2018年9月15日 (土)

新江ノ島水族館(その4)

その3から)

なかなか書きにくいテーマだなと、書くのに手間取っていたら、こんなニュースが流れてきた。

https://www3.nhk.or.jp/news/easy/k10011624491000/k10011624491000.html
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180911-00000070-asahi-spo

こういう大会のセレモニーのイベントとして承認もなく行うことは、非常識だと私も感じます。現在、万人が楽しめるものではなく、一部の人には著しく不快に感じるのですから。
今は慎重にショーも続ける必要があり、議論も必要な時期だとおもいます。

その議論の中で、色々な立場の人の考えを並べて聞いてみたいです。
特に、日々イルカたちの相手をしている人たちの考えや感じていること、何を理想と考えているのかなどを聴いてみたい。

 

自分がある動物に対して湧いてくる感情が、他人も同様な感情が湧くとは限らず、逆の感情をもつ人もいることを認識しなければならない時代になりました。

各地域に昔からある文化・習慣等からの動物の扱いも見直さなければなりません。
グローバリズムなる言葉が知られるようになって久しくなりました。さらに、インターネットが世界的に普及し、文字だけでなく静止画・動画も個人レベルで共有されています。
たぶん一生行くこともないだろう土地で起こっていることの情報が動画で見る事ができ、複数の人からの情報を得ることが出来る(意見も聴くことが出来る)時代です。

「日本古来の文化だから鯨を食べてきた。だからこれからも食べる」は、通用しない時代です。「世界全体で考えよう、情報共有、感情共有しよう!」という時代になってきました。

 

イルカのショーも同様の問題なのでしょう。

イルカのショーが世界的に問題視されていることは、ネットのニュースなどでも伝わってきていました。イルカを(人間の)治療などに参加させることについても、今までは配慮が不充分であったという認識が一般的になりつつあるらしいことも資料を読んだことがあります。しかし、私には高度で理解しきれませんでした。

前の方(その2)で「日常のご飯をあげるときに、じゃれあうようにトレーニングすることはそんなにいけないことなのだろうか」と書きました。
私がトレーニングを体験した相手は、馬と犬。その経験から言わせていただければ、食べ物をあげるとき(イルカからすればもらうとき)が、トレーニングの切欠になっても大きな問題はないような気がします。
しかし馬と犬は、人との関係において特殊であるといわれているので(動物のカテゴリーとして)野生動物とされるイルカにあてはめるのは間違えなのだろう。
つまり、私のような感覚で今までは水族館などのイルカショーが行われてきたが、それが間違えだ、と考えられるようになってきた様です。
(野生動物をペットにしようと考えてはいけないのも、同様の考え方だとおもいます。)

 

日本でもイルカのショーの中止を求める意見がネットで見かけるようになりました。ただし、そこに書かれている根拠を私は理解できません。大きな愛護団体や何処かの論文などに書いてあるとかいうものがほとんどで詳しくは書かれていません。
治療などに参加させることの是非についての意見も、(少しだけ読んだだけですが)「全体のこととしていいのかな?、事例が少ないのでは?」と疑問をもつような私には、こちらの論文等も「そんなに酷いのかなぁ」と感じてしまいました。

 

このような問題に関わる文書を読んでいると、こんなことが頭に浮かぶ。

日々、イルカの世話をしたり、ショーで一緒に歌ったり踊ったりしている人たちはどう思っているのだろう。
そのような仕事に就くのだから、イルカのことが大好きなのだろう。好きなことを仕事にすると葛藤があると言われますが、動物の仕事はそれが大きいことも予想できるだろうし、予想できなくても仕事に就けば分かることだ。
日々、イルカと一緒にいる人たちが、海獣の(ショーを含めた)今の飼育について、どのようにおもっているか・感じているのかを知りたい。現在議論されている内容について、勉強されている人もいるだろう。そのような海獣について知識・経験が豊富な人に話を聴きたい。

もし法律などで規制されるようになり、今とは違う感覚で飼育することになったとしたら、その飼育を行うも彼らだろう。そんな彼らがどのように感じているか是非話を聴きたいし、聴くべきなのではないだろうか。

 

その動物に近い人、現場の人、そのような人たちの話を聴きたい。

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新江ノ島水族館(その3)

その2より)

「カワウソを飼いたい!」と口にしていた女の子たちが、本気で云っていたのかは定かではありませんが、ニュースで「カワウソが人気で密輸までされている」と伝わってきている。

売れるものは売る。合法であるものは当然だし、人によっては違法であっても売買する。違法に入手した店舗から一般の人が(どのように仕入れたかを知らずに)その動物を購入することもあるだろう。

このようなことは昔からのこと。このようなことがなくなるには、「動物を飼うのは簡単ではない。忙しい現代人は特に。そして、珍しい動物は健康を保つのが大変。その動物を診ることができる獣医師を探すのも大変である」ということが一般常識にならなければ、この状況は変わらないとおもう。
また、幾つかの法律もあり「飼ったらその動物の健康管理をしっかり行うのは当然。面倒だから捨てることは出来ない。健康に飼い続けなければならない」時代である。

最近は情報が氾濫し、AだからBだ!的な解り易い情報が好まれている。そのような形式であるなら、「野生動物は一般人が飼うものではない」と広まってほしい。その理由は上記のこもともありますが他にも理由は多々あります。その理由をしっかり勉強してくれる人はほとんどいないのではないかと思うくらいに。何故なら動物は多種多様であり個体差もあるからだ。
なので単純に、「野生動物は一般人が飼うものではない」と広ってくれればいい。

広める方法の一つは教育だろう。そしてもう一つは法律で罰することだろう。つまり「やってはいけないことなんだよ」と見せしめる。
逮捕されれば、テレビなどでは実名報道がされなくてもネットで知れてしまうのが今の世の中。懲役刑になれば、さらに多くのものを失うだろう。
その過程を目にする人が増えれば、「あんなことをしてはいけないのね」と分かってもらえることでしょう。

法律で罰するようにするには問題があります。
今まで特にお咎めがなかったことを、あるとき急に咎められるようになるのであれば、今までやっていた商売できなくなる人も出てきます。その対応も含めて考えねばなりません。
この20年間は特に、動物を飼育することに対する法律の動きが活発です。法律を作ることはとても大変な作業です。それを国民に理解してもらうことも。そして、実効性のあるものにすることも。

20年あれば、子供も大人になります。教育の方でも力をいれていただければと願うばかりです。

とにかく、簡単に解決できる問題ではありません。可愛いカワウソを見ながら、可愛い若い女性の声を聞き、そんなことを考えてしまいました。

 

水族館を出たのはもう14時も近かった。駅に向かう途中、しらす丼の看板を出しているお店で遅い昼食を食べた。店内で聞こえる話声から、他のお客さんは、私たちと同じように水族館に来た人か、海水浴客のようだった。

そして電車に乗って我が家に向かう。電車のお客さんの多くは、やはり水族館か海に来た人たちだろう。夏の暑い日だったので、疲れが顔に表れている人が多い。

私はイルカショーのこと、動物園や水族館のこと、鯨を食べることなどが頭に浮かんでしまう。周りからは疲れた顔に見えたことだろう。

 

20180824_2女房は水族館で、おばまにお土産を買った。ガチャガチャで出てくるかぶりものである。どんなものがあるのが写真があった。ゴマちゃんやウーパールーパーなど可愛いものがあった。唯一あまり可愛くないし、デザインも単純で「これだけは出てほしくない」と思ったのがシャチ。
お金を入れて、ぐるっと回して出てきたものは、シャチ。

ばまちゃん、ごめんね。でも、それなりに似合っているかも。
鋭い眼差し(?)で猫パンチの瞬間まで撮らせてくれました。

つづく

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新江ノ島水族館(その2)

その1より)

新江ノ島水族館に行き、あちこち観ていた。
イルカのショーが始まる時間になったので会場へ向かった。着くと既に説明が始まっていた。

遅れて着いたので、ある程度楽しめる(見る事ができる)場所を探さねばならない。場所探しをしながら、説明に耳を傾ける。
「前の方の人は水が飛び散るから気をつけて」、とかそんなことだろうと思ったのですが、どうも説明が長い。「食べ物が、、」どうとか言っている。そのとき更に思い出した。

日本の水族館におけるイルカの入手方法が問題になり始めたのは何年くらい前だろうか。更に、イルカを飼育することを問題視している人たちもいます。ショーやそのためのトレーニング方法についても問題視している人たちもいるらしい。
そのようなことが関係していると思われましたが、場所探しに一所懸命になり詳しくは聴いていなかった。

 

そしてショーが始まる。ビックリした。「なんなんだこれは?」と思った。
イルカのショーと云えば、直立不動に近い姿勢の飼育員さん(服装も、如何にも飼育員さん)が腕をさっと上げてホイッスルをピッと吹くものかとおもっていた。全く違う。
妖精のような衣装とカラフルな網のようなスカートなのか道具なのか分からないものを身に付けている。そのような姿をした4人が出てきました。彼女たちは歌って踊る(口パクではない)。彼女たちのショーに、イルカやその他小型の鯨が一緒に参加するという形式になっている。

確かに食べ物を与えることもなく、イルカ達が一緒に参加している。慣れの問題だとおもいますが、不自然さを感じるし、力強さを感じない。自然の動きなので、そう感じるのだろう。この違和感は「イルカのショーとはこういうもの」という固定概念からくるものだろう。

地味な作業服やウェットスーツなどではない、カラフルな衣装できちんと歌って踊って(水の中ではシンクロナイズド・スイミングのように踊っていました)イルカとショーをやるのは、とても大変なことだとおもう。
パフォーマンスとしては評価すべき点は多々ありましたが、私個人としては「ここまで、こここに力を入れる必要あるの?」と感じてしまった。

日常のご飯をあげるときに、じゃれあうようにトレーニングすることはそんなにいけないことなのだろうか。「うわ~い、ご飯だ!、楽しい時間だ!」とはしゃいではいけないのだろうか。
野生のイルカの日常には、そんな時間はないのだろうか。

 

こちらに来る一週間くらい前に、女房がこんなことを言った。

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今日、スーパーに行って(ばまちゃん用の)刺身を探していたら、とっても赤黒くてちょっと違う感じのものがあったと思ったら鯨だった。
===============

このショーにはイルカ以外に小型の鯨(ハナゴンドウらしい)も出ていた。イルカよりも体が大きく、丸みを帯びた額が可愛い。
ショーを見ていたら、ふと女房の言葉が頭に浮かんだ。今、一般的に販売されているのは小型の鯨がほとんどだろうということも頭に浮かんで、「やはりもう鯨を食べるのはやめよう」とおもった。
それは、身近な動物(犬や猫など)を食べようとは思わない感覚に似ている。
実際に目の前にショーを行っている鯨を見たからこその感情だろう。

 

その後、カワウソの餌あげの時間だというので行ってみた。
ガラスの向こうにカワウソはいる。三方向がガラスになっており、餌あげがよく見える正面は人がいっぱいでもう観ることが出来なかったので、横や裏に行ってみていた。その辺りだとアナウンスがよく聞こえないので、何を説明していたのか分からない。

耳に入ってくるのは、あちこちの女の子の「カワウソ可愛いぃ~、飼いた~い」という言葉。

現在、カワウソの密輸が問題になっている。動物の飼育を仕事にしていたことがある人間としては、「水のある環境(すいすい泳げるくらいの大きさ)を提供するだけで大変だろうな。食べ物はペレットみたいのもあるだろうけど、やはり新鮮なものをあげないと病気になるだろう。あと日光浴もさせないと。紫外線当てとけばどうにかなるということじゃないだろう。相当なお金持ちでないとまともに飼うことは出来ないだろうな」と思ってしまう。

簡単に飼いたいと思うのは、「餌をあげていればお互い幸せ」とおもってしまうからだろう。
人間も身体を動かすトレーニングを日常的にやっている人がいるくらい、身体を動かすことは健康に必要なこと。(人間も)食べ物についても色々と語られている。身体といっても体だけではなく心も。飼育環境により心の状態が悪くなれば病気にもなるし、人間との関係も悪くなる。

たまに、しかもガラスの向こうやテレビなどの画面の向こうでしか見ない人には直感できないことなのだろう。

 

カピバラの展示もあった。
展示されている場所(放飼場)に不自然さを感じてしまいました。この水族館に必要なのか。最近の動物園や水族館にはいるのが当たり前の存在なのかも。

その横にはウミガメの展示場所。複数種類がよく見えるように展示されていて嬉しい反面、小笠原でウミガメを間近で見たり、沖縄の離島で話を聞いたりした人間としては、これも不自然に感じました。でも、また海で会いたい思いました。

生のウミガメを間近でみれて良かった、とおもった。忘れていた何かを思い出させてくれたと感謝した。

矛盾に満ちて我が侭です。

 

動物を展示することはどうしても不自然になってしまうことは仕方ないことですが、レテビやDVDなどで見るのとは違うものを感じます。
画面の向こうに映る小型の鯨を見ても「食べるのをやめよう」と思ったことは一度もありません。ウミガメの映像を見て、また南の海に行きたいと思ったことはありません。その違いは説明できませんが確かに違います。

そんなこともありますので、私は最小限動物園や水族館を存続してほしいと考えています。

 

そのためには客観的に理解できる議論がされることを望みます。
つづいて、そんなことを書いてみたいとおもいます。

つづく

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新江ノ島水族館(その1)

8月23日(木)、新江ノ島水族館に女房と行ってきました。
http://www.enosui.com/

特に何が見たいということもなく、なんとなく行くことに。

風はありましたが晴れて暑い日でした。いつもは車で動く我が家ですが、この日は電車で行くことに。
小田急線で藤沢までは快速急行が行ってくれるので速いです。最後の藤沢・片瀬江ノ島間が乗り換えもしなければならず、少々面倒でした。

駅から少し歩きます。その間、海水浴客とおもわれる人たちの姿がありました。そして水族館が近くなると、砂浜に並ぶ「海の家」も見え、「そういえば湘南の海って海水浴に来たことないかも」とおもったり。

まだ女房と結婚したかしないかくらいの頃(まだ江ノ島水族館だった頃)マンボウを見に来たことを記憶しています。あの当時とは海沿いの道からして雰囲気が全く違う。

 

今年の三月に行ったサンシャイン水族館と展示の考え方が似ている。その生き物の生態を紹介することを基本としている。その上で、お客さんが見易いよう工夫をしている。

マンボウはもういない。
大きな水槽には、大小色々な種類の魚などがいっぱいで、スタッフのお姉さんが水槽の中に入り、魚の説明をするショーをやっていた。女房曰く、「魚の方が危険じゃない。ばまちゃんよりも、、」とため息をつきながら呟く。
深海の生き物については、生体以外のものを含めて展示に力をいれているのを感じた。深海生物が好きな私たちは興味深く見ましたが、やはり生体が見たかったなと思うこともありました。
ここはクラゲの展示が有名らしい。幾つもの水槽あり展示方法も色々。
20180823_1水族館なので、魚を個別に展示している水槽もあった。
フウセンウオの赤ちゃんは見ていて飽きない。家に飾っておきたい気持ちにもなりますが、これは赤ちゃんで成魚になったら姿は違うだろうし、生き物ですからその気持ちにはブレーキを。だからといって写真を飾ってもつまらない。

 

入口でいただいたプログラムには、イベント開始の時間が書いてある。そろそろイルカのショーが始まるとのことで、会場に向かう。

途中、砂浜が見える通路があった。黄色い旗が強風に晒されていた。風が強く白波が立っていた。お盆も過ぎていたからだろうか、風のせいだろうか、海水浴客の姿はあまり見えない。強い日差し、強風にはためく黄色の旗、濁って白波が立つ海、その手前には綺麗な海の家が並ぶ。その風景がどこか寂しく感じた。

通路の先にイルカのショーの会場はあった。そのとき何気なく思い出した。
ここのイルカの飼育について一部の人たちが問題視していることを。
会場に着くと、既に説明が始まっていた。

つづく

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2018年9月 4日 (火)

ピーターセン @ 世田谷線 若林駅

土曜日のランチは経堂のフォロミー、日曜日はこちら。

日曜日は、女房とおばまの消耗品を買いにドン・キホーテ(世田谷若林店)に行く用事があったので、そのついでに寄った。

よくある町のパン屋さんなのですが、イートイン・コーナーがあり、しかもコーヒーのサービスもある。買い物に行く前にランチしました。

ランチの内容はこんな感じ。
20180902_1  20180902_2

左が全部で、右は「これは面白い!」とおもった「ナポリタン」。
小さなお皿のような生地にパスタが入っています。他に「カルボナーラ」もありました。
この生地では、フルーツがのっている甘いものが昔からありましたが、パスタを入れてしまうなんて素敵です。

20180902_3食事後、女房は次の日の朝食用のパンを別に買っていました。
かぼちゃとほうれん草のパンです。かぼちゃの香りがして美味しかったです。

我が家から歩いて行ける距離に、「よくある町のパン屋さん」が幾つかあります。よく考えたら幾つもあるのが恵まれているのかも。その中でも「また行きたい」とおもえるパン屋さんです。

 
食べログ
https://tabelog.com/tokyo/A1317/A131709/13170343/

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2018年9月 2日 (日)

フォロミー (Follow Me) @ 経堂

昨日、午前中に獣医さんでおばまの薬をもらったり、今後のことを相談した後、経堂駅方面へ行き、まだ11時半にもなっていなかったのですが、こちらのお店のドアを開け、「やっていますか?」と尋ねると、「はい」とのことなので、利用。

20180901_1扉を開ける前に、こちらのボードを確認していた。それでも、この時間(11時15分くらいでした)にはやっていないだろうと思っていたらやっていてくれた。有り難い。

 
経堂駅前のミネドラッグの建物(セントラル経堂)の下に地下街がある。その中の最も駅寄りの店がこちらだ。

店内は見事なほどレトロ。何故か時計がいっぱい。BGMはジャズだったりクラシックだったり。この日はクラシックだった。

そんなお店だから(?)、コーヒーは美味しい。+180円でコーヒーは当然つける。

ランチメニューはいつも二種類。一つはカレー。もう一つが定食的なもの。
この日は二人とも定食的なもの(とろろご飯)にした。

内容は以下の通り。だから何?、と言いたくなる人もいると思いますが、私たち夫婦は、これがいい、とおもっています。
20180901_2  20180901_3

ファスト・フードは何処にでもあるし、経堂駅周辺はカレー屋さんやラーメン屋さんも多い。学生街でもあるのでガッツリ系の定食屋さんもある。

なんてことない大人(50代以上)向けの定食屋さんってなかなかないですよね。このお店はそんな感じのお店です。

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2018年8月22日 (水)

アゲハ再び(たぶん)

20180822_172704もう「アゲハ」というカテゴリーを作った方が良さそうな、このブログ。

アゲハの幼虫に食い尽くされたイタリアン・パセリも葉が出始めてきた。幼虫たちは蛹になるために姿を消し、イタリアン・パセリは鬼のいぬ間の復活に励んでいる。

「このまま茂ってくれれば幼虫がいっぱいきても大丈夫かも。あと2週間くらいかな」とおもいながら、葉をよく見てみたら、写真の通り。たぶん、キアゲハの卵です。

全て違うプランターの葉です。見つけられないものもあるはずなので、また食料危機になりそうです。

20180822_172803  20180822_172837

こことは別の明日葉が茂った場所では、30匹くらいの小さな幼虫がいました。
彼らは明日葉を消化しきれずに黄色い液状の排泄物をするので小さくてもすぐに見つかります。明日葉は(今のところ)大量にありますが、この数ではこちらでも食料危機になることでしょう。

こんなことをやっているのを、近所で一生懸命ガーデニングやっている人が知ったら腹立たしくおもうかもcoldsweats01

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2018年7月27日 (金)

お腹が空かない

この10年くらいで、味覚・臭覚・視覚・聴覚が明らかに衰えた。加齢というものだろう。

子供の頃から、自分でも困っている身体の癖のようなものがある。それは衰えない。
美味しいとおもって食べた後に体調を崩すことがある。何が原因なのか、だいたいの見当はついているのですが正確には分からない。アレルギーと呼ぶべきものなのか消化器系の不具合なのか、それも分からない。とにかく、著しく体調を崩すことがある。

口で美味しいと思っても、一時間後に後悔することがある。同じようなものを食べても飲んでも全く問題ないこともある。食べ合わせもあるのかも。

美味しくて体調崩さないものを食べたときは、何故か長時間お腹が空かない。時には、次の日も空腹感がやってこないことがある。
うーにーと旅行をしていたときは、そんな経験を時々していた。うーにーが居なくなってからは、そのようなことが少なくなった。

 

しかし先日、そんなことがあったので、備忘録的な意味も含めて書いておく。

何年か振りに、犬友達あり猫友達でもある人のお宅にお邪魔することになった。うーにーが若かった頃からの付き合い。その人は、そう遠くない将来、飲食店を開く予定らしい。折角の機会なのでお昼をご馳走になることに。

ご馳走になったものはこんな感じ(分かり難い写真ですみません)。

20180726_1  20180726_2

20180726_3  20180726_5

20180726_4ビシソワーズに見えるのは桃のスープ。
デザートのケーキは、我が家の近所のお店(トロッコさん)のパウンドケーキ。
お店の人に「一本売りしてくれますか?」とお願いしたら「いいですけど、動物性のものを使っていないので三日くらいしかもたないです。日にちが経つと、植物性の油が酸化してにおいがしてくるようになってしまいます」とのこと。事前に冷凍で送っていただき、解凍後二日経っていただきましたが、そのようなことは全く感じませんでした。

車で伺ったので飲み物はノンアルコール。(簡単に言えば)炭酸入り葡萄ジュース。甘めなのですが、食事時に飲めました。「どこが扱っているんだろう」と裏を見たら、我が家の近所の会社(カルディ)。

 
美味しいし、体にすんなり入ってくるし、見た目も綺麗。色々な意味で「気持ちよく」いただけました。

食事全体として、量的に多いことはないし糖分多目とか脂が多いとかもない。気持ちよく身体に入って、ちゃんと吸収されたようです。
晩御飯の時間になってもお腹が空きませんでした。一緒に行った女房も同じコトを口にした。

 

お店が開店したら通いたいですが、近所ではないのが残念。

食事も美味しかったですが、ゴールデンと遊ばせてもらえたことも嬉しかった。開店したらお店にいつもゴールデンが居てほしいとおもいますが、それは難しいかな。

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2018年7月12日 (木)

ラブ ゼネレーション(読書感想文) その2

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ラブ・ゼネレーション [ 早川義夫 ]
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前回からのつづき。

2011年版の「ラブ・ゼネレーション」が図書館にあることを確認した後、「ちなみに、おいくら?」と調べてみた。なんと 2,700円!(文庫ではありませんでした)

図書館で予約をし、数日後、取りに行く。
何が変わっているのか。まず装丁が違う(当たり前?)。表紙の裏にも絵があったり文章があったり。
本文的には、7つのエッセイと写真が何枚かが追加されている。

 

まず、エッセイについて。
1992年版の印象は、アーティストとして歌とどのように向き合っているか、が主に書いてありましたが、2011年版で追加されたもののほとんどは、一人の人間としての考え方や感じ方が書かれている。

 

前半に加わった三章は、やはり音楽を仕事をしていることの苦悩がかかれている。

タイトルからしてそれが伝わる「僕には道楽などないとおもったらあったのですね -- JACKS解散理由 --」。

「あぶない音楽」では、デモや教育、冷戦について書かれている。
デモで女の子が機動隊に殴り殺されても報道されない。男の子が護送車から逃げようとして負った怪我が原因で骨での帰宅となったこともあった。
それについて感じること、考えることについて「僕の歌いたいことはちっちゃなちっちゃな、そう個人的なことなの。だから個性的なのよ。」と書いている。
最後には「原爆や水爆のふしぎな平和の中で、自分ひとりだけの美しさをみがいていくことはステキなんです。」と結ぶ。

続いて「ラブ・ゼネレーションにおいての序章」。
当時20代前半だった早川さん。子供の頃から大人に失望していたし、教育が目指すところも無理があることを感じ、失望さえ感じていたようだ。
しかし大人になっている自分。「どうしたらいいのか?」と考える。最後の一文は「まずは一つ一つの色は違う点になって出発を探そう。」で終わる。

 

中盤に一つだけ加わっている、「垂直的人間」。
商品、作品が作られ売られることについて書いている。少々長いが(おもわず「そうおもいます」と感じたところを)引用する。
===============
 病気をなおすことが目的なのではなく、問題は、その医者を信じるか信じないかの問題であり、知識を得るためだけに教師につくのではなく、その教師を信じられるか信じられないかが先であり、金のためにその会社に行っているのではなく、その会社及び社長を信じるか信じないかの問題である。
 その上で、金をふんだくったりふんだくられたりするのが望ましいのであって、いいとも悪いとも思わずモクモクと物品や金が動くのは、まるでゆうれいだ。
===============

私にとって一部意味不明なところもありますが、大筋では「信じるとか信じないとか考えずに(短絡的に)お世話になったりするから、妙な流れになり、時にはとんでもない結果になる」と、とても同感した。

 

終盤。本屋さんになってからの生活の中で。

「日陰者の一日」は、本屋さんの従業員としての一日と、奥さんのこと。人によっては「なんでこんなこと書くの?」とおもうかもしれないが、私は「そういうことが気になること、分かる」と妙な同感。

「里望君と長さん」の中で「僕は今、おつきあいしている友達が二人しかいないけれど、全然寂しくなんかない。」と書いている。ご近所の男性たちと休日を楽しんでいる。
下ネタを言い合うような仲ではあるが、「僕たちは、けっこう礼儀正しい。」とも書いている。この辺りも妙な同感。

「奥床しさについて」は、タイトルを読んでドキッとした。私は「おくゆかしさ」がこのように書くことを知らなかった。今となっては使う機会がなくなってきた言葉なのかも。
内容は、歩いていたら交番まで連れて行かれたときの話、お店に私服警官が来たときの話、お店にファンと思われる女のヒトが訪ねてきたときの話、音楽仲間が病院を探している電話を架けてきたとおもったら実はレコードを買ってほしいといい始める話。
他愛もない話の羅列。「もう少し、こちらの気持ちも分かってよ」と書きたいのだろう。何を伝えたいのか分かり難い。しかし、私も「こういうこと、書いておきたい」とも思う。
「奥床しさ」を皆がもてば、多くの人が生きやすい世の中になるだろうな、とおもった。

 

比較的後ろの方に、写真が何枚か。
音楽を仕事にしていたときの写真、ポスターやチケットも。当時の自宅近くで中川五郎さんと奥さん、お嬢さんの写真。本屋さんを開業し、その店内で猫を抱いている写真など。

本の中で、自分の見た目にコンプレックスを抱いていることを感じさせる文章が何度か出てきますが、写真の中にもそれを感じる。

 

早川さんの音楽や著書に共感を覚えるのは、そのコンプレックスかもしれない。
私も身長が低い。吊り下げの服ではぶかぶかである。立派な体格な人どころか、吊り下げの服を着ることが出来る人にさえ嫉妬をする。しかし「その分、頑張ろう」とは思わない。静かに、奥床しく暮らせればいいとおもっている。

私のコンプレックスは「見た目」ですが、人間誰しも何かしらのコンプレックスを持っているとおもう。それを克服し、頑張って生きている人もいるだろう。マスコミに書かれる文章の多くは、そのような人たちのもので、ときどき「こんなに頑張って疲れないのかな」と思ってしまうこともある。また「自分みたいに頑張らない人間はイケナイ人なのかな」とおもってしまうこともある。

そんなことを表現し続ける早川さんが魅力的に感じる。高度な演奏やとてもユニークな音楽的発想をウリとしない。大事にすることは「伝えること」。

犬との生活を長年考えている私にとって、この「伝えること」はとても大事にしている。そこが私にとって魅力的に感じるのかもしれない。

 

早川さんの作品とは関係なしに、書いておきたいことがあるので、つづく

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2018年7月11日 (水)

ラブ ゼネレーション(読書感想文) その1

犬猫関係ではありません。音楽関係ですが、今の音楽業界からかけ離れているエッセイです。昭和40年代に出版されて絶版になり、平成に入り再出版される。(たぶんこの本も絶版されていて、平成23年に別の出版社から改めて出版されている。)

これも備忘録的なブログ。

 

著者は早川義夫さん。
東京オリンピック直後の日本で数年活動し、惜しまれながらも音楽の世界から完全に離れてゆく。この本は、活躍した時期と音楽の仕事から離れる頃にかかれたものがメインとなっている。
平成に入りこの本が出版(シンコー・ミュージック)されて、その2年後に音楽活動を再開する。休止期間は23年だそうだ。
そんな早川さんが、先日こんなことを Twitter に書いていた。

==========(2018年)
5/20(日)鎌倉歐林洞のライブを最後にしばらく休みます。再び歌い始めて25年ありがとうございました。
==============

音楽業界のルールに疑問を持ち続け、しっかりと声を出し続けた忌野さんが亡くなったときもショックでしたが、音楽業界にほとんど関わらず活動を続けてきた早川さんの活動休止は、私にとっては同じくらいショックでした。
ちなみに、早川さんの曲のほとんどは(他のアーティストが歌っているものは、そのバージョンがありますが)カラオケにありません。歌詞がネットに載っていることもあまりありません。

彼は 1972年、ある曲で多くの人に知られるようになりますが、別のグループが歌いヒットし、その後多くのアーティストがカバーすることになります。しかし、その歌い始めたグループが歌うにあたり、早川さんに対し何の話もなかったようです。(井上陽水さんの「陽水生誕」が発売された3年前のこと。そんな時代だったようです。)
(ちなみに、1972年には完全に音楽の世界とは離れ、本屋さんを営みはじめる。)
早川さんは、著作権などややこしい権利などについては深く考えることなく、「歌いたいこと伝えたいことがあるから歌う」というスタンスでやってきました。
復活後も(テレビに出たこともあるようですが)大きなホールで行うことも少なく、一人ひとりに言葉が届くような小さなライブハウスで歌い続けていました。

復活してから一緒に活動してた相棒的な存在の人が 2014年に亡くなり、その後も続けてくださるだろうと願っていましたが、ついに活動休止されてしまいました。

そのようなことがあり、この本を読んでみようとおもいました。図書館で探したら見つかりました。

 

20180707読んでみました。はっきり書いてしまえば、ほとんどの部分は酷いです。色々な意味で酷いです。読むのが疲れるし、「実名書いてこんなこと書いていいの?」とおもう内容ばかり。

今の世の中で好まれる表現は「ポジティブ」で包んで輝かせる感じですが、この本は「包み隠さず」。「私はこうおもっています・感じています」の羅列。
音楽で仕事をする人間というより、人に感動してもらうものを作る人間としての苦悩。神様が与えてくれた特殊能力があるとか、すごく知識があるとかではなく、ただただ「伝えたいことがある」だけで活動している人の苦悩という感じ。

ビートルズが好きだけど、ビートルズのことはよく知らないという。知り過ぎることが怖かったようです。常に自分が完全なる自分であり続けることが、この仕事をする人間の条件のように考えていたようです。

しかし、最後はおもわぬどんでん返し。人間とは、生きてゆくとは、こういうもんだよなとおもった。

 

再出版されるにあたり、中川五郎さんが書いた解説を含めると全222ページ。
最終的な部分、苦悩から開放されてゆく頃のことが書かれている部分についてメモしておきます。

185ページから始まる「棄てるものがあるうちはいい」の冒頭は「しばらく、歌仲間とも離れ、」で始まる。音楽活動を休止し始めた頃。
次の「いろいろなこと」(189ページ)の冒頭は「考えてみれば、もう二〇ヵ月も続けてきたわけで、そろそろ終わろうと思う。」で始まる。他の人のことも書いていますが、自分のことが書かれている部分が多くなる。
その章の最後は、誰かの歌の引用なのか、自分の歌の引用なのか。それともこのとき書かれたものなのか、以下の5行がある

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あげるんじゃなくて、すてるんだね
もらうんじゃなくて、ひろうんだね

恋もお金も身体も心も

あげるんじゃなくて、すてるんだね
もらうんじゃなくて、奪うんだね
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次の章は「強姦論」。今の世の中だったら出版できないのではと思われる内容も含まれている。
この後、「卒業について」「父離れ」は、全く自分のことを語っている。どれだけダメな人間かを語っているようにも読めるし、人間誰でもダメな部分をもっているんじゃないのか、と問いかけているようにも読める。
子供の頃の環境は色々だ。でも、同じ環境に置かれても誰も同じように感じ・育つわけではない。そんなことも感じた。

 

本編はここで終わる。
続いて「作品歴」があり、昭和四十七年に書かれた「あとがき」、平成四年に書かれた「文庫版あとがき」が続き、最後に「解説」を中川五郎さんが書いている。

中川五郎さんの文章の最後には、早川さんが再び歌い始めることを期待している。そしてその二年後、1994年(我が家にうーにーが来た年)にソニーからCDが発売される。

うーにーの関係で知り合った人が、早川さんと仕事をすることになり、早川さんを知る。その人が興奮気味に話をしていたことをよく覚えている。そして、初めて聴いたとき「この音楽の何処が魅力的なのかよく分からん」と思ったこともよく覚えている。当時は、CDが100万枚売れることが珍しくなかった時代で、きらびやかな音楽が溢れていた。そんな音楽とは全く異質だった。

 

ここまで読んでくださった方の中には、早川義夫という人を知らない人も多いとおもう。
こんな曲を作った人ですと書けば、「へ~」と思い出してくださる人もいるかも。

サルビアの花

天使の遺言
作詞を担当した森雪之丞さんのNoteはこちら

 

見返りやその後の義理のことを考えて、「あげたり・もらったり」するのではなく、自分の意志で、感情で、「すてたり、奪う」感覚でやり取りした方が、お互いの関係がより確かなものになってゆく。
それは、早川さんを教えてくださった人からも、うーにーからも教わったような気がする。

 

ここまで書いて、平成23年に別の出版社から発売されたものを調べてみた。
あったのですが金額にビックリ!、エッセイの追加と写真が加わっているらしい。
念のため、図書館にあるか調べてみる。あれ?、あった!!

借りて読んでみます。

なので 「つづく」(笑)

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