2017年9月24日 (日)

どうぶつ愛護フェスティバル2017(上野恩賜公園)

昨日、タイトルのイベントに行ってきた。愛玩動物協会東京支所が出しているテントでちょっとだけお手伝いをしてきた。

日本中で、同じような名称のイベントがありますが、これは、法律で「動物愛護週間」が定められているから。この週間は、9月20日から26日と決められた(固定された)日にちになっているのも面白い。
国民の休日が、秋分・春分を除いて日にちが決まっていた時代に、「国民の休日くらい定着させよう!」と考えてのことなのかも。今となっては9月の何週目とした方が定着し易いと思ったりしています。

今年の(国をあげての)動物愛護週間のテーマは「ペットも一緒に防災訓練」。
1995年の阪神淡路大震災の以降、国は災害時のペットのことを真剣に考え始めました。しかしなかなか皆さんが注目してくれません。動いてくれません。どうしようと思っていたら、中越地震が起こってしまい、ペットのために車で避難生活を送る人が多々いらして、エコノミー症候群でお亡くなりになる方もいらっしゃいました。
これは大変だ!、とまた力を入れるも今一つ。その後も大きな災害がありましたが、そして、2011年、東日本が起きてしまい、今までなかった原発災害という悲劇が起こってしまいました。
国は、2004年の時点でしっかりと同行避難を打ち出しています。同行避難というのは、ペット一緒に避難所まで同行し、避難所内では(基本的に)人間とペットは別の場所で暮らす、というものです。とにかく避難所という、目の届く範囲にペットを連れてゆくことが出来る方法です。
しかし、これが国民に伝わっていない。避難所運営の基礎は(国民でもある)地元住民です。避難所の準備は、なかなか完璧には進みません。優先順位の高いものから準備を進めていきます。ペットの優先順位が低いことが多く、準備が実現されていない避難所がほとんどです。

しかし、東京やその周辺ではペットと暮らす人が増えました。もし大規模災害が起きて、皆が避難所にお世話になる状況が起こったら、避難所に多くの人がペットを連れてくることになるでしょう。

「決まりはある」 でも 「準備はされていない」

この矛盾を解決すべく、今回のテーマなのだとおもいます。

 

昨日の私は、おばまの関係があったので、ほんのちょっとの時間だけのお手伝いしか出来ませんでしたが、それでも吸収できるものがありました。

限られた時間で行ったことは、○×クイズの答え合わせ係。このクイズ、今回のイベントに向けて作ったものです。
災害時に飼い主がどのように行動するのがいいとされているのか、を皆さんに知っていただくためのものです。なので、「同行避難という決まり」に関わる内容が幾つかありました。
先にも書いたように、国は同行避難をしましょう!、と言っていますが、現場である各避難所では準備が進んでいません。クイズの答え合わせの時、その辺りのことを質問してくださる方もいて、同行避難がどのようなきまりごとなのか、ご存知ない方がまだまだ多いこと、そして同行避難を望む人が多いこと、を感じました。

遅く行って早く帰った私ですが、帰り際、ペットの災害時対応で尽力されている方に会い、現状を伺うことができました。
国は随分と前から考えて、地方自治体も関係団体との連携(協定など)を(書類上?)結んできました。しかし、大規模災害が起こっても想定していたようには機能しない。枠組みは出来ているのだから、それを上手く機能させればいいはず。そう言いながら阪神淡路から20年以上。東日本の時でも15年の時間がありました。それでもあれだけの混乱がありました。
新しい枠組みを作るか、今ある枠組みをより実用的にしてゆくか。現実味があるのは、基本は今ある枠組みをより実用的にし、それには、新しい補助的な力を取り入れる必要もあるだろう。そのような組み合わせが難しいのだろうな、と感じました。

でも、私たち普通の飼い主は、まず自分のこと、は何だろう。

自分が身を寄せる避難所が何処であるか確認する
そして、その避難所では同行避難の準備がどれだけされているのか確認する
満足な準備でなければ、されるように要望することが必要なのではと思います。

要望もしなければ、このままかもしれませんから。

 

共に暮らすペットが社会一般に認められる日がくることを、心から願っています。

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2017年9月17日 (日)

「多頭飼育」対策

「多頭飼育」対策で指針=飼い主ケアで連携-環境省
https://www.jiji.com/jc/article?k=2017091500167

上記の記事を読んだ。
私と動物愛護系の付き合いが長い人は、同じようなことを、ず~っと言っていたことをご存じだとおもう。私が思いついた訳ではなく、海外でそのような取り組みを行っている行政があり、これでないと確実に止めることは出来ないと思っているから。

なので、この記事に書かれていることはいいことだと思いますが、今までの法律や基準などが(私が想像していた様には)守られない現状からして、また絵に描いた餅にならないかが心配です。

まず、福祉部局との連携は必須だと考えていますが、それでも解決されない(再び同じ状況になる)ケースは無視できないだけ出てくるはずです。
そのようになったときに、多頭飼育崩壊と言える状況になった時点で所有権を放棄させるように法律が改正されればいいと思いますが、まず線引きが難しいと思うし、そもそも所有権を強制的に放棄させることは日本の法律では難しいことだとおもいます。
法律(動物愛護管理法)の中に、44条の2程度の飼育(飼養)が出来ないのであれば、飼育を諦めなさい(所有権の放棄とは言わない)とするくらいでしょうか。

実質的に出来るとすれば、法律でこんなことを書けばいいのかも。
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飼育活動が出来ない状況(長期の入院や収監等、また、在宅していても疾病などで飼育活動が出来ない場合を含む)が続いた場合(その状況が予想できる場合はその時点で)、飼い主は確実に飼育をしてくれる人(もちろん法に書かれている虐待をしない人、法に書かれていることから考えられる通常の飼育が出来る人)を指名し、その人が責任を持って飼育を行うこととする。指名できない場合は国が指名する。この期間の費用は飼い主が全額負担する。
この費用が担保できないのであれば、国が動物たちを買い上げる。その金額は動物たちの取得費用とする。
===========
というような感じで「あんたには無理でしょ?」と諦めさせるしかないのかな、と思っています。
「えっ?、国じゃないでしょ?、都道府県でしょ?」と言いたい人もいると思います。法で都道府県に任せる理由は、地域によって動物による付き合い方が違うからということのはずです。この件は、法律の44の2に書かれていることを基準にするので、国が判断するべきことです。都道府県で判断がまちまちであってはならないことではないでしょうか。

海外では飼育禁止命令を出すことがありますが、私の知る限り、日本でそれをやっても無視というか再び同じ状況になることでしょう(海外でもそのようだし)。
飼育禁止命令を出すという形式はいいと思うので、その後のケアと言えばいいのか監視がしっかり出来ればいいのではないかと思います。その意味ではこの記事の方向性はいいとおもいます。
先ほどの飼育を任された人だって信用できない人がいるでしょうから、やはりケアというか監視が必要になるはずです。

では、この飼育代理人(勝手に命名)や飼育状況監視人(これも勝手に命名、代理人の飼育も監視)を誰がやるかです。いい加減な人にやってほしくありませんが、日本の社会の慣習からして、これらの人がビジネスになるならば認められる可能性は大きいと考えます。
生体販売が厳しくなってきたペットショップの店主や店員の転職先、シェルターや一時預かりさんの活動資金の獲得先として、考えることができれば現実的になってくるのではないでしょうか。
つまり、動物取扱業者であり、特別な資格(←代理人や監視人という資格か免許を作る)を持った人。優良な飼育知識をもっているというお墨付きにもなる。個人的には、今までシェルターワークで頑張ってきた人(里親の見定め、アフターフォローもしてきた人)たちになってほしい。

言いたいことはいっぱいありますが、時間がないのでここまでにします。

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2017年9月 7日 (木)

アニマル・ウェルフェアサミット2017

先月の終わり(日曜&月曜)にタイトルのイベントに行ってきました。
https://peraichi.com/landing_pages/view/aws2017-programs

行くまでは、あまり良い印象がありませんでした。
実際行ってみても、「もうちょっと考えた方がいいのでは?」という発言もありましたし、「それはこのテーマで話すことではないのでは?」と感じる内容を連発していた登壇者もいらっしゃいましたが、多方面の行政と向き合い、地元の人たちに理解・協力していだき結果をだしている人の話はとても勉強になったし、話し方も気持ちよく聴くことが出来、このような話し方で物事を進めていくんだろうなと思ったりしました。

一日目で、とても勉強になったのが、「日本の動物たち ~動物園、野生動物、エキゾチックアニマル~」。

各分野で活躍している先生方のお話。明るく冗談ぽく話をするのですが、それを行うまでのご苦労がどれだけのものなのか想像すると、胸が熱くなるものがありました。

このプログラム内では、具体的な活動の話がとても良かったのですが、それ以外の一般的な話の中で「うんうん」と思ったこと。

・ (犬や猫は)家族だけど社会の一員ではないと考えている

・ 欧米では生体販売がほとんどされていない地域が多々あるが、それらの多くは、法律によって禁止されたのではなく、幅広い人たちがそのように考えるようになった結果。日本もそうなってほしい。

このプログラムの中では、如何に社会と向き合い解決してきたか、その事例が多々発表されました。何かを無くすのではなく、進歩することで解決することが、その状態が根付く結果(斉藤先生の言葉だと「環境治療」)になるんだなと思いました。

 

二日目では、刺激的過ぎて目が白黒してしまった発言のオンパレードのプログラムもありました。これを皆様にどう伝えたらいいかなと悩んでいるところです。

法律のプログラムでは、日本における法律の歴史がとても興味深かった。
(皆さんは資料をいただいていたようなのですが、私は「その封筒はもう3つもいただきましたから」と拒否してしまい、いただいていないので、私のつたない記憶で書きます。記憶間違えがあったらゴメンナサイ。)

日本の記録に残っている動物愛護は、生類憐みの令がはじめだろうと思っていたら、大化の改新の時代に二つあったという。
一つは(仕事をしてもらう)牛馬に酷いことをするんじゃないよ、という内容で、もう一つは、必要ない動物は野に放しましょう!、というような内容。後者の感覚が今でも続いているのでは?、という話もありました。

びっくりした話として、明治以降の法律として(プログラムの中では説明がなかったが一般的に狂犬病予防法のはじまりであると言われている)畜犬規則の説明です。
「畜犬登録」以前の日本には、特定の飼い主という意識が希薄で、「里犬」と呼ばれる、人間の集落(里)に居ついた犬(現代的に言えば町中の野良犬?、地域猫的な地域犬?)という存在だったと海外の文献に書いてあったという。余談ですが、里犬に対して山犬であり、これは、人と関わらない、今でいうところの(野良犬ではなく)野犬(ノイヌ)的存在で、オオカミも含まれていたと考えられているそうです。
何故、飼い主をはっきりさせるようにしたかというと(プログラム中では狂犬病の話はなく)、「欧米からの指導」だったらしい。

現在でも、「放す」「犬も犬で勝手に(?)生きてゆく」的な感覚が今でもあり、飼いきれなくなった犬(に限らないけど)を放してしまう人が後を絶たないのかも。

動物愛護管理法の「愛護」の部分の基本的な考えは、動物虐待を許していると風紀が乱れてよろしくないから。1999年の改正のキッカケになったのは、1997年の神戸連続児童殺傷事件の犯人が動物虐待をしていたということもある。
少々違うが、風紀を乱すという意味で、公然わいせつ罪の話があった。公の場で、裸になったらイケナイですよね。しかし家の中でも問題にならない。動物の虐待は家の中でも法に触れるところが違う。

この部分の説明が、この辺りで切れたのが気になった。法の第一条(目的)の一部からこのことを説明していたのですが、公の場とそうでない場所(自宅内など)では、考え方が少し違うのかな、とも思いました。

動物をみだり殺したり、傷つけると、2年以下の懲役又は200万円以下の罰金(44条)ですが、法改正がある前は、軽犯罪法の器物損壊等で、3年以下の懲役または30万円以下の罰金もしくは科料(刑261)で、罰金の金額は動物愛護管理法(現在=改正後)の方がとても高くなっている。こんな話も尻切れ感ありで、ありました。

時間がとても限られていた都合上なので、改めて何処かで聴くことができたらなと思っています。

 

こんな話を聴いた翌日、以下のような報道を目にした。
http://www.sankei.com/life/news/170829/lif1708290022-n1.html

ネットでダウンロード出来るという意味では風紀を乱しまくっていると思います。13匹という数からもそれなりの刑事罰としなければ、この法律はなんなんだろうと悩んでしまいます。

容疑者は「有害動物の駆除だから」と主張しているようですが、殺人罪の「殺意の立証」のようなことが動物虐待でも必要になるのかなと思ったりもしますが、44条を読む限り、そのような必要はないと思うのですが。

 

現在の動物愛護管理法はどても大きなものになりましたが、あまり機能していないのではと感じる部分が多々あります。この事件がどのように扱われるのか注目しているところです。もしこの事件が裁判にもならなければ、この法律は絵に描いた餅を並べているようなもの、と理解しなければならなくなるかも。

 

最後は、アニマル・ウェルフェア・サミットとは関係ない話になってしまいましたが、この事件を理解するためにも、行って良かったと思います。
その他、自分と理解・見解が違う部分も勉強になったし、危機感を抱くこともありました。それらは全て有意義でした。

動物愛護は、考えの違う人、自分と違う経験をしてきた人等々が議論し、方向性がまとまらないことが多々ありました。そのようなことは最近は減ってきたと実感していいましたが、今回参加して、まだまだ残る「まとまらなさ」の現状を感じることが出来たとても貴重な機会でした。

来年も、時間が許せば参加したいです!

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2017年7月23日 (日)

いい記事だとおもったら

最近、マスメディアの記事が酷いと感じることがある。ペット関連のものだけではない。Twitter の書込みを持ってきて、それを記事にしたり、構成の要にするのには「手抜きじゃないの?」と感じてしまう。その発言について、裏付けを示せばいいのですが「こんな書き込みがあったから、私の考えは正しい」と言わんばかりの使い方には、呆れるばかり。

個人のブログなどで表現の自由の範囲で書込むことと(このブログのようにね)、プロが責任をもって(お金もらって)書いている記事との境目が分かり難くなっている。また、キュレーション(まとめ文書)とプロの方の記事の境目も分かり難い。

読み手として、プロ記者の記事は信頼して読みたいです。その信頼を裏切らないようにしていただきたいものです。
 

ペット関連にしても、「上っ面だけの情報を集めて、思い込みで構成している」と感じるものが多々ある。その原因は(取材する相手の)プロとか先生と呼ばれる人たちが現場から離れていってしまっているからだろう。表現を変えれば、多様性を認める現在、身近な動物との関わりというパーソナルな部分の多くを、プロであっても網羅することは困難になってきている。
また技術の進歩の速さもある。新しい技術を知らない先生、知っていても活用の仕方を理解していない先生をよく見受ける。

そんな中、以下の記事は、「いい記事だな」と頷けながら読めた。

マンションでペットをめぐるトラブルが絶えない理由
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20170721-00135885-diamond-bus_all&p=1

「へぇ~、どんな記者の人が書いているんだろう。こういう人の記事を読みたい」と思ったら、不動産管理などをやっている会社の社長さんだった。現場のことをよくご存じな訳ですね。

マンションに限らず共同住宅は、入ってしまってから、「えぇ~~~、こんなことがあるの?」「こんな人が入居しているの?」、という話は多々聞く。逆に「規約には厳しいこと書いてあるけど、実はこんな感じで過ごし易いよ」ということも。

この記事の締めくくりが「ペット問題は 元を正せば人間関係の問題」となっていますが、共同住宅内は、プライバシーが守られていると言っても、やはり地域共同体とならざるを得ませんから、人間関係、つまりコミュニケーションは必須といえるでしょう。

ペットを飼って人間関係から距離を置きたいと考える方が少なくないようですが、私はペットを通じて人間関係を広めていってほしいと願っているし、そうしないと、この記事のような問題が起こり続けるのではないでしょうか。

 

余談(この記事とは関係ないこと)。

私は、ペットという言葉があまり好きではありません。出来ればコンパニオンアニマル(なので、ペットを通じて人間関係を、と考えます)と言いたい。
しかし、現実としてペットとして付き合っている人は多い。

同様のことで、この記事中に「ブリーダー」という単語が出てきますが。日に当たることが出来る運動場を持たない人をそう呼ぶのは如何なものかと思っていますが、現在、日本における認識としては、この記事を書いている社長さんの感覚が圧倒的多数だと思うので、記事としてはいいと思います。
しかし、プロとか先生と呼ばれる人たちには、ブリーダーはただ衛生管理や健康管理をしっかりして繁殖するだけではないことぐらい知っていてほしい。

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2017年5月15日 (月)

ヒトの傍らで – シナントロープから見た世界

タイトルの展示を見てきた。今日で終わりなので誰のお役にも立てません。備忘録として。

説明はこのあたり。
http://fireside-essay.jp/miyazaki/bird/704.html
http://www.miyazakigaku.net/kouen/675.html

昨日(2017年5月14日)のトークショーに行こうと思ったのですが、メールのトラブル等で諦めました。今日も行かないつもりだったのですが、どうしても行きたくて無理に行ってきました。

 

人が暮らす地域で生きている野生動物の写真展です。
新宿のネズミやアライグマの写真もあれば、かつて多くの人が暮らした鉱山跡地もありました。高原の(もちろん人間用の)遊歩道での写真や福島県の人が暮らさなくなった場所や仮設住宅近くの写真も。
「こんな所にこんな動物が!」という写真がいっぱい。東京の国立インター近くにキツネが歩いている写真もあれば、遊歩道には色々な動物が姿を現しています。昼間、人間が何気なく歩いている場所に

多くの写真は定点カメラ(というのかな。据え置きで自動でシャッターが切れるようになっている)で撮影されたものだと思います。動物たち(時には人間も)の日常の営みが写されています。驚きや力み(威嚇など)がない。誤解を恐れずにいえば「可愛い」。福島県の人が住まなくなった民家に出入りする動物たちの表情は、「今日もちょっと寄らせてもらいますよ」という感じ。イノシシでさえ可愛く見える。

それらの写真に付けられている短いコメントが客観的で、ときに奥深く興味深いこともある。命が繋がっているこの世界を感じている人だから書けるコメントだ。

 

タイトルの「シナントロープ」については、冒頭のリンク先を読んでいただきたい。
それと関連することとして、上記から以下を引用させていただきます。
================
木を一本切っただけでそれを「自然破壊」だと非難してしまうのではなくて、その木がそれまで何をしてきたのか、切られることによって環境がどう変わっていくのか、そこまで考えながら自然を見つめてみることがイマの私たち人類には必要なことではないのか、と感じます。
================

感情から訴えるだけではなく、まず客観的な事実を集め分析し理解し、その結果からこれからのことを考える。

多様性が認められるイマだからこそ、無用な意見の対立を生まないためにも必要なことだと思いました。

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2016年11月20日 (日)

板橋区の同行避難訓練

今日の朝から正午くらいまで、板橋区の同行避難訓練のお手伝いに行ってきました。

やることは、アンケートをお願いすることと、犬や猫を預かることが具体的な作業。その他に、パンフレットを配ったり、写真を見ていただいての啓発活動もありました。写真は、大規模災害時に同行避難した犬たちがどのような場所に居て、どのような配慮がされていたのか、また、どのような問題があったのか、などが分かるようになっていました。

アンケートが早くに終わってしまい、テント前が閑散とした時間帯がありました。そんなとき、写真を熱心に見に来る方が何人かいらっしゃいました。手が空いているときは、そのような方たちと少しお話ししました。
「ペットを飼っている人は多いですから、こんな感じのことになるんでしょうね~」程度から始まり、各写真について、どのようなことを伝えたいのかを説明しました。説明の内容は、パネルにも(簡単にですが)書いてありますし、写真を持参された団体の担当者から聞いたことをお伝えしました。
でも、あまり突っ込んだ話はしませんでした。「実際に大規模災害が起きて、避難所が開設されないとどうなるか分からないと思います。これは一例で、このようになるとは限らないとんじゃないですかねぇ~」と伝えると、皆さん頷いていました。まだまだ準備不足だし、準備してもその通り機能しないだろうと、感覚的に(私を含め)皆さん感じてるようです。

お話しした方の中に、避難所運営に関わっている方もいらっしゃいました。「その避難所では、動物の扱いのことについてどのようになっていますか?」とお聴きしたところ、「人間のことを決めるのに精一杯というか、まだ決まり切っていないので、動物の話にまでなっていません」とおっしゃっていました。
この方は、大災害時に開設された避難所の写真を熱心にご覧になっていました。何か感じるもの考えるものがあったのだと思います。

 

板橋区の同行避難訓練は10年以上続いているそうです。三宅島の噴火の後、熱心な獣医師先生たちの尽力で始まったものだそうです。

何かを感じ、「やらねば!」とお忙しい中、奔走してくださる先生がいらっしゃり、世の中変わってゆくんだなと思うことが度々ありますが、この訓練の始まりもそんな感じだったのだと思います。

私のような一飼い主、一ボランティアは、そのような動きがあったときに、出来る限りの協力をすることだけだと考えています。

 

私は世田谷区民ですが、愛玩動物協会東京支所のメンバーとしてこちらに参加させていただきました。私のように、板橋区民でない人も多々ボランティアとして集まります。このような所に顔を出すのですから、災害対策に興味を持っている人たちです。写真を持参された災害時に活動したり、日頃から啓発活動をしている団体(アナイス)のメンバーの方たちもいらっしゃいました。
そうなれば、実際の災害時のこと、災害対策のこと、など色々な話を聴くことができます。災害時は異常時です。常識では考えられないことが起こります。それは、人間の醜い部分が現れることもありますが、逆もこともあります。そのようなことは、現場を見た人しか知りません。しかし、同じ現場に居ても、感じ方やそこで何をしたかが違うこともあります。

そのような事柄であると感じたこともあり、このようなボランティアには、出来るだけ参加するようになりました。一飼い主、一ボランティアが少しでもお役に立てるようになるには、やはり訓練に参加する、という当たり前のことなのかもしれません。

 

大事なことを書き忘れるところでした。

私は、アンケートと写真の方に居たので気が付かなかったのですが、今回は、猫の預かりもあったそうです。それも一頭だけではなかったとか。
キャリーやクレートに慣らせて、さらに飼い主がいなくなることにも慣らせることが出来る猫が結構いるのかな、と思いました。(おばまは糖尿が治らない限り、絶対無理ですけど。)

こういう訓練が積み重なり、一般の方々への理解が広まり、クレート・トレーニングなどを含めた災害に対する対策を皆が行うことが当たり前になってゆくものだと、私は信じて(願って?)いますhappy01

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2016年11月12日 (土)

マイケル・ムーアの世界侵略のススメ

映画の話。女房がDVDを借りてきて、一緒に観た。

マイケル・ムーアと言えば、大統領選結果を予言したかしないとか。庶民感情やそこから湧く疑問に取り組んでドキュメンタリー映画を作る人ですが、この映画は、アメリカを立て直すために世界各国を回る。何を立て直すかといえば、アメリカ国民、特に庶民の幸せだろう。

公式サイトはこちら。まず動画からはじまります。それも一通り観ていただきたいのですが、それが終わったら動画を閉じて、画面上部のメニューから「特別動画」の幾つかを観ていただきたい。
これらは断片的なもので、本編を観ればほとんどの人は驚くことでしょう。信じることができ出来ないかもしれない。

この映画とは関係ないですが、最近こんな記事を読んだ。
日本でも「家族は大事」と言いますが、私も常々違和感を感じています。多くの国では、親子の絆とか、子供が国を支えてゆくという意識がしっかりしている。日本もそうなのかもしれませんが、この映画に出てくる国の多くは、子供を邪険にすることもないし、子供が社会の中でちゃんとやっていけるように親も学校の先生も教育をする。教育というのも、教科書の内容の前に、やはり「人として」が先であり、その結果として教科書の勉強にも意欲が湧く。

日本に暮らしていると、この社会の政治や慣習などが当たり前のように感じてしまう。日本特有の文化なのだと気が付けなくなってしう。この映画を観ることで、日本はまだまだアメリカに倣っているのだと改めて感じてしまう。もしかしたら、植え付けられているのかも、などと考えてします。

 

さて、犬猫ネタを書かせていただきます。
「ドイツでは」とか「フランスでは」と犬のしつけのことで言う先生がいらっしゃる。遺伝性疾患のことなら北欧の話をする先生がいらっしゃる。
それらの国がどのような国なのか分かって話しているのかなと、いつも思っていた。
そのような先生方には、この映画を是非観ていただきたい。

文化とか国というものを考えて欲しい。
EUという一括りになっている国々でさえこれだけ違うし、最近変えた(変えることが出来た)国があることを知って欲しい。

特に、若い人に観て、考えてほしい。

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2016年10月30日 (日)

狂犬病について

とっても後書きの記事です。書いているのは、2017年に入ってから。今年(2016)の暮れに、「書いておきたい」思った内容の一つです。

 

タイトルですが、「狂犬病について」ではなく「狂犬病について、について」としたいのですが、くどいので、「狂犬病について」だけにしました。

2016年10月13日にタイのプミポン国王が逝去されたことが関係していたのか、10月の下旬辺りからネットで狂犬病ネタをチラチラ見ることがあった。中には、誤解を与える内容のものもある。

 

狂犬病というと、

・ 日本国内では、長年感染例は報告されていない

・ 世界的にみれば、珍しい感染症ではなく多くの地域で感染している動物の報告がある
 また、感染(または感染されていると推測されれる)動物に人間が噛まれる事故が報告されている
 そして、世界では年間5万人以上が命を落としている

・ 狂犬病の犬などに噛まれ、その後発症したら命はない
 発症前に診断できる検査はない

・ 予防のワクチンが存在する

・ 暴露後(噛まれてから打つ)ワクチンもある

くらいの知識がある人は多いと思う。

 

話は変わるが、私は以前、ラジオでたまに犬猫のことを話することがあった。2015年暮れの放送が最後になってしまったのですが、その後、2016年3月に狂犬病を取り上げる予定がありました。そのために少々勉強した。
狂犬病の研究で著名な先生に話を伺う機会を得たことと、図書館で借りた狂犬病についての書籍だけですが、それだけでも、自分はあまりに無知だったと恥ずかしくなった。

よくまとめられた書籍もあります。図書館に置いてあることも多いと思うし、高価ではないものもありますので、購入しても大きな負担にはならないと思います。

狂犬病のことをネット上で不特定多数の人に語るのであれば、まず本を読むくらいして欲しい。そうすれば、気軽に何処かに書いている一文をそのまま持ってくることが、どれだけ罪作りなことか理解できると思います。

狂犬病の症例を幾つも読んでいて思ったことがある。これらの話から幾つかをピックアップし、短編集の書籍や映画(DVD?)にすれば、多くの人が興味ともってくれるのではないか。それくらい、時に悲しく、オカルト的で、たまに感動的。

そして予防に尽力するしかないことに気が付くだろう。

 

参考までに私が読んで 「狂犬病を軽んじていた」と思った書籍を一つ紹介しておきます。基本的なことが書いてある本です。
ヒトの狂犬病 忘れられた死の病 / 高山直秀 〔本〕

2017.1.22

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2016年10月14日 (金)

プミポン国王の逝去

とっても後書きの記事です。書いているのは、2017年に入ってから。今年(2016)の暮れに、「書いておきたい」思った内容の一つです。

 

プミポン国王をご存知でしょうか。WikiPedia では、ラーマ9世と記載されています。2016年10月13日に逝去されたタイ国王ですが、タイにおいて、国王とはどのような存在であり、野良犬や狂犬病が国民にとってどのような存在であり、現在どのような動きがあるのか、ご存知でしょうか。

日本語のサイトを探す限り、「タイ赤十字社」「サオワパー王妃記念研究所」辺りから調べればある程度のことが出てきますが、あまりに情報が見つけられず驚きました。

逝去後書かれた記事として、以下のものを見つけました。
http://www.1242.com/lf/articles/28473/
http://www.1242.com/lf/articles/28992/

トーンデーンが17歳9ヶ月という長命からも、国王の犬への気持ちがうかがえます(犬だけではないとおもいますが)。

この記事の中で、「タイではあまり殺処分が行われないとはいえ、シェルターに暮らす犬たちの環境は決して快適とはいえません。」との指摘があります。行政が運営しているシェルターについての記述ですが、これは日本と同様と考えていいと思います。

行政のシェルターの環境は劣悪と感じる部分もあるかもしれませんが、それを民間の人たちが頑張って向上させていこうと活動しているのは、日本も同じではないでしょうか。

プミポン国王がされたことは、国を挙げての野良犬対策に手をつけたこと。日本でも欧米各国でも行政が多くの予算を費やすことが出来ない分野であることは同じなのでしょう。引き続きボランティア組織が育ってゆくことを願うばかりです。

 

最後に、日本のこれからについて。

私は、タイ王室は(決して経済的に豊かであるとはいえない状況で)、動物愛護の気風を招くことに力をいれていると感じています。行政、民間に関わらず動物に関するボランティアに対する国民の意識は比較的高いと聞いたこともあります。それは仏教の国であるからと説明されることもしばしば。その精神は、日本人にも通ずるものもあるのではないでしょうか。

そんなタイ王室から学ぶべきことは多いのではないかと感じています。なので国王が逝去されたとき、動物愛護関係の人からコメントが多く寄せられると予想したのですが、ほとんどなく驚きました。

現在の日本では、欧米から学ぶ機会が多いようですが、私は文化やそれ以前の個人の感じ方も欧米とは違うのであるから、欧米から学ぶ場合、慎重であるべきだと考えています。

参考になる内容の記事がありました。(とっても後書きなのが幸いしましたsmile

犬に対する人間の多様性
この方のように、世界各地の人に「感じ方・考え方」を聞いてみれば分かります。日本に暮らし当たり前だと思っている感じ方・考え方は、世界共通ではないのです。それを前提に世界の各地から学びたいものです。

なぜ日本人には虫の「声」が聞こえ、外国人には聞こえないのか?
脳での感じからして違っています。もしかしたら視覚もそうなのかも。生命体を見たときに使われる脳の部位が違うかもしれません。

 

私は、日本において日本人として、犬や猫、その他動物、植物と暮らしてゆきたいと常に考えております。    2017.1.13

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2016年9月30日 (金)

同行避難訓練に参加して、気が付いたこと

今回も長いですcoldsweats01

先日、都内のある区の同行避難訓練のお手伝いをした。愛玩動物飼養管理士の支所協力会員というものに登録しておくと、そのような誘いがくる。難しいことを考えず参加している。

初めて同行避難訓練に参加したのは東日本大震災の後だったと思う。
自分自身は震災直後の被災地を訪れたことはないが、義捐物資のボランティアをしていたので、現地に物資を届ける人たちから話は訊いていた。少し経つと現地報告を兼ねたセミナーなども多々あり、何度か参加した。
そんなこともあり、私なりに実際の避難所、そして同行避難のイメージが出来ていた。

その後に、同行避難訓練のお手伝いを始めたと記憶している。先日お手伝いした区の訓練も当時参加した。
当時の私の頭の中は、上記のような限られた現地情報と整理された理論だけで構成されていた。

物資のボランティアに通っていると、有名な先生にも顔を覚えていただける。何処かで会えば、挨拶くらいする程度になった先生も何人かできた。
同行避難訓練のお手伝いを始めた当時、そのような先生方に、「こんな現実離れした訓練して何の意味があるのでしょうか?」と食いつくように質問した覚えがある。しかも片っ端からcoldsweats02

先生方の答えは、「まず多くの方に見ていただき、興味をもっていただくこと。そして、幅広い人の協力により、その地域毎の避難所運営マニュアルに組み込んでいただき、避難所の中で認めてもらえるようになる。今はまだ、幅広い人に振り向いていただく段階。また、どんな訓練であっても(人間だけの)避難訓練内で行うことは容易なことではありません。やらせていただくこと、問題なく運営すること、それを重ねることも訓練です」とういうような内容だった。
それでも私は、「それは理解できますが、あまりにも現実離れしていませんか?」と口にしたものでした。

先日参加した訓練以前は、犬を預かる数もとても少なかったり、雨の日に当たれば一頭もいないときもありました。同行避難訓練というより同行避難の啓発活動だと割り切るべき、と考えるようになってゆきました。

 
そんな考えを改めたのが、先日の訓練でした。
お預かりの犬の数(猫はいませんでした)は、なんと約30頭!、これだけでビックリです。連れて来られる飼い主さんたちは、躾や感染症予防の意識を持っている方々ばかり。(同伴避難以前の)同行避難を(確固たるシステムとして)実現するには、ほとんどの方がこれくらいの意識をもたないと実現しないだろうなと感じました。

お預かりするテントでは「受付け」と「犬の管理」が主な作業になります。この日、常時作業に直接関わった人員は、10名くらいだと思います。
気温は低くない日だったので、ヒヤヒヤしたこともありました。ケージには日除けと目隠しのために新聞紙がかけられているものもあり、ケージ内の状態を確認し続けることの難しさを感じました。新聞紙をめくればいいじゃないか、と思われるかもしれませんが、ケージ同士はくっついています。一つのケージの新聞紙をめくっただけでも大騒ぎになりそうです。そうなったときの犬のストレスを考えると出来ませんでした。

そんなハラハラ・ドキドキもありましたが、大きな問題もなく訓練は終了しました。終わってみれば約30頭をお預かりし、無事に飼い主さんたちにお返しすることが出来たのです。
全ての犬を飼い主さんにお返ししたとき、達成感のようなものを感じました。

 
そこで考えてみました。
これだけの数の犬が集まり、大きな問題もなく犬を預かることができたのは何故だろう。

まず続けたこと。
今回、大きな問題は起こらなかった。初めてお手伝いした人は、「おっ、こんなに簡単に出来るんだな」と思ったかもしれません。
避難訓練会場というざわついた場所で、飼い主さんと離れ離れになり、自分のケージの両隣には見知らぬ犬。預かりスタッフも全く見知らぬ人間ばかり。このような状況で犬の心身の健康を保つだけでも大変なことだ想像できる人は多いと思います。
もう一つ、とても気を遣うのが、ケージへの出し入れ。基本的に飼い主さんにやっていただきますますが、入るを嫌がる犬も多く、先日の時も頑固に(力強く)嫌がる犬や、逃げ出すことを試みた犬もいましたが対応できました。
もちろん、受付け業務もしっかり確実にやらねばなりません。それができなければ、飼い主さんたちは安心して預けることは出来ないし、預けたとしても来年は参加しないでしょう。
そのようなことを考えると、何年も問題なく続けることができたからこそ、約30頭という犬たち参加してくださったのだと思います。つまり、飼い主さんたちが、趣旨を理解・賛同し参加してくださったのだと思います。

 

振り返ってみると。
まず区民の皆様に、同行避難訓練というものをやっているということを知っていただく。そして理解していただき、この訓練に参加しても大丈夫だと感じていただく。
お預かりする側も、段取りを決めるだけでなく、運営する人たちの関係や文字に表せないスキルのようなものを積み重ね、身につけてゆく必要を感じました。
これらのことは、同行避難訓練のお手伝いを始めた頃に、先生方からの答えの通りでした。
 

これから同行避難をはじめようと思ったら。
まず、学ばなければならないことはありますが、それよりも「やろう!」とおもう仲間を探すことが大事だと思います(そうでないと続かないですから)。そこから一般的なことを学んだり、既に訓練を行っている人たちから話をきくことで、末永く続けられる訓練になってゆき、その訓練に参加する(犬や猫を預ける)人が増え、幅広い人に知っていただき、安心して参加できると感じていただくことで、更に参加者が増え、その地域で同行避難の必要性がより認知される結果になるはずです。

(人間だけの)避難訓練も、発災時の状況を感じられる訓練はないと思います。同行避難訓練もそれでいいのだと思うようになりました。大事なことは、幅広い人たちに、それが必要なことであり、特別なことではないと知っていただくことだと理解しました。

大事なこと・必要なことであれば、発災直後であっても、皆で協力して行うことでしょう。
そんなことにやっと気付いた同行避難訓練でした。

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