2019年6月30日 (日)

なかなか立ち上がらない(Windows10)

女房が使っているノートパソコンが、こここのところ立ち上がるまでに時間がかかるという。
結構前のパソコンだし、CPU は i3、メモリーは 8G積んでいますが(SSDではなく)HDDだから仕方ないと、特に気にしていなかった。

今日、立ち上げて画面が目に入った。ブルースクリーンだ。大きな Update をしているらしい。
タブレットばかり使っているので、パソコンを立ち上げるのは一週間に一回くらいあればいい方で、時には一ヶ月くらい立ち上げないこともあるらしい。なので、立ち上げる度に Windows Update がされても不思議ではない。

「そういえば、1903が広まっているもんな~、1903をやる前の段階だろう」と思っていた。念のため確認したら、1803 の累積更新プログラムをインストールしている(今、この段階)。

つまり、1809 がインストールされていないのだ!

これはちょっとマズいと考えて、一所懸命 Update をする。
この後、きっと1809になって、その後、1903が待っているのだろう。

今日中には終わりそうもない。
思わぬ日曜日になってしまった。

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2019年6月21日 (金)

(通称)井の頭動物園

今日、吉祥寺方面に用事が出来たので、ついでに(通称)井の頭動物園へ寄ってきた。正式名称は「東京都井の頭自然文化園」。

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この園は「動物園(本園)」と「水生物園(分園)」二つに分かれている。こじんまりとした園ですが 400円は安い!
気になったこと、面白いと思ったことなど書き留めておきます。

現在使われているポスターは、ツシマヤマネコのものだった。やはり流行っているのだろう。
展示されているのかなと思ったら、大きなパネルと動画による説明はありましたが、個体は別室にいて天井からのライブ映像が流れていました。見ていると時々寝返るように動いていました。大切にされているようです。
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ツシマヤマネコに付いてパネルの説明では「脚は短くて太い」「尾は太くて長い」とある。我が家にもいそうな猫だ。
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■ まず 動物園(本園) にて

はな子さんは天寿を全うしたと言っていいのかもしれない。もしかしたら天寿以上だったのかも。人間にケアされ続けて日本一の長寿となりました。
2019062105彼女が暮らしたあの建物は展示施設になっていた。複雑な気持ちになった。色々な立場から考えれば動物園の必要性は理解できる。その必要性のために尽力してくださっている人たちがいることも知っている。それは理解している。
一方、私は「動物園で見るだけの人」だ。その立場だけから「今の時代には、もうこのような施設は、そんなに多く必要とされないのではないか」と感じた。
私が子供の頃「象を見たい!、ライオンが見たい!」と思った。その後、パンダやコアラに行列が出来るようになった。
しかし今はどうだろう。それらの動物をよく見たいとおもったら、ネットで動画を探した方がいいのではないか。実物ではないが、ただ「見たい!」とおもう一般市民はそれで充分ではないだろうか。

ネズミの展示がある資料館。そこに仮想の園長室だったか、そのような展示があった。珍しい動物の絵や専門書などが並んでいた。
私が若い頃(インターネット・インフラが普及していない頃)までは、動物のことを調べようとおもったら、図書館に行っても欲しい情報は得られませんでした(それは今でも似たようなものかも)。所狭しと並べられた専門書を見て、そんなことをふと思った。
今はインターネットで多くの情報を集めることが瞬時と言ってもいいような時間で出来る。
動物の学問が一気に進んだのはDNA解析だけでなく(他の学問も同じだろうけど)インターネットの普及が大きいのだろうなと、これまた複雑な気持ちになりました。
情報が集め易いということは、実際に動物を見たり触ったり(触らずとも生息する地域に行ったり)せずとも研究が出来ることが多くなったのだろう。それについての良い部分も多々あるとおもいますが、大丈夫なのだろうか、とおもうことも確かです。

ネズミと言えば、リスの小径(リス舎)には、ネズミも走り回っていた。
そんなことはどうでもいいのですが、この中にいるリスの表示が「ニホンリス」と書かれていた。私はホンドリスの方が身近。何故かと言えば、妙高高原に何度も行ったから。ホンドリスという名前の飲食店があるのです。現在は「ニホンリス」の方が一般的みたいですね。
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キツネのちょっといじけたような目はばまちゃんのようだった。
タヌキの黒っぽくて丸っこい背中はばまちゃんのようだった。
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2019062110 アナグマの妙な姿勢はばまちゃんのようだった。
アライグマもちょっとばまちゃんに似ていた(後ろ足の接地面は全然違いますね)。

ペンギンが水の中で気持ち良さそうでした。
ヤマアラシやマーラ、フェネックなども気持ち良さそうにウトウト。
カピバラはちょっと迷惑そうな顔をしていた。

2019062111 行った日が20日で、17日と18日にヤクシカの赤ちゃんが生まれたとの情報を得ていた。一日違いで明らかに大きさが違う(写真では分かりにくいですが奥の子の方が明らかに小さく見えました。)。一日も早く走り回れるようにならないとならないからね。

 

おっと、軽く書いておこうとおもったら、長くなってきたので、動物園(本園)に付いてはここで終わりにします。

 

■ 水生物園(分園)

まず室内展示(水生物館)。
本園の動物の中にも幾つかいましたが、人間が行くと寄ってくるものがいます。寄って来なくても、楽しそうに動き回ったり。午後2時くらいだったとおもうので、ご飯の時間でもないとおもいますが。見ていて飽きさせないようにしてくれていました(動物たちが)。2019062112動かなくても記憶に残ったのはサンショウウオ。見事に岩と一体になっていて、見つけたときはちょっとした感動。

外に出ると鳥の展示。
鳥たちの中にも寄ってくるものがいました。
この白鳥は手を伸ばせば触れる所まできていました。

 

動物園に着いたのは金曜日の午後1時過ぎ。団体さんの姿もなく、各動物共に苦労せずに見ることができました。ゆっくりは見ている時間はなかったのですが一通り見て1時間半ちょっと。もうちょっとゆっくりしっかり見たら2時間くらいになりそうでした。

 

動物園~水生園、と見てから吉祥寺駅に向かう。
公園から階段を登る。右側に「金の猿」、登りきると左側に「いせや」。そして少し歩いて左側を見上げるとSYUNA&BANI。ペット関連のお店も飲食店も一箇所で長続きしないのが当たり前になってきたこの時代に、すごいことだなとおもいました。

ちなみに、井の頭自然文化園の開園は、1942年。戦時中でした。
はな子さんは、1947年生まれ、1949年日本に来た。この時、インディラという象も同時期に来ました。二頭とも上野動物園の象となり、まずは日本各地(はな子さんは東京近郊辺りまでだったらしいです)を励ましてまわり、その後、1954年、はな子さんは井の頭自然文化園の象となったそうです。

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2019年5月24日 (金)

あとがき(後出し?)御免

■ ダラダラと長い言い訳なので、ここは読まなくていいです

決っして多忙という訳ではない。時間の使い方、切り替え方が下手になってきた。とにかく処理できる仕事量が減ってきた。

昨年からの懸念事情である「犬とゆく」のSSL化(アクセスするときに頭が http から「s」がついて https になるだけ)に向けて動いてきた。
自分でプログラムを組んでしまったので、自分で対応しなければならい。でも、たかが「s」を一つ付けるだけである。

と、軽く考えたが、プログラムを作って15年以上。世の中は変わっていた。
15年分の変化も吸収しなければならない。吸収以前に明らかな間違えもあった。
そして何より、プログラムのことなどすっかり忘れている。

まず、html、JavaScript、CSS。この辺りでも「えっ?、そうなったの?」と驚くものもあった。(こんなページから全3ページで愚痴ったのは約二ヶ月前。)
プログラムと呼ぶにふさわし PHP や Perl に関しては独学なので思い出すのも苦労する。プログラム全般にクラスというものを使うのが当たり前になったが「犬とゆく」ではそうなっていない。当たり前ではないこととなると情報を集めるのにも苦労する。

手を付け始め作業が進み始めた時点で、いきなりゴールが遠のいてしまった感じになった。

ある程度修正が出来て「さぁ、デバッグだ!」とテスト環境で動かしてみる。もちろんミスが多くまともに動くまで時間がかかる。
そしてやっと動いて喜んだ。

しかし落とし穴は意外なところあった。
テスト環境で SSL化して「とりあずここまでは動いた。今日はここまで」と元に(非SSLに)戻すと、今まで表示されていたページが表示されなくなる(エラー表示される)メジャーなブラウザがある。
試行錯誤した結果、キャッシュを削除すれば表示されることが分かったが、見に来てくれる人にそれをしていただく訳にはいかない。この時、SSLで公開したら絶対に後戻りできないと悟った。

 

■ まだ読む必要なし

それでも「一歩ずつでも進んでいればいつかは終わる」とおもっていた。
今年に入り単純に忙しくなった。それでも、この作業は少しずつ進めていた。

しかしどうにもならないことが起こった。メインで使っているパソコンが、全く予兆もなく壊れたのだ。そしてゴールデンウィークに入ってから。さらに平成の内に

データは生きていた。サブマシンがあるので「犬とゆく」はどうには動かし続けることは出来た。

次のマシンは、いつもの中古業者さんがすぐに用意してくれた。事務系作業がメインな私にとってはスペックはとても高いもので有難い。

今まで使っていたマシンは来年サポートが終了する Windows7。来たのは当然 Windows10。幾つか設定で躓きながらも前進。しかし仕事で使っているソフトはどうにもならなかった。

インストール用のCDがあったのでインストールしてみるが上手くいかない。
(後で気が付いたことですが)マシン毎に認証しているので、パソコンが壊れたりアンインストールしたときは、サポートに連絡を取り、認証を解除してもらわなければならない。しかしゴールデン・ウィークで休みゴールデン・ウィークが明けたら電話はいつまでも繋がらない。やっと繋がったら私が使ってきたバージョンはもうサポート切れで相手してもらえない。
泣く泣く今のバージョンを購入したが、なぜかインストール出来ない。改めてサポートに電話を架けるが、またまた繋がらない。やっと繋がって分かったことは、ゴールデン・ウィーク中に私が弄り過ぎたことが原因かとおもっていたら(それもあったのだろうけど)元号が変わったことで不具合が起きたようだ。

そんなこんなで、この一ヶ月くらいは大混乱でした。
まだ諸々のインストールやHDDの構成をいじったりしていますが、とりあえず、普通に仕事ができるくらいにはなってきました。

 

■ ここからが本題

そんな大混乱の時期にも「ブログに書いておきたいな」おもったことが幾つか。
大したことではない。私は「大したこは他の人に任せる」。でも、書いておきたい。
ブログなんて自分の備忘録だし。

SNSのように「見てもらうため」のものではないとおもっている。一応「書きましたよ」とFacebookやTwitterにはアップしますが、まず読んでもらえないことなんて分かっている。いつか何かを調べている人が検索で辿り着き、お役に立てれば嬉しい。その程度。

そんな内容のことを、これから思い出したように書こうとおもう。
ブログ上の日付は、それらのここが起こった日にちで。

なんで今更過去のことをアップするの?、とおもったら、このページを読んでいただければ幸いです(爆)

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2019年5月21日 (火)

悲しい写真

もともとお酒とは相性がよくない体質でしたが、10年くらい前から舐める程度以上飲むと、そのあと面倒なことになるので、お酒を飲むためのお店にはほとんど行かなくなった。

この日はちょっと特別な事情があり、とあるバーに行った。5月21日と言えば想像つく人もいるだろう(犬猫関係じゃないよ)。

連れて行ってくれた人が、その店の常連さんなので、私が飲めないことを店主に伝え、黒板を見ると「抹茶プリン」があった。で、頼んで見た。

出てきたものは、綺麗な緑色をしていました。
すると連れて行ってくれた人が、スマホで写真を撮った。綺麗に色が出る。自分の目で見た感じ通りか、それ以上に鮮やかに見えた。もちろん美味しそうに写っている。

20190521a

では、私もタブレットで撮って見ようと撮ってみたのが、この悲しい写真。美味しそうどころか「食べ物なの?」というレベル。
補正かけてみようかなと少し試したのですが、黒潰れした箇所はどうしようもないし、色が全然ひろえていない。

最近のスマホのカメラ機能は凄いなとおもった夜でした。

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2019年4月28日 (日)

Corridor / Naoki Suzuki and his friends

またまた後書きブログです。
4月の末のことなので、一ヶ月以上前のことです(失礼)
忙しかったりトラブルがあったりしたときに、書き残したいことが起こることが多いということが、よく分かりました(笑)
 

タイトルは、大好きなジャズクラリネット奏者、鈴木直樹さんと彼のバンドのアルバム。
音楽を幅広く聴く人、何気なく聞くBGMも大人テイストのものを探している人、クラリネットやサックスの演奏を趣味としている人、などに、この先を読んでほしい。

ちなみに私は、ジャズ全般を聴く人間ではない。音楽もそれほど詳しくない。音楽とは関係ないところで鈴木直樹さんと知り合い、彼が関わる音楽を聴くようになった。
彼のことをご存知ない方のために簡単に説明しておく。実は私も鈴木さんと出会うまで、これから書くことのほとんどを知らなかった。

■ 鈴木直樹さん

第二次世界大戦中の流行歌「鈴懸の径」を彼の伯父様である鈴木章治さんがジャズアレンジしたものが戦後、日本のみならず欧米でも「プラタナス・ロード:Platanus Road」として有名になった。章治さんの弟である正男さんもジャズプレーヤーでした。正男さんの息子が直樹さん。
そのような環境であれば音楽家になるものとして育ててもらえると外野はおもうものですが、ある程度までは、ほぼ独学だったと聞いています。
「クラリネットはとても響く楽器ですが、何処で練習していたんですか?」と尋ねたら「スタジオなんて借りられないから公園で」と。公園でひたすら練習していたそうです。
そんな若かりし日を経て、今では日本のジャズ界になくてはならない存在になっているようです。

彼の演奏についてはとにかく聴いてほしい。
小さな音でボソボソ・ヘロヘロな演奏もしっかりこなすし、どわ~~と迫力ある場面もごまかさない。全てのシーンで安心して聴くことが出来ます。
安心して聴いて、つい聴き流してしまう。その後、よくよく聴いてみると「すごいな~」とおもうことが多いです。
プロなんだから当然でしょ?、と思われるかもしれませんが、スタジオアルバムだけでなくライブに行ってみると、その表現力に圧倒されます。

 

■ いつの間にかアルバムが発売されていた
FaceBook を見ていたら、鈴木さんがターキッシュ・クラリネットを入手するためにドイツまで行っていることが書かれていた。
この1~2年、大きなイベントや誰でも知っているようなミュージシャンとの共演など伝え聞くことが多々あったので、鈴木さんの活動は耳に入ってくるだろうとおもっていた。ドイツ行きの記事を読んで、「そういえば、何年もアルバムが出ていないな」と思って、事務所のHPを見てみたら、昨年(2018年)6月に発売されていた。
http://www.swingace.com/naoki/discography/index.htm

早速、入手してみた。
一般的な流通にのっていないので、購入は事務所から。私も上記ページから問い合わせて入手しました。

 

■ 聴いてみました
曲目やメンバーは上記のページにあるので、見てみてほしい。
決して大所帯ではありませんし、ピアノと二人だけの曲もありますが、人数の少なさを全く感じさせない表現力があります。見事にまとまっています。
曲は、ビッグ・バンドでよくやる曲やピアノの曲、ミュージカルの曲、鈴木さんの定番、東京音頭など、ほとんどの人が何処かで一度は聴いたことある曲を冷静ではあるけれど感情豊かに、しかし押し付けがましくなく表現しています。

オリジナル曲が二曲。

A Sudden Breeze
全くのジャズとも違う、もちろんロックでもない。そうだ、フュージョンというジャンルがあった。ドライブ中に流すと気持ち良さそうな曲です。
ドラムもピアノもしっかり打っている感じがあるにも関わらず上品に聞こえてくる。青木さんのバンジョーのリズムがとてもマッチしているのも興味深い。

Corridor 回廊
クラリネットとピアノのみの曲。映画の中で流れてきそうな曲。何処かで聞いたような曲。
誰かが物悲しく何かに憑りつかれたようにしっかりと踊り続けているようなイメージが浮かびました。
何気なく聴いていると曲の世界の中でふわふわしてしまうのですが、よく聴いてみると、鈴木さんのクラリネットと阿部さんのピアノに魅了されている自分に気が付きます。

全体的にす~っと聞ける感じなのですが、よくよく聴くと細かいところで「スゴイ!」感じることが多々あります。

 
音楽のことはよく分からないド素人な私の直感的な感想として、以下の点で「いつも耳に入ってくる音とは違うな」と(違和感とまではいきませんが)感じたこと二点を書いておきます。

一つ目は音
ラジオや街中で流れる曲を聞くことが多い私からすると、とても綺麗にまとまり過ぎているように聴えました。
全体的に綺麗で、全ての楽器の音がしっかり聞こえます。気持ちよく聞こえます。ごっちゃになっていません。でも一体感・統一感があります。
ざらつきがほとんどありません。低音も綺麗に聞こえてきます。高音がもっと聴こえてもいいのではと思うのですが、私の耳には聞こえず、いつも聴いている音との違いを感じました。もしかしたら、私が加齢のために高音が聞こえなくなっただけかも。
ちなみに我が家には高級オーディオはありません。パソコンや持ち運んで聴くようなラジカセなどで聴いています。

二つ目はグルーヴ
ジャズは聴き込んでいないのでよく分かりませんが、当然のことながらロックとは違うし、今までの鈴木さんのアルバムとも違うような気がします。
今までのアルバムは、ゲストと二人でのものだったので相手の方に合わせていたのかも。今回のアルバムがバンドマスターとしての鈴木さんらしさなのかも。

 

幅広い人につまみ聴きでいいので聴いてほしいとおもうので、どこかで試聴できるといいのですが。
または、CMや映画で使われて皆さんの耳に届くと素敵だとおもいます。映像との相性はとても良いとおもいます。私は、そのような音楽が大好きです。

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2019年4月 7日 (日)

プロマイド

20190407 後書きブログです。アップしたのは5月の下旬。
この写真が残っていたので書きたくて。

今の子供たちはプロマイドを知っているだろうか。紙の写真自体珍しくなった今、それを所有する気持ちを理解するのは難しいかもしれない。
彼女や家族の写真をお財布に入れたりする感覚も理解されないだろう。

見ての通り、ドン・キホーテで10円でした。
閉店時の投げ売り。

どんなものでもデジタルのデータにしてしまえばいい時代。
プロマイドだけではなく、風景さえ。
もしかしたら、人間の存在さえそうなのかも。それらしい画像データと文章データがあれば、その人が存在することになるのだろう。デジタル・アイドルとかいう存在も認められているらしい。
パソコンやスマホは会話をしてくれるらしい。
(好きな言葉ではないが)「ペット」はどうなんだろう。
さすがに「コンパニオンアニマル」となると、デジタル世界の存在だけでは成立しない気がする。

昔はアイドルの(受け答えしてくれない)写真を持っているだけでウキウキしている人もいた。
今はアイドルの動画データだろうか。それがスマホに入っていたらウキウキするのだろうか。一つくらいでは、そんな気持ちにならないのではないだろうか。

量や質の問題はさておき、それが動いてくれてもくれなくても、喋ってくれてもくれなくても、二次元でありデータである。
リアルな(触って体温を感じられる)ものではない。

私は、そのようなものとのやり取りはコミュニケーションの内に入らないとおもっていた。しかし最近は違うようだ。

 

この時代の移り変わりを理解できないと、人間同士、人間と身近な動物の関係について考える上で、時代遅れな感覚になってしまうのかもしれない。

ところで、この三人、誰だか分かるかな?

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2019年1月22日 (火)

夜ノ森駅が解体

前の書込みで、夜ノ森駅のことを書いた。

2020年に運転再開という情報があった。「あの味のある駅舎が復活するんだ、おぼまが捕獲された駅前のロータリーもそのままだろうか」、と想像していた。

その後、解体のニュースが入ってきた。
あの駅舎は、「1921(大正10)年から使われていたもの」らしい。

そして解体が始まるニュースが入ってきた。
地元の人の悔しさがにじむ発言もTwitterにあった。

 

おばまを迎えるにあたって、夜ノ森という町のことを調べたことがある。
一般的な情報としてWikiPedia。夜ノ森駅夜ノ森(町)の項目がある。それを基に以下書き進める。

夜ノ森という場所は、少なくとも戦国時代から「境界地帯」であったらしい。領地の境目でもあったし、文化的にも自然地理面でも境界地帯であったと書かれている。

そのような場所は何かと問題が起きて栄えないものだとおもっていましたが、そこに夜ノ森駅を作ろうとなった。
鉄道の当初の計画は、「富岡小良ケ浜から熊町(大熊町熊)を通って」とある。富岡小良ケ浜とは、夜ノ森の海側の地域だ。つまり、夜ノ森に鉄道が通る計画はなかった。
それをなんとか夜ノ森に鉄道を通し、駅を作るまで漕ぎつけた。

駅が開業したのは1921(大正10)年。
有名な桜並木を作ったのは、「戊辰戦争後の1900年に、旧中村藩士の息子である半谷清寿が、農村開発の着手を期して桜の木を植えたことに始まる。」とある。
重機のない時代に、約1500本の桜を植えることは大変なことだっただろう。観光が立派な産業資源とみなされない時代に、である。
この地に対する想いが強い人たちがいたのだろう。

当初の計画を変更して夜ノ森駅を作る条件として、地元に多くの負担をお願いしたそうだ。その負担の大きさには驚くばかりでした。

昔は、その土地を愛する有力者が大きなプロジェクトを私財を投じて行うことは珍しくなかった。地元庶民は仕事をもらえることになる。きつい仕事だったと思うが、地元の人たちは、地域の将来を夢見ることが出来ただろう。
夜ノ森については、駅が出来たことで多くの人が住むようになったこは確かなようです。

 

WikiPedia 他で色々と調べて、明治・大正時代に夢見ていた人たちのことを想像した。そしてあの駅舎は、私の想像にぴったりな姿だった。そこにおばまが暮らしていたことも。
大正時代当時のことを覚えている人は、もう生きていないとおもいますが、語り継がれていることもあるとおもいます。

新しい駅舎が出来て、後世にどんな話が語り継がれるのだろうか。

 

そして一日も早く、帰還困難区域と指定されている状況が改善され、夜ノ森で安心して暮らせるようになることを祈っています。

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2018年12月26日 (水)

久しぶりの豪徳寺 2018.12.26

年末だからか何かと忙しい。そんなとき、急に散歩に行きたくなる。
今夜はボランティア関係の忘年会のようもの。何気なく集まって近況報告の予定。昨年は、夜の集まりの前に豪徳寺にも行った。そのことを思い出し、豪徳寺に行ってきました。

豪徳寺には幾つかのお堂がありますが、どのお堂の中にも年末年始の準備と思われるダンボールが置いてありました。大晦日の夜は多くの人で賑わいます。(近くの世田谷八幡の方が凄いですが。)
今年は暖冬だからでしょうか、年末でも色づいた葉をつけたままの木が何本か。

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いつも凄い数の絵馬がさがっていますが、今日はとても少なかったです。
お堂に近い方には日本語の絵馬が多かった。外のは諸々の外国語のものがほとんどでした。

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招き猫の奉納所の看板の裏に「梅月」と書いてあった。
「そんな月、あったかな?」と調べたら「梅雨の月」で陰暦五月だそうです。ちなみに「ばいげつ」と読む。「梅つ月」は「うめつつき」で陰暦二月。

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周囲の会話が耳に入ってくる。日本語が聞こえてこない。世界的な観光地になったみたいです。

今日気が付いたのですが、山門近くに自転車置き場が出来ていました。大晦日対応ですね、きっと。

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ついでに、豪徳寺のちょっとしたお話。
猫以外にも井伊家縁の寺として有名ですが、その関係と言われている(詳しいことは分からないらしい)赤い門があります。この門の存在をしっていると効率的にお寺内を動けます。

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2018年12月25日 (火)

(読書感想文)ドン・キホーテ (下)

上と中で、概要と感想を書いた。
今回は、ふとおもったことを書いておく。

今の世の中にも、当時の騎士道物語のような存在のものがあるのではないか。それは、ネットからの情報。
そんなことが頭に浮かんだ。

ネットに物事の善悪の判断を問う人が多くなったという。
しかし(そのネットで)次のようなタイトルの記事も見た。
----------
ネットで質問し、期待するものは「答え」ではなく「共感」
----------

ドン・キホーテは騎士道物語の中に自分の理想の世界を見出し、そこに入っていけば、周囲の人たちは共感してくれると信じていたのかもしれない。
しかしそうはならず、現実の人間関係、村での立場はなくなってしまった。

ネット社会に自分の立ち位置を求めすぎる人たちは、顔と顔を合わせる付き合いにストレスを感じてゆくのではないか。最近では実店舗で買い物をするのが苦手な人が増えてきていると聞いたこともある。

昔はネット社会がありませんでした。人付き合いの基本は「顔と顔を合わせる付き合い」。なので、お中元お歳暮は直接届けた。盆暮れには親戚は集まり、職場では節目節目に飲み会があるのは当たり前。それが変わってきた。
それらが好きだった人は、それほどいなかっただろう。しかし当たり前の慣習になっていた。
今はこれらを行おうとする(行わせようとする)とハラスメントになりかねない。

(このような付き合いのない)ネットの中に友達を見つけることは当たり前になりました。友達でなくても、ネット上で意見を言い合う(←話し合いとはちょっと違う)こともあちこちで行われています。
それは良いことだとおもいますが、そこから導き出される結果が、顔と顔を合わせる社会での問題解決に必ず役立つものなのだろうか。
勿論、役立つこともあるだろう。しかし、そうでなくこともあるだろう。そうなったとき、本人がより辛くなるだけではないかと考えることがある。

 

ネット社会で得た(訊いた)世の中の常識により行動した結果、騎士道物語の常識により行動したドン・キホーテと同様の影響を周囲に与えることもあるのではないか、と頭によぎった。

20181225aこのようなことを考えるようになったのは、あの20数年前だ。
犬との生活は手間がかかる。しかしその手間以上の見返りがある。それを知ってもらいたいと願った。
知ってもらいたい人の多くは、(当時はネットが今ほど普及していなかったので)、書籍や一部の専門家と称していた人たちの言葉の中から、自分が共感できるものだけを選び出し、言い訳の理論武装のようにしていた。
勿論、何も改善されない。残念である。残念な生活が続くのは本人だけではなく、犬もだ。

これと同じことを今でも感じる場面がある。
ネットがこれだけ普及したので、その数は増えた。

 

ドン・キホーテは、1605年に前編が1615年に後編が出版されていますが、21世紀の現在でも「こういう人、いるな」と感じる内容となっていることに気が付いた。

名著と称される理由が分かったような気がした。

いつか、全6巻バージョンを読んでみたいとおもうようになった。

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2018年12月24日 (月)

(読書感想文)ドン・キホーテ (中)


(読書感想文)ドン・キホーテ (中)

ドン・キホーテを読んでみた。全然違った(苦)


まず感じたこと。

大きなテーマもありますが、しっかり小分けになっていて、まるで子供の頃に観たアニメ番組ようだった。各回パターンは決まっている。どうなるかある程度先が読める。そんなところも似ていた。その意味では面白い。

当時の人たちも大いに楽しんだようだ。
Wikipedia のドン・キホーテのページでも、当時の人気について書かれている。

大きなテーマは、宗教と騎士道物語。当時のスペイン(ヨーロッパのキリスト教圏?)で尊重されていたものらしい。それらに対して風刺的な内容を書くことで、大衆に考え直してほしいという感じだろうか。

決して浮き足立った内容ではない。騎士道物語という魔法まで出てくるバーチャルなものに影響されている世の中に対しての問いかけなのだろう。
そのような内容でありながら、娯楽物として多くの人に読んでもらえることが出来る内容に仕上がっている。



以下、私の感想

思慮分別なくその場の思いつきや雰囲気だけで、風車を巨人の化身であると決めつけるとおもっていたがそうではない。彼なりの知識から導かれた確固たる答えなのだ。
現実から離れてしまう原因は、騎士道物語に出てくる魔法である。彼はそれを信じ込んでいる。(信じ込んでいる振りをしているのか?、とおもうこともあった。)

私は、騎士道物語を読んだことありませんが、ドン・キホーテを読む限り、日本で云うなら武者たちの武勇伝なのだろう。
日本でも昔は妖術などが出てくる話があり庶民が楽しんだようですが、騎士道物語では「魔法」がストーリーの中で大きな役割を担っているようです。

騎士道の根底にはキリスト教の精神が流れている。日本の武士道の根底に日本古来の宗教観などが流れているのと同じなのでしょう。命のやり取りをするのであればそうなることとおもいます。
今のヨーロッパの人たちにとっても、キリスト教というものが人々の心の拠り所になっていることは話に聞きますが、当時は今まで以上にその影響は大きかったようです。

そのような世の中で、騎士道物語を読みふけり「自分は世の為人の為に遍歴の騎士になるべきだ」と思い込み実行する。その道中は(魔法が出てくる)騎士道物語の常識により判断し、問題を解決をしようとする。

現実は魔法もなければ、問題さえないことが多い。しかし、騎士道物語の常識で考えれば、彼が出す答えは間違えではないのだろう。

馬鹿げているとおもうのは簡単。
今の世の中でも、何らかの教えによってゴタゴタを起こす人はいる。そのようなことを語りたいのだろうなと感じた。



私が抱いていたイメージとの違いを書いておく。

とにかく手柄を立てたくて、思慮分別なくその場の思いつきや雰囲気だけで、風車を巨人の化身であると決めつける話だと想像していた。お気軽なドタバタ小説だとおもっていた。つまり子供向けの単純な話だとおもっていた。
そのイメージとの違いを書いておく。

彼には「こいつと戦わねばならぬ」と決め付けるだけの、膨大な数の騎士道物語という根拠があった。
読み始めた頃は「それにしてもただのいかれたオヤジだ。人間としてもダメ。周りの人にどんだけ迷惑かければ気が済むの?」と感じたのですが、読み進めてゆくと「人間としては、いい人かも」とおもうようになる。騎士道物語に出会わなければ、いい人として一生過ごしただろうなとおもう場面が幾つかでてくる。それをおもわせるストーリーもある。

20181224a従者であるサンチョ・パンサは、無学であり欲深い人間のようにも読めるが、こちらも読み進めると、多くの諺を知っているし、思慮深く、生きるために必要なもののみを欲しっているだけであることに気づく。それに対し、学があり、生きるためには必要不可欠ではないもの(つまり必要以上のもの)までも欲するドン・キホーテ。この二人が対照的に描かれていた。

騎士道物語や騎士道、キリスト教の昔からの慣わしなどに疑問を抱くべきという想いが著者にはあり、その裏返しをドン・キホーテに投影した。
生きるためには、世間で云われているほど格好良くなくてもいいし、実際そんなことを言っていられない。そのようなことを伝えたかったのだろう。

読み始めるにあたり、少し調べた。
著者は(苦労の連続という意味で)波乱の人生であったことを知る。何度か投獄もされているが、真面目に仕事をしていただけではなかったのだろうか、生きることに真剣だった結果、投獄されたのかも、とおもう。

20数年前「自分はドン・キホーテに似ているのでは?」は明らかな間違えで、著者であるセルバンテスに似ているのかもしれない。
しかし、自分と比べるのはおこがましいの一言である。

このバージョンは、子供も楽しめるものだし、大人が真剣に読むには単純すぎる。
いつか完全バージョン(全6冊らしい)を読んでみたいものだ。

 

読み進めている内にあることに気が付いた。
そのことを次回書きたいとおもう。

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