2017年5月23日 (火)

今後はブログをメインにする予定

うーにーが死んでしまい、ぼ~っとしていたときに東日本大震災が起こった。
それを機に Twitter や FaceBook をよく使うようになった。
それで充分だとおもっていた。

しかし後から検索しても期待通りに見つからないことがほとんど。
見つかっても Twitter は文字数制限があるので分かり難いことも多い。
おばまのことも見返してもよく分からない。

出来る限り誤解なきよう書きたいし、後から見返したときにより正確に知りたいので、やはりブログの方が自分には合っていると思うことが多くなってきた。

その他色々あり、今後はブログをメインにする予定。

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2017年3月 7日 (火)

花森安治という人 と 1986年という年

20170307a先月、中旬だろうか。世田谷美術展にて「花森安治の仕事」という展示を観てきた。こちらよりもサブ展示的な「ぜんぶ1986年」に興味があり、行くことにした。

右の写真は、つい先日、世田谷区内の南の方(九品仏あたり)を歩いていたときに見たポスター。このポスターを見て、ブログに書いておこうとおもった。

 

まずメインの花森安治。
入ってすぐに「暮らしの手帳」の編集者であり、「暮らしの手帳社」を作った人ということが分かった。1911年(明治44年)生まれ。大学時代に結婚、戦前から広告関係の仕事に従事し、太平洋戦争時は召集されるが疾病で除隊。終戦まで大政翼賛会関連の仕事として国策広告に携わる。「欲しがりません、勝つまでは」などを、国民に広める仕事だ。

ある程度進んだところで、この人をモデルにした連続テレビ小説が近年放映されたことを知る。この人のビジュアルには映像にしたくなるものがある。明治生まれの人が、長髪だったりスカートのようなものを身に着けていたりする。顔はがっしりと如何にも男性。今では珍しくありませんが、当時はとても珍しかったのではないでしょうか。

私は「暮らしの手帳」なる雑誌がどういうものか知りませんでした。この展示で知り、驚いた。狂気ともおもえる数のテストをする。山のように積み上がったパン、行列で行進するベビーカー、石油ストーブを倒して部屋を燃やしてみる、などの写真は圧巻だった。

そして仕事の量、質も圧巻だ。テストだけではなく、文章を書き、絵も描く。文章を書くために取材し調べ深く考察している。絵を描くにあたっては対象選び、デザイン、その意味など多角的に考えられていることが分かる。強く伝わってくるのだ。

個人の日常だけでなく、社会問題にも言及していた。今でいうところの待機児童問題の記事があった。今も昔も変わらない。その他、政治批判的な記事も多々あった。
 

何度も出てくる「一銭五厘の旗」。一銭五厘とは召集令状の葉書についている切手部分の額面表示とのこと。召集された時に「お前らの命は一銭五厘しかない」とか言われたことからだとか。

戦争を憎んでいただろうと思われますが、皮肉なことに、戦中、「質素倹約」「ご近所さん同士助け合い」などを宣伝した彼が、同じ内容のことを訴え続けることになる。こんなところにも、強靭な精神を感じた。

 

この展示の世界は、情報が行きわたるようになった現在とは違う世界であり、この展示の世界を好む自分は時代遅れなのだろう。
今の世の中、「結果」だけが重要であり、そこからの(感想というより)感情で議論がなされる。現在の商品のテストはもっと簡素だ。各製品に使われている部品や組立方法などのデータから数値が算出されて評価が決定される。それだけ情報が既に収集・集計され、それらをどのように計算すれば良いのか確立されている。

この展示の世界では、理屈や計算はない。実際使い続けた結果が全て。
テストには多くの人、物が関わっていることを感じる。ふと、商品が出来るまでにも多くの人や物が関わったのだろうと想像する。

そんなことを感じるのは時代遅れの人間だろう。
私は学生の頃、工場でアルバイトをしたことがあります。ラインの左右には多くの人が配置されていました。今の工場の中にいる人数は当時とは比べ物にならないくらい少ないらしい。ほぼ無人の所も珍しくないとか。

20170307b今の世の中は、数字や思想によって人々が行動していますが、その行動の中にも人と人との直接の関わりは希薄になっている。

私は、個々の生活のありようや関わり方を大事にするべきだと考えてきましたが、そこにはもう後戻りすることはないのかもしれない。
その代償行為として、ネット上のコミュニケーションやペットの存在があるのかも。

この展示は、4月9日まで。

 

もう一つの展示。ぜんぶ 1986年。
入ってすぐの絵画やオブジェは、「おっ、抽象だけど私にも分かりそう!」とちょっとアートな世界を期待しつつ、大きな部屋に入ると、分かり易く楽しい展示が多い。
赤瀬川源平と松田哲夫で企画した「路上観察学会」は楽しい。1986年の東京はこんなだったのか!、と記憶をたぐる。向井潤吉の作品はびくともしない精神を感じる。日本はいい意味で変わらない、変わらないでほしい。横尾忠則には向井潤吉と真逆のものを感じる。日本も日本に囚われていてはいけない。
大きな部屋から出て小さなスペースに、北大路魯山人。これは気軽に楽しむ感じではありませんでした。腕組みし、う~ん、、、と唸って(悩んで)しまった。

1986年はバブル。世田谷美術館もあの時代だからこその造られたのかも。
デザインの選定は、設計図ではなく設計者を選定する方式だったとか。

ミュージカルのキャッツや漫画のホワッツ・マイケルが流行っていた。流行語としては「新人類」なんて言葉もあった。チェルノブイリの原発事故、三原山の噴火があった年。

バブル。高度成長期の終焉を決定づける最後の花火。経済の中心が金融になった時代。人と人との関わりよりも数字を優先しなければならなかった時代。

30年も前。あれから大きな技術の進歩を感じますが、人間の感性など根本の部分ではあまり進歩していないようにも感じました。

私が進歩していないだけかな。

 

こちらも、4月9日まで。

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2016年12月31日 (土)

ダメダメな一年を少しは取り返そう (^^ゞ

今年一年、色々ありました。幅広く色々あって、それぞれが地味なこと や 後始末的なことが多かった。

幅広く色々あると多方面のことを考えてしまい、ブログも書き難くかった。書かず仕舞いにあってしまったことが多々ありました。正月休みに、少しずつ振り返って(当時の日付で)書いていこうと思います。

身近な動物関係のことばかりです。内容はどれも、「一部の人たちが考えたり実践している方向性は正しいと思うし、広く理解が得られると思うけど、所々ネックがあるためか広がらないのがもどかしい」という愚痴っぽい内容ばかりになる予定sad

もう今年中には出来ませんが、来年早々、このダメダメな一年を少しは取り戻したいと思います。

来年は多方面のことを考えずsmileブログを書き、粛々と整理的なことを事務的にこなしていきたいものですthink

 

(以下に新年に入ってから書いた内容を列挙する予定wink

(勉強会)動物介在介入と動物介在活動

私が服をほとんど買わない理由

田向先生のセミナー(愛玩動物協会のセミナー)

遺伝

プミポン国王の逝去 

狂犬病について

日本における、犬食文化について

ばまちゃんの 2016年

まだ書きたいことが幾つもあるのですが、またの機会に。
2017.2.16

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2016年2月28日 (日)

曜変天目、付藻茄子

ここのところ忙しいのですが、色々と手をつけてしまって自分でも何をやっているかよく分からない。そんな毎日ですが、先日、静嘉堂文庫の招待券をいただいたので、昨日、女房と行ってきた。改装後、初めて。

お目当ては、曜変天目付藻茄子。曜変天目は一度は見てみたいと思っていたのですが、よくよく聞いてみたら、当分の間、常設展示されるらしい。でも、折角の機会なので行ってみた。

20160227a岡本公園に車を止めて歩こうかと思っていた。しかし、珍しく駐車場が満車。雛祭りのイベントが開催されていた。仕方なく車を移動。ぐるっと回って静嘉堂文庫前の駐車場へ。

館内に入る前に庭園を歩く。そして廟の周りを歩く。
廟の近くには右のような所がある。もう15年くらい前に、うーにーと何度か遊んだことがある。たまに思い出したように行った。3~4回くらい行ったと思う。そしてあるとき、庭園や廟の周りが整備され、下の表示がされるようになった。もしかしたら、もっと前からあったのかもしれませんが、綺麗になった後に気が付きました。
20160227b昨日土曜日でも人気(ひとけ)のない場所です。昔は今以上に人が来なかった。いい場所でした。

昨日も岡本公園方面から上がってきた犬連れが、この表示に気が付かないのか園内を散歩していました。
知っている犬連れは、抱っこして散歩していました。その価値はあると思いますが、この表示の場合、抱っこでの散歩はいいのだろうか。

 

うーにーとの思い出を女房と語りながら、館外散歩を終えて、入館。

展示室入口付近に付藻茄子があった。茶道の道具なので大きなものではないと思っていたが、この大きさとは。小さく素朴な色合い、自然で無駄のない曲線は、手にも心にも馴染むだろうとは思いますが、天下人が欲するような迫力は感じられませんでした。
土と共に生き、自然信仰傾向の強かった当時の日本人としては、信仰対象的なものを感じたのかもしれません。

展示室に入ると目立つ場所に曜変天目がありました。茶道の茶碗である。
今まで写真を見たことは何度かあった。その印象から、もっと大きなものだと思っていた。迫力のある写真ばかりだったから。
国宝である。ケースの中に入っていて触ることは出来ない。内側の模様を真上から見たかったが、それも出来ない。
江戸時代やそれより前の時代に、こんな模様の茶器があったらそれは欲しいと思うだろう。しかし今の時代の人間としては(素晴らしいとは思いますが)、螺鈿っぽいとか、全く別の技術で似たようなものは出来るだろうな、とか思ってしまった。

この茶碗を入手した岩崎小弥太は「天下の名器を私如きが使うべきでない」と生涯使うことはなかったそうだが、私はこの茶碗を使ったときのことを想像したらワクワクした。一般的な茶の湯とは全く別なものだろう。(と、思うところが小市民な私think

曜変天目や付藻茄子を熱く語る人に何人か出会ったことがある。なので見に行ったのですが、私の感想は、「たしかに、他とは違う何かを感じる。でも、これくらいの感じ方のものは他にもあると思うけど」。(小市民ですからcoldsweats01

 

帰りの車の中でふと思った。
もしかしたら、私はうーにーと遊んだあそこかに行きたかったのかも。

曜変天目、付藻茄子、ありがとう。

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2016年1月29日 (金)

【TOKYO ZERO】第1回勉強会

タイトルのイベントに昨日、行って来た。
サブタイトルは、「動物愛護法とは ~その成立と3度の改正の意義・課題~」。
講師は、弁護士の細川敦史先生。
場所は、衆議院第一議員会館大会議室

まず、内容について。
大きく分けて、「今までの3回の改正について」「現在の動愛法の解説」「なぜ現在の形に至ったのか、そして現状の課題は」の3つという感じ。

私は、各改正の論点について、「あぁ、なんな議論があった」「あんな事件があったんだよなぁ」「すり抜ける方法を考えて、また改正が必要になって」などと、青春の振り返るが如く、「みんなあのときは頑張った」と、夕日に走っている若者を思い浮かべるようでした。

注目される課題については、講義の中では(時間がなかったので)さらりと流されましたが、最後に質問タイムに浮き彫りになりました。虐待などの有効な告発方法についてです。虐待を見たら、誰に相談すればいいのか?。これがまだ曖昧であるのが現状だし、最終的には警察が動くことになりますが、証拠をつかむのが難しいことが多いので、立件が難しいということもある。ホントに「課題だ!」という感じです。

 
上記の「大きく分けて」を読んで、「どんだけの時間で?」と思った人もいると思う。これを約一時間でやった。細川先生も時間を気にしながら進めていたら、上手く進みすぎて、最後に時間が少し残った。流石に細川先生!、もう一つネタを用意していました。

最近の改正で行われた、「ねこ→猫」問題だ。私とディープな付き合いを長年している人ならご存知だと思いますが、私はこのことを長年口にしてきました。しかし、多くの人は取り合ってもくれなかった。
細川先生が解説してくださいましたが、昭和48年に法律が出来たときに常用漢字ではなかったからだ。常用漢字になったのは昭和56年。しかし平成11年の改正でもその次のときもそのままだった。ちなみに昭和56年に猫と一緒に常用漢字入りした動物は、猿、蛍、蛇、竜。他の字を見ても、「これもなかったの?」と思うものが多い。(参考

自分が珍しい苗字だからか、呼び方・呼ばれ方には敏感である。弓削は「ゆみけずり」「ゆみさく」などと読まれる。ゆげと言えば「湯気」と書かれる。あなたは一般的ではないんですよ、と言われているようで、あまり気分いいものではない(慣れてしまったけどね)。

そんな私にとって、「ねこ」のままで放置していたことは、「常用漢字になったからって、別にどうでもいいんだよね」と軽く見られているように感じてならなかった(あくまで個人の感想ですhappy01)。自分が猫だったらクレーム入れたい!と感じていた(あくまで個人の感想ですhappy01)。法律の改正は専門家が行うはずだから、直し忘れることはないはず。猫に思い入れがなければ忘れるかもしれないけど(あくまで個人の邪推ですcoldsweats01)。

あくまで個人的な感想ですが、「ねこ」が「猫」になったことは、法律改正に猫の心が入れてもらえたように感じて嬉しかった。

こんなことを感じるのは、たぶん平成11年よりも前からこのような問題に付き合っている人たちだけだろう。(ちなみに「ねこ→猫」の話を始めたとき、会場からは笑いが湧いた。)
私は約20年くらい何かしら関わっていますが、もっと昔からの人たちも多くいらっしゃいます。しかし最近、こつこつと活動してきた方たちの影が薄くなってきたように感じます。
そのとこを思い出したのは、あの大会議室で講演が始まる前の時間に、TOKYO ZEROさんのパンフレットを見ていたとき。TOKYO ZEROさん のHPには、主なメンバーが紹介されています。同じような写真での紹介がパンフレットにあった。そこに私が「この人、昔から頑張っているよな」と記憶にあるのはとても少ない。

TOKYO ZEROさんには幅広いジャンルの人が参加している。多くの人が関心を持ち、議論に加わり、声を上げていただけるようになったことは、とても嬉しい。
しかし、論理的に話し合い、解決しようとすると、幅広い問題でもあり、法律の隙間のような部分もあり、隠しやすい問題も含まれているので、とても複雑で厄介なので冷静・客観的に見つめ直すことは簡単ではありません。誰でも簡単に参加するとリスクも発生するでしょう。
動物の問題を感情論で押し切ろうとする人もいますが、それでは解決にならないどころか、解決に向かうことすら出来ません。なので、今回のような勉強会は必要です。今後もこのような勉強会が開催されることを切に願います。

今回の勉強会は参加申し込みが多く、締め切りを切り上げ抽選としたようですが、多くの人に勉強していただきたいので、同じ内容のもをもう一回開催し、選にもれた方々に機会を与えていただければと願います。

 
日本における動物愛護・動物福祉の問題を考える上での基礎知識は膨大にあります。今回は一時間でしたが、あの範囲の内容を、各項目の経緯や付随事項・波及される事項などを含め、他の法律や条令との関係、行政現場の現状、行政が扱ってくれない現状などを学問的に取り上げたら、30時間あっても足りないと思います。それくらいの時間をかければ、聴いている側も面白くなってくることでしょう。つまり、大学の単位になるようなレベルのことになっています。

その講義を多くの人に行うことは無理なので、一時間にすることは理解できます。「今の世の中、こんな感じ」と多くの人が掴んだことと思います。「こんか感じ」の先は、各自が興味をもった部分を掘り下げたりすればいいのですから。

これからの勉強会でどのような内容を取り上げるのか分かりませんが、とにかく多くの人に知識を得る機会を与えて場を設けていただければと願います。

 

今回もダラダラと書いてしまいましたが、動物愛護・動物福祉の問題を、一部の人が扱う問題にしてしまうのではなく、多くの人に興味をもっていただき、考えてもらいたいと感じていた私にとって、今回の勉強会はその方向性を感じることが出来て嬉しかったです。

それでも、まだまだ関心を持っている人が少ないと思います。今後、こちらの団体をはじめ、広くこの問題を訴え、啓発を続ける団体が増え、人と動物が共に暮らすことを国民全体が考える国になることを心から願っています。

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2016年1月17日 (日)

黒鵜を助けたい(その4) 2016.1.14

黒鵜の話、四日目

鵜は(元気に、かどうかは鳥に詳しくない私には分りませんでしたが)飛んでゆき、ほっとした。

公園管理事務所の人たちも初めてのことで、たぶん偶然時間も空いていたのでしょう。もしかしたら、他のことを放り出してきてくれたのかもしれません。とにかく初めてのことだし、イレギュラーなお仕事だったようです。有難いの言葉に尽きます。

その後、最後まで残ってくださった方と連絡先を交換し、解散となりました。相手の方からは会社の名刺をいただきました。電動工具や車のパーツで有名なドイツを起源とする会社です。私はここのジグソーを使っています。基本的になんでも日本製を使うようにしているのですが、これを買ったときはとても安かったから。その様な理由がない限り買いません。でも、次に電動工具を買うときは、この会社にしようと心に決めました!

その後、駐車場まで戻ったら、まだ時間はあったのですが、とりあえず河川敷から出て、あのパン屋さんへ。何故か夕方にパンを買い、そこの駐車場から、東京都の担当部署をはじめ、お世話になったところに解決されたことを報告しました。
(報告し忘れて翌日お電話したところもありました。)

とにかく、メデタシ、メデタシhappy01

以上ですが、だいぶ端折っています。リアルタイムでご存知の方は、Twitterを中心にネットで情報拡散&収集もしていたことをご存知かとおもいます。

この黒鵜をどうにかしなくては!、と思ったときに、頭に浮かんだことは、駐車場の門限でした。時間との勝負なので確実に進めたいと考え、役所や愛護団体に電話架けてば、何処かを紹介してくれるだろうと考えましたが、なかなか進展しませんでした。それでネットで拡散していただいたのですが、拡散にスピードが付き始めてから30分くらい経ったら、色々と進展し始めたような気もします。何処でどう繋がっているのか想像もつきませんが、ネットの力はあったのではないかと感じています。当日、拡散してくださったり、情報を寄せてくださった方々、ご協力いただき、ありがとうございました m(_~_)m

 

東京都における「野鳥の救助につて」のまとめ

都が捕獲することはない。捕獲したら、都が病院を教えてくださる。
担当部署は、環境局自然環境部計画課計画係鳥獣保護管理担当。

施設管理事務所(今回は、玉川公園管理事務所)がある場合は、こそに連絡してお願いしてみると、可能性はゼロではない。

役所関係をメインに考えた理由は(上記に書いた以外に)事後に揉めたくなかったから。安心して任せられると思ったから。つまり(野鳥のことはさっぱり分かりませんから)任せることを考えていました。

役所とお話するときは、一つは、法律等を最低限理解していること、もう一つは、冷静に話ができること。これが必要だなと感じました。
今までの経験から、少しでも「この人、後からクレームつけるかも」と思われてしまうと、進む話も進みません。役所同士は、自分たちが縦割りであることをよく理解しています。だからと言ってたらい回しにして終わりにしてしまおうと思わずに、解決に向けて動いてくれる人は少なくありません。こちらが、真摯に解決を願っている気持ちが伝われば。そのような意味での「冷静に話ができる」ということです。

パン屋さんの駐車場から、翌日もその他のところに電話で報告しましたが、話の感じでは(私の知らないところで)連絡を取り合ってくださった気がしてなりません。よくわかりませんが、多くの人が動いてくれたんだろうな、ということを感じました。
「たかが動物に!」と感じる方もいると思います。だから伝えられないのだと思いますが、たぶん、水面下で動いてくださった人たちはいると思います。

身近な動物や野生動物の扱いは、都道府県により違いがありますが、少なくとも東京都、そして世田谷区の場合は、冷静に話が出来れば、このように動いてくれることもある、という報告と感想でした。

そうそう、ネットの拡散は、たぶん力になります。直接的な情報も得られますが、それ以外の見えない力もあるような気がします。タブレットを持っていて良かったhappy02

携帯やタブレットなど通信端末の電池も大切だなと思いました。大規模災害のときに、補助バッテリーを送ってあげると助かるだろうな、なんてもことも考えました(今日は1月17日ですね)。

 

でも、たぶん、もっといい方法(野鳥保護を迅速にやってくれる団体とか)があると思いますが、私はここまででした (^^ゞ

 

四日に渡る長文にお付き合いいただき、ありがとうございました。
(おわり)

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2016年1月16日 (土)

黒鵜を助けたい(その3) 2016.1.14

黒鵜の話、三日目。

駐車場の閉門時間や東京都の担当部署への連絡時間が気になりだしたて、しばらくしたとき、そこに軽のワンボックスがやって来た。先ほど電話をした、この公園を担当している管理事務所の人たちの車です。「先ほど、電話を受けたものです」と。
さすが、公園管理事務所というくらい色々な道具を持ってきてくださった。やはり、鵜の捕獲は初めて、何をどうすればいいのか分からないらしい。
その時、鵜は反対側の岸に上がっていた。人通りのある兵庫島でだ。なんとも無防備。たぶん衰弱し始めているのだろう。

道具の中に、長い柄のついたタモ網のようなものもあった。ダメ元で、それで捕まえてみようとなった。やってみたら、あっさり捕まった。

鳥獣保護管理担当に電話をしたときに、「鵜は人間の目を狙ってくるので気を付けてください」と言われたことを、事前に皆さんにそれを伝えてあったので、網を被せたら、私が頭を押さえた。そして他の人たちが体中をチェック。鵜はまあり動かないが、少し動き出してきて、くちばし担当、脚担当、と皆があちこちを抑えながら、チェックし、釣り針を取り、絡まっている糸を取った。釣り針には返しがついている。
口の中の柔らかい部分に刺さった釣り針を外すときは、とても痛々しかった。釣り針は覚えているだけでも5本刺さっていた。とにかくあちこちに刺さっている。全て同じ型のものだ。尾羽の数本が釣り糸でてぐるぐる巻きになっていた。これも丁寧に糸を切り、尾羽を折ることもなく処置できた。

たぶん、複数の針がある仕掛けなんだろうな、と思った。尾羽に巻き付いた釣り糸によりもどしが付いていましたが、普通の(1対1の)ものでした。何故、こんなに多くの釣り針が刺さってしまったのか不思議です。

激しく暴れることもなく、落ち着いて釣り針・釣り糸を取ることが出来たのはいいのですが、同時に衰弱しはじめているのかな、と心配にもなりました。

入念に皆の目で鵜の体をチェックし、もうついているものは見当たらなくなりました。しかし、ここには鳥に詳しい人が一人もいない。この先、どうしたものか。都の担当部署に電話して病院を紹介していただくか、それとも放してみるか。
全身を見た感じでは、著しい損傷等は見られなかったので、放してみようということになりました。

放してみると、少し戸惑うような素振りをみせて、池を見つめてから入ってゆき、すいすい泳ぎはじめた。首が前を向いている。その姿をみただけで嬉しかった。体の動きを確認できたからか、そして飛んでいきました。

 

一同、ほっとしました。

(もう一回、つづく)

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2016年1月15日 (金)

黒鵜を助けたい(その2) 2016.1.14

昨日の黒鵜のつづき。

助けるには捕まえなければならないし、捕まえてもその後、どうすればいいんだろう。最近は色々な動物のレスキューがあるようなので、民間団体でもすぐに対応してくれるところがあるかもしれない。そこに辿り着くには?

やはりまずは正攻法で、お役所だろう。


この後、法律とか東京都におけるルールとか書きますが「役所、ダメじゃん!」とか思わないください。
現在のルールがあって、そのルールがそのようになっているのには、意味というか、そこまでの流れがありあす。日本は主権在民。そのようになっているのは、私たちが選んだ議員さんにより、直接決められたことだったり、議会で決まったことがベースでそのようになったことです。現場の人たちが勝手に決めたことではなく、私たちが選挙で選んだ人たちが話し合ったことが基になったことであることをご理解ください。

 

役所や大手愛護団体に電話しまくる。結果は、私のつたない知識の通りだった。担当は、東京都の環境局自然環境部計画課計画係鳥獣保護管理担当というところ。野生動物なので鳥獣保護法の担当だろう。そこと何度か電話で話をしました。ルールとして、このようなケースの場合、都の担当者が捕獲はしてくれない。私が鵜を捕獲したら指定の病院を紹介してくださり、私はそこまで運べばいい、というのが東京のルールだとのこと。

鵜をどうにかしなくては、と思ったときに頭に浮かんだことは「野鳥は基本的に捕獲してはならない」という法律があること。例外は、負傷などで弱っていて保護の必要がある場合。今のところ逃げ回れるのでその対象になるか迷ったが、状況を話したら、保護できるのならそうしてほしいというような感じでした。

さて、私は散歩に来ている。鵜を捕まえることが出来そうなものは何もない。自分では捕獲できない。衰弱したら出来るかもしれないが、それでは助からないかもしれない。

 
もう一つの正攻法として、ここを管理しているところに連絡を入れることを考えた。
立て看板を探したらあった。そこに電話を架け、状況を話したら「そういうことは・・・」と、今まで対応したことがないようだ。考えてくれているようではあるのですが、どうしようもないような感じでした。ただ、「たぶん、糸さえ切れれば」という話までは聞いてくださった。

オロオロしていたら、とある役所の名前が書かれた箱を荷台に乗せたバイクがやって来た。16年間ここに通いましたが、お目にかかるのは年に一度くらいしか見た記憶がない。頼りにならないだろうなと内心思いながらも、状況を説明すると、一度は「ちょっとこちらでは・・・」とスルーされてしまった。

この池の近くは携帯の電波状況が悪く、電話をする度に移動しなければならないので、ウロウロしていたら、先ほどのバイクがやってきて、「どうすればいいのかな」と話をしてきたので、「たぶん、捕まえて糸を切ってあげれば動けるようになると思います」と伝えると、後ろの箱から鋏を見つけてくれたのですが、どうにも捕まりそうもない。
仕方ないなと言いながらも、何やら色々やってくれて、たぶんどうにかなると思うというような言葉と意味深な笑顔を残して去って行きました。

それまでも何人かの人が黒鵜を見守り、話をしたりしたのですが、最後まで見守ってくれたのは一人だけ。その人と、どうしたものかと話し合う。その人は電車で来たようなのですが、私は車。遠くの駐車場に車を停めていて、その駐車場は夕方に閉まってしまう。その門限も気になってきた。最悪、電車で帰って、明日出直せばいいのですが、車が使えないとなると、鵜を捕獲しても病院に連れていけません。その前に東京都の担当部署は5時までしか電話が繋がらないということなので、困った、と思っていました。

(つづく)

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2016年1月14日 (木)

黒鵜を助けたい(その1) 2016.1.14

「う」と言えば、うーにーである。しかし、うーにーは、5年以上前に亡くなっている。それでもまだ、うーにーとの思い出に浸っている私です。

昨年から、色々と面倒なことがあり、多忙な昨今です。今日も「あれとこれとをしなくては」と思っていたのですが、「もうヤダ!」とやけを起こし、「そういえば、まだ今年に入って多摩川土手に行っていなかったな」と思い出した。うーにーとの思い出の地だ。

ついでに、多摩川土手に行くときによく利用していたパン屋さんにも新年の挨拶をしようと、多摩川方面へ。パンを買い、河川敷の駐車場で食べて、ちょっと散歩して、帰宅するつもりだった。

駐車場の車の中でパンを食べ、ちょっと散歩と思ったら、遠くに高く組み上げられた、どんと焼きを準備している所が見えた。それをよく見ようかとそちらに進んだのですが、何故か足は、左へ左へと曲がって行き、川の方へ向いてしまった。
それはまるで、山の中の渓流に浮かべた笹船が、風と複雑な流れで思わぬ方向へ向かってしまうように。よたよた歩いていたら、「あれ?、この木、こんなに大きくなかったよな」と川に最も近い所にある道を下流へと歩き始めていた。「忙しいんだから、もう帰らなくては」と頭の中で繰り返しながら。

多摩川の土手を歩いていると、まだ、うーにーを感じることが出来る。でも、それは連続するものではなく、途切れたときの虚しさが辛かった。そんなことを繰り返しながら、どんどん進んでしまい、橋の下もくぐってしまったので、「ここまで来たら、兵庫島を一周して帰ろう」と心の中で区切りがついた。

 
池の所に着いたら、黒い鵜がいた。池といっても人工の池。
うーにーが生きていた16年間、ここにはよく通ったが黒い鵜を間近で見た記憶がない。近くに行っても逃げない。近くといっても、まず5mくらいあった。直感的に弱っているんだろうな、と思った。ゆっくり3mくらいまで近寄ったら、別の黒い鳥がやってきた。カラスだ。どうするかと思ったら、尾羽を突っつき始めた。それでも黒鵜は動かない。弱っていることを確信した。

以前この近くで、チョウゲンボウくらいの猛禽が持っていた肉塊を、一羽のカラスが狙い空中戦になった。それを見続けていたらカラスがどんどん増えてきて、十羽くらいになり、肉塊が欲しいのか、その鳥を攻撃するのを楽しんでいるのかという状況になったことを思い出し、このままだとやられてしまう、と捕獲しようかと考え始めた。

まずカラスを追い払うために近づいた。カラスと黒鵜は並んでいるので、黒鵜も動き始めた。カラスを追い払うと同時に黒鵜も全力で逃げた。しかし、足と口がテグスで繋がっているようだ。泳ぐと、足をかいているだろうタイミングで首が引っ張られてしまう。飛べない。そう広くもない池の中を首をカクカクしながら逃げ回る。こんなことさせていたら、体力なくなってしまうと、離れたところで考える。

(つづく)

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2015年12月31日 (木)

2015年も終わりますが

もう大晦日。年末年始の休みの人もいれば、そんなの関係なく大忙しの人もいるだろう。
昔は、大晦日らから三が日まではお店が開いていなかった。「みんなでお休み」にするしかなかった。でも、自分で仕事をするようになってからは、そうでもない人が昔も結構いたんだろうなと思うようになった。

この年末年始は、ずーっとパソコンに向かうハメに。運命のいたずらなのか、ただのお人よしの大馬鹿者なのか。明らかに後者である。

ここまでお人よしになると、他人の人生に関わることが(普通の人に比べれば)多くなる。犬との生活でもそうだった。関わり始めて、みんな今時の情報に翻弄されていることを知る。もっとシンプルに考え、日々暮らせばいいのにと、「犬とゆく」を続けている。たまに書いていますが、「犬とゆく」は、宿や店の情報サイトという形をとっていますが、犬との生活についての啓発を目的にしています。「あなたが頼りにしている情報を基に、犬との生活を続けて、お出かけ出来ますか?、出来ても楽しめますか?」とね。

話は変わる。トレーニングの話。
小型犬ブームが始まった頃までは、トレーニングの先生と言えば、警察犬の訓練である程度の成績を修めたり、住み込みで修業したり。今のようなセミナーなどに通うものもありましたが、最低2年くらいかかったのではないでしょうか。お金もン百万円はかかったのでは、と思います。
その中で何が分かると言えば、色々な考え方とか生活の人がいるし、犬も色々なんだということを知る。「こんなに幅広いんだ」と感じて、頑張って勉強する。その幅の広さが前提だったと思います。

現在、一年未満でトレーナーの資格が取れるという。びっくりしてどんなものなのか、調べたことがある。知れば知るほど、びっくりした。
幅の広さを知ることは出来ない。では、その幅に収まらない飼い主さんが来たらどうするんだろう。答えは「無理やりその幅に収まってもらう」。これは時に虐待になるのでは?、と感じ、恐ろしくなったことがありました。

そして先日。
お人よしの大馬鹿者の私はお金にならないプロジェクトの構想をとても広い所で練っていた。そこに、一台の車が停まり、ある犬種とその飼い主が降りてきた。私がよく知っている犬種だ。声をかけようかと思ったが、考え事を優先し、見なかったことにした。
30分くらいして頭の中が整理できた頃、その犬が何処にいるのか辺りを見回した。何処にも姿見えないので、少し歩いた。するといた。しかし、あまり動かない。何かがおかしい。この人は、たぶんトレーニングを教わっている。その方法は、この犬に合っていない。飼い主も疑問を感じているようだ。もし、ここがイギリスで、その筋の団体の人がみたら通報されてしまいそうレベルだった。私は、その人に「トレーニングの方法を見直した方がいいのではないですか?」と話しかけようとした。しかし、ためらった。その理由は、少し離れたところで、プロがお客さんに指導していたのだ。今までの経験から、彼らが去ってからするべきだと判断した。
虐待と見る人もいる方法で、あまり動かない。脚側のトレーニングにしてもおかしすぎる。いよいよ進言したくなった。
ハラハラしながら、プロの人とその生徒さん(人&犬)が去るのを待っていた。そして、トレーニングが終わりに近づく感じが見えてきた頃、、、、crying、、、気にしていた犬と飼い主さんがそのプロの人の方に向かっていったのだ。そして、教えてもらい始めた。その内容を20分くらい見たのですが、胸が痛くてたまらなくなり、その場を去りました。
前提条件を嵌めさせようとしているのです。犬にも飼い主さんにも不幸だと感じました。あのまま続けた場合、意思が強い犬であれば、事故を起こすことも考えられるような状態でした。もし、犬が受け入れても、その生活が続き、犬も飼い主さんも年をとってきたら、飼い主さんにとって「つまらない犬」になる。犬にとっても、つまらない日常になることでしょう。

現在、多くの情報が入手しやすくなっていますが、主流となっている情報は偏っていると感じています。「欧米ではこうなっているから」と主張しますが、欧米とは歴史が違う。歴史が流れた年月の文化が違う。それを見ずして、いいところ取りをしている。
そのような手法を生活に取り入れても、頭で理解できても、いつも「何かが違う」と感じ続けることでしょう。

これだけ多くの人たちが、ペットのことに力を入れてくれるようになったのに、そのようなことを多々目にすることが、残念でなりません。
日本人は、トラブル解決を論ずることが好きなようですが、楽しいことを求めることを論ずる人が少ないのが残念です。(上記の、胸が痛くなるトレーニングもトラブルの抑止に焦点があります。)
楽しいことを求めるために、トラブルの勉強もしますが、多くの人がトラブルの解決止まりになっていることが不思議でなりません。

どんなことでも、楽しめれば楽しいことになる!、それでいいのではないでしょうか。楽しいことを続けていれば、犬はトラブルになることなんてしなくなる。

一年未満の勉強で、犬との楽しいことを体験できても限られている。勉強は頑張ればいっぱいできますが、楽しいことは頑張っても出来る数は限られます(一部のどんでもなくバイタリティーがある人たちは除く)。だからこんな状況になっているのかも。

来年も、「犬とゆく」を続けねばならないな、と思った年末でした。

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