2019年2月21日 (木)

猫が幸せならばそれでいい 猫好き獣医さんが猫目線で考えた「愛猫バイブル」

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書籍の紹介です。
動物行動学を専門とする獣医師「入交眞巳」先生の著書です。本のタイトルは、このブログのタイトルの通り。長い。

入交先生のお話は何度か拝聴させていただいたことがありますが、私にはレベルが高い感じ。
猫や犬の行動を学問的にどのように理解すれば、生活に活かせるか、問題解決できるか、生活の質を改善できるか、などの話でした。
テーマも、結論である「こうするのがいいですよ」も、難しいことはないし説明も分かり易いのですが、その間にある理論が私には「レベルが高い」と感じてしまいました。

20190221aさて本題。こちらの書籍の話。

冒頭の章、「猫は夜行性」は勘違い、で以下の文があります。
=====
ノクターナル(夜行性)かダイアーナル(昼行性)かといえば、猫はこのどちらでもありません。猫は、クリパスキュラー(薄明薄暮性)、つまり早朝や夕暮れの薄暗い時間帯に最も活発に動く動物です。
=====

これを読んだ時に「こんな横文字言葉は知らなくていいよ」と感じ、「やはり小難しい理論の羅列や横文字がいっぱいなのかな」とおもったのですが、その先はこのようなことはほとんどなく、多くの部分は、ご自分が共に暮らしてきた猫とのことを例にしたり、身近なものを感じました。

20190221b読んでみて、皆さんにお勧めしたいとおもったので、ここに書いているのですが、冒頭に書いたように、この書籍を手にするまでは、あまり期待をしていませんでした。

しかし、日本人のある程度の数の人が、猫や犬に対して古い固定観念をもっていて、その中には間違えや今の世の中では理解されないことが多々あることを、私は危惧しているので、それを改めていただくには、入交先生のような方に活躍していただきたいと、陰ながら願っています。それで読んでみたのです。

実はそれもあるのですが、本音を書いてしまうと、(本書では「漫画」となっていますが)挿絵に惹かれて買いました。
描いているのは、「俺、つしま」で有名な、おぷうのきょうだい先生です。

「俺、つしま」は、Twitter で始まりました。はじめの頃は、気ままに書いている感じのもので、形式も決まっていませんでした。今もそんな感じです。
この漫画は、「つしま」と呼ばれるようになった猫を中心に起こったことを模写している漫画なので、伝えるために最適な形式をとっているようです。形式にとらわれず、最適な「絵で伝える」方法が私には気持ちよく入ってきます。

つまり散文なのです。内容も。
Twitter で読んでいると、「唐突に何これ?」と思う作品が載ったことがありました。それらの幾つかが繋がるだろうことは読み続けていると分かったのですが、一つの物語としてまとめることはありませんでした。しかしそれが随分と後になって、ビックコミックBUROS.NETに物語として載りました。

「俺、つしま」の書籍は既に第一巻は発売されています。それには散文のまま(途切れ途切れの話のまま)幾つかが載っています。
ビックコミックBUROS.NETにアップされたものは、ある程度の期間が過ぎると消えてしまいます。現在その物語全体を読むには過去のTwitterから探し出すしかありません。

 

何故、入交先生の書籍の紹介で、こんなことを書くかというと、この本の175ページ全体に、一人の男性高齢者と一匹の猫の絵がありますが、この男性が前述の物語に登場するのです。

ぱっと見ると「なんで猫の本に、男性高齢者を大きく、猫を小さく描いた絵に一ページ使っちゃうの?」とおもう人もいることでしょう。
この絵を見ていると、猫と男性の存在感の大きさが同じように感じてきます。猫も高齢であり、この二人には特別な繋がりがあるようにも見えてきます。

前述の物語にはタイトルらしきものとして「onece upon a time in somewhere(いつか 知らないところで)」と表示されていましたが、私は「さんぶんこ」物語と呼んでいます。それが今年五月に発売される第二巻に載るのか、それが気になって仕方がありません。

その「さんぶんこ」物語に出てくる魚屋さんが、175ページの男性にとても似ているのです。
店の魚を泥棒猫して追われたりもするのですが、ヤマ場の一つである夜明け前に、主人公のつしまがTNRのトラップにかかった「テルオ」のために闘う決意をしたときにも、彼の頭の中に出てきたりもします。

もし、この「onece upon a time in somewhere(「さんぶんこ」物語)」が映画化されたら絶対に観に行きます。しかし、映画化は出来ないでしょう。
猫の自然な動きや逆に擬人化された動きを実写で撮ることはできないだろうし、アニメ化したら、この作者の画の魅力を半減してしまうだろうから。
ストーリーを思い出すと涙が込み上げてきますが、それはあの絵があるからです。擬人化しても猫であると見えるところに凄みさえ感じる画力です。

 
そんな猫を猫らしく描く漫画家を選んだ入交先生なので買いました。読んでみて、「うんうん、この選択はとっても正しい」と再確認。猫の生活を説明する挿絵にはベストチョイスだとおもいます。やはり入交先生は凄い先生だ!

本書の中の絵は、猫の習性を説明する補足として使われていることがほとんどですが、何ページか魚屋さん似の高齢者が描かれたページのようにイメージを伝えるページがあります。
猫が擬人化され、鮨屋のウィンドウをながめていたり、他の人(猫)が使用中の個室(トイレ)のドアを開けてしまい驚いたり、母親(猫)連にれられて町中を歩いていたり、みんなで読書していたり、服を着てお洒落をしていたり。
魚屋さん似の男性が描かれているページは、認知症について語られている章であり、絵が人間の高齢者と猫の高齢者であることから使われたのだとおもいます。

 
挿絵の素晴らしさもありますが、猫について現在分かっていることを科学の裏付けをもって説明してくれている本書は、現在(いま)猫を飼っている人なら一読しておいた方がいいとおもいます。
猫のことに限らず、「過去の常識が現在(いま)の非常識」であることもあります。共に暮らしている猫を、そしてご自分を守るためにもお薦めの一冊です。

猫が幸せならばそれでいい: 猫好き獣医さんが猫目線で考えた「愛猫バイブル」

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2018年11月12日 (月)

東京タワー水族館(本編)

前書きからのつづき)
2018年9月末をもって閉館すると知り、9月10日の午前中に行った東京タワー水族館で見たこと考えたことなど。
 

東京タワーは駅から少し歩く。間近で見ると「こんなに小さかったっけ?」と思ってしまった。それだけ大きな(高い)建物が増えたのでしょう。


お土産やさんのような店内奥に入口があり、入ってすぐに小さく仕切られた水槽を組み合わせるように展示されていましたが、後から入場してくる人もいたので、ゆっくり見ることが出来ず、ここのことはほとんど記憶にない。

視界が広がって周りを見渡した後に下方に目をやると、ザリガニ釣りの会場(?)が!、縁日じゃないよね?、と思ってしまいました。
少々驚きながらも館内を見始めると値段が書かれたものがあり、「水族館といいながら実は販売業者なの?」と疑ってしまった。実際に売っていたのだろうか。
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値段が書かれたものは、これ以外にはなかったようだ。何かの間違え?


入ってすぐのエリアには、海水魚も展示されていた。
ハリセンボンが入っていたお洒落な水槽は同じ形のものが3つ並んでいましたが、このようなお洒落なものはここだけでした。
別の水槽にオニダルマオコゼの展示もあり、説明パネルも分かり易い。歴史のある水族館や動物園のほとんどは、分かり易く興味を惹くパネルがあり、経験や知識の厚さを感じる。このような水族館が閉館してしまうのは残念です。
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海水のエリアにはチンアナゴもいて、餌やりショーもあった。それほど大きくない水槽の前に30人ほどのお客さんが集まり、スタッフの人とお客さんとのコミュニケーションの中、ほのぼのとショーは行われました。
チンアナゴの水槽には、よくヤドカリが入っているのを見ますが、ここにも居ました。ここでは餌としてアカムシをあげているようですが、海水の中では短時間で動かなくなってしまい、チンアナゴは食べようとしなくなります。それをヤドカリが食べているようです。
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その後、タツノオトシゴのショーもあり、雌雄の区別の仕方など教えていただきました。
「この子の性格は、、、」などの話もあり、水槽の中の生き物を身近に感じることが出来てよかったです。


次のエリアからは定型の水槽が多くなります。入っている魚の半分以上は大きい。「この水槽でいいのか?」とおもってしまうのですが、表情を見る限り不満は感じられないし、よく見ても健康そうに見える。人間(見ている人)に対しても好意的に見える。
まるで家庭で可愛がって飼われている金魚のようだった。
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餌やりショーとは別に、各水槽の食事も見ることが出来ました。
スタッフの方が一つ一つの水槽に、脚立と食べ物、そしてカメラを持ってまわる。ブログなどに載せる写真を撮ることと、たぶん個体管理のためだろう。

魚や亀たちは、隣の水槽がもらっている時からそわそわ。隣の水槽側に寄って行っていました。またまた「家庭で飼われている金魚と同じ」と思ってしまった。


展示されている亀が人間(お客さん)によく見えるような場所に来て、そして(食事の時間が近かったからか)よく動いていたのが印象的でした。
苔が生えてしまったワニガメさんですが、この数日後に綺麗にしてもらっている様子がTwitter にアップされていました。自然界で生きていたら生えて当たり前なのかな。
説明のパネルもいい。(ワニガメのパネルは地味だったので、曲頸類・潜頸類の説明があるこちらをアップします。)
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水族館で、亀と同様に地味に感じるハイギョ。たしかに動かないのですが、よく見えるように展示されているし、各個体も落ち着いている(健康そうに見える)感じが良かった。パネルも良かったです。


パネルというか説明といえば「(前書き)」にも書きましたが、とても長い年月存在しつづける湖に生息する魚たちの説明や展示も興味をもった。
万年単位の寿命をもつ湖の環境を再現するのは難しいとおもうので、現地で撮ったビデオなどを流してくれるのはいいとおもう。しかし(ネット上の情報を簡単に閲覧できる現在は)そのようなものに慣れすぎて「こういうの見たことある」となりますが、生きている実物を目の前にすると気持ちが変わる。

環境の多様性を実感したり、それを保存する意義を考える切欠になればと願う。


写真が少なすぎて館内の様子が分かり難いかもしれませんが、大きめの四角い水槽に大きな魚が入っている展示が多い。隣りあわせで次から次へと展示されている。その数が凄い。多種多様な魚を目の前で見ることができた。
とても簡単にまとめてしまいましたが、そんな感じの館内でした。

見ていて「人間が繁殖したものもいるだろうけど、これだけの野生種の飼育は苦労も多いだろうな」と思った。苦労のことよりも「ここにいるほとんど(大型鑑賞淡水魚)は基本的に野生種なんだろうな」と思い込んでいた。

そんな誤解を払拭してくれる展示もあった。
この水槽をみたとき、まず「自然界でこんなに目立つ色していいのかな?、人間の目には目立つけど、その地の野生動物の目で見たら保護色になるのかな」などと考えたら、こんな説明書きが。
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なんと改良品種。

犬でも昔の本を読むと「一人の飼い主としか信頼関係を結ばない」とか「家庭犬には不向き」と書かれていても、今では完全に家庭犬と受け入れられている犬種もある。これはブリーディング(品種改良)によるもの。
また、時代のニーズに合わせて、今まで存在しなかった毛色のものを作り出したり、新しい犬種を作り出すことがある。

魚の世界も同じことが行われていた。たぶん珍しくないことなのだろう。
よく考えてみれば、金魚だってそうだし(金魚の展示もありました)、錦鯉の世界もそうなのだろう。

脇道に入りすぎてしまいましたが、大型淡水魚の全てが野生種でもないし、生物学上野生種であっても、人間に飼育されることに向いている系統を作りだしているようです。(そのついでに、人間好みの色や形にもしているのは、犬などと同じなのかも。)


2018111213出口近くの展示は、身近な鯉や金魚系、亀など。
金魚については大型のものマニアックなものは別のアリアで紹介していました。
出口近くの展示は、簡易な池のようなものがあり、これもまた「昔よくあった金魚やさん?」「旅館の入口?」という感じ。池のような展示の周りには座る場所もあり、和むことも出来るようになっていた。
最後を身近な展示にするところにもこちらのコンセプトを感じた。
これらの展示のすぐ近くに「ヒレナガゴイ(ヒレナガ錦鯉)」の展示もあり、やはり熱帯魚屋さん?」と感じてしまった。
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ちなみに出口を出た所にはお土産やさんや生体の販売などはなかった。東京タワーのエレベーター乗り場近くに出る。

 
商売第一として生体を販売している業者が多い世の中で、こちらのような施設が販売し、購入者にアドバイスをしてくれるといいのでは、とおもったりもした。
しかしやってみれば、批判の声に晒されることだろう。




他にも紹介したいことがあるのですが、既に閉館していますし、時代の流れとして展示方法に疑問を抱く方もいらっしゃることでしょうから、この程度にしておきます。

そのようなことを含め、(後書き)へつづく。

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東京タワー水族館(前書き)

東京タワー水族館は、2018年9月末日で閉館しています。

8月末か9月の頭に閉館情報を知り、9月上旬に行ってみた。
閉館までに多くの人に見てもらいたいと思ったので、すぐにブログをアップしようと考えたのですが、私の文章力では誤解なく伝えられそうになかったので、閉館後にアップすることとしました。

余談を少々。

子供の頃から、世の中で動物愛護と呼ばれるようなことに興味をもっていた私ですが、子供の頃から釈然としないものを感じていました。
動物のためをおもうならペットとして飼うのは間違えなのでは?、とか、一握りのプロは別として一般人が野生動物(海の中を含む)と何らかの関わりを持つのはいいのだろうか。
そんなことを考えながらも、自分も動物に触りたいと思ったり、野生動物の情報を少しでも多く欲しがったりもした。自分の目で野生動物を間近で見たいともおもった。

人間の文化が発達し、また人間の数が増えて、人間と野生動物が近くなった(昔に比べると生息地まで苦労なく行ける)ことで、動物たちの生態が分かってきました。
その結果、人間に飼育されている動物たちも、より自然に近い環境を与えてあげようという考えが主流になりつつある。しかし、それは最近のこと。

今までは、飼う側の人間の能力の範囲で、その動物には充分だろうと思い込んだ環境で飼育するしかなかった。そのやり方には歴史があり、知識が積み上がっていっていた。それが最近は前時代的と言われるようになり始めています。

余談はここまで。

 


この東京タワー水族館は40年続いたそうです。東京タワーという場所柄、展示方法を大幅に変えることは難しかったのか、前時代的な展示を貫いていました。

今年は、サンシャイン水族館新江ノ島水族館などに行きましたが、やはり自然の状態に近い展示を心がけていました(一部、大いに疑問を抱く展示もありましたが)。

それに対して、こちらは昔からの「定型の水槽での展示」でした。入ってすぐの所に「ザリガニ釣り」もあり、昔見た熱帯魚のペットショップ?、縁日?、と複雑な感情が湧くこともありました。

何種類かの定型の水槽には大小の魚が入っています。大き目の水槽に巨大な魚が入っていて、「こいつには狭いだろう」とおもったのですが、その魚は健康そうに見えました。この展示(飼育)方法でも、魚たちにとって悪い環境とは言えないみたいだ、とモヤモヤしたものを感じながらの観察(鑑賞?)となりました。

そのモヤモヤを分かってもらいたくて、一人でも多くの方に見てもらいたかったのですが、たぶん私がこの水族館に対し批判的な気持ちを抱いたのだろうと読めてしまっては、行こうとおもった人も行かなくなってしまうので、アップを閉館後にしたのです。

もし東京タワー水族館に行き、私のようなモヤモヤを抱いて、色々と考えた方がいらしたら、どのように考えたのかお聞かせいただければ嬉しいです。

 


私は以下のようなことを考えました。

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魚などの大きさに対して水槽が小さいし、水槽内の環境は人工的であり、生態を考慮していないのではないかと感じた反面、魚たちの(心身両面の)状態は決して悪く見えない。これは一つの完結した世界として良いのではないか。苦労して自然環境に近付けた結果、個体間の優劣がはっきりしてしまい、一部の個体の状態が悪くなるよりもよいのでは?

 
どんな展示方法であっても、珍しい魚を見て説明文を読めば、その魚の姿からその地を想像し、おもいをめぐらせます。

ある展示の説明書きによれば、湖の多くは(地球の年齢からすれば、また動物の進化のスピードからすれば)短命なものらしい。しかし稀に長命な湖があり、そこに生息する魚などは独特の進化を遂げているとか。そんな魚を見ていると、その湖のことをもっと知りたくなったりする。
その珍しい湖の環境を再現するのは困難で、よくある水槽での展示となっていましたが、そこに実物の魚がいることに大きな意味があると感じた。

こんなこともあった。
今更知ったこととして、人間が作り出した観賞魚も結構多いらしい。歴史の長いものは飼育方法も確立されている。人間の飼育下で作り出されたのだから、自然な環境下での生態は存在しない。
分かり易いものとして金魚ですが、野生種に見えたものもあり、「これも人間が作り出したものなの?」と驚いた魚もいて、「水槽だから可哀想」はあまりに短絡的なんだなとおもったり。
人間との関係で言えば「犬」のような存在なのかも。そのような魚がどれくらい、いるのか。同じ種類の魚でも、自然のものもいれば、人間に代々繁殖されたものもいるのではないか、と考えたりもした。

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東京タワー水族館を見て、感じたことがある方のお話しを是非お聞きしたいです。ここのコメントでも個人的にでも伝えていただければ幸いです。

閉館時には「魚たちの今後はまだ決まっていません」との旨が書かれていましたが、11月5日に決まった旨の発表(Twitter)がありました。

 

長くなりましたが、「おもったこと」はここまでで、続けて撮ってきた写真に説明を付けてアップしてゆきたいとおもいます。

(「本編」につづく)

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2018年11月 2日 (金)

ばまちゃんの謎

「おばま」という名前は我が家がつけたのではない。三春シェルターで「オバマ」と名付けられていた。シェルターの人に名前の由来を何度尋ねても教えてもらえることはなかった。
彼は環境省の一斉捕獲と呼ばれる活動のときに夜の森駅前で捕らえられた。国の活動で当時のアメリカ大統領の名付けられたのですから、とても重要な意味があるに違いない。

なので本当の名前の由来を知ることは諦めた。我が家なりに後付けで考えるとことにした。

まず、カタカナから平仮名に変えた。そして「お」は丁寧の「お」として「ばま」とした。我が家の犬猫は漢字でも表記することにしているので「破魔」とした。しかし、「だから何?、なんで?」状態だった。

 


10月の下旬、私は栃木駅からのびる昭和初期をおもわせる商店街を歩いていた。ふと人形店に入る。珍しいお雛様が展示されているとか。

お雛様を三月に飾り、冬が来る前に一度虫干しをする風習があったらしい。重陽の節句のときに行った「後の雛」という風習とのことなのですが、昔の絵を見ると、そこには大人の女性の姿しかなく、そして酒が描かれていた。
何やら字も書かれている私には読めず。その文書を現代文に説明したものが書かれていた。その一部を抜粋すると、「さあ、菊の酒盛りをして、遊びましょう」。今でいうところの女子会らしい。

そのお店は、創業嘉永元年の三桝屋本店という。訪れたときは、羽子板と破魔弓が並べられていて、どれも高価。私にはよく分からない世界だった。

「破魔弓」というものに興味をもった。今まで見たことがないこともありますが、「おばま」は「御破魔」で「ばまちゃん」は「破魔ちゃん」だからだ。

お雛様のことも丁寧に教えてくださったお店の方が破魔弓についても色々と教えてくださり、さらに説明が書かれた一枚の紙もくださった。A4の紙裏表にびっしり書かれている。

それによると一般的には、羽子板・破魔弓は12月・1月(年末年始)に飾られ、その月は丑寅であり、丑寅の方角と云えば鬼門なので、鬼門除けの飾り物とされている。
しかし、こちらのご主人の考えはもっと掘り下げています。(羽子板については省略しますが)破魔弓は武士階級が興った平安時代末期頃から、一族の跡取りとして認めた者に(年末に御歳暮として)贈られたそうです。

 


さて、我が家の破魔ちゃん。

我が家の鬼門除けはゆるゆるです。風水などに詳しい人がみたら「これ、絶対ダメ」という感じ。そして、そこにある部屋こそが、破魔様が鎮座する部屋なのです。破魔様はほとんど動きません。昼間はカマクラから部屋を睥睨し、魔除けとして働いているようです。
311で随分と傷んだ我が家ですが、破魔様がいらしてからは少し安定しているような気がします。

私は破魔様が、雲丹様と売僧様の跡を継ぐものなのではないかとおもうことがあります。女房にべったりでどっしり構えているところ、そして脚が短く太い、さらにアンダーコートが豊富なところは雲丹様に似ている。背中側の毛色や視力に問題がありそうなところ、脚が短く、尾が長いところは売僧様に似ている。

つまり、我が家の鬼門を守るためにやってきた雲丹売僧の跡を継ぐものとして来るべく者として来たのだと確信しました。

我が家にやってきて四年以上でやっと謎が解けました(後付けできました・笑)。

 

※後日訂正あり
オマケ

20181101aそのお店で売っていたもの。
夜廻り猫の「ワカル」ちゃんに似ていたので即購入。590円。眼鏡を入れるのにちょうどいい大きさなのですが、完全なソフトケースなので、眼鏡ケースにするのにはちょっと不安。数個くらい並んでいましたが、全て顔の表情が違っていました。
羽子板職人の人が遊びで作ったのではないかとおもっています。首の辺りに小さな鈴が着いているのですがこれは可愛い音で鳴ります。

(加筆)
使おうとしてファスナーを開けようとしたら、タグが付いていました(ケースの内側に入っていたので気が付きませんでした)。そこには大阪の会社のものでブランドは「招喜屋」と書かれていました。
羽子板職人さんが作ったものだとしたら、もっとしっかりしたものにならないかな(綿を入れて膨らませるとか)程度のことはおもっていましたが、全くの勘違いでした。ゴメンナサイ。

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2018年1月29日 (月)

映画 猫が教えてくれたこと

今日は月曜日ですが女房が休みで、一緒に映画館に行きました。観た映画はタイトルのもの。
以下、映画の中のセリフや内容を書きます。ネタバレというヤツが含まれます。それらには私の記憶違いや誤解も含まれるかもしれないことご了承ください。

猫の街として知られるイスタンブールにおける、猫と人の物語を集めて紡いだような映画。
東京の地域猫活動に日々ご苦労されている方々には「誤解を招く!」と叱られてしまいそうな映画でもある。外を自由に歩き、飼い主がいるのかいないのか分らない猫たちと、その猫たちを世話をする人たち、救われる人たちの話。

トルコのイスタンブール。私は歴史も地理も苦手で、この地がどんな場所なのか長い間知らなかった。
私が、猫の問題を見聞きするようになって間もなく、この街が「世界で最も猫に優しい街」と耳に入ってきた。実際に行った猫好き人から「理想的な街。何故、日本ではできないのか」と迫られたことがある。そこで、この街のことを少しだけ調べた。簡単に言えば、アジアとヨーロッパの境目。地理的にも文化的にも。
映画の中にも、それを感じる映像がある。また、トルコには大きな港があり世界の多くの国々の船が寄った。それらの船には猫が乗っていて、この地に残った猫も多いとか。(出航だから船に戻っておいで、と伝えても戻って来ない猫はいるでしょうから。)

基本的に、猫好きの人の話を集めた話ですが、猫嫌いな人についての話も出てくる。やはり糞尿が問題になるらしい。今までのイスタンブールは土の場所があった。ここのところ(登場人物が生きている間のそう遠くない過去に)大規模な開発が始まっているという。話を聞いている市場のような場所も再開発が決まっていて(自分たちのことよりも)猫のことが心配だと言う。

何年も前になるが「何故、日本ではできないのか」と言われた私としては、日本以上の猫天国かと思って、この映画を観ていましたが、日本の何処かの街では在り得る光景ばかり。少なくとも私は見たことがある。(その場所が今もそのまま猫が暮らしているかはしらないが。)
映画なので、テーマにあった風景や人を探したのだろう。それを考えると、土の多い場所であれば、日本でも似たような場所を見たことはある。

以上、前置き。
タイトルは「猫が教えてくれたこと」。

比較的始めの方に「動物を愛せない人は、人間も愛せない」と語る人がいる。私もそう考える。だから動物愛護は社会として看過できない事柄なのだと考えている。

最後の方に餌やりおじさんが出てくる。自分の活動について語る。その間、何箇所かの猫たちに食べ物を与えた映像が流れる。さらにその後(まだまだ餌やり映像が続く)、猫に救われた話になる。
病気になり人と話も出来くなり、病院に行っても治ることなかった。そんなときに、猫と付き合うようになり、餌やりを少しずつ始めた。そして改善してゆき、人と会話できるようになり、人を愛することもできるようなった、と。

別の男性も猫で救われたという。
捨てられた乳飲みの猫の世話をしている映像から始まる。まとめて捨てられていたそうだ。そして猫との関わりの話になる。
自分の財産のほとんどを処分し、やっと手に入れた船を悪天候で失ってしまう。手に入れてから一週間で。もちろん生活に困る。途方にくれて海岸を歩いていると、病気か怪我でもしているように大きな声で鳴いている猫を見る。しかし相手をする余裕はない。一度は無視するが、いつまでも耳に入ってくる声。猫の近くに寄るとそこには財布が落ちていた。そのときどうしても必要だった金額、ちょうどその金額だけその財布には入っていた。(ネコババしたのか?、と思ったが、金額のことやその他詳細は語られない。)

その後、別の人の話になり、この人はもう終わりと思っていたら、最後の方に再登場。
「神は人に試練を与えるという。猫は神様の使いだとおもう。」と語る。その場面では現在の船の上。船は海の上を走っている。彼の腕の中には猫。船の中には、他にも猫がいる。犬も一頭。

イスタンブールは、宗教も境目的な位置にあると聞いたことがある。
映画中、ある男性が「昔、兄と猫のお葬式をやった。ある映画の十字架が格好良くて墓石の代わりに、枝で作った十字架を置いた。自分たちとしては全く宗教的な意味はなかったが、それを見た父が焦って私を宗教学校に入れた」と。

街中の飲食店やお菓子屋さん、魚屋さんなどで食べ物をもらっている猫たちもいた。
東京の街中だったら「不衛生だ!」とお店や保健所に苦情を言う人がいるだろう。この映画の中では、そのようにしてきている店が幾つも出てくる。それらのお店は賑わっている。

観ていて思ったというか感じたことは、やはり「宗教」の存在。

私の個人的な知識として「国は国民の身体・生命・財産を守らねばならない」というものがある。不衛生や泥棒猫は許してはならことなります。今、身体・生命・財産と書きましたが、ここには精神が含まれていません。それは身体に含まれるからだと考えています。宗教や宗教的といわれる事柄が、人の精神を救ってくれるのであれば、他の権利と秤にかける価値は充分にあるだろう。それは無宗教の国に産まれた無宗教の私だから「価値は充分にあるだろう」と感じるのであって、宗教が個々人に根付き、日々の生活を救ってくれている人が多い国の人にとっては「価値は当然ある」と感じているのかもしれない。
その意味では、日本人には難解というか、誤解する人もいるかも。

最後の方に、こんなことを言っていた人がいた。開発で街の姿が変わってゆくことを暗示される映像と共に。
街には猫の問題もあるが、人間の問題もある。街が変わってきているので仕方ない。それらは別々の問題ですが、きっと何処かで繋がっている。
冒頭の「動物を愛せない人は人間も愛せない」に通じるものを感じた。

この映画を観ている限り、猫から被害を受けている人がほとんどいないように感じてしまいましたが「本当のところどうなの?」と心配になった。「嫌いな人がいる」「野良猫はどんどん少なくなるだろう」「開発が進めば猫の居場所はなくなる」など、断片的な話が入ってくるので尚更だった。

映画としてはよく作られていた。映像や編集もいい。イメージも統一されている(地下の暗視カメラの映像は仕方ないとおもう。あれはあれで楽しかった。ただし、チーズらしきがぶら下がって見えたのは疑問を感じた)。

最後の最後になって話も大体まとまり、終わりを感じた頃「映像もよかったなぁ」と思っていたら、街を空から撮ったシーンになる(たぶんドローンで撮影)。大きな川(ボスポラス海峡?)には橋がありその前後に大きな船が行き交っている。道には車が動き続けている。ドローンのゆっくりとした動きと、それらののんびりと見える動きが印象的でもあり、誰にも止められない動きのようにも見えた。屋根の茶色と日の光の具合は夕方の始まりをイメージさせた。茶色の屋根がひしめく中、巨大で真新しいビルの存在感が大きい。

この映画は「イスタンブールが猫に優しい街」であることが過去になってしまこと、そして、猫だけでなく人も輝いて生きてゆける街が変わってしまうのではないかという憂慮が根底に流れている。それを裏付けるかのような映像は美しく、制作者としても価値あるものなのだろう。

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映画.com   http://eiga.com/movie/87608/
YAHOO!映画  https://movies.yahoo.co.jp/movie/%E7%8C%AB%E3%81%8C%E6%95%99%E3%81%88%E3%81%A6%E3%81%8F%E3%82%8C%E3%81%9F%E3%81%93%E3%81%A8/361611/
映画の時間 https://movie.jorudan.co.jp/cinema/34040/
シネマティデイ https://www.cinematoday.jp/movie/T0022332

 

メインテーマとあまり関係のないこと。自分の周囲の外猫さんたちとの違い。
映画中、餌やりさんがあげている食べ物の内、カリカリ率はたぶん50%にも満たないような気がした。手作りが目についた。お店のものをあげたりしていた。
そしてお腹がぼよ~んとしている猫もいなかったような気がする。

 

最後に。映画とは全く関係のないこと。
文中、ネコババとタイプしたら「猫糞」と出てきて吃驚。本を読む習慣がない私は、このように書くとは知りませんでした。気になってパソコンの辞書(広辞苑)で調べたら「(猫が脱糞後、脚で土砂をかけて糞を隠すからいう) 悪行を隠して知らん顔をすること。落し物などを拾ってそのまま自分のものにしてしまうこと。」とのこと。
ネコババという言葉を知ってから50年くらい。子供の頃、身近かに猫がいない環境だったため、糞を隠すことを知らなかった。
見たことのないことは知らないし、想像もできない。
そんなことはともかく、猫糞(ねこばば)と言われるくらい、猫はしっかり糞を隠す習性があるということですね。

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2017年11月 9日 (木)

動物虐待事件におもうこと(6.日本の文化)

前回で終わらすと書きながら、続いてしまいました。
今回の分は書かないつもりでしたが、前回分の調べ物辺りから、「自分の認識はちょっと違っていたかも」と思うようになり、更に調べて、そこから書いておいた方が良さそうなことを書いておきます。

書きたいことは、「動物(特に猫)虐待はしっかり取り締まらないと(動物愛護と関係なしに)、国として問題なのでは」ということ。
 

ちょっと、お断り。
私は「犬との幸せな生活」を皆さんに知ってもらいたいと考えています。今、日本に流れている情報だけでは、残念な結果になることが多々ありますので、足りない部分を捕捉しようと考えています。
逆に、身近な動物と接することから生じる暗い部分は、避けて通りたい人間です。動物虐待については特に避けていますので、あまり知りません。周りの人たちは、虐待動画を見たことがある人が多いですが、私は見たことがありません。動物虐待については全く詳しくありません。

しかし、動物虐待がなくなってほしい気持ちはあります。惨いことをされる動物がいなくなってほしいし、動物虐待しなければならない人間もいなくなってほしいと願っています。

株価がバブルの頃よりも高くなったとか言っているようですが、庶民の生活は不安だらけです。そんな世の中だから、動物虐待に向かってしまうのかと考えたりします。日々の生活が充実していれば、わざわざお金や時間を使って、そんなことはしないでしょうから。

とにかく動物虐待がなくなってほしいのです。それには「動物虐待はいけないことなんだ」と広く伝えなければならないものですが、今の日本にはそのようにおもっていない人も多々いるようです。
法律で取り締ることになっても、想像していたほどは取り締まりが行われません。それは取り締まる人たちの多くもそのように考えているのでは、と思わざるを得ないのが現状です。

現場の人は上からのお達しで動いていますから、上の方の人たちに納得していただくには、1~5の中に何度か出てきた「二つの意見書」が出されるのが基本的な方向性だと思いますが、今回動物虐待のことを調べていて、以下のようにも考えました。

 

幾つかの虐待事件の経過(逮捕されたか、起訴されたかなど)を調べ始めたら、各事件について語っているブログなども読みました。そこから大手掲示板などで盛んに話がされていることも知りました。そのような場所では、動画をアップし、やり方について使う道具からコツまで話し合っています。もちろん、起こったこと(猫がもがき苦しむ姿など)についても。
隠語も数多く、その意味を知ると頭がおかしくなりそうなものもありました。凄惨な虐待は珍しいことではなく、猫に対する凄惨な虐待を楽しげに興味深く語り合っていて、幾つかの定番の虐待方法があるのですが、それを行うとどのようにもがき苦しみ死んでゆくか。またはどのような後遺症や苦痛をもちながら生きているのかを語り合っているのです。そのような掲示板を見つけることは、それほど難しいことではないことも分かりました。

また、虐待を行う人間の分類、社会がどうみているか、批判された場合にどのようjに反論すればいいのかなどが、既に出来上がっていることが分かりました。
「害獣を駆除する目的」はそこでの常套句でした。既に刑を軽くする方法さえも広まっているのです。

このように少し調べただけで、動物(ほとんどが猫)虐待が日本のアンダーグランド文化になっていたことが分かりました。

これらはネット上の話です。昔のようにインターネット(特に動画の投稿)がなかったら、このような場はなく、猫に八つ当たりしたくても方法が分からず反撃にあったことでしょう。(そう考えると、スマホの普及が動物虐待に拍車をかけたのかも。その他の犯罪も、出会い系のSNSやLINEなどでやりとりして犯罪に繋がることが多々あるようですが、それらと似ているかも。)
また、猫から人間の子供へ、についても「なんとなく分かる」ようになりました。何回もやっていれば、次の段階へ進みたくなるんだろうなと吐き気を催しながら想像しました。

 

誰かの「生命・身体・財産」に被害が及ばない犯罪を思い出しました。被害者はいないけど刑事罰が規定されているもの。「ギャンブル、売春、覚せい剤など」。(参考

その場の行為だけを考えれば、本人たちは納得ずくなので被害者はいません。しかし感覚がおかしくなり、常習性や依存がでてくると、それを行うためにお金が必要になったり、社会行動の基本的な価値観にズレもでてくる。そういうことが広まらないように取り締まる。そんな感じだとおもいます。
現在の動物虐待は、これらに入るのではないかと考えるようになりました

私は動物虐待をもっと単純なものだと思っていました。13匹の被疑者のように、専用の場所まで用意する人間は稀だと思っていました。しかし、少し調べただけでも、似たようなことをやっていると思われる人は結構な数いて、動画を見せ合い、話し合っているようです。見つけられる場所にもあるのですから、隠れた場所には幾らでもありそうです。もしかしたらそのような人が、自分が住んでいる町内に居てもおかしくないくらいの数だと感じました。

ネットで公開されているのだから、やってもいいことなんだと思い込む人もいるでしょう。はじめは見るだけ、それから少しやってみたくなる、苦しむ姿を見たくなる。何度かやってしまう。それをある程度繰り返したら飽きて次の段階が欲しくなり、人間(幼児)を対象に考えるのでしょう。または、凶器を持って大人に向い、めった刺しにして苦しむ姿を見たがるのでしょうか。

これらの事実を知り、想像してしまった結果、動物虐待をするような人たちの存在が(分かり易い言葉で言えば)「怖い」と感じるようになりました。

なので、警察の方々に「お願いだから、もっとしっかり取り締まって」と言いたくなります。余暇の時間を猫が苦しむ姿を見ることに没頭するような人間が身近にいるとおもうと恐ろしいです。

 

動物虐待は既に、日本の(闇の部分ではありますが)文化になっていました。ここで歯止めをかけていただかないと、今以上に暮らしにくい国になりそうです。

動物が好きな人たちだけではなく、国民全体が動物虐待(特に猫)の取り締まりについて、議論していただきたいと、切に願っています。

 

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2017年3月24日 (金)

新しいワタシの見つけ方(DVD)

映画というかDVDの感想文です。

日本語タイトルは、「新しいワタシの見つけ方」。
英語のタイトルは、「EMMA'S CHANCE」。

タイトルで検索したら、先頭に出てきたのはこのレビューページ
https://filmarks.com/movies/69700

スターチャンネルでの紹介ページ
http://www.star-ch.jp/channel/detail.php?movie_id=25496

 

主人公(EMMA)はアメリカの女子高生。進学のこと友達付き合いことなど悩んでいる時に、ちょっとした失敗をし、罰として馬のレスキュー施設のお手伝いをするようになり、周りを巻き込みながら人間的な成長をしてゆくストーリー。

「レスキュー施設」と言っても分からない方もいらっしゃると思いますので簡単に説明します。
助け出して保護する施設です。犬や猫にもあり、そちらは日本にも定着しつつあります。捨てられり、酷い飼われ方をしている動物を保護し、心身のケアを施し、新たな飼い主を探します。

わざわざ英語のタイトルを書きましたが、馬にとってここに入れることはチャンスです。主人公にとってもチャンスだったのです。日本語タイトルってヘンなの多いと思いますが、これもその一つ。でも、レスキュー施設なんて日本の人には分からないので、このタイトルが妥当なのかも。
馬にとってチャンスだと分かるシーンが幾つか出てきますが、ほとんどの人には分からないと思います。(メキシコ産馬肉というタイムリーなネタも出てきます。)
この映画を観ていておもうことの一つは、日本と欧米の文化や歴史の違い。

日本に於いてペットの代表格は「犬と猫」ですが、世界標準(といっても歴史的にみれば欧米白人社会と言うべきかも)では、「犬、馬、猫」です。
場所によっては、野良馬が居たりします。映画の中にもそんな話が出てきます。

よくボランティアとか寄付の歴史が違うということを言う人がいますが、この10年くらいはネットの普及もあり、日本でも寄付の感覚が根付いてきたと思います。歴史は違いますが、寄付という形が手軽に出来るようになってきたことを実感されている方も多いのではないでしょうか。
この映画の中では、資金集め(のお礼?)のパーティーが出てきます。これは日本には定着していませんね。これは感覚の違いなのかも。

この映画の話は実在の施設をモチーフにしたそうですが、やはり資金集めが必要になります。
映画を観はじめたときにレスキュー施設とは知りませんでした。施設のマークに Rescue の文字を見て「えっ?」と思いました。そして施設の規模を予想して、「日本だったら月にこれくらいは必要だろうな」とか考えて「日本じゃ無理」と思ったものです。馬房(馬小屋)の広さからして「いいな~」と。動物福祉ってやつですね。ヨーロッパの馬房を写真やビデオで見ていますが、それらと比べるとこの映画のサイズは一般的です。日本のよくある馬房と比べると「なんと羨ましい~」と感じます。馬房の広さ以外にも色々ところで「最低限」の感覚が違うな~、と感じました。
そんなことを気にし始めたら資金難にもなるだろうなと思ったりしました。

そんな話は改めて書くことにして、乗馬の話
ド素人の主人公が上達してゆく姿がなかなか良かったです。それが分かるようになっていました。(スタントの人を使った最後のシーンは綺麗すぎる感じはありましたが。)

私の感想文を読むと小難しそうにおもえてしまうかもしれませんが、気軽に観ることが出来る映画です。たぶん子供も見ることを想定して作っていると思います。
構えずに馬のレスキューのことを知ってもらいたいのではないかと思います。アメリカでも馬をペット出来る人は一握りだし、都市部で馬に触れる機会はほとんどないでしょうから、「馬との付き合いって難しんだろうな」と思っている人がほとんどだと思います。少しでも多くの人に、馬の問題と馬の素敵な部分を伝えたくて、このような映画を作ったのだと思います。

私自身、経験なしに馬の仕事に就いて、この女の子のように「馬っていいな」と思ったものでした。人間社会の中での馬について、少し分かってくると何かと考えてしまうこともありました。
私が馬の仕事をしたのは 30年以上前ですが、当時の日本にも馬のレスキュー団体はありました。しかし、その存在を知らせるだけの力もなかったような印象でした。日本の野良馬(捨て馬ですね)の存在を訴えても信じてもらえないし、ほとんどの人は「私には関係ない」という感じでした(当時、競馬が流行っていましたけどね)。
 

おっと、また小難しい話になって申し訳ない。
気軽に観てほしい映画です。馬が好きでなくても見て欲しい映画です。

日本の動物愛護もこんな感じの活動(映画作り)をしてくれたらと常々思っています。小難しいことは後回しでいいと思います。(オマエが言うな!、と言われそうですが・苦)
動物とのふれあいはいいものだ、からでいいのではないでしょうか。

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2016年10月 6日 (木)

2016.9.26 西脇基金チャリティーコンサート

過日、聴いてきたコンサートのこと。
個人的な備忘録的内容です。

鈴木直樹さんのバンドだからということで聴きに行った。西脇基金という名前は、今回初めて聞いた。
コンサートの冒頭、この基金の概要と最近の運営難の話があった。基本的な運営方針は「児童養護施設や里親のもとで暮らしている児童が、大学、短大、各種学校等へ進学する際の学費の援助」するものであり、とにかく「今、勉強するのにお金が必要だ!」という、そのような立場の子供たちを支えてきたそうです。今までの成績や素行を理由に断ることはなく、「勉強したい!」の気持ちがあればいいとか。

素敵だなと思ったのですが、現在、運営が大変らしい。ステージ上での説明とほぼ同じ内容がこちらの記事にありました。

現在、豊かな世の中に見えるかもしれませんが、勉強する機会が得られず悔しいおもいをしている人は少なくないようです。このような団体は他にもありますが、どこの団体にも末永く続いていただきたいものです。

 

コンサートのこと。

プログラムには、「鈴木直樹スウィングエースオーケストラ」と書いてある。
トランペット、トロンボーン、サックスが、各4名いたとおもう。その他、バンマスの鈴木さん、ピアノ、ベース、ドラム、ギター(&バンジョー)、ヴィブラフォン(&パーカッション)、ボーカル。総勢20名くらい。

私にとっては、青木研さんは、お馴染みの人。全くの独学を貫いているので、音楽の幅が広くて親しみやすい。鈴木さんと似ている。
活動歴50年以上のトランペットの岸義和さんもいた。名前くらいしかしらなかったドラムのサバオ渡辺さんのソロは圧巻だった。
ピアノの阿部篤志さんはご存知の方は多いだろう。ヴィブラフォンの宅間善之さんは、ジャズのステージをよく見ている人ならご存知なのではないだろうか。他にも、私のように基本ポップスしか聴かない人間も知っている人も何人かいらした。なかなかの豪華メンバーだ。

曲はスタンダードなジャズが中心ですが、チャリティーコンサートということで、ジャズを全く知らない人でも楽しめるものになっていた。幅広い層の人たちが、手拍子し声を出し一緒に楽しんでいた。そのようにするために、実力者を集めたのだろう。

コンサートの冒頭、基金の方から、「出演の皆様には薄謝で、、、」という言葉があった。このレベルに人たちに普通に支払ったらチャリティーどころではなくなるだろう。ちなみにチケットは、3,500円。どう考えても薄謝のはず。「聴かせていただいてありがとう」でした。

今回のコンサートが実現したのは、西脇基金という存在があったからですが、幅広い層の人たちが楽しめるものに出来たのは、鈴木直樹さんの存在も大きかったと思います。

 

鈴木直樹さんの直近の気軽に聴くことが出来そうなステージは、10月16日祖師谷公園で行われるいこいのコンサート。10月21日は阿佐谷ジャズストリートのバラエティー会場、かふぇ&ほーる with 遊ライブ
いこいのコンサートは、公園内、屋外です。散歩の途中で聴くことが出来ます。もちろん無料です。
 

私は、ポップス大好き人間ですが、最近のメジャー音楽は「商品」として作られ耳に届くように感じてしまうことがあります。昔からの「みんなで音を楽しむ」音楽を感じることが少なくなったような気がします。

鈴木さんはじめ、そのような音楽を伝える人が活動を続けられる日本であって欲しいと、陰ながら願っています。

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2013年6月19日 (水)

次週のラジオ(2013.6.23)

次の日曜日のラジオで、音楽コーナーをやります。
浜田省吾さんが1986年に発表した二枚組のアルバム J・BOY を取り上げます。

お届けする曲は、こちらをご覧ください。
「裏路地の少年がないじゃないか!」と口から出た方もいらっしゃるかと思いますが、いい曲ぞろいなので、今回は見送らせていただきました。
今回お届けする曲は、恋心を歌った曲を中心にお送りします。

お楽しみに~

 

その前トークのコーナー(Goog Life for You)も面白いです。
京都故実研究会を主宰されている上田有之さんをゲストに迎えて、江戸時代の文化の素晴らしさを、とても分かり易く伝えてくださいます。
鉄漿(おはぐろ)をはじめ、お化粧関係、子供の教育から毒見の文化などなど、「なるほど!」と感じること満載です!

収録時にご一緒しましたが、放送以外にもとても興味深いお話が沢山ありました。収録後にもお話してくださり、震災当日の話はとても興味深いものがありました。「物でも強い魂を持っているものがある(いる?)」という話は、「たしかに!」と納得しました。

世田谷ラジオ倶楽部 ========= http://src.main.jp/index.html
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 FM世田谷(83.4MHz)  毎週日曜 夜10時 から1時間
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(ネット配信)http://radio1.bitmedia.ne.jp/fm834/viewer.html

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2012年6月25日 (月)

残念(第一回「馬事文化講座)

若い頃、牧童をやっていた。求人広告の職種欄に「牧童」と書いてあった。
そこで教わった乗馬は、ウェスタンとブリティッシュ。馬具はとてもよく出来たものだと感じた。私なんぞ到底使いこなすことが出来ない奥の深いものだ。

そんなことを知ってしまった私は、日本の馬具を見下してしまった。

馬の仕事がどれほどのものか理解できると、本気でやるべきか否かの判断を迫らせることになる。競馬関係の仕事をしている人に、競馬学校に行くことを勧められた。その夜、色々考えた。
次の朝、馬の運動でアスファルトの道を走っているときに人馬転。膝を怪我してしまった。そして諦めた。

馬の仕事はここまでだった。

  

その後、サラリーマンになった。結婚もした。
サラリーマンをやっても、体を壊した。もどかしさを感じる日々だった。
当時、ちょっと話題になった沖縄の馬と暮らそうかと思い立ち、沖縄の離島へ。

そこで見た馬具に驚いた。
ブリティッシュのものに比べれば原始的というべきだろう。なんと手綱は一本その原理には衝撃を受けた。
歴史的に残っている、つまり、「これで充分生活出来た」ことに驚いた。どれだけ馬は人間に寄り添い生活していたのか、知りたくなった。

日本の馬との歴史は、自分が想像していたものとは違っていた。その歴史の終焉が語られない理由はとても分かり易いものだった。
それは今の原発問題にも似ているかもしれない。

 

沖縄に移住しようとして、お試しで二ヶ月ほどキビ狩りをやった。島の生活が少し分かった。私はやっていけるかもと思ったが、女房は無理だろうと思った。その島は沖縄の中でも特殊な文化があり、それについては「私もダメかも」と感じたので、諦めた。
また、東京でトラブルが起こり、急いで帰らねばならない状況になり、二ヶ月の島生活は終わった。

そして、うーにーを迎えることになる。

 

20120624a来る、7月7日、 第一回馬事文化講座がある。内容は、「日本の馬と馬具について」。ハガキで応募し、抽選で当選すれば聴講出来る。
内容を見て、大喜びで応募。そして先日、当選のハガキが届いた

しかし、ふと、「あれ?」と思った。
ハガキが届くまでに、7月7日に仕事が入ってしまっていたとっても残念。

仕事の内容は、犬具の売り子
町中のペットショップでは、あまり見ることのないようなものもあり、簡単には代わりの人は見つかりそうにない。そんなことよりも仕事は少しでもしないと・・・という状況なので、仕事を優先。

「もう馬のことは忘れなさい」ということなんだろうどう考えたって、もう馬との生活は有り得ないもんね。考えるなら、犬との生活だ

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