2018年12月25日 (火)

(読書感想文)ドン・キホーテ (下)

上と中で、概要と感想を書いた。
今回は、ふとおもったことを書いておく。

今の世の中にも、当時の騎士道物語のような存在のものがあるのではないか。それは、ネットからの情報。
そんなことが頭に浮かんだ。

ネットに物事の善悪の判断を問う人が多くなったという。
しかし(そのネットで)次のようなタイトルの記事も見た。
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ネットで質問し、期待するものは「答え」ではなく「共感」
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ドン・キホーテは騎士道物語の中に自分の理想の世界を見出し、そこに入っていけば、周囲の人たちは共感してくれると信じていたのかもしれない。
しかしそうはならず、現実の人間関係、村での立場はなくなってしまった。

ネット社会に自分の立ち位置を求めすぎる人たちは、顔と顔を合わせる付き合いにストレスを感じてゆくのではないか。最近では実店舗で買い物をするのが苦手な人が増えてきていると聞いたこともある。

昔はネット社会がありませんでした。人付き合いの基本は「顔と顔を合わせる付き合い」。なので、お中元お歳暮は直接届けた。盆暮れには親戚は集まり、職場では節目節目に飲み会があるのは当たり前。それが変わってきた。
それらが好きだった人は、それほどいなかっただろう。しかし当たり前の慣習になっていた。
今はこれらを行おうとする(行わせようとする)とハラスメントになりかねない。

(このような付き合いのない)ネットの中に友達を見つけることは当たり前になりました。友達でなくても、ネット上で意見を言い合う(←話し合いとはちょっと違う)こともあちこちで行われています。
それは良いことだとおもいますが、そこから導き出される結果が、顔と顔を合わせる社会での問題解決に必ず役立つものなのだろうか。
勿論、役立つこともあるだろう。しかし、そうでなくこともあるだろう。そうなったとき、本人がより辛くなるだけではないかと考えることがある。

 

ネット社会で得た(訊いた)世の中の常識により行動した結果、騎士道物語の常識により行動したドン・キホーテと同様の影響を周囲に与えることもあるのではないか、と頭によぎった。

20181225aこのようなことを考えるようになったのは、あの20数年前だ。
犬との生活は手間がかかる。しかしその手間以上の見返りがある。それを知ってもらいたいと願った。
知ってもらいたい人の多くは、(当時はネットが今ほど普及していなかったので)、書籍や一部の専門家と称していた人たちの言葉の中から、自分が共感できるものだけを選び出し、言い訳の理論武装のようにしていた。
勿論、何も改善されない。残念である。残念な生活が続くのは本人だけではなく、犬もだ。

これと同じことを今でも感じる場面がある。
ネットがこれだけ普及したので、その数は増えた。

 

ドン・キホーテは、1605年に前編が1615年に後編が出版されていますが、21世紀の現在でも「こういう人、いるな」と感じる内容となっていることに気が付いた。

名著と称される理由が分かったような気がした。

いつか、全6巻バージョンを読んでみたいとおもうようになった。

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2018年12月24日 (月)

(読書感想文)ドン・キホーテ (中)


(読書感想文)ドン・キホーテ (中)

ドン・キホーテを読んでみた。全然違った(苦)


まず感じたこと。

大きなテーマもありますが、しっかり小分けになっていて、まるで子供の頃に観たアニメ番組ようだった。各回パターンは決まっている。どうなるかある程度先が読める。そんなところも似ていた。その意味では面白い。

当時の人たちも大いに楽しんだようだ。
Wikipedia のドン・キホーテのページでも、当時の人気について書かれている。

大きなテーマは、宗教と騎士道物語。当時のスペイン(ヨーロッパのキリスト教圏?)で尊重されていたものらしい。それらに対して風刺的な内容を書くことで、大衆に考え直してほしいという感じだろうか。

決して浮き足立った内容ではない。騎士道物語という魔法まで出てくるバーチャルなものに影響されている世の中に対しての問いかけなのだろう。
そのような内容でありながら、娯楽物として多くの人に読んでもらえることが出来る内容に仕上がっている。



以下、私の感想

思慮分別なくその場の思いつきや雰囲気だけで、風車を巨人の化身であると決めつけるとおもっていたがそうではない。彼なりの知識から導かれた確固たる答えなのだ。
現実から離れてしまう原因は、騎士道物語に出てくる魔法である。彼はそれを信じ込んでいる。(信じ込んでいる振りをしているのか?、とおもうこともあった。)

私は、騎士道物語を読んだことありませんが、ドン・キホーテを読む限り、日本で云うなら武者たちの武勇伝なのだろう。
日本でも昔は妖術などが出てくる話があり庶民が楽しんだようですが、騎士道物語では「魔法」がストーリーの中で大きな役割を担っているようです。

騎士道の根底にはキリスト教の精神が流れている。日本の武士道の根底に日本古来の宗教観などが流れているのと同じなのでしょう。命のやり取りをするのであればそうなることとおもいます。
今のヨーロッパの人たちにとっても、キリスト教というものが人々の心の拠り所になっていることは話に聞きますが、当時は今まで以上にその影響は大きかったようです。

そのような世の中で、騎士道物語を読みふけり「自分は世の為人の為に遍歴の騎士になるべきだ」と思い込み実行する。その道中は(魔法が出てくる)騎士道物語の常識により判断し、問題を解決をしようとする。

現実は魔法もなければ、問題さえないことが多い。しかし、騎士道物語の常識で考えれば、彼が出す答えは間違えではないのだろう。

馬鹿げているとおもうのは簡単。
今の世の中でも、何らかの教えによってゴタゴタを起こす人はいる。そのようなことを語りたいのだろうなと感じた。



私が抱いていたイメージとの違いを書いておく。

とにかく手柄を立てたくて、思慮分別なくその場の思いつきや雰囲気だけで、風車を巨人の化身であると決めつける話だと想像していた。お気軽なドタバタ小説だとおもっていた。つまり子供向けの単純な話だとおもっていた。
そのイメージとの違いを書いておく。

彼には「こいつと戦わねばならぬ」と決め付けるだけの、膨大な数の騎士道物語という根拠があった。
読み始めた頃は「それにしてもただのいかれたオヤジだ。人間としてもダメ。周りの人にどんだけ迷惑かければ気が済むの?」と感じたのですが、読み進めてゆくと「人間としては、いい人かも」とおもうようになる。騎士道物語に出会わなければ、いい人として一生過ごしただろうなとおもう場面が幾つかでてくる。それをおもわせるストーリーもある。

20181224a従者であるサンチョ・パンサは、無学であり欲深い人間のようにも読めるが、こちらも読み進めると、多くの諺を知っているし、思慮深く、生きるために必要なもののみを欲しっているだけであることに気づく。それに対し、学があり、生きるためには必要不可欠ではないもの(つまり必要以上のもの)までも欲するドン・キホーテ。この二人が対照的に描かれていた。

騎士道物語や騎士道、キリスト教の昔からの慣わしなどに疑問を抱くべきという想いが著者にはあり、その裏返しをドン・キホーテに投影した。
生きるためには、世間で云われているほど格好良くなくてもいいし、実際そんなことを言っていられない。そのようなことを伝えたかったのだろう。

読み始めるにあたり、少し調べた。
著者は(苦労の連続という意味で)波乱の人生であったことを知る。何度か投獄もされているが、真面目に仕事をしていただけではなかったのだろうか、生きることに真剣だった結果、投獄されたのかも、とおもう。

20数年前「自分はドン・キホーテに似ているのでは?」は明らかな間違えで、著者であるセルバンテスに似ているのかもしれない。
しかし、自分と比べるのはおこがましいの一言である。

このバージョンは、子供も楽しめるものだし、大人が真剣に読むには単純すぎる。
いつか完全バージョン(全6冊らしい)を読んでみたいものだ。

 

読み進めている内にあることに気が付いた。
そのことを次回書きたいとおもう。

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2018年12月23日 (日)

(読書感想文)ドン・キホーテ (上)

20181223a読書感想文、二つ目は「ドン・キホーテ」。
書いてみたら(毎度のこと?)長くなったので3つに分けて、上中下にします(苦)

Wikipedia のドン・キホーテのページを読むと、以下のような一文がある。
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2002年5月8日にノーベル研究所と愛書家団体が発表した、世界54か国の著名な文学者100人の投票による「史上最高の文学百選」で1位を獲得した。
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世界的に有名な小説らしい。

作者はセルバンテス。私が読んだものは牛島信明編訳。
「編訳」とある通りアレンジがしているものらしい。
ドン・キホーテは前後編に分かれているが、それを上手く繋げたバージョンとのこと。また、とても長い小説らしいのですが、これは一冊にまとまっている。

この本は図書館で借りたものですが小中学生向けの場所にあったものです。
その本は既に返してしまったので、記憶を手繰りながら感想文を書いてみます。

 

20181223b
子供の頃からこの「ドン・キホーテ」のことは知っていた。しかし本を読む習慣がない私は読まなかった。
「頭がおかしくなった男が英雄気取りで風車に戦いを挑む話」と聞かされ、それだけ知れば満足だった。

 

二十数年前、犬を迎えた。当時の私は一日のほとんどを犬と過ごした。また、犬について的確な知識を与えてくださる人たちにも恵まれた。
「恵まれた」ことに気が付かず、「なぁ~んだ、犬との暮らしって簡単じゃん。みんなちょっと勘違いして苦労し過ぎ~」と勘違いした。

その頃「犬とゆく」をはじめることを考える。
「ここを入口に、皆が勘違いに気付くれるよな、きっと」と勘違いしながら。
そして勘違いに気が付いてゆく。一つ気付き考え直して進むと、それも勘違いだと気が付く。

遠くの目標が見えるのに、次の一歩を何処に出していいのか分からない。そんな自分を情けなくおもいイライラもした。

そのようなとき、ドン・キホーテもこんな感じなのかな、とおもった記憶がある。
誰でもいいから相手を見つけて戦いを挑めば楽になれるだろうけど、その(とりあえずの)相手さえも分からない自分。
ドン・キホーテは戦う相手決め付けることによって手柄を得ようとしたが、戦いに負ける。そのように想像していた。
私は、おもいつく相手が本当は戦うべき相手ではないことを、的確な知識を与えてくださった人たちから教えてもらい、自分でもそれを確認していった。その違いはある。
違いはあるものの、その焦りのようなものは似ているだろうと想像していた。

今でも、勘違いが確認されたり、焦りを感じるとき、ドン・キホーテが頭に浮かぶ。
なので、そのことを確認したくて、いつかはこの本を読んでみようとおもっていた。

先日、女房に付き合って図書館に行った時、何気なくこの本を(図書館内の検索サービスで)検索したら館内にあったので借りてみた。

つづく

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2018年12月22日 (土)

(読書感想文)人生の旅をゆく2

年末になったので今年読んだ本の読書感想文幾つか簡単に書いておこうとおもう。


まず、「人生の旅をゆく2」、著者は、よしもとばなな(現:吉本ばなな)さん。エッセイ集。
小説をほとんど読まない人間なので、今まで彼女の本を読んだことはない。

この本は女房が誰かからいただいてきた。犬との生活の話もあるので、それで我が家に辿りついたのだろう。

 

冒頭の方に犬との話が幾つかあった。次は、著者の子供の頃、若かりし頃のエピソードなどがあり、さらに読み進めると亡くなった忌野さんへの想いを語る。そして、東日本大震災に関わる話になる。震災の翌年お父様(吉本隆明氏)を亡くし、自身の在り方を考えさせられる内容が多くなる。

このエッセイ集は書下ろしではなく、あちこちに書かれたものを集め編集し直したものらしい。それらは 2008年から2012年に書かれたものであり、出版は2012年の秋。
東日本大震災と存在感の大きなお父様が亡くなったこともあってか、心の内側に目が向けられる内容のものが多いと感じた。

下町で育った著者は、子供の頃、隣近所の家では留守でも鍵がかかっておらず、留守のときに子供がお邪魔して台所のテーブルの上に置いてある(用意されている)お菓子などを勝手に食べることが当たり前だったと書いてあった。
子供の頃、ご近所さんと生活を共有し合って日常を過ごしてきた著者は(震災やお父様が亡くなる以前から) 現代における人間関係の常識に違和感をもっていたようです。
なので尚更、もっと人と人は直接関わるべきではないのか、と震災の時に感じたのだとおもいます。

 

東日本大震災から8年経った今読むと、「あの時はみんなこんな感じだった。今読むと大袈裟に読める」と感じた。それが正直な感想。

そしてふとおもった。 

あれはブームだったのか。それとも心から願ったのか。
遠くの地で甚大な被害があっても、自分はそれほどでもなかったから、忘れてしまえばそれまでなのか。
世の中に対してよりも、自分に対しても問いかけたい。

あのとき自分は何を書いただろう。
今、大袈裟といわれようとも、綺麗事といわれようとも、この本に書かれていたようなことを、たまには書こうとおもった。

そんな一冊でした。

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2018年12月21日 (金)

ヒラタアブ

ブラウザのブックマークを整理していたら、「こんな虫のことを調べたらな」と思い出したので書いておく。

今年の春、まだ寒い時期だったとおもう。家の中に黄色と黒の縞模様の蜂のような虫がいた。驚いて出て行ってもらおうと考えたのですが、よく見ると蜂ではなさそう。そこで調べてみた。

どうもヒラタアブという虫らしい。ハエ(双翅)目ハナアブ科ヒラタアブ亜科の虫。
私が見たものは、以下のページの「オオヒメヒラタアブ」が似ていた。
http://chigaku.ed.gifu-u.ac.jp/chigakuhp/html/kyo/seibutsu/doubutsu/07hae/hirataabu/

この虫はどんな虫なのか調べた。
なんとアブラムシを食べてくれるらしい。
http://www.boujo.net/handbook/hana/hana-290.html

それが分かってからは大事にしてあげた。
今年はアブラムシの姿を見ることはほとんどなかった。

ヒラタアブのお陰か!

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2018年11月12日 (月)

東京タワー水族館(本編)

前書きからのつづき)
2018年9月末をもって閉館すると知り、9月10日の午前中に行った東京タワー水族館で見たこと考えたことなど。
 

東京タワーは駅から少し歩く。間近で見ると「こんなに小さかったっけ?」と思ってしまった。それだけ大きな(高い)建物が増えたのでしょう。


お土産やさんのような店内奥に入口があり、入ってすぐに小さく仕切られた水槽を組み合わせるように展示されていましたが、後から入場してくる人もいたので、ゆっくり見ることが出来ず、ここのことはほとんど記憶にない。

視界が広がって周りを見渡した後に下方に目をやると、ザリガニ釣りの会場(?)が!、縁日じゃないよね?、と思ってしまいました。
少々驚きながらも館内を見始めると値段が書かれたものがあり、「水族館といいながら実は販売業者なの?」と疑ってしまった。実際に売っていたのだろうか。
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値段が書かれたものは、これ以外にはなかったようだ。何かの間違え?


入ってすぐのエリアには、海水魚も展示されていた。
ハリセンボンが入っていたお洒落な水槽は同じ形のものが3つ並んでいましたが、このようなお洒落なものはここだけでした。
別の水槽にオニダルマオコゼの展示もあり、説明パネルも分かり易い。歴史のある水族館や動物園のほとんどは、分かり易く興味を惹くパネルがあり、経験や知識の厚さを感じる。このような水族館が閉館してしまうのは残念です。
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海水のエリアにはチンアナゴもいて、餌やりショーもあった。それほど大きくない水槽の前に30人ほどのお客さんが集まり、スタッフの人とお客さんとのコミュニケーションの中、ほのぼのとショーは行われました。
チンアナゴの水槽には、よくヤドカリが入っているのを見ますが、ここにも居ました。ここでは餌としてアカムシをあげているようですが、海水の中では短時間で動かなくなってしまい、チンアナゴは食べようとしなくなります。それをヤドカリが食べているようです。
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その後、タツノオトシゴのショーもあり、雌雄の区別の仕方など教えていただきました。
「この子の性格は、、、」などの話もあり、水槽の中の生き物を身近に感じることが出来てよかったです。


次のエリアからは定型の水槽が多くなります。入っている魚の半分以上は大きい。「この水槽でいいのか?」とおもってしまうのですが、表情を見る限り不満は感じられないし、よく見ても健康そうに見える。人間(見ている人)に対しても好意的に見える。
まるで家庭で可愛がって飼われている金魚のようだった。
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餌やりショーとは別に、各水槽の食事も見ることが出来ました。
スタッフの方が一つ一つの水槽に、脚立と食べ物、そしてカメラを持ってまわる。ブログなどに載せる写真を撮ることと、たぶん個体管理のためだろう。

魚や亀たちは、隣の水槽がもらっている時からそわそわ。隣の水槽側に寄って行っていました。またまた「家庭で飼われている金魚と同じ」と思ってしまった。


展示されている亀が人間(お客さん)によく見えるような場所に来て、そして(食事の時間が近かったからか)よく動いていたのが印象的でした。
苔が生えてしまったワニガメさんですが、この数日後に綺麗にしてもらっている様子がTwitter にアップされていました。自然界で生きていたら生えて当たり前なのかな。
説明のパネルもいい。(ワニガメのパネルは地味だったので、曲頸類・潜頸類の説明があるこちらをアップします。)
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水族館で、亀と同様に地味に感じるハイギョ。たしかに動かないのですが、よく見えるように展示されているし、各個体も落ち着いている(健康そうに見える)感じが良かった。パネルも良かったです。


パネルというか説明といえば「(前書き)」にも書きましたが、とても長い年月存在しつづける湖に生息する魚たちの説明や展示も興味をもった。
万年単位の寿命をもつ湖の環境を再現するのは難しいとおもうので、現地で撮ったビデオなどを流してくれるのはいいとおもう。しかし(ネット上の情報を簡単に閲覧できる現在は)そのようなものに慣れすぎて「こういうの見たことある」となりますが、生きている実物を目の前にすると気持ちが変わる。

環境の多様性を実感したり、それを保存する意義を考える切欠になればと願う。


写真が少なすぎて館内の様子が分かり難いかもしれませんが、大きめの四角い水槽に大きな魚が入っている展示が多い。隣りあわせで次から次へと展示されている。その数が凄い。多種多様な魚を目の前で見ることができた。
とても簡単にまとめてしまいましたが、そんな感じの館内でした。

見ていて「人間が繁殖したものもいるだろうけど、これだけの野生種の飼育は苦労も多いだろうな」と思った。苦労のことよりも「ここにいるほとんど(大型鑑賞淡水魚)は基本的に野生種なんだろうな」と思い込んでいた。

そんな誤解を払拭してくれる展示もあった。
この水槽をみたとき、まず「自然界でこんなに目立つ色していいのかな?、人間の目には目立つけど、その地の野生動物の目で見たら保護色になるのかな」などと考えたら、こんな説明書きが。
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なんと改良品種。

犬でも昔の本を読むと「一人の飼い主としか信頼関係を結ばない」とか「家庭犬には不向き」と書かれていても、今では完全に家庭犬と受け入れられている犬種もある。これはブリーディング(品種改良)によるもの。
また、時代のニーズに合わせて、今まで存在しなかった毛色のものを作り出したり、新しい犬種を作り出すことがある。

魚の世界も同じことが行われていた。たぶん珍しくないことなのだろう。
よく考えてみれば、金魚だってそうだし(金魚の展示もありました)、錦鯉の世界もそうなのだろう。

脇道に入りすぎてしまいましたが、大型淡水魚の全てが野生種でもないし、生物学上野生種であっても、人間に飼育されることに向いている系統を作りだしているようです。(そのついでに、人間好みの色や形にもしているのは、犬などと同じなのかも。)


2018111213出口近くの展示は、身近な鯉や金魚系、亀など。
金魚については大型のものマニアックなものは別のアリアで紹介していました。
出口近くの展示は、簡易な池のようなものがあり、これもまた「昔よくあった金魚やさん?」「旅館の入口?」という感じ。池のような展示の周りには座る場所もあり、和むことも出来るようになっていた。
最後を身近な展示にするところにもこちらのコンセプトを感じた。
これらの展示のすぐ近くに「ヒレナガゴイ(ヒレナガ錦鯉)」の展示もあり、やはり熱帯魚屋さん?」と感じてしまった。
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ちなみに出口を出た所にはお土産やさんや生体の販売などはなかった。東京タワーのエレベーター乗り場近くに出る。

 
商売第一として生体を販売している業者が多い世の中で、こちらのような施設が販売し、購入者にアドバイスをしてくれるといいのでは、とおもったりもした。
しかしやってみれば、批判の声に晒されることだろう。




他にも紹介したいことがあるのですが、既に閉館していますし、時代の流れとして展示方法に疑問を抱く方もいらっしゃることでしょうから、この程度にしておきます。

そのようなことを含め、(後書き)へつづく。

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東京タワー水族館(前書き)

東京タワー水族館は、2018年9月末日で閉館しています。

8月末か9月の頭に閉館情報を知り、9月上旬に行ってみた。
閉館までに多くの人に見てもらいたいと思ったので、すぐにブログをアップしようと考えたのですが、私の文章力では誤解なく伝えられそうになかったので、閉館後にアップすることとしました。

余談を少々。

子供の頃から、世の中で動物愛護と呼ばれるようなことに興味をもっていた私ですが、子供の頃から釈然としないものを感じていました。
動物のためをおもうならペットとして飼うのは間違えなのでは?、とか、一握りのプロは別として一般人が野生動物(海の中を含む)と何らかの関わりを持つのはいいのだろうか。
そんなことを考えながらも、自分も動物に触りたいと思ったり、野生動物の情報を少しでも多く欲しがったりもした。自分の目で野生動物を間近で見たいともおもった。

人間の文化が発達し、また人間の数が増えて、人間と野生動物が近くなった(昔に比べると生息地まで苦労なく行ける)ことで、動物たちの生態が分かってきました。
その結果、人間に飼育されている動物たちも、より自然に近い環境を与えてあげようという考えが主流になりつつある。しかし、それは最近のこと。

今までは、飼う側の人間の能力の範囲で、その動物には充分だろうと思い込んだ環境で飼育するしかなかった。そのやり方には歴史があり、知識が積み上がっていっていた。それが最近は前時代的と言われるようになり始めています。

余談はここまで。

 


この東京タワー水族館は40年続いたそうです。東京タワーという場所柄、展示方法を大幅に変えることは難しかったのか、前時代的な展示を貫いていました。

今年は、サンシャイン水族館新江ノ島水族館などに行きましたが、やはり自然の状態に近い展示を心がけていました(一部、大いに疑問を抱く展示もありましたが)。

それに対して、こちらは昔からの「定型の水槽での展示」でした。入ってすぐの所に「ザリガニ釣り」もあり、昔見た熱帯魚のペットショップ?、縁日?、と複雑な感情が湧くこともありました。

何種類かの定型の水槽には大小の魚が入っています。大き目の水槽に巨大な魚が入っていて、「こいつには狭いだろう」とおもったのですが、その魚は健康そうに見えました。この展示(飼育)方法でも、魚たちにとって悪い環境とは言えないみたいだ、とモヤモヤしたものを感じながらの観察(鑑賞?)となりました。

そのモヤモヤを分かってもらいたくて、一人でも多くの方に見てもらいたかったのですが、たぶん私がこの水族館に対し批判的な気持ちを抱いたのだろうと読めてしまっては、行こうとおもった人も行かなくなってしまうので、アップを閉館後にしたのです。

もし東京タワー水族館に行き、私のようなモヤモヤを抱いて、色々と考えた方がいらしたら、どのように考えたのかお聞かせいただければ嬉しいです。

 


私は以下のようなことを考えました。

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魚などの大きさに対して水槽が小さいし、水槽内の環境は人工的であり、生態を考慮していないのではないかと感じた反面、魚たちの(心身両面の)状態は決して悪く見えない。これは一つの完結した世界として良いのではないか。苦労して自然環境に近付けた結果、個体間の優劣がはっきりしてしまい、一部の個体の状態が悪くなるよりもよいのでは?

 
どんな展示方法であっても、珍しい魚を見て説明文を読めば、その魚の姿からその地を想像し、おもいをめぐらせます。

ある展示の説明書きによれば、湖の多くは(地球の年齢からすれば、また動物の進化のスピードからすれば)短命なものらしい。しかし稀に長命な湖があり、そこに生息する魚などは独特の進化を遂げているとか。そんな魚を見ていると、その湖のことをもっと知りたくなったりする。
その珍しい湖の環境を再現するのは困難で、よくある水槽での展示となっていましたが、そこに実物の魚がいることに大きな意味があると感じた。

こんなこともあった。
今更知ったこととして、人間が作り出した観賞魚も結構多いらしい。歴史の長いものは飼育方法も確立されている。人間の飼育下で作り出されたのだから、自然な環境下での生態は存在しない。
分かり易いものとして金魚ですが、野生種に見えたものもあり、「これも人間が作り出したものなの?」と驚いた魚もいて、「水槽だから可哀想」はあまりに短絡的なんだなとおもったり。
人間との関係で言えば「犬」のような存在なのかも。そのような魚がどれくらい、いるのか。同じ種類の魚でも、自然のものもいれば、人間に代々繁殖されたものもいるのではないか、と考えたりもした。

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東京タワー水族館を見て、感じたことがある方のお話しを是非お聞きしたいです。ここのコメントでも個人的にでも伝えていただければ幸いです。

閉館時には「魚たちの今後はまだ決まっていません」との旨が書かれていましたが、11月5日に決まった旨の発表(Twitter)がありました。

 

長くなりましたが、「おもったこと」はここまでで、続けて撮ってきた写真に説明を付けてアップしてゆきたいとおもいます。

(「本編」につづく)

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2018年10月 7日 (日)

チャイニーズレストラン サニー(世田谷線松原駅近く) と 世田谷線沿線の秋のお祭り

昨日(2018年10月6日)は、世田谷線つまみぐいウォーキングに参加してきました。
ここ何年か続けて参加しているのですが、ゆっくりまわっていると人気の商品はなくなってしまうので、今年はとても急いでまわったのですが、どこも行列できることなく、落ち着いて食べることが出来、「写真撮る余裕くらいあったなぁ」と反省。
一緒に歩いた女房は「こんなに急いで修行みたい!」とご立腹。

そんな一日でしたが、その中で新しいお店を発見。
つまみぐいウォーキングのときは麻婆豆腐丼を提供してくださいました。受け取ったときに「ご飯が多いな」とおもったのですが、山椒の利きからして「ご飯、これくらい必要かも」とおもったものです。
そのお店が、世田谷線松原駅近くの「チャイニーズレストラン サニー」。その麻婆豆腐丼だけでも、「なかなかですな」と感じるものがありました。食べログの口コミにもありますが、「外観に反して美味しすぎる! 」、そんな感じです。

今日(2018年10月7日)、ランチで利用してみました。
20181007a  20181007b

10月なのに暑い日でした。なので世田谷線に乗って松原駅まで。(世田谷線は全線歩くことも普通にできます。世田谷線つまみぐいウォーキングのときは全線歩きました。)
11時半くらいでしたが、この日、最初のお客さんだったようです。私たちの後から二人連れのお客さんが3組入ってきていました。

私は山椒の辛いのが苦手なので「豚肉とザーサイのあんかけ麺」、女房は「汁なし坦坦麺」、どちらも、小鉢、ミニ丼、デザート付きで 800円!

20181007c  20181007d

20181007eまず、女房の坦々麺が出てきた。山椒がしっかり利いていて「これぞ坦々麺」という感じです(松陰神社前の五指山ほどマニアックな感じではありません)。
私のあんかけ麺は、しっかりと出汁をとった中華スープをベースに日本人が好みそうな味に仕上げたスープ と 上品に仕上げたあんかけに細麺を絡めていただきました。私はスープが美味しくてとても嬉しかった。
料理本体の量もそこそこあり、それに「春雨の小鉢」に「ミニ丼」がついています。「ふぅ~」と喜びのため息をついていると、デザート(杏仁豆腐)が出てきました。

これで 800円!、何かの間違えではないのか、とおもうほどのコストパフォーマンスです。

 

20181007f世田谷区民以外関係のないことですが、共通商品券が利用できることが明示されているのも嬉しかったです。区全体としては別のステッカーがあるのですが、それが少々分かり難い。このステッカーは嬉しいです。
商店会の心意気を感じました。

 

お昼過ぎでとても暑かったのですが、腹ごなしに自宅までの3駅ほど歩くことに。3駅と言っても普通の電車換算なら1駅分もないかも。

松原駅の踏切を渡って少し歩くと六所神社があります。この日は夕方からコンサートがあるとのことで、その準備が進められていました。
お知らせは、HPFaceBookにありました。

コンサートは16時からなのに、入口には人が集まっている。人気のイベントなんだなぁとおもったら、どうもポケモンゴーの関係のようでした。

20181007h  20181007g



秋は、世田谷線沿線でお祭りがつづきます。
帰り道、豪徳寺駅前の商店街では「沖縄祭り」がやっていました。FaceBookを見つけましたがこんな感じ

情報がもっとほしいとおもうのですが、「世田谷線つまみぐいウォーキング」もそうだし、近所の大きなイベント、「世田谷ボロ市」もそうなのですが、公式の詳細情報(どんなお店が出るとか)が出ていないことが多いです。

世田谷線沿線の秋のお祭りの情報を探したのですが、こちらこちら。まとめて全部載っているページが見つからないのも残念。

なぜか世田谷ってこうなんです。

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2018年9月15日 (土)

新江ノ島水族館(その4)

その3から)

なかなか書きにくいテーマだなと、書くのに手間取っていたら、こんなニュースが流れてきた。

https://www3.nhk.or.jp/news/easy/k10011624491000/k10011624491000.html
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180911-00000070-asahi-spo

こういう大会のセレモニーのイベントとして承認もなく行うことは、非常識だと私も感じます。現在、万人が楽しめるものではなく、一部の人には著しく不快に感じるのですから。
今は慎重にショーも続ける必要があり、議論も必要な時期だとおもいます。

その議論の中で、色々な立場の人の考えを並べて聞いてみたいです。
特に、日々イルカたちの相手をしている人たちの考えや感じていること、何を理想と考えているのかなどを聴いてみたい。

 

自分がある動物に対して湧いてくる感情が、他人も同様な感情が湧くとは限らず、逆の感情をもつ人もいることを認識しなければならない時代になりました。

各地域に昔からある文化・習慣等からの動物の扱いも見直さなければなりません。
グローバリズムなる言葉が知られるようになって久しくなりました。さらに、インターネットが世界的に普及し、文字だけでなく静止画・動画も個人レベルで共有されています。
たぶん一生行くこともないだろう土地で起こっていることの情報が動画で見る事ができ、複数の人からの情報を得ることが出来る(意見も聴くことが出来る)時代です。

「日本古来の文化だから鯨を食べてきた。だからこれからも食べる」は、通用しない時代です。「世界全体で考えよう、情報共有、感情共有しよう!」という時代になってきました。

 

イルカのショーも同様の問題なのでしょう。

イルカのショーが世界的に問題視されていることは、ネットのニュースなどでも伝わってきていました。イルカを(人間の)治療などに参加させることについても、今までは配慮が不充分であったという認識が一般的になりつつあるらしいことも資料を読んだことがあります。しかし、私には高度で理解しきれませんでした。

前の方(その2)で「日常のご飯をあげるときに、じゃれあうようにトレーニングすることはそんなにいけないことなのだろうか」と書きました。
私がトレーニングを体験した相手は、馬と犬。その経験から言わせていただければ、食べ物をあげるとき(イルカからすればもらうとき)が、トレーニングの切欠になっても大きな問題はないような気がします。
しかし馬と犬は、人との関係において特殊であるといわれているので(動物のカテゴリーとして)野生動物とされるイルカにあてはめるのは間違えなのだろう。
つまり、私のような感覚で今までは水族館などのイルカショーが行われてきたが、それが間違えだ、と考えられるようになってきた様です。
(野生動物をペットにしようと考えてはいけないのも、同様の考え方だとおもいます。)

 

日本でもイルカのショーの中止を求める意見がネットで見かけるようになりました。ただし、そこに書かれている根拠を私は理解できません。大きな愛護団体や何処かの論文などに書いてあるとかいうものがほとんどで詳しくは書かれていません。
治療などに参加させることの是非についての意見も、(少しだけ読んだだけですが)「全体のこととしていいのかな?、事例が少ないのでは?」と疑問をもつような私には、こちらの論文等も「そんなに酷いのかなぁ」と感じてしまいました。

 

このような問題に関わる文書を読んでいると、こんなことが頭に浮かぶ。

日々、イルカの世話をしたり、ショーで一緒に歌ったり踊ったりしている人たちはどう思っているのだろう。
そのような仕事に就くのだから、イルカのことが大好きなのだろう。好きなことを仕事にすると葛藤があると言われますが、動物の仕事はそれが大きいことも予想できるだろうし、予想できなくても仕事に就けば分かることだ。
日々、イルカと一緒にいる人たちが、海獣の(ショーを含めた)今の飼育について、どのようにおもっているか・感じているのかを知りたい。現在議論されている内容について、勉強されている人もいるだろう。そのような海獣について知識・経験が豊富な人に話を聴きたい。

もし法律などで規制されるようになり、今とは違う感覚で飼育することになったとしたら、その飼育を行うも彼らだろう。そんな彼らがどのように感じているか是非話を聴きたいし、聴くべきなのではないだろうか。

 

その動物に近い人、現場の人、そのような人たちの話を聴きたい。

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新江ノ島水族館(その3)

その2より)

「カワウソを飼いたい!」と口にしていた女の子たちが、本気で云っていたのかは定かではありませんが、ニュースで「カワウソが人気で密輸までされている」と伝わってきている。

売れるものは売る。合法であるものは当然だし、人によっては違法であっても売買する。違法に入手した店舗から一般の人が(どのように仕入れたかを知らずに)その動物を購入することもあるだろう。

このようなことは昔からのこと。このようなことがなくなるには、「動物を飼うのは簡単ではない。忙しい現代人は特に。そして、珍しい動物は健康を保つのが大変。その動物を診ることができる獣医師を探すのも大変である」ということが一般常識にならなければ、この状況は変わらないとおもう。
また、幾つかの法律もあり「飼ったらその動物の健康管理をしっかり行うのは当然。面倒だから捨てることは出来ない。健康に飼い続けなければならない」時代である。

最近は情報が氾濫し、AだからBだ!的な解り易い情報が好まれている。そのような形式であるなら、「野生動物は一般人が飼うものではない」と広まってほしい。その理由は上記のこもともありますが他にも理由は多々あります。その理由をしっかり勉強してくれる人はほとんどいないのではないかと思うくらいに。何故なら動物は多種多様であり個体差もあるからだ。
なので単純に、「野生動物は一般人が飼うものではない」と広ってくれればいい。

広める方法の一つは教育だろう。そしてもう一つは法律で罰することだろう。つまり「やってはいけないことなんだよ」と見せしめる。
逮捕されれば、テレビなどでは実名報道がされなくてもネットで知れてしまうのが今の世の中。懲役刑になれば、さらに多くのものを失うだろう。
その過程を目にする人が増えれば、「あんなことをしてはいけないのね」と分かってもらえることでしょう。

法律で罰するようにするには問題があります。
今まで特にお咎めがなかったことを、あるとき急に咎められるようになるのであれば、今までやっていた商売できなくなる人も出てきます。その対応も含めて考えねばなりません。
この20年間は特に、動物を飼育することに対する法律の動きが活発です。法律を作ることはとても大変な作業です。それを国民に理解してもらうことも。そして、実効性のあるものにすることも。

20年あれば、子供も大人になります。教育の方でも力をいれていただければと願うばかりです。

とにかく、簡単に解決できる問題ではありません。可愛いカワウソを見ながら、可愛い若い女性の声を聞き、そんなことを考えてしまいました。

 

水族館を出たのはもう14時も近かった。駅に向かう途中、しらす丼の看板を出しているお店で遅い昼食を食べた。店内で聞こえる話声から、他のお客さんは、私たちと同じように水族館に来た人か、海水浴客のようだった。

そして電車に乗って我が家に向かう。電車のお客さんの多くは、やはり水族館か海に来た人たちだろう。夏の暑い日だったので、疲れが顔に表れている人が多い。

私はイルカショーのこと、動物園や水族館のこと、鯨を食べることなどが頭に浮かんでしまう。周りからは疲れた顔に見えたことだろう。

 

20180824_2女房は水族館で、おばまにお土産を買った。ガチャガチャで出てくるかぶりものである。どんなものがあるのが写真があった。ゴマちゃんやウーパールーパーなど可愛いものがあった。唯一あまり可愛くないし、デザインも単純で「これだけは出てほしくない」と思ったのがシャチ。
お金を入れて、ぐるっと回して出てきたものは、シャチ。

ばまちゃん、ごめんね。でも、それなりに似合っているかも。
鋭い眼差し(?)で猫パンチの瞬間まで撮らせてくれました。

つづく

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