2019年12月20日 (金)

東京都動物愛護相談センター・多摩支所 の 見学

12月の初旬、東京都動物愛護相談センター・多摩支所の見学に行ってきました。

東日本大震災の後、多摩支所の裏に、被災地から東京に避難してきた人たちの犬や猫を預かる施設が一時的に運営されていました。私の記憶では、2011年の9月から約一年間だったとおもいます。
その運営は多くの一般ボランティアによって支えられていました。私もその中の一人でした。その当時の仲間たちと今回の見学を企画し、行ってきました。

 

■ 見学は誰でも出来ます

ちなみに、センターの見学は予約すれば誰でもできます。
基本的に月に一回決まった日があり、その日であれば少人数でも対応してくれるようです。ご興味のある方はセンターに「見学したいんですけど~」と電話をしてみてください。

連絡先は、こちらのページの右の方にあります。
私たちは多摩支所に行きましたが、本所(八幡山)をご希望の場合、電話をかけると1~3番を選ばねばなりませんが、3番を選んでください。アナウンスでも「当センターの見学...」とか聞こえてくるとおもいます。

 

■ 現地に行かないと分からない

さて、見学がどうだったのか。
いつもなら、その当日にある程度書き上げるブログですが、今回は出来ませんでした。見学前に想像していたことと、見学してみて分かったことに隔たりがあり過ぎて整理がつかなかったのです。

センターの方との事前の打合せは私が担当しました。その段階で「収容動物はほとんどいません」と伝えていただいていましたが「全くいないことはないだろう。随分と少なくなったという意味だろう」と思っていました。
一緒に行った仲間は、ボランティア仲間なので「機会があればセンターのお手伝いしたい」とおもっていることもあり、「ボランティアについて、話を聞かせてください!」と事前にお願いしました。そのやり取りの中でも「収容動物はほとんどいません」と話が出たのですが、その意味が分かりませんでした。

私が持っている東京都の直近の資料は、平成29年4月~平成30年3月のもので、その一年間の殺処分数は16とされています。(※次項で「殺処分数」と「致死処分数」の違いについて説明します)
12月くらいになると、前年度(平成30年4月~平成31年3月)の資料(事業概要)が出来上がるので、それをいただこうかとおもったのですが、今年からネットに掲載されることになったとのことでした。これを書いている間の12月17日にこちらにアップされていましたが、私が毎年楽しみにしている研究発表が省略されていることが残念です。

殺処分数ですが、前年度(平成30年4月~平成31年3月の殺処分数は、なんとゼロ」になったんです。
協力してくださっているボランティアさんたちの力により、犬も猫も譲渡先が決まってゆくという状況だそうです。
それだけではなく、取扱数(センターに入ったきた数)もどんどん減っているとのこと。

スライドを見ながら、そのような説明を受け、その後、施設の見学に行くと、犬は一頭だけ。しかも飼い主さんが迎えに来ることになっているとか。
猫は3頭だったとおもいます。どの子も健康そうでした。目隠し(布が一枚掛かっている)がされていましたが、チラっと姿を見させていただきました。

これら収容動物の現状を目の前にして(ボランティアの話をして返ってくる話が)「収容動物少ない」の意味が分かったというか、実感しました。これだけ少ないと、ボランティアは必要ない、と。

説明と施設見学から、今まで以上にボランティアを必要とすることもなく、それどころか今まで協力してくださった方たちの出番も少なくなっていることが、よく分かりました。

「ボランティアとして協力させていただければ」などと、おこがましい申し出をしていることに全く気が付かず、事前にその関係の質問を幾つか「当日、答えてください」とお願いしてしまったのです。説明と見学を通して現状が理解出来た時「お忙しい職員の方々に、意味のない質問の回答を用意させてしまい、なんてことをしてしまったのだ」と穴があったら入りたいくらいでした。

私の場合、「収容動物がほとんどいない」の意味を理解するには、センターのお仕事について説明していただき(数字の移り変わりを含む)、そして施設のガランとした雰囲気を感じ、収容されている犬や猫の状態を見て、やっと理解することが出来たのです。
理解が出来た時、恥ずかしさ・申し訳ないという気持ちと同時に(大袈裟に言えば)歴史が動くその瞬間を見せていただいたような、そんなことを感じました。

見学に行くなら「今」です!
センターのお仕事は、今後変わってゆくことになるとおもいます。その変わり目をきちんと知るには、今見学しておく必要があると感じました。

 

■ 「殺処分数」と「致死処分数」 / それを理解するために「収容」と「処分

小池都知事は選挙公約の中で「ペット殺処分ゼロ」も訴えました。
しかしこれは、厳密にはあり得ないことなのです。なので私は「ちゃんと勉強していないな、本気ではないな」とおもったものでした。

「動物の殺処分方法に関する指針」や「環境省統計」で(国が)定めるところの殺処分とは、施設(センター)に入った動物が命を落としてしまったもの全て、としています。病気や怪我で収容した動物が、手を尽くしても命を落とす結果になった場合、これも「殺処分」に含まれるのです。
 

・「殺処分」の説明の前に「処分」と「収容」について。

施設に入ってくることを「収容」と呼びます。
それに対して、出てゆくことが「処分」

・収容
主なものは「引取り(センターに持ち込み)」「捕獲・収容(捕獲の必要がある場合(センター外で)捕獲して収容)」「負傷動物収容(そのまま放置すると健康上危ないケース)」の三つです。
・処分
主なものは(東京都の場合)「返還(飼い主さんにお返し)」「譲渡(新しい飼い主さんを見つける団体に託したり、直接新しい飼い主さんを見つけたり)」「致死処分(センターの管理下に入った後、命を落としてしまったケース=国が「殺処分」としているケース)」の三つになります。

処分の三つの中に「殺処分」はないし、(小池都知事が就任した平成28年から平成30年3月までの各年度の)都の資料(事業概要)にもほとんど出てきません。ちょこっと出てくる程度で、上記の「致死処分」という言葉がよく使われています。

殺処分・致死処分の違いを説明する前に、飼い主さんにお返しすることも(返還)「処分」であることにも注目してください。「処分」と聞いただけでイヤものを感じますが「出て行き方」と理解するべきもののようです。この言葉は変えてほしものです。
 

・やっと本題、殺処分と致死処分
先ず上記で、致死処分の括弧書きを「センターの管理下に入った後、命を落としてしまったケース」としました。これは私の言葉であり、公式な書類に書かれている表現ではなりません。私の理解です。
命の落とし方ですが、多くの人がイメージするであろう、健康な犬や猫を人間が手を加えて命を落とすこと(世間で「犬や猫の殺処分」と呼ばれること)も含まれます。東京都では、これを(国の指針等とは別に「殺処分」としました
国が「殺処分」としている、センターの管理下で命を落とした全てを「致死処分」、つまり「死に至ってしまった出て行き方」と表現することにしたのです。

先にも書きましたが、平成30年4月~平成31年3月には、東京都の言うところの「殺処分」はゼロになりました。
東京都では、致死処分を三つに分けているとのことでした。
その6割近くは「引取り・収容後死亡」とされるものです。引取りや収容をしてきたけれど、センターへの移動中やセンターに着いたときはどうにか息をしていたが、手を尽くした甲斐なく逝ってしまうようなケースです。
残りの約4割は、資料には「動物福祉等の観点から行った致死処分」と表現しています。この中に、人間の「安楽死」の様な、病気や怪我などで苦痛を伴い続け、治療しても回復の見込みがないような状況で命を落とす選択するケースも含まれます。その他のものも含まれますが、それについては上手く説明できないので省略させていただきます(これについては慎重な説明がありました)。
致死処分の3つ目となるのが、東京都が殺処分と呼ぶことにした、収容スペースや必要な人員の問題など人間側の都合で健康な犬や猫を死に至らしめる行為は、平成30年4月~平成31年3月の年度はゼロになりました。
 

■ 安楽死

見学当日の致死処分の説明の中で、この言葉が出てきました。「なるほど!」と思った話があったので、オマケ的に書いておきます。
尚、以下の話を誰がしたのか(センターの人なのか見学者なのか何かのナレーションなどなのか)は書きません。何故なら、厳密な意味では誤解・誤認識を与える可能性を多分に含むからです。それをご理解の上、読んでください。

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安楽死というのは、苦痛を取り除くことが出来ず、治療をしても回復の見込みがない場合に行うもので、健康な犬や猫を死に至らしめることを安楽死と呼ぶのはおかしい。
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今までは私は「人間の都合で命を落とすことは仕方ないことであり、その手段に苦痛がないに近いくらい軽減されていれば安楽死」と定義していると思っていました。つまり殺処分という言葉を柔らかく表現するために使うものだと考えていたのです。

人間の安楽死の場合、苦痛を取り除けない・回復の見込みもない、の他に本人の意志確認がありますが、これは犬や猫に聞くことができませんから外すにしても、無意識に「苦痛・回復の見込みなし」も見過ごしていました。
人間以外の動物に「死」の概念はないとおもいますので意志の確認のしようもないとおもいますが、苦痛もなく、病気も怪我もないのに、死に至らしめておいて「安楽死」と呼ぶことに違和感を感じていませんでした。

 
■ 同行避難

この秋の台風15号、19号による避難所開設の話もありました。
災害時対応については、こちらは専門的な部署ではありません。各役所には「根拠法令及び関係法令」なるものがありますが、こちらのセンターのそれらには、災害対策基本法や災害救助法は入っていません。動物の愛護及び管理に関する法律に災害時のことが書かれていますが、具体的な避難方法や避難所運営についての記述はありません。

東京のセンター(東京都動物愛護相談センター)には特徴があります。名称に「相談」が入っていることです。他府県では入っていない所の方が多いとおもいます。
また、先の「動物の愛護及び管理に関する法律」の法改正で「動物愛護管理センター」なる言葉が出てきました。ここにも「相談」は入っていません

たぶん「相談」が入っているので、人と身近な動物との暮らし全般について問い合わせがあることを想定し、避難所のことも守備範囲にしているのだとおもいます。
避難所は各地域(自治会など)で運営することになっていますので、管轄は区市町村になります。なのでセンターとしては一般論として話をすることになるとおもいますが、以下のような話がありました。

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今まで避難所運営は「大規模地震」を想定していました。避難所に避難する人は住民の全てではありません。家が倒壊していない人は自宅に留まる人もいるだろうし、悲しいことにお亡くなりになっている人など、避難所に行かないことにした人、行けない人がいます
それに対して風水害「これから大きな被害が出るだろうから避難してください」と住民の方に呼びかけますから、その地域の人、全てが避難所に行くことになる可能性があります。つまり、地震の想定よりもはるかに多くの人が避難所を利用することになります。
この問題については、今後の検討課題になります。
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先の台風の時に開設された避難所の対応が問題になり、ニュースなどで取り上げられていました。
想定外の数の人が来てしまったことから混乱し、同行避難してきた人たちの対応が出来なかったのかな、ともおもいました。

何が起きたのか、自分が暮らしている地域では何が起こる可能性があるのか。同じ東京都に暮らしていても、住んでいる地域によって避難所の対応が大きく違う可能性もあるのか。

都民としては、東京都が(避難所の動物の受入れについてはセンターが)「最低限、これだけはやるようにしましょうね」とラインを決めていただき、具体的に「こんな方法がありますよ」と提案もしていただきたい。それがあれば各避難所を運営される方々も準備を考え易いとおもいます。
そして、それが実行されているか東京都(センター)がチェックするようにしていただけたらと願っています。

  

■ 啓発活動

センターに動物がほとんどいませんでした。となると、職員の方々の仕事は変わってくることになりそうです。
センターの仕事は動物の管理以外にもあります。現在、最もウェイトが大きいのは動物取扱業の関係ではないかとおもっています。
その他に啓発活動もあります。見学時の説明でも、小学校などに出向き、犬や猫とのコミュニケーションの取り方などを教えているスライドやビデオも見せていただきました。ビデオは職員の方たちの手作りでした。
ネットに公開されているビデオとしてはこちらが有名ですが、私を含め当日の参加者たちも、このビデオは幅広い人に見ていただきたと願っていました。

今回、一緒に見学に行ったメンバーの中には、身近な動物に関わる活動をしている人がほとんどでした。そのような人の中から「もっと啓発活動をしてくださることは出来ないのか?」との内容の質問(意見?)が出ました。
質問の内容は「子供たちへの啓発活動も重要ですが、住民への啓発活動にも力をいれていただけないでしょうか」というものでした。
 

時間の関係もあり、深い話にならなかったのですが、私も同じことを常々感じています。
私が感じているのは以下のような現状からです。以下の内容は見学時に出た話ではなく、今が個人的に感じていることです。

都知事の公約である殺処分セロが達成されましたが、それは東京都が認定している譲渡団体が多数引き出し譲渡しているから。
私はここが最も寄与しているのだろうなと考えていたのですが、収容頭数も減ってきていることも数字に表れていました。

最後まで数字的に根強く残っていたのは子猫。
これを減らすにはTNRという活動(TNRとは飼い主がいない猫に避妊・去勢手術を施す活動)が必要になります。
収容頭数が減ってきたのは、誰かが一所懸命TNR活動をしたことが大きいとしか考えられません。
誰がやったのか。ボランティアの方々です。
個人の時間と捕獲するための道具や手術代、移動にかかる経費、道具や自分自身の衛生管理にかかる経費などを負担して続けてくださっている結果です。寄付などもありますが、それだけで賄えていることは珍しいのではないでしょうか。また、寄付を集めるのも容易ではありません。忙しい日常生活の中で時間を作り、行ってくださった結果です。

こんなに大変で、地域のためになり、東京都行政の軽減に繋がる活動であるにも関わらず地域で理解されないことが多いのです。
「猫好きが勝手にやっているんでしょ。でもねウロウロされて迷惑なんですよ」的なものや「何でもいいから猫どっかにやって!」くらいの話も聞きます。
理解してくださったのかなとおもっても「色々とやってくださってありがとう。でも、私はお金出せないの。手術代なんて無理。私が餌をあげている猫ちゃんが調子悪いんです。ちゃんと(あなた達がお金払って)病院に連れて行って」という話も聞いたことあります。

本来、TNR活動は地域猫活動の中の一つなのですが、この地域猫活動もなかなか理解されないことが、まだまだあります。
理解が広まらないので、間違った(効果が出ない・続かない)活動をしてしまうボランティアさんも出てきているみたいです。
ある意味、混沌とした状態なのでは、と多方面からの話でおもうことがあります。

もし東京都が「地域猫活動とはこういうものですよ」ということを、「(各区市町村の)お役所の方々は地域猫活動というものを理解するように」そして「その上で、各区市町村で啓発活動をするように」と強く指導し、その補助的な活動をセンターが行っていただければと、と願うことは以前からありました。

現在の殺処分数ゼロは、ボランティアの方々の犠牲といってもいいくらいの負担で辿り着いた結果です。
それら活動が続けられなければ、まず収容頭数が増えるようになり、その後殺処分数はゼロではなくなることとおもいます。
 

日本では「民間で出来ることは民間で」となってきましたが、身近な動物に関わる活動に於いて、行政が行うべき啓発活動があると私は考えています。民間の団体が「こうあるべき」と言っても「それはあんたの考えで、私の考えは違う」と言われてしまいます。
役所の人が「法律ではこうなっていますので、このようにお願いします」と伝えれば違います。また、センターの方々のように日々相談や苦情を受けながら、生身の動物を扱っている人の言葉は説得力があります。
是非ともセンターの方々の知識と経験を活かした(そして区市町村と連携をとった)啓発活動を動物行政の柱の一つにしていただきたいと願います。

 

■ これからのセンターの業務(私が願うこと)

前段で「啓発活動を動物行政の柱の一つに」と書きました。
その理由は、センターの職員の方々は「日々、身近な動物に関わっている人からの相談や苦情に対応していること」と「獣医師という資格を持つ方が多々いらっしゃり、日々生身の犬や猫を扱っている人たちでもある」そして「関係法令に詳しい」からです。
そのような方々を中心に(今まで行こなってきた啓発発動に加えて)TNRを含めた地域猫活動や同行避難についての啓発活動や指導も行っていただきたいと考えています。

各地域での猫の活動も、猫の状態や地域の雰囲気(苦情のあり方)などの判断も、やはり獣医師の資格をもつ職員の方々にしていただけたらと願ってやみません。

同行避難についてですが、慣れない避難所で犬や猫がどうなって、何が必要になるか、もセンターの方々に考えていただき、指導していただきたいと考えています。
放浪動物などがセンターに収容された時、犬や猫にとってそこは「慣れない場所」です。つまりセンターでは日々慣れない場所にいる動物たちを扱っているのです。
なので、是非こちらの啓発活動もしていただけたらと願っています。
 

他にどんな業務に力を入れてほしいかと考えたとき、動物取扱業の監視の結果からの現場での確認・指導・処分決定など。

今年のことだとおもいますが、命に係わる感染症を蔓延させてしまった動物を取扱う施設があり、ニュースでも話題になりました。会社組織で経営者が動物施設の衛生管理を甘く考えていた結果だとおもいます。
そのニュース記事を読んでいて「センターの人に権限与えれば、こんなの即指導・即処分だろうな。取締まる法律にまだまだ不備があるからこうなるけど、センターの人たちはすぐにでも対処したいだろうな」と想像しました。

現在、取締まりがし易くなるように、数値基準を作ろうとなりましたが、動物の状態は経験豊かな人しか分からない部分もありますので、数値的にも完全に環境が悪化してしまう前に対応できることがあるのではないかと考えています。
それが出来るのは、日々色々な個体が出入りするセンターという特殊な場所で、獣医師という資格をもち健康の隅々まで、時に命に係わる責任を負っている人たちだからこそ身に付くものだとおもっています。

動物取扱業の書類のチェックは別部署でもいいとおもいますが、現場の確認はやはり獣医師の資格をもち、日々動物たちのケアをしている職員の方々にお願いしたいとおもいます。そのような体制により、事件事故が大きくなる前に対応出来るはずです。
 

センターの業務として、特定動物(危ない動物)を飼う場合の許可や指導も行っています。人に危害がないようにしっかりやっていただきたいと思うと同時に、その動物たちのことを考えることが出来るのも、センターの方々ではないでしょうか。
更に、人畜共通感染症の調査なども行っています。また、一般飼い主ではないプロ相手の許可・監視指導などもあるようです。
 

職員数からみて「どうやってこれだけの仕事をやるの?」と盛り沢山な内容です。
現状でも人員を増やしてほしいものです。
 

このように多くの業務の中でも、殺処分ゼロの状態を続けるためにも、啓発活動には力を入れていただくことを祈っています。
そのためにも「殺処分ゼロ」が社会にとってどのような意味があるのか、都知事や都議会議員の方々に理解を深めていただきたいと切に願います。

 

■ 最後に(更に私が願うこと)

今回の見学は、見学前の予想とは(収容動物の数も収容動物を取巻く状況も)違い、戸惑いさえ感じました。
今までのような殺処分のその時まで収容する施設でなくなったことは嬉しいことですが、この先、どうなるのだろうと疑問をもちました。
獣医師免許を持ち、日々動物たちと向き合い、動物関係の苦情を受けることで市民感情も理解し、また関係法令に詳しい職員さんが多々いらっしゃるセンターの今後が気になります。

前段の最後に書いた太字部分にピンとこない方も多いかとおもいます。
私はこんなことを考えてしまったのです。

「殺処分がゼロになったのだから予算を削るべきでは?、と考える都知事や議員もいるのでは?」

動物取扱業に関わる業務が増えても(業者の数も増えるし、法改正で提出書類も増えても)人員は増えない。ただただ大変になるばかり。その上、収容動物が少なくなったことや殺処分ゼロとなったことで、予算が削られてしまうのではと懸念してしまうのです。

確かに、収容動物の管理に関わる業務は減ってきましたが、この状態を維持するために、今まで培ってきた経験や知識を必要する業務があるのではないかと考えています。


近年、多頭飼育崩壊が問題に表面化していますが、マスコミ記事を読む限り、当事者の中には周囲の人たちとコミュニケーションがとれない人が多く、本人の説得に時間がかかり(または全く説得に応じてくれなくて)状況が悪化し、頭数も増え、目を覆いたくなるような状況が続いてから、裁判などの強制的な手続きが行われることが多いように感じます。

先の法改正で数値基準を設けることが決められています。何の数値基準かと言えば、飼育環境の、です。
先日、記事で読んだのは一頭当たりのケージなどのスペースでしたが、悪臭や床面の細菌叢の状況なども数値基準を設け、業者・一般飼い主どちらであっても多頭飼育崩壊に向かっている状況にあれば、犬や猫を保護できるようにしていたきたいと考えております。

実際このようなことが実現したときに、数値のみだけでは判断しきれない、または余程酷い状況にならないと基準に満たないことになるのではないかと予想しています。
なので、それ以前の状況のときに以下のような対応が出来ればと考えています。

まず、強制的に中を見せてもらわないとなりませんから、警察の協力が必要になります。
警察官センターの職員の方が中を見て判断してほしいのですが、対象となる人の多くは、何らかの問題を抱えていることが多いようなので、ケースワーカーも共に入ってほしいです。そして、後方支援(すぐに協力してくださる体制)として(人間の)医師弁護士財産の管理を行う専門家、などもチームに入れておいて欲しいのです。

これら専門家により、対象者の諸状況を客観的に把握し、サポートして解決出来るものは出来る限りのことをし、解決出来ないのであれば迅速に法に則った対応に向けて動くようにしていただきたいのです。
客観的事実の把握を行い精査すれば、動物の飼育を禁止する(権利を制限する)ことも可能になってくるのではないでしょうか。

このようなことを行うときに必要となるのが、獣医師免許を持ち、苦情対応もし、関連法令に詳しいセンター職員の方々ではないかと考えています。

となると、今在るセンターの建物は必要なくなるのか?

身近な動物に関わる行政活動が進み難い理由の一つに、市民の意識のばらつきが大きいからだと感じることがあります。
極端な話になりますが「犬や猫が虐待されても私には関係ない。何故そんなことに税金が使われるのか?」と考える人もいますし、未だに「犬や猫が交尾し増えることは自然の摂理であり、人間がコントロールすべきことではない」と考える人もいます。
現在の法律では、愛護動物の虐待は刑事罰対象になっているし(動愛法44条)、繁殖制限も「犬又は猫の所有者」は「講じなければならない」(動愛法37条)と書かれています。

このような分かり易いことだけではなく、身近な動物との関わりについて、最低限何が必要かを都民に知らせ、また都民の感覚を確認する必要があると考えています。
その方法は「聴き取り」ではなく、譲渡会や(しつけや公衆衛生になどに関する)講習会(=啓発活動)を通して行うのが効果的ではないでしょうか。

そのような場所にセンターが活用されることを願っています。

 

途中から、今回の見学のことではなく、動物愛護相談センターの今後の話になってしまいました。
それくらい現在の施設内に大きな変化を感じました。
私は以前も見学したことがあるからこのように感じたのかもしれませんが、世の中の噂からセンター(収容施設)の雰囲気を想像している人も「全然違うじゃない!」と感じることが出来ると思います。

見学するなら「今」だとおもいます。
見学についての問い合わせ先は、冒頭に書きましたので、そちらを参考にしてみてください。
 

私たちが多摩支所を見学した日は、天気もよく目の前の土手ではたぶんドラマと思われる撮影が行われていました。それくらい景色のいい所です。多摩支所からは(一部のロック好きな人しか分からないと思いますが)都立日野高校が見えます。
最寄り駅(といっても20分くらい歩くのですが)は多摩モノレール・万願寺駅になります。この近くには土方歳三資料館もあります。

本所(八幡山)の近くには、芦花公園(蘆花恒春園)があり徳富蘆花の記念館や旧宅などもあります。そこから少し歩くと世田谷文学館もあります。更に歩くと京王線・芦花公園駅に着きます。
比較的近い駅である京王線・八幡山駅までの間には大宅壮一文庫もあります。
逆側(小田急線方面)に環八を歩けば THE SPA 成城があり、SPAの他に飲食店もあります。こちらを利用されると、小田急線の千歳船橋駅、成城学園前駅(祖師谷大蔵駅経由)、京王線の千歳烏山駅の各駅まで無料送迎バスが利用できます。

長々と書きましたが、難しいこと抜きにして、お友達たちと軽い気持ちで「実際はどんな所なんだろう」と見学に行くのもいいのではないかとおもっています。

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2019年10月 7日 (月)

犬種特性

つい先日、犬の繁殖業のことについて書いた(とても驚いたこと(後書きブログ))。長編なこともありますが、何度も書き直している間に「犬のことに興味を持っている人たちに読んで考えてほしいな」とおもった記事がネットに載っていた。
残念なことですが、時間が経ったら2ページ目が会員登録しないと読めなくなってしまった。
ですが備忘録として、このブログに書いておきます。

 

昨今の日本では犬や猫の殺処分数が話題になることが時々あります。以前はなかなか一般のニュースにはなりませんでした。

この問題を議論するとき「問題行動」がテーマになることがあります。ここでは「攻撃性」とは書きません。攻撃性について焦点に絞って語りたがる人が少なからずいらっしゃいますが、それだけではないし、攻撃性の定義についても人によって違うようなので、ここでは人間に対して「問題」になる「行動」として話をしたい。

以前SNSで(殺処分数の話題の中で)犬の攻撃性について話し合っている人たちがいました。その中に「産まれて来る時は皆同じ。その後の環境で変わってしまう(攻撃性を獲得する)」と書いている人たちを見た。ここまで犬を知らないことに驚いたが、日本人の中には少なからずそのような人たちがいるのかもと思ったりもした。

ただ殺処分の問題を論じるのなら、それなりに調べた上で発言していただきたいものである。

 

そのような人たちに読んでいただきたい記事が以下のもの。

イヌは品種によって脳の構造も違う、お役目と関連
品種改良で「脳の進化が急激に進んだ」と研究者
https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/19/090400515/

 

動物の基本的なことを学んだことがある人は「時間の無駄だった」と感じるかも。
人と身近な動物の関係を学んだことのある人なら「えっ、今更?」と感じたかも。

この記事の中で面白いと思った言葉があります。

「偽の動物」
(内容が2ページ目に書いてあります。公開当初は登録しなくても2ページ目が読めました。今は読めない・悲)

では「本物の動物」って何?、そこをちょっと考えてみていただきたい。

(英語で云うところの)「野生動物」と「家畜」の違いについて学び、それらどちらにも接した経験もあり、犬が産まれながらにして(野生動物との違いは勿論のこと)多くの「家畜」とも違うことを体感している人であれば、「偽の動物」の意味は感覚的にも理解できるとおもいます。

 

ついでにもう一つ。
アメリカ教育省が1993年に定義した「ギフテッド」という言葉をご存知だろうか。
人間の話です。産まれてきた時にもっているものがあり、多くの人とは明らかに違う人のこと。WikiPediaはこちら
「産まれて来る時は皆同じ」ではなことが、今の世の中の定説になっています。

他の動物と同じだった犬が、今の犬になった歴史を考えてみます。
(偽の動物である)犬になる前の状態から、犬になるまでの間、人間によって選択繁殖されてきただろうことを想像する人は多いとおもいます。
どのような選択繁殖か?
人間とのコミュニケーション能力に長けている能力、その意味での「ギフテッド」の犬を選んできた。訓練(人間の言葉もどれだけ発達していたか分からない時代に、動物の訓練なんてあったとしても大したものではないはず)しなくても人間とコミュニケーションがとれる個体を選択繁殖したのだろう。
「選択繁殖」と書くと固く聞こえるかもしれない。こう書けばいいかな。

自分ととても分かり合える動物に出会った。その動物の子供欲しいとおもって子供をとった。

こいうことだ。

 

話がどんどん逸れてきたので、思いっきり逸れてみたいと思う。
冒頭に紹介した先に書いたブログの続きのようなこと。

このような(選択繁殖の)積み重ねが、今の犬となっている。
その副作用が問題行動や遺伝性疾患。
(野生における生存競争のような)外的要因全てを考慮した生命力ではなく、人間とのコミュニケーションを優先した選択繁殖なので、そのようなことになってしまうのだろう。

繁殖業のプロの人たちは、このようなことが感覚として身についている人だ。
人間がやってきたことの積み重ねによるリスク、自分が行うことによるリスクも重々承知。
素晴らしいとおもう犬の子供と暮らしたい。勿論、繁殖した犬に一生について責任をもつ。譲った犬に対しても。
どれだけ大変なことか分かっているが、繁殖した全ての犬の一生を知らなければ、素晴らしい犬がなんであるかさえ分からない。ただの自分勝手な「好み」になってしまう。そのことも理解している。だからオープンな場であるショーにも顔を出す。

 

多くの犬の一生に携わる。
犬が産まれる前から携わり、その一生を知り、思い出になったその後も。
さらに客観性も備えるように気を配る。

繁殖業とはそのような人たちであるはず。

 

英語では、ブリーダーに対してパピー・ミルという言葉がある。長年、この言葉を(マスコミが)どう訳すか悩んでいたようですが3年くらい前から「子犬工場」とすることが一般的になってきた。
子犬を作り出し商品として売る。ほとんどの場合(命のない商品と同じく)最終購入者とは接しない。それで良いと思っている最終購入者がほとんどだかから。
最終購入者(飼い主)の意識が変わらない限り、根本的な解決に繋がらないと私は感じている。

 

紹介した記事の2ページ目の最後に書かれていること(IDを取得しないと読めないことなのでここにはコピペしませんが)が印象的でした。
私の言葉で言い換えれば、

人間は周囲の環境をより暮らしやすいものにしてきましたが、他の動物の脳をも変えてきた。だから今の人間に暮らしやすい世の中がある。その代償もあるはず。それを認識しつつ恩恵を享受すべきだろう。

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2019年10月 3日 (木)

とても驚いたこと(後書きブログ)

何度も書き直してぐちゃぐちゃになってきたのでもうアップちしゃいます(苦)
「長くて読み難いものなんてアップするな!」と言われてしまいそうですが、この書込みは万人向けではありません。身近な動物たちとの環境を総合的に把握できる若い人が出てくることを祈ってアップしておきます。

 

ゴールデン・ウィーク辺りに色々とあり、その頃のことを後書きブログとして幾つか書いた。
今回の内容はその時のものではない。今年のことでもなければ昨年でもない。一昨年かもしれないし、もっと前かもしれない。
そんな昔のことを今更なぜ書くのか?、私にとって、それはあまりにショッキングな内容だったから。これから書くことを理解できる人は、誰が何を言ったか気になって仕方がなくなるとおもいますが、それが誰なのか特定しないで欲しいから。したところで大勢は変わりませんし、良い方向に向かうことはありませんから。

読んで(「なんとなく」でいいので)分かってほしいのは、動物愛護とか動物福祉と呼ばれる範囲は幅も広く、各分野の奥行きも深いということ。
それと繁殖業つまり繁殖のプロとはどのような仕事で、素人繁殖とは何が違うべきなのかを、各自「考えて」ほしい。これは「分かって」ほしいではありません。何故なら、繁殖するにあたり、何を考慮したらどれくらい違いが現れるのかを、ここで細かく書いても理解されないから。書いたくらいで理解されるのであれば、誰かが書いて(日本に限らない)繁殖業への誤解はなくなっているはずだから。
(本当の意味での)ブリーダーと呼ばれている人たちが、繁殖に、そして生まれ来た犬たちにどれだけ心血注いでいるかは、そのような人と付き合わなければ分からないとおもうから。

これから書くことで「繁殖」を行う際に、どれくらいの範囲のことをどれくらいの注意と責任をもつべきなのか(答えが出なくても)「考えて(想像して)」ほしいのです。
考えていただける人が増えれば、安易に純血種を求める人は減るだろうし、経験・実績豊富なレスキュー団体(里親探し団体)から犬や猫を譲り受けることがどれだけ価値があるかも理解していただけるだろうから。

  

■ まず、私が遭遇した吃驚したこと。

とある人たちが「ホビーブリーダー」という言葉について論じていました。何をもってそう呼ぶのかという話もあった。話の流れから、私が抱いていたその言葉のイメージと同じだろうなとおもった。
私は「個人というか家庭でオスとメスを持ってきて繁殖しているような人たちのことだよね。日本のチャンピオンだったりするけどれど、それだけでいい犬が生まれてると思っていたら恐ろしい。でも、いっぱいいるよな。つまり、飼っている環境は良い様に見えるけど、犬の健康をよく考えるという意味での環境は備えていない人たち。備えていないというか、広い意味での健康を理解していない人たち。私はあまりお付き合いしたくない人たちだな」とおもった。不思議なことですが、世の中には、このような繁殖者を「素晴らしいブリーダー」と呼ぶ人たちがいることも事実なのですが、人前で議論していた人たちの中にも「何か誤解しているんじゃない?」と思う人もいて「テーマとして扱うと分かっているのであれば調べてきた?」と思ったのですが、たぶん調べても分からなかったのだと思います。つまりその人の周囲の人には、そのような知識がある人がいなかったのではないか、ということに驚いたのです。

人前で議論をするような人に中には「犬の繁殖の現場について、こんなにも知らない人がいるのか。この人がこの程度のことしか話が出来ないということは、この人の周辺の人も同程度の知識しかないのか。そのような現状で人前で論じるのか?」と吃驚でもあり、悲しくもなりました。
 

■シリアスホビーブリーダー
言葉遊びは嫌いですが、繁殖者のタイプには幾つかタイプがあるということを知ってほしいので、書かせていただきます。

ホビーブリーダーに似た言葉で、シリアスホビーブリーダーという言葉がある。
私はこちらの人たちとは積極的に付き合いたい。しかし世の中には「ショーとかやっている人たちでしょ?」と一瞥する人さえいる。その通り、世界基準で犬の健康を見極める場に出ている人たち。

「ショーってインチキいっぱいなんでしょ?」という人がいます。「そうですけど」と私は笑顔で答える。「そんなインチキくらいすぐに見破ることが出来なくて、犬の健康が分かるんですか?」と続ける場合もありますが、相手によっては口には出さないこともあります。

 

この文章を書いていて具体的なことを書いては消した。(とても残念ことですが)書いたところでほとんどの人には理解されないだろうから。
消し過ぎて意味が通じないかもしれない。それでも書くのは、広い意味での「犬の健康」への理解が広まれば「犬や猫を気軽に迎える人は減るだろう」から。そして「気軽に捨てる人はいなくなるだろう」から。

 

プロの繁殖家がどれだけのことを考え実行しているかを知れば、また、ほとんど何も考えず(衛生環境くらいはよくしておいて)繁殖することの恐ろしさを知れば、それがショップであろうとブリーダーと呼ばれる人であろうと、どんなところからでも仔犬を入手することには慎重になるはずです。
そして(先にも書きました)歴史と経験のあるレスキュー団体(里親探し団体)が如何に価値があるか、気づくことになるでしょう。

では、どんな理解が進めばいいのか書こうとおもいます。
 

それを書く前に、驚いただけで知らないことを非難・批判するつもりはないことを書いておきます。
繁殖することを批判する人たちは、悲惨な問題の直近の解決に尽力してくださっている人たちなので、「とにかくもう繁殖しないで!」という気持ちになることは理解できます。とにかく凄い犬猫余り状態なのです。なのでそのような人たちが理解する暇もないということは理解しています。

そのような人たちが(時間的に難しいとおもいますが)理解してくだされば、全体的な話の進み方もよくなるだろうという気もちもありますが、何より私が理解してほしいと願う人たちは、一般の飼い主さんたち。犬や猫を飼っている多くの人たち。これから迎えようとする人たち。今でなくても、いつか迎える人たちです。

 

やっと本題。

■プロの繁殖者ってどんな人?

繁殖者のプロに求められるものって、なんだろう。いや、もう一歩手前から考えてみましょう。
「その仕事で「プロ」と呼ばれる人たちって、どんな人?」と問いを変えてみます。

素人でも知っているコトは当然知っていて、更に知識があり、技術的に普通の人が出来ないことを確実に行う人。
料理人は料理のレシピを知っている。普通の人が知らない知識や普通の人が出来ない技術もある。普通の人が作る段取りとは違う場合もある。
それは、お客さんがやってきて、数分の内にある程度のレベルのものを確実に出さなければならないから。
お店で「いつも通りに作れなかった」とか「失敗して作り直し」は論外ですですよね(年に1~2回ならいいかな)。
それともう一つ。接客といかお客様対応。お客様に商品を理解してもらうこと。
「ラーメン」だけの看板を出していて、激辛ラーメンしかないお店だったら、お客さんの中にはメニューを見て店を出る人もいますよね。
自分が何を提供するかを出来るだけ伝える、そして心地よく利用していただく。このようなこともプロの仕事に含まれると、私は考えています。

では、繁殖者に求められるものってなんだろう。
健康な雌雄を持ってきて子供を産ませること?

これ、誰でもできますよね。プロと呼べるでしょうか?
プロ用の道具を揃えて、仕込みの仕方を教えてもらって、それで飲食店が開業できるでしょうか?、ファストフードのように、誰でも間違いないような仕込みがしてあり、マニュアル通りに作る技術があれば、どうにかなるでしょう。
それを個人のお店がやって、続くと思いますか。まず初期コストが膨大になり、回収までに時間がかかり、個人経営では続けるのは難しいとおもいます。
そのようなお店が出来たとしても、たぶんチェーン店に行った方が、無難に美味しいものが出てくるし、お店もゆったりしているでしょう。お客側の「そのお店に行くメリット」は何でしょうか。出てくるものが同じなら、店内の環境が良かったり駐車場があるお店に行ってしまいます。

「そのお店にしかない雰囲気やサービス」がなければ、たぶんお店として続かないはずです。そしてもし続くことが出来たら、つまり「行く価値のあるお店」と多くの人に認められたなら、それはプロと呼んでもいいとおもいます。
でも(お客側の勝手な高望みですが)「材料に拘って、全体的にも作り立てで、店内も気持ちよく、給仕・接客も心地よい」を私は望みます。
全てに(拘るというか)細心の注意と向上心をもって仕事に向き合ってほしいとおもいます。それは誰もが出来ることではなく、心からその仕事が好きだから苦労も厭わず続けることが出来、その積み重ねで、経験も知識も豊富になり、それが料理に現れるのだと思っています。

私は以上のように考えます。ではもう一度。
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では、繁殖者に求められるものってなんだろう。
健康な雌雄を持ってきて子供を産ませること?
--------------

これだけでプロと呼ぶのはおかしいのでは?、と私は思います。
飲食業で例えるなら、それなり道具を揃えているだけではないでしょうか。

「いや飼育環境が問題なんだ!、ハード面ではなく、ソフト面だよ」と言い出す人がいるかもしれません。
それは、繁殖者だけに言うべきことなのでしょうか。繁殖ではなく飼育する人、全てに求めるべきものであり、繁殖を語る以前の問題なのではと、私は考えています。

(余談になりますが、、、あくまで余談です)
現在、そのようなことを第一種動物取扱業者(大まかに説明すると、第一種は商売で動物を扱っている人たち、第二種はボランティア団体など)に酷い飼育環境にしないでもらうことを強く求める動きがありますが、なんで第一種(商売の人たち)だけなんだろう?、と私は不思議でなりません。
第二種(ボランティアなど)だって、一般飼い主にだって求めるべきなのでは?、とおもっています。
平成30年度の東京都の審議会で私の考えと同様の意見が出てくれたのは、とれも嬉しかったです。近い将来、法律かその手前の文書にこれらが記載されることを祈るばかりです。
(余談ここまで)

 

では、プロの繁殖者に求めるものは何か?
まず「健康である子を産ませる」こと。
たぶん「はぁ?」とおもう人も多いとおもう。しかし「健康」には色々な意味が含まれています。

「犬や猫って、みんな健康に産まれてくるんでしょ?」と思う人も多いとおもいます。
犬や猫のお産の手助けをしてきた人たちから話を聞くと、呼吸が停止して生まれてきたり、犬種によっては難産が当たり前のこともある。
こういうこともよく分からず、何気なく繁殖を続けてる人もいると聞きます(これはすぐに気づくとおもいますが)。

人間を含め動物にも植物にも遺伝というものがあります。
この20数年で遺伝性疾患という言葉を知る人も増えました。それらの中で幾つかは(遺伝子検査の技術の発展で)検査もし易くなったこともあり、情報が広まりました。しかしそれは遺伝の中のごく一部の話です。
難産かどうかも遺伝が関わっていることがあります。難産と肥満が関係することもありますが、肥満も遺伝が関わることもあります。命ある者の行動の全てに、遺伝が関わっている可能性があると言っても過言ではありません。
とにかく遺伝というものがあり、膨大な情報が受け継がれる。そこのことを何気なく知っている方は多いとおもいます。

 

■犬を選ぶ

犬は長い歴史の中で、人間により選択繁殖されてきました。人間に都合の良い遺伝子を持った犬を積極的に繁殖してきました。その結果「犬を選ぶ」ということが出来るようになっています。

現在、日本では「犬種が決まれば、あとは縁」とか「犬種なんて何でもいいし、雑種でもいい、出会いだ!」などの話は珍しくありません。犬を選らぶことが悪いことのように言う人すらいます。犬余り、猫余りの、今の日本ではそのように感じても不思議はありません。

私は経験上「犬との幸せな時間を求めるのであれば、犬を選ぶべき」と考えています(「不幸な犬や猫を救うこと」が目的であればその必要はないかもしれませんが)。
人間が何を求めるかが決まっていれば、犬種を絞ることができます。犬種の中でもタイプがあります。そのタイプの中でも血統で、より自分の好みの犬を探すことができます。それは、犬との幸せな時間のためです。犬にとっても幸せな時間になってもらうためです。不幸な犬を生まない意味でも理解していただきたいと祈っています。

人間は犬に特徴付けをしてきました。それは遺伝子を偏らせたと言ってもいいとおもいます。その副作用(?)として遺伝性疾患などが現れることもあります。

遺伝により気を付ける(繁殖の長い歴史の中で分かっている)項目数は、繁殖の現場をご存知ない方には驚かれるくらいの数があります。
とても分かり易い(見えて判断し易い)話をすれば「容姿」。容姿を語るには、その基本的な体型が分かっている必要があります。それと比べないと話が噛み合いません。

容姿だけではありません。分かり易く言えば「体」だけではなく「心(脳みそ?、性格?)」についても。
スタンダードという言葉を聞いたことがある人もいるとおもいます。ドッグ・ショーなどでは、そのスタンダードを基準して審査をします。そのスタンダードの中に「習性や性格」などの規定もあります。
しかしそれら(体や心の基準)はとても大まか。ちゃんとその動物に向き合っている繁殖者の話を聞けば、大まかでなければやっていられない現実は分かってきます。書いても理解されないとおもいますが、厳密することによる弊害もある。またチェックポイントは無数と云ってもいいくらいあり、それらは関連していることもあり、厳密にしてしまうと矛盾が出てくることもあります。
されに言えば、健康という意味では、それほど重要ではない事柄で「好み」として幅をもっていい事柄もある。

それらの事柄の「優先順位」も「好み」の問題になる。
とっても大雑把で乱暴な話として「体(形)」と「心(性格)」のどちらを優先するか。(実際問題、これらはある程度関連があることが分かっていますので、話として適当ではありませんが)「あなたは、どちらを優先しますか?」と問われたら、なんと答えますか?

 

「見た目なんていいんだよ。特別性格がいいとかも望まないけど」と考える人も少なくないとおもいます。私も昔はそう思っていました。
しかしまともな繁殖者(私がブリーダーと呼ぶ人たち)と話を重ねる毎に、考えが変わりました。

繁殖のプロと呼んでいい人たちが常に考えていることは、自分が繁殖した子たちが一生幸せに過ごすことです。なので、直接飼い主に譲ることを基本とします。そして譲るときに「どうしても手放すときは連絡して」といいます。引き取る覚悟があるのです。
彼らは繁殖した動物たちが幸せかどうか気になって仕方がありません。なので、飼い主たちと付き合い続けます。現実は、全ての飼い主さんがそれに応えてくれません。いつの間にかお付き合いがなくなる人も出てきます。なので尚更出来るだけ付き合おうとします。

その結果、自分が繁殖した動物の一生がどうだったのか、を知ることになります。同業者同士、そのような話の情報交換をすることもあります。結果として膨大なデータ・ベースのようなものになります。
そのようなことから分かっている分かり易い例として、高齢になったときにどのような病気が出易いか。
獣医療が発達した現在「原因は分からないけど死んじゃった。それなりの歳だったので寿命だよ」の時代ではありません。何かしらの病気で亡くなるか、病気といえなくても「腎臓が弱わっちゃってね」などある程度のことが分かるものです。そのようなことの傾向も分かってきます。
自分が繁殖した動物が、どのような最期を迎えるかを知り、次に繋げるのです。
最期なんて縁起でもない話をしましたが、分かり易い事柄だと考え例に出しました。

最も気になることは「その家庭に喜んで受け入れられるか」「馴染むことが出来るか」だとおもいます。それが出来れば、最期も穏やかに迎えることができるでしょう。思い出の中でも、幸せに暮らすことが出来るでしょう。

このようなことをことを語るときに「見た目」が如何に意味あることか、私は知ることになりました。
「見た目がそんなに重要なのか。そんなヤツに犬や猫を飼う資格ない」と言いたくなる人もいると思いますが、見た目(仕草などを含む)が気に入るか否かで、その犬や猫の幸せが変わることを、多くの話を聞き実感しました。また、私が犬と暮らした時間の中で、それを強く感じたことは何度もありました。

簡単な例でいれば「しつけ」です。人間と上手くコミュニケーションが取れるようになれば表情が変わります。人間から見て穏やかにに感じ、共に過ごす時間に安らぎを覚えたり、共に感情を共有しあえたりしてきます。
「しつけ」し易さ(人間とのコミュニケーションの取り易さ)も遺伝に依るところが大きいです。

 

■作り話

ここまで「プロの繁殖はとは?」と「遺伝」がテーマになっているので、少々長い「作り話」を書きます。

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ある人が純血種の犬を迎えようと考えました。ある程度勉強はしました。どんな犬種かくらいは分かっていました(本人として周囲の人に比べればとても勉強して、その犬種のことを熟知していると思っているレベル。本やインターネットで一所懸命調べたレベル)。なのである程度のブリーダーと呼ばれる人たちの所をまわりました。犬を迎えるにあたって出せる経費は、全部で(ショー通いやブリーダー巡りの交通費なども含めて)100万円くらいと決めていました。もちろん、仔犬のための食器やサークル、その他犬具、車に乗せるためにも揃えるものがあるのに気が付きます。家の中にも造作が必要だなと思ったりします。すると、犬そのものの対価としては30万円くらいしか使えなくなってしまいました。
自分が欲しいレベルの犬を手に入れられる金額ではありません。ショー会場やブリーダーさんのことろで多くの犬に接し(「接する」ことが大事です。何故なら日々接することになるからです。)「自分と相性がよければ、見た目は二の次でいいな」とおもうようになりました。

この人の犬探しが熱心なことは、その犬種関係の人たちの中でちょっとした話題になりました。

(話の続きの前に、余談)
犬に「接する」ことが大事ですが、できれば何度か同じ犬に接してほしい。それは子犬よりも、繁殖に使われる雄犬・雌犬たちにです。
今まで書いてきたように「体(見た目)」も「心(性格)」も遺伝します。また、繁殖に使う犬(繁殖に使うといことは、素敵な犬たちであり、素敵な状態であると繁殖者がおもっているだろう犬)の飼い主である繁殖者にその犬たちの世話の仕方、付き合い方を学ぶ上ことで「この子は、こうだから、こう接している」ということを教わることが出来るのです。これは実際に接しみないと分からないことです。
そこから、各犬の違いが分かるようになってゆきます。違いが分かることで「健康」に敏感になってゆきます。比べることが出来るようになるからです。
その「違い」が分かるためにも、ショー会場などでも多くの犬を見て、接してほしいのです。その経験を通して、多くの犬好きと知り合い、話を聞いてほしいものです。
(余談終わり)

 

話の続き。

その人が通っているブリーダーさんのところで、ショーでいうところのスタンダードから少々外れた犬が産まれたとします。普通の人がちょっと見ただけでは分からないようなことです。しかしその犬種に詳しい人なら「まぁ、ときどき出るよね、こういう犬、ショーには出せないね」という感じのことです。

「見た目」の中の「健康」には何ら問題はありません。「見た目」の「外見」だけの話です。
例えば毛の色の出方です。遺伝性疾患と関連することもありますが、今回の「例え話」では関連しないことが歴史的に分かっていることだと思ってください(余談で説明します)。

(余談)
「見た目」と「健康」について。
犬が健康かどうか、何で判断しましょうか。血液検査や尿検査、レントゲン、DNA検査?、最終判断ならする人もいるかもしれませんが、ショーを見に行ったり、ブリーダーさん巡りをしている段階では、見せていただく犬の、そのような情報まで求めなられないですよね。
ドッグショーに通うことで、血統書を調べることや、犬の(動いていないとき、動いているときの)「見た目」から犬の健康をある程度想像できるようになってゆきます。検査をする訳にはいかないし、犬のことに詳しくなれば(遺伝性疾患などのこも知るようになれば)世間で知られている範囲の検査くらいでは不充分だと気が付きます。
骨格に関わる遺伝性疾患の(現在ある)検査に検査に全てパスしたとしても、歩様に「なんか違う」と感じることのある犬はいます。そのような項目がいっぱいあるのです。
結局(現実として)「見た目」で「どうみても健康に見える」を最低条件にすることになります。その目を養うにはやはり、同じ犬種が並ぶショーに行き、同じ犬種と付き合い続けているブリーダーのところに通い、同じ犬種の犬たちと接し続けることが大事なのです。
最終的に「よし、この犬とこの犬の仔犬を譲ってもらうことにしよう!」と思った時に、「この犬たちの仔犬を欲しいのですが、この犬たちはどれくらい遺伝性疾患について考慮されていますか」と聞き、検査の結果などについて教えていただくのがいいと思いますが、ブリーダー通いして話を聞いていれば、既にそのような話が出ているとおもいます。
(余談ここまで)

(余談、もう一つ)
「外見」だけの問題として(先にも書きましたが)分かり易い例は「毛色」の出方です。「模様」と言えばいいでしょうか。犬種紹介ページに載っているような色の出方の犬もいれば、そうでない犬もいます。
ダルメシアンの斑点やビーグルの色の出方などが身近ではないかとおもいますが、毛色の問題は奥が深く単純ではありません。
DNA解析技術が進んだ現在ですが、そのような技術のない時代から「この毛色の子は、こんな疾患をもっている(今後出る)可能性がある」と経験上分かっていました。目や耳の疾患と関わりがあることをご存知の方もいらっしゃるとおもいます。
今回の例え話では、このような歴史的な経験上、この毛色はスタンダードから外れるが、健康には関係「なと」分かっている「外見」だけの問題だとします。
(やっと余談終わり)
 

ブリーダーさんたちは、健康に問題ないけど見た目に問題ありの犬の飼い主探しに苦労します(理由は後述)。勿論自分の手元に置くという選択肢もあります。

勉強をしっかりしたために、お金を使ってしまい、更に必要なものを揃えるためのことを考えているから、犬そのものに支払うお金が限られてしまっている人に、その犬を託してみようかと考えました。代金はもちろん激安です。
その話を本人としました。本人も犬種という言葉を理解していたので、それが軽いことではないことを理解していました。軽くない話を自分にしてくれたことを嬉しくもおもいました。それなりの覚悟が必要なことも理解していました。

多少の毛色の違いですから、その人が夢見てきた「その犬種とのその犬種らしい暮らし」は実現できるはずです。
(出来れば)犬種図鑑に載っているような犬との時間を過ごしたい気持ちもあるし、この犬を迎えれば多少の中傷を受けることも予想出来ました。
しかし、経済的に限られているという現実と、毛色以外は素晴らしい犬であることを理解できていたので、この話を受けることにしました。

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犬が幼いときは日々大忙しです。そしてやっとやってきたその犬種との時間に幸せを実感していました。

性格がいいことも分かっていたし、自分との相性がいいことも分かっていましたので、しつけも順調に進み、誰からみても「いい子」になりました。
そして、色々な所へ出かけるようになりました。
子犬と呼ばれるような時期は、それだけで皆が可愛がってくれました。2歳から4歳くらいはまでは元気な盛りで、一緒に遊ぶのに精いっぱい。それは幸せな時間でした。

6歳を迎え、落ち着き始めた頃、違和感というか罪悪感のようなものを感じるようになりました。

共に過ごした時間の中で問題の「見た目」を指摘されたことはほとんどありませんでしたが、全くなかった訳ではありません。ブリーダーさんのご苦労も理解しているので、ブリーダーさんの名前を明かすこともしませんでした。
自分が何らかの当事者になると、同じような問題に目を向ける結果になることが多々あります。インターネットの(自分とは関係ない)書込みにも犬種という言葉に対する誤解を感じるようになります。
自分は勉強し納得して、この子を迎えました。何度か「見た目」ことを指摘されたことはありますが、きちんとお話しし納得していただけたとおもいますし、自分とこの犬の生活が幸せであることは、その方にも伝わっていたとおもいます。しかし「自分の人生」という限られた時間の中で「無理をしてでも理想を追い求めるべきだったのでは」と思うようになりました。
この子との時間は幸せに満ちていますが、もしより理想を求めていたら、もっと幸せになれたのではないか。私たちだけではなく周囲をももっともっと幸せに出来たのではないか。自分はそのために時間もお金をかけてきたのではないか。
そんな漠然とした違和感というか罪悪感を覚えるようになりました。

それは、この子に対してではありません。自分の生き方についてです。

自分が置かれた立場に落ち着くことが出来ず、一度諦めた夢を追ってみたいとおもうようになりました。
今なら体力もあるし、経済的にも(あの時に比べてれば)余裕があり、どうにかお金の工面もつくかもしれません。
「見た目」に問題ありの犬を連れて、またブリーダー巡りをしてみようかと、おもうようになりました。

そして、はじめに起こした行動は、今の子のブリーダーに相談することでした。

(終わり、、、にします)

 

■何が言いたいの?

さて、私は何が言いたいのでしょうか?
プロは、お客さんの気持ちに応えるのが仕事だと私はおもっています。今まで書いてきたのは「お客さんの気持ち」の一例です。
このようなことに応えるのがプロの繁殖者だと私はおもっています。

犬を迎えることを考えている人(お客さん候補)が訪ねた時に、そこが不潔だったら。犬のための衛生環境だけでなく、お客さんの気持ちにも応えていないことになります。もし犬に対して酷い扱いをしていたら。これもお客さんの気分を害しますよね。
それらを繕っていたとします。しかし犬と接すれば分かります。犬の汚れや人間との接し方などから分かります。
お客さんは「こんな人から犬をもらいたくない」と思うことでしょう。

現在の犬や猫の(ペットショップを通した)販売システムでは、このようなことはありません。繁殖者と飼い主が接することは、まずありません。

何故そうなのか。そうなったのか。それを考えていただきたいです。可能であれば「調べて」ほしいです。もし本当に調べることが出来れば、大きな戸惑いを覚える結果になるでしょう。
マスコミなどでは「悪い業者がいなくなればいい」と主張しているように見えます。そこだけで解決出来るのか?

私は違うとおもいます。
求める人がいる限り、違法行為になっても繁殖し販売する人はいるだろうし、その業界(?)は存在し続けるとおもいます。
現在、他の売買が法律で禁止されているものが違法に販売されているように。

「求める人がいる」限りこの問題はなくならないとおもいます。勿論「求める人」をゼロにすることは無理です。出来るだけ減らすこと、減らし続けることになるはずです。
その活動が始まれば、それは殺処分をゼロにしようと尽力している活動に似ているかもしれません。手を緩めれば元に戻りそうな問題という意味で。

 

■蛇足
既に結論めいたことを書いてしまいましたが、各飼い主さんの意識の移り変わりについて。

(最近ではありませんが)実際聞いた話として(ほとんど人と同じようにほとんど勉強せずに)純血種を気軽に迎え、その後、見た目のことを指摘されてから少し経ったら、その犬の姿が見えなくなった、という話を幾つか聞きました。

(これも最近の話ではなく、昔の話になりますが)ある繁殖者が以下のような話をしてくれました。
昔はね(昔の昔なので凄い昔のことです)、色の出方が悪かったり、その犬種らしくなかったら捻ってたんだよ。そのような犬は手元に置きたいけど、それをネタに「レベルの低い繁殖屋」って裏で中傷されちゃうし、自分はそんなことしないけどペットショップに売ったとして、ペットショップで売れ残ったらどうなるか知っているだろ?、あんなことさせたくない。売れたとしても、捨てられることがあるんだよ。安く売られるから「また買えばいい」って思うのかな。その犬種らしくない点を誰かに言われてイヤになるのかな。とにかく犬は居なくなって、何処にいったか話してくれない。返してくれればいいんだけど、何故かそれはしないんだよね、そういう人は。ショップじゃ返しても受け付けないだろうけど。だから、とってもしたくないけど捻っていたよ。そういう時代だったんだよ。

この「昔の昔なので凄い昔」は、純血種の犬や猫をペットにするのは珍しい時代で、飼われている多くの犬や猫は雑種で、犬は外飼い、猫は家の中と外を自由に行き来するのが当たり前の時代です。今話題の殺処分数は、今の10倍以上。インターネットも普及していないどころか「インターネット」という言葉をしらない人がほとんどの時代。遺伝子に関する学問も未熟で実用的ではないレベルの時代でした。

長くなったついでに書いておきます。
インターネットという言葉を、コンピューターの仕事をしていない人でも、知っている人が出てきたような時代のことです。
当時の日本では以下のように言われることもありました。
「犬は人につく。大人になって落ち着いた後に飼い主が変わることは、犬にとって大きなストレスでとてもかわいそうなこと。なので、そのような年齢になって、その一家が手放さなければならないことになったら、安楽死も選択肢に考えないとね。」

この30年、犬との暮らしに関する情報は膨大になり、感覚・考え方・常識は大きく変わりました。法律の変わりようは、ただただ驚くばかりです。

そのような中、繁殖した動物の幸せを祈り、時間と財産をつぎ込んでいる人たちが昔からいるを知ってほしいです。
彼らが繁殖者として培ってきた知識と経験から、純血種の犬が、どれだけ素晴らしく、どれだけリスクを持っているか、学んでほしいものです。それを知れば「それを知らないが故の不幸な結果」がどれだけ多いか気が付くはずです。

一般の飼い主が、その犬種のメリット、デメリット、特徴(良い可能性も悪い可能性も)くらいを調べて、更に血統(メリット、デメリットの出易さ)くらい考えるくらいになってほしい。
猫のことは詳しくありませんが、やはり遺伝性疾患が問題になっている猫種があるそうです。もう20年以上言われていても、そのことをちょっと猫のことに詳しい人に云っても「なんかそんなこと言っている人たちいるね。でも現在いっぱい飼われているし、普通に売られているから問題ないんでしょ?」と言われることあります。

 

■今の世の中、今までの世の中、これからの世の中

飼い主を失ったり、酷い環境で日々過ごしているペットの問題は、個別に迅速に解決しなければならないのが今の日本です。なので、作り話で書いたような理想を追い求めることは不謹慎と言われてしまうかもしれません。
私は、ある程度の理想を求める人たちが現れ、その人たちの姿を見ることで、幅広い人の意識が変わってくるのだと信じています。うーにーを迎える準備の期間からの25年間でそれを強く感じます。

罰則の強化は必要です。それに尽力されている方たちがいらっしゃり、法律が改正されてきています。
それに対し、日常の犬や猫との暮らしについてより良くしてゆく情報は、ビジネスベースに乗ればしっかりと伝わってきますが、遺伝性疾患などビジネスにはネガティブなことは、あまり伝わりません。
(鬱陶しく、理解されないと思いますが書いておきます。)遺伝性疾患が悪いとはおもっていません。それは完全にゼロには出来ないものですから。常になくす方向への努力が必要です。しかし理解が広がらず「遺伝性疾患があるからダメな犬」と言われることがあります。
その他のことでも、標準に合わないと「ダメ」の烙印を押されることがあります。生き物なのですから千差万別。人間の場合「障碍も個性」と言われる時代になりましたが、犬や猫も、そのような受け止め方が広まることを願っています。

それには、遺伝性疾患や人間との暮らしに不向きな部分を出さないことを心掛けている繁殖者たちが居ることを知るべきです。それが当たり前になるべきです。
深く考えず、調べず、雄と雌を持ってきて繁殖するようなことが当たり前の現在では、遺伝性疾患を発症してしまった犬の繁殖者は非難されて然るべきかもしれません。考慮せずにそうなってしまった犬が、たぶん99%以上でしょうから。

このようなことが分かってくれば、多くの人が、仔犬から迎えるリスク、(純血種でなくても遺伝性疾患やたぶん遺伝が原因だろう問題行動はありますが)純血種であれば尚更リスクがあることを知り、そのような子たちも含めて、幅広い犬たちの世話をし、その後のケアをしてきた、歴史と経験、知識のあるレスキュー(助けて里親探を探す)団体の価値(「偉大さ」と言ってもいいとおもいます)が分かるはずです。

まず識者と呼ばれるよな人たちが、プロの繁殖者が何に気を付け、どれだけのことをしているのかを知り、それを幅広い人たちに知らせることを心から願っています。
その結果、レスキュー団体から犬を引き取ることが、今以上に加速すると信じているからです。

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2019年7月 7日 (日)

山路徹さんのトークショー(HGA48イベント)@春花祭

うわ~、、後書きブログの中で大事なものをアップし忘れていました。
ゴールデンウィークのことです。
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毎年ちょこっとお手伝いさせていただいている春花祭。
今年は用事が重なった上にメインで使っているパソコンが予兆もなく起動不能になってしまい、ほんのちょっとのお手伝いだけとなりました。

今年は山路徹さんのトークショーがありました。席数が限られているので予約が必要でしたが、準備の段階から情報を得ていたので早めの予約が出来、聴くことができました。(大した手伝いもしていないので申し訳ないなと思いながら聴かせていただきました。しかも一番前の席!)

山路さんが犬や猫などの活動を本格的にするようになったのは東日本大震災以後だそうです。まず震災直後に福島の原発近くに駆け付けたとか。
お話の中で「自分は戦場カメラマンでもあった。戦場で起こったことを誰かが伝えなければ、世の中ではないと同じになってしまう」というようなことを仰っていました。
犬猫関係にはそのようなことが多々あります。大きな力の上手い操作で「そんなことはある訳はない」と多くの人が認識されていることがあります。福島のことは特にそうなんだとおもいます。
彼は「動物が好き!」という気持ちだけではなく、記者として社会に貢献できることがあると感じて、この活動をしているようです。

山路さんのお話は「どうしたらいいんだろう」と模索している感じを受けました。何人かの人に登壇していただき話を伺い、もっと幅広い人たちが活動したり、身近な動物たちに関心を寄せてほしいと願っているようでした。

最後に、ちよだニャンとなる会の香取さんが登場しました。
今書いているトークショーのことは、山路徹さんや「ちよだニャンとなる会」の情報を検索すればでてくるとおもいます。

香取さんという方は、なんでもズバズバ言うような話し方をする人だし、長年活動を続けていらっしゃる方なので、動物愛護活動をしている人の中では有名です。
この日の話の中では「これがいいとおもってやってみたけどダメだった」というお話を幾つかされていた。このような活動についての話を聴くとき、失敗談をしない人が多いです。したとしても「何故ダメだったのか」「代わりにどうすればいいのか」まで話がなく、やっていることを「とにかくやっています」的に聞こえてしまうことが多い。しかし香取さんの話の中には(時間が限られていたので簡単でしたが) 活動に対する分析や評価があった。時間が限られていましたが色々な話が盛り込まれていました。

しかし結論は分かりやすいものでした。それは私が昔から言っていることと同じことでした。

行政(お役所)の人に苦情を言ったりお願いしても全体として変わることはない。行政の現場の人は決められたことをするしかない。それ以外のことは「してはいけない」。やるべきことの中に、住民からの苦情やお願いを「受け付ける」ことがある。受け付けるまで。

ではどうすれば変わるのか。
香取さんも私が説明するときと同じ言葉を使っていました。「三権分立、司法・行政・立法」。
行政(お役所の住民の相手をしてくれる人)は決められたことを仕事とする。決めるのは立法府。地方では議会や首長。そのよう人たちに働きかけて議会で決めていただく。決まったことを行政にしていただく。

身近な動物の問題、特に猫の問題は、地域の環境問題であり、これは行政が対処すべき環境問題であるのだから行政が責任をもって解決してゆくべき問題です。(先に「決めていただく」と書きましたが「すべき仕事としっかりと確認していただく」と書いた方が分かりやすいかも。)それを議員さんや区市町村長さんに理解(確認?)していただき、議会で決めて、区市町村として(ボランティアではなく行政職員が主体となって)責任をもって解決に挑む。

現在、千代田区では行政の人がボランティアの人にお願いして動いてもらう形になっているとか。
ある意味当然だと私はおもっています。行政職員はお給料をもらって仕事をしています。(行政の方たちから認められているような) ボランティアの方々は(給料や手当をもらうどころか)多くの自己負担で活動しています。行政側からお願いされるのが真っ当な関係だとおもいます。

但し書き的に千代田区は特殊な事情もある、と仰っていました。
住民の数が少ないので一票の重みが他の市区町村よりも重い。議員さんなどに働きかけることに慣れている人も多い。その他、幾つかありました。
確かに、約90万人の住民が暮らしている世田谷区では、同じようなことをして議会で決めてもらうのはなかなか難しいかもしれません。
また「小さな行政」「民間でできることは民間で」などの言葉が定着し、行政(お役所)が行うべきことではないのか?、とおもうようなことをボランティアがやっていることは、幾つかの分野でもあるようです。
しかし最近は、議会で犬や猫関係ことが発言されることもありますので、千代田区ほどの効果は望めないかもしれませんが、やり方によっては何かしらの効果があるかもとおもいました。

他にも色々ありましたが、長くなるのでこの辺りで終わりにします。
ネット上で、山路さん関係、ちよだニャンとなる会関係のことを検索すると、レポートを書いている人がいるのではないかと思いますので、興味がある方は探してみてください。

 

このようなお話を聴くことが出来たのは、山路さんのトークショーがあったから。山路さんが幅広い人に関心を持ってもらってもらいたいと活動を続けてくださっているから。
このトークショーが実現できたのは、地道な活度を続けている方たちがいることと、こちらのステージを管轄していたパルシステムさんがペットのことに力を入れてくださっていること、そして何よりも代官山春花祭を運営してくださる方たちのお気持ち・ご理解だとおもいます。

昨年は龍之介先生のステージで、災害時のお話でした。一般の飼い主さんにも関係することです。
今年の内容は、愛護活動に関することで一般の飼い主さん全て向けではありません。
動物愛護の人たちだけが集まる場所で、このような場が設定されることは珍しくありませんが、地域のお祭りでこのようなことが行われるのはとても珍しいとおもいます。

ついでに書いておくと、テレビを全く観ない私でも知っているような有名なタレントさんが一人でこちらのトークショーを聴きに来ていました。その後も福島関係のイベントなども見ていたそうです。

 

福島関係のことは、年々落ち着いてきているような(熱が冷めてきているような?)感じを受けることがあります。原発災害のことはまだまだ考えなければならないことがあると思うのですが、世の中全般の現実としてそのように感じます。
それは残念なことですが、福島のことに対応を続けている人たちの活動から、犬や猫に携わる人たちの活動そのものやそれを見る人たちの目が良い方向に進んでいると感じています。

 
動愛法の改正も決まりました。
令和が素敵な時代になりますように。

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2019年3月28日 (木)

上村雄高写真展「Call My Name」&「LOVE & PEACE」

 2019.3.28(木)、タイトルの写真展に行ってきました。
上村先生のブログでの紹介はこちら

会場は祖師谷大蔵の Gallery Paw Pad さん
駅から活気のある商店街を歩く。可愛いバルタン星人がはためくその道には多くのお店が並んでいる。商店街を進み、昔ながらのお店が多くなった辺りにこのギャラリーはある。20190328a

入口には上村先生の写真展でよく使われている綺麗な写真が出迎えてくれた。

引き戸を開けて中に入ると、両側の壁に多くの綺麗な写真が並んでいる。シャープなラインと青空と緑など見事な色彩。晴れた日の草原にいるような気分になれる。
20190328b写真の話の前に、引き戸を開けて真正面のこのスペースのことについて書いておく。このスペースは、いつも一工夫ある展示になっている。

「Call My Name」にはサブタイトルが付いている。「原発被災地の犬猫たち」。
今回の展示は、上村先生の写真展がメインですが、大規模災害時に犬や猫をどうするのかをテーマに小さな展示が幾つかある。

(左の写真の)正面奥のバッグなどが置かれたスペースは、ちょうど避難所で個別に割り当てられるだろうと予想される広さだそうだ。世田谷区のような人間が多く暮らしている地域で、皆が避難所に身を寄せるようなことが起こったら最低限の一人当たりのスペースとなるだろうから、人一人が横になれるだけになるだろう。

見える部分以外にも細工(?)がしてあります。多くの人が押し寄せた避難所をよりリアルに想像したい方は、是非ここに入って座るなり横になるなりしてみてほしいものです。

20190328c この窪んだスペースの左には、こんな展示があった。とある三人が大規模災害時のことを考えた結果をまとめた。
     20190328d

よく出来ているというか、とても身近に感じる。現実的に一生懸命考えたらこういう結論になって、ちょっとやってみるとこんな感じになるのか、と参考になるし、考えることが色々出てくる。

さて、上村先生の写真、といきたいのですが、もう一つミニコーナーが。
世田谷区や渋谷区、新宿区などの行政や災害時のペットの扱いについて活動している団体の冊子が並んでいるコーナーがあった。(写真がボケボケなのはご勘弁。とにかく幾つも並んでいます。)
このように幾つもの区のものが並ぶことは珍しいのではないでしょうか。気になる方は是非読み比べてほしいです。(ちょっと時間かかってしまうかも。)
20190328e   20190328f      

やっと写真の話です。

奥から入口に向かって右側は「Call My Name」。
原発災害により人が住むことが出来なくなった飯館村での写真。こちらも色々と考えさせられること、感じることがあります。
犬も猫も人と共に生きるべく動物であり、そこに人が暮らすことが出来なくなることがどのような結果を生むのか。写真から伝わってくるものがあります。

左側が「LOVE & PEACE」。犬や猫たちの幸せそうな写真が所狭しと並んでいます。写真そのものの技術、構図などデザイン、笑顔の引き出し方など「すごいな~」と感じる写真の数々。
20190328g   20190328h

20190328i 最後に。
上村先生と言えばこのクッション(右の写真だと生首に見えますね)。とても大きいのですが、印刷は繊細。
「他では真似出来そうもないな」とおもうものです。

 
今回の展示は、金曜と土曜を残すだけになりました。
祖師ヶ谷大蔵をご存知ない方は、飲食店やお菓子屋さんなどをチェックの上、訪れることをお勧めします。
桜の季節なので、近くの桜の名所をチェックしてから行くといいかも。

素敵な出会いがあるといいですね。

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2019年3月 2日 (土)

松任谷家が犬を迎えたときの話

ラジオを聴いていたら、松任谷正隆さんの声が聞こえてきた。「ブログを書こうをおもったんだ」と思い出し、そのためにとっておいた、JAFMateをひっぱり出してきた。
(急いで書いたので、ヘンな個所があるかも。後から所々書き直すかも。)

JAFとは長い付き合いですが、2年前くらいからJAFMateで連載されている2つのコーナーが好きで、よく読むようになった。

一つは「幸せって何だろう」。毎回違う著名人が幸せについて語る。幅広い人が書くので興味深い。単純に年齢だけを考えても、若い人は「今」の中から探し、高齢になってくると昔の幸せ体験の話になることが多い。

そしてもう一つ私が好きな「車のある風景」が松任谷正隆さんの連載。
車の話なのですが、ちゃんと「落ち」を用意してくれている。最も記憶に残っているのは、結婚前の奥様と隠れるように車の中デートを重ねていた。ある時、納豆スパゲティーを持っててきてくれたのですが、それを車の中にぶちまけてしまい、とんでもないことになったという話。

 

最近掲載されたものは「犬に振り回される」。興味深く読ませていただいた。
とても簡単に紹介するので誤解を与えてしまうかもしれません。細かいことはスルーしてくだい。概要は以下の様な感じ。

 

結婚してすぐの話だそうです。
一頭の犬を迎えた。一頭では寂しいとおもいもう一頭迎えた。
後から迎えた犬が、迎えてから一週間目の朝、植木鉢の上で冷たくなっていた。

もちろんその犬を迎えたショップに電話を架けた。その対応に不満はあったが、ペットロスは収まらず、また犬を探してくれないかとお願いする。
探してもらっている間に犬種団体の存在を知る。そことやり取りをした結果、犬の流通のブラックな部分に遭遇する。そして自力で犬を探すことを決意する。

業者の人の手を借りず、今のようにネットで情報を得ることも出来ない時代に。まずは紙媒体で情報を集める。犬種団体を知ったのも厚い図鑑の終わりの方に載っていたとか。

そして、あるブリーダーと知り合う。週一でそこに通って色々と教わったそうだ。
犬を譲る条件は「チャンピオンにしてやってくれ」。つまり、ドッグショーに出してやってくれ。

 

(ここから松任谷家の記事から離れます。後で戻ります。)

ドッグショーを知らない人は、「お金をかけて着飾るように仕上げた犬が勝つんでしょ!」と言うことがあります。犬が全く同じであれば、そうだろう。しかし犬は生まれた時から違う。人間が一人一人違うように。
それを良く知っているのがブリーダー。細かい違いが分からなければ健康な犬を産み出すことは出来ない。なので、犬の世話についてもきめ細かい。若かりし日の松任谷ご夫妻はそのようなことを学んだようです。

たしかにドッグショーは、ある程度の誤魔化しやハッタリのようなことも行われる。実際に足を運ぶことで、どのようなことが行われるのが見て知ることができる。
これが分かるためには、犬の体のことを勉強しなくてはならない。大した勉強でもないですが、数多くの犬を同じ動きで見ないとならないので、本やネットでは難しい。

ドッグショーに行き、犬の体について色々と気付き、ショー会場や関連の場所で多くの飼い主さんと知り合い、様々な犬との生活の在り方を知ると、犬がどれだけ人に寄り添ってくれているのか分かるようになる。

松任谷家がこの犬を迎えて気が付いたことは、しっかりとした性格であるということ。チャンピオンになれる犬というものは、そうでなければならない。
多くの人に囲まれたリングで動じず、ハンドラーの指示に従い、ジャッジに触られたりする。その間だけでもお行儀よくしなければならない。チャンピンになるには、何回も勝たなければならないので、まぐれでは駄目なのだ。お行儀よいことが身についていなければならない。

このようなことに気が付いてくると、ブリーダーという仕事は大変そうだなとおもうようになる。普通の感覚の(お金を儲けるための)仕事では無理なことに気が付く。
体のことだけでも数多の要素がある。それらについて完全にクリアすることは不可能だろう。さらに人間と暮らすための相性のようなものも含めると(完全は無理なので)、もう「好み」になってくる。

最近、繁殖業者のことが議論になることがあるが、このようなことが議論されることがほとんどない。飼育環境さえよければOKのような風潮がある。私はそれに恐ろしささえ感じている。
犬のことを語る人の中に、体のことだけでも数多くのチェックポイントがあることを知らない人がいる。それが露呈していることにさえ気づかない人も。

 

(松任谷家の記事に戻ります)

少々引用
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犬を連れてあちこちのデパートの屋上に行き、ドッグショーに出した。最後のポイントを獲得したのは京都のデパートであった。これで普通に暮らせるね、なんてかみさんと話ながら犬を後席に乗せ、帰途についた。
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ドッグショーの多くは週末や休日に行われる。松任谷ご夫妻の仕事のことを考えると、ブリーダーとの約束とはいえ無理をしたのだとおもいます。それだけの価値があると感じられたから続いたのだとおもいます。

続きの文章を印象します。以下の文で、このコラムは終わります。
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黒い犬は後席背もたれの後ろの指定席へ。東名高速を走りながらバックミラーを見ていたら、夕日の中にシルエットになった新チャンピオンは、むっくり起き上がり背中を丸めた。「やめろ!」と叫んだが、もちろんやめてはくれなかった。
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コラムの構成としての「落ち」ですが、一緒に暮らしていて楽しい犬とは、こういうこともあるとおもいます。人前ではお行儀よく、家で家族の中ではしっかり自分を主張する。
「やめろ!」と叫びましたが、「自分たちも大変だったけど、お前も大変だったよな。お疲れ様」という気持ちもあったとおもいます。

幾つものショーに出たという大変な体験を通して、お互い理解を深め合ったこともあるでしょう。その区切りにこのようなことをしてくれる。

私は、こういう犬が「いい犬」であり、「いい犬との関係」だとおもっています。

 

(松任谷家の記事とは関係ない、私の考えていること)

犬の細かいことを知り、自分の生活スタイルも分かった上で、犬の好みの話をしたい。「私の感覚はこうで生活スタイルはこうだから、あの犬種のこういうタイプが好き」というような話だ。

マスコミで犬のことをあれこれ語っている人が書いていることを読んでいても、犬の細かいことも人間側の生活スタイルの話も読み取れることがほとんどない。
こんな情報ばかりでは、犬との生活を楽しむ人が増えることは難しいのかもしれない。そもそも、そのようなことは紙媒体でもネットでも伝えるのは難しいのだろう。

松任谷ご夫妻はペットロスを経て、業界のブラックな部分を知った後に、ブリーダーと知り合い、色々なことを教えてもらい、そしてショーに通った。
そこで、幾つもの出会いがあったこととおもいます。実際の犬も見て、人と話をする。ビデオなどではなく実際の犬と、その犬と生活している人と話をする。

これが犬の勉強の基本なのではないかとおもっています。
色々な飼い主さんと話をすると、色々なことを試す人たちに出会います。トレーニング、日々の食事や散歩の仕方、獣医療などなど、色々なやり方があり、そこに辿り着くまでの紆余曲折を聴くことができることもあります。

そういうことをやってきた人間からすると、世間で注目されている先生の中には「この人、日常では犬とどれだけ向き合っているのだろうか。たぶんこの人が考えている理想の犬との生活なんて、自分には物足りな過ぎるだろうな」と思わずにはいられない人が少なくない。

 

犬は人間に寄り添ってくれます。人間の生活を豊かにしてくれます。
それに気づき、より生活を豊かにすること(それは犬にとっても喜びだろう)を目指す人が、一人でも増えることを心から願っています。

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2018年12月14日 (金)

補助犬のステージ

先の日曜日、昼食は女房と外食をした。
帰り際、区役所の中庭で福祉関係のイベントがやっていたので寄ってみた。後から調べてみたら、障害者週間記念事業「第38回区民ふれあいフェスタ」、というものらしい。

通りかかったときに、ちょうど補助犬のステージをやっていた。その時のことを前々回少し触れましたが、もう少し詳しく書いてみたいとおもいます。

 

「何かイベントやっているね」と小さなテントが並ぶ世田谷区役所の中庭に入ってゆくと、ステージ上に犬がいて男性が何やら喋っている。補助犬を知ってもらうためのステージのようだ。屋外の小さなステージ前には50席くらい用意されていたが、半分も埋まっていなかったので、二人で最前列に座りステージを見た。

座った時、介助犬の見習いが物を拾うのを見せようとしていたのですが、集中力が定まらず、どうにか口で持ち上げるまで出来ても、ワチャワチャしてしまい上手く手渡せなかったり、ついにはキョロキョロした挙句、ステージから一人で降りてしまったり。

次に介助犬の退役犬が出てきました。さすがに落ち着いていました。なんてことなく、落としたものを拾い、人に渡す。それだけなのですが、前の犬がとてもストレスを感じていたのは分かったし、上手く渡すことが出来なかったので、こちらの犬には「貫禄だな」と見入ってしまいました。

この間15分くらいでしたが、足をとめた人の半分くらいは移動していました。見習い犬のときは私も「見る意味ないかも」とおもいました。退役犬はあまりに当たり前のように作業するので、犬のことに詳しくない人はこちらも興味を持たないかも。

貫禄の、介助犬の退役犬の後は、聴導犬の見習い君。
この犬はステージ上でマーキングしていました。それでも話続ける人も凄いなと思いましたが、やはり「食い入るように見る」という感じにはなれませんでした。

デモンストレーションは食い入るように見てしまうくらいの内容がいいのではないか、とおもったものでした。

 

犬の動きとは別に、お話の中には興味深いものがありました。その中から2つ紹介します。

(その1)
補助犬とは障害者が暮らすことが許される犬で、その生活の中で障害者をサポートする。

そうだよなとおもった。先日こちらで「補助犬はハイテク補助具に代わるのか」という3ページに渡る記事を書きました。その中でも似たようなことを書きましたが、ここまでの認識はありませんでした。
障害者には犬と暮らす権利はない、では寂しすぎる。このような考えには、ほっとしたものを感じました。

(その2)
補助犬を連れていることで、障害者であることを周囲に伝えることが出来る。

特に聴導犬だそうですが、聴覚障害者の方は街中を歩いていても周囲の人はそのことが分かりません。自転車のベルを鳴らされても避けなければ自転車の人はイラつくことでしょう。結果として怖い目に遭うこともあるそうです。
つまり、聴導犬がいることで視覚障害者であることを周囲に伝えることが出来るそうです。
聴覚障害者の方は街中を歩くときに、自分が聴覚障害者であることが周囲に分からないことで起こるトラブルに、常にヒヤヒヤしながら歩いているとのことでした。

「うんうん、ためになった!」とおもったものですが...

 

ステージが終わりに近づき、まとめに入ったとき、「補助犬には、盲導犬、介助犬、聴導犬という三つが法律で定められています」というようなことを説明していました。そして終わりの時間になり、総合司会と思われる女性がステージ上に現れます。
「介助犬といっても、、、」、補助犬と言うべきところを介助犬と間違って喋っていました。

小さなステージといえども区のイベント。プロの司会の方だとおもいます。正しく情報を伝えるのが仕事な人でさえ、この程度の認識なんだなと残念に思わざるをえませんでした。
補助犬については、福祉関係の中でもあまり興味をもたれない分野なのかもしれません。数がいないので仕方がないのかも。

 

ステージに立っていたのは、A.W.D.S.A という団体でした。この団体には、ほんの少しだけ思い出があります。

今から15年くらい前だと思います。うーにーは生きていました。私は東北のとある場所でうーにーと散歩していました。人家は全く見えないような所でした。そんな所で、初めて会った人と話をしていました。その人が語っていたのが、この団体でした。「今後、この団体の協力していこうとおもう」、とかお話されていたような記憶があります。

当時(ある程度情報を集めていた私でも)この団体を全く知りませんでした。そのような状態からですし、世の中としても、補助犬法が出来た頃だったので「補助犬の育成はとても大掛かりなので苦労しそうだな」と思った記憶があります。

 

HPを見てみると、災害救助犬の育成からはじめ、現在は介助犬と聴導犬の育成をされているようです。

このような団体を運営されている以上、ご苦労は絶えないとおもいますが、これからも日々研鑽を積んでいただければと願っています。
そして補助犬がどんな犬なのか、障害者の方とどのような生活をしているのか、広めていっていただけたらと願っています。

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2018年12月 3日 (月)

同行避難「訓練」のお手伝い

過日、とある区の同行避難訓練のお手伝いに行ってきました。

その区の一般向け避難訓練の中に、地元獣医師会さんがテントを出して犬の一時預かりをする(飼い主側からすると「お預け体験」となる)。私は、愛玩動物協会東京支所の一員として、そのお手伝いをさせていただきました。

一般向け避難訓練は中学校の校庭で行われ、そこには多くのテントや体験コーナーなども幾つか設置されます。よくあるタイプの避難訓練です。

勿論、参加者もいらっしゃいますので、多くの人が歩いたり立ち止まったりしていますし、なにかしらの放送があったりして、日常の町中の雰囲気とは異なります。このような中での「お預け体験」となります。

お預け体験をした犬が20頭以上。私が知る限りとても多い数です。
そのテントで(預けている間に)東京支所長が災害時のことを話したのですが、予想以上に人が集まってしまってアタフタする場面もありました。
私は(あまりの混雑で)その内容を聞くことが出来なかったのですが、災害に備えて飼い主として何をしておいた方がいいのか、そのような話だったようです。途中退席する人の姿は記憶にありません。皆さん興味をもって聞いてくださっていました。

今までの大規模災害直後の犬などの避難状況をパネルにしたものをいつも掲示するのですが、今回は熱心に見てくださった人たちが多々いらっしゃいました。

「みんな興味もってくれているんだな」と実感できたのですが「今まではそうでもなかったのか?」と自問したとき「そんなことはないはず」と答えが返ってくる。
ならば何故?、と考えると「近寄り易い雰囲気だからでは?」と、その場に居て感じた。

こちらの区ではもう何年もこのような訓練をやっている。獣医師会の先生方が主に動き、保健所の方々もお手伝いに来てくださる
「獣医師会でやっているということは持ち回り?」と考える人もいるとおもいますが、いつも同じメンバーだとおもいます。
開催日は日曜日。日曜日といえば動物病院は忙しい日のはず。そんな日にボランティアをするのです。しかも、準備も大変。犬を預かるのでケージを大量に準備します。たぶん事前のチェックをするだろうし、終われば綺麗にするだろうし。その他諸々のことを考えると、熱意なくしてできないことだとおもいます

そのような活動が何年も続き、余裕のようなものが出てくるのだと感じました。「私たち頑張ってやっています!」ではなく「まぁ、慣れればなんてことないですよ」的な雰囲気。

私たち手伝いの者も回数を重ねると、テントに来てくださった方から質問があっても質問者が理解できるような回答がお返しできるようになってゆきます。
(※ 回答は獣医師先生方や地元行政の考えを理解の下、行わなければなりませんので、その意味でもお手伝いの回数を重ねることが必要だと実感しています。)

犬を預かるには幾つかとても気をつけるポイントがありますが、手伝いメンバーの中には回数を重ねている人も何人かいるので、それも何気なくクリアしていて安心感のようなものがありました。

災害時のペットのことに強く興味を持っている方は、自主的にセミナーなどに参加し、既に情報を得ているとおもいます。
今必要とされていることは「よく分からないけど、よく分からないから、なんとなく、とりあえず聞いてみたいな」と感じている人に「今はこんな感じになっています。今まではこうでした。これからはこうしていきたいですね。だから日常からこういうことをやっておくといいですよ」程度のことを伝えることが必要だと感じています。
そのような人たちが「近寄り易い雰囲気で」「手軽に」「安心して訊ける」、そんな情報提供が必要なんだな、とおもった体験でした。

 

(おまけ)

一般の避難訓練には色々なブースが出ていたり、体験コーナーのようなものもあります。楽しそうなものも幾つもありますが、この時「へ~」と思ったのは、太陽光発電と蓄電池で日常の最低限の電気くらいは確保できるものが出ていました。まだ高価ではありましたが、電気が確保できない状況ではとても力強い存在になりそうです。

お手伝いが終わった後に、消防庁のVR防災体験車も利用してみました。
待っている間、「お金かかっていそうな車体。その価値あるのかな?」と思いましたが、利用してみて「これ、必要だ」と実感。利用前と後では気持ちが違います。
http://www.tfd.metro.tokyo.jp/ts/bousai_fukyu/

他にも、地震の揺れを体験できたり、火災時の煙の状況を体験できるものなど定番のものもありました。
定番と云えば、備蓄食料の(賞味期限が近づいてきているものを)配布するのもありました。水を入れて待っていればご飯になるというもの。よくあるタイプのものではありますが、私はこのような機会がなければ馴染みがありません。もしものときに「これって、ただ水をいれて待っていればいいだよなぁ」と知っているだけでも意味のあることです。

大規模災害時など、今まで経験したことがない状況で、かつ、自分及び身近な者の身体や財産に甚大影響が出そうなときは、普通に出来ることが出来なくなります。発災直後の記憶がなくなる人も多いそうです。「水を入れて待っている」を理解するのに苦労する可能性は大きいのです。

ちょっと難しい言葉が並んでいたり、専門的にもおもえる部分もありますが、一般向けの資料としてこちらのはじめの数ページを読んでみると「そうなのか」とおもえるかもしれません。

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2018年11月22日 (木)

補助犬はハイテク補助具に代わるのか(3.将来のこと)

つづいた

「補助犬に対し酷い扱いをするユーザーがいるから、補助犬なんてやめてハイテク補助具にすればいいのでは」、と考える人たちがいます。

酷い扱いをするユーザー対策は各協会も腐心されていることでしょう。
「この人なら大丈夫」とユーザーになってもらったら、酷い扱いをされてしまった。しかし犬を返えしてもらうにはそれなりの手続きが必要で簡単なことではない。

そのような人たちはどれくらいいるのだろうか。

補助犬の稼動頭数はこちらのページに出ていました。この記事を書いている時点で1000~1100の間です。尽力してきた歴史を考えると(私は)「これだけ?」と感じてしまう。

一人(一頭)でも約0.1%。悪質なケースですから、割合としても絶対に見過ごしてはならない数字ではないでしょうか。

補助犬になるまでには多くの人の善意の協力が必要だし、お金もとてもかかります。現場で関わった人、陰ながら支えている人、皆がユーザーも犬も幸せになって欲しいと願っているはずです。しかし酷い扱いをするユーザーがいる。

その対策には協会も力を惜しまないはずですですが、そのようなユーザーが後を断たないのであれば、今まで以上の対策が必要なのかもしれません。

それが、「ハイテク補助具に代えること」になるのは、技術的に「今すぐ」は無理でしょうから、せめて各協会への通報をし易くすることと、そのような場合は迅速に返してもらえるような仕組みにしていただければと願うばかりです。

 


私が「犬とゆく」を始めた理由の一つは、公の場で犬を連れているときにされる対応に驚いたことです。1990年代中頃です。
まずは「その場」のことを考えましたが、そのような対応をする人が犬をはじめ身近な動物に対しどのような感覚を持ち、その感覚からどのように接しているかを想像したとき、「その場」だけでは解決にならないことを理解しました。

犬が好き勝手に排泄をしないようにしつけることも出来れば、気分任せに勝手な行動をすることもない。(初めての場所であっても)その場の状況を理解し、それに応じた振舞いが出来る。
そのようなことを理解してもらうには「言葉」だけでは(足りないどころか)全く意味がないことを実体験として感じました。

実際の行動を見てもらうこと。それも一回だけでなく「いつもこうしていますよ」「これが普通です」「犬はそれを身につけることが出来るんです」「これが犬なんです」と見てもらい続けること。それには連れて歩く人が増えなければなりません。

そんなことを考えていた頃、日常的に犬を連れて歩いている盲導犬ユーザーに関心をもちました。そして盲導犬に関わる人たちの話を聞かせていただきました。お話から想像するご苦労には、ただただ頭が下がるばかり。それでも盲導犬と暮らしを続けるのは、犬と密に暮らすことが素敵だからなんだろう、と犬と暮らす初心者だった私は憧れのようなものを抱いた記憶があります。

 


1990年代の後半、集合住宅でもペット可の物件が増えていきました。その後小型犬ブームがやってきて、ペット産業は一大産業と言われるようになりました。
身近な動物に関わる法律が1999年に大改正があり2000年に施行され、動物愛護に関わる活動も社会に理解されるようになってきました。それらの活動の広まりと共に、社会全体の意識も変わってきていることを感じています。

別の視点から考えると、この10年くらいで、インターネット・インフラの整備やスマホの普及により、写真や動画が撮り易くなり、ネットにアップすれば情報共有し易くなりました。良いことも悪いことも明るみに出やすい時代です。

2000年以降の社会の変化と、近年の携帯端末の高度化やインターネット・インフラの充実を考えれば、今後、補助犬がユーザーから酷い扱いを受けることは減るのではないかと考えています。

それでも(コストの面から考えれば)時代はハイテク補助具に向かう可能性は大きいといわざるを得ないでしょう。

 


補助犬はハイテク補助具に代わるのか。

介護現場のことも考えれば、ハイテク補助具の開発は進むことでしょう。
リアルな人間関係が薄れてゆく時代の流れを考えれば、犬を使うことは難しくなってゆくし、ハイテク(補助具に限らず)器具を使うのが当たり前の世の中になってゆくと考えています。(スマホがこれだけ普及し、ネットビジネスが当たり前になったように。)

それでも補助犬は残してほしいと願っています。
「健常者がペットを飼う意義と同じなのでは?」と指摘されても、その考えは変わりません。
細かいことを言わせていただければ「ペット」ではなく「コンパニオン・アニマル」と言い換えてほしいです。

補助犬の価値は、コンパニオン・アニマルであることだと私は考えています。
(そのように考えなかったり、付き合えない人はユーザーにならないでほしいと、関わっている人たち全てが考えていることでしょう。)

現在の技術から考えると、ハイテク器具がコンパニオンと呼べる日も来そうです。その方向に向かえば、ペットもコンパニオン・アニマルも減少してゆくことでしょう。
そのとき、補助犬の姿が消えはじめるのかもしれません。

個人的な心情として、そんな時代が来ても補助犬を残してほしいと願っています。
ユーザーや補助犬に関わる人全てが得られる、お金に換えられないものを今後も受け取れることを願うからです。

 

以上が、今、私が考える「補助犬はハイテク補助具に代わるのか」に対して出せる答えです。

(終わり)

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補助犬はハイテク補助具に代わるのか(2.最近読んだ記事)

つづいた

最近、「命ある存在だからこそ」を感じる紙媒体の記事を読んだので紹介したい。
そのページをスキャンし、ここにアップするのが今時のやり方なのかもしれませんが、私にはそういうことがどうしても出来ません。私のつたない文章と引用でお伝えすることをお許し願います。

少し前のことになりますが、JAFの会報(JAF Mate)10月号に「もっと知ってほしい補助犬の世界」という特集があり、その中に紹介したい記事がありました。

ユーザーの方はこのとき46歳。18年前に事故で胸から下が麻痺したそうです。
リハビリの日々を過ごし、その後の数年も病院の目の前に暮らし、事故から9年くらい経った頃、やっと生活は落ち着いたという。
そして、福祉関係のイベントで介助犬を目にするのですが

(以下、引用)==========
 実は僕、ネコ派で、犬はあんまり得意じゃなかったんです(笑)。車イスの自分に大型犬の世話ができるとも思えず、正直、ほしいと思いませんでした。
(引用ここまで)==========

それでも協会の人に誘われたりして、訓練施設を訪れるようになったそうです。

(以下、引用)==========
実際に介助犬に接してすごさを知り、いろいろな人と話したりするうちに、自分も仲間に入りたいと思うようになったのです。
(引用ここまで)==========

そしてユーザーになります。
介助犬には世話が必要であり、そのことを心配していたのですが、ユーザーになってみると。

(以下、引用)==========
世話に一生懸命になっていると、かえってほかの仕事が効率よくできるようになったり、あれこれ悩んでできずにいたことが、いつの間にか、できていたりするのです。まわりから「表情がやわらかくなった」と言われたり、気を張っていた自分に気づくようになりました。(引用ここまで)==========

この文章につづき

(以下、引用)==========
体が不自由でも普通に接してもらいたいと思いながら、僕自身が無意識のうちに、社会やまわりの人との間にバリア(壁)を作っていたのかもしれません。ティティーがそれをきれいになくしてくれました。
(引用ここまで)==========
          ティティー = 介助犬の名前

この後、少々文章があり、この記事は以下の文章で締めくくられています。

(以下、引用)==========
朝、目が覚めると、下肢が硬直して動きづらいのですが、足元で眠るティティーを見て、「がんばろう」と心の中でつぶやき、よいしょと起き上がります。僕の一日はこうして始まるのです。
(引用ここまで)==========

命あるものだからこそ、世話の時間が必要で忙しくなっているはずなのに「他の仕事が効率的に」なったり「あれこれ悩んでできずにいたことが、いつの間にか、できていたり」するのではないでしょうか。
また、無意識のうちに作っていた壁のようなものもなくしてくれるし、介助犬を見て「がんばろう」とおもうのではないでしょうか。

訓練施設に行くようになったときに、「仲間に入りたい」と思うようになったことからも、多くの素敵な人たちが関わっていることが窺えます。

そして、補助犬にとっても負担だけではないのではないだろうか。このユーザーが、負担があるからこそ受けることが出来る恩恵を、補助犬も得ているのではないのだろうか。

もし補助犬がハイテク補助具に代わったら、(特にユーザーにとっては)全く別のものになると、私は考えています。

つづく

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