2019年2月23日 (土)

ヒグチユウコ展 CIRCUS

20190223a2月21日(木)、平日の午後に世田谷文学館で行われている、タイトルの展示を観てきました。

消えてしまうとおもいますがプレスリリースはこちら。特設サイトはこちら
観てきた感想を一言でいうと、「これで 800円は安い!」。見応えある作品がいっぱいでした。

女房に誘われて行きましたが、私はヒグチユウコという人のことをよく知りませんでした。
会場に入ったら、「なんか見たことある」となり、「あぁ、これ知ってる」というキャラクターも。そんなこと抜きにしても楽しい、そして興味深い展示でした。

20190223i絵や立体作品が並べられているだけではく、覗き穴やシートをめくったり絵本の見本が何箇所にも置かれて見ることが出来たり。初期の作品を見ることができたのもよかったです。

上半身が猫、下半身が蛸、手は蛇のギュスターヴくんやひとつめちゃんなど定番のキャラクターだけではなく、今井昌代さんとのコラボ、カカオカー・レーシング、女の子の一連の作品(ホラーと名付けられているようです)などなど。こちらの本 (「バベルの塔」展はタラ夫くんが宣伝していましたね)の中の絵の原画も何点かありました。
どれも独特な世界観があり、時に衝撃的なのですが、最も衝撃的だったのは「きのこ会議」。きのこたちが自分を守るために策を講じるのですが、その結末は!!

多くの作品を見ていて、創作活動が好きで好きで仕方がない人なんだな、と感じたと共に「どんなものも見てみよう」または「自分が嫌いなもの、拒否したくなるもの、醜いとおもうものこそしっかり見よう」とおもっているのか(怖いもの見たさ?)、何をどう描いても自分のものにしている。しっかり見ている。
なので、緻密な絵の隙間に埋められた何気ない絵もしっかり描かれてことに驚く。動植物をモチーフにした絵がほとんどですが博物画のような雰囲気があり、内臓が描かれていたりもする。

ギュスターヴくん他、猫をモチーフにしたものが多かったのですが、猫の他にインパクトがあったのがワニ。オブジェもありました。
そんなこともあり、「俺、つしま」や「ワニ男爵」を思い出した。どちらの作者よりも、ヒグチさんの方が幅広くそして深く対象を見ようとしている。表現も幅広く深い。その情熱のようなものに恐ろしさすら感じた。

何をするのもネットやパソコンを使い、すぐに答えを出すのが当たり前の時代に、それとは別の世界がありました。

会場の世田谷文学館は不便な場所にありますが、そこを差引いても、これらの展示が、800円で観ることが出来たのはラッキーでした。

 

有料の展示会場は撮影禁止でしたが、一階の広間に大きな展示があり、これらは撮影NGではないようだったので撮ってきました。

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20190223hこれらが展示されている近くに、グッズ売り場があり充実していました。
GUCCI ともコラボしているアーチストなので、高いかなとおもったのですが、そのようなことはありませんでした。

会期末まで一ヶ月以上ある平日に行ったにも関わらず、ガラガラという感じではなく、人気の高さを実感しました。行列が進まなければ見ることが出来ないという程でもありませんでしたが、覗き穴や見本の絵本はゆっくり見ることはできませんでした。

ヒグチさんが好きな方、一度よく見たいとおもっている方、興味をおもちの方、早めの平日に行くことをお勧めします。

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2019年2月22日 (金)

映画「ねことじいちゃん」のパンフレット

今日、2月22日は「猫の日」でもあり、岩合さん監督作品「ねことじいちゃん」の封切日でもある。
その10日ほど前に女房がパンフレットを入手してきた。

20190222a私たち夫婦は(昨日のブログにも書いた)「俺、つしま」のファンである。このパンフレットに「俺、つしま」の作者が何やら描いているという情報を得たので女房が入手してきた。

横長の紙を両側から横に四つ折りになっている。
一回開いて表裏を並べると、右のようになる。裏側の写真を見る限り、映像は綺麗に仕上げているようだ。岩合さんが監督なのでそこは期待できそう。
写真展や写真集もあるらしい。猫いっぱいの現場だっただろうから、岩合さんはカメラを持ち出し(監督業を忘れる勢いで)猫の写真を撮ったような気がする。写真展や写真集に納得。

右上の状態を裏返すと左下のようになっていた。「俺、つしま」の作者が描いたコメントが紙面いっぱい。志の輔さんが猫に見えてくる。何気ない絵のように見えて、猫が猫らしい。リアル猫を直接的にイメージできる。人間も雰囲気が伝わってくる。「あの俳優さんがこんな演技しているんだな」と想像できる。

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左上の状態から更に広げると、右上のように広がる。何人もの著名な方から、絵と文章でコメントが寄せられている。
その中には「人間までも猫に見えてくる」という文も。
素敵なイラストばかりで、猫のイラストもありますがリアル猫とは別な雰囲気。

 

ついでに個人的な岩合さんの写真の思い出を書かせてもらう。
私は20歳~25歳くらいまで一人暮らしをしていました。その頃、毎年壁に掛けていたカレンダーは岩合親子のものでした。
子供の頃からお父様(徳光)の写真が好きでした。海外の野生動物写真をカレンダーなどに使われていた写真家は限られていましたが、その中でも動物の生活や習性を感じることが出来るものだったので特に好きでした。

今の岩合(光昭)さんの写真を目にするようになると、お父様の写真よりも「いいな」とおもう写真が増えていきました。
何故だろう?、と考えたら、お父様の写真の良さに、一般的な写真の良さの要素をしっかり取り入れているからだと、当時の私はおもいました。時代の感覚というものでしょうか。

ポップでキャッチーなものが好きな私は、そのような岩合(光昭)さんの写真がどんどん好きになりました。
我が家にはテレビがないので、皆さんがよく話題にしている猫の番組を観たことないのですが、岩合さんの作ったものであれば、多くの人の心を掴むだろうなと想像しています。

そんな岩合さんの監督作品なので、まず映像が素敵だろうし、猫の見せ方、人の見せ方も素敵なものになっているだろうと期待しています。

 

ついでに、昨日に続き、「俺、つしま」のこと。
決してポップでキャッチーではない感じがするのですが、「こううい作り方あるよな」とおもうポイントがあちこちに。「これってあの作品(有名な映画やドラマ、小説など)へのオマージュか?」とおもうことしばしば。

昨日書いた「さんぶんこ物語」のストーリーもよくよく考えると、ストーリー作りの基本をしっかり踏襲している。ある意味、キャッチーとも言える。

下の二つの写真を見てほしい。「俺、つしま」の表紙。帯び付きと帯なし。帯なしではセミを持っています。

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この書籍中、セミが出てくる話が幾つかある。10ページにも満たない。それを読んでいるだけでも、幾つもの映画などを思い出す。
この作者の頭の中の引き出しには、多くの有名作品が入っているような気がしてならない。

 

岩合さんにはまだまだ映像作品を作り続けていただきたいし、「俺、つしま」(偶然、今日2月22日第二巻の告知があった)の作者にも漫画以外に進出してほしい。

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2019年2月21日 (木)

猫が幸せならばそれでいい 猫好き獣医さんが猫目線で考えた「愛猫バイブル」

  amazon

書籍の紹介です。
動物行動学を専門とする獣医師「入交眞巳」先生の著書です。本のタイトルは、このブログのタイトルの通り。長い。

入交先生のお話は何度か拝聴させていただいたことがありますが、私にはレベルが高い感じ。
猫や犬の行動を学問的にどのように理解すれば、生活に活かせるか、問題解決できるか、生活の質を改善できるか、などの話でした。
テーマも、結論である「こうするのがいいですよ」も、難しいことはないし説明も分かり易いのですが、その間にある理論が私には「レベルが高い」と感じてしまいました。

20190221aさて本題。こちらの書籍の話。

冒頭の章、「猫は夜行性」は勘違い、で以下の文があります。
=====
ノクターナル(夜行性)かダイアーナル(昼行性)かといえば、猫はこのどちらでもありません。猫は、クリパスキュラー(薄明薄暮性)、つまり早朝や夕暮れの薄暗い時間帯に最も活発に動く動物です。
=====

これを読んだ時に「こんな横文字言葉は知らなくていいよ」と感じ、「やはり小難しい理論の羅列や横文字がいっぱいなのかな」とおもったのですが、その先はこのようなことはほとんどなく、多くの部分は、ご自分が共に暮らしてきた猫とのことを例にしたり、身近なものを感じました。

20190221b読んでみて、皆さんにお勧めしたいとおもったので、ここに書いているのですが、冒頭に書いたように、この書籍を手にするまでは、あまり期待をしていませんでした。

しかし、日本人のある程度の数の人が、猫や犬に対して古い固定観念をもっていて、その中には間違えや今の世の中では理解されないことが多々あることを、私は危惧しているので、それを改めていただくには、入交先生のような方に活躍していただきたいと、陰ながら願っています。それで読んでみたのです。

実はそれもあるのですが、本音を書いてしまうと、(本書では「漫画」となっていますが)挿絵に惹かれて買いました。
描いているのは、「俺、つしま」で有名な、おぷうのきょうだい先生です。

「俺、つしま」は、Twitter で始まりました。はじめの頃は、気ままに書いている感じのもので、形式も決まっていませんでした。今もそんな感じです。
この漫画は、「つしま」と呼ばれるようになった猫を中心に起こったことを模写している漫画なので、伝えるために最適な形式をとっているようです。形式にとらわれず、最適な「絵で伝える」方法が私には気持ちよく入ってきます。

つまり散文なのです。内容も。
Twitter で読んでいると、「唐突に何これ?」と思う作品が載ったことがありました。それらの幾つかが繋がるだろうことは読み続けていると分かったのですが、一つの物語としてまとめることはありませんでした。しかしそれが随分と後になって、ビックコミックBUROS.NETに物語として載りました。

「俺、つしま」の書籍は既に第一巻は発売されています。それには散文のまま(途切れ途切れの話のまま)幾つかが載っています。
ビックコミックBUROS.NETにアップされたものは、ある程度の期間が過ぎると消えてしまいます。現在その物語全体を読むには過去のTwitterから探し出すしかありません。

 

何故、入交先生の書籍の紹介で、こんなことを書くかというと、この本の175ページ全体に、一人の男性高齢者と一匹の猫の絵がありますが、この男性が前述の物語に登場するのです。

ぱっと見ると「なんで猫の本に、男性高齢者を大きく、猫を小さく描いた絵に一ページ使っちゃうの?」とおもう人もいることでしょう。
この絵を見ていると、猫と男性の存在感の大きさが同じように感じてきます。猫も高齢であり、この二人には特別な繋がりがあるようにも見えてきます。

前述の物語にはタイトルらしきものとして「onece upon a time in somewhere(いつか 知らないところで)」と表示されていましたが、私は「さんぶんこ」物語と呼んでいます。それが今年五月に発売される第二巻に載るのか、それが気になって仕方がありません。

その「さんぶんこ」物語に出てくる魚屋さんが、175ページの男性にとても似ているのです。
店の魚を泥棒猫して追われたりもするのですが、ヤマ場の一つである夜明け前に、主人公のつしまがTNRのトラップにかかった「テルオ」のために闘う決意をしたときにも、彼の頭の中に出てきたりもします。

もし、この「onece upon a time in somewhere(「さんぶんこ」物語)」が映画化されたら絶対に観に行きます。しかし、映画化は出来ないでしょう。
猫の自然な動きや逆に擬人化された動きを実写で撮ることはできないだろうし、アニメ化したら、この作者の画の魅力を半減してしまうだろうから。
ストーリーを思い出すと涙が込み上げてきますが、それはあの絵があるからです。擬人化しても猫であると見えるところに凄みさえ感じる画力です。

 
そんな猫を猫らしく描く漫画家を選んだ入交先生なので買いました。読んでみて、「うんうん、この選択はとっても正しい」と再確認。猫の生活を説明する挿絵にはベストチョイスだとおもいます。やはり入交先生は凄い先生だ!

本書の中の絵は、猫の習性を説明する補足として使われていることがほとんどですが、何ページか魚屋さん似の高齢者が描かれたページのようにイメージを伝えるページがあります。
猫が擬人化され、鮨屋のウィンドウをながめていたり、他の人(猫)が使用中の個室(トイレ)のドアを開けてしまい驚いたり、母親(猫)連にれられて町中を歩いていたり、みんなで読書していたり、服を着てお洒落をしていたり。
魚屋さん似の男性が描かれているページは、認知症について語られている章であり、絵が人間の高齢者と猫の高齢者であることから使われたのだとおもいます。

 
挿絵の素晴らしさもありますが、猫について現在分かっていることを科学の裏付けをもって説明してくれている本書は、現在(いま)猫を飼っている人なら一読しておいた方がいいとおもいます。
猫のことに限らず、「過去の常識が現在(いま)の非常識」であることもあります。共に暮らしている猫を、そしてご自分を守るためにもお薦めの一冊です。

猫が幸せならばそれでいい: 猫好き獣医さんが猫目線で考えた「愛猫バイブル」

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2018年12月25日 (火)

(読書感想文)ドン・キホーテ (下)

上と中で、概要と感想を書いた。
今回は、ふとおもったことを書いておく。

今の世の中にも、当時の騎士道物語のような存在のものがあるのではないか。それは、ネットからの情報。
そんなことが頭に浮かんだ。

ネットに物事の善悪の判断を問う人が多くなったという。
しかし(そのネットで)次のようなタイトルの記事も見た。
----------
ネットで質問し、期待するものは「答え」ではなく「共感」
----------

ドン・キホーテは騎士道物語の中に自分の理想の世界を見出し、そこに入っていけば、周囲の人たちは共感してくれると信じていたのかもしれない。
しかしそうはならず、現実の人間関係、村での立場はなくなってしまった。

ネット社会に自分の立ち位置を求めすぎる人たちは、顔と顔を合わせる付き合いにストレスを感じてゆくのではないか。最近では実店舗で買い物をするのが苦手な人が増えてきていると聞いたこともある。

昔はネット社会がありませんでした。人付き合いの基本は「顔と顔を合わせる付き合い」。なので、お中元お歳暮は直接届けた。盆暮れには親戚は集まり、職場では節目節目に飲み会があるのは当たり前。それが変わってきた。
それらが好きだった人は、それほどいなかっただろう。しかし当たり前の慣習になっていた。
今はこれらを行おうとする(行わせようとする)とハラスメントになりかねない。

(このような付き合いのない)ネットの中に友達を見つけることは当たり前になりました。友達でなくても、ネット上で意見を言い合う(←話し合いとはちょっと違う)こともあちこちで行われています。
それは良いことだとおもいますが、そこから導き出される結果が、顔と顔を合わせる社会での問題解決に必ず役立つものなのだろうか。
勿論、役立つこともあるだろう。しかし、そうでなくこともあるだろう。そうなったとき、本人がより辛くなるだけではないかと考えることがある。

 

ネット社会で得た(訊いた)世の中の常識により行動した結果、騎士道物語の常識により行動したドン・キホーテと同様の影響を周囲に与えることもあるのではないか、と頭によぎった。

20181225aこのようなことを考えるようになったのは、あの20数年前だ。
犬との生活は手間がかかる。しかしその手間以上の見返りがある。それを知ってもらいたいと願った。
知ってもらいたい人の多くは、(当時はネットが今ほど普及していなかったので)、書籍や一部の専門家と称していた人たちの言葉の中から、自分が共感できるものだけを選び出し、言い訳の理論武装のようにしていた。
勿論、何も改善されない。残念である。残念な生活が続くのは本人だけではなく、犬もだ。

これと同じことを今でも感じる場面がある。
ネットがこれだけ普及したので、その数は増えた。

 

ドン・キホーテは、1605年に前編が1615年に後編が出版されていますが、21世紀の現在でも「こういう人、いるな」と感じる内容となっていることに気が付いた。

名著と称される理由が分かったような気がした。

いつか、全6巻バージョンを読んでみたいとおもうようになった。

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2018年12月24日 (月)

(読書感想文)ドン・キホーテ (中)


(読書感想文)ドン・キホーテ (中)

ドン・キホーテを読んでみた。全然違った(苦)


まず感じたこと。

大きなテーマもありますが、しっかり小分けになっていて、まるで子供の頃に観たアニメ番組ようだった。各回パターンは決まっている。どうなるかある程度先が読める。そんなところも似ていた。その意味では面白い。

当時の人たちも大いに楽しんだようだ。
Wikipedia のドン・キホーテのページでも、当時の人気について書かれている。

大きなテーマは、宗教と騎士道物語。当時のスペイン(ヨーロッパのキリスト教圏?)で尊重されていたものらしい。それらに対して風刺的な内容を書くことで、大衆に考え直してほしいという感じだろうか。

決して浮き足立った内容ではない。騎士道物語という魔法まで出てくるバーチャルなものに影響されている世の中に対しての問いかけなのだろう。
そのような内容でありながら、娯楽物として多くの人に読んでもらえることが出来る内容に仕上がっている。



以下、私の感想

思慮分別なくその場の思いつきや雰囲気だけで、風車を巨人の化身であると決めつけるとおもっていたがそうではない。彼なりの知識から導かれた確固たる答えなのだ。
現実から離れてしまう原因は、騎士道物語に出てくる魔法である。彼はそれを信じ込んでいる。(信じ込んでいる振りをしているのか?、とおもうこともあった。)

私は、騎士道物語を読んだことありませんが、ドン・キホーテを読む限り、日本で云うなら武者たちの武勇伝なのだろう。
日本でも昔は妖術などが出てくる話があり庶民が楽しんだようですが、騎士道物語では「魔法」がストーリーの中で大きな役割を担っているようです。

騎士道の根底にはキリスト教の精神が流れている。日本の武士道の根底に日本古来の宗教観などが流れているのと同じなのでしょう。命のやり取りをするのであればそうなることとおもいます。
今のヨーロッパの人たちにとっても、キリスト教というものが人々の心の拠り所になっていることは話に聞きますが、当時は今まで以上にその影響は大きかったようです。

そのような世の中で、騎士道物語を読みふけり「自分は世の為人の為に遍歴の騎士になるべきだ」と思い込み実行する。その道中は(魔法が出てくる)騎士道物語の常識により判断し、問題を解決をしようとする。

現実は魔法もなければ、問題さえないことが多い。しかし、騎士道物語の常識で考えれば、彼が出す答えは間違えではないのだろう。

馬鹿げているとおもうのは簡単。
今の世の中でも、何らかの教えによってゴタゴタを起こす人はいる。そのようなことを語りたいのだろうなと感じた。



私が抱いていたイメージとの違いを書いておく。

とにかく手柄を立てたくて、思慮分別なくその場の思いつきや雰囲気だけで、風車を巨人の化身であると決めつける話だと想像していた。お気軽なドタバタ小説だとおもっていた。つまり子供向けの単純な話だとおもっていた。
そのイメージとの違いを書いておく。

彼には「こいつと戦わねばならぬ」と決め付けるだけの、膨大な数の騎士道物語という根拠があった。
読み始めた頃は「それにしてもただのいかれたオヤジだ。人間としてもダメ。周りの人にどんだけ迷惑かければ気が済むの?」と感じたのですが、読み進めてゆくと「人間としては、いい人かも」とおもうようになる。騎士道物語に出会わなければ、いい人として一生過ごしただろうなとおもう場面が幾つかでてくる。それをおもわせるストーリーもある。

20181224a従者であるサンチョ・パンサは、無学であり欲深い人間のようにも読めるが、こちらも読み進めると、多くの諺を知っているし、思慮深く、生きるために必要なもののみを欲しっているだけであることに気づく。それに対し、学があり、生きるためには必要不可欠ではないもの(つまり必要以上のもの)までも欲するドン・キホーテ。この二人が対照的に描かれていた。

騎士道物語や騎士道、キリスト教の昔からの慣わしなどに疑問を抱くべきという想いが著者にはあり、その裏返しをドン・キホーテに投影した。
生きるためには、世間で云われているほど格好良くなくてもいいし、実際そんなことを言っていられない。そのようなことを伝えたかったのだろう。

読み始めるにあたり、少し調べた。
著者は(苦労の連続という意味で)波乱の人生であったことを知る。何度か投獄もされているが、真面目に仕事をしていただけではなかったのだろうか、生きることに真剣だった結果、投獄されたのかも、とおもう。

20数年前「自分はドン・キホーテに似ているのでは?」は明らかな間違えで、著者であるセルバンテスに似ているのかもしれない。
しかし、自分と比べるのはおこがましいの一言である。

このバージョンは、子供も楽しめるものだし、大人が真剣に読むには単純すぎる。
いつか完全バージョン(全6冊らしい)を読んでみたいものだ。

 

読み進めている内にあることに気が付いた。
そのことを次回書きたいとおもう。

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2018年12月23日 (日)

(読書感想文)ドン・キホーテ (上)

20181223a読書感想文、二つ目は「ドン・キホーテ」。
書いてみたら(毎度のこと?)長くなったので3つに分けて、上中下にします(苦)

Wikipedia のドン・キホーテのページを読むと、以下のような一文がある。
===========
2002年5月8日にノーベル研究所と愛書家団体が発表した、世界54か国の著名な文学者100人の投票による「史上最高の文学百選」で1位を獲得した。
===========

世界的に有名な小説らしい。

作者はセルバンテス。私が読んだものは牛島信明編訳。
「編訳」とある通りアレンジがしているものらしい。
ドン・キホーテは前後編に分かれているが、それを上手く繋げたバージョンとのこと。また、とても長い小説らしいのですが、これは一冊にまとまっている。

この本は図書館で借りたものですが小中学生向けの場所にあったものです。
その本は既に返してしまったので、記憶を手繰りながら感想文を書いてみます。

 

20181223b
子供の頃からこの「ドン・キホーテ」のことは知っていた。しかし本を読む習慣がない私は読まなかった。
「頭がおかしくなった男が英雄気取りで風車に戦いを挑む話」と聞かされ、それだけ知れば満足だった。

 

二十数年前、犬を迎えた。当時の私は一日のほとんどを犬と過ごした。また、犬について的確な知識を与えてくださる人たちにも恵まれた。
「恵まれた」ことに気が付かず、「なぁ~んだ、犬との暮らしって簡単じゃん。みんなちょっと勘違いして苦労し過ぎ~」と勘違いした。

その頃「犬とゆく」をはじめることを考える。
「ここを入口に、皆が勘違いに気付くれるよな、きっと」と勘違いしながら。
そして勘違いに気が付いてゆく。一つ気付き考え直して進むと、それも勘違いだと気が付く。

遠くの目標が見えるのに、次の一歩を何処に出していいのか分からない。そんな自分を情けなくおもいイライラもした。

そのようなとき、ドン・キホーテもこんな感じなのかな、とおもった記憶がある。
誰でもいいから相手を見つけて戦いを挑めば楽になれるだろうけど、その(とりあえずの)相手さえも分からない自分。
ドン・キホーテは戦う相手決め付けることによって手柄を得ようとしたが、戦いに負ける。そのように想像していた。
私は、おもいつく相手が本当は戦うべき相手ではないことを、的確な知識を与えてくださった人たちから教えてもらい、自分でもそれを確認していった。その違いはある。
違いはあるものの、その焦りのようなものは似ているだろうと想像していた。

今でも、勘違いが確認されたり、焦りを感じるとき、ドン・キホーテが頭に浮かぶ。
なので、そのことを確認したくて、いつかはこの本を読んでみようとおもっていた。

先日、女房に付き合って図書館に行った時、何気なくこの本を(図書館内の検索サービスで)検索したら館内にあったので借りてみた。

つづく

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2018年12月22日 (土)

(読書感想文)人生の旅をゆく2

年末になったので今年読んだ本の読書感想文幾つか簡単に書いておこうとおもう。


まず、「人生の旅をゆく2」、著者は、よしもとばなな(現:吉本ばなな)さん。エッセイ集。
小説をほとんど読まない人間なので、今まで彼女の本を読んだことはない。

この本は女房が誰かからいただいてきた。犬との生活の話もあるので、それで我が家に辿りついたのだろう。

 

冒頭の方に犬との話が幾つかあった。次は、著者の子供の頃、若かりし頃のエピソードなどがあり、さらに読み進めると亡くなった忌野さんへの想いを語る。そして、東日本大震災に関わる話になる。震災の翌年お父様(吉本隆明氏)を亡くし、自身の在り方を考えさせられる内容が多くなる。

このエッセイ集は書下ろしではなく、あちこちに書かれたものを集め編集し直したものらしい。それらは 2008年から2012年に書かれたものであり、出版は2012年の秋。
東日本大震災と存在感の大きなお父様が亡くなったこともあってか、心の内側に目が向けられる内容のものが多いと感じた。

下町で育った著者は、子供の頃、隣近所の家では留守でも鍵がかかっておらず、留守のときに子供がお邪魔して台所のテーブルの上に置いてある(用意されている)お菓子などを勝手に食べることが当たり前だったと書いてあった。
子供の頃、ご近所さんと生活を共有し合って日常を過ごしてきた著者は(震災やお父様が亡くなる以前から) 現代における人間関係の常識に違和感をもっていたようです。
なので尚更、もっと人と人は直接関わるべきではないのか、と震災の時に感じたのだとおもいます。

 

東日本大震災から8年経った今読むと、「あの時はみんなこんな感じだった。今読むと大袈裟に読める」と感じた。それが正直な感想。

そしてふとおもった。 

あれはブームだったのか。それとも心から願ったのか。
遠くの地で甚大な被害があっても、自分はそれほどでもなかったから、忘れてしまえばそれまでなのか。
世の中に対してよりも、自分に対しても問いかけたい。

あのとき自分は何を書いただろう。
今、大袈裟といわれようとも、綺麗事といわれようとも、この本に書かれていたようなことを、たまには書こうとおもった。

そんな一冊でした。

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2018年12月21日 (金)

ヒラタアブ

ブラウザのブックマークを整理していたら、「こんな虫のことを調べたらな」と思い出したので書いておく。

今年の春、まだ寒い時期だったとおもう。家の中に黄色と黒の縞模様の蜂のような虫がいた。驚いて出て行ってもらおうと考えたのですが、よく見ると蜂ではなさそう。そこで調べてみた。

どうもヒラタアブという虫らしい。ハエ(双翅)目ハナアブ科ヒラタアブ亜科の虫。
私が見たものは、以下のページの「オオヒメヒラタアブ」が似ていた。
http://chigaku.ed.gifu-u.ac.jp/chigakuhp/html/kyo/seibutsu/doubutsu/07hae/hirataabu/

この虫はどんな虫なのか調べた。
なんとアブラムシを食べてくれるらしい。
http://www.boujo.net/handbook/hana/hana-290.html

それが分かってからは大事にしてあげた。
今年はアブラムシの姿を見ることはほとんどなかった。

ヒラタアブのお陰か!

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2018年11月12日 (月)

東京タワー水族館(本編)

前書きからのつづき)
2018年9月末をもって閉館すると知り、9月10日の午前中に行った東京タワー水族館で見たこと考えたことなど。
 

東京タワーは駅から少し歩く。間近で見ると「こんなに小さかったっけ?」と思ってしまった。それだけ大きな(高い)建物が増えたのでしょう。


お土産やさんのような店内奥に入口があり、入ってすぐに小さく仕切られた水槽を組み合わせるように展示されていましたが、後から入場してくる人もいたので、ゆっくり見ることが出来ず、ここのことはほとんど記憶にない。

視界が広がって周りを見渡した後に下方に目をやると、ザリガニ釣りの会場(?)が!、縁日じゃないよね?、と思ってしまいました。
少々驚きながらも館内を見始めると値段が書かれたものがあり、「水族館といいながら実は販売業者なの?」と疑ってしまった。実際に売っていたのだろうか。
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値段が書かれたものは、これ以外にはなかったようだ。何かの間違え?


入ってすぐのエリアには、海水魚も展示されていた。
ハリセンボンが入っていたお洒落な水槽は同じ形のものが3つ並んでいましたが、このようなお洒落なものはここだけでした。
別の水槽にオニダルマオコゼの展示もあり、説明パネルも分かり易い。歴史のある水族館や動物園のほとんどは、分かり易く興味を惹くパネルがあり、経験や知識の厚さを感じる。このような水族館が閉館してしまうのは残念です。
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海水のエリアにはチンアナゴもいて、餌やりショーもあった。それほど大きくない水槽の前に30人ほどのお客さんが集まり、スタッフの人とお客さんとのコミュニケーションの中、ほのぼのとショーは行われました。
チンアナゴの水槽には、よくヤドカリが入っているのを見ますが、ここにも居ました。ここでは餌としてアカムシをあげているようですが、海水の中では短時間で動かなくなってしまい、チンアナゴは食べようとしなくなります。それをヤドカリが食べているようです。
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その後、タツノオトシゴのショーもあり、雌雄の区別の仕方など教えていただきました。
「この子の性格は、、、」などの話もあり、水槽の中の生き物を身近に感じることが出来てよかったです。


次のエリアからは定型の水槽が多くなります。入っている魚の半分以上は大きい。「この水槽でいいのか?」とおもってしまうのですが、表情を見る限り不満は感じられないし、よく見ても健康そうに見える。人間(見ている人)に対しても好意的に見える。
まるで家庭で可愛がって飼われている金魚のようだった。
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餌やりショーとは別に、各水槽の食事も見ることが出来ました。
スタッフの方が一つ一つの水槽に、脚立と食べ物、そしてカメラを持ってまわる。ブログなどに載せる写真を撮ることと、たぶん個体管理のためだろう。

魚や亀たちは、隣の水槽がもらっている時からそわそわ。隣の水槽側に寄って行っていました。またまた「家庭で飼われている金魚と同じ」と思ってしまった。


展示されている亀が人間(お客さん)によく見えるような場所に来て、そして(食事の時間が近かったからか)よく動いていたのが印象的でした。
苔が生えてしまったワニガメさんですが、この数日後に綺麗にしてもらっている様子がTwitter にアップされていました。自然界で生きていたら生えて当たり前なのかな。
説明のパネルもいい。(ワニガメのパネルは地味だったので、曲頸類・潜頸類の説明があるこちらをアップします。)
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水族館で、亀と同様に地味に感じるハイギョ。たしかに動かないのですが、よく見えるように展示されているし、各個体も落ち着いている(健康そうに見える)感じが良かった。パネルも良かったです。


パネルというか説明といえば「(前書き)」にも書きましたが、とても長い年月存在しつづける湖に生息する魚たちの説明や展示も興味をもった。
万年単位の寿命をもつ湖の環境を再現するのは難しいとおもうので、現地で撮ったビデオなどを流してくれるのはいいとおもう。しかし(ネット上の情報を簡単に閲覧できる現在は)そのようなものに慣れすぎて「こういうの見たことある」となりますが、生きている実物を目の前にすると気持ちが変わる。

環境の多様性を実感したり、それを保存する意義を考える切欠になればと願う。


写真が少なすぎて館内の様子が分かり難いかもしれませんが、大きめの四角い水槽に大きな魚が入っている展示が多い。隣りあわせで次から次へと展示されている。その数が凄い。多種多様な魚を目の前で見ることができた。
とても簡単にまとめてしまいましたが、そんな感じの館内でした。

見ていて「人間が繁殖したものもいるだろうけど、これだけの野生種の飼育は苦労も多いだろうな」と思った。苦労のことよりも「ここにいるほとんど(大型鑑賞淡水魚)は基本的に野生種なんだろうな」と思い込んでいた。

そんな誤解を払拭してくれる展示もあった。
この水槽をみたとき、まず「自然界でこんなに目立つ色していいのかな?、人間の目には目立つけど、その地の野生動物の目で見たら保護色になるのかな」などと考えたら、こんな説明書きが。
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なんと改良品種。

犬でも昔の本を読むと「一人の飼い主としか信頼関係を結ばない」とか「家庭犬には不向き」と書かれていても、今では完全に家庭犬と受け入れられている犬種もある。これはブリーディング(品種改良)によるもの。
また、時代のニーズに合わせて、今まで存在しなかった毛色のものを作り出したり、新しい犬種を作り出すことがある。

魚の世界も同じことが行われていた。たぶん珍しくないことなのだろう。
よく考えてみれば、金魚だってそうだし(金魚の展示もありました)、錦鯉の世界もそうなのだろう。

脇道に入りすぎてしまいましたが、大型淡水魚の全てが野生種でもないし、生物学上野生種であっても、人間に飼育されることに向いている系統を作りだしているようです。(そのついでに、人間好みの色や形にもしているのは、犬などと同じなのかも。)


2018111213出口近くの展示は、身近な鯉や金魚系、亀など。
金魚については大型のものマニアックなものは別のアリアで紹介していました。
出口近くの展示は、簡易な池のようなものがあり、これもまた「昔よくあった金魚やさん?」「旅館の入口?」という感じ。池のような展示の周りには座る場所もあり、和むことも出来るようになっていた。
最後を身近な展示にするところにもこちらのコンセプトを感じた。
これらの展示のすぐ近くに「ヒレナガゴイ(ヒレナガ錦鯉)」の展示もあり、やはり熱帯魚屋さん?」と感じてしまった。
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ちなみに出口を出た所にはお土産やさんや生体の販売などはなかった。東京タワーのエレベーター乗り場近くに出る。

 
商売第一として生体を販売している業者が多い世の中で、こちらのような施設が販売し、購入者にアドバイスをしてくれるといいのでは、とおもったりもした。
しかしやってみれば、批判の声に晒されることだろう。




他にも紹介したいことがあるのですが、既に閉館していますし、時代の流れとして展示方法に疑問を抱く方もいらっしゃることでしょうから、この程度にしておきます。

そのようなことを含め、(後書き)へつづく。

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東京タワー水族館(前書き)

東京タワー水族館は、2018年9月末日で閉館しています。

8月末か9月の頭に閉館情報を知り、9月上旬に行ってみた。
閉館までに多くの人に見てもらいたいと思ったので、すぐにブログをアップしようと考えたのですが、私の文章力では誤解なく伝えられそうになかったので、閉館後にアップすることとしました。

余談を少々。

子供の頃から、世の中で動物愛護と呼ばれるようなことに興味をもっていた私ですが、子供の頃から釈然としないものを感じていました。
動物のためをおもうならペットとして飼うのは間違えなのでは?、とか、一握りのプロは別として一般人が野生動物(海の中を含む)と何らかの関わりを持つのはいいのだろうか。
そんなことを考えながらも、自分も動物に触りたいと思ったり、野生動物の情報を少しでも多く欲しがったりもした。自分の目で野生動物を間近で見たいともおもった。

人間の文化が発達し、また人間の数が増えて、人間と野生動物が近くなった(昔に比べると生息地まで苦労なく行ける)ことで、動物たちの生態が分かってきました。
その結果、人間に飼育されている動物たちも、より自然に近い環境を与えてあげようという考えが主流になりつつある。しかし、それは最近のこと。

今までは、飼う側の人間の能力の範囲で、その動物には充分だろうと思い込んだ環境で飼育するしかなかった。そのやり方には歴史があり、知識が積み上がっていっていた。それが最近は前時代的と言われるようになり始めています。

余談はここまで。

 


この東京タワー水族館は40年続いたそうです。東京タワーという場所柄、展示方法を大幅に変えることは難しかったのか、前時代的な展示を貫いていました。

今年は、サンシャイン水族館新江ノ島水族館などに行きましたが、やはり自然の状態に近い展示を心がけていました(一部、大いに疑問を抱く展示もありましたが)。

それに対して、こちらは昔からの「定型の水槽での展示」でした。入ってすぐの所に「ザリガニ釣り」もあり、昔見た熱帯魚のペットショップ?、縁日?、と複雑な感情が湧くこともありました。

何種類かの定型の水槽には大小の魚が入っています。大き目の水槽に巨大な魚が入っていて、「こいつには狭いだろう」とおもったのですが、その魚は健康そうに見えました。この展示(飼育)方法でも、魚たちにとって悪い環境とは言えないみたいだ、とモヤモヤしたものを感じながらの観察(鑑賞?)となりました。

そのモヤモヤを分かってもらいたくて、一人でも多くの方に見てもらいたかったのですが、たぶん私がこの水族館に対し批判的な気持ちを抱いたのだろうと読めてしまっては、行こうとおもった人も行かなくなってしまうので、アップを閉館後にしたのです。

もし東京タワー水族館に行き、私のようなモヤモヤを抱いて、色々と考えた方がいらしたら、どのように考えたのかお聞かせいただければ嬉しいです。

 


私は以下のようなことを考えました。

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魚などの大きさに対して水槽が小さいし、水槽内の環境は人工的であり、生態を考慮していないのではないかと感じた反面、魚たちの(心身両面の)状態は決して悪く見えない。これは一つの完結した世界として良いのではないか。苦労して自然環境に近付けた結果、個体間の優劣がはっきりしてしまい、一部の個体の状態が悪くなるよりもよいのでは?

 
どんな展示方法であっても、珍しい魚を見て説明文を読めば、その魚の姿からその地を想像し、おもいをめぐらせます。

ある展示の説明書きによれば、湖の多くは(地球の年齢からすれば、また動物の進化のスピードからすれば)短命なものらしい。しかし稀に長命な湖があり、そこに生息する魚などは独特の進化を遂げているとか。そんな魚を見ていると、その湖のことをもっと知りたくなったりする。
その珍しい湖の環境を再現するのは困難で、よくある水槽での展示となっていましたが、そこに実物の魚がいることに大きな意味があると感じた。

こんなこともあった。
今更知ったこととして、人間が作り出した観賞魚も結構多いらしい。歴史の長いものは飼育方法も確立されている。人間の飼育下で作り出されたのだから、自然な環境下での生態は存在しない。
分かり易いものとして金魚ですが、野生種に見えたものもあり、「これも人間が作り出したものなの?」と驚いた魚もいて、「水槽だから可哀想」はあまりに短絡的なんだなとおもったり。
人間との関係で言えば「犬」のような存在なのかも。そのような魚がどれくらい、いるのか。同じ種類の魚でも、自然のものもいれば、人間に代々繁殖されたものもいるのではないか、と考えたりもした。

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東京タワー水族館を見て、感じたことがある方のお話しを是非お聞きしたいです。ここのコメントでも個人的にでも伝えていただければ幸いです。

閉館時には「魚たちの今後はまだ決まっていません」との旨が書かれていましたが、11月5日に決まった旨の発表(Twitter)がありました。

 

長くなりましたが、「おもったこと」はここまでで、続けて撮ってきた写真に説明を付けてアップしてゆきたいとおもいます。

(「本編」につづく)

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