2017年3月 9日 (木)

狂犬病についてのセミナー(2017年3月12日)

今度の日曜日(2017年3月12日)、こんなセミナーがある。(こんな直前に書いても、行けない人が多いと思うけど。)

https://www.jpc.or.jp/tokyo/archives/2286/

タイトルは、「ひとと動物の共通感染症-恐ろしい狂犬病(仮題)」。
主催は、「公益社団法人 日本愛玩動物協会 東京都支所」ですが事前申し込みは必要ですが一般の人も参加OKです

申し込みの方法は、こちらのページにあります。
協会会員でない方、管理士でない方は、会員番号、管理士 1級・2級は、不要です。
一般の方は、こんな感じになると思います。
 


件名:
ひとと動物の共通感染症-恐ろしい狂犬病(仮題)

本文:
ひとと動物の共通感染症-恐ろしい狂犬病(仮題)参加希望
お名前
連絡のつく連絡先電話番号


 
メールメールアドレスも書いた方がいいと思いますが、メールで送るのですから分かることでしょう。
これだけ書いて、上記のページに書かれているメールアドレスに送ればOKのはず。
たぶん、まだ定員になっていないと思います。

 

狂犬病について、おもうこと。

今の時期になっても(仮題)というのも如何なものかと思いますが、それくらい扱いが難し問題なんだと思います。

何故わざわざ宣伝するかといえば、狂犬病についての基礎知識がないまま、ネット上に無責任な書き込みが、年に1~2回盛り上がることがあるから。
今年に入って書いた昨年日付のブログにも書きましたが、特定の情報だけをもってきて、狂犬病全てに通用するような書き方をしている人の発言が、Twitterなどを中心に拡散される。

上記ブログにもありますが、知っているつもりだった私も、ちょっと本気で調べれば(ネットじゃなくて書籍とか携わっている先生に伺えば)、あまりに無知だったことが分かるし、世間一般で言われているような単純な病気ではありません。

今回のセミナーの講師の先生は、狂犬病臨床研究会という(教科書の中ではなく)実際の狂犬病についてリアルタイムで情報収集している団体の会長さんでもあります。
 

今回、講師の先生がどのような内容にスポットを当てるのか分かりませんが、狂犬病がない日本に(お隣の台湾のように)狂犬病が入ってきてしまったら、犬や猫、そして現在は放置に近いアライグマなどに対する接し方が変わります。その対象は、レスキューした犬や猫もです。

さらにワクチンのことをちょっと突っ込んで調べると、「これは気軽に語ってはいけない」ことに気が付きます。

幅広い意味で恐ろしい病気、狂犬病。
今度の日曜日のセミナーは、その基礎知識を得るいい機会だと思います。

ご興味ある方は、是非!!

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2016年10月31日 (月)

日本における、犬食文化について

とっても後書きの記事です。書いているのは、2017年に入ってから。今年(2016)の暮れに、「書いておきたい」思った内容の一つです。

 

狂犬病ネタをネットでチラチラ見る時期には、何故か犬食についても見るようになる。そして「昔、日本でも食べていた」と書く人がいる。その程度の書き方なので、まるで日本人が日常的に食べていたのかもと読めてしまう。どの程度の人が、どれくらいの頻度で食べていたのか、書いて欲しいものだ。

 

話は変わりますが、以前ラジオで話をしていたので、差別についての本を少々読んだ。
子供の頃から本を読まず、記憶型の勉強が全くダメな私は辞書的な本が苦手で、物語的なものならなんとか頭に入る。
差別関係の書籍でそのようなものとなると、上原善広さんという人のものがなかなか良い。実家が食肉店だったからだろうか、食べ物文化から差別を見るという手法を採ったものがある。それらが読みやすい。

その中に犬食についても少し書かれている。明治から戦時中のことを中心に、限られたページ数だが書かれている。
その内容を要約したものを書こうと試みたのですが、誤解される可能性があるのでやめます。

少しだけ引用すると、「戦後になると、(中略)、食糧事情の改善と共に食べられなくなった」とあります。

具体的なことを書かないで申し訳ないのですが、当時の世の中のことや日本人の考え方から結果的にそうなってしまった、と私は理解しました。本の中には書かれていませんが、私の頭の中に浮かんだキーワードは、開国、狂犬病、戦争。食べるものが乏しかった時代であり、殺生するのであれば出来るだけ無駄にしないという考えからであったからではないかと推測した。

また、健康改善を目的として食する文化を持つ地方のことも書かれていますが、日常的に食べていたものではないようです。
日本には食用犬牧場があったという話は聞いたことありませんから、多くの人が食べる文化はなかったはずです。
一時期、出荷業者があったことが書かれていますが、最も食されていたであろう時期であっても、(比較が不適切かもしれませんが)現在のスッポン料理よりも食べられてはいなかったと思われます。(本の中でも、それを仕入れていたのは、とても限られた地域であることが書かれています。)

 

「日本人も食べていた」と書くのであれば、いつの時代に、どれくらいの数の人たちが、どのような目的・状況で食べたのかくらいは書いてほしいものです。

端的に「食べていた」という文を読むと、「日本人は野蛮だった!」と言いたいんだろうなと読めてしましますが、私の知識だと、「日本人はいつの時代でも犬に助けてもらったんだな」と感じています。

 

参考までに、この本文中に出てくる私が読んだ本
被差別のグルメ 新潮新書 / 上原善広 〔新書〕

2017.1.22

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2016年10月30日 (日)

狂犬病について

とっても後書きの記事です。書いているのは、2017年に入ってから。今年(2016)の暮れに、「書いておきたい」思った内容の一つです。

 

タイトルですが、「狂犬病について」ではなく「狂犬病について、について」としたいのですが、くどいので、「狂犬病について」だけにしました。

2016年10月13日にタイのプミポン国王が逝去されたことが関係していたのか、10月の下旬辺りからネットで狂犬病ネタをチラチラ見ることがあった。中には、誤解を与える内容のものもある。

 

狂犬病というと、

・ 日本国内では、長年感染例は報告されていない

・ 世界的にみれば、珍しい感染症ではなく多くの地域で感染している動物の報告がある
 また、感染(または感染されていると推測されれる)動物に人間が噛まれる事故が報告されている
 そして、世界では年間5万人以上が命を落としている

・ 狂犬病の犬などに噛まれ、その後発症したら命はない
 発症前に診断できる検査はない

・ 予防のワクチンが存在する

・ 暴露後(噛まれてから打つ)ワクチンもある

くらいの知識がある人は多いと思う。

 

話は変わるが、私は以前、ラジオでたまに犬猫のことを話することがあった。2015年暮れの放送が最後になってしまったのですが、その後、2016年3月に狂犬病を取り上げる予定がありました。そのために少々勉強した。
狂犬病の研究で著名な先生に話を伺う機会を得たことと、図書館で借りた狂犬病についての書籍だけですが、それだけでも、自分はあまりに無知だったと恥ずかしくなった。

よくまとめられた書籍もあります。図書館に置いてあることも多いと思うし、高価ではないものもありますので、購入しても大きな負担にはならないと思います。

狂犬病のことをネット上で不特定多数の人に語るのであれば、まず本を読むくらいして欲しい。そうすれば、気軽に何処かに書いている一文をそのまま持ってくることが、どれだけ罪作りなことか理解できると思います。

狂犬病の症例を幾つも読んでいて思ったことがある。これらの話から幾つかをピックアップし、短編集の書籍や映画(DVD?)にすれば、多くの人が興味ともってくれるのではないか。それくらい、時に悲しく、オカルト的で、たまに感動的。

そして予防に尽力するしかないことに気が付くだろう。

 

参考までに私が読んで 「狂犬病を軽んじていた」と思った書籍を一つ紹介しておきます。基本的なことが書いてある本です。
ヒトの狂犬病 忘れられた死の病 / 高山直秀 〔本〕

2017.1.22

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2016年9月23日 (金)

心から動物愛護や動物福祉を願うのであれば

動物の愛護及び管理に関する法律が(保護から愛護を含めて)三回改正がありましたが、その実効性に苛立ちを覚えて人は多いのではないでしょうか。

日本には多くの法律があり、あまり使われないものも結構あるそうです。私も、「そんな法律あるの?」と思うようなものに出くわすことがたまにある。
また、昔に出来て今は使われないものもあるそうです。この20年くらいで、それらのチェックもだいぶ進んだようですが、改正ではなく解釈で対応しましょうというものもあるようです。

私は法律の専門家ではありませんので、そんな話は茶飲み話程度に読んでいただき、「何故、動愛法の実効性はイマイチなのか」ということ。

 
法律は国民全てが守るべきものです。一部の人の嗜好や感情のためにあるものではありません。法律となった時点で、国民の総意と(形式上)なると言えばいいでしょうか。

しかし、動愛法に関して言えば、「そんなの一部の人が言っていることでしょう?」「今の世の中の常識からして、おかしいでしょ?、昔の話?、未来の話?、とにかく今の日本でそんなことを取り締まる必要があるの?」「誰得?」、さらには、「他の国ではどうだか知らないけど、日本に於いては、それ、おかしいでしょう?」「あんたはそう思うかもしれないけど、私は産まれてから今まで、そんなことに関わったこともないし、思ったこともない。身近にもそんな人いない」、などと思っている人はいます。実際にそのような何人もの人に会い、話をしてきました。極めて少数派とは言えないと実感しています。

このように思われていることは、警察も積極的に取り締まってくれないことがあります。優先順位が低いと認識されていると言えばいいでしょうか。
ほとんどの人が、「そうだ、それは悪いことだ!」「取り締まってくれないと困る」「そんなヤツを野放しにしておいたら、自分が被害に遭ってしまうかもしれない」と実感していることを優先的に対応することは、想像できるとおもいます。

 

動物愛護の話を、広く一般に向かって話をするときに、「命は平等」「ペットも家族」という考えで理解していただこうとしている人がいますが、ペットに関わり合いのない人、更には他人のペットから被害を被っている人からすれば、「そんなの一部の人が言っていることでしょう?」「他の国ではどうだか知らないけど、、、、」「ふざけんじゃない、こっちは被害受けてんだぞ!」となってしまう。(大人だから、多くの場面では口どころか顔にも出さない人がほとんどですけどね。)

動愛法を全ての人に「必要だ」と感じてもらうには、以下の記事のようなことを話すのが一般的です。
http://healthpress.jp/2016/09/post-2581.html

私がはじめて(マスコミなどではなく)セミナーや先生と呼ばれる人から直接話を聞いたり、勉強したのは、20年以上前。つまり、神戸の事件より前。
当時、既に「欧米では常識になっていますが、日本では人権の観点から幅広い場所でお話しすることが難しい」と聴いた。

動物を虐待する人間の人権?、と思うかもしれませんが、犯罪一般にも加害者の人権は守られます。さらにもう一つ。裁判では、ときに「責任能力」という言葉が出てきます。平たい言葉でいえば、「病気がそうさせたのであって、本人の意思ではない。体が勝手に動いてしまったのだから、その人が悪いのではない」という考えです。

上記の記事では書かれていませんが、重犯罪手前の動物虐待は病気であることが多々あると言われているし、私が知る限り、そのような動物虐待を行う精神状態は病気と診断すべきだと思っています。(「重犯罪手前の動物虐待」とは、普通の人にやれと言っても到底出来ない行為であることや、その行為によって快楽等を得ることを目的として行われる行為。)

どのようなものであれ「病気」と「人権」は密接に繋がっています。不特定多数の人がいる所で、特定個人の病気の話をすることは、人権侵害に繋がる可能性があります。そうなるとややこしいので、このような活動(「動物虐待が重犯罪の予兆」とされることを知らせる)を積極的に行う人や団体がなかったのです。明らかに、欧米の先進国から遅れている部分でした。

ややこしいと思う理由は、他にもあります。
「このようなことが分かっているので、動物虐待はやめましょう!」と訴えると、「そんなことよりも、今現在、救わなければならない命があるでしょう!。そんな話をしている場合じゃないでしょ!」と大きな声で言う人が出てきます。

傍観者はどう思うでしょうか。
「見解がまとまっていない分野のことなんだな」と思う人もいるでしょう。
「内容はともかく、揉めている分野なんだな。近づかないに限る。ちゃんとした理論・学説みたいだけど、それを感情的に批判する人がいるくらいドロドロした世界で怖いな」と感じる人もいるでしょう。
つまり、「国民の(実質的な)総意」から離れていってしまうのです。

 

今現在、救わなければならない命に対する活動は重要な活動です。それはしっかりやっていただきたいものです。
そのような活動と、世間一般に「身近な動物に対する対応は(この日本でも)社会全体で考えたり見守ったりしないと、みんな(社会全体として)不利益なことが起こりますよ」と伝えることは別分野であり、牽制したり、否定したりする必要はないはずです。

このような啓発的情報の発信があり、世の中の多くの人が理解し、社会全体の総意になってゆくことが他の国や地域の歴史が語っています。これは通らなければならない道なのです。この先に、動愛法がより実効的になり、機動的なアニマルポリスの実現などがあると私は信じています。

私は、20年かかってやっと(動物専門のところではなく)一般の人が目にする記事として書かれてるようになってきたと思っているし、現場の方々はもっと長い間、悶々とした気持ちを抑えていたことと思います。これからやっと、欧米のような感覚で動物愛護を扱ってくれる社会に近づけると、密かに喜んでいる人がいることでしょう。

これから、この記事のような情報を目にすることが多くなってくると思うし、それらの記事を広めようとする発言も目にするようになってくると思いますが、(温かい目で見守ってとまでは言いませんが)わざわざ問いただすようなコメントや攻撃的な発言は控えていただけたらと願います。

 

心から動物愛護や動物福祉を願うのであれば、このような考えも理解していただければと、切に願います。

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2016年9月17日 (土)

遺伝

とっても後書きの記事です。書いているのは、2017年に入ってから。今年(2016)の暮れに、「書いておきたい」思った内容の一つです。

 

2016年9月の14日から16日まで、二泊三日で旅行した。メンバーは。私、母、叔母(母の妹)の三人。母には一人妹がいますが健康上の理由で欠席。

私と母の相性はとても悪い。性格が合わない。お互い、なんでもないことで腹立たしく感じる。なので、19歳で家を出て、その後長い間実家には寄り付かなかった。実家に行くようになったのは、うーにーが来てからだ。
そんな私が二泊三日の旅行に行くことができるようになったのは何故か。それは、うーにー選びから始まる、犬との生活があったから。
 

犬を迎えると決めてからうーにーが来るまでの間、約半年くらいあった。犬については、女房任せでした。はじめのうちは他の犬種も考えたようです。
初めに行ったのはゴールデンのブリーダーのところ。女房は「他の犬種も興味あるんだけど~」というと、「じゃ、この人あたりどうかな」とその犬種のブリーダーを紹介してくれる。
元々ゴールデンを候補としていたし、他の犬種の話を聞けば聞くほど、私たちの生活にはゴールデンがあっていると感じた。私たちだけではなく、東京で少しの運動が出来る環境があれば、ゴールデンが最適な大型犬だと今でもおもっている。
他の犬種を検討し、色々と話を聞くことが出来たし、それらの犬種に触れることも出来た結果ですが、もしかしたら、うーにーのブリーダーは、はじめから私たちはゴールデンを選ぶだろうと確信をもっていたのでは、と後から考えたものです。

他犬種のことも含めて色々と私たちの考えを聞いていただき、色々教えていただいた。
話をしているリビングからはラン(犬を放している運動場)が見える。ランは幾つかに仕切られている。だいたい2~3頭毎の犬が一つのランに入っている。10頭ほどのゴールデンがいました。年齢もまちまちだし性格も違うので、より快適に過ごしてもらうためにそうするのだそうだ。
「犬もそんなに性格が違うのか?」と思ったものですが、何回も通っている内にそれが分かってくる。随分と違うものだなと分かってくると、動きの違いも分かるようになる。動きにも個性がある。形についてもよく分かるようになる。はじめの内は「なんとなく」だったのが、具体的に幾つもの部分について分かるようになってくる。ブリーダーも教えてくれる。

そして、「遺伝」というものに気が付く。

やはり親子は似ている。性格や動き、形の「部分」の数を多く認識できるようになると、母親に似ている部分と父親に似ている部分があることに気が付く。これが遺伝で、これらがどのように遺伝するのかを経験的に勉強して繁殖するのが最低限のブリーダーの知識というものだろう。なので、一日のほとんどをケージで暮らさせるような繁殖業者の人を、私はブリーダーとは呼ばない。

ブリーダーは犬の一生を考える。犬の一生に責任を持つと考えているから。長年そのような姿勢でいれば、何かと予想できるようになるようです。勘と言えばいいでしょうか。それが知識になる。
犬の一生は飼い主で大きく左右されるから、譲る相手も慎重に選らぶ。選んだら必要に応じて(我が家がしていただいたように)何かと教える。時には飼い主から学ぶこともある。このときの姿勢も謙虚だ。全ては犬のため。

このような人たちがブリーダーだと考えているので、犬を譲った後に飼い主と交流しない人を私はブリーダーと呼ばない。少なくとも、病歴やいつどのように命を全うしたのかの報告をしてもらえるくらいの関係を持てない人をブリーダーとは呼ばない。

こんな考えに至ると、遺伝とは、そこにいる犬だけを語るものではなく、その犬が産まれてから天寿を全うするまで関わることだと理解できるようになる。

 

そのようなことが理解できるようになったとき、自分と母との関係を客観的に考えることができるようになった。
子供の頃、母を見ていて好きになれない言動があった。好きではないので自分はそのようなことはしないようにした。しかし、よく考えてみたら、私の素の部分ではそのような感性があり、それを抑えている。つまり、素の部分は母譲り、それを嫌い抑える部分はたぶん父譲り。そういうことなのだと思う。
私が、産まれ、育ち、その後の経験で変わってゆくことを客観的に考えることが出来るようになったのは、うーにーを通じてブリーダーとのやり取りがあったからだった。

うーにーが来てから少しずつ実家に行くようになった。母への対応も少しずつ変えてゆくことが出来た。そして、自分の中の変えられない素の部分を認めることも出来るようになった。それが(人間も含めた生きもの全てが)繁殖により次の命へと繋ぎ、その命は経験により変化してゆき、それには葛藤がつきものであると気づいた。

 

2016年9月の旅行はそれなりに面白かった。三人互いの素の部分を認め、滅茶苦茶とも言える言動の連続。それを丸く納める訳でもなく、ぶつかり合うでもなく過ごすことが出来、面白かったと言えるものになった。
我慢をしなかったかと聞かれれば「した」。我慢なしには得られるものは限られている。

このような自分になれのは、ブリーダーを通じて多くのことを学び、多くの人に会えたことが大きいだろう。

遺伝。それがあるからこその多様性と淘汰的方向性がある。個々がそれを持ち、世の中はそれらがパズルのように組み合わさる。パズルと違うのは綺麗に嵌らないこと。ボタンの掛け違いは常。それが世の中なのだろう。

私が子供の頃には、三世代同居の家も珍しくなかった。そのような家が当たり前で、地域の繋がりが密であれば、つまり、人間の遺伝と血統を目の当たりに見ていれば、日常の暮らしの中でこのようなことに気が付くのだろう。都市部の今の世の中では、そのような状況はなく、気付かず過ごしている人は多いことだろう。
うーにーを通じて、はじめて気が付いたことは気恥ずかしさも覚えるが、気付くことが出来て何よりだった。

遺伝。生きるもの全ての根源。
たまには、そのような視点で自分を考えたいものです。

2017.1.20

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2016年8月20日 (土)

私が服をほとんど買わない理由

とっても後書きの記事です。書いているのは、2017年に入ってから。今年(2016)の暮れに、「書いておきたい」思った内容の一つです。

 

私は、ほとんど服を買いません。最近は、それらの服たちも擦り切れたりすることが多くなり、少し買うようになりました。
買わない一番の理由は経済的な事情ですが、他にもあります。原材料を使うことによる環境への影響。

今年(2016年)の夏、シーパンが腿の辺りを中心に全体的に薄くなってきたとおもっていたら、左の膝の辺りが裂けてきてしまった。これもお洒落でいいかな、とおもっていたのですが、どんどん広がってくるので、どうしたものかと考えた。

自分でリペアすることも考えた。非常に見栄えが悪いだろうが出来ないこともないだろう。そもそもどのようしたらいいのかも分からない。
ならば何処かに頼む。調べたら、近所にお店があり、3,000円くらいで出来るらしい。
そこでふと考えた。「だったら少し足して、買い替えたら?」と。

20160819_1このジーパンは、1983年に買ったリーバイスの503。ジーパンに詳しい人ならご存知だと思うが、その頃、503は(少なくとも日本では)販売されていなかった。しかし何かの記念モデルで販売されたのだ。
そのようなこともあり、見栄えの悪いリペアもしたくないし、捨てるのが勿体ないと思ったこともある。

さらに別の理由もあった。このジーパンを買うよりも前に、歯医者さんの待合室で読んだ雑誌がトラウマのようになっている。そこにあった記事は、次のような内容だった。ショッキングな写真も添えられていた。

それまで綿花栽培が行われていなかった地域で、栽培が行われるようになった結果、湖が干上がった。綿花はそこに水があれば、どんどん吸収してゆく。
干上がった湖と困惑する住民の姿の写真もあった。彼らは綿花栽培には関わっておらず、何ら恩恵は受けていないと書かれていたと記憶している。

20160819_2このことを思い出し、お店でリペアすることにした。
結果は右の写真の通り。出来上がり、コストパフォーマンス共に満足でした。

 

さて、ここから綿花栽培と水について。インターネットで調べてみました。
まず出てくるのは、アラル海について。Wikipedia のページはこちら。私が読んだ雑誌記事はもっと古いものなので、ここのことではない。
基本的な情報として、そのような考えは誤解であるとしたこんなこんな記事もありました。記憶が定かではありませんが、私が読んだ記事には、湖が干上がった理由は断定できないが綿花栽培を始めたこと以外に、この地で変わったことない、と結んでいたとおもう。

本当のことがどうであれ、私にはあの記事のトラウマがあり、綿製品を大事に使いたい気持ちが変わることはなさそうです。
人間の行動判断の多くは、このようなことではないでしょうか。

 

もう一つ、書きたいと思ったことがあった。
今まで田畑にならなかった所でも綿花は育つこともあるらしい。今の世の中、大規模農業が当たり前なので、大量の水が必要になるだろう。結果として、特定の地域が干上がることもあるのではないだろうか。
もちろん、その国や地域で規制やガイドラインがあるだろう。しかし、それをしっかり遵守させるだけの指導・監視ができるだろうか。この問題だけではなく、人目の少ない山間部等では、ままあることだとおもう。
多くの人は、規制やガイドラインが出来たことで納得する。しかし現地に行った人が「とんでもないことをしている!、なっている!」と愚痴ることが昔はあった。その事実をつまびらかにしらせることが出来ず、有耶無耶にされてしまうのが当たり前だった。
今は、スマホで簡単に高画質の静止画や動画も撮影でき、すぐにインターネットにアップすることも可能だ。インターネットのお陰で、世界のあらゆる場所のことが分かるようになってきた。まだまだカバーされていない地域は多いようですが、昔から比べれば、多くの地域が、と言ってもいいだろう。

と、山間部等の人目が少ない場所の話をしたが、規制とは人目があっても機能しないことがある。動愛法や周辺の基準等を読む限り、しっかりしていることが書いてある。しかし、その通りに機能しているとは実感できない。規制というものはこういうものなのだろう。

 

そんなことを考えると、やはり、綿製品は最低限だけ購入することにしたい、と改めて考えた年の初めでした。(書いたのは、2017年1月2日)

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2016年5月 3日 (火)

避難所に行くと、ペットと別れなければいけないの?

熊本・大分の地震で、ペットと避難することの問題を一般のニュースでも取り上げられるようになった。しかし、記者さんの勉強不足が、混乱を招く記事もあるらしい。

幾つかのニュースや個人の書き込みが問題になりましたが、私がRTした後、削除したものが以下です。

「ペット同行避難断られた」相談600件 場所、人手なお不足 被災地の熊本
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160427-00010005-nishinp-soci

書いた方には申し訳ないが(記事自体削除されちゃうかな)、Yahooのような多くの人がみるところで、同行避難を断られた、と書くのならば慎重に書かなければならないことを知るべきです。国は、しっかりと同行避難を推奨し、各都道府県にそのように指示している。つまり、この記事は熊本県の施策を批判することになる。その重みを自覚すべきである。

(まだ残っているなら)この記事をよく読んでほしい。まず、タイトルは、熊本県ダメじゃないか!、と言いたくなるように誘導していると言われても仕方がないのですが、どこに600件寄せられたのか等、記事をよく読んでほしい。
この記事は、幾つかの小さな記事を繋ぎ合わせています。色々な場所のことが一つの場所(全部熊本県と言えばそうですが、被災状況とか違う場所だとおもいます)で起こっているように、読めてもしまう記事でもあります。
私の感想では、「記者さんも混乱していて、書かなくては!という使命感みたいなものに駆られたのかな」と思ったりしました。

とにかく、600件の「断られた」(600件はたぶん「延べ」なんだと思う)が、その団体が受け付けただけで、あったことは確かなことなのだろう。今も避難所に行きたくても、行けない人がいることも事実のようだ。ただし、日頃のしつけをしていないので、入れないことを理解して入らない人も多いと聞く。
今のことを考えねばならない時期ですが、そのような人たちは、今後考えてくれるし、その中の何人かは、きっと語り部にねってくれることを願っています。

実際に、一緒に避難している人たちをレポートしているFBコミュニティーもあります。
https://www.facebook.com/hugthebrokenhearts/

地元の人だからこそ、話を聞きやすいということもあると思います。とにかく、犬や猫たちと避難している人たちは珍しくなく、避難所に入れてもらった人たちが結構いることが分かります。中には、一緒に入れてもらったけど鳴いてしまったので、周りの人に申し訳なくおもって車中泊になっています、という方もいらっしゃいますが、「入れてもらった」事実があることを忘れてはならない。

 

さて、東日本の時、更に前では中越のときはどうだったか。色々なことがありましたが、同じように情報が「どっちなの?」というが幾つかありました。その中で、同行避難に関すること。

先に書いた、国が同行避難を勧めるようになったのは、結構昔なのですが、(行政はそれなりにやろうとしてきましたが)一般市民の協力が得られず、有名無実的になっていました。しかし中越が起こり、「やっぱりならねば!」と改めて力を入れた行政はありましたが、このときもイマイチ。そして、東日本が起きてしまいます。とても特殊な災害として、原子力発電所のメルトダウンという人類史上としても珍しく、かつ、非常に危険ではあるけれど理解しにくい災害が起こりました。住民にしてみれば、「ちょっと逃げてください」と言われ、「ちょっとね」と思ったら、二度と帰れないという事態になり、残された多くの動物たちがどうなったのか、ここでは敢えて書きませんが、知らない方も想像はつくと思います。(そんな中の生き残りが、おばまです。)

そんなこともあり、災害時に身近な動物をどうするかという議論が、今まで以上にされる機会となりました。
では、避難所ではどうだったのでしょうか。津波や東京電力・福島原子力発電所の事故で避難した人たちの多くは、地元での避難が許されませんでした。日本各地に避難所が出来ました。

色々なところの色々な話が耳に入ってきましたが、当然、この東京や神奈川の話も入ってきます。ある避難所で、「あそこって実は犬や猫、いるんだよ~」と聞いて、「そうなんだよな、公表できないんだよな~」と当時思ったものでした。
そんな避難所があるかと思えば、やはりNGの避難所あり、マスコミで「なんでこの避難所は入れてくれないの!」と力強く書いている記事がありました。「まぁ、仕方ないじゃん」と思いながら読み始めると、「実は、いるんだよ~」の避難所でした。
流石に、初めてそのようなケースを知ったときは驚きましたが、続けて同じようなケースが3つくらいあり、東京など被災地でない場所に作られた避難所でも情報が混乱することがあると実感したものでした。

東日本のとき、マスコミでも被災地では、同行避難(避難所内の、人間とは別の場所に置いてもらう。多くの場合、どうにか雨露しのげる程度の場所で、風が吹けば雨が吹き込むような場所であることもある)もままならないようなことが書かれたりした。実際、受け入れてくれるところは多くななかったですが、全くなかった訳でもなければ、置いてもらった全ての避難所が険悪なムードになった訳でもない。譲り合いの精神で、「じゃ、こうしましょう」となったことろは少なからずあったそうです。
しかし、先の例と同様に公表したがらない。日本人の「みんながやっていないだろうことは、公表したがらない」ということもあったのかもしれませんが、避難所は借り物なので、所有者(管理者?)への配慮もあった。犬猫入れてと分かったら、後から騒ぎになるのを嫌うという感じだ。

私は、一年以上前から、「避難所で問題視されているアレルギーの問題は近い内に、言われないようになる」と口にしているのを聞いた人はいると思う。2月の勉強会でもAAEの方からもそうなるだろうと説明したし、他の情報からも確信していた。その他、何箇所かでお話しさせていただいた。

しかし今まで(いや、実は今もだ)、教室に犬や猫を入れて、災害が落ち着いた後、教室として再び使い始めたときに、アレルギーの子供は困るじゃないか!、とまことしやかに言われています。このようなこともあり、犬や猫を入れたと公表するのを躊躇うのだと思います。
その結果、情報が混乱する。

東京に出来た避難所のことも、東京に住んでいる人間でも正確な情報が入らない。入らない原因は、避難所のことを考えての判断であったりする。

このようなことが、災害時の情報では多々あります。
なので私たちは、被災者の求めに応じるだけにすべきなのです。あとはせめて、上手く援助の手が差し伸べられることを祈る。この程度になります。

さて、話を戻す。冒頭の以下の記事に私がなんとコメントしたか。

「ペット同行避難断られた」相談600件 場所、人手なお不足 被災地の熊本
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160427-00010005-nishinp-soci

@akihisayuge 避難所側の情報がまとまっていて、ボランティア団体側の情報も客観的に提示出来れば、きっと上手くいくと思うのですがもう少しですね。

以上のようなコメントをした。それだけ。

物資の話で「ここではこれが欲しい」ということがある。余計なものは持ってこないで、ということもある。

それと同じで、避難所にペットがいる場合に必要になる物資やサービスというものがありますが、現状、それを上手にまとめられていないのではないかと心配している。避難所がそれを上手くまとめ広く求めることが出来、ボランティア側も「私、これが出来ます」とか、「その物資なら提供できる」と情報を広く提供でき、それらのマッチングも出来れば(今回は、入れることを公表した避難所が多いのですから)、多くの飼い主とそのペットが安らげる時間を得ることが出来るだろう。

皆さんに知っておいていただきたいことは、大規模災害が起こった直後は、何処で何が起こっているか、はっきり分からないことを知っておいてほしい。何か力になりたいと焦る気持ちは分かりますが、冷静に判断してほしい。静観し、被害者の方々からの声を待ってほしい。「・・・のようだ」や「この援助が必要なはずだ!」の声は控えてほしい。被災者からの声が聞こえ易いように、協力することも必要ではないでしょうか。

 

最後に。
タイトルが、このブログの内容とドンピシャではないので、ちょっと違う話を。

東日本の後、半年くらいで、東京都内にも被災した犬や猫を預かるシェルターが出来て、私もボランティアしていました。そこに来る人たちの多くは、犬や猫と共に暮らしている。
当時、東京電力・福島原子力発電所の事故後のことが話題になることがあった。自分だったらどんなに辛いだろうかと皆さん、口にした。私は、「離れ離れになれば辛いですよね。だったら、絶対に離れない!、と言い続け、行動すればいいじゃないかな」と説明した。
今の法律と付随の文書では、大規模災害あっても犬や猫はきちんと管理し、放浪動物にならないようにしましょうね、とありますが、当時はまだ出来ていませんでした。しかし、その方向性はあったし、アメリカではそのような法理が出来て5年くらいが経っていたというこもありました。
実際、東日本の時も一緒に逃げた人の話しを幾つも聴いた。やはり出来るのだ。その話を聞く前であっても、犬や猫を置いて避難する指示が出たことを想像してみれば、「一緒でなければ絶対に避難しません!」と言い切るだろう。自分の友人知人たちは、どんな苦境でも連れて行くか、信頼できる人に託しています。その感覚に慣れてしまっているのかもしれませんが、とにかく私にとっては、残してゆくことはあり得ないのです。

「絶対に離れないと言い切れば、いいじゃないですか」と言うと、多くの人は驚いていました。「でも、バスには乗せられないと言われたんですよね」とか返事が返ってきます。でも実はバスに乗せてもらえた犬もいるらしいです。

いい加減な気持ちでは許されないかもしれませんが、しっかり責任を持つ気持ちが伝われば許していただける可能性も高いです。そのためには、日常のしつけも大事でしょう。とても広い目で自分と自分のペットを見ることが出来ないと、「そんな我が儘許せない!」と言われるでしょう。人間だけだって大変な時です。大規模災害直後は特にそのような雰囲気になるものです。その雰囲気の中でも「私は絶対に離れない!」と言い切るには、日常、何が大切か、今、このとき、よく考えていただきたい。

現在は、国が同行避難を推奨しています。それは大きな後押しになります。しかし誤解しないで欲しいのは、避難所運営は、基本的にそこの人たちで行うものです。自治するものです。役所の人たち全て管理するものではありません。いくら国がすすめていても、避難所の人たちがダメと決めたらダメになります。
なので、尚更、平時からしつけを考えたり、近所付き合いや飼い主同士の付き合いを考えたりする必要があります。ご存知ない方が多いかもしれませんが、そのようなことが書かれたマニュアルや啓発印刷物は既にあります。もしかしたら、あなたの地元行政が出しているかもしれません。

こんなに長いブログを読んでいるあなたは、ネットから多くの情報を得たり、友達を作ったりしていると思いますが、地元の人とのリアルな付き合いについて見直すことが、大規模災害時に離れ離れになるリスクを下げることになるのです。
ネットの幅広い情報も必要ですが、地元のプライベートな人間関係の充実も日々の暮らしを含めて、充実させてくれるというものです。災害時に「私は絶対離れない!」と主張したときに、力になってくれるでしょう。

 

同行避難とか同伴避難とか、システム的なことを語るのも大事だと思います。最近は、そのようなことを語る人が増えたので私は控えますが、そのようなことと同時に、人としてどのような信念をもち、大規模災害時にどのように行動すべきか、平時から心に決めておくことも大事です。

実際に被災した人や、そのような人たちを支援してきた人たちは、被災時に絶対に必要なものは、毛布よりも食べ物よりも、将来を見据える力だといいます。信念とか希望といえばいいでしょうか。自分は絶対に生き続ける、そしてまた日常を取り戻すんだと心に誓うことだといいます。強い気持ちがあれば謙虚にもなれる。被災者としての生活も踏ん張ることが出来る。明日を見る目があれば、現実的な希望も見いだせる。
それさえあれば、行政がどうだとかは大きな問題ではないと感じることができるようになるといいます。避難所で同行避難も許されないのならと、各自考えて行動している人たちがいます。確かに楽な生活ではありませんが、将来を見据えたときに、そうする必要があると自分がはっきり言えるのであれば、決して辛いだけの時間ではなくなるでしょう。

これは、今、被災していない人たちに読んで欲しい内容です。
世の中のシステムのことを考えたり、それを変えることを訴えることも重要です。それと同時に、自分がどう生きたいのか。共に暮らす動物たちをどこまで自分が守ってあげることができるのか。その覚悟があるのか。そのようなことを自問自答したり、自分の力を再確認したりする必要もあるのではないでしょうか。

自分と共に暮らしている者との絆の価値がどれだけのものなのか、常に再確認することが、最も大切なことなのではないでしょうか。万が一、共に暮らせない日が来るとしても、はっきりと繋がりを感じることが出来る関係になりたいものです。お互いの幸せを心から願うことが出来る関係になりたいものです。

そのような自覚を持てたとき、遠い地で起こっている大規模災害に対して、自分が何をするべきか、何をしない方がいいのか、見えてくるはずでです。

 

遠い九州の地に暮らす人間を含む全ての命にとって、あの日以前の日常に近い日々がやってくることを心から祈っています。

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2016年2月22日 (月)

テレビだ!

今日は猫の日らしい。

ネットでも彼方此方で猫が登場している。先日届いた JAF Mate が思わぬところから未開封のまま発見され、ぱらぱら見ていたら、救援隊員さんの実録ページも猫バンバン関連ネタ。世の中、猫ブームですね。

そんな世の中でも、野良猫とか地域猫と言うと眉を顰め、聞こえない振りをする人は多い。猫に迷惑を被ると、「何処かへやれ!」「処分しろ!」と叫ぶ人がいます。それらは違法行為である刑事罰まであることを知るはずもなく。叫んでしまったら簡単には引けません。そして、泥沼化していゆく。そんなパターンは幾つも耳にします。
 

外を自由に歩き回る猫対策としては、地域猫活動というものがありますが、それを理解してもらえる機会がなかなかない。マスコミでは(事件などは扱うことはありますが)、「こういうものなのです」と啓発的内容を扱うことはタブー視しているようだ。皆さんの記憶の中に、そのような番組や記事がどれだけあるだろうか。

なので、昨日まで、「この映画いいよ。外猫のことに興味も理解もない人に見てもらおうよ。そして、あなたとその人で話をすれば、お互いにとっていいじゃないのかな」というようなことを延々と書いてきた。他に媒体がないから。

と思っていたら、昨日、ネットのですがテレビで地域猫活動を解説した番組があった。出演した人のブログがこちら。ネットのテレビでアーカイブが用意されている。いつまであるか分かりませんが、とにかく今なら観ることが出来ます。しかも、そのコーナーだけ観ることも出来ます。
 

ブログを見ると、ほとんどぶっつけ本番だったとか。それであれだけ喋れるのはすごい。この人、昨日まで延々と書いて紹介した映画にも出ています。出ることに慣れているのかな。

で、この人が、このような活動を始めたきっかけですが(映画を見ていただければ分かりますが)、「何気なく」というか「出来るかな~」的な感じで始めているようです。活動している練馬区には地域猫の制度があって、それに基づき活動していると聞いたことあります。
行政がバックアップしてくれるくらい、地域のためになる活動だということですね。

テレビの話に戻りますが、テレビ局が25分という枠をくださったのが嬉しいし、すごいことだと思います。
先にも書いたように、ぶっつけ本番らしく、当初考えていた内容が早く終わってしまったのか、途中からキャスターのお二人から質問が続きます。そのときの空気が全く(ブログにも書いてありますが)予定調和でないところが、とても良かったというか、理解し易かったです

とりあえず観ていただければと思いますが、次の二つの視点で観ていただければとおもいます。

1.トラブル対策・対応としての地域猫活動
2.地域猫活動と殺処分数の関係

全体を上手く配分していると思います。25分間、飽きません。
「エコ・トイレ」も微妙な感じで、私は好き。

今後、ネットのテレビを観ないような人たちの目にもとまるように、地上波でやってほしい。CM除いて25分は難しいかもしれないけれど、MCの人が上手く話をまとめることが出来れば、バラエティーでも扱えるのでは、と思っています。

フジテレビに期待!

 

テレビのアーカイブを観るには、こちらのブログを読んで、所定のところをクリックしてください。もしかしたら期間限定かもしれませんので、お早めに。

今日は、猫の日だしcat

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2015年12月18日 (金)

(ラジオの宣伝) 「犬を放したらイケマセン」

ラジオの宣伝です。放送は、今度の日曜日、2015年12月20日、明後日ですcoldsweats01

 

世田谷区内でも、今年の5月だったと思いますが、犬の放し飼いを続けている人が、重過失傷害の疑いで逮捕されました。
http://newsmemorandum.seesaa.net/article/419278044.html

また、公園や河川敷などで、イヤなおもいをしている人の話はよく聞くし、私自身、犬がいたとき、そのような場所でイヤな経験をしたことがあります。

犬を放すことで迷惑を被っている人って多いだろうなと思っていましたが、この企画を進めるにあたり、犬猫好きとかではない人に、「こんなコーナーを作ろうと思うんだけど、迷惑を被っている話を見聞きすことありませんか?」と聞こうと思ったら、「こんなコーナーを・・・」くらいで、「私が迷惑しています!」「怖い思いをしています!」と何人もの人から返ってきました。

「みなさんのために!」と自信を持って進めようと思ったのですが、放している人にどれだけ語りかけてもやめないことは経験上知っているので、優しく問いかけても意味ないだろうし、公共電波で「やめねぇか、コノヤロウ!」とも言えないし、言ったところでこれも意味ないだろうし、構成に悩みました。

結果として一番やりたくない、「法律でダメと言っているから」しかないかな、と。

大半を法律、基準、条令の説明に費やしてしまい、なんとも重いものになりましたsad

 

概要はこんな感じです。

・世田谷区では、このような問題について、保健所の生活保健課生活保健(最近「係」がなくなった)というところで相談にのってくれます。ややこしくなる前に相談するのがいいとおもいます。

・法律や条令などでは、動物に関わるトラブルのことをこんな感じて書いています。長年の問題であるから、こんなことも書かれているのでしょう。

・トラブルが起こるから、とか、法律がどうしたではなくて、犬が嫌いない人もいる、ということを考えて、飼い主さんは日々の散歩の仕方など考えてほしい。

 

出来たものについて、犬猫好きでない人に感想を聞いたら、「そうそう、そういう飼い主さんって聞く耳持たないですよね。そういう相手には、結局法律しかないんじゃないですか。たしかにちょっと難しいこともあるし、色々なことを言っていますが、いいと思います。」とお褒めの言葉をいただきました。

この内容をラジオで聞き流しながら理解するのは難しいと思います。時間の制限もキツイです。元々ラジオという媒体で扱うのは難しい問題だと、続けていて感じています。

 

そろそろラジオを卒業して、別の媒体を考えた方がいいのかもしれませんが、私の基本的な考えは、マスコミが身近な動物(ペットだけではなくてね)のこのような問題を取り上げるようになってくれればと願い、「素人がやっているのだから」とプロの人がもっとしっかりしたものを作るのが当たり前の世の中になって欲しいと願っています。
例えば、NHKの教育番組で動愛法を子供向けに解説した番組が出来てもいいのでは?、と。

ただし、地方(都道府県)により、動物とのかかわり方が著しく異なることもあるので(そのことは動愛法にも書かれていますが)、あまり深く説明することは出来ませんが、概要とその背景だけでも、子供向けに作ることは出来ると思います。

 

そんなことも考えているので、感想などを局(エフエム世田谷)や番組サイトに送っていただいたり、ネット上に何らかのご意見(Twitter とかでもいい嬉しいです)を書いていただければ嬉しいです。

http://fmsetagaya.com/index.html (おたよりページが見つからん!)
https://www.facebook.com/fmsetagaya/ (FBでメッセージかな)
http://src.main.jp/time-table/dest.htm (倶楽部へ、はこちら)

犬や猫をはじめとする身近な動物の問題が、よくマスコミで議論されるような問題になることを願っています。

 

■放送日 12月20日(日)

■番組  世田谷ラジオ倶楽部 22:00~ (一時間番組)
番組内でははじめの方のコーナーなので、番組冒頭より聞いていただけると嬉しいです。(グッド・ライフ・フォー・ユー、今回は、頭から6~7分からはじまります)

■聴き方
世田谷区内と周辺ならばラジオで、83.4MHz。
インターネットなら、以下になります。
http://radio1.bitmedia.ne.jp/fm834/viewer.html

■コーナーの説明ページ
http://www.inutalk.info/radio/src/gl/151220.htm

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2015年11月28日 (土)

ブリーダーは、ビジネスとして成り立つか?

前二回の書き込みで、ブリーダーとは、とあれこれ書いた。その中で、「日本では、ブリーダーはビジネスとして成り立つはずがない」と書いた。
ふと思った。日本にもブリーダーとして名を馳せ、それを生業としている人もいる。

しかし、よくよく考えてみると、彼らはショー関係のビジネスをしている。純粋に犬を譲ることだけをやっているのではない。
自分が繁殖した犬を客観的に評価してもらうために、ブリーダーとショーは切っても切れない関係である。しかし、それだけであるなら、ショーに深く関わる必要もないだろう。

ショー関係のビジネスとは、販売した犬をチャンピオンにしてあげるために、犬を預かり、ショーに出す。預かり料をいただきショーマナーを教えて、体もしっかりさせる。毛の手入れなどもする。ショーに出ればハンドラー料(ショーのリングで犬を引く人をハンドラーという)もいただくことになることもある。これらは結構な金額になる。つまり、繁殖業(子犬の販売)のみ事業が成り立つのではなく、ショービジネスと抱き合わせで成り立ついう感じだろう。
ショー以外でも、訓練競技会でタイトルを取れるような犬を繁殖し、同様に預かり、競技会に出すという形もある。

このようなブリーダーは、繁殖が如何なるものか熟知している。そしてタイトルを取れる犬を生み出す。それらの犬は、ショードッグとして、競技をする犬として優秀である。タイトルがとれるだけの犬を作ることを常に目指している。そうでなければお客さんは離れてゆく。
このようにショードッグや競技会を目指す犬のブリーダーは、確かに事業として成り立っていますが、私たち普通の飼い主とは別の世界の話です。

このような犬たちと、良き家庭犬は少々違います。タイトルを取るには、リングの上で華々しい活躍をすればいいのです。とても極端な表現になりますが、リングの上だけでもいいことになります。
家庭犬の場合、24時間(留守番のときも眠っているときも)いい子でいて欲しいものです。リングの上だけ、とは大違いです。
私が今まで見てきた犬の中でも、そのようなブリーダーから来た犬で家庭犬としていい子も少なくありませんでしたが、とても普通の飼い主では扱えなと思う犬もいました。
人間で例えるなら俳優さんに、舞台上での見た目や性格を、伴侶して日常生活に求める人はいないだろう。

また、このようなブリーダーは、多くの犬を販売していることがほとんどなので、繁殖した(=販売した)犬、全ての一生について、責任を持つことは難しいと思います。
私が考えているブリーダーは、販売(<この言葉は使いたくないですが)した犬の飼い主がもしものことがあったら、犬を引き取ったり、新たな飼い主を探すことに尽力するものですが、多くの犬を販売したら、それは無理だと思います。
また、それが出来ないということは、各血統の犬が高齢になったときの状態を把握できていない可能性があるます。つまり(子犬というよりも)血統を扱うブリーダーとして、如何なものかと、私個人は思ってしまいます。

今書いたのは、完全に「私の個人的な基準」です。世の中一般としては、そのような人たちもブリーダーとして認められていますので、私は間違っていました! m(_~_)m

ブリーダーは、ビジネスとして成り立つ!、と言っても間違いではない。
しかし、そのようなブリーダーは、一般飼い主にはほとんど関係ないと言ってもいいだろう。そのようなところから、子犬を購入しようと思う人は、それなりに勉強し、納得して購入していることがほとんどなので、普通の飼い主が、ふらっとペットショップに行って買うのとは違う。一般の飼い主に関係あるといえば、ある。しかし、その割合はとても少ない。

ちなみに、真剣にペット向けの繁殖をしているブリーダーの犬と、ショードッグを専門としているところのペット向けの犬を比べても、どちらの方がが明らかに優れているとは、私は判断できません。ただ多くの場合、同じ金額を出すのなら、真剣にペット向けの繁殖をしているところの方が、いい家庭犬を迎えられる可能性が高いし、アフターフォローは段違いです。(タイトルを取るのは難しいですけどね。)
もしあなたが、犬質の意味が分からなくても、遺伝性疾患なんて言葉をしらなくても、困ったときにどれだけ相談にのってくれるか、協力してくれるかを上手く聞き出せれば、ブリーダーとしての価値をある程度判断できます。多くの飼い主さんに協力することで、「犬そのもの」「犬種・血統」「犬を含んだ家族」「犬が起こすトラブルとその対処法」などを深く学んでいくのです。そのようなブリーダーと付き合うことで、あなたも自然に犬の知識がついてゆきます。

一人でも多くの人に、そのようなブリーダーと出会えることを心かから願っています。

 

ブリーダー崩壊という言葉から、ブリーダーとは?、という話になってしまいました。
言葉のことよりも、犬を繁殖している業者は色々あるので、自分の目的にあった業者を探して欲しいと願うばかりです。そのような人が増えれば、破綻し周囲に迷惑をかけるような繁殖業者は減ってゆくことでしょう。

 

元に戻って、ブリーダー崩壊について。
ブリーダーと言ってもいい人は、まず崩壊しません。もし崩壊しても、そこの犬たちを喜んで引き取る人たちがいっぱいいることでしょう。

ブリーダーという仕事はビジネスとして成り立つか。
ショービジネスや競技会ビジネスと抱き合わせることでそれは可能だし、もしかしたら、他のビジネス、または犬への付加価値をつけることで可能だと思います(思いつく付加価値がありますが、詳しく調べていないので書きません)。
しかし、普通の飼い主が犬を迎えることを考えたら、そのようなブリーダーを選択する可能性は特殊といってもいいくらいの割合だと思います。多くの人は、そのようなブリーダーの存在を知らなかったり、その付加価値に興味をもたないことでしょう。
なので、私たち普通の飼い主が犬を求めようと考える対象としてのブリーダーは、ビジネスとして成り立たないと言ってもいいのではないかと思っています。
ビジネスとして成り立たないくらい犬たちに時間もお金もかけている。だから崩壊しても欲しがる人がいっぱいいる。

 

ここまで読んでくださった人の中には、「よく分からん!」と思った方もいたと思いますが、これから犬を迎える先に悩んでいなければ、分かる必要はないですが、ブリーダーと呼ばれる人たちのには、色々な種類があるくらいは覚えておいていただけたら嬉しいです。

もし犬を迎える先を悩んでいる人がいらしたら、ペット向けのブリーダーというのがいて、その中に、後々まで相談にのってくれる人がいることを覚えておいてほしいです。

そして、ブリーダー崩壊という言葉を今後見たら、「繁殖業者の経営破綻」などに言い換えられる日がくることを願っていただければ、とおもいます。

 

さてさて、好き勝手に自分のおもうがままを書かせてもらいました。
ご意見や「私、もっと知っているよー!」という方、お気軽にメールください。ただし、内緒の話はご遠慮ください。皆さんにお伝えできる話でお願いします。

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