2017年9月17日 (日)

「多頭飼育」対策

「多頭飼育」対策で指針=飼い主ケアで連携-環境省
https://www.jiji.com/jc/article?k=2017091500167

上記の記事を読んだ。
私と動物愛護系の付き合いが長い人は、同じようなことを、ず~っと言っていたことをご存じだとおもう。私が思いついた訳ではなく、海外でそのような取り組みを行っている行政があり、これでないと確実に止めることは出来ないと思っているから。

なので、この記事に書かれていることはいいことだと思いますが、今までの法律や基準などが(私が想像していた様には)守られない現状からして、また絵に描いた餅にならないかが心配です。

まず、福祉部局との連携は必須だと考えていますが、それでも解決されない(再び同じ状況になる)ケースは無視できないだけ出てくるはずです。
そのようになったときに、多頭飼育崩壊と言える状況になった時点で所有権を放棄させるように法律が改正されればいいと思いますが、まず線引きが難しいと思うし、そもそも所有権を強制的に放棄させることは日本の法律では難しいことだとおもいます。
法律(動物愛護管理法)の中に、44条の2程度の飼育(飼養)が出来ないのであれば、飼育を諦めなさい(所有権の放棄とは言わない)とするくらいでしょうか。

実質的に出来るとすれば、法律でこんなことを書けばいいのかも。
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飼育活動が出来ない状況(長期の入院や収監等、また、在宅していても疾病などで飼育活動が出来ない場合を含む)が続いた場合(その状況が予想できる場合はその時点で)、飼い主は確実に飼育をしてくれる人(もちろん法に書かれている虐待をしない人、法に書かれていることから考えられる通常の飼育が出来る人)を指名し、その人が責任を持って飼育を行うこととする。指名できない場合は国が指名する。この期間の費用は飼い主が全額負担する。
この費用が担保できないのであれば、国が動物たちを買い上げる。その金額は動物たちの取得費用とする。
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というような感じで「あんたには無理でしょ?」と諦めさせるしかないのかな、と思っています。
「えっ?、国じゃないでしょ?、都道府県でしょ?」と言いたい人もいると思います。法で都道府県に任せる理由は、地域によって動物による付き合い方が違うからということのはずです。この件は、法律の44の2に書かれていることを基準にするので、国が判断するべきことです。都道府県で判断がまちまちであってはならないことではないでしょうか。

海外では飼育禁止命令を出すことがありますが、私の知る限り、日本でそれをやっても無視というか再び同じ状況になることでしょう(海外でもそのようだし)。
飼育禁止命令を出すという形式はいいと思うので、その後のケアと言えばいいのか監視がしっかり出来ればいいのではないかと思います。その意味ではこの記事の方向性はいいとおもいます。
先ほどの飼育を任された人だって信用できない人がいるでしょうから、やはりケアというか監視が必要になるはずです。

では、この飼育代理人(勝手に命名)や飼育状況監視人(これも勝手に命名、代理人の飼育も監視)を誰がやるかです。いい加減な人にやってほしくありませんが、日本の社会の慣習からして、これらの人がビジネスになるならば認められる可能性は大きいと考えます。
生体販売が厳しくなってきたペットショップの店主や店員の転職先、シェルターや一時預かりさんの活動資金の獲得先として、考えることができれば現実的になってくるのではないでしょうか。
つまり、動物取扱業者であり、特別な資格(←代理人や監視人という資格か免許を作る)を持った人。優良な飼育知識をもっているというお墨付きにもなる。個人的には、今までシェルターワークで頑張ってきた人(里親の見定め、アフターフォローもしてきた人)たちになってほしい。

言いたいことはいっぱいありますが、時間がないのでここまでにします。

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2017年9月 4日 (月)

狂犬病のロバのニュースにおもうこと

自分の周りで取り上げている人がいなかったので、頭に浮かんだことを書いておく。

日本で報じたのは、ここだけかな。
http://news.nicovideo.jp/watch/nw2927596

検証したのが、こちら。このような作業は簡単ではないので有難い。日本の動物愛護報道もこれくらい念入りに調べてほしいものです。
http://www.netlorechase.net/entry/2017/08/25/080000

全くのガセではありませんが、狂犬病に罹ったというのは確証がないようですね。そもそも狂犬病に罹った確証がもてるのは、亡くならないと、ね。
 

狂犬病のことをあれこれ言う人がまだまだいますが、まず狂犬病の確定診断の方法をご存知だろうか。人間の場合、それらしい動物に噛まれて、その後、噛んだ犬にそれらしい症状が出たことで、その犬は「狂犬病だろう」になりますが、科学的な「断定」とは言えません。

噛んだ動物にはお亡くなりなっていただき、髄液からのウィルス分離するなどしないと「確定」は出来ません。確定出来るのは、噛んだ犬。人間が感染した可能性はありますが、これも確定ではありません。

生きている時の症状だけで確定出来るのでは?、と考える方は、狂犬病臨床研究会が行っているセミナーなどで、狂犬病の犬や猫の行動を見てみてください。他の病気の症状を幾つも知っている人なら尚更かも。

なぜ臨床研究会の資料が貴重かといえば、WHOは狂犬病の「疑い」のある動物にはお亡くなりなってもらってください、としているので、明らかな狂犬病の犬や猫の映像が少ないのだそうです。

ロバの記事を読んだ時、ロバが狂犬病ウィルスに暴露されてから発病し死に至るまでの行動様式(犬ならば身近なものに齧りつくなどの特異的な行動とその期間)はどうなのだろうか、というものが気になった。

昔、狂犬病の草食動物の映像を見た記憶があるのですが、映像ではあまり動いていなかったような記憶がある。ただし、そのときの説明では何かしらの特異な行動を起こすような説明があったような記憶がある。とにかく、全く忘れたに等しい状況です。

感染が成立するくらいの状態で、ロバがどれだけ(感染して「いない」とおもうくらいの)正常な動きをする期間がどれだけあるのだろうか。もしそのような期間があった場合、ツバを飛ばすことで有名なロバですから、そこからは感染しないのだろうか、などと考えてしまった。

ここまで読んで分かると思いますが、哺乳類が狂犬病に罹ることは分かっていますが、罹った動物がどのような行動をとるのか知らない人がほとんどで(WHOが「疑いがあったらお亡くなりになっていただいたね」と指導しているから資料がない)、もしかしたら、健康な動物と区別つかない動物が実は罹っていたということも有り得るということです。

現在、日本国内で感染がないからと安心していますが、住宅街に生息するハクビシン(家の中に入ってきますから)などで感染が始まった場合、初期の感染拡大を止めるのは困難になるのではないかと思われます。(台湾では野生のイタチアナグマに狂犬病の流行があり、人間の家の中に入り込み噛みついてから騒ぎになった。)

もちろん、仮の話ですが、「人間が知らなかっただけで既にハクビシン間では狂犬病に流行がありました」となったら「犬にも感染しているかもしれない」となるでしょう。その時、どのようなことが起こるのか、恐ろしくて考えたくもありません。

 

狂犬病は、国長らく内での感染が「確認」されていないので、「もう対策の必要もないだろう」と考える方もいらっしゃるようです。しかし、確認されていないだけで、どこかで感染がおきているかもしれません。台湾でも、「よくよく調べたら(山の中の野生のイタチアナグマ同士で)何年も前から流行していた」となりました。
この病気の面倒なところは、感染したかどうかがはっきりさせられないということ。もし日本も(世界のほとんどの地域同様)狂犬病が存在する国になったとしたら、咬傷事故の意味合いや、シェルターでの殺処分基準も変わってくることでしょう。今、犬を飼っている人の中でも飼い主が処分を検討する人が出てくるかもしれないと、私は考えています。

現在、日本に於ける狂犬病対策の混乱について、私なりに調べ続けてきました。やっとその答えが見えてきましたが、それについては、改めて書くことにします。

 

こんなに長い書き込みなので、ここまで読まない人も多いと思うので、狂犬病以外のことを書いちゃいます。元ニュースや検証記事で出てくる「獣姦」の問題です。

日本にもそのような文化があったことをご存知の方は多いと思います。日本ではヤギですね(有名な映画にも出てきましたね)。
そのような文化・風習の話や昔話のようなことではなく、身近なペット(犬や猫)が相手であるということをご存知でしょうか。猫は普通に考えたら無理だと思うのですが、私は30年以上前に、欧米ではそのような問題があると耳にした記憶があります。

そして2~3年くらい前のことになります。何処かの団体が譲渡した犬にそのようなことをしている輩がいるらしいとなり、該当犬を確保し、獣医に診てもらったそうです。獣医に「これはやられている」と確認していただき、警察に突き出すなり、何らかのことをしようとしたそうです。
確保までして診ていただいたのですが、日本の獣医さんは、そのようなことをされた犬の体がどうなるのかという教育は受けていません。情報もほとんどないでしょう。なので獣医さんの答えは「この状態ならば確実にやられているとは判断しかねる」となってしまいます。
つまり、(今の日本の現状では)犬を確保しただけでは訴えることはできないのです。(本人がビデオでも撮っているなど明確な証拠がない限り。)

そんな問題もこのニュースを見て考えてしまいました。

 

いつも思うのですが、こういうことを何故私のような普通の飼い主が書かねばならないのだろう。きっと誤解や勘違い、知識不足もいっぱいあると思いますが、恥を承知で書かねばと思わずにはいられないことが多々あります。
早く、全体についてコメントしてくれる先生が出てきて、しっかりした情報・知識を広めていただけることを心から願っています。

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2017年8月 8日 (火)

夜廻り猫 【第二九一話】

この漫画を見て、「私もそうおもう」と感じた方、少なからずいるではないだろうか。

http://www.moae.jp/comic/yomawarineco/291

団体側の対応ももっともだとおもう。そうならざるを得ない状況も理解している。

それは譲渡会だけではない。
2000年施行以降、約五年ごとに改正される「動物の愛護及び管理に関する法律」とその周辺の基準や規則を読んでいると、同様のことを感じる。

もう一年近く前だろうか。「お金のない人は犬を飼ってはいけない」というような発言が注目された。これももっともだとおもう。しかし、何かがしっくりこないものがある。

この日本において、この若者のように考えるのは普通のことでした。それに対し、生涯飼育の全うすることを考えれば三コマ目の考えは当然であり、それをしっかり考えていない人の中から問題を起こす人も出てきてしまったことも事実。
そんな時代の流れを知らずに譲渡会へ行った人が、「時代は変わったんです。もうこれが常識なんです。だからあなたには渡せません」は酷だと思う。

東日本大震災が起こる前は、引き取りたいという人は(今に比べれば)少なかった。引き取りたいと考える人間が増えた理由については、流行と言ってもいいような側面もありますが、基本的なことが知られるようになった。その知られるようになった原動力の一つが「流行」であったことも否めない。

知られるようになったこととして、住宅街に於いては完全室内飼育が原則であることと、避妊去勢した猫であれば、猫にとってもストレスが少なく室内飼い出来ることがある。インターネットを利用する人が増え、そのような情報に触れる人が増えたことも大きいだろう。書籍や雑誌なども出版されている。

このように「里親になりたい!」と考える人が増えたことはなんとなく理解できる。

 

この漫画の中の三コマ目で、猫の里親にと申し出た若者に以下の説明をもって「無理です」と告げる。

------------------
あなたの
収入が途絶えたら?
病気になったら?バックアップ体制は
無しですか?
------------------

このような活動をしている団体の中にも、資金繰りが上手くいかず、動物たちの管理がお手上げになった団体もある。
代表の人が倒れたらやっていけないのでは?、と思う団体もある。
「私達頑張ります!」と孤軍奮闘しているような団体も昔は多かった。

そのようなことから、このような団体は法律で監視される対象となった。しかし、その監視もまだまだ行き届いていないと感じる。現実問題として、「さてどうやって監視しましょう」となると確かに大変なことである。常に見張っている訳にもいかないし。

団体の監視の方法が確立されれば、里親希望者の判定方法にも活かせるかもしれませんね。

 

発展途上の現状が、よく分かる漫画だとおもいました。

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2017年7月23日 (日)

いい記事だとおもったら

最近、マスメディアの記事が酷いと感じることがある。ペット関連のものだけではない。Twitter の書込みを持ってきて、それを記事にしたり、構成の要にするのには「手抜きじゃないの?」と感じてしまう。その発言について、裏付けを示せばいいのですが「こんな書き込みがあったから、私の考えは正しい」と言わんばかりの使い方には、呆れるばかり。

個人のブログなどで表現の自由の範囲で書込むことと(このブログのようにね)、プロが責任をもって(お金もらって)書いている記事との境目が分かり難くなっている。また、キュレーション(まとめ文書)とプロの方の記事の境目も分かり難い。

読み手として、プロ記者の記事は信頼して読みたいです。その信頼を裏切らないようにしていただきたいものです。
 

ペット関連にしても、「上っ面だけの情報を集めて、思い込みで構成している」と感じるものが多々ある。その原因は(取材する相手の)プロとか先生と呼ばれる人たちが現場から離れていってしまっているからだろう。表現を変えれば、多様性を認める現在、身近な動物との関わりというパーソナルな部分の多くを、プロであっても網羅することは困難になってきている。
また技術の進歩の速さもある。新しい技術を知らない先生、知っていても活用の仕方を理解していない先生をよく見受ける。

そんな中、以下の記事は、「いい記事だな」と頷けながら読めた。

マンションでペットをめぐるトラブルが絶えない理由
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20170721-00135885-diamond-bus_all&p=1

「へぇ~、どんな記者の人が書いているんだろう。こういう人の記事を読みたい」と思ったら、不動産管理などをやっている会社の社長さんだった。現場のことをよくご存じな訳ですね。

マンションに限らず共同住宅は、入ってしまってから、「えぇ~~~、こんなことがあるの?」「こんな人が入居しているの?」、という話は多々聞く。逆に「規約には厳しいこと書いてあるけど、実はこんな感じで過ごし易いよ」ということも。

この記事の締めくくりが「ペット問題は 元を正せば人間関係の問題」となっていますが、共同住宅内は、プライバシーが守られていると言っても、やはり地域共同体とならざるを得ませんから、人間関係、つまりコミュニケーションは必須といえるでしょう。

ペットを飼って人間関係から距離を置きたいと考える方が少なくないようですが、私はペットを通じて人間関係を広めていってほしいと願っているし、そうしないと、この記事のような問題が起こり続けるのではないでしょうか。

 

余談(この記事とは関係ないこと)。

私は、ペットという言葉があまり好きではありません。出来ればコンパニオンアニマル(なので、ペットを通じて人間関係を、と考えます)と言いたい。
しかし、現実としてペットとして付き合っている人は多い。

同様のことで、この記事中に「ブリーダー」という単語が出てきますが。日に当たることが出来る運動場を持たない人をそう呼ぶのは如何なものかと思っていますが、現在、日本における認識としては、この記事を書いている社長さんの感覚が圧倒的多数だと思うので、記事としてはいいと思います。
しかし、プロとか先生と呼ばれる人たちには、ブリーダーはただ衛生管理や健康管理をしっかりして繁殖するだけではないことぐらい知っていてほしい。

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2017年7月 2日 (日)

都議選の日となりましたが

昔は選挙の度に似たようなことを書いていたような気がする。ここのところ書いていないけど、たまには書いちゃいます。

ニュースでは政治に関わることを連日流しています。まるで国民全体が政治に興味があるかのように。それはネットも同じ。

与党のやっていることはおかしい!、政策がおかしい!、、、、などなど。

マスコミやネットでは、そのようなことが流れる。まるで多くの人が興味をもっているように。若い頃は、大きく盛り上がる度に期待したものです。

しかし、日常生活ではどうだろう。学校で、会社で、友達同士で、家族で、話をすることはどれくらいあるだろうか。

今回も都政には色々問題がありますが、投票率はどれくらいになるのだろうか。40%台にはのってほしい。良くても50%くらいだろうか。過半数に満たない人の投票で決まってしまうことに疑問をもっているのは私だけだろうか。
数字はともかく、投票率が上がらない限り、世の中は変わらないだろう。

SNS 上で特定の話題が盛り上がることはありますが、日本全体からみれば小さなコミュニティー。内輪の話。
同じ考えの人が集まって話合うことだけを続ける限り、大きな変化は見られないでしょう。
一人一人が個人として、「私はこう考えています」と口に出来て、それを聞いた隣の人が「あなたはそうですか、私はこう考えます」と会話が出来る世の中にならない限り、大事なことほど見えない所で決まるような世の中は続くのだろう。

 

身近な動物のことも同様のことを感じる。
多くの人が頑張って、一歩一歩前進して来た。それは私の予想を超えて凄いスピードで進んできている。
しかし、少し距離を置いて見てみると(日本全体からすれば)限られた人たちの活動であり、同じ感がを持った人たちが少し仲間を増やしだけの意識改革にも見える。
「日本全体」としての進歩を望むなら(動物に関係ない人も)一人一人が問題について認識し、ここまで進んできた法律などを知る必要があると感じている。

 

さて、今日の天気はどうだろう。そして、投票率はどれくらいだろう。
ちなみに、私は期日前投票を済ませています。期日前投票というお手軽な方法があるのだからもっと投票率が上がってもいいとおもうのですが。

残念です。

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2017年3月 9日 (木)

狂犬病についてのセミナー(2017年3月12日)

今度の日曜日(2017年3月12日)、こんなセミナーがある。(こんな直前に書いても、行けない人が多いと思うけど。)

https://www.jpc.or.jp/tokyo/archives/2286/

タイトルは、「ひとと動物の共通感染症-恐ろしい狂犬病(仮題)」。
主催は、「公益社団法人 日本愛玩動物協会 東京都支所」ですが事前申し込みは必要ですが一般の人も参加OKです

申し込みの方法は、こちらのページにあります。
協会会員でない方、管理士でない方は、会員番号、管理士 1級・2級は、不要です。
一般の方は、こんな感じになると思います。
 


件名:
ひとと動物の共通感染症-恐ろしい狂犬病(仮題)

本文:
ひとと動物の共通感染症-恐ろしい狂犬病(仮題)参加希望
お名前
連絡のつく連絡先電話番号


 
メールメールアドレスも書いた方がいいと思いますが、メールで送るのですから分かることでしょう。
これだけ書いて、上記のページに書かれているメールアドレスに送ればOKのはず。
たぶん、まだ定員になっていないと思います。

 

狂犬病について、おもうこと。

今の時期になっても(仮題)というのも如何なものかと思いますが、それくらい扱いが難し問題なんだと思います。

何故わざわざ宣伝するかといえば、狂犬病についての基礎知識がないまま、ネット上に無責任な書き込みが、年に1~2回盛り上がることがあるから。
今年に入って書いた昨年日付のブログにも書きましたが、特定の情報だけをもってきて、狂犬病全てに通用するような書き方をしている人の発言が、Twitterなどを中心に拡散される。

上記ブログにもありますが、知っているつもりだった私も、ちょっと本気で調べれば(ネットじゃなくて書籍とか携わっている先生に伺えば)、あまりに無知だったことが分かるし、世間一般で言われているような単純な病気ではありません。

今回のセミナーの講師の先生は、狂犬病臨床研究会という(教科書の中ではなく)実際の狂犬病についてリアルタイムで情報収集している団体の会長さんでもあります。
 

今回、講師の先生がどのような内容にスポットを当てるのか分かりませんが、狂犬病がない日本に(お隣の台湾のように)狂犬病が入ってきてしまったら、犬や猫、そして現在は放置に近いアライグマなどに対する接し方が変わります。その対象は、レスキューした犬や猫もです。

さらにワクチンのことをちょっと突っ込んで調べると、「これは気軽に語ってはいけない」ことに気が付きます。

幅広い意味で恐ろしい病気、狂犬病。
今度の日曜日のセミナーは、その基礎知識を得るいい機会だと思います。

ご興味ある方は、是非!!

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2016年10月31日 (月)

日本における、犬食文化について

とっても後書きの記事です。書いているのは、2017年に入ってから。今年(2016)の暮れに、「書いておきたい」思った内容の一つです。

 

狂犬病ネタをネットでチラチラ見る時期には、何故か犬食についても見るようになる。そして「昔、日本でも食べていた」と書く人がいる。その程度の書き方なので、まるで日本人が日常的に食べていたのかもと読めてしまう。どの程度の人が、どれくらいの頻度で食べていたのか、書いて欲しいものだ。

 

話は変わりますが、以前ラジオで話をしていたので、差別についての本を少々読んだ。
子供の頃から本を読まず、記憶型の勉強が全くダメな私は辞書的な本が苦手で、物語的なものならなんとか頭に入る。
差別関係の書籍でそのようなものとなると、上原善広さんという人のものがなかなか良い。実家が食肉店だったからだろうか、食べ物文化から差別を見るという手法を採ったものがある。それらが読みやすい。

その中に犬食についても少し書かれている。明治から戦時中のことを中心に、限られたページ数だが書かれている。
その内容を要約したものを書こうと試みたのですが、誤解される可能性があるのでやめます。

少しだけ引用すると、「戦後になると、(中略)、食糧事情の改善と共に食べられなくなった」とあります。

具体的なことを書かないで申し訳ないのですが、当時の世の中のことや日本人の考え方から結果的にそうなってしまった、と私は理解しました。本の中には書かれていませんが、私の頭の中に浮かんだキーワードは、開国、狂犬病、戦争。食べるものが乏しかった時代であり、殺生するのであれば出来るだけ無駄にしないという考えからであったからではないかと推測した。

また、健康改善を目的として食する文化を持つ地方のことも書かれていますが、日常的に食べていたものではないようです。
日本には食用犬牧場があったという話は聞いたことありませんから、多くの人が食べる文化はなかったはずです。
一時期、出荷業者があったことが書かれていますが、最も食されていたであろう時期であっても、(比較が不適切かもしれませんが)現在のスッポン料理よりも食べられてはいなかったと思われます。(本の中でも、それを仕入れていたのは、とても限られた地域であることが書かれています。)

 

「日本人も食べていた」と書くのであれば、いつの時代に、どれくらいの数の人たちが、どのような目的・状況で食べたのかくらいは書いてほしいものです。

端的に「食べていた」という文を読むと、「日本人は野蛮だった!」と言いたいんだろうなと読めてしましますが、私の知識だと、「日本人はいつの時代でも犬に助けてもらったんだな」と感じています。

 

参考までに、この本文中に出てくる私が読んだ本
被差別のグルメ 新潮新書 / 上原善広 〔新書〕

2017.1.22

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2016年10月30日 (日)

狂犬病について

とっても後書きの記事です。書いているのは、2017年に入ってから。今年(2016)の暮れに、「書いておきたい」思った内容の一つです。

 

タイトルですが、「狂犬病について」ではなく「狂犬病について、について」としたいのですが、くどいので、「狂犬病について」だけにしました。

2016年10月13日にタイのプミポン国王が逝去されたことが関係していたのか、10月の下旬辺りからネットで狂犬病ネタをチラチラ見ることがあった。中には、誤解を与える内容のものもある。

 

狂犬病というと、

・ 日本国内では、長年感染例は報告されていない

・ 世界的にみれば、珍しい感染症ではなく多くの地域で感染している動物の報告がある
 また、感染(または感染されていると推測されれる)動物に人間が噛まれる事故が報告されている
 そして、世界では年間5万人以上が命を落としている

・ 狂犬病の犬などに噛まれ、その後発症したら命はない
 発症前に診断できる検査はない

・ 予防のワクチンが存在する

・ 暴露後(噛まれてから打つ)ワクチンもある

くらいの知識がある人は多いと思う。

 

話は変わるが、私は以前、ラジオでたまに犬猫のことを話することがあった。2015年暮れの放送が最後になってしまったのですが、その後、2016年3月に狂犬病を取り上げる予定がありました。そのために少々勉強した。
狂犬病の研究で著名な先生に話を伺う機会を得たことと、図書館で借りた狂犬病についての書籍だけですが、それだけでも、自分はあまりに無知だったと恥ずかしくなった。

よくまとめられた書籍もあります。図書館に置いてあることも多いと思うし、高価ではないものもありますので、購入しても大きな負担にはならないと思います。

狂犬病のことをネット上で不特定多数の人に語るのであれば、まず本を読むくらいして欲しい。そうすれば、気軽に何処かに書いている一文をそのまま持ってくることが、どれだけ罪作りなことか理解できると思います。

狂犬病の症例を幾つも読んでいて思ったことがある。これらの話から幾つかをピックアップし、短編集の書籍や映画(DVD?)にすれば、多くの人が興味ともってくれるのではないか。それくらい、時に悲しく、オカルト的で、たまに感動的。

そして予防に尽力するしかないことに気が付くだろう。

 

参考までに私が読んで 「狂犬病を軽んじていた」と思った書籍を一つ紹介しておきます。基本的なことが書いてある本です。
ヒトの狂犬病 忘れられた死の病 / 高山直秀 〔本〕

2017.1.22

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2016年9月23日 (金)

心から動物愛護や動物福祉を願うのであれば

動物の愛護及び管理に関する法律が(保護から愛護を含めて)三回改正がありましたが、その実効性に苛立ちを覚えて人は多いのではないでしょうか。

日本には多くの法律があり、あまり使われないものも結構あるそうです。私も、「そんな法律あるの?」と思うようなものに出くわすことがたまにある。
また、昔に出来て今は使われないものもあるそうです。この20年くらいで、それらのチェックもだいぶ進んだようですが、改正ではなく解釈で対応しましょうというものもあるようです。

私は法律の専門家ではありませんので、そんな話は茶飲み話程度に読んでいただき、「何故、動愛法の実効性はイマイチなのか」ということ。

 
法律は国民全てが守るべきものです。一部の人の嗜好や感情のためにあるものではありません。法律となった時点で、国民の総意と(形式上)なると言えばいいでしょうか。

しかし、動愛法に関して言えば、「そんなの一部の人が言っていることでしょう?」「今の世の中の常識からして、おかしいでしょ?、昔の話?、未来の話?、とにかく今の日本でそんなことを取り締まる必要があるの?」「誰得?」、さらには、「他の国ではどうだか知らないけど、日本に於いては、それ、おかしいでしょう?」「あんたはそう思うかもしれないけど、私は産まれてから今まで、そんなことに関わったこともないし、思ったこともない。身近にもそんな人いない」、などと思っている人はいます。実際にそのような何人もの人に会い、話をしてきました。極めて少数派とは言えないと実感しています。

このように思われていることは、警察も積極的に取り締まってくれないことがあります。優先順位が低いと認識されていると言えばいいでしょうか。
ほとんどの人が、「そうだ、それは悪いことだ!」「取り締まってくれないと困る」「そんなヤツを野放しにしておいたら、自分が被害に遭ってしまうかもしれない」と実感していることを優先的に対応することは、想像できるとおもいます。

 

動物愛護の話を、広く一般に向かって話をするときに、「命は平等」「ペットも家族」という考えで理解していただこうとしている人がいますが、ペットに関わり合いのない人、更には他人のペットから被害を被っている人からすれば、「そんなの一部の人が言っていることでしょう?」「他の国ではどうだか知らないけど、、、、」「ふざけんじゃない、こっちは被害受けてんだぞ!」となってしまう。(大人だから、多くの場面では口どころか顔にも出さない人がほとんどですけどね。)

動愛法を全ての人に「必要だ」と感じてもらうには、以下の記事のようなことを話すのが一般的です。
http://healthpress.jp/2016/09/post-2581.html

私がはじめて(マスコミなどではなく)セミナーや先生と呼ばれる人から直接話を聞いたり、勉強したのは、20年以上前。つまり、神戸の事件より前。
当時、既に「欧米では常識になっていますが、日本では人権の観点から幅広い場所でお話しすることが難しい」と聴いた。

動物を虐待する人間の人権?、と思うかもしれませんが、犯罪一般にも加害者の人権は守られます。さらにもう一つ。裁判では、ときに「責任能力」という言葉が出てきます。平たい言葉でいえば、「病気がそうさせたのであって、本人の意思ではない。体が勝手に動いてしまったのだから、その人が悪いのではない」という考えです。

上記の記事では書かれていませんが、重犯罪手前の動物虐待は病気であることが多々あると言われているし、私が知る限り、そのような動物虐待を行う精神状態は病気と診断すべきだと思っています。(「重犯罪手前の動物虐待」とは、普通の人にやれと言っても到底出来ない行為であることや、その行為によって快楽等を得ることを目的として行われる行為。)

どのようなものであれ「病気」と「人権」は密接に繋がっています。不特定多数の人がいる所で、特定個人の病気の話をすることは、人権侵害に繋がる可能性があります。そうなるとややこしいので、このような活動(「動物虐待が重犯罪の予兆」とされることを知らせる)を積極的に行う人や団体がなかったのです。明らかに、欧米の先進国から遅れている部分でした。

ややこしいと思う理由は、他にもあります。
「このようなことが分かっているので、動物虐待はやめましょう!」と訴えると、「そんなことよりも、今現在、救わなければならない命があるでしょう!。そんな話をしている場合じゃないでしょ!」と大きな声で言う人が出てきます。

傍観者はどう思うでしょうか。
「見解がまとまっていない分野のことなんだな」と思う人もいるでしょう。
「内容はともかく、揉めている分野なんだな。近づかないに限る。ちゃんとした理論・学説みたいだけど、それを感情的に批判する人がいるくらいドロドロした世界で怖いな」と感じる人もいるでしょう。
つまり、「国民の(実質的な)総意」から離れていってしまうのです。

 

今現在、救わなければならない命に対する活動は重要な活動です。それはしっかりやっていただきたいものです。
そのような活動と、世間一般に「身近な動物に対する対応は(この日本でも)社会全体で考えたり見守ったりしないと、みんな(社会全体として)不利益なことが起こりますよ」と伝えることは別分野であり、牽制したり、否定したりする必要はないはずです。

このような啓発的情報の発信があり、世の中の多くの人が理解し、社会全体の総意になってゆくことが他の国や地域の歴史が語っています。これは通らなければならない道なのです。この先に、動愛法がより実効的になり、機動的なアニマルポリスの実現などがあると私は信じています。

私は、20年かかってやっと(動物専門のところではなく)一般の人が目にする記事として書かれてるようになってきたと思っているし、現場の方々はもっと長い間、悶々とした気持ちを抑えていたことと思います。これからやっと、欧米のような感覚で動物愛護を扱ってくれる社会に近づけると、密かに喜んでいる人がいることでしょう。

これから、この記事のような情報を目にすることが多くなってくると思うし、それらの記事を広めようとする発言も目にするようになってくると思いますが、(温かい目で見守ってとまでは言いませんが)わざわざ問いただすようなコメントや攻撃的な発言は控えていただけたらと願います。

 

心から動物愛護や動物福祉を願うのであれば、このような考えも理解していただければと、切に願います。

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2016年9月17日 (土)

遺伝

とっても後書きの記事です。書いているのは、2017年に入ってから。今年(2016)の暮れに、「書いておきたい」思った内容の一つです。

 

2016年9月の14日から16日まで、二泊三日で旅行した。メンバーは。私、母、叔母(母の妹)の三人。母には一人妹がいますが健康上の理由で欠席。

私と母の相性はとても悪い。性格が合わない。お互い、なんでもないことで腹立たしく感じる。なので、19歳で家を出て、その後長い間実家には寄り付かなかった。実家に行くようになったのは、うーにーが来てからだ。
そんな私が二泊三日の旅行に行くことができるようになったのは何故か。それは、うーにー選びから始まる、犬との生活があったから。
 

犬を迎えると決めてからうーにーが来るまでの間、約半年くらいあった。犬については、女房任せでした。はじめのうちは他の犬種も考えたようです。
初めに行ったのはゴールデンのブリーダーのところ。女房は「他の犬種も興味あるんだけど~」というと、「じゃ、この人あたりどうかな」とその犬種のブリーダーを紹介してくれる。
元々ゴールデンを候補としていたし、他の犬種の話を聞けば聞くほど、私たちの生活にはゴールデンがあっていると感じた。私たちだけではなく、東京で少しの運動が出来る環境があれば、ゴールデンが最適な大型犬だと今でもおもっている。
他の犬種を検討し、色々と話を聞くことが出来たし、それらの犬種に触れることも出来た結果ですが、もしかしたら、うーにーのブリーダーは、はじめから私たちはゴールデンを選ぶだろうと確信をもっていたのでは、と後から考えたものです。

他犬種のことも含めて色々と私たちの考えを聞いていただき、色々教えていただいた。
話をしているリビングからはラン(犬を放している運動場)が見える。ランは幾つかに仕切られている。だいたい2~3頭毎の犬が一つのランに入っている。10頭ほどのゴールデンがいました。年齢もまちまちだし性格も違うので、より快適に過ごしてもらうためにそうするのだそうだ。
「犬もそんなに性格が違うのか?」と思ったものですが、何回も通っている内にそれが分かってくる。随分と違うものだなと分かってくると、動きの違いも分かるようになる。動きにも個性がある。形についてもよく分かるようになる。はじめの内は「なんとなく」だったのが、具体的に幾つもの部分について分かるようになってくる。ブリーダーも教えてくれる。

そして、「遺伝」というものに気が付く。

やはり親子は似ている。性格や動き、形の「部分」の数を多く認識できるようになると、母親に似ている部分と父親に似ている部分があることに気が付く。これが遺伝で、これらがどのように遺伝するのかを経験的に勉強して繁殖するのが最低限のブリーダーの知識というものだろう。なので、一日のほとんどをケージで暮らさせるような繁殖業者の人を、私はブリーダーとは呼ばない。

ブリーダーは犬の一生を考える。犬の一生に責任を持つと考えているから。長年そのような姿勢でいれば、何かと予想できるようになるようです。勘と言えばいいでしょうか。それが知識になる。
犬の一生は飼い主で大きく左右されるから、譲る相手も慎重に選らぶ。選んだら必要に応じて(我が家がしていただいたように)何かと教える。時には飼い主から学ぶこともある。このときの姿勢も謙虚だ。全ては犬のため。

このような人たちがブリーダーだと考えているので、犬を譲った後に飼い主と交流しない人を私はブリーダーと呼ばない。少なくとも、病歴やいつどのように命を全うしたのかの報告をしてもらえるくらいの関係を持てない人をブリーダーとは呼ばない。

こんな考えに至ると、遺伝とは、そこにいる犬だけを語るものではなく、その犬が産まれてから天寿を全うするまで関わることだと理解できるようになる。

 

そのようなことが理解できるようになったとき、自分と母との関係を客観的に考えることができるようになった。
子供の頃、母を見ていて好きになれない言動があった。好きではないので自分はそのようなことはしないようにした。しかし、よく考えてみたら、私の素の部分ではそのような感性があり、それを抑えている。つまり、素の部分は母譲り、それを嫌い抑える部分はたぶん父譲り。そういうことなのだと思う。
私が、産まれ、育ち、その後の経験で変わってゆくことを客観的に考えることが出来るようになったのは、うーにーを通じてブリーダーとのやり取りがあったからだった。

うーにーが来てから少しずつ実家に行くようになった。母への対応も少しずつ変えてゆくことが出来た。そして、自分の中の変えられない素の部分を認めることも出来るようになった。それが(人間も含めた生きもの全てが)繁殖により次の命へと繋ぎ、その命は経験により変化してゆき、それには葛藤がつきものであると気づいた。

 

2016年9月の旅行はそれなりに面白かった。三人互いの素の部分を認め、滅茶苦茶とも言える言動の連続。それを丸く納める訳でもなく、ぶつかり合うでもなく過ごすことが出来、面白かったと言えるものになった。
我慢をしなかったかと聞かれれば「した」。我慢なしには得られるものは限られている。

このような自分になれのは、ブリーダーを通じて多くのことを学び、多くの人に会えたことが大きいだろう。

遺伝。それがあるからこその多様性と淘汰的方向性がある。個々がそれを持ち、世の中はそれらがパズルのように組み合わさる。パズルと違うのは綺麗に嵌らないこと。ボタンの掛け違いは常。それが世の中なのだろう。

私が子供の頃には、三世代同居の家も珍しくなかった。そのような家が当たり前で、地域の繋がりが密であれば、つまり、人間の遺伝と血統を目の当たりに見ていれば、日常の暮らしの中でこのようなことに気が付くのだろう。都市部の今の世の中では、そのような状況はなく、気付かず過ごしている人は多いことだろう。
うーにーを通じて、はじめて気が付いたことは気恥ずかしさも覚えるが、気付くことが出来て何よりだった。

遺伝。生きるもの全ての根源。
たまには、そのような視点で自分を考えたいものです。

2017.1.20

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