2019年3月 2日 (土)

松任谷家が犬を迎えたときの話

ラジオを聴いていたら、松任谷正隆さんの声が聞こえてきた。「ブログを書こうをおもったんだ」と思い出し、そのためにとっておいた、JAFMateをひっぱり出してきた。
(急いで書いたので、ヘンな個所があるかも。後から所々書き直すかも。)

JAFとは長い付き合いですが、2年前くらいからJAFMateで連載されている2つのコーナーが好きで、よく読むようになった。

一つは「幸せって何だろう」。毎回違う著名人が幸せについて語る。幅広い人が書くので興味深い。単純に年齢だけを考えても、若い人は「今」の中から探し、高齢になってくると昔の幸せ体験の話になることが多い。

そしてもう一つ私が好きな「車のある風景」が松任谷正隆さんの連載。
車の話なのですが、ちゃんと「落ち」を用意してくれている。最も記憶に残っているのは、結婚前の奥様と隠れるように車の中デートを重ねていた。ある時、納豆スパゲティーを持っててきてくれたのですが、それを車の中にぶちまけてしまい、とんでもないことになったという話。

 

最近掲載されたものは「犬に振り回される」。興味深く読ませていただいた。
とても簡単に紹介するので誤解を与えてしまうかもしれません。細かいことはスルーしてくだい。概要は以下の様な感じ。

 

結婚してすぐの話だそうです。
一頭の犬を迎えた。一頭では寂しいとおもいもう一頭迎えた。
後から迎えた犬が、迎えてから一週間目の朝、植木鉢の上で冷たくなっていた。

もちろんその犬を迎えたショップに電話を架けた。その対応に不満はあったが、ペットロスは収まらず、また犬を探してくれないかとお願いする。
探してもらっている間に犬種団体の存在を知る。そことやり取りをした結果、犬の流通のブラックな部分に遭遇する。そして自力で犬を探すことを決意する。

業者の人の手を借りず、今のようにネットで情報を得ることも出来ない時代に。まずは紙媒体で情報を集める。犬種団体を知ったのも厚い図鑑の終わりの方に載っていたとか。

そして、あるブリーダーと知り合う。週一でそこに通って色々と教わったそうだ。
犬を譲る条件は「チャンピオンにしてやってくれ」。つまり、ドッグショーに出してやってくれ。

 

(ここから松任谷家の記事から離れます。後で戻ります。)

ドッグショーを知らない人は、「お金をかけて着飾るように仕上げた犬が勝つんでしょ!」と言うことがあります。犬が全く同じであれば、そうだろう。しかし犬は生まれた時から違う。人間が一人一人違うように。
それを良く知っているのがブリーダー。細かい違いが分からなければ健康な犬を産み出すことは出来ない。なので、犬の世話についてもきめ細かい。若かりし日の松任谷ご夫妻はそのようなことを学んだようです。

たしかにドッグショーは、ある程度の誤魔化しやハッタリのようなことも行われる。実際に足を運ぶことで、どのようなことが行われるのが見て知ることができる。
これが分かるためには、犬の体のことを勉強しなくてはならない。大した勉強でもないですが、数多くの犬を同じ動きで見ないとならないので、本やネットでは難しい。

ドッグショーに行き、犬の体について色々と気付き、ショー会場や関連の場所で多くの飼い主さんと知り合い、様々な犬との生活の在り方を知ると、犬がどれだけ人に寄り添ってくれているのか分かるようになる。

松任谷家がこの犬を迎えて気が付いたことは、しっかりとした性格であるということ。チャンピオンになれる犬というものは、そうでなければならない。
多くの人に囲まれたリングで動じず、ハンドラーの指示に従い、ジャッジに触られたりする。その間だけでもお行儀よくしなければならない。チャンピンになるには、何回も勝たなければならないので、まぐれでは駄目なのだ。お行儀よいことが身についていなければならない。

このようなことに気が付いてくると、ブリーダーという仕事は大変そうだなとおもうようになる。普通の感覚の(お金を儲けるための)仕事では無理なことに気が付く。
体のことだけでも数多の要素がある。それらについて完全にクリアすることは不可能だろう。さらに人間と暮らすための相性のようなものも含めると(完全は無理なので)、もう「好み」になってくる。

最近、繁殖業者のことが議論になることがあるが、このようなことが議論されることがほとんどない。飼育環境さえよければOKのような風潮がある。私はそれに恐ろしささえ感じている。
犬のことを語る人の中に、体のことだけでも数多くのチェックポイントがあることを知らない人がいる。それが露呈していることにさえ気づかない人も。

 

(松任谷家の記事に戻ります)

少々引用
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犬を連れてあちこちのデパートの屋上に行き、ドッグショーに出した。最後のポイントを獲得したのは京都のデパートであった。これで普通に暮らせるね、なんてかみさんと話ながら犬を後席に乗せ、帰途についた。
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ドッグショーの多くは週末や休日に行われる。松任谷ご夫妻の仕事のことを考えると、ブリーダーとの約束とはいえ無理をしたのだとおもいます。それだけの価値があると感じられたから続いたのだとおもいます。

続きの文章を印象します。以下の文で、このコラムは終わります。
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黒い犬は後席背もたれの後ろの指定席へ。東名高速を走りながらバックミラーを見ていたら、夕日の中にシルエットになった新チャンピオンは、むっくり起き上がり背中を丸めた。「やめろ!」と叫んだが、もちろんやめてはくれなかった。
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コラムの構成としての「落ち」ですが、一緒に暮らしていて楽しい犬とは、こういうこともあるとおもいます。人前ではお行儀よく、家で家族の中ではしっかり自分を主張する。
「やめろ!」と叫びましたが、「自分たちも大変だったけど、お前も大変だったよな。お疲れ様」という気持ちもあったとおもいます。

幾つものショーに出たという大変な体験を通して、お互い理解を深め合ったこともあるでしょう。その区切りにこのようなことをしてくれる。

私は、こういう犬が「いい犬」であり、「いい犬との関係」だとおもっています。

 

(松任谷家の記事とは関係ない、私の考えていること)

犬の細かいことを知り、自分の生活スタイルも分かった上で、犬の好みの話をしたい。「私の感覚はこうで生活スタイルはこうだから、あの犬種のこういうタイプが好き」というような話だ。

マスコミで犬のことをあれこれ語っている人が書いていることを読んでいても、犬の細かいことも人間側の生活スタイルの話も読み取れることがほとんどない。
こんな情報ばかりでは、犬との生活を楽しむ人が増えることは難しいのかもしれない。そもそも、そのようなことは紙媒体でもネットでも伝えるのは難しいのだろう。

松任谷ご夫妻はペットロスを経て、業界のブラックな部分を知った後に、ブリーダーと知り合い、色々なことを教えてもらい、そしてショーに通った。
そこで、幾つもの出会いがあったこととおもいます。実際の犬も見て、人と話をする。ビデオなどではなく実際の犬と、その犬と生活している人と話をする。

これが犬の勉強の基本なのではないかとおもっています。
色々な飼い主さんと話をすると、色々なことを試す人たちに出会います。トレーニング、日々の食事や散歩の仕方、獣医療などなど、色々なやり方があり、そこに辿り着くまでの紆余曲折を聴くことができることもあります。

そういうことをやってきた人間からすると、世間で注目されている先生の中には「この人、日常では犬とどれだけ向き合っているのだろうか。たぶんこの人が考えている理想の犬との生活なんて、自分には物足りな過ぎるだろうな」と思わずにはいられない人が少なくない。

 

犬は人間に寄り添ってくれます。人間の生活を豊かにしてくれます。
それに気づき、より生活を豊かにすること(それは犬にとっても喜びだろう)を目指す人が、一人でも増えることを心から願っています。

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2018年12月11日 (火)

キジトラ君と出会って

先の書込みで、キジトラ猫の死体を発見してしまったことを書いた。
法律に従って、お役所に連絡をしようと電話を架けたが日曜で繋がらず。それで終わりにしてしまった。しかし気になり(コメントに書いておきましたが)深夜に現場を見に行ったら、彼の姿はなかった。

女房は「我が家にある程度の広さの庭があったら埋めてあげるのに」と言った。私も似たようなことが頭によぎった。

ところで、役所に電話が繋がっていたらどうなっていたのだろうか。たぶん担当の人が引き取りに出向き、決まりに従いそれなりのことをしてあげるのだろう。

話は変わるが、生きている猫の場合。
お役所は、現在、外を自由に出歩いてるということだけでは、生きている成猫は引き取らない。その根拠は幾つかあるらしいが、その一つに「もしかしたら飼い猫かも知れない」というものがある。飼い猫が散歩しているだけの可能性があるからだ。

深夜、現場に行き、その姿がなかったときに「キジトラ君は飼い猫で、飼い主が気が付き、連れて帰ってあげたのかな」ともおもった。
そんな想像をしたときに、我が家に連れて帰り庭に埋めたり、役所がそれなりのことをしてしまうと、飼い主さんは途方にくれるのではないか。

飼い主さんとしては「いなくなった」と認識しているだろうから、数日後にお役所に届け出るかもしれません。そのときにはもう終わっていることになっていることでしょう。そのような場合、骨は何処にあるのでしょうか。

そんなことも考えてしまいました。

 

今の世の中では、やはり「猫は外で自由に出歩かせていけない」となるのかもしれません。
長年の感覚で、散歩中に猫を見たいものだとおもっていますが、猫にとっても飼い主にとってもリスクが大きすぎるのかも。

人間の子供でさえ(夜でなくても)一人で歩かせるのは危ないと言われる世の中です。ペットも家族と言うのであれば、完全室内飼いで、お出かけは必ず人間と一緒となるのでしょうね。

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2018年12月 9日 (日)

まいすの命日に

12月9日、今日はまいすの命日。

まいすはよくお出かけに連れて出かけた。お泊り旅行にも連れて行った。
猫を積極的に受け入れている宿でも、「こんなに物怖じしない猫は珍しい」と言われるくらい何処に行っても隠れることなくお出かけを楽しんでいた。
それが出来たのも、性格そのものが第一だとおもいますが、目がほとんど見えないので何処かに向けて走って行くことがなかったことと、自分の名前が分かっていて呼ぶと戻って来る猫だったからだとおもっています。

それに比べておばまは、お出かけらしいことはしない。家から出るのは病院くらい。
おばまの目も怪しいことがある。だからだろうか、何事に対しても慎重で、自分の決めた場所・時間以外は動かない。いつもの部屋の中でさえ、決めた場所以外は行かない。

 

今日の昼食は、人間二人だけで外食した。
帰り際、区役所の中庭で福祉関係のイベントがやっていたので寄ってみた。今、調べてみたら、障害者週間記念事業「第38回区民ふれあいフェスタ」、というものらしい。

ちょうど、補助犬のデモンストレーションがあったので、途中からだったので椅子に座って観覧した。椅子席が空いていたことを不思議におもったのですが、見始めて納得。見習い犬がステージ上に上がっていて、完璧に仕事をこなすことが出来ないし、粗相をしてしまう子もいた。これでは飽きてしまうかも、とおもった。

ステージ上の人が最後に、「補助犬には、盲導犬、介助犬、聴導犬という三つが法律で定められています」というようなことを語った後に、総合司会なのか若い女性がステージに上がってきて、お疲れ様のあとに「介助犬には、、、」と補助犬とするべきところを間違えていた。
正しく情報を伝えるのが仕事な人でさえ、この程度の認識なんだなと、おもったりもした。福祉関係の中でもあまり興味をもたれない分野なんだろうな、と。

 

その後、図書館行ったり、買い物したりした後、自宅に向かい喋りながら歩いていた。
女房が「あれ、生きているのかな」というので指差す方を見たら、現在空き地になっている土地の入口に猫の死体が。一瞬寝ているのかと思ったが、既に硬直している感じがあった。
また毛並みも綺麗な姿だったが、口から少し舌が出て、口の周りが固まっているような感じだった。
交通事故に遭った後、誰かがここに移動したのだろうか。外傷は確認できなかったが、頭だけ強く打ったのだろうか。首や背中はしっかりしているように見えた。
まさかとおもうが毒餌なんて言葉が頭に浮かんだりした。
私は、キジトラだったと記憶していたのですが、女房は斑点っぽい模様があったと云っていた。

場所的にも通行の邪魔にならない場所だったし、猫を飼っている身としては、寄生虫の心配もあり安易に触りたくなかった。
しかし、日本国民の務めとして最低限のことはしようとおもった。

 

動愛法36条をご存知だろうか。
疾病・負傷の犬猫等や犬猫等の死体を発見したら、都道府県知事等に通報するように努めましょう。
だいたい、こんな内容だ。

よく云われるのが、お役所の業務時間外だったらどうすんの?
今日は日曜日、まさにそんな感じ。
念のため、東京都のセンターと世田谷区保健所に電話を架けてみた。どちらも業務時間外を伝えるテープが流れるだけだった。

とりあえず、私は法律に従った。

横たわっているのは、世田谷保健所からすぐの場所なので、たぶん明日の月曜日には対応してくれることでしょう。

 

現在、動物愛護に関わる活動は大小多々行われています。
それらの活動は必要なことだし、素晴らしいとおもう。これからもさらに広がっていってほしいと願っています。

それに対して、市井の一個人の目で日常を見たとき、「蔑ろにされている」または、各自が「している」場面を目にしてしまうことがある。

動愛法1条は以下のようなことが書かれている。

第一条 この法律は、動物の虐待及び遺棄の防止、動物の適正な取扱いその他動物の健康及び安全の保持等の動物の愛護に関する事項を定めて国民の間に動物を愛護する気風を招来し、生命尊重、友愛及び平和の情操の涵(かん)養に資するとともに、動物の管理に関する事項を定めて動物による人の生命、身体及び財産に対する侵害並びに生活環境の保全上の支障を防止し、もつて人と動物の共生する社会の実現を図ることを目的とする。

青字の部分は「動物愛護の精神を広めましょう、根付かせましょう」との意味だと思うのですが、「日曜だからお休み、後回し」の現状は如何なものかとおもってしまう。

 

おばまのこれからは、部屋と病院だけで終わるだろう。外に出て交通事故など酷い目に遭うこともないだろう。
20181209_20130414しかしどうしてもまいすと比べてしまう。
それでいいのか。

こんな世の中だから、それでいいのだろう。

写真は在りし日のまいす。道徳時の参道入口辺り。
この桜の木ももう切られてしまっているかも。

時間が経つのは早いですね。

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2018年11月22日 (木)

補助犬はハイテク補助具に代わるのか(1.昔考えたこと)

一ヶ月くらい前にも「補助犬の入店拒否」という補助犬ネタを書きましたが今回も。

この20年くらいでロボットの技術は大きく進みました。そうなると、補助犬ではなくハイテク補助具にすべきではないか、となる。確かにそれも一理あるだろう。

命あるものに人間の障がい者の助けをさせることは負担が大きすぎるのではないか、という疑問は、私もかつて持ったことがあり、多方面の方々の話を聞いて回った。
当時(1995頃)は補助犬法もなく、法で認められた補助犬(補助犬という言葉もなかったとおもいますが)は盲導犬だけだったので、盲導犬ユーザーさんや協会のセミナーや関わっている人からお話を聴かせていただきました。

 


私なりの当時(1995頃)の結論。

当時の技術では盲導犬に代わるものを作るだけのハイテク技術はなかった。(機械ではなく)介助者が常に付いていることは現実的な議論ではないし。

盲導犬を利用すれば白杖よりも効率的に動けるということも分かった。
しかし、利用するだけでなく世話もしなくてはならない。世話という負担をしてまでも利用するだけの価値があることも、なんとなく分かった。

しかし大型犬であることはネガティブな面もありました。
現在のように犬や猫を飼っている人が多い時代ではありませんでした。更に「大型犬といえば外で番犬」と認識している人も多かったので、近寄られることを好まない人も少なからずいました。
盲導犬を公の場に連れて歩くことは当時も権利として守られていましたが、現実の街中では入店拒否や乗車拒否されることが当たり前の時代でした。

世話もしなければならない。白杖であれば利用できる施設・サービスが利用できない現実。
それでも盲導犬を伴侶として暮らす価値があるのだと教えていただきました。

どれだけ話を聞かせていただいても、視覚障がい者の日常のご苦労や健常者の社会の中で暮らすことがどれだけ大変であるを的確に理解できた自信はもてませんでしたが、とても大変なのだろうと、漠然と想像することはできました。そのような大変な暮らしの中、世話をすることがどのようなことなのか、理解しきることは出来ませんでした。

大変な暮らしを過ごしているからこそ、(生きている)犬との(世話を含む)生活や(公の場に出て他者と関わる)行動が彼らにとってプラスになるようであることは、ある程度理解できました。

色々な話を聴き、自分なりに考えてゆけはゆくほど、犬が持つ特殊な存在感を感じたものでした。出来なかったことが出来るだけでない、プラスアルファがあることを感じました。

そのようなことを考えるとき、あの当時知った「コンパニオン・アニマル(伴侶動物)」という言葉が何度も頭に浮かんだものでした。

つづく

本文とはあまり関係ありませんが、子供向けの「盲導犬の歴史

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2018年11月12日 (月)

東京タワー水族館(後書き)

本編からのつづき)

動物園や水族館に対する考え方・ご意見は種々あるとおもいますが、私は「生き物そのものを見ることに意味がある」と感じています。次にその生き物との付き合い方を考える。実物を見たからこそ、想像できることがあると考えています。
その動物に興味が湧くので、長時間見る。長時間見るから、食べ物のこと、排泄のこと、その他健康管理に思いをめぐらせるようになるのではないかと(色々な人と話した結果)感じています。
(長時間見ずに「か・わ・い・い~、ちょうーほしぃ!」という人がいるのも確かですが。)

先日、閉館後の後日談をブログにアップしたことを伝える Twitter がアップされていました。ブログも読んでいただきたいのですが、Twitter のコメントも読んでいただきたいです。

 


動物園や水族館などの存在自体を疑問視する声があります。経営が苦しく管理が行き届かないところがあることは確かです。それは一つの問題として解決してゆかなければならないことです。

それとは別のこととして、モニタに映る姿ではなく、生の動物を見て、日々世話をしている人が書いたパネルを見たり、ショーなどで話を聞いたりすることには意味があることではないでしょうか。

もし人間(一般人)が、野生動物と一切関係を持たずに研究者だけが関わりを持つ世界になれば、それは一つの理想の形なのかもしれません。
現状からそのような形に向かったとしたらどうなるでしょうか。違法に入手する人が後を断たないのではないでしょうか。


先日都市部に迷い込んだアライグマの捕獲後の処遇について、日本における野生動物や外来種に関する法律を無視した意見を声高に訴えている人たちの書込みをネット見ました。
モニタの向こうの存在でしかないと(見た目の可愛さから?)飼育したらどうなるのか、放したらどうなるのかを知らず(考えもしないで?)あのように発言できるのだろう。
20年近く前に「ぜったいに飼ってはいけないアライグマ」という書籍が少し有名になった。これも読みましたが、この本を読むよりも前に、この本と同様の体験をした人から話を聞いたことがある。本よりも生身の人間の話の方が身に迫るものを感じた。その人も「絶対に飼ってはいけない」と言っていたし、話を聞いてそれを感じた記憶がある。


ネットには情報があふれている。しかし偏りがあるのではと感じることがある。
犬でも猫でもいいし、珍しい動物でもいい。何か動物を家族に迎えたとする。そこで楽しいこと、絵になることはアップされるし多くの人が目にする。逆に、手に負えなくなり反省するような事態になったことはほとんど出てこない。出てきても書き方によっては攻撃的なコメントを大量に頂戴することになり、消されてしまうこともあるだろう。

つまり、苦労したことこと、間違えに気が付いたことについての情報はとても貴重なのだ。


動物園、水族館他、生体を扱う業者が、その経験から適切なアドバイスがいただければ有り難いことだ。(生体販売業者と聞いただけで悪者扱いする人がいますが、問題になるのは金銭的な損得だけで話をする業者であり、日々多くの生体を生体として扱っている人の経験・知識は貴重なものだ。)

生の動物を間近で見ることが出来て、飼育している人からその動物の魅力と日常のご苦労を伝えていただける施設は残り続けてほしいものです。

東京の中心地に同じような水族館がオープンすることは、時代の流れから考えても、もうないことでしょう。

色々な意味で、東京タワー水族館の閉館はとても残念でなりませんでした。

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東京タワー水族館(本編)

前書きからのつづき)
2018年9月末をもって閉館すると知り、9月10日の午前中に行った東京タワー水族館で見たこと考えたことなど。
 

東京タワーは駅から少し歩く。間近で見ると「こんなに小さかったっけ?」と思ってしまった。それだけ大きな(高い)建物が増えたのでしょう。


お土産やさんのような店内奥に入口があり、入ってすぐに小さく仕切られた水槽を組み合わせるように展示されていましたが、後から入場してくる人もいたので、ゆっくり見ることが出来ず、ここのことはほとんど記憶にない。

視界が広がって周りを見渡した後に下方に目をやると、ザリガニ釣りの会場(?)が!、縁日じゃないよね?、と思ってしまいました。
少々驚きながらも館内を見始めると値段が書かれたものがあり、「水族館といいながら実は販売業者なの?」と疑ってしまった。実際に売っていたのだろうか。
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値段が書かれたものは、これ以外にはなかったようだ。何かの間違え?


入ってすぐのエリアには、海水魚も展示されていた。
ハリセンボンが入っていたお洒落な水槽は同じ形のものが3つ並んでいましたが、このようなお洒落なものはここだけでした。
別の水槽にオニダルマオコゼの展示もあり、説明パネルも分かり易い。歴史のある水族館や動物園のほとんどは、分かり易く興味を惹くパネルがあり、経験や知識の厚さを感じる。このような水族館が閉館してしまうのは残念です。
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海水のエリアにはチンアナゴもいて、餌やりショーもあった。それほど大きくない水槽の前に30人ほどのお客さんが集まり、スタッフの人とお客さんとのコミュニケーションの中、ほのぼのとショーは行われました。
チンアナゴの水槽には、よくヤドカリが入っているのを見ますが、ここにも居ました。ここでは餌としてアカムシをあげているようですが、海水の中では短時間で動かなくなってしまい、チンアナゴは食べようとしなくなります。それをヤドカリが食べているようです。
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その後、タツノオトシゴのショーもあり、雌雄の区別の仕方など教えていただきました。
「この子の性格は、、、」などの話もあり、水槽の中の生き物を身近に感じることが出来てよかったです。


次のエリアからは定型の水槽が多くなります。入っている魚の半分以上は大きい。「この水槽でいいのか?」とおもってしまうのですが、表情を見る限り不満は感じられないし、よく見ても健康そうに見える。人間(見ている人)に対しても好意的に見える。
まるで家庭で可愛がって飼われている金魚のようだった。
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餌やりショーとは別に、各水槽の食事も見ることが出来ました。
スタッフの方が一つ一つの水槽に、脚立と食べ物、そしてカメラを持ってまわる。ブログなどに載せる写真を撮ることと、たぶん個体管理のためだろう。

魚や亀たちは、隣の水槽がもらっている時からそわそわ。隣の水槽側に寄って行っていました。またまた「家庭で飼われている金魚と同じ」と思ってしまった。


展示されている亀が人間(お客さん)によく見えるような場所に来て、そして(食事の時間が近かったからか)よく動いていたのが印象的でした。
苔が生えてしまったワニガメさんですが、この数日後に綺麗にしてもらっている様子がTwitter にアップされていました。自然界で生きていたら生えて当たり前なのかな。
説明のパネルもいい。(ワニガメのパネルは地味だったので、曲頸類・潜頸類の説明があるこちらをアップします。)
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水族館で、亀と同様に地味に感じるハイギョ。たしかに動かないのですが、よく見えるように展示されているし、各個体も落ち着いている(健康そうに見える)感じが良かった。パネルも良かったです。


パネルというか説明といえば「(前書き)」にも書きましたが、とても長い年月存在しつづける湖に生息する魚たちの説明や展示も興味をもった。
万年単位の寿命をもつ湖の環境を再現するのは難しいとおもうので、現地で撮ったビデオなどを流してくれるのはいいとおもう。しかし(ネット上の情報を簡単に閲覧できる現在は)そのようなものに慣れすぎて「こういうの見たことある」となりますが、生きている実物を目の前にすると気持ちが変わる。

環境の多様性を実感したり、それを保存する意義を考える切欠になればと願う。


写真が少なすぎて館内の様子が分かり難いかもしれませんが、大きめの四角い水槽に大きな魚が入っている展示が多い。隣りあわせで次から次へと展示されている。その数が凄い。多種多様な魚を目の前で見ることができた。
とても簡単にまとめてしまいましたが、そんな感じの館内でした。

見ていて「人間が繁殖したものもいるだろうけど、これだけの野生種の飼育は苦労も多いだろうな」と思った。苦労のことよりも「ここにいるほとんど(大型鑑賞淡水魚)は基本的に野生種なんだろうな」と思い込んでいた。

そんな誤解を払拭してくれる展示もあった。
この水槽をみたとき、まず「自然界でこんなに目立つ色していいのかな?、人間の目には目立つけど、その地の野生動物の目で見たら保護色になるのかな」などと考えたら、こんな説明書きが。
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なんと改良品種。

犬でも昔の本を読むと「一人の飼い主としか信頼関係を結ばない」とか「家庭犬には不向き」と書かれていても、今では完全に家庭犬と受け入れられている犬種もある。これはブリーディング(品種改良)によるもの。
また、時代のニーズに合わせて、今まで存在しなかった毛色のものを作り出したり、新しい犬種を作り出すことがある。

魚の世界も同じことが行われていた。たぶん珍しくないことなのだろう。
よく考えてみれば、金魚だってそうだし(金魚の展示もありました)、錦鯉の世界もそうなのだろう。

脇道に入りすぎてしまいましたが、大型淡水魚の全てが野生種でもないし、生物学上野生種であっても、人間に飼育されることに向いている系統を作りだしているようです。(そのついでに、人間好みの色や形にもしているのは、犬などと同じなのかも。)


2018111213出口近くの展示は、身近な鯉や金魚系、亀など。
金魚については大型のものマニアックなものは別のアリアで紹介していました。
出口近くの展示は、簡易な池のようなものがあり、これもまた「昔よくあった金魚やさん?」「旅館の入口?」という感じ。池のような展示の周りには座る場所もあり、和むことも出来るようになっていた。
最後を身近な展示にするところにもこちらのコンセプトを感じた。
これらの展示のすぐ近くに「ヒレナガゴイ(ヒレナガ錦鯉)」の展示もあり、やはり熱帯魚屋さん?」と感じてしまった。
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ちなみに出口を出た所にはお土産やさんや生体の販売などはなかった。東京タワーのエレベーター乗り場近くに出る。

 
商売第一として生体を販売している業者が多い世の中で、こちらのような施設が販売し、購入者にアドバイスをしてくれるといいのでは、とおもったりもした。
しかしやってみれば、批判の声に晒されることだろう。




他にも紹介したいことがあるのですが、既に閉館していますし、時代の流れとして展示方法に疑問を抱く方もいらっしゃることでしょうから、この程度にしておきます。

そのようなことを含め、(後書き)へつづく。

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東京タワー水族館(前書き)

東京タワー水族館は、2018年9月末日で閉館しています。

8月末か9月の頭に閉館情報を知り、9月上旬に行ってみた。
閉館までに多くの人に見てもらいたいと思ったので、すぐにブログをアップしようと考えたのですが、私の文章力では誤解なく伝えられそうになかったので、閉館後にアップすることとしました。

余談を少々。

子供の頃から、世の中で動物愛護と呼ばれるようなことに興味をもっていた私ですが、子供の頃から釈然としないものを感じていました。
動物のためをおもうならペットとして飼うのは間違えなのでは?、とか、一握りのプロは別として一般人が野生動物(海の中を含む)と何らかの関わりを持つのはいいのだろうか。
そんなことを考えながらも、自分も動物に触りたいと思ったり、野生動物の情報を少しでも多く欲しがったりもした。自分の目で野生動物を間近で見たいともおもった。

人間の文化が発達し、また人間の数が増えて、人間と野生動物が近くなった(昔に比べると生息地まで苦労なく行ける)ことで、動物たちの生態が分かってきました。
その結果、人間に飼育されている動物たちも、より自然に近い環境を与えてあげようという考えが主流になりつつある。しかし、それは最近のこと。

今までは、飼う側の人間の能力の範囲で、その動物には充分だろうと思い込んだ環境で飼育するしかなかった。そのやり方には歴史があり、知識が積み上がっていっていた。それが最近は前時代的と言われるようになり始めています。

余談はここまで。

 


この東京タワー水族館は40年続いたそうです。東京タワーという場所柄、展示方法を大幅に変えることは難しかったのか、前時代的な展示を貫いていました。

今年は、サンシャイン水族館新江ノ島水族館などに行きましたが、やはり自然の状態に近い展示を心がけていました(一部、大いに疑問を抱く展示もありましたが)。

それに対して、こちらは昔からの「定型の水槽での展示」でした。入ってすぐの所に「ザリガニ釣り」もあり、昔見た熱帯魚のペットショップ?、縁日?、と複雑な感情が湧くこともありました。

何種類かの定型の水槽には大小の魚が入っています。大き目の水槽に巨大な魚が入っていて、「こいつには狭いだろう」とおもったのですが、その魚は健康そうに見えました。この展示(飼育)方法でも、魚たちにとって悪い環境とは言えないみたいだ、とモヤモヤしたものを感じながらの観察(鑑賞?)となりました。

そのモヤモヤを分かってもらいたくて、一人でも多くの方に見てもらいたかったのですが、たぶん私がこの水族館に対し批判的な気持ちを抱いたのだろうと読めてしまっては、行こうとおもった人も行かなくなってしまうので、アップを閉館後にしたのです。

もし東京タワー水族館に行き、私のようなモヤモヤを抱いて、色々と考えた方がいらしたら、どのように考えたのかお聞かせいただければ嬉しいです。

 


私は以下のようなことを考えました。

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魚などの大きさに対して水槽が小さいし、水槽内の環境は人工的であり、生態を考慮していないのではないかと感じた反面、魚たちの(心身両面の)状態は決して悪く見えない。これは一つの完結した世界として良いのではないか。苦労して自然環境に近付けた結果、個体間の優劣がはっきりしてしまい、一部の個体の状態が悪くなるよりもよいのでは?

 
どんな展示方法であっても、珍しい魚を見て説明文を読めば、その魚の姿からその地を想像し、おもいをめぐらせます。

ある展示の説明書きによれば、湖の多くは(地球の年齢からすれば、また動物の進化のスピードからすれば)短命なものらしい。しかし稀に長命な湖があり、そこに生息する魚などは独特の進化を遂げているとか。そんな魚を見ていると、その湖のことをもっと知りたくなったりする。
その珍しい湖の環境を再現するのは困難で、よくある水槽での展示となっていましたが、そこに実物の魚がいることに大きな意味があると感じた。

こんなこともあった。
今更知ったこととして、人間が作り出した観賞魚も結構多いらしい。歴史の長いものは飼育方法も確立されている。人間の飼育下で作り出されたのだから、自然な環境下での生態は存在しない。
分かり易いものとして金魚ですが、野生種に見えたものもあり、「これも人間が作り出したものなの?」と驚いた魚もいて、「水槽だから可哀想」はあまりに短絡的なんだなとおもったり。
人間との関係で言えば「犬」のような存在なのかも。そのような魚がどれくらい、いるのか。同じ種類の魚でも、自然のものもいれば、人間に代々繁殖されたものもいるのではないか、と考えたりもした。

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東京タワー水族館を見て、感じたことがある方のお話しを是非お聞きしたいです。ここのコメントでも個人的にでも伝えていただければ幸いです。

閉館時には「魚たちの今後はまだ決まっていません」との旨が書かれていましたが、11月5日に決まった旨の発表(Twitter)がありました。

 

長くなりましたが、「おもったこと」はここまでで、続けて撮ってきた写真に説明を付けてアップしてゆきたいとおもいます。

(「本編」につづく)

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2018年10月21日 (日)

補助犬の入店拒否

一ヶ月くらい前に、「犬と暮らす生活」「犬と過ごす時間」という記事の中で、犬などを連れて入店拒否されることが、この日本で当たり前のことになってと書いた。このときは「飼い主目線」からの考えを書きましたが、お店側目線だとちょっと違うのかな、とおもうことがありましたので書いておきます。
飼い主からすれば「ちゃんと考慮している」とおもっていても、それが通じない・理解されないこともあります。一見の店であれば、そうなることもあるでしょう。そのようなことを考えさせられた内容のものを読んだので紹介します。

あの記事をアップして一週間くらいしたときだったとおもう。ネット上で、とあるお店の店主が「盲導犬連れの人が利用したいとやってきたけど、そのときのお店の状況から判断して断った」という話を読んだ。

まとめとか云うタイプのものらしい
http://totalmatomedia.blog.fc2.com/blog-entry-5436.html

元はこちらで更に色々と書き込まれていて「こんな考え方・感じ方の人もいるんだ」とおもいました。読みにくいですが「世の中、こんな感じなんだ」を理解するのにはとても参考になるとおもいます。
http://viper.2ch.sc/test/read.cgi/news4vip/1446818274/

よく見ていただければ分かりますが、2015年のものです。少し前のものですが、補助犬法が出来る以前に比べたら全体の意識は上がってきているとおもいます。
また、興味のある方は「元」の方の最後の二つの発言を読んでいただきたい。まとめには載っていません。私はこれが本当なのか分かりませんが、法運用上そうなっているのかもしれません。

それ以前に、そのような事実があったのかも確かではありません。このような場所では話を作って(反応をみるために)アップすることもあるそうです。
それはそれとして、「世の中、そうだよなぁ~」とおもったので、こちらに備忘録的に書き残そうとおもいました。

 

「元」を読まないと全体が分からないのですが、読みにくいとおもうので、もう少し詳しく書いておきます。

盲導犬を連れた人ともう一人付き添いのような人が一緒に店に入ってきた。その人たちは一見さんで、店主は初めて見るお客さん。
店主は補助犬法のことは知っているようですが、お店の状況やいきなり犬を入れてきたことから、断ったそうです。
「付き添いの方が犬と一緒に外で待ち、ユーザーの方だけが食事をしてはどうか」とも提案したとか。
付き添いの人は簡単には納得せず言い争いの様になり「協会の者を来させる」との旨を残して去って行った。

 

興味のある方は「元」の方を読んでいただきたいのですが、読んでゆくうちに(法律上はあってはならないことですが)「店主の気持ちも分かるような」と私はおもってきたし、お客さん側(やり取りは付き添いのような人だけのようなのでその人?)が何故その店に固執するのかが疑問でした。
私も初めての店に入り、理由は分からないけど「帰ってほしい」と感じる対応をされたことがあり、素直に店を出たことがあります。初めての店で混雑しているときだったとおもいます。

小さな個人的な店では、突然現れた盲導犬ユーザーに十分な対応をとるのは難しいのではないかとおもうこともあります。
逆に大企業が運営している飲食店では充分な従業員教育や設備なども行っているのではないでしょうか。
そのようなことも含めて、この店に固執した理由が分かりません。
 

店主の方と付き添いの方の考えに隔たりが出来てしまった理由はなんだろう、と考えてみました。

まず、大衆的な飲食店では簡単に(普通に考えたらトラブルが起きそうもないことが原因でも)トラブルが起きることもあり、起きてしまうとお店には大きな損害がでるし、他のお客さんたちにも迷惑がかかってしまうことを店主側は身にしみていますが、お客さん側(この件では「付き添いの人」)はそれほどでもないとおもっているのではないか。起こってしまったときの被害の大きさを理解できないのではないか。

これは、犬連れOKの飲食店や宿泊施設を運営している人たちとお話していると、そのような話はよく出てくる。なので、犬連れ専用にして運営することを選ぶ店主が多くなる。

補助犬ではなく、犬連れ一般の話になりますが、日本人の多くは(犬連れ専用ではない)飲食店に犬が入ってくることに慣れていないので、入ってきたら気分を害して当然と思い込んでいる人(このお店の店主も「客の立場だったら」と書いていますね)もいるし、ついちょっかいを出してしまう人もいる。犬連れの方も「可愛い」と言ってもらえれば嬉しい人がいて、「話しかけてオーラ」を出しまくりの人もいたりします。

盲導犬に限ったことを加えれば、衛生上問題にならようにしていることも知らない人もいるようです。さらに加えれば、一般の飼い主であっても、犬連れ専用でない店を日常的に利用する人は、日常的に衛生面には配慮しています。しかし、それを理解していない周囲のお客さんは確実にいます。「犬といえば外で飼うもの」という感覚を持っている人ならそのように考えて当然だとおもいます。

 

このような現状において、補助犬関係者側は何かやっているかと問われれば、昔から啓発活動を行っています。特に法律が出来る1~2年前にキャンペーン的な活動が活発だったことを憶えている方もいらっしゃるとおもいます。(その更に前から「活動をしていますよ」的なアピールもありましたし、日盲の都築もできた頃だったし。)

法律について調べてみたら、平成14年(2002年)の5月に成立し同年10月からの施行です。法律の多くは成立から施行まで一年くらいはあるものですが、この法律は半年もありません。
ただし「同伴を拒んではならない」と定めている第九条は、附則により次の年(平成15年)の十月一日からの施行となっています(訓練に関することは平成15年四月一日から)。

一部遅れて(猶予期間をもって)の施行があるにせよ、法律として成立から施行までが短いことからも、当時勢いがあったことを汲み取ることができるとおもいます。
あの当時に比べればマスコミの記事になることは減りましたが、地道に啓発活動は続けているようです。
私が初めて知った頃(1995年頃)、「大人に対して行うことは機会を設けるだけでも大変なので、子供に対して積極的に行うようにしています」と学校や各種イベントなどで行っていました(今もそうだとおもいます)。

1990年代は盲導犬の育成が盛んになった時代でもあったと記憶しています。団体の数も増えたような記憶があるし、訓練方法についても注目されるようになった記憶もあります。

犬一般に対しての認識は、その頃(東京でも)「大型犬は外飼いだよね」と言っても驚かれない時代でした(今のような厳しい夏になったのは、1994年くらいから)。犬に対しての認識もこの25年くらいで大きく変わりました。
1990年代は犬連れに対する目も変わってきた時期ですが、犬連れをしていた私としての実感は、やはり子供たちの変化が大きかったです。
「触ってもいいですか?」と聞いてくるのは子供で、その親が飼い主無視で犬を触りまくったりもされました。これも盲導犬(まだ日本では聴導犬も介助犬も法的には認められていませんでした)関係の団体が啓発活動してくれたお陰なのではと想像しています。

私が盲導犬関係の団体の活動を知るようになってから25年弱。確かに若年層の人たちの意識は善い方向に向いてきていると感じます。どちらかと言えば中高年の方に「犬と云えば外飼い」的な感覚が残っているのではないかと感じる場面があります。

このような感覚の人が極めて珍しいと言えるくらいにならない限り、お店の人のご苦労はなくならず、今回のようなことが起こっても、「日本では仕方ないこと」と言われ続けることでしょう。
そのことを、いつも忘れないようにしたいとおもいます。

 

最後に簡単に(とっても乱暴に)まとめさせていだきます。
今回のことについて、その原因を考えるならば、以下の二点だと私は考えています。

・ 飲食店や宿泊業も含む、水商売と呼ばれる方々のご苦労を理解していない人が多い。
・ まだまだ「犬は外飼い」的な感覚の人もいる。

さらに(とても私的な考えを)付け加えさせていただけは、

・ 犬連れ専用ではない飲食店等では、犬はその存在が分からないくらいにし、お店を利用させていただくことだけを目的とするべきですが、連れている人が、または周囲の人(店内の他のお客さん)が店内で犬の相手をしてしまうようなケースもある。

以上のように感じています。

 

このような状況に対して(普通の飼い主が)「犬と暮らし、更に皆さんに受け入れられるようにお出かけするにはどうすればいいのか、どうしているのか」を知る機会になればと考え、「犬とゆく」を続けています。

 

最後に参考まで。

法律とは「身体障害者補助犬法」といいます。その第9条はこのようになっています。
第九条
前二条に定めるもののほか、不特定かつ多数の者が利用する施設を管理する者は、当該施設を身体障害者が利用する場合において身体障害者補助犬を同伴することを拒んではならない。ただし、身体障害者補助犬の同伴により当該施設に著しい損害が発生し、又は当該施設を利用する者が著しい損害を受けるおそれがある場合その他のやむを得ない理由がある場合は、この限りでない。

参考事例。ちなみに上記法律に罰則はありませんが行政指導があります。
もう一つ参考ページ

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2018年9月26日 (水)

「犬と暮らす生活」「犬と過ごす時間」

先の「Yahoo!カテゴリ サービス終了のお知らせ」の記事を書いていて、多くの方が「犬とゆく」を利用してくださっていた頃のことをおもいだした。そして、以下のようなことを再確認したり、考えたりした。
 

犬とゆく」は、商業的な情報提供を出来るだけしないことを心がけています。
なので、犬連れを歓迎していない公園なども紹介することもあります。飲食店や宿泊施設でも、歓迎まではしませんが断りもしませんという店も載っています。

「犬とゆく」をはじめる随分と前(1995年くらい)に知り合いから「あの店はOKだよ」と教えていただき行ってみた。どこにもペットOKとは書いていない。マスコミなどでもアピールしていない。お洒落なカフェバー。
何度も通っていると、他にも犬を連れたお客さんの姿を見るようになりますが、飼い主同士で犬談義に花が咲くようなことは、まずありませんでした。犬がいること気が付かず、その飼い主さんが会計しているときに気付いたこともありました。つまり、犬連れではない他のお客さんと何ら変わらない「他のお客さん」なのです。

店主の方に、「何故、犬連れをOKにしたのですか?」と伺ったら、「何故断らなければいけないのですか?」と質問されてしまった。答えに窮した。頭に浮かんだのは「普通、そうでしょ?」と理屈にならない理由だけ。

そのオーナーさんは、海外の飲食店をよく研究しています。年に一回くらい長期の休みをとりヨーロッパ旅行に出掛けては、味わい深い家具や置物などを買ってきていました。その経験から、そのような感覚なのだとおもいます。

人間のお客さんでも著しく迷惑なお客さんはいます。そのような人は出て行ってもらったり入店拒否するのは、お店として当然のことであり、犬であってもそれは同じだとおもいます。つまり、迷惑でないお客さん(犬も含む)をはじめから拒否する理由はない、ということです。

そのように考えてみれば当たり前のことかもしれませんが、「連れてきていいって聞いたから連れてきたんです。犬だから吠えもするし粗相もするのは当たり前じゃないですか!」と言い出す飼い主がいるだろうと考えて、多くの店は(日本の常識として?)、飲食店や宿泊施設は犬を連れをNGにしているのだろうな、と改めて考え、そして、やはり「犬とゆく」は続けなければならない、と思ったものでした。

「断る理由がない」と考えているお店は、それをウリにしていませんので(商業的な)犬連れ情報にはほとんど載りません。「犬とゆく」にはそのようなお店も載っています。
利用した飼い主さんが、「いいお店だな」と感じたから投稿してくださいます。

そのようなお店を利用することは、現在の日本のしつけの常識(一般的レベル?)からすると高いと感じる人もいるかもしれません。しかし、私を含め投稿してくださっている飼い主さんたちは、難しいしつけの勉強をしたり、ストイックにトレーニングを続けている人はいないとおもいます。

私はある程度勉強しましたが、それらの勉強のほとんどは、このようなお店や宿泊施設を利用することに直接役に立った実感はありません。

「犬とゆく」を続けてゆく意味は、多くの人たちにそれに気が付いてほしいからでもあります。「犬と暮らす生活」「犬と過ごす時間」について、考えてほしいからでもあります。

そんな「犬とゆく」ですが、今後ともよろしくお願いします。

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2018年9月15日 (土)

新江ノ島水族館(その4)

その3から)

なかなか書きにくいテーマだなと、書くのに手間取っていたら、こんなニュースが流れてきた。

https://www3.nhk.or.jp/news/easy/k10011624491000/k10011624491000.html
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180911-00000070-asahi-spo

こういう大会のセレモニーのイベントとして承認もなく行うことは、非常識だと私も感じます。現在、万人が楽しめるものではなく、一部の人には著しく不快に感じるのですから。
今は慎重にショーも続ける必要があり、議論も必要な時期だとおもいます。

その議論の中で、色々な立場の人の考えを並べて聞いてみたいです。
特に、日々イルカたちの相手をしている人たちの考えや感じていること、何を理想と考えているのかなどを聴いてみたい。

 

自分がある動物に対して湧いてくる感情が、他人も同様な感情が湧くとは限らず、逆の感情をもつ人もいることを認識しなければならない時代になりました。

各地域に昔からある文化・習慣等からの動物の扱いも見直さなければなりません。
グローバリズムなる言葉が知られるようになって久しくなりました。さらに、インターネットが世界的に普及し、文字だけでなく静止画・動画も個人レベルで共有されています。
たぶん一生行くこともないだろう土地で起こっていることの情報が動画で見る事ができ、複数の人からの情報を得ることが出来る(意見も聴くことが出来る)時代です。

「日本古来の文化だから鯨を食べてきた。だからこれからも食べる」は、通用しない時代です。「世界全体で考えよう、情報共有、感情共有しよう!」という時代になってきました。

 

イルカのショーも同様の問題なのでしょう。

イルカのショーが世界的に問題視されていることは、ネットのニュースなどでも伝わってきていました。イルカを(人間の)治療などに参加させることについても、今までは配慮が不充分であったという認識が一般的になりつつあるらしいことも資料を読んだことがあります。しかし、私には高度で理解しきれませんでした。

前の方(その2)で「日常のご飯をあげるときに、じゃれあうようにトレーニングすることはそんなにいけないことなのだろうか」と書きました。
私がトレーニングを体験した相手は、馬と犬。その経験から言わせていただければ、食べ物をあげるとき(イルカからすればもらうとき)が、トレーニングの切欠になっても大きな問題はないような気がします。
しかし馬と犬は、人との関係において特殊であるといわれているので(動物のカテゴリーとして)野生動物とされるイルカにあてはめるのは間違えなのだろう。
つまり、私のような感覚で今までは水族館などのイルカショーが行われてきたが、それが間違えだ、と考えられるようになってきた様です。
(野生動物をペットにしようと考えてはいけないのも、同様の考え方だとおもいます。)

 

日本でもイルカのショーの中止を求める意見がネットで見かけるようになりました。ただし、そこに書かれている根拠を私は理解できません。大きな愛護団体や何処かの論文などに書いてあるとかいうものがほとんどで詳しくは書かれていません。
治療などに参加させることの是非についての意見も、(少しだけ読んだだけですが)「全体のこととしていいのかな?、事例が少ないのでは?」と疑問をもつような私には、こちらの論文等も「そんなに酷いのかなぁ」と感じてしまいました。

 

このような問題に関わる文書を読んでいると、こんなことが頭に浮かぶ。

日々、イルカの世話をしたり、ショーで一緒に歌ったり踊ったりしている人たちはどう思っているのだろう。
そのような仕事に就くのだから、イルカのことが大好きなのだろう。好きなことを仕事にすると葛藤があると言われますが、動物の仕事はそれが大きいことも予想できるだろうし、予想できなくても仕事に就けば分かることだ。
日々、イルカと一緒にいる人たちが、海獣の(ショーを含めた)今の飼育について、どのようにおもっているか・感じているのかを知りたい。現在議論されている内容について、勉強されている人もいるだろう。そのような海獣について知識・経験が豊富な人に話を聴きたい。

もし法律などで規制されるようになり、今とは違う感覚で飼育することになったとしたら、その飼育を行うも彼らだろう。そんな彼らがどのように感じているか是非話を聴きたいし、聴くべきなのではないだろうか。

 

その動物に近い人、現場の人、そのような人たちの話を聴きたい。

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