2024/12/08

11月の「犬とゆく」

もう12月になってしまいました。
夏の間「暑い暑い、涼しくなったら本気出す!」などと考えていたら11月になってしまい、やるべきことだらで身動きが取れなくなってしまいました。11月に入ると最高気温が20度下回る日が急に増えたり、雨の日も多く、散歩には向かないと感じる日が多かった記憶があります。

暑い夏が10月まで続き、その後は(秋がなく)冬に向かうような移り変わりでした。紅葉の時期も遅く(12月の今も我が家の近所は紅葉しています)、その他植物たちのカレンダーも慌ただしいのはないかと感じています。

とにかくもう師走、今年ももうすぐ終わり。皆様は如何お過ごしでしょうか。本気が出なくても今年は終わってしまいます。
残りの日々を自分なりに過ごし、清々しい気持ちで来年を迎えたいものです。

 

■ 一般の公開 ■

11月の更新は2つ。飲食店と専用施設(ドッグラン)。どちらも個性ある施設です。
月間2つが最近のペースになってきました(管理人としてはもう少し頑張りたいのですが)。低めに設定した年間目標は達成できそうです。
11月末時点での通算年間通算は26、内訳は、宿泊施設1、飲食店19、その他6(犬3、乗2、他1)。

 

DOG GOODS & CAFE SHEi 青葉台
東急東横線青葉台駅の北側、歩くのは辛い距離だけどバス停(若草台)が目の前。2024年現在お店の駐車場も(数は少ないですが)あるみたいです。インスタグラムを確認してください。
農薬・化学肥料不使用の野菜をメインとしたヘルシーなものが多い。数は少ないがお店の駐車場もある。大型犬も店内OK。

ドッグラン長野プライベートパーク
長野市川中島町四ツ屋にあるドッグラン。長野市の市街地から国道19号~県道405号~小市橋で犀川を渡って少し行った所にある
利用規約に色々書いてありますが当たり前のことばかり。
有料貸切り制、天然芝、二面、頭数制限なし、飲食制限なし(飲酒、喫煙は全面禁止)。施設名にもある通り、プライベートで自由な時間を過ごせる。撮影ポイントもあります。※闘犬、特定犬の犬種は「ご遠慮ください」になっています。


■ 修正など ■

11月の修正はまとまった時間がとれず2つだけ。一つは閉店情報ではないのが嬉しいです。
年間通算は77(内訳:宿6、飲55、犬3、他13(公3、乗6、他3、コ1)。
随分と古い閉店情報を見付けることも多いですが、コロナ禍閉店はまだまだありそうです。もしご存知の情報がございましたら、お寄せいただけると有難いです。

 

ピッツァ サルバトーレクオモ たまプラーザ
なんとなくお店のページをリンクしてみたらリンク切れ。調べてみたら2020年3月に閉店していました。
時期的にコロナ禍ですね。テラスでの利用になりましたが防寒対策をしていてくだいました。残念。

川中島古戦場史跡公園のドッグラン
9月中旬までの張芝工事が終わり、10月下旬にkenYukiさんが見て来てくれました。
すでに芝が薄くなっている箇所もありました。ドッグランの外に水道蛇口がありました。

 

 ~ ~

11月の末に青梅や五日市方面に行ってきました。
紅葉やインバウンドの影響で混雑しているのかなと想像したのですが、そうでもなくゆっくり過ごすことができました。
商業地、住宅街などもあり、そのような地域にはカフェなど軽食のお店があり、半分くらいのお店はHPなどにペット同伴についての記述がありました。

ペット同伴でお出かけする人の数が増えた結果だとおもっています。ただしまだ店内OKは少ないです。
今も盲導犬を断る店舗がある日本なので仕方ないと思いますが、いつの日か店内OKが当たり前の世の中になってほしいと願い続けています。

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2024/11/14

10月の「犬とゆく」

10月に入ると、東京では35℃を越える猛暑日はなくなりました。30℃を越える真夏日は 2日と 4日に観測され、25℃を越える夏日は下旬にも観測されました。しかしそれは最高気温のこと。朝晩は散歩に問題なくなりました。 (参考)10月の東京(大手町)の気温
下旬にもなると朝晩(体が暖かい季節に慣れてしまったのか)寒いと感じる日もあり、日中でも問題なく犬の散歩に出かけられるような日が多くなりました。今のうちに(人間が寒さで億劫になる前に)あちこち散歩に行っていただけたらと考えていましたが、もう11月も中旬、寒さを感じることが増えた毎日です。

今、我が家に犬がいませんが、犬がいた時はこれくらいの気温で寒いと感じませんでした。今感じてしまうのは、犬がいないからなのか、歳のせいなのか。

「犬とゆく」は、ご協力いただける方々のお陰で続けることが出来ています。
皆さんからの投稿、修正情報をお待ちしております。

 

■ 一般の公開 ■

10月の公開は、飲食店が2つ。ここのところの「犬とゆく」らしいペースです。今年一年で目標の26、できれば27に届くか微妙なところ。
10月末時点で年間通算は24、内訳は、宿泊施設1、飲食店18、その他5(犬2、乗2、他1)

今月はしえ蔵さんから埼玉県の飲食店情報です。

星乃珈琲店 所沢店
埼玉県所沢市、西武池袋線新所沢駅と西武新宿線小手指駅の間、国道463号(行政道路)沿いにある。「大型犬ご遠慮...」の表示がないので大型犬さん連れのしえ蔵さんが利用し投稿してくれました。テラス専用入口に「ペット連れのお客様へのお願い」があるので一読してください。
ペットはテラス席と呼ばれている場所になりますが店内と変わらない。時間帯によってはゆったり過ごせる。

Lilly&Qcumber
西武池袋線・小手指駅から徒歩で10分くらいの場所にある小さなカフェですが大型犬も店内に入れていただける。隣にコインパーキングあり。砂川堀のしだれ桜が近い。
カウンターには美味しそうな焼き菓子が並んでいる。本格的な野菜の軽食などもある。行く前に確認することをお勧めします。
大型犬も店内OKですが小さなお店なので利用時はご配慮を。インスタグラムに「ご来店時のお願い」があるので一読することをお勧めします。

 

■ 修正など ■

10月は右往左往していて気が付いたら月末。修正を一つもしていなくて、公開した埼玉県の飲食店を確認してみたら半分くらい閉店していたり、 ペット同伴ご遠慮くださいになっていたり。とても残念な結果になりました。
今では犬連れで利用出来る飲食店や宿泊施設を紹介しているサイトも多いし、それら施設も増えていてるので「犬とゆく」はもう頑張る必要はないと手を抜いてしまっている昨今です。また自分の能力も落ちていて昔のようにバリバリページをいじれなくなってきています。

そのような事情は別にして、修正作業を行っていると「あの頃は犬と一緒に飲食店を利用しようとするとヘンな人もおもわれたよな」などと思い出し「今はヘンな人とは思われないけど、避難所ではまだまだ認めてもらえない」と「犬とゆく」をまだまだ続けねばの気持ちになります。

そんな事情で10月は埼玉県の飲食店をチェックした結果の修正ばかりです。
その他に一口コメントからの情報で宿泊施設が1つ。
10月の修正などは、飲食店が9つ、宿泊施設が1つ。
年間通算は75。(宿6、飲54、犬2、他13(公3、乗6、他3、コ1))

Woo Pee Cafe
埼玉県さいたま市浦和区にあったお出かけ初心者にも優しかったドッグカフェ。2016年頃閉店していたようです。残念。
情報が遅くて申し訳ありません。

アイトールカフェ
埼玉県蕨市にあったドッグランやトリミング、ペットホテルなども併設された施設の中のドッグカフェでしたが、今年(2024年)に入ってから閉店されていたようです。

内陸型リゾートカフェ水庵(すいあん)
埼玉県越谷市小曽川にある美味しいお米や野菜で料理を提供してくださるお店。
テラス席がペット可でしたが、現在テラス席を利用出来ないのでぺっト同伴はご遠慮ください、だそうです。残念。
埼玉のお米や野菜の販売もしています。
ブログが無くなっていたのでそれにも対応。

石窯パン工房パンマルシェ 南越谷店
埼玉県越谷市七左町(国道4号七左町信号近く)にあったパン屋さん。テラスで食べることも出来た。
この辺りが随分と変わったことは知っていたのですが、この店は2013年に閉店していることが確認できたので対応しました。

Cafe Mint
埼玉県の森林公園近くあったログハウスのカフェ。2011年に閉店したていたようです。
大きなドッグランがあるったので利用した人も多いと思います。
10年以上前のことに気が付くのが遅くて申し訳ですが、旧友と思い出話をする機会になれば幸いです。

リストランテ ピッコロフューメ 上尾本店(本名:レストラン・チャオチャオ)
確かな情報はありませんが、GoogleMapで閉業、食べログで掲載保留になっていますし、ネット上に利用者の情報もないようなので、閉店扱いとさせていただきます。

カフェ・ギャラリー山本屋又右衛門
2019年3月に「カフェ・ギャラリー」から「ミュニティスペース&ギャラリー」としてリニューアルオープンし、現在は飲食店としては営業していないようです。

穂高ドッグカフェN36°
リンク先が少しだけ変わっていたので修正。
久し振りにアクセスして404が出てきた時は驚きましたが、やはりここは営業していました。
カフェとドッグランの営業時間が違うのでご注意ください。

SCHLOSS(シュロッセ)
HPがplalaからjimdoに変わっていたので修正。
今のHPをよく読んでみると、店舗紹介(入店規約)のページには「わんちゃん優先のお店ではありません」と書いてありますが、ホームのページには「カフェデビュー応援しております」と書いてあります。
また以下の内容もHPに書かれています。
--
◎人もワンちゃんも自然と居られことを考えています。
◎飼い主とワンちゃんがずーっと長く幸せに暮らしていけることを願っています。
◎あなたと、ワンちゃんの笑顔のお手伝いができたらうれしいと考えております。
--
個人的にはこういう考えが好き。

下部温泉 元湯 甲陽館
以下の一口コメントがあったので調べたところ閉館情報を見つけたので閉館としました。
 - -
閉館?
HPリンク切れ
「このあたり」も表示せず
ネット上に情報無
 - -

 

今はもう11月。9月までは暑い日が続き、10月に入り過ごし易い日が出てきましたが暑い日もありました。11月も暑い日もありましたが例年並みの日も。もう冬が近づいているのを感じます(未だ近所の柿やイチョウの木は緑ですが)。年末も近いですね。

今年の冬は寒いのか暖冬なのか。個人的には暖冬であって欲しいと願いますが、東京辺りだと寒い冬くらいが元気な犬もいます。多くの犬(今は室内犬が当たり前という前提で書かせていただくと)にとっては寒いと辛いかも。でも靴(?)をはじめ色々がグッズが揃っている時代です。人も犬も快適に過ごせるよう工夫し、くれぐれも健康に気を付けていただきたいと願っています。

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2024/11/10

避難所運営は何故難しいのか、解決策は?

前回からの続き。

 
人間の災害対応の話。特に避難所運営の話。
結論は、それを進める行政の動きの話。そこが要になるから。

とてつもなく長いです。結論(私がいいたいこと)だけ知りたい人は文末だけ読んでください。それで納得できない人、詳しいことを知りたい人は長い長いそしてくどいしつこい私の書いたものを読んでください。

 

まず避難所を「利用する人」避難所を「運営する人」の感覚の話をしたいのですが、その前に人と人の関り方について。
その関係で、日本におけるインターネットの歴史も。

 

災害対応においてボランティアの力が大きい。避難所を運営している人たちも多くの場合、ボランティア。
日本においてボランティア元年と言われているのは 1995年(平成7年)の阪神淡路大震災の年。当時から現在まで約30年経ったことになる。ちなみに私は昭和の時代に成人し、阪神淡路大震災の当時、ぼ30歳。

1995年と言えば Windows95が発売された年でもありインターネットが身近になり始めた頃でもありましたが、日本ではダイアルアップ接続の時代で皆が身近に使うものではなりませんでした。私も今でいうところのインターネットではなくパソコン通信でネットを見ていた。
その2~3年後ADSLが普及し、個人の利用が広まっていきました。

当時、それまでの「報道はテレビやラジオのニュースと新聞」の時代から「ネットからの情報」へ変わり始めるだろうと言われた時期でもありました(「新聞がなくなる」と見聞きしたのを記憶しています)。インターネットが幅広く使われるようになると、見知らぬ人との繋がりはネットを使うようになってゆきました。
それ以前は雑誌に「読者のひろば」などのページがあったり新聞の2~3行の広告に、個人が住所・氏名を公開し仲間を募集することが一般的でした。

インターネットが広まると個人情報を公の場に表示することの危険性が強く指摘されるようになりました。なのでハンドルネームが一般的になりました。住所などの個人情報は公表しないし(それまでは著名人の葬儀に自宅住所が新聞に載ることもありました)、ネット上では実名を使わない。
私は1996年くらいまで実名を使っていましたが、ほぼ全ての人がハンドルネームを使うようになってしまったので仕方なく私も使うようになりました。

その後、ネットが普及し、個人がブログを立上げ、mixiのようなSNSが広く使われるようになります。今あるようなX(旧Twitter)やFacebook(こちらは実名が基本となっていますがそれが故、今の日本では不人気になっているとか)などが日本でも広く使われるようになり始めたのは、2011年(平成23年)の東日本大震災の少し前くらいなります。
ただし、この頃のモバイルネットワークインフラは(4Gでなはく)3Gでした(それでもダイアルアップ接続と比べ超高速と謳われていました)。

そのような時代に東日本大震災になり、電話が通じなくてもSNSなら連絡がとれたことを記憶している人も多いでしょう。

 

やっとボランティアの話。

 

東日本大震災以前からSNSをはじめネットの世界で仲間を募り被災地にボランティアとして向かう人たちがいましたが、東日本大震災の後からは特に活発になったように感じます。

その時、私は大きな違和感を抱いた記憶があります。
ネット上で人を募る人も参加する人もハンドルで使う。ネット上に実名を載せなるべきではないのは理解できますが、行動を共にする時もそのままの名前で呼ぶ人たちもいるとか。

あくまで私の感覚ですが、誰かと行動を共にする(例えば一台の車で移動する、同じ部屋で寝泊まりする)のであれば自分が誰であるか実名くらいは知らせるものだと思っていました。それは昭和の時代に成人を迎えた古い人間の感覚のようです(私の年代の人たちの間ではその様な時は実名を使う人が多い)。

個人情報保護法が公布・施行されたのが平成15年(2003年)なので、2011年には実名を明かすのは最低限にするのは当然の感覚だったのかもしれない。
とにかく、最低限の個人を示す情報だけ知らせるだけで活動出来る時代になり、その結果ボランティア活度も活発になったような印象を私は持っています。

そして今の時代も誰かと行動を共にする時、必要最低限の情報を開示すればよい。
随分と前からご近所付き合いはなくなってきていたし、個人情報保護の意識は高まっていた。その先にある今の世の中がこの様になったのは当然のことだったのかもしれない。

 

やっと避難所の話をしたいが、その前に世間一般の世の中の流れ。そして「今」はどうなのか。
災害対応、特に発災直後の避難所の在り方や被災者に必要なことを考えるにあたり、昔と今の生きてゆく最低限の違いを考えてみる。

 

昔は、何日間も水も食べ物も手に入らなくなるから自分の三日分くらいは用意しておきましょうと言われた(今も言われていますが)。
ちなみに私が子供の頃は、関東大震災(今は関東地震と呼ぶみたいですね)を教訓に災害対応が語られていた。関東大震災(大正12年、1923年)と私が子供の頃(昭和40年台、1960~70年台)は何かと違っていた。勿論、私が子供の頃と今とでも違う。

例えば物流。子供の頃にサンマやイワシのお刺身は見たことがなかった。産地から消費者まで運ぶスピードと技術がまだまだだった。物流だけでなく生鮮食品の保管一般についても。私が子供の頃、一般の食品が傷んでいるかどうかは自己責任だった。賞味期限や消費期限という表示はなかった(製造年月日はあった)。
関東大震災当時のことは祖母に聞いたことがあるが、私の子供時代と比べても世の中そもものが完全に別世界。食べ物にあたる人も珍しくなかったし、消化管の寄生虫も珍しくなかった。医療も(今と比べれば)発達していなかった。肺炎や結核(脊椎カリエス含む)で亡くなる人も珍しくなかった。

物流と言えば、道路そのものも今と比べれば脆弱だった。車そのものも。
今の日本には世界に誇れる水道システムがある。しかし地震で水道管や上下水道施設が被害に遭うこともある。それを復旧させるための重機なども今はとても進歩している。なので道路の復旧も昔に比べれば格段に速くなった。

また、私が子供の頃は、ヘリポートは自衛隊基地の中などしか見たことがなかった。今では大きめの公園で見ることもある。ビルの屋上にもそこそこあるらしい。

 

阪神淡路大震災以降の話として、災害が原因で水や食料が手に入らず餓死したという話は記憶にない。
今の日本に生きている健康な人であれば、水さえどうにかなれば二日くらいでは餓死しないだろう。
ある程度の商業地域であれば、そこに食料の在庫があるだろう(買い占める人はいるだろうけど)。そしてすぐに外部から水や食料が届くだろう。
余談になるが、東日本大震災の二日後に被災地に向かった時、停電が続く中、手作業で会計をしているスーパーがあった。

 

現在東京23区では在宅避難が推奨されている。関東大震災の教訓もあり耐震化が進んでいることで在宅避難が可能と思われる建築物が増えたからだろう。また延焼が起こらない街づくり、道路計画もされている。

長くなるついでに、また余談。東京の近代的な都市計画を本格的に進められようになったのは大正11年の東京都市計画区域の決定だと私は思っている。皮肉なことに、その翌年に関東大震災がやってくる。

 

今の時代の話に戻ります。
在宅避難は、自分の生活リズムを守りたかったり、個人情報をできるだけ知らせたくない今の人たちにはマッチした考えでもある。
在宅でなくても車中での避難生活を選ぶ人が少なからずいる。やはり同じ様な考えからことらしい。「いつも見ていたテレビ番組を観たいから」という理由で車中避難していた人の話をネットで見たことがある。これも食べ物はどうにかなる、死なない程度になんとかなると考えるからこそ出来ることだろう。

親戚や知人宅に身を寄せる人もいる。それまでどうにかなりそうなら在宅避難をするだろう。

どうにもならなければ避難所にお世話になるしかない。そのような人たちのために避難所があるのだろう。
(風水害時などの一時的な避難もありますが、大枠の話として。)

また、在宅や車中で避難している人たちに食料をはじめとする物資や情報などを提供する場所にもなる。
先の方に書きますが「地元住民が」物資や情報を得られる場所にもなる(なんのことか分からない人は先の方をお楽しみに)。

 

東日本大震災時の私の記憶から発災直後のことを思い出す。

 

前回書いた猿楽祭のシンポジウムで「想定外」という言葉が何度が使われた。珠洲市の副市長さんは「役場の人間としては使ってはいけない言葉ですが」と前置きしながら「多くの想定外があり、それを解決してゆくのが災害対応では重要」というようなことを仰っていた。実際そうだとおもう。

私は東日本大震災の時にペット関連の物資を送っていただく拠点でボランティアをしていた。そこに集まった物資を被災地に送り届ける人たちもその施設に出入りしていた。なので現地の話も聞くことができた。
役所はあらゆることを想定し準備していたが想定外の事態となった。決められたルールが無い状況になっている。勿論モノが足らない。出来るだけ調理が必要のない食べ物、暖かく出来る服や毛布、底冷えしないための敷物などが必要とされていたようだ(私はペット関連なので一般の方のことはあまり詳しくない)。必要とする所に必要なものが届かないことも報道されていた。

東日本大震災当日の夜、私が自宅周辺で見た光景についても書いておく。
都心で東日本大震災に遭った人であれば、夜中まで人がぞろぞろと歩いていたことを記憶にある人もいるだろう。我が家は都心からから少し外れているが、夜遅い時間に世田谷通り(片道一車線だが広めの道で町田まで続いていて周辺には戦後開発された住宅地が広がる)に凄い数の人が歩いていた。
あの日、時帰宅するために4~5時間で帰ることが出来そうなら(多くの人が帰宅困難者用の避難所の情報を得ることが出来なかったこともありますが)避難所などを利用せず帰宅することを多くの人が考えた。今のようにネットで地図アプリを見ながら歩くことが一般的ではなかった時代に。

可能であれば何時間かけても家に帰りたい(それは自宅が安全である前提であるけれど)。それは在宅避難を選択することも意味する。
それ以上の状況にならなければ避難所は必要とされない、と私は当時を振り返っても感じる。

 

やっと、今の避難所の在り方を考えてみる。

 

これから私が書くことは私の「想定」を基にしている。なのできっと外れるだろう。それでも書いておく。
何故なら誰が考えても「想定」にしかならないから(AIが考えても同じだろう)。災害関連のことに関心をもらうためにどのように呼びかけても、その人たちの「想定内」で考えること。

今まで書いてきたことを整理する。

・今の時代、誰かと連絡を取る時はネット。余程親しい人でない出来る限り個人情報を知らせたくない(そうするべき時代である)。
・基本的に他人にお世話になりたくない。
・大してお世話にならずとも発災後の2~3日間で餓死することはないだろう。
・その2~3日の後には生きるための最低限のものは手に入るだろう。
・どうしようもなくなった時、避難所にお世話になるかも。お世話になっても最小限にとどめたい。
・自宅が安全であると思えれば(避難所のお世話にならずに)何時間かけても帰宅しない~在宅避難したい。

これらを前提に考えたい。

 

避難所は「仕方なく利用する」もの

 

自宅はもう危ない状態、他に行く所がない、衣食住もままならい、これくらい困窮しないと避難所を利用しないだろう。
帰宅困難者、帰宅途中の人などの一時的な休息所というニーズはあるかもしれない。
それを先に考えてみる。

前回書いたが「地域の避難所は地域の人のものである」と行政が決めていることが多い。つまり帰宅困難者や帰宅をしようとしている人のことは考えなくていいとしている。もう少し正しく云えば(行政が避難所運営側に)「地域の人たちのお世話だけでも大変なのにそこまでお願いするのは申し訳ない」と考えているのだろう。

前回のシンポジウムで渋谷区が考える避難所の規模は、避難者一人当たり畳約一畳を利用すると考えて算出するらしい。それは住民の全てを考えると足りない。それ以上は受け入れられない計算になる。なので「お願いすることが出来ればしたいが、どう考えても無理なのでお願い出来ない」そのような感じなのだと想像しています。

しかし東日本大震災の時のことを思い出すと帰宅困難者・帰宅途中者の休息所、または仮眠所としての方が(都心とその周辺は)ニーズが多いのではないかと考える(参考までに猿楽町は都心といってもいい場所)。
多くの人が長時間お世話になりたくないし、皆さん忙しいのでゆっくりもしていられない。
それを日々実感しているのか、猿楽町の町会長さんは「帰宅困難者や帰宅しようとしている人たちを受け入れないことは出来ない」と感じているのだろう。

多くの人は町が壊滅的になること(大規模災害)は予想していないが、避難所運営側はそれを予想している。
多くの人は大規模災害が起っても帰宅したい。その時の休息所はあったら嬉しい。避難所運営側はその気持ちに対して(行政から与えられたルールとして)するべきではないとなっている。
行政が想定(計算?)できる範囲での大規模災害時対応は、避難所を用意してくれる人(避難所運営者)が少ないので、どうてしても(計画として)最低限になってしまう。
それに対して日々町に生き、町のことを考えている人は、この町を通る人の世話をするのは当たり前と考える。

 

この辺りの違いが、平時に災害時のこと、避難所運営のことを呼びかけるときに戸惑いにもなるし、届かない原因があるのではないかと私は感じている。

なので避難所運営は「多くの人が期待している避難所」と「行政や今まで避難所運営をしてきた人たちが考えている避難所」の二本立てで考え、呼びかけも行う必要があるのではないか
災害のこと避難所のことを呼びかける時は、まず「多くの人が期待している避難所」について関心・協力の呼びかけをする。
運営側の内部ではその考えに加えて「行政や今まで避難所運営をしてきた人たちが考えている避難所」のことも考え話を進め、それも平時から発信する。

 

帰宅困難者用の避難所や帰宅途中者向けの支援ステーションの存在は少し後ろの方に書きますが、私は詳しいことは知らない。それらの運営に携わっている人の話を聴いたことがないので何処まで考えてどの様な準備をしているのかわからない。

 

現在(今迄何度も書きましたが)住民用と帰宅困難者用の避難所などを別に考えている。

しかし現実を考えてみよう。
「自分がお世話になる避難所を確認しよう」という話はたまに聞く。
しかし通勤している人が、大規模災害時のことを考えた場合、帰宅困難者用の避難所や帰宅途中の支援ステーションまで具体的に確認している人がどれだけいるだろうか。それらが具体的にどこまでのことをしてくれるのか分かるのだろうか。
また、公共交通機関が止まるくらいの災害が起った時に、徒歩経路がどれだけ確実に確保できているか予想出来る人がどれだけいるのだろうか。
東日本大震災の時の東京のように公共交通機関は動かなくなるが道路は安全なのか。東北地方沿岸部のように人間の通行が危険な場所ができるのか。たぶん誰も考えることは出来ないだろう。

 

帰宅途中で休憩するような施設を一時滞在施設というらしい。東京都が発表している都立一時滞在施設一覧としてこちらのページがある。我が家の近く(でもないけど)の施設を確認する、長距離の帰宅者が使うであろう幹線道路沿いには少ない。

帰宅途中の人たちを支援する施設として「災害時帰宅支援ステーション」があるらしい。東京都はこの名前で呼んでいるが他道府県がどう呼んでいるか知らない。
こちらの施設、東京都の場合、学校、コンビニ、ファミレス、ガソリンスタンドなどを利用させていただくことになるらしい。
こちらは一時滞在施設よりも数が多いが、我が家の近くの施設を確認すると、東日本大震災の夜の行列を思い出すと足りないのではないかと感じてします。

東京都におけるそれら施設の確認はこちらのページで出来る。
左側の項目に「災害時帰宅支援ステーション」はありますが、避難所、避難場所、一時滞在施設の表示はありません。それらは「防災施設」をクリックすると表示されます。

また、都立施設を活用した一時滞在施設の 運営マニュアル も見つけたが、この通りに利用者の管理ができるのだろうか。
尚、一時滞在施設は「帰宅困難者を一時的に受け入れる施設」であり、帰宅困難者とは「公共交通機関が広範囲に運行を停止し、当分の間、復旧の見通しがない場合において、徒歩で帰宅することが困難な者」とのこと。つまり、帰宅途中の人は含まれない。

 

例えば帰宅途中で一時滞在施設でトイレだけ借りたい場合やほんの少しだけ休みたい場合も利用可能なのだろうか。その時も受付名簿等の記入など手続きが必要なのだろうか。それとも「災害時帰宅支援ステーションに行ってください」言われるのだろうか。

これら資料を見ただけでは、発災時の運営が想像できない。その時にならないとニーズが分からい。
夏なら夜通し歩き続ける人も多いかもしれないが、真冬だととても寒い時間帯は暖かい場所に入りたくなるだろうしトイレに行きたくなる回数も増えるだろう。その他状況によりニーズは変わるだろう。

どんなに準備をしても想定外のことが起こりニーズも変わり、運営している人が出来る限り柔軟に対応することになる(その人たちも被災者なのに)。今までの災害でもそうだったと聞いている。
(迅速にボランティアが被災地に入れたとしても、それは帰宅困難者が落ち着いた頃になるだろう。)

それでも想定内の考えで準備を行うことは大切。行政がよく言うように「一般の避難所の住民が利用するもの」と定めておくことも必要だろう。大規模災害が起ったら想定外の状況になり柔軟に対応すればいい。
一般の避難所に長距離帰宅途中の人が立ち寄った場合、そのような人たちを断っている姿を避難所を利用している人が見たらどの様な気持ちになるのか。トイレを貸してあげたり水分を補給させてあげた方が避難所の雰囲気もよくなるのではないか。

 

先に、「多くの人が予想している避難所」と「行政や今まで避難所運営をしてきた人たちが考えている避難所」の二本立て、と書いた。
後者については、今まで時間をかけて議論し準備してきたので改めて考える必要もないだろ。

前者について考えてみたい。

まず帰宅途中の人の利用

・トイレを借りる
・水分補給やカロリー補給に立ち寄らせてもらえると嬉しい
・情報の提供場所(提供方法、提供ニーズを改めて調べる必要があるかも)
・スマホをはじめとする「充電」スポット(今は服の中に電気による温度調節機能があるものもあるし)

一時利用である。そして個人情報を開示したくない人、出来るだけ他人のお世話になりたくない人も少なからずいるだろう。なので世話になることはちょっとしたことでいい。
何をすべきかがはっきり分かれば準備は出来そうだ(しかし想定外になる)。
一時利用であることを考えると、利用者に名簿記入を求めるのは如何なものか。それは運営側にも負担になる。
マイナンバーカードに紐づいたアプリで名簿記入の代わりになることが出来ればいいのかも。

一時的な利用はコンビニなどの災害時帰宅支援ステーションで足りるかもしれないが、それら施設の数が足りるのか疑問。
多くの人は、学校が避難所や避難場所、一時滞在施設であることを知っている。それらが帰宅中の人の一時利用も可能にしてくれれば混乱を減らすことが出来るような気がする。
 

次に、帰宅困難者の利用を考える

帰宅中の人との違いは、最低でも横になれるスペースを確保する必要がありそうだ。
また情報収集というよりも、家族や今後お世話になる人を探す連絡手段の確保。

帰宅中の人に加えて、要望として

・横になるためのスペース、底冷えしない場所、体を痛めない風邪をひかない程度の寝具がほしい。
・(スマホで連絡がとれない親戚知人との)連絡手段の提供があると嬉しい。
・飲料・食料がほしい。

利用者側はこんなところではないだろうか。

連絡手段については、避難所となる学校などのすぐ近くに公衆電話(電話ボックスでもいい)を作るようにすればいい。最近の若い人は公衆電話の使い方を知らないと聞いたことがある。教育のためにもあるといいのではないか。
日本の人が住んでいる島では必ず信号が一つはあるらしい。そこで育った子供が他の場所に行った時に信号を知らないと困るという理由でそうしているらしい。それと同じ考えて小学校の近くに作る価値はあると私は考える。

受け入れ側は、受け入れが出来ないほどの人が来た場合のことや、配慮が必要な人たちの受け入れ方法なども予め考えておかねばならないし、行政など関係各所との連携も必要だが、それらは一般の避難所も同様のはず。

ある程度は先に紹介した東京都の資料も書かれている。
考えることは出来ても実践するのは大変である。運営を始めれば想定外のことも起こる。

それでも避難所を運営する人たちは考え準備せばばならい。なので不人気。

 

もし商売だったら?

 

60年近く生きていれば、ただ考え研究しているだけでは長年実現しなかったものも、商業ベースにのるとあっという間に実現することもあることを知っている。その感覚で考えてみたい。

やはり多くの人に目を向けてもらうことが必要。身近に、魅力的に感じてもらう。そして「あなたは必要としていいますよね」と語りかける。

「東京都心とその周辺だけ」の話になってしまいますが、帰宅中の人や帰宅困難者用の避難所運営をもっとアピールする。東日本大震災後、さかんに行われていたこは記憶にありますが、今はもうほとんどの人が忘れているのではないか。
行政は「帰宅困難者や一時的な利用者のお世話を一般の避難所を運営している人たちにお願いは出来ませんが、参考までにこれらの情報も提供しておきます」程度の動きをしてもいいと思うし、やはり一時滞在施設や災害時帰宅支援ステーションをもっとアピールしたり増やす必要があるのではないかと感じる。

今まで、一般の避難所に一時的な利用も可能なルールにしてはどうだろう書いてきましたが、逆にしてはどうだろう。商売だったら、そう考えるとおもいます。

つまり、行政は一時滞在施設をもっと増やす活動をし、それらが学校など大きな施設であれば、ある程度の数の地域の住民も受け入れる。その様にした方が、幅広い人に身近に魅力的に感じてもらえるのではないか。

この形にすることで数も増やせるだろうし、住民に限らず在勤の人も避難所運営に携われる。

そうなれば、一般の避難所との垣根を取り払ってもいいだろう。
学校と言っても高校や大学などになれば、そこにはそこの生徒学生は住所がなくても、そこの運営を手伝うことは彼らにとって大きな経験になるのではないだろうか。

別の表現をしてみる。
現在の避難所運営は住所を基準に考えている。つまり居住地基準。
それよりも勤務地や学校を基準に考える。活動地基準。
活動時間を基準に考え、自分たちが帰宅困難者になればその対策(避難所などの運営を含む)も考える。そして余裕があれば地域住民もお世話する
その様な考えにするのがいいのではないか。

活動的な体制になり易いし、議論の機会も得やすい。

学校に学校関係者以外は入れたくないという考えがあるのかもしれませんが、避難所運営は特別と考えてほしいと願っています。
また、活動地基準と考えるのであれば、学校以外の施設を今まで以上に避難所に活用することを検討出来るのではないか。

書いてはいけないことかもしれませんが、読む人なんてほんの数人だろうから書いちゃいます(太字にしたい気持ちですが注目されたくないのでしません)。
今の小学校(避難所に指定されているのは小学校が多い)は「力を合わせ楽しいことをやる仲間が集う場所」ではないと聞いている。子供達だけではなく保護者同士も。先生方も。
そのような場所よりも職場や、もっと言えばレジャー施設で避難所運営団体を作った方がいいのではないか。

 

これが現在考えられる(想定内の)避難所運営を今以上に多くの人に関心をもっていただける、そして協力してみようかなと考える人も増える方法だと私は考えています。

書いている自分でも裏付け情報が欲しい部分も多々ありますが残念ながら持ち合わせがりません。なので、私の想定内からの思い付きという妄想レベルの話になります。

あまりにも現在の考え方と違うので、検討することすら簡単でないことは理解しています。
だからこそ書いてみました。たぶん心の中で同じ様に感じている・考えている人はいらっしゃると想像しています。その方たちの代弁の意味でも長い長い(&拙い、読み難い)文章を恥ずかしながら書きました。

タイトルに「避難所運営」とだけ書き日本全国のように読めますが、東京都市部とその周辺だけの話になってしまいました。
都市部では、ご近所付き合いはなくなってきていますが、学校活動・経済活動・レジャー活動・市民ボランティア活動は活発に行われているので、このような考えで検討する価値はあるのではないかと考えています。もしかしたら東京都市部に限らず他の地域でも当てはまるのでは。

  

今回はとてつもなく長くなりましが結論(私のいいたいこと)はこの程度のことになりました。

避難所運営について詳しい人が読めば突っ込みどころいっぱいの夢物語かも。

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2024/11/05

猿楽祭シンポジウム「防災はコミュニティをつくる」

前回前々回と11月3日開催された世田谷動物フェスティバル関係の内容を書きましたが、その前日、11月2日に開催されたタイトルのシンポジウムを拝聴してきました。これはペットのではなく人間の防災の話。

 

猿楽祭とは東京都渋谷区猿楽町という町のお祭り。ホームページはこちら
猿楽町の最寄り駅は代官山。猿楽町の中でも代官山駅に近い場所にヒルサイドテラスという施設群があります。私は長い間、これらの施設群の存在を不思議におもっていました。こんな素敵な施設群を造り維持し続けるにはどうやればいいのか。しかし深く考えたり調べたりすることはなかった。
今回はシンポジウムは、この中のヒルサイドプラザで行われた。ここの存在も私にとっては不思議で仕方なかった。

 

イベントの告知ページはこちら
私もここに書かれたメールアドレスに申し込んだのですが、見ての通り申込み専用ページもなければ、申し込みに必要な事項が書かれてもいないので「これでは人が来ないのでは?」とおもった。

いつもなら代官山へはバスである程度行き20分くらい歩くが、家を出る頃は雨が降っていたし、帰りの時間は雨が更に強くなる予報だったので電車で行くことにした。
慣れない行き方だったので余裕をもって出たので早めに着いてしまい入場一番目になった。開始30分前からの開場で来場者はまばら。
と思っていたら開始時間の10分前くらいから席が埋まってゆき、開始時には9割以上の席が埋まった。シンポジウム終盤、来場者に在住在勤の人に手を挙げていただく場面がありましたが、半分以上の人はこの地域に係る人のようでした。

 

注目すべき点は、能登半島の先端にある珠洲市の副市長さんのお話をきくことができること。冒頭「過疎×高齢×半島=能登半島地震」と説明があった。
能登半島地震は今年の元旦に発災した。この2~3年大きめの地震がままあったので16時6分の地震は「またか」と思った程度だったとか。そして16時10分に本震がやってくる。
過疎・高齢の地域なので復旧以前に被災現場処理もままならない。援助の手も半島であり限られた経路も大きな被害を受けてすぐには元通りにはならない。元通りになっても住民の移動や援助の人の行き来だけで渋滞が続いた。

そのような事情があり他の震災よりも復旧に時間が必要になる。まだまだ復旧の最中の9月21日に豪雨災害に遭ってしまう。仮設住宅にやっと落ち着いたとおもったら床上浸水した人もいるという。

この様な話を聴くまでもなく「副市長さん、地元にいなくていいのか?」と思っていた。
お話の中で、多くのボランティアや行政の方々が支援に入ったことが語られる。日本中に能登に力を貸してくださっている人たちがいる。その人たちに現状をお知らせするのも必要だし、今後さらなる支援の機会を作る必要もありそうです。そのためには必要な上京だと言えそうです。

 

代官山の地元の人ではない人として、斎藤兼一(渋谷区危機管理対策監)さんもお話をされた。
今まで渋谷区で災害関係の話になるとこの方が話されることが多く、何度も話を聴いていますが、多方面の話を聴くことができるのが有難い。今回は発災後の現場について、とその後の行政の立場についてを中心に話を聴くことができた。
この方は、元自衛官で北海道の胆振地方中東部地震の時、指揮を執った人らしい(参考)。大きな災害が起きる度、自衛隊の有難さを実感しますが、今回は自衛隊時代の話も少し聴くことが出来「表ではあまり語られないけどやはりそうだったのか」と感じた話もありました。

 

そして地元の方々が防災に関する現在の課題を話合ために、各々の今までの経験談があった。
印象的だったのは北川フラムさんの話。防災を考えるきっかけは1964年の新潟地震だった。当時現地に暮らしていて「これは大変なことが起きた」とおもったらしい。しかし日本では災害時に限らずボランティア文化が脆弱だった。それを変えたくて動いていた。動き続けている時に阪神淡路大震災があり、藤本義一さんらと「被災地とボランティアとの関係」について考えた活動をすることに心を砕いたそうです。
1995年の阪神淡路大震災がボランティア元年だと言われていまますが、このような背景があったことを今更ながら知った。

北川さんの仕事はアートディレクター。ネットで「北川フラム」と検索すれば多くの記事が出てくる。単発だけではなく、芸術活動を地域の文化に根差すための活動を幾つも成功させ、日本でも幾つもの賞を受賞されていますが海外からも賞を受けているほどの人。

北川さんのように機会があれば積極的に活動している人でさえ、災害対応と地域について悩み続けている。前回、世田谷区の話として「訓練をやったとしてもその時だけで、それ以上の広がりがない」と書いたが同様の話も出た。
大規模なイベントを幾つも成功させてきた人でさえそうであることは、改めて「難しい問題」と思わずにはいられなかった。

 

北川さんの会社はヒルサイドテラスにある。そのヒルサイドテラスの管理を行っている会社の代表である朝倉健吾さんも出席されていた。
この名前を見て「なるほど」と納得した。ヒルサイドテラスの向こう側に異世界にも感じる大きな瓦屋根の建物がある。地図で旧朝倉家住宅とは知っていたが、単なる歴史的建造物なのだろうと思っていた。

今回の会場であるヒルサイドプラザの存在に驚き「これを無料で開催できるのか」と更に驚きましたが、この様な方が防災に積極的に携わってくださっているからこそ実現しているのだなと実感しました。

朝倉さんの隣には、猿楽町町会の会長さんがいらした。
私は一番に会場に入ったので目立ってしまったのですが、慣れない会場に少々戸惑った。そんな時に声をかけていただいた。もちろん初めて会った人である。
シンポジウム中も「行政の決まりとして、避難所は住民のものとされているが、私たちにはそれは出来ない。ここで働く人、帰宅しようと徒歩で歩いている方が避難所を必要とするなら提供する」と発言していらした。正にそのようお人柄。

「訓練度をやっても(単発の)イベントで終わってしまう」と嘆く話題があった。それと関連していると思ったことが町会長さんの「町会の運営、避難所の運営の中心人物は皆80歳以上」と(災害時対応だけではなく)地域活動に幅広い人たちに関心を持ってもらえないと嘆いているようでした。

 

他には、代官山ステキなまちづくり協議会の方、代官山T-SITE館長、地元で積極的に活動している防災士の方(60代ですが若手ということになるのかも)なども出席されていました。司会の方も(北川さんの会社の人だからか)災害時のことに関して詳しい印象を受け、私としては安心して聴くことができる進行でした。

出席者のほとんどの人が災害対応に強く心を傾け、多くの経験を積んできた人たちであり、そのような人たちの個人的な体験、感じ方を聴けたことは収穫でした。

会場に行くまでは「どんな人がどんな話をするんだろう」とおもっていましたが、猿楽町という町に貢献しようとする力強い人々の存在に驚き、それと同時に、その様な人たちでも災害に対して一人の人間として心を痛め悩みながら尽力してきた話を聴けたことは大きな収穫でありましたが「やはり難しい問題」と捉えるしかないのだろう、と考えずにはいられなかった。

 

このシンポジウに足を運んだ理由は「防災はコミュニティをつくる」のタイトルを見て。
防災にはコミュニティの力が必要だとおもう。また能登半島地震の話の中でも「発災直後何処に誰が住んでいるのか(日常から)把握できていたので不明者の洗い出しは早かった」「被災者の暮らしを考えた場合、地域(コミュニティ)を考慮する必要がある」などの話がありました。それらは今までの大災害後にも聞いてきた。

「コミュニティが防災を確かにする」ではなく「防災がコミュニティをつくる」に興味をもったのですが、それについては収穫を感じるものはなかった。私の理解が足りなかったのかも知れませんが話を聴いた印象として、猿楽町という地域の下地をしっかり支えようとしてくださる人たちがいる地域でさえ、幅広い世代、生活様式の人たちを巻き込んだ防災活動に発展させるのは「難しい問題」であると感じた。

 

人間だけの対応を考えてもそうであるなら、ペットに関しては更に難しい問題になる。
何故「難しい問題」なのか、ここ数年考えていることがある。

それを次回書いてみたい。

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2024/11/04

ペットの災害時対応 @ 世田谷動物フェスティバル

11月3日に開催された世田谷動物フェスティバルで聞いた話、その2。

災害時にペットと暮らしている人は、避難所に行くべきか、それとも在宅避難するべきか。
世田谷区は東京都よりも先に在宅避難を推奨してきた。区なりの計算で、避難所が人間だけでもいっぱいになってしまうから。また、耐震・防火という意味での街づくりがある程度出来ているからかもしれない。

しかし家が危険な状態であれば在宅避難は出来ない。遠くの親戚などを頼れるのであればそうすればいいが、家が危険な状態であれば遠くへの移動が困難であることも多いだろう。その様な場合は避難所に頼るしかない。

世田谷区の考えは「避難所に来ないで」というより「どう考えても動物のスペースを確実に確保するのは難しい」という計算かららしい。他に行く場所がない人を拒むようなことをしないというスタンスのようです(決めるのは各避難所ですが)。

そのようなことは、10年くらい前までやっていたラジオのボランティアの関係で知っていた。
当時から感じていたことは「熱心に動いている人たちはいる、しかし各避難所運営組織、さらには地域全体が興味・関心をよせてくれない。訓練をやったとしてもその時だけで、それ以上の広がりがない」。

 

世田谷動物フェスティバルにて、獣医師会のペット防災担当の先生にお話を伺いました。こちらの先生は数年(もう10年近くになるかも)前から地域の避難所の運営に関わり、その後獣医師会でペットの災害担当になったようです。

もちろんこの先生だけでなく、区内で活動しているボランティア団体もあります。フェスティバル当日は獣医師会の災害対応関連とそのボランティア団体が1つのテントの中でパンフレットを配布したりしていました。
熱心に活動を続けている方たちは長年やってきているだけあり、知識・情報は積み重なっていることを感じます。しかし先ほど書いたように、広がらないというか歯車が回らないというか。

そんな状況が長年続いていました。

世田谷区は昨年「第2次 世田谷区 人と動物との調和のとれた共生推進プラン」を発表しました。
この中にも「区の役割」として「災害時の備えに関する啓発やペット同行避難にむけた体制整備等を推進します」とあります(フッタで12ページ、PDFで16ページ)。
またこのプランの中には「(2) 災害時の動物救護体制の充実」というセクションがあり(フッタで33ページ、PDFで37ページから)、区の基本的な考えが書かれています。この中に「③被災動物ボランティア制度」についての説明もあります。

その割には区としての後押しが弱いのは変わらなかったようです。そこである議員さんが中心となり、ペットの災害時対応についても力を入れていただくように要望し、ある程度形になったとのことです。

私が今まで見聞きしてきた経験から、この段階からなかなか次の展開へと進めないことがほとんど。だからこそ、より強い後押しが必要なのです。

難しいのは幅広い人に関心を持っていただくこと、そして協力とはいなかくても何かしらの関係をもち続けていただくこと。関係をもっていただいた人の中から協力してくださる人が出てくるのではないかと考えています。

 

各地域でペットの災害対応の輪が広がることを陰ながら祈っています。

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2024/11/03

高齢犬表彰 @ 世田谷動物フェスティバル

ここ10年くらいゆっくりと世田谷動物フェスティバルを楽しむことができなかった。今年はしっかりと見てまわることにした。

特に見たかったのが高齢犬表彰。我が家の犬も表彰してもらった。このお祭りの高齢犬表彰は、15歳以上であれば命ある限り毎年表彰していただける。我が家の犬は、残念なことだが15歳の一回だけだった。

今年は6頭ステージ上に上がった。
最年長は21歳、前年も表彰していただき、この一年変わりなく過ごすことが出来たとのこと。

 

このお祭りの主催は、東京都獣医師会世田谷支部と世田谷区となっているが主に獣医師会の先生方が動いてくださっている。
そのような事情もあってか司会の方は、最近の健康状態、日常のケアのことを飼い主さんにお話していただく。多くの飼い主さんが「何かおかしいんじゃないかと思ったら動物病院で診てもらう」と応え「病院はどちらですか?」となる。ステージ周りにその病院の院長先生がいることも。

宣伝っぽいと言われればそうかもしれないが、高齢の動物と暮らしている人にとって信頼できる先生の存在は大きい。
話に出た病院にお世話にならなくても、具体的な名前が出ることで病院選びを積極的に考え直す人もいるだろう。

高齢になると「病院で診てもらう」になるが、若い頃も何かが違うと感じたら何かしら対処する、その習慣が身近な動物たちとのよりよい生活をつくる。病院行くほどの体調不良でなくても毎度正しく対処してあげることが出来れば、犬はそれが原因で不機嫌になることもない。
「は?」とおもう人は多いと経験上理解していますが、多くの飼い主からの相談を受けた経験上、それが原因であることも少なからずある。また(こればかりは仕方ないが)「いつもとの違い」が分からない人もいる。単純な例として視力(特に動体視力)が弱い人はその傾向がある。
出来るかどうかは別にして、気持ちを持つことは大事です。

 

今年の世田谷動物フェスティバルは会場レイアウトも変わり「今までと違うな」と感じた。メインステージが木陰になるような配置になっていた。また、いつもより利用している場所以上に広く使っていた。公園を広く使ったことで「お客さん、少なくなったような」と感じたこともありましたが、動物フェスティバルに関係なくお子さん連れなどで公園にいらしている方たちも多かったため、公園内全体としては毎年よりも人が多い様な気がした。
 

参考までに昼食は、砧公園隣の大倉第二運動場の室内施設内にある レストラン・クーポール(お手頃価格の洋食屋さん)を利用。ここはおにぎりやお弁当なども売っているのでそれを砧公園で食べるのもいいかも。
犬連れの人はファミリーパークに入れないので辿り着くまで一苦労だし、一人だと室内施設に入れないので犬連れの人は事実上無理かな(役に立たない情報でごめんなさい)。

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2024/10/28

多方面の知識に出会えたから得られた新しい認識

前回の続き、はじまりの書込みはこちら。長い連続もの。

ある記事がすんなり読めないことから始まりましたが、あちらこちらに話題が飛んでしまいました。
今回は、思い切りあちらこちらに話題が飛んで、そして得られた認識の話。

何故私が、動物関係の話は「AはBである」で話を進めて欲しくないと考えるようになったかを理解していただきたくて、この先書きます。
「AはBである」的に表現すれば、「生き物のことはどんなことでも多方面に繋がっている」ので「繋がった先についても知り考える必要がある」。もっと単純に表現すれば「生き物のことはどんなことでも個々の事象で語れない」。

 ~ ~

その考えで諸事見聞きしてきて「なかなかいいことを理解した」とおもったこと。

「命」とは、が少し分かった

そんな内容でもあります。

 ~ ~

 

前提として、ここを読んでくださっている人は、動物と暮らしていたり、暮らしたいと考えていたり、より善く共生する方法を探している人だと想像して書いています。

 

 ~ ~

(はじまり)

動物と暮らしていれば「食べ物」を提供することになります。栄養のことを考えて、体に負担になる化学物質などを出来るだけ入れないように、など考えることもあるでしょう。
私もそこが始まりで食べ物、栄養などある程度勉強し実践した。そのずっと後に、糖尿病の猫と暮らし考え方をもっと掘り下げることになった。


 ~ ~

(話が飛ぶように感じるとおもいますが我慢して読んでください)

科学者が生命体と非生命体の線引きは?を説明する時、細胞膜ミトコンドリアをあげる文章を何度か読んだことがある。正直に書くと知識が乏しく理解できなかった。

しかし、我が家にいた猫が糖尿病になり、関連の勉強をはじめると、細胞膜やミトコンドリアは生きてゆくために必要なエネルギーを「蓄えた物質」から「エネルギー」に変換するために必要なものであることを知りました。

 ~ ~

(話があちこちに飛びますが我慢してください)

原始的な生命体は、体の外から染み込ませるように体の中(細胞壁を通して)に養分を吸収します。吸収した養分を蓄える形に変えからエネルギーにするか、直ぐにエネルギーの元になるものとして使う。外から得て直ぐに使うにしても自前のエネルギーを使い、自己の判断で動くことが出来て、個体として活動することができます。これを生命体の条件とする説があります。

 ~ ~

ウィルスは生命体ではないと言われることがあります。それは前述の動きではないから。

宿主のエネルギー利用構造を利用し、化学反応を繰り返しているように見えます。
栄養(エネルギーの元)を得て、活動(増殖)しているのではなく、その環境の状態によって増殖できる場合もあると私は理解しています。
人間の行動思考的な表現になりますが「自分に都合のいい状況を探したり作ったりする能力はない」「彼らの活動は環境に左右される」「環境による産物」そんな感じだと思います。

ある環境(状況)になると起こる科学反応のような増殖の仕方なので非生命体と言われたり、ボーダーラインと見られたり。

人間は、「命」か否か考える場合「個」として存在しているかを判断基準にする様です。昨今の「多様性認める社会」はこの延長線にあるのでしょう。

「食べるもの」よりも「外部からエネルギーの元になるものを取り入れる~それを自分のものにする」行為に注目する必要を感じた時でした。

 ~ ~

(さらに別の話になります)

糖尿病の猫がその運命に抗えず命尽きた後、「サピエンス全史」という本が流行りました。人間の祖先は幾つかの系統があるようですがホモサピエンスが他の系統を滅ぼした。何故それが出来たか、そのような内容。それの漫画版をいただいたので読んだことがある。しかしどうも釈然としなかった。

人間は何故、この惑星の中で君臨できる地位に辿り着いたのか。よく「火」と「言葉(そこから生まれる社会性~文明)」を得たからと言われますが、それだけではないような気がしていた。

一時的にでも流行ったのでネット上にも情報が溢れていた。その関係で「料理」が人間(ホモサピエンス)を特別な存在にしたのではないか、と論じる内容があった。始めは「?」であったが納得した。

食事というより、体外からエネルギー源を体に入れることは、非常に大きな仕事であることを認識していない人がほとんどだろう。人間や肉食動物、雑食動物などは消化管がストレートななので単純作業だとおもっているし、人間は食べた後の負担をそれほど感じないからだろう(それは料理のお陰)。

草食動物は、複数の胃を持っていて反芻するものもいれば、盲腸便と言われる便を排出し、それを再び口にして消化する動物もいる。そららの動物は体内に微生物を共生させて消化をさせてもいる。馬のようにストレートな消化器構造のものもいるが、それでも微生物のお世話になりながら大きな腸で頑張って消化している。とにかく(人間に比べると)面倒なことをしている。
反芻をご存知の方も多いとおもうので、それで話をすれば、何かを食べて口から食道に流れた後も反芻という面倒が作業がある。それのためによく休んでいるように見えるが、体の中はしっかり仕事をしている。体に負担がある作業なのである。

馬のようにストレートな消化管の動物も負担なしに消化ができるのではない。消化するには体力(エネルギー)を必要とする。この負担が生きてゆく上で大きい。
ちなみにサルの仲間でも植物を主食としているものには反芻を行うものもいると読んだことがある。動物は、植物をエネルギーや体の材料にすることは、面倒で大変なことなのだ。化学を勉強したことがある人ならなんとなく分かるとおもうが、植物の分子を動物が使える分子に変える(代表的なもので言えば、糖類をタンパク質に変える)作業を人間が実験室の中で行おうとしたらとても大変な作業なのだ(そもそも糖類の分子だけではタンパク質は出来ない、他の物質を持ってこなければならない)。

 ~ ~

化学云々ではなく、人間の歴史を振り返り「原始」と言われる時代のことも想像してみてほしい。
当時は木の実や草をそのまま食べたし、動物の生肉、腐肉も食べただろう。その消化時の体の負担を考えてほしい。
今の人間が同じことをしたら、負担が大き過ぎて下すか吐き出すだろう。それは体が「ダメです、私の能力では消化できません」と言っているなのです。

 ~ ~

この負担を著しく軽減したのが「料理」。消化の多くの部分を体の外でやることに成功した。
細かく切ること、火を使うこと、その他の方法で、人間の体の負担を減らす(消化吸収しやすいかたちに変える、負担になる微生物の侵入を抑える)方法を手に入れた。

 ~ ~

原始の世界では暴力で他を駆逐し、自分たちの力を広げてゆく。その時、日常の作業であり生きてゆく上で絶対に必要な「食べる~消化する」の負担を著しく減らすことが出来れば、これは他の種族に対して大きな優位性になる。つまり戦い(闘い?)に有利になる。
その結果がホモサピエンスをこの惑星の生き物の中での頂点へと導いたと考える様に私はなった。

 ~ ~

(また話が飛びます)

約30年くらいという遠い昔の話になる。

我が家に犬がやってきた。訓練(今の言葉ならトレーニング)を素人なりにやった。訓練が容易と言われている犬種だったので、多少の間違えは許してくれた。なので訓練をする側としての要点が分かり易かった。
当時感じたことの一つとして、報酬として与えるオヤツによって効率が上がるが、それは単なる嗜好性だけの問題ではないと感じていた。体にいいと言われるものを与え続けていると表情も明るくなり、モチベーションが上がるのが分かる。特別嗜好性が強くなくても。
嗜好性が強いと言われるものでも「これの何がいいの?」と思うものもあったし、妙な興奮をするものもあった。

 ~ ~

ところで、人間は何故、グルタミン酸やグリシン、アラニンというアミノ酸を「美味しい」と感じるのか。それは人間の体を作る材料になり易いから。同様に、エネルギーとして蓄えることができる単糖類も美味しいと感じます。なので吸収し易い。

これは、先の「植物の分子を動物が使える分子に変える」話を思い出していただければ理解できるとおもいます。

逆に消化吸収に労力が必要なものとして植物の繊維質がある。草食動物が主食にしているようなもの。
生野菜(特に葉物)にはドレッシングをかける人が多いだろう(私はかけないことが多い)。体が「食べ物として受付けたくない」と感じているからなのかも。
それでも食べるのは、消化管を通っても小さくならないのでお通じにはよかったりするから。繊維質の定義は幾つかあるので一概には言えませんが、吸収はされないと考えていいと思います。どちらかと言えば、他のものを道連れに排出する傾向があります。

 ~ ~

体の外部から食べ物を口に入れ、消化されて体の中に取り込まれる。その後、体の材料にするために、またはエネルギーにするために、できるだけ(分子構造を)変換せずに使えれば体への負担はとても少なくなる。また、余計なものが入っていないので、消化や変換時の間違えも少なくなる。

変換時の間違えで影響が出てしまう代表的なものが、一時期話題になった「環境ホルモン」と呼ばれるもの。吸収時に誤解をし、吸収しないくてもいいものを吸収したり、別のものと捉えて変換ミスしてしまったりする結果、内分泌かく乱が起きると私は理解しています。
これらのことは結果ですが、対応に慣れていないものに対応することはそれだけで負担です。

このような負担を軽減出来れば体も軽く、やる気も出易くなるのでしょう。

 ~ ~

現在はオヤツを使う訓練方法が主流です。なので色々なものが出ています。
ネット上で「これいいよ!」と言われれば使ってみようと思う気持ちは分かります。その時に、今まで書いたような視点で選ぶことで犬の健康状態は変わり、訓練の効率、日常の表情も変わってくるのです。

このようなことを体験として理解していましたが、糖尿病の勉強とサピエンス全史という書籍(漫画)に出会い、考えたことで理解が深まりました(実はもう一つ「京都大学 アイデアが湧いてくる講義」という本も)。

 ~ ~

自前のエネルギーを使って個として活動するのが生命体だと世の中は定義しているようですが、それは難し過ぎて「そうですか」で終わりでいいと思います。

日常の生活を輝かせるために食べる物についてよく考えることが必要で、それがQOL(Quality of Life ~ 生活の質、命の質)を上げることに繋がる、そんなことを理解した。

その時に「このオヤツには何が含まれている」と表示されていることだけではなく、それ以外についても考える必要がある。体に負担になるものが含まれていないか、それは書かれていないこともあるので、想像・予想しなければならない。

そのようなものがあまり含まれていないものは、加工品ではない肉や野菜。それらも薬を使って育てたのであろうからゼロではないが、加工品にするために必要になるものは入ってこない。そこは大きい。

 ~ ~

「AはBである」の羅列に慣れてしまっている人たちには、このような思考はないだろう。
だからなのか(身近な動物の飼養について私からみると)不思議な行動をとっていることがある。しつこく調べていくと、そう思わせる単発の情報がある。ある一つの情報を自分に都合のいい解釈をし「できた~!、みつけた~!、お手軽で素敵!」となることが多い様です。

私はその様な人たちを責めるのは難しいと考えています。何故なら「そううい時代だから」。今回のきっかけになった(公益財団法人が出している)機関紙でさえも、私が強い違和感を感じるような書き方をしているのですから。動物のことに限らす、そのような書き方が情報提供側として当たり前になっている。

私は「動物に関しては、それでは何かと問題を起こすことになるのでは?」と言いたい。
そのようなことを考えていないように見えても問題を起こさない人もいる。そのような人たちは人生経験の中で必要な情報(または経験)を得ているからだと私は想像している。

全ての人に動物との問題のない生活を送っていただくには、網羅的な情報提供が必要ではないのかと考えるのですが「どうやって?」と言われると困っていまう。情報提供があっても、受取る側の皆さんは時間がない。

自身の身体につてい、身近な動物との付き合いについては、今までにはない情報提供スタイルの模索が必要なのでは、と考えている。

 

 ~ ~

 

今の日本では「AはBである」的な言葉を参考にする人が多い。忙しいので仕方がない。個人の行動はそれでいいだろう。

しかし社会の話となるとそれではよろしくないだろう。複数の人たちが関係する。幅広い人たちに受け入れてもらうには、基本的な知識や歴史、調べられたことなどを理解した上で議論する必要がある。その上で前進しなければ後から突っ込みが入り、後戻りしなければならない。

(あの機関誌の「犬や猫の引き取り」の説明のように)結論を急ぎすぎるような説明の仕方を多々目にすることが多く、そのような話で社会を進めようとすると、現状さえ誤解し、次の着実なステップを見付けられなくなる。
確かな次の一歩を得るためには、過去を十分に振り返る必要がある。過去が多くのことを教えてくれる。

余談になりますが、AIとは人工知能のことらしいですが、実際はビッグデータを整理したものからの抽出だと感じることが多々ある。つまり、既に一般化された知識や過去の出来事(インターネット上にあるデータ)からの集計や予想。なので、あの機関誌の様な書き方が溢れている現在(それを集めた結果は)「知能」と呼ぶには違和感のある内容が表示されることもある。

特に日本語でAIを使った場合(日本人は過去の資料を漁らないためか)「えっ?、こんな答えを返してくるの?」と驚いたことが何度かある。狂犬病については私が漁り始めた頃よりも漁り続けたら随分とましになってきた(私以外にも漁り始めた人がいるのだろう)。

AIだって過去を学習し、それをまとめている。それを人間やるか、AIが出してきた答えを見極めることができる知識をもつか。未来を考える時は特に。

 ~ ~

あくまで理想の話になりますが、命に係わることは全て繋がっているので何かを調べたらその周辺も調べてみる気持ちがない人は、生き物、特に犬は迎えることは慎重に考えてほしい。
その辺りのことを理解した人が多いのか、犬の飼育頭数はこの10年くらいは減少し続けている(ペットフード協会による推計)。残念にも思いますが、そうなるべくなったような気もします。

行動、特に発言を慎重に考えてほしいとおもう人たちに、動物愛護活動という社会活動を行う方たちがいます。社会的影響力のある活動家の方々には、公の場で発言するときは、そのような意識をもって発言していただき、結果的にミスリードにならないかをよく考えていただければと常々願っています。

 ~ ~

 

今の日本は、動物に関わること全般に基本的な知識や情報を集めない傾向を感じています。
影響力のある個人の直感的な発言を定説だと強く思い込む人もいます。

この傾向が改善されることを祈り続けています。

そして着実な次の一歩を一つずつ得られることを願うばかりです。

 

今回は読むのに疲れたとおもいます。
それでもここまで読んでくださった方がいらしたら、心から感謝いたします。
ありがとうございます。


長いですね、くどいですね、
いいかげん、おわりにします(笑)

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2024/10/24

今時の書き方をしない私

前回まで「狂犬病対策としての犬の抑留」と「動物の愛護及び管理に関する法律の犬や猫の引き取り」は違うことから始まり、狂犬病対策の中で犬の抑留がどれだけ効果を上げてきたかを書きました。

その書き方は(随分と端折ったつもりだが)今時の簡潔な文章ではない。
「こちらの資料に書いてある」的なものも多々あり不十分な説明と感じた人も多いだろう。それは簡潔にしようとしてしたことではない。
何故、そのようにしているのかを今回は書きたい。

 ~ ~

別のテーマで簡単に説明しょうとしたのですが簡単で出来なかったので、それは別の書込みします。 

簡単、簡潔に書きます。

現在、狂犬病予防接種を軽視する人が少なからずいます。ワクチンのリスクがあることは別な話です。それはそれで考えて狂犬病予防接種をはじめとする狂犬病対策の重要性を考えてほしいのです。
それを考えるにあたり、最低限以下の事項を知り、それらについてある程度の知識がなければ判断できません。

・狂犬病という病気を人間はとても古くから認識しているにもかかわらず、発症前の検査、発症後の治療方法が分かっていない
・日本では長年狂犬病の感染事例がないので、医師も獣医師も対応に時間がかかる可能性がある
・検疫はしっかり考えられているものだと思うが「万全とはいえないのでは?」と感じる部分がある
・野生動物に広まってしまうと根絶は難しい(経口ワクチンのお陰で随分とおさえることは出来る様になったが根絶は難しい)
・(野生動物と言ってもいいのかもしれませんが)人間の身近で自由に行動する動物(野良犬や野良猫、アライグマ、ハクビシン)に広まった場合も同様
・それらから人間自身、人間と共に暮らす動物への感染を注意深くしなければならない(ちょっと猫を外に出すことも出来ない、飼犬同士の接触にも気を遣うことになるかも)
・自由に歩き回る犬や猫に広まった場合、保護活動にも影響がでる

分かり易い言葉で書きましたが、各々の現場の話を知ると「えっ、そんなに手探りなの、この時代に...」と感じることでしょう。

上記に、医師・獣医師の対応に時間がかかる可能性を挙げたが、そのための情報提供を行う団体として狂犬病臨床研究会がある。一般飼い主としては関係ない情報も多いのですが、世界の狂犬病情報というセクションがある。
これを書いている時にトップにあった記事が狂犬病(72):ブラジル(ピアウイ)人死亡、マーモセット咬傷。これを読むと、日本の検疫でサル類の狂犬病はチェックしていないことが心配になる。サル類は狂犬病関連以外の法律で輸入や扱いが制限されているが、その中で狂犬病をどれだけ重視されているか気になる。

こんな感じです。
このような世界の現状、日本の現状を知れば「日本に狂犬病はないので予防注射は不要です」とは言えないと私は考えています。
たぶん私と同じだけの調べれば、同じ考えになると思います。

 ~ ~

あの機関誌の指摘した部分の文章には、このような意識がなく、日本に狂犬病が無くなったので抑留所が犬や猫を引き取る場所になりました、と書いているように読める。

公益財団法人として残念な内容だと私は感じている。

 ~ ~

 

一般的な話に戻します。

今の日本社会では、特定のテーマとその周辺の知識・理解がなくても(最近の言葉で表現すれば「エビデンスがなくても」)自分の感じたままを表現し、時には他人を批判することも許されています。
既に調べられ議論されある程度の結論が出ていることを、否定・批判する発言をしても許され、その発言を見た人の中には、それを信じる人たちもいます。

それは法で守られた自由の範疇かもしれませんが、そのエネルギーを既に出ている結論を基に議論し先に進めるエネルギーに向けられないものかと考えることがあります。

狂犬病のことは、世界で稀にみる撲滅を成し遂げ、その状態を続けている稀有な状態なので、何かを変えるのであれば慎重にならざるを得ません。
よく話題に出ることとして「予防注射は三年に一回でもいいのではないか」がありますが、これについては、半年毎から一年に一回に変わったときの国会議事録を読むだけでも、それに必要なことが分かります。慎重になる必要がありますが、歴史を振り返えり、今必要なことを検証すれば変えることは出来るはずです。

 ~ ~

私の様な専門的な勉強をしたことがない人間でも、インターネット上の情報から多くを知り学ぶことが出来ます。SNSなどから「AはBである」的な情報を得て話題にする人が多いですが、「Aとは何であるか」「Aの歴史は」「現在の問題点は」「どのように見ている・感じている人たちがいるか」などを調べて、各自自分なりの理解を深め、その上で議論がなされることを願っています。

 ~ ~

 

ここで終わりにする予定でしたが、多方面の知識によって日常の物事を理解する例を次に書きたいと思います。

身近な動物のことを議論する時にはベースになる知識がないと、ただの「私はこうおもう」「こうしたい!」のぶつかり合いになってしまいます。

ぶつかり合いにならないテーマで、多方面の知識に出会えたから得られた新しい認識について、次回書きます。
誰も読んでくれないようなきもするけれど(苦)


つづいてしまう...

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2024/10/22

日本における狂犬病対策の歴史

前回までの書き込みで、日本愛玩動物協会の機関誌 機関紙 with PETs の内容に「ちょっと待って」と思ったことがあると書いてきた。
「狂犬病対策の抑留」と「動物の愛護及び管理に関する法律で定められた犬及び猫の引き取り」は別物であると指摘した。

もう少し詳しく書こう。

昭和29年の狂犬病予防法改正で以下の条文が加えられる。

(犬の引取)
第五条の二 予防員は、犬の所有者からその犬の引取を求められたときは、これを引き取つて処分しなければならない。この場合において、予防員は、その犬を引き取るべき場所を指定することができる。

「犬の引取」がタイトルであり「抑留」ではない。現在の「動物の愛護及び管理に関する法律の(犬及び猫の引取り)第三十五条」の基本的な部分と同じであり「動物の保護及び管理に関する法律」が制定されたときに、この条文は削除されている。なので機関誌にあのように書きたくなることは理解している。
しかし同一のもののように読める書き方には違和感を感じる。

何故引取りが始まったのかは、今年三月に書いた以下のものとそこからリンクされている資料を読めば分かると思うが、今の人にはそんな時間はないのだろう。読む人がほとんどいないことは分かっているので、更に前からのことを簡単に説明する。

(それでも書いたものへのリンクを貼っておく)
幻の「狂犬病予防法 第五条の二」(昭和29年改正)からおもうこと
昭和26年発行の冊子におもう

 ~ ~ ~

 

日本が国として狂犬病対策を意識したのは明治になってから。海外との繋がりが増え、得られる情報が増えてきたからだろう。
また海外から犬が以前より多く入ってくるようになったこと、それに加え、東京をはじめ海外からの人を含め、多くの人が暮らす街が幾つか出来たこともあり、特に東京が狂犬病の温床となる。

明治時代の対策として、畜犬規則(東京府)、畜犬取締規則(警視庁)、獣疫予防法(法律)と制定してゆく。当時の対策は、発症した犬、もしくは感染が疑われる犬を対象としていた。しかし(少しは抑えられたが)撲滅の兆しは見えない。狂犬病対策として、町中を自由に歩いている犬をなくすことが有効であることは知られていたようですが、そこまではやっていなかった。

狂犬病をしっかり抑え込むことができずに大正となり、第一次世界大戦時(大正2年~6年)に増え始め、関東地震(=関東大震災、大正11年9月)の翌年、東京でも狂犬病発生頭数は増えたが、何故か大阪で大流行となる。
(参考)狂犬病予防法が狂犬病撲滅に果たした役割(J-STAGEの登録が必要です)
この頃の全国と南関東4都県の数字が載っているページ(「人と動物の共通感染症研究会」のサイト内のページ、一度目次トップページなどにアクセスしないと個別のページにアクセス出来ないことがあります)も紹介しておきます。
(参考)わが国における犬の狂犬病の流行と防疫の歴史 4

第一次世界大戦の頃から検討をしていたのだと思いますが、家畜伝染病予防法が大正十二年(1924年)に施行されます(獣疫予防法は廃止)。この中に以下の条文がある(現代口語訳しています)

第十七条 地方長官は、狂犬病予防上必要があると認めるときは、警察官吏に対し道路、公園、社寺境内、墓地、その他の場所に徘徊する犬を抑留させることができる。 
(以下略)
(引用元)[現代語訳] 家畜伝染病予防法 @ みやざき・市民オンブズマン

法律上での抑留の始まりはこの時。
先に紹介した狂犬病予防法が狂犬病撲滅に果たした役割の中の「 図1 狂犬病発生頭数 」を見れば、この効果が如何に大きかったかは理解できるだろう。

しかし、第二次世界大戦中に再び狂犬病発生頭数が増えてしまいます。昭和十九年、海外から一頭の狂犬病の犬が入ってきたことが記録あり、それが原因と考えている人たちが当時多かった。
そして日本は敗戦国となり占領される。その占領下で多くの法律を作ることになりますが、GHQの認識として狂犬病対策は国の重要課題とするべきと捉えていたようです。そして昭和25年(1950年)に狂犬病予防法が成立施行され、狂犬病発生頭数は減り始めますが撲滅に至る様子はない。その理由は、野犬(やけん)が増え繁殖し続けたこと。その原因を調べた結果、犬を捨てる人が多いから。捨てるのなら保健所に持ってきてもらおう、そうすれば捕獲の手間が省ける(これが「第五条の二」)。

私が調べた範囲ではここまで以下のような感じ。
・家畜伝染病予防法施行後(ちょうど関東地震と同時期)、狂犬病の犬の殺処分と徘徊する犬の抑留で一定の効果がみられたが撲滅に至らない
・第二次世界大戦末期の昭和十九年、海外から一頭の狂犬病の犬が入ってくる
・それまで発生数が少なかったので少々手を抜いていた(終戦近くで人手不足もあったみたい)
・さらに終戦・敗戦・戦直後の混乱もあり増える(一時的に減る時期はあるがこれは数字の集計ができなかったのではないか)
・昭和二十五年狂犬病予防法が成立・施行
・狂犬病は減ったが野犬が増えた ~ どんどん繁殖する(抑留が間に合わない)~ 再び狂犬病頭数が増える
・野犬が増える原因として(放し飼いによる繁殖もあるが)犬を捨てる人も増えたから
・捨てるのであれば保健所に持ってきてもらうようにしよう
これが大体の流れのようです。

目的は狂犬病の撲滅です。上記の資料を読めばそれは分かると思いますが、加えて、昭和二十九年の改正に向けて国会の衆参本会議や厚生委員会の議事録へのリンクを載せておきます。
膨大な量ですが、ブラウザのページ内検索機能で「犬」を検索して、その周囲を読めば1~2時間で全体象はつかめると思います(「犬養」が多々出てくる回がありますが)。

第19回国会 衆議院 厚生委員会 第4号 昭和29年2月1日
第19回国会 衆議院 厚生委員会 第6号 昭和29年2月16日
第19回国会 参議院 厚生委員会 第10号 昭和29年2月23日
第19回国会 参議院 厚生委員会 第11号 昭和29年2月25日
第19回国会 衆議院 本会議 第16号 昭和29年3月6日
第19回国会 参議院 厚生委員会 第20号 昭和29年3月29日
第19回国会 参議院 予算委員会 第23号 昭和29年3月30日
第19回国会 参議院 厚生委員会 第24号 昭和29年4月8日
第19回国会 参議院 厚生委員会 第29号 昭和29年4月16日
第19回国会 参議院 厚生委員会 第30号 昭和29年4月19日
第19回国会 参議院 本会議 第37号 昭和29年4月22日

この中に「現在では大体登録犬が全国で約二百万、野犬が約三百万と推計いたしておるのであります。」の一文を見つけた人もいると思う。国を挙げて狂犬病対策をしているのに。こんなことを知っているので「殺処分頭数も多く、そのピークは1974(昭和49)年度の122万匹でした。」には「本当にそうなの?それがピーク?」と思わずにはいられない。

 ~ ~

狂犬病なんて過去のものでしょ?、と思う人もいるかもしれない。
上記の議事録を読めば、一頭の犬から流行が始まることが分かる。また、発症した犬だけではなく自由で行動できる犬の抑留もしないとならない。
これは世界の狂犬病対策を確認してみれば分かる。犬に限らず、狂犬病が流行している野生動物を一斉駆除することを以前はよく行っていた。現在は(野生動物の対策には使える動物であれば)経口ワクチンを使うことが多くなっている。それでも撲滅は出来ない。何処に隠れているか分からない。

 

今の日本を考えてみよう。

まず狂犬病の予防接種をしている犬がどれだけいるのか。一般的に対象の70%が接種していれば大流行は起きないと言われている。現状日本ではちょうどそれくらいになっている。これは、(接種した犬の数)÷(登録している犬の数)なので、登録していない犬もいることを考えると 70%を下回っていると考えるべきだろう。

日本に狂犬病が入ってくる可能性は皆無ではないことは、多くの動物が日本に入ってきていることからも想像できる。しっかりした検疫はあるが、全ての動物に狂犬病の検疫をしてはいない。
狂犬病と思われる病気は人間が文字を作り記録を始めた頃から存在している。それでも発症前の検査は出来ない。発症後は命を助ける治療法はない。これだけ科学が発達した今でさえ。
それだけ「分からない病気」なので、検疫も完璧だとは言えないことがあるだろうと私は想像している。

「今の日本には少々野犬(やけん)がいるみたいだけど、野良犬はほとんどいないから、万が一日本に狂犬病が入ってきても広まらないだろう」と考えるかもしれない。狂犬病の感染は一回でも噛めば成立することがある。つまり犬同士が触れ合える環境があれば感染が広がる可能性がある。
今の日本に、日常的に他の犬と触れあう犬がどれくらいいるのだろうか。もう少し具体的に表現する。毎日とまではいかなくても週に何回かドッグランに行ったり、犬連れで集まる人はどれくらいいるのだろうか。このようなことからも感染が広まることは考えられる。

「素人が何を言っているだ」と思う人もいるだろう。
平成19年にドッグランにおける犬の取扱い等についてという文書が厚生労働省健康局結核感染症課長から地方公共団体の担当部長や局長宛てにださせている。私は「犬とゆく」というサイトを運営していて、ある時からドッグランのルールに狂犬病予防接種済みである証明を求める所が増えたと実感していた。後からこの様なことがあったことを知った。

「いやいや、今は暴露後ワクチンもよくなっているから、狂犬病が日本に入ってきてもいいんじゃない?」と考える人もいるかもしれない。いい暴露後ワクチンはあるかもしれないが、日本にどれだけのものがあるか私は知らないし、狂犬病が入ってきたとき、どれくらいの感染者が出るのか想像もできないので、今あるワクチンが十分な数と言えるか私には分からない。
また、医師や獣医師がどれだけ的確な対応が出来るのか、そこも気になる。

全く別の視点の話。
狂犬病の感染が認められている地域で、犬や猫の保護活動、特に放浪犬や外を自由に出歩いている犬猫の扱いがどのようになるか想像してみてほしい。狂犬病は発症前に確かめる術はない。となるとどうなるか。
私はそれを危惧している。

 ~ ~ 

あの機関誌を読んで「狂犬病なんて過去のもの」と思う人が出てくるのではと危惧した。そんなことにならないで欲しい。

いつの日か、あの機関誌で日本の狂犬病の歴史を取り上げていただければ嬉しい。

そして以下の説明をしっかりしてほしい。

・検疫はしっかりやっている、それでも入ってくることは考えられる
・70%以上の犬に狂犬病予防接種をしていれば(人への感染はほとんど犬からなので)人間への感染はほとんど防げると考えられているが、現在日本では接種率が70%未満であると考えられている
・人間への感染は防げても、狂犬病が日本に根付いてしまうと、動物の保護活動に制約ができてしまう

 ~ ~

短く書くつもりで(私としては)随分端折ったつもりだが充分に長くなってしまいましたので、この辺り終わりします。

 

ここまで読んでくださった方がいらしたら、心から感謝申し上げます。

ここで終わりにしようと思ったのですが、読んでくださった人の中には「なんて手抜きの記事だ、正確&詳細に書いていないし、結論を分かり易く書かない不完全な記事」と感じた人もいらっしゃるとおもうので、何故そうしているかを次回書きます。

 

しつこく、つづく

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2024/10/20

ありがちな内容

前回からの続き。
日本愛玩動物協会の機関誌、機関紙 with PETs の内容で「ちょっと待って」と言いたくなった内容。当時の人たちが尽力した目的とは違う捉え方をし、誤解して理解する人が増えるだろうなと感じた部分があります。今時の言葉を使えば、ミスリードとも言えそうな内容。

前回紹介したように「with PETs の2024年9月号(No.299)特集 ペットや動物関連の展示・学習施設」の内容。
その6ページから始まる「動物愛護管理センターの歴史」とタイトルがつけられた段落がある。その冒頭部分に強い違和感を感じた。最近ありがちな内容に感じた。微妙に興味を煽るワードを並べ、内容自体は幾つかのコンテンツから寄せ集めた感じで、全体の流れにぎこちなさを感じ、無理に文字数合わせをしたような。紙面のためのコンテンツであり、過去の出来事を理解し、伝えることを目的としているのか疑問を抱いた内容。

 ~ ~ ~ ~ ~

その部分の冒頭を引用する。引用元は上記機関紙の6ページ目。

1950(昭和25)年、狂犬病予防法が制定され、狂犬病予防注射の注射済票と鑑札をつけていない犬を収容する抑留所が保健所につくられました。動物行政の変化に伴い、この抑留所が動物愛護管理センターに変わっていきます。

動物愛護管理センターの前身が狂犬病予防法に基づく犬の抑留所であるといえるのか。であれば、狂犬病予防法による犬の抑留所がなくなったのか。はなくなってはいない。(法改正の流れがそのように読めるのかもしれないし、物理的にそうであったとしても)この二つは目的が別。
現在の狂犬病予防法(抑留所の設置)第二十一条を読めば分かることだ。

・「狂犬病予防注射の注射済票と鑑札をつけていない犬を...」
注射済票よりも先に「登録を申請したことにり交付される鑑札」を着けていなければならない。この辺りから狂犬病予防法を蔑ろにしていることを感じる。担当した人は、登録の必要性を理解していないか、狂犬病の脅威を実感できない時代に生まれた世代なのかなと想像した。

・「1950(昭和25)年、狂犬病予防法が制定され(中略)犬を収容する抑留所が保健所につくられました。」
犬を抑留する施設が保健所につくられたのは、狂犬病予防法がはじめなのでしょうか?
動物愛護の勉強を実地で行った人であれば、東京都の動物愛護相談センターの「事業概要」を読んだことがあるはず。毎年インターネット上に公開されている(平成の時代までは紙の冊子が配られていた)。それの冒頭に毎年「沿革」という数ページがある。その1ページ目に以下の記述がある。

昭和23年
「野犬掃蕩規則」が施行された。「保健所法」の施行に伴い、野犬の捕獲抑留業務は保健所業務として位置付けられ、獣医師は狂犬病予防吏員として、国庫補助による厚生技官の身分で狂犬病予防業務を専任し、捕獲員は民間人を東京都職員(臨時)として採用した。
(引用元)事業概要 令和5年版(令和4年度実績)第1章 総説(PDF:694KB) @ 事業概要 令和5年版(令和4年度実績)

日本の狂犬病対策は狂犬病予防法以前からあったことをご存知の方も多い。
昭和23年以前は内務省(警視庁)の業務だった(家畜伝染病予防法(大正11年4月8日法律29号)第十七条)。これが保健所の業務になり、狂犬病予防法が制定され抑留所となる。

・「動物行政の変化に伴い、この抑留所が動物愛護管理センターに変わっていきます。」も釈然としない。
狂犬病対策としての抑留所であり(法律には書かれていませんが)係留されていない(野良犬状態の)犬を捕獲することが目的でした。狂犬病を撲滅するにはその必要があったからです(その重要性は法制定、その後の改正の国会審議を読めば分かる)。
つまり「動物行政の変化に伴い」というより「狂犬病を撲滅したと言える状況になり、抑留所の利用目的が本来の目的ではなく、動物の保護及び管理に関する法律の犬及びねこの引取りを目的とするようになり」とするのが適切ではないでしょうか。狂犬病対策は動物行政ではなく人間の防疫行政ですし。

 ~ ~ ~ ~ ~

先に引用した先も引用する

1954(昭和29)年の狂犬病予防法改正で、都道府県での犬の取引りが義務化されました。ペットブームが始まると犬の飼育数が増え、咬傷事故が急増したことから、各自治体で犬の取り締まり条例がつくられます。殺処分頭数も多く、そのピークは1974(昭和49)年度の122万匹でした。

細かいこと幾つか。
当時の狂犬病対策としての抑留所の意義は、現在の犬の引き取りとは全く違う。先に書いたように人間の防疫が目的である。それを理解するのは、明治のはじめからある狂犬病対策がどのように行われてきたかを一度でも読んだことある人であれば、狂犬病対策の抑留所が今の犬の引き取りと同列には語れないことは分かるだろう。

これに付いて、改めて別ページを設けて説明することにします。

次の「ペットブーム」はいつ頃の話をしているのだろう。その後に1974年と書かれているので、その前と読むのが普通だろう。
その間に「犬の取り締まり条例がつくられます」とあるが「この一文の意味は?」と問いたい。1974年以前の条例がどれだけ犬の引き取りの数に関係したかの資料を私は見たことがない。

最後の「そのピークは1974(昭和49)年度の122万匹でした」の根拠を知りたい。分かり易い質問として「その前年の頭数を教えてほしい」。
推測の域になりますが、私が今まで拾ってきた数字からだと、その前年、前々年辺りか、もしかしたら1974年がピークかもしれないが、具体的な数字を公の場に出すだけの根拠を探したことがあるが私は見つけられなかった。
もし1974年としても(繰り返しになるが)それと地方自治体の条例との関係について関連性を裏付ける情報ソースも教えていただきたい。

当時の殺処分数について、ご興味がある方はまずネットで探したほしい。1974年よりも前のものを探すと不思議な数字が幾つか出てくる。殺処分数とはどういうものなのかの理解が理解が深まるだろう。

  

「本題は施設の話だから、そんなのどうでもいいじゃない!」と言われれば、その通り。機関誌の構成として「文字数の制限が…」とSNSみたいな理由もあるのでしょう。

何故、そんなことをわざわざブログに書くか不思議な人もいるだろう。

 

私は約30年前に犬と暮らし始め、動物愛護というよりも身近な動物を取り巻く日本社会に興味を持ち始めた。それ以前も動物に関する情報にはどんなことでも興味があった。しかし、犬と暮らし始め、犬と行動するようになり「何故ここまで犬は嫌われなければならないのか」と実感するようになった。そこから「身近な動物を取り巻く日本社会」について調べるようになった。

今、私が暮らしている家には犬はいない。その後暮らした猫たちも同じく今はいない。この家に犬や猫がいたときは、それらと日々暮らすための情報を集め理解するのに精いっぱいだった。不在になって「身近な動物を取り巻く日本社会」について改めて調べる余裕ができた。

その過程で、明治に西洋文化が入ってきて動物愛護という言葉も使われるようになったことを詳しく調べてみた。しかし掴み所がない。動物虐待防止会(後の動物愛護会)、日本人道会、それらの活動について調べても「動物愛護の基本理念はこれだ!」とおもえるものに辿り着かない。目の前に起こった問題を対応することの連続であったような気がする(現在も似たような気がする)。

動物の問題は人間の問題よりも優先順位が低く扱われることが多いので、常に解決しなければならない問題が残されてしまう。なので目の前の問題を解決しようとする活動に対して私はリスペクトを抱いている。多くの苦労があるだろうことは理解できる(現在の活動も)。

調べても調べても、その時々に起こった問題解決の連続。
それを積み重ねていった結果「狂犬病対策という視点で見れば、一つの繋がりができる」と気が付いた。事実として狂犬病の撲滅と同時に日本の動物愛護活動は一区切りついている。世界で稀にみる撲滅をさせることが出来た狂犬病予防法の成立や1954年(昭和29年)の改正では犬に関わる識者たちが世界中の情報を集め尽力した(しかし法律に反映されてはいない内容もある)。

狂犬病予防法が成立するよりも前から、今の「動物の愛護及び管理に関する法律」と同じ考えのものを当時の活動家たちは法律制定に向けて尽力していましたがそれは実らず、空白期間に見える時期があり、1973年(昭和48年)の「動物の保護及び管理に関する法律」が成立し、同年10月1日公布、翌1974年4月1日施行となる(なので1974年からの殺処分数の統計がある)。

昭和29年の改正で定められた狂犬病予防法(犬の引取)第五条の二は狂犬病撲滅のために作られた。昭和32年の猫の感染を最後にその後「もう狂犬病は根絶したのか」とヒヤヒヤしながら経過観察するために抑留所は存在していた(今も存在している)。それが「もう大丈夫だろう」と思える頃でもあったのが1974年頃だったのだろう。
私はその頃小学生であり「犬に噛まれたら狂犬病になるかも」と脅かされた記憶がある。

その後も空白期間に見える時期になる。当時(公布施行当時もそうでしたが)日本は高度成長期。都市に人が集まり、街は舗装される面積が広がり、核家族化が進み、共同住宅に暮らす人が増えた。犬や猫と暮らすには向かない環境となってゆく。

それが変わり始めたのがバブルの頃から。その頃から、引き取られる犬が変わってきたような記憶がある。さらに時間が進んで「動物の愛護及び管理に関する法律」への法改正が1999年成立、翌2000年施行の頃には、収容されている犬の中に純血種が居ることは珍しくなくなっていた。それは法運用としても狂犬病予防法の抑留ではないし、収容されている犬を見ても世間の諸々の話をきいても、そうではないことは、犬や猫が収容してある場所を見学したことがある人であれば感じただろう。

つまり、狂犬病予防法(犬の引取)第五条の二、と、(今の法律で言えば)動物の愛護及び管理に関する法律(犬及び猫の引取り)第三十五条や(1973年成立の)動物の保護及び管理に関する法律(犬及びねこの引取り)第七条 は根本的にその目的やそこに辿り着くまでに行われてきた議論などは大きく違う。

それともう一つ、日本に狂犬病の脅威がなくなったわけではないことを忘れてはならない。世界地図を見て清浄国・清浄地域を確認すれば、また海外から多くの動物が入ってくることを考えれば、理解できるだろう。

現在「関東地震」と呼ばれる大地震(私は「関東大震災」と教えられた世代)が1923年(大正12)に起こる。それ以前も狂犬病対策が行われ、ある程度の増減があったが、震災後、一気に狂犬病発生頭数が増える。
奇しくも、それまで発症した犬を捕獲、処分していただけの対策だったのが、登録されず自由に歩き回っている犬を抑留をすることに決めた家畜伝染病予防法が大正十一年に制定されたこともあり、関東地震後の狂犬病対策は成功し撲滅に近い状態になる。
しかし終戦の少し前に再び狂犬病が日本に広がる。その原因は満州から連れてきた一匹の犬だったとされている。海外でも一頭の犬から広がったというケースはある。
狂犬病予防注射の接種率が下がっている今の日本でそれと同じことが起こらないとは限らない。今もそれを防ぐために予防注射や検疫他、防ぐ活動は続いている。

 ~ ~

明治に入り西洋文化と交わることになった日本が動物愛護という文化を認知し、その後続けてきた活動の中で、当時から確実に続いているものの一つとして狂犬病対策時の犬の扱いがあると私は考えている。

狂犬病予防法の「抑留所」と動物の愛護及び管理に関する法律の「犬及び猫の引取り」を全くの同列と読める文章にまとめること、また狂犬病の脅威について触れないことは、動物愛護の歴史を啓発すべき公益法人として如何なものかと感じてしまい、この長々とした文章を書きました。

 

現在の(犬及び猫の引取り)については、多くの資料がネット上でもでてくるであろうから、昭和29年(1954年)改正時の狂犬病予防法(犬の引取)第五条の二、がどのような経緯でなされたのかを次回書きたい。

 

つづく

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2024/10/09

時代はここまでやってこない

※長いです、しかも続きものです※

日本愛玩動物協会が発行している機関紙 with PETs の内容について。
批判めいた内容に読めるかもしれませんが、今後を期待して書いています。

 

私は日本愛玩動物協会という団体の会員になっている。ある勘違いをして愛玩動物飼養管理士という資格をとってしまったから。東日本大震災の2~3年前に2級・1級と続けて取得した。

取得後、比較的すぐにこの団体関係の活動にたまに顔を出すようになった。
そして東日本大震災(2011年)が発災し、こちらの団体の活動他、ボランティア活動をするようになる(こちらの団体関連のお手伝いは諸事情あって現在お休み中)。

こちらの協会は年会費 4,000円を支払うと冒頭に書いた機関紙が隔月刊でやってくる。
私が資格を取得した頃まで、名前も違い内容も「この内容では一般の飼い主さんは興味持たないのでは?」と感じるものだった。今は幅広い飼い主さんが知っておいた方が良さそうな情報を選んで取り上げている。所々「そこまで掘り下げなくても」と思う人もいるかもしれませんが、私は「そうそう、ここは外せない」と思ったりしている。

 

今回(2024年9月号)のテーマは「ペットや動物関連の展示・学習施設」。「施設、箱モノの話か、、、」とあまり期待せずにページをめくると、冒頭第1章は、"「学び」の重要性" となっていた。
まず、マナーの「当たり前」が変わってきたことが書かれている。そして以下の文章が今号の3ページにあった

(引用)
特に犬は一緒に出かける機会が多いので、他人からどう見られているかを意識する必要があります。社会のなかでのマナーのあり方も考えなくてはなりません。
(日本愛玩動物協会が発行している機関紙 with PETs 2024年9月号 3ページ)

今の日本で生活している多くの人であれば、感覚的にこの表現に違和感を抱かないとおもいますが、実際に犬と一緒に幅広い体験をした飼い主さんや、その様な人たちから聞き取りをした人であれば、もう少し深く考えた表現を期待するだろうと感じた。

~ ~ ~

ここで断り書き(その1)

犬を迎える目的は人それぞれ。誰に強制されることでもない。色々な目的・付合い方(日々の生活)があります。
以下は私が考える目的です。それを目的としない人が多々いることを承知しているし、どちらも間違っていないことを理解しています。

私が考える目的は「自分が幸せになる、自分だけでは得られない体験や感動を共に得るため。そして周りの人も幸せになっていただけるため」だとおもっている。それは家の中だけではなく、外での行動も含めて。
30年前からそのように考えていますが、日本ではそれが広まらないことが残念でならない。

またこんなことも考えています。
近年世の中で不幸な犬や猫を救う活動が広く認知されてきましたが、その様な犬や猫にしてしまう人たちに対して法律で規制する方向になっています。あまりに酷い状況はその方法にすべきだと私も考えています。では、その前段階の人へのアプローチはどうするか。特に他人から見えない家の中で行われる行為について。

既に精神疾患を患っている人(病院で診断を受けていなくても客観的に見てそのように見える人も含む)が犬や猫と関係をもとうとする人がいることは認識しています。その様な特別なケースではなく、純粋に犬や猫が好きで共に暮らし、日々の生活の中で一つ躓きまた一つ躓き、それくらいで元に戻れない環境になってしまうことがあります。これは個人だけでなく生体を扱う業者も愛護団体も。

そのような人たちの話を見聞きする度に思うことは「自分の幸せ」「他者への幸せ(そこまでいかなくても「配慮」)」を基本として考えて身近な動物と向き合う姿勢があれば、躓いた時の対応が違い、その先の日常も大きな間違えに繋がらないことも見聞きしてきました。
ただし、生体を扱うことで生計を立てている場合、立ち直ることが困難な状況に陥るケースは多い。

この話をすると長くなるので、また後で続きを書きます。

~ ~ ~

閑話休題

「断り書き」前に書いたこと。
マナーの「当たり前」が変わってきたことが書かれ、「特に犬は一緒に出かける機会が多いので」「社会のなかでのマナーのあり方も考えなくてはなりません。」と書かれています。

マナーとは具体的に「外での犬の排尿処理方法」が書かれています。今ではよく目にする方法として「ペットシーツに排泄させる」「排泄は散歩前に済ませる」が書かれていますが、30年前にこんなことを言う人はいませんでした(私は陰で云っていましたが)。

色々書きすぎて引用文が画面から消えてしまったので、再び同じ個所を引用します。

(再び引用)
特に犬は一緒に出かける機会が多いので、他人からどう見られているかを意識する必要があります。社会のなかでのマナーのあり方も考えなくてはなりません。

ここに「特に犬は」と書かれたように犬は特別な存在です。何が特別かといえば、人との行動を相互理解できる力(コミニケーション能力といえばいいかな?)について(他の動物とくらべて)格別なものをもっている。なので色々な付合い方ができる。公の場に居ても問題を起こさない行動を身につけることもできる。

マナー、つまり社会生活を円滑に行う上でのルール、古い言葉で言えば行儀とか作法とか。

排尿処理に付いては(あくまで私の考えですが)マナーであるとしても最低限のものだと感じています。
何処に連れて行っても恥ずかしくない犬にしたいと考えるのであれば「人前ではしない」「したら跡が残らない様にする」。それは「犬に恥をかかせない」「犬を悪者にしたくない」という気持ちからです。

何故なら、公衆の面前でいきなり排泄をするようなことは「私は」しないから。してしまったら恥ずかしいし、白い眼で見られて当然だとおもうから。
私はそのことを改めてマナーとはおもわず、物を盗んではいけない、人を傷つけてはいけない、それらと同類のことと考えています。
人間社会の中で犬を過ごさせてもらうのなら「犬だから排泄したものを見せても当然、仕方ない」と考えるのは、犬を見下していると感じます。

私が考えるマナーとは「マナー講師」が教えるような、他人との関係をより円滑にし、自分が(そして犬も)よりよい時間、一生を過ごすための振舞いを身につけることだと私は考えています。マナーというよりエチケットに近いかも。

~ ~ ~

断り書き(その2)

自分で書いているものが「今の日本」では「当たり前」では「ない」ことは理解しています。自分としては30年まえに犬を迎えた時に、多くの犬の飼い主の先輩たちから教わったことでした。
中には、今の動物愛護家の中心人物と言われるような人たちから悪徳○○(○○は獣医師、訓練士、ブリーダー)と呼ばれる既に他界された大先生と呼ばれるような人たちからも「犬の飼い主の先輩」として話しを聞かせていただいたことがあります。戦中戦後の人間だけでも生きるのが大変な時代に犬と向き合ってきた話などを交えて、時には面白おかしく聴かせていただいたことがあります(何処まで本当か分からないような話もありました)。

何故彼らが、今私が書いているようなことを広めようとしなかったのか。実はそうではないのです。世間で悪徳○○と言われるようになり、広めることが困難になり、私に話をしてくださったように(とても多忙な中)個人的には広めることに努めていました。
しかし「時代」がそこまでやってきてなかった。話をしても耳を傾ける人が少ない。なので私のような人間にも話をしてくれたのだとおもいます。

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閑話休題

世の中にはマナー以前の「善し悪し」というものがる。心の中の在り方は別にして、他人に対しての振る舞いはマナーという形になるのかもしれない。

犬にもマナー以前の問題を理解してもらうことは出来ます。本当はそうではないかもしれませんが、そのように思えるだけの振る舞いをしてくれるようになります。犬は習慣化すれば身につけてくれます。習慣化とは状況を犬自身が判断することを含みます。

機関紙では、各時代の常識的な(定型の)排尿処理の方法が紹介されていましたが、各地域、各家庭、各犬によりそれ以外の方法が考えられる場合もある。定型の方法を教えることは、教える人にとっても教わる犬にとっても分かり易くて有難いことですが、経験を積むことが出来れば(時間がかかりますが)犬も「どのような状況で」「何をするべき・しないべき」を(学習ではなく)身につけることが出来ます。人間からの指示がなくても、犬の方から「今、これをやっておいた方がいいんじゃないですかね?」と提案してくれるようにもなる。初めて置かれた環境でも自分で考えることが出来る。

多くの家庭では、そのような関係になるまでの時間はないかもしれない。なので排尿処理を定型のマナーとするのが日本社会の現状なのだろう。

また、公益社団法人である日本愛玩動物協会がこのような書き方をするしかないくらい、犬が(公の場という意味での)人間社会における(私の考えているところの)マナーを身につけるための情報が不足していることを私も感じています。

そのような情報のヒントを得られるように「犬とゆく」を長年運営していますが気付ける人は少ないようです。
30年近く前に、犬がそのようなことを身につけることができることを知り、いつか日本もそのようなことが当たり前になることを願い「犬とゆく」を始め続けていますが、時代が私の願っている社会に向かっている実感がまだありません。

いつの日か理解され、犬が人間たちの中に溶け込むような社会に向かうことを願っているし、また、そのために公益の団体が気付いてくださることを願ってやみません。

 

何故いきなり「公益」という言葉を出したのか。

営利を目的とする団体、個人の動きとして、ドッグランやドッグカフェ、排尿問題で云えばマナーベルトなど犬と自宅以外で過ごせるための施設、ツール、グッズが開発され普及しています。これは素晴らしいことです。それにより多くの犬が公の場に出る機会を得ました。その結果、犬が出歩くことに寛容な社会になりました。この活動は今後も発展することを願っています。
この30年間で飛躍的と言っていいほどの変わり様は営利を目的とした団体、個人の力を感じます。

それとは別の非営利の部分を公益団体が力強く扱うことを願うばかりです。
日本愛玩動物協会のような幅広い分野の専門家の方々と関係のある団体に特に期待をしたいものですが、機関誌を読んでいると(飼い主を幅広く理解すること、つまり今の日本における人と動物の関係を調査研究することよりも)営利やそれに近い動きに注目しているように感じることが残念でなりません。

冒頭「ある勘違いをし」と書いていますが、それはそのような大規模な調査を行っていることに対するリスペクトでした。しかしその調査は私がこの資格を取得したと同時くらいに消えてなくなりました。
またあのようなことを再開し、そこから今の日本の現状に必要な問題点をすくい上げ整理し、情報提供をしていただければと願うばかりです。

 

他人に期待してばかりではいけませんね。
それはそれとして、自分は先人が行ってきた、また今行っている活動に対して常にリスペクトをもっていたいとおもっています。

次回は、この機関紙に書かれた「先人たちのやってきたことにリスペクトが足りないのでは?」と感じた部分を書かせていただきます。

 
つづく

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2024/10/05

9月の「犬とゆく」

9月が終わり10月になってしまいました。しかし未だ暑い日もあります。

東京の9月は30度超えの日がほとんど。下旬になってやっと30度に届かない日があり、そして今はもう10月ですが、それでも30度超えの日があります。年末も近くなっているはずですが、いつ秋が深まるののでしょうか。

昔であれば、9月の下旬になれば町中の(地面がアスファルトでも)夕方には元気に犬の散歩が出来たものです。今年は日が沈んでも30度近くあることも珍しくなく「いつになったら気持ちよく散歩が出来るんだろう」と感じていた飼い主さんも多かったのではないでしょうか。私もヒヤヒヤしながら犬たちの散歩を見ていました。

日本は毎年暑くなってゆくのでしょうか。また風雨の強い台風も多くなりました。地震も気になります。暑さだけでなく災害時のことも考えておく必要があるようです。
最近は、犬や猫と一緒の空間で過ごせる避難所もでてきましたが、まだまだ「普通」と呼ぶには程遠いのが現状です。今まで通り一般の避難所は犬と一緒の生活は受け入れていただけないと考えて準備をしておくべきだと私は考えています。

自分の身の安全も、ペットの身の安全も常に考えていていただきたいと願っています。

 

■ 一般の公開 ■

ここのところの「犬とゆく」としては珍しく9月は4回も更新しました。投稿してくださった方々、ありがとうございます。
小出しにして10月以降も恥ずかしくないようにすることも考えたのですが、最後の投稿がお米の販売もしているお店だったので、米不足の昨今、出来るだけ早く公開した方がいいかなと考えて全て公開してしまいました。
しかし公開日が近付いてきたある日、そのお店のHPなどを見ると、お米の販売情報が消えていました(残念)。

ということで、9月の公開は4つ。内訳は、宿泊施設1、飲食店2、その他(乗り物)1。
年間通算は22。内訳は、宿泊施設1、飲食店16、その他5(犬2、乗2、他1)

今年に入って初めての宿泊施設が嬉しいです!

ごはんとカフェBlueStar
信州中野ICから西に数キロくらいの大倉中央交差点(モーモー萬次郎の交差点)近くにあるハンバーガーやパスタ、スイーツなども揃っているカフェ。
ドッグカフェとはしていませんが犬連れのことをよく考えてくれています。犬メニューは鹿肉ステーキが人気らしい。勿論ヤギミルクあり。
看板犬はゴールデンの女の子。

松島島巡り観光船
宮城県にある日本三景の一つ松島の観光船。乗り場は東北本線・松島海岸駅と福浦橋の間にある中央観光桟橋。
ペットはキャリーバッグに入れての利用になりますが、車に残せない場合などは有難い。
HPに貸切料金も表示されています(投稿者は貸切りで利用)。

VIALA鬼怒川渓翠
日光鬼怒川の日光ワールドスクウェア近くにある東急ハーヴェスト系のホテル。会員制。
すぐ近くで東武ワールドスクウェア駅にくるSLを見ることができます。
ペット連れ専用部屋は2部屋。どちらも広い。大型犬でも部屋でゆったりできるサイズ。料金もそれなり。入口は別。
館内にペット連れOKの飲食店はない。部屋にはサークルあり。旅行慣れした家族向け。

ペットOK米農家レストラン 百笑(ひゃくしょう)
今市から国道121で鬼怒川方面へ進み途中これといった目印もない所を左に曲がった先の説明が難しい場所にある(地図見て下さい)。観光地でも商業地でもない場所です。
農家さんがやっている家庭料理レストラン。米農家なので米には自信があるようです。
投稿ページ内にある注意書き(ルール)写真の内容を読む限り、犬連れのことをよく理解してくださっているお店だと思われる。
投稿者は利用時大型犬を連れて座敷で利用しました。たぶん、空いていたからだとおもわれます。

 

■ 修正など ■

9月は気になった地域を2箇所調べてみました。
放置し過ぎるといつ閉店したかなど探すのにも苦労します(放置しているのが悪いのですが)。
時期が分からないのであればまだいい方で、情報がほとんどないこともあり何か余程の事情があったのかな、などと想像してしまいます。

9月の「修正など」は全9つ。宿泊施設2、飲食店7。
年間通算は65(宿5、飲45、犬2、他13(公3、乗6、他3、コ1))

1 cafe (ワンカフェ)
閉店情報を見つけたので対応しました。
亀戸駅から徒歩5分くらいの所にあったドッグカフェ。この様な場所にも犬を受けれてくださるお店があることを嬉しく思っていただけに残念です。 
2017年くらいに閉店していたようです。

富蔵家
一口コメントに以下の投稿がありました。
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ペット同伴のテラス席は終了しました。
HPに「ペット同伴のテラス席は終了しました。」
との記載がありました。
残念。
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小布施のとても有名なお店がある通りにあるお店なので、今は観光客が増えて大変なこと(大繁盛!)になっているのかも。

潮来富士屋ホテル
ネットのニュースで2020年春に新型コロナウイルス関連で破産申請をしていたことを知り、法人番号で確認したところ2022年4月1日に清算の結了等していることを知りました。残念。

ファミリーロッジ 旅篭屋(水戸大洗)
宿のリンク先が変わっていたので対応しました。

桝屋味処
日光中禅寺湖畔近くにあった大きな建物の二階のお店(一階はお土産屋さんでした)。
建物全体を大規模改修して2024年(今年)8月に全く別の店(飲食店と宿泊施設のようです)になっていました。
今のお店は、テラス席は犬連れOKみたいなので、利用された方がいらしたら投稿お願いします。

日光ティディーベアハウス
霧降高原にあった宿泊施設に併設されていたティールーム。約10年くらい前にティールームの営業は終了していたらしいです。
遅くなりましたが対応しました。
宿泊施設の経営者も当時とは変わっているようです。

日光霧降高原チロリン村内 Cafe OWL
関連ページ欄のリンクが切れていたので対応しました。
現在の状況をネットで調べたところ投稿当時(20年前)とは違い、四代目氷屋徳次郎氏の氷を使っているお店として注目されていました。お客さんのほとんどがかき氷目当てだとか。
投稿文の内容とは雰囲気が違う様なので少々コメントをつけました。

麺処 丸三
ストリートビューを見たら更地になっていましたので閉店とさせていただきます。
よくある食堂の店内に犬を迎い入れてくださっていました。このようなお店がなくなるのは残念です。

レストラン メープル
関連ページ欄がリンク切れだったので修正。
とても小さなお店は継続が難しい時代のようなので、これくらいの規模のお店は存続していただきたいです。そして出来るだけ手料理であってほしいものです。

 

「犬とゆく」をはじめた頃、犬連れを受け入れて下さる宿や店は家族経営のところがほとんどでした。個人経営のペンションやこじんまりとした飲食店など。どこも個性的であたたかさを感じたものでした。

犬連れを受け入れてくれる宿や店に限らず、昔からの家族経営の宿や店がなくなってきていることに寂しさを感じます。

昨今当たり前になった「ペットに優しい」を掲げて経営されている企業の宿や店は安心して利用できますが(私個人の感覚ですが)物足りなさのようなものを感じます。

「お金をかければ出来ること」ではない「写真には写らない」、「その宿だから」「その店だから」の何かがある宿や店が生き残ってくださることを密かに祈るばかりです。
今の世の中、その様なとこはネットでネガティブな書込みをされることがありますが、書きこまれた情報を冷静に理解できる飼い主さんが増えることも祈っています。

そして、共に暮らす犬に確かにある「写真には写らない」とても大切な何かを秘めていることに気付く飼い主さんが増えてくださることを願っています。

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