2017年8月26日 (土)

飼い主って色々(突然頭に浮かんだ)

7月上旬から、縦になるのが良いのか横になるのが良いのか、悩ましい生活を送っています。

そんな日々を送り始めた頃だったと思う。以前、時計が落ちた話を書きましたが、今度は、うーにーの写真が落ちた。
高い位置に、うーにーとまいすの写真が飾られ、その間におばまの写真が飾ってある。その中でうーにーのものだけ落ちた。

午前中の早い時間だった。私は横になっていた。ガタン!と大きな音がした。部屋を見渡したが、何が起こったのが分からなかった。落ちたのがうーにーの写真だと分かるまで少し時間があった。

落ちたうーにーの写真を見つけて、何故か「猫の飼い主よりも、犬の飼い主の方が獣医学的なことに詳しい人、多いよな」と頭に浮かんだ。何故、そんなことが頭に浮かんだのか分からない。犬の飼い主だって疎い人はいる。何故そんなことが頭に浮かんだのか、自分でも不思議だった。

その理由について考えてみた。
猫は痛みに強いというか、あまり表に出さない。犬も痛みに強いが多少は表情に出る。なので病院に行くことが(猫に比べれば)多くなり、知識もついてゆくのかな、と思ったりした。

さらに考えてみれば、人と犬、人と猫、との関わりはやはり違うんだろうなということ。そんなことを考えたりした。

20170826

今日は、ばまちゃんの血液検査に行ってきた。糖尿病の経過観察。
肝機能の数値が少し悪かったのと、血小板が少し低かった。血小板は誤差の範囲を言えるくらいだったのですが、備考欄に肝機能の影響が考えられることが書かれていたので、先生に「何故、血小板と肝機能が関係するのですか?」と聞き、説明していただく。ばまちゃんには関係なさそうだ。
病院にある機械では、猫の血小板が少なめにでることがあり、その理由につても説明していただいた。

こういうことの積み重ねなのでしょうね。10年20年で差が出てくる。
それは何でも同じだとおもいます。

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2017年7月 5日 (水)

壁掛け時計落下事件(その2)

ちょうど一ヶ月前、こんなことがあった。
7月5日の夕方、16:40頃、今度は作業部屋の壁掛け時計が落ちた。地震はなかったようだ。

ここのところ暑い日が続いているので、100均で買った粘着式の金具が弱って落ちたのだろう。でも、落ちるのであれば暑さが激しい正午頃でもいいような気がする。そして、私がいない時に落ちてもいいような気がする。

約一ヶ月半前の、同じ水曜日のこの時間、私は友達の病室にいた。私と話をしている最中に、「薬、飲むの忘れた」と痛みどめを飲み、うつらうつらしはじめたので、話を切り上げはじめた頃だった。

その三日後の朝、予定外の急逝となってしまった。

 

言いたいことは分かっている。

時間を大切にしろ

そう言いたいのだろう。

 

皆よりも短い持ち時間の中で、皆のために頑張った。
楽しませてもらった。勉強させてもらった。仕事をもらったことも何度か。

いいヤツだった。
そういう人間は早死にしてしまうのだ、と改めておもった。

 

今度の土曜日が四十九日。

また楽しませてもらうだけになるかも。

逝ってしまった人間に言うのは不謹慎かもしれなが、言いたい言葉は「ありがとう」。

照れて視線を逸らす素振りが目に浮かぶ。

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2017年7月 2日 (日)

都議選の日となりましたが

昔は選挙の度に似たようなことを書いていたような気がする。ここのところ書いていないけど、たまには書いちゃいます。

ニュースでは政治に関わることを連日流しています。まるで国民全体が政治に興味があるかのように。それはネットも同じ。

与党のやっていることはおかしい!、政策がおかしい!、、、、などなど。

マスコミやネットでは、そのようなことが流れる。まるで多くの人が興味をもっているように。若い頃は、大きく盛り上がる度に期待したものです。

しかし、日常生活ではどうだろう。学校で、会社で、友達同士で、家族で、話をすることはどれくらいあるだろうか。

今回も都政には色々問題がありますが、投票率はどれくらいになるのだろうか。40%台にはのってほしい。良くても50%くらいだろうか。過半数に満たない人の投票で決まってしまうことに疑問をもっているのは私だけだろうか。
数字はともかく、投票率が上がらない限り、世の中は変わらないだろう。

SNS 上で特定の話題が盛り上がることはありますが、日本全体からみれば小さなコミュニティー。内輪の話。
同じ考えの人が集まって話合うことだけを続ける限り、大きな変化は見られないでしょう。
一人一人が個人として、「私はこう考えています」と口に出来て、それを聞いた隣の人が「あなたはそうですか、私はこう考えます」と会話が出来る世の中にならない限り、大事なことほど見えない所で決まるような世の中は続くのだろう。

 

身近な動物のことも同様のことを感じる。
多くの人が頑張って、一歩一歩前進して来た。それは私の予想を超えて凄いスピードで進んできている。
しかし、少し距離を置いて見てみると(日本全体からすれば)限られた人たちの活動であり、同じ感がを持った人たちが少し仲間を増やしだけの意識改革にも見える。
「日本全体」としての進歩を望むなら(動物に関係ない人も)一人一人が問題について認識し、ここまで進んできた法律などを知る必要があると感じている。

 

さて、今日の天気はどうだろう。そして、投票率はどれくらいだろう。
ちなみに、私は期日前投票を済ませています。期日前投票というお手軽な方法があるのだからもっと投票率が上がってもいいとおもうのですが。

残念です。

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2017年6月23日 (金)

友達が逝った(その3)

つづきものです。

友達が急逝して、もう一ヶ月以上が経ったことになる。もうそんなになるのか、と不思議な感じだ。まだ、彼を身近に感じる。

何事に於いても綿密に準備をし、ことを進め、終わったら分析するような人間だったので、急逝したことを恥じていることだろう。
彼の予定では、亡くなる前日に退院し、帰宅後、事務的なことをしっかり済ませ、その後は何があっても周囲に迷惑をかけないようにするつもりでいたことだろう。しかし、それが叶わず、周囲の者は何かと混乱しています。

冷静に考えれば「迷惑をかけやがって!」のはず。
しかし、それらに対応していて不快に感じない。

知らない人と連絡をとりお願いすることが何回か。恐る恐る連絡をし、用件を伝え、今後のことを話し合うと、「いい人だなぁ、今後も付き合いたいな」とおもう人ばかり。来年の(亡くなった友達が毎年主催していた)花見に誘う約束を交わした人もいる。
通夜・告別式には久しぶりに顔を見た友達もあった。疎遠になっていた友達たちもまた、集まりに顔を出してくれそうです。

「普通、この書類は分かり易い所に置いておくだろう」というものが幾つか見つかりません。そのため遺族は右往左往で、私達友達はそのサポートをすることもあるのですが、何故かそれが苦にならない。亡くなったことだけでも悲しいはずなのに暗くならない。

人は亡くなった後に、その人の価値が分かるといいますが、まさにそれを実感しているところです。

 

市川海老蔵の奥様である小林麻央さんが亡くなったとのことで、海老蔵が会見しているのをるぴなすのテレビで見た。
奥さんが亡くなっても仕事をこなすのは芸の道に生きる者として当然だけど、会見は辛かったのではないかとおもう。

旅立つまでの時間があるこの病気は、その時間を充実させるものにも出来れば、本人や家族を追及するような時間になることもある。それは各自の考え方により変わることかもしれません。

旅立ちに関わった人たちが、何を得るかは本人次第のところは大きいとおもいますが、旅立った人間がそれまでにしてきたことも大きいのだなと日々感じているところです。

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2017年6月22日 (木)

友達が逝った(その2)

前回からのつづき。
先月亡くなった友達との話から、在宅緩和ケアについて。

彼とは30年近く前からの友人で、彼の病気は約13年に分かった。
日々の行動の仕方は全く違う人間でしたが、「楽しいことが好き」「流されてはいけない」という考えは共通していました。

彼と親しくなって数年経ったとき、インターネットの時代がやってきた。「楽しいこと」「流される・流されない」は情報化社会に影響されることになる。

病気が治ることはないだろうとなった頃だったと思う。彼もブログをはじめる。その内容の濃さは驚くばかりだった。しかしマニアックになるこはなく、さらっと書く。一見すると「もしかして、ただの知ったか振り?」と思うような書き方もあった。暗くならないように書くのだ。

 

あるとき、彼のブログにコメントしたことがある。それまでもコメントしたことはあった。
大した内容ではなかったと記憶しているが、具体的な内容は覚えていな。2~3行の書込みで「へ~、そうなんだ」ということを軽く書いた記憶がある。
この時、「悪いが消させてもらう。思いっきり勘違いしている」とメールが来て、コメントが削除された。
何か言いたいことがあった訳ではないので削除されたこと自体はいいのですが、自分が患者さんたちの気持ちを理解できていないことに、私自身が驚いた。以降、コメントしないようになっていた。

しかし、ブログ自体は読んでいた。医療の日進月歩がよく分かった。
彼の病状が深刻になるにつれて、二人だけのときは、医療のこと、ブログのことを話すことが多くなった。

最後に会ったのは、亡くなる三日前。このときもブログの話がほとんどだった。具体的な内容としては、在宅緩和ケアのこと。

 

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以下、緩和ケアとはどういうものか、ご存知の方だけ読んでください。それを説明するのは手間がかかるし、中途半端に書いて誤解を招きたくありません。また、ご存知ない方、興味のない方には不要な情報です。
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治療を打ち切った後、入院ではなく在宅での緩和ケアを選択した。対応してくれる病院がとても少ないのですが、たまたま徒歩圏内にあった。
楽しいこと大好きな人間だったし、仕事も大好きだった。なので、最後の時まで入院したくなかったのだ。

そのような選択をしてくれたことで、私も在宅緩和ケアというものを感覚的に知ることが出来た。ブログにも在宅緩和ケアのことが書かれるのだが、今一つ突っ込んで書いてくれない。
最後に会ったとき、私から、「在宅緩和のことをしっかり書いてほしい。この選択のことを多くの人に知ってもらい、要望の声をあげてもらい、このような病院、先生を増やしてほしい」と。

答えは、「それは出来ないんだよ」。耳を疑った。しかし彼の説明は理路整然とし、私は理解できた。

 

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以下、私独自の理解や考えも含んでいる。彼の考え方そのものでない内容が含まれています。そして、先にも書いたように、私は命と向きあう人たちの気持ちを理解できない部分をもっています。なので気分を害する方もいらっしゃると思います。気分を害すると感じたらスルーしていただきたい。または、しっかりとコメントいただければ幸いです。
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一般的に、緩和ケア=ターミナルケア と捉えている人が多いことでしょう。私も実質そういうものだと思っています。しかし、彼は「必ずしもイコールではない」と言う。たぶん、「自分を見てくれ!」と言いたかったのだと思う。
最期の入院をする少し前まで仕事をしていました。「今回はしんどいので、迷惑をかけることになるかもしれないので、申し訳ないけど他の人にお願いしほしい。今回の処置で体調が戻れば、またやらせていただけたら」とか言っていた。

とても最期とは思えなかった。
本人は、あと数ヶ月生きるつもりでいたし、誰もが最低あと1ヶ月は生きることが出来るとおもっていただろう。それくらい、仕事をし、人と会い、楽しい時間を過ごしていた。

私が最後にあったのは、午後から夕方にかけて。その日の夜、友達三人がやってきて、そこで酒盛りをしたそうだ。治療がある訳でもないので、本人も飲んでOK。いつもは一緒に飲み食いしていたのですが、このときは、珍しく口にしなかっと聞いている。

 

結果としてターミナルとなってしまいましたが、「終わりを見据えるのみの日々ではなかった」ことは確かです。その意味では、ターミナルではありませんでした。

彼のブログを読んでいると、如何にQOLを保ち、可能であれば上げたいと考えていたことは分かる。ならば、緩和ケアのことを多くの人に知ってもらうですが、それは出来ないと言いました。

 

現在、治療と緩和がチームを組むことはまずありません。治療に区切りをつけたら緩和。
だから、緩和=ターミナルと捉える人が多い。
このようになっているのは、大きな力が及んでいるらしい。なので、このことを公で論じると、お世話になっている方々(病院や先生)に迷惑をかけることになるだろうし、本人や同じ病気と共存しながら生きている人たちが、緩和ケアを受けるハードルを高くしてしまう可能性があるらしい。多くの人のQOLを考えるからこそ、声を大に出来ないという。

人生の終わりが確実やってきてしまう病を患っていない私にはピンとこない話でしたが、何気なく「そういうこともありそうだな」とはおもいました。

 

他に、こんなことも話していました。
現在、緩和ケアは治療をしないことが前提ですから、治療を終わりにする決断をしなければならない。それが出来ない人が多い。つまり、奇跡を期待する人が多いのだそうだ。
「奇跡」とは、常識的には起こり得ないことが起こることですから、起こらないのが当たり前。しかしいつまでも、「自分には起こるかも」と願い、ダメージを受け続け体がボロボロになっても治療を続ける人が多いという。そして緩和の恩恵をほとんど受けることなく時間が尽きてしまうのだろう。

さらにこんな話も。
緩和ケアを受けたとしても、それがターミナルとなっている現在、緩和ケアを受けた本人は亡くなりそのことを語ることは出来ない。遺族は、闘病期間全体からみれば緩和ケアは短期間のこととなり、記憶の多くは苦痛を伴う治療のことなので、緩和ケアの重要性を忘れてしまうとおもわれる。
なので声があがり難いらしい。

また、緩和ケアは本人が知識と意識を持ち続けないと高い効果を得られないとも言っていた。
例えば、痛みを我慢して薬を飲まないと痛い状態に体(脳)が慣れてしまい痛み止めが効かなくなることがある。我慢することがそのような結果になるという知識と、その知識を得ようとする意欲、QOLを保つために医師としっかり話し合う意識が必要になる。
自分に残された時間のためならこれくらいやる人がほとんどだと、私は思ったのですが、実はそうでもないらしい。自分で自分の体の状態を理解し、それに必要な知識を積み重ね、主治医に自分の体の状態や苦痛の程度を伝え、選択肢をいただき、判断する。
このようなことに慣れていない人が多いと言っていた。
 

近年科学の進歩は著しいものがある。しかし痛みをはじめとする苦痛を客観的に測定する方法は未だない。同じ怪我をしても、とても痛いと感じる人もいればそうでもない人もいる痛いと感じても我慢できる(するべき)程度とおもう人もいれば、処置して欲しい(緩和処置を受けるべき)とおもう人もいる。皆が同じではないのだ。薬の効き方にも個人差がある。このことを理解しないとならない。だからこそ積極的に自分の症状を理解し伝えなければならない。このようなことに慣れていない人が多いと言う。

それは現在の医療が検査の数値により判断されるようになったからだろう。苦痛どころか違和感を感じなくても治療が始まることもあれば、明らかな自覚症状があっても検査で異常が出なければ何も出来ないことも多い。このような時代なので、自分の苦痛を伝える機会が少なくなっているのかもしれない。
  

彼がよく使っていた言葉に「ミスリード」がある。横文字全てが苦手な私は、それが好きではなかった。ピンとこなかった。それについても、最後に会った日に聴いてみた。

先ほども書きましたが治療の効果は当然のこと、全てのことに「個人差」がある。同じものを食べても同じように栄養を吸収できる訳ではない。同じご飯を食べても太る人もいれば太らない人もいる。
しかし、科学の著しい進歩のため、それを忘れてしまうのか、奇跡のようなことが起こった人が「こうやればみんな良い方向に向く」と声を大にして伝え続けると、それに望みを託してしまう人がいる。その方法と結果のみを信じ、痛みをこらえ続け(健康な部分にもダメージを与える)治療を続ける人が少なからずいるらしい。

方法と結果だけでなく、その人の体のこと、それまでに受けてきた治療、などなど総合的に情報を集めてみれば、多くの人に当てはまらないことが多いと言っていた。逆に結果が出た人は、そうなるべき状況が重なっていたのだろう。
伝える人は大事な情報を伝えているつもりであろうが、全ての情報ではなく、情報が不足し過ぎてミスリードに繋がるという。

彼の使う言葉、「奇跡は起こらない」も説明しておく。
奇跡が起こったと思っていてもよくよく調べてみれば、「起こるべくして起こったこと」ということのようです。(具体例を挙げて説明してくれたことが何度かありますしたが、ややこしいので全て忘れました。)

奇跡を祈るよりも、情報を収集し知識を高め自分の体の状態を理解し、心から信頼できる主治医との巡り合いを願う方が現実的であり、それがあれば現実としての奇跡(のようなこと)を目指せるかもしれないし、奇跡が起きなくても相対的に心安らかに過ごせたり、納得できるだろう。

 

QOLを保つための材料は、まず「自分が自分の体を理解すること」であり、その理解に必要な医学・医療の知識、そして家族や医療関係者とのコミュニケーションが大事。
ネットに書かれている奇跡を求める人たちのほとんどは、このようなこをせずに「書かれている通りの奇跡がきっと起きる」と信じるらしい。つまり、ネットで書かれた内容がそのような人たちの人生を導く(リードする)結果となるらしい。

 

ミスリードとは違いますが、「先生が一番いいと思うようにしてください」という考えもやめた方がいいと常々語っていました。そのような人のほとんどは、自分の体のことを理解しようとしないので、体の細かいことまで主治医に相談しない(出来ない)。主治医側も限られた判断材料での治療方針を決定するのはリスクも高くなるだろう。

 

彼の言いたいことをまとめるど、たぶん、こういうことだったとおもいます。
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・奇跡みたいなことを伝えるのであれば、薬などの情報だけでなく、自身の体のこと・生活のことなど全て詳細に書いてほしい。
・奇跡を信じるのであれば、自分の体のことをよく理解してほしい。医学的な基礎知識、それを基に医療行為による効果を理解し、自分の体にどれだけ効果が見込めるかを考えてほしい。
・心から信頼できる主治医に、自分の考えを伝え、それを実現していただく(信頼できる医師との出会いにも基礎知識は必要です)。
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以上が、友人が立場上言えなかったことを含んだ、彼の基本的な考えだとおもいます。一部「現実はそうなのか?」と思ったこともありますが、基本的な考えは私も同じです。
私の思い込みや、健康上の立場の違いから誤解していることなどで、嫌悪感を抱く方もいらっしゃかもしれませんが、大きく間違っていないと考えておりますし、大事なことだと思っています。

 

最後に、個人的な考えの違いを。

彼の病気には、日常生活を送る上で苦痛を伴うこともある症状がありました。それに対して「自分だったら、その日常を受け入れられないかも」と話すと、「それくらい自分でコントロールするものだろう!」と返ってくる。この話は何度もしているので、最近はすぐにこの話題は終わっていた。最期に会ったときもこの話題が出てすぐに終わった。

何故、何度も同じ話題をするかと言えば、彼がブログでそのこと(自分の症状の出るタイミングや対応方法を学習し、対応すればいいことで、何年間も同じことで苦しいと言い続けずに受け入れるしかない)を書き続けていたからだ。

彼はそのようなことを乗り越えることが出来たが、私はきっと出来ない。そこで諦める、悲観的になるだろう。

彼は経済的に裕福な立場ではなかった。しかし、人生を確実に縮める病に侵されながらも最期まで充実した時間を過ごしていた。
私は同じ立場に立たされても、同じだけのQOLを保つことは出来ないだろう。
彼はブログの中で「頑張れって言葉が嫌いです。自分も頑張っているし、みんな頑張っていることを知っているから」というようなことを時々書いていた。

言い換えれば、こんなことだろう。 
=======================
頑張れ!
頑張れば必ず報われるとは言わないが、頑張らない人間はまず報われない。
報われるとしたら「奇跡」か「よく調べていない(改善が見込まれて当然の状況だった)だけの偶然」だ。
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(身近な動物との生活も似たようなことあるかも)

 

優しい文章を書けない自分がもどかしい。
彼は読者への配慮を最大限していた。そのために「何がいいたいの?」と思うこともあった。たぶんストレスを感じていたこともあっただろう。それでも書き続けた。仲間にエールを送り続けた。

もう少し頑張ってほしかったけど運命だったのだろう。
お疲れさま。

でも、安らかに眠るのはもう少し待ってほしい。
まだ四十九日も迎えていないし。もう少し楽しませてくれ。

(つづく)

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2017年6月18日 (日)

湯を沸かすほどの熱い愛

今日、タイトルの映画(といっても自宅でレンタルDVD)を観た。昼食を外食し、帰宅後、何気なく観た。

二日前には、一緒にレンタルした「マダム・フローレンス! 夢見るふたり」を観た。私はあのようなステージもアリだと思っている。あれがダメなら今のアイドルも方程式によって作られるような音楽も否定すべきだろう。人を楽しませたり、感動させたり、何か伝わるものがあれば、人に観てもらう価値があると考えている。

 

湯を沸かすほどの熱い愛」の話をしよう。

主人公は、突然自分が癌だと知る。しかも余命二ヶ月の宣告を受ける。
映画がはじまって少ししたらそのシーンとなる。そして、彼女が背負ってきたものが一つ一つ明かされてゆく。限られた余命の中で、自分が背負ってきたものを当事者に引き継いでもらおうとする。それは自分の人生を否定するようにも思えるが、そうするしかない。
限られた時間の中で、何故これほどに前向きでいられたのだろうか。それはたぶん、背負ってきたものから解き放たれることへの期待だったのではないかと感じた。そしてそれと引き換えに、自身が背負わされた運命も清算される期待をもって。
しかし、各人に引き継いでもらったら、そして、清算できない事実を突き付けられ、「もっと生きたい」と強く願う。自分が背負ってきたものがどれだけ大きいものだったのか、背中から降ろしてはじめて見ることができたのだろう。

あまりに多くのものを背負っている主人公を観て「こんなヤツいる訳ない」と思う人もいるだろう。私は私の些細な人生経験から、事実は小説よりも奇なり、を実感している。他人に与えるために、火中の栗を拾うような人たちに出会ってきた。

たしかに、この脚本には歪なものを感じる。しかし、多くのものを背負う人たちの人生の多くは、実は歪なことが多い。なので、わざとこのようにしたのだろう。
その結果は、ネット上にあるこの映画の評価をみれば分かる。

書きたいことは色々あるが、ネットで書くことではないと思うので、この辺りでやめておく。

 

まだ一ヶ月も経っていない。友達が死んでから。数えてみた。ちょうど四週間前だ。ほとんど一ヶ月だった。そんなに経ったと感じられない。もうこの世にいないことは分かっているが、彼を身近に感じる。

その友達も癌だった。多くのものを背負い、多くの人を前向きにさせてくれた人間だった。ときには強引ともいえる物言いで、苦難を直視しろと口にすることもあった。

今日は、その友達の遺品の整理が行われているはずだ。いくつかの荷物は運びだされているはずである。

DVDを観ていたら雨が降ってきた。予想していた以上に強い雨。荷物の運び出しには苦労するだろう。

彼が亡くなった直後に、こんな言葉を知った。

「遣らずの雨」

 

この映画の中でも、主人公がやるべきことを行い、倒れ、入院したとき、雨が降る。
「遣らず」とは「もう逃げられない」という意味なのか。

 

仏教では人が亡くなってから七日ずつ区切りがあるそうだ。
今日は四七日(正確には昨日かな)。この日はどんな意味をもつのだろうかと調べてみたら、「(故人の)言葉に対する罪が裁かれる(その罪が軽くなることを願う?)」日だそうだ。

この映画の主人公が子供に「もっと強くならなきゃダメ!」と言うように、友達も他の癌患者の人たちに「現実を直視しなくちゃダメ!」、とメッセージを送り続けていた。
人によっては、その言葉によりダメージを受ける人もいるのではないかと思っていた。しかし、彼の辛辣な言葉よりも、現実から目を逸らすことができる甘い言葉の方が罪ではないかと、私もおもっている。

 

偶然にしては、あまりよく出来たタイミングでこの映画を観た。
何を観るかは女房任せ。私は観はじめるまで、何を観るのか知りません。

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2017年5月23日 (火)

今後はブログをメインにする予定

うーにーが死んでしまい、ぼ~っとしていたときに東日本大震災が起こった。
それを機に Twitter や FaceBook をよく使うようになった。
それで充分だとおもっていた。

しかし後から検索しても期待通りに見つからないことがほとんど。
見つかっても Twitter は文字数制限があるので分かり難いことも多い。
おばまのことも見返してもよく分からない。

出来る限り誤解なきよう書きたいし、後から見返したときにより正確に知りたいので、やはりブログの方が自分には合っていると思うことが多くなってきた。

その他色々あり、今後はブログをメインにする予定。

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2017年3月 7日 (火)

花森安治という人 と 1986年という年

20170307a先月、中旬だろうか。世田谷美術展にて「花森安治の仕事」という展示を観てきた。こちらよりもサブ展示的な「ぜんぶ1986年」に興味があり、行くことにした。

右の写真は、つい先日、世田谷区内の南の方(九品仏あたり)を歩いていたときに見たポスター。このポスターを見て、ブログに書いておこうとおもった。

 

まずメインの花森安治。
入ってすぐに「暮らしの手帳」の編集者であり、「暮らしの手帳社」を作った人ということが分かった。1911年(明治44年)生まれ。大学時代に結婚、戦前から広告関係の仕事に従事し、太平洋戦争時は召集されるが疾病で除隊。終戦まで大政翼賛会関連の仕事として国策広告に携わる。「欲しがりません、勝つまでは」などを、国民に広める仕事だ。

ある程度進んだところで、この人をモデルにした連続テレビ小説が近年放映されたことを知る。この人のビジュアルには映像にしたくなるものがある。明治生まれの人が、長髪だったりスカートのようなものを身に着けていたりする。顔はがっしりと如何にも男性。今では珍しくありませんが、当時はとても珍しかったのではないでしょうか。

私は「暮らしの手帳」なる雑誌がどういうものか知りませんでした。この展示で知り、驚いた。狂気ともおもえる数のテストをする。山のように積み上がったパン、行列で行進するベビーカー、石油ストーブを倒して部屋を燃やしてみる、などの写真は圧巻だった。

そして仕事の量、質も圧巻だ。テストだけではなく、文章を書き、絵も描く。文章を書くために取材し調べ深く考察している。絵を描くにあたっては対象選び、デザイン、その意味など多角的に考えられていることが分かる。強く伝わってくるのだ。

個人の日常だけでなく、社会問題にも言及していた。今でいうところの待機児童問題の記事があった。今も昔も変わらない。その他、政治批判的な記事も多々あった。
 

何度も出てくる「一銭五厘の旗」。一銭五厘とは召集令状の葉書についている切手部分の額面表示とのこと。召集された時に「お前らの命は一銭五厘しかない」とか言われたことからだとか。

戦争を憎んでいただろうと思われますが、皮肉なことに、戦中、「質素倹約」「ご近所さん同士助け合い」などを宣伝した彼が、同じ内容のことを訴え続けることになる。こんなところにも、強靭な精神を感じた。

 

この展示の世界は、情報が行きわたるようになった現在とは違う世界であり、この展示の世界を好む自分は時代遅れなのだろう。
今の世の中、「結果」だけが重要であり、そこからの(感想というより)感情で議論がなされる。現在の商品のテストはもっと簡素だ。各製品に使われている部品や組立方法などのデータから数値が算出されて評価が決定される。それだけ情報が既に収集・集計され、それらをどのように計算すれば良いのか確立されている。

この展示の世界では、理屈や計算はない。実際使い続けた結果が全て。
テストには多くの人、物が関わっていることを感じる。ふと、商品が出来るまでにも多くの人や物が関わったのだろうと想像する。

そんなことを感じるのは時代遅れの人間だろう。
私は学生の頃、工場でアルバイトをしたことがあります。ラインの左右には多くの人が配置されていました。今の工場の中にいる人数は当時とは比べ物にならないくらい少ないらしい。ほぼ無人の所も珍しくないとか。

20170307b今の世の中は、数字や思想によって人々が行動していますが、その行動の中にも人と人との直接の関わりは希薄になっている。

私は、個々の生活のありようや関わり方を大事にするべきだと考えてきましたが、そこにはもう後戻りすることはないのかもしれない。
その代償行為として、ネット上のコミュニケーションやペットの存在があるのかも。

この展示は、4月9日まで。

 

もう一つの展示。ぜんぶ 1986年。
入ってすぐの絵画やオブジェは、「おっ、抽象だけど私にも分かりそう!」とちょっとアートな世界を期待しつつ、大きな部屋に入ると、分かり易く楽しい展示が多い。
赤瀬川源平と松田哲夫で企画した「路上観察学会」は楽しい。1986年の東京はこんなだったのか!、と記憶をたぐる。向井潤吉の作品はびくともしない精神を感じる。日本はいい意味で変わらない、変わらないでほしい。横尾忠則には向井潤吉と真逆のものを感じる。日本も日本に囚われていてはいけない。
大きな部屋から出て小さなスペースに、北大路魯山人。これは気軽に楽しむ感じではありませんでした。腕組みし、う~ん、、、と唸って(悩んで)しまった。

1986年はバブル。世田谷美術館もあの時代だからこその造られたのかも。
デザインの選定は、設計図ではなく設計者を選定する方式だったとか。

ミュージカルのキャッツや漫画のホワッツ・マイケルが流行っていた。流行語としては「新人類」なんて言葉もあった。チェルノブイリの原発事故、三原山の噴火があった年。

バブル。高度成長期の終焉を決定づける最後の花火。経済の中心が金融になった時代。人と人との関わりよりも数字を優先しなければならなかった時代。

30年も前。あれから大きな技術の進歩を感じますが、人間の感性など根本の部分ではあまり進歩していないようにも感じました。

私が進歩していないだけかな。

 

こちらも、4月9日まで。

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2016年12月31日 (土)

ダメダメな一年を少しは取り返そう (^^ゞ

今年一年、色々ありました。幅広く色々あって、それぞれが地味なこと や 後始末的なことが多かった。

幅広く色々あると多方面のことを考えてしまい、ブログも書き難くかった。書かず仕舞いにあってしまったことが多々ありました。正月休みに、少しずつ振り返って(当時の日付で)書いていこうと思います。

身近な動物関係のことばかりです。内容はどれも、「一部の人たちが考えたり実践している方向性は正しいと思うし、広く理解が得られると思うけど、所々ネックがあるためか広がらないのがもどかしい」という愚痴っぽい内容ばかりになる予定sad

もう今年中には出来ませんが、来年早々、このダメダメな一年を少しは取り戻したいと思います。

来年は多方面のことを考えずsmileブログを書き、粛々と整理的なことを事務的にこなしていきたいものですthink

 

(以下に新年に入ってから書いた内容を列挙する予定wink

(勉強会)動物介在介入と動物介在活動

私が服をほとんど買わない理由

田向先生のセミナー(愛玩動物協会のセミナー)

遺伝

プミポン国王の逝去 

狂犬病について

日本における、犬食文化について

ばまちゃんの 2016年

まだ書きたいことが幾つもあるのですが、またの機会に。
2017.2.16

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2016年2月28日 (日)

曜変天目、付藻茄子

ここのところ忙しいのですが、色々と手をつけてしまって自分でも何をやっているかよく分からない。そんな毎日ですが、先日、静嘉堂文庫の招待券をいただいたので、昨日、女房と行ってきた。改装後、初めて。

お目当ては、曜変天目付藻茄子。曜変天目は一度は見てみたいと思っていたのですが、よくよく聞いてみたら、当分の間、常設展示されるらしい。でも、折角の機会なので行ってみた。

20160227a岡本公園に車を止めて歩こうかと思っていた。しかし、珍しく駐車場が満車。雛祭りのイベントが開催されていた。仕方なく車を移動。ぐるっと回って静嘉堂文庫前の駐車場へ。

館内に入る前に庭園を歩く。そして廟の周りを歩く。
廟の近くには右のような所がある。もう15年くらい前に、うーにーと何度か遊んだことがある。たまに思い出したように行った。3~4回くらい行ったと思う。そしてあるとき、庭園や廟の周りが整備され、下の表示がされるようになった。もしかしたら、もっと前からあったのかもしれませんが、綺麗になった後に気が付きました。
20160227b昨日土曜日でも人気(ひとけ)のない場所です。昔は今以上に人が来なかった。いい場所でした。

昨日も岡本公園方面から上がってきた犬連れが、この表示に気が付かないのか園内を散歩していました。
知っている犬連れは、抱っこして散歩していました。その価値はあると思いますが、この表示の場合、抱っこでの散歩はいいのだろうか。

 

うーにーとの思い出を女房と語りながら、館外散歩を終えて、入館。

展示室入口付近に付藻茄子があった。茶道の道具なので大きなものではないと思っていたが、この大きさとは。小さく素朴な色合い、自然で無駄のない曲線は、手にも心にも馴染むだろうとは思いますが、天下人が欲するような迫力は感じられませんでした。
土と共に生き、自然信仰傾向の強かった当時の日本人としては、信仰対象的なものを感じたのかもしれません。

展示室に入ると目立つ場所に曜変天目がありました。茶道の茶碗である。
今まで写真を見たことは何度かあった。その印象から、もっと大きなものだと思っていた。迫力のある写真ばかりだったから。
国宝である。ケースの中に入っていて触ることは出来ない。内側の模様を真上から見たかったが、それも出来ない。
江戸時代やそれより前の時代に、こんな模様の茶器があったらそれは欲しいと思うだろう。しかし今の時代の人間としては(素晴らしいとは思いますが)、螺鈿っぽいとか、全く別の技術で似たようなものは出来るだろうな、とか思ってしまった。

この茶碗を入手した岩崎小弥太は「天下の名器を私如きが使うべきでない」と生涯使うことはなかったそうだが、私はこの茶碗を使ったときのことを想像したらワクワクした。一般的な茶の湯とは全く別なものだろう。(と、思うところが小市民な私think

曜変天目や付藻茄子を熱く語る人に何人か出会ったことがある。なので見に行ったのですが、私の感想は、「たしかに、他とは違う何かを感じる。でも、これくらいの感じ方のものは他にもあると思うけど」。(小市民ですからcoldsweats01

 

帰りの車の中でふと思った。
もしかしたら、私はうーにーと遊んだあそこかに行きたかったのかも。

曜変天目、付藻茄子、ありがとう。

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