2018年12月14日 (金)

補助犬のステージ

先の日曜日、昼食は女房と外食をした。
帰り際、区役所の中庭で福祉関係のイベントがやっていたので寄ってみた。後から調べてみたら、障害者週間記念事業「第38回区民ふれあいフェスタ」、というものらしい。

通りかかったときに、ちょうど補助犬のステージをやっていた。その時のことを前々回少し触れましたが、もう少し詳しく書いてみたいとおもいます。

 

「何かイベントやっているね」と小さなテントが並ぶ世田谷区役所の中庭に入ってゆくと、ステージ上に犬がいて男性が何やら喋っている。補助犬を知ってもらうためのステージのようだ。屋外の小さなステージ前には50席くらい用意されていたが、半分も埋まっていなかったので、二人で最前列に座りステージを見た。

座った時、介助犬の見習いが物を拾うのを見せようとしていたのですが、集中力が定まらず、どうにか口で持ち上げるまで出来ても、ワチャワチャしてしまい上手く手渡せなかったり、ついにはキョロキョロした挙句、ステージから一人で降りてしまったり。

次に介助犬の退役犬が出てきました。さすがに落ち着いていました。なんてことなく、落としたものを拾い、人に渡す。それだけなのですが、前の犬がとてもストレスを感じていたのは分かったし、上手く渡すことが出来なかったので、こちらの犬には「貫禄だな」と見入ってしまいました。

この間15分くらいでしたが、足をとめた人の半分くらいは移動していました。見習い犬のときは私も「見る意味ないかも」とおもいました。退役犬はあまりに当たり前のように作業するので、犬のことに詳しくない人はこちらも興味を持たないかも。

貫禄の、介助犬の退役犬の後は、聴導犬の見習い君。
この犬はステージ上でマーキングしていました。それでも話続ける人も凄いなと思いましたが、やはり「食い入るように見る」という感じにはなれませんでした。

デモンストレーションは食い入るように見てしまうくらいの内容がいいのではないか、とおもったものでした。

 

犬の動きとは別に、お話の中には興味深いものがありました。その中から2つ紹介します。

(その1)
補助犬とは障害者が暮らすことが許される犬で、その生活の中で障害者をサポートする。

そうだよなとおもった。先日こちらで「補助犬はハイテク補助具に代わるのか」という3ページに渡る記事を書きました。その中でも似たようなことを書きましたが、ここまでの認識はありませんでした。
障害者には犬と暮らす権利はない、では寂しすぎる。このような考えには、ほっとしたものを感じました。

(その2)
補助犬を連れていることで、障害者であることを周囲に伝えることが出来る。

特に聴導犬だそうですが、聴覚障害者の方は街中を歩いていても周囲の人はそのことが分かりません。自転車のベルを鳴らされても避けなければ自転車の人はイラつくことでしょう。結果として怖い目に遭うこともあるそうです。
つまり、聴導犬がいることで視覚障害者であることを周囲に伝えることが出来るそうです。
聴覚障害者の方は街中を歩くときに、自分が聴覚障害者であることが周囲に分からないことで起こるトラブルに、常にヒヤヒヤしながら歩いているとのことでした。

「うんうん、ためになった!」とおもったものですが...

 

ステージが終わりに近づき、まとめに入ったとき、「補助犬には、盲導犬、介助犬、聴導犬という三つが法律で定められています」というようなことを説明していました。そして終わりの時間になり、総合司会と思われる女性がステージ上に現れます。
「介助犬といっても、、、」、補助犬と言うべきところを介助犬と間違って喋っていました。

小さなステージといえども区のイベント。プロの司会の方だとおもいます。正しく情報を伝えるのが仕事な人でさえ、この程度の認識なんだなと残念に思わざるをえませんでした。
補助犬については、福祉関係の中でもあまり興味をもたれない分野なのかもしれません。数がいないので仕方がないのかも。

 

ステージに立っていたのは、A.W.D.S.A という団体でした。この団体には、ほんの少しだけ思い出があります。

今から15年くらい前だと思います。うーにーは生きていました。私は東北のとある場所でうーにーと散歩していました。人家は全く見えないような所でした。そんな所で、初めて会った人と話をしていました。その人が語っていたのが、この団体でした。「今後、この団体の協力していこうとおもう」、とかお話されていたような記憶があります。

当時(ある程度情報を集めていた私でも)この団体を全く知りませんでした。そのような状態からですし、世の中としても、補助犬法が出来た頃だったので「補助犬の育成はとても大掛かりなので苦労しそうだな」と思った記憶があります。

 

HPを見てみると、災害救助犬の育成からはじめ、現在は介助犬と聴導犬の育成をされているようです。

このような団体を運営されている以上、ご苦労は絶えないとおもいますが、これからも日々研鑽を積んでいただければと願っています。
そして補助犬がどんな犬なのか、障害者の方とどのような生活をしているのか、広めていっていただけたらと願っています。

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2018年12月 3日 (月)

同行避難「訓練」のお手伝い

過日、とある区の同行避難訓練のお手伝いに行ってきました。

その区の一般向け避難訓練の中に、地元獣医師会さんがテントを出して犬の一時預かりをする(飼い主側からすると「お預け体験」となる)。私は、愛玩動物協会東京支所の一員として、そのお手伝いをさせていただきました。

一般向け避難訓練は中学校の校庭で行われ、そこには多くのテントや体験コーナーなども幾つか設置されます。よくあるタイプの避難訓練です。

勿論、参加者もいらっしゃいますので、多くの人が歩いたり立ち止まったりしていますし、なにかしらの放送があったりして、日常の町中の雰囲気とは異なります。このような中での「お預け体験」となります。

お預け体験をした犬が20頭以上。私が知る限りとても多い数です。
そのテントで(預けている間に)東京支所長が災害時のことを話したのですが、予想以上に人が集まってしまってアタフタする場面もありました。
私は(あまりの混雑で)その内容を聞くことが出来なかったのですが、災害に備えて飼い主として何をしておいた方がいいのか、そのような話だったようです。途中退席する人の姿は記憶にありません。皆さん興味をもって聞いてくださっていました。

今までの大規模災害直後の犬などの避難状況をパネルにしたものをいつも掲示するのですが、今回は熱心に見てくださった人たちが多々いらっしゃいました。

「みんな興味もってくれているんだな」と実感できたのですが「今まではそうでもなかったのか?」と自問したとき「そんなことはないはず」と答えが返ってくる。
ならば何故?、と考えると「近寄り易い雰囲気だからでは?」と、その場に居て感じた。

こちらの区ではもう何年もこのような訓練をやっている。獣医師会の先生方が主に動き、保健所の方々もお手伝いに来てくださる
「獣医師会でやっているということは持ち回り?」と考える人もいるとおもいますが、いつも同じメンバーだとおもいます。
開催日は日曜日。日曜日といえば動物病院は忙しい日のはず。そんな日にボランティアをするのです。しかも、準備も大変。犬を預かるのでケージを大量に準備します。たぶん事前のチェックをするだろうし、終われば綺麗にするだろうし。その他諸々のことを考えると、熱意なくしてできないことだとおもいます

そのような活動が何年も続き、余裕のようなものが出てくるのだと感じました。「私たち頑張ってやっています!」ではなく「まぁ、慣れればなんてことないですよ」的な雰囲気。

私たち手伝いの者も回数を重ねると、テントに来てくださった方から質問があっても質問者が理解できるような回答がお返しできるようになってゆきます。
(※ 回答は獣医師先生方や地元行政の考えを理解の下、行わなければなりませんので、その意味でもお手伝いの回数を重ねることが必要だと実感しています。)

犬を預かるには幾つかとても気をつけるポイントがありますが、手伝いメンバーの中には回数を重ねている人も何人かいるので、それも何気なくクリアしていて安心感のようなものがありました。

災害時のペットのことに強く興味を持っている方は、自主的にセミナーなどに参加し、既に情報を得ているとおもいます。
今必要とされていることは「よく分からないけど、よく分からないから、なんとなく、とりあえず聞いてみたいな」と感じている人に「今はこんな感じになっています。今まではこうでした。これからはこうしていきたいですね。だから日常からこういうことをやっておくといいですよ」程度のことを伝えることが必要だと感じています。
そのような人たちが「近寄り易い雰囲気で」「手軽に」「安心して訊ける」、そんな情報提供が必要なんだな、とおもった体験でした。

 

(おまけ)

一般の避難訓練には色々なブースが出ていたり、体験コーナーのようなものもあります。楽しそうなものも幾つもありますが、この時「へ~」と思ったのは、太陽光発電と蓄電池で日常の最低限の電気くらいは確保できるものが出ていました。まだ高価ではありましたが、電気が確保できない状況ではとても力強い存在になりそうです。

お手伝いが終わった後に、消防庁のVR防災体験車も利用してみました。
待っている間、「お金かかっていそうな車体。その価値あるのかな?」と思いましたが、利用してみて「これ、必要だ」と実感。利用前と後では気持ちが違います。
http://www.tfd.metro.tokyo.jp/ts/bousai_fukyu/

他にも、地震の揺れを体験できたり、火災時の煙の状況を体験できるものなど定番のものもありました。
定番と云えば、備蓄食料の(賞味期限が近づいてきているものを)配布するのもありました。水を入れて待っていればご飯になるというもの。よくあるタイプのものではありますが、私はこのような機会がなければ馴染みがありません。もしものときに「これって、ただ水をいれて待っていればいいだよなぁ」と知っているだけでも意味のあることです。

大規模災害時など、今まで経験したことがない状況で、かつ、自分及び身近な者の身体や財産に甚大影響が出そうなときは、普通に出来ることが出来なくなります。発災直後の記憶がなくなる人も多いそうです。「水を入れて待っている」を理解するのに苦労する可能性は大きいのです。

ちょっと難しい言葉が並んでいたり、専門的にもおもえる部分もありますが、一般向けの資料としてこちらのはじめの数ページを読んでみると「そうなのか」とおもえるかもしれません。

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2018年11月22日 (木)

補助犬はハイテク補助具に代わるのか(3.将来のこと)

つづいた

「補助犬に対し酷い扱いをするユーザーがいるから、補助犬なんてやめてハイテク補助具にすればいいのでは」、と考える人たちがいます。

酷い扱いをするユーザー対策は各協会も腐心されていることでしょう。
「この人なら大丈夫」とユーザーになってもらったら、酷い扱いをされてしまった。しかし犬を返えしてもらうにはそれなりの手続きが必要で簡単なことではない。

そのような人たちはどれくらいいるのだろうか。

補助犬の稼動頭数はこちらのページに出ていました。この記事を書いている時点で1000~1100の間です。尽力してきた歴史を考えると(私は)「これだけ?」と感じてしまう。

一人(一頭)でも約0.1%。悪質なケースですから、割合としても絶対に見過ごしてはならない数字ではないでしょうか。

補助犬になるまでには多くの人の善意の協力が必要だし、お金もとてもかかります。現場で関わった人、陰ながら支えている人、皆がユーザーも犬も幸せになって欲しいと願っているはずです。しかし酷い扱いをするユーザーがいる。

その対策には協会も力を惜しまないはずですですが、そのようなユーザーが後を断たないのであれば、今まで以上の対策が必要なのかもしれません。

それが、「ハイテク補助具に代えること」になるのは、技術的に「今すぐ」は無理でしょうから、せめて各協会への通報をし易くすることと、そのような場合は迅速に返してもらえるような仕組みにしていただければと願うばかりです。

 


私が「犬とゆく」を始めた理由の一つは、公の場で犬を連れているときにされる対応に驚いたことです。1990年代中頃です。
まずは「その場」のことを考えましたが、そのような対応をする人が犬をはじめ身近な動物に対しどのような感覚を持ち、その感覚からどのように接しているかを想像したとき、「その場」だけでは解決にならないことを理解しました。

犬が好き勝手に排泄をしないようにしつけることも出来れば、気分任せに勝手な行動をすることもない。(初めての場所であっても)その場の状況を理解し、それに応じた振舞いが出来る。
そのようなことを理解してもらうには「言葉」だけでは(足りないどころか)全く意味がないことを実体験として感じました。

実際の行動を見てもらうこと。それも一回だけでなく「いつもこうしていますよ」「これが普通です」「犬はそれを身につけることが出来るんです」「これが犬なんです」と見てもらい続けること。それには連れて歩く人が増えなければなりません。

そんなことを考えていた頃、日常的に犬を連れて歩いている盲導犬ユーザーに関心をもちました。そして盲導犬に関わる人たちの話を聞かせていただきました。お話から想像するご苦労には、ただただ頭が下がるばかり。それでも盲導犬と暮らしを続けるのは、犬と密に暮らすことが素敵だからなんだろう、と犬と暮らす初心者だった私は憧れのようなものを抱いた記憶があります。

 


1990年代の後半、集合住宅でもペット可の物件が増えていきました。その後小型犬ブームがやってきて、ペット産業は一大産業と言われるようになりました。
身近な動物に関わる法律が1999年に大改正があり2000年に施行され、動物愛護に関わる活動も社会に理解されるようになってきました。それらの活動の広まりと共に、社会全体の意識も変わってきていることを感じています。

別の視点から考えると、この10年くらいで、インターネット・インフラの整備やスマホの普及により、写真や動画が撮り易くなり、ネットにアップすれば情報共有し易くなりました。良いことも悪いことも明るみに出やすい時代です。

2000年以降の社会の変化と、近年の携帯端末の高度化やインターネット・インフラの充実を考えれば、今後、補助犬がユーザーから酷い扱いを受けることは減るのではないかと考えています。

それでも(コストの面から考えれば)時代はハイテク補助具に向かう可能性は大きいといわざるを得ないでしょう。

 


補助犬はハイテク補助具に代わるのか。

介護現場のことも考えれば、ハイテク補助具の開発は進むことでしょう。
リアルな人間関係が薄れてゆく時代の流れを考えれば、犬を使うことは難しくなってゆくし、ハイテク(補助具に限らず)器具を使うのが当たり前の世の中になってゆくと考えています。(スマホがこれだけ普及し、ネットビジネスが当たり前になったように。)

それでも補助犬は残してほしいと願っています。
「健常者がペットを飼う意義と同じなのでは?」と指摘されても、その考えは変わりません。
細かいことを言わせていただければ「ペット」ではなく「コンパニオン・アニマル」と言い換えてほしいです。

補助犬の価値は、コンパニオン・アニマルであることだと私は考えています。
(そのように考えなかったり、付き合えない人はユーザーにならないでほしいと、関わっている人たち全てが考えていることでしょう。)

現在の技術から考えると、ハイテク器具がコンパニオンと呼べる日も来そうです。その方向に向かえば、ペットもコンパニオン・アニマルも減少してゆくことでしょう。
そのとき、補助犬の姿が消えはじめるのかもしれません。

個人的な心情として、そんな時代が来ても補助犬を残してほしいと願っています。
ユーザーや補助犬に関わる人全てが得られる、お金に換えられないものを今後も受け取れることを願うからです。

 

以上が、今、私が考える「補助犬はハイテク補助具に代わるのか」に対して出せる答えです。

(終わり)

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補助犬はハイテク補助具に代わるのか(2.最近読んだ記事)

つづいた

最近、「命ある存在だからこそ」を感じる紙媒体の記事を読んだので紹介したい。
そのページをスキャンし、ここにアップするのが今時のやり方なのかもしれませんが、私にはそういうことがどうしても出来ません。私のつたない文章と引用でお伝えすることをお許し願います。

少し前のことになりますが、JAFの会報(JAF Mate)10月号に「もっと知ってほしい補助犬の世界」という特集があり、その中に紹介したい記事がありました。

ユーザーの方はこのとき46歳。18年前に事故で胸から下が麻痺したそうです。
リハビリの日々を過ごし、その後の数年も病院の目の前に暮らし、事故から9年くらい経った頃、やっと生活は落ち着いたという。
そして、福祉関係のイベントで介助犬を目にするのですが

(以下、引用)==========
 実は僕、ネコ派で、犬はあんまり得意じゃなかったんです(笑)。車イスの自分に大型犬の世話ができるとも思えず、正直、ほしいと思いませんでした。
(引用ここまで)==========

それでも協会の人に誘われたりして、訓練施設を訪れるようになったそうです。

(以下、引用)==========
実際に介助犬に接してすごさを知り、いろいろな人と話したりするうちに、自分も仲間に入りたいと思うようになったのです。
(引用ここまで)==========

そしてユーザーになります。
介助犬には世話が必要であり、そのことを心配していたのですが、ユーザーになってみると。

(以下、引用)==========
世話に一生懸命になっていると、かえってほかの仕事が効率よくできるようになったり、あれこれ悩んでできずにいたことが、いつの間にか、できていたりするのです。まわりから「表情がやわらかくなった」と言われたり、気を張っていた自分に気づくようになりました。(引用ここまで)==========

この文章につづき

(以下、引用)==========
体が不自由でも普通に接してもらいたいと思いながら、僕自身が無意識のうちに、社会やまわりの人との間にバリア(壁)を作っていたのかもしれません。ティティーがそれをきれいになくしてくれました。
(引用ここまで)==========
          ティティー = 介助犬の名前

この後、少々文章があり、この記事は以下の文章で締めくくられています。

(以下、引用)==========
朝、目が覚めると、下肢が硬直して動きづらいのですが、足元で眠るティティーを見て、「がんばろう」と心の中でつぶやき、よいしょと起き上がります。僕の一日はこうして始まるのです。
(引用ここまで)==========

命あるものだからこそ、世話の時間が必要で忙しくなっているはずなのに「他の仕事が効率的に」なったり「あれこれ悩んでできずにいたことが、いつの間にか、できていたり」するのではないでしょうか。
また、無意識のうちに作っていた壁のようなものもなくしてくれるし、介助犬を見て「がんばろう」とおもうのではないでしょうか。

訓練施設に行くようになったときに、「仲間に入りたい」と思うようになったことからも、多くの素敵な人たちが関わっていることが窺えます。

そして、補助犬にとっても負担だけではないのではないだろうか。このユーザーが、負担があるからこそ受けることが出来る恩恵を、補助犬も得ているのではないのだろうか。

もし補助犬がハイテク補助具に代わったら、(特にユーザーにとっては)全く別のものになると、私は考えています。

つづく

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補助犬はハイテク補助具に代わるのか(1.昔考えたこと)

一ヶ月くらい前にも「補助犬の入店拒否」という補助犬ネタを書きましたが今回も。

この20年くらいでロボットの技術は大きく進みました。そうなると、補助犬ではなくハイテク補助具にすべきではないか、となる。確かにそれも一理あるだろう。

命あるものに人間の障がい者の助けをさせることは負担が大きすぎるのではないか、という疑問は、私もかつて持ったことがあり、多方面の方々の話を聞いて回った。
当時(1995頃)は補助犬法もなく、法で認められた補助犬(補助犬という言葉もなかったとおもいますが)は盲導犬だけだったので、盲導犬ユーザーさんや協会のセミナーや関わっている人からお話を聴かせていただきました。

 


私なりの当時(1995頃)の結論。

当時の技術では盲導犬に代わるものを作るだけのハイテク技術はなかった。(機械ではなく)介助者が常に付いていることは現実的な議論ではないし。

盲導犬を利用すれば白杖よりも効率的に動けるということも分かった。
しかし、利用するだけでなく世話もしなくてはならない。世話という負担をしてまでも利用するだけの価値があることも、なんとなく分かった。

しかし大型犬であることはネガティブな面もありました。
現在のように犬や猫を飼っている人が多い時代ではありませんでした。更に「大型犬といえば外で番犬」と認識している人も多かったので、近寄られることを好まない人も少なからずいました。
盲導犬を公の場に連れて歩くことは当時も権利として守られていましたが、現実の街中では入店拒否や乗車拒否されることが当たり前の時代でした。

世話もしなければならない。白杖であれば利用できる施設・サービスが利用できない現実。
それでも盲導犬を伴侶として暮らす価値があるのだと教えていただきました。

どれだけ話を聞かせていただいても、視覚障がい者の日常のご苦労や健常者の社会の中で暮らすことがどれだけ大変であるを的確に理解できた自信はもてませんでしたが、とても大変なのだろうと、漠然と想像することはできました。そのような大変な暮らしの中、世話をすることがどのようなことなのか、理解しきることは出来ませんでした。

大変な暮らしを過ごしているからこそ、(生きている)犬との(世話を含む)生活や(公の場に出て他者と関わる)行動が彼らにとってプラスになるようであることは、ある程度理解できました。

色々な話を聴き、自分なりに考えてゆけはゆくほど、犬が持つ特殊な存在感を感じたものでした。出来なかったことが出来るだけでない、プラスアルファがあることを感じました。

そのようなことを考えるとき、あの当時知った「コンパニオン・アニマル(伴侶動物)」という言葉が何度も頭に浮かんだものでした。

つづく

本文とはあまり関係ありませんが、子供向けの「盲導犬の歴史

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2018年10月21日 (日)

補助犬の入店拒否

一ヶ月くらい前に、「犬と暮らす生活」「犬と過ごす時間」という記事の中で、犬などを連れて入店拒否されることが、この日本で当たり前のことになってと書いた。このときは「飼い主目線」からの考えを書きましたが、お店側目線だとちょっと違うのかな、とおもうことがありましたので書いておきます。
飼い主からすれば「ちゃんと考慮している」とおもっていても、それが通じない・理解されないこともあります。一見の店であれば、そうなることもあるでしょう。そのようなことを考えさせられた内容のものを読んだので紹介します。

あの記事をアップして一週間くらいしたときだったとおもう。ネット上で、とあるお店の店主が「盲導犬連れの人が利用したいとやってきたけど、そのときのお店の状況から判断して断った」という話を読んだ。

まとめとか云うタイプのものらしい
http://totalmatomedia.blog.fc2.com/blog-entry-5436.html

元はこちらで更に色々と書き込まれていて「こんな考え方・感じ方の人もいるんだ」とおもいました。読みにくいですが「世の中、こんな感じなんだ」を理解するのにはとても参考になるとおもいます。
http://viper.2ch.sc/test/read.cgi/news4vip/1446818274/

よく見ていただければ分かりますが、2015年のものです。少し前のものですが、補助犬法が出来る以前に比べたら全体の意識は上がってきているとおもいます。
また、興味のある方は「元」の方の最後の二つの発言を読んでいただきたい。まとめには載っていません。私はこれが本当なのか分かりませんが、法運用上そうなっているのかもしれません。

それ以前に、そのような事実があったのかも確かではありません。このような場所では話を作って(反応をみるために)アップすることもあるそうです。
それはそれとして、「世の中、そうだよなぁ~」とおもったので、こちらに備忘録的に書き残そうとおもいました。

 

「元」を読まないと全体が分からないのですが、読みにくいとおもうので、もう少し詳しく書いておきます。

盲導犬を連れた人ともう一人付き添いのような人が一緒に店に入ってきた。その人たちは一見さんで、店主は初めて見るお客さん。
店主は補助犬法のことは知っているようですが、お店の状況やいきなり犬を入れてきたことから、断ったそうです。
「付き添いの方が犬と一緒に外で待ち、ユーザーの方だけが食事をしてはどうか」とも提案したとか。
付き添いの人は簡単には納得せず言い争いの様になり「協会の者を来させる」との旨を残して去って行った。

 

興味のある方は「元」の方を読んでいただきたいのですが、読んでゆくうちに(法律上はあってはならないことですが)「店主の気持ちも分かるような」と私はおもってきたし、お客さん側(やり取りは付き添いのような人だけのようなのでその人?)が何故その店に固執するのかが疑問でした。
私も初めての店に入り、理由は分からないけど「帰ってほしい」と感じる対応をされたことがあり、素直に店を出たことがあります。初めての店で混雑しているときだったとおもいます。

小さな個人的な店では、突然現れた盲導犬ユーザーに十分な対応をとるのは難しいのではないかとおもうこともあります。
逆に大企業が運営している飲食店では充分な従業員教育や設備なども行っているのではないでしょうか。
そのようなことも含めて、この店に固執した理由が分かりません。
 

店主の方と付き添いの方の考えに隔たりが出来てしまった理由はなんだろう、と考えてみました。

まず、大衆的な飲食店では簡単に(普通に考えたらトラブルが起きそうもないことが原因でも)トラブルが起きることもあり、起きてしまうとお店には大きな損害がでるし、他のお客さんたちにも迷惑がかかってしまうことを店主側は身にしみていますが、お客さん側(この件では「付き添いの人」)はそれほどでもないとおもっているのではないか。起こってしまったときの被害の大きさを理解できないのではないか。

これは、犬連れOKの飲食店や宿泊施設を運営している人たちとお話していると、そのような話はよく出てくる。なので、犬連れ専用にして運営することを選ぶ店主が多くなる。

補助犬ではなく、犬連れ一般の話になりますが、日本人の多くは(犬連れ専用ではない)飲食店に犬が入ってくることに慣れていないので、入ってきたら気分を害して当然と思い込んでいる人(このお店の店主も「客の立場だったら」と書いていますね)もいるし、ついちょっかいを出してしまう人もいる。犬連れの方も「可愛い」と言ってもらえれば嬉しい人がいて、「話しかけてオーラ」を出しまくりの人もいたりします。

盲導犬に限ったことを加えれば、衛生上問題にならようにしていることも知らない人もいるようです。さらに加えれば、一般の飼い主であっても、犬連れ専用でない店を日常的に利用する人は、日常的に衛生面には配慮しています。しかし、それを理解していない周囲のお客さんは確実にいます。「犬といえば外で飼うもの」という感覚を持っている人ならそのように考えて当然だとおもいます。

 

このような現状において、補助犬関係者側は何かやっているかと問われれば、昔から啓発活動を行っています。特に法律が出来る1~2年前にキャンペーン的な活動が活発だったことを憶えている方もいらっしゃるとおもいます。(その更に前から「活動をしていますよ」的なアピールもありましたし、日盲の都築もできた頃だったし。)

法律について調べてみたら、平成14年(2002年)の5月に成立し同年10月からの施行です。法律の多くは成立から施行まで一年くらいはあるものですが、この法律は半年もありません。
ただし「同伴を拒んではならない」と定めている第九条は、附則により次の年(平成15年)の十月一日からの施行となっています(訓練に関することは平成15年四月一日から)。

一部遅れて(猶予期間をもって)の施行があるにせよ、法律として成立から施行までが短いことからも、当時勢いがあったことを汲み取ることができるとおもいます。
あの当時に比べればマスコミの記事になることは減りましたが、地道に啓発活動は続けているようです。
私が初めて知った頃(1995年頃)、「大人に対して行うことは機会を設けるだけでも大変なので、子供に対して積極的に行うようにしています」と学校や各種イベントなどで行っていました(今もそうだとおもいます)。

1990年代は盲導犬の育成が盛んになった時代でもあったと記憶しています。団体の数も増えたような記憶があるし、訓練方法についても注目されるようになった記憶もあります。

犬一般に対しての認識は、その頃(東京でも)「大型犬は外飼いだよね」と言っても驚かれない時代でした(今のような厳しい夏になったのは、1994年くらいから)。犬に対しての認識もこの25年くらいで大きく変わりました。
1990年代は犬連れに対する目も変わってきた時期ですが、犬連れをしていた私としての実感は、やはり子供たちの変化が大きかったです。
「触ってもいいですか?」と聞いてくるのは子供で、その親が飼い主無視で犬を触りまくったりもされました。これも盲導犬(まだ日本では聴導犬も介助犬も法的には認められていませんでした)関係の団体が啓発活動してくれたお陰なのではと想像しています。

私が盲導犬関係の団体の活動を知るようになってから25年弱。確かに若年層の人たちの意識は善い方向に向いてきていると感じます。どちらかと言えば中高年の方に「犬と云えば外飼い」的な感覚が残っているのではないかと感じる場面があります。

このような感覚の人が極めて珍しいと言えるくらいにならない限り、お店の人のご苦労はなくならず、今回のようなことが起こっても、「日本では仕方ないこと」と言われ続けることでしょう。
そのことを、いつも忘れないようにしたいとおもいます。

 

最後に簡単に(とっても乱暴に)まとめさせていだきます。
今回のことについて、その原因を考えるならば、以下の二点だと私は考えています。

・ 飲食店や宿泊業も含む、水商売と呼ばれる方々のご苦労を理解していない人が多い。
・ まだまだ「犬は外飼い」的な感覚の人もいる。

さらに(とても私的な考えを)付け加えさせていただけは、

・ 犬連れ専用ではない飲食店等では、犬はその存在が分からないくらいにし、お店を利用させていただくことだけを目的とするべきですが、連れている人が、または周囲の人(店内の他のお客さん)が店内で犬の相手をしてしまうようなケースもある。

以上のように感じています。

 

このような状況に対して(普通の飼い主が)「犬と暮らし、更に皆さんに受け入れられるようにお出かけするにはどうすればいいのか、どうしているのか」を知る機会になればと考え、「犬とゆく」を続けています。

 

最後に参考まで。

法律とは「身体障害者補助犬法」といいます。その第9条はこのようになっています。
第九条
前二条に定めるもののほか、不特定かつ多数の者が利用する施設を管理する者は、当該施設を身体障害者が利用する場合において身体障害者補助犬を同伴することを拒んではならない。ただし、身体障害者補助犬の同伴により当該施設に著しい損害が発生し、又は当該施設を利用する者が著しい損害を受けるおそれがある場合その他のやむを得ない理由がある場合は、この限りでない。

参考事例。ちなみに上記法律に罰則はありませんが行政指導があります。
もう一つ参考ページ

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2018年9月26日 (水)

「犬と暮らす生活」「犬と過ごす時間」

先の「Yahoo!カテゴリ サービス終了のお知らせ」の記事を書いていて、多くの方が「犬とゆく」を利用してくださっていた頃のことをおもいだした。そして、以下のようなことを再確認したり、考えたりした。
 

犬とゆく」は、商業的な情報提供を出来るだけしないことを心がけています。
なので、犬連れを歓迎していない公園なども紹介することもあります。飲食店や宿泊施設でも、歓迎まではしませんが断りもしませんという店も載っています。

「犬とゆく」をはじめる随分と前(1995年くらい)に知り合いから「あの店はOKだよ」と教えていただき行ってみた。どこにもペットOKとは書いていない。マスコミなどでもアピールしていない。お洒落なカフェバー。
何度も通っていると、他にも犬を連れたお客さんの姿を見るようになりますが、飼い主同士で犬談義に花が咲くようなことは、まずありませんでした。犬がいること気が付かず、その飼い主さんが会計しているときに気付いたこともありました。つまり、犬連れではない他のお客さんと何ら変わらない「他のお客さん」なのです。

店主の方に、「何故、犬連れをOKにしたのですか?」と伺ったら、「何故断らなければいけないのですか?」と質問されてしまった。答えに窮した。頭に浮かんだのは「普通、そうでしょ?」と理屈にならない理由だけ。

そのオーナーさんは、海外の飲食店をよく研究しています。年に一回くらい長期の休みをとりヨーロッパ旅行に出掛けては、味わい深い家具や置物などを買ってきていました。その経験から、そのような感覚なのだとおもいます。

人間のお客さんでも著しく迷惑なお客さんはいます。そのような人は出て行ってもらったり入店拒否するのは、お店として当然のことであり、犬であってもそれは同じだとおもいます。つまり、迷惑でないお客さん(犬も含む)をはじめから拒否する理由はない、ということです。

そのように考えてみれば当たり前のことかもしれませんが、「連れてきていいって聞いたから連れてきたんです。犬だから吠えもするし粗相もするのは当たり前じゃないですか!」と言い出す飼い主がいるだろうと考えて、多くの店は(日本の常識として?)、飲食店や宿泊施設は犬を連れをNGにしているのだろうな、と改めて考え、そして、やはり「犬とゆく」は続けなければならない、と思ったものでした。

「断る理由がない」と考えているお店は、それをウリにしていませんので(商業的な)犬連れ情報にはほとんど載りません。「犬とゆく」にはそのようなお店も載っています。
利用した飼い主さんが、「いいお店だな」と感じたから投稿してくださいます。

そのようなお店を利用することは、現在の日本のしつけの常識(一般的レベル?)からすると高いと感じる人もいるかもしれません。しかし、私を含め投稿してくださっている飼い主さんたちは、難しいしつけの勉強をしたり、ストイックにトレーニングを続けている人はいないとおもいます。

私はある程度勉強しましたが、それらの勉強のほとんどは、このようなお店や宿泊施設を利用することに直接役に立った実感はありません。

「犬とゆく」を続けてゆく意味は、多くの人たちにそれに気が付いてほしいからでもあります。「犬と暮らす生活」「犬と過ごす時間」について、考えてほしいからでもあります。

そんな「犬とゆく」ですが、今後ともよろしくお願いします。

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2018年6月 5日 (火)

Dr. Jeff に質問したかったこと

私は現在、シェルターに関わる活動も里親探しに関わる活動もしてないので、ジェフ先生の講演会を聴く価値がある人間なのか疑問におもっていた。聴いても実感が湧かないのではとおもっていた。

しかし聴いていて、「自分がおもっていることと同じだ。でも、日本でそんなこと言うと白い目で見られるんだよな~」と思い、同時に「でも、聴きに来ている人の多くは、ジェフ先生と同様の考え・感じ方なんだろうな。だから来ているんだろうな」と想像して聴いていた。
しかし前の書き込みで書いたように、必ずしもそうではない人がかなりの数いらしたようでした。

だからこそ質問したいことがあったのですが(質問時間は結構ありましたが)先生の考えを受け入れがたいと、私には聞こえる質問が相次ぎ、時間切れになってしまったことが残念でした。

 

改めて論点を書いておきます。

6月2日の話は私には以下のように聞こえました。
ノーキルを目指してしまうと、安楽死の必要があると多くの人言う状態の犬や猫を抱え込むことになり、活動が効率的に行えなくなることがある。その結果、シェルター内が不適切な状態になったり、運営姿勢に問題が出てきたりする。なので、総合的にみて安楽死を選択肢の一つに入れるべきである。選択するかどうかは、団体の状況により判断は変わってくるだろうとのことです。
また獣医師である彼は、個々の動物としっかりと向き合う(一頭一頭をしっかりケアする)ことが基本であり、重要であるとも語っていました。著しい苦痛を抱え回復の可能性もほぼない場合は安楽死を検討すべきだ、とのことです。

そのような姿勢で運営されているシェルターは、活動が安定して長続きし、シェルター内の環境も良いケースが多い。
この考えは、長年、世界中のシェルターを見てまわったり、運営に関わってきた結果。より多くの動物たちを救うには、このような考えを持つことが大切。

だいたいこんなことが主旨だったとおもいます。

それに対して、何人かの方が自分の体験談をしっかりと説明し、そして次のような質問をしていました。
どんなに(経済的、時間的など総合的に)コストがかかっても、目の前の命を救うことに常に前向きになるべきではないのか。

 

(私がしたかった質問)

動物愛護の歴史を振り返ると、まず「目の前の動物に対する気持ち」から始まり、しかしそのような活動は社会全体には受け入れられず、経済的な価値をはじめ社会全体の利益に繋がる、つまり社会貢献でもある活動だと明示することで、幅広い理解、そして支援を得られるようになったきたことをご存知の方も多いとおもいます。

今回の講演会、そしてジャパン・ツアー全体は、そのことの再確認と、気持ちから社会貢献への変革を起こす手法の具体的な提案だと、聴いていておもいました。

 

質問したいことは2つ。

1つめ。気持ちで続けている活動について。
そのような活動は、社会貢献としての活動へと必ずシフトするのが「理想」なのでしょうか。それとも、気持ちの活動と社会貢献の活動、両方が常に存在する社会も、先生のお考えの中では、一つの理想なのでしょうか。

2つめは、具体的は手法についてです。
先生の活動は、身近な動物をレスキューすることは、社会貢献になる活動であることを幅広い人たちに理解していただく必要があることを広め、その実践を手助けすることだと、お話を聞き理解しましたが、気持ちだけの活動ではなく社会貢献活動であると、考えを改めていただかなくてはなりませんが、その具体的な手法について教えてください。

今日のお話の中で一般的には「一つは教育。そして助成金など行政からの補助やアピール。もう一つは寄付などによる活動を通しての啓発」と理解しましたが、日本にいらして山崎さんとお話を重ねているとおもいますので、この日本に有効的だと思われる手法を教えてください。

 

こんなことを聞きたかったです。
私は、身近な動物との共生を願っている人間ですが、動物たちと関わりのない人・興味のない人たちからは、「それは個人的な趣味の話ですよね?」と言われてしまうことがあります。その人には全く関係のないことですから、社会全体としてのテーマにはなり得ないと考えています。そのような人は少なからずいます。
しかし、少子高齢化、地域社会の衰退が進む日本においては、ペット、コンパニオン・アニマルは地域社会の一員にもなり得るし、心から家族と感じている人たちが増えています。今、「私には関係ない」と言い切った人が年を重ねたとき、身近な動物を心の支えるすることもあります。そのような人に会ったこともあります。
このように感じ、経験している人間として、身近な動物たちが粗末に扱われない社会へと進むヒントになると考え、是非お聞きしたかったです。

最後に山崎さんがお話された「日本にもジェフ先生のプロジェクトとしてのシェルター、病院」が出来ることで(その実際を目の当たりにすることで)、考えを変える人が広がってゆくのかな、とも思いました。

そんなこを含めて、是非お聴きしたかったです。

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2018年6月 2日 (土)

Dr. Jeff ジャパン・ツアー 2018 講演会(6月2日)

最近、お約束になっている断り書き。
この書き込みは、誰かに働きかけようという目的はなく備忘録。自分が何を聴き、どう感じたのかを書いておくものです。

ここ数年、「自主的にあちこちに顔を出すことを慎む」ようにしている。自主的には行かず「お誘いを受けたら行く」。今回もお誘いいただいたので行くことにしましたが、「私のような者が行ってもいいものか」と迷ったものでした。

理由は、事前の情報では「殺処分ゼロ」やTNR(外を自由に出歩く(日本に於いては)猫の避妊去勢活動)についての高度な話におもえたので、私のレベルでは付いていけないだろうなと思ったから。

 

内容について。

 

冒頭にロビーに展示されたアート作品の説明がありました。
ロビーで鉛筆で作られた犬を見たときは「こりゃ、凄い!」と思ったのですが、鉄兜で作られた亀には首を捻りました。何故戦争の道具で?、と。そして(なんの動物だったか忘れたけど)鉛筆の金属のキャップで作られたものもありました。金額も結構な金額で「何がいいたのかな?」と思ったものでしたが、それらの説明がありました。
暴力反対の活動をしているアーチストでありプロジェクトだそうで、鉛筆のキャップと思ったものは薬莢でした。
ちなみに鉄兜の亀は100万円だったとおもいます。今回の収益の多くがジェフ先生の活動に寄付されるそうです。

 

そして(ジェフ先生ではなく)フィリピンで活動されている女性の先生からお話(活動報告)。
狂犬病もあり、経済的にも苦しい人たちが少なくない国での活動はなかなか大変そうに見えました。お話の途中、活動でのご苦労を思い出し、涙ぐむ場面もありました。しかし、協力者の輪が少しずつ広がり、今では安定して活動が出来ているようにも見えた。理解していただき、協力者の輪を広げる。そのことにより、さらに活動が理解されるようになる。
当たり前のことかもしれませんが、なかなか出来ることではありません。活動の継続、理解者を増やす。基本中の基本だとおもいますが、ここが疎かになっているのではと感じる団体が、この日本には少なからずあるように思えました。
未だ(本格的に活動になってからかもしれませんが)二年目ということにも驚きました。

 

こちらの先生のお話は(全体からすると)手短に終わり、その後のほとんどの時間は、ジェフ先生がお話されました。
今回のテーマになっていることは、「殺処分ゼロを守ろうとすると活動が立ち行かなくなることもあるし、犬や猫の生活の質を考えた場合、安楽死という選択肢を持っていた方が良い」というような内容。

そのようなことは、幾らでも見聞きしている。しかしジェフ先生が話すと、今までの誰の話よりも説得力を感じる。
何故なら世界中の幾つもの国や地域のシェルターを見たり、施策を確認したりしてきているので、欧米以外の地域の話も聴けたし、活動期間も長いので「昔のアメリカでは」など時間軸での違いも聴くことができた。
そして話が論理的。数字が色々出てくる。数字に関しても「相関しているからと云って直接的な関連があるとは限らない」と慎重に理解する態度を貫き、多くの事象を視てきた結果の内容なので、とても納得できる話ばかりだった。

このことをこんな例で説明をしていた。
「アイスクリームが売れると犯罪が増える」という報告があるそうですが、それは、気温が高くなるとアイスクリームもよく売れるし、イライラする人が増えて犯罪も増える。アイスクリームを売らなければ犯罪が減るということはない。

とても大事な心構えだと常々感じています。物事を視るときに、より掘り下げて何がどう関連しているのか、何をどう定義すれば判断できるようになるのか、など論理的な理解をしないと、自分も理解出来ないし、理解を広めることも出来ないだろう。

質疑応答は、私個人としては、残念に感じた。
内容が(適当な表現が見つからないので幼稚な表現になってしまいますが)「シェルターなどで殺処分も視野に入れるべきとおっしゃいますが、感情的に出来ることならしたくない。しない方がいいのではないか」と聞こえるものが複数ありました。
私は「それについてこの講演でず~っと説明してきたじゃない?」と思ったし、答える先生も(またまた幼稚な表現で申し訳ないが)「繰り返しなりますが」と付けて何度も同じ内容を説明していました。ただし、この先生の凄いところは、別の事例や数字で説明する。次から次へと話が出てくる。

質疑応答の最後に、「今回日本で幾つかの場所で施設、現場を見させてもらった。日本の猫たち(外で自由に活動をする猫を含む)の状態は良いと感じた。日本のこれからは期待できるとおもう」との感想を述べていた。

印象に残ったこととして、神奈川県の建てかえたばかりの施設(今回、先生は視察した)についての質問に答える形で「総工費と行っている活動を比べて、もっと効率的(より多くの動物たちのためになり、その理解を広げる結果に繋がる)お金のかけ方があるのではないか」というようことを述べていました。
先生は、自分のクリニックも持っていますが、世界に幾つものクリニックを建て、運営し、安定したら次へ、という形の活動をしています。このような活動をするときに、お金の話は重要です。彼がお金を用意し、運営を始め、そして投資した資金を回収し、回収した資金で次の施設を建てることをしているそうです。
先もにも書きましたが世界中のシェルターも見学しています。今回の講演会で説明してくださった(シェルターの)例でもお金がどうなっているのかについて、しっかり説明していました。
そんな先生から見て、前述のように見える施設だったということです。折角の施設ですから、より効率的に運営されることを祈っています。

 

最後に「これは素晴らしい情報だ!」とおもったことがありました。

この講演会は、アニマルレスキューシステム基金の主催です。こちらの団体は(私が知る限り)避妊去勢手術が広まることを願い、神戸や福島で活動してきました。その他にも不幸な犬や猫たちの対策をしているようです。
しかし広く理解されないのか、活動が足踏み状態に感じているところでした。そして今回のツアー。「先生にツアーしていただくだけで、次のステップに進めるのだろうか?」と疑問をもっていた。

しかし最後に素敵な情報がありました。
オリンピックが終わった 2011年を目処に、ジェフ先生の活動の一つとして日本にシェルターを作るという。そこではもちろん避妊去勢手術も行う。それは継続可能な、かつ効率的なシェルターの実例になることでしょう。
何故、2011年かというと、現在他のプロジェクトが動いているとのことで(またまた幼稚な言葉になりますが)順番待ちの状態だそうです。

神奈川県のセンターがもっと効率を上げる余地があるだろう、と先生が感じたところで、日本にはそれを理解し、現実的なプランを提供できる人がいないのだろう。もし提案したとしても、「そんなの絵空事だ!」と言われてしまうことでしょう。また、避妊去勢手術を日常的に行う獣医師の必要性も述べていました。施設を作っても、日常的に数多くの手術をする獣医師が必要です。その育成の実際についても、2011年の施設が大きな力になることとおもいます。

 

動物の保護及び管理に関する法律は、昭和48年に出来ました。成立に漕ぎ着けるまでには多くの活動家、議員の方々の尽力がありました。奇しくも、前の東京オリンピックの開催の年(昭和39年)の前後にも法律を作ろう!という機運がありました。
次の法改正は、オリンピックの前年 2009年になりそうです。そしてオリンピックの次の年にはジェフ先生の施設が日本で動き出すことになれば、幅広い立場の人たちが身近な動物に対して今まで以上に配慮できる社会になる機会になることと信じています。

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2018年4月 6日 (金)

(映画の感想文)僕のワンダフル・ライフ

映画と言ってもレンタルDVD。公式サイトはこちら

公式サイトに流れる予告でも分かるように、何度も生まれ変わった末に忘れられない飼い主に会いにゆく。そんな感じのストーリー。

アメリカの映画。舞台もアメリカ。
虐待や安楽死に対する考え、警察犬の在り方など、日本との違いが分かる。人と犬との関係も。日本はまだまだ「人と犬と違う」との感覚が強いと個人的に感じている。

また、日本人の多くの人の無意識の中には、哀れみや慈悲・施してあげる対象として犬を見ているのではと思うことがある。
欧米では、対等にみようとするし、そのような存在であることを(日本よりも多くの人が)否定しない。

私は「飼う」という言葉が好きになれない。
今の作家の何人かが、「昔、野良犬に食べ物をあげて名前をつけたら、飼っていることになった」と書いているが、飼うということは「食べ物を司る」つまり、与えてあげる、施す、という感覚なんだろうと理解している。こちらからは与えるだけ。犬からはそれ以上のものなんて絶対に得られるはずがない、と(感覚的に)感じているのだろうな、と。
結果として、犬から贈られるものを受け取ることを拒否することになる。なので得られない。そして、「なんでこの犬は言うことを聞かないんだろう」と言う。「言うことを聞かないはあなたでしょ?」、と私は心の中で呟く。

何か特定の対象を見て心がときめくか否か。それは知識とか訓練の問題ではなく、感覚の違い。犬をどのような存在とおもうか・感じるか、もそれと同じなのだとおもいます。

なので、飼う、すなわち餌をあげるのが飼い主で、それが犬との関係の基本であり、ほとんど、と思っている人を否定しないし、考えを改めてほしいともおもわない。

私が言えることは、そのような人が犬と暮らすことは、時間的・経済的・精神的なコストがかかり、得られるものは非常に(非情に?)限られている。つまり、犬を迎えるメリットはほとんどない。それでも犬を迎えますか?、と言うことは出来るだろう。

 

話が逸れましたが、この映画を見ていて、ミスター・チルドレンの「花の匂い」という歌を思い出した。歌詞はこちら。ライブバージョンですが一曲聴けるのがこちら

きっとまた会いに来てくれる

そう想うことができる、望むことができる自分は、ある意味、幸せ者だとおもいます。

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