2017年3月12日 (日)

先日お知らせした狂犬病のセミナー

先日、お知らせした狂犬病のセミナーに行ってきました。

よくある、教科書に載っている世界の分布や数字、人、犬、などの症状の紹介などは当然するとして、実際にこんな例があった、この国ではこんなことをやっていて、結果こうなって、さらにこうしたらこうなった、気になったから現地まで行って現地の先生に話を聴き、街の中の様子を見てきた、など膨大な情報をいただいたのですが、記憶力の弱い私にはほとんど頭に入らず。

また、多方面から膨大な情報を得ているからこそ言える、「だからこう考えるべきでしょう」と、教科書に載ることはないだろう考察も多々ありました。

そんな、ちょっと知っていたり珍しい情報が並んだとおもったら、狂犬病予防法の話になる。(後述しますが)この法律はよく出来た法律と考えるべきと説明されて、「そうなの?」と思ったり。

知らないこともありましたが、知っていることも大事な情報が抜け落ちていることを思い知らされたり。

聴いていて感じたことは、「頭では分かっていても、自分も平和ボケしているな」ということ。
客観的な数字や海外での出来事、各国や地域の情勢などを聴いていると、清浄国(狂犬病が発生していない国)である日本にいる自分が、少しは世界的な視野で、狂犬病を見ることが出来るようになった気分になりました。

とにかく情報量が多いのでブログでほとんどの話は書けませんが、よく話題に出ることと象徴的な話を書いておきます。

(お断り)
以下に書く内容も、これだけではなく、細かい捕捉が多々ありました。なので、私の記述では不充分で誤解を招く可能性もあります。より正確な情報、詳細な情報が欲しい方は、今回の講師、佐藤克先生に講演をお願いすることをお勧めします。今回のセミナーの最後に、「少人数であっても出向きたい」とのことでした。

 

(よく話題にでること)
何故(日本では)猫に狂犬病の予防注射を打たないか

主な理由は、「人間の死亡例の感染源は、99%が犬だから」。
そして、猫は(少なくとも日本では)感染環に入らないから。

感染環とは一般的な感染経路。それがぐるぐるまわっているから病原体は次世代を残し続けることができる。一種の動物で感染が続くこともある。狂犬病の場合はそのパターンのようでした。
つまり、日本に於いては(人間同様)猫は、他の動物に狂犬病を感染させることは、通常ではないだろうとされています(たまに人間に感染させることはあった)。

※現在の犬用予防注射は猫にも使えるそうです。

 

(象徴的な話)
昭和25年に狂犬病予防法が出来て(8月26日公布、公布の日から施行)、昭和32年に広島県で狂犬病と断定できる猫の記録を最後に、国内発生、感染の記録がない。なぜ7年で根絶できたのか。

この猫の例が報告された時に、「これが最後」とは断定できる訳もなく、また、その猫を噛んで感染させた犬が、その時いたはずですが、それは発見されていません。「また出るのではないか」と多くの人が考えていた。もう出ないだろうと感じ始めたのは昭和40年台に入ってから。
後から思えば、7年で、ということになるということですが、大きな要因は3つだと考えられる。

1.狂犬病予防法がよく出来ていた
2.国民がそれを守り、実行した
3.野生動物での発生や流行がなかった

現在、2.がそのような状況ではないことが、時々話題に出ます。法律では全ての犬に予防接種を義務付けていますが、(実際の飼育頭数が分からないのでなんとも言えませんが)接種率は30%くらいなのではないかと言われることがあります。WHOでは、狂犬病の流行を抑制するには70%の接種率が必要とされています。

世界の多くの地域では、野生動物(人間と関わらずに生きている犬なども含む)が感染源になっています。北米では、野生のコウモリが狂犬病になり、パタパタ苦しんでいるのを猫がいたずらし、噛まれ感染。その猫が人間にうつすというケースもあるが、それが分かっている地域では、猫にワクチンを接種したりしている。
そんなコウモリが可哀相と手を差し伸べて感染した女性(当時高校生)もいた。この女性は、完全な狂犬病と断定しにくい症例だったが、発症後生還した数少ない人の一人。その方は後に獣医師になった。(「完全な狂犬病と断定しにくい症例」というのも興味深い話でした。)
野生動物(人間がコントロールが困難な動物)間にて感染が続いてしまうと、清浄国になることは困難。
お隣の台湾で、イタチアナグマの感染が確認されましたが、その後の調査で随分と前から(発生していたであろうではなく)流行してきただろう、という状態だそうです。

 

その他、改めて聴き、「そ~だよな~」とか「ひえ~~~」とか思った話として、日本がEUを実質的に非清浄国扱いにしたこと、インドネシア政府がバリ島で行った対応、内陸保税蔵置場での問題、など。日本に来るロシア船籍の船が減った話も興味深った。

世界的に見れば、狂犬病の記録は、3,000年前くらい前からあるそうですが、今の科学をもってしてもよく分からない病気だそうです。
狂犬病ウィルスにとって、やはり犬が一番居心地がみたいで、人間に感染することは(ウィルスにすれば)予想外なのか感染後のパターンが多々あり、感染(噛まれた)から発症までのことはよく分かっていません。噛まれたからと言って、必ず感染するとは限らないのかもしれないし、感染していないように見えた犬が感染させることが出来る状態(前駆期前の2~3日)だったいうこともある。
とにかく、よく分からない病気で、噛まれて発症してしまえば、まず助かりません。命はありません。

そんな病気だからこそ、国民をあげて予防し、清浄国であり続けたいものです。

 

幾ら書いても、聴いた話のほんの一部のような気がします。ほんと盛り沢山でした。
これだけの情報を集め、惜しげもなく伝えてくださる佐藤先生、ありがとうございました。また、このセミナーを企画された東京支所にも感謝します。運営に携わった皆様、ありがとうございました。

取り急ぎ、書き留めた程度のないようでした。

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2017年3月 9日 (木)

狂犬病についてのセミナー(2017年3月12日)

今度の日曜日(2017年3月12日)、こんなセミナーがある。(こんな直前に書いても、行けない人が多いと思うけど。)

https://www.jpc.or.jp/tokyo/archives/2286/

タイトルは、「ひとと動物の共通感染症-恐ろしい狂犬病(仮題)」。
主催は、「公益社団法人 日本愛玩動物協会 東京都支所」ですが事前申し込みは必要ですが一般の人も参加OKです

申し込みの方法は、こちらのページにあります。
協会会員でない方、管理士でない方は、会員番号、管理士 1級・2級は、不要です。
一般の方は、こんな感じになると思います。
 


件名:
ひとと動物の共通感染症-恐ろしい狂犬病(仮題)

本文:
ひとと動物の共通感染症-恐ろしい狂犬病(仮題)参加希望
お名前
連絡のつく連絡先電話番号


 
メールメールアドレスも書いた方がいいと思いますが、メールで送るのですから分かることでしょう。
これだけ書いて、上記のページに書かれているメールアドレスに送ればOKのはず。
たぶん、まだ定員になっていないと思います。

 

狂犬病について、おもうこと。

今の時期になっても(仮題)というのも如何なものかと思いますが、それくらい扱いが難し問題なんだと思います。

何故わざわざ宣伝するかといえば、狂犬病についての基礎知識がないまま、ネット上に無責任な書き込みが、年に1~2回盛り上がることがあるから。
今年に入って書いた昨年日付のブログにも書きましたが、特定の情報だけをもってきて、狂犬病全てに通用するような書き方をしている人の発言が、Twitterなどを中心に拡散される。

上記ブログにもありますが、知っているつもりだった私も、ちょっと本気で調べれば(ネットじゃなくて書籍とか携わっている先生に伺えば)、あまりに無知だったことが分かるし、世間一般で言われているような単純な病気ではありません。

今回のセミナーの講師の先生は、狂犬病臨床研究会という(教科書の中ではなく)実際の狂犬病についてリアルタイムで情報収集している団体の会長さんでもあります。
 

今回、講師の先生がどのような内容にスポットを当てるのか分かりませんが、狂犬病がない日本に(お隣の台湾のように)狂犬病が入ってきてしまったら、犬や猫、そして現在は放置に近いアライグマなどに対する接し方が変わります。その対象は、レスキューした犬や猫もです。

さらにワクチンのことをちょっと突っ込んで調べると、「これは気軽に語ってはいけない」ことに気が付きます。

幅広い意味で恐ろしい病気、狂犬病。
今度の日曜日のセミナーは、その基礎知識を得るいい機会だと思います。

ご興味ある方は、是非!!

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2017年1月 7日 (土)

さよなら、にゃんこ先生

かつて福島のある場所で、にゃんこ先生と呼ばれていた猫が最近この世を去ったそうだ。微妙な立場の猫だったので詳しいことは書きませんが、多くの人が知っている猫ででした。
彼の存在は根本的な問題を投げかけていた。彼はそのために彼の地に現れたのではないかと私は感じていました。
その問題は、一時期大きく取り上げられました。しかし、多くの人はもう忘れているようなので敢えて書いておきたい。

 

東日本大震災が起きて、動物救援本部が義援金を集めた。その使い道は、「飼い主とそのペットのため」であり、野良猫・野良犬には使えないということで問題になった。確かに当初からそうなっていた。

原発災害という特殊な災害が起こり、立ち入りを厳しく制限される区域が設定されるという今までにない状況が発生した。入れないのなら、そこから動物たちを出せばと考えるが、立ち入りは禁止されているし、その動物が被ばくしている可能性もある。その他、諸々の事情で簡単には出せなかった。そして同じことが今も続いている場所が今もある。

その中に取り残された犬や猫の内、飼い主がはっきりしているものは、はじめの一年くらいでほとんどいなくなっただろう。そうなると、立ち入りを制限されている区域の動物たちに、救援本部が集めたお金を使うことはルール違反になり、使えない。

しかし、お金や物を送った人たちがそんなことまで考えただろうか。救援本部も原発災害後のことを考えただろうか。つまり、想定外のことだったのだ。それに対応できなかったのが問題だと、私は考えている。

 

ところで、そもそも何故「飼い主とそのペット」となるのだろうか
それは、私たちが暮らしている社会は人間社会であり、その基本ルールは、当然のことながら人間社会のことを考えてつくられているからだ。

よく、「命は全て優先する」との考えで全てを解決しようとする人たちがいますが、「命」だけでは説得力がありません。

「あなたは蚊も殺しませんか?、害虫、害獣を殺さずに心地よい暮らしができますか?、また、生きてゆくためには(植物を含め)命あるものの一部をいただいて生きているのではないですか?、命を奪わずして生きてゆけるのですか?」

「命」とだけ言われてしまうと、このように感じる人は多いのではないでしょうか。ここまで具体的に考えなくても直感的に「何言ってんの?、それが判断基準?」と首を傾げる人もいるでしょう。「命」を理由にするのであれば上記の問いに答える必要があるでしょう。

 

人間社会のルールは、人間の利益に適うものでなければなりません。そこから逆算するように考えれば、最も分かり易い現実的な言葉は「飼い主とそのペット」ではないでしょうか。

さらに、「人間の利益に適う」視点での議論が深まれば、地域社会に及ぼす影響の視点から、飼い主がいない、または、いるかもしれないけど不明な犬や猫についても、人間社会がどのように責任を持つべきかの規定が出来てくるでしょう。

そのような取組みが行われることを願っています。

 

義援金とは被災者(人)に直接届けられるものである。その考えからすれば、救援本部の考えも(あまりに杓子定規だけど)間違ってはいないことになる。
あの件で強く疑問を抱いたのは、当初の規定を考え直すことが出来なかったこと。結果的に出来ないとしても、充分に議論し、その過程を(議事録などで)公表してほしかった。

将来、大規模災害が起こったときに、飼い主不明な動物たちの救援・救護・救助は、数々のボランティアが各自の判断で行うことになるのだろうか。

 

にゃんこ先生が伝えたかったことは、飼い猫ではないけど人々に愛される猫やその他の動物の在り方(人間側の責任の持ち方)をもっときちんと考えるべきであると、私たちに伝えにきたのではと、私はおもっています。

にゃんこ先生、さようなら。
私はあなたのことを忘れません。

もし私の考えが間違っていたら、空の上からご指導・ご鞭撻よろしくお願いいたします。

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2016年11月20日 (日)

板橋区の同行避難訓練

今日の朝から正午くらいまで、板橋区の同行避難訓練のお手伝いに行ってきました。

やることは、アンケートをお願いすることと、犬や猫を預かることが具体的な作業。その他に、パンフレットを配ったり、写真を見ていただいての啓発活動もありました。写真は、大規模災害時に同行避難した犬たちがどのような場所に居て、どのような配慮がされていたのか、また、どのような問題があったのか、などが分かるようになっていました。

アンケートが早くに終わってしまい、テント前が閑散とした時間帯がありました。そんなとき、写真を熱心に見に来る方が何人かいらっしゃいました。手が空いているときは、そのような方たちと少しお話ししました。
「ペットを飼っている人は多いですから、こんな感じのことになるんでしょうね~」程度から始まり、各写真について、どのようなことを伝えたいのかを説明しました。説明の内容は、パネルにも(簡単にですが)書いてありますし、写真を持参された団体の担当者から聞いたことをお伝えしました。
でも、あまり突っ込んだ話はしませんでした。「実際に大規模災害が起きて、避難所が開設されないとどうなるか分からないと思います。これは一例で、このようになるとは限らないとんじゃないですかねぇ~」と伝えると、皆さん頷いていました。まだまだ準備不足だし、準備してもその通り機能しないだろうと、感覚的に(私を含め)皆さん感じてるようです。

お話しした方の中に、避難所運営に関わっている方もいらっしゃいました。「その避難所では、動物の扱いのことについてどのようになっていますか?」とお聴きしたところ、「人間のことを決めるのに精一杯というか、まだ決まり切っていないので、動物の話にまでなっていません」とおっしゃっていました。
この方は、大災害時に開設された避難所の写真を熱心にご覧になっていました。何か感じるもの考えるものがあったのだと思います。

 

板橋区の同行避難訓練は10年以上続いているそうです。三宅島の噴火の後、熱心な獣医師先生たちの尽力で始まったものだそうです。

何かを感じ、「やらねば!」とお忙しい中、奔走してくださる先生がいらっしゃり、世の中変わってゆくんだなと思うことが度々ありますが、この訓練の始まりもそんな感じだったのだと思います。

私のような一飼い主、一ボランティアは、そのような動きがあったときに、出来る限りの協力をすることだけだと考えています。

 

私は世田谷区民ですが、愛玩動物協会東京支所のメンバーとしてこちらに参加させていただきました。私のように、板橋区民でない人も多々ボランティアとして集まります。このような所に顔を出すのですから、災害対策に興味を持っている人たちです。写真を持参された災害時に活動したり、日頃から啓発活動をしている団体(アナイス)のメンバーの方たちもいらっしゃいました。
そうなれば、実際の災害時のこと、災害対策のこと、など色々な話を聴くことができます。災害時は異常時です。常識では考えられないことが起こります。それは、人間の醜い部分が現れることもありますが、逆もこともあります。そのようなことは、現場を見た人しか知りません。しかし、同じ現場に居ても、感じ方やそこで何をしたかが違うこともあります。

そのような事柄であると感じたこともあり、このようなボランティアには、出来るだけ参加するようになりました。一飼い主、一ボランティアが少しでもお役に立てるようになるには、やはり訓練に参加する、という当たり前のことなのかもしれません。

 

大事なことを書き忘れるところでした。

私は、アンケートと写真の方に居たので気が付かなかったのですが、今回は、猫の預かりもあったそうです。それも一頭だけではなかったとか。
キャリーやクレートに慣らせて、さらに飼い主がいなくなることにも慣らせることが出来る猫が結構いるのかな、と思いました。(おばまは糖尿が治らない限り、絶対無理ですけど。)

こういう訓練が積み重なり、一般の方々への理解が広まり、クレート・トレーニングなどを含めた災害に対する対策を皆が行うことが当たり前になってゆくものだと、私は信じて(願って?)いますhappy01

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2016年11月12日 (土)

マイケル・ムーアの世界侵略のススメ

映画の話。女房がDVDを借りてきて、一緒に観た。

マイケル・ムーアと言えば、大統領選結果を予言したかしないとか。庶民感情やそこから湧く疑問に取り組んでドキュメンタリー映画を作る人ですが、この映画は、アメリカを立て直すために世界各国を回る。何を立て直すかといえば、アメリカ国民、特に庶民の幸せだろう。

公式サイトはこちら。まず動画からはじまります。それも一通り観ていただきたいのですが、それが終わったら動画を閉じて、画面上部のメニューから「特別動画」の幾つかを観ていただきたい。
これらは断片的なもので、本編を観ればほとんどの人は驚くことでしょう。信じることができ出来ないかもしれない。

この映画とは関係ないですが、最近こんな記事を読んだ。
日本でも「家族は大事」と言いますが、私も常々違和感を感じています。多くの国では、親子の絆とか、子供が国を支えてゆくという意識がしっかりしている。日本もそうなのかもしれませんが、この映画に出てくる国の多くは、子供を邪険にすることもないし、子供が社会の中でちゃんとやっていけるように親も学校の先生も教育をする。教育というのも、教科書の内容の前に、やはり「人として」が先であり、その結果として教科書の勉強にも意欲が湧く。

日本に暮らしていると、この社会の政治や慣習などが当たり前のように感じてしまう。日本特有の文化なのだと気が付けなくなってしう。この映画を観ることで、日本はまだまだアメリカに倣っているのだと改めて感じてしまう。もしかしたら、植え付けられているのかも、などと考えてします。

 

さて、犬猫ネタを書かせていただきます。
「ドイツでは」とか「フランスでは」と犬のしつけのことで言う先生がいらっしゃる。遺伝性疾患のことなら北欧の話をする先生がいらっしゃる。
それらの国がどのような国なのか分かって話しているのかなと、いつも思っていた。
そのような先生方には、この映画を是非観ていただきたい。

文化とか国というものを考えて欲しい。
EUという一括りになっている国々でさえこれだけ違うし、最近変えた(変えることが出来た)国があることを知って欲しい。

特に、若い人に観て、考えてほしい。

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2016年10月30日 (日)

狂犬病について

とっても後書きの記事です。書いているのは、2017年に入ってから。今年(2016)の暮れに、「書いておきたい」思った内容の一つです。

 

タイトルですが、「狂犬病について」ではなく「狂犬病について、について」としたいのですが、くどいので、「狂犬病について」だけにしました。

2016年10月13日にタイのプミポン国王が逝去されたことが関係していたのか、10月の下旬辺りからネットで狂犬病ネタをチラチラ見ることがあった。中には、誤解を与える内容のものもある。

 

狂犬病というと、

・ 日本国内では、長年感染例は報告されていない

・ 世界的にみれば、珍しい感染症ではなく多くの地域で感染している動物の報告がある
 また、感染(または感染されていると推測されれる)動物に人間が噛まれる事故が報告されている
 そして、世界では年間5万人以上が命を落としている

・ 狂犬病の犬などに噛まれ、その後発症したら命はない
 発症前に診断できる検査はない

・ 予防のワクチンが存在する

・ 暴露後(噛まれてから打つ)ワクチンもある

くらいの知識がある人は多いと思う。

 

話は変わるが、私は以前、ラジオでたまに犬猫のことを話することがあった。2015年暮れの放送が最後になってしまったのですが、その後、2016年3月に狂犬病を取り上げる予定がありました。そのために少々勉強した。
狂犬病の研究で著名な先生に話を伺う機会を得たことと、図書館で借りた狂犬病についての書籍だけですが、それだけでも、自分はあまりに無知だったと恥ずかしくなった。

よくまとめられた書籍もあります。図書館に置いてあることも多いと思うし、高価ではないものもありますので、購入しても大きな負担にはならないと思います。

狂犬病のことをネット上で不特定多数の人に語るのであれば、まず本を読むくらいして欲しい。そうすれば、気軽に何処かに書いている一文をそのまま持ってくることが、どれだけ罪作りなことか理解できると思います。

狂犬病の症例を幾つも読んでいて思ったことがある。これらの話から幾つかをピックアップし、短編集の書籍や映画(DVD?)にすれば、多くの人が興味ともってくれるのではないか。それくらい、時に悲しく、オカルト的で、たまに感動的。

そして予防に尽力するしかないことに気が付くだろう。

 

参考までに私が読んで 「狂犬病を軽んじていた」と思った書籍を一つ紹介しておきます。基本的なことが書いてある本です。
ヒトの狂犬病 忘れられた死の病 / 高山直秀 〔本〕

2017.1.22

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2016年9月30日 (金)

同行避難訓練に参加して、気が付いたこと

今回も長いですcoldsweats01

先日、都内のある区の同行避難訓練のお手伝いをした。愛玩動物飼養管理士の支所協力会員というものに登録しておくと、そのような誘いがくる。難しいことを考えず参加している。

初めて同行避難訓練に参加したのは東日本大震災の後だったと思う。
自分自身は震災直後の被災地を訪れたことはないが、義捐物資のボランティアをしていたので、現地に物資を届ける人たちから話は訊いていた。少し経つと現地報告を兼ねたセミナーなども多々あり、何度か参加した。
そんなこともあり、私なりに実際の避難所、そして同行避難のイメージが出来ていた。

その後に、同行避難訓練のお手伝いを始めたと記憶している。先日お手伝いした区の訓練も当時参加した。
当時の私の頭の中は、上記のような限られた現地情報と整理された理論だけで構成されていた。

物資のボランティアに通っていると、有名な先生にも顔を覚えていただける。何処かで会えば、挨拶くらいする程度になった先生も何人かできた。
同行避難訓練のお手伝いを始めた当時、そのような先生方に、「こんな現実離れした訓練して何の意味があるのでしょうか?」と食いつくように質問した覚えがある。しかも片っ端からcoldsweats02

先生方の答えは、「まず多くの方に見ていただき、興味をもっていただくこと。そして、幅広い人の協力により、その地域毎の避難所運営マニュアルに組み込んでいただき、避難所の中で認めてもらえるようになる。今はまだ、幅広い人に振り向いていただく段階。また、どんな訓練であっても(人間だけの)避難訓練内で行うことは容易なことではありません。やらせていただくこと、問題なく運営すること、それを重ねることも訓練です」とういうような内容だった。
それでも私は、「それは理解できますが、あまりにも現実離れしていませんか?」と口にしたものでした。

先日参加した訓練以前は、犬を預かる数もとても少なかったり、雨の日に当たれば一頭もいないときもありました。同行避難訓練というより同行避難の啓発活動だと割り切るべき、と考えるようになってゆきました。

 
そんな考えを改めたのが、先日の訓練でした。
お預かりの犬の数(猫はいませんでした)は、なんと約30頭!、これだけでビックリです。連れて来られる飼い主さんたちは、躾や感染症予防の意識を持っている方々ばかり。(同伴避難以前の)同行避難を(確固たるシステムとして)実現するには、ほとんどの方がこれくらいの意識をもたないと実現しないだろうなと感じました。

お預かりするテントでは「受付け」と「犬の管理」が主な作業になります。この日、常時作業に直接関わった人員は、10名くらいだと思います。
気温は低くない日だったので、ヒヤヒヤしたこともありました。ケージには日除けと目隠しのために新聞紙がかけられているものもあり、ケージ内の状態を確認し続けることの難しさを感じました。新聞紙をめくればいいじゃないか、と思われるかもしれませんが、ケージ同士はくっついています。一つのケージの新聞紙をめくっただけでも大騒ぎになりそうです。そうなったときの犬のストレスを考えると出来ませんでした。

そんなハラハラ・ドキドキもありましたが、大きな問題もなく訓練は終了しました。終わってみれば約30頭をお預かりし、無事に飼い主さんたちにお返しすることが出来たのです。
全ての犬を飼い主さんにお返ししたとき、達成感のようなものを感じました。

 
そこで考えてみました。
これだけの数の犬が集まり、大きな問題もなく犬を預かることができたのは何故だろう。

まず続けたこと。
今回、大きな問題は起こらなかった。初めてお手伝いした人は、「おっ、こんなに簡単に出来るんだな」と思ったかもしれません。
避難訓練会場というざわついた場所で、飼い主さんと離れ離れになり、自分のケージの両隣には見知らぬ犬。預かりスタッフも全く見知らぬ人間ばかり。このような状況で犬の心身の健康を保つだけでも大変なことだ想像できる人は多いと思います。
もう一つ、とても気を遣うのが、ケージへの出し入れ。基本的に飼い主さんにやっていただきますますが、入るを嫌がる犬も多く、先日の時も頑固に(力強く)嫌がる犬や、逃げ出すことを試みた犬もいましたが対応できました。
もちろん、受付け業務もしっかり確実にやらねばなりません。それができなければ、飼い主さんたちは安心して預けることは出来ないし、預けたとしても来年は参加しないでしょう。
そのようなことを考えると、何年も問題なく続けることができたからこそ、約30頭という犬たち参加してくださったのだと思います。つまり、飼い主さんたちが、趣旨を理解・賛同し参加してくださったのだと思います。

 

振り返ってみると。
まず区民の皆様に、同行避難訓練というものをやっているということを知っていただく。そして理解していただき、この訓練に参加しても大丈夫だと感じていただく。
お預かりする側も、段取りを決めるだけでなく、運営する人たちの関係や文字に表せないスキルのようなものを積み重ね、身につけてゆく必要を感じました。
これらのことは、同行避難訓練のお手伝いを始めた頃に、先生方からの答えの通りでした。
 

これから同行避難をはじめようと思ったら。
まず、学ばなければならないことはありますが、それよりも「やろう!」とおもう仲間を探すことが大事だと思います(そうでないと続かないですから)。そこから一般的なことを学んだり、既に訓練を行っている人たちから話をきくことで、末永く続けられる訓練になってゆき、その訓練に参加する(犬や猫を預ける)人が増え、幅広い人に知っていただき、安心して参加できると感じていただくことで、更に参加者が増え、その地域で同行避難の必要性がより認知される結果になるはずです。

(人間だけの)避難訓練も、発災時の状況を感じられる訓練はないと思います。同行避難訓練もそれでいいのだと思うようになりました。大事なことは、幅広い人たちに、それが必要なことであり、特別なことではないと知っていただくことだと理解しました。

大事なこと・必要なことであれば、発災直後であっても、皆で協力して行うことでしょう。
そんなことにやっと気付いた同行避難訓練でした。

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2016年9月23日 (金)

心から動物愛護や動物福祉を願うのであれば

動物の愛護及び管理に関する法律が(保護から愛護を含めて)三回改正がありましたが、その実効性に苛立ちを覚えて人は多いのではないでしょうか。

日本には多くの法律があり、あまり使われないものも結構あるそうです。私も、「そんな法律あるの?」と思うようなものに出くわすことがたまにある。
また、昔に出来て今は使われないものもあるそうです。この20年くらいで、それらのチェックもだいぶ進んだようですが、改正ではなく解釈で対応しましょうというものもあるようです。

私は法律の専門家ではありませんので、そんな話は茶飲み話程度に読んでいただき、「何故、動愛法の実効性はイマイチなのか」ということ。

 
法律は国民全てが守るべきものです。一部の人の嗜好や感情のためにあるものではありません。法律となった時点で、国民の総意と(形式上)なると言えばいいでしょうか。

しかし、動愛法に関して言えば、「そんなの一部の人が言っていることでしょう?」「今の世の中の常識からして、おかしいでしょ?、昔の話?、未来の話?、とにかく今の日本でそんなことを取り締まる必要があるの?」「誰得?」、さらには、「他の国ではどうだか知らないけど、日本に於いては、それ、おかしいでしょう?」「あんたはそう思うかもしれないけど、私は産まれてから今まで、そんなことに関わったこともないし、思ったこともない。身近にもそんな人いない」、などと思っている人はいます。実際にそのような何人もの人に会い、話をしてきました。極めて少数派とは言えないと実感しています。

このように思われていることは、警察も積極的に取り締まってくれないことがあります。優先順位が低いと認識されていると言えばいいでしょうか。
ほとんどの人が、「そうだ、それは悪いことだ!」「取り締まってくれないと困る」「そんなヤツを野放しにしておいたら、自分が被害に遭ってしまうかもしれない」と実感していることを優先的に対応することは、想像できるとおもいます。

 

動物愛護の話を、広く一般に向かって話をするときに、「命は平等」「ペットも家族」という考えで理解していただこうとしている人がいますが、ペットに関わり合いのない人、更には他人のペットから被害を被っている人からすれば、「そんなの一部の人が言っていることでしょう?」「他の国ではどうだか知らないけど、、、、」「ふざけんじゃない、こっちは被害受けてんだぞ!」となってしまう。(大人だから、多くの場面では口どころか顔にも出さない人がほとんどですけどね。)

動愛法を全ての人に「必要だ」と感じてもらうには、以下の記事のようなことを話すのが一般的です。
http://healthpress.jp/2016/09/post-2581.html

私がはじめて(マスコミなどではなく)セミナーや先生と呼ばれる人から直接話を聞いたり、勉強したのは、20年以上前。つまり、神戸の事件より前。
当時、既に「欧米では常識になっていますが、日本では人権の観点から幅広い場所でお話しすることが難しい」と聴いた。

動物を虐待する人間の人権?、と思うかもしれませんが、犯罪一般にも加害者の人権は守られます。さらにもう一つ。裁判では、ときに「責任能力」という言葉が出てきます。平たい言葉でいえば、「病気がそうさせたのであって、本人の意思ではない。体が勝手に動いてしまったのだから、その人が悪いのではない」という考えです。

上記の記事では書かれていませんが、重犯罪手前の動物虐待は病気であることが多々あると言われているし、私が知る限り、そのような動物虐待を行う精神状態は病気と診断すべきだと思っています。(「重犯罪手前の動物虐待」とは、普通の人にやれと言っても到底出来ない行為であることや、その行為によって快楽等を得ることを目的として行われる行為。)

どのようなものであれ「病気」と「人権」は密接に繋がっています。不特定多数の人がいる所で、特定個人の病気の話をすることは、人権侵害に繋がる可能性があります。そうなるとややこしいので、このような活動(「動物虐待が重犯罪の予兆」とされることを知らせる)を積極的に行う人や団体がなかったのです。明らかに、欧米の先進国から遅れている部分でした。

ややこしいと思う理由は、他にもあります。
「このようなことが分かっているので、動物虐待はやめましょう!」と訴えると、「そんなことよりも、今現在、救わなければならない命があるでしょう!。そんな話をしている場合じゃないでしょ!」と大きな声で言う人が出てきます。

傍観者はどう思うでしょうか。
「見解がまとまっていない分野のことなんだな」と思う人もいるでしょう。
「内容はともかく、揉めている分野なんだな。近づかないに限る。ちゃんとした理論・学説みたいだけど、それを感情的に批判する人がいるくらいドロドロした世界で怖いな」と感じる人もいるでしょう。
つまり、「国民の(実質的な)総意」から離れていってしまうのです。

 

今現在、救わなければならない命に対する活動は重要な活動です。それはしっかりやっていただきたいものです。
そのような活動と、世間一般に「身近な動物に対する対応は(この日本でも)社会全体で考えたり見守ったりしないと、みんな(社会全体として)不利益なことが起こりますよ」と伝えることは別分野であり、牽制したり、否定したりする必要はないはずです。

このような啓発的情報の発信があり、世の中の多くの人が理解し、社会全体の総意になってゆくことが他の国や地域の歴史が語っています。これは通らなければならない道なのです。この先に、動愛法がより実効的になり、機動的なアニマルポリスの実現などがあると私は信じています。

私は、20年かかってやっと(動物専門のところではなく)一般の人が目にする記事として書かれてるようになってきたと思っているし、現場の方々はもっと長い間、悶々とした気持ちを抑えていたことと思います。これからやっと、欧米のような感覚で動物愛護を扱ってくれる社会に近づけると、密かに喜んでいる人がいることでしょう。

これから、この記事のような情報を目にすることが多くなってくると思うし、それらの記事を広めようとする発言も目にするようになってくると思いますが、(温かい目で見守ってとまでは言いませんが)わざわざ問いただすようなコメントや攻撃的な発言は控えていただけたらと願います。

 

心から動物愛護や動物福祉を願うのであれば、このような考えも理解していただければと、切に願います。

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2016年9月17日 (土)

遺伝

とっても後書きの記事です。書いているのは、2017年に入ってから。今年(2016)の暮れに、「書いておきたい」思った内容の一つです。

 

2016年9月の14日から16日まで、二泊三日で旅行した。メンバーは。私、母、叔母(母の妹)の三人。母には一人妹がいますが健康上の理由で欠席。

私と母の相性はとても悪い。性格が合わない。お互い、なんでもないことで腹立たしく感じる。なので、19歳で家を出て、その後長い間実家には寄り付かなかった。実家に行くようになったのは、うーにーが来てからだ。
そんな私が二泊三日の旅行に行くことができるようになったのは何故か。それは、うーにー選びから始まる、犬との生活があったから。
 

犬を迎えると決めてからうーにーが来るまでの間、約半年くらいあった。犬については、女房任せでした。はじめのうちは他の犬種も考えたようです。
初めに行ったのはゴールデンのブリーダーのところ。女房は「他の犬種も興味あるんだけど~」というと、「じゃ、この人あたりどうかな」とその犬種のブリーダーを紹介してくれる。
元々ゴールデンを候補としていたし、他の犬種の話を聞けば聞くほど、私たちの生活にはゴールデンがあっていると感じた。私たちだけではなく、東京で少しの運動が出来る環境があれば、ゴールデンが最適な大型犬だと今でもおもっている。
他の犬種を検討し、色々と話を聞くことが出来たし、それらの犬種に触れることも出来た結果ですが、もしかしたら、うーにーのブリーダーは、はじめから私たちはゴールデンを選ぶだろうと確信をもっていたのでは、と後から考えたものです。

他犬種のことも含めて色々と私たちの考えを聞いていただき、色々教えていただいた。
話をしているリビングからはラン(犬を放している運動場)が見える。ランは幾つかに仕切られている。だいたい2~3頭毎の犬が一つのランに入っている。10頭ほどのゴールデンがいました。年齢もまちまちだし性格も違うので、より快適に過ごしてもらうためにそうするのだそうだ。
「犬もそんなに性格が違うのか?」と思ったものですが、何回も通っている内にそれが分かってくる。随分と違うものだなと分かってくると、動きの違いも分かるようになる。動きにも個性がある。形についてもよく分かるようになる。はじめの内は「なんとなく」だったのが、具体的に幾つもの部分について分かるようになってくる。ブリーダーも教えてくれる。

そして、「遺伝」というものに気が付く。

やはり親子は似ている。性格や動き、形の「部分」の数を多く認識できるようになると、母親に似ている部分と父親に似ている部分があることに気が付く。これが遺伝で、これらがどのように遺伝するのかを経験的に勉強して繁殖するのが最低限のブリーダーの知識というものだろう。なので、一日のほとんどをケージで暮らさせるような繁殖業者の人を、私はブリーダーとは呼ばない。

ブリーダーは犬の一生を考える。犬の一生に責任を持つと考えているから。長年そのような姿勢でいれば、何かと予想できるようになるようです。勘と言えばいいでしょうか。それが知識になる。
犬の一生は飼い主で大きく左右されるから、譲る相手も慎重に選らぶ。選んだら必要に応じて(我が家がしていただいたように)何かと教える。時には飼い主から学ぶこともある。このときの姿勢も謙虚だ。全ては犬のため。

このような人たちがブリーダーだと考えているので、犬を譲った後に飼い主と交流しない人を私はブリーダーと呼ばない。少なくとも、病歴やいつどのように命を全うしたのかの報告をしてもらえるくらいの関係を持てない人をブリーダーとは呼ばない。

こんな考えに至ると、遺伝とは、そこにいる犬だけを語るものではなく、その犬が産まれてから天寿を全うするまで関わることだと理解できるようになる。

 

そのようなことが理解できるようになったとき、自分と母との関係を客観的に考えることができるようになった。
子供の頃、母を見ていて好きになれない言動があった。好きではないので自分はそのようなことはしないようにした。しかし、よく考えてみたら、私の素の部分ではそのような感性があり、それを抑えている。つまり、素の部分は母譲り、それを嫌い抑える部分はたぶん父譲り。そういうことなのだと思う。
私が、産まれ、育ち、その後の経験で変わってゆくことを客観的に考えることが出来るようになったのは、うーにーを通じてブリーダーとのやり取りがあったからだった。

うーにーが来てから少しずつ実家に行くようになった。母への対応も少しずつ変えてゆくことが出来た。そして、自分の中の変えられない素の部分を認めることも出来るようになった。それが(人間も含めた生きもの全てが)繁殖により次の命へと繋ぎ、その命は経験により変化してゆき、それには葛藤がつきものであると気づいた。

 

2016年9月の旅行はそれなりに面白かった。三人互いの素の部分を認め、滅茶苦茶とも言える言動の連続。それを丸く納める訳でもなく、ぶつかり合うでもなく過ごすことが出来、面白かったと言えるものになった。
我慢をしなかったかと聞かれれば「した」。我慢なしには得られるものは限られている。

このような自分になれのは、ブリーダーを通じて多くのことを学び、多くの人に会えたことが大きいだろう。

遺伝。それがあるからこその多様性と淘汰的方向性がある。個々がそれを持ち、世の中はそれらがパズルのように組み合わさる。パズルと違うのは綺麗に嵌らないこと。ボタンの掛け違いは常。それが世の中なのだろう。

私が子供の頃には、三世代同居の家も珍しくなかった。そのような家が当たり前で、地域の繋がりが密であれば、つまり、人間の遺伝と血統を目の当たりに見ていれば、日常の暮らしの中でこのようなことに気が付くのだろう。都市部の今の世の中では、そのような状況はなく、気付かず過ごしている人は多いことだろう。
うーにーを通じて、はじめて気が付いたことは気恥ずかしさも覚えるが、気付くことが出来て何よりだった。

遺伝。生きるもの全ての根源。
たまには、そのような視点で自分を考えたいものです。

2017.1.20

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2016年5月13日 (金)

おばま札 配布所(その1)

2016年3月20日に東金で行われたこちらのイベント用に「御破魔札」なるものを作った。

「おばま」という奇妙な名前で、行動も奇妙な猫が我が家に居る限り、福島に残された動物たちのこを忘れる日は一日もない。

そんな気持ちを少しでも世の中に広げることが出来たら、と考えてこの札を作りました。
ボランティアをして欲しいとか、寄付をして欲しいとか、何か行動を起こして欲しいということではない。ただたまに思い出して、考えて、話題して欲しいだけ。

20160320card_2

日常生活で、話もしないことが起こったとき(それが身近であっても、遠い地で起こったことでも)、誰でも戸惑うだろう。話していても戸惑うだろう。
その戸惑いを少しでも減らしていただけたらと願い、こんな札を作りました。

作っても配る機会がなければ仕方ありません。どうしたものかと思っていたら、祖師谷大蔵にある Gallery Pawpad さんで置いてくださるというので、置いていただいている。今後もこんなお店が増えたらな、と密かに願っています。(なので、タイトルの最後が(その1)。(その2、3、、、)と続くことを祈っています。)

冒頭のイベントが開催された後、一束置かせていただいたのですが、もうすぐなくなるとのことで、今日、補充に行ってきました。

今日は、にゃん吉展がやっていました。明日までです!

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