2020年1月13日 (月)

上目遣い(おばま年賀状より)

犬や猫など、身近な動物の写真の中に上目遣いのものがある。ちょっと可愛く見える一つのパターンだなとおもっていた。

今年の年賀状はこんな感じ。上目遣いのおばまです。

Photo_20200113183001

おばまらしからぬ表情になった。

撮影風景はこんな感じだった。

  1   2

  3   4

まぐろの刺身で顔を上げさせているのだ。
こうしないと、奥目なので目が真っ黒になってしまう。

(おばまのではないネットや印刷物で見る)上目遣いの写真に違和感をもっていましたが、その理由が分かりました。

上目遣い以外にも「人間がやったら可愛いと言われることかもしれないけれど、動物はそんなことやらない(表情にならない)んじゃないの?」と違和感を感じることもしばしば。
SNSに(自分の設定の悪さが原因だとおもいますが)そのような動画や写真が流れてくることが結構あるので、ネットから遠のき始めている私です。

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2020年1月12日 (日)

Windows 7 to 10

Windows7のサポートが、2020年1月14日で終わる。
Microsoft はほとんどパソコンに対して、無料でWindows10への移行ができるようにしてくれていますが、一台、10にするのを躊躇していたマシンがある。

一時期流行ったネットブックというもので、OSは、Windows7Starter、メモリは2Gまでしか積めず、CPUは Atom N455。CPUは Windows10非対応と書かれている。
これらのことから、10にはできないだろうと考えていた。

しかし、1月10日の夜、チャレンジするだけしてみるか、と作業を始めた。

まず、Windows7Starter状態でWindowsUpdate。7の状態でも重たくて仕方がない。Updateを行うだけで何時間もかかってしまった。11日の朝も少し行いどうにか終わる。
10になれば少しは軽くなるかも、という期待を胸に。

朝の10時頃から作業を始める。
「Media Creation Tool」と検索し、該当ページへ行き、作業開始。

難しいことはないが、とにかく時間がかかった。
10になった後も、WindowsUpdateを続けそれらが終わったのは 20時くらいだった。
途中再起動がうまくいかず時間をロスしたこともあるが、10時間もかかってしまった。


そして軽くなったか?
Windows10を2Gで動かすのはキツイ。やはり重い。
ウェブブラウザも表示が完了するまで待たされる。「遅い」ではなく「待たされる」。実用的ではない。7の時は、ここまで待たされなかった。
最近使っていなかったので、Chrome(Googleアカウント)がログアウトされていた。ログインしてみたら、やたら待たされた(1分は確実に過ぎた)。その時ネットが切断してしまい再接続にやたらと待たされた。待っている間、左から右へ流れているだろうラインが踊るように乱れていた。
ネットは、緊急時以外は使わない方が良さそうだ。


軽いテキストエディタくらいは使えるか、それを試すためにこれを書き始めた。
時々カーソルがワープすることがあるが「使えなくもないかな」という感じ。

今後、インストールされているソフトを少しづつアンインストールしてゆき、軽くなるか試してみたい。

10にして良かったか?
7のままセキュリティー面でヒヤヒヤしながら使わずにすむことは有難い。
それくらい。

実用的ではないことは確かだ。

Puppy Linux を試してみようかな。 

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2019年12月29日 (日)

スターウォーズ(9) と 「俺、つしま」グッズ&書籍フェア

女房が年末の休みに入り、新宿でスターウォーズを観てきた。
https://starwars.disney.co.jp/movie/skywalker.html

予習をしていかなかったので「これ誰だっけ?」となったりしましたが、それなりに楽しめました。きちんと作られた映画って感じ。

スターウォーズは最初(4)から観ている世代なので「ディズニーになって面白くなくなった」と感じていましたが、今回は特にそうでした。
4を初めて観た時の違和感(作り物感?)は強烈なものがありました。視覚効果も(今と比べれば)ショボかったし。

レイア姫の容姿には「どこからどう考えたら宇宙もの映画でこうなるんだ」と思ったし、ロボットやチューバッカくらいは「ふむふむ」とおもえましたが、爬虫類系、魚類系の登場人物には「自分の頭の中にはない、火星人ははじめからタコだとおもっていなかったし」と違和感いっぱいでしたが「人類の知らない宇宙にはこういうこともあるかも」とおもわせる何かがありました。
ダースベイダーのマスクのデザインもベタベタの日本人の私には「ヘンなデザイン」と感じたし(アメコミをあまり読まないので)。

今回(9)のスカイウォーカーの夜明け にはそのような違和感を感じることが出来ませんでした。登場人物は人間型がほとんど。
クライマックスも「お決まりの流れだなぁ」と。

今風の「未完結な感じも残しつつ」も含めた「整った」映画だな、という感じでした。
なので一本の映画としては、よく出来ているとおもえます。

 

  20191229a 20191229b

新宿まで出て行ったついでに「「俺、つしま」グッズ&書籍フェア」にも行ってきました。
この漫画の絵は、猫が猫のまま漫画(絵)になっているところ。展示のメインであるウィスキーのラベルは特にそれを感じます。
ラベルは二枚目で、女房はそれらが描かれたコースターを買ったのですが「一組だけだと汚れてしまうだろうから」と二組買っていました。
現在、我が家の日常使いのコースターはつーさんです。

20191229d 20191229c

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2019年10月19日 (土)

三茶de大道芸(2019.Sat.)

今日と明日は、三茶de大道芸というイベントがある。場所は三軒茶屋の各所。イベントのサイトはこちら

三軒茶屋のあちこちがステージになり、多くの大道芸人(?)がパフォーマンスを行う。
それを見に、昼食も兼ねて三茶へ。

正午前、世田谷線の駅前でオープニング・セレモニーに続いて、チャラン・ポ・ランタンの二人が登場。元々お姉さんはストリート・パフォーマーでこの三茶de大道芸にも出ていた。

これだけ有名になったので、多くの人が集まっていた。ファンの方たちと思われる人たちが、各曲の盛り上がり所も心得ていて、ポイント毎に大合唱なる。
ムスターファを演ったとき「60歳!」で盛り上がったとき、ちょっと寂しい気持ちになった。昔の60歳はそういうものだったのだろう。今の60歳はそうでもないとおもうけど。

ステージがほとんど終わりになった時、おひねりタイムに移行する。これも「上手い!」と思った。
先月、生まれて初めて大衆演劇というものを見た。平日だったので席はガラガラ。おひねりは熱心な常連さんが渡すだけで「大変だな~」とおもった記憶がある。それに対して、チャラン・ポ・ランタンの盛り上げ方やおひねりタイムへの流れ、そして次から次へと出てくる千円札に驚くばかりでした。

続いては、四家卯大。(ミスチル繋がり?、と云われればそうかも・笑)
なんと「ゆうらく通り」である。ラジオ焼きのお店の近く。世田谷線の駅前とは大違いだなとおもったのですが、ここがとってもナイスでした。
四家さんといえば砧公園での演奏に親しみがある人も多いとおもいますが、ホールやレコードでしかチェロを聴く機会のない私にとっては「なんか音が違うな」と思っていました。屋外なので楽器などの機材が限られてしまうので仕方ないんだろうなとおもい込んでいました。
しかし「ゆうらく通り」では、あの狭さで微妙な反響があるためか、とてもいい音に聴こえます。「いいものを聴かせていただきました」と正直におもえる内容でした。


午後一時も過ぎたので、近くの中華料理店で昼食。その後、大駱駝艦を見る。
あまり観る機会がないタイプのパフォーマンスなので細かい所を見てしまう。ご存知の方も多いとおもいますが、基本的な衣装(?)は最低限。紐と小さな布だけ。これが(どんな動きをしても)全くずれることがない。更に衣装を羽織ることがあるのですが、この質感も「う~ん」と唸らせるものだし、使い方も「えっ、えっ、、そんなことし続けるの?」と驚きの連続。
舞踏は「そこでそう来る!」「え~、そんなのあり?、あるよね!、出来ちゃうんだ、やっちゃうんだ」と驚きの連続。はじめの内は体の各所の細かい動きに目がいっていましたが、全体を見る余裕が出て来たらまたまた驚き。表情というか顔を含めての舞踏、表現。

 

このステージは二時頃に終わった。
二時半から四家さんが、今度は、あい・あい・ロードという場所でやるらしい。何処だろうと思ったら、昔よくマグロの解体ショーをやっていた辺りだ。
行ったけど時間が早すぎる。近くの烏山川緑道で「アート楽市」がやっているとプログラムに書いてあったので行ってみたが、雨のためキャロットタワーの4階で開催しているとか。
時間が潰せず、帰宅することに。

 

若林駅に向かい、駅近くの喫茶店「STEPS」へ。
毎年、つまみぐいウォーキングでコーヒーをご馳走になっているので、いつか行こうとおもっていたが、なかなか行けないでいた。
入店してマスターが若くて吃驚。つまみぐいの時には見たことがない。たぶん店内で次から次へとコーヒーを淹れてくれているのだろう。
昼食をしっかり食べた後だったので、私はケーキとコーヒーのセット、女房はウィンナーコーヒーのみ。味は、私たちの世代には「これだよね、ケーキやコーヒーって」という味。
私たちの後から高齢男性のお客さんが入ってきて席に着いたとおもったら、何も語らずコーヒーが出てきたようだ。コーヒーを飲む姿も洒落た方だった。この店に似合っていた。
店内では何かのCMの撮影をやっていた。マスターも出演するために、その打合せをやっていた。たしかに撮影に使いたくなる店である。

若林駅近くに来ると、ピーターセンに行くのが我が家のいつもの行動。
明日の朝のパンもゲットできた。午後の二時半くらいでしたが、お得な袋詰めが売っていた。
小さいながら多くの種類のパンがあり、飽きないパン屋さんだ。

STEPSもピーターセンも世田谷区内共通商品券というものが使える。
この商品券が使えるお店は、まずいいお店だ。

 

なかなか充実した土曜日の午後でした。
明日(2019.10.20)もイベントはあるので、興味のある方はまず三茶de大道芸のサイトを確認してみてください。

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2019年10月 4日 (金)

俺、つしま の台湾バージョン

20191004 女房が「俺、つしま」の台湾バージョンをゲットしてきた。一巻である。

外国語と言っても漢字なのでなんとなく分かる。
二冊並べてみると、日本語と漫画の相性の良さが分かる。それは「漫画との相性の良さ」ではなく「日本人である自分が馴染んできた感覚」なのかもしれない。

 

有名なシーンを挙げてみる。

「やさぐれ会」で「食べ物が出てくるときに手だけでいいのに、なんで人間の本体がなんでついてくるんだろう」と話しているページ(127ページ)。
このページは、上下2コマに分かれていて、今書いた猫たちの会話は下のコマ。上のコマには、お爺ちゃんがそびえ立って「お食べ」と言っている。それに驚くオサムが「フゥー」と言う。

オサムがそびえ立つお爺ちゃんに気付いたときの擬音が大きな字で書かれている。
日本バージョン「ぬん」、
台湾バージョンは「出現」。
(参考 https://twitter.com/tsushimacat/status/943782578288332800

こんな感じのことがあちこちにあり、
中国語は「動詞」で物事を受け止めようとするんだなぁ、擬音はあまり使わないんだな、
と思った。

 

全くない訳ではない、、、、とおもったけど。

家出した「つしま」をお爺ちゃんが探すシーン。
公園で食べているナゲットを「つしま」に手から奪われた女の子が悲鳴をあげる。それを聞きつけたお爺ちゃんが女の子の所に駆け付け、手のにおいを嗅ぐ(110ページ)。

日本バージョンでは「くん くん くん」、
台湾バージョンでは「聞 聞 聞」。
(参考 https://twitter.com/tsushimacat/status/935799272628301824

「聞」は、日本語で「けん」だから台湾だと「けん けん けん」と云うのかとおもったら、
中国語の「聞」は「におい」を意味するらしい!!!

やはり擬音はないのか。
 

擬音はともかく、動詞の表現から、その場の雰囲気を想像することに慣れているのだろう。
そのような人たちにとって、動詞(何をしたか)よりも副詞や形容詞(どうしたか)で説明し、話の流れを作る日本語は難解なのでは?
「なんで動詞を隠すの!」とイライラするのでは。

 

ふと思った。

日本には「動物愛護」という言葉がある。戦後に出来たと何処かに書いてあった気がする。
元になった英語を日本語にすると「動物福祉」や「虐待防止」だけど、日本人の感覚にすんなり受け入れられないだろうから「動物愛護」という言葉を作ったと、何処かに書いたあったような気がする。
そして、1999年の法改正では法律の名前にまで入り、何度か改正がされて、今ではとても立派な法律になった(あまりに立派で読むのに苦労します)。

この動物愛護という言葉は「何をする」よりも「どのようにする」を重んじる日本らしさなのかもしれない。

 

そんなことはさておき、
最近「俺、つしま」が進まないのが残念。

漫画じゃなくても、大きな絵を描いて展覧会とかやってほしい。
自分が大金持ちだったら、是非コレクションしたい。

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2019年9月21日 (土)

見識と識見

※見識と識見の認識が逆ではないか?、とのご指摘を受け、改めて調べましたが正直なところ分からなくなりました。
とりあえず、以下の文章は「勘違い文章」として読んでください
はっきりとした違いは分かりませんでしたが、文末に参考になりそうなことを追記しました。「動物の愛護及び管理に関する法律」で使われるべくして使われたのだろうと思いましたが「たぶん、こうだろうな」程度のことしか書けませんでした。 m(_~_)m
見識と識見でお悩みの方は、文末をご覧ください。

 

何年前のことか忘れてしまっていますが、愛玩動物飼養管理士の勉強をしていて「動物の愛護及び管理に関する法律」を読んでいた。
その中に「識見」という言葉が出てくる。その条文は、末尾にコピペします。

ネットの中にある広辞苑で調べると、大した違いはないように書いてある。
なので「ふ~ん、じゃ、なんで逆さにするの?」と程度に思っていた。

最近、やなせたかし先生の「アリスのさくらんぼ」という本を読んだ。短編集といえばいいのか絵本なのか。絵と文がある作品集です。
ご本人もなんと呼べばいいのか悩んでいたら、誰かが「やなせメルヘン」と名付けてくれたので、そういうことにしているらしい。

この本の中に「識見」という単語が出てきて、改めて調べてみた。

 

本題に入る前に、この本の紹介。
幾つかの作品がり、目次には各作品の簡単な説明が書いてある。

正確に書くと「目次」とは書いていない。「表題と内容早わかりガイド」とタイトルがあり、その横には

とりあえず短い時間で立ち読みする人、あるいは手取早く内容を知りたい人、または読まないで批評文をかく人の為の親切ガイド、でなければ読む前の胸おどる予告編。

これを読んだだけでも、一つのことを幾つもの視点で見ようとする人であることが分かる。世の中には色々な見方の人がいることを常に意識している。

この目次のようなもののはじめに出てくるのが、本のタイトルにもなっている「アリスのさくらんぼ」。その「内容早わかりガイド」は次のようになっている。

たとえばビフテキを喰べながら動物愛護を説く人にこの一編を捧げる。

これを見て、読んでみたくなった。

本全体を一通り読んでおもったことは、どの作品も誰かがやっていることにどう見るかがテーマのようだ。

 

アンパンマンが出てくる作品もある。まだアンパンマンが有名になる前。
この本の「あとがき」の日付は、一九七三年十月 となっている。

タイトルは「飛べ! アンパンマン」。
アンパンマンは(本の中で)実在し餓死しそうな子供たちを救っている。顔を食べられたアンパンマンは「なくなってしまうが、何度でも生き返る」。彼の姿は「漫画を描く才能のある人間にだけしかみえない」。
この活動を知った主人公はアンパンマンのことをかいて編集者にみせるが「こりゃあ、ダメですよ。」と言わる。子供にみせれば「全然、面白くないや、」。

人知れず子供たちを救い続け、自分は何度もなくなってしまう。ほとんどの人はその姿が見えず、見えた人が他の人に伝えても悪口ばかり言われてしまう。主人公は考える。

君はいうだろう。
「だれもしらなくていいおれは好きでやっているんだ。おれがやらなくて誰がやるのかね」と。

やなせ先生が有名になった後、行政の仕事を格安または無償で行うこともあったと聞く。この話を読んでいて、そのことを思い出した。

 

この本の中で一番長いのが「はだかのワニ」。
ある夜、流星らしきものに運ばれ空からワニがやっきて、アル島でのんびり暮らしていた。そこに年をとったターザンがやってくる。昔のスターが大通俗娯楽冒険ストーリィを大熱演して見せる。純情可憐、素朴実直なワニはスターに憧れ、ターザンからレッスンを受ける。
そんなある日のこと・・・
洪水がやってきて流された先は街。そこで皮を剥がされ、はだかにされてしまう。はだかにされたワニと出会ったテンプラア博士は新種として発表し、テンプラアーノ・カキアゲーノ・ゾオルスと命名する。そしてワニはスターになる。

そこでの一節。

 国家としてこれを見のがすわけがない。現代では政治的識見よりも人気が先行する時代で芸能人が大臣になろうかという風ですから、たちまち国立ゾオルス記念館をつくってそこにはだかのワニを入れたのです。

この作品はそこそこ長い。皮を剥がされてしまうまでも、スターになるまでも、スターになってからの日々も丁寧に語られている。それはら誰にでも起こりそうな災難ですが、誰が悪いとは言い切れない。「そういう世の中だから」としか言いようがない。それにより、純情可憐、素朴実直に生きている者たちは翻弄される。ワニを通して現代社会の生きづらさを綴っている。

しかし、ラストは御伽噺的に幕を閉じる。話としてはまとまる。しかし「これは実社会に置き換えられないな」とおもってしまう。

それに対して、アンパンマンは終わらない。
先ほど引用した行に続き、次のような一文で作品は終わる。

 しかし、おぼえておいてほしいんだ。世界中でたったひとりぼくだけは熱烈な君のファンだよ。たとえ誰もよろこばなくても、編集者は反対しても、ぼくは君の物語をかきつづけるよ。

先にも書いたが、この本のあとがきの日付は「一九七三年十月」となっている。現在、誰でもしっている「それいけ!アンパンマン」は、1975年に出版される。

 

(やっと結論)

「はだかのワニ」をお話の構成上まとめ上げるために、完全に終わらせる形をとったのが作家としての「見識」によるもの。
アンパンマンを(物語の終わりらしく)終わらせず、書き続けると意思表示したのが人としての「識見」。
こんな感じなのだとおもう。

Google で「見識と識見の違い」で検索すると幾つも出てくるが、中には広辞苑のことから「大して変わらない」と書かれているものもある。
「違うんだ」と書かれているものとして以下を紹介しておく。
https://senemon.exblog.jp/15673000/
小説や文学作品で使われている箇所を抜粋しているページ
http://kotoba.quus.net/syousetu/%E8%AD%98%E8%A6%8B/

 

冒頭に書きましたが、私が「識見」に興味をもった「動物の愛護及び管理に関する法律・第三十八条(動物愛護推進員)」をコピペしておきます。
======================
動物の愛護及び管理に関する法律
第三十八条(動物愛護推進員)
都道府県知事等は、地域における犬、猫等の動物の愛護の推進に熱意と識見を有する者のうちから、動物愛護推進員を委嘱するよう努めるものとする。
2 動物愛護推進員は、次に掲げる活動を行う。
一 犬、猫等の動物の愛護と適正な飼養の重要性について住民の理解を深めること。
二 住民に対し、その求めに応じて、犬、猫等の動物がみだりに繁殖することを防止するための生殖を不能にする手術その他の措置に関する必要な助言をすること。
三 犬、猫等の動物の所有者等に対し、その求めに応じて、これらの動物に適正な飼養を受ける機会を与えるために譲渡のあつせんその他の必要な支援をすること。
四 犬、猫等の動物の愛護と適正な飼養の推進のために国又は都道府県等が行う施策に必要な協力をすること。
五 災害時において、国又は都道府県等が行う犬、猫等の動物の避難、保護等に関する施策に必要な協力をすること。

 

==========

(以下、後日追記)

先に「識見」について以下のページを紹介しました。

小説や文学作品で使われている箇所を抜粋しているページ
http://kotoba.quus.net/syousetu/%E8%AD%98%E8%A6%8B/

同様に「見識」が使われている箇所を抜粋したページがこちら。

https://kotoba.quus.net/syousetu/%E8%A6%8B%E8%AD%98/

この2ページを見比べて、私がおもった違いは以下の通りです。

見識は日常会話でも出てきますが、基本的に一般人が関わる範囲でのことのような気がします。
その人が身につけた知識や教養と、人柄からくる行動を評価する時に使われているような気がします。評価される行動はその人が自身のために行ったものであり、結果として他人に影響もでる程度のものを評価するときに使うようだと感じました。
ある意味人間性の評価でもあると考えられます。

識見は、政治家や将軍、学者や芸術家など(一般人とは違う)プロの中のプロ(勿論知識や教養は身につけているが、その世界のトップレベルの人たち)が行う判断や作り出される作品を評価する時に付随的に用いられ、それらは不特定多数の人に影響を及ぼすことが前提にある行動・行為・活動のような気がしました。
対象になる(評価される)行為や作品はとてもレベルの高いものですが、その人たちにとっては(人間性や感情よりも)とても豊富な知識・経験から産み出される(凡人には理解できない、普遍性かつ先見性をもった)行為・作品であり、発表され世に出ることが前提(本人がそうおもっていなくても世間が注目してしまうことも含む)の事柄を評価するときに使われるようです。
その人が「凄い人」と思ってしまうと「見識」と区別がつかなくなりますが、世に出るもの、他人に作用するもの、のレベルの高さを評価することが基にあり、そこからその人を評価しているように思えてなりません。

私にとって分かり難いのは、私のような凡人には「識見」と呼ばれるくらいの知識・経験がどれほどのものなのか理解できない。
また、私自身が「不特定多数の人に影響を及ぼすことが前提にある行動・行為・活動」なんてことを経験したこともなければ、身近で見たこともない。

 

こんな感じであれば「はだかのワニ」に出てくる「政治的識見」も、「動物の愛護及び管理に関する法律・第三十八条(動物愛護推進員)」に出てくる「愛護の推進に熱意と識見を有する者」も辻褄があるような気がしてきました。

ネット上には、以上のような理解を書いている人はいないようですが、私的の理解はこんな感じでした。

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2019年9月14日 (土)

マヌル猫の脚 と 動物園のこの先

今日はボランティアで上野の噴水広場に行って来ました。
16時に終わったので俺、つしま !」展をやっていた東京藝術大学のアートプラザに寄ってきました。

現在、藝大もののけ祭り 百鬼夜行展なるものをやっています(リンクは最新の展示のものになるので、後日この記事を読んだ方は違う展示が表示されます)。

お化けものがテーマのようですが写実的な絵もありました。その中にマヌル猫の親子を描いたものがありました。母猫が座っていて、その横に居る子猫が一歩前へ歩き出そうとしているところです。

その絵を見て、なんをおもったかは書きません。
実はつい先日、子マヌル猫の観察をしてきました。そこで「ほ~、脚がこうなのか」とおもったので、写真を載せておきます。

20190914a 20190914b

マヌル猫の肘から上はこのようなになっているのです。たぶん(後ろ脚の)膝から上も似たような感じだとおもいます。
この骨格だとパフォーマンスはイエネコと比べ物にならないとおもいます。

 

この写真は那須どうぶつ王国でのものですが、何故行こうとおもったのか。
行くんだったらマヌル猫を見なければと思いましたが、わざわざ行ったのは、今、日本で最も動物園に通っていると言われている人から「あそこの猫のショーと鳥のショーは日本でトップクラスだよ」と教えてもらったから。

私もその手のことは少しは分かるので「ふ~ん」と答えながらも「あの人が言うのであれば」としっかり見ることにしました。
見た感想は「ほ~、動物のショーとしてレベル高いし、福祉も考えているんだなぁ」と感心しました。
動画をしっかり撮ってきたのでYouTubeにでもアップすればいいのですが、他の観客の方の顔がしっかり入っているので、アップ出来ないのが残念です(子マヌルの動画も)。ご覧になれば「ほ~」とか「へ~」とか「うわ~」とか言いたくなるとおもいます。

当日途中から雨が降ってきたのですが、室内展示も充実していて、人間が動物のエリアの中に入って行く(柵などがない)造りのものが幾つかありました(近年出来たらしい)。
中に入るとワオキツネザルが目の前までやって来たり、気が付くとクロエリセイタカシギが足元に歩いていたり。ハシビロコウも間近で見ることが出来ました。

個人的な考えとして「この先、動物園は展示よりも種の保存に重きを置く方向にならざるを得ないのでは?」と思っていたのですが、動物たちのこのような動きは、見る人のマナーが良いから動物たちも寄ってくるのだろうし、ショーもそれなりに考えられていたし、平日なのに観客も多かったです(猫のショーは特に)。この状況であれば、もう少し展示で頑張れるかもと思い直しました。

ただしコストはかかります。動物福祉を考えれば当然です。
なので、たまに動物園に行ってお金を使うこともいいのかな、と思ったりもしました。

実際に行ってみないと分からないことって、ありますね。

 

以上、東京芸大でマヌル猫の絵を見て思ったことあれこれでした。

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2019年9月 6日 (金)

藤城清治美術館

我が家から駒沢公園を越えて、九品仏方面に抜ける道の途中に「深沢」という交差点がある。もう五年くらい前かもっと前に、突然「藤城清治美術館」の看板が出来た。
「どこにあるのだとう?」と見たら那須高原と書いてある。「何故、那須の美術館の看板が?、ここに在っても意味がないのでは?」とその時はおもい、その後は素通りするようになった。

 

先日、那須の藤城清治美術館に行かねばならぬ用事が出来た。スルーしようと思えば出来たのですが成り行きとして行くことにした。

私の中の藤城先生と言えば、東京電力のCMくらい。ケロヨンのプロデュースのことも後から知った。その程度だった。

 

美術館の駐車場に着いた時、雨が少し降ったりやんだり。大きな門から林の中を歩く。まずチャペルがある。ステンドグラスが(私的基準で)素敵というより不思議な感じ。微妙なナウさのデザインと色彩。決して、クールやヤッベーではない。微妙なナウさだ(私的基準)。懐かしさがある。

さらに林の中を進むと池があり、その向こうに美術館がある。

建物に入ると、まず入館券を買う。自動販売機ではない。
発券の男性の方が、熱っぽく館内について説明してくださる。トイレの天井や一番奥の合わせ鏡のコーナーを強く薦められた。
この時も「東京電力の切り絵しか知らないしな~」程度にしか思えなかった。

トイレと売店の横を通り、廊下のような所に、自画像と猫の絵、それと若い頃描いたの絵(の写真も)があった。
このとき、「この人ヤバイ人だ、この人のものは観ないといけない」と直感した。
そして「もしかしてヒグチ先生って、藤城先生の影響受けているの?」と頭に浮かんだ。全く対局と思われる画風なのですが、猫の捉え方が似ているなとおもった。

館内を進み「白いねこの女王さま」を見たとき(私は白いねこの女王さまを除いて見ていました)に「えっ、え、えーーーー、この雰囲気って・・・・」と心の中で叫んでしまった。
(宗教画コーナーにあったノアの箱舟の後に、被災地コーナーの共徳丸の絵が来るのも不思議な感じもありましたが)その先にあった、ケロヨンのコナーを「うわぁぁぁ~~~」と目をひん剥いて見てしまいました。ケロヨンにこんな趣味があって、こんなことをやっていたとは!、センチュリーのV8エンジンを積んだこの車でレースって、、、、。(ごめんななさい。個人の感想です。)

この話の続きとして、一通り観て回って、売店に戻ってきたらmoe(絵本の雑誌)の2019年1月号(ヒグチ先生がメインで特集されていて、藤城先生も特集されている)が販売されていた。「やはり影響を受けているのか!」とおもって購入し読んだのですが、そのような内容はありませんでした。
やはり個人の「おもったこと」(素人の勘違い?のよう)です。

私は、ヒグチ先生のこともよく知らない。女房がヒグチ先生を好きでボリス絵日記を読んだりしていたので、たまにそれを私も読んだりした。また、何処から手に入れたのかシールが持ち物に貼られていることもあった。
そんな女房に誘われて、今年二月に世田谷文学館で開催されたCIRCUSを観たくらいで、深くは知らなかったが、このCIRCUSを観たときも「日本にもこんな凄い人がいたんだ」とおもったものでした。

両先生とも深くは知らない私が、猫の絵とレースから共通点を感じるなぁ~とおもった話でした。
なんの話かよく分からない人がほとんどだとおもう話はここまでにします。
(館内の配置は変わるかもしれないので、上記の順番ではない時もあるかもしれないし。)

 

冒頭にも書きましたが、私はこの美術館に特別の興味をなく訪れました。しかし、入って直ぐに自画像、猫の絵、そしてもう一つのテーマの絵を見て、一般的な芸術鑑賞以上の特別な興味を持ちました。moeに記事が載るように絵本的な要素(優しく分かり易い)が多分にありながら、人間のとても根源的なものに突き動かされながら(喜怒哀楽その他の混沌とした感情を自分の中で否定せず)創作活動を続けていらっしゃる先生なんだろうな、と感じました。また、表現方法について(影絵という手法によるもの以外にも)慎重にならざるを得ない何かがありそう、とも感じた。

 

それらを強く感じたのは、軍艦島や被災地の絵だった。
気仙沼の共徳丸の他、福島で防護服に身を包みデッサンしている写真もあった。そのデッサンで作られた作品には、宮沢賢治の言葉が添えられ、平和への願いを強く感じた。

絵本は空想・架空の世界で、被災地の作品は現実を模写し作られている。
それらには明らかな違いがありますが、どの作品も平和を願い、各個人(人に限らずです猫その他生き物もですが)が輝ける世の中を願っているのだろうなと思わざるをえませんでした。

 

館内はテ-マ毎の展示であり時系列には並んでいないと思いますが、表現方法が少しずつ変わっているのを感じた。最も奥の(発券の方が熱く語っていた)合わせ鏡の作品群は一つの到達点だろう。難しいこと抜きに楽しめる作品でもありますがが、これらの作品にも平和への願いを感じ、その意味でも到達点なのかも。

キリスト教との関わりからなのか、生きてきた時代的なものなか分かりませんが、今後も注目したいなと思える先生です。
1924年(大正13年)生まれの(2019年9月)現在、95歳。ピカソ画伯よりも長生きで、現役です。

 

素敵な美術館なので、改めてゆっくり訪れたい。

決して大きな美術館ではないので、平日のオフシーズンに行かれることをお勧めします。
観光地である那須を楽しみ、その中に少し時間を多めに割いてゆっくり回るのが良いかとおもいます。

先生は(極めて個人的に感じたことですが)とても個性的な方だとおもいますので、人によっては好き嫌いがあるかもしれませんが、50代以上の人であれば、想い出すものが幾つかあるとおもいます。
建物を出てから門までの林の中の道が、その余韻を楽しませてくれたりもします。

林の中のチャペルも、往きに見た時と帰りでは印象が違いました。微妙なナウさは、人を引き付ける普遍的な表現と力強い平和への願いを感じました。

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2019年8月28日 (水)

いただきもの(桃、梨、水羊羹、アーモンド)

お世話になってばかりで、何もお返しが出来ない人間の備忘録。
宝くじで1億以上当たったら、お返ししよう。

 

先の土曜日、昼から出かけていて帰りは夕方。その途中、とあるターミナル駅で電車からバスへの乗り換える。7~8分行列に並び、上手いこと座席に着くことが出来た。乗車時間は約30分なので座れると嬉しい。
席に着き、タブレットを開き、何か連絡が入っていないか確認する。「おどろき、送りました」とある。
「おどろき」って何?、と調べると桃であることが分かった。すぐにお礼の連絡をして桃の到着を待つ。

次の日、日曜日の午前中に届いた。

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冷やすといい、と書いてあるので冷蔵庫に入れる。
晩御飯の後に食べることにして、昼食は外食に出かけた。
 

外食から帰宅し、のんびりしているとまたまた荷物が届いた。今度は梨である。
毎年いただいているので、こちらのブログで見たことがある人もいるとおもう。富山県の呉羽梨。
こちらも、冷蔵庫で保存するようにと書いてある。

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う~ん、、、、入らない。
こういう時は、ご近所さんにお裾分け。
そしたら水羊羹をいただいてしましまった。「極上本、水羊羹」と書いてある。
羊羹一本なので、これなら冷蔵庫に入る!

 

その晩、何から食べようかと女房と相談。
実は女房が金曜日にパウンドケーキをいただいてきて、土曜日に開けてしまっている。これも食べないといけない。
水羊羹は急がなくても大丈夫みたい。梨の方が数があるので梨にしてみました。
美味しいです。甘いです。今年は特に甘いです。今年は当たり年(少なくとも私に届いたものは)。

呉羽梨とは、富山市にある呉羽丘陵で採れる梨のことで品種ではないようですが、幸水がほとんどみたいです。
今回送っていただいたものは、庄司梨園というところからでした(Facebookにページがありました)。

ご興味のある方はネットで調べてみてください。
生産量が限られているようなので、時期がずれると入手できないかもしれませんが。

 

次の日の晩、おどろき桃を食べる。
この桃の説明は「バリっとした触感」とある。桃で?、とおもいながら、まず皮をむく。
ペロンとはむけない。リンゴの皮のようにむいていった。
むきながら一つ食べてみる。やはり硬い。でも甘い。
このももの特徴は大きいこともある。確かに大きい。

いい加減にむいた桃を皿に入れ、女房と食べる。大小色々、形も色々。
食べるのが早すぎたのかもしれない。硬さ(柔らかさ?)が場所によって違う。味も場所によって違う。甘味の強いところ、いい感じで酸味が入っているところなど。
考えながら味わうことに慣れている人向きだとおもった。

硬くても美味しいのですが、何故か素直に受け入れられない自分を不思議におもって考えてみた。
子供の頃、本物の桃を食べたことがないような気がしてきた。食べたのは桃缶。あのトロトロ&甘々が自分の中の「桃」になってしまっているのかも。

ご興味を持った方は「おどろき、桃」で検索すると見つかるとおもいます。

 

桃を食べた次の日は、アーモンドをいただいた。
このアーモンドは時々いただくのですが、好みのものなので嬉しい。

 

いただいてばかりでお返しが出来ない私です。
いただきものがこんなにあることは、年に1~2回しかないのですが、忘れてしまう私です。
宝くじが1億以上当たったら、お返ししますので、そのときをお待ちください。

そのための備忘録ブログでした。

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2019年8月11日 (日)

ボヘミアン・ラプソディー(2回目)

前回観たことをブログに書いたような気がしたのですが探しても見つからなかった。FaceBookにも。とにかくこの映画を観たのは二回目。

感想は、映画としてよかった。観ていて飽きない、感動する。映像も楽しめる(今回は下高井戸シネマだったので迫力はイマイチでしたが)。
二回目だし、二日前にクイーン・ヒストリー2を観たばかりだったので、一所懸命字幕を追わずに済み余裕をもって楽しめた。

ただし、クイーン・ヒストリー2で本物のフレディーの映像を多々見た後だったので、ライブシーンなどでは(本物フレディーと比べて)迫力に欠けて感じてしまったのは残念。

(当たり前のことだけど)改めて「ボヘミアン・ラプソディー」は作られた映画であり、フレディー・マーキュリーというアーティストというかアートそのものとは別物であり、やはりストーリーのある映画として楽しむものだ。

クイーン・ヒストリー2もボヘミアン・ラプソディーもまた観たい。機会があれば、2がつかなクイーン・ヒストリーも。

(余談)
今読んでいる生命科学の本に「LoveとLikeの違い」の話が出てきて「ほるほど!」とおもった。
映画中、フレディーとハットンが「I like you」と語るのを見て改めて「なるほど!」と。同性愛というものが少し理解できたような気がした。

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