店は西東京市。「ライダーとご近所さんのための店」だそうで、このようなお店で犬OKにしてくださるのは嬉しい。

7月の公開は5。通算44。
投稿してくださる方々、ありがとうございます。

cafe ties(カフェタイズ)
長野県伊那市にあるカフェ。ワンコ連れはテラス席。メニューは豊富。お店前の道は車の通りが多く注意が必要だが近くに公園の様な場所 がある。建物がお洒落。

そば田村 (更新)
長野県茅野市北山蓼科にあるお蕎麦屋さん。ビーナスライン沿い。ペット連れは大きな屋根付きのテラス席。
入り易い雰囲気。

長門牧場 (更新)
広大と言っても良さそうな牧草地の中にある飲食店。ペット連れは店内NGだが屋根付きのテラス席が広い。ピザやカレー、ハンバーガーやビーフシチューなど。ソフトクリーム売り場は飲食店とは別。オフシーズンならトラクター遊覧に乗れるかも。

らぁめんカフェ風楽っと
長野県の諏訪大社近くにあるお土産屋さんや飲食店が並ぶ場所にある「カフェ」と「らぁめん屋」さんが合体したお店。観光地的ではない価格が嬉しい。店内席はワンコ不可、テラス席(元駐車場?)での利用になります。

motophonic café
西東京市にある「ライダーとご近所さんのため」のカフェ。店内OK。食事メニューもあります。
 
 

■ 修正など

サラダパークぬまた(無料ドッグランあり)
以前なかった犬ウンチゴミ箱がありました。

親ゆづりの味
テラス席に屋根が出来ていました(今まではパラソル)。

他にもあったとおもいますが、思い出せたのは2つだけ。

 

■ その他

7月に入り、サーバーの負荷率が上がる日が出てきました。アクセス数・量ともに多くなっていないので原因は分かりません。
その関係でアクセスログを見ていたら「犬とゆく」に入ってきてくださった前に見ていたサイトの中で、個人的ないいなと思ったサイトがあったので、Twitterで紹介することにしました。
もしご迷惑な場合、ご一報ください。削除いたします。

 

今世の中はオリンピックとコロナ禍。私の周囲ではワクチンの話題をよく聞きます。私も昨日一回目を打ちました。

オリンピック、パラリンピックが終わり、夏が終わり、台風の季節も終わり、コロナ禍が終わり、以前のようにお出かけ出来るようになることが待ち遠しいです。

| | コメント (0)

2021年7月 9日 (金)

マイナンバーカード 交付通知がやってきた

4月22日にネットで申請したマイナンバーカード
やっと交付通知がやってきた。二ヶ月半以上かかった。
役所も何かと忙しいだろうから仕方ないだろう。

一昨日くらいに届いたが「あとは受取るだけだから、急がなくもいいだろう」と放置した。
今日、念のため、と開封して、受取り予約をネットでやってみた。

直近で受取れるのが8月の中旬。一ヶ月以上。
この二日間放置したことを後悔。

マイナポイントがもらえると嬉しいけど(笑)

 

日本はデジタル後進国になってしまった。
少しでも追いつくことを願っています。

| | コメント (0)

2021年7月 4日 (日)

6月の「犬とゆく」

6月も終わりオリンピックが目前です。新型コロナウイルス感染症の日別陽性者数は増え始めています。オリンピックはどうなることやら。

ワクチン接種は進んでいますので、気兼ねなく犬とお出かけ出来る日も今年中には来そうですね。

今年の梅雨はず~っと降り続くでもないので、犬との散歩には良さそうですが、くれぐれも熱射病には気を付けてあげてください。湿度が高い時に激しん運動で体温が上がるとその後深刻な事態になることもあります。

 

■ 一般の公開

今月は宿泊施設が2つ。どちらも犬のこと、犬との時間のことをよく考えてくださっている宿です。
飲食店は1つ。宮ケ瀬湖周辺は犬連れに嬉しいエリアになりつつありますが、今回投稿をいただいたお店は、その中でも雰囲気のいいお店だとおもいます。
その他も1つ、オルゴール館。特例的に入館されてくださっているようですが、ワンちゃん写真コーナーもあり、歓迎してくださっているんだなと思います。

6月の公開は4。5月までの通算は35なので通算39。
このままぼちぼち進めていきたいとおもいます。

 

伊豆オルゴール館
伊豆高原駅近く、国道135号沿いにあるオルゴールの博物館。犬の入館は「床に降ろさないことを条件に小型のペットの同伴を認めており...」となっているのはちょっと残念ですが一緒に入れることは嬉しい。ワンちゃん写真コーナー(記念撮影ポイント)もあります。


犬と一緒に楽しめる施設や乗りものが色々ある神奈川県の宮ケ瀬湖畔の「水の郷商店街」内にある和食系のお店。中庭のみペットOKみたいです。雰囲気のある店構え。

エンゼルフォレスト那須白河
東北自動車道・白河IC から車で約30分の愛犬同伴旅行向けも用意されているコテージタイプ宿泊施設。ドッグランやドッグウォーク(ノーリード散歩ができる)、プールなどもある。
キャンプ場も併設。こちらも愛犬同伴旅行者に嬉しい。


MERCI0823
ペット連れOK宿が多い伊豆高原南大室台地区にある宿。以前は会社の保養所だったと思われる。「ワンちゃんと大人のための新しい癒し生活をご提案」(←宿のHPより)がコンセプトらしい。館内全体が広々した感じ。お風呂も天然温泉。オーナーさんの意気込みのようなものを感じます。

  

■ 修正など

あれ?、今月の修正は3つだけ?
もっとこまめな確認をしないとダメですね。でも閉店閉館を確認したくない気持ちもあって...。
皆様からの情報はお待ちしています(少しは心の負担が軽い・笑)。

館山ファミリーパーク
昭和52年のオープンから44年。惜しまれつつも5月31日に閉園。
残念。

カントリークックハウス ポテト
すでに看板も無くなり、HPもリンク切れ。しかし閉店情報は見当たらず。ふとGoogleMap見たら閉業になってました。(シゲちゃんさんより)
残念。

Dining & Bar bond
横浜・伊勢佐木町の熟成肉バルになっていますが、現在も店内OKのようです。
嬉しい。

トップページにTwitterへのリンクを入れました。
今年(2021年)2月から「犬とゆく」専用アカウントと運用していますが、サイトからリンクしていませんでした。
今頃気付いてリンクしました。

 

昨日は、伊豆山はじめ豪雨災害があったようです。被害に遭われた方々が一日も早く元の生活に戻ることが出来るよう、心から祈っています。

梅雨が明けるのがいつになるか分かりませんが、たまに雨が上がる日があるのはありがたいです。
そして今年も猛暑になるみたいです。避暑地に逃れたいですが、このコロナ禍ですので充分に対策しての出発をお願いします。
気持ちのいい時間を過ごすには、準備や時には我慢も必要なのではないかと考えています。

梅雨明け、そしてコロナ明けが待ち遠しいですね。
そして災害に遭われた方々が元の生活に戻れることを祈っています。

| | コメント (0)

2021年6月28日 (月)

藤田紘一郎先生 死去

【独自】「寄生虫博士」藤田紘一郎さん死去、81歳…「笑うカイチュウ」「清潔はビョーキだ」 (讀賣新聞オンライン)

藤田先生が亡くなられたことを知り驚きました。先日、著書の読書感想文をこちらにアップしたばかりだったから。
ゴールデンウイーク前に3冊(とCD2つ)を借りて、延長を重ね、先日読書感想文を公開した。

読書感想文にあげた本は 2000年版と2007年版があり、私が読んだものは、2000年のもの。2007年度版も読んでみたくなり、最近両方とも購入しました。

何に価値を見出したか。「読ませる内容」だ。
内容は寄生虫をはじめとする人畜共通伝染病なのですが、先生の経験や知識から「大したことなさそうだけど人生に大きなダメージ受けるな」と実感出来たり、「そういうことだから、こういうことを気を付けるべきなのか」と理解が深まる。
私のような記憶力が乏しい人間は、教科書的な内容のものを読んでも忘れてしまうが、理論立った物語りがあれば頭の中に残る。
コピペの知識ではなく、実体験からの実感のこもった知識はその人でなければ伝えられないものであり、藤田先生はとても貴重な情報発信者だったとおもっている。

 

しかし15年くらい前から老害扱いされることがあった。そのような扱いをした記事を大々的に取り上げるメディアもあった。内容的に「時代の違いがあるので仕方ないな」と思ったりした。

「常在菌が私たちを守ってくれているから、それらも排除するような潔癖な日常を送るとそれはそれで体調不良が起こるよ」というような内容のことをよく話されていた。

冒頭に紹介した読書感想文を(あまりに長いので)読める人はまずいないだろうと思うので、私が好きな部分を引用する。元は藤田先生の著書「イヌからネコから伝染るんです」(「。」なし 2000年版)の P196-197 になる。

 僕たち人類が現在のような「無菌室」に住むようになったのはつい最近のことだ。人類の歴史からみると、ほんの瞬きするあいだの「一瞬の時間」にすぎない。
 僕たちは長いあいだジャングルに住み、草原を走っていた。そのあいだに僕たちは寄生虫や細菌・ウイルスという微生物と「共生」の関係を結んできていたのだ。
 僕たちの体の免疫機構には、回虫がやってきたら「こんにちは」と挨拶する免疫担当細胞が用意されていた。結核菌が入ってきたら「お茶を出す」担当細胞がおり、ウイルスがきたらそれに対応する細胞が用意されていたのだ。最近の日本人の超清潔志向は、これらの回虫や細菌やウイルスを徹底的に排除した。
 その結果として、僕たちの体のなかにいろいろな免疫担当細胞が「職を失う」ことになった。
「無職」になったものほど厄介なものはない。応対する必要のない「ダニの死骸」や「スギの花粉」などに、この職を失った細胞群が反応してしまうことが、現在のアレルギー性疾患の多発という日本の状況を導いてきたのではないだろうか。
 ところが、僕が日本人について主張したことと同じ状況がペットの世界でも起こりはじめてきたのではないか、と思う。
 たいへん有効な駆虫薬ができて、イヌやネコたちは小さいときから寄生虫を持たないように管理されている。イヌやネコにアトピー性皮膚炎が増えてきたのは、このことも原因しているように思う。花粉症にかかるイヌも少数だが出てきたという話も聞く。

今の時代、生まれた時から「無菌室」のような生活をしている人たちにとって、この考えは老害になるのだろう。大人になってから藤田先生が考えている理想の生活に転換するのは、まず出来ないだろう。なので両者の考えは理解出来る。

現状のことはさておき、内容ですが、これだけのことを書ける先生が今どれだけいるだろうか。

 

冒頭、讀賣新聞オンラインの記事を紹介しましたが、藤田先生に思い入れのある私としては物足りなかった。検索エンジンで先生の訃報記事を探したところ、多くのページが出てきた。片っ端から見たが、このページの引用か少し変えていたり、とても短いバーションだったり。
インターネットには多くの情報があがっているように思っている人も多いとおもうが、実際はとても限られた情報が伝言ゲームのように拡散されているだけのこともある。

なので、本を読み、先生に教えを請う。
特定の分野だけでも理解が進むと、ネット上の論調が可笑しくもあり恐ろしく感じることもある。

なんとなくそのようなことを感じていたのですが、藤田先生の著書に出会い(図書館でなんとなく借りました)、訃報記事を検索したことで、再認識しました。

藤田先生、ありがとうございます。
また、身近な動物に救われた人として活動されてきたことに感謝と敬意の念を抱いております。

| | コメント (0)

2021年6月27日 (日)

楽天モバイル

使い始めてから一年が経った。
利用感を備忘録程度に書いておく。

私が利用していたauのガラ携のサービスが(3GだかCDMA)終了するとかで、スマホに乗り換えなければならなかった。当時の月額料金は、1,300円くらいだったとおもう。docomoやauのスマホにしたら 8,000円くらいになるのではとヒヤヒヤしているところに、楽天モバイルの格安プランが出てきた。しかも格安SIM扱いではないく、大手三者と同格扱いの通信事業者になるとか。

そして一年間無料、二年縛りもない。それで「試しに」と利用し始めた。
通信料が無料でも、事務手数料やスマホ本体は料金がかかる。しかし、私の場合は(そのタイミングでは)楽天のポイントでほぼ全額返ってきた。

 
通信料・通話料が無料ですが、使い方を間違えると課金される。使い始めの頃、多少課金された。
また、docomoやauに比べて電波が入り難い・弱いことがある。でもどうにか使えたりしていた。
通話の品質はほぼ問題ないが、先日、通話中に切れてしまったことがあった。LTEではなく Wi-Fi(ADSL)を使っての通話になっていたので、それが原因かもしれませんが、とにかく切れるには困る。

それほど前のことではありませんが、一時期、電話が受けられないという不具合があった。これは問合せしても回答がなく、二ヵ月くらいしたら改善され、使えるようになった。
受けられない不具合はネットでも訴える人の声を読んだ。こんな状態になるとサポートがパンクするのだろう。

いい意味で驚いたこともある。
先日、高尾山の奥の方に行ったが電波が入る場所もあった。人が住んでいない場所は入らないだろうと予想していただけに驚いた。

 
こんな感じではありますが、通話料が無料なので格安SIM業者よりも実質安い。
無料期間が過ぎたので有料になりますが、データの月間利用量が、1G以下なら無料、3G以下なら980円(税抜き、以下同)、20G以下なら 1,980円、20Gを超えると 2,980円。
この数年経済的に苦しいので助かります。

コロナ禍もあって出掛けることがあまりないし、ガラ携の時からほとんど使わなかったので、これで十分。
余程のことが無い限り、楽天モバイルを続けるつもり。

| | コメント (0)

2021年6月17日 (木)

イヌからネコから伝染るんです(2000年)(読書感想文)

藤田紘一郎先生の本(ISBN 978-4-06-210479-1)。2000年のものなので時代を考えながら読んだ。ちなみに、2007年に改訂版的なものが出版されている(ISBN 978-4-06-275851-2)。タイトルもほぼ同じ(2007版のタイトルの最後に「。」が付いている)。
前の二つ(イヌの動物学(2001年版)日本の動物観(2013))の後だったので気軽に読めた。

以下は私の備忘録的なものであり、これで勉強できるものではない。興味を持っていただけたら、この書籍を読んでみるか、その他のもので少々勉強していただきたい。どんな動物とのどのような接触(動物との接触がなくても感染するものもありますが)があるとどのような感染症になる可能性があるのか、知っておいて悪いことはないですから。
ペットと暮らしていたら、まずは日々の世話をしっかり行うことですが、万が一何らかの症状が出て病院に行っても「まさかペットのことは関係ないだろう」と医師に動物との接触などの話をしなければ、その感染症と気が付かず治療が出来ないこともある。
「こんな病気もある」程度でいいと思います。有名な感染症についてある程度知識を持っていただけたら、と願っています。

 

Ⅰ ペットからの感染が心配

冒頭、断り書きのように寄生虫の話をすると「ペットは怖いもの」と印象付ける結果になり易いが、藤田先生はそのような結果にならないように気を付けている。「ペットのもつ効用」に注目しているし、次のような一文もある。

 僕は現在の日本の社会では「イヌやネコなどのペットはどうしても必要だ」と思っている。イヌやネコを使って積極的に「ヒトの病気」を治療しようという「アニマル・アシステッド・セラピー」(動物介在療法)の実践に向けて僕は努力しているのだ。(P22)

だからこそ「ペットを本当に愛している人に読んでもらうためにまとめたものである」(P4)。

人畜共通伝染病を全くゼロにするのは不可能だろうとも書いている。(局所的に抜き出すのは誤解を招くとはおもいますが)「土や水といった人間の生活環境中に蔓延」(P20)しているのも理由の一つ。これ以外にも「無症状のままで経過し、共生関係を持つことが人畜共通伝染病の特徴」(P20)とも書いている。つまり感染していても気が付かない人もいる一方、命に関わるような事態になる人もいる。だからこそ興味を持っていただきたいのだろう。

難しいことなのですが、知識を持った上で「アバウト」に「共生」してほしいらしい。知られている人畜共通伝染病はとても多い。それら全てを勉強して気を付けていたら疲れてしまうし、実害がないものも多い。なので多くの場合「アバウト」に「共生」となるのだろう。

医学的な立場から「アバウト」の効用について、以下の研究を紹介している。

 日本医大の吉野愼一教授のグループが最近おもしろい研究をした。慢性関節リウマチの患者さんを集めて、二つのグループに分け、片方のグループには現在開発されているなかでもっとも優れたリウマチの薬を与えた。もう一方のグループには林家喜久蔵さんの落語を一時間聞いてもらった。その後に、各々のグループの体の様子を調査した。
 その結果、炎症の悪化のカギとなる「IL-6」と「インターフェロンγ」という物質が落語を聞いたグループで、より顕著に減少していた。一時間の落語は、今まで開発されたどんなリウマチの薬より効果があったのだ。
 「完璧主義」の人が「アバウト」になったときは、どんな薬よりもよい影響が体に現れてくるに違いない。(P32)

  

続いて各論に入っていく。まず条虫。
マンソン裂頭条虫は人間にうつることはまずないが、瓜実条虫はその可能性がある、という話。幼虫時代に寄生する先が違う。前者は「ケシミジンコ→カエル、そのカエルを食べたヘビ」、後者は「イヌノミ、ネコノミ、ヌハジラミ」など。これらを口から鼻から体内に入れば、人間にもうつる可能性があるらしい。

このような話を実例を元に面白く語ってくれている。

ここで少し怖い話として、ペット感染症のなかで最も恐ろしい病気としてエボラ出血熱とマールブルグ病をあげている。これらは日本国内になく、水際対策の重要性を説いている。
2000年に出版された本なので、1999年に(幾つかの法律が統合され内容も改正され)施行された感染症予防法のことが書かれている。水際対策が強化されたらしい。(ちなみに、結核予防法が統合されたのは 2007年。当然だとおもいますが狂犬病予防法は統合されそうにない。)
当時、狂犬病予防法が改正されて、ネコ、キツネ、アライグマも検疫対象になっていると書かれている。しかし、ラッサ熱の宿主である動物(「マストミスなどのネズミや野鳥」(P50-51))が検疫対象でないことを危惧している。

アメリカは、ペットの検疫が厳しいらしい。それでも1999年にウェストナイル熱でニューヨーク市民が7人死亡したとか。
(本が出版された後の話として、2003年、2012年に更に多くの死亡者がアメリカでは出ています。日本では、2005年に輸入感染が確認されています。)

本書では、オウム病は怖いので「野鳥の輸入禁止の処置が早急に実施されることを、僕は切望しているのである。」(P52)と書かれている。

 

--------
この辺りまで読んで「備忘録としてもう少しちゃんと残しておきたいな」とおもうようになり、以下引用が多くなります。
ブラウザのページ検索機能で病名や病原体名などで検索すると利用価値があるかも。
ただし、本書が出版されたのは 2000年です。
--------

  

ここで章が変わって
Ⅱ イヌからうつる病気

やはり狂犬病は外せない。「アメリカのニューヨークでもこのあいだ、一一歳の少女が野良イヌに咬まれ、「狂犬病」を発症して死亡するという痛ましい事件が起こった。」(P54)とある。

しかし先生はペットの存在を尊重しているので、アメリカ・ミズーリ州で、森に迷い込んだ女の子が三日ぶりに救助されたニュースを紹介している。その時の現地の夜の気温は零下一七度Cになるが「二匹の野良イヌに体を温められるなど「献身的な保護」を受け」(P55)救出されたニュースを紹介している。「 救出時、爪先が凍傷にかかっていただけっだ。子どもは救急車で近くの病院に運ばれたが、野良イヌの一匹はその救急車を追いかけ、救急車が病院に到着すると、安心したように立ち去ったということだ。」(P55)と紹介している。

続いてイヌやネコの回虫の話。身近な寄生虫。
砂場で遊んだ子供が感染することが危惧されて行政が色々と対応したことが書かれているが、発症し重篤な症状になる例は、過去日本にほとんどないことが分かったらしい(P56)。
それよりも「地ドリのレバ刺し」(P57)の方が危険度が高いとのこと。本を読めば、なるほど!、とおもう。

ご存知の方も多いと思うが「 イヌの回虫は不思議なことに生後六ヵ月未満の幼犬にしか感染していない。大人になったイヌにはイヌ回虫は棲めないのだ。それに反して、ネコの回虫は、大人のネコにも感染している。」(P57)。
イヌ・ネコ回虫はヒトの体の中に入っても、多くの場合「免疫細胞につかまって、やがて死んでしまう」(P58)らしい。しかし、元気がいい場合は、生き残り、肝臓や肺、網膜などに達し、症状が出る。
なので「仔イヌは生後一、二ヵ月ごろまでに駆虫をはじめる。ネコは定期的に獣医師の指導のもとに駆虫薬を投与することなどが必要だろう。」(P62-63)と書かれている。

動物抑留センターで集められたイヌやネコの身体各所の体毛についた虫卵(回虫に限らない)を調べた結果も書かれている。イヌにもネコにも虫卵がついていた個体がいたが、イヌよりもネコの方が付着している数は少ないらしい。
イヌの場合「検出部位は肛門周辺がもっとも多く、ついで口腔周辺、後肢、腹部の順」(P63)とのこと。
なので口移しで食べ物を与えない方がいいと書かれている。

次にフィラリアのことが書かれている。
現在は経口予防薬が広く普及しているが(今でも投与しない飼い主さんがいるようですが)2000年は微妙だったと思う。なので、しっかり書かれている。先生のイヌへの気持ちが窺える。
人間にうつった場合(回虫同様まず生き残れることはないらしいが生き残った場合)、肺に達しX線像では銭形陰影が認められることがあるが、症状がなければ経過をみることになるらしい。
「 肺以外のイヌ糸状虫症としては、体の組織や皮下などに腫瘤を形成するものがしられている。なかには、皮下の腫瘤が移動し、皮膚爬行症といって、皮下にみみずばれをつくる症例もある。腫瘤形成部位としては、皮下、腹腔、眼球、子宮、下顎などであり、静脈内に寄生をみた例もある。」(P70-71)。
先にも書きましたがこのようなことは「まずない」とのこと。

次は、エキノコックス。本などによって「エキノコッカス」と書かれていることがあるが本書はエキノコックス。
北海道で流行しているいるが、東京の人間としては「地域的に関係ない」と言ってもいい。しかし、我が家には礼文島の思い出があり複雑な気持ちで読んだ。
「 イヌが礼文島のエキノコックスの媒介動物であることがわかった直後に、礼文島のイヌの撲滅作戦がとられ、エキノコックス症の感染は、まったく消滅した。それ以降、礼文島には今日まで新しい患者は発生していない。礼文島のエキノコックス症は、世界で唯一、撲滅作戦に成功した例だったのだ」(P72)
今でも北海道に行けば(ヒトへの)感染リスクがあるので、北海道へ遊びに行く人は勉強しておくことをお勧めする。

続いて、真菌(カビ)類の話。
まず、イヌ小胞子菌の話。症状は「ゼニたむし」として知られている。そして白癬菌
あまり引用が多くなると先生の本が売れなくなってしまうかもしれないので書きませんが、とても面白い実験が書かれている。登場人物は数名、キャラ設定もされている。たぶん同様の内容が次に紹介する本に書かれていると思われる。こちらはkindleだと無料で読めるらしい(私はkindleを使っていません)。「手を洗いすぎてはいけない~超清潔志向が人類を滅ぼす~ (光文社新書)」

楽しい実験結果に続いてまとめとして以下の一節がある。

 このように「ぜにたむし」は、毛が抜けたハゲのイヌやネコからかかるが、一度や二度触ったくらいでかかるものではない。しかし、手をあまりきれいにしすぎると、手の皮膚を守っている常在菌がいなくなり、白癬菌にかかりやすくなるのだ。まして、皮膚などに傷をつけると簡単に感染してしまうのだ。
 皮膚を洗いすぎて、清潔にし過ぎると、皮膚の抵抗力が落ちてしまうことを知って欲しいのだ。(P83)

「イヌからうつる病気」の最後は、ブルセラ病。あまりメジャーな病気ではないようだか、犬の生体、特に繁殖に係るひとにとっては恐ろしい病気だ。これも人間にうつることがあり、

(前略)しかし、ヒトにうつった場合には症状が重篤になる場合もあるので、イヌがブルセラ症と診断された時点で、これまではイヌを「安楽死」させていた。しかし、最近ではイヌもヒトに準じた治療で菌がいなくなったという報告がある。佐藤獣医科病院の佐藤克先生先生は、ブルセラ症のイヌのには去勢手術を施し、三ヵ月間ミノサイクリンを投与して、イヌからブルセラ菌を追い出すことができると述べている。(P84)

この様な病気なので、犬と暮らしている人は知っておいていただきたい。
全く個人的な話になりますが、ここで佐藤先生のお名前をお見かけするとは驚きです。もう10年くらい前になりますが、狂犬病関係の勉強で大変お世話になったというか、ご迷惑をおかけしたことがあります。狂犬病臨床研究会の会長として有名な先生ですが、他の病気の研究も積極的に行っていることを知り驚きました。

 

--------
この辺りから更に引用が多くなります。
妊婦さんが気にするトキソプラズマのことが書いてあったからかも。
ややこしいので正しく理解して欲しいなとおもった次第です。
--------

 

Ⅲ ネコからうつる病気

まずトキソプラズマ。妊娠中に感染したら大変だ!、ネコからうつるんだよね、と言われてヤツです。ちょっと落ち着いて勉強しましょうという感じの章。

「 問題となるのは、妊娠中に妊婦が「はじめて」トキソプラズマに感染した場合なのだ。」(P89)とあり、それより前に「じつは日本人の成人の三〇パーセント以上がすでに感染している。」(P89)。つまり「妊娠中にトキソプラズマに「はじめてかかる妊婦の割合」はそれほど多くはない。」(P91)。
さらに「これまでの経験上、妊婦時にトキソプラズマに初感染しても、その四〇パーセントの場合しか胎児に原虫が移行しないことがわかっている。しかも、生まれた子どもがトキソプラズマで何らかの異常を示すのは、そのうち二〇パーセントにすぎない、というデータがある。」(P91-92)。
既に感染していたかについては、IgM, IgG を検査すればいい。(P93)

次にネコとの関係。少し長くなる。(P97-98)

 さて、最後にネコについて、少し弁護しておこう。トキソプラズマ症の「犯人」としてよくネコがあげられている。それは、トキソプラズマの唯一の「終宿主」がネコだからだ。トキソプラズマはネコの小腸粘膜上皮細胞の中で有性生殖を行ない、ネコの糞便の中にオーシストという、いわば寄生虫の卵みたいなものを排泄し、これが次の感染源となる。
 これをブタやヒツジやイヌなどが経口的に飲みこんで感染する。ヒトの場合、もちろんネコの糞便中のオーシストを飲みこんでもかかるが、圧倒的に多いのが、ブタやヒツジ、それからトリなどの、十分熱を通していない肉からなのだ。
 ネコのトキソプラズマ・オーシスト保有率だが、たしかに東京のネコは約一パーセントがオーシストを持っている。しかし、不思議なことに大阪のネコはほとんど保有していない。また、ネコはトキソプラズマに一回しか感染しない。初感染だけなのだ。そのうえ、ネコは感染した一ないし三週間だけしかオーシストを排出しない。だから、現実には「おとなのネコ」はオーシストを持っていない。オーシストを排出するのは、多くの場合、仔ネコだけなのだ。

この後に、全く可能性がない訳ではないので「ネコと過度に密着した生活をしないほうがよいのはもちろん」(P98)とも書いてある。
この本には書いていないが私は「仔ネコ」かどうかは関係なく「(おとなのネコでも)初めて感染した後の数週間」オーシストを排出すると記憶している。ネコを外に出さず十分に加熱していない肉を与えなければ、感染の可能性もないとおもいますが。

次は、ネコひっかき病。要点だかピックアップしておく。

(前略)簡単にいえば、ネコ、とくに仔ネコのひっかき傷や咬み傷からバルトネラ・ヘンセラ菌(多形態性グラム陰性桿菌)が感染し、菌の侵入部位、すなわち傷口とその近くのリンパ節に炎症を起こす病気だということになる。(P100)

治療については、まず、リンパ節腫大が軽度で疼痛も発熱もない場合には、とくに治療しない。リンパ節腫大が強く、疼痛のある場合は(具体的な投薬方法等が書いてあるが省略する)。これが常法である。(P101)

現在では、原因も治療法も分かっているし検査方法もあるので、難しい病気ではないということのようだ。

死んだネコからネコひっかき病がうつったという話も出て来る。ネコの死体を埋葬してあげた家族がかかったという話。その種明かしの箇所を書いておく。

「ネコひっかき病」には、ネコにひっかかれたり、咬まれたりしたことがまったくない症例が存在することのほか、夏のノミ繁殖期を経て、秋の仔ネコの増加とともに本症のピークが見られる点など、ネコノミが「ネコひっかき病」をうつす本体であることを示すデーターが増えてきた。
 つまり「ネコひっかき病」は、ネコの体液から病原菌がヒトに感染するのではなく、ネコは病原菌伝播にかかわるノミのベクターにすぎないという可能性が出てきたわけだ。(P105)

(ベクターとは日本語で「媒介生物」)
この病気は、日和見感染する病気であり(P100)、免疫力がきちんとしていればこの病気にはかかりません(P105)とも書かれている。

続いて、パスツレラ 
「「ネコひっかき病」と同じように、日和見感染する病気に「パスツレラ症」がある。」(P106)からはじまる。
タイトルは「すべてのネコが「パスツレラ菌」をもつ」。(P106)

大まかな説明として

 感染ルートは次の二つに大別される。一つは咬傷、掻き傷による外傷性の感染で、ほとんどが局所の炎症症状でとどまるものだ。二つめのものは、呼吸器系の感染で、症例の半数以上を占める。稀には敗血症や髄膜炎を起こすことがある。(P106)

あるお医者さんが患者さんに説明した時の話として

「パスツレラ菌はネコの口のなかにいる常在菌です。ネコには一〇〇パーセント近く、イヌも五〇パーセントぐらいがこの菌をもっています。ネコやイヌではこの菌がいるからといって何の症状も出てきません。
 ヒトにはなめられたり、咬まれたりして直接的に感染するほか、呼吸器から空気感染もするようです。また爪のなかにもこの菌は入っています。したがって、ひっかかれても感染しますが、普通の人ではかかることはありません。子どもや高齢者や、なにか慢性の病気で体力が弱っている人たちにかかりやすいのです。」(P107-108)

最後にこのお医者さんのことばとして

 しかし、荒島先生も「こんな病気があるからといって短絡的にネコやイヌの飼育を禁じると困る。ペットと飼い主の精神的な絆を尊重したかたちでの予防策が肝要ではないか」(P108-109)と注意を促している。

次は、Q熱。タイトルは「Q熱・わけのわからない熱」。
大まかな説明

 Q熱は、リケッチアの一種、コクシエラ・ブルネッティ感染によって起こる人畜共通感染症で、一九三五年オーストラリアに発生した原因不明の熱性疾患がはじめての報告だ。Query fever(わけのわからない熱)が、この病名の由来になっている。別名、コクシエラ症の名前もある。(P109-110)

実際にあった10歳のお子さんの例が書かれている。長いあいだ「不明熱」に悩まされ、学校にも行きたくなくなり「怠け者」のレッテルを張られる。精神的な問題とされカウンセリングを受けるが改善されない。
症状が出始めてから約六ヵ月後、Q熱の新聞記事を見て検査を行いQ熱であることが分かり解決した。

人畜共通感染症の多くは、日和見感染、不顕性感染なので治療の必要なケースが少ないからか、最後に以下の一節がある。私はこのことが人畜共通感染症の恐ろしいところだと感じている。このケースでは10歳のお子さんの六ヵ月間が台無しになりましたが、もっと長い期間を台無しにしてしまうケースもありそうです。

解決のきっかけになった番組後の話。

 しかし、この放送の後には、ペットからかかる病気についての問い合わせが、僕の大学病院に殺到した。僕への問い合わせだけで、大学病院の電話はパンクしてしまったのだ。それだけ、ペット由来の感染症については不明な点が多く、また診断できる医師も医療機関も少ないことがわかった。そして「不定愁訴」で悩みながら、それがいつまでも治らない症例が如何に多いかを実感することができたのだった。(P113)

Q熱の段に図「Ⅲ-8 Q熱リケッチアの自然環境における生態」(P111)があるが説明文がない。この図では、イヌやネコだけでなく「カラス・ハト・野鳥」「シカ、クマ、タヌキ」など野生動物からエアゾールでヒトに及ぶことが描かれている。可能性としての話になるが、公園のベンチで座っていた時に目の前にハトが来たら感染の可能性があることになる。実際、そのような話は聞いたことがない。ということは、著しく体調を崩していたとか、何かに反応し易いなどの幾つかの原因が重ならなければ発症することはないようだ。つまり「日和見感染」「不顕性感染」である。

続いて、カンピロバクター腸炎。タイトルは「冬場にはやる乳幼児の下痢」。
冒頭「 乳幼児のあいだで、冬場にウイルス性の下痢が流行することはよく知られている。しかし、その感染源については今までわかっていなかった。ところが、最近になって、この感染源がネコであることが明らかにされた。」(P113-114)とあり、平成元年から六年間の調査のことが書いてある。このなかでは「ウイルスに感染している」となっていて具体的な名前はない。
原因のウイルスや菌が何であるかは別にして「 乳幼児のウイルス性の下痢症状は、厚生省結核感染症課に報告されているだけでも冬場を中心に毎年、八万件前後もあるという。」。(P114)

個人的なあやふやな記憶では、カンピロバクター食中毒は冬場に多く、原因も鶏肉が主なものと言われているような気がする。
平成元年から六年間の調査結果も「この下痢を起こした大部分の乳児の家庭ではネコが飼われていた」(P114)と書かれていますが、カンピロバクターの名前は出て来ない。

この話とは別に考えるとして、カンピロバクターについて

 ネコを飼っていて、それが原因の下痢症として昔から知られているものに、「カンピロバクター腸炎」がある。もっとも、この病気はネコよりもイヌ、とくに仔イヌからかかるほうが多い。(P114-115)

と書かれていて、具体的な数字が色々と書いてあり、結びは

 動物に対するカンピロバクターの病原性は弱いが、仔イヌは、先ほど述べた通り、激しい下痢を起こすことがある。イヌやネコをなでたりした後は十分手洗いをする必要がある。とくに、下痢をしている仔イヌの場合には、その排泄物は注意して処理する必要があるだろう。

次は、ノミ。タイトルは「日本のノミはすべてネコノミ」。
えっ、イヌノミとかいるよね?、と思ったのですが、

 ヒトにも、イヌにも、もちろんネコにも、日本でみられるのは、そのほとんどがネコノミというわけだ。昭和二〇年代にはヒトではヒトノミの寄生が多かった。四〇年代になるとイヌノミの寄生が多くなった。しかし、昭和五〇年以降はネコノミが主流になって、現在ではほとんどがネコノミになってしまったのだ。(P118)

何度か書いているがこの本は 2000年(平成12年)に出版されている。たぶん昭和の終わりと共にネコノミの天下になっているのだろう。種類が一つということは、対応がし易くていいのかも。

書いてあることは、家の中でノミが繁殖しないように気を付けましょうということ。ノミに刺された足の写真としえt「Ⅲ-10 ネコノミ刺傷例」(P119)が掲載されていますが、如何にも痒そうで掻きむしった後のようにも見える。
まとめの文章は

 ノミはこのようにヒトに皮膚炎を起こしたりするほか、「ネコひっかき病」を媒介したり、「瓜実条虫」「縮小条虫」の中間宿主となったりする。海外では、ペストや発疹熱などの病原体を媒介することがあるので、注意が必要である。(P119-120)

ネコの章の最後は、かいせん。タイトルは「かゆくてたまらない「かいせん」」。
この本が発売された当時の話として

今日本で老人ホームや老人病院で大流行している「かいせん」はヒトにつくダニ、ヒゼンダニによるもので、このかゆさはとても耐えられるものではない。(P120)。

ネコには「ネコショウセンコウヒゼンダニ」、イヌには「センコウヒゼンダニ」と棲み分けているが、ここではネコのかいせんがヒトにうつった症例が紹介されている。ネコが酷い症状になるくらい繁殖しても、ヒトの症状はそのネコ程にはならないらしい。
あるご夫婦が、ネコからうつったと思われる皮膚炎を皮膚科で診てもらったがあまりよくならなかった。ネコは痒がるし顔が変形してきたので病院で診てもらったらネコショウセンコウヒゼンダニが検出されたので駆虫や治療を行った。すると人間の症状も改善されたとか。

 

Ⅳ トリからうつる病気

まず、オウム病。タイトルは「死亡例の多いオウム病」。

(前略)普通の「かぜ」をこじらせた肺炎と区別できない。診断さえきちんとついて、オウム病の治療を行えば、そう危険な病気ではないが、診断がつかないまま、一般の肺炎の治療を行っていると、手おくれになって死亡することがある。
 そんなわけで、オウム病は旧伝染病予防法では届け出義務がなかったが、新しい感染症新法では第四類の全数届け出疾患に指定された。(P124)

 日本では「オウム病」の感染源となっている小鳥としては、セキセイインコが最も多く、約半数を占めている。次いでジュウシマツ、ハト、オウム、カナリア、ブンチョウ、キュウカンチョウ、ニワトリの順になっている。(P125)

死に至る恐ろしい病気ですが、「 オウム病は診断さえつけば、そんなに心配な病気ではない。」(P127)と書かれていて、治療法が書かれている。

次も、オウム病。タイトルは「ペット店、損害賠償」。
冒頭にペット店でインコを購入し、奥さんがオウム病で亡くなり、このペット店とこの店をテナントにしているスーパーを訴え「ペット店とスーパーが敗けて、賠償金を支払うことになった。」(P127)話が書かれている。続いて

 厚生省は一九八〇年以来何度も「小鳥のオウム病対策実施指針」を各都道府県へ通達し、警戒をよびかけている。しかし、小鳥の室内飼育や、小鳥とヒトの過度な接触が行われるようになったことなどの原因で、「オウム病」の犠牲者は増えるばかりなのだ。(P127)

その後に別の実例が書かれている。Q熱の例のように子供がかかり病院に行き治療や検査をしても改善されない例と同じような例が紹介されている。その後、「「オウム病」は普通のかぜのような症状で始まる。しかし、「オウム病」には普通の抗生物質は効かないのだ。」(P131)とある。

次は、クリプトコッカス病。タイトルは「小鳥の糞からかかるクリプトコッカス病」。

小鳥などの糞に増殖するカビが原因。「 この病気はお年寄りや免疫力の低下している人がほこりなどと一緒に吸いこむとかかりやすい。しかし、健常者でもかかることがある。」(P132)

肺に症状がでて、悪性腫瘍や肺がん、肺結核を疑われることがあったり、肺症状を伴わないで髄膜炎を起こすことも多いらしい。
まとめは

「オウム病」の予防も同じことだが、とくに「クリプトコッカス病」を予防するためには、小鳥の糞などをこまめに掃除することが必要だ。そして何よりも、感染症に負けないような「免疫力」をつけるよう日ごろから充実した体力つくりが必要である。(P134)

次は、サルモネラ症。タイトルは「ニワトリにサルモネラの予防接種」。

養鶏業者が育成期間中にニワトリにワクチン注射することでサルモネラ菌のいない卵を産ませることが出来るらしい。(この書籍の出版当時)「英国や米国などでは、鶏卵へのサルモネラ汚染を防ぐために、ニワトリに枠厘を接種する動きが出てきた。」(P135)とあり、日本でもワクチンを接種している業者いるとのこと。

一方で、一九九六年に起きた食中毒として「前日から殻を割って台所に放置した」(P136)卵を使った料理を夕食に食べた家族が、次の日の午前中に一家四人が数十回の下痢を繰り返し、夜になり一四歳のお子さんが亡くなった事例が載っている。
色々なことが進歩しても油断しないように、ということだろう。

「Ⅳ トリからうつる病気」はここまで。

 

Ⅴ カメ・ネズミ・アライグマ ペット感染症はこんなにある

またまたサルモネラタイトルは「ミドリガメやイグアナから感染する病気」。

 しかし、ペット動物から感染するサルモネラ症は、先ほど述べたようにいままでは圧倒的にミドリガメからのものだった。しかも、感染するのは免疫力がついていない幼小児が多かった。それが最近では、カメはもちろんヘビ、トカゲ、イグアナなどの爬虫類が原因で起こったサルモネラ症が増加してきたのだ。(P141)

とあり、その後に、六ヵ月の赤ちゃんがサルモネラ症になった例が書かれている。ベビーシッターが家でイグアナを飼っていて(赤ちゃんは直接触れることはなかったが)シッター経由でかかったようだ。シッターは発症していない。不顕性感染をしていたことになる。
免疫力がついていない「子どもがいる家庭では「爬虫類に触ったら、よく手を洗う」「糞便はこまめに始末する」などの注意が必要になってくる。」(P142-143)

次は、レプトスピラ症。タイトルは「ネズミから感染するレプトスピラ症」。

 レプトスピラ・イクテロヘモラギアはネズミの腎臓に寄生しており、尿に排出される。この尿や、これに汚染された水や土壌が重要な感染源となる。これらのものに、ヒトが接触して経皮的に、あるいは経口的にレプトスピラを体内に取りこむと感染する。(P143)

続いて症状が書いてあり「重症になった病型は「ワイル病」といわれ」(P143)るらしい。「 日本ではワイル病類似のレプトスピラ症いろいろ知られている。」(P144)昔から、田畑で働いたり、川に入って感染することが知られている。

つまりネズミと接触するどころか、ネズミの存在が見えなくても水や土壌から感染する。私の経験談になるが、山歩きをする時に地元の人に話しを聞くと「あの川はレプトスピラに汚染されている」「あの辺りで感染した人がいる」などと教えてくれることがあった。

オマケ程度に「イヌによるレプトスピラ症」の紹介も書いてあった。締めの文章は

 いずれにしろ、イヌやネズミを飼うときはレプトスピラ症という病気があることを知っておくべきであろう。とくに、ネズミを飼うときはネズミがレプトスピラを保有している確率が高いだけに、その尿の取り扱いには注意する必要があるだろう。

次は、アライグマの回虫。タイトルは「アライグマの回虫はこわい」。

 一九八四年、アメリカで意識障害や運動障害を起こして死亡した小児の症例がたて続けに二例報告された。病理解剖の結果、二人とも脳、脊髄、心臓、肺臓などからアライグマの回虫の幼虫が検出された。(P146)

イヌの回虫がヒトの体内を移行するように、アライグマの回虫も移行する。ただし「肝臓や肺臓を通過し、心臓に達し、さらに脊髄や脳といった中枢神経にまで到達することがわかってきたのだ。」(P147-148)とある。そして「アライグマ回虫症に対する治療方法も確立していない。」(P149)ので「予防」しかない、らしい。

続いて、エキノコックス症。タイトルは「キタキツネからエキノコックス症」。
イヌの章でも紹介されていましたが、どのように症状が進むか、2000年現在 治療がどこまで出来るか、検診により早期発見が出来るようになってきたことが書いてあり、この病気に取り組んでいる北海道大学の先生の話として

「この病気の予防には、キタキツネに触ったらよく洗う。沢の水は飲まない。山菜などはよく洗って食べることが大切です。仮に感染しても、早期に無症状のうちに発見して病巣を切除すれば完治します。おなかが張って痛いなど自覚症状が出てくるくらいに進行すると、手術は難しくなります。しかし、最近は検診の成果もあって死亡するようなケースはほとんどなくなりました」と佐藤先生は語った。(P151-152)

とあり、さらに、慈恵医大の先生らの努力により専用薬が使用認可され「手術のできない重症患者にも治療の道が開けてきた」(P152)と書かれている。

この病気の何が怖いかというと「五年から一五年もたって、包虫が大きくなってはじめて症状が発現する」(P151)点。発症したら完治が難しが、発症前は検診を受けなければ発見するのは困難だろう。

例えば東京の暮らしていいる人が北海道で感染したかもしれないと思ったら、東京でも検査が出来るが限られた病院になる。検査だけでなく治療も。これは人畜共通感染症の多くに言えることだとおもいます。本人がその病気を疑うことが出来ればいいですが、そうでない場合、一般の病院では(検査以前に)その病気であるか疑うことも難しいかもしれない。
なので「予防」が大切なのですね。

次の章も、エキノコックス症。タイトルは「キタキツネが悪いのか」。
冒頭にも書きましたが、藤田先生は動物好きな人です。なので如何に動物と上手く暮らしてゆくかを考え、そして「「アニマル・アシステッド・セラピー」(動物介在療法)の実践に向けて僕は努力」(P22)している。そんな先生は、人畜共通感染症を語る時に「動物を悪者にしたくない」という気持ちが強い。そんな先生が、北海道においてキタキツネがおかれた立場を書いている。
乱暴にまとめると「人間がキタキツネが棲める範囲を広げた(人間に近づけた)し、北海道で育てた芝と一緒にキタキツネの糞も本州に運んでいるのでは?」と私は理解した。

感染症そのもではなく背景のことが多々書かれている章、リステリア症。タイトルは「ヤギやヒツジはどれくらい飼われているか知らないけど、リステリア症」。
症状のことはあまり書かれていない。
リステリア菌はヤギやヒツジだけに限らず「哺乳類ばかりではなく、鳥類や魚類、そして土壌などの自然環境にも広く分布していることが明らかになった」(P155)そして「ヒトのリステリア症の報告はほとんど先進国からで発展途上国ではみられないという特徴があることもわかってきた。」(P155)とある。これについて「低温保存した食品においてもリステリア菌は十分に発育が可能」(P156)が関係して(「死滅しない」ではなく「発育が可能」は怖い…)、

 ある人たちは、先進国において食品の低温保存や低温流通が一般化されていて、他の食中毒菌の発育は抑制されても、低温保存に抵抗性のあるリステリア菌が生き残り、ヒトへの感染を広げているのではないか、と説明している。
 僕はそれに対して別の意見をもっている。僕が日ごろから指摘している「先進国がつき進んでいる清潔志向の行きすぎ」が関係しているのだと思う。(P156)

 つまり、先進国でみられるように「僕たちを守ってくれている常在菌までも排除している国」ではリステリア菌はより増殖し、病原性を発揮するようになる。(P158)

私も同じ様に考えるが、既に常在菌を排除した環境で産まれ育った人たちがいそうな現在、後戻りは難しいのではないかと感じている。

次は、Bウイルス。タイトルは「輸入サルの四割、ヒトに脳炎を起こすBウイルス」。
ここはスルーします。理由は、2005年7月からペットのサルは輸入できなくなったし、Bウイルスをヒトにうつすマカカ属は、外来生物法の対象でペット以外の目的での輸入は手続きが大変みたいです。
何も書かないと申し訳ないので、最後の締めの文書

 ペットにしてはならない動物を輸入し、売る業者も問題だが、手に負えなくなったらすぐに捨てたり、ペットをブランド視する飼い主にも問題があるようだ。(P161)

最近、逃げ出したアニメニシキやミナミジサイチョウが話題になりましたが、珍しい動物(飼育することが規制されている動物)も感染症の問題を抱えているでしょうから、その意味でも気を付けたいものです。

(Ⅴ カメ・ネズミ・アライグマ ペット感染症はこんなにある はここまで)

 

Ⅵ 海外旅行

当然の如くまずは、狂犬病。タイトルは「狂犬病は日本ではなくなったけど」。
一九五六年以来、日本では発生していないが、そのような国は「日本や英国など、ごく限られた国しかない。」(P164)からはじまり、世界の状況や、咬まれてから発症後の症状などが書かれているが、次のようなことも書かれている。

 狂犬病は予防はできるが、発症すると百パーセント死亡する病気であることを念頭に置いてほしい。アリストテレスはすでに紀元前三五〇年ごろ狂犬病の症状を「死の病」として記載している。発病すればほとんど死をまぬがれない病気であることは、昔も今も変わりないということを知って欲しいのだ。(P165)

人間が感染症と対峙する時、検査・治療・ワクチンがあれば対応出来る。これは現在のコロナ禍と呼ばれている新型コロナウイルスとの戦いで理解している人も多いとおもう。新型コロナウイルスの場合、これらの対応方法が揃わず、被害が拡大している。
狂犬病は現代の科学が芽生える遥か前、紀元前から知られていた病気にも関わらず、未だに発症前の検査は出来ない。そして発症してしまったらまず死を免れない(治療法がない)。
人間と長い付き合いの感染症であるにも関わらず「よく分からない」感染症であるから恐ろしいのだと私は思っている。

狂犬病の話が続きます。タイトルは「バンコクのやせたイヌ」。
藤田先生の友人がバンコクで暮らしていた時に、ワクチンを受けていなかったお子さんが犬に咬まれた時のことが書かれている。
地元の医師は「あのイヌは狂犬病ではありません。ですから息子さんは狂犬病ワクチンをうつ必要はありません」(P169)とワクチンをうたない。納得できず、大使館の日本人医師にうってもらうことになる。

まだ狂犬病の話が続きます。タイトルは「狂犬病ワクチンの接種方法」。
地元の医師の判断は(このお子さんが咬まれた時期のワクチン事情等から考えれば)正しい。その理由について書かれている。それを説明するには(当時の)狂犬病の「不活化ワクチン」「組織培養ワクチン」、オプション的な話として「抗狂犬病免疫グロブリン」を理解していただかなかればならい。私には上手く説明できないし、現在は状況も違うので書きません。

世界のほとんどの国には狂犬病が存在し、感染リスクが十分にある国もある。そのような国でリスクがある行動をとる可能性があるのであれば、暴露前ワクチンを行なう意味を理解していただければと願う。暴露前ワクチンを行なっていれば冷静な対応が出来るとおもいます。

本書でのワクチンの説明はWHOの勧告を基に書かれている。世界的には狂犬病の対応方法は確立されていますが、日本ではどうなのか、世界中の何処でもWHOの勧告通りの対応をしてもらえるのか、など(頻繁に海外に行かれる方は)知っておいた方がいいとおもった。

この章の後半は、アメリカ人女性がネパールのカトマンズで野良イヌに咬まれた後(アメリカは狂犬病がある国なのでたぶん知識があったのだとおもいます)それなりの対応をし、咬んだイヌが狂犬病ではないと判断し、帰国後二ヵ月めに発症。その後死亡した例が書かれている。

狂犬病が恐ろしい病気であることは間違いない。前章で地元医師が「うつ必要はありません」と判断したことは医師である藤田先生は理解出来るとおもいますが、それでも別の医師にうってもらったことも私は理解するし、同じ立場だったら同様の行動をするかもしれないと考えた。

一連の狂犬病について書かれた部分を読んでいると「日本で発症していないから」「日本に狂犬病が入ってきても暴露後ワクチンうてばいいんでしょ?」との考えが如何に浅はかか分かる。
狂犬病に限らず「よく分からない病気」「死ぬ可能性がある病気」(2021年現在であれば新型コロナウイルス感染症ですね)にかかってしまった・かかった可能性がある状況になった時の、本人および家族など近親者の精神的な負担を、感染症を勉強するときに考えてほしいと常々おもっています。

もう一回狂犬病。タイトルは「狂犬病ウイルスの自然生態」。
狂犬病の勉強をした人なら聞いたことがあるだろう都市型・森林型の話が中心。この中では「都市サイクル(Urban Cycle)」「森林サイクル(Cylvan Cycle)」と書かれている。
簡単に説明すれば、人間が日常生活している地域で狂犬病の感染が続いているのが都市型、人間の日常生活とは関わりにない自然界で感染が続いているのが森林型、と言われている。

「伝播者」としてコウモリのことが書かれている。米国での狂犬病患者のうち多くがコウモリが感染源になっていた(P176)とも書いてある。
この本には書いていないが、アメリカと言えばアライグマの狂犬病対策が有名。2053年までに根絶を目指しているらしい。アライグマとコウモリが関係していることも何処かで読んだことがある。
東京でも夏にコウモリを見ることがあるし、最近はアライグマも増えてきているようだ(対策をしているらしいが)。そんなことを考えると、一度でも狂犬病が入ってきたら大変なことになるだろうと思わずにはいられない。
米国と書きましたが「どうせ田舎だろう」と想像した人もいるとおもいます。このブログを書いている時に外務省のとあるページをみたら以下の記述がありました。(あぁ、コピペが出来るって楽!)

 ニューヨーク市内および近郊では、鹿をはじめスカンク、アライグマ、リスなど様々な野生動物が生息しています。例年、ニューヨーク市内では狂犬病に感染した野生動物が確認されています。特にアライグマの感染例が多く、市ではアライグマをはじめとした野生動物に、むやみに近づかないように注意を呼びかけています。もし、野生動物に咬まれたり、引っかかれたりした場合は、すぐに多量の水で石鹸を使用して傷口を洗い流し、お近くの医療機関に相談してください。

この章の最後は以下のように終わっている。

 日本人は狂犬病に対する警戒心が希薄だ。海外ではみだりに動物に近づいたり、手をださないように注意しなければならない。(P177)

狂犬病は終わって、エボラ出血熱マールブルグ病。タイトルは「サルとエボラとマールブルグ」。
この本が発売された2000年以前はこれら感染症はいつ日本に入ってくるかドキドキものだったようですが、

 こんななか、日本政府はやっと重い腰をあげた。一九九九年四月に制定された感染症新法では、輸入サルの検疫を行うこと、エボラ出血熱やマールブルグ病流行地からのサルの輸入を禁止すること、などが決められたのだ。(P179)

それに加え(Bウイルスのところで書きましたが)2005年7月からペットのサルは輸入できなくなったこともあり、現在ではこれらの病気に感染する確率はほとんどないだろう。なので省略(笑)

この章の最後も

 外国、とくに感染症での死亡が多い国を訪れる際にはサルやイヌはもちろん、野生動物と接触しないように注意すべきであろう。(P180)

ここでアメーバ赤痢。タイトルは「カメが危ない」。
前章でサルの話が出たがこの章では「医学実験用に輸入されたサルのほぼ一〇〇%がアメーバ赤痢に感染していた。」(P180)とある。
そしてインドネシアで起こったこととして、五歳の男子がミドリガメからアメーバ赤痢に感染した話が書いてある。
日本に住んでいると馴染みの薄い病気なので大まかな症状を引用しておく。

 このアメーバ赤痢の恐いところは、粘液と血液とが混じった「イチゴゼリー状の粘血便」を出すということではない。放置すると、三年から五年後に肝臓や肺、ときには脳に「膿瘍」を作ってしまうことがある、という点なのだ。(P182)

はじめのうちの「イチゴゼリー状の粘血便」は治ってしまい、三年から五年後に大変なことになるらしい。

この章の最後は

 赤痢アメーバは、カメ以外にもヘビやトカゲなどの爬虫類が高率に持っている。東南アジアやアフリカなどで遊ぶときは、注意して欲しいと思う。

(ここまで、 Ⅵ 海外旅行でかかるペット感染症)

 

Ⅶ ペットによるアレルギー
ここでは個別の感染症やアレルギーの話ではなく、藤田先生のアレルギーに対する考えが書いてあります。

感染症やアレルギーに関する質問について。タイトルは「むしろペットと暮らしたい」。
とある新聞のペットからうつる病気に対する質問に対して先生がおもったこと。
私なりに要約すると以下のような質問が挙げられている。

「(ネコの抜け毛について)動物の毛は肺にたまり、病気の原因となると聞きましたが、」(P186)、「「子供が生まれるのにネコは絶対によくないよ」と妊娠中から言われ、医師から「ぜんそくになる確率が高い、処分したほうがいい」と言われ、」(P187)、「子どもが生まれる前からネコをかっています。子どもが三ヵ月のころ血液検査でネコの毛でアレルギーと診断。しゅうとめからネコを処分するようにと、。子どもが一歳のときの検査で原因は食物とダニとでて、ネコの毛はでませんでした」(P187-188)

これらについて、

 ネコの毛が原因のぜんそくもたしかにある。しかし、ぜんそくの原因のほとんどすべては室内のほこり、とくにほこりのなかに含まれるダニの死骸や糞なのだ。
 このように考えてくると、トキソプラズマなどの感染や発症の機序を十分知り、アレルギーの発症予防をきちんとすれば、ぜんそくなどを恐れてペットを飼うことをやめる必要はないだろう、という答えになる。(P188)

この後に続く、むずびが先生らしい。

 ペットからうつる病気も、たしかにいろいろあるが、ペットは「子どもの情緒を豊かにし、安定させる」という面もある。動物の持つ温かい感覚に触れることも、子どもの時期には必要であることを知っておくのも大事なことであろう。(P188-189)

ペットの毛などとアレルギーの関係を認識している人がどれくらいいるのか?。タイトルは「ペットでアレルギー・認識一〇パーセント」。
前章でペットの毛が直接的な原因になることはあまりないことが書かれていた。しかし、直接的な原因になることもあるし、既にあるアトピーやアレルギーが悪化する場合もある。

ある先生が、「一九九五年から九七年までに受診したアレルギーの新患者四九一人を対象に、ペットに関するアンケート調査を行った。そのなかで、ペットの毛などが原因で症状が悪化する場合があることを知っていてのはたったの一〇パーセントだったという。」(P189)

これに続いて、「(回答者の中の)五四パーセントは過去か現在にペットとかかわってきた。それでも、ペットが原因でアレルギー病が悪化する場合もあることをしっていたのが一〇パーセントだったということになる。」(P189-190)

前出の先生の行った別の調査がある。

(前略)一九八八年から九七年までのアレルギー患者一三三七人ついて年度ごとの飼育ペットの比率を調べている。それによると、ネコは八八年から二〇パーセント台でほぼ横バイ状態だったのに対して、ハムスターが八八年の〇.八%から九五年には一一パーセントを超え、九七年は一七.九パーセントに急増していた。(P190)

調査の結果として、アレルギー患者の増加とハムスター飼育者の急増は無関係ではないようだ、とされている。

2000年に発売された本なので調査は「1995-97年」であり、現在同じ調査をしたら随分と違うだろう。90年代後半からの小型犬ブームは始まっていたと思いますが、まだまだだったみたいです。
ちなみに、インターネットが広く普及したのは、ADSLが普及し始めた1998年以降と言われている。

むすびの一文。

 部屋をあまり掃除せず、ペットの毛が散らばっていても平気な人、こんな人からアレルギー患者が発生しているようだ。(P190-191)

明らかにペットが原因のアレルギー。タイトルは「イヌ、ナメるなよ」。
とても珍しいアレルギーだったので藤田先生は研究したかったようですが、症状が激し過ぎて患者さんの命に関わりそうなので断念したケース。

あるお子さんがイヌの唾液のアレルギーであることが分かった。研究熱心な彼(アレルギーのお子さん)はいろいろ種類のイヌで試したら「すべてに激しいアレルギー反応が起こった」。(P192)
その後、馬に乗ったら激しいアレルギー反応が出て「お母さんも「彼が死ぬのではないか」と思ったそうだ。」(P192)。このときはナメられていない。その後も馬に乗ったら反応がすぐに出始め、すぐに馬から降りたそうだ。

 結局、彼はイヌの唾液に対してアレルギーがあることがわかった。しかし、イヌの唾液より激しいアレルギー反応を「ウマの何か」に対して持っていることもわかった。しかしウマの何に対して反応しているのは不明だった。(P193)

ウマの何に対してなのか追究したかったが、「彼がまた死ぬ思いをするに違いないと思い、止めにした。」(P194)となる。
さらに、「彼の両親も二人の妹もアレルギー体質ではなかった」(P194)ことや、その時も以前もネコを飼っていることが書かれている。

恒例になってきた、むすびの一文。

 しかし、ごくごく稀な例だが、今回紹介したような、ある種の動物の唾液などの、ある特定の物質に対してのみアレルギー反応を示すことがあるので、注意する必要があるだろう。
 パッチテストといって、どの物質に対してアレルギー反応を起こすかを知るテストがあるが、この男の子のようなケースではそのテストでさえも激しいアレルギー反応を起こすことがあるので、この点も注意して欲しい。(P194)

ペットのアレルギー。タイトルは「行きすぎた清潔志向がアレルギーを生む」。
きりなり「むずびの一文」を紹介する。

 僕はいま、日本人の健康回復には、「超清潔志向」をやめ、いわゆる「粗食」を食べ、自然に触れることが必要だと主張している。それが、そのまま、日本のイヌやネコの健康管理にもあてはまるように思えてならない。(P198)

この章には、アトピー性の皮膚炎に悩まされているイヌの話が出て来る。飼い主さんはあらゆることをことを行うがよくならない。その話の前に藤田先生の考えが書いてある。長いが引用する。

 僕たち人類が現在のような「無菌室」に住むようになったのはつい最近のことだ。人類の歴史からみると、ほんの瞬きするあいだの「一瞬の時間」にすぎない。
 僕たちは長いあいだジャングルに住み、草原を走っていた。そのあいだに僕たちは寄生虫や細菌・ウイルスという微生物と「共生」の関係を結んできていたのだ。
 僕たちの体の免疫機構には、回虫がやってきたら「こんにちは」と挨拶する免疫担当細胞が用意されていた。結核菌が入ってきたら「お茶を出す」担当細胞がおり、ウイルスがきたらそれに対応する細胞が用意されていたのだ。最近の日本人の超清潔志向は、これらの回虫や細菌やウイルスを徹底的に排除した。
 その結果として、僕たちの体のなかにいろいろな免疫担当細胞が「職を失う」ことになった。
「無職」になったものほど厄介なものはない。応対する必要のない「ダニの死骸」や「スギの花粉」などに、この職を失った細胞群が反応してしまうことが、現在のアレルギー性疾患の多発という日本の状況を導いてきたのではないだろうか。
 ところが、僕が日本人について主張したことと同じ状況がペットの世界でも起こりはじめてきたのではないか、と思う。
 たいへん有効な駆虫薬ができて、イヌやネコたちは小さいときから寄生虫を持たないように管理されている。イヌやネコにアトピー性皮膚炎が増えてきたのは、このことも原因しているように思う。花粉症にかかるイヌも少数だが出てきたという話も聞く。(P196-197)

私も同様に考える。人間に限らず動物の体は環境に対応して変わってゆく。とても長い時間を経て寄生虫や細菌・ウイルスと共生できるように変わってきた。その後、この数十年間「無菌室」的な生活を送りはじめている。体はその環境に対応しきっていないと考えられるし、対応するのが良いことなのか考える必要があるのではないでしょうか。
人間よりも遅れて「無菌室」的な生活を送りはじめたイヌやネコ。彼らが人間同様の道を進んでも不思議はない。

人間がアレルギーになるとペットが疑われる話。タイトルは「妹の病気とマルチーズ「モモ」」。
まずテレビ番組の話が書かれている。犬を迎えた家族のドキュメンタリー。一番下の四歳の男の子とイヌがとても親密な関係になったことを見て(藤田先生はそのことをもちろん否定しないし、前章にあるよう超清潔志向に疑問をもっているので)こんなことを書いている。

 ことペットに関する限り、この日本人の極端な清潔志向はどこかに飛んでしまっているのだ。その極端から極端は、ちょっと滑稽でもある。
 前に述べたように、かわいいペットとはキスしようが、一緒に寝ようが平気だ。いつまでもお風呂に入れなくても清潔だと思っている。部屋はあまり掃除せず、ペットの毛が散らばっているても平気な人が多いようだ。(P201)

思わず「うんうん」と頷いてしまった。

この先に先生の妹さんの話になる。
歯科医師を開業している妹さんがマルチーズのモモちゃんを迎える。この歯医者さん(病院)がどんな状態になるかは本を読んでほしい。私は「この歯医者さんにお世話になりたい」と思った。
モモちゃんを迎えてから5年が経ったある日、鼻水と咳が出る。それから色々な症状が出てどうしようもなくなってゆく。最終的に藤田先生の紹介で呼吸器内科の教授に診てもらったら「気管支ぜんそく」と診断された。もちろんモモちゃんの影響は考えられたが、藤田先生は、モモちゃんのケアと部屋の掃除がいきとどいていないことだろうと考えた。

では、むすびの一文。

 妹の皮内パッチテストの結果は、ハウスダスト強陽性、イヌの毛には陰性だった。この結果を知った妹はいっぺんに明るくなり、気管支ぜんそくの症状もやわらいだように見えたのだった。

(Ⅶ ペットによるアレルギー ここまで)

 

Ⅷ ヒトにはうつらないけど怖い病気
「そんな病気いっぱいあるけど?」と思ったのですが、読み始めたら(エイズなど)病原ウイルスが同じ仲間のものが主に紹介されていた。

ネコエイズの基本的なこと。タイトルは「ネコのエイズはヒトにうつるか」。
ネコエイズはヒトにうつらないこと、感染した全てのネコが発病するわけでもないことが簡単に説明されている。
本書が発売された当時、ツシマヤマネコへの感染が確認されて「環境庁が緊急に疫学調査に入ることを決めた」(P207)とも書かれている。

異種間の動物ではエイズウイルスが違う。タイトルは「ネコのエイズがヒトにうつらないわけ」。
まずエイズウイルスに感染すると細胞レベルで何が起こるのかが書かれていて、続いて(前章でネコのエイズはヒトにうつらないことが書かれていたが)なぜ他の動物にうつらないのか少々難しい言葉が出てきて説明している。

 エイズウイルスの表面にはgp120という「カギ」がついてる。この「カギ」と結合する「穴」をもっている細胞がヘルパーTという免疫細胞なのだ。エイズウイルスの「カギ」は、このヘルパーT細胞とマクロファージという細胞の「カギ穴」としか合わないようになっている。
 ヘルパーT細胞の、この「カギ穴」はCD4といわれる。エイズウイルスは後に述べるようにHIV1とHIV2という二種類のウイルスをいうが、HIV1のgp120のほうが、HIV2のgp120よりもはるかにCD4にぴったりと結合しやすい。約二〇倍以上結合が強いとされている。だから、HIV1のほうがエイズをひきおこしやすい、というわけだ。(P209)

私は、慎重に読まないと理解出来なかったが「ふむふむ、ここ大事」と思いながら読みました。続いての箇所も「ここ大事」と思った。

 インフルエンザウイルスの「カギ」は粘膜細胞であればどの細胞でもフィットする。また、肝炎ウイルスは肝臓のすべての細胞にとりつく。けれどもエイズウイルスの「カギ」はきわめて精巧にできているので、特定の「穴」にしか入らない、というわけだ。
 たとえば、ネズミのヘルパーT細胞の「カギ穴」CD4には、ヒトのエイズウイルスのカギであるgp120は入らない。うまくフィットしないのだ。ヒトのCD4とネズミのCD4とはアミノ酸配列が少し違っているからだ。(P209-210)

例えで説明してくださっていますが、結論として「ネコのエイズウイルスはヒトにうつらない」(P210)となる。

次の章のタイトルは、あなたのネコがエイズにならないように
藤田先生は人間のお医者さんで、人間の感染症という立場で書かれた本だとおもっていましたが、ネコ視点で書かれている。
まず、ネコエイズは「感染しても、その全てが発病するわけではない。また、ヒトに感染することもない。」(P211)。

次に書かれていることが理解が難しい。なので長いが引用する。

 ところで、ネコのエイズウイルスは、ヒトのエイズウイルスと少し異なる感染のしかたをする。すわなち、ネコのエイズウイルスは、ネコのヘルパーT細胞ばかりではなく、キラーT細胞という免疫細胞にまで感染するのだ。
 つまり、ネコのエイズウイルスの「カギ」であるgp120は、CD4という「カギ穴」ばかりではなく、キラーT細胞の表面についているCD8という「カギ穴」にも合う、ということだ。
 キラーT細胞は「殺し屋T細胞」ともよばれているように、体内に入った異物を殺す作用がある。免疫を助けるヘルパーT細胞とともに、キラーT細胞は免疫を司る重要な細胞なのだ。ネコのエイズウイルスは、この両方に感染し、細胞を破壊するわけだから、ネコに対する影響は大変なものになる。ヒトがエイズにかかったときより、さらに強烈にネコを「免疫不全」状態にしてしまうことが考えられる。
 しかし、幸いなことにネコのエイズウイルスの感染力はヒトのエイズウイルスの感染力にくらべてはるかに弱い。したがって、エイズにかかったネコは、思ったより症状が軽いのが特徴だ。(P211)

キラーT細胞にも感染するので大変なことになるが、感染力が弱いので症状は軽いと読めばいいのだろうか。しかし免疫不全が原因で命を落とす猫がいることも確かだ。
ネコエイズに感染したと分かったら、しっかり対応してあげないと大変なことになるかもね、と理解しておけばいいのかな。

やっと本題「さて、ネコはどのようにしてエイズウイルスにかかるのだろうか。」(P211)となる。
ご存知の方も多いと思いますが「喧嘩などの咬み傷からかかる場合がもっとも多い」(P212)と書かれている。

次に症状が書いてあり、続いて「 しかし、エイズウイルスに感染しても、症状が出現していないネコ、つまりキャリアーのネコが数からいえば断然多い。」(P212)とも書かれている。そして「血液検査で簡単にわかる」(P212)ことも書かれている。

むすびの文は。

 あなたが、愛しているネコと幸せに暮らすためには、ストレスの少ない生活環境をつくり、バランスのよい食事を与えること、定期的に病院に連れて行って健康診断を受けさせることなどが必要だろう。
 去勢や避妊なども考えてやる必要があるだろう。去勢や避妊などを行えば、ネコも外に出たがらなくなるし、喧嘩もしなくなる。それだけエイズウイルスにかかる確率も低くなる、というわけだ。(P212)

次の章は難しいし一般飼い主としては必要のない知識かも。タイトルは「チンパンジーはエイズにならない」。

 調べてみると面白いことがわかった。エイズウイルスは、チンパンジーのヘルパーT細胞にたしかに結合しているが、まったくヘルパーT細胞を破壊していないことがわかったのだ。(P213)

ここまでは何となく「ふ~ん」と読めると思うのですが続いて「チンパンジーがエイズにならない理由は、じつは、ほかにもある。」(P214)となる。

興味を持った方もいらっしゃると思いますので、またまた長くなりますが引用します。
以下引用する話は(ヒトでもネコでもイヌでも)医学的な基礎中の基礎の話です。このようなことが分からないと単純に「この病気にはこの薬」的な話になり、診たてを誤れば大変なことが起こってしまうこともある。なのでこれくらいのことは勉強して欲しいと思っています。
「ではちょっと勉強してみるか!」と思った方は、以下引用に出て来る「ヘルパーT細胞」「マクロファージ」「B細胞」「MHC2分子」「細胞死」をインターネットで調べてみることをお勧めします(ここでは出てきませんが「キラーT細胞」も)。あまりに基礎の基礎の部分なので「ここまで勉強しなくても」と気付くとおもいますが、本気で勉強したいのであれば、表面的な現象(症状)の違いだけでなく、何故そのような違いが起こるのかも理解していただければと思うことがあります。
もちろん、一般飼い主さんには必要のないことです。

 前に話たように、エイズウイルスはヒトではヘルパーT細胞のほかにマクロファージに感染する。ところが、エイズウイルスはチンパンジーのマクロファージには感染しないことが明らかになったのだ。
 ヒトの場合、エイズになるのは、単にヘルパーT細胞がエイズウイルスによって破壊されるだけではない。じつは、マクロファージも大きく関与しているのだ。エイズウイルスがマクロファージに感染すると、マクロファージの表面にあるMHC2という分子が破壊されてしまうのだ。
 MHC2分子はマクロファージのほかに、B細胞にもあるが、それぞれ独自の方法で異物を細胞内に取りこんで、その抗原情報をヘルパーT細胞に提示する働きをしている。
 したがって、マクロファージの表面のMHC2分子がエイズウイルスによって壊されてしまうと、ヘルパーT細胞に対する情報伝達のための、刺激タンパク質を分泌しなくなる。その結果、ヘルパーT細胞の活動は低下し、細胞死に至るというわけだ。この現象は、ヒトでは起こるが、チンパンジーでは起こらないのだ。(P214)

さて、どうでしょうか。「とにかく仕組みというか、エイズウイルスによって壊されるものが違って、その結果、失われる機能が違うのね」くらいまで理解出来る方は多いと思います。

そして、むすびの一文は、

 チンパンジーがエイズウイルスに感染しても、「エイズ」にならないわけが、この説明で理解していただけたと思う。

う~ん、、、全く理解できない訳じゃじゃいけど...と思った方も多いのではないでしょうか。それでいいと思います。

HIV1型、2型の話。タイトルは「サルのエイズウイルスはサルと共生」。
まだややこしい話が続きます。
まず、アフリカミドリザルやアカゲザルなどからもエイズウイルスが発見されているが、エイズをひき起こさないことがわかった。「エイズをひき起こすのは本来の寄生すべきサルとは異なった別の種のサルにウイルスを感染させたときで、その場合は、サルはエイズになって死んでしまうのだ。」(P215)とある。今まで書いてあったことで何となく分かる。

この章ではヒトのエイズウイルスの説明をしたいらしい。

 先ほど話したように、ヒトのエイズウイルスには二つのタイプがある。現在、世界中で問題になっているのがHIV1型で、モンタニュー博士が見つけたタイプである。
 もう一つのタイプは、おもに西アフリカで流行しているもので、HIV2とよばれている。HIV2はHIV1よりもウイルスの毒性が弱く、HIV1ほどはエイズをひき起こさない。
 チンパンジーがもっているエイズウイルスはHIV1と同じ遺伝子構造になっていて、分類的にHIV1と同じグループに属している。このことはすでに述べた。
 ところが、サルのウイルスはHIV2に属するエイズウイルスであることがわかったのだ。したがって、HIV2タイプのウイルスはサルのエイズウイルスがヒトに乗り移ったものと考えてよいだろう。
 いっぽう、HIV1はサルのウイルスと遺伝子構成が大きく異なっている部分があり、サルのエイズウイルスとは親戚ではあるが、サルから移ってきたとはとてもいい難い。どこか別のルートからヒトに入ってきたのではないかと考えられている。(P215-216)

グループ分けした図が載っている。文字ベースのこのページにはそのまま載せることが出来ないので私なり書き直すと(P216)

エイズウイルスの祖先
 ┃
 ┃   (HIV1グループ)
 ┃  ┏━ HIV1 ヨーロッパ・アメリカ型
 ┃ ┏┫
 ┃ ┃┗━ HIV1 アフリカ型
 ┃┏┫
 ┃┃┗━━ HIV1 チンパンジーのウイルス
 ┃┃ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 ┃┃  (HIV2 グループ)
 ┗┫   ┏ HIV2 rod
  ┃  ┏┫
  ┃ ┏┫┗ アカゲザルのウイルス
  ┃ ┃┃
  ┃ ┃┗━ HIV2 D
  ┗━┫
    ┗━━ ミドリザルのウイルス

このように枝分かれして、例えばヒトがエイズウイルスをもっていたとしても、その種類によってエイズを起こしたり、起こしにくかったりする。更に細かいことがあるようだ。
むすびの一文は次の通り。

 ミドリザルのエイズウイルスはそれぞれの種に固有のもので、ほかの種のミドリザルには広がっていない。ミドリザルに固有のエイズウイルスは、自分が感染している種類のミドリザルと長いあいだ共生していて、仲良くなっているのである。(P217)

これを読んでいて「?」と思った。ミドリザルってそんなに種類があるっけ?、と。
インターネットで調べてみたら(このページをブラウザ=chromeで日本語訳→)「紛らわしいことに、「ベルベット モンキー」と「ミドリザル」という用語はChlorocebus属全体を指すために使用されることがありますが、」とあり、Chlorocebus属(サバンナモンキー属)全体のことを指しているのだろう。
またこちらのページを読んで「もしかして、サバンナモンキー属を明確に分類するようになったのは最近のことなのなか?」と思ったりもしました。

ジステンパー。タイトルは「ジステンパーもヒトにはうつらない」。
ジステンパーがイヌにかかることをご存知の方は多いと思いますが、他にも幾つかの毛皮獣にかかるらしい。なので「過去に毛皮産業に大きな被害を与えてきた。」(P218)と書かれている。
毛皮獣ではなくヒトに感染するか?、「一般的にはヒトにはうつらない、とされている。」(P218)が、その後、疑わしい報告があり「ジステンパーウイルスが、まったく人にかからないと断言してよいか迷うところだ。」(P219)とも書かれている。

そして、イヌのジステンパーについて書かれている。死に至るし、そうでなくても後遺症が残ることがあることを知っている人も多いだろう。
頭の方で思いっきり省略したマンソン裂頭条虫のところで実例として出て来る犬が、ジステンパーにもかかったらしい。いい加減な飼い主だったのか。そうではない。当時としては当たり前の(たぶん獣医師に従っての)タイミングでワクチン接種をしていたようだ。

ジステンパーは特に「免疫が十分できていない一歳未満、とくに三~六ヵ月ぐらいの仔犬」(P220)がかかりやすいことが知られている。また「成犬でも、体力が弱かったりすると、ジステンパーにかかりやすくなる。」(P220)。

 ジステンパーの予防には、なんといってもワクチンの接種がいちばんだ。ジステンパーは一度感染すると、二度とかかることはない。ワクチンも、たしかにうまくできている。しかし、ワクチンの受け方には問題がある。(P220)

と書かれて、この後には、

 ジステンパーは仔イヌがかかるケースが圧倒的に多いので、早めにワクチン接種を受けておきたいと考えがちだが、あまり早すぎるのもいけない。
 仔イヌは、生まれてすぐに飲む母乳(初乳)から、親の抗体を受け継ぐ。これを移行抗体という。移行抗体は、生後二~三ヵ月ぐらいは体内に残るため、このあいだはジステンパーにかかることはない。問題なのは、この時期にワクチンの接種を受けると、ワクチンの効果がなくなることだ。つまり、移行抗体がまだある時期に予防接種を行なうと、ワクチンの効果が阻害されてしまうのだ。(P221)

今ではよく知られたことですが、昔は犬を病院に連れてゆく人は少なかった。そんな時代の話だとおもう。

この犬は、元々野良犬だったが縁あって藤田先生の親戚の家の飼い犬にとなる。
一般的なこととして「ワクチン接種は、その効果が比較的長期間持続するが、イヌによっては早めに効果がなくなることもある。だから、安全のために一年に一度くらいは接種しておくのがよいだろう。」(P221)と書かれ、例の犬は、先生の親戚の「家にくるようになって、一度だけジステンパーの予防接種を受けたことがある。しかし、その効果は不十分だったのだろう。ジステンパーにかかって「コテツ」は大変な目にあってしまったのだ。」(P221)と続く。

そして、むすびの一文。

「コテツ」はジステンパーにかかってからしばらく食欲がない日が続いた。しかし、食欲が回復しても「けいれん」がときどき起こっていた。日光にあたると「けいれん」が「コテツ」の全身に起こるのだ。だから、ケイ子ちゃんも大輔君も、日が落ちてから「コテツ」を散歩させていたのだった。(P221-222)

パルボウイルス。タイトルは「イヌにもあるパルボウイルス感染症」。
私はヒトにパルボウイルス感染症があるとは知らなかった。「俗に「りんご病」といわれてる。正式の名称は「伝染性紅斑」といい(後略)」(P222)と書かれている。「りんご病」は名前を聞いたことがありますが、どんな病気なのか知らなかった。死ぬことはまずないらしい。

気になったのでインターネットで調べてみたらWikipediaでは、感染症法の「5類感染症定点把握疾患」、学校保健法において「「学校長の判断によって出席停止の扱いをするもの」とはならない。」とされているらしい。

ここでも藤田先生の知り合いのイヌが感染してしまった例が書かれている。
感染した経緯はここには書きません。この本が発売された2000年より前にはよくあったことですが、現在の常識から考えると色々と誤解される方もいらっしゃるとおもいますので書きません。とにかく、生後7ヵ月目くらいに発症し、「血便を出しながらもだえ苦しんで」(飼い主さんは)「その様子を正視することができなかった」「病院では点滴をはじめいろいろ治療に手をつくしたが」「入院三日めにとうとう死亡してしまった」(P224)。

ワクチンも計三回うったし、三回めが終わるまで外出もさせなかった。何故?、と獣医さんにたずねた返事が以下。

「パルボウイルスはジステンパーウイルスと違って、ウイルスの株の種類が多く、なかなかピッタリとあうワクワクを選ぶことができないからです」と獣医さんは答えたということだ。(P224-225)

むすびの一文。

 このように、イヌのパルボウイルス感染症は、ヒトのパルボウイルス感染症と異なり、症状が重篤になることが多い。そして、伝染力も強い。イヌのパルボウイルスはヒトには感染しないが、他のイヌに感染したら大変なのだ。このことをよく覚えていて欲しい。(P225)

次は最近忘れがちな口蹄疫。タイトルは「肉用牛に口蹄疫」。
冒頭は「 二〇〇〇年三月、「口蹄疫」という耳慣れない病気に宮崎県の肉用牛がかかった。」(P225)から始まる。この本は、2000年12月に出版されている。この病気がどれだけ厄介な病気であるかは、当時の対応状況が記憶にある方はご存知だとおもう。

 翌日には感染した疑いのある一〇頭を処分し、周辺を消毒した。宮崎、都城、延岡市などの一六ヵ所や鹿児島県境に検問所を設け、県や県警、市町村、県経済連の職員が二四時間態勢で警戒に当たったのだ。家畜が「主役」とはいえ、放射能もれの臨界事故や有珠山噴火さながらの厳戒態勢がとられたのだ。
 立ち入り禁止地域に近い宮崎市富吉の国道一〇号線では、連日検問が実施された。乳製品や飼料の運搬車、さらには清掃車まで、通りかかる関係車両はすべて消毒の対象となった。(P226-227)

20年以上経った今だから言える興味深いこと2つ。
最近ではコロナ対策で目覚ましい機動力をみせていた台湾のことと、日本の常識そのものと言っても良さそうな「広辞苑」の記述による風評被害。

 さらに、九七年に台湾で豚の口蹄疫がまん延し、台湾の畜産業界が壊滅的な打撃を受けたことも影響している。
 台湾では、口蹄疫の発生後もせり市場を閉鎖せず、豚肉の販売が禁止されなかた。このため感染が抑えられず、わずか一〇日ほどで台湾のほぼ全域が汚染地域になってしまった。日本の農水省や宮崎県はこれらの教訓を基に迅速に動いたというわけだ。(P227)

 ところで、感染が拡大しなくても怖いのが風評被害だ。何度も言っているように、この病気はヒトにはうつらない。また感染した肉をヒトが食べても大丈夫だ。しかし、岩波書店の国語辞典『広辞苑』には「人にも感染することがある」との記述がある。さっそく、農水省の高木勇樹事務次官は、岩波書店にこの項の削除訂正を求めたという。(P227-228)

口蹄疫が出たら狂牛病。タイトルは「ヒトにうつるかも知れない狂牛病」。
冒頭以下の記述がある。「あれ?、日本にも入ってきたよな?」と不思議におもった。

 狂牛病が大きな社会問題になったのは、一九九六年三月二〇日のことだ。イギリス政府が「狂牛病の牛に接触したり、その肉を食べたりすると、ヒトも同じような病気になるかも知れない」と発表した。(P228)

不思議に思ってWikipediaで調べてみた。この病気の正式名称は「牛海綿状脳症」。こちらのページのこのあたり読むと本が発売されて一年も経たずに日本国内でも発生した。

日本では、2001年9月10日に千葉県内で飼育されていた牛がBSE発症疑いであることが農林水産省から発表される。後にBSE発症が確定となり、日本においてもBSE牛が発生した地域となった。

この文に続く箇所にこのページ(BSE問題)へのリンクがある。藤田先生のこの本は正にタイムリーとなった。2007版でどのように書かれているか興味がある。

病気の基本的なこと。長くなりますが引用します。

 狂牛病は正式には「牛海綿状脳症」とよばれる病気だ。この病気に牛がかかると、牛が自分の鼻をなめる、不安そうな動きをするなどの症状を示す。症状が進むと、牛はくるくる旋回し、奇声を発し、狂暴になって、やがて立てなくなる。そして、最後には死んでしまう。
 死んだ牛の脳を取り出し、顕微鏡で観察すると、スポンジのように脳がスカスカになっていることから、海綿状脳症とよばれる。
(中略)
 海綿状脳症は、ヤギやヒツジでは「スクレイピー」とよばれ、二〇〇年以上前から知られている病気だ。(P228-229)

続けてこのような文がある。

 このスクレイピーにかかったヒツジのくず肉を牧草に混ぜて、牛に食べさせたことが大量の狂牛病の原因なったと考えられている。肉牛を早く太らせるため、本来牛が食べないヒツジの内臓や骨粉といったものを牛に与えていたのだ。(P230)

日本で狂牛病がニュースになった頃「プリオン」なる言葉が飛び交ったことを覚えている人も多いだろう。

 クロイツフェルト・ヤコブ病や、狂牛病の病原体は、長いあいだ不明であった。感染を起こすのだから、細菌やウイルスのように増殖する必要がある。しかし、病原体にはDNAやRNAがなく、タンパク質だけでできていた。そこで「タンパク質であって、感染を起こす粒子」という意味で、プリオンと名づけられた。(P230)

このプリオンについて、体の中には正常なプリオンがあり(この病気の原因になる)「異常プリオンが体のなかに入ると、正常プリオンを「異常型」の構造に変えてしまう」(P230)と書かれている。
また「異常プリオンは、非常に安定」(P230)していること、「異常プリオンはによって死亡した患者の死体脳乳剤を実験動物に接種すると、動物はプリオン病になって死亡する」(P231)こと、異常プリオンが感染するのは脳など限られた場所であることなどが書かれている。
そして「患者を看護した医師や看護婦、家族に発症した例はなく、輸血による伝播もこれまで報告されていない」(P231)とある。

伝播と書かれているが、細菌やウイルスによる「感染」ではなく、代謝障害に近いと考える学者もいて、伝播とされることがあるらしい。こはこの本に書かれていない。Wikipediaのこちらに書かれていた。
また輸血・献血については、Wikipediaのこちらや厚生省のこちらのページを見ていただきたい。

むすびの一文。

 今なお、このミステリアスな病気については、発症機序が完全に解明されたわけではない。根気よく研究を継続することが必要だろう。(P231)

本が発売されてから20年以上経ちますが、私が調べた限り、大きな進展はないように感じた。
牛にヒツジのくず肉を牛に食べさせなければいいのですから、治療法を考える必要がないのかも知れない。

Ⅷ ヒトにはうつらないけど怖い病気 ここまで)

 

Ⅸ ペットからの贈りもの
病気の話ではなく、ヒトとペットの関係の話。人はペットをより必要とするようになってきたし、ペットとの距離が近付いているので人畜共通伝染病を知っておきましょう、という内容。
また藤田先生ご自身の動物との関わりやこの分野に足を踏み入れることになった経緯など。

動物たちの「弱さ」に救われた藤田先生ご自身の経験。タイトルは「ペットとヒトの絆」。
「核家族化や高齢化が進み、ペットたちを家族の一員やお年寄りの大切な伴侶とする家族が増えた」(P234)と書かれていて、つづいて「一九九七年の神戸の小学生殺害事件」(P234)のことが書かれていて、

「弱ければ誰でもよかった」
 淳君事件で逮捕された少年の、この言葉に僕はハッとした。E・ホッファーは言っている。
「弱者が、弱者をえじきにするときの、残酷さはない」と。
 そして、さらにホッファーはまた、こんなことも言っている。
「弱者のさかうらみは、かれら自身の無力感から生まれる。弱者は邪悪を憎むのではなく、弱さを憎む」
 ということは、「弱者の序列に魔がひそむ」ことになる。(P234-P235)

藤田先生はご自身の幼少時代を思い出した。
家の事情もあり「いじめ」を受けていた。「弱者」へと追いつめられた。そして、昆虫やカエルに残酷なことをした自分を「鮮烈に思い出した」(P235)。
「 しかし、そんな僕が、逮捕された「少年」のようにならなかったのはなぜだろうか。」(P235)と先生は考える。

その答えは、ヤギの存在だった。他にもニワトリやウサギも飼っていたがヤギの存在が大きかった。
「約一〇年間ずーっとこのヤギの面倒をみてきた。」(P236)(中略)「本当にたいへんな作業だった」(P236)(中略)「 ヤギのほか、ニワトリを二〇羽、ウサギを五羽、これらもずーっと飼い続けてきた。これらの動物のなかで、ヤギが一番弱かった。」(P236)とあり、

 今思えば、僕が飼っていた動物たち、とりわけヤギによって、僕は「弱者の最下位」の序列に位置することがなかったのであろう。(P236)

そして、むすびの一文。

 ヒトは誰でも孤独感がつきまとう。ヒトは誰でも「弱者」なのだ。弱者を最下位の弱者に追いつめる要因は、現代社会ではいくらでもある。それを防ぐのが家族の愛であり、周囲の人々の温かさであり、動物たちの「弱さ」なのではないだろうか。(P236-237)

動物介在療法(アニマル・アシステッド・セラピー)と動物介在活動(アニマル・アシステッド・アクティビティー)。タイトルは「治療のすきまを埋めるペットとの触れ合い」。

2000年当時「今、やっと日本でもその試みがされようとしている」(P237)とあり、言葉の説明。

 動物介在療法は、医師など専門家が明確な治療目標を持って、動物を介在させながら、患者の心身の改善を図るもの。したがって、患者の身体・精神上の治療効果は正しく評価される必要がある。
 動物介在活動とは、前者とは異なり特別な治療の目標を定めず、動物とヒトとが触れ合う活動を指すのだ。(P237)

この説明は間違えではありませんが、動物介在活動についての記述は誤解を招くかもと思いました。この表現だと「なんとく」動物と触れ合う活動と受け止める人もいるとおもいますが、これらの活動は既にアメリカはじめ欧米の国で行われてきた経験から活動の方法・方向性について定めることは出来るようになっています。ただし、上記にあるように「(医学的な)治療」ではないのです。
動物介在活動の一例としてこちら(アニマルセラピー 人と動物のふれあい活動(CAPP))をご覧いただければ「そうだよね、動物を高齢者施設や病院に入れるだけでも簡単ではないよね」と思うと気づくとおもいます。
この後、本書に書かれている藤田先生が見聞きしている活動は、上記に紹介した団体が関係している活動です。

当時の日本では、動物介在活動は行われていましたが(私でさえ参加したことあります)、動物介在療法(つまり医師が治療の目的で行う行為)はほとんど行われていません。先にも書いたように、日本では病院に犬や猫を入れるだけでも理解を得るのに苦労する現状を考えれば当然のことなのでしょう。

そんな中(2000年当時の情報として)日本で行われている幾つか動物介在療法のことが書かれている。この本が発売されてから20年が経ち、病院に入ってこれら(動物介在療法、活動)が随分と行われるようになりました。しかし広くにしられていません。また、学校の教室の中に犬を入れている学校もあります。活動が行われている割には、一般の情報(マスコミ)にあまり載らないので広まらないことが残念です。

これら活動が広まらない理由の一つに、犬や猫に対するネガティブな印象が固定観念として幾つかあるからです。その一つが(俗な言葉で言えば)「不衛生」。ペットと暮らしている人の中には、同じ布団で寝ている人もいます。そのような動物が不衛生でしょうか?、これは犬や猫が外に居るのが当たり前の時代を引きずっているからだと私は思っています。
2000年以前の話になりますが、私がAAT関係の講演を聴きいた時忘れられない言葉として「ある部屋に、人が一人入ってくることと犬一頭が入ってくることは、衛生面でのリスクは同じ」がある。

しかし「感染症」に関しては、しっかり対策をしなければなりません。人と犬は感染源となりうるポイントは違うし、人と人では行いわないような密な接し方をする場合もあるからです。
なので、健康な人でも感染する可能性はあるし、高齢者施設、病院などで活動をするのであればしっかり感染症対策をするのは当然のことになります。

動物介在療法・活動の紹介をした後に書かれていることを引用します。

 しかし、このアニマル・セラピーにしても、イヌやネコをコンパニオン・アニマルとして飼う場合にしても、よいことばかりではない。いろいろな問題がある。
 まず、イヌやネコからヒトにうつる「人畜共通感染症」に対する正しい知識や、その予防処理に対して十分な配慮がなされているかという点である。残念ながら、この問題はほとんど解決されていないのが現状だ。
 また、こんな意見も出されている。「高齢者が孫やひ孫と触れ合うことができれば、動物の何百倍も勇気づけられる。高齢者を社会の中で孤立させておいて、家族のかわりを動物に押し付けているのはおかしい」
 本当にそうだ。今の日本では家族が高齢者の十分な支えになっていない。いや高齢者ばかりでなく、若者に対しても十分な支えになっていない。家族同士の交流が、現代社会では喪失したヒトとヒトとの絆の回復に役立つのは間違いないと思うのだか。(P240-241)

この内容に付いては、私は少々違う考えをもっている。「絆の回復に役立つ」だろうか。同居していることを前提にすれば十分に可能性はあるとおもうが、現在(2000年当時であっても)同居は半数以下だろうか。それを考えると、半数以上は代替または維持程度までではないだろうか。
なので「家族のかわりを動物に押し付けているのはおかしい」に付いて考えると「動物に押し付けている」は「その通りである」と感じるが、「おかしい」は違うと考えている。適切なヒトとコンパニオン・アニマルの関係であれば「押し付けてであっても良い状況になり得る。そのために周囲のサポート(人畜共通伝染病の知識の提供を含む)が必要だろう」と私は考える。
そこで生まれた「良い状況」は「ヒトとヒトとの絆の回復」ではなく、それは別の素敵な関係だと私はおもっている。

むすびの一文。

 神戸の痛ましい事件は、ヒトとヒト、ヒトと動物たちとの交流の大切さを浮きぼりにさせたのだった。(P241)

藤田先生が人畜共通感染症を研究するようになった経緯。タイトルは「なぜ、ペット感染症を研究したのか」。
藤田先生がまだインターンをこなしていた頃、トイレで小用をされている時に偶然横に並んだ加納六郎先生に「奄美大島にフィラリア病の調査へ行く。ついては荷物持ちが欲しい。」(P242)とお願いされたことがはじまりと書かれている。フィラリアと言ってもイヌではなくヒトのフィラリア。一般的には陰嚢水腫、象皮病と呼ばれる病気でイヌのフィラリアとは全く別の病気である。
現地に赴いた先生一行の地道で時に大変な作業の連続であった。それらご苦労を面白楽しく書いている。この辺りは是非この本を読んでいただきたい。

この章の冒頭は以下の一文で始まる。

 僕はよく人に「せっかく医者になったのに、なぜ、人畜共通感染症といった特殊な病気を研究するようになったのか」とたずねられる。(P241)

とある。
フィラリアに付いては、このブログを書いているのが2021年、藤田先生が加納先生とトイレで出会ったのが「昭和40年ごろ」(P241)になりますが、この病気の(世界の、そして日本の)撲滅の動きについて理解できるYouTubeがこちらにあります。これを見れば藤田先生のご苦労が想像できるかとおもいます。また、このYouTubeを見れば、戦直後日本がどれだけ寄生虫に悩まされ、それを克服してきたか、その原動力は何であったかが分かる。それを理解できれば、藤田先生が生涯をこの研究に捧げる決意したお気持ちも理解できるとおもいます。

本書の中では、コレラ菌や腸内細菌の研究もされていたことが書かれていますが、それらよりも「フィラリアという「寄生虫」は何と神秘的で、不可解な「病原体」であろうか。」(P245)と感じ、フィラリア病などまだまだ解き明かされていなかったことが多い寄生虫の研究をされるようになった。
日本でまだフィラリア病が撲滅していない時期の研究を思い出し、このようにも書いている。

 たしかにフィラリアという寄生虫はとても悪い虫だ。しかし、深夜、採血した血液のなかで勢いよく動いている虫をみていると、とても神秘的で、魅力に富んだものに思えてきたのだ。僕はこの寄生虫に「恋心」をいだくようになった。(P245-246)

そして、むすびの一文。

 僕はどちらかというと、「悪女」にのめりこむようだ。いつしか、フィラリアという寄生虫にとりつかれてしまっていたのだ。(P246)

ノーベル賞に値するくらいの動物との付き合いが出来る英ちゃん。タイトルは「イヌとの出会いを楽しむ」。
先に紹介したYouTubeでもフィラリアの制圧は日本は世界に先駆けた結果を出してきたと語られている。それを可能にしたのが「僕らが「英ちゃん」とよんでいた当時まだ二五歳の美少年」(P247)の「フィラリア病研究にとってノーベル賞に値するような価値のある仕事」(P248)があったからだ。
当時、藤田先生が勉強していた東大伝染病研究所には(これも先のYouTube内のパネルにも出て来る)佐々先生がいらした。その研究室でフィラリアの研究をしていたのだが、研究に必要不可欠なコトンラットの飼育がどうしても出来ない。誰に任せても上手くいかない。このままでは断念せねばならないかもという時、「英ちゃん」に任せてみた。彼はまず「コトンラットのいる部屋に入りびたりになり、ときにはそこに泊まるようになった。」(P248)そして「僕たちの研究室にこなくなり。僕たちは英ちゃんのことを忘れかけていた。」(P248)

(前略)誰もが成功しなかったコトンラットの実験室飼育が、英ちゃんによってはじめて成功したのだった。荒々しかったコトンラットはおとなしくなり、今、英ちゃんの手に乗っている。コトンラットはなかなか実験室内では子どもを産まないのに、実験室内のケージは子ネズミでいっぱいになっていた。
「英ちゃんはフィラリア病研究にとってノーベル賞に値するような価値のある仕事をした」と語った佐々先生のうれしそうな顔を僕は今でもはっきり覚えている。(P248)

と英ちゃんの超人的な動物付合いを紹介している。
先に紹介したYouTubeからも分かるように、昭和40年には既に厚生省がこの病気の対策に動き始めている。しかしまだまだ手探り的な部分もあったのだろう。ちなみに藤田先生は1970年(昭和45年)に「コトンラットフィラリア症における抗体産生」で医学博士取得していることがWikipediaのこちらページに書かれている。

少々長かったが今までのは余談。英ちゃんがどれだけ動物好きかのエピソードでここからが本題。

当時大学の研究室に通っていた英ちゃんですが

(前略)最寄り駅から歩いて一五分のところに自宅があるが、その途中毎朝、毎晩、一〇匹ものイヌに会うという。
 英ちゃんは、それぞれの庭先で待っていてくれるイヌたちに会うのがとても楽しいという。(P248)

この後、具体的な話が続き、さらに藤田先生が本の発売当時「京都新聞の「凡語」という欄に「英ちゃん」が話してくれた内容とほぼ同じ記事を見つけた。」(P249)とある。

次のような内容だ。
とあるお宅の玄関先繋がれていた「哲学者」とあだ名とつけたイヌに会うのを毎日の楽しみしていたが今夏、急に姿が見えなくなった。一週間が経ち

(前略)とうとう我慢ができなくなって、家人が庭に出ておられたのを幸いに問うてみた。答えは簡単だった。
『あんまり暑がるので一日中、クーラーのある家の中に入れてやっています』
 失礼ながら、大きいうえに少々汚れていたイヌなので、まさか家に入れてもらっているとは想像できなかった。(P249)

これは新聞に書かれた当時(2000年頃)の話で、今とは状況が少々違います。

英ちゃんの話は昭和40年台の話になるので、もっと今とは状況は違う。

「英ちゃん」も同じようなことをしょっちゅうしているとのこと。このあいだは、自宅から一番近い所で毎日会うイヌに「ネコノミ」を見つけ、翌日わざわざ「殺虫剤」をイヌの飼い主にとどけたという。(P250)

むすびの一文。

 このように「英ちゃん」はとてもやさしい人だ。京都新聞の「凡語」の作者もとてもやさしい人に違いない。(P250)

イヌやネコの血液型。タイトルは「最後に、血液型の話をしよう」。
イヌやネコにも血液型がある。ということは検査をせねばならない。これが厄介だったりした。それを解決する検査キットを開発した会社があった。それがブルー十字だった。
この会社は大きな事件を起こし、この検査キットも暗礁に乗り上げてしまう。藤田先生はこれらのことを残念におもう。(この本には「簡易イヌ・ネコ血液型判定キットが手に入らなくなったのは、とても残念なことだ。」(P252)と書かれています。)
ここまでが余談で、人間の血液型と行動様式について、損害保険会社のデータからある程度の関連があるだろうと推測する。

そして、むすびの一文。

 もし、イヌやネコの血液型がだれにでもわかるような時代になれば、飼い主との相性などが事前にわかり、いろいろ便利になるだろうと僕は思う。(P256)

※本書とは関係のないこと ~ 「大きな事件」について
ブルー十字という会社は、昔から犬猫の健康について深く考える人たちの間では知られた会社だった。我が家に犬がいた頃、車でよく通る道の脇にこの会社の看板が出ていたこともあり、個人的には色々と考えた。
この会社は、ちょうどこのキットを発売した時に経営が立ちゆかなくなり、抱えていた大量の犬や猫の世話が出来なくなってしまった。このことを今(2021年)ネットで調べてみようとしたところ関連の情報は簡単には見つからなかった。
まず会社については、Wikipediaにその後(商号変更後)の項目はあった。これを読むと如何にも怪しい会社に読める。
事件当時のこともネット上には少ない。GeoLog Project にこんなページがあった。ある程度、事件の「感じ」が分かるとおもう。
裏をとりながらネット等で何かと書いていると、犬猫関連の昔の情報がインターネット上にほとんど残っていないことに驚く。この事件はとても大きな事件であり、この時のボランティアの方々や大きな団体の動きは、日本における身近な動物と人との関係を語る上で知っておかなければならないことだと思うし、獣医療の発展の時系列と輸血用の血液の必要性についても多くの人に考えてほしいと願うばかりです。また、営利企業であっても保護を目的とする団体であっても、大きな団体が多数の頭数を抱えることのリスクも考えてほしい。
今年(2021年)6月1日から「第一種動物取扱業者及び第二種動物取扱業者が取り扱う動物の管理の方法等の基準」が施行された。まさに直前で書いたことについて国が基準を作り、やっと施行されたのです。
この基準は、令和元年6月19日に公布された「動物の愛護及び管理に関する法律等の一部を改正する法律」で令和3年6月1日にこのようなものを「施行しますよと決めて」「環境省の人たちがよく調べて」「原案をつくり」「幅広い人の意見をきいて」「調整し」「決定!」となり「やっと施行」となりました。その間、色々な関係者があれこれと意見してやっと出来上がったものです。
この基準を調べてみようと検索エンジンで探したのですが、意見は検索に引っかかってきますが、この基準のページそのものは検索エンジンからは探し出せませんでした。このことから想像できることは、意見を出しても出来たものを見ている人は少ないということだろう。
動物愛護の感覚を、幅広い全ての人に受入れてもらうには、お役所が公表している基本的な資料に多くの人が目を通すようにならないと、先に進まないと私は考えています。
ブルー十字の事件のことを確認のため少々調べて、そんなことを感じました。

血液型はいつ頃からあったのか?。タイトルは「血液型の歴史的考察」。
「いつ頃」「歴史」という表現は分かり難いとおもいますが、どれくらい原始的な生き物に血液型があるのか?。なんと「細菌」は「血液型物質」をもっているらしい。
地球上にまず、DNAやRNAを作る能力を備えた「何か」が誕生したのだろう。(現在、生物学上、ウイルスは非生物として扱われているので「生命体」等ではなく「何か」と書きます。)現在存在する「何か」を具体的に言えば「ウイルス」。そのようなものが地球に出現した。
これが進化して細菌になってゆく。細菌とウイルスの構造上の違いはこちらの資料が分かり易いとおもう。
細菌の次に出現したのが、海藻やシダ植物。これらは「海藻にはABO式血液型類似物質が、またシダ植物にはABO式とルイス式の血液型物質が見出されている。」(P254)と人間の血液型物質や類似物質を作ることができるらしい。

細菌は人間に感染するものもある。ならば血液型によってかかり易い病気などがあるのか?、と考えてしまいますが、

 ところで、この「細菌」は先に述べたように、それぞれABO式の血液型物質をもっている。細菌の種類によって細菌のもっている血液型物質の量は当然違ってくる。たとえば、「結核菌はB型物質を多くもっている」のだ。したがって、当然結核菌はヒトの血液型の違いによって、ヒトへの感染やヒト体内での増殖が異なってくることが考えられる。
 実際、結核にはB型の人がよくかかり、より重症となることがこれまでの統計で明らかにされている。反対にO型の人は結核にかかりにくい。梅毒も同じ。O型の人は梅毒にかかりにくく、B型やAB形はかかりやすい。(P255-256)

おもわず「へ~」と思ってしまいましたが、次のこの章のむすびの一文というか段落。

 このように一般に「細菌はB型物質を多量にもっている場合が多い」のだ。肺炎球菌もB型物質を多量にもっている。肺炎にかかって重症になったヒトでは、一時的に「血液型が変わる」場合だってあるのだ。患者さんを検査していると、B型が出現しているのをときどきみつけることがある。A型の人に多く、その場合はAB型に変化しているのだ。これは肺炎球菌が体内に侵入することによって、この菌がもっているB型物質がヒトの体内にバラまかれ、ヒトの赤血球に付着したためなのだ。したがって、肺炎が治ってしまうと、その人の血液型は本来のA型に戻ってしまうというわけだ。(P256)

イヌやネコの性格を血液型で判断できる?。この章のタイトルはそのまま「イヌやネコの性格を血液型で判断できる」(?はない)。
まず人間の話。よく血液型によって性格が違う傾向があると言われる。また、今まで書いてきたように感染症とも関連があることが分かっている。では、犬や猫も血液型で性格の傾向などが分かるのだろうか?、私はそのような話を聞いたことがない。それは飼い主さんが自分が飼っている犬や猫の血液型を知らない場合が多く、データが集まらないからではないか。もしそのデータが集まれば、きっと性格の傾向もみられるはずだ、と先生は考えている。

まず、多くの飼い主さんが犬や猫の血液型を知らない理由について

 じつは、イヌやネコの血液型については、これまで獣医師たちのあいだでもあまり知られていなかった。なかには「イヌやネコには血液型なんて、ない」という獣医師もいた。
 それには理由がある。ヒトの場合、たとえばA型の人にB型の血液を輸血すると「溶血反応」を起こす。それはA型の人はB型に対する抗体をもっているためだ。しかし、イヌにはこのような抗体がほとんどなく、他のタイプの血液を輸血しても、副作用が起こらなかったからだ。
 いっぽう、ネコはヒトと同じように、異なった血液型を輸血すると、溶血性の副作用を引き起こすことが知られている。しかし、ネコの約九割はA型で、副作用を起こす確率が低かったのであろう。(P258-259)

続けて

 イヌやネコの血液型が注目されだしたのは、飼い主がペットに家族同様の治療を求めるようになってきたことと、イヌではペットとしてのイヌの能力や性格を「血液型」で判断しようとする試みの表われだと思われる。(P259)

この後は、イヌの血液型判定法について書かれている。「国際的に統一されたDEAシステム」(P259)(先に書いた)「ブルー十字動物血液センターのDシステム」(P259)を組み合わせて「九9種類に大別している」(P259)と書かれている。
それにつづいて、こんな例が書かれている。

 人気犬種のゴールデン・レトリーバーは「1.1型」が多く、「名犬ラッシー」のコリー犬はほとんど「1.(一)」型。Dシステムでみると、日本犬は「D1」、欧米の犬種は「D2」のタイプが多いということだ。(P259)

そして、この章、この本(イヌからネコから伝染るんです)の本編の、むすびの一文。

 イヌやネコの血液型については、ヒトの場合のようにはまだまだ普及していない。しかし、イヌの場合だって、血液型と性格をとの関係が今後研究されれば、いろいろ役立つに違いない。たとえば、盲導犬に適した血液型などがもしわかれば訓練がうまく効率的にできるかもしれない。将来の楽しみができたというわけだ。(P259-260)

人畜共通感染症の本の本編の最後はこのよう文で終わっている。

 

おわりに
本編最終章のタイトルが「ペットからの贈りもの」であり、感染症の話はほとんど出て来ない。藤田先生がこの分野に熱意をもって取り組まれている原動力が何であるか伝わってきた。この「おわりに」にもそのようなことが書かれている。

まず先生が共に暮らしている「コロ」ちゃんのことが書かれている。本の中でも「ちゃん」付けで書かれていることからも、溺愛されていることを感じる。そして「アニマル・セラピーというのがあるが、僕は、いま、その効果を実感している。」(P261)とある。

つづて、「幼児が飼いイヌに咬み殺されたという痛ましい事件」(P261)が書かれていて、その原因を「権勢症候群に陥っていた」(P261)と考えている。
その裏付けなのか、つづけて、テレビ番組で見た内容として「イヌはもともと群れ社会で生活してた。群れ社会は誰かがリーダーにならないと成立しない。したがって、イヌを飼うときは、飼い主がリーダーにならなければならないのだ。」(P261)と書いている。

「 しかし、イヌを飼っている僕のまわりの日本人をみてみると、この点、皆、「なっていない」ようだ。」(P262)と甘やかしてしまう飼い主が多いことが書いてあり、

 ヒトとイヌとのつき合いにおいてはきちんとした「ルール」作りが必要だ、ということはわかっているけど、現実は大変難しいということだ。(P262)

と、冷静に日本の現状を捉えている。つづけての文が、活動の原動力というか「やらねば」と感じていることだろう。

 ペットからうつる病気に関しても、その予防対策は難しい。まず、第一にペット愛好家は、ペットからうつる病気があることを知ろうとしない。いや、知りたくないのだ。しかし、ペットとの共同生活を本当にうまくやっていくとめには、ペットからうつる病気について十分な知識をもち、その予防法を知っておかなければならないと僕は思うのだ。(P262)

寄生虫に関する著書が多数ある藤田先生ですが、先生が人畜共通感染症を扱ったはじめての本である『ボンボン・マルコスのイヌ』のことが書かれている。この本は、1996年に出版されている。小型犬ブームが来る直前ではないだろうか。その頃のもので、本書では「残念ながら、この本は余り人の目に触れることがなかった。僕はボンボン君とは友達だから、マルコス元大統領のことは誰でも知っていると思って、本の題名にも使ったのだが、もう若い人の間ではマルコスという名前はほとんど知られていないことを知ったのだ。」(P263)と残念に思っていることが書かれている。私もこの本を読んだ記憶があるが内容は全く覚えていない。25年くらい前のことなので私としては当然かも。

この後は謝辞があり、終わる。
「今回出版しても効果がどれだけあるのか」ご自身でも疑いながらも「やらねば」と忙しい中、出版に向けて動いたことが「おわりに」やその直前の「ペットからの贈りもの」に感じるが、私は全編を通して感じることがあった。藤田先生のような高名な学者が一般の方にこれだけ分かり易く、親しみを感じていただこうとご苦労されながら書いていることに感謝する。内容を全て分かって上で(色々な意味で)必要な箇所をピックアップしていることを私は感じた。

藤田先生は近年、ペット関連の書籍を書いていないようですが、これくらい一般の人にも優しく書ける著者を私は知らない。
インターネットが普及し情報が多くなったような気がしますが、多くの情報を深く理解し、それを身近な動物との日常生活の向上に利用していると思える人は少ない。表面的な理解だけで悪い結果が出てはじめて誤解と知る人もいるようです。藤田先生の書籍はそのようなことがないように工夫されている。

藤田先生のような先生が、また出て来ることを祈るばかりです。

| | コメント (0)

2021年6月11日 (金)

避難所運営(言いたいことは最後の方に)

インターネットでニュースを見ていたら、避難所に関する法律が変わるのか、既に変わっていることを実施するように促したのか、そのような内容を伝えていた。
数時間くらい前に見たのですが、記憶が危うい私のことなので多少記憶違いがあるかも。

このコロナ禍もあって、密にならないように分散して避難することを目的としているみたいなことを言っていたような気がします。
以下にリンクを添えましたが、私が見たニュースはこれらではなく、まとまっていました。探したのですが見つかりませんでした。

 

変わった点は、

1.今まで避難先は、自治体が指定した避難所(小中学校などですね)を考える様に、となっていましたが、安全な場所にある親戚宅や知人宅も避難先として利用することも検討しておくこと。

2.現在、自治体が指定する避難所は小中学校が多く、自治体が管理している施設かそれに準ずる大学などであることがほとんどですが、民間の宿泊施設や研修施設なども活用することを検討すること。

https://www.news24.jp/articles/2021/06/11/07887854.html
 

3.全国の「道の駅」の中から「防災道の駅」を選定し、大規模災害時の避難場所や復旧・復興時の拠点にする。

https://www.news24.jp/articles/2021/06/11/07888067.html

 

私が見たニュースでは「コロナ禍でも密を避けて避難するために」的な理由がついていたような気がするのですが、これらは既に決まっていたことのような記憶があったので、ちょっと調べたた、これくらいすぐに出てきました。
https://www.bosaijoho.net/2020/09/17/%E9%81%BF%E9%9B%A3%E6%89%80%E3%81%AE%E5%A4%9A%E6%A7%98%E5%8C%96%E2%80%95%E2%80%95%E3%83%9B%E3%83%86%E3%83%AB%E3%80%81%E5%A4%A7%E5%AD%A6%E3%80%81%E6%B0%91%E9%96%93%E6%96%BD%E8%A8%AD/
https://www.pref.aomori.lg.jp/soshiki/kenko/kkenkofu/files/02kyouteigaiyou.pdf
https://www.mlit.go.jp/road/Michi-no-Eki/third_stage_02.html
https://www.mlit.go.jp/road/ir/ir-council/michi-no-eki_third-stage/pdf01/09.pdf


このようなことが決められていたと思うのですが、コロナ禍で(今まで放置していたけど)本気で取り組もうと考え直したのかなと勘ぐりました。
その理由は、同行避難の都道府県や市区町村がやってきたことを見てきて「法律・条例は作るけど具体的な避難所運営(準備含む)は、各避難所に任せるのだから色々なこと(同行避難含む)が検討も出来ないのは仕方ない」と理解を示し、結果として具体的・現実的な運営方法を定め実践的な訓練している避難所は(私のしる限り)ほとんど知りません。

私の個人的な印象になりますが、今までは「法律とか作っておけば、みんな納得してくれるでしょ。騒いでいる人たちだって、避難所運営の細かいことを決めたり訓練なんてやらないんじゃないの?、行政から急かしても負担になるだけでじゃないのかな。」と考えているのでは?、と感じたことが何度もありました。
確かに、民間というか住民にお願いしても、住民同士の意識・意見をまとめるのは困難と言ってもいい時代だとおもいますので、現状として仕方がないとおもます。しかし、それでは意味のない施策になってしまいます。

今日見たニュースを改めて見直してみると「住民同士の意識・意見をまとめる」必要がない内容になっています。これで現実的に進むようになるのではないか、と考えています。

 

「同行避難はどうなるの?」とお考えの方もいらっしゃるとおもいます。
今までの同行避難は、先に書いたような進めることが困難な避難所運営の中に書かれています。もし私が見たニュースのように進むのであれば(住民が集まって運営している避難所運営団体ではなく、宿泊施設や道の駅の)各施設の運営者が避難所運営を考えることになります。民間の宿泊施設や道の駅は、ペット対応出来る宿泊施設もありますし、道の駅にはドッグランが設置されていることは珍しくなくなりました。宿泊をさせていただけなくても、ドッグランを借りられるなど何らかのサービスが受けられるだけでも避難時にはとても有難いことなのではないでしょうか。

 

今日(2021.06.11)のニュースを見て、今後は期待できるかも!、と思った次第です。
東京都、特に23区ではペット対応を積極的にやっている宿泊施設や道の駅は少ないですが、この取り組みが進み、新たなペットを含めた避難所運営のスタンダードが出来てくるのでないか。それが出来れば、ある程度のスペースがある施設で、オーナーの理解があれば避難所運営や災害時のサービスの提供を検討する施設が出て来るのではないか、と期待しています。

(以上、やってはいけないこととしてよく言われる「反射的な書き込み」でした (^^ゞ )

| | コメント (0)

2021年6月 6日 (日)

5月の「犬とゆく」

毎月、何かと修正があり、日々情報確認に追われています。常々おもうことは「ネット上に情報が多々あるように見えるけど、同じ情報(コピー)がいっぱい。ない情報はない。お店の閉店確認一つ探し出すことも苦労することがある」。

営業しているお店の多くは「やっていま~す!、来てくださ~い!」と情報発信するか、利用した人が「よかったよ~」と書く。しかし(営業していても)お店の人も書かないし、利用者の書込みも見付けられないお店もあります。
このようなお店なのか閉めてしまっているか分からないケースがあります。また閉店閉館は静かに終わらせたいオーナーさんも少なくないようです。

「犬とゆく」を続ける理由の一つに、このようなことにも気づいてほしいと思うことがあります。
情報が出て来る事情、出て来ない事情、色々あります。出て来ないから「ない」のではないことを忘れないでほしいです。

閉店閉館情報に限らず、そこに起こっている事実を調べ、必要に応じた配慮をもって情報発信することを心がけておりますが、至らない点もあるとおもいます。今後も情報提供、ご指導、ご鞭撻のほどよろしくお願いいたします。

 

■ 一般の公開

ゴールデンウイーク頃の公開予定を立てていた時は、緊急事態宣言がでる話もなく、まん延防止等重点措置も確定していなかったのですが、それでもお出かけせずに我慢している犬とその飼い主さんたちも多いだろうと公開数を多めにしてみました。
コロナ禍はまだまだ先が見えませんが、以前のようにお出かけできるその時のためにお出かけポイントのチェックをしておいてください。

5月の公開は7、4月までの通算が28なので、通算35。この感じで今年も頑張りたいとおもいます。

横手山スカイレーターとスカイーリフト
冬はスキー場になる横手山。夏はスカイレーター(階段状ではないエスカレーター)とリフトで山頂まで行くことができ、山頂での散策を楽しめます。横手山ヒュッテのパンなどを外のテーブルで食べることも出来る。

CARO FORESTA 城ヶ島遊ヶ崎 BASE
三浦半島の南にオープンした城ヶ島のカーロの宿。海が目の前。敷地内にドッグラン、トリミングスペースも。食事はマグロが期待できる。もちろんわんこと一緒に!

ドライブイン 幸進丸 更新
西伊豆町仁科(堂ヶ島と松崎の間)にあるドライブイン(お食事処&お土産やさん)。海鮮の類が多数。ペット連れ「も」OKの店。
こちらはペット連れOKにしてから長いお店です。

下田海中水族館 更新
伊豆下田にある水族館。基本的にペットNG ですが、館内で通路等に降ろさなければ入館させていただける。
水族館は基本的にペットNG のところがほとんど。水族館で足元を見ている人は少ないのでペットの安全やその他トラブルも考えると当然だとおもいます。

CAFE たわわ 更新
長野県上田市にある小さなカフェ。店内OK。小さなお店だし観光地でもないので(もし利用できなかった場合、他を探すのが大変だと思うので)お店の状況を確認してから行くのがいいかも。

「道の駅なんぶ」のドッグラン
山梨県南巨摩郡南部町にある「道の駅なんぶ」にある人工芝のドッグラン。食べることが好きな方は道の駅のHPをご覧になることをお勧めします。
最近の情報発信はインスタで行っているみたいです。

Pet’s cafe pei home
静岡県富士宮市万野原新田の住宅街にあるワンコ好きのカフェ。勿論店内OK。メニューはスパゲッティやサンドイッチ。わんちゃんプレートも。

 

 

■ 修正など

ブラッセリー・ヴァトゥ
以前は店内(全て)犬連れOK(正確には別段ルールを設けていなかった)だったようですが、今は店内の道路側の席のみ犬連れOKになったみたいです。テラス席は変わらずOK。

Dining & Bar bond
2016年頃から"熟成肉バルbond"となっています。テラス(屋上)は引き続きペット可のようですが、要確認。

HOLZ しもすわ店 (旧ホルツはつしま)
テラス席が広くなった ことと、ミニドッグラン も出来たらしい!!

風楽っとカフェ(ふらっとカフェ)
ラーメン屋さんとコラボでテイクアウトとオープンテラス利用をメインとしたお店にリニューアル。
店名も変わったし随分と雰囲気が変わったようなので、グレーアウト扱いにしました。

料理旅館 むらさわ
HPアドレスが変更されていましたので対応しました。
こちらは猫も歓迎の宿。

 

冒頭では情報が出て来る出て来ないと表現しましたが、強く出て来る情報というものがあり、それらは検索エンジンによく引っかかります。出す人たちが引っかかるようにしています。そのお陰で犬連れに優しい世の中になった事実があります。
同時に大事なことなのに検索エンジンに引っかからないため、目を向けられないことがあることもあります。

何を言っているか分からないと思いますが、情報は見えるものだけで判断すると大事なことを見落とすことになりかねないということです。
例えば、あなたが共に暮らしている犬や猫が、今どのような体調なのか、どのような感情なのか、それを想像するとき、ネットでよくある情報だけで判断すると勘違いしてしまうことがあります。
犬も猫も人も個体差があります。遺伝子の違い、育った環境の違い、摂取してきた栄養、してきた運動、受けてきた刺激、それらに培われて育った心と体はどれも違うのです。

東京都の緊急事態宣言は延長されました。コロナ禍で犬や猫や人間の家族との時間が長くなった人もいらっしゃるとおもいます。
自分が唯一無二の存在であること、目の前の犬や猫、同居する人間もそうであること。それを理解した上で接してほしいのです。
相手には、自分が知り得ている知識・情報以外の何かがあることと意識し、家族として互いがより良い関係になることを考え日々行動していただけたらと願っています。

| | コメント (0)

2021年5月20日 (木)

日本の動物観(2013)(読書感想文)

※先にお断り
いつも私の拙い文章というか乱文に興味を持っていただき、ありがとうございます。
今回は、あまりに長すぎることと、引用をパンチすることで疲れてしまい、充分なチェックができていません。たぶん誤字脱字乱発だろうし、日本語がおかしい箇所もあると思います。さらに(あってはならないことですが)引用も(原始的に眼で見てパンチしているだけなので)間違っている箇所がありそうです。
このようなものだと思って読んでいただければと願います。

 
 

以前から読もうとは思っていたのですが、気軽に読めそうもないので先延ばしにしていました。緊急事態宣言で図書館が利用出来なくなると聞いて(貸出期間が延びるだろうと予想して)借りてみました。しかし、すぐに貸出返却のカウンターだけ稼働しはじめ、基本的な貸出期間が延びることがなかったのは残念。でも、一回だけ可能な延長は使わせてもらいました。

 

何を目的に読もうと思ったのか

1999年の動愛法(動物の愛護及び管理に関する法律)改正以降、動物愛護・福祉の活動が活発になり、その成果はそれ以前と比べると大きなものがあると感じている。しかし「一部の人が頑張った結果」と感じることがあり「国民全体に動物愛護・福祉の意識が根付き育っているとは感じられない」。分かり易い言葉で表現すれば「人々の意識を変えるまでには至っていない」と感じている。
未来のことを考えても納得できる効果が得られないのであれば、過去や常識について今一度理解し直してみたいとおもっていた。つまり今までの「人々の意識をどのように理解すればいいのだろか」との考えから読もうと考えた。

興味はあったのですが、私は本を読むのが苦手だし、この本は学術的な本なので「きっと読むのに苦労するだろう」と予想して先延ばしになっていた。読んでみると、難しい言葉も出て来ますが「日本人ってそうだよな~」と思うことの連続でした。

 

大まかな目次(大体の流れが分かるように)

序章 動物観の系譜
「動物観」とは何なのか、どのような視点(カテゴリー?)があるのか、など。
Ⅰ. 家庭動物
家庭動物、コンパニオンアニマル、その関わり方(飼育放棄や虐待などについても)
Ⅱ. 産業動物
「産業動物」という単語は少々分かり難いからか「畜産」が語られ、その中でも食肉に注目している
Ⅲ. 野生動物
日本人は西欧文化のように動物を家畜化してきませんでしたので「飼う」に対して野生と認識することになるようです
Ⅳ. 展示動物
飼えないけど見て触りたいの欲求を満たすため?、動物園において、それは本来の姿ではないとおもうのですが
(この中に全体のまとめもありました)

===

 

序章 動物観の系譜
人間と動物の関わりの歴史から以下の視点に分けて話がなされている

1.食べる-食べない
日本に於いて江戸時代まで食肉は基本的にしていないとの認識が広まっているが実際はそうでもないらしい。
正式な(文字に残っている)記録よりも広げて、日本人が食肉をどう感じ、どう向き合っていたのか。

2.衣類との関係
西洋社会では羊毛や革製品などを衣類として用いてきた。しかも貴重品として扱われることも多い。日本ではそのようなことがなかった。

3.移動する・使役する
日本でも馬は用いられてきたが、西洋社会での馬との関わり方からすれば驚くほど原始的。
以下一文引用
明治初期に日本に訪れた外国人は一様に、蹄鉄を装着せずわら靴をはかせて、牡ウマの去勢もせず、それゆえにあぶない乗りものとしてウマをみている。(P8)

4.愛でる
昔は、犬の中でも狆は別扱いにされていたらしい。猫は古くから愛玩目的で飼育されることが多かったようです。
この章で興味深いのは(狆以外の)犬についてほとんど語られていないこと。

5.みせる(みせびらかす)・飼育する・訓練する
この三つは同じではないと私は考えますが、歴史的に見れば一括りにするのが妥当らしい。
江戸時代には(江戸の盛り場では)花鳥茶屋や孔雀茶屋があったらしい。現在の猫カフェ、梟カフェのようなものだろう。
外国からの珍獣としてクジャクとラクダを挙げている。クジャクは理解できるのですがラクダも見世物として珍しくなかったようです。

6.保護する---野生動物管理、そして科学する
日本では野生動物と距離をとるのが正しい付き合い方とされている。これらが科学として定着し始めたのは戦後のようです。

7.日本人における動物の位置
野生動物だけでなく動物全般に関することが学問として受け入れられるようになったのは明治以降のようだ。
それが近年のペットブームにより変わってゆくことだろう。

===

 

Ⅰ 家庭動物
「ペットからコンパニオンアニマル」かはら始まり、この書籍中はコンパニオンアニマル(CA)で統一されている。
日本に於ける家族構成の変遷を含めコンパニオンアニマルをどのように受け止めているかが書かれている。
盲導犬のパピーウォーカーのことやペットロスのこと、日本人が西欧の人たちのようにコンパニオンアニマルと上手く付き合えないのか。
ペットロスや飼育放棄、虐待などについても触れている。
発売当時の「今」を意識して書かれたものですが、読み進めると「そうだな、そんなことも取り上げないとな」と感じると同時に研究としては浅く感じる部分もあった。それは家庭という見えない部分のことなので仕方のないことなのだろう。
「この論点、視点は外せないな」と思うこと度々。コンパニオンアニマルの基本を考え直したい方は一読することをお勧めする。

===

 

 

Ⅱ 産業動物
西欧に比べ日本では畜産は(明治より前の時代は)重要な産業ではなかった。なので、長い歴史を語る上で「食肉」に注目している。
読み始めた時は驚いたのですが、日本の記録に残されている文化は朝廷など権力者中心のもので、そこから離れた文化の人たちとって食肉は決して珍しいものではなかったようだ。
何故権力者は食肉を禁止しようとしたのか、そこに根付いている日本人の精神が現在の動物観にどのように影響しているのか。
そもそも日本に於いては農耕(農業)中心の生活がされ、草食動物がほとんどの産業動物を扱うのは不向きだったようです。日本の気候等がウシやウマ等を集団で飼育するのに不向きだったことも書かれている。

この本は「動物観」を語る内容なので、それが分かり易いと思われた箇所をメモしておく(P133)

1.「ウチ」と「ソト」の空間弁別が徹底、動物はそのどこかに位置付けられている。
2.動物に対しては「すみわけるべきである」との強い意識がある
3.その場に存在する主体(=人と動物)の様態は、能動的にというよりは、まったく受動的に「場(=空間)によって」決定されてしまう。

少々難しい言葉も出てきますが、これらの言葉が理解出来る様に多くのページが使われています。
日本人が(産業動物に限らない)動物をどう見ていたかであり産業動物というタイトルが適当なのか疑問を感じた章でした。

2013年だったからか「KY」という言葉も出てきた。日本人は「空気を読む」「その場に合わせる」。
分かり易い例として、図で日本語と英語・独語・仏語の一人称表現が書かれている(P139)。
英語のI、独語Ich、仏語のJe、これらは、’どんな状況(環境)でも不変の「自己」’ 、 それに対し日本語は、わたし、わたくし、ぼく、おれ、自分、俺様、わし、・・・・など、 ’状況(環境)により可変する「自己」’ と「日本人の一人称は多様」と書かれている。
また文中では、「印欧語にあっては、一人称代名詞は(中略)文中にあって省略されることがないのに対して、日本語にあっては(中略)可変的であるばかりでなく、文中にあっても全く省略されてしまう例の多いのも(後略)」と書かれていたりする。

この章を読む限り、日本人の動物観が無理ない変化で動物愛護や動物福祉に傾くのを待つのではなく、法律(主に動愛法)を(刑事罰を適用するなどの方法で)広く知らしめることにより、受動的に変化してゆきそうだと考えることが出来る。
その様な考えについて個人的に疑問を持っていたが、それが日本人に合っているのかもしれない。

===

 

Ⅲ 野生動物

はじめの方によく言われることが書いてある(P146)。

これまで「野生動物問題」においては、「日本人の動物観」と科学的な野生動物管理とのズレがしばしば問題にされてきた。日本人は人間と動物の境界が不明確であると考えていて、動物に対しての「情緒的」な感情をもっている。それに対して西洋人にとって動物とは人間が利用するために神から与えられた存在であり、人間よりも下位の生き物である。そのため欧米では野生動物管理学など科学的な手法を用いて動物を管理しているのに対して、日本では合理的に野生動物を管理するという発想がなかなか定着しない(池上 1990:河合・林 2009)。このような「日本人の動物観」論はほとんど定説になっているといってもよい。

前の「産業動物」でも(表現は違うが)同様のことが書かれていたような気がする。
私が度々感じることとして、日本に於いて動物の問題が起きた時、大前提として「命が大事」と感情論が押し出されて、その解決方法として欧米文化の動物管理学などが出て来る。
欧米でも「命が大事」は言われる。しかし対する立場の人たちもいる。その命(動物)によって損害を被っている人たち。
現在のコロナ禍で言えば「終息を目指して経済活動の多くの部分を止めれば良いだろう。いっそロックダウンをしよう!」に対して「経済活動を止めてしまったら庶民は生きてゆけない」となる。
現在起こる動物の問題の多くの原因は経済的な理由が多い。なのでクラウドファンディングなどでお金が集まれば解決出来ることもある。
欧米でも「命は大事」だけれども「そこに充分なコストがかけられない」対立があり、それを客観的な事実を並べた上で「ではこのように理解することで双方納得してね」と答えを出してきた歴史が動物管理学なっているのだと私は考えている。また(前述の「お金が集まれば解決できる」的な問題もあり)「支援が必要」という表現がされることもある。
西欧文化の下で解決されてきた問題を見てみると、動物管理学を出すのであれば感情論を出すべきではないと考えるのだが、日本では両方出すことが珍しくない。
更に言えば、感情論の後に提示された解決方法に対して、反対の視点があったとしてもそれを充分に検証しない風潮にも疑問を感じてる。その理由の一つである「議論・検証している時間がない」ことも理解できるが「とにかくこの現状を解決」は一時しのぎになり、再発したり別の問題が起きることが予想出来ても、それで終わらせることを目にすることがあることが残念でならない。

先ほどクラウドファンディングの話が出たが、援助を必要とする動物問題は世界中にある。それに対して(動物の問題に限らず日本でも)庶民も富裕層も個人が寄付をする風潮になってきた。個人による寄付による社会問題の解決は、日本においては珍しい行為だったが最近はクラウドファンディングが認知されたからか、その前からボーダレスに活動している人が増えたからか、日本でも少しずつ根付き始めていることは感じる。
好ましいことだと思いますが、懸念することは、長い目で見た時に寄付収入に頼る割合を多くすることでリスクが発生するのではないかと考えている。

動物管理学という一般論として成立っている話を書いたが、日本の歴史を振り返ると、動物観が各論では地域により大きく違うことがある。これは別のセクションでも度々出て来る。以下に捕鯨に関する記述を書いておく(P151)。

歴史学者の渡邊洋之は、「伝統的」な日本文化とされる捕鯨が近代に大きく変容したことを明らかにしている(渡邊 2006)。日本各地、とくに江戸時代の西日本において、捕鯨を生業とする文化が存在していたことはまちがいない。しかし、そのような文化は地域的なもので、「日本の動物観」といえるような単一の文化が存在していたわけではない。むしろクジラと人間の間には「複数のかかわり」があったと渡邊は論じている。そのため明治以降に近代的捕鯨産業が広がっていくと、外部から押し付けられた動物観に対して激しく反発した地域もあった。たとえば明治末期の青森県の八戸では、「クジラは神であるから捕獲してはならない」と考えた漁民たちが。捕鯨事業場焼き討ち事件を起こしている。日本の「伝統的」な食文化とされる鯨肉食も、戦後になって給食などで普及する前は、地域によって大きくばらつきあった。「伝統的」とされる捕鯨文化は、むしろ日本列島の文化の均質化した近代に入って確立したものなのである。このような「伝統的」とされる動物観の変容と再構築は、捕鯨のほかにも狩猟や養鯉、闘牛などさまざまな領域においてみられることが指摘されている(菅 2009)

以上は「地域」による差だが(現在の視点でいえば)経済格差による差も書かれている。
遠い昔は人間が動物を飼育することはなかった。経済力がある人たちが(序章の「5.みせる(みせびらかす)・飼育する・訓練する」の範囲に入る行為として)鳥を飼育することがあったことは多くの方がご存知だろう。江戸時代のこととして以下のことが書かれている。(P160)

とりわけ大名や富豪たちは、自らの財力を使って、一般庶民の手には入らない珍しい鳥を好んで飼育した。磯野直秀と内田康夫によれば、江戸時代を通じて50種類以上の鳥類が外国から輸入されている。持ち込んだのは中国船やオランダ船だが、原産地は東南アジアから南アメリカ、アフリカまで広範囲にわたる(磯野、内田 1992;Chaiklin 2005;細川 2012)。江戸時代の日本は「鎖国」からイメージされるような閉ざされた世界ではなく、すでにグローバルな動物交易のネットワークに組み込まれていたといえよう。

ここまえは「へ~、そうだったの」「そうだったのかもね」程度に感じたが、これに続く以下の部分に「そんなことも!」と思った。

ときには一般庶民でも、このような珍しい動物を目にすることが出来た。大坂には「孔雀茶屋」、江戸には「花鳥茶屋」という見せ物茶屋が設けられ、多くの庶民がクジャクやオウムを見物にきている(若生 2007)。江戸時代後期の文化・天保期に渡来して全国で見せ物になったラクダには、見物人が餌を与えることもできたという(川添 2009)。とはいえ、このような珍しい動物をみることができたのは、都市に生活する人々に限られていただろう。

序章5で紹介した内容を詳しく書いていることになりますが、個人的に「月の沙漠」にラクダが出てきて、それを多くの人が受け入れていたことに違和感を感じていたし、落語のらくだも同様におもっていた。ラクダは(都市部に限られるかもしれないが)庶民が見物できた動物であることは確かなようだ。
江戸時代には、このような(序章の「5.みせる(みせびらかす)・飼育する・訓練する」の範囲に入る)行為が庶民にも届く範囲で行われていたことになる。

江戸時代は日本独自の文化を花開かせ、長閑だったのかもと思うことがある。海外文化と擦り合わせがはじまる明治については以下のような記述もある。(P164)

(前略)進化論は新しい社会秩序の方向を指し示す枠組みとなったのである。それだけでなく、進化論は人と動物の関係のあり方にも影響を与えた。近世史家の塚本学は、進化論は「優勝劣敗の考え方」によって下位の生命を「殺すことの正当化」をもたらしたという(塚本 1995)。明治とは近代化の名のもとに動物を殺し、利用することが正当化された時代だったのである。
 そこで「劣った動物」として駆除が勧められたのがイヌである。歴史家のアーロン・スキャンブランドによると、明治政府にとって日本のイヌは狂犬病に冒された未開の動物であり、近代化した社会にふさわしくない動物であった。(中略)北海道では開拓使顧問のアメリカ人エドウィン・ダンの指導のもと、オオカミとイヌを徹底的に駆除した。さらに開拓使はヒグマやカラスまでも、報奨金を出して駆除を勧めた。その結果、1890年代の北海道では、オオカミの姿はほとんどみられなくなる。エゾオオカミは人間の手によって絶滅したのである(ウォーカー 2009;山田 2001)。
 動物の殺戮と利用は、明治政府だけでなく、一般の民衆の間にも広がっていく。幕末以降、支配者層や富裕層を中心にレジャーとして広まった銃猟は、明治後期にはさらに普及し、日清戦争のころには狩猟人口は20万人にまで達した(林野庁 1969)。この時期に顕著に減った動物は少なくない。たとえばニホンオオカミは、1905年に奈良県鷲家口で捕獲されたものを最後に姿を消した。肝が漢方薬として利用されるカワウソも、この時期に減少していく(安藤 2008)。とくに減少したといわれているのは大型の鳥類である(高島 1986)。明治維新以前には、江戸のような大都市でもトキやツル、コウノトリなどが普通にみられた(松田 1995;安田 1995a 1995b)。明治後期には、毎年大量の鳥の剥製や羽毛が輸出されていて、それが鳥類の減少の一因になったのだろう。

この後には、小笠原諸島や太平洋の島嶼に生息していたアホウドリのことが書かれている。
鎖国を終わりにして諸外国に合わせなければと焦っていたのだろうか。

最後の章はのタイトルは、「野猿」をめぐる動物観。
高崎山の野猿公苑に関わることが多く書かれているが(以前別の読書感想文でも触れているが)餌付けをして野生とはこれ如何に?状態から、日本の学術的な野生動物の研究が始まっているようであることは(今となっては)恥ずかしさすらおぼえる。
本書でも餌付けの問題点について指摘している(P175)。

興味深いのは「ではそうしなければどうなるのか」と考えた研究者の発表。(P176-177)

(前略)しかし伊沢はサルを餌づけして観察するのではなく、大きく移動を繰り返す群れ全体を肉眼で追い、雪をかき分けて追跡るという手法をとった。するとニホンザルの群れには、餌づけ個体群にみられた「ボス」のように、固定的な順位は存在しないことがわかった。確かに伊沢が「主だったオスたち」とよぶ個体は存在するが、餌を独占したり、群れを導いたりしているわけではない。その後のニホンザル研究では「ボス」という用語は利用されなくなり。おもな野猿公苑や動物園の展示でも、1990年代半ばには「ボスザル」という用語を使わないようになっている(佐渡友ほか 1997)。かつて伊谷純一郎が「ボス」の研究をした高崎山でも、2004年から「αオス」という呼称に変更した(栗田 2008;図9.4)。

図9.4 には「初代αオス ジュピター」と書かれた展示物の写真がある。
「α」なる表現に至る流れに、餌づけをしない群観察があったことは知らなかった。また「固定的な順位は存在しない」こともにも驚いた。
山中を車で走っていると猿の群れを目にすることがある。その時、順位が存在することを感じる。これもドライブ中の人間が餌づけをしている結果なのだろう。

野生動物のセクションであるにも関わらずペットの関係もある。野生動物をペットにしようとすることの問題である。(P181)

(まず1960年代にもペットブームがあり、1980年代に入るとペットを「家族」と考える人が多くなったとあり、その後に)
こうして新しい人間と動物の関係をもたらしたペットブームは、さまざまな批判を浴びることになる。その1つは海外からの批判である。1969年、イギリスの大衆紙『ピープル』が日本のペット産業の状況をレポートし、劣悪な環境下でイヌたちが虐待を受けていると報じた。このニュースはイギリスでは日本製品の不買運動にまで発展し、日本国内でも大きく報じられた。西洋史家の鯖田豊之は、この問題の渦中に新聞掲載されたエッセイで、西洋と日本の動物をめぐる文化の違いについて論じている(鯖田 1969;スキャブランド 2009)。それによると、日本人はイヌやネコを飼えなくなると、「殺すのはかわいそうだ」と捨ててしまう。それに対して、欧米における動物愛護とは、「動物に不必要な苦痛を与えない」ことであり。そのため面倒をみきれなくなると、あっさり安楽死させてしまう。この違いは、欧米では「人間と動物との間にははっきり線を引き」「動物をいちだん下に見くだして」いるからだという。鯖田(1966)は同様の主張を『肉食の思想』でも展開しているが、その後の「日本人の動物観」論で繰り返される定説となっていく。

ここは「そうそう、だから動愛法の前身というか名前が変わる前の動管法が1973年に出来たんだよな」と思ったりもした。ただ、私の記憶だと不買運動だけでなく、海外から動物を輸入するときの障壁になっていたことが大きかったのではないかと考えている。現場はではそうだったと私は聞いているが、本書では、上記に続いて次のように書かれている。(P182)

 もう1つの問題となったのは、海外から大量の野生動物がペットとして日本に輸入されている事実である。かつて日本野鳥の会が批判した飼鳥は、戦後もさかんに行われ、とりわけ海外から輸入した鳥類の飼育が流行していた(笹川 1975)。こうした野生動物輸入は、1980年代に入ると、国際的な批判を浴びるようになる。生物学者の小原秀雄によると、日本には1981年から6年間で熱帯魚などの観賞魚は310万Kg、オウム類は1981年だけで18000羽が輸入されていて、アメリカに次ぐ「世界第二位の野生生物消費国」とされた(小原 1988)。日本は1980年に絶滅の危機に瀕する野生動物の輸出入を規制するワシントン条約を批准したが、毎年のように大量の違反が摘発されている(磯崎 1989)。

ここでは野生動物について書かれているが、私の記憶では犬の輸入がイギリスなどから多く行われるようになったのが、1960年頃からだったと記憶している。これは戦後の国際政治・経済の中での日本の地位や航空機を利用し易くなり始めたこととも関係していると私は考えている。それら背景があり、動管法(動物の保護及び管理に関する法律)が1973年に成立するが、法案の議論は東京オリンピック(1964年)前後にも行われていたと記憶している。

イギリスで動物関連の法律が世界で先駆けて作られたと一般にいわれるが、その必要性は動物の扱いが酷いと(国内だけでなく)他国からの批判もあったからと聞いたことがある。日本も同様に動物愛護が歩んでいるようである。

この後、ゲノムにより「野生」と特定する時代になることが書かれている。まとめのページに書かれている文を断片的にアップしておく。(P185)

より厳密に「野生」と「人為」の境界を引き直すことが求められるようになる。そこで「野生」と認められるのは、ゲノムレベルで人為的な攪乱を受けていない生物だけである。

人為的に関することによって、人為を排して「野生」を作りあげる。このようなアンビバレントな動物観がもっとも顕著に現れるのが、絶滅種の野生復帰事業である。

アンビバレント(形容詞、両面価値の)と表現しているが、私にはパラドックス(逆説的)に感じている。
最後の結びは以下のようになる。(P186)

(前略)かつての江戸時代の支配者たちが「大名庭園」に再現したミニチュアの農山村の風景に限りなく近づいているのではないだろうか。いまや「野生動物」は、あたかも庭園のように再生される日本の「自然」を象徴する存在となりつつあるといえよう。

このような現状は日本のみならない。世界各地で管理された「野生」が存在し、そこで必要な費用を得るために観光客を受け入れる場合もある。それが日本に存在した「大名庭園」に似ている点には気が付かなかった。

ここのセクションで引用を多々してしまい、本の返却期限が迫ってきてしまいました。
以降出来る限り(家庭動物のセクションの様に)すっきりと書こうとおもいます。

===

 

Ⅳ 展示動物
この言葉がイマイチ理解しきれない。どこまでが範囲なのか、何をもって区別するのか。
まず動物園・水族館が含まれるのは分かる。しかしそれらは一般向けの展示のみが使命ではない。
展示は見るだけかと直感的におもっていたが「触れ合い」も含まれる。これには学校動物も含まれる。
さらに本書では「餌付け」も一つの視点としている。

本書においてメインは動物園についてになる。残念なことではあるが日本に於いては「珍獣」「芸」が動物園の価値を決めてきたとしている。
動物園の価値の尺度として入園者数を用いているが他に何かあるのか?、と言われれば確かにない。世界的に評価された論文の数など学術的な立場での評価も期待したいが、動物園の実情を少し知っている身としては(少なくとも日本に於いては)それは無理というものだろう。動物園以外の、動物の研究を目的とする機関を知っている人なら尚更だとおもう。端的に言ってしまえば「常に経済的な意味で苦労」しているのだ。ワシントン条約の存在し、動物福祉を求められる昨今であれば尚更である。

以上は「私の考え」であるが、以下本書に書かれていること。

日本の動物園のはじまりは、明治15(1882)年、上野動物園だそうだ。しかし、ひっそりと開園したらしい。一般には知られなかったとか。知られるきっかけになったのが(P193)

明治19(1886)年、イタリアのチャリネ(カリネ)サーカス団が来日し、横浜や東京の秋葉原で興行を行ったとき、トラが出産して、そのトラを上野動物園が入手して展示し、評判を得て初めて上野が世に知られるようになった。東京生まれの2頭のトラは「江戸っ子トラ」と親しまれ、動物園の入園者は飛躍的に増えたのである

その後も海外からの動物が来日する度に来園者が増えたらしい。つまり「話題をよぶ」ことが重要なのだ。

日本の動物園の来園者数は常に上野動物園が一位らしい。しかし昭和10(1935)年に天王寺動物園が上野動物園を抜いて一位になる。
昭和7(1932)年に来園したチンパンジーのリタの芸によるものだとされている(P196)。写真も掲載されているが、今でも通用しそうな大道具・小道具で納得してしまう。つまり「芸」が来園者を呼び、それが動物園の評価となる。
その後もチンパンジーの芸は多くの人の心をつかんだようだが「リタは例外的な長寿」であったが、多くは短命だったらしい。戦前の短命の理由は「人との接触度が高く、そのため当時、人でも不治の病であった結核などの人畜共通伝染病にかかりやすく、長生きした個体は少ない(P196)」と書かれている。

戦後も多摩動物公園のペペやジャーニー、パンくんの記述もあり(タイムリーだったからか動物園名は本書には書かれていないが)阿蘇カドリー・ドミニオンが日本動物園水族館協会を退会せざるを得なくなったことも書かれている(P196-197)。(本書は2013年、書かれていないが退会は2009年)

また上野動物園のおサルの電車が廃止されたのは昭和49(1974)年、「動物を働かせることに(中略)反発する人が増え(中略)東京都に所属する上野・多摩両動物園は、昭和48(1973)年、それまであった訓練係を普及指導係に変えて、普及活動や教育活動に重点を移して現在にいたっている」と書かれている(P197)。

動物の展示では、旭山動物園の「行動展示」が有名ですが、「行動展示」や「環境エンリッチメント」についての理解するため長くなりますが引用します(P198-200)

(前略)旭山動物園から出てきたのが、「行動展示」である(図10.7)。動物本来の行動をみせるための仕掛けを工夫して、旭山動物園は一挙に上野動物園の入園者数に迫るまでにブレークした。いまでは旭山動物園を知らない人はいないといっても過言ではない。並行してアメリカでは動物福祉の観点から、動物園動物の生活を充実するため、「環境エンリッチメント」とよばれる手法が考えられてきた。行動展示は旭山の発想であるが、それは行動展示という言葉に旭山のオリジナリティがあるのであって、動物を行動させるための工夫は、どの動物園でも実施してきた試みであった。旭山のブレークはそれを徹底的に追求して成功したことにある。行動展示という言葉は、ある意味キャッチコピーなのである。
 環境エンリッチメントは、動物の福祉の観点から飼育下動物の環境を豊かにするために1980年代末からアメリカで試みられて(川端 1999)、21世紀に入ってすっかり定着している(図10.8)。飼育下の環境を豊かにすることは、刺激や適度なストレスを与えることになるから、行動としても適度に活発になる。行動展示とはやや異なった側面からのアプローチであるが、似たような結果になる。しかし環境エンリッチメントは、動物の生息環境に合わせて動物本来の生活を飼育下においても再現することが目的であり、動物の福祉になるということであり、それを動物学的知見にもとづき体系づけたところに意味がある。
 興味深いことに、日本の動物園関係者の間では環境エンリッチメントへの評価は、「お客さんが楽しんでいる」ことに重きが置かれていて、動物の福祉に貢献しているという評価はそれほど高いわけではない。動物を「動かすために」いろいろ工夫すると動物が活発に動くようになって、お客さんが喜ぶので積極的に取り入れているのである。さらに、環境エンリッチメントを「動物を動かすこと」と理解している傾向すらみえる。(後略)

(図10.7)は、アザラシが縦に配置された透明な太い管の中を垂直移動している写真、(図10.8)は、木々の中に張られた複数の太いワイヤーを利用してオラウータンが空中を移動をしている写真。

長くなりましたが、考えるべきことが詰まっている部分だと感じたので頑張ってパンチしました(笑)
やはり入園者数を増やし収入を増やすことが目的になってしまうのかなと思ってしまう内容ではありますが、そのようにしなければならない実情があるのだと思います。

このようなことがあるので「動物の人気」という章もある。動物の種類や日本の動物か海外から来た動物かで人気の度合いが違う。日本の動物は人気がなく、海外から来た動物は人気がある。例外的にニホンザルで人気があるとのこと。またペンギン以外の鳥類は人気がないとか。

動物園のセクションのまとめでは入園者心理の分析がまとめられていて、江戸時代以前の日本の動物観を引きずっているように感じる部分も多々あるが「触りたい」「擬人化」などは、違う部分のように感じた。
これについては、Ⅰ家庭動物、Ⅱ産業動物、辺りにも書かれていた(私のこのブログだけ読んでも分からないですが)。

--

動物園につづいて、’「ふれあい」とお世話’ なるセクションになる。
一般的な動物園でも行われているが、移動動物園などでも行わている(この本の発売は2013年)。やはりというか当然「情操教育」なる言葉が出てくるが、私は、これは動物の正しい理解と対(つい)にするべきだと考えている。私は「思い込みによる優しさを押し付け」や「(過度の)癒しの道具」にしてはならないことも学ばせるべきだと考えている。
最近では、「ふれあいコーナー」には大人も参加することが少なくない(P212)、とも書かれている。

--

「世話をする動物観」という章では学校動物のことが書かれている。
大きな時間の区切りとして以下の記述がある(P212)

平成12(2000)年、「動物愛護管理法」が成立(この本にこのように書かれているが成立は1999年だとおもいます)したのとほぼ同じくして、平成14(2002)年、文部科学省は。小学校学習指導要領に学校で、「動物を飼うこと」を盛り込んだ。

子供によるいじめや暴力事件が背景にあり、その対応と考えて良さそうだと書かれている。
しかしそれ以前にも学校動物が存在していたことは多くの人はご存知の通り。そこでそれらの記録を探したら例外的なもの以外見つからなかったのだそうだ。
以前から「そうではないか?、まさかそんなことはないだろう」と思っていたが「やはりそうだったの?」と驚いた。

では2002年以降どうなのだろうと気になりますが、私が個人的にお子さんがいらっしゃる方に聞いた限りでは、動物飼育の記録といえるレベルのものが存在するのか疑問に感じることが多々あった。本書でもそれを窺わせる内容もあった。学校動物は、制度としてその程度の存在のようです。ここまで軽んじているとは想像していませんでした。

「なるほど、このような感覚の上に学校動物を情操教育の一つとして扱っているのか。これが国の制度を作る人たちの知見による制度作りの結果なのか」と悲しくなった文を引用しておく(P215-216)

(前略)家庭では動物を「飼う」とよぶのに対し、学校などで自分で所有する動物には「お世話」とよぶことが多い。「飼う」よりも柔らかく、気楽で一時的な感覚があって、なおかつ愛情を注ぐ感じの用語であることからこの言葉が用いられている。「お世話をする」という言葉は、「飼育」という客体的な言葉と比べ、愛情を注ぎ込む意味が含意されており。ふれあいとともに、動物への愛情を醸成することが必要とされているようだ。

対象とする動物がどのような性質だからどのような世話が必要なのかという知識よりも感情である「愛情」のみで充分であると私は読めてしまうし、だから記録も残さなくても問題にならないのだろう。気楽と愛情を結び付けるような活動が、暴力事件抑止になるのか疑問でならない。

学校動物については多々おもうところがありますが(書き始めたら止まらなくなりそうになったので)ここまでにします。

--

次のセクションのタイトルが「かわいい」、その次が「餌を与える」。さらにその次が(’「ふれあい」とお世話’ の)まとめとなる「動物と親しむ」となる。
大きな括りで「展示動物」に対する動物観を考える箇所なので、このように進めることは理解している。一時的な癒し・楽しみを動物に求めるのが日本的な考え方なのだろう。
野生動物のところで、世界各地に管理された野生(保護区など)が存在することを私の知識として書いた。そこを訪れる人の中にはやはり同様のことを求めている人たちもいるので日本が独特だとは思わないが、各人がそのように思っているとしても(動物と広く接点を持ってきた西欧文化圏の人たは特に)常識として「(野生に限らず)動物に対して知識を持ち、その上で観察したり接する」自覚があるとおもいます。
この辺りが違うのではないかと感じています。

--

つづく章は「動物と動物園」。
先にも書きましたが動物園経営はなかなか大変です。経済的こと以外のややこしいことがここに書いてあります。その一つとして「政治と動物(P229-232)」。ここは冷静に読まないと気分悪くなる人もいると思いますが、興味深いことも書いてあります。ジャイアントパンダについての記述は象徴的です。誤解なく書くことが出来ないし、引用しても誤解されると思うので内容に触れませんが、動物は政治利用されるし、経済効果の起点として考えられることもあります。動物をそのように見る、つまりこれが動物観なのです。

私は、動物園について色々な視点で考えると看過したくなる視点もあるのですが、本書にも「動物園には現在日本の動物問題が凝縮していると思われる(P233)」の一文がある。

この章の最後の方に以下の文がある。

 動物園は博物館相当施設に含まれていて、博物館の一部を構成している。しかし、一般に「博物館」とよばれる施設とは、やはりはっきりした違いがある。敷居が低い、安心できる、生きている動物がいるなどの大衆性があると同時に、学びにくる姿勢がみられない。

これは日本人が「動物園に対する」というより「動物に対して」抱いている感覚ではないだろうか。

--

終章 動物観のこれから
この部分、全体のまとめかとおもったら、目次で確かめたところ「Ⅳ 展示動物」のセクションの下にありました。

今まで各論を多数並べられその解説を読んできたので、ここに書かれていることは「まとめ」であり目新しく感じるものはない。
何が「まとめ」に相応しと感じるかは人それぞれだと思いますが、私がそのように感じた文を引用しておく。

アメリカの社会学者で「動物観研究」のパイオニアともいうべきスティーブン・ケラートは(中略)日本人の動物観の特徴として倫理的態度(ethical attitude)の保有者が少ないことを指摘している(P243)

2013年発売の本書ですが予言的な内容として以下のものがありました。この終章の最後の部分(P247-248)

 野生動物への科学的理解はおそらく絶望的であろう。動物園動物を含め、なんらかの話題性をともなう場合をのぞき、野生動物への関心、とくに科学的関心は高まることは期待しにくい。
 水族館におけるイルカ・クジラ類、アシカ類のショーは人気のあるイベントである。大型の水生哺乳類は大型であればあるほど人気が高い。これらの動物を水族館で繁殖させる技術は、まだ確立されているとはいいがたい。一方、海洋から捕獲してくるのはこれからいっそう困難になるであろう。ショーを継続させるためにには、飼育下での繁殖と捕獲反対の圧力とのせめぎ合いが避けられないであろう。
 こうしてみると、動物観といえるものにほとんど目新しい方向を見出しにくい。ペットへの愛情だけが極端に高まっているのは、一時的なことではないのはまちがいないが、動物への関心や動物観に構造的な変化が起きているというよりは、飼育の仕方の違い、家族間の変化など、ほかの社会的要因によって表層に新しい流れが起きていると考えざるをえない。今後とも、総じて飛躍的な変化はないだろうと断ぜざるをえないのである。

「絶望的」「断ぜざるをえない」とまで書いている。世の中を変えてゆくことを現実として考えるのであれば、これらを理解し心得なければならないのだろうと、この本を読む前以上に頭を悩ませています。

===

 

このあとに「おわりに」がある。やはり掴みどころにご苦労されたようです。
日本人の動物観を振り返ると「日本人ってそうだよな」と思うことが多々あり、目新しいことが少ない。直前に書いた「終章 動物観のこれから」の部分に書いてあるようなことがいつも頭に浮かんだ。

この書籍は充分に整理されているとは、私は「感じない」。まず動物観を中心に据えることは難しい。この本のように、家庭動物・産業動物・野生動物・展示動物と分けて書いても、何処でも日本人の自然観、社会観について語ることになり、重なる部分が幾つもあった。つまり動物観で語ることが未だ出来ない段階なのだろう。

 

動物観なる言葉が広く知られ、整理され、その結果、日本人の多くが動物に対して客観性を持って向き合う文化を得ることを期待している。つまり、科学的な高まりを持った結果として、日本国民全体に動物愛護・福祉の意識が根付き育つことを祈っている。
冒頭に書いた私の目的である「人々の意識をどのように理解すればいいのだろか」は、大きな収穫はなかった。しかし私の理解はほぼ間違いなかったと思えたことは収穫であった。

あまり嬉しくない収穫であるけれど。

| | コメント (0)

2021年5月15日 (土)

イヌの動物学(2001年版)(読書感想文)

20210424_205617924 ゴールデンウイーク前、緊急事態宣言が出る前日に図書館に行き、前から読みたいと思っていた本を借りに行った。この本は本命ではなく「ついで」に手に取った。CDもついでに借りてなんとも節操がない。

 

この本は、2001年に猪熊壽先生が著者、林良博先生、佐藤英明先生が編者として発刊されている。
そして、2019年に猪熊壽先生と遠藤秀紀先生の共著という形で第2版が出ている。2001年版が出版された当時、遠藤先生は国立科学博物館に在籍しこの本の出版に協力している。

読んでいる途中で「今のことじゃない」と思い、奥付を確認して 2001年版であることに気付いたが、常識の変遷が確認できたと言えばいいのか「そうそう、こういことが言われていたよね」と興味深く読むことができました。

出版社は東京大学出版会。全体的に(当時の)林良博先生、佐藤英明先生が編者ということからか、少々スクエアに感じるところもありますが、客観性への配慮と考えるべきなのでしょう。

 

この本を借りたのは、冒頭にも書いたように「ついで」でした。なので「軽く読んでみよう」と思ったのですが、少し読み始めて「これは面白そう」と感じた。
イヌ属の説明から(10ページ)

ディンゴ、オオカミ。コヨーテ、ジャッカルそしてイヌはたいがい交配可能であり、生まれた子供にも繁殖(生殖)能力がある(Gray 1972)。染色体数もすべてのイヌ属動物で2n=78 と共通している(Wayne rt al. 1987)

とあり、少し間があって、次のような文があり、このような客観的な見方が好きなので、グイグイ読み進めた。

オオカミとイヌはたいがいに相手を同類とは認めない、むしろ敵視しあうようななにかがあるという。この種を分ける「なにか」は、一般的に動物種間の行動学的な違いである(今泉 1998)。種特異的行動の違いにもとづいて分類された種のことを行動学的種という。すべての野生イヌ属は、顔の表情、姿勢、尾の振り、吠え声や叫び声などのコミュニケーション方法によってたがいに意思を伝えあうことが知られている(Bradshaw and Nott 1995)。なかでもオオカミとイヌの群れ社会を形成し、群れのメンバーの間には厳しい順位制度があるため、コミュニケーションの方法が複雑である(第3章参照)。飼育下におけるヨーロッパオオカミとイヌ(プードル)の行動を比較すると、毛繕い、性行動、出産、子育て、子供の行動にはあまり差はない。ところが(以下略)

この後、オオカミとイヌの行動の違いが書かれている。オオカミは全て自分たちで行わなければならないが、イヌは人間がしてくれることはしなくてもよい。その部分が欠落または退化していると書かれている。

イヌとオオカミはとても似ている。遺伝子の数も同じで(一代だけではない)子孫を残すことも出来る。行動も基本的に同じだか犬は退化している部分がある。この程度の違いだが敵視しあう。
理解に苦しみそうだが、幾つもの事実を客観的に受け止め、それらを矛盾なく理解出来る様する。これを丁寧に(しかし紙面の関係上なのかとても簡潔に)書かれていることに好感をもった。

ちなみに人間がしてくれることの多くの事柄に関係するテオトニー(幼生成熟)についてのページは 22ページからと少し間がある。
その間、イヌの祖先についてや家畜化とその影響の話があり、その結果としてテオトニーが出て来る。

 

タイトルが「動物学」となっていますが人間との関係についても多く書かれている。2001年の本ですから、まだまだ多かった殺処分(2001年当時は50万頭以上、収容され殺処分されるのは90%以上)についても触れています。

犬の行動学的な話もありますがボディーランゲージについて詳しく書かれていない。限られた文字数と少ない図から読み取る。その理由は「一般化できる情報はここまで」だからだろう。つまり客観性。
生理学的ことが多々あり、そこから「だからこのような行動なのだ」と書かれたり、獣医学的な話からも同様のことも書かれている。ヨーロッパではこのように人と付き合ってきたから、このような行動(作業?)をするようになったなどの話も。

このように行動学の話もありますが(世の中一般に言われる)行動学の話は少ない。その前後の話(何故そのような行動になるのか、その行動の結果、人間との関係でどうなるか)の方が多い。

 

この本は、多くの論文の引用で成り立っています。著者の考えというより、著者の知識(数多の論文)から導き出されるストーリー的に構築されているように読める。なので(省略形ではありますが)ページの随所に原典が書かれている。多いページでは10以上書かれている。それら論文の中には完全に一般化されているものではないと感じるものもあった。その判断が出来ない人には、少々重く感じてしまうかも。
ちなみに、巻末の「引用文献」のページは25ページあります。

真面目に取り組もうと考えると疲れる本だと思います。図書館で借りて、読みたい箇所だけ読めばいい。そうそう、この本はもう図書館にしかないと思います。20年前の本だし、第二版も出ている本ですから。

わんちゃんは可愛いから好き!「だけ」の人には読めない本かも。客観的に他人と犬と語り、より犬を理解したい人には一読の価値があります。まず犬について「最低限カバーすべき範囲」「何が科学的に常識になっているのか」を確認することができます。
また、遺伝、生理、獣医学などからの話がありますので、行動学を考える時「何を基準、基本とするべきか」が見えてくることも価値ある本だと思いました。

 

個人的に時代を感じた内容。
「問題行動」というセクションの中に「突発性狂暴症候群」の説明があった。内容に時代を感じた。
遺伝性疾患の内容を読むと「そうそう、2000年頃ってこんなことが問題になっていたよね」と懐かしく思った。当時を知らないひとは「はぁ~?」と思うかもしれない(笑)
論文ベースで書かれているので、問題行動や遺伝性疾患について特定の犬種が多々挙げられていて「これ、まずいんじゃないの?」と感じることも。
イベルメクチンに付いて、人間に使われる前に動物に使われた(フィラリア他)に使われた例として書かれているがノーベル賞のことは書かれていない。2019年版にどのように書かれているか興味あり。

 

第2版(2019年版)も図書館にあるようなので、次はそちらを。その後、二つまとめて借りてみようかな。
そうそう、この本は、アニマルサイエンスというシリーズものの3になっている。他は、ウマ、ウシ、ブタ、ニワトリ。ネコがない。何故だろう。

| | コメント (0)

2021年5月14日 (金)

東京くらし防災(2019年2月)

2月の下旬、図書館に行ったら「東京くらし防災」があった。隣にはFM世田谷(世田谷区のコミュニティFM)のチラシ(タイムテーブル)が置いてあり、それらを持ち帰った。
今更ながら、その時おもったことを書きます。

00fm_kurashi

東京くらし防災の第1版は2018年3月、持帰ったものは2019年2月第6刷と書いてある。
表紙にこそペットの絵はないが、奥付ページの反対側にある防災シールにはある。なので期待して開いた。

以下のページに「無断複製・転載・複写・借用などは、著作権法上の例外を除き禁じます」と書かれています。これについてはこのページをご覧ください。今回の利用は、引用(32条)の範囲と認識しています。

01cover 02imprint

この冊子を目にしたことがある人も多いと思います。
改めてペット関連のページを見てみる。
該当するページの目次のちょうどその隣ページにキャラクター紹介があり、猫らしき動物が描かれている。

03index

目次から154-157であることが分かるので、それらのページ

04p154 05p156

ぱっと見た時「これだけなの?」と思ったのですが「ここまでしか書けないな」と改めて思った。
ペットとの避難は2011年の東日本大震災以後、進められているように感じている人も多いのではないかと思いますが、1995年の阪神淡路大震災以後取組みが行われています。しかし各避難所運営自体の取組みの歩みがまだまだなのでペットまで手が回らないのげ現状のようです。
なので公にはこの程度のことしか書けないことは仕方のないことなのです。

 

私は地元のコミュニティFM(世田谷FM)で番組作りのボランティアを少々いたことがありました。
その目的は、当時(東日本大震災よりも前)災害時にラジオは情報取得ツールとしてとても有用であると認識され、発災時に協力出来るかもと考えたからでした。
このボランティア自体が無くなってしまったのですが、その後、災害時の情報取得ツールがネットに移りつつあることを感じます。ラジオそのものがネットを通して聴くことが出来る様になり、番組中の補足的な情報はネットにアップしている現状を考えると、災害時にボランティアがラジオ放送運営のお手伝いをする時代ではないのだろうなと考えが変わってきました。

時代は変わり、進みます。
避難所におけるペットの扱いについても(阪神淡路大震災からの年月を考えると)もっと進んでもいいのではないかと、おもったりしました。

| | コメント (0)

2021年5月 6日 (木)

出来るかな?(ブログ引っ越し)6.XAMPPの時間合わせ

VSCode で PHPの文法チェックをしてくれるところまで出来た。
次は、ブレークポイントを設定したり変数をWatchしたりのデバッグをしてみたいと考えた。

ネットを見ると幾つも情報が出てくるがなかなか上手くいかない。
PHPのエラーログはどうなっているのかな?」と見てみると、時間がズレている

またまたネットで検索すると「一ヶ所直せばいい!」と書かれたページが多数出てくる。
その通りにやっても時間は直らなかった

で、私も以下のページと同様のことを行い、直りました。
https://shonai-tsukaeru.info/post-4675/

二ヶ所直しました。
ただ、それだけ。

 

さてさて、VSCodeを使って PHPのデバッグが出来るかな?

前回から少々時間が空いたら「え~・・・っと」と色々忘れている。
歳をとると幾つものことを平行して行うことが難しくなる。勿論「私の場合は」ですけど。
自己管理の重要性を強く感じますが、なかなかうまく出来ません。

| | コメント (0)

«4月の「犬とゆく」