2018年12月11日 (火)

キジトラ君と出会って

先の書込みで、キジトラ猫の死体を発見してしまったことを書いた。
法律に従って、お役所に連絡をしようと電話を架けたが日曜で繋がらず。それで終わりにしてしまった。しかし気になり(コメントに書いておきましたが)深夜に現場を見に行ったら、彼の姿はなかった。

女房は「我が家にある程度の広さの庭があったら埋めてあげるのに」と言った。私も似たようなことが頭によぎった。

ところで、役所に電話が繋がっていたらどうなっていたのだろうか。たぶん担当の人が引き取りに出向き、決まりに従いそれなりのことをしてあげるのだろう。

話は変わるが、生きている猫の場合。
お役所は、現在、外を自由に出歩いてるということだけでは、生きている成猫は引き取らない。その根拠は幾つかあるらしいが、その一つに「もしかしたら飼い猫かも知れない」というものがある。飼い猫が散歩しているだけの可能性があるからだ。

深夜、現場に行き、その姿がなかったときに「キジトラ君は飼い猫で、飼い主が気が付き、連れて帰ってあげたのかな」ともおもった。
そんな想像をしたときに、我が家に連れて帰り庭に埋めたり、役所がそれなりのことをしてしまうと、飼い主さんは途方にくれるのではないか。

飼い主さんとしては「いなくなった」と認識しているだろうから、数日後にお役所に届け出るかもしれません。そのときにはもう終わっていることになっていることでしょう。そのような場合、骨は何処にあるのでしょうか。

そんなことも考えてしまいました。

 

今の世の中では、やはり「猫は外で自由に出歩かせていけない」となるのかもしれません。
長年の感覚で、散歩中に猫を見たいものだとおもっていますが、猫にとっても飼い主にとってもリスクが大きすぎるのかも。

人間の子供でさえ(夜でなくても)一人で歩かせるのは危ないと言われる世の中です。ペットも家族と言うのであれば、完全室内飼いで、お出かけは必ず人間と一緒となるのでしょうね。

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2018年12月 9日 (日)

まいすの命日に

12月9日、今日はまいすの命日。

まいすはよくお出かけに連れて出かけた。お泊り旅行にも連れて行った。
猫を積極的に受け入れている宿でも、「こんなに物怖じしない猫は珍しい」と言われるくらい何処に行っても隠れることなくお出かけを楽しんでいた。
それが出来たのも、性格そのものが第一だとおもいますが、目がほとんど見えないので何処かに向けて走って行くことがなかったことと、自分の名前が分かっていて呼ぶと戻って来る猫だったからだとおもっています。

それに比べておばまは、お出かけらしいことはしない。家から出るのは病院くらい。
おばまの目も怪しいことがある。だからだろうか、何事に対しても慎重で、自分の決めた場所・時間以外は動かない。いつもの部屋の中でさえ、決めた場所以外は行かない。

 

今日の昼食は、人間二人だけで外食した。
帰り際、区役所の中庭で福祉関係のイベントがやっていたので寄ってみた。今、調べてみたら、障害者週間記念事業「第38回区民ふれあいフェスタ」、というものらしい。

ちょうど、補助犬のデモンストレーションがあったので、途中からだったので椅子に座って観覧した。椅子席が空いていたことを不思議におもったのですが、見始めて納得。見習い犬がステージ上に上がっていて、完璧に仕事をこなすことが出来ないし、粗相をしてしまう子もいた。これでは飽きてしまうかも、とおもった。

ステージ上の人が最後に、「補助犬には、盲導犬、介助犬、聴導犬という三つが法律で定められています」というようなことを語った後に、総合司会なのか若い女性がステージに上がってきて、お疲れ様のあとに「介助犬には、、、」と補助犬とするべきところを間違えていた。
正しく情報を伝えるのが仕事な人でさえ、この程度の認識なんだなと、おもったりもした。福祉関係の中でもあまり興味をもたれない分野なんだろうな、と。

 

その後、図書館行ったり、買い物したりした後、自宅に向かい喋りながら歩いていた。
女房が「あれ、生きているのかな」というので指差す方を見たら、現在空き地になっている土地の入口に猫の死体が。一瞬寝ているのかと思ったが、既に硬直している感じがあった。
また毛並みも綺麗な姿だったが、口から少し舌が出て、口の周りが固まっているような感じだった。
交通事故に遭った後、誰かがここに移動したのだろうか。外傷は確認できなかったが、頭だけ強く打ったのだろうか。首や背中はしっかりしているように見えた。
まさかとおもうが毒餌なんて言葉が頭に浮かんだりした。
私は、キジトラだったと記憶していたのですが、女房は斑点っぽい模様があったと云っていた。

場所的にも通行の邪魔にならない場所だったし、猫を飼っている身としては、寄生虫の心配もあり安易に触りたくなかった。
しかし、日本国民の務めとして最低限のことはしようとおもった。

 

動愛法36条をご存知だろうか。
疾病・負傷の犬猫等や犬猫等の死体を発見したら、都道府県知事等に通報するように努めましょう。
だいたい、こんな内容だ。

よく云われるのが、お役所の業務時間外だったらどうすんの?
今日は日曜日、まさにそんな感じ。
念のため、東京都のセンターと世田谷区保健所に電話を架けてみた。どちらも業務時間外を伝えるテープが流れるだけだった。

とりあえず、私は法律に従った。

横たわっているのは、世田谷保健所からすぐの場所なので、たぶん明日の月曜日には対応してくれることでしょう。

 

現在、動物愛護に関わる活動は大小多々行われています。
それらの活動は必要なことだし、素晴らしいとおもう。これからもさらに広がっていってほしいと願っています。

それに対して、市井の一個人の目で日常を見たとき、「蔑ろにされている」または、各自が「している」場面を目にしてしまうことがある。

動愛法1条は以下のようなことが書かれている。

第一条 この法律は、動物の虐待及び遺棄の防止、動物の適正な取扱いその他動物の健康及び安全の保持等の動物の愛護に関する事項を定めて国民の間に動物を愛護する気風を招来し、生命尊重、友愛及び平和の情操の涵(かん)養に資するとともに、動物の管理に関する事項を定めて動物による人の生命、身体及び財産に対する侵害並びに生活環境の保全上の支障を防止し、もつて人と動物の共生する社会の実現を図ることを目的とする。

青字の部分は「動物愛護の精神を広めましょう、根付かせましょう」との意味だと思うのですが、「日曜だからお休み、後回し」の現状は如何なものかとおもってしまう。

 

おばまのこれからは、部屋と病院だけで終わるだろう。外に出て交通事故など酷い目に遭うこともないだろう。
20181209_20130414しかしどうしてもまいすと比べてしまう。
それでいいのか。

こんな世の中だから、それでいいのだろう。

写真は在りし日のまいす。道徳時の参道入口辺り。
この桜の木ももう切られてしまっているかも。

時間が経つのは早いですね。

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2018年12月 3日 (月)

同行避難「訓練」のお手伝い

過日、とある区の同行避難訓練のお手伝いに行ってきました。

その区の一般向け避難訓練の中に、地元獣医師会さんがテントを出して犬の一時預かりをする(飼い主側からすると「お預け体験」となる)。私は、愛玩動物協会東京支所の一員として、そのお手伝いをさせていただきました。

一般向け避難訓練は中学校の校庭で行われ、そこには多くのテントや体験コーナーなども幾つか設置されます。よくあるタイプの避難訓練です。

勿論、参加者もいらっしゃいますので、多くの人が歩いたり立ち止まったりしていますし、なにかしらの放送があったりして、日常の町中の雰囲気とは異なります。このような中での「お預け体験」となります。

お預け体験をした犬が20頭以上。私が知る限りとても多い数です。
そのテントで(預けている間に)東京支所長が災害時のことを話したのですが、予想以上に人が集まってしまってアタフタする場面もありました。
私は(あまりの混雑で)その内容を聞くことが出来なかったのですが、災害に備えて飼い主として何をしておいた方がいいのか、そのような話だったようです。途中退席する人の姿は記憶にありません。皆さん興味をもって聞いてくださっていました。

今までの大規模災害直後の犬などの避難状況をパネルにしたものをいつも掲示するのですが、今回は熱心に見てくださった人たちが多々いらっしゃいました。

「みんな興味もってくれているんだな」と実感できたのですが「今まではそうでもなかったのか?」と自問したとき「そんなことはないはず」と答えが返ってくる。
ならば何故?、と考えると「近寄り易い雰囲気だからでは?」と、その場に居て感じた。

こちらの区ではもう何年もこのような訓練をやっている。獣医師会の先生方が主に動き、保健所の方々もお手伝いに来てくださる
「獣医師会でやっているということは持ち回り?」と考える人もいるとおもいますが、いつも同じメンバーだとおもいます。
開催日は日曜日。日曜日といえば動物病院は忙しい日のはず。そんな日にボランティアをするのです。しかも、準備も大変。犬を預かるのでケージを大量に準備します。たぶん事前のチェックをするだろうし、終われば綺麗にするだろうし。その他諸々のことを考えると、熱意なくしてできないことだとおもいます

そのような活動が何年も続き、余裕のようなものが出てくるのだと感じました。「私たち頑張ってやっています!」ではなく「まぁ、慣れればなんてことないですよ」的な雰囲気。

私たち手伝いの者も回数を重ねると、テントに来てくださった方から質問があっても質問者が理解できるような回答がお返しできるようになってゆきます。
(※ 回答は獣医師先生方や地元行政の考えを理解の下、行わなければなりませんので、その意味でもお手伝いの回数を重ねることが必要だと実感しています。)

犬を預かるには幾つかとても気をつけるポイントがありますが、手伝いメンバーの中には回数を重ねている人も何人かいるので、それも何気なくクリアしていて安心感のようなものがありました。

災害時のペットのことに強く興味を持っている方は、自主的にセミナーなどに参加し、既に情報を得ているとおもいます。
今必要とされていることは「よく分からないけど、よく分からないから、なんとなく、とりあえず聞いてみたいな」と感じている人に「今はこんな感じになっています。今まではこうでした。これからはこうしていきたいですね。だから日常からこういうことをやっておくといいですよ」程度のことを伝えることが必要だと感じています。
そのような人たちが「近寄り易い雰囲気で」「手軽に」「安心して訊ける」、そんな情報提供が必要なんだな、とおもった体験でした。

 

(おまけ)

一般の避難訓練には色々なブースが出ていたり、体験コーナーのようなものもあります。楽しそうなものも幾つもありますが、この時「へ~」と思ったのは、太陽光発電と蓄電池で日常の最低限の電気くらいは確保できるものが出ていました。まだ高価ではありましたが、電気が確保できない状況ではとても力強い存在になりそうです。

お手伝いが終わった後に、消防庁のVR防災体験車も利用してみました。
待っている間、「お金かかっていそうな車体。その価値あるのかな?」と思いましたが、利用してみて「これ、必要だ」と実感。利用前と後では気持ちが違います。
http://www.tfd.metro.tokyo.jp/ts/bousai_fukyu/

他にも、地震の揺れを体験できたり、火災時の煙の状況を体験できるものなど定番のものもありました。
定番と云えば、備蓄食料の(賞味期限が近づいてきているものを)配布するのもありました。水を入れて待っていればご飯になるというもの。よくあるタイプのものではありますが、私はこのような機会がなければ馴染みがありません。もしものときに「これって、ただ水をいれて待っていればいいだよなぁ」と知っているだけでも意味のあることです。

大規模災害時など、今まで経験したことがない状況で、かつ、自分及び身近な者の身体や財産に甚大影響が出そうなときは、普通に出来ることが出来なくなります。発災直後の記憶がなくなる人も多いそうです。「水を入れて待っている」を理解するのに苦労する可能性は大きいのです。

ちょっと難しい言葉が並んでいたり、専門的にもおもえる部分もありますが、一般向けの資料としてこちらのはじめの数ページを読んでみると「そうなのか」とおもえるかもしれません。

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2018年11月 7日 (水)

TNR ではなく TVHR ~ 野猫(ノネコ)問題

先日、「御蔵島のオオミズナギドリを守りたい」という団体のトークセッションを聴きに行ってきた。

御蔵島は昔から何かと興味があった。海もそうだし地形を含め自然環境も。地形がとても特殊で人が暮らせる場所はとても限られる。今の時代でも、着岸できない日もあるらしい。人口は約300人。地形の問題上、それ以上増やすことが出来ないくらい、人が暮らすには厳しい場所だ。

その島にオオミズナギドリという珍しい鳥がいて、人間が持ち込んだ猫がそれを食べてしまうとう問題が起こっているそうだ。申し訳ないですが、その問題を掘り下げることはしません。その問題解決の中で試行している「TVHR」という手法について説明したい。

 

人間が持ち込んだ動物(ここでは猫)により、野鳥などが絶滅の可能性が示された場合、世界標準に照らし合わせると、人間が持ち込んだ動物を殺処分する(絶滅を目指す)らしい。その土地で昔から生きてきた種を保護するには、人間が持ち込んだ動物は完全に排除する。その方法として殺処分がとられるのが世界標準だという。

この日の話では、それを変えたいというのだ。
現在(御蔵島に限らず)、このような離島での野鳥保護のために、猫を「保護して譲渡」したり「TNR」したり、し始めている。「始めている」と云っても随分と前から始められているのですが、それらの活動が充分な効果が得られなかったり、活動後、マネージメントが出来ていなくて、元に戻ってしまうらしい。

 

TNRという言葉について、簡単に説明しておく。街中の野良猫などに使われる方法である。
猫を捕まえて、避妊や去勢手術を施し、元に戻す。
手術をすることで問題となる行動が減ることと、子孫を残さないので、猫の数が減ってゆく効果があり、このような活動を行い、それらの猫をマネージメントを続ければ、猫の問題は減り、数年で猫の数も減り、最後は猫が居なくなります。これは、どこでやってもその効果があることが分かってきています。
大事なのは「マネージメント」を続けられるか。しないと、猫を持ち込まれて(捨てられて)しまったり、隣町からやってきて居付いてしまったり。それらの猫が繁殖を始めれば元に戻ってしまう訳です。

 

これをノネコにやるとどうなるか。
おっと、その前に「ノネコ(野猫)」の説明をしましょう。

簡単に言えば野生の猫です。人間と関わることなく、自然の中で人間とは全く関係なく食べ物を得ています。その食べ物が珍しい鳥だったりする訳です。

この野猫という言葉は、法律に出てきます。
鳥獣の保護及び管理並びに狩猟の適正化に関する法律 第二条7 で、別に定めた動物は狩猟の対象にしていいよと書かれています。その別に定めているのが鳥獣の保護及び管理並びに狩猟の適正化に関する法律施行規則 第三条 に「法第二条第七項の環境省令で定める鳥獣は、別表第二 に掲げる鳥獣とする。」となっていて、この別表第二の中に「ノネコ」が書かれています。ちなみに「ノイヌ」も書かれています。
(※人間に飼われていた猫や犬が、人の手の届かない所に棲むことになり、自分で食べ物を獲るようになれば、ノネコ、ノイヌとなります。別の種類の動物がいるのではありません。)
(読み方ですが、野犬と書いて「やけん」と混同されては困るので「ノイヌ」と読ませて、施行規則でもカタカナ表記しているのかな、とおもっています。)

つまり、家庭で人と一緒に暮らしている犬や猫と同じ動物でも、その生き方によって、法律で狩猟対象とすることが認められているのです。

 

そんなノネコにTNRをやるとどうなるのか。
野生の世界では、その環境で生きることが出来る固体の数は決まってくる。広さ(行動範囲)、食料の量や質、安全な場所の確保など物理的、環境状況などによって、許容できる数が決まってくる。猫のように繁殖力が旺盛な動物であれば、その最大値に近い数で推移することになるだろう。

そこでTNRをしてみたら、TNRをした猫には、こんなことが起こるらしい。
(町中でTNRを行うと、問題行動をあまり起こさなくなるそうですが)野生では生存競争に負けてしまうのだそうだ。つまり短命で終わってします。
すると(野生の世界では許容数が決まっていますから)、そこに空席が出来るようなものです。
その空席に座るのは、TNRしていない猫の子孫になります。つまり、全体数は変わらずTNR済みの猫の数が減るというのです。そうなった場合、「効果がなかった」となる訳です。

 

そこで行われ始めたのが、TVHR
TNRは、生殖器官(精巣、卵巣)を切除しますが、こちらは(人間で云うところの)パイプカットや(卵巣ではなく)子宮を摘出します。精巣や卵巣を残すことで、それらから出るホルモンが出る状態を保つのです。つまり交尾を行いますが繁殖できない。

これが何を意味するかというと、少々ややこしいので、順番に一つ一つ理解して読み進めてください。

 

町中の猫の場合、雌は短期間に複数のオスと交尾をするようですが、これはネコ科の動物に於いては珍しい行動だとおもいます。ネコ科の動物のほとんどは群れを成しません。なので複数の雄と交尾をする機会は(町中の猫に比べれば著しく)少ないはずです。

今回問題になっているような、貴重な野生動物が犠牲になるような場所では環境も厳しく、縄張りをもたなければ生き続けることは難しいと考えられます。(そうでない現場もあるようですが。)
そのような環境に於いて(雌雄のどちらかだけが手術済みであっても)、雌猫が雄猫と生殖行動を行うと(どちらかでも手術をしているのであれば妊娠はしませんが)ホルモンバランスとして偽妊娠状態になるそうです。すると、雌は別の雄猫を寄せ付けないそうです。

例えば、雌側が手術していなかったとすれば、手術済みの雄との繁殖行動により、偽妊娠状態になり、他の雄との繁殖行動の機会を(偽妊娠の期間は)少なくすることになるそうです。

さらに(精巣や卵巣が残っているので)手術済みの猫が淘汰されてしまうこともなく、全体に占める手術済み数が減ることもない

町中だったら問題になる行動も、人間が関わっていない場所ではないので、問題にはならない。

 

このように良いことずくめのようにおもいますが、直近の問題は、今までそのような手術をしてこなかったので、その手術に慣れている先生がとても少ないそうです。
しかし、今回お話してくださった太田先生がその比較的簡単に出来る方法が分かったとのことで、それを広めたいとも仰っていました。

また、単純な問題として厳しい自然環境の中なので捕獲も簡単ではないし、マネージメントも町中のようにはいきません。

「これから」の手法のようです。

 

既に海外での研究や活動が日本語記事になっていました。
こちらの記事の対象は、ノネコではなく野良ネコです。
https://natgeo.nikkeibp.co.jp/nng/article/news/14/8278/

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2018年9月26日 (水)

「犬と暮らす生活」「犬と過ごす時間」

先の「Yahoo!カテゴリ サービス終了のお知らせ」の記事を書いていて、多くの方が「犬とゆく」を利用してくださっていた頃のことをおもいだした。そして、以下のようなことを再確認したり、考えたりした。
 

犬とゆく」は、商業的な情報提供を出来るだけしないことを心がけています。
なので、犬連れを歓迎していない公園なども紹介することもあります。飲食店や宿泊施設でも、歓迎まではしませんが断りもしませんという店も載っています。

「犬とゆく」をはじめる随分と前(1995年くらい)に知り合いから「あの店はOKだよ」と教えていただき行ってみた。どこにもペットOKとは書いていない。マスコミなどでもアピールしていない。お洒落なカフェバー。
何度も通っていると、他にも犬を連れたお客さんの姿を見るようになりますが、飼い主同士で犬談義に花が咲くようなことは、まずありませんでした。犬がいること気が付かず、その飼い主さんが会計しているときに気付いたこともありました。つまり、犬連れではない他のお客さんと何ら変わらない「他のお客さん」なのです。

店主の方に、「何故、犬連れをOKにしたのですか?」と伺ったら、「何故断らなければいけないのですか?」と質問されてしまった。答えに窮した。頭に浮かんだのは「普通、そうでしょ?」と理屈にならない理由だけ。

そのオーナーさんは、海外の飲食店をよく研究しています。年に一回くらい長期の休みをとりヨーロッパ旅行に出掛けては、味わい深い家具や置物などを買ってきていました。その経験から、そのような感覚なのだとおもいます。

人間のお客さんでも著しく迷惑なお客さんはいます。そのような人は出て行ってもらったり入店拒否するのは、お店として当然のことであり、犬であってもそれは同じだとおもいます。つまり、迷惑でないお客さん(犬も含む)をはじめから拒否する理由はない、ということです。

そのように考えてみれば当たり前のことかもしれませんが、「連れてきていいって聞いたから連れてきたんです。犬だから吠えもするし粗相もするのは当たり前じゃないですか!」と言い出す飼い主がいるだろうと考えて、多くの店は(日本の常識として?)、飲食店や宿泊施設は犬を連れをNGにしているのだろうな、と改めて考え、そして、やはり「犬とゆく」は続けなければならない、と思ったものでした。

「断る理由がない」と考えているお店は、それをウリにしていませんので(商業的な)犬連れ情報にはほとんど載りません。「犬とゆく」にはそのようなお店も載っています。
利用した飼い主さんが、「いいお店だな」と感じたから投稿してくださいます。

そのようなお店を利用することは、現在の日本のしつけの常識(一般的レベル?)からすると高いと感じる人もいるかもしれません。しかし、私を含め投稿してくださっている飼い主さんたちは、難しいしつけの勉強をしたり、ストイックにトレーニングを続けている人はいないとおもいます。

私はある程度勉強しましたが、それらの勉強のほとんどは、このようなお店や宿泊施設を利用することに直接役に立った実感はありません。

「犬とゆく」を続けてゆく意味は、多くの人たちにそれに気が付いてほしいからでもあります。「犬と暮らす生活」「犬と過ごす時間」について、考えてほしいからでもあります。

そんな「犬とゆく」ですが、今後ともよろしくお願いします。

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2018年7月27日 (金)

お腹が空かない

この10年くらいで、味覚・臭覚・視覚・聴覚が明らかに衰えた。加齢というものだろう。

子供の頃から、自分でも困っている身体の癖のようなものがある。それは衰えない。
美味しいとおもって食べた後に体調を崩すことがある。何が原因なのか、だいたいの見当はついているのですが正確には分からない。アレルギーと呼ぶべきものなのか消化器系の不具合なのか、それも分からない。とにかく、著しく体調を崩すことがある。

口で美味しいと思っても、一時間後に後悔することがある。同じようなものを食べても飲んでも全く問題ないこともある。食べ合わせもあるのかも。

美味しくて体調崩さないものを食べたときは、何故か長時間お腹が空かない。時には、次の日も空腹感がやってこないことがある。
うーにーと旅行をしていたときは、そんな経験を時々していた。うーにーが居なくなってからは、そのようなことが少なくなった。

 

しかし先日、そんなことがあったので、備忘録的な意味も含めて書いておく。

何年か振りに、犬友達あり猫友達でもある人のお宅にお邪魔することになった。うーにーが若かった頃からの付き合い。その人は、そう遠くない将来、飲食店を開く予定らしい。折角の機会なのでお昼をご馳走になることに。

ご馳走になったものはこんな感じ(分かり難い写真ですみません)。

20180726_1  20180726_2

20180726_3  20180726_5

20180726_4ビシソワーズに見えるのは桃のスープ。
デザートのケーキは、我が家の近所のお店(トロッコさん)のパウンドケーキ。
お店の人に「一本売りしてくれますか?」とお願いしたら「いいですけど、動物性のものを使っていないので三日くらいしかもたないです。日にちが経つと、植物性の油が酸化してにおいがしてくるようになってしまいます」とのこと。事前に冷凍で送っていただき、解凍後二日経っていただきましたが、そのようなことは全く感じませんでした。

車で伺ったので飲み物はノンアルコール。(簡単に言えば)炭酸入り葡萄ジュース。甘めなのですが、食事時に飲めました。「どこが扱っているんだろう」と裏を見たら、我が家の近所の会社(カルディ)。

 
美味しいし、体にすんなり入ってくるし、見た目も綺麗。色々な意味で「気持ちよく」いただけました。

食事全体として、量的に多いことはないし糖分多目とか脂が多いとかもない。気持ちよく身体に入って、ちゃんと吸収されたようです。
晩御飯の時間になってもお腹が空きませんでした。一緒に行った女房も同じコトを口にした。

 

お店が開店したら通いたいですが、近所ではないのが残念。

食事も美味しかったですが、ゴールデンと遊ばせてもらえたことも嬉しかった。開店したらお店にいつもゴールデンが居てほしいとおもいますが、それは難しいかな。

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2018年7月16日 (月)

ちょっとした勉強会

今回も備忘録的なブログ。
分かる人にしか分からない内容だし。

 

とある週末、お泊りでフードをメインとするペットビジネスの勉強会に参加してきました。生体は全く扱わない世界ではありますが、フードが関わりますので生体(一般飼い犬・飼い猫、保護されている犬や猫)への配慮・援助ということも含まれる。

私的なものであったので、具体的なケースで話が進み、その内容はここには書けません。
ここに書けることは、私が「やっぱり、そうなんだ。今の飼い主さんは、ある意味大変だな」と感じたことを書いておく。

 

うーにーが我が家にやってきたのは、1994年。高温の夏が当たり前になり始めた頃で、エアコンの室外機が高温で止まってしまい、一人暮らしの高齢者が亡くなったことが問題になった年でした。
次の年には、阪神淡路大震災、地下鉄サリン事件。1994年に埼玉愛犬家連続殺人事件。この頃、大阪の自称訓練士が殺人事件もありました。
今ととなっては「とっても昔」の話で、2000年の動愛法改正以降に、ペットについて興味を持った人たちの中には知らない・感覚的に理解出来ない人たちも少なくないだろう時代です。

ちなみに、ドッグ・カフェという言葉はありませんでした。ドッグ・ランは「欧米にはそんなものがある」程度で、東京都や23の各区が管理している公園にそのようなものが設置されることは「有り得ない」とおもうような時代でもあり、夜な夜なノーリード集会が隠れて(?)行われ、「前回の咬傷事故がいつで、どんな人が関わっていた」等が公然の噂でした。

当時のドライフードといえば、日本に昔からある加工食品メーカーが直接か、その関連会社が作っていたり、輸入代理店になっていたり。また、獣医さんが療法食として扱っているメーカーのもの、ショーをやっている人たちが使っていたもの、などが輸入されていました。
私の記憶では「プレミアム・フード」という言葉はなかったと思います。一般飼い主が入手し易かった「良い」と言われるフードは「ショードッグ用のフード」などと呼ばれるようなことが多かったと思います。

(一般の人が気軽に手に入れることが出来る)ショードッグ用のものも数が非常に限られていて、中には「私は絶対に使いたくない」とおもうようなものも「良いフード」をされていました。しかし、そのフードはある程度の数の人に支持されて有名になっていたことも事実です。つまり、イメージ戦略、ブランド戦略が成功していたのです。

その後、植物性のものをメインにしたものや「ここまで考えているのか!」とおもったり、「アメリカにはペット・フードの法律があり、守らないと大騒ぎになるのか」と関心したりしたものでした。

そして「手作り」や「生食」の情報も広がってきました。
その頃の日本は、Windows3.1 から Windows95 への移行時で、インターネットインフラが整いつつある時代でしたが、まだまだ一般的ではありませんでした。ADSLのサービス開始は1999年と言われていますが、普及が始まり「ブロードバンド元年」と言われているのは、2001年です(Windows Me)。

それ以前のことですから、マスコミ媒体としては数少ない雑誌、それ以外は口コミが情報入手の主な手段だったと記憶しています。なので、ブランド戦略はし易かったとおもいます。
当時も「みんな、もう少し考えてみようよ」と感じることがしばしばありました。

 

現在、2018年。様々な情報が手にはいります。「あのペットフードは本当にいいの?」と思えば、色々な情報がインターネットを経由して入手できます。もちろん発信する側にもなり得ます。
そのような時代なので、イメージ戦略、ブランド戦略は難しいだろうとおもっていました。

今回の勉強会は、ちょっとした衝撃でした。戦略を仕掛ける側の手法も高度になっていました。また力の入れ方も昔とは違うと感じました。

現在、プレミアム・フードと呼ばれるものは多種多様あります。となると、どれか一つのフードに目をつけ、「これ、うちの子に良いかな?」とネットで調べた結果、著しくネガティブな情報がなければ「とりあえず使ってみよう」となります。しかし、身体はそれぞれ違うので、同じフードを食べても同じような変化が期待できるとは限りません。そうなったときは次を探せばいいのです。

以上は「買う側」の話ですが、次は「売る側」の話。

前の方で書きましたが、1990年代中盤くらいまでのペットフード業界は規模も限られていました。また(ペット関連に限らず)広告戦略も今とは違って紙媒体がメインでした(ペット関係は電波媒体はほとんど使っていなかったとおもいます)。戦略といっても分かり易かった時代です。

ちなみに、消費者金融会社のCMにチワワが採用されて、小型犬ブームに拍車がかかるきっかけとなったのは、2002年です。ちょうど、ブロードバンドの普及が顕著になった頃になります。そしてよく「ペット産業は、既に一兆円産業になった」などと言われてことも記憶しています。

それから15年以上経った現在の販売戦略は(ペットフードに限らず)、とても多種多様な媒体、高度な手法、戦略が行われるようになりました。ペット・フードに関しては、昔は(産業として)力を入れて広告を打つほどの部類には入らなかったのですが、現在のように多くのフードが販売されて、多くの人がペットと暮らす世の中となっている現在、売る側も苦労が絶えないだろうことは容易に想像できます。

そんな現在の販売事情はどうなのか?
まず、他の主な産業と同じビジネス形態がとられてことに驚きました。フードメーカーや海外フードの輸入販売権が投資の対象にもなるようです。販売戦略は、やはりまずイメージ・ブランドの確立、販売網の整備と、日本における主な産業と全く同じ手法が取られているようです。

具体的な話を聞いていると、耳を疑い、目は白黒してしまいました。それくらい 1990年代との違いを感じました。

 

そこで感じたことは(ペットフードに限りませんが)それら情報を安易に信じ、それが(自分が得られる)最高のものだと思い込んでしまうことに危険はないのだろうか、と疑問をもってしまいます。
送られてくる情報が力強いものであれば(しかも多方面から同様の情報が入れば)そのように思い込んでしまうことは、当然のことだとおもいます。

このような情報に惑わされたとしても、フードを購入する側が危険な立場にさらされることは、ほとんどないでしょう。(現在、日本にもペット(犬猫に限りますが)フードに関するがありますので。)あるとしたら、「実は割高なフードだった(自分がおもっていたほどの効果が得られなかった)」「ちょっと体調が悪くなったような気がする」くらいで、ペットに著しい健康被害が出るようなことは、ほとんどないのではとおもっています。なので、「人間の食べ物も疑問をもつこといっぱいあるくらいだから、この程度ならいいんじゃない?」とおもってしまいます。

しかし、壁ではなく卵の立場を伝えてゆきたい人間としては、「ペットのためによりよいフードや日用品を」と(ビジネス目線ではなく)飼い主目線で、情報を提供してくれる人たちの声がもっと届いてもいいのではないか、とおもうことが多々ありました。
それくらい資本を注ぎ込んだ情報が出回っていることを感じています。

 

食べ物のこと、日常使うもののこと。それらのことを考える時間を、もっともってもいいのではないかと、いつも思ってところに行き着いてしまった。

皆さんには、こんなことを考えてほしい。

「カロリー」や「糖分」「脂肪分」などを気にされる方は少なくないとおもう(自分、家族、ペットに限らず)。
その理由は、肥満であったり血管内にへばりついてしまうものだったり、色々あるとおもいます。
ほとんどの理論展開は、これらの入口と結果です。「表示されているカロリーがこの数字だから肥満になってしまう」など。

同じものを同じ量食べたら、同じだけカロリーが摂取され吸収されるのだろうか。つまり個人差、個体差の問題です。
そもそも食品に表示されているカロリーの計り方は、摂取を前提として計られるものなのか調べてほしい。お時間ある方は、他の数値についても調べていただけたらとおもう。

更にお時間のある方は、「栄養素」や「治療薬の基本成分」についても同様の視点で調べてほしい。簡単に言えば、サプリメントの効果は人によって違うし、薬の効果もそうだし、副作用も。
食品について、そのような視点でみることに、皆さんがもう少し力を入れてもいいのではないかと常々感じている。

つまり、入口と結果だけでなく、真ん中の「摂取」にも注目し理解し考慮してほしいのです。これは、個人差、個体差があるので広告に載せるのが困難な情報です。インターネットで他の人が書いていることが、自分には、自分が共に暮らすペットには、当てはまらないだろうとこでもあります。

医療行為についても同様のことが言えます。同じ検査結果でも症状が違ったり、同じ治療でも効果が違ったり。この部分を担当するのが、医師や獣医師の「診たて」になるとおもいますが、多種多様な検査が可能になった現在は、その能力をしっかりともっている先生が少なくなってきていると感じます。
そのことについても、皆さんがもう少し力を入れてもいいのではないかとおもうことあります。

 

ペットの日常を考えてあげるとき、自分自身の日常を考えるとき、身近な人のことを考えてあげるとき、そのようなことを考えてあげる時間をとってほしいと、心から願ってやみません。

10個一パックの卵も、よく見れば一つ一つ違う形をしています。人間を含めた生き物は、規格化できないものだと、私は信じ続けていたいのです。

 

100年後くらいには人間も遺伝子操作されて規格化されるかもしれませんが、そのとき、私は生きていないことが、私にとっての救いです。
その世界は、人間が人間により管理される(現在でいうところの)家畜であるか、AIにより管理される家畜ということになるような気がし、その世界を見たくないのです。

自分は世界に一人の自分であり、共に暮らす人間の家族もペットも世界に一つの存在だとして暮らすことが、幸せな日常の基礎だとおもいます。

 

そんなことを再確認した勉強会でした。

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2018年7月14日 (土)

ラブ ゼネレーション(読書感想文) その3

前回からの続きですが、今回は、書籍とはほとんど関係ないこと。

マスコミとは、マス・コミュニケーションの略であるから、「大衆とのコミュニケーション」だと思うのですが、「大衆への情報伝達」の方がしっくりくるだろう。
昔であれば、テレビ、ラジオ、新聞、雑誌などを使って不特定多数の人に同時に情報を伝達することであり、その情報を元に人々はコミュニケーションをとっていた。

インターネットが日常に根付いた現在、マスコミの伝達手段の一つにインターネットが入ることは確かではあるが、「不特定多数の人に対して同時に」ではないようなものが増えてきた。
また、受け手であった個人が、不特定多数の人に情報を発信できる世の中になってきた。

そのように、情報が交錯、氾濫している現在、情報がビジネスになるのは当然のことで、多くの人が求める情報には価値が生まれる。どのような情報を世の中の人が求めるかといえば、「明るい」、「前向きな」情報だろう。または、「押しが強かったり」、「過激な」、「刺激的な」情報も人は得ようとする。

情報だけではなくエンターテイメントもそうだ。音楽、テレビドラマや舞台、デザインなどもその傾向がある。

 

そのようなものは面白いかもしれない。刺激的なものを観ればワクワクするかもしれない。しかしそれが現実的なものではないとおもったとき、私は落胆する。ほとんどの人が現実的だと信じることが出来たとしても、私自身はそう感じることが出来ないとき残念な気持ちになる。

現実の個人個人は、そんなに強くないし格好よくない。私はそうおもってしまう。とても弱くどこか不恰好な部分を持っている人がほとんどだとおもう。
そんなことを伝え続けてきた早川さんが、皆の前で歌わなくなってしまったことが残念でならない。

 

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このブログを書く直前に、二冊のラブゼネレーションを図書館に返しに行った。そのとき、何気なく図書館内をうろうろしていたら、村上春樹の「雑文章」をいう本を手に取り、目次の「壁と卵」という文字が気になり読んでみた。
エルサレム賞という社会的・政治的に微妙な地域の賞を受賞したときのスピーチ。その中で村上さんがコアにしたのは、次のような一文でした。

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「高くて硬い壁と、壁にぶつかって割れてしまう卵があるときには、私は常に卵の側に立つ」
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上記の文章は、こちらのページからコピーさせていただきました。なので書籍とは表現が違うかもしれませんが、私の記憶の限りでは同じだっとおもいます。

 

早川さんは「高くて硬い壁」どころか、自分が暮らしている町の誰か個人にさえ劣等感を抱いてしまうような感じではありますが、「壁にぶつかって割れてしまう卵」が如きであると認めていることは確かだろう。

再び、上記リンクを張ったページからのコピーですが、こんな文章もあります。

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皆、薄くてもろい殻に覆われた、たった一つのかけがえのない魂(たましい)である、と。
=============

 

さて、本題です。

私は、犬や猫など身近な動物との幸せな暮らしを送るためには何が必要だろうか。今の世の中に何が足りなのだろか、と考えることがあります。
そもそも、各個人の「身近な動物との幸せな暮らし」とはどのようなものなのか。インターネットが普及し、個人が不特定多数に情報を提供できるようになった現在、それはある程度のモデルが存在するようにおもえる。犬であればこんな感じ、猫であれなこんな感じ、と。

しかし、よくよく話を聞いてみると「こんな感じ」には、だいぶ幅がある。実際の行動だけでなく、根本的な考えにも随分と幅がある。「子供の頃からこのように(犬や猫と)接してきた」その接し方が現在では犯罪になることもありますが、法律のことを知らずに昔ながらの接し方をしている人もいる。法律のことは知らなくても、「世の中が変わってきて、自分の感覚(接し方)が非難されることがある」と感じ始めている人もいる。
(犬や猫に)色々なことをしてあげたいとおもっていても、時間的な制約などでそれをしてあげられないので理想的な関係が築けず、ジレンマを感じている人もいる。

情報が氾濫していると言われているこの現代に、このような人たちが多々存在する。30年前に比べれば、とても高度な情報が簡単に手に入る現在でも。
どれほど高度な情報であっても、個人が積み上げた知識・経験から得た各自の感覚と、現在の社会が「正解」としたスタイルとの溝を埋めることは容易ではない。人によっては「不可能」と言ってもいいだろう。

こんなことを日頃感じている私は、村上春樹の「皆、薄くてもろい殻に覆われた、たった一つのかけがえのない魂(たましい)である」に共感を覚えた。

またこのスピーチの中には、以下のような内容もあった。これも上記のリンク先からコピペさせていただきました。

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何が正しくて何が間違っているか、何かがそれを決めなければならないとしても、それはおそらく時間とか歴史とかいった類のものです。
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長年、犬や猫との暮らしについて調べたり考えたりしていると、このようなことを実感します。20年前、30年前、50年前の日本のことを思い浮かべてほしい。さらに、その日本の中の色々な地域のことを思い浮かべてほしい。
犬や猫との付き合い方は、とても変わってきています。しかし、誰が何をもって「これが正しい付き合い方」と断言できるのでしょうか。法律で色々定めて方向性を示していますが、違和感・反感を抱いている人もいる。

何が正しいかと決めるのは、「時間とか歴史とかいった類のもの」であると、私もおもいます。今は正にその判断を待っている最中なのだと。

 

「犬とゆく」や「人のため、犬のため」がやるべきことの一つに、そんな混沌とした時代でも、より多くの人が幸せが実感できる、犬や猫との暮らしを目指すための情報を提供してゆくことなんだろう。

ときどき、「あなたははっきりと答えを書かない!」とお叱りモードで助言を頂戴することがありますが、私は「何が正しいか」を書きたくありません。「今はこうですよ、こんな人もいますが、全く逆の人もいます。この日本の中で、各自その人の人生の中で自然に身についた感覚は違うのです。そんな色々な人がいるのが今の日本です」と伝えるのが、私の役目だとおもっています。

壁は誰でも見えますから伝える必要もないでしょう。日々消費されてゆく数多くの卵の中から、私が出会った卵のことを、これからも伝えてゆきたいとおもいます。

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コピペさせていただいたページは以下。
(ブログ名)青山の昼と千駄木の夜 ~Indiana(インディアナ)暮らし編
(ページ名)『【全文版】卵と壁 ~村上春樹氏 エルサレム賞受賞式典スピーチ』
(URL) https://ameblo.jp/fwic7889/entry-10210795708.html

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2018年6月24日 (日)

「俺、つしま」 ミニ色紙めぐり と 吉祥寺散歩

昨日はうーにーの誕生日。生きていれば、と歳を数えるのはやめましょう。

ふと考えると、おばまもうーにーと似ているところがある。
短足で前脚が太い。アンダーコートがあり、よく抜ける。甘ったれで女房によくくっついている。ちょっとふてぶてしい。胃腸は丈夫な方だ。礼儀正しいが主張は忘れない。「顎のっけ」をする。

また、おばまは「俺、つしま」のつしまや他の登場猫物に似ているところもある。
つしまとは見た目が似ていた(今は糖尿で少し細身になってしまったけど)。声が高かった(最近、おしゃべりになり低い声も出せるようになった)。ちょっと強面である。しかし、人を脅そうなんて考えていない。でも、譲らないこともある。キックが激しい。
オサムのように甘えることになれていない。猫じゃらしを振っても手しか見ていない。
テルオのように捕獲箱に入ってからは、あの町でその姿を見た人はいない(今も人が住めない町だけど)。

そんなこんなで、6月22日は「俺、つしま」のミニ色紙を見て回ることになった。
https://twitter.com/tsushimacat/status/1008233000402706432

201806221立川駅ビル内の「オリオン書房 ルミネ立川店」で待ち合わせ。
ここの展示は結構気合が入っている。入口的な場所の高い位置にに大きな切り株のようなオブジェを配し、その上にポスターとミニ色紙、下には多くの「俺、つしま」本が置いてありました。
しっかし写真を撮りたい気持ちはありましたが、本屋さんで写真を撮ることに気が引けてこの一枚だけ。目立つところにあったので、店員さんの目も、他人の目も気になってしまって...。

次は同じ立川駅構内なのですが、改札を入った本屋さん。その前に「いろは堂」のおやきを買う。「いろは堂」の本店にはうーにーも行った。うーにーも食べた。
帰宅後、うーにーとの日々を思い出しながら食べました。

201806222次は同じ立川駅内の「PEPAR WALL エキュート立川 エキナカWEST店」(店名長い)。こちらは、駅の廊下に面したガラス張りのショーケースのような所に展示。他の漫画のもありました。展示するだけの場所なんで、写真をしっかり撮りました!
帰宅して、写真を確認したら(ガラス張りなので)私たち夫婦の姿がはっきり写っている。なので黒でつぶしました。

ミニ色紙は一枚一枚手書き。普通の大きさの方が書くのが楽なのでは?、とおもいました。プロの人ってほんと凄いなとおもいます。

201806223吉祥寺に移動して(立川と吉祥寺って離れているんですね、もっと近いと思っていた)、「ブックファースト アトレ吉祥寺店」へ。
店内に入り探すがなかなか見つからない。入口やレジ前を探すが見つからない。マンガの所に行ったら、平積みの上に飾るように置いてありました。入荷している数が少ないので、このような感じになったのだとおもいます。

 

その後、ハーモニカ横丁にある「みんみん」で餃子とチャーハンで昼食(女房が羽根木餃子さんのFaceBookを見て行きたがった)。
お店を出た後に、横町内にある小さな店の前で女房が、「うーにーが生きていたとき、この店に何度かきた」というので、何の店だとおもったら、犬用の食べ物やさん。女房は以前仕事でこの辺りによく来た。その頃に何度も利用したとか。

吉祥寺に来たのだから、と「いせや」の総本店を見に行く。女房はこの辺りによく来た頃から好きな店だったとのこと。何年か前に建て替えてからよく見ていないから見たいという。
見に行くと確かに新しくなっていて、お店の上は10階くらいあるマンションになっていた。
地下にも「いせや」さんがやっている飲食店がある。こちらは肉系のものをだしている。ちょっと気取った店で肉系で「いせや」さんがやっている店なので、ランチ営業はやっていないとおもい込んでいたのですが営業していた。それを知っていたらこちらにきたのに。(でも「みんみん」も良かった。)

ここまで来たのだからと、井の頭公園を歩くことにした。女房は、公園に入ってすぐに休んでいるゴールデンの姿を見つける。ゴールデンは伏せをしている。連れている人は、若い女性でよちよち歩きのお子さんも一緒。ゴールデンは暑さで一休みしているとのこと。女房は少し触らせてもらった。「うーにゃんの誕生日にゴールデンに触れた」とご機嫌。

この公園には、うーにーと一緒に何度も来た。何曜日の何時頃にどの道を通れば駐車場に入りやすいとか記憶していた。あの頃と比べて全体的に整備されて綺麗に見えた。しかし池の水だけは当時よりも淀んでいるように見えました。

変わってしまった店もありましたが変わらない店も多い。「ここでよくソフトクリーム買ったよね」などと話しながら公園の出口に向かう。こちらでは「いせや公園店」も見る。こちらは外から店内がよく見えない。反対側の「金の猿」も健在だ。ここの関係者の方にもうーにー関係でお世話になったことがあった。「いせや」から2~3軒先で「SYUNA&BANI」が営業していたことには驚いた。あの時は、まいすも一緒だったから2000年のことだとおもう。吉祥寺は息の長いお店が多いのかもしれませんが、犬関連のお店でここで長続きすることはなかなか難しいのではないだろうか。

そして駅へ向かう。その間にも懐かしいお店が幾つか。吉祥寺という町はすごい。

井の頭線に乗り、明大前で乗り換え下高井戸で下りる。おばまのために鮪のブツとベニトロを買う。もちろん人間も食べる。

201806224晩御飯時、おばまは興奮気味だった。そして食後は女房の横でうつらうつら。

 

ただ本屋さんをまわって写真を撮っただけではない。何処でかは書きませんが、女房はまた一冊「俺、つしま」を購入していた。
夜になって、「また買わなくてもいいのに。もう読んじゃったし」と思いながら手に取る。ちょっとパラパラめくる。結局、はじめから最後までしっかり読んでしまった。
この本の魅力については、また改めて。

 

この日の夜、「ギフテッド」というDVDを見た。
アメリカでは「子供の権利」がしっかりと考えられていることを再確認すると共に、猫を手放すこと、その後殺処分することについては、日本とそれほど変わらないか日本の方が意識が高いのではとおもった。(アメリカは州や地域で法律や条令などが違うので一括りには出来ませんが、映画でそのように映され、それを観たアメリカ国民が違和感を抱かない程度に制作しているのだろうから、やはり日本の方が意識が高いのかもとおもった。)

 

うーにーの誕生日。なかなか充実した一日だった。

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2018年6月 5日 (火)

Dr. Jeff に質問したかったこと

私は現在、シェルターに関わる活動も里親探しに関わる活動もしてないので、ジェフ先生の講演会を聴く価値がある人間なのか疑問におもっていた。聴いても実感が湧かないのではとおもっていた。

しかし聴いていて、「自分がおもっていることと同じだ。でも、日本でそんなこと言うと白い目で見られるんだよな~」と思い、同時に「でも、聴きに来ている人の多くは、ジェフ先生と同様の考え・感じ方なんだろうな。だから来ているんだろうな」と想像して聴いていた。
しかし前の書き込みで書いたように、必ずしもそうではない人がかなりの数いらしたようでした。

だからこそ質問したいことがあったのですが(質問時間は結構ありましたが)先生の考えを受け入れがたいと、私には聞こえる質問が相次ぎ、時間切れになってしまったことが残念でした。

 

改めて論点を書いておきます。

6月2日の話は私には以下のように聞こえました。
ノーキルを目指してしまうと、安楽死の必要があると多くの人言う状態の犬や猫を抱え込むことになり、活動が効率的に行えなくなることがある。その結果、シェルター内が不適切な状態になったり、運営姿勢に問題が出てきたりする。なので、総合的にみて安楽死を選択肢の一つに入れるべきである。選択するかどうかは、団体の状況により判断は変わってくるだろうとのことです。
また獣医師である彼は、個々の動物としっかりと向き合う(一頭一頭をしっかりケアする)ことが基本であり、重要であるとも語っていました。著しい苦痛を抱え回復の可能性もほぼない場合は安楽死を検討すべきだ、とのことです。

そのような姿勢で運営されているシェルターは、活動が安定して長続きし、シェルター内の環境も良いケースが多い。
この考えは、長年、世界中のシェルターを見てまわったり、運営に関わってきた結果。より多くの動物たちを救うには、このような考えを持つことが大切。

だいたいこんなことが主旨だったとおもいます。

それに対して、何人かの方が自分の体験談をしっかりと説明し、そして次のような質問をしていました。
どんなに(経済的、時間的など総合的に)コストがかかっても、目の前の命を救うことに常に前向きになるべきではないのか。

 

(私がしたかった質問)

動物愛護の歴史を振り返ると、まず「目の前の動物に対する気持ち」から始まり、しかしそのような活動は社会全体には受け入れられず、経済的な価値をはじめ社会全体の利益に繋がる、つまり社会貢献でもある活動だと明示することで、幅広い理解、そして支援を得られるようになったきたことをご存知の方も多いとおもいます。

今回の講演会、そしてジャパン・ツアー全体は、そのことの再確認と、気持ちから社会貢献への変革を起こす手法の具体的な提案だと、聴いていておもいました。

 

質問したいことは2つ。

1つめ。気持ちで続けている活動について。
そのような活動は、社会貢献としての活動へと必ずシフトするのが「理想」なのでしょうか。それとも、気持ちの活動と社会貢献の活動、両方が常に存在する社会も、先生のお考えの中では、一つの理想なのでしょうか。

2つめは、具体的は手法についてです。
先生の活動は、身近な動物をレスキューすることは、社会貢献になる活動であることを幅広い人たちに理解していただく必要があることを広め、その実践を手助けすることだと、お話を聞き理解しましたが、気持ちだけの活動ではなく社会貢献活動であると、考えを改めていただかなくてはなりませんが、その具体的な手法について教えてください。

今日のお話の中で一般的には「一つは教育。そして助成金など行政からの補助やアピール。もう一つは寄付などによる活動を通しての啓発」と理解しましたが、日本にいらして山崎さんとお話を重ねているとおもいますので、この日本に有効的だと思われる手法を教えてください。

 

こんなことを聞きたかったです。
私は、身近な動物との共生を願っている人間ですが、動物たちと関わりのない人・興味のない人たちからは、「それは個人的な趣味の話ですよね?」と言われてしまうことがあります。その人には全く関係のないことですから、社会全体としてのテーマにはなり得ないと考えています。そのような人は少なからずいます。
しかし、少子高齢化、地域社会の衰退が進む日本においては、ペット、コンパニオン・アニマルは地域社会の一員にもなり得るし、心から家族と感じている人たちが増えています。今、「私には関係ない」と言い切った人が年を重ねたとき、身近な動物を心の支えるすることもあります。そのような人に会ったこともあります。
このように感じ、経験している人間として、身近な動物たちが粗末に扱われない社会へと進むヒントになると考え、是非お聞きしたかったです。

最後に山崎さんがお話された「日本にもジェフ先生のプロジェクトとしてのシェルター、病院」が出来ることで(その実際を目の当たりにすることで)、考えを変える人が広がってゆくのかな、とも思いました。

そんなこを含めて、是非お聴きしたかったです。

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