2019年12月20日 (金)

東京都動物愛護相談センター・多摩支所 の 見学

12月の初旬、東京都動物愛護相談センター・多摩支所の見学に行ってきました。

東日本大震災の後、多摩支所の裏に、被災地から東京に避難してきた人たちの犬や猫を預かる施設が一時的に運営されていました。私の記憶では、2011年の9月から約一年間だったとおもいます。
その運営は多くの一般ボランティアによって支えられていました。私もその中の一人でした。その当時の仲間たちと今回の見学を企画し、行ってきました。

 

■ 見学は誰でも出来ます

ちなみに、センターの見学は予約すれば誰でもできます。
基本的に月に一回決まった日があり、その日であれば少人数でも対応してくれるようです。ご興味のある方はセンターに「見学したいんですけど~」と電話をしてみてください。

連絡先は、こちらのページの右の方にあります。
私たちは多摩支所に行きましたが、本所(八幡山)をご希望の場合、電話をかけると1~3番を選ばねばなりませんが、3番を選んでください。アナウンスでも「当センターの見学...」とか聞こえてくるとおもいます。

 

■ 現地に行かないと分からない

さて、見学がどうだったのか。
いつもなら、その当日にある程度書き上げるブログですが、今回は出来ませんでした。見学前に想像していたことと、見学してみて分かったことに隔たりがあり過ぎて整理がつかなかったのです。

センターの方との事前の打合せは私が担当しました。その段階で「収容動物はほとんどいません」と伝えていただいていましたが「全くいないことはないだろう。随分と少なくなったという意味だろう」と思っていました。
一緒に行った仲間は、ボランティア仲間なので「機会があればセンターのお手伝いしたい」とおもっていることもあり、「ボランティアについて、話を聞かせてください!」と事前にお願いしました。そのやり取りの中でも「収容動物はほとんどいません」と話が出たのですが、その意味が分かりませんでした。

私が持っている東京都の直近の資料は、平成29年4月~平成30年3月のもので、その一年間の殺処分数は16とされています。(※次項で「殺処分数」と「致死処分数」の違いについて説明します)
12月くらいになると、前年度(平成30年4月~平成31年3月)の資料(事業概要)が出来上がるので、それをいただこうかとおもったのですが、今年からネットに掲載されることになったとのことでした。これを書いている間の12月17日にこちらにアップされていましたが、私が毎年楽しみにしている研究発表が省略されていることが残念です。

殺処分数ですが、前年度(平成30年4月~平成31年3月の殺処分数は、なんとゼロ」になったんです。
協力してくださっているボランティアさんたちの力により、犬も猫も譲渡先が決まってゆくという状況だそうです。
それだけではなく、取扱数(センターに入ったきた数)もどんどん減っているとのこと。

スライドを見ながら、そのような説明を受け、その後、施設の見学に行くと、犬は一頭だけ。しかも飼い主さんが迎えに来ることになっているとか。
猫は3頭だったとおもいます。どの子も健康そうでした。目隠し(布が一枚掛かっている)がされていましたが、チラっと姿を見させていただきました。

これら収容動物の現状を目の前にして(ボランティアの話をして返ってくる話が)「収容動物少ない」の意味が分かったというか、実感しました。これだけ少ないと、ボランティアは必要ない、と。

説明と施設見学から、今まで以上にボランティアを必要とすることもなく、それどころか今まで協力してくださった方たちの出番も少なくなっていることが、よく分かりました。

「ボランティアとして協力させていただければ」などと、おこがましい申し出をしていることに全く気が付かず、事前にその関係の質問を幾つか「当日、答えてください」とお願いしてしまったのです。説明と見学を通して現状が理解出来た時「お忙しい職員の方々に、意味のない質問の回答を用意させてしまい、なんてことをしてしまったのだ」と穴があったら入りたいくらいでした。

私の場合、「収容動物がほとんどいない」の意味を理解するには、センターのお仕事について説明していただき(数字の移り変わりを含む)、そして施設のガランとした雰囲気を感じ、収容されている犬や猫の状態を見て、やっと理解することが出来たのです。
理解が出来た時、恥ずかしさ・申し訳ないという気持ちと同時に(大袈裟に言えば)歴史が動くその瞬間を見せていただいたような、そんなことを感じました。

見学に行くなら「今」です!
センターのお仕事は、今後変わってゆくことになるとおもいます。その変わり目をきちんと知るには、今見学しておく必要があると感じました。

 

■ 「殺処分数」と「致死処分数」 / それを理解するために「収容」と「処分

小池都知事は選挙公約の中で「ペット殺処分ゼロ」も訴えました。
しかしこれは、厳密にはあり得ないことなのです。なので私は「ちゃんと勉強していないな、本気ではないな」とおもったものでした。

「動物の殺処分方法に関する指針」や「環境省統計」で(国が)定めるところの殺処分とは、施設(センター)に入った動物が命を落としてしまったもの全て、としています。病気や怪我で収容した動物が、手を尽くしても命を落とす結果になった場合、これも「殺処分」に含まれるのです。
 

・「殺処分」の説明の前に「処分」と「収容」について。

施設に入ってくることを「収容」と呼びます。
それに対して、出てゆくことが「処分」

・収容
主なものは「引取り(センターに持ち込み)」「捕獲・収容(捕獲の必要がある場合(センター外で)捕獲して収容)」「負傷動物収容(そのまま放置すると健康上危ないケース)」の三つです。
・処分
主なものは(東京都の場合)「返還(飼い主さんにお返し)」「譲渡(新しい飼い主さんを見つける団体に託したり、直接新しい飼い主さんを見つけたり)」「致死処分(センターの管理下に入った後、命を落としてしまったケース=国が「殺処分」としているケース)」の三つになります。

処分の三つの中に「殺処分」はないし、(小池都知事が就任した平成28年から平成30年3月までの各年度の)都の資料(事業概要)にもほとんど出てきません。ちょこっと出てくる程度で、上記の「致死処分」という言葉がよく使われています。

殺処分・致死処分の違いを説明する前に、飼い主さんにお返しすることも(返還)「処分」であることにも注目してください。「処分」と聞いただけでイヤものを感じますが「出て行き方」と理解するべきもののようです。この言葉は変えてほしものです。
 

・やっと本題、殺処分と致死処分
先ず上記で、致死処分の括弧書きを「センターの管理下に入った後、命を落としてしまったケース」としました。これは私の言葉であり、公式な書類に書かれている表現ではなりません。私の理解です。
命の落とし方ですが、多くの人がイメージするであろう、健康な犬や猫を人間が手を加えて命を落とすこと(世間で「犬や猫の殺処分」と呼ばれること)も含まれます。東京都では、これを(国の指針等とは別に「殺処分」としました
国が「殺処分」としている、センターの管理下で命を落とした全てを「致死処分」、つまり「死に至ってしまった出て行き方」と表現することにしたのです。

先にも書きましたが、平成30年4月~平成31年3月には、東京都の言うところの「殺処分」はゼロになりました。
東京都では、致死処分を三つに分けているとのことでした。
その6割近くは「引取り・収容後死亡」とされるものです。引取りや収容をしてきたけれど、センターへの移動中やセンターに着いたときはどうにか息をしていたが、手を尽くした甲斐なく逝ってしまうようなケースです。
残りの約4割は、資料には「動物福祉等の観点から行った致死処分」と表現しています。この中に、人間の「安楽死」の様な、病気や怪我などで苦痛を伴い続け、治療しても回復の見込みがないような状況で命を落とす選択するケースも含まれます。その他のものも含まれますが、それについては上手く説明できないので省略させていただきます(これについては慎重な説明がありました)。
致死処分の3つ目となるのが、東京都が殺処分と呼ぶことにした、収容スペースや必要な人員の問題など人間側の都合で健康な犬や猫を死に至らしめる行為は、平成30年4月~平成31年3月の年度はゼロになりました。
 

■ 安楽死

見学当日の致死処分の説明の中で、この言葉が出てきました。「なるほど!」と思った話があったので、オマケ的に書いておきます。
尚、以下の話を誰がしたのか(センターの人なのか見学者なのか何かのナレーションなどなのか)は書きません。何故なら、厳密な意味では誤解・誤認識を与える可能性を多分に含むからです。それをご理解の上、読んでください。

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安楽死というのは、苦痛を取り除くことが出来ず、治療をしても回復の見込みがない場合に行うもので、健康な犬や猫を死に至らしめることを安楽死と呼ぶのはおかしい。
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今までは私は「人間の都合で命を落とすことは仕方ないことであり、その手段に苦痛がないに近いくらい軽減されていれば安楽死」と定義していると思っていました。つまり殺処分という言葉を柔らかく表現するために使うものだと考えていたのです。

人間の安楽死の場合、苦痛を取り除けない・回復の見込みもない、の他に本人の意志確認がありますが、これは犬や猫に聞くことができませんから外すにしても、無意識に「苦痛・回復の見込みなし」も見過ごしていました。
人間以外の動物に「死」の概念はないとおもいますので意志の確認のしようもないとおもいますが、苦痛もなく、病気も怪我もないのに、死に至らしめておいて「安楽死」と呼ぶことに違和感を感じていませんでした。

 
■ 同行避難

この秋の台風15号、19号による避難所開設の話もありました。
災害時対応については、こちらは専門的な部署ではありません。各役所には「根拠法令及び関係法令」なるものがありますが、こちらのセンターのそれらには、災害対策基本法や災害救助法は入っていません。動物の愛護及び管理に関する法律に災害時のことが書かれていますが、具体的な避難方法や避難所運営についての記述はありません。

東京のセンター(東京都動物愛護相談センター)には特徴があります。名称に「相談」が入っていることです。他府県では入っていない所の方が多いとおもいます。
また、先の「動物の愛護及び管理に関する法律」の法改正で「動物愛護管理センター」なる言葉が出てきました。ここにも「相談」は入っていません

たぶん「相談」が入っているので、人と身近な動物との暮らし全般について問い合わせがあることを想定し、避難所のことも守備範囲にしているのだとおもいます。
避難所は各地域(自治会など)で運営することになっていますので、管轄は区市町村になります。なのでセンターとしては一般論として話をすることになるとおもいますが、以下のような話がありました。

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今まで避難所運営は「大規模地震」を想定していました。避難所に避難する人は住民の全てではありません。家が倒壊していない人は自宅に留まる人もいるだろうし、悲しいことにお亡くなりになっている人など、避難所に行かないことにした人、行けない人がいます
それに対して風水害「これから大きな被害が出るだろうから避難してください」と住民の方に呼びかけますから、その地域の人、全てが避難所に行くことになる可能性があります。つまり、地震の想定よりもはるかに多くの人が避難所を利用することになります。
この問題については、今後の検討課題になります。
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先の台風の時に開設された避難所の対応が問題になり、ニュースなどで取り上げられていました。
想定外の数の人が来てしまったことから混乱し、同行避難してきた人たちの対応が出来なかったのかな、ともおもいました。

何が起きたのか、自分が暮らしている地域では何が起こる可能性があるのか。同じ東京都に暮らしていても、住んでいる地域によって避難所の対応が大きく違う可能性もあるのか。

都民としては、東京都が(避難所の動物の受入れについてはセンターが)「最低限、これだけはやるようにしましょうね」とラインを決めていただき、具体的に「こんな方法がありますよ」と提案もしていただきたい。それがあれば各避難所を運営される方々も準備を考え易いとおもいます。
そして、それが実行されているか東京都(センター)がチェックするようにしていただけたらと願っています。

  

■ 啓発活動

センターに動物がほとんどいませんでした。となると、職員の方々の仕事は変わってくることになりそうです。
センターの仕事は動物の管理以外にもあります。現在、最もウェイトが大きいのは動物取扱業の関係ではないかとおもっています。
その他に啓発活動もあります。見学時の説明でも、小学校などに出向き、犬や猫とのコミュニケーションの取り方などを教えているスライドやビデオも見せていただきました。ビデオは職員の方たちの手作りでした。
ネットに公開されているビデオとしてはこちらが有名ですが、私を含め当日の参加者たちも、このビデオは幅広い人に見ていただきたと願っていました。

今回、一緒に見学に行ったメンバーの中には、身近な動物に関わる活動をしている人がほとんどでした。そのような人の中から「もっと啓発活動をしてくださることは出来ないのか?」との内容の質問(意見?)が出ました。
質問の内容は「子供たちへの啓発活動も重要ですが、住民への啓発活動にも力をいれていただけないでしょうか」というものでした。
 

時間の関係もあり、深い話にならなかったのですが、私も同じことを常々感じています。
私が感じているのは以下のような現状からです。以下の内容は見学時に出た話ではなく、今が個人的に感じていることです。

都知事の公約である殺処分セロが達成されましたが、それは東京都が認定している譲渡団体が多数引き出し譲渡しているから。
私はここが最も寄与しているのだろうなと考えていたのですが、収容頭数も減ってきていることも数字に表れていました。

最後まで数字的に根強く残っていたのは子猫。
これを減らすにはTNRという活動(TNRとは飼い主がいない猫に避妊・去勢手術を施す活動)が必要になります。
収容頭数が減ってきたのは、誰かが一所懸命TNR活動をしたことが大きいとしか考えられません。
誰がやったのか。ボランティアの方々です。
個人の時間と捕獲するための道具や手術代、移動にかかる経費、道具や自分自身の衛生管理にかかる経費などを負担して続けてくださっている結果です。寄付などもありますが、それだけで賄えていることは珍しいのではないでしょうか。また、寄付を集めるのも容易ではありません。忙しい日常生活の中で時間を作り、行ってくださった結果です。

こんなに大変で、地域のためになり、東京都行政の軽減に繋がる活動であるにも関わらず地域で理解されないことが多いのです。
「猫好きが勝手にやっているんでしょ。でもねウロウロされて迷惑なんですよ」的なものや「何でもいいから猫どっかにやって!」くらいの話も聞きます。
理解してくださったのかなとおもっても「色々とやってくださってありがとう。でも、私はお金出せないの。手術代なんて無理。私が餌をあげている猫ちゃんが調子悪いんです。ちゃんと(あなた達がお金払って)病院に連れて行って」という話も聞いたことあります。

本来、TNR活動は地域猫活動の中の一つなのですが、この地域猫活動もなかなか理解されないことが、まだまだあります。
理解が広まらないので、間違った(効果が出ない・続かない)活動をしてしまうボランティアさんも出てきているみたいです。
ある意味、混沌とした状態なのでは、と多方面からの話でおもうことがあります。

もし東京都が「地域猫活動とはこういうものですよ」ということを、「(各区市町村の)お役所の方々は地域猫活動というものを理解するように」そして「その上で、各区市町村で啓発活動をするように」と強く指導し、その補助的な活動をセンターが行っていただければと、と願うことは以前からありました。

現在の殺処分数ゼロは、ボランティアの方々の犠牲といってもいいくらいの負担で辿り着いた結果です。
それら活動が続けられなければ、まず収容頭数が増えるようになり、その後殺処分数はゼロではなくなることとおもいます。
 

日本では「民間で出来ることは民間で」となってきましたが、身近な動物に関わる活動に於いて、行政が行うべき啓発活動があると私は考えています。民間の団体が「こうあるべき」と言っても「それはあんたの考えで、私の考えは違う」と言われてしまいます。
役所の人が「法律ではこうなっていますので、このようにお願いします」と伝えれば違います。また、センターの方々のように日々相談や苦情を受けながら、生身の動物を扱っている人の言葉は説得力があります。
是非ともセンターの方々の知識と経験を活かした(そして区市町村と連携をとった)啓発活動を動物行政の柱の一つにしていただきたいと願います。

 

■ これからのセンターの業務(私が願うこと)

前段で「啓発活動を動物行政の柱の一つに」と書きました。
その理由は、センターの職員の方々は「日々、身近な動物に関わっている人からの相談や苦情に対応していること」と「獣医師という資格を持つ方が多々いらっしゃり、日々生身の犬や猫を扱っている人たちでもある」そして「関係法令に詳しい」からです。
そのような方々を中心に(今まで行こなってきた啓発発動に加えて)TNRを含めた地域猫活動や同行避難についての啓発活動や指導も行っていただきたいと考えています。

各地域での猫の活動も、猫の状態や地域の雰囲気(苦情のあり方)などの判断も、やはり獣医師の資格をもつ職員の方々にしていただけたらと願ってやみません。

同行避難についてですが、慣れない避難所で犬や猫がどうなって、何が必要になるか、もセンターの方々に考えていただき、指導していただきたいと考えています。
放浪動物などがセンターに収容された時、犬や猫にとってそこは「慣れない場所」です。つまりセンターでは日々慣れない場所にいる動物たちを扱っているのです。
なので、是非こちらの啓発活動もしていただけたらと願っています。
 

他にどんな業務に力を入れてほしいかと考えたとき、動物取扱業の監視の結果からの現場での確認・指導・処分決定など。

今年のことだとおもいますが、命に係わる感染症を蔓延させてしまった動物を取扱う施設があり、ニュースでも話題になりました。会社組織で経営者が動物施設の衛生管理を甘く考えていた結果だとおもいます。
そのニュース記事を読んでいて「センターの人に権限与えれば、こんなの即指導・即処分だろうな。取締まる法律にまだまだ不備があるからこうなるけど、センターの人たちはすぐにでも対処したいだろうな」と想像しました。

現在、取締まりがし易くなるように、数値基準を作ろうとなりましたが、動物の状態は経験豊かな人しか分からない部分もありますので、数値的にも完全に環境が悪化してしまう前に対応できることがあるのではないかと考えています。
それが出来るのは、日々色々な個体が出入りするセンターという特殊な場所で、獣医師という資格をもち健康の隅々まで、時に命に係わる責任を負っている人たちだからこそ身に付くものだとおもっています。

動物取扱業の書類のチェックは別部署でもいいとおもいますが、現場の確認はやはり獣医師の資格をもち、日々動物たちのケアをしている職員の方々にお願いしたいとおもいます。そのような体制により、事件事故が大きくなる前に対応出来るはずです。
 

センターの業務として、特定動物(危ない動物)を飼う場合の許可や指導も行っています。人に危害がないようにしっかりやっていただきたいと思うと同時に、その動物たちのことを考えることが出来るのも、センターの方々ではないでしょうか。
更に、人畜共通感染症の調査なども行っています。また、一般飼い主ではないプロ相手の許可・監視指導などもあるようです。
 

職員数からみて「どうやってこれだけの仕事をやるの?」と盛り沢山な内容です。
現状でも人員を増やしてほしいものです。
 

このように多くの業務の中でも、殺処分ゼロの状態を続けるためにも、啓発活動には力を入れていただくことを祈っています。
そのためにも「殺処分ゼロ」が社会にとってどのような意味があるのか、都知事や都議会議員の方々に理解を深めていただきたいと切に願います。

 

■ 最後に(更に私が願うこと)

今回の見学は、見学前の予想とは(収容動物の数も収容動物を取巻く状況も)違い、戸惑いさえ感じました。
今までのような殺処分のその時まで収容する施設でなくなったことは嬉しいことですが、この先、どうなるのだろうと疑問をもちました。
獣医師免許を持ち、日々動物たちと向き合い、動物関係の苦情を受けることで市民感情も理解し、また関係法令に詳しい職員さんが多々いらっしゃるセンターの今後が気になります。

前段の最後に書いた太字部分にピンとこない方も多いかとおもいます。
私はこんなことを考えてしまったのです。

「殺処分がゼロになったのだから予算を削るべきでは?、と考える都知事や議員もいるのでは?」

動物取扱業に関わる業務が増えても(業者の数も増えるし、法改正で提出書類も増えても)人員は増えない。ただただ大変になるばかり。その上、収容動物が少なくなったことや殺処分ゼロとなったことで、予算が削られてしまうのではと懸念してしまうのです。

確かに、収容動物の管理に関わる業務は減ってきましたが、この状態を維持するために、今まで培ってきた経験や知識を必要する業務があるのではないかと考えています。


近年、多頭飼育崩壊が問題に表面化していますが、マスコミ記事を読む限り、当事者の中には周囲の人たちとコミュニケーションがとれない人が多く、本人の説得に時間がかかり(または全く説得に応じてくれなくて)状況が悪化し、頭数も増え、目を覆いたくなるような状況が続いてから、裁判などの強制的な手続きが行われることが多いように感じます。

先の法改正で数値基準を設けることが決められています。何の数値基準かと言えば、飼育環境の、です。
先日、記事で読んだのは一頭当たりのケージなどのスペースでしたが、悪臭や床面の細菌叢の状況なども数値基準を設け、業者・一般飼い主どちらであっても多頭飼育崩壊に向かっている状況にあれば、犬や猫を保護できるようにしていたきたいと考えております。

実際このようなことが実現したときに、数値のみだけでは判断しきれない、または余程酷い状況にならないと基準に満たないことになるのではないかと予想しています。
なので、それ以前の状況のときに以下のような対応が出来ればと考えています。

まず、強制的に中を見せてもらわないとなりませんから、警察の協力が必要になります。
警察官センターの職員の方が中を見て判断してほしいのですが、対象となる人の多くは、何らかの問題を抱えていることが多いようなので、ケースワーカーも共に入ってほしいです。そして、後方支援(すぐに協力してくださる体制)として(人間の)医師弁護士財産の管理を行う専門家、などもチームに入れておいて欲しいのです。

これら専門家により、対象者の諸状況を客観的に把握し、サポートして解決出来るものは出来る限りのことをし、解決出来ないのであれば迅速に法に則った対応に向けて動くようにしていただきたいのです。
客観的事実の把握を行い精査すれば、動物の飼育を禁止する(権利を制限する)ことも可能になってくるのではないでしょうか。

このようなことを行うときに必要となるのが、獣医師免許を持ち、苦情対応もし、関連法令に詳しいセンター職員の方々ではないかと考えています。

となると、今在るセンターの建物は必要なくなるのか?

身近な動物に関わる行政活動が進み難い理由の一つに、市民の意識のばらつきが大きいからだと感じることがあります。
極端な話になりますが「犬や猫が虐待されても私には関係ない。何故そんなことに税金が使われるのか?」と考える人もいますし、未だに「犬や猫が交尾し増えることは自然の摂理であり、人間がコントロールすべきことではない」と考える人もいます。
現在の法律では、愛護動物の虐待は刑事罰対象になっているし(動愛法44条)、繁殖制限も「犬又は猫の所有者」は「講じなければならない」(動愛法37条)と書かれています。

このような分かり易いことだけではなく、身近な動物との関わりについて、最低限何が必要かを都民に知らせ、また都民の感覚を確認する必要があると考えています。
その方法は「聴き取り」ではなく、譲渡会や(しつけや公衆衛生になどに関する)講習会(=啓発活動)を通して行うのが効果的ではないでしょうか。

そのような場所にセンターが活用されることを願っています。

 

途中から、今回の見学のことではなく、動物愛護相談センターの今後の話になってしまいました。
それくらい現在の施設内に大きな変化を感じました。
私は以前も見学したことがあるからこのように感じたのかもしれませんが、世の中の噂からセンター(収容施設)の雰囲気を想像している人も「全然違うじゃない!」と感じることが出来ると思います。

見学するなら「今」だとおもいます。
見学についての問い合わせ先は、冒頭に書きましたので、そちらを参考にしてみてください。
 

私たちが多摩支所を見学した日は、天気もよく目の前の土手ではたぶんドラマと思われる撮影が行われていました。それくらい景色のいい所です。多摩支所からは(一部のロック好きな人しか分からないと思いますが)都立日野高校が見えます。
最寄り駅(といっても20分くらい歩くのですが)は多摩モノレール・万願寺駅になります。この近くには土方歳三資料館もあります。

本所(八幡山)の近くには、芦花公園(蘆花恒春園)があり徳富蘆花の記念館や旧宅などもあります。そこから少し歩くと世田谷文学館もあります。更に歩くと京王線・芦花公園駅に着きます。
比較的近い駅である京王線・八幡山駅までの間には大宅壮一文庫もあります。
逆側(小田急線方面)に環八を歩けば THE SPA 成城があり、SPAの他に飲食店もあります。こちらを利用されると、小田急線の千歳船橋駅、成城学園前駅(祖師谷大蔵駅経由)、京王線の千歳烏山駅の各駅まで無料送迎バスが利用できます。

長々と書きましたが、難しいこと抜きにして、お友達たちと軽い気持ちで「実際はどんな所なんだろう」と見学に行くのもいいのではないかとおもっています。

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2019年10月30日 (水)

同行避難(追記)

前回の書込みは、いつものようにほとんど方に読まれていないようです。
同時に、少数ですがしっかり読んでくださり考えようとしている人が必ずいることが確認できたことは嬉しい。

毎度、基本的なことを理解していただきたくて長くなりますが、長いが故に読んでいただけない(悲)。

なので今回は誤解を招くだろうことを覚悟で短く書きます。

■ 前回の要点

平時に、役所に「自分が何処の避難所を利用すべきか」「その避難所でペットの対応がどのようになっているか」確認する。
・同じく平時に、その避難所にペットの対応」を確認する。

 

■ 気づいていただきたいこと

避難所運営は公的サービスではない。(発災初期は時に)地域住民の共助によって行われるもの。
※各自が地域の住民として、避難所運営団体が平時から何をやっているか、自分が手伝えることがないのか、そのような意識を持っていただきたい。
 先の書込みで書きましたが、避難所運営マニュアルの雛型にはペットの受入れが書かれています。しかしそれを実現する準備が進まない。つまり、誰かが協力してその部分を担えば同行避難は現実します

 

■ アメリカのこと

前回の書込みで書いたこと
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日本人は(動物関係は特に)「欧米を手本に」と考えている人が少なからずいるようですが、アメリカのカトリーナ後に整備された法律のことや、その後の避難所のことも調べてみていただきたい。
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(私の書込みとは関係なしに)カトリーナ後に出来た法律について書いているのを読んだ。それは好ましいことだし、そのような情報が広まってほしいとおもうことを先に書いておく。

私が「その後の避難所のことも調べてみていただきたい」と付け加えたのは、法律が出来た(正確には改正された)からと言って、大規模災害が起きたら(手続きなしに)すぐに機能する訳ではないし、法律が機能し始めても、全ての避難所、交通機関が人間の避難と同等に扱ってくれてはいない現実を、自分で調べてみて欲しかったから。

簡単に見つかる記事として、こんなものがある。2017年のバービーの時の記事。
https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2017/08/post-8333.php

日本の大規模災害の時のことを思い出してほしい。
避難所に行くことを諦め自宅で静かに避難している人たちがどれだけ多いことか。たぶんアメリカでも同じだと、私は想像している。

アメリカは懐の深い国ではありますが、結果として(歴史的にも)弱者が存在する国でもあり(災害時だけでなく、いつでも)そのような人たちに手を差し伸べてきているので、同行避難についても弱者保護の一つとして、多く人が自然に捉えることが出来たのだとおもいます。
そのアメリカでも上記記事のような現状があります。

他の何処かの良い部分を参考にすることは良いことですが「他の国がOKなんだから大規模災害時は私も助けらえるべきだ!」と要求し続けるだけではなかなか先に進まないのではないでしょうか。

 

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ここから下は長くなりますので、ご興味ある方だけでお読みください。
感情的な情報に流されずに自分が共に暮らす動物を守りたいと考えている人、次の時代について現実として考えたい人だけ読んでいただければ幸いです。
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■■ 考えてほしいのです ■■

アメリカでも法律で同行避難をするように、としています。日本も同行避難しましょうとしています。そのような風潮にもなっています。
法システムの成熟度は明らかに違い、着実な運用という意味では大きく違いますが、法を基にした制度が存在すること世論感情として「ペットも共に避難すべき」となっていることに違いはないとおもいます。
日本の現状から(私が知る限り)足りないことは、避難所運営について平時から皆で考え協力する姿勢だと感じています。
日本でも平時から対策を考え行動している人たちがいます。そこに目を向けてほしいのです。

外を自由に出歩く猫の問題が誰の目にも分かるような効果が継続的に現れるようになってきたのは、理解・協力してくださる方が増えてきたからだと、私はおもっています。
少数の地道にやってきた人たちの行動から継続的な効果が出てきて、それを見た人たちの中から、少しずつ理解・協力してくださる人たちが出てきて、共に働きかけ、地道な作業を続け、明らかな効果があると認められるようになり、その結果さらに協力者が増え、目覚ましい効果をあげています。
猫の活動は法的な裏付けがほとんどない状況で続けていましたので、一般の方が想像も出来ないようなご苦労があったと耳にしています。それでも理解・協力を積み重ねることが出来れば、先に進めるのです。

同行避難の問題も、理解者・協力者が少しずつ増え、やり方を試行錯誤し、効果が得られるような形にもっていかない限り、円滑な同行避難運営は出来ないのではないでしょうか。
現状、発災時に避難所運営を開設し、苦労しながら運営しても「あの対応が不満だ!」「ペットを一緒に入れてくれないなんて!」と言われてしまいます。これでは、より良くする気持ちも、それ以前の続ける気持ちも萎えてしまっても不思議はありません。
まずは「避難所の運営とは」の理解が広がることを心から祈るばかりです。

 

他に可能性としてあるのは「同行避難・同伴避難ビジネス」が注目されることです。
言葉として不適切かもしれませんが、ペット用の備蓄品や避難時も使えるキャリーなどが出てくるとマスコミなどで扱われ、全体として意識があがることは確かです。
現実として、営利が基本となるものほど情報発信力が強く確実に伝わるものです。
「ビジネス」なる言葉がよろしくないかも知れませんが、行政が行うものや非営利も含むと考えてください(こちらは発信力が弱くなるのが常ですが)。

今まで人間用のモノとして、避難所で床上げできる段ボールや、プライベートを確保するための仕切りなどが開発されたことがマスコミで流れたことがありますが、大きなビジネスにはなっていようです。
人間用のモノが先にないとなかなか難しいのが現実ですから、モノを扱うビジネスは難しいかもしれません。

 

となると、システムというか情報の扱い方、分かり易い形として「アプリ」でしょうか。

現状、同行避難・同伴避難の問題で最も必要とされているのは、発災時に「どの避難所がどのように対応しているか」の情報となります。何度も書きましたが、対応は各避難所の避難所運営マニュアルに書かれていて、事前に情報を集めることが出来ます。
なので、何処かの会社がアプリを作り、情報を集め・整理することが出来れば、大きな一歩となるし、ここから派生するビジネスは幾つもありそうです。

今の話は発災時の運営に焦点をあてた話でしたが、平時の試行錯誤の段階でも、基本情報(災害の種類によって、その避難所にどれらくいの人が来るだろうか、避難経路はどうか、備蓄がどれくらいあって補給をどうするなど)の収集や、平時と発災時の連絡の取り方などを、総合的に円滑にできるアプリがあれば、こちらかも(ビジネス含めて)色々なことが生まれてくるとおもいます。

各避難所別にそのようなデータや手法を積み重ねることに留まらず、広域的にデータを蓄積し、より良い方向性を見出すことが出来るのではないかと考えています。この部分でもITは大いに力になってくれることでしょう。

 

既に「長くて読めねぇよ!」言われること必至なのでここまでにしますが、最後に私の願いを一つだけ書いておきます。

役所や避難所に「確認(電話)して」と先の書込みでは書きましたが、本当にしていただきたいことは、

      避難所運営に目を向けて!

ということ。

 

ペットのことは別にしても、大規模災害時に最後の頼みの綱は、避難所が確実に運営されてるか、ですよね?
そこに目を向けませんか?
それだけなんです。

 

~~~~~~~
避難所の運営に深く関わっている方が読んだら「それは出来ない」「理想だよ」「絵に描いた餅」と思われることを、わざと書きました。
現状、一般の人には理解され難い苦労が避難所運営にはあります。今まで書いたことを真剣に検証してゆけば、それに気付くとおもいます。
この書込みが、そのような機会になれればと密かに祈っています。

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2019年10月22日 (火)

同行避難とか同伴避難とか

先の台風15号や19号は来る前から大きいと報道もあり、実際大きな被害がありました。亡くなられた方々のご冥福をお祈りするとともに、被害に遭われた方々の生活が、一日も早く以前の生活に戻れることを陰ながら祈っております。

そのような大きな災害が来る度に、ペットを連れて避難したいが受け入れてくれる避難所がない、という話が出てきます。
2011年の東日本大震災の時は、避難所に入れないことが当然のような風潮がありました。しかし国は阪神淡路大震災(1995年)以降、同行避難を示していましたが、世の中はほとんど反応しませんでした。「あんな大きな地震は当分来ない」と多くの人が思っていたからでしょうか。
2004年中越地震の時、孤立した村から犬もヘリコプターで救助されて話題になりました。この時の映像が大きな反響を呼び、その後はペットも一緒に救助することを後押しする声が多くなっていきましたた。(担当者が当時のやり取りについて語っているのをYouTubeで見たことがありますがやはり基本的にNGだったようです。しかし現場の誰もが助けるべきだと考えていたようです。)
そのようなこともあり、中越地震後、市区町村の中には、改めて同行避難の普及をはたらきかけた所も出てきました。
それでも、先に書いたように東日本大震災の時は(特に原発災害による避難命令を受けた地域では)多くの(ほとんどの?)人が家に犬や猫を置いて避難した。そのように指示されたと云う人もいれば、避難所には当然連れていけないと思っていた人がほとんどだったとおもいます。また、同行避難という言葉を知らない人も多かったとおもいます。

東日本大震災後、また改めて同行避難の普及を試みた市区町村も少なからずあったようですが、なかなか各避難所は(人間に対応することを考えるだけで)手いっぱいでペット連れの対応まで手がまわらないのが実情のようでした。

まだ記憶に残っている方も多いであだろう 2016年の熊本地震の時でさえ、ペットと避難所に行くこと(同行避難)がなかなか難しい状況でした(今もですが)。そのような状況の中、龍之介動物病院が同行避難を望む人たちに病院を開放したことが話題になりました。

 

さて「同行避難」とは何だろうか。
現在は「ペットと共に避難する行動を指す」ことになっている。あくまでも「避難する行動」のことである。
以前は少々違った。ここまでしっかりと定義されていなかった。なんとなく「避難所に一緒に行きましょう」的なニュアンスで、それ以上のことを読み取ることは出来なかった。
「同行避難」という言葉は随分と前から役所が出している文章にありました。それに対して「同伴避難」は、同行避難が知られてくるようになり、避難所までは一緒に行くが、避難所で同じ空間で過ごせないことがほとんどであることが知られるようになってから、広まった言葉です。

ちなみに、何故ペットと共に避難することを推奨しているのか、これをご存知ない方は、一度調べてみていただければとおもいます。法律で(直接的な表現ではありませんが)書かれているから、と云うのが分かり易い答えがありますが、法律で書くほど大事な理由は何だろう、と考えていただきたい。これはネットで調べれば見つけることが出来るはずです。
少々意地悪に感じるかもしれませんが、調べてみると色々なことが分かってきて、驚いたり、過去の出来事に胸が痛くなったり、多少は疑問をもったり。人と身近な動物との生活について、より深く・柔軟に考えることが出来るようになりますし、今後、身近な動物との社会問題を考える時に、現実的に考えることが出来るようになります。
日本人は(動物関係は特に)「欧米を手本に」と考えている人が少なからずいるようですが、アメリカのカトリーナ後に整備された法律のことや、その後の避難所のことも調べてみていただきたい。

理由や背景、現実はともかく、国は同行避難をしましょうと言っています。しかし(この2019年の大きな台風の時も)「同行避難とか言っているけど、受入れてくれる避難所ほとんどないじゃん!」の声を幾つもネットで目にしました。

 

やっと本題です。

このようなことにならないように、私は東日本大震災後から同じことを繰り返して書いたり発言してきました。しかしこの2~3年はトーンダウンしました。一つは、防災について語られる機会が減ってきたことがある。もう一つは、私が書いたり発言したことを「やってみた?」と聞くと9割以上の人が「未だ」と答えが返ってきたから(虚しくなって諦めた)。
つまり、私の考えを大きな団体や先生と呼ばれる人たちは、言わなかったのです。
私一人が言っている状況なので、皆さん「意味あるの?」と思ったことなのでしょう。しかし、今回の台風がきたら、やるしかなかったのです。それを平時にやっておきましょう、それだけです。

その話の前に基本的なこと。
各市区町村は予め何処を避難所にするか決めています。多くの場合、学校であることが多いようです。
そこには備蓄品など「物」も準備されていますが、災害発生時に避難所が開設されたときに運営する人たち(団体)が準備されています。もちろんどのように運営するかも話し合うように(国からトップダウンで、直接には市区町村から)指示が出ています。なので各避難所毎に運営マニュアルを作ることになっています。

という言うことは、ペットを受け入れるのであれば、そのマニュアルにそのことが書かれているはずです。
先にも書いたように、運営マニュアルは各避難所毎に作るものであり、内容を役所から押し付けられることはありません。
運営団体の人たちはボランティアです。行政の人たちが運営するのではなく、地域の人たちの善意で運営されるのです。
大規模災害が起こった時、行政の人たちが各避難所に駆け付けることが出来ないであろうことは、阪神淡路大震災や東日本大震災を体験した人ならご理解いただけるとおもいます。現実的に考えて、地域の人がやるしかないのです。
その地域の人たちが「この避難所はこのように運営しましょうね」とマニュアルを作るのです。

とは言っても、ゼロから作るのは大変です。なので国が作った雛形を都道府県がアレンジし、さらに市区町村がアレンジしたものを「これを基本的な形にして作ってみてください」としています。
その中に同行避難(してきた人やペットの受入れ)について書かれています。国が同行避難を推奨していますので「この避難所は受入れません!」とキッパリと決めている所は少ないとおもいます。多くの避難所は「検討中」や「準備中」のようです。
しかし受入れないと決めた避難所はあります。各避難所の事情から仕方なくそのような結論に至ることがあるようです。

ところで、あなたは、ご自分が避難すべき避難所が何処で、その避難所で同行避難がどのように決まっているのか・いないのか、ご存知ですか?

 

やっと、私がやってほしいこと(だけど、ほとんど方がやってくださらなかったこと)。

まずお住いの(市区町村の)役所に電話を架けて「私は〇〇町の〇丁目に住んでいますが、災害時に利用すべき避難所は何処になりますか?」と確認し、避難所を教えていただいたら、「その避難所ではペットの扱いはどうなっていますか?」と訊いてください。訊くことに意味があります。答えが分かっていたとしても訊いてください。多くの人が問い合わせたことは役所内で検討事項になるからです。
答えはだいたいこんな感じです。「ペットの扱いは各避難所で決めることなので避難所にお問い合わせください」。
その答えをいただいたら「連絡先を教えてください」とお願いします。または「避難所の連絡先は(区市町村の)HPに出ていますか?」と訊いてください。
そして、避難所に連絡し「ペットの受入れはどのように決まっているでしょうか」と尋ねてみてください。こちらでも多くの人から問い合わせがあれば、積極的に検討してくれることになるとおもいます。

 

避難を余儀なくされたとき、役所や避難所に確認のために連絡した人も少なからずいらっしゃったとおもいます。
それを平時にやっておきましょう、とそれだけです。

長々と書きましたが、たったそれだけのことが言いたかっただけでした🐶🐱

 

(余計なこと)
「避難所はボランティアでやってくれているのか。何もしない自分が同行避難をお願いするのも気が引けるな」と感じることもあるでしょう。たしかに現状、やる人・やらない人、が分かれてしまう運営方法になっています。
今の世の中、物だけではなくシステム(ルール)も新しいやり方が考えられる時代です。皆さんが声をあげ「出来ることがあれば協力するよ」と一言いえば、避難所運営のルールも今までは考えられなかったような方法が出て来るかもしれません。
素晴らしいアプリが出来て、皆で少しずつ協力し合って避難所が運営出来るようになるかもしれません。
そうなるように、もう一歩前に前進出来たらと何年も前から願っています。

こんなに長い長い文章を読んでくださり、ありがとうございます。
あなたは、より良いペットと暮らす社会を心から願っている方だとおもいます。
であるなら、もう少しお付き合いください。

日本にはまだまだ、犬や猫、その他の動物を粗末に扱うことは許されることとおもっている人がいるようです。
また、不特定多数の人が集まる場所に、犬や猫などを連れてゆくことをタブー視しているこ社会であることも感じます。それを考えれば、同行避難が広まらないことも仕方ない、となってしまいます。

避難所には、アレルギーの人もいるでしょう、本人も理由など分からず「とにかく犬や猫は嫌い」という人もいます。そのような人たちへの配慮は必要です。
ここまで考えると、面倒になってきますね。それらの問題をクリアするのは無理そうだから、やはり無理か、諦めたくなります。だからタイトルを「余計なこと」としました。

でも、私たちは進まなければなりません。このままではいつまでも同じです。そして発災時に不安になります。

前に進むために、どんな形であれ、避難所で受けれていただけるようにする。そして訓練を重ねる、経験を積む。問題点を洗い出す。
実際の災害時は特に、予想と実際は違うものです。 訓練もやってみたら「こんなはずではなかった」となることもありあす。特に動物関係は。(実際の災害は来ないで欲しいので来ないこと祈り)訓練でも数多く経験することで、先に進めるようになります。自信が付いてきます。

 

そのような状況を作るために、先に進むために、一人でも多くの方に「自分が避難する避難所が何処か」「その避難所ではペットの扱いがどのように決まっているのか・いないのか」を確認していただくことを心から祈っています。

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2019年10月 3日 (木)

とても驚いたこと(後書きブログ)

何度も書き直してぐちゃぐちゃになってきたのでもうアップちしゃいます(苦)
「長くて読み難いものなんてアップするな!」と言われてしまいそうですが、この書込みは万人向けではありません。身近な動物たちとの環境を総合的に把握できる若い人が出てくることを祈ってアップしておきます。

 

ゴールデン・ウィーク辺りに色々とあり、その頃のことを後書きブログとして幾つか書いた。
今回の内容はその時のものではない。今年のことでもなければ昨年でもない。一昨年かもしれないし、もっと前かもしれない。
そんな昔のことを今更なぜ書くのか?、私にとって、それはあまりにショッキングな内容だったから。これから書くことを理解できる人は、誰が何を言ったか気になって仕方がなくなるとおもいますが、それが誰なのか特定しないで欲しいから。したところで大勢は変わりませんし、良い方向に向かうことはありませんから。

読んで(「なんとなく」でいいので)分かってほしいのは、動物愛護とか動物福祉と呼ばれる範囲は幅も広く、各分野の奥行きも深いということ。
それと繁殖業つまり繁殖のプロとはどのような仕事で、素人繁殖とは何が違うべきなのかを、各自「考えて」ほしい。これは「分かって」ほしいではありません。何故なら、繁殖するにあたり、何を考慮したらどれくらい違いが現れるのかを、ここで細かく書いても理解されないから。書いたくらいで理解されるのであれば、誰かが書いて(日本に限らない)繁殖業への誤解はなくなっているはずだから。
(本当の意味での)ブリーダーと呼ばれている人たちが、繁殖に、そして生まれ来た犬たちにどれだけ心血注いでいるかは、そのような人と付き合わなければ分からないとおもうから。

これから書くことで「繁殖」を行う際に、どれくらいの範囲のことをどれくらいの注意と責任をもつべきなのか(答えが出なくても)「考えて(想像して)」ほしいのです。
考えていただける人が増えれば、安易に純血種を求める人は減るだろうし、経験・実績豊富なレスキュー団体(里親探し団体)から犬や猫を譲り受けることがどれだけ価値があるかも理解していただけるだろうから。

  

■ まず、私が遭遇した吃驚したこと。

とある人たちが「ホビーブリーダー」という言葉について論じていました。何をもってそう呼ぶのかという話もあった。話の流れから、私が抱いていたその言葉のイメージと同じだろうなとおもった。
私は「個人というか家庭でオスとメスを持ってきて繁殖しているような人たちのことだよね。日本のチャンピオンだったりするけどれど、それだけでいい犬が生まれてると思っていたら恐ろしい。でも、いっぱいいるよな。つまり、飼っている環境は良い様に見えるけど、犬の健康をよく考えるという意味での環境は備えていない人たち。備えていないというか、広い意味での健康を理解していない人たち。私はあまりお付き合いしたくない人たちだな」とおもった。不思議なことですが、世の中には、このような繁殖者を「素晴らしいブリーダー」と呼ぶ人たちがいることも事実なのですが、人前で議論していた人たちの中にも「何か誤解しているんじゃない?」と思う人もいて「テーマとして扱うと分かっているのであれば調べてきた?」と思ったのですが、たぶん調べても分からなかったのだと思います。つまりその人の周囲の人には、そのような知識がある人がいなかったのではないか、ということに驚いたのです。

人前で議論をするような人に中には「犬の繁殖の現場について、こんなにも知らない人がいるのか。この人がこの程度のことしか話が出来ないということは、この人の周辺の人も同程度の知識しかないのか。そのような現状で人前で論じるのか?」と吃驚でもあり、悲しくもなりました。
 

■シリアスホビーブリーダー
言葉遊びは嫌いですが、繁殖者のタイプには幾つかタイプがあるということを知ってほしいので、書かせていただきます。

ホビーブリーダーに似た言葉で、シリアスホビーブリーダーという言葉がある。
私はこちらの人たちとは積極的に付き合いたい。しかし世の中には「ショーとかやっている人たちでしょ?」と一瞥する人さえいる。その通り、世界基準で犬の健康を見極める場に出ている人たち。

「ショーってインチキいっぱいなんでしょ?」という人がいます。「そうですけど」と私は笑顔で答える。「そんなインチキくらいすぐに見破ることが出来なくて、犬の健康が分かるんですか?」と続ける場合もありますが、相手によっては口には出さないこともあります。

 

この文章を書いていて具体的なことを書いては消した。(とても残念ことですが)書いたところでほとんどの人には理解されないだろうから。
消し過ぎて意味が通じないかもしれない。それでも書くのは、広い意味での「犬の健康」への理解が広まれば「犬や猫を気軽に迎える人は減るだろう」から。そして「気軽に捨てる人はいなくなるだろう」から。

 

プロの繁殖家がどれだけのことを考え実行しているかを知れば、また、ほとんど何も考えず(衛生環境くらいはよくしておいて)繁殖することの恐ろしさを知れば、それがショップであろうとブリーダーと呼ばれる人であろうと、どんなところからでも仔犬を入手することには慎重になるはずです。
そして(先にも書きました)歴史と経験のあるレスキュー団体(里親探し団体)が如何に価値があるか、気づくことになるでしょう。

では、どんな理解が進めばいいのか書こうとおもいます。
 

それを書く前に、驚いただけで知らないことを非難・批判するつもりはないことを書いておきます。
繁殖することを批判する人たちは、悲惨な問題の直近の解決に尽力してくださっている人たちなので、「とにかくもう繁殖しないで!」という気持ちになることは理解できます。とにかく凄い犬猫余り状態なのです。なのでそのような人たちが理解する暇もないということは理解しています。

そのような人たちが(時間的に難しいとおもいますが)理解してくだされば、全体的な話の進み方もよくなるだろうという気もちもありますが、何より私が理解してほしいと願う人たちは、一般の飼い主さんたち。犬や猫を飼っている多くの人たち。これから迎えようとする人たち。今でなくても、いつか迎える人たちです。

 

やっと本題。

■プロの繁殖者ってどんな人?

繁殖者のプロに求められるものって、なんだろう。いや、もう一歩手前から考えてみましょう。
「その仕事で「プロ」と呼ばれる人たちって、どんな人?」と問いを変えてみます。

素人でも知っているコトは当然知っていて、更に知識があり、技術的に普通の人が出来ないことを確実に行う人。
料理人は料理のレシピを知っている。普通の人が知らない知識や普通の人が出来ない技術もある。普通の人が作る段取りとは違う場合もある。
それは、お客さんがやってきて、数分の内にある程度のレベルのものを確実に出さなければならないから。
お店で「いつも通りに作れなかった」とか「失敗して作り直し」は論外ですですよね(年に1~2回ならいいかな)。
それともう一つ。接客といかお客様対応。お客様に商品を理解してもらうこと。
「ラーメン」だけの看板を出していて、激辛ラーメンしかないお店だったら、お客さんの中にはメニューを見て店を出る人もいますよね。
自分が何を提供するかを出来るだけ伝える、そして心地よく利用していただく。このようなこともプロの仕事に含まれると、私は考えています。

では、繁殖者に求められるものってなんだろう。
健康な雌雄を持ってきて子供を産ませること?

これ、誰でもできますよね。プロと呼べるでしょうか?
プロ用の道具を揃えて、仕込みの仕方を教えてもらって、それで飲食店が開業できるでしょうか?、ファストフードのように、誰でも間違いないような仕込みがしてあり、マニュアル通りに作る技術があれば、どうにかなるでしょう。
それを個人のお店がやって、続くと思いますか。まず初期コストが膨大になり、回収までに時間がかかり、個人経営では続けるのは難しいとおもいます。
そのようなお店が出来たとしても、たぶんチェーン店に行った方が、無難に美味しいものが出てくるし、お店もゆったりしているでしょう。お客側の「そのお店に行くメリット」は何でしょうか。出てくるものが同じなら、店内の環境が良かったり駐車場があるお店に行ってしまいます。

「そのお店にしかない雰囲気やサービス」がなければ、たぶんお店として続かないはずです。そしてもし続くことが出来たら、つまり「行く価値のあるお店」と多くの人に認められたなら、それはプロと呼んでもいいとおもいます。
でも(お客側の勝手な高望みですが)「材料に拘って、全体的にも作り立てで、店内も気持ちよく、給仕・接客も心地よい」を私は望みます。
全てに(拘るというか)細心の注意と向上心をもって仕事に向き合ってほしいとおもいます。それは誰もが出来ることではなく、心からその仕事が好きだから苦労も厭わず続けることが出来、その積み重ねで、経験も知識も豊富になり、それが料理に現れるのだと思っています。

私は以上のように考えます。ではもう一度。
--------------
では、繁殖者に求められるものってなんだろう。
健康な雌雄を持ってきて子供を産ませること?
--------------

これだけでプロと呼ぶのはおかしいのでは?、と私は思います。
飲食業で例えるなら、それなり道具を揃えているだけではないでしょうか。

「いや飼育環境が問題なんだ!、ハード面ではなく、ソフト面だよ」と言い出す人がいるかもしれません。
それは、繁殖者だけに言うべきことなのでしょうか。繁殖ではなく飼育する人、全てに求めるべきものであり、繁殖を語る以前の問題なのではと、私は考えています。

(余談になりますが、、、あくまで余談です)
現在、そのようなことを第一種動物取扱業者(大まかに説明すると、第一種は商売で動物を扱っている人たち、第二種はボランティア団体など)に酷い飼育環境にしないでもらうことを強く求める動きがありますが、なんで第一種(商売の人たち)だけなんだろう?、と私は不思議でなりません。
第二種(ボランティアなど)だって、一般飼い主にだって求めるべきなのでは?、とおもっています。
平成30年度の東京都の審議会で私の考えと同様の意見が出てくれたのは、とれも嬉しかったです。近い将来、法律かその手前の文書にこれらが記載されることを祈るばかりです。
(余談ここまで)

 

では、プロの繁殖者に求めるものは何か?
まず「健康である子を産ませる」こと。
たぶん「はぁ?」とおもう人も多いとおもう。しかし「健康」には色々な意味が含まれています。

「犬や猫って、みんな健康に産まれてくるんでしょ?」と思う人も多いとおもいます。
犬や猫のお産の手助けをしてきた人たちから話を聞くと、呼吸が停止して生まれてきたり、犬種によっては難産が当たり前のこともある。
こういうこともよく分からず、何気なく繁殖を続けてる人もいると聞きます(これはすぐに気づくとおもいますが)。

人間を含め動物にも植物にも遺伝というものがあります。
この20数年で遺伝性疾患という言葉を知る人も増えました。それらの中で幾つかは(遺伝子検査の技術の発展で)検査もし易くなったこともあり、情報が広まりました。しかしそれは遺伝の中のごく一部の話です。
難産かどうかも遺伝が関わっていることがあります。難産と肥満が関係することもありますが、肥満も遺伝が関わることもあります。命ある者の行動の全てに、遺伝が関わっている可能性があると言っても過言ではありません。
とにかく遺伝というものがあり、膨大な情報が受け継がれる。そこのことを何気なく知っている方は多いとおもいます。

 

■犬を選ぶ

犬は長い歴史の中で、人間により選択繁殖されてきました。人間に都合の良い遺伝子を持った犬を積極的に繁殖してきました。その結果「犬を選ぶ」ということが出来るようになっています。

現在、日本では「犬種が決まれば、あとは縁」とか「犬種なんて何でもいいし、雑種でもいい、出会いだ!」などの話は珍しくありません。犬を選らぶことが悪いことのように言う人すらいます。犬余り、猫余りの、今の日本ではそのように感じても不思議はありません。

私は経験上「犬との幸せな時間を求めるのであれば、犬を選ぶべき」と考えています(「不幸な犬や猫を救うこと」が目的であればその必要はないかもしれませんが)。
人間が何を求めるかが決まっていれば、犬種を絞ることができます。犬種の中でもタイプがあります。そのタイプの中でも血統で、より自分の好みの犬を探すことができます。それは、犬との幸せな時間のためです。犬にとっても幸せな時間になってもらうためです。不幸な犬を生まない意味でも理解していただきたいと祈っています。

人間は犬に特徴付けをしてきました。それは遺伝子を偏らせたと言ってもいいとおもいます。その副作用(?)として遺伝性疾患などが現れることもあります。

遺伝により気を付ける(繁殖の長い歴史の中で分かっている)項目数は、繁殖の現場をご存知ない方には驚かれるくらいの数があります。
とても分かり易い(見えて判断し易い)話をすれば「容姿」。容姿を語るには、その基本的な体型が分かっている必要があります。それと比べないと話が噛み合いません。

容姿だけではありません。分かり易く言えば「体」だけではなく「心(脳みそ?、性格?)」についても。
スタンダードという言葉を聞いたことがある人もいるとおもいます。ドッグ・ショーなどでは、そのスタンダードを基準して審査をします。そのスタンダードの中に「習性や性格」などの規定もあります。
しかしそれら(体や心の基準)はとても大まか。ちゃんとその動物に向き合っている繁殖者の話を聞けば、大まかでなければやっていられない現実は分かってきます。書いても理解されないとおもいますが、厳密することによる弊害もある。またチェックポイントは無数と云ってもいいくらいあり、それらは関連していることもあり、厳密にしてしまうと矛盾が出てくることもあります。
されに言えば、健康という意味では、それほど重要ではない事柄で「好み」として幅をもっていい事柄もある。

それらの事柄の「優先順位」も「好み」の問題になる。
とっても大雑把で乱暴な話として「体(形)」と「心(性格)」のどちらを優先するか。(実際問題、これらはある程度関連があることが分かっていますので、話として適当ではありませんが)「あなたは、どちらを優先しますか?」と問われたら、なんと答えますか?

 

「見た目なんていいんだよ。特別性格がいいとかも望まないけど」と考える人も少なくないとおもいます。私も昔はそう思っていました。
しかしまともな繁殖者(私がブリーダーと呼ぶ人たち)と話を重ねる毎に、考えが変わりました。

繁殖のプロと呼んでいい人たちが常に考えていることは、自分が繁殖した子たちが一生幸せに過ごすことです。なので、直接飼い主に譲ることを基本とします。そして譲るときに「どうしても手放すときは連絡して」といいます。引き取る覚悟があるのです。
彼らは繁殖した動物たちが幸せかどうか気になって仕方がありません。なので、飼い主たちと付き合い続けます。現実は、全ての飼い主さんがそれに応えてくれません。いつの間にかお付き合いがなくなる人も出てきます。なので尚更出来るだけ付き合おうとします。

その結果、自分が繁殖した動物の一生がどうだったのか、を知ることになります。同業者同士、そのような話の情報交換をすることもあります。結果として膨大なデータ・ベースのようなものになります。
そのようなことから分かっている分かり易い例として、高齢になったときにどのような病気が出易いか。
獣医療が発達した現在「原因は分からないけど死んじゃった。それなりの歳だったので寿命だよ」の時代ではありません。何かしらの病気で亡くなるか、病気といえなくても「腎臓が弱わっちゃってね」などある程度のことが分かるものです。そのようなことの傾向も分かってきます。
自分が繁殖した動物が、どのような最期を迎えるかを知り、次に繋げるのです。
最期なんて縁起でもない話をしましたが、分かり易い事柄だと考え例に出しました。

最も気になることは「その家庭に喜んで受け入れられるか」「馴染むことが出来るか」だとおもいます。それが出来れば、最期も穏やかに迎えることができるでしょう。思い出の中でも、幸せに暮らすことが出来るでしょう。

このようなことをことを語るときに「見た目」が如何に意味あることか、私は知ることになりました。
「見た目がそんなに重要なのか。そんなヤツに犬や猫を飼う資格ない」と言いたくなる人もいると思いますが、見た目(仕草などを含む)が気に入るか否かで、その犬や猫の幸せが変わることを、多くの話を聞き実感しました。また、私が犬と暮らした時間の中で、それを強く感じたことは何度もありました。

簡単な例でいれば「しつけ」です。人間と上手くコミュニケーションが取れるようになれば表情が変わります。人間から見て穏やかにに感じ、共に過ごす時間に安らぎを覚えたり、共に感情を共有しあえたりしてきます。
「しつけ」し易さ(人間とのコミュニケーションの取り易さ)も遺伝に依るところが大きいです。

 

■作り話

ここまで「プロの繁殖はとは?」と「遺伝」がテーマになっているので、少々長い「作り話」を書きます。

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ある人が純血種の犬を迎えようと考えました。ある程度勉強はしました。どんな犬種かくらいは分かっていました(本人として周囲の人に比べればとても勉強して、その犬種のことを熟知していると思っているレベル。本やインターネットで一所懸命調べたレベル)。なのである程度のブリーダーと呼ばれる人たちの所をまわりました。犬を迎えるにあたって出せる経費は、全部で(ショー通いやブリーダー巡りの交通費なども含めて)100万円くらいと決めていました。もちろん、仔犬のための食器やサークル、その他犬具、車に乗せるためにも揃えるものがあるのに気が付きます。家の中にも造作が必要だなと思ったりします。すると、犬そのものの対価としては30万円くらいしか使えなくなってしまいました。
自分が欲しいレベルの犬を手に入れられる金額ではありません。ショー会場やブリーダーさんのことろで多くの犬に接し(「接する」ことが大事です。何故なら日々接することになるからです。)「自分と相性がよければ、見た目は二の次でいいな」とおもうようになりました。

この人の犬探しが熱心なことは、その犬種関係の人たちの中でちょっとした話題になりました。

(話の続きの前に、余談)
犬に「接する」ことが大事ですが、できれば何度か同じ犬に接してほしい。それは子犬よりも、繁殖に使われる雄犬・雌犬たちにです。
今まで書いてきたように「体(見た目)」も「心(性格)」も遺伝します。また、繁殖に使う犬(繁殖に使うといことは、素敵な犬たちであり、素敵な状態であると繁殖者がおもっているだろう犬)の飼い主である繁殖者にその犬たちの世話の仕方、付き合い方を学ぶ上ことで「この子は、こうだから、こう接している」ということを教わることが出来るのです。これは実際に接しみないと分からないことです。
そこから、各犬の違いが分かるようになってゆきます。違いが分かることで「健康」に敏感になってゆきます。比べることが出来るようになるからです。
その「違い」が分かるためにも、ショー会場などでも多くの犬を見て、接してほしいのです。その経験を通して、多くの犬好きと知り合い、話を聞いてほしいものです。
(余談終わり)

 

話の続き。

その人が通っているブリーダーさんのところで、ショーでいうところのスタンダードから少々外れた犬が産まれたとします。普通の人がちょっと見ただけでは分からないようなことです。しかしその犬種に詳しい人なら「まぁ、ときどき出るよね、こういう犬、ショーには出せないね」という感じのことです。

「見た目」の中の「健康」には何ら問題はありません。「見た目」の「外見」だけの話です。
例えば毛の色の出方です。遺伝性疾患と関連することもありますが、今回の「例え話」では関連しないことが歴史的に分かっていることだと思ってください(余談で説明します)。

(余談)
「見た目」と「健康」について。
犬が健康かどうか、何で判断しましょうか。血液検査や尿検査、レントゲン、DNA検査?、最終判断ならする人もいるかもしれませんが、ショーを見に行ったり、ブリーダーさん巡りをしている段階では、見せていただく犬の、そのような情報まで求めなられないですよね。
ドッグショーに通うことで、血統書を調べることや、犬の(動いていないとき、動いているときの)「見た目」から犬の健康をある程度想像できるようになってゆきます。検査をする訳にはいかないし、犬のことに詳しくなれば(遺伝性疾患などのこも知るようになれば)世間で知られている範囲の検査くらいでは不充分だと気が付きます。
骨格に関わる遺伝性疾患の(現在ある)検査に検査に全てパスしたとしても、歩様に「なんか違う」と感じることのある犬はいます。そのような項目がいっぱいあるのです。
結局(現実として)「見た目」で「どうみても健康に見える」を最低条件にすることになります。その目を養うにはやはり、同じ犬種が並ぶショーに行き、同じ犬種と付き合い続けているブリーダーのところに通い、同じ犬種の犬たちと接し続けることが大事なのです。
最終的に「よし、この犬とこの犬の仔犬を譲ってもらうことにしよう!」と思った時に、「この犬たちの仔犬を欲しいのですが、この犬たちはどれくらい遺伝性疾患について考慮されていますか」と聞き、検査の結果などについて教えていただくのがいいと思いますが、ブリーダー通いして話を聞いていれば、既にそのような話が出ているとおもいます。
(余談ここまで)

(余談、もう一つ)
「外見」だけの問題として(先にも書きましたが)分かり易い例は「毛色」の出方です。「模様」と言えばいいでしょうか。犬種紹介ページに載っているような色の出方の犬もいれば、そうでない犬もいます。
ダルメシアンの斑点やビーグルの色の出方などが身近ではないかとおもいますが、毛色の問題は奥が深く単純ではありません。
DNA解析技術が進んだ現在ですが、そのような技術のない時代から「この毛色の子は、こんな疾患をもっている(今後出る)可能性がある」と経験上分かっていました。目や耳の疾患と関わりがあることをご存知の方もいらっしゃるとおもいます。
今回の例え話では、このような歴史的な経験上、この毛色はスタンダードから外れるが、健康には関係「なと」分かっている「外見」だけの問題だとします。
(やっと余談終わり)
 

ブリーダーさんたちは、健康に問題ないけど見た目に問題ありの犬の飼い主探しに苦労します(理由は後述)。勿論自分の手元に置くという選択肢もあります。

勉強をしっかりしたために、お金を使ってしまい、更に必要なものを揃えるためのことを考えているから、犬そのものに支払うお金が限られてしまっている人に、その犬を託してみようかと考えました。代金はもちろん激安です。
その話を本人としました。本人も犬種という言葉を理解していたので、それが軽いことではないことを理解していました。軽くない話を自分にしてくれたことを嬉しくもおもいました。それなりの覚悟が必要なことも理解していました。

多少の毛色の違いですから、その人が夢見てきた「その犬種とのその犬種らしい暮らし」は実現できるはずです。
(出来れば)犬種図鑑に載っているような犬との時間を過ごしたい気持ちもあるし、この犬を迎えれば多少の中傷を受けることも予想出来ました。
しかし、経済的に限られているという現実と、毛色以外は素晴らしい犬であることを理解できていたので、この話を受けることにしました。

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犬が幼いときは日々大忙しです。そしてやっとやってきたその犬種との時間に幸せを実感していました。

性格がいいことも分かっていたし、自分との相性がいいことも分かっていましたので、しつけも順調に進み、誰からみても「いい子」になりました。
そして、色々な所へ出かけるようになりました。
子犬と呼ばれるような時期は、それだけで皆が可愛がってくれました。2歳から4歳くらいはまでは元気な盛りで、一緒に遊ぶのに精いっぱい。それは幸せな時間でした。

6歳を迎え、落ち着き始めた頃、違和感というか罪悪感のようなものを感じるようになりました。

共に過ごした時間の中で問題の「見た目」を指摘されたことはほとんどありませんでしたが、全くなかった訳ではありません。ブリーダーさんのご苦労も理解しているので、ブリーダーさんの名前を明かすこともしませんでした。
自分が何らかの当事者になると、同じような問題に目を向ける結果になることが多々あります。インターネットの(自分とは関係ない)書込みにも犬種という言葉に対する誤解を感じるようになります。
自分は勉強し納得して、この子を迎えました。何度か「見た目」ことを指摘されたことはありますが、きちんとお話しし納得していただけたとおもいますし、自分とこの犬の生活が幸せであることは、その方にも伝わっていたとおもいます。しかし「自分の人生」という限られた時間の中で「無理をしてでも理想を追い求めるべきだったのでは」と思うようになりました。
この子との時間は幸せに満ちていますが、もしより理想を求めていたら、もっと幸せになれたのではないか。私たちだけではなく周囲をももっともっと幸せに出来たのではないか。自分はそのために時間もお金をかけてきたのではないか。
そんな漠然とした違和感というか罪悪感を覚えるようになりました。

それは、この子に対してではありません。自分の生き方についてです。

自分が置かれた立場に落ち着くことが出来ず、一度諦めた夢を追ってみたいとおもうようになりました。
今なら体力もあるし、経済的にも(あの時に比べてれば)余裕があり、どうにかお金の工面もつくかもしれません。
「見た目」に問題ありの犬を連れて、またブリーダー巡りをしてみようかと、おもうようになりました。

そして、はじめに起こした行動は、今の子のブリーダーに相談することでした。

(終わり、、、にします)

 

■何が言いたいの?

さて、私は何が言いたいのでしょうか?
プロは、お客さんの気持ちに応えるのが仕事だと私はおもっています。今まで書いてきたのは「お客さんの気持ち」の一例です。
このようなことに応えるのがプロの繁殖者だと私はおもっています。

犬を迎えることを考えている人(お客さん候補)が訪ねた時に、そこが不潔だったら。犬のための衛生環境だけでなく、お客さんの気持ちにも応えていないことになります。もし犬に対して酷い扱いをしていたら。これもお客さんの気分を害しますよね。
それらを繕っていたとします。しかし犬と接すれば分かります。犬の汚れや人間との接し方などから分かります。
お客さんは「こんな人から犬をもらいたくない」と思うことでしょう。

現在の犬や猫の(ペットショップを通した)販売システムでは、このようなことはありません。繁殖者と飼い主が接することは、まずありません。

何故そうなのか。そうなったのか。それを考えていただきたいです。可能であれば「調べて」ほしいです。もし本当に調べることが出来れば、大きな戸惑いを覚える結果になるでしょう。
マスコミなどでは「悪い業者がいなくなればいい」と主張しているように見えます。そこだけで解決出来るのか?

私は違うとおもいます。
求める人がいる限り、違法行為になっても繁殖し販売する人はいるだろうし、その業界(?)は存在し続けるとおもいます。
現在、他の売買が法律で禁止されているものが違法に販売されているように。

「求める人がいる」限りこの問題はなくならないとおもいます。勿論「求める人」をゼロにすることは無理です。出来るだけ減らすこと、減らし続けることになるはずです。
その活動が始まれば、それは殺処分をゼロにしようと尽力している活動に似ているかもしれません。手を緩めれば元に戻りそうな問題という意味で。

 

■蛇足
既に結論めいたことを書いてしまいましたが、各飼い主さんの意識の移り変わりについて。

(最近ではありませんが)実際聞いた話として(ほとんど人と同じようにほとんど勉強せずに)純血種を気軽に迎え、その後、見た目のことを指摘されてから少し経ったら、その犬の姿が見えなくなった、という話を幾つか聞きました。

(これも最近の話ではなく、昔の話になりますが)ある繁殖者が以下のような話をしてくれました。
昔はね(昔の昔なので凄い昔のことです)、色の出方が悪かったり、その犬種らしくなかったら捻ってたんだよ。そのような犬は手元に置きたいけど、それをネタに「レベルの低い繁殖屋」って裏で中傷されちゃうし、自分はそんなことしないけどペットショップに売ったとして、ペットショップで売れ残ったらどうなるか知っているだろ?、あんなことさせたくない。売れたとしても、捨てられることがあるんだよ。安く売られるから「また買えばいい」って思うのかな。その犬種らしくない点を誰かに言われてイヤになるのかな。とにかく犬は居なくなって、何処にいったか話してくれない。返してくれればいいんだけど、何故かそれはしないんだよね、そういう人は。ショップじゃ返しても受け付けないだろうけど。だから、とってもしたくないけど捻っていたよ。そういう時代だったんだよ。

この「昔の昔なので凄い昔」は、純血種の犬や猫をペットにするのは珍しい時代で、飼われている多くの犬や猫は雑種で、犬は外飼い、猫は家の中と外を自由に行き来するのが当たり前の時代です。今話題の殺処分数は、今の10倍以上。インターネットも普及していないどころか「インターネット」という言葉をしらない人がほとんどの時代。遺伝子に関する学問も未熟で実用的ではないレベルの時代でした。

長くなったついでに書いておきます。
インターネットという言葉を、コンピューターの仕事をしていない人でも、知っている人が出てきたような時代のことです。
当時の日本では以下のように言われることもありました。
「犬は人につく。大人になって落ち着いた後に飼い主が変わることは、犬にとって大きなストレスでとてもかわいそうなこと。なので、そのような年齢になって、その一家が手放さなければならないことになったら、安楽死も選択肢に考えないとね。」

この30年、犬との暮らしに関する情報は膨大になり、感覚・考え方・常識は大きく変わりました。法律の変わりようは、ただただ驚くばかりです。

そのような中、繁殖した動物の幸せを祈り、時間と財産をつぎ込んでいる人たちが昔からいるを知ってほしいです。
彼らが繁殖者として培ってきた知識と経験から、純血種の犬が、どれだけ素晴らしく、どれだけリスクを持っているか、学んでほしいものです。それを知れば「それを知らないが故の不幸な結果」がどれだけ多いか気が付くはずです。

一般の飼い主が、その犬種のメリット、デメリット、特徴(良い可能性も悪い可能性も)くらいを調べて、更に血統(メリット、デメリットの出易さ)くらい考えるくらいになってほしい。
猫のことは詳しくありませんが、やはり遺伝性疾患が問題になっている猫種があるそうです。もう20年以上言われていても、そのことをちょっと猫のことに詳しい人に云っても「なんかそんなこと言っている人たちいるね。でも現在いっぱい飼われているし、普通に売られているから問題ないんでしょ?」と言われることあります。

 

■今の世の中、今までの世の中、これからの世の中

飼い主を失ったり、酷い環境で日々過ごしているペットの問題は、個別に迅速に解決しなければならないのが今の日本です。なので、作り話で書いたような理想を追い求めることは不謹慎と言われてしまうかもしれません。
私は、ある程度の理想を求める人たちが現れ、その人たちの姿を見ることで、幅広い人の意識が変わってくるのだと信じています。うーにーを迎える準備の期間からの25年間でそれを強く感じます。

罰則の強化は必要です。それに尽力されている方たちがいらっしゃり、法律が改正されてきています。
それに対し、日常の犬や猫との暮らしについてより良くしてゆく情報は、ビジネスベースに乗ればしっかりと伝わってきますが、遺伝性疾患などビジネスにはネガティブなことは、あまり伝わりません。
(鬱陶しく、理解されないと思いますが書いておきます。)遺伝性疾患が悪いとはおもっていません。それは完全にゼロには出来ないものですから。常になくす方向への努力が必要です。しかし理解が広がらず「遺伝性疾患があるからダメな犬」と言われることがあります。
その他のことでも、標準に合わないと「ダメ」の烙印を押されることがあります。生き物なのですから千差万別。人間の場合「障碍も個性」と言われる時代になりましたが、犬や猫も、そのような受け止め方が広まることを願っています。

それには、遺伝性疾患や人間との暮らしに不向きな部分を出さないことを心掛けている繁殖者たちが居ることを知るべきです。それが当たり前になるべきです。
深く考えず、調べず、雄と雌を持ってきて繁殖するようなことが当たり前の現在では、遺伝性疾患を発症してしまった犬の繁殖者は非難されて然るべきかもしれません。考慮せずにそうなってしまった犬が、たぶん99%以上でしょうから。

このようなことが分かってくれば、多くの人が、仔犬から迎えるリスク、(純血種でなくても遺伝性疾患やたぶん遺伝が原因だろう問題行動はありますが)純血種であれば尚更リスクがあることを知り、そのような子たちも含めて、幅広い犬たちの世話をし、その後のケアをしてきた、歴史と経験、知識のあるレスキュー(助けて里親探を探す)団体の価値(「偉大さ」と言ってもいいとおもいます)が分かるはずです。

まず識者と呼ばれるよな人たちが、プロの繁殖者が何に気を付け、どれだけのことをしているのかを知り、それを幅広い人たちに知らせることを心から願っています。
その結果、レスキュー団体から犬を引き取ることが、今以上に加速すると信じているからです。

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2019年7月 7日 (日)

山路徹さんのトークショー(HGA48イベント)@春花祭

うわ~、、後書きブログの中で大事なものをアップし忘れていました。
ゴールデンウィークのことです。
===============

毎年ちょこっとお手伝いさせていただいている春花祭。
今年は用事が重なった上にメインで使っているパソコンが予兆もなく起動不能になってしまい、ほんのちょっとのお手伝いだけとなりました。

今年は山路徹さんのトークショーがありました。席数が限られているので予約が必要でしたが、準備の段階から情報を得ていたので早めの予約が出来、聴くことができました。(大した手伝いもしていないので申し訳ないなと思いながら聴かせていただきました。しかも一番前の席!)

山路さんが犬や猫などの活動を本格的にするようになったのは東日本大震災以後だそうです。まず震災直後に福島の原発近くに駆け付けたとか。
お話の中で「自分は戦場カメラマンでもあった。戦場で起こったことを誰かが伝えなければ、世の中ではないと同じになってしまう」というようなことを仰っていました。
犬猫関係にはそのようなことが多々あります。大きな力の上手い操作で「そんなことはある訳はない」と多くの人が認識されていることがあります。福島のことは特にそうなんだとおもいます。
彼は「動物が好き!」という気持ちだけではなく、記者として社会に貢献できることがあると感じて、この活動をしているようです。

山路さんのお話は「どうしたらいいんだろう」と模索している感じを受けました。何人かの人に登壇していただき話を伺い、もっと幅広い人たちが活動したり、身近な動物たちに関心を寄せてほしいと願っているようでした。

最後に、ちよだニャンとなる会の香取さんが登場しました。
今書いているトークショーのことは、山路徹さんや「ちよだニャンとなる会」の情報を検索すればでてくるとおもいます。

香取さんという方は、なんでもズバズバ言うような話し方をする人だし、長年活動を続けていらっしゃる方なので、動物愛護活動をしている人の中では有名です。
この日の話の中では「これがいいとおもってやってみたけどダメだった」というお話を幾つかされていた。このような活動についての話を聴くとき、失敗談をしない人が多いです。したとしても「何故ダメだったのか」「代わりにどうすればいいのか」まで話がなく、やっていることを「とにかくやっています」的に聞こえてしまうことが多い。しかし香取さんの話の中には(時間が限られていたので簡単でしたが) 活動に対する分析や評価があった。時間が限られていましたが色々な話が盛り込まれていました。

しかし結論は分かりやすいものでした。それは私が昔から言っていることと同じことでした。

行政(お役所)の人に苦情を言ったりお願いしても全体として変わることはない。行政の現場の人は決められたことをするしかない。それ以外のことは「してはいけない」。やるべきことの中に、住民からの苦情やお願いを「受け付ける」ことがある。受け付けるまで。

ではどうすれば変わるのか。
香取さんも私が説明するときと同じ言葉を使っていました。「三権分立、司法・行政・立法」。
行政(お役所の住民の相手をしてくれる人)は決められたことを仕事とする。決めるのは立法府。地方では議会や首長。そのよう人たちに働きかけて議会で決めていただく。決まったことを行政にしていただく。

身近な動物の問題、特に猫の問題は、地域の環境問題であり、これは行政が対処すべき環境問題であるのだから行政が責任をもって解決してゆくべき問題です。(先に「決めていただく」と書きましたが「すべき仕事としっかりと確認していただく」と書いた方が分かりやすいかも。)それを議員さんや区市町村長さんに理解(確認?)していただき、議会で決めて、区市町村として(ボランティアではなく行政職員が主体となって)責任をもって解決に挑む。

現在、千代田区では行政の人がボランティアの人にお願いして動いてもらう形になっているとか。
ある意味当然だと私はおもっています。行政職員はお給料をもらって仕事をしています。(行政の方たちから認められているような) ボランティアの方々は(給料や手当をもらうどころか)多くの自己負担で活動しています。行政側からお願いされるのが真っ当な関係だとおもいます。

但し書き的に千代田区は特殊な事情もある、と仰っていました。
住民の数が少ないので一票の重みが他の市区町村よりも重い。議員さんなどに働きかけることに慣れている人も多い。その他、幾つかありました。
確かに、約90万人の住民が暮らしている世田谷区では、同じようなことをして議会で決めてもらうのはなかなか難しいかもしれません。
また「小さな行政」「民間でできることは民間で」などの言葉が定着し、行政(お役所)が行うべきことではないのか?、とおもうようなことをボランティアがやっていることは、幾つかの分野でもあるようです。
しかし最近は、議会で犬や猫関係ことが発言されることもありますので、千代田区ほどの効果は望めないかもしれませんが、やり方によっては何かしらの効果があるかもとおもいました。

他にも色々ありましたが、長くなるのでこの辺りで終わりにします。
ネット上で、山路さん関係、ちよだニャンとなる会関係のことを検索すると、レポートを書いている人がいるのではないかと思いますので、興味がある方は探してみてください。

 

このようなお話を聴くことが出来たのは、山路さんのトークショーがあったから。山路さんが幅広い人に関心を持ってもらってもらいたいと活動を続けてくださっているから。
このトークショーが実現できたのは、地道な活度を続けている方たちがいることと、こちらのステージを管轄していたパルシステムさんがペットのことに力を入れてくださっていること、そして何よりも代官山春花祭を運営してくださる方たちのお気持ち・ご理解だとおもいます。

昨年は龍之介先生のステージで、災害時のお話でした。一般の飼い主さんにも関係することです。
今年の内容は、愛護活動に関することで一般の飼い主さん全て向けではありません。
動物愛護の人たちだけが集まる場所で、このような場が設定されることは珍しくありませんが、地域のお祭りでこのようなことが行われるのはとても珍しいとおもいます。

ついでに書いておくと、テレビを全く観ない私でも知っているような有名なタレントさんが一人でこちらのトークショーを聴きに来ていました。その後も福島関係のイベントなども見ていたそうです。

 

福島関係のことは、年々落ち着いてきているような(熱が冷めてきているような?)感じを受けることがあります。原発災害のことはまだまだ考えなければならないことがあると思うのですが、世の中全般の現実としてそのように感じます。
それは残念なことですが、福島のことに対応を続けている人たちの活動から、犬や猫に携わる人たちの活動そのものやそれを見る人たちの目が良い方向に進んでいると感じています。

 
動愛法の改正も決まりました。
令和が素敵な時代になりますように。

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2019年6月 8日 (土)

ねことじいちゃん(映画)

近所の映画館に来たので観に行った。

始まってすぐ「たま、たまや、、」と呼ぶシーン。
それを見ておもった。

 たま と ばま  似ている

似ているとおもったのは名前ですが、それ以外にも背中の柄(?)の感じや脚の一部に縞があるところ、脚や尻尾やしっかりしているところなども。
ものおじしない性格は全く似ていない。

 

この映画、ネット上で感想文をあまり見ないので、その意味でも興味があった。
監督の岩合さんも主演の志の輔さんも、その分野でのプロではないらしい。本人たちが手を挙げての参加ではないと何かで読んだ。そんなところも興味があった。

また「猫は室内飼いしまよう!」という今の風潮からすれば、とんでもない映画だ。これを見て「よかった」と言いにくい人も多いだろう(先日の「俺、つしま!」も同様に)。

岩合さんの写真は、お父様の時から好きでした。単純に動物を見るという意味ではお父(徳光)様、写真としては光昭さんと私の中の好みははっきり分かれていた。
私にとって綺麗な映像を提供してくれる光昭さんの映画としての期待はあった。私はテレビは全くみないので、岩合さんのやっている猫の番組は知らないですが、評判が良いので猫の撮り方にも期待して行った。

 

まず、今まで書いたことについて。

猫を撮るのは上手かった。正確に書けば「風景の中の猫を撮るのが上手かった」です。猫たちも演技上手であることも前評判として聞いていたが「すごいな~」と感心しました(猫同士がくっ付いているシーンで、遠い昔、TVだか映画だかで接着剤貼り付けたとか縫い付けただか、そんなことを思い出したりしました)。
太陽をバックに猫が飛ぶシーンなどはカメラマンだな、とおもいました。
あのシーンは演技してもらったかもしれませんが、幾つかのシーンを見ながら「人間の撮影の時間よりも、ず~っとつきまとうようにして猫を撮っていた時間の方が長いのでは?」とおもったりました。

監督は(人間に対しても)演技の指導するものかとおもいますが、その意味では問題なかったとおもいます。
志の輔さんについては(私は漫画(原作)を読んでいませんが)漫画のイメージなんだろうな、とおもいました。
https://www.youtube.com/watch?v=QhZRRsKyBxc
正直なところ、周りを俳優さんたちに比べれば(彼の演技は)物足りなさを感じましたが(これまた正直なところ)この映画の要素の中で(私にとっては彼の演技は)大きな部分を占めていなかったので全くOKでした。

映画を作るには、脚本~撮影~編集、という大きな流れがあるとおもいますが、岩合さんがどれだけ関わったか分かりませんが、猫が嫌いでない人は、それなりの満足度はあるとおもいます。
ただ、全体の流れとして、あれこれと詰めすぎているような感じはありました。でも、初めての監督作品、しかも充分な準備をしてからの監督ではないとおもいますので、仕方ないかなとおもいました。

ただし「絶対室内飼い!」とお考えの方には、とんでもない映画なので絶対に観ないでほしいです。「仕方ない」では済まされない人も多いとおもいます。
私は、うーにーのお陰で方々旅行に行き、犬や猫と暮らしている人達と話をする機会を得ました。そんな私からすると「場所によっては、外に出してもいいんじゃない?、その地域の人がそうおもっているんなら。よそ者がとやかく言う問題ではないんじゃないの?」とおもいます。
ちなみに、この映画には自動車は全く出てこなかったとおもいます。各猫に飼い主がいるようだったし。
とにかくフィクションですから。フィクションとして見れない人は「手術してないよね、みんな」とか思うのかも。猫の後ろ姿を見ながら「手術しているな、そりゃ猫俳優たちだから当然か」とおもいました(笑)

妙に気になったシーンが一つ(たぶん気にするのは私くらい)。
ほとんど最後の辺り。巌さんがサチさんの家の前で猫とのシーン。建物の角が濡れているように見える。あれは何だったんだろう。とても気になった。

 

映画館に行くとき、初めて今回の猫電車に乗りました。
ちょっと写真を撮ったので近日中にブログを書きたいとおもいます。

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2018年11月12日 (月)

東京タワー水族館(後書き)

本編からのつづき)

動物園や水族館に対する考え方・ご意見は種々あるとおもいますが、私は「生き物そのものを見ることに意味がある」と感じています。次にその生き物との付き合い方を考える。実物を見たからこそ、想像できることがあると考えています。
その動物に興味が湧くので、長時間見る。長時間見るから、食べ物のこと、排泄のこと、その他健康管理に思いをめぐらせるようになるのではないかと(色々な人と話した結果)感じています。
(長時間見ずに「か・わ・い・い~、ちょうーほしぃ!」という人がいるのも確かですが。)

先日、閉館後の後日談をブログにアップしたことを伝える Twitter がアップされていました。ブログも読んでいただきたいのですが、Twitter のコメントも読んでいただきたいです。

 


動物園や水族館などの存在自体を疑問視する声があります。経営が苦しく管理が行き届かないところがあることは確かです。それは一つの問題として解決してゆかなければならないことです。

それとは別のこととして、モニタに映る姿ではなく、生の動物を見て、日々世話をしている人が書いたパネルを見たり、ショーなどで話を聞いたりすることには意味があることではないでしょうか。

もし人間(一般人)が、野生動物と一切関係を持たずに研究者だけが関わりを持つ世界になれば、それは一つの理想の形なのかもしれません。
現状からそのような形に向かったとしたらどうなるでしょうか。違法に入手する人が後を断たないのではないでしょうか。


先日都市部に迷い込んだアライグマの捕獲後の処遇について、日本における野生動物や外来種に関する法律を無視した意見を声高に訴えている人たちの書込みをネット見ました。
モニタの向こうの存在でしかないと(見た目の可愛さから?)飼育したらどうなるのか、放したらどうなるのかを知らず(考えもしないで?)あのように発言できるのだろう。
20年近く前に「ぜったいに飼ってはいけないアライグマ」という書籍が少し有名になった。これも読みましたが、この本を読むよりも前に、この本と同様の体験をした人から話を聞いたことがある。本よりも生身の人間の話の方が身に迫るものを感じた。その人も「絶対に飼ってはいけない」と言っていたし、話を聞いてそれを感じた記憶がある。


ネットには情報があふれている。しかし偏りがあるのではと感じることがある。
犬でも猫でもいいし、珍しい動物でもいい。何か動物を家族に迎えたとする。そこで楽しいこと、絵になることはアップされるし多くの人が目にする。逆に、手に負えなくなり反省するような事態になったことはほとんど出てこない。出てきても書き方によっては攻撃的なコメントを大量に頂戴することになり、消されてしまうこともあるだろう。

つまり、苦労したことこと、間違えに気が付いたことについての情報はとても貴重なのだ。


動物園、水族館他、生体を扱う業者が、その経験から適切なアドバイスがいただければ有り難いことだ。(生体販売業者と聞いただけで悪者扱いする人がいますが、問題になるのは金銭的な損得だけで話をする業者であり、日々多くの生体を生体として扱っている人の経験・知識は貴重なものだ。)

生の動物を間近で見ることが出来て、飼育している人からその動物の魅力と日常のご苦労を伝えていただける施設は残り続けてほしいものです。

東京の中心地に同じような水族館がオープンすることは、時代の流れから考えても、もうないことでしょう。

色々な意味で、東京タワー水族館の閉館はとても残念でなりませんでした。

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2013年6月28日 (金)

問題いろいろ、身近にもあるよね?

昨日のお昼の番組で、カミツキガメはじめ、外来のカメの問題が取り上げられていたらしい。で、「繁殖力が凄いから対策とらないと・・・」とかコメントしていたらしい。

2005年の外来生物法の改正(カミツキガメなどは登録して、さらに飼養の方法についてもある程度指定される)が原因だと語っていたとか。
安く買ったカメのために10万円くらいの環境を準備出来る人がどれだけいるんでしょうね、なんて話もあったとかなかったとか。

この辺りの問題はごもっともで、以前から生態系の悪化や、池などがある公園で噛まれる人や犬、猫が出てくるのでは、と私以外にも考えていた人は少なくないはずだ。番組でも「早急に対策を打たないと」とコメントがあったらしい。

で、この話を聞いて・・・・、
繁殖力が凄くて困っている問題って、他にもあるんじゃないの?、と頭に浮かんだ。
最も身近なのは猫。そして、犬。

動愛法改正時にはマスコミでちょこっと取り上げられたりするけれど、そうでないときは、一部の人の問題として、取り上げられているように感じてならない。

社会全体としてそれでいいのかな?

私くらいの年代の人の中には、「常識」がどんどんおかしくなっていったと感じている人が多いのではないでしょうか。その原因の一つが、こういう問題を軽視する傾向だと考えています。

私は「殺処分数ゼロ」を目標には考えていません。それを一所懸命やっている人たちがいますので、そちらに任せます。
私は、人、動物に限らず、他者をいたわる気持ちを培う教育が必要だということを考えたいのです。
私が子供の頃に比べれば世の中は豊かになりました。この状態で、他者をいたわる教育が出来れば、殺処分数も減るし、外来生物で苦労する役所の人たち、各地元の人たちのご苦労も一段と減ることでしょう。人間同士の問題も著しく減ることでしょう。
世の中が、そういうことに目を向けてくれるようにならないものでしょうか。

さてさて、ただの理想論かな?
そんなこと教育する時間があったら勉強しなさい!、って感じでしょうか。

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2013年6月 3日 (月)

先日の勉強会(同行避難)

昨日につづいて、先日の勉強会のこと。
二つ目のテーマ、「同行避難を実現させるためには何をするべきか」。
私が話をしました。

この話が出来るようになったのは、ラジオで同行避難を取り上げたときに、多角的に情報を収集したことがある。それに加えて、愛玩協の同行避難訓練のお手伝いも参考になっている。(ベースになったのは、飼養管理士の資格を取るにあたり勉強した動愛法)

ある意味(間接的ではありますが)ボランティア体験の発表といってもいいかも。

多角的に現状を説明して、社会における同行避難の位置づけを整理し、「あぁ、なんだ、そんな簡単なことなのか~」という結論になるのですが、そのために用意した内容は、約一時間半。
でも、シェルターの話に(私を中心に)熱中してしまい、残り時間が20分になってしまいました。それでも、どうにか最低限のことは話をしたつもり。(でも、たぶん、記憶には残らないだろうな

このテーマについては、改めてやりたいと思います。

 

「同行避難」「地域猫」「飼い主のいない動物の譲渡活動」、どれも、似ている部分がある。
同行避難と地域猫については、どちらも「地域」の問題であるからこそ、地域で扱い難い問題。
また、この三つの問題の共通点は、勉強会に参加した人、事前資料に目を通した人なら「あれね!」と分かると思います。

そうなんです。あれですよ。平成25年9月ですよ!

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2012年8月22日 (水)

読書感想文 ゼロ(片野ゆか)

最近、読んだ本

 

熊本市の動物愛護相談センターが、殺処分数ゼロを達成するまでの話しです。本の中でも書かれていますが、殺処分数ゼロだけを目的としているわけではなく、動物愛護精神の涵養を基本に、「動物に優しい社会」(それは人に優しい社会)を目指している。

どうすれば実現できるのか。読んでみて「やはりな・・・」と少々諦めの気持ちになった。
熱意を持った人がいて、その行政が柔軟な対応がとれて、そして、実は影で力になってくださっている人がいる。色々なことが重なり、実現している。

しかし、ことの始まりは一職員の疑問、熱意からだ。そこから少しずつ、「出来るかも」という雰囲気が伝わり、「では、私も手を貸そう」「このときを待っていたんだ!」という人が出てくる。

そうやって世の中が変わっていくんだな、と思った。

 

もし、あなたが私と同じくらいの年だったしたら、今更一職員にはなれない。
出来ることとしたら、自分の子供など、頻繁にコミュニケーションがとれる若者に動物愛護精神について理解してもらい、その子の職員となってもらうのが現実的な手段だろう。
私には他に思いつかない。

もし(現場の人ではなくて)物事を決める(上の方の)人が、「こんなセンターにしましょう」と動いただけでは、たぶん実現しないだろう。現実しても長続きするかどうかは疑問だ。
現場の人が熱意をもってやらねばならないのだ。そして、やれば出来ることが証明されたのだ。

 

さて、殺処分数のことばかりに目がいってしまいますが、私が注目したこと三点。

1.手間をかければ犬の性格(行動)は変わる。
収容室で過密な状態だった以前は、相性の悪い犬が同じ部屋に入ることが当然だった。当時は扱い難い犬も少なくなかった。それを少しづつ改善していく過程が書かれている。何をするかといえば、安心するスペースの確保。このために、人と犬とのコミュニケーションが増える。増えれば健康面が気になり健康管理のレベルもあがる。すると更に性格はよくなる。
これは家庭犬にも言えることだ。

2.動物の基本を理解している人なら、そして、多くのタイプの犬を扱う覚悟があるなら、犬のしつけを学ぶことは大変なことではない。
この現場では、しつけというかトレーニングをしなければならないことも多々出てくる。そのようなことを知らない職員に、トレーニングの研修を受けてもらう。その時間の短さにビックリする人もいるだろう。
適切な指導と、幅広い実例(実犬)に触れることで、短時間でスキルアップ出来ることが分かる。
残念なことだが、現在の日本に於いて、この指導が出来る先生を探すことは(行政が首を縦にふることが出来るだけの先生を探すことは)とても難しいのが現状です。

3.猫の問題に取り組むことが出来る
現在の猫の問題は、明らかに人の問題です。犬の問題もそうですが、猫の方が難しい部分があります。その理由の一つは「見え難い場所で行なわれている」ということがあります。これは、見え易い犬の問題とは違う部分です。また犬の場合は、狂犬病予防法など根拠法があり、運用されていますが、猫はその辺りも乏しいことがあります。(動愛法も実効性はまだイマイチだし・・・)
このような問題は、センターの基本的な業務である犬の仕事をしながら行なうことは「出来ない」と思っていました。しかし、出来るようになってきたという現実が、この本に書かれています。
誤解をしてはならないのは、行政ですから、事前に計画ありきです。その計画が通る、その前に「提出しようと思う」というのは、やはり職員の方々の熱意です。

 

私たちに出来ると。

若者を誑(たぶら)かして(笑)、熱意ある職員になってもらう。
現在の職員さんをおだてて(爆)、熱意を持ってもらう。

こういうことかな、なんて思ったりしました

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