2018年7月16日 (月)

ちょっとした勉強会

今回も備忘録的なブログ。
分かる人にしか分からない内容だし。

 

とある週末、お泊りでフードをメインとするペットビジネスの勉強会に参加してきました。生体は全く扱わない世界ではありますが、フードが関わりますので生体(一般飼い犬・飼い猫、保護されている犬や猫)への配慮・援助ということも含まれる。

私的なものであったので、具体的なケースで話が進み、その内容はここには書けません。
ここに書けることは、私が「やっぱり、そうなんだ。今の飼い主さんは、ある意味大変だな」と感じたことを書いておく。

 

うーにーが我が家にやってきたのは、1994年。高温の夏が当たり前になり始めた頃で、エアコンの室外機が高温で止まってしまい、一人暮らしの高齢者が亡くなったことが問題になった年でした。
次の年には、阪神淡路大震災、地下鉄サリン事件。1994年に埼玉愛犬家連続殺人事件。この頃、大阪の自称訓練士が殺人事件もありました。
今ととなっては「とっても昔」の話で、2000年の動愛法改正以降に、ペットについて興味を持った人たちの中には知らない・感覚的に理解出来ない人たちも少なくないだろう時代です。

ちなみに、ドッグ・カフェという言葉はありませんでした。ドッグ・ランは「欧米にはそんなものがある」程度で、東京都や23の各区が管理している公園にそのようなものが設置されることは「有り得ない」とおもうような時代でもあり、夜な夜なノーリード集会が隠れて(?)行われ、「前回の咬傷事故がいつで、どんな人が関わっていた」等が公然の噂でした。

当時のドライフードといえば、日本に昔からある加工食品メーカーが直接か、その関連会社が作っていたり、輸入代理店になっていたり。また、獣医さんが療法食として扱っているメーカーのもの、ショーをやっている人たちが使っていたもの、などが輸入されていました。
私の記憶では「プレミアム・フード」という言葉はなかったと思います。一般飼い主が入手し易かった「良い」と言われるフードは「ショードッグ用のフード」などと呼ばれるようなことが多かったと思います。

(一般の人が気軽に手に入れることが出来る)ショードッグ用のものも数が非常に限られていて、中には「私は絶対に使いたくない」とおもうようなものも「良いフード」をされていました。しかし、そのフードはある程度の数の人に支持されて有名になっていたことも事実です。つまり、イメージ戦略、ブランド戦略が成功していたのです。

その後、植物性のものをメインにしたものや「ここまで考えているのか!」とおもったり、「アメリカにはペット・フードの法律があり、守らないと大騒ぎになるのか」と関心したりしたものでした。

そして「手作り」や「生食」の情報も広がってきました。
その頃の日本は、Windows3.1 から Windows95 への移行時で、インターネットインフラが整いつつある時代でしたが、まだまだ一般的ではありませんでした。ADSLのサービス開始は1999年と言われていますが、普及が始まり「ブロードバンド元年」と言われているのは、2001年です(Windows Me)。

それ以前のことですから、マスコミ媒体としては数少ない雑誌、それ以外は口コミが情報入手の主な手段だったと記憶しています。なので、ブランド戦略はし易かったとおもいます。
当時も「みんな、もう少し考えてみようよ」と感じることがしばしばありました。

 

現在、2018年。様々な情報が手にはいります。「あのペットフードは本当にいいの?」と思えば、色々な情報がインターネットを経由して入手できます。もちろん発信する側にもなり得ます。
そのような時代なので、イメージ戦略、ブランド戦略は難しいだろうとおもっていました。

今回の勉強会は、ちょっとした衝撃でした。戦略を仕掛ける側の手法も高度になっていました。また力の入れ方も昔とは違うと感じました。

現在、プレミアム・フードと呼ばれるものは多種多様あります。となると、どれか一つのフードに目をつけ、「これ、うちの子に良いかな?」とネットで調べた結果、著しくネガティブな情報がなければ「とりあえず使ってみよう」となります。しかし、身体はそれぞれ違うので、同じフードを食べても同じような変化が期待できるとは限りません。そうなったときは次を探せばいいのです。

以上は「買う側」の話ですが、次は「売る側」の話。

前の方で書きましたが、1990年代中盤くらいまでのペットフード業界は規模も限られていました。また(ペット関連に限らず)広告戦略も今とは違って紙媒体がメインでした(ペット関係は電波媒体はほとんど使っていなかったとおもいます)。戦略といっても分かり易かった時代です。

ちなみに、消費者金融会社のCMにチワワが採用されて、小型犬ブームに拍車がかかるきっかけとなったのは、2002年です。ちょうど、ブロードバンドの普及が顕著になった頃になります。そしてよく「ペット産業は、既に一兆円産業になった」などと言われてことも記憶しています。

それから15年以上経った現在の販売戦略は(ペットフードに限らず)、とても多種多様な媒体、高度な手法、戦略が行われるようになりました。ペット・フードに関しては、昔は(産業として)力を入れて広告を打つほどの部類には入らなかったのですが、現在のように多くのフードが販売されて、多くの人がペットと暮らす世の中となっている現在、売る側も苦労が絶えないだろうことは容易に想像できます。

そんな現在の販売事情はどうなのか?
まず、他の主な産業と同じビジネス形態がとられてことに驚きました。フードメーカーや海外フードの輸入販売権が投資の対象にもなるようです。販売戦略は、やはりまずイメージ・ブランドの確立、販売網の整備と、日本における主な産業と全く同じ手法が取られているようです。

具体的な話を聞いていると、耳を疑い、目は白黒してしまいました。それくらい 1990年代との違いを感じました。

 

そこで感じたことは(ペットフードに限りませんが)それら情報を安易に信じ、それが(自分が得られる)最高のものだと思い込んでしまうことに危険はないのだろうか、と疑問をもってしまいます。
送られてくる情報が力強いものであれば(しかも多方面から同様の情報が入れば)そのように思い込んでしまうことは、当然のことだとおもいます。

このような情報に惑わされたとしても、フードを購入する側が危険な立場にさらされることは、ほとんどないでしょう。(現在、日本にもペット(犬猫に限りますが)フードに関するがありますので。)あるとしたら、「実は割高なフードだった(自分がおもっていたほどの効果が得られなかった)」「ちょっと体調が悪くなったような気がする」くらいで、ペットに著しい健康被害が出るようなことは、ほとんどないのではとおもっています。なので、「人間の食べ物も疑問をもつこといっぱいあるくらいだから、この程度ならいいんじゃない?」とおもってしまいます。

しかし、壁ではなく卵の立場を伝えてゆきたい人間としては、「ペットのためによりよいフードや日用品を」と(ビジネス目線ではなく)飼い主目線で、情報を提供してくれる人たちの声がもっと届いてもいいのではないか、とおもうことが多々ありました。
それくらい資本を注ぎ込んだ情報が出回っていることを感じています。

 

食べ物のこと、日常使うもののこと。それらのことを考える時間を、もっともってもいいのではないかと、いつも思ってところに行き着いてしまった。

皆さんには、こんなことを考えてほしい。

「カロリー」や「糖分」「脂肪分」などを気にされる方は少なくないとおもう(自分、家族、ペットに限らず)。
その理由は、肥満であったり血管内にへばりついてしまうものだったり、色々あるとおもいます。
ほとんどの理論展開は、これらの入口と結果です。「表示されているカロリーがこの数字だから肥満になってしまう」など。

同じものを同じ量食べたら、同じだけカロリーが摂取され吸収されるのだろうか。つまり個人差、個体差の問題です。
そもそも食品に表示されているカロリーの計り方は、摂取を前提として計られるものなのか調べてほしい。お時間ある方は、他の数値についても調べていただけたらとおもう。

更にお時間のある方は、「栄養素」や「治療薬の基本成分」についても同様の視点で調べてほしい。簡単に言えば、サプリメントの効果は人によって違うし、薬の効果もそうだし、副作用も。
食品について、そのような視点でみることに、皆さんがもう少し力を入れてもいいのではないかと常々感じている。

つまり、入口と結果だけでなく、真ん中の「摂取」にも注目し理解し考慮してほしいのです。これは、個人差、個体差があるので広告に載せるのが困難な情報です。インターネットで他の人が書いていることが、自分には、自分が共に暮らすペットには、当てはまらないだろうとこでもあります。

医療行為についても同様のことが言えます。同じ検査結果でも症状が違ったり、同じ治療でも効果が違ったり。この部分を担当するのが、医師や獣医師の「診たて」になるとおもいますが、多種多様な検査が可能になった現在は、その能力をしっかりともっている先生が少なくなってきていると感じます。
そのことについても、皆さんがもう少し力を入れてもいいのではないかとおもうことあります。

 

ペットの日常を考えてあげるとき、自分自身の日常を考えるとき、身近な人のことを考えてあげるとき、そのようなことを考えてあげる時間をとってほしいと、心から願ってやみません。

10個一パックの卵も、よく見れば一つ一つ違う形をしています。人間を含めた生き物は、規格化できないものだと、私は信じ続けていたいのです。

 

100年後くらいには人間も遺伝子操作されて規格化されるかもしれませんが、そのとき、私は生きていないことが、私にとっての救いです。
その世界は、人間が人間により管理される(現在でいうところの)家畜であるか、AIにより管理される家畜ということになるような気がし、その世界を見たくないのです。

自分は世界に一人の自分であり、共に暮らす人間の家族もペットも世界に一つの存在だとして暮らすことが、幸せな日常の基礎だとおもいます。

 

そんなことを再確認した勉強会でした。

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2018年7月14日 (土)

ラブ ゼネレーション(読書感想文) その3

前回からの続きですが、今回は、書籍とはほとんど関係ないこと。

マスコミとは、マス・コミュニケーションの略であるから、「大衆とのコミュニケーション」だと思うのですが、「大衆への情報伝達」の方がしっくりくるだろう。
昔であれば、テレビ、ラジオ、新聞、雑誌などを使って不特定多数の人に同時に情報を伝達することであり、その情報を元に人々はコミュニケーションをとっていた。

インターネットが日常に根付いた現在、マスコミの伝達手段の一つにインターネットが入ることは確かではあるが、「不特定多数の人に対して同時に」ではないようなものが増えてきた。
また、受け手であった個人が、不特定多数の人に情報を発信できる世の中になってきた。

そのように、情報が交錯、氾濫している現在、情報がビジネスになるのは当然のことで、多くの人が求める情報には価値が生まれる。どのような情報を世の中の人が求めるかといえば、「明るい」、「前向きな」情報だろう。または、「押しが強かったり」、「過激な」、「刺激的な」情報も人は得ようとする。

情報だけではなくエンターテイメントもそうだ。音楽、テレビドラマや舞台、デザインなどもその傾向がある。

 

そのようなものは面白いかもしれない。刺激的なものを観ればワクワクするかもしれない。しかしそれが現実的なものではないとおもったとき、私は落胆する。ほとんどの人が現実的だと信じることが出来たとしても、私自身はそう感じることが出来ないとき残念な気持ちになる。

現実の個人個人は、そんなに強くないし格好よくない。私はそうおもってしまう。とても弱くどこか不恰好な部分を持っている人がほとんどだとおもう。
そんなことを伝え続けてきた早川さんが、皆の前で歌わなくなってしまったことが残念でならない。

 

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このブログを書く直前に、二冊のラブゼネレーションを図書館に返しに行った。そのとき、何気なく図書館内をうろうろしていたら、村上春樹の「雑文章」をいう本を手に取り、目次の「壁と卵」という文字が気になり読んでみた。
エルサレム賞という社会的・政治的に微妙な地域の賞を受賞したときのスピーチ。その中で村上さんがコアにしたのは、次のような一文でした。

=============
「高くて硬い壁と、壁にぶつかって割れてしまう卵があるときには、私は常に卵の側に立つ」
=============

上記の文章は、こちらのページからコピーさせていただきました。なので書籍とは表現が違うかもしれませんが、私の記憶の限りでは同じだっとおもいます。

 

早川さんは「高くて硬い壁」どころか、自分が暮らしている町の誰か個人にさえ劣等感を抱いてしまうような感じではありますが、「壁にぶつかって割れてしまう卵」が如きであると認めていることは確かだろう。

再び、上記リンクを張ったページからのコピーですが、こんな文章もあります。

=============
皆、薄くてもろい殻に覆われた、たった一つのかけがえのない魂(たましい)である、と。
=============

 

さて、本題です。

私は、犬や猫など身近な動物との幸せな暮らしを送るためには何が必要だろうか。今の世の中に何が足りなのだろか、と考えることがあります。
そもそも、各個人の「身近な動物との幸せな暮らし」とはどのようなものなのか。インターネットが普及し、個人が不特定多数に情報を提供できるようになった現在、それはある程度のモデルが存在するようにおもえる。犬であればこんな感じ、猫であれなこんな感じ、と。

しかし、よくよく話を聞いてみると「こんな感じ」には、だいぶ幅がある。実際の行動だけでなく、根本的な考えにも随分と幅がある。「子供の頃からこのように(犬や猫と)接してきた」その接し方が現在では犯罪になることもありますが、法律のことを知らずに昔ながらの接し方をしている人もいる。法律のことは知らなくても、「世の中が変わってきて、自分の感覚(接し方)が非難されることがある」と感じ始めている人もいる。
(犬や猫に)色々なことをしてあげたいとおもっていても、時間的な制約などでそれをしてあげられないので理想的な関係が築けず、ジレンマを感じている人もいる。

情報が氾濫していると言われているこの現代に、このような人たちが多々存在する。30年前に比べれば、とても高度な情報が簡単に手に入る現在でも。
どれほど高度な情報であっても、個人が積み上げた知識・経験から得た各自の感覚と、現在の社会が「正解」としたスタイルとの溝を埋めることは容易ではない。人によっては「不可能」と言ってもいいだろう。

こんなことを日頃感じている私は、村上春樹の「皆、薄くてもろい殻に覆われた、たった一つのかけがえのない魂(たましい)である」に共感を覚えた。

またこのスピーチの中には、以下のような内容もあった。これも上記のリンク先からコピペさせていただきました。

=============
何が正しくて何が間違っているか、何かがそれを決めなければならないとしても、それはおそらく時間とか歴史とかいった類のものです。
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長年、犬や猫との暮らしについて調べたり考えたりしていると、このようなことを実感します。20年前、30年前、50年前の日本のことを思い浮かべてほしい。さらに、その日本の中の色々な地域のことを思い浮かべてほしい。
犬や猫との付き合い方は、とても変わってきています。しかし、誰が何をもって「これが正しい付き合い方」と断言できるのでしょうか。法律で色々定めて方向性を示していますが、違和感・反感を抱いている人もいる。

何が正しいかと決めるのは、「時間とか歴史とかいった類のもの」であると、私もおもいます。今は正にその判断を待っている最中なのだと。

 

「犬とゆく」や「人のため、犬のため」がやるべきことの一つに、そんな混沌とした時代でも、より多くの人が幸せが実感できる、犬や猫との暮らしを目指すための情報を提供してゆくことなんだろう。

ときどき、「あなたははっきりと答えを書かない!」とお叱りモードで助言を頂戴することがありますが、私は「何が正しいか」を書きたくありません。「今はこうですよ、こんな人もいますが、全く逆の人もいます。この日本の中で、各自その人の人生の中で自然に身についた感覚は違うのです。そんな色々な人がいるのが今の日本です」と伝えるのが、私の役目だとおもっています。

壁は誰でも見えますから伝える必要もないでしょう。日々消費されてゆく数多くの卵の中から、私が出会った卵のことを、これからも伝えてゆきたいとおもいます。

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コピペさせていただいたページは以下。
(ブログ名)青山の昼と千駄木の夜 ~Indiana(インディアナ)暮らし編
(ページ名)『【全文版】卵と壁 ~村上春樹氏 エルサレム賞受賞式典スピーチ』
(URL) https://ameblo.jp/fwic7889/entry-10210795708.html

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2018年6月24日 (日)

「俺、つしま」 ミニ色紙めぐり と 吉祥寺散歩

昨日はうーにーの誕生日。生きていれば、と歳を数えるのはやめましょう。

ふと考えると、おばまもうーにーと似ているところがある。
短足で前脚が太い。アンダーコートがあり、よく抜ける。甘ったれで女房によくくっついている。ちょっとふてぶてしい。胃腸は丈夫な方だ。礼儀正しいが主張は忘れない。「顎のっけ」をする。

また、おばまは「俺、つしま」のつしまや他の登場猫物に似ているところもある。
つしまとは見た目が似ていた(今は糖尿で少し細身になってしまったけど)。声が高かった(最近、おしゃべりになり低い声も出せるようになった)。ちょっと強面である。しかし、人を脅そうなんて考えていない。でも、譲らないこともある。キックが激しい。
オサムのように甘えることになれていない。猫じゃらしを振っても手しか見ていない。
テルオのように捕獲箱に入ってからは、あの町でその姿を見た人はいない(今も人が住めない町だけど)。

そんなこんなで、6月22日は「俺、つしま」のミニ色紙を見て回ることになった。
https://twitter.com/tsushimacat/status/1008233000402706432

201806221立川駅ビル内の「オリオン書房 ルミネ立川店」で待ち合わせ。
ここの展示は結構気合が入っている。入口的な場所の高い位置にに大きな切り株のようなオブジェを配し、その上にポスターとミニ色紙、下には多くの「俺、つしま」本が置いてありました。
しっかし写真を撮りたい気持ちはありましたが、本屋さんで写真を撮ることに気が引けてこの一枚だけ。目立つところにあったので、店員さんの目も、他人の目も気になってしまって...。

次は同じ立川駅構内なのですが、改札を入った本屋さん。その前に「いろは堂」のおやきを買う。「いろは堂」の本店にはうーにーも行った。うーにーも食べた。
帰宅後、うーにーとの日々を思い出しながら食べました。

201806222次は同じ立川駅内の「PEPAR WALL エキュート立川 エキナカWEST店」(店名長い)。こちらは、駅の廊下に面したガラス張りのショーケースのような所に展示。他の漫画のもありました。展示するだけの場所なんで、写真をしっかり撮りました!
帰宅して、写真を確認したら(ガラス張りなので)私たち夫婦の姿がはっきり写っている。なので黒でつぶしました。

ミニ色紙は一枚一枚手書き。普通の大きさの方が書くのが楽なのでは?、とおもいました。プロの人ってほんと凄いなとおもいます。

201806223吉祥寺に移動して(立川と吉祥寺って離れているんですね、もっと近いと思っていた)、「ブックファースト アトレ吉祥寺店」へ。
店内に入り探すがなかなか見つからない。入口やレジ前を探すが見つからない。マンガの所に行ったら、平積みの上に飾るように置いてありました。入荷している数が少ないので、このような感じになったのだとおもいます。

 

その後、ハーモニカ横丁にある「みんみん」で餃子とチャーハンで昼食(女房が羽根木餃子さんのFaceBookを見て行きたがった)。
お店を出た後に、横町内にある小さな店の前で女房が、「うーにーが生きていたとき、この店に何度かきた」というので、何の店だとおもったら、犬用の食べ物やさん。女房は以前仕事でこの辺りによく来た。その頃に何度も利用したとか。

吉祥寺に来たのだから、と「いせや」の総本店を見に行く。女房はこの辺りによく来た頃から好きな店だったとのこと。何年か前に建て替えてからよく見ていないから見たいという。
見に行くと確かに新しくなっていて、お店の上は10階くらいあるマンションになっていた。
地下にも「いせや」さんがやっている飲食店がある。こちらは肉系のものをだしている。ちょっと気取った店で肉系で「いせや」さんがやっている店なので、ランチ営業はやっていないとおもい込んでいたのですが営業していた。それを知っていたらこちらにきたのに。(でも「みんみん」も良かった。)

ここまで来たのだからと、井の頭公園を歩くことにした。女房は、公園に入ってすぐに休んでいるゴールデンの姿を見つける。ゴールデンは伏せをしている。連れている人は、若い女性でよちよち歩きのお子さんも一緒。ゴールデンは暑さで一休みしているとのこと。女房は少し触らせてもらった。「うーにゃんの誕生日にゴールデンに触れた」とご機嫌。

この公園には、うーにーと一緒に何度も来た。何曜日の何時頃にどの道を通れば駐車場に入りやすいとか記憶していた。あの頃と比べて全体的に整備されて綺麗に見えた。しかし池の水だけは当時よりも淀んでいるように見えました。

変わってしまった店もありましたが変わらない店も多い。「ここでよくソフトクリーム買ったよね」などと話しながら公園の出口に向かう。こちらでは「いせや公園店」も見る。こちらは外から店内がよく見えない。反対側の「金の猿」も健在だ。ここの関係者の方にもうーにー関係でお世話になったことがあった。「いせや」から2~3軒先で「SYUNA&BANI」が営業していたことには驚いた。あの時は、まいすも一緒だったから2000年のことだとおもう。吉祥寺は息の長いお店が多いのかもしれませんが、犬関連のお店でここで長続きすることはなかなか難しいのではないだろうか。

そして駅へ向かう。その間にも懐かしいお店が幾つか。吉祥寺という町はすごい。

井の頭線に乗り、明大前で乗り換え下高井戸で下りる。おばまのために鮪のブツとベニトロを買う。もちろん人間も食べる。

201806224晩御飯時、おばまは興奮気味だった。そして食後は女房の横でうつらうつら。

 

ただ本屋さんをまわって写真を撮っただけではない。何処でかは書きませんが、女房はまた一冊「俺、つしま」を購入していた。
夜になって、「また買わなくてもいいのに。もう読んじゃったし」と思いながら手に取る。ちょっとパラパラめくる。結局、はじめから最後までしっかり読んでしまった。
この本の魅力については、また改めて。

 

この日の夜、「ギフテッド」というDVDを見た。
アメリカでは「子供の権利」がしっかりと考えられていることを再確認すると共に、猫を手放すこと、その後殺処分することについては、日本とそれほど変わらないか日本の方が意識が高いのではとおもった。(アメリカは州や地域で法律や条令などが違うので一括りには出来ませんが、映画でそのように映され、それを観たアメリカ国民が違和感を抱かない程度に制作しているのだろうから、やはり日本の方が意識が高いのかもとおもった。)

 

うーにーの誕生日。なかなか充実した一日だった。

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2018年6月 5日 (火)

Dr. Jeff に質問したかったこと

私は現在、シェルターに関わる活動も里親探しに関わる活動もしてないので、ジェフ先生の講演会を聴く価値がある人間なのか疑問におもっていた。聴いても実感が湧かないのではとおもっていた。

しかし聴いていて、「自分がおもっていることと同じだ。でも、日本でそんなこと言うと白い目で見られるんだよな~」と思い、同時に「でも、聴きに来ている人の多くは、ジェフ先生と同様の考え・感じ方なんだろうな。だから来ているんだろうな」と想像して聴いていた。
しかし前の書き込みで書いたように、必ずしもそうではない人がかなりの数いらしたようでした。

だからこそ質問したいことがあったのですが(質問時間は結構ありましたが)先生の考えを受け入れがたいと、私には聞こえる質問が相次ぎ、時間切れになってしまったことが残念でした。

 

改めて論点を書いておきます。

6月2日の話は私には以下のように聞こえました。
ノーキルを目指してしまうと、安楽死の必要があると多くの人言う状態の犬や猫を抱え込むことになり、活動が効率的に行えなくなることがある。その結果、シェルター内が不適切な状態になったり、運営姿勢に問題が出てきたりする。なので、総合的にみて安楽死を選択肢の一つに入れるべきである。選択するかどうかは、団体の状況により判断は変わってくるだろうとのことです。
また獣医師である彼は、個々の動物としっかりと向き合う(一頭一頭をしっかりケアする)ことが基本であり、重要であるとも語っていました。著しい苦痛を抱え回復の可能性もほぼない場合は安楽死を検討すべきだ、とのことです。

そのような姿勢で運営されているシェルターは、活動が安定して長続きし、シェルター内の環境も良いケースが多い。
この考えは、長年、世界中のシェルターを見てまわったり、運営に関わってきた結果。より多くの動物たちを救うには、このような考えを持つことが大切。

だいたいこんなことが主旨だったとおもいます。

それに対して、何人かの方が自分の体験談をしっかりと説明し、そして次のような質問をしていました。
どんなに(経済的、時間的など総合的に)コストがかかっても、目の前の命を救うことに常に前向きになるべきではないのか。

 

(私がしたかった質問)

動物愛護の歴史を振り返ると、まず「目の前の動物に対する気持ち」から始まり、しかしそのような活動は社会全体には受け入れられず、経済的な価値をはじめ社会全体の利益に繋がる、つまり社会貢献でもある活動だと明示することで、幅広い理解、そして支援を得られるようになったきたことをご存知の方も多いとおもいます。

今回の講演会、そしてジャパン・ツアー全体は、そのことの再確認と、気持ちから社会貢献への変革を起こす手法の具体的な提案だと、聴いていておもいました。

 

質問したいことは2つ。

1つめ。気持ちで続けている活動について。
そのような活動は、社会貢献としての活動へと必ずシフトするのが「理想」なのでしょうか。それとも、気持ちの活動と社会貢献の活動、両方が常に存在する社会も、先生のお考えの中では、一つの理想なのでしょうか。

2つめは、具体的は手法についてです。
先生の活動は、身近な動物をレスキューすることは、社会貢献になる活動であることを幅広い人たちに理解していただく必要があることを広め、その実践を手助けすることだと、お話を聞き理解しましたが、気持ちだけの活動ではなく社会貢献活動であると、考えを改めていただかなくてはなりませんが、その具体的な手法について教えてください。

今日のお話の中で一般的には「一つは教育。そして助成金など行政からの補助やアピール。もう一つは寄付などによる活動を通しての啓発」と理解しましたが、日本にいらして山崎さんとお話を重ねているとおもいますので、この日本に有効的だと思われる手法を教えてください。

 

こんなことを聞きたかったです。
私は、身近な動物との共生を願っている人間ですが、動物たちと関わりのない人・興味のない人たちからは、「それは個人的な趣味の話ですよね?」と言われてしまうことがあります。その人には全く関係のないことですから、社会全体としてのテーマにはなり得ないと考えています。そのような人は少なからずいます。
しかし、少子高齢化、地域社会の衰退が進む日本においては、ペット、コンパニオン・アニマルは地域社会の一員にもなり得るし、心から家族と感じている人たちが増えています。今、「私には関係ない」と言い切った人が年を重ねたとき、身近な動物を心の支えるすることもあります。そのような人に会ったこともあります。
このように感じ、経験している人間として、身近な動物たちが粗末に扱われない社会へと進むヒントになると考え、是非お聞きしたかったです。

最後に山崎さんがお話された「日本にもジェフ先生のプロジェクトとしてのシェルター、病院」が出来ることで(その実際を目の当たりにすることで)、考えを変える人が広がってゆくのかな、とも思いました。

そんなこを含めて、是非お聴きしたかったです。

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2018年6月 2日 (土)

Dr. Jeff ジャパン・ツアー 2018 講演会(6月2日)

最近、お約束になっている断り書き。
この書き込みは、誰かに働きかけようという目的はなく備忘録。自分が何を聴き、どう感じたのかを書いておくものです。

ここ数年、「自主的にあちこちに顔を出すことを慎む」ようにしている。自主的には行かず「お誘いを受けたら行く」。今回もお誘いいただいたので行くことにしましたが、「私のような者が行ってもいいものか」と迷ったものでした。

理由は、事前の情報では「殺処分ゼロ」やTNR(外を自由に出歩く(日本に於いては)猫の避妊去勢活動)についての高度な話におもえたので、私のレベルでは付いていけないだろうなと思ったから。

 

内容について。

 

冒頭にロビーに展示されたアート作品の説明がありました。
ロビーで鉛筆で作られた犬を見たときは「こりゃ、凄い!」と思ったのですが、鉄兜で作られた亀には首を捻りました。何故戦争の道具で?、と。そして(なんの動物だったか忘れたけど)鉛筆の金属のキャップで作られたものもありました。金額も結構な金額で「何がいいたのかな?」と思ったものでしたが、それらの説明がありました。
暴力反対の活動をしているアーチストでありプロジェクトだそうで、鉛筆のキャップと思ったものは薬莢でした。
ちなみに鉄兜の亀は100万円だったとおもいます。今回の収益の多くがジェフ先生の活動に寄付されるそうです。

 

そして(ジェフ先生ではなく)フィリピンで活動されている女性の先生からお話(活動報告)。
狂犬病もあり、経済的にも苦しい人たちが少なくない国での活動はなかなか大変そうに見えました。お話の途中、活動でのご苦労を思い出し、涙ぐむ場面もありました。しかし、協力者の輪が少しずつ広がり、今では安定して活動が出来ているようにも見えた。理解していただき、協力者の輪を広げる。そのことにより、さらに活動が理解されるようになる。
当たり前のことかもしれませんが、なかなか出来ることではありません。活動の継続、理解者を増やす。基本中の基本だとおもいますが、ここが疎かになっているのではと感じる団体が、この日本には少なからずあるように思えました。
未だ(本格的に活動になってからかもしれませんが)二年目ということにも驚きました。

 

こちらの先生のお話は(全体からすると)手短に終わり、その後のほとんどの時間は、ジェフ先生がお話されました。
今回のテーマになっていることは、「殺処分ゼロを守ろうとすると活動が立ち行かなくなることもあるし、犬や猫の生活の質を考えた場合、安楽死という選択肢を持っていた方が良い」というような内容。

そのようなことは、幾らでも見聞きしている。しかしジェフ先生が話すと、今までの誰の話よりも説得力を感じる。
何故なら世界中の幾つもの国や地域のシェルターを見たり、施策を確認したりしてきているので、欧米以外の地域の話も聴けたし、活動期間も長いので「昔のアメリカでは」など時間軸での違いも聴くことができた。
そして話が論理的。数字が色々出てくる。数字に関しても「相関しているからと云って直接的な関連があるとは限らない」と慎重に理解する態度を貫き、多くの事象を視てきた結果の内容なので、とても納得できる話ばかりだった。

このことをこんな例で説明をしていた。
「アイスクリームが売れると犯罪が増える」という報告があるそうですが、それは、気温が高くなるとアイスクリームもよく売れるし、イライラする人が増えて犯罪も増える。アイスクリームを売らなければ犯罪が減るということはない。

とても大事な心構えだと常々感じています。物事を視るときに、より掘り下げて何がどう関連しているのか、何をどう定義すれば判断できるようになるのか、など論理的な理解をしないと、自分も理解出来ないし、理解を広めることも出来ないだろう。

質疑応答は、私個人としては、残念に感じた。
内容が(適当な表現が見つからないので幼稚な表現になってしまいますが)「シェルターなどで殺処分も視野に入れるべきとおっしゃいますが、感情的に出来ることならしたくない。しない方がいいのではないか」と聞こえるものが複数ありました。
私は「それについてこの講演でず~っと説明してきたじゃない?」と思ったし、答える先生も(またまた幼稚な表現で申し訳ないが)「繰り返しなりますが」と付けて何度も同じ内容を説明していました。ただし、この先生の凄いところは、別の事例や数字で説明する。次から次へと話が出てくる。

質疑応答の最後に、「今回日本で幾つかの場所で施設、現場を見させてもらった。日本の猫たち(外で自由に活動をする猫を含む)の状態は良いと感じた。日本のこれからは期待できるとおもう」との感想を述べていた。

印象に残ったこととして、神奈川県の建てかえたばかりの施設(今回、先生は視察した)についての質問に答える形で「総工費と行っている活動を比べて、もっと効率的(より多くの動物たちのためになり、その理解を広げる結果に繋がる)お金のかけ方があるのではないか」というようことを述べていました。
先生は、自分のクリニックも持っていますが、世界に幾つものクリニックを建て、運営し、安定したら次へ、という形の活動をしています。このような活動をするときに、お金の話は重要です。彼がお金を用意し、運営を始め、そして投資した資金を回収し、回収した資金で次の施設を建てることをしているそうです。
先もにも書きましたが世界中のシェルターも見学しています。今回の講演会で説明してくださった(シェルターの)例でもお金がどうなっているのかについて、しっかり説明していました。
そんな先生から見て、前述のように見える施設だったということです。折角の施設ですから、より効率的に運営されることを祈っています。

 

最後に「これは素晴らしい情報だ!」とおもったことがありました。

この講演会は、アニマルレスキューシステム基金の主催です。こちらの団体は(私が知る限り)避妊去勢手術が広まることを願い、神戸や福島で活動してきました。その他にも不幸な犬や猫たちの対策をしているようです。
しかし広く理解されないのか、活動が足踏み状態に感じているところでした。そして今回のツアー。「先生にツアーしていただくだけで、次のステップに進めるのだろうか?」と疑問をもっていた。

しかし最後に素敵な情報がありました。
オリンピックが終わった 2011年を目処に、ジェフ先生の活動の一つとして日本にシェルターを作るという。そこではもちろん避妊去勢手術も行う。それは継続可能な、かつ効率的なシェルターの実例になることでしょう。
何故、2011年かというと、現在他のプロジェクトが動いているとのことで(またまた幼稚な言葉になりますが)順番待ちの状態だそうです。

神奈川県のセンターがもっと効率を上げる余地があるだろう、と先生が感じたところで、日本にはそれを理解し、現実的なプランを提供できる人がいないのだろう。もし提案したとしても、「そんなの絵空事だ!」と言われてしまうことでしょう。また、避妊去勢手術を日常的に行う獣医師の必要性も述べていました。施設を作っても、日常的に数多くの手術をする獣医師が必要です。その育成の実際についても、2011年の施設が大きな力になることとおもいます。

 

動物の保護及び管理に関する法律は、昭和48年に出来ました。成立に漕ぎ着けるまでには多くの活動家、議員の方々の尽力がありました。奇しくも、前の東京オリンピックの開催の年(昭和39年)の前後にも法律を作ろう!という機運がありました。
次の法改正は、オリンピックの前年 2009年になりそうです。そしてオリンピックの次の年にはジェフ先生の施設が日本で動き出すことになれば、幅広い立場の人たちが身近な動物に対して今まで以上に配慮できる社会になる機会になることと信じています。

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2018年3月20日 (火)

避難所運営 ~二つのシンポジュウムを拝聴して~

ここ何年も、セミナーとかシンポジュウムは自分の興味で行かないようにしている。誰かに誘われないと行かない。
自分が興味のあるものばかり行っていた頃、ふと気がつくととても視野が狭くなっていることに気がつくことが何度か。そのような経験から、誘われたら&都合がついたら行く、こんな感じで行くように心がけている。
そんな感じなので、足を運ぶ回数も少ない。最近(書いているのは、2018年3月)この一ヶ月では二つのシンポジウムに行きました。どちらも大規模災害時にペットをどうするか、特に避難所ではどうなるのか、に多くの時間が割かれた内容でした。
先に書きましたが、誘われたから行っただけですが、偶然同じテーマの内容となりました。
 

一つ目は、2月25日に環境省主催の"シンポジウム「人とペットの災害対策」"
https://www.env.go.jp/press/105042.html

行ってみたら、行政や施設運営者向けの内容でした。
施設運営者というのは、区市町村や都道府県の体育館などの運営を委託されている業者。それらと行政、つまり避難所を管理・運営することになるだろう立場の方々。
「自分には関係ないのでは?」と思いながら聴いていると、「知って良かった」と感じたことが多々ありました。

そのような方々が気にすることは、インフラがどれだけ使えるか・避難所となる施設が安全か、など。
そして物資。備蓄はすぐになくなったり不足のものが出るだろうから、支援をしてもらうことを考える。支援を受けること、これを「受援」という。このシンポジウムでは、この言葉がキーワードの一つになっていました。

支援と聞くと、支援物資(モノ)を想像しますが、専門家やノウハウの支援も必要になる。
避難所一般の問題として、小児科の先生がなかなか来てくれない(確保できない)ということがあるそうですが、それに似て、獣医さんがなかなか来てくれないという経験談もありました。

専門家というのかどうか分かりませんが、動物関係のボランティアが駆けつけて「こんなことさせてください!」と申し出てくれるのは嬉しいのですが、過去の経験から、その団体のことを何も知らずに「では、お願いします」とは言うことは出来ない、との話や、避難されている人たちに必要なことであっても、何かしらの危険が発生する可能性があれば、とても慎重に判断しなければならず、そのような団体からも被災者の方たちからも理解されないこともある、とか。
そのようなことを減らすためには、ボランティア団体と、事前(平時)から連携が必要だとの話の中に出てきました。
行政同士も具体的な支援・受援の取り決めが必要だという話もありました。そのためにも災害想定や災害時の情報伝達手段の検討(何を支援してほしいかを挙げてもらう)などが重要だとか。小さなことのように思えますが、避難所に入ってきた人の名簿を統一できているだけでも随分と違うとか。

他のキーワードとして「ファースト・ミッション・ボックス」。セカンド、サードまであるらしい。
以下、どんなものか説明を書きますが、私は実物を見たことないので、誤解があるかもしれませんのでそのつもりで読んでください。同様の理由で詳しいことも書きませんので、ご興味あるかたは、よく調べてみたください。

ファーストは避難所立ち上げまで何をやればいいのかが書いているそうですが、そこに来た人が、どんな人でもあっても、分かるように書いてあるそうです。「そんなこと出来るのか?」と私も思っていますが、実際にそのようなものを見た人から聞いた話だと、図入り、写真入りでとても懇切丁寧に説明されているもののようです。
「ファイル」ではなく「ボックス」なのは、詳細に書かれているが故、嵩張るのかなと勝手に想像しましたが、どうも違うようです。以下のような記事がありました。
https://www.mlab.ne.jp/columns/columns_20180319/

私が今まで聞いた話の中では、この記事のものよりも、もっと詳しく分かり易いものが用意されている避難所もあるようです。

これは動物関係なしの避難所一般の話です。まず調べて考えて作り、それを基に訓練し、誰でもその中にあるものを見れば役割が担えるように、ブラッシュ・アップさせてゆくようです。

避難所にこのようなものがあり、その中に、ペットを連れて来た人の対応もしっかり記載されていることが珍しくない世の中になってほしいなと願うばかりです。

その他、細かい(具体的な)話がいっぱい出てきました。避難している人たちは「なんでやってくれないんだ!」と思うようなことも「そういうとこも考えないとならないのか」と気付かされることが多々ありました。
また、避難所に身を寄せている人たちが落ち着いている、いい人ばかりなら判断もし易いとおもいますが、異常事態でもありますし、怪我している人もいるでしょうし、精神的にも不安定になる人も少なからずいることでしょう。そして知らない人たち集まりであることが多いです。そのような場所ですから、何事にも慎重にならざるを得ないということでした。過去の大災害時に、そのような記事を読んだ記憶があるので、「なるほど」と思ったものでした。

 

もう一つは、3月17日に、行政書士ADR東京センター主催で行われた、 『ペットトラブルシンポジウム』 〜 ペットの同行避難トラブルをADRで解決!〜  です。

こちらは飼い主一般向け。避難所に身を寄せる立場の人向け。

話が前後しますが、環境省主催のシンポジウムが行われた経緯として、以前よりある「災害時におけるペットの救護対策ガイドライン」の見直しがなされ、平成30年2月下旬に「人とペットの災害対策ガイドライン」が発表されることを受けのことでした。ガイドラインが見直されることになった背景は、新しいガイドラインの1ページ目をご覧ください。

こちらのシンポジウムでも、その話が少しありました。大規模災害時でも、「とにかく避難所に行くべき!」など一括りの考えではなく、多くの選択肢と自分のおかれた状況から判断してください、ということでした。

また「同行避難」という言葉についても説明がありました。ネットなどで「同行避難は、避難所に一緒に行くけど、同じスペースで暮らすことが出来ないパターンで、同伴避難は同じスペースで暮らすことが出来るパターン」と書かれていることがあるそうですが、そうではないと定義していました。同行避難は公の文書によく出てくるので、こちらの説明をしっかりしていました。
同行避難とは「ペットと共に移動を 伴う避難行動」(新しいガイドライン5ページ。同伴避難ついても書かれています)であり、その行動のことを指し、避難所でどのような状態になるかを指しているものではない、とのこと。

話の多くは、自分の立場(普通の飼い主)の人間が対象なので、「うんうん、分かっている」という内容が多く、特に書くこともありませんが、環境省のシンポジウムを聴いてから日も経っていなかったので、「受け入れる避難所や物資を提供する人たちも大変なんだよな~。だから平時からちゃんと考えておかないといけないんだよな」と、頷きながら聴いていました。

少々目新しかった内容として、(特に東日本大震災のときのことや、大島や三宅島の全島避難で)ペットを置いてきてしまったため、後から多くの費用や労力を必要とすることになったことが何度か話にでてきました。
同行避難を促進しないと結果として社会として大きなコストがかかる、ということがまだ知られていないんだろうなと思いながら聴いていました。

このシンポジウムの本題的な部分は、ペットの同行避難におけるトラブルをテーマにした「模擬調停」、ですが、川の氾濫によって数日間避難所で暮らさなければならなくなった飼い主同士のトラブルでした。
避難所に身を寄せると聞くと、数ヶ月から数年の避難生活を送るようなものを(私は)想像してしまいますが、数日間のケースもあるんだな、と改めて思ったものでした。
人もペットも不安になっているときです。イライラしたり、いつもと違う行動をしてしまうこともあるでしょう。そんな状況・状態でのトラブル。経験もないし話もあまり聞いたことがなかったので、「こんな感じなのかなぁ」と参考になりました。

ペットのトラブルは「裁判にするほどでもないけど...」の程度のものが多いとおもいますので、ADRとは相性がいいかも。

 

二つのシンポジウムを聴いて思ったこと・感じたこと。

昔は、行き当たりばったりの感じがあった避難所運営も、過去の記録も集まってきて、科学的な方法論が確立されてきたようです。
今までは、「避難所運営なんて何が起こるか分からないものだから大変そう」と思っていましたが、「(実物を見たことないので想像も出来ないけど)誰でも運営できる方法を(危機管理の専門家たちが)考えて、それを実践している(準備をはじめている)避難所があるんだな」ということは分かりました。
「よく分からないから大変そう」から「やり方を勉強すれば、みんな出来るかも」と考えが変わってきました。

二つのシンポジウム双方で課題とされていたことが、動物が苦手・嫌いな人、そうではないけど全く興味がない人などに、避難所におけるペットの扱いや、(避難所に限らず)ペットに関する支援をどのように情報発信してゆくか、が課題とのことです。
そのような方々への情報発信は、災害時のことに限らず、今まで以上に必要になってくるのではと感じているところです。

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2018年3月10日 (土)

ボブという名の猫

昨年(2017年)話題になった映画。DVDで観た。
有名な映画なので説明も、私の感想も必要ないとおもうけど、ここはブログなので書いておきます。

 

イギリスの実話。ノンフィクションの映画化。

主人公は長年、薬物中毒に苦しむ。福祉のお世話になり、少しずつ更正してゆくが、薬物の魔の手は彼を完全には手放さない。ストリート・ミュージシャンとして生きているが、雨露しのぐ家さえない。
更正への決意を見抜いた福祉の担当者が、彼に部屋の面倒みてあげる。部屋があっても、仕事がない。つまりお金がない。そんなとき、一匹の猫がやって来る。野良猫なのか飼い主がいるのかも分からない。飼い主を探すが見つからないので飼い主になる決心をする。飼い主探しをしているときに同じ建物に住む女性と知り合う。猫にボブという名前をつける。

街角で歌っても生活できるほどの収入は得られなかったが、ボブと一緒なら今までとは比べ物にならない収入が得られた。それを妬んでか嫌がらせをうけトラブルになり、公共の場での演奏を禁止されてしまう。
仕方なくビッグ・イシューの販売を始めるが、やはり妬まれてのトラブルになる。また、「その猫が欲しい」という女性と口論しているとき、ボブが消えてしまう。二晩くらい姿を消す。そんなとき、再び薬に手を出してしまいそうになるが踏みとどまる。
ボブが有名になり新聞にも取り上げられた。もちろんネットでも知られるようになってゆく。

最終的に、完全に薬と手を切ることができた。それまでは、メタドンという薬を常用することを義務付けられていたが、本人の申し出で断ち切ることになる。常用していても日常生活に問題はないが、完全に断ち切るための苦痛はヘロイン以上だという。
それもクリアし、さらに自伝を書かないかという話も入り、この話の原作になる。

 

以下、日本と違うなと感じところ。ちなみにこの映画の舞台はロンドン。

主人公の支えとなったのはボブだけでなく、同じ建物に暮らす女性も。その女性が居たからボブの飼い主になる決心をする。その女性は犬の散歩やさんのようだ。ビーガンでもあり、家畜の開放を訴えて路上でアピールしたりする(これが意味するところは多くの日本人には分からないとおもった)。彼女の最愛の兄は薬物常習者で亡くなっている。映画を見る限り、イギリスでは簡単にそして安価に薬物が手に入るようだ。だから薬物常習者は珍しくないようです。

また、ボブとバスに乗ったり、お店に入っても咎められることはない。ただし、ボブがリードをつけ始めたときに、あるお店に入ろうとしたとき、主人公はそれを止めた。許される店とそうでない店を、ほとんどの人は区別がつくらしい。
RSPCAやバタシーが有名ですが、生活が苦しい人たちのために、無料でペットの診療してくれる病院があるが、薬代は有料であることを知った。(これも多くの日本人は分からないと思いますが、日本とイギリスとでは動物病院に連れてゆくことのハードルが全然違うことを感じた。更に言えば、福祉の精神がしっかり根付いていることが日本との大きな違い。)


http://bobthecat.jp/
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9C%E3%83%96%E3%81%A8%E3%81%84%E3%81%86%E5%90%8D%E3%81%AE%E7%8C%AB_%E5%B9%B8%E3%81%9B%E3%81%AE%E3%83%8F%E3%82%A4%E3%82%BF%E3%83%83%E3%83%81
https://movies.yahoo.co.jp/movie/%E3%83%9C%E3%83%96%E3%81%A8%E3%81%84%E3%81%86%E5%90%8D%E3%81%AE%E7%8C%AB%E3%80%80%E5%B9%B8%E3%81%9B%E3%81%AE%E3%83%8F%E3%82%A4%E3%82%BF%E3%83%83%E3%83%81/360616/



メタドン → メサドン(最近、獣医さんと話をしていると出てくるケタミンも出てくる)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%82%B5%E3%83%89%E3%83%B3
映画とは全く関係ありませんが、こんな資料も出てきました。日本の薬の承認システムは
利用者のためになっているのかな。 http://www.ytakashi.net/contents/0.cancer/report07/070226methadon.pdf

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2018年1月29日 (月)

映画 猫が教えてくれたこと

今日は月曜日ですが女房が休みで、一緒に映画館に行きました。観た映画はタイトルのもの。
以下、映画の中のセリフや内容を書きます。ネタバレというヤツが含まれます。それらには私の記憶違いや誤解も含まれるかもしれないことご了承ください。

猫の街として知られるイスタンブールにおける、猫と人の物語を集めて紡いだような映画。
東京の地域猫活動に日々ご苦労されている方々には「誤解を招く!」と叱られてしまいそうな映画でもある。外を自由に歩き、飼い主がいるのかいないのか分らない猫たちと、その猫たちを世話をする人たち、救われる人たちの話。

トルコのイスタンブール。私は歴史も地理も苦手で、この地がどんな場所なのか長い間知らなかった。
私が、猫の問題を見聞きするようになって間もなく、この街が「世界で最も猫に優しい街」と耳に入ってきた。実際に行った猫好き人から「理想的な街。何故、日本ではできないのか」と迫られたことがある。そこで、この街のことを少しだけ調べた。簡単に言えば、アジアとヨーロッパの境目。地理的にも文化的にも。
映画の中にも、それを感じる映像がある。また、トルコには大きな港があり世界の多くの国々の船が寄った。それらの船には猫が乗っていて、この地に残った猫も多いとか。(出航だから船に戻っておいで、と伝えても戻って来ない猫はいるでしょうから。)

基本的に、猫好きの人の話を集めた話ですが、猫嫌いな人についての話も出てくる。やはり糞尿が問題になるらしい。今までのイスタンブールは土の場所があった。ここのところ(登場人物が生きている間のそう遠くない過去に)大規模な開発が始まっているという。話を聞いている市場のような場所も再開発が決まっていて(自分たちのことよりも)猫のことが心配だと言う。

何年も前になるが「何故、日本ではできないのか」と言われた私としては、日本以上の猫天国かと思って、この映画を観ていましたが、日本の何処かの街では在り得る光景ばかり。少なくとも私は見たことがある。(その場所が今もそのまま猫が暮らしているかはしらないが。)
映画なので、テーマにあった風景や人を探したのだろう。それを考えると、土の多い場所であれば、日本でも似たような場所を見たことはある。

以上、前置き。
タイトルは「猫が教えてくれたこと」。

比較的始めの方に「動物を愛せない人は、人間も愛せない」と語る人がいる。私もそう考える。だから動物愛護は社会として看過できない事柄なのだと考えている。

最後の方に餌やりおじさんが出てくる。自分の活動について語る。その間、何箇所かの猫たちに食べ物を与えた映像が流れる。さらにその後(まだまだ餌やり映像が続く)、猫に救われた話になる。
病気になり人と話も出来くなり、病院に行っても治ることなかった。そんなときに、猫と付き合うようになり、餌やりを少しずつ始めた。そして改善してゆき、人と会話できるようになり、人を愛することもできるようなった、と。

別の男性も猫で救われたという。
捨てられた乳飲みの猫の世話をしている映像から始まる。まとめて捨てられていたそうだ。そして猫との関わりの話になる。
自分の財産のほとんどを処分し、やっと手に入れた船を悪天候で失ってしまう。手に入れてから一週間で。もちろん生活に困る。途方にくれて海岸を歩いていると、病気か怪我でもしているように大きな声で鳴いている猫を見る。しかし相手をする余裕はない。一度は無視するが、いつまでも耳に入ってくる声。猫の近くに寄るとそこには財布が落ちていた。そのときどうしても必要だった金額、ちょうどその金額だけその財布には入っていた。(ネコババしたのか?、と思ったが、金額のことやその他詳細は語られない。)

その後、別の人の話になり、この人はもう終わりと思っていたら、最後の方に再登場。
「神は人に試練を与えるという。猫は神様の使いだとおもう。」と語る。その場面では現在の船の上。船は海の上を走っている。彼の腕の中には猫。船の中には、他にも猫がいる。犬も一頭。

イスタンブールは、宗教も境目的な位置にあると聞いたことがある。
映画中、ある男性が「昔、兄と猫のお葬式をやった。ある映画の十字架が格好良くて墓石の代わりに、枝で作った十字架を置いた。自分たちとしては全く宗教的な意味はなかったが、それを見た父が焦って私を宗教学校に入れた」と。

街中の飲食店やお菓子屋さん、魚屋さんなどで食べ物をもらっている猫たちもいた。
東京の街中だったら「不衛生だ!」とお店や保健所に苦情を言う人がいるだろう。この映画の中では、そのようにしてきている店が幾つも出てくる。それらのお店は賑わっている。

観ていて思ったというか感じたことは、やはり「宗教」の存在。

私の個人的な知識として「国は国民の身体・生命・財産を守らねばならない」というものがある。不衛生や泥棒猫は許してはならことなります。今、身体・生命・財産と書きましたが、ここには精神が含まれていません。それは身体に含まれるからだと考えています。宗教や宗教的といわれる事柄が、人の精神を救ってくれるのであれば、他の権利と秤にかける価値は充分にあるだろう。それは無宗教の国に産まれた無宗教の私だから「価値は充分にあるだろう」と感じるのであって、宗教が個々人に根付き、日々の生活を救ってくれている人が多い国の人にとっては「価値は当然ある」と感じているのかもしれない。
その意味では、日本人には難解というか、誤解する人もいるかも。

最後の方に、こんなことを言っていた人がいた。開発で街の姿が変わってゆくことを暗示される映像と共に。
街には猫の問題もあるが、人間の問題もある。街が変わってきているので仕方ない。それらは別々の問題ですが、きっと何処かで繋がっている。
冒頭の「動物を愛せない人は人間も愛せない」に通じるものを感じた。

この映画を観ている限り、猫から被害を受けている人がほとんどいないように感じてしまいましたが「本当のところどうなの?」と心配になった。「嫌いな人がいる」「野良猫はどんどん少なくなるだろう」「開発が進めば猫の居場所はなくなる」など、断片的な話が入ってくるので尚更だった。

映画としてはよく作られていた。映像や編集もいい。イメージも統一されている(地下の暗視カメラの映像は仕方ないとおもう。あれはあれで楽しかった。ただし、チーズらしきがぶら下がって見えたのは疑問を感じた)。

最後の最後になって話も大体まとまり、終わりを感じた頃「映像もよかったなぁ」と思っていたら、街を空から撮ったシーンになる(たぶんドローンで撮影)。大きな川(ボスポラス海峡?)には橋がありその前後に大きな船が行き交っている。道には車が動き続けている。ドローンのゆっくりとした動きと、それらののんびりと見える動きが印象的でもあり、誰にも止められない動きのようにも見えた。屋根の茶色と日の光の具合は夕方の始まりをイメージさせた。茶色の屋根がひしめく中、巨大で真新しいビルの存在感が大きい。

この映画は「イスタンブールが猫に優しい街」であることが過去になってしまこと、そして、猫だけでなく人も輝いて生きてゆける街が変わってしまうのではないかという憂慮が根底に流れている。それを裏付けるかのような映像は美しく、制作者としても価値あるものなのだろう。

Google検索 https://www.google.co.jp/search?q=%E7%8C%AB%E3%81%8C%E6%95%99%E3%81%88%E3%81%A6%E3%81%8F%E3%82%8C%E3%81%9F%E3%81%93%E3%81%A8

映画.com   http://eiga.com/movie/87608/
YAHOO!映画  https://movies.yahoo.co.jp/movie/%E7%8C%AB%E3%81%8C%E6%95%99%E3%81%88%E3%81%A6%E3%81%8F%E3%82%8C%E3%81%9F%E3%81%93%E3%81%A8/361611/
映画の時間 https://movie.jorudan.co.jp/cinema/34040/
シネマティデイ https://www.cinematoday.jp/movie/T0022332

 

メインテーマとあまり関係のないこと。自分の周囲の外猫さんたちとの違い。
映画中、餌やりさんがあげている食べ物の内、カリカリ率はたぶん50%にも満たないような気がした。手作りが目についた。お店のものをあげたりしていた。
そしてお腹がぼよ~んとしている猫もいなかったような気がする。

 

最後に。映画とは全く関係のないこと。
文中、ネコババとタイプしたら「猫糞」と出てきて吃驚。本を読む習慣がない私は、このように書くとは知りませんでした。気になってパソコンの辞書(広辞苑)で調べたら「(猫が脱糞後、脚で土砂をかけて糞を隠すからいう) 悪行を隠して知らん顔をすること。落し物などを拾ってそのまま自分のものにしてしまうこと。」とのこと。
ネコババという言葉を知ってから50年くらい。子供の頃、身近かに猫がいない環境だったため、糞を隠すことを知らなかった。
見たことのないことは知らないし、想像もできない。
そんなことはともかく、猫糞(ねこばば)と言われるくらい、猫はしっかり糞を隠す習性があるということですね。

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2018年1月10日 (水)

「動物愛護法」は本当に動物を守れている? 現行法が抱える問題点とは

https://petokoto.com/1433

上記、なかなか参考になる記事だと思ったので、自分の備忘録。そして、私の活動を理解してくださっている方々にも読んで、ご意見いただけたらと願います。

現在の法運用の限界のようなものを具体的にみることができる内容もあるし、将来についての方策が見えてくる内容もあります。

 

司会:細川先生

 

1 法律を運用する「現場」が抱える課題
 大熊伸悟さん(高崎市動物愛護センター職員)

不幸な犬や猫を減らしたいと考える人には、是非読んでいただきたい。
今までセンターがなかった場所にセンターが出来ること、そこに熱意ある方が就かれ、改革を進めてゆく。行政という大きな組織の中で、今までやっていなかったことを行うことがどれだけ大変であり、また、そこまでしなくても良いという選択肢がある中、茨の道を進むが如くの日々を選んでいます。

「あなたたちなんかは動物のことちっともわからないでしょ」と言われたりと悔しいおもいを抱き、さらに勉強も重ね、実情にあった指導が実ることになったのでしょう。

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例えば飼い主から電話で「うちの馬鹿犬は私の手を噛むんだ、散歩もしてあげてる、餌もあげてるのに噛むんだ、けしからん」といった話をされたときには、・・・・
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と書かれた前後を読むと並々ならぬ熱意を感じます。このレベルのことを、どこのセンターでもやっていただきたいものです。

今までも熱意ある職員さんが、保健所やセンターを変え、その地域を変えた例が幾つかあります。このような方が活躍できることを心から願っています。

記事の順序とは前後逆になりますが、業者を刑事告訴するまでのプロセスについて、ここまでネット上に書いてくださったことにも感謝しています。
法律があるのだから裁判にかけられるはず、と考える人が多いようですが、現場はこんな感じだし、地域によって絡み合う諸事情があることもあります。

これは、後述の「4 動物取扱業、登録制から許可制へ……?」も併せて読んでいただきたい。
都道府県(センターや保健所)の権限を強くしていただくことと、動愛法に何回か出てくる「環境省令で定める基準」を現場で物差しとして使えるものにしていただくことを願うばかりです。

 

2 劣悪なペットショップ 東京都の法律運用は?
 川崎亜希子さん(公益社団法人「日本動物福祉協会」栃木支部長)
 太田匡彦さん(朝日新聞記者)

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2年ほど前に東京都昭島市のペットショップで一つ事例があったので・・・・
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と、この事件についてのお話です。

この事件については、公ではお話し出来ない内容があるのではと思っています。
以前、この件についてのシンポジウムが近所で行われたので拝聴させていただいたことがありますが、そのときに公では話せないことがあることを感じさせる内容を目にしました。私が以前から抱いていた疑問に対する答えを見つけることができましたが、それば逆に大きな問題があることを突き付けられたような気持になり、正直なところショックでした。

そのことについてはここでは書けませんが、とても難しい問題であり、それをどうにかしない限り(業者の問題だけでなく、動愛法の運用全体が)大きな前進は難しいのではないかと危惧しています。

 

3 「8週齢」を条例で 札幌市の事例
 藤野真紀子さん(元衆議院議員)
 太田匡彦さん(朝日新聞記者)

業者に対して既に8週齢の規制をしておいて、飼い主を対象にしようとしたら「科学的知見はあるのか」との考えから、ちょっと待ったをかけようとした、ということですが、逆に環境省に、8週齢の規制を業者だけに行う「科学的知見はあるのか」と問いたくもなる。
これについては、以前議連の先生が「決めの問題である」と発言していたのを記憶していますが、環境省が客観的な「科学的知見」に拘るのか、「決め」を作り、悪質な(思慮深くない?)繁殖者(業者、飼い主、その他繁殖する者全て)に対して、繁殖行為について意識を高めてもらう方向で進めるのか、今後を見定めたいとおもいます。

業者でない人が(繁殖する必要も意思もなく)安易に繁殖することは倫理上も問題があるとおもうし、一般飼い主が繁殖するのであっても、せめて8週くらいまでは親元に置いてあげてほしいものです。

 

4 動物取扱業、登録制から許可制へ……?
 大熊伸悟さん(高崎市動物愛護センター職員)
 太田匡彦さん(朝日新聞記者)

冒頭の、1 法律を運用する「現場」が抱える課題 の解決策的内容。
法改正により、登録制から許可制にしたい、とありますが、その通りだとおもいます。以下、現場ではそのような場面に遭遇することがあるかとおもいます。
====
現状の法律では、それを運用する地方自治体の職員は布の服にこん棒みたいな状態で現場に行かなくてはいけないので・・・
====
現場職員の方々の熱意が報われる法律にしていただきたいです。

最後の方にある
====
繁殖用の犬猫を畜産動物にするということです
====
には、ギョっとしましたが、そのようなことが進んでいるという現状は記憶しておく必要がありそうです。そこまでして繁殖するメリットがまだまだあるということですから。

(参考)
http://www.ray-office.jp/authorization/%E8%A8%B1%E5%8F%AF%E5%88%B6%E3%80%81%E7%99%BB%E9%8C%B2%E5%88%B6%E3%80%81%E5%85%8D%E8%A8%B1%E5%88%B6%E3%80%81%E4%BD%95%E3%81%8C%E9%81%95%E3%81%86%E3%81%AE%EF%BC%9F/
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%8A%E5%87%BA%E5%88%B6

 
 
5 動物を守りたい――アニマルポリスの実現可能性は?
 大熊伸悟さん(高崎市動物愛護センター職員)
 川崎亜希子さん(公益社団法人「日本動物福祉協会」栃木支部長)

現場で起こっている問題が、公の場でここまでしっかり議論されるようになった現在、アニマルポリスの必要性は明らかだと感じています。
名称や組織の構成手法はこれから議論してゆくとして、まず、動愛法をしっかり守る必要性を国民に理解していただくことが必要だと考えています。広く理解されれば、職員の権限を強くするのは当然であり、職員の数も増え、しっかり監視・指導できるようになれば世の中、変わってくるとおもいます。また、センター内部に置くのではなく、指導・取り締まり等を仕事としてきた人を中心にした別組織になってもいいのではないでしょうか。

どのような形であれ、動愛法が理解され、人と身近な動物とが心穏やかに暮らすことが当たり前の世の中になることを祈っています。その世の中は、きっと人間同士も心穏やかに暮らすことができる世の中だと信じています。

 

※オマケ――虐待について

記事を読んでいて、この説明も必要なのでは?、と思ったことを書いておきます。
一言で「虐待」と言っても種類(?)があります。とても大まかな分け方を書いておきますので、考えていただけたらと願います。
また将来的に、法律やそれに付属する基準などで記載されることを願っています。

・ 積極的虐待と消極的虐待
「積極的虐待」は、猫を対象にしたものが多いです。惨いことをする。さらにその死体等を人目のつくところに遺棄したり、その行為をネットにアップしたりするので、他者への影響もあります。
「消極的虐待」は(時間的理由、経済的理由等で)手が回らない。つまり、ケージや部屋が劣悪な環境になったり、その他、健康面の最低限の配慮が出来なくなってしまう状況が続いてしまうことです。

・ 虐待を行うのが、「業者」なのか「個人」なのか
今回の記事でも8週齢規制を業者だけでなく飼い主にも、との内容がありましたが、(虐待に限らず)業者が行う場合と飼い主が行う場合では、違ってきます。
「業者」は消極的虐待になることが多いと思いますが、行政は業者を登録制にしていますから、把握、指導できる関係にあるはずです(それがしっかり出来ないのが現状で、このような議論がある訳ですが)。
「個人」は積極的虐待も飼育崩壊などの消極的虐待もありますが、行政は把握することも難しいです。そして現在の法律の運用では指導も(やることは出来ても従っていただくことは)難しいのが現状です。

現在、大括りに「虐待」と云いますが、最低限上記の分類を国民が意識できるような取り組みが必要なのではと感じています。

 

以上、自分の備忘録と私の活動に理解ある方々へのメッセージでした。
一年後には、どれだけ前進できるのか。来年の年明けに、これを読み返したいと考えています。

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2017年12月28日 (木)

(読書感想文)ネコロジー ノラ猫トイとその仲間たちの物語

「やさしいねこ」を読んでいたら、女房から「これもどう?」と薦められた本。ブックカバーで表紙は見えない。著者は、THE ALFEE の坂崎幸之助さん。
ページをめくると「2001年に書かれた」ものらしい。「だからなんなの?、とりあえす書いたのだろう」と思っていました。

読み始めていきなり、「ちょっと、、、」と言いたくなった。これはまずいんじゃないの?、と。

まず、外を自由に出歩く猫たちのお世話について書かれている。日々の餌やり、健康管理、そしてTNR。
TNRについては、最近書いた「(読書感想文)やさしいねこ」の真ん中辺りに書きましたので、そちらをご覧ください。簡単にいえば、そのような猫たちに避妊去勢手術をすることですが、その必要性・重要性を理解していただきたいので、そちらを読んでいただけると有難いです。

とてもいい活動だと思うのですが、あくまでも個人の活動が噛み合っているという感じ。情報共有も作業分担もしっかり出来ていると書かれていますが心配になってしまう。坂崎さんは、その人たちの目的意思の高さからか、その人たち(おばさんたち)を秘密結社と呼んでいる。それだけのしっかりした繋がりがあるのだろう。
しかし、例えば一人が病気などで活動できなくなったらどうなるんだろうという危うさを感じた。一人ならどうにかなりそうですが運悪く二人重なったら、などと揚げ足を取るようなことを考えて心配になってしまった。

何が言いたいかと云うと、これを地域猫活動と思われたら怖いなと。今(2017年)、お役所などから言われている地域猫活動の感覚とはかけ離れていて、この本の通りの活動をされてしまうと(地域猫活動が始まった、または始めようとしている地域では)トラブルになる可能性がありそうだと心配になってしまった。
しかし、「(読書感想文)やさしいねこ」の中でも以下のように書きました。このような意味で、多くの人に読んでいただけたらと思います。
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残念にも感じますが、完璧な理論展開をする必要もないとおもいます。私のブログのように(苦)、しっかり説明してしまうと読み手は疲れてしまい、踏み出すことを躊躇してしまう。
この本を読み、町中に暮らす猫がどういうものなのか、彼らに対して何をしてあげられるのか。そのようなことを考える入口になってくれる本だとおもう。さらにその先、行動に移すときは、他にも情報を集めてくれることでしょう。
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(読書感想文)やさしいねこ」の中でも書きましたが、この本にも糞尿対策のことが書かれていない。公園や緑道近くなど、場所によっては必要がないのかもしれない。それでも、「こういうことも必要です」と書いてもらえたらとおもったものでした。

 

少々解説を加えさせていただきます。
動物の愛護及び管理に関する法律というものが、1999年に大改正が行われ2000年に施行され、そこから日本の動物愛護は現在の方向に向かってきました。まだその動きが鈍かった2001年の著書とのことで、その時代背景が分かっている人には、「あぁ、あの頃ね」と分かるとおもいます。
この本の内容が現在のこと誤解し、この本以外に情報収集せずに動いてしまう人がいたら怖いな、と思った次第です。

冒頭に地域猫活動を誤解する人がいるのでは?、と感じた内容が書かれていたので驚きましたが、その後の内容はとてもいいです。
ちょっと難しいけど猫を飼うなら知っておいてほしいことを軽妙に解説してくれている有難い本です。気を付けなければならない病気のことをはじめ健康のこと、猫同士の関係、個体差などなど。

「やさしいねこ」が交響曲だとしたら、こちらはポップスの15曲入りアルバムという感じ。全体の流れはあるものの、一つ一つのテーマが独立している。一つ一つを聴き入る。気が付くと、あんな曲やこんな曲があったな、と。

これだけの内容を教科書的に書いた解説本があったとしても、多くの一般飼い主さんに読まれることはないでしょう。彼のネームバリューとこの軽快さで、幅の広い知識を身に着けてくれる人が多々いるとおもうと嬉しくなります。思わず「上手い、ざぶとん三枚!」と言いたくなりました。

 

私がこの本の一番好きな(共感した)ところは、本編とあとがきの最後のくだり。

本編の最後
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もし、うちに転がり込んでくる猫が1匹もいなくなったら、本当に楽になるだろうなあと思う。きっと寂しいだろうなあ、とも思う。でも、そうなることが、最終的な僕の夢だ。
そして、世の中にノラ猫が1匹もいなくなったときには、今度は自分で好きな猫を1匹だけ選んで、ちゃんとペットとして愛してみたいと思うのだ。
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あとがきの最後
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もちろんこういった一個人の考えには反発も同感もあるとは思います。でも、こんなこともあるし、こんなバカな人たちもいるんだなって……、それだけで、まっいいか。

偽善者ついでにもうひとつ、この本の印税は全てノラたちの避妊、去勢、エサ代にあてさせていただきます。ご了承ください。もちろん秘密結社へのカンパも !!

21世紀初めての夏、歴史的猛暑

THE ALFEE 坂崎幸之助
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どこにどう共感したかは書きません。単純に「そうそう」と思った、それだけです。

私にとって坂崎さんは、音楽活動でも注目しています。THE ALFEE の活動も素敵ですが、ラジオやYouTubeなどで、日本のポップスの解説をする姿をみて、有難いとおもうし、ほっとするものを感じます。

私も微力ながら、色々な人の犬猫関係の活動を紹介・説明してゆけたらと考えています。

 

この本とは関係ないことですが、TNRや地域猫活動についての説明を一つの記事にして、「詳しくはこちら」とした方がいいなと思うようになってきました。

次の記事はそれだな。時間、かかりそう (-_-;)

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