2019年6月21日 (金)

(通称)井の頭動物園

今日、吉祥寺方面に用事が出来たので、ついでに(通称)井の頭動物園へ寄ってきた。正式名称は「東京都井の頭自然文化園」。

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この園は「動物園(本園)」と「水生物園(分園)」二つに分かれている。こじんまりとした園ですが 400円は安い!
気になったこと、面白いと思ったことなど書き留めておきます。

現在使われているポスターは、ツシマヤマネコのものだった。やはり流行っているのだろう。
展示されているのかなと思ったら、大きなパネルと動画による説明はありましたが、個体は別室にいて天井からのライブ映像が流れていました。見ていると時々寝返るように動いていました。大切にされているようです。
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ツシマヤマネコに付いてパネルの説明では「脚は短くて太い」「尾は太くて長い」とある。我が家にもいそうな猫だ。
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■ まず 動物園(本園) にて

はな子さんは天寿を全うしたと言っていいのかもしれない。もしかしたら天寿以上だったのかも。人間にケアされ続けて日本一の長寿となりました。
2019062105彼女が暮らしたあの建物は展示施設になっていた。複雑な気持ちになった。色々な立場から考えれば動物園の必要性は理解できる。その必要性のために尽力してくださっている人たちがいることも知っている。それは理解している。
一方、私は「動物園で見るだけの人」だ。その立場だけから「今の時代には、もうこのような施設は、そんなに多く必要とされないのではないか」と感じた。
私が子供の頃「象を見たい!、ライオンが見たい!」と思った。その後、パンダやコアラに行列が出来るようになった。
しかし今はどうだろう。それらの動物をよく見たいとおもったら、ネットで動画を探した方がいいのではないか。実物ではないが、ただ「見たい!」とおもう一般市民はそれで充分ではないだろうか。

ネズミの展示がある資料館。そこに仮想の園長室だったか、そのような展示があった。珍しい動物の絵や専門書などが並んでいた。
私が若い頃(インターネット・インフラが普及していない頃)までは、動物のことを調べようとおもったら、図書館に行っても欲しい情報は得られませんでした(それは今でも似たようなものかも)。所狭しと並べられた専門書を見て、そんなことをふと思った。
今はインターネットで多くの情報を集めることが瞬時と言ってもいいような時間で出来る。
動物の学問が一気に進んだのはDNA解析だけでなく(他の学問も同じだろうけど)インターネットの普及が大きいのだろうなと、これまた複雑な気持ちになりました。
情報が集め易いということは、実際に動物を見たり触ったり(触らずとも生息する地域に行ったり)せずとも研究が出来ることが多くなったのだろう。それについての良い部分も多々あるとおもいますが、大丈夫なのだろうか、とおもうことも確かです。

ネズミと言えば、リスの小径(リス舎)には、ネズミも走り回っていた。
そんなことはどうでもいいのですが、この中にいるリスの表示が「ニホンリス」と書かれていた。私はホンドリスの方が身近。何故かと言えば、妙高高原に何度も行ったから。ホンドリスという名前の飲食店があるのです。現在は「ニホンリス」の方が一般的みたいですね。
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キツネのちょっといじけたような目はばまちゃんのようだった。
タヌキの黒っぽくて丸っこい背中はばまちゃんのようだった。
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2019062110 アナグマの妙な姿勢はばまちゃんのようだった。
アライグマもちょっとばまちゃんに似ていた(後ろ足の接地面は全然違いますね)。

ペンギンが水の中で気持ち良さそうでした。
ヤマアラシやマーラ、フェネックなども気持ち良さそうにウトウト。
カピバラはちょっと迷惑そうな顔をしていた。

2019062111 行った日が20日で、17日と18日にヤクシカの赤ちゃんが生まれたとの情報を得ていた。一日違いで明らかに大きさが違う(写真では分かりにくいですが奥の子の方が明らかに小さく見えました。)。一日も早く走り回れるようにならないとならないからね。

 

おっと、軽く書いておこうとおもったら、長くなってきたので、動物園(本園)に付いてはここで終わりにします。

 

■ 水生物園(分園)

まず室内展示(水生物館)。
本園の動物の中にも幾つかいましたが、人間が行くと寄ってくるものがいます。寄って来なくても、楽しそうに動き回ったり。午後2時くらいだったとおもうので、ご飯の時間でもないとおもいますが。見ていて飽きさせないようにしてくれていました(動物たちが)。2019062112動かなくても記憶に残ったのはサンショウウオ。見事に岩と一体になっていて、見つけたときはちょっとした感動。

外に出ると鳥の展示。
鳥たちの中にも寄ってくるものがいました。
この白鳥は手を伸ばせば触れる所まできていました。

 

動物園に着いたのは金曜日の午後1時過ぎ。団体さんの姿もなく、各動物共に苦労せずに見ることができました。ゆっくりは見ている時間はなかったのですが一通り見て1時間半ちょっと。もうちょっとゆっくりしっかり見たら2時間くらいになりそうでした。

 

動物園~水生園、と見てから吉祥寺駅に向かう。
公園から階段を登る。右側に「金の猿」、登りきると左側に「いせや」。そして少し歩いて左側を見上げるとSYUNA&BANI。ペット関連のお店も飲食店も一箇所で長続きしないのが当たり前になってきたこの時代に、すごいことだなとおもいました。

ちなみに、井の頭自然文化園の開園は、1942年。戦時中でした。
はな子さんは、1947年生まれ、1949年日本に来た。この時、インディラという象も同時期に来ました。二頭とも上野動物園の象となり、まずは日本各地(はな子さんは東京近郊辺りまでだったらしいです)を励ましてまわり、その後、1954年、はな子さんは井の頭自然文化園の象となったそうです。

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2019年6月17日 (月)

スペインからの手紙

20190617a 迷惑電子メールは日常的になりましたが、現物お手紙で、しかもスペインからの怪しい手紙です。

封筒に貼ってある切手には額面が書いていないようなのですが、スペインではこのようなことがあるのでしょうか。

私の住所・氏名しか書かれていなかったので、よく考えずに開けてしまいました。送り主は弁護士さん。

亡くなったクライアントには相続人がいなくて、苗字からして、あなたは遠縁の人ではないか。相続人がいなくてどうしようもない財産が 650万ユーロあり、協力すればその45%を貰えるらしい。亡くなったのは 2004年となっている。

20190617b というような内容だとおもう。英語が全く分からないので、翻訳ソフトなどを使って頑張りましたが、やはりよく分かりません。

書留でもないので捨てても構わないものだとおもいます。

 

気になるのは、これが本当にスペインから来たものなのか。そうだとしたら、どこから私の住所・氏名を得たのか。手紙の中では「あなたの国の公式の記録を通してあなたの連絡先を得ました」(翻訳ソフトの文章そのまま)とありますが、まさか本人の承諾なしに国が海外の弁護士に(このような私的な内容で)情報を開示する訳もないとおもいます。

そして、捨てられるだろう郵便物を手間と郵送料をかけて何故出したのか。
次の段階があるのだろうか。

※本物だったらのことを考えて中身(A4一枚)は雰囲気だけ分かる程度のものにしてあります。

※額面がない切手は、世界レベルではままあるようです(日本は発行したことないらしい)。WikiPediaの無額面切手として書かれていました。
この切手も「C」と書かれています。

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2019年6月 8日 (土)

ねことじいちゃん(映画)

近所の映画館に来たので観に行った。

始まってすぐ「たま、たまや、、」と呼ぶシーン。
それを見ておもった。

 たま と ばま  似ている

似ているとおもったのは名前ですが、それ以外にも背中の柄(?)の感じや脚の一部に縞があるところ、脚や尻尾やしっかりしているところなども。
ものおじしない性格は全く似ていない。

 

この映画、ネット上で感想文をあまり見ないので、その意味でも興味があった。
監督の岩合さんも主演の志の輔さんも、その分野でのプロではないらしい。本人たちが手を挙げての参加ではないと何かで読んだ。そんなところも興味があった。

また「猫は室内飼いしまよう!」という今の風潮からすれば、とんでもない映画だ。これを見て「よかった」と言いにくい人も多いだろう(先日の「俺、つしま!」も同様に)。

岩合さんの写真は、お父様の時から好きでした。単純に動物を見るという意味ではお父(徳光)様、写真としては光昭さんと私の中の好みははっきり分かれていた。
私にとって綺麗な映像を提供してくれる光昭さんの映画としての期待はあった。私はテレビは全くみないので、岩合さんのやっている猫の番組は知らないですが、評判が良いので猫の撮り方にも期待して行った。

 

まず、今まで書いたことについて。

猫を撮るのは上手かった。正確に書けば「風景の中の猫を撮るのが上手かった」です。猫たちも演技上手であることも前評判として聞いていたが「すごいな~」と感心しました(猫同士がくっ付いているシーンで、遠い昔、TVだか映画だかで接着剤貼り付けたとか縫い付けただか、そんなことを思い出したりしました)。
太陽をバックに猫が飛ぶシーンなどはカメラマンだな、とおもいました。
あのシーンは演技してもらったかもしれませんが、幾つかのシーンを見ながら「人間の撮影の時間よりも、ず~っとつきまとうようにして猫を撮っていた時間の方が長いのでは?」とおもったりました。

監督は(人間に対しても)演技の指導するものかとおもいますが、その意味では問題なかったとおもいます。
志の輔さんについては(私は漫画(原作)を読んでいませんが)漫画のイメージなんだろうな、とおもいました。
https://www.youtube.com/watch?v=QhZRRsKyBxc
正直なところ、周りを俳優さんたちに比べれば(彼の演技は)物足りなさを感じましたが(これまた正直なところ)この映画の要素の中で(私にとっては彼の演技は)大きな部分を占めていなかったので全くOKでした。

映画を作るには、脚本~撮影~編集、という大きな流れがあるとおもいますが、岩合さんがどれだけ関わったか分かりませんが、猫が嫌いでない人は、それなりの満足度はあるとおもいます。
ただ、全体の流れとして、あれこれと詰めすぎているような感じはありました。でも、初めての監督作品、しかも充分な準備をしてからの監督ではないとおもいますので、仕方ないかなとおもいました。

ただし「絶対室内飼い!」とお考えの方には、とんでもない映画なので絶対に観ないでほしいです。「仕方ない」では済まされない人も多いとおもいます。
私は、うーにーのお陰で方々旅行に行き、犬や猫と暮らしている人達と話をする機会を得ました。そんな私からすると「場所によっては、外に出してもいいんじゃない?、その地域の人がそうおもっているんなら。よそ者がとやかく言う問題ではないんじゃないの?」とおもいます。
ちなみに、この映画には自動車は全く出てこなかったとおもいます。各猫に飼い主がいるようだったし。
とにかくフィクションですから。フィクションとして見れない人は「手術してないよね、みんな」とか思うのかも。猫の後ろ姿を見ながら「手術しているな、そりゃ猫俳優たちだから当然か」とおもいました(笑)

妙に気になったシーンが一つ(たぶん気にするのは私くらい)。
ほとんど最後の辺り。巌さんがサチさんの家の前で猫とのシーン。建物の角が濡れているように見える。あれは何だったんだろう。とても気になった。

 

映画館に行くとき、初めて今回の猫電車に乗りました。
ちょっと写真を撮ったので近日中にブログを書きたいとおもいます。

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2019年5月24日 (金)

あとがき(後出し?)御免

■ ダラダラと長い言い訳なので、ここは読まなくていいです

決っして多忙という訳ではない。時間の使い方、切り替え方が下手になってきた。とにかく処理できる仕事量が減ってきた。

昨年からの懸念事情である「犬とゆく」のSSL化(アクセスするときに頭が http から「s」がついて https になるだけ)に向けて動いてきた。
自分でプログラムを組んでしまったので、自分で対応しなければならい。でも、たかが「s」を一つ付けるだけである。

と、軽く考えたが、プログラムを作って15年以上。世の中は変わっていた。
15年分の変化も吸収しなければならない。吸収以前に明らかな間違えもあった。
そして何より、プログラムのことなどすっかり忘れている。

まず、html、JavaScript、CSS。この辺りでも「えっ?、そうなったの?」と驚くものもあった。(こんなページから全3ページで愚痴ったのは約二ヶ月前。)
プログラムと呼ぶにふさわし PHP や Perl に関しては独学なので思い出すのも苦労する。プログラム全般にクラスというものを使うのが当たり前になったが「犬とゆく」ではそうなっていない。当たり前ではないこととなると情報を集めるのにも苦労する。

手を付け始め作業が進み始めた時点で、いきなりゴールが遠のいてしまった感じになった。

ある程度修正が出来て「さぁ、デバッグだ!」とテスト環境で動かしてみる。もちろんミスが多くまともに動くまで時間がかかる。
そしてやっと動いて喜んだ。

しかし落とし穴は意外なところあった。
テスト環境で SSL化して「とりあずここまでは動いた。今日はここまで」と元に(非SSLに)戻すと、今まで表示されていたページが表示されなくなる(エラー表示される)メジャーなブラウザがある。
試行錯誤した結果、キャッシュを削除すれば表示されることが分かったが、見に来てくれる人にそれをしていただく訳にはいかない。この時、SSLで公開したら絶対に後戻りできないと悟った。

 

■ まだ読む必要なし

それでも「一歩ずつでも進んでいればいつかは終わる」とおもっていた。
今年に入り単純に忙しくなった。それでも、この作業は少しずつ進めていた。

しかしどうにもならないことが起こった。メインで使っているパソコンが、全く予兆もなく壊れたのだ。そしてゴールデンウィークに入ってから。さらに平成の内に

データは生きていた。サブマシンがあるので「犬とゆく」はどうには動かし続けることは出来た。

次のマシンは、いつもの中古業者さんがすぐに用意してくれた。事務系作業がメインな私にとってはスペックはとても高いもので有難い。

今まで使っていたマシンは来年サポートが終了する Windows7。来たのは当然 Windows10。幾つか設定で躓きながらも前進。しかし仕事で使っているソフトはどうにもならなかった。

インストール用のCDがあったのでインストールしてみるが上手くいかない。
(後で気が付いたことですが)マシン毎に認証しているので、パソコンが壊れたりアンインストールしたときは、サポートに連絡を取り、認証を解除してもらわなければならない。しかしゴールデン・ウィークで休みゴールデン・ウィークが明けたら電話はいつまでも繋がらない。やっと繋がったら私が使ってきたバージョンはもうサポート切れで相手してもらえない。
泣く泣く今のバージョンを購入したが、なぜかインストール出来ない。改めてサポートに電話を架けるが、またまた繋がらない。やっと繋がって分かったことは、ゴールデン・ウィーク中に私が弄り過ぎたことが原因かとおもっていたら(それもあったのだろうけど)元号が変わったことで不具合が起きたようだ。

そんなこんなで、この一ヶ月くらいは大混乱でした。
まだ諸々のインストールやHDDの構成をいじったりしていますが、とりあえず、普通に仕事ができるくらいにはなってきました。

 

■ ここからが本題

そんな大混乱の時期にも「ブログに書いておきたいな」おもったことが幾つか。
大したことではない。私は「大したこは他の人に任せる」。でも、書いておきたい。
ブログなんて自分の備忘録だし。

SNSのように「見てもらうため」のものではないとおもっている。一応「書きましたよ」とFacebookやTwitterにはアップしますが、まず読んでもらえないことなんて分かっている。いつか何かを調べている人が検索で辿り着き、お役に立てれば嬉しい。その程度。

そんな内容のことを、これから思い出したように書こうとおもう。
ブログ上の日付は、それらのここが起こった日にちで。

なんで今更過去のことをアップするの?、とおもったら、このページを読んでいただければ幸いです(爆)

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2019年3月 2日 (土)

松任谷家が犬を迎えたときの話

ラジオを聴いていたら、松任谷正隆さんの声が聞こえてきた。「ブログを書こうをおもったんだ」と思い出し、そのためにとっておいた、JAFMateをひっぱり出してきた。
(急いで書いたので、ヘンな個所があるかも。後から所々書き直すかも。)

JAFとは長い付き合いですが、2年前くらいからJAFMateで連載されている2つのコーナーが好きで、よく読むようになった。

一つは「幸せって何だろう」。毎回違う著名人が幸せについて語る。幅広い人が書くので興味深い。単純に年齢だけを考えても、若い人は「今」の中から探し、高齢になってくると昔の幸せ体験の話になることが多い。

そしてもう一つ私が好きな「車のある風景」が松任谷正隆さんの連載。
車の話なのですが、ちゃんと「落ち」を用意してくれている。最も記憶に残っているのは、結婚前の奥様と隠れるように車の中デートを重ねていた。ある時、納豆スパゲティーを持っててきてくれたのですが、それを車の中にぶちまけてしまい、とんでもないことになったという話。

 

最近掲載されたものは「犬に振り回される」。興味深く読ませていただいた。
とても簡単に紹介するので誤解を与えてしまうかもしれません。細かいことはスルーしてくだい。概要は以下の様な感じ。

 

結婚してすぐの話だそうです。
一頭の犬を迎えた。一頭では寂しいとおもいもう一頭迎えた。
後から迎えた犬が、迎えてから一週間目の朝、植木鉢の上で冷たくなっていた。

もちろんその犬を迎えたショップに電話を架けた。その対応に不満はあったが、ペットロスは収まらず、また犬を探してくれないかとお願いする。
探してもらっている間に犬種団体の存在を知る。そことやり取りをした結果、犬の流通のブラックな部分に遭遇する。そして自力で犬を探すことを決意する。

業者の人の手を借りず、今のようにネットで情報を得ることも出来ない時代に。まずは紙媒体で情報を集める。犬種団体を知ったのも厚い図鑑の終わりの方に載っていたとか。

そして、あるブリーダーと知り合う。週一でそこに通って色々と教わったそうだ。
犬を譲る条件は「チャンピオンにしてやってくれ」。つまり、ドッグショーに出してやってくれ。

 

(ここから松任谷家の記事から離れます。後で戻ります。)

ドッグショーを知らない人は、「お金をかけて着飾るように仕上げた犬が勝つんでしょ!」と言うことがあります。犬が全く同じであれば、そうだろう。しかし犬は生まれた時から違う。人間が一人一人違うように。
それを良く知っているのがブリーダー。細かい違いが分からなければ健康な犬を産み出すことは出来ない。なので、犬の世話についてもきめ細かい。若かりし日の松任谷ご夫妻はそのようなことを学んだようです。

たしかにドッグショーは、ある程度の誤魔化しやハッタリのようなことも行われる。実際に足を運ぶことで、どのようなことが行われるのが見て知ることができる。
これが分かるためには、犬の体のことを勉強しなくてはならない。大した勉強でもないですが、数多くの犬を同じ動きで見ないとならないので、本やネットでは難しい。

ドッグショーに行き、犬の体について色々と気付き、ショー会場や関連の場所で多くの飼い主さんと知り合い、様々な犬との生活の在り方を知ると、犬がどれだけ人に寄り添ってくれているのか分かるようになる。

松任谷家がこの犬を迎えて気が付いたことは、しっかりとした性格であるということ。チャンピオンになれる犬というものは、そうでなければならない。
多くの人に囲まれたリングで動じず、ハンドラーの指示に従い、ジャッジに触られたりする。その間だけでもお行儀よくしなければならない。チャンピンになるには、何回も勝たなければならないので、まぐれでは駄目なのだ。お行儀よいことが身についていなければならない。

このようなことに気が付いてくると、ブリーダーという仕事は大変そうだなとおもうようになる。普通の感覚の(お金を儲けるための)仕事では無理なことに気が付く。
体のことだけでも数多の要素がある。それらについて完全にクリアすることは不可能だろう。さらに人間と暮らすための相性のようなものも含めると(完全は無理なので)、もう「好み」になってくる。

最近、繁殖業者のことが議論になることがあるが、このようなことが議論されることがほとんどない。飼育環境さえよければOKのような風潮がある。私はそれに恐ろしささえ感じている。
犬のことを語る人の中に、体のことだけでも数多くのチェックポイントがあることを知らない人がいる。それが露呈していることにさえ気づかない人も。

 

(松任谷家の記事に戻ります)

少々引用
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犬を連れてあちこちのデパートの屋上に行き、ドッグショーに出した。最後のポイントを獲得したのは京都のデパートであった。これで普通に暮らせるね、なんてかみさんと話ながら犬を後席に乗せ、帰途についた。
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ドッグショーの多くは週末や休日に行われる。松任谷ご夫妻の仕事のことを考えると、ブリーダーとの約束とはいえ無理をしたのだとおもいます。それだけの価値があると感じられたから続いたのだとおもいます。

続きの文章を印象します。以下の文で、このコラムは終わります。
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黒い犬は後席背もたれの後ろの指定席へ。東名高速を走りながらバックミラーを見ていたら、夕日の中にシルエットになった新チャンピオンは、むっくり起き上がり背中を丸めた。「やめろ!」と叫んだが、もちろんやめてはくれなかった。
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コラムの構成としての「落ち」ですが、一緒に暮らしていて楽しい犬とは、こういうこともあるとおもいます。人前ではお行儀よく、家で家族の中ではしっかり自分を主張する。
「やめろ!」と叫びましたが、「自分たちも大変だったけど、お前も大変だったよな。お疲れ様」という気持ちもあったとおもいます。

幾つものショーに出たという大変な体験を通して、お互い理解を深め合ったこともあるでしょう。その区切りにこのようなことをしてくれる。

私は、こういう犬が「いい犬」であり、「いい犬との関係」だとおもっています。

 

(松任谷家の記事とは関係ない、私の考えていること)

犬の細かいことを知り、自分の生活スタイルも分かった上で、犬の好みの話をしたい。「私の感覚はこうで生活スタイルはこうだから、あの犬種のこういうタイプが好き」というような話だ。

マスコミで犬のことをあれこれ語っている人が書いていることを読んでいても、犬の細かいことも人間側の生活スタイルの話も読み取れることがほとんどない。
こんな情報ばかりでは、犬との生活を楽しむ人が増えることは難しいのかもしれない。そもそも、そのようなことは紙媒体でもネットでも伝えるのは難しいのだろう。

松任谷ご夫妻はペットロスを経て、業界のブラックな部分を知った後に、ブリーダーと知り合い、色々なことを教えてもらい、そしてショーに通った。
そこで、幾つもの出会いがあったこととおもいます。実際の犬も見て、人と話をする。ビデオなどではなく実際の犬と、その犬と生活している人と話をする。

これが犬の勉強の基本なのではないかとおもっています。
色々な飼い主さんと話をすると、色々なことを試す人たちに出会います。トレーニング、日々の食事や散歩の仕方、獣医療などなど、色々なやり方があり、そこに辿り着くまでの紆余曲折を聴くことができることもあります。

そういうことをやってきた人間からすると、世間で注目されている先生の中には「この人、日常では犬とどれだけ向き合っているのだろうか。たぶんこの人が考えている理想の犬との生活なんて、自分には物足りな過ぎるだろうな」と思わずにはいられない人が少なくない。

 

犬は人間に寄り添ってくれます。人間の生活を豊かにしてくれます。
それに気づき、より生活を豊かにすること(それは犬にとっても喜びだろう)を目指す人が、一人でも増えることを心から願っています。

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2018年12月11日 (火)

キジトラ君と出会って

先の書込みで、キジトラ猫の死体を発見してしまったことを書いた。
法律に従って、お役所に連絡をしようと電話を架けたが日曜で繋がらず。それで終わりにしてしまった。しかし気になり(コメントに書いておきましたが)深夜に現場を見に行ったら、彼の姿はなかった。

女房は「我が家にある程度の広さの庭があったら埋めてあげるのに」と言った。私も似たようなことが頭によぎった。

ところで、役所に電話が繋がっていたらどうなっていたのだろうか。たぶん担当の人が引き取りに出向き、決まりに従いそれなりのことをしてあげるのだろう。

話は変わるが、生きている猫の場合。
お役所は、現在、外を自由に出歩いてるということだけでは、生きている成猫は引き取らない。その根拠は幾つかあるらしいが、その一つに「もしかしたら飼い猫かも知れない」というものがある。飼い猫が散歩しているだけの可能性があるからだ。

深夜、現場に行き、その姿がなかったときに「キジトラ君は飼い猫で、飼い主が気が付き、連れて帰ってあげたのかな」ともおもった。
そんな想像をしたときに、我が家に連れて帰り庭に埋めたり、役所がそれなりのことをしてしまうと、飼い主さんは途方にくれるのではないか。

飼い主さんとしては「いなくなった」と認識しているだろうから、数日後にお役所に届け出るかもしれません。そのときにはもう終わっていることになっていることでしょう。そのような場合、骨は何処にあるのでしょうか。

そんなことも考えてしまいました。

 

今の世の中では、やはり「猫は外で自由に出歩かせていけない」となるのかもしれません。
長年の感覚で、散歩中に猫を見たいものだとおもっていますが、猫にとっても飼い主にとってもリスクが大きすぎるのかも。

人間の子供でさえ(夜でなくても)一人で歩かせるのは危ないと言われる世の中です。ペットも家族と言うのであれば、完全室内飼いで、お出かけは必ず人間と一緒となるのでしょうね。

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2018年12月 9日 (日)

まいすの命日に

12月9日、今日はまいすの命日。

まいすはよくお出かけに連れて出かけた。お泊り旅行にも連れて行った。
猫を積極的に受け入れている宿でも、「こんなに物怖じしない猫は珍しい」と言われるくらい何処に行っても隠れることなくお出かけを楽しんでいた。
それが出来たのも、性格そのものが第一だとおもいますが、目がほとんど見えないので何処かに向けて走って行くことがなかったことと、自分の名前が分かっていて呼ぶと戻って来る猫だったからだとおもっています。

それに比べておばまは、お出かけらしいことはしない。家から出るのは病院くらい。
おばまの目も怪しいことがある。だからだろうか、何事に対しても慎重で、自分の決めた場所・時間以外は動かない。いつもの部屋の中でさえ、決めた場所以外は行かない。

 

今日の昼食は、人間二人だけで外食した。
帰り際、区役所の中庭で福祉関係のイベントがやっていたので寄ってみた。今、調べてみたら、障害者週間記念事業「第38回区民ふれあいフェスタ」、というものらしい。

ちょうど、補助犬のデモンストレーションがあったので、途中からだったので椅子に座って観覧した。椅子席が空いていたことを不思議におもったのですが、見始めて納得。見習い犬がステージ上に上がっていて、完璧に仕事をこなすことが出来ないし、粗相をしてしまう子もいた。これでは飽きてしまうかも、とおもった。

ステージ上の人が最後に、「補助犬には、盲導犬、介助犬、聴導犬という三つが法律で定められています」というようなことを語った後に、総合司会なのか若い女性がステージに上がってきて、お疲れ様のあとに「介助犬には、、、」と補助犬とするべきところを間違えていた。
正しく情報を伝えるのが仕事な人でさえ、この程度の認識なんだなと、おもったりもした。福祉関係の中でもあまり興味をもたれない分野なんだろうな、と。

 

その後、図書館行ったり、買い物したりした後、自宅に向かい喋りながら歩いていた。
女房が「あれ、生きているのかな」というので指差す方を見たら、現在空き地になっている土地の入口に猫の死体が。一瞬寝ているのかと思ったが、既に硬直している感じがあった。
また毛並みも綺麗な姿だったが、口から少し舌が出て、口の周りが固まっているような感じだった。
交通事故に遭った後、誰かがここに移動したのだろうか。外傷は確認できなかったが、頭だけ強く打ったのだろうか。首や背中はしっかりしているように見えた。
まさかとおもうが毒餌なんて言葉が頭に浮かんだりした。
私は、キジトラだったと記憶していたのですが、女房は斑点っぽい模様があったと云っていた。

場所的にも通行の邪魔にならない場所だったし、猫を飼っている身としては、寄生虫の心配もあり安易に触りたくなかった。
しかし、日本国民の務めとして最低限のことはしようとおもった。

 

動愛法36条をご存知だろうか。
疾病・負傷の犬猫等や犬猫等の死体を発見したら、都道府県知事等に通報するように努めましょう。
だいたい、こんな内容だ。

よく云われるのが、お役所の業務時間外だったらどうすんの?
今日は日曜日、まさにそんな感じ。
念のため、東京都のセンターと世田谷区保健所に電話を架けてみた。どちらも業務時間外を伝えるテープが流れるだけだった。

とりあえず、私は法律に従った。

横たわっているのは、世田谷保健所からすぐの場所なので、たぶん明日の月曜日には対応してくれることでしょう。

 

現在、動物愛護に関わる活動は大小多々行われています。
それらの活動は必要なことだし、素晴らしいとおもう。これからもさらに広がっていってほしいと願っています。

それに対して、市井の一個人の目で日常を見たとき、「蔑ろにされている」または、各自が「している」場面を目にしてしまうことがある。

動愛法1条は以下のようなことが書かれている。

第一条 この法律は、動物の虐待及び遺棄の防止、動物の適正な取扱いその他動物の健康及び安全の保持等の動物の愛護に関する事項を定めて国民の間に動物を愛護する気風を招来し、生命尊重、友愛及び平和の情操の涵(かん)養に資するとともに、動物の管理に関する事項を定めて動物による人の生命、身体及び財産に対する侵害並びに生活環境の保全上の支障を防止し、もつて人と動物の共生する社会の実現を図ることを目的とする。

青字の部分は「動物愛護の精神を広めましょう、根付かせましょう」との意味だと思うのですが、「日曜だからお休み、後回し」の現状は如何なものかとおもってしまう。

 

おばまのこれからは、部屋と病院だけで終わるだろう。外に出て交通事故など酷い目に遭うこともないだろう。
20181209_20130414しかしどうしてもまいすと比べてしまう。
それでいいのか。

こんな世の中だから、それでいいのだろう。

写真は在りし日のまいす。道徳時の参道入口辺り。
この桜の木ももう切られてしまっているかも。

時間が経つのは早いですね。

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2018年11月22日 (木)

補助犬はハイテク補助具に代わるのか(1.昔考えたこと)

一ヶ月くらい前にも「補助犬の入店拒否」という補助犬ネタを書きましたが今回も。

この20年くらいでロボットの技術は大きく進みました。そうなると、補助犬ではなくハイテク補助具にすべきではないか、となる。確かにそれも一理あるだろう。

命あるものに人間の障がい者の助けをさせることは負担が大きすぎるのではないか、という疑問は、私もかつて持ったことがあり、多方面の方々の話を聞いて回った。
当時(1995頃)は補助犬法もなく、法で認められた補助犬(補助犬という言葉もなかったとおもいますが)は盲導犬だけだったので、盲導犬ユーザーさんや協会のセミナーや関わっている人からお話を聴かせていただきました。

 


私なりの当時(1995頃)の結論。

当時の技術では盲導犬に代わるものを作るだけのハイテク技術はなかった。(機械ではなく)介助者が常に付いていることは現実的な議論ではないし。

盲導犬を利用すれば白杖よりも効率的に動けるということも分かった。
しかし、利用するだけでなく世話もしなくてはならない。世話という負担をしてまでも利用するだけの価値があることも、なんとなく分かった。

しかし大型犬であることはネガティブな面もありました。
現在のように犬や猫を飼っている人が多い時代ではありませんでした。更に「大型犬といえば外で番犬」と認識している人も多かったので、近寄られることを好まない人も少なからずいました。
盲導犬を公の場に連れて歩くことは当時も権利として守られていましたが、現実の街中では入店拒否や乗車拒否されることが当たり前の時代でした。

世話もしなければならない。白杖であれば利用できる施設・サービスが利用できない現実。
それでも盲導犬を伴侶として暮らす価値があるのだと教えていただきました。

どれだけ話を聞かせていただいても、視覚障がい者の日常のご苦労や健常者の社会の中で暮らすことがどれだけ大変であるを的確に理解できた自信はもてませんでしたが、とても大変なのだろうと、漠然と想像することはできました。そのような大変な暮らしの中、世話をすることがどのようなことなのか、理解しきることは出来ませんでした。

大変な暮らしを過ごしているからこそ、(生きている)犬との(世話を含む)生活や(公の場に出て他者と関わる)行動が彼らにとってプラスになるようであることは、ある程度理解できました。

色々な話を聴き、自分なりに考えてゆけはゆくほど、犬が持つ特殊な存在感を感じたものでした。出来なかったことが出来るだけでない、プラスアルファがあることを感じました。

そのようなことを考えるとき、あの当時知った「コンパニオン・アニマル(伴侶動物)」という言葉が何度も頭に浮かんだものでした。

つづく

本文とはあまり関係ありませんが、子供向けの「盲導犬の歴史

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2018年11月12日 (月)

東京タワー水族館(後書き)

本編からのつづき)

動物園や水族館に対する考え方・ご意見は種々あるとおもいますが、私は「生き物そのものを見ることに意味がある」と感じています。次にその生き物との付き合い方を考える。実物を見たからこそ、想像できることがあると考えています。
その動物に興味が湧くので、長時間見る。長時間見るから、食べ物のこと、排泄のこと、その他健康管理に思いをめぐらせるようになるのではないかと(色々な人と話した結果)感じています。
(長時間見ずに「か・わ・い・い~、ちょうーほしぃ!」という人がいるのも確かですが。)

先日、閉館後の後日談をブログにアップしたことを伝える Twitter がアップされていました。ブログも読んでいただきたいのですが、Twitter のコメントも読んでいただきたいです。

 


動物園や水族館などの存在自体を疑問視する声があります。経営が苦しく管理が行き届かないところがあることは確かです。それは一つの問題として解決してゆかなければならないことです。

それとは別のこととして、モニタに映る姿ではなく、生の動物を見て、日々世話をしている人が書いたパネルを見たり、ショーなどで話を聞いたりすることには意味があることではないでしょうか。

もし人間(一般人)が、野生動物と一切関係を持たずに研究者だけが関わりを持つ世界になれば、それは一つの理想の形なのかもしれません。
現状からそのような形に向かったとしたらどうなるでしょうか。違法に入手する人が後を断たないのではないでしょうか。


先日都市部に迷い込んだアライグマの捕獲後の処遇について、日本における野生動物や外来種に関する法律を無視した意見を声高に訴えている人たちの書込みをネット見ました。
モニタの向こうの存在でしかないと(見た目の可愛さから?)飼育したらどうなるのか、放したらどうなるのかを知らず(考えもしないで?)あのように発言できるのだろう。
20年近く前に「ぜったいに飼ってはいけないアライグマ」という書籍が少し有名になった。これも読みましたが、この本を読むよりも前に、この本と同様の体験をした人から話を聞いたことがある。本よりも生身の人間の話の方が身に迫るものを感じた。その人も「絶対に飼ってはいけない」と言っていたし、話を聞いてそれを感じた記憶がある。


ネットには情報があふれている。しかし偏りがあるのではと感じることがある。
犬でも猫でもいいし、珍しい動物でもいい。何か動物を家族に迎えたとする。そこで楽しいこと、絵になることはアップされるし多くの人が目にする。逆に、手に負えなくなり反省するような事態になったことはほとんど出てこない。出てきても書き方によっては攻撃的なコメントを大量に頂戴することになり、消されてしまうこともあるだろう。

つまり、苦労したことこと、間違えに気が付いたことについての情報はとても貴重なのだ。


動物園、水族館他、生体を扱う業者が、その経験から適切なアドバイスがいただければ有り難いことだ。(生体販売業者と聞いただけで悪者扱いする人がいますが、問題になるのは金銭的な損得だけで話をする業者であり、日々多くの生体を生体として扱っている人の経験・知識は貴重なものだ。)

生の動物を間近で見ることが出来て、飼育している人からその動物の魅力と日常のご苦労を伝えていただける施設は残り続けてほしいものです。

東京の中心地に同じような水族館がオープンすることは、時代の流れから考えても、もうないことでしょう。

色々な意味で、東京タワー水族館の閉館はとても残念でなりませんでした。

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東京タワー水族館(本編)

前書きからのつづき)
2018年9月末をもって閉館すると知り、9月10日の午前中に行った東京タワー水族館で見たこと考えたことなど。
 

東京タワーは駅から少し歩く。間近で見ると「こんなに小さかったっけ?」と思ってしまった。それだけ大きな(高い)建物が増えたのでしょう。


お土産やさんのような店内奥に入口があり、入ってすぐに小さく仕切られた水槽を組み合わせるように展示されていましたが、後から入場してくる人もいたので、ゆっくり見ることが出来ず、ここのことはほとんど記憶にない。

視界が広がって周りを見渡した後に下方に目をやると、ザリガニ釣りの会場(?)が!、縁日じゃないよね?、と思ってしまいました。
少々驚きながらも館内を見始めると値段が書かれたものがあり、「水族館といいながら実は販売業者なの?」と疑ってしまった。実際に売っていたのだろうか。
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値段が書かれたものは、これ以外にはなかったようだ。何かの間違え?


入ってすぐのエリアには、海水魚も展示されていた。
ハリセンボンが入っていたお洒落な水槽は同じ形のものが3つ並んでいましたが、このようなお洒落なものはここだけでした。
別の水槽にオニダルマオコゼの展示もあり、説明パネルも分かり易い。歴史のある水族館や動物園のほとんどは、分かり易く興味を惹くパネルがあり、経験や知識の厚さを感じる。このような水族館が閉館してしまうのは残念です。
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海水のエリアにはチンアナゴもいて、餌やりショーもあった。それほど大きくない水槽の前に30人ほどのお客さんが集まり、スタッフの人とお客さんとのコミュニケーションの中、ほのぼのとショーは行われました。
チンアナゴの水槽には、よくヤドカリが入っているのを見ますが、ここにも居ました。ここでは餌としてアカムシをあげているようですが、海水の中では短時間で動かなくなってしまい、チンアナゴは食べようとしなくなります。それをヤドカリが食べているようです。
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その後、タツノオトシゴのショーもあり、雌雄の区別の仕方など教えていただきました。
「この子の性格は、、、」などの話もあり、水槽の中の生き物を身近に感じることが出来てよかったです。


次のエリアからは定型の水槽が多くなります。入っている魚の半分以上は大きい。「この水槽でいいのか?」とおもってしまうのですが、表情を見る限り不満は感じられないし、よく見ても健康そうに見える。人間(見ている人)に対しても好意的に見える。
まるで家庭で可愛がって飼われている金魚のようだった。
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餌やりショーとは別に、各水槽の食事も見ることが出来ました。
スタッフの方が一つ一つの水槽に、脚立と食べ物、そしてカメラを持ってまわる。ブログなどに載せる写真を撮ることと、たぶん個体管理のためだろう。

魚や亀たちは、隣の水槽がもらっている時からそわそわ。隣の水槽側に寄って行っていました。またまた「家庭で飼われている金魚と同じ」と思ってしまった。


展示されている亀が人間(お客さん)によく見えるような場所に来て、そして(食事の時間が近かったからか)よく動いていたのが印象的でした。
苔が生えてしまったワニガメさんですが、この数日後に綺麗にしてもらっている様子がTwitter にアップされていました。自然界で生きていたら生えて当たり前なのかな。
説明のパネルもいい。(ワニガメのパネルは地味だったので、曲頸類・潜頸類の説明があるこちらをアップします。)
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水族館で、亀と同様に地味に感じるハイギョ。たしかに動かないのですが、よく見えるように展示されているし、各個体も落ち着いている(健康そうに見える)感じが良かった。パネルも良かったです。


パネルというか説明といえば「(前書き)」にも書きましたが、とても長い年月存在しつづける湖に生息する魚たちの説明や展示も興味をもった。
万年単位の寿命をもつ湖の環境を再現するのは難しいとおもうので、現地で撮ったビデオなどを流してくれるのはいいとおもう。しかし(ネット上の情報を簡単に閲覧できる現在は)そのようなものに慣れすぎて「こういうの見たことある」となりますが、生きている実物を目の前にすると気持ちが変わる。

環境の多様性を実感したり、それを保存する意義を考える切欠になればと願う。


写真が少なすぎて館内の様子が分かり難いかもしれませんが、大きめの四角い水槽に大きな魚が入っている展示が多い。隣りあわせで次から次へと展示されている。その数が凄い。多種多様な魚を目の前で見ることができた。
とても簡単にまとめてしまいましたが、そんな感じの館内でした。

見ていて「人間が繁殖したものもいるだろうけど、これだけの野生種の飼育は苦労も多いだろうな」と思った。苦労のことよりも「ここにいるほとんど(大型鑑賞淡水魚)は基本的に野生種なんだろうな」と思い込んでいた。

そんな誤解を払拭してくれる展示もあった。
この水槽をみたとき、まず「自然界でこんなに目立つ色していいのかな?、人間の目には目立つけど、その地の野生動物の目で見たら保護色になるのかな」などと考えたら、こんな説明書きが。
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なんと改良品種。

犬でも昔の本を読むと「一人の飼い主としか信頼関係を結ばない」とか「家庭犬には不向き」と書かれていても、今では完全に家庭犬と受け入れられている犬種もある。これはブリーディング(品種改良)によるもの。
また、時代のニーズに合わせて、今まで存在しなかった毛色のものを作り出したり、新しい犬種を作り出すことがある。

魚の世界も同じことが行われていた。たぶん珍しくないことなのだろう。
よく考えてみれば、金魚だってそうだし(金魚の展示もありました)、錦鯉の世界もそうなのだろう。

脇道に入りすぎてしまいましたが、大型淡水魚の全てが野生種でもないし、生物学上野生種であっても、人間に飼育されることに向いている系統を作りだしているようです。(そのついでに、人間好みの色や形にもしているのは、犬などと同じなのかも。)


2018111213出口近くの展示は、身近な鯉や金魚系、亀など。
金魚については大型のものマニアックなものは別のアリアで紹介していました。
出口近くの展示は、簡易な池のようなものがあり、これもまた「昔よくあった金魚やさん?」「旅館の入口?」という感じ。池のような展示の周りには座る場所もあり、和むことも出来るようになっていた。
最後を身近な展示にするところにもこちらのコンセプトを感じた。
これらの展示のすぐ近くに「ヒレナガゴイ(ヒレナガ錦鯉)」の展示もあり、やはり熱帯魚屋さん?」と感じてしまった。
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ちなみに出口を出た所にはお土産やさんや生体の販売などはなかった。東京タワーのエレベーター乗り場近くに出る。

 
商売第一として生体を販売している業者が多い世の中で、こちらのような施設が販売し、購入者にアドバイスをしてくれるといいのでは、とおもったりもした。
しかしやってみれば、批判の声に晒されることだろう。




他にも紹介したいことがあるのですが、既に閉館していますし、時代の流れとして展示方法に疑問を抱く方もいらっしゃることでしょうから、この程度にしておきます。

そのようなことを含め、(後書き)へつづく。

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