2018年1月29日 (月)

映画 猫が教えてくれたこと

今日は月曜日ですが女房が休みで、一緒に映画館に行きました。観た映画はタイトルのもの。
以下、映画の中のセリフや内容を書きます。ネタバレというヤツが含まれます。それらには私の記憶違いや誤解も含まれるかもしれないことご了承ください。

猫の街として知られるイスタンブールにおける、猫と人の物語を集めて紡いだような映画。
東京の地域猫活動に日々ご苦労されている方々には「誤解を招く!」と叱られてしまいそうな映画でもある。外を自由に歩き、飼い主がいるのかいないのか分らない猫たちと、その猫たちを世話をする人たち、救われる人たちの話。

トルコのイスタンブール。私は歴史も地理も苦手で、この地がどんな場所なのか長い間知らなかった。
私が、猫の問題を見聞きするようになって間もなく、この街が「世界で最も猫に優しい街」と耳に入ってきた。実際に行った猫好き人から「理想的な街。何故、日本ではできないのか」と迫られたことがある。そこで、この街のことを少しだけ調べた。簡単に言えば、アジアとヨーロッパの境目。地理的にも文化的にも。
映画の中にも、それを感じる映像がある。また、トルコには大きな港があり世界の多くの国々の船が寄った。それらの船には猫が乗っていて、この地に残った猫も多いとか。(出航だから船に戻っておいで、と伝えても戻って来ない猫はいるでしょうから。)

基本的に、猫好きの人の話を集めた話ですが、猫嫌いな人についての話も出てくる。やはり糞尿が問題になるらしい。今までのイスタンブールは土の場所があった。ここのところ(登場人物が生きている間のそう遠くない過去に)大規模な開発が始まっているという。話を聞いている市場のような場所も再開発が決まっていて(自分たちのことよりも)猫のことが心配だと言う。

何年も前になるが「何故、日本ではできないのか」と言われた私としては、日本以上の猫天国かと思って、この映画を観ていましたが、日本の何処かの街では在り得る光景ばかり。少なくとも私は見たことがある。(その場所が今もそのまま猫が暮らしているかはしらないが。)
映画なので、テーマにあった風景や人を探したのだろう。それを考えると、土の多い場所であれば、日本でも似たような場所を見たことはある。

以上、前置き。
タイトルは「猫が教えてくれたこと」。

比較的始めの方に「動物を愛せない人は、人間も愛せない」と語る人がいる。私もそう考える。だから動物愛護は社会として看過できない事柄なのだと考えている。

最後の方に餌やりおじさんが出てくる。自分の活動について語る。その間、何箇所かの猫たちに食べ物を与えた映像が流れる。さらにその後(まだまだ餌やり映像が続く)、猫に救われた話になる。
病気になり人と話も出来くなり、病院に行っても治ることなかった。そんなときに、猫と付き合うようになり、餌やりを少しずつ始めた。そして改善してゆき、人と会話できるようになり、人を愛することもできるようなった、と。

別の男性も猫で救われたという。
捨てられた乳飲みの猫の世話をしている映像から始まる。まとめて捨てられていたそうだ。そして猫との関わりの話になる。
自分の財産のほとんどを処分し、やっと手に入れた船を悪天候で失ってしまう。手に入れてから一週間で。もちろん生活に困る。途方にくれて海岸を歩いていると、病気か怪我でもしているように大きな声で鳴いている猫を見る。しかし相手をする余裕はない。一度は無視するが、いつまでも耳に入ってくる声。猫の近くに寄るとそこには財布が落ちていた。そのときどうしても必要だった金額、ちょうどその金額だけその財布には入っていた。(ネコババしたのか?、と思ったが、金額のことやその他詳細は語られない。)

その後、別の人の話になり、この人はもう終わりと思っていたら、最後の方に再登場。
「神は人に試練を与えるという。猫は神様の使いだとおもう。」と語る。その場面では現在の船の上。船は海の上を走っている。彼の腕の中には猫。船の中には、他にも猫がいる。犬も一頭。

イスタンブールは、宗教も境目的な位置にあると聞いたことがある。
映画中、ある男性が「昔、兄と猫のお葬式をやった。ある映画の十字架が格好良くて墓石の代わりに、枝で作った十字架を置いた。自分たちとしては全く宗教的な意味はなかったが、それを見た父が焦って私を宗教学校に入れた」と。

街中の飲食店やお菓子屋さん、魚屋さんなどで食べ物をもらっている猫たちもいた。
東京の街中だったら「不衛生だ!」とお店や保健所に苦情を言う人がいるだろう。この映画の中では、そのようにしてきている店が幾つも出てくる。それらのお店は賑わっている。

観ていて思ったというか感じたことは、やはり「宗教」の存在。

私の個人的な知識として「国は国民の身体・生命・財産を守らねばならない」というものがある。不衛生や泥棒猫は許してはならことなります。今、身体・生命・財産と書きましたが、ここには精神が含まれていません。それは身体に含まれるからだと考えています。宗教や宗教的といわれる事柄が、人の精神を救ってくれるのであれば、他の権利と秤にかける価値は充分にあるだろう。それは無宗教の国に産まれた無宗教の私だから「価値は充分にあるだろう」と感じるのであって、宗教が個々人に根付き、日々の生活を救ってくれている人が多い国の人にとっては「価値は当然ある」と感じているのかもしれない。
その意味では、日本人には難解というか、誤解する人もいるかも。

最後の方に、こんなことを言っていた人がいた。開発で街の姿が変わってゆくことを暗示される映像と共に。
街には猫の問題もあるが、人間の問題もある。街が変わってきているので仕方ない。それらは別々の問題ですが、きっと何処かで繋がっている。
冒頭の「動物を愛せない人は人間も愛せない」に通じるものを感じた。

この映画を観ている限り、猫から被害を受けている人がほとんどいないように感じてしまいましたが「本当のところどうなの?」と心配になった。「嫌いな人がいる」「野良猫はどんどん少なくなるだろう」「開発が進めば猫の居場所はなくなる」など、断片的な話が入ってくるので尚更だった。

映画としてはよく作られていた。映像や編集もいい。イメージも統一されている(地下の暗視カメラの映像は仕方ないとおもう。あれはあれで楽しかった。ただし、チーズらしきがぶら下がって見えたのは疑問を感じた)。

最後の最後になって話も大体まとまり、終わりを感じた頃「映像もよかったなぁ」と思っていたら、街を空から撮ったシーンになる(たぶんドローンで撮影)。大きな川(ボスポラス海峡?)には橋がありその前後に大きな船が行き交っている。道には車が動き続けている。ドローンのゆっくりとした動きと、それらののんびりと見える動きが印象的でもあり、誰にも止められない動きのようにも見えた。屋根の茶色と日の光の具合は夕方の始まりをイメージさせた。茶色の屋根がひしめく中、巨大で真新しいビルの存在感が大きい。

この映画は「イスタンブールが猫に優しい街」であることが過去になってしまこと、そして、猫だけでなく人も輝いて生きてゆける街が変わってしまうのではないかという憂慮が根底に流れている。それを裏付けるかのような映像は美しく、制作者としても価値あるものなのだろう。

Google検索 https://www.google.co.jp/search?q=%E7%8C%AB%E3%81%8C%E6%95%99%E3%81%88%E3%81%A6%E3%81%8F%E3%82%8C%E3%81%9F%E3%81%93%E3%81%A8

映画.com   http://eiga.com/movie/87608/
YAHOO!映画  https://movies.yahoo.co.jp/movie/%E7%8C%AB%E3%81%8C%E6%95%99%E3%81%88%E3%81%A6%E3%81%8F%E3%82%8C%E3%81%9F%E3%81%93%E3%81%A8/361611/
映画の時間 https://movie.jorudan.co.jp/cinema/34040/
シネマティデイ https://www.cinematoday.jp/movie/T0022332

 

メインテーマとあまり関係のないこと。自分の周囲の外猫さんたちとの違い。
映画中、餌やりさんがあげている食べ物の内、カリカリ率はたぶん50%にも満たないような気がした。手作りが目についた。お店のものをあげたりしていた。
そしてお腹がぼよ~んとしている猫もいなかったような気がする。

 

最後に。映画とは全く関係のないこと。
文中、ネコババとタイプしたら「猫糞」と出てきて吃驚。本を読む習慣がない私は、このように書くとは知りませんでした。気になってパソコンの辞書(広辞苑)で調べたら「(猫が脱糞後、脚で土砂をかけて糞を隠すからいう) 悪行を隠して知らん顔をすること。落し物などを拾ってそのまま自分のものにしてしまうこと。」とのこと。
ネコババという言葉を知ってから50年くらい。子供の頃、身近かに猫がいない環境だったため、糞を隠すことを知らなかった。
見たことのないことは知らないし、想像もできない。
そんなことはともかく、猫糞(ねこばば)と言われるくらい、猫はしっかり糞を隠す習性があるということですね。

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2018年1月10日 (水)

「動物愛護法」は本当に動物を守れている? 現行法が抱える問題点とは

https://petokoto.com/1433

上記、なかなか参考になる記事だと思ったので、自分の備忘録。そして、私の活動を理解してくださっている方々にも読んで、ご意見いただけたらと願います。

現在の法運用の限界のようなものを具体的にみることができる内容もあるし、将来についての方策が見えてくる内容もあります。

 

司会:細川先生

 

1 法律を運用する「現場」が抱える課題
 大熊伸悟さん(高崎市動物愛護センター職員)

不幸な犬や猫を減らしたいと考える人には、是非読んでいただきたい。
今までセンターがなかった場所にセンターが出来ること、そこに熱意ある方が就かれ、改革を進めてゆく。行政という大きな組織の中で、今までやっていなかったことを行うことがどれだけ大変であり、また、そこまでしなくても良いという選択肢がある中、茨の道を進むが如くの日々を選んでいます。

「あなたたちなんかは動物のことちっともわからないでしょ」と言われたりと悔しいおもいを抱き、さらに勉強も重ね、実情にあった指導が実ることになったのでしょう。

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例えば飼い主から電話で「うちの馬鹿犬は私の手を噛むんだ、散歩もしてあげてる、餌もあげてるのに噛むんだ、けしからん」といった話をされたときには、・・・・
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と書かれた前後を読むと並々ならぬ熱意を感じます。このレベルのことを、どこのセンターでもやっていただきたいものです。

今までも熱意ある職員さんが、保健所やセンターを変え、その地域を変えた例が幾つかあります。このような方が活躍できることを心から願っています。

記事の順序とは前後逆になりますが、業者を刑事告訴するまでのプロセスについて、ここまでネット上に書いてくださったことにも感謝しています。
法律があるのだから裁判にかけられるはず、と考える人が多いようですが、現場はこんな感じだし、地域によって絡み合う諸事情があることもあります。

これは、後述の「4 動物取扱業、登録制から許可制へ……?」も併せて読んでいただきたい。
都道府県(センターや保健所)の権限を強くしていただくことと、動愛法に何回か出てくる「環境省令で定める基準」を現場で物差しとして使えるものにしていただくことを願うばかりです。

 

2 劣悪なペットショップ 東京都の法律運用は?
 川崎亜希子さん(公益社団法人「日本動物福祉協会」栃木支部長)
 太田匡彦さん(朝日新聞記者)

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2年ほど前に東京都昭島市のペットショップで一つ事例があったので・・・・
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と、この事件についてのお話です。

この事件については、公ではお話し出来ない内容があるのではと思っています。
以前、この件についてのシンポジウムが近所で行われたので拝聴させていただいたことがありますが、そのときに公では話せないことがあることを感じさせる内容を目にしました。私が以前から抱いていた疑問に対する答えを見つけることができましたが、それば逆に大きな問題があることを突き付けられたような気持になり、正直なところショックでした。

そのことについてはここでは書けませんが、とても難しい問題であり、それをどうにかしない限り(業者の問題だけでなく、動愛法の運用全体が)大きな前進は難しいのではないかと危惧しています。

 

3 「8週齢」を条例で 札幌市の事例
 藤野真紀子さん(元衆議院議員)
 太田匡彦さん(朝日新聞記者)

業者に対して既に8週齢の規制をしておいて、飼い主を対象にしようとしたら「科学的知見はあるのか」との考えから、ちょっと待ったをかけようとした、ということですが、逆に環境省に、8週齢の規制を業者だけに行う「科学的知見はあるのか」と問いたくもなる。
これについては、以前議連の先生が「決めの問題である」と発言していたのを記憶していますが、環境省が客観的な「科学的知見」に拘るのか、「決め」を作り、悪質な(思慮深くない?)繁殖者(業者、飼い主、その他繁殖する者全て)に対して、繁殖行為について意識を高めてもらう方向で進めるのか、今後を見定めたいとおもいます。

業者でない人が(繁殖する必要も意思もなく)安易に繁殖することは倫理上も問題があるとおもうし、一般飼い主が繁殖するのであっても、せめて8週くらいまでは親元に置いてあげてほしいものです。

 

4 動物取扱業、登録制から許可制へ……?
 大熊伸悟さん(高崎市動物愛護センター職員)
 太田匡彦さん(朝日新聞記者)

冒頭の、1 法律を運用する「現場」が抱える課題 の解決策的内容。
法改正により、登録制から許可制にしたい、とありますが、その通りだとおもいます。以下、現場ではそのような場面に遭遇することがあるかとおもいます。
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現状の法律では、それを運用する地方自治体の職員は布の服にこん棒みたいな状態で現場に行かなくてはいけないので・・・
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現場職員の方々の熱意が報われる法律にしていただきたいです。

最後の方にある
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繁殖用の犬猫を畜産動物にするということです
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には、ギョっとしましたが、そのようなことが進んでいるという現状は記憶しておく必要がありそうです。そこまでして繁殖するメリットがまだまだあるということですから。

(参考)
http://www.ray-office.jp/authorization/%E8%A8%B1%E5%8F%AF%E5%88%B6%E3%80%81%E7%99%BB%E9%8C%B2%E5%88%B6%E3%80%81%E5%85%8D%E8%A8%B1%E5%88%B6%E3%80%81%E4%BD%95%E3%81%8C%E9%81%95%E3%81%86%E3%81%AE%EF%BC%9F/
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%8A%E5%87%BA%E5%88%B6

 
 
5 動物を守りたい――アニマルポリスの実現可能性は?
 大熊伸悟さん(高崎市動物愛護センター職員)
 川崎亜希子さん(公益社団法人「日本動物福祉協会」栃木支部長)

現場で起こっている問題が、公の場でここまでしっかり議論されるようになった現在、アニマルポリスの必要性は明らかだと感じています。
名称や組織の構成手法はこれから議論してゆくとして、まず、動愛法をしっかり守る必要性を国民に理解していただくことが必要だと考えています。広く理解されれば、職員の権限を強くするのは当然であり、職員の数も増え、しっかり監視・指導できるようになれば世の中、変わってくるとおもいます。また、センター内部に置くのではなく、指導・取り締まり等を仕事としてきた人を中心にした別組織になってもいいのではないでしょうか。

どのような形であれ、動愛法が理解され、人と身近な動物とが心穏やかに暮らすことが当たり前の世の中になることを祈っています。その世の中は、きっと人間同士も心穏やかに暮らすことができる世の中だと信じています。

 

※オマケ――虐待について

記事を読んでいて、この説明も必要なのでは?、と思ったことを書いておきます。
一言で「虐待」と言っても種類(?)があります。とても大まかな分け方を書いておきますので、考えていただけたらと願います。
また将来的に、法律やそれに付属する基準などで記載されることを願っています。

・ 積極的虐待と消極的虐待
「積極的虐待」は、猫を対象にしたものが多いです。惨いことをする。さらにその死体等を人目のつくところに遺棄したり、その行為をネットにアップしたりするので、他者への影響もあります。
「消極的虐待」は(時間的理由、経済的理由等で)手が回らない。つまり、ケージや部屋が劣悪な環境になったり、その他、健康面の最低限の配慮が出来なくなってしまう状況が続いてしまうことです。

・ 虐待を行うのが、「業者」なのか「個人」なのか
今回の記事でも8週齢規制を業者だけでなく飼い主にも、との内容がありましたが、(虐待に限らず)業者が行う場合と飼い主が行う場合では、違ってきます。
「業者」は消極的虐待になることが多いと思いますが、行政は業者を登録制にしていますから、把握、指導できる関係にあるはずです(それがしっかり出来ないのが現状で、このような議論がある訳ですが)。
「個人」は積極的虐待も飼育崩壊などの消極的虐待もありますが、行政は把握することも難しいです。そして現在の法律の運用では指導も(やることは出来ても従っていただくことは)難しいのが現状です。

現在、大括りに「虐待」と云いますが、最低限上記の分類を国民が意識できるような取り組みが必要なのではと感じています。

 

以上、自分の備忘録と私の活動に理解ある方々へのメッセージでした。
一年後には、どれだけ前進できるのか。来年の年明けに、これを読み返したいと考えています。

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2017年12月28日 (木)

(読書感想文)ネコロジー ノラ猫トイとその仲間たちの物語

「やさしいねこ」を読んでいたら、女房から「これもどう?」と薦められた本。ブックカバーで表紙は見えない。著者は、THE ALFEE の坂崎幸之助さん。
ページをめくると「2001年に書かれた」ものらしい。「だからなんなの?、とりあえす書いたのだろう」と思っていました。

読み始めていきなり、「ちょっと、、、」と言いたくなった。これはまずいんじゃないの?、と。

まず、外を自由に出歩く猫たちのお世話について書かれている。日々の餌やり、健康管理、そしてTNR。
TNRについては、最近書いた「(読書感想文)やさしいねこ」の真ん中辺りに書きましたので、そちらをご覧ください。簡単にいえば、そのような猫たちに避妊去勢手術をすることですが、その必要性・重要性を理解していただきたいので、そちらを読んでいただけると有難いです。

とてもいい活動だと思うのですが、あくまでも個人の活動が噛み合っているという感じ。情報共有も作業分担もしっかり出来ていると書かれていますが心配になってしまう。坂崎さんは、その人たちの目的意思の高さからか、その人たち(おばさんたち)を秘密結社と呼んでいる。それだけのしっかりした繋がりがあるのだろう。
しかし、例えば一人が病気などで活動できなくなったらどうなるんだろうという危うさを感じた。一人ならどうにかなりそうですが運悪く二人重なったら、などと揚げ足を取るようなことを考えて心配になってしまった。

何が言いたいかと云うと、これを地域猫活動と思われたら怖いなと。今(2017年)、お役所などから言われている地域猫活動の感覚とはかけ離れていて、この本の通りの活動をされてしまうと(地域猫活動が始まった、または始めようとしている地域では)トラブルになる可能性がありそうだと心配になってしまった。
しかし、「(読書感想文)やさしいねこ」の中でも以下のように書きました。このような意味で、多くの人に読んでいただけたらと思います。
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残念にも感じますが、完璧な理論展開をする必要もないとおもいます。私のブログのように(苦)、しっかり説明してしまうと読み手は疲れてしまい、踏み出すことを躊躇してしまう。
この本を読み、町中に暮らす猫がどういうものなのか、彼らに対して何をしてあげられるのか。そのようなことを考える入口になってくれる本だとおもう。さらにその先、行動に移すときは、他にも情報を集めてくれることでしょう。
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(読書感想文)やさしいねこ」の中でも書きましたが、この本にも糞尿対策のことが書かれていない。公園や緑道近くなど、場所によっては必要がないのかもしれない。それでも、「こういうことも必要です」と書いてもらえたらとおもったものでした。

 

少々解説を加えさせていただきます。
動物の愛護及び管理に関する法律というものが、1999年に大改正が行われ2000年に施行され、そこから日本の動物愛護は現在の方向に向かってきました。まだその動きが鈍かった2001年の著書とのことで、その時代背景が分かっている人には、「あぁ、あの頃ね」と分かるとおもいます。
この本の内容が現在のこと誤解し、この本以外に情報収集せずに動いてしまう人がいたら怖いな、と思った次第です。

冒頭に地域猫活動を誤解する人がいるのでは?、と感じた内容が書かれていたので驚きましたが、その後の内容はとてもいいです。
ちょっと難しいけど猫を飼うなら知っておいてほしいことを軽妙に解説してくれている有難い本です。気を付けなければならない病気のことをはじめ健康のこと、猫同士の関係、個体差などなど。

「やさしいねこ」が交響曲だとしたら、こちらはポップスの15曲入りアルバムという感じ。全体の流れはあるものの、一つ一つのテーマが独立している。一つ一つを聴き入る。気が付くと、あんな曲やこんな曲があったな、と。

これだけの内容を教科書的に書いた解説本があったとしても、多くの一般飼い主さんに読まれることはないでしょう。彼のネームバリューとこの軽快さで、幅の広い知識を身に着けてくれる人が多々いるとおもうと嬉しくなります。思わず「上手い、ざぶとん三枚!」と言いたくなりました。

 

私がこの本の一番好きな(共感した)ところは、本編とあとがきの最後のくだり。

本編の最後
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もし、うちに転がり込んでくる猫が1匹もいなくなったら、本当に楽になるだろうなあと思う。きっと寂しいだろうなあ、とも思う。でも、そうなることが、最終的な僕の夢だ。
そして、世の中にノラ猫が1匹もいなくなったときには、今度は自分で好きな猫を1匹だけ選んで、ちゃんとペットとして愛してみたいと思うのだ。
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あとがきの最後
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もちろんこういった一個人の考えには反発も同感もあるとは思います。でも、こんなこともあるし、こんなバカな人たちもいるんだなって……、それだけで、まっいいか。

偽善者ついでにもうひとつ、この本の印税は全てノラたちの避妊、去勢、エサ代にあてさせていただきます。ご了承ください。もちろん秘密結社へのカンパも !!

21世紀初めての夏、歴史的猛暑

THE ALFEE 坂崎幸之助
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どこにどう共感したかは書きません。単純に「そうそう」と思った、それだけです。

私にとって坂崎さんは、音楽活動でも注目しています。THE ALFEE の活動も素敵ですが、ラジオやYouTubeなどで、日本のポップスの解説をする姿をみて、有難いとおもうし、ほっとするものを感じます。

私も微力ながら、色々な人の犬猫関係の活動を紹介・説明してゆけたらと考えています。

 

この本とは関係ないことですが、TNRや地域猫活動についての説明を一つの記事にして、「詳しくはこちら」とした方がいいなと思うようになってきました。

次の記事はそれだな。時間、かかりそう (-_-;)

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2017年12月 7日 (木)

(読書感想文)やさしいねこ

20171205a2017年10月30日、この本を扱った写真展に行ってきた。場所は祖師ヶ谷大蔵。活気のある商店街が羨ましい。美味しそうな飲食店も多い。駅近くにあるドーナツ屋さんは時々利用している。

その写真展でこの本を購入。著者は、太田康介さんという人。カメラマンである。カメラマンが自分の猫を撮り、文章も書いている。

ここを読みに来る人の中には、太田さんを知らない人もいるだろうから、簡単に説明しておく。
元は戦場カメラマンらしい。東日本大震災以後は、福島に残された動物たちを撮ったり、その動物たちに関わる活動をしている。

イベントなどで何度がお会いしたことがあるですが、そのようなときはファン(?)のような方々に囲まれて近寄り難い雰囲気。ご本人の雰囲気がではなく、人だかりが苦手な私は、人がワラワラいるの所には近寄り難い。

私の印象は、まず「体が大きい」「力ありそう」「喧嘩強そう」。そして「優しそう」。他人からの伝え聞きからは「いつもお金なさそう」。

 

20171205b何故、こんなことを書くのか。
猫の写真集であれば、写真家の人柄など関係なく写真の感想を書けばいい。しかし、この本には文章がついている。それもそこそこの量があり、その内容が、猫(個体だったり猫全般だったり)についての説明だったり、野良猫に向けての気持ちだったり説明だったり、時には感情だったり。

カメラマンの写真なのに、「どうだ!」と言わんばかりのものがない。淡々としているという感じ。そこに文章がついている。実は、写真のための文章ではなく、文章のための写真なのだ。
それに気付いたとき驚いた。カメラマンが写真を見せるのではなく、自分の飼い猫になった「ぽー」さんを知ってほしい、そして、野良猫のことを知ってほしいという気持ちからこの本を出している。

読んだ感想は一言では言えない。一言で言えというなら「複雑」。
私は、自分の考えを発表するような著書が大嫌いだ。そのような本のほとんどが「それではダメでしょう。そんなことやっていたらいたら、いつか猫が可哀相な目に遭う。そのとき、あなたは解決できないのでは?」と感じてしまう内容が含まれているから。
しかし、太田さんが書いているとそう感じないのだ(たぶん、太田さんだけではなく太田ご夫妻だからだとおもいます)。この人ならきっと解決できるおもう。解決できなくても、出来る限りのことを行い、それは誰もが理解できることだろうとおもってしまう。

ちなみに、帯は糸井重里さんが書いている(上の写真)。
「ぽーという猫がいた。/それだけで、うれしくなる」となっている。

ぽーさんも興味深い猫ですが、太田さんの感じ方や行動も興味深いし、この本を読んで行動を起こす人もいるのではないかと思います。

外を自由に歩いている飼い主のいない猫についての理解を深めたい人は、是非読んでみていただきたい。
また、自分は猫が嫌いで、猫好きな人のことを理解できない人にも読んでほしい。猫に対してここまでの気持ちと行動力がある人がいることを知ってほしい。太田さんほど行動している人は少ないかもしれませんが、猫に対してこのような感じ方、考え方をしている人が少なからず存在することを知っておいてほしい。

 

ただ、いいのかな?、と感じた内容もあった。
個人的なTNRの内容があり、それを勧めているように読む人もいるかもしれない。

TNRとは、捕獲機(Trap)で安全に捕まえて、避妊去勢手術をして(Neuter)、元の場所に戻す(Retuern)こと。
野良猫を捕まえて・避妊去勢手術をし・元居た場所に戻す。つまり、野良猫に避妊去勢手術をするだけ。

何故、こんなことをするのか。もちろん、猫を増やさないため。

猫は繁殖力旺盛で自然に任せておけば(病気や事故で死ななければ)、猫1カップルが二年で80匹以上になる計算になります。
増えてハッピーならいいのですが、猫が嫌いな人もいれば、何かしらの被害を受ける人もいる。なので、「とにかく猫がいなくなればいい!」という人もいるのです。

猫を殺す訳にはいかないし、前述の数の野良猫全てを飼い猫にするのも非現実的なので、現実的な対策の一つとして、このTNRがある。

しかし、TNRをしただけでは迷惑行為対策にはなりません。
対策として、猫を管理し、食べ物や排泄のお世話もし、健康管理や環境衛生も考慮して、周囲に迷惑をかけないようにしてゆこうというのが「地域猫活動」です。

個人的なTNR活動は、地域猫活動によからぬ影響を及ぼすことがあります。地域猫活動は、地域の人たちで行う活動なのでコミュニケーションがとれていないとなりません。個人でTNRをやっている人の中には、地域の人たちとのコミュニケーションをとらず、他の人からの助言や注意に全く耳を傾むけない人もいるそうです。このような人たちの中に、猫がいることによる迷惑行為を助長させている人もいると聞きます。
この本では、そのような説明がない。また、最も猫が嫌われる原因の一つである糞尿対策のことも書かれていない。

残念にも感じますが、完璧な理論展開をする必要もないとおもいます。私のブログのように(苦)、しっかり説明してしまうと読み手は疲れてしまい、踏み出すことを躊躇してしまう。
この本を読み、町中に暮らす猫がどういうものなのか、彼らに対して何をしてあげられるのか。そのようなことを考える入口になってくれる本だとおもう。さらにその先、行動に移すときは、他にも情報を集めてくれることでしょう。

 

20171205c一般人が入れない福島の特殊な地域に通って活動するくらいのプロカメラマンが、町中の猫をことを伝えるために選んだ写真を使って、町中の猫のことをちょっと考えてほしいと作った本だと、私は感じました(もちろん、親ばか部分も多々ありますが)。
(右のポストカードは、写真展会場で本を購入した人の特典。天使になったぽーさんの幸せそうな雰囲気が印象的。ちょっと不幸そうなおばまの顔が対照的。)

誰でも入ることが出来る入口つくりは簡単なようで簡単ではありません。多様な考え方を認める現在において、とても難しいことだとおもいます。それにチャレンジした一冊だとおもいます。

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ぽーさんは、猫神様から、「人間たちに猫のことをもっと理解させるように」との使命を受けてやってきたのかも、とおもったりもしました。そして太田さんは、「俺はやるから」とぽーさんを通して猫神様に約束したのだと想像しています。

とても個人的なことですが、ぽーさんはどことなくおばまに似ているような気がします。
他の猫と上手くやっていけないところ。でも、弱い猫、弱っている猫には優しいところ。ごはんを持ってゆくと「しゃー」と言ってみたいするところ。体格も似た感じ。あ、尻尾の先がたぬきっぽいところも。

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2017年11月27日 (月)

猫ドアをつけてみて

前回は猫ドアを付ける作業について書きました。
今回は、取り付けに際して、高さや裏表など悩んだこと、そして、使ってくれるのだろうかと悩みながら猫ドアをつけてみて、感じたことを書いておきます。

 

高さ

前回書いたように、背線よりも少し高い位置をドア部の上辺の高さにして正解だったと思いました。
くぼみが片側にだけ来る構造なので、くぼんでいる側から入ろうとすると、穴に頭を突っ込むような感じになります。そのような時に、猫は頭を高いままにしないと思うので、この高さで良かったと思っています。

 

裏表(くぼみをどちらにするか)

これにより外気(冬なら冷気)が出来るだけ入って来ないようにと考えましたが、これはあまり関係ないようです。

くぼみをどちら側にするかは、猫がより行きたい方向にくぼみがない面を設置し、猫ドアに慣れてもらうのが良さそうです。
我が家の場合、くぼみは部屋側、廊下側は(人間の)ドアと猫ドアに段差がないように取り付けました。部屋から出るのが怖くて、すぐに戻りたいおばまの場合、これが良かったみたいです。

おばまのように何事にも慎重な猫は、狭い所に頭を入れることをしたがりません。なので部屋から出る方向では、なかなか使ってくれませんでした。
逆側(廊下側)からは、10日もかかりましたが使ってくれました。理由はくぼみがなかったことと、「とにかく部屋に戻りたい」という気持ちからだとおもいます。
それから数日で、部屋から出るときも使ってくれるようになりましたが、恐々という感じで、あまり出てこないし、出てきてもすぐに戻ろうとしてしまいます。

使ってくれるようになるまで、女房は日々苦労していました。まず、手でドアを手前に開けて抑え、こちら側に美味しいお刺身を置く、などしてどうにか通ってもらうようにしました。それを繰り返した後、(ドアは手で開けずに)ドアの向こうにお刺身を置き、それが見えれば(たぶん匂いが届けば)、どうにか出て来てくれるようになりました。

 

大きさ

私は今でも「シャー」と言われてしまうので、トレーニングに参加しませんでした。
やっとおばまが自力で出入りする姿もあまり見る機会はありません。私を見ると部屋から出てこないし、廊下にいればすぐに帰ろうとするから。

なので、出てくるところを見たのは2~3回だけですが、印象は「おばまには小さかったかも」。でも使ってくれているので結果オーライです。
ドア部分(開閉部)は、約15センチ四方

大き目、太目、慎重な猫の場合、ちょっと狭いかなと思います。
しかし、大きさを理由に使わなかった猫はほとんどいないようです。

 

まとめ

ドアに穴を開けるのは一大決心が必要です。梁のようなものがどのようなものか分からないと不安も大きいです。我が家の場合、処理が簡単なものだったので、全体的に難しいことはなく出来ました。


商品を手にしたら、設置する高さ くぼみ(表裏)をどちらにするか、悩むかもしれませんが、私なりの結論は上記です。

猫に気持ちよく使ってもらうには、大きさも考慮する必要があるかもしれませんが、大きいと外気が入ってくるのでは、と気になったこともありました。

我が家の場合、「使ってくれるか」が一番の問題でしたが、どうにかクリアしてくれました。
猫ドアを使ってくれるようになってから、部屋からあまり出て来なくなり、出て来てもすぐに部屋に戻ってしまいます。
それまでは、おばまが外に出る時間帯は、(人間の)ドアを開け放していました(廊下が寒い家なので部屋が冷えてしまいます)。
ドアを開け放してあげた方が安心するみたいで、今でもドアを開け放すと、以前のように出てきます。

色々と悩むことはありましたが、「使ってくれないかも」と考えると、価格の安いものになり、この商品になりました。この商品で機能的に問題と感じる個所は全くありませんので、これで充分だとおもいます。

とにかく、使ってくれるようになって何よりです。

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2017年11月26日 (日)

猫ドアをつけてみた

おばまのために猫ドアをつけた。何年も前から(まいすの時から)考えていたことですが、やっと実行。

何を躊躇っていたかと言うと、ドアに穴が綺麗に開けられるか。ドアの中には梁のような強度を保つためのものが入っているだろうから、それをしっかり切ることができるかが不安でした。

商品は、右下のもの。
この商品に決めたのは、両側から出入りできることと、開きっぱなしならないようにマグネットが着いていることと、何よりも価格。この価格は嬉しい。


商品が届き、中を確認すると、猫ドア本体(表側と裏側)、説明書、ネジなど。ネジなどの写真は撮り忘れましたが、使う時(最後の方)に撮りましたので、最後まで読んでくだされば見ることができます。

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説明書は、ドアに穴を開けるときの型紙にもなっていますが、説明書を切ってしまうのは不安なので、自分で型紙を作り直しました。
上の写真をみていただければ分かると思いますが、表側と裏側では、開けるべき穴の大きさが微妙に違います。説明書の型紙は大きい方サイズになっているし、一枚しかないので作業し難いのではと考え、実物に合わせて作り直しました。

自分で作った型紙をドアをに貼り、その外側に鉛筆で線をひいた。貼り付けたままにすると、作業の邪魔になりそうなので剥がした。
ちなみに、まず小さい方の穴を開けることにした。

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この時、高さに悩みました。おばまが立っている時の頭の天辺辺りをドアの上辺にしようと考えたのですが、猫がこのようなものをくぐるときは、背線と首や頭は一直線になるので、体高に少し加えたくらいの高さがいいだろうと考え、この高さになりました。

もう一つ悩んだことがあります。この商品のドア部分は、穴の片側に寄っています。片側は(人間の)ドアの面に猫ドア面があり、逆側は(ドアの厚さ分の)くぼみの先にドアが来ることになります。
どちらを部屋の内側にするか悩みましたが、ネットで聴いてみたところ、「どちらでもいいのでは?」という声が多かったので、部屋側にくぼみがありようにしました。理由は、こうすることによって外からの冷気が少しだけ入り難いかなと思ったから。

穴を開けるのは電動ドリル。我が家には木工関係のものは結構揃っている。ドリルはちょっと本格的なものがある。ビット(先に付けるもの)は簡単なものでいいだろうと、下左の写真のセットの一番太いものを利用。
少しやってみると、向こう側の板も穴を開けてしまうので、下右の写真のようなつっかえ棒のようなものを付ける。

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ドアの板はツルツルなので撥ねてしまうが正確さは必要ないとおもうので、とりあえず、隅に穴を開け、そこから太いカッターで切れるだろうと考えた。
しかし、私の背後で「それじゃ、いかん」というおばま様の視線を感じた。

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ばまちゃんの視線は別にして、中にあるだろう梁のようなものが気になるし、所々進まなくなる。
ネットに「引回し鋸」を使うといいと書いてあったので、探し出して使う。

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進まないでもないが、所々進まなくなる。縦一辺だけでも結構時間がかかってしまった。こんなことなら、ドリルでどんどん穴を開けた方がいいだろうということになった。

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この方法の方が早いのですが、ドリルが撥ねてしまう。このドリルは強さが調節出来たことを思い出して、弱めにしたらほとんど撥ねなくなった。
そしてどんどん穴を開け、引回し鋸で一気に繋げていった。

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あとは一気に、バリっと剥がせるだろうとおもったらビクともしない。
仕方ないので、とりあえず上2センチくらいの所を水平に穴開け&穴繋ぎしてみた。

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ついに梁のようなものが見えた!、なんど段ボール(紙)でした。
だいたいの構造が分かったので、穴をいっぱい開けて板を割ってゆく作戦にした。すると苦労することなく板が剥がれていった。

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段ボールは、カッターで切ってゆく。少々面倒ではあるが地道に作業は進む。
仕上げは、嵌めこむ現物をあてて、鉛筆で線を引き、カッターや引回し鋸で仕上げてゆく。ほんの少し削るのはちょっと面倒でしたが、焦らず少しずつやりました。

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次は向こう側の板。こちら側の板を切った部分をガイドに鉛筆で線を引き、ドリルで穴を開けて、その後、カッターや引回し鋸で切ってゆきました。
反対側からドリルを使うので、裏の表面側がバリバリになってしまいます。
反対側は穴を大きく開けなければならなないのは分かっていましたが、ズレるのが怖かったので、この方法で。穴を大きくすることでバリバリも取れるだろうから、いいかも。

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とりあえず穴を開けた時の写真(下左)。バリバリがバリバリです(笑)
ばまちゃんも心配そうに見ています(うるさくて嫌だったとおもいます)。

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この時点で商品を嵌めてみる。
廊下側(穴を大きく開けなければいけない側・下写真右)の向かって左側が膨らんでいるのが分かります。穴が小さいからです。左側にバリバリも少しはみ出しています。
よくよく見てみたら、この写真、仕上がり予定と裏表逆に取り付けています。くぼみ面が廊下側になっています。広めの穴を開けなければいなけい側(廊下側)に小さい枠を入れても膨らんでいます。これは、穴がずれていたからだと思います。とにかく、この後、ちまちま調整しました。

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廊下側のバリバリ取りを兼ねて、商品の大きさに合うように穴を広げてゆきます。それでもバリバリは残りましたが枠の中に納まる程度(下写真右)。

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これに商品を嵌め込む。これだけガジガジなので、ネジ止めしなくても動きそうにありませんでしたが、万が一取れてしまったら、ばまちゃんはとてもビックリして、二度と使ってくれなくなるだろうからしっかり留めることに。それ以前に一度でも使ってくれるか心配でした。

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この時点で、ばまちゃんも私の努力を理解してくれた様子。それともこれから起こるだろう何かを恐れているのだろうか。なんか神妙な面持ち。
ネジですが、下右写真の長いもの(写真内左)が商品付属のものです。一本しかないものは、家にあったもので、これを取り付けに使い残りを写真に撮りました。

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とりあえず、猫ドアを付けることができました。問題は、ばまちゃんが使ってくれるか。
今はどうにか使ってくれるようになりましたが、そうなるまでに女房がとても苦労しました。
取り付けたのは、11月9日。初めて外から部屋の中に入ったのが、19日。初めて部屋から外に出たのが22日。

今では、本人が出入りしたいと思ったときは使えるようですが、そう思うことがほとんどない彼なので、一日に何度も使いません。

次回、付けてみて感じたことを書きたいと思います。

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2017年11月 9日 (木)

動物虐待事件におもうこと(6.日本の文化)

前回で終わらすと書きながら、続いてしまいました。
今回の分は書かないつもりでしたが、前回分の調べ物辺りから、「自分の認識はちょっと違っていたかも」と思うようになり、更に調べて、そこから書いておいた方が良さそうなことを書いておきます。

書きたいことは、「動物(特に猫)虐待はしっかり取り締まらないと(動物愛護と関係なしに)、国として問題なのでは」ということ。
 

ちょっと、お断り。
私は「犬との幸せな生活」を皆さんに知ってもらいたいと考えています。今、日本に流れている情報だけでは、残念な結果になることが多々ありますので、足りない部分を捕捉しようと考えています。
逆に、身近な動物と接することから生じる暗い部分は、避けて通りたい人間です。動物虐待については特に避けていますので、あまり知りません。周りの人たちは、虐待動画を見たことがある人が多いですが、私は見たことがありません。動物虐待については全く詳しくありません。

しかし、動物虐待がなくなってほしい気持ちはあります。惨いことをされる動物がいなくなってほしいし、動物虐待しなければならない人間もいなくなってほしいと願っています。

株価がバブルの頃よりも高くなったとか言っているようですが、庶民の生活は不安だらけです。そんな世の中だから、動物虐待に向かってしまうのかと考えたりします。日々の生活が充実していれば、わざわざお金や時間を使って、そんなことはしないでしょうから。

とにかく動物虐待がなくなってほしいのです。それには「動物虐待はいけないことなんだ」と広く伝えなければならないものですが、今の日本にはそのようにおもっていない人も多々いるようです。
法律で取り締ることになっても、想像していたほどは取り締まりが行われません。それは取り締まる人たちの多くもそのように考えているのでは、と思わざるを得ないのが現状です。

現場の人は上からのお達しで動いていますから、上の方の人たちに納得していただくには、1~5の中に何度か出てきた「二つの意見書」が出されるのが基本的な方向性だと思いますが、今回動物虐待のことを調べていて、以下のようにも考えました。

 

幾つかの虐待事件の経過(逮捕されたか、起訴されたかなど)を調べ始めたら、各事件について語っているブログなども読みました。そこから大手掲示板などで盛んに話がされていることも知りました。そのような場所では、動画をアップし、やり方について使う道具からコツまで話し合っています。もちろん、起こったこと(猫がもがき苦しむ姿など)についても。
隠語も数多く、その意味を知ると頭がおかしくなりそうなものもありました。凄惨な虐待は珍しいことではなく、猫に対する凄惨な虐待を楽しげに興味深く語り合っていて、幾つかの定番の虐待方法があるのですが、それを行うとどのようにもがき苦しみ死んでゆくか。またはどのような後遺症や苦痛をもちながら生きているのかを語り合っているのです。そのような掲示板を見つけることは、それほど難しいことではないことも分かりました。

また、虐待を行う人間の分類、社会がどうみているか、批判された場合にどのようjに反論すればいいのかなどが、既に出来上がっていることが分かりました。
「害獣を駆除する目的」はそこでの常套句でした。既に刑を軽くする方法さえも広まっているのです。

このように少し調べただけで、動物(ほとんどが猫)虐待が日本のアンダーグランド文化になっていたことが分かりました。

これらはネット上の話です。昔のようにインターネット(特に動画の投稿)がなかったら、このような場はなく、猫に八つ当たりしたくても方法が分からず反撃にあったことでしょう。(そう考えると、スマホの普及が動物虐待に拍車をかけたのかも。その他の犯罪も、出会い系のSNSやLINEなどでやりとりして犯罪に繋がることが多々あるようですが、それらと似ているかも。)
また、猫から人間の子供へ、についても「なんとなく分かる」ようになりました。何回もやっていれば、次の段階へ進みたくなるんだろうなと吐き気を催しながら想像しました。

 

誰かの「生命・身体・財産」に被害が及ばない犯罪を思い出しました。被害者はいないけど刑事罰が規定されているもの。「ギャンブル、売春、覚せい剤など」。(参考

その場の行為だけを考えれば、本人たちは納得ずくなので被害者はいません。しかし感覚がおかしくなり、常習性や依存がでてくると、それを行うためにお金が必要になったり、社会行動の基本的な価値観にズレもでてくる。そういうことが広まらないように取り締まる。そんな感じだとおもいます。
現在の動物虐待は、これらに入るのではないかと考えるようになりました

私は動物虐待をもっと単純なものだと思っていました。13匹の被疑者のように、専用の場所まで用意する人間は稀だと思っていました。しかし、少し調べただけでも、似たようなことをやっていると思われる人は結構な数いて、動画を見せ合い、話し合っているようです。見つけられる場所にもあるのですから、隠れた場所には幾らでもありそうです。もしかしたらそのような人が、自分が住んでいる町内に居てもおかしくないくらいの数だと感じました。

ネットで公開されているのだから、やってもいいことなんだと思い込む人もいるでしょう。はじめは見るだけ、それから少しやってみたくなる、苦しむ姿を見たくなる。何度かやってしまう。それをある程度繰り返したら飽きて次の段階が欲しくなり、人間(幼児)を対象に考えるのでしょう。または、凶器を持って大人に向い、めった刺しにして苦しむ姿を見たがるのでしょうか。

これらの事実を知り、想像してしまった結果、動物虐待をするような人たちの存在が(分かり易い言葉で言えば)「怖い」と感じるようになりました。

なので、警察の方々に「お願いだから、もっとしっかり取り締まって」と言いたくなります。余暇の時間を猫が苦しむ姿を見ることに没頭するような人間が身近にいるとおもうと恐ろしいです。

 

動物虐待は既に、日本の(闇の部分ではありますが)文化になっていました。ここで歯止めをかけていただかないと、今以上に暮らしにくい国になりそうです。

動物が好きな人たちだけではなく、国民全体が動物虐待(特に猫)の取り締まりについて、議論していただきたいと、切に願っています。

 

1.はこちら<<<   一つ前(5.)はこちら<     <こんどこそ終わり>

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2017年11月 6日 (月)

動物虐待事件におもうこと(5.証拠)

前回からまたまた続くことになってしまいました。

前回紹介した事件は、初公判のニュースが少し残っていて、それも個人のブログでニュース記事のコピペが残っているものが多く、マスコミの記事自体は既に削除されていました。逮捕が2014年、初公判が2015年なので消されてしまっても不思議はありませんが。

4.を書くにあたり「判決は?」とばかり探し、大事なことを忘れていました。
この事件を教えてくださった方はこんなことも言っていました。

裁判になっても、証拠がしっかりとれてないと、ね。

 

その事件は、猫を40匹以上殺しています。数が多いので、13匹事件の参考になると考えたのですが、大きな見落としがありました。

この事件は、初公判の記事もあまり残っていないし、その後のことは全く見つけることができませんでしたので、何か特殊な事情があるのではと推測しています。なので、ここでも具体的なことは書かないでおきます。

概要は以下のような感じ。

事件は、2014年。
ある地域で、外を自由に出歩く猫が毒餌を与えられて次々に殺された。犯人は騒ぎになるのを恐れ、死んだ猫を回収してまわったそうです。しかしあるとき、毒餌を食べて(死にきれずに)苦しんでいる猫をみつけ、殺してあげた(ニュースでは「介錯」を書かれていたとおもいます)らしいのですが、この方法は地面(たぶんアスファルトだったのでしょう)に叩きつけたらしい。
ちなみに動機は、ストレスのはけ口もありましたが、そのときに、近所で野良猫に餌をやり、多くの猫が居着いたことに憤慨していた、ことと供述していたと書かれていました。

逮捕時は、40匹以上の猫を殺したことを認めるような報道がありましたが、改めて初公判のニュースを読んでみると、起訴事実は、叩きつけて殺した一匹のみ!!
毒餌の40匹以上については起訴されなかったのです。

 

こんなことがあるので、「証拠を」と教えてくれたのだと思います。

 

13匹事件のこと、こちらの事件のこと、その他虐待事件のことを、少し考えてみたいと思います。

毒餌で殺害については、虐待行為に快楽を感じての行為ではないようです。叩きつけての行為も「苦しんでいるのを見るにみかねて」のようだし。13匹事件やその他、ネットにアップするような、虐待行為に酔いしれている感じがありません。死体を回収していることからも、他人に見せたい気持ちはなく、逆に隠そうしていた感じを受けます。
なので証拠が乏しく、毒餌分は起訴されなかったのでしょう。

この犯人が、虐待殺傷行為に快楽を感じ、依存傾向にあったかは私には分かりませんが(少ない情報からですが)虐待行為が目的ではなく殺すことを目的としていたように感じます。

(一般論して)人間に向かう傾向にあるのは、(殺すことではなく)虐待行為に快楽のようなものを感じている人たちと言われていますので、そのような人たちを見定めることが出来れば、収監なり、措置入院なりで世の中に出てこれないようにしてほしいです。

行為だけでなく、ネットにアップし、見せびらかすようなことをする場合は強く取り締まってほしいし、ネット上でそのような人を称賛する人たちも、予備軍としてマークしてもらえればと願います
現在、警察もネット上での操作技術が身についているでしょうから、ある程度の特定は可能かとおもいます。

ネットにアップすることが許されている(逮捕されない)と思われてしまうと、動物虐待自体も許されると認識されてしまいますから、ネットでの公開についてはしっかり取り締まりをしてほしいものです。

そうなると、隠れてやるようになると思います。証拠が残り難いそれを見つけるのはやはり社会の目、地域の人の目、個人個人の目、になり、それを喚起するには、動物虐待事件のニュースが世の中の話題になり、幅広い人たちに、動物虐待が及ぼす社会への悪影響について認識していただけることを心から願っています

そのためにも二つの意見書が提出されることを願っていますが、それは個別の裁判ではなく、次の法改正に向けた話し合いにて行われるのが適当だと考えるようになりました。

そうなれば、まず、現場で動いている行政の方々、地域猫活動などを行っている方々の負担を大きく減らしてくれることでしょう。

 

幅広い人の「考え」「感覚」を変えることは容易ではありませんが、そのような情報や活動が多くの人の目にとまり、身近な動物と暮らすことそのものが社会全体に受け入れられ、例えば、ペットと入れる高齢者施設が増えるなど、ペットが何らかの排除理由にならない社会になってくれることを心から願っています

(ほんとは「ペット」ではなく「コンパニオンアニマル」と書きたいんですけどね。)

 

(最後に備忘録)
これも世田谷動物フェスティバルの休憩時間に立ち話で聞いた話。
2年くらい前に警察庁だか警視庁だかの上の方から、動愛法関連でもちゃんと動くようにとお達しがあったとか。
たしかにここ2年くらい、「また動いてくれた!」と嬉しくなることがあったような気がします。

 

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2017年11月 5日 (日)

動物虐待事件におもうこと(4.判決)

この連続ものは、3.で終わりの予定だったのですが、今日、世田谷動物フェスティバルというイベントの手伝いをして、ちょっとおもうことがあったので追記します。

私は、愛玩動物飼養管理士という資格を取得してしまったので、その関係で日本愛玩動物協会に所属しています。そこの東京支所の活動として、東京都内で行われる行政や獣医師会の活動のお手伝いをすることもある。
今日は、その一つである(地元の)「世田谷動物フェスティバル」でのお手伝いをしてきた。

お手伝いの内容は、お子さんを中心に犬や猫他身近な動物との暮らし方などをテーマにした簡単なクイズをしていただく。

それはそれで、お子さんとその親御さんが、どのように考えているのかが分かるし、子供がいない私には「今時の子供」と話をする貴重な機会でもある。
例えば、「猫は完全室内外が出来るし、現在推奨されている」ということをご存知ない方が(私が想像していた以上に)いらっしゃる。
ペットの数(推計ですが)はとても増えたと言われていますが、全く関わっていない人も少なくないので、このようなことになるのかな、と思ったりする。

ここで忘れてはならないのは、今時のペットとの付き合い方をご存知ない方が、ペットショップやそれと同等としか思えない自称ブリーダーから、犬や猫を簡単に手に入れることができる現実。

そのような自称ブリーダーから入手し苦労することになった人の話を幾つか聞いています。その中には、私の話を多少は聞いてくれていたにも関わらず、「こんなことになるとは」とため息をつく人もいます。
自分が思い込んできた「犬とは」「猫とは」の考え・感覚を、他人からの言葉で変えることは簡単ではないようです。

動物との暮らしに対する「考え」「感覚」は、生まれたときから少しずつ染みついてくるもので、それを(実体験なしに)変えられないのかもしれない。ほとんどの人は、今の世の中で暮らし易い付き合い方行政がどのような付き合い方を推奨しているか、などは、絶対に自分の「考え」「感覚」の範疇に入っているものだ、と思い込んでいるとしかおもえない人が多いと思わざるを得ない話を見聞きする。残念。

 

以上は、余談(失礼)

動物虐待におもうこと、の前回までで、二つの意見書が出されれば、今後、警察の動きも変わるはずだし、量刑も(現在の量刑に比べれば)重いものになると考えている、と書きました。

何故このようなことを書いたかというと、ネット上で「動物の愛護及び保護に関する法律(以降、動愛法)」で裁判が開かれることは初めてだ!、と書いてあったのを読んだ記憶があったから。しかし、信じ切れなかったので、1~3には、そのようには書いていないとおもう。

やっと、世田谷動物フェスティバルと本題が繋がるのですが、お手伝いの休憩時間に、うろうろしていたら、久しぶりに会った方がいらしたので、世間話をしていた。その中で、「最近、こんなブログ書いたんだけど~」と話して、「なんか動愛法で裁判が行われるのって初めてなんだって?」と聞いたら、「えっ、そんなことないですよ、大田区の虐待、毒餌の事件でも裁判が開かれたはずですよ」と。

 

帰宅して、ネットで調べてみた。結果に驚いた!

まず、大田区の事件の記事はいっぱい出てくる。まず逮捕された時のニュース記事、それに対する個人のブログなど多々出てくる。次に、初公判のニュースとそれに対するブログは少ないながら幾つかの記事が出てきました。

では、判決がどうであったか。

なんと、、、、見つけられませんでした

 

犯人逮捕時に色々と書いていた人たち。当時厳罰を望んで色々と書いていた人たち。皆さん、忘れるようです

自分も(この一連の書込みもそうですが)事件が起きた時など初期段階では興味をもちますが、時間が経ち次の事件が注目され、そしてまた次の事件の報道があれば忘れてしまうこともあるのでしょう。
私もこの事件の判決がいつでるかなんて気にしてないというか、気にしていられないというのが本音。たぶんニュースでみれば、思い出して何かしらこちらに書き込むかも。

不思議におもったこともあった。
この事件に限らず(動愛法の判決は)、どのような判決になったのか見つけられない事件が多い。以前の書込みに書いたように、病気と判断されて公表されないのだろうか。
判決が出たというニュースも見つけられないのです。マスコミとしても報道する価値がないと考えているのだろうか。(皆さんが騒がないのでニーズがないと判断するのも正しいとおもうのですが。)

 

最後は不可解なところに辿り着いてしまいました。

私は、ダークな事柄は苦手なので、虐待事件は深く調べたことがありませんでした。今回ちょっとだけネットで調べてみましたが、判決やそれに対するブログなども見つけられませんでした。それに対し、犯人逮捕時は記事は多々出てきます。

上手く説明できませんが、このままでは動愛法での量刑には期待できないし、世の中から動物愛護の必要性を認められないような気がします。

やはり、二つの意見書が提出されることを祈るばかりです
それくらいのものがないと、人それぞれの身近な動物への「考え」「感覚」を変えることは出来ないのだと思います

 

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2017年11月 3日 (金)

動物虐待事件におもうこと(3.動物虐待を法律で取り締る理由)

前回の終わりに以下のように書きました。

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ここまで読んで、「何故、人間に対する危害のことばかり語るのか。動物に対する危害そのものを取り締まる話ではないのか?」という疑問をお持ちの方もいらっしゃると思います。
また、冒頭の3.「動物虐待を取り締まる法律を軽く見ている人(今回の犯人など)が多いのは何故なのか」についても書いていません。
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とても基本的なこと
どのような行為が法律で取締られるのでしょうか。色々な法律を読んでいるとたまに見かける言い回しとして「生命、身体及び財産」というものがあります。「動物の愛護及び管理に関する法律」の第一条にも、「人の生命、身体及び財産に対する侵害」を防止するように、と書いてあります。他の法律でも前後に付いている文言は違っていても、似たようなことが書いてあることがあります。
つまり多くの法律で、「国民の生命、身体、財産を正当な権利の下、守ってあげよう」と考えているのです。

この基本的な考えを理解すれば、前回「人間に向かう」ことを中心に書いたことを理解していただけると思います。

また、このような考えは改めて説明されなくてもなんとなく(感覚的に)理解してしている人がほとんどなのではないでしょうか。
なので、「誰か(人間)を怪我させた訳でもないし、誰かのものを壊したり盗んでもないのに取り締まられるの?、そんなのあり得ない!」と考える人が、この法律を軽視しているのではないでしょうか。その中に、法を運用する人たち(警察・検察・裁判所)も含まれていると、私は個人的に感じています。

 

この記事を書こうとおもわせた、猫13匹を虐待し起訴された事件の被疑者が「害獣を駆除しただけ」と動機を語っているようですが、これが動機であるなら、惨たらしい虐待をしたい欲求が動機ではなり、「生命、身体及び財産に対する侵害」に繋がらなくなります。
被疑者が(法律も関わる仕事をしていましたから)このことを理解した上で語っているとしたら、恐ろしいことだと感じています。(だからこそ、区別してほしくありません。)

 

動物に対する危害そのものを取り締まる」ことについて。
まずはっきりさせておきたいことが、「その動物の経済的な価値とは無関係である」こと。
昔は、刑事では器物破損、民事では動物の経済的な価値を失った損害賠償として争うこととなっていました。しかし、現在の「動物の愛護及び管理に関する法律」では、その視点ではない(物とは違う「命あるもの」としての)「動物の愛護」の考えから取り締まる必要があるとなっています。

私はこれが長年の疑問でした。
例えば今回の事件。誰か(国民=人間)の生命、身体、財産を侵害したのか?、していないとなると、どのような考えで、取り締まるのか。

経済的な価値以外の価値を守る法律は何だろう、と考えてみました。
まず頭に浮かんだのは、「文化財保護法」。でもよく考えたら、文化財には芸術的な視点から発生する経済的な価値があるような気がしてきました。
次に頭に浮かんだのは、「環境保護法」を根幹とする諸法律。環境保護を考えなければ化学製品のコストを抑えることが出来るだろう。その反面、工場周辺住民の身体に影響を与え、生命まで奪われた人もいました。やはりこちらも、「(国民)の生命、身体、財産を侵害」の考えから理解できるような気がしてきました。

 

となると、私の答えは

どのような考えの下、法で取り締まるのが分からない、説明が出来ない

です。

 

※※
今回の事件は裁判が行われるようですが、その裁判に、以下の二点が提出されなければ、今まで通り、動物の愛護及び管理に関する法律の運用は軽いものになるのではと、想像せざるを得ません。

・ まず一つ目は、
心理学(医学)の視点から、動物(特に猫)の惨たらしい虐待を繰り返す者の中には、本人ではコントール出来ない人間への殺意を抱いてしまう者がいることを意見書として提出(もちろん犯罪心理学者どの専門家が)。
そのような者はもちろんのこと、これからそうなるかもしれない者たちへの影響として、そのような犯罪は厳罰に処することが必要だ、と法廷で説明してほしい。

・ もう一つは、
動物愛護の精神に反する行動が、国民の不利益になる理由を、やはり専門家の意見書として提出。
軽度の行為であっても最終的に上記に行きつく可能性を社会として重要視する必要があることを理由にできるのであれば、それでも良いのですが、今までそのような論文を読んだとこがありません。
教育関連の学問、その他で、説得力のある論文等があれば、是非この法廷に提出していただきたい。

 

もしそれが出来ないのであれば、猫を13匹を惨たらしい方法で虐待し続けた人間が、社会の中に紛れ込むことが許される世の中ということになります。逮捕された時点で氏名が公表されますので社会的制裁も受けますが、罰金刑となれば、それを支払えば法律的に清算されたことになります。
それは感覚的におかしいと感じているので、理論的に証明してほしいのです。私と同様に感じている人は多々いるとおもいます。

前半で「動物の愛護及び管理に関する法律」の第一条の中から、人の生命、身体及び財産に対する侵害」を防止するように書かれていると紹介しました。第一条には、以下のことも書かれています。

動物を愛護する気風を招来し、生命尊重、友愛及び平和の情操の涵(かん)養に資する

簡単に言えば、動物愛護の精神を広めて、命の尊さや他者を愛する気持ちを国民レベルで育みましょう、ということだと理解しています。

個人的には「私もそう思う」のですが、このようなことが国の利益に繋がらないと考えている人がいることも知っています。そのような人たちに、「あなたが個人的に思うことは個人の自由ですが、それは国の利益に反しますので、そのような行動はしないでね」と説得するときの材料がほしい、と言えば良いでしょうか。

今回の書込みをした理由の一つに、長年の疑問がありました。
1999年の大改正の時、上記二つの意見書があって然るべきと考え、それを探し続けていますが、学者先生の意見書も、管轄省庁である環境省の文書の中にも、それらを説明する文書を見つけることが出来ません。

この二つの説明が、日本社会における動物愛護の基礎だと考えています。これなくして、国民的総意に基づく理念の形成は為し得ないはずです。

 

今回のこの裁判で、二つの説明がなされたとき、この法律が国民に認められるようになってゆくのだと考えています。
動物愛護を仲間内だけの話題にするのではなく、社会全体の課題と受け止められるきっかけになればと心から願っています。

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