2017年3月 9日 (木)

狂犬病についてのセミナー(2017年3月12日)

今度の日曜日(2017年3月12日)、こんなセミナーがある。(こんな直前に書いても、行けない人が多いと思うけど。)

https://www.jpc.or.jp/tokyo/archives/2286/

タイトルは、「ひとと動物の共通感染症-恐ろしい狂犬病(仮題)」。
主催は、「公益社団法人 日本愛玩動物協会 東京都支所」ですが事前申し込みは必要ですが一般の人も参加OKです

申し込みの方法は、こちらのページにあります。
協会会員でない方、管理士でない方は、会員番号、管理士 1級・2級は、不要です。
一般の方は、こんな感じになると思います。
 


件名:
ひとと動物の共通感染症-恐ろしい狂犬病(仮題)

本文:
ひとと動物の共通感染症-恐ろしい狂犬病(仮題)参加希望
お名前
連絡のつく連絡先電話番号


 
メールメールアドレスも書いた方がいいと思いますが、メールで送るのですから分かることでしょう。
これだけ書いて、上記のページに書かれているメールアドレスに送ればOKのはず。
たぶん、まだ定員になっていないと思います。

 

狂犬病について、おもうこと。

今の時期になっても(仮題)というのも如何なものかと思いますが、それくらい扱いが難し問題なんだと思います。

何故わざわざ宣伝するかといえば、狂犬病についての基礎知識がないまま、ネット上に無責任な書き込みが、年に1~2回盛り上がることがあるから。
今年に入って書いた昨年日付のブログにも書きましたが、特定の情報だけをもってきて、狂犬病全てに通用するような書き方をしている人の発言が、Twitterなどを中心に拡散される。

上記ブログにもありますが、知っているつもりだった私も、ちょっと本気で調べれば(ネットじゃなくて書籍とか携わっている先生に伺えば)、あまりに無知だったことが分かるし、世間一般で言われているような単純な病気ではありません。

今回のセミナーの講師の先生は、狂犬病臨床研究会という(教科書の中ではなく)実際の狂犬病についてリアルタイムで情報収集している団体の会長さんでもあります。
 

今回、講師の先生がどのような内容にスポットを当てるのか分かりませんが、狂犬病がない日本に(お隣の台湾のように)狂犬病が入ってきてしまったら、犬や猫、そして現在は放置に近いアライグマなどに対する接し方が変わります。その対象は、レスキューした犬や猫もです。

さらにワクチンのことをちょっと突っ込んで調べると、「これは気軽に語ってはいけない」ことに気が付きます。

幅広い意味で恐ろしい病気、狂犬病。
今度の日曜日のセミナーは、その基礎知識を得るいい機会だと思います。

ご興味ある方は、是非!!

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2016年10月31日 (月)

日本における、犬食文化について

とっても後書きの記事です。書いているのは、2017年に入ってから。今年(2016)の暮れに、「書いておきたい」思った内容の一つです。

 

狂犬病ネタをネットでチラチラ見る時期には、何故か犬食についても見るようになる。そして「昔、日本でも食べていた」と書く人がいる。その程度の書き方なので、まるで日本人が日常的に食べていたのかもと読めてしまう。どの程度の人が、どれくらいの頻度で食べていたのか、書いて欲しいものだ。

 

話は変わりますが、以前ラジオで話をしていたので、差別についての本を少々読んだ。
子供の頃から本を読まず、記憶型の勉強が全くダメな私は辞書的な本が苦手で、物語的なものならなんとか頭に入る。
差別関係の書籍でそのようなものとなると、上原善広さんという人のものがなかなか良い。実家が食肉店だったからだろうか、食べ物文化から差別を見るという手法を採ったものがある。それらが読みやすい。

その中に犬食についても少し書かれている。明治から戦時中のことを中心に、限られたページ数だが書かれている。
その内容を要約したものを書こうと試みたのですが、誤解される可能性があるのでやめます。

少しだけ引用すると、「戦後になると、(中略)、食糧事情の改善と共に食べられなくなった」とあります。

具体的なことを書かないで申し訳ないのですが、当時の世の中のことや日本人の考え方から結果的にそうなってしまった、と私は理解しました。本の中には書かれていませんが、私の頭の中に浮かんだキーワードは、開国、狂犬病、戦争。食べるものが乏しかった時代であり、殺生するのであれば出来るだけ無駄にしないという考えからであったからではないかと推測した。

また、健康改善を目的として食する文化を持つ地方のことも書かれていますが、日常的に食べていたものではないようです。
日本には食用犬牧場があったという話は聞いたことありませんから、多くの人が食べる文化はなかったはずです。
一時期、出荷業者があったことが書かれていますが、最も食されていたであろう時期であっても、(比較が不適切かもしれませんが)現在のスッポン料理よりも食べられてはいなかったと思われます。(本の中でも、それを仕入れていたのは、とても限られた地域であることが書かれています。)

 

「日本人も食べていた」と書くのであれば、いつの時代に、どれくらいの数の人たちが、どのような目的・状況で食べたのかくらいは書いてほしいものです。

端的に「食べていた」という文を読むと、「日本人は野蛮だった!」と言いたいんだろうなと読めてしましますが、私の知識だと、「日本人はいつの時代でも犬に助けてもらったんだな」と感じています。

 

参考までに、この本文中に出てくる私が読んだ本
被差別のグルメ 新潮新書 / 上原善広 〔新書〕

2017.1.22

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2016年9月17日 (土)

遺伝

とっても後書きの記事です。書いているのは、2017年に入ってから。今年(2016)の暮れに、「書いておきたい」思った内容の一つです。

 

2016年9月の14日から16日まで、二泊三日で旅行した。メンバーは。私、母、叔母(母の妹)の三人。母には一人妹がいますが健康上の理由で欠席。

私と母の相性はとても悪い。性格が合わない。お互い、なんでもないことで腹立たしく感じる。なので、19歳で家を出て、その後長い間実家には寄り付かなかった。実家に行くようになったのは、うーにーが来てからだ。
そんな私が二泊三日の旅行に行くことができるようになったのは何故か。それは、うーにー選びから始まる、犬との生活があったから。
 

犬を迎えると決めてからうーにーが来るまでの間、約半年くらいあった。犬については、女房任せでした。はじめのうちは他の犬種も考えたようです。
初めに行ったのはゴールデンのブリーダーのところ。女房は「他の犬種も興味あるんだけど~」というと、「じゃ、この人あたりどうかな」とその犬種のブリーダーを紹介してくれる。
元々ゴールデンを候補としていたし、他の犬種の話を聞けば聞くほど、私たちの生活にはゴールデンがあっていると感じた。私たちだけではなく、東京で少しの運動が出来る環境があれば、ゴールデンが最適な大型犬だと今でもおもっている。
他の犬種を検討し、色々と話を聞くことが出来たし、それらの犬種に触れることも出来た結果ですが、もしかしたら、うーにーのブリーダーは、はじめから私たちはゴールデンを選ぶだろうと確信をもっていたのでは、と後から考えたものです。

他犬種のことも含めて色々と私たちの考えを聞いていただき、色々教えていただいた。
話をしているリビングからはラン(犬を放している運動場)が見える。ランは幾つかに仕切られている。だいたい2~3頭毎の犬が一つのランに入っている。10頭ほどのゴールデンがいました。年齢もまちまちだし性格も違うので、より快適に過ごしてもらうためにそうするのだそうだ。
「犬もそんなに性格が違うのか?」と思ったものですが、何回も通っている内にそれが分かってくる。随分と違うものだなと分かってくると、動きの違いも分かるようになる。動きにも個性がある。形についてもよく分かるようになる。はじめの内は「なんとなく」だったのが、具体的に幾つもの部分について分かるようになってくる。ブリーダーも教えてくれる。

そして、「遺伝」というものに気が付く。

やはり親子は似ている。性格や動き、形の「部分」の数を多く認識できるようになると、母親に似ている部分と父親に似ている部分があることに気が付く。これが遺伝で、これらがどのように遺伝するのかを経験的に勉強して繁殖するのが最低限のブリーダーの知識というものだろう。なので、一日のほとんどをケージで暮らさせるような繁殖業者の人を、私はブリーダーとは呼ばない。

ブリーダーは犬の一生を考える。犬の一生に責任を持つと考えているから。長年そのような姿勢でいれば、何かと予想できるようになるようです。勘と言えばいいでしょうか。それが知識になる。
犬の一生は飼い主で大きく左右されるから、譲る相手も慎重に選らぶ。選んだら必要に応じて(我が家がしていただいたように)何かと教える。時には飼い主から学ぶこともある。このときの姿勢も謙虚だ。全ては犬のため。

このような人たちがブリーダーだと考えているので、犬を譲った後に飼い主と交流しない人を私はブリーダーと呼ばない。少なくとも、病歴やいつどのように命を全うしたのかの報告をしてもらえるくらいの関係を持てない人をブリーダーとは呼ばない。

こんな考えに至ると、遺伝とは、そこにいる犬だけを語るものではなく、その犬が産まれてから天寿を全うするまで関わることだと理解できるようになる。

 

そのようなことが理解できるようになったとき、自分と母との関係を客観的に考えることができるようになった。
子供の頃、母を見ていて好きになれない言動があった。好きではないので自分はそのようなことはしないようにした。しかし、よく考えてみたら、私の素の部分ではそのような感性があり、それを抑えている。つまり、素の部分は母譲り、それを嫌い抑える部分はたぶん父譲り。そういうことなのだと思う。
私が、産まれ、育ち、その後の経験で変わってゆくことを客観的に考えることが出来るようになったのは、うーにーを通じてブリーダーとのやり取りがあったからだった。

うーにーが来てから少しずつ実家に行くようになった。母への対応も少しずつ変えてゆくことが出来た。そして、自分の中の変えられない素の部分を認めることも出来るようになった。それが(人間も含めた生きもの全てが)繁殖により次の命へと繋ぎ、その命は経験により変化してゆき、それには葛藤がつきものであると気づいた。

 

2016年9月の旅行はそれなりに面白かった。三人互いの素の部分を認め、滅茶苦茶とも言える言動の連続。それを丸く納める訳でもなく、ぶつかり合うでもなく過ごすことが出来、面白かったと言えるものになった。
我慢をしなかったかと聞かれれば「した」。我慢なしには得られるものは限られている。

このような自分になれのは、ブリーダーを通じて多くのことを学び、多くの人に会えたことが大きいだろう。

遺伝。それがあるからこその多様性と淘汰的方向性がある。個々がそれを持ち、世の中はそれらがパズルのように組み合わさる。パズルと違うのは綺麗に嵌らないこと。ボタンの掛け違いは常。それが世の中なのだろう。

私が子供の頃には、三世代同居の家も珍しくなかった。そのような家が当たり前で、地域の繋がりが密であれば、つまり、人間の遺伝と血統を目の当たりに見ていれば、日常の暮らしの中でこのようなことに気が付くのだろう。都市部の今の世の中では、そのような状況はなく、気付かず過ごしている人は多いことだろう。
うーにーを通じて、はじめて気が付いたことは気恥ずかしさも覚えるが、気付くことが出来て何よりだった。

遺伝。生きるもの全ての根源。
たまには、そのような視点で自分を考えたいものです。

2017.1.20

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2016年3月 3日 (木)

優しい世の中になるために

犬や猫が酷い目に遭わないような世の中、犬や猫に優しい世の中、それは、高齢者や子供たち、ハンデがある人たち、日々頑張って倒れそうになっている人たちにも、優しい世の中になるはずだと、私は信じています。

最近、「殺処分数をゼロに!」と声をあげている人たちがいます。私は「殺」とか「死」という字を見るのが好きではないので、少々苦手です。しかし、分かり易い目標であることは確かだし、それが叶ったときは、優しい世の中へ向かっているはずです。

そのために出来ること、ということで、猫の殺処分数をゼロに近づけるために、出来ること(1)からはじめる5つの書き込みをしました。
分かり易くするために5つも書きましたが、長くて読む気もしない、または、まどろっこしくて読めない、と感じた方も多いと思います。

短く書きます。

 

「どうしたらいいのか分からない」「そういうのは政治とか問題じゃないのか?」とお考えの方に、「あなたにも出来ることありますよ」という話。

動物愛護とか動物福祉に関わる活動を熱心にやられている方々は増えてきました。しかし、そこに集まった人たちの熱が外に伝わらない。一般人(と言えばいいのかな)とは温度差がある。

その温度差を埋めた過程を映画にしてくれて、さらに海外の施設の取材もしてくれた映画ある。
ちょっと興味・知識がある人が観れば、頭の中が整理されることでしょう。全く知らない人であれば、「へ~、結構ちゃんとしているじゃん。考えられているんだ。協力してもいいかも」と思えることでしょう。

もし、冒頭に書いたような世の中を目指したいと考えている人がいらしたら、明後日の(2016年)3月5日に中野ZEROで上映される「みんな生きている~飼い主のいない猫と暮らして~」を、まずご自身で観ていただきたい。日本語の映画ですが日本語字幕付きです。何故、そうなったかはこちらを読んでいただきたいのですが、字幕があることで更に理解が深まります。
観ていただいたことがある方は、日頃、このようなことに興味がないと思われる人を誘って一緒に観に行ってほしい。そして、観た後に、感想を聞くなり、話をしてほしい。

 

動物のことをおもう活動に対する温度差を実感し、どのように(話す、誘うなどして)伝えれば熱が伝わるのか体験し、考えてほしい。もし、本当にその想いが伝わるのであれば、相手の方も心地よいはずです。伝わらないのであれば、その理由を考えていただきたい。

犬や猫、そして私たちの未来のために。

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2016年2月28日 (日)

曜変天目、付藻茄子

ここのところ忙しいのですが、色々と手をつけてしまって自分でも何をやっているかよく分からない。そんな毎日ですが、先日、静嘉堂文庫の招待券をいただいたので、昨日、女房と行ってきた。改装後、初めて。

お目当ては、曜変天目付藻茄子。曜変天目は一度は見てみたいと思っていたのですが、よくよく聞いてみたら、当分の間、常設展示されるらしい。でも、折角の機会なので行ってみた。

20160227a岡本公園に車を止めて歩こうかと思っていた。しかし、珍しく駐車場が満車。雛祭りのイベントが開催されていた。仕方なく車を移動。ぐるっと回って静嘉堂文庫前の駐車場へ。

館内に入る前に庭園を歩く。そして廟の周りを歩く。
廟の近くには右のような所がある。もう15年くらい前に、うーにーと何度か遊んだことがある。たまに思い出したように行った。3~4回くらい行ったと思う。そしてあるとき、庭園や廟の周りが整備され、下の表示がされるようになった。もしかしたら、もっと前からあったのかもしれませんが、綺麗になった後に気が付きました。
20160227b昨日土曜日でも人気(ひとけ)のない場所です。昔は今以上に人が来なかった。いい場所でした。

昨日も岡本公園方面から上がってきた犬連れが、この表示に気が付かないのか園内を散歩していました。
知っている犬連れは、抱っこして散歩していました。その価値はあると思いますが、この表示の場合、抱っこでの散歩はいいのだろうか。

 

うーにーとの思い出を女房と語りながら、館外散歩を終えて、入館。

展示室入口付近に付藻茄子があった。茶道の道具なので大きなものではないと思っていたが、この大きさとは。小さく素朴な色合い、自然で無駄のない曲線は、手にも心にも馴染むだろうとは思いますが、天下人が欲するような迫力は感じられませんでした。
土と共に生き、自然信仰傾向の強かった当時の日本人としては、信仰対象的なものを感じたのかもしれません。

展示室に入ると目立つ場所に曜変天目がありました。茶道の茶碗である。
今まで写真を見たことは何度かあった。その印象から、もっと大きなものだと思っていた。迫力のある写真ばかりだったから。
国宝である。ケースの中に入っていて触ることは出来ない。内側の模様を真上から見たかったが、それも出来ない。
江戸時代やそれより前の時代に、こんな模様の茶器があったらそれは欲しいと思うだろう。しかし今の時代の人間としては(素晴らしいとは思いますが)、螺鈿っぽいとか、全く別の技術で似たようなものは出来るだろうな、とか思ってしまった。

この茶碗を入手した岩崎小弥太は「天下の名器を私如きが使うべきでない」と生涯使うことはなかったそうだが、私はこの茶碗を使ったときのことを想像したらワクワクした。一般的な茶の湯とは全く別なものだろう。(と、思うところが小市民な私think

曜変天目や付藻茄子を熱く語る人に何人か出会ったことがある。なので見に行ったのですが、私の感想は、「たしかに、他とは違う何かを感じる。でも、これくらいの感じ方のものは他にもあると思うけど」。(小市民ですからcoldsweats01

 

帰りの車の中でふと思った。
もしかしたら、私はうーにーと遊んだあそこかに行きたかったのかも。

曜変天目、付藻茄子、ありがとう。

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2016年2月21日 (日)

猫の殺処分数をゼロに近づけるために、出来ること(5)

つづいていますが、今回で、終わらせます。
言いたいことは前回まで。今回は、捕捉や説明です。

 

・数字のウソ

殺処分数 927ばかり注目してきましたが、施設に入ってくる数はもっと多いです。(1)に書いたし、(2)からのリンクで分かる通り、成猫 447、子猫 880 の 1,327 です。これらの数をゼロにしたいし、更には私的な殺処分もゼロにしたい。

ここまで数字を広げたとしても、1カップル一年20匹 で計算すれば(東京都全体で) 130 くらいの手術を増やせば良い計算です。取りこぼしと言っても良い範囲ではないでしょうか。

TNR活動や地域猫活動のこと、室内飼いの猫や犬であっても手術をした方がいいとこと(これらのことは、(2)で紹介した「家庭動物等の飼養及び保管に関する基準」に何気なく書かれています。国が示しています。)を、あなたが誰かに伝えることで、きっと、世の中は変わってゆきます。(国が、しっかり啓発活動してくれればいいのですが…)

国が示したことなので、マスコミが伝えてくれればいいのですが、古くからの慣習でやってくれることはないでしょう。
ネットという媒体は、興味のないものは見ないものです。興味のない人に届いて欲しいのです。なので口コミ

多くの人に国が示していることが届いて、「そういうものなのだ」と頭に入ってもらえれば、猫が増え始めたり、手術をしないで餌をあげている人をみたら、役所に相談したり、ボランティアさんに相談したりするのが当たり前になる世の中になることでしょう。
そして、その後の動きも、今以上にスムースになることでしょう。

手術などを含む活動費のことを考えると現実的ではないのでは?」と疑問に思う人もいるかもしれませんが、地元行政から補助金が出て、TNR料金でやってくれる病院があって、NPO法人からの補助金も受けることが出来れば、負担する金額は些少で済みます。なので、一つの団体で年間、何十とやることが珍しくなくなってきたのです。

 

・猫のカップル

そうです、猫はカップルになりません。一胎の猫のお父さんが複数であることは珍しくないらしいです。しかし、逆に一匹の猫が複数の胎のお父さんになってもいます。
繁殖を行っている集団内の雌雄の比率を調べたというデータを見たことありませんが、雌雄どちらかに偏っていると聞いたことはありません。
なので全体として、雌雄一対一を一単位と考えても差し支えないと考えています。

 

・この映画の残念なところ

一連の連載を読んでいると、あの映画の宣伝か!、と思われる人もいるでしょう。そう思われても仕方がないくらい、あの映画は、TNR、地域猫活動、レスキューを全く知らない人に理解してもらうには、とてもいい映画だと思っています。

私はあの映画に関わったものではありません。ただただ、「理解してもらうには、いい!」と思っているだけです。

しかし、残念なことろもあります。

TNR活動とは、猫を罠(Trap)で捕まえて 中性化手術をして(Neuter) 元の場所に戻す(Return または Release)ですが、同時に、地域に迷惑がかからないように、お世話をしなければなりません。猫の監視管理もしますので、地域の人たちで行うことを理想としています。
少数の猫好きだけが活動していると、メンバーが引っ越したり、倒れたりすると活動が行き詰ることもあります。
(猫の活動に関わらず)世の中一般の話として、特定の趣味の人が集まって公共の場で活動していると、受け入れがたいと感じる人もいます。なので、地域全体で地域のために必要な活動として猫たちのお世話をすることを理想としています。

現実は少数の猫好きが一所懸命になって活動していることが、ほとんどだと言う人もいます。さらには、地域全体でなんて無理だ!、という人もいます。この映画の中でも、そのように映っています。

しかし最近は、地域(具体的に言えば自治会メンバー)一丸となって取り組むところが出てきたと耳にし始めました。しかも、猫嫌いを公言している人が中心になることもあるとか。

この映画で残念なところは(作られた時期から仕方ないのですが)この様な、地域一丸となって行う活動について語られていないこと。続編が作られるなら、是非、そのようなことにも触れてほしい。

先ほど、「猫嫌いを公言している人が中心に」と書きましたが、私の経験の中で、そのような人と話し続けていたら、「実は嫌いじゃないんです。好きなんですが、好きというと面倒と言うか、どうするべきか分からなくなる場面が出てきそうなので、嫌いだと言っているのです」と伝えてくれた人が数人いました。

そのような人がカミングアウトすることは、まずありませんが、地域猫の効果を知れば(自分が何をすれば良いのか分かれば、猫嫌いと言い続けながらも)協力してくれるかもしれません。

 
現在、多くの人がこの様な活動に尽力してくださっています。その活動を更に進めるために、進めやすくするために、あなたの言葉で、行動で、理解を広めていただけることを祈っています。

いつの日か、「昔は理解されなくて、地域猫活動を始めるときは説明会のようなものやらなきゃいけなくて、それをやるまでも大変だったんだから。今では普通にやっているのにね」、とか、「猫に避妊去勢手術をするなんて言おうものなら、大騒ぎになっちゃう人とかいた時代だから、猫が増えちゃって大変だったよ」、と笑い話になるときが、必ず来ると信じています。

(やっと、終わりhappy01

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2016年2月20日 (土)

猫の殺処分数をゼロに近づけるために、出来ること(4)

まだつづいています(苦)

こんなに書くつもりなかったんだけど、ダラダラ続いていますsad

 

<結論>

TNR活動のことなどは、マスコミで(事件等は扱ってくれることありますが、啓発的な内容のものは)扱ってくれることを期待できない

だったら口コミ。でも、なかなか相手に理解してもらうのは難しい。

今回紹介したような映画に連れていって、その後、話したりするのかいいかも。
(こういう映画が色々あればいいのですが現在とても少ない。)

もしテレビで放映されたら効果大きいとおもう。

または、DVD化されて個人的に観易くなればいいな。

 

TNRをはじめ、昔はなかったり、広く知られていなかった方法が、現在は行われています。それを幅広い人に知ってもらうことが出来れば、殺処分数はもっともっと減るし、身近な動物との生活も素敵なものになることでしょう。

しかし、子供の頃から身についた習慣・感覚を変えることは、なかなか出来るものではありません。出来る人もいますが、出来ない人たちに理解を広めないと、「だって、こういうものだろ!、ずっとこうしてきたんだ!」と言われ続け、問題は起こり続けます。

今のこの時代にも、犬のオシッコを電柱にかけることが当たり前と思っていたり、更には大きい方を放置する人もいます。全ての人に、習慣・感覚を変えてもらうことは、なかなか出来ることではないですよね。

取りこぼし、というのは、一つは、単純に知らない人がまだまだいるということですが、もう一つが、知っているけど、私はそんなのイヤだ!、という人。注意しても止めない餌やりだけの人とか。
その人たちも、何かのきっかけで、気持ちが切り替わることが出来ればいいのですが、なかなか出来ないようようです。

そのような人たちにも、「TNR、地域猫活動は、猫のためにいいよ」「子猫、子犬を無暗に増やすことは、よからぬ結果になることが多い」と知っていただき、(日本人の場合はとくに)「もう、みんなはじめているよ」とメッセージが伝われば、心のスイッチを切り替えてくれるかも。(直接言っても聞く耳持たない人には、周りのみんなが変わったことを見てもらうしかないのかな、と思っています。)

それには、この様な映画がテレビで放映されることを祈りますが、たぶん無理でしょう。
なので、出来ることなら、あなたがこの映画を観て、「なるほど!」と思っていただき、そして、このようなことをあまり知らない・理解のない、ご家族、友達、仕事仲間などと一緒に観て、その後、ちょっと話をしてほしい。(他にも、こういう映画があればいいんだけど。)

そうやって、少しづつ理解してくれる人が増え、意固地になっている人も考えを改める気持ちになってくれることを祈るばかりです。
また、映画を一緒に観た人が、TNRや地域猫活動を理解してくれるだけでなく、積極的に活動してくれる人も出てくることでしょう。

映画を観て、お茶して、お喋りする。いつもの動物仲間ではなくその他の家族・友人・知人などと。それが、多くの命を救うことになる可能性があるのではないでしょうか。

最近は、ドラマ仕立ての映画やテレビドラマで関連のテーマを取り上げるケースが出てきました。「本当のところはどうなの?、このドラマはどこまで本当?」と疑問をもつ人もいると思います。そのよう人がいたら、是非、誘ってみてください。

(はぁ、、、ごめんなさい、まだつづきます)

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2016年2月19日 (金)

猫の殺処分数をゼロに近づけるために、出来ること(3)

一昨日、昨日からのつづき。

TNRという方法で、外を自由に歩く猫が起こす問題も減らせるし、殺処分も減らせることを知ってもらえれば、(東京都の猫の殺処分数)927という数字は一気に減ってゆくだろう。そうなれば、その他の動物についても、「人間が何かすれば、迷惑も殺処分も減らすことが出来るはずだ」と考える人は増えると考えています。
そして、人と身近な動物との共生が、今以上に心地よいものになってゆくと信じています。

ということで、TNRを多くの人に知ってもらい、理解してもらうためには、何をしたらいいか。

 
TNRという行為、そしてその効果を、何も知らない人に理解してもらうのは、なかなか難しいものです。理論的なことを理解してもらうこと、余所で出来てもこの地域で出来るのか、相手の人に動き出してもらう気持ちになってもらうこと、など、色々な疑問・不安に説得力をもって答えなければなりません。個人が説明しても、「本当にそうなのか?」と疑われ取り合ってくれなかったり、真剣に聴いてもらえないことが多いと、経験上感じています。(私は活動したことないので当然かも。)

そのような相手であっても機会がある度に話題にしていたら、ある日、活動に積極的に参加するようになったことがありました。その方にあった団体と巡り合ったようです。
たぶん、説得力のある話し方が出来ていたら、もっと早く動き始めてくださったことでしょう。

しかし、説得力のある話し方は誰にでも出来るものではありません。少なくとも私には出来ないと、経験上感じています。

 

説得力のある話に代わるものとして、先日紹介した映画がいいのではないか、と思いました。「みんな生きている~飼い主のいない猫と暮らして~」。さらに、3月5日は字幕付きなおで、理解を深めていただくには、とてもいいと思っています。

このようなことを知らなかった人が作った映画です。猫は好きだけど、どうすればいいのか分からなかった人が作った映画。そのような人が、一つ一つ知っていった過去を振り返る映画なので、分かり易いと思います。また、感覚的に「普通の猫好き」なので共感できました。
もし、皆さんの身近な人に、「あの人、猫好きなんだけど、こういうことも理解してほしいな」という方がいらしたら、また、「猫から迷惑を被っている、あの人に、こんなことで問題解決できることを知ってもらえないかな」、という人がいらしたら、是非、この映画を観てもらっていただきたい。

あなた自身が、「その映画知らない」という方も多いと思います。
残念なことに、この映画は DVD化されていません。映画館で見るしかないのです。普通ならば、お金を払わねばなりません。しかし、3月5日(土)は、中野ZEROで無料です。しかも字幕付きで、分かり易い!(このページの下の方に案内があります)

観ていただければ、「そうだね、これを多くの人に見てもらえればいいね」と思ってもらえると思います。実感できたら、誰かを誘って観に行っていただきたい。
 

残念なことですが、身近な動物に起因する問題に関わる話題は、マスコミでは積極的に取り上げてもらえず広まらないのが現状です。ネットで頑張っている人もいますが、興味がない人は見てくれません。興味がない人にも理解していただき、協力までは求めなくても、活動することを否定しないでいてくれたら、著しい改善がみられることでしょう。

マスコミもネットもダメなら口コミしかありません。あなたが誰かに、伝えるしかないのですが、なかなか伝わらない。ならば、このような映画を一緒に観て、観た後、あれこれ話をすれば伝わるはず

では(DVD化されていないので)、何処で上映されているのか?、こちらに情報があります。「えっ?」とおもうほど少ないですよね。なので、3月5日(土)の中野ZERO(しかも無料で字幕付き!)をお勧めします。

「うんうん、みんなに観てもらいたい!」と思ったら(行政の人にそう思って欲しいけど)、こちらのページを観てください。上映会の段取りが書かれています。

私が抱いている理想は、行政や大きな団体が、同じ場所でこの映画を何度も上映し、少しづつ観に来る人が増えて、何気なく足を運ぶ人も出てくるくらいまで、何度も行っていただかないと、裾野が広がっていかないと考えています。
でも、このようなことは、現実的は難しそうですね。

他に方法は?、と考えたら、不特定多数の人が何気なく目にすると言えば、テレビ
お金を集められる人や、お金に余裕がある人たちが集り、お金出し合って、テレビで放映してくださればと考えますが、テレビ局の方が嫌がるかな。
もし、放映してくれるテレビ局があれば、たぶん、好感度アップすると思います。

これも実現しそうにないので、一人一人が、一人づつ理解をしてくれる人を増やすのが、確実ではないかと考えています。(協力してくれる人までは求めません。理解をしてくれる人が増えれば、世の中は変わるはずです)

(つづく)

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2016年2月18日 (木)

猫の殺処分数をゼロに近づけるために、出来ること(2)

昨日からのつづき。

東京都が発表しているページへのリンクを忘れました。収容と処分の表こちら。このページには 26年度と書かれていますが、開始年度なのでしょう。過去の推移がわかる資料としては、こちらの8・9ページあたり。この資料の最新の24年度で、子猫の引取り数が1840になっています。26年度のを見ると、11+817= 828 となります。半分以下になっていることになります。
 

猫の殺処分を減らすためにはTNRという活動が効果的と言われているけど、もう充分に行われているのではないか。これから先は、虱潰し、ローラー作戦くらい、隅々まで目を配り、積極果敢に現場を見つけ出し、行うべきなのか、と疑問を抱いた訳です。
(もちろん、現在の活動の手を緩めてはなりません。それがあっての前提です。)
 

このようなことをあまりご存知ない方のために捕捉しておきます。

昔は、30匹、50匹くらいの現場は、ままあったときいています。最近はこのような活動が広がってきて、昔のような大規模な現場は少なくなってきたときいています。それでも、一つの団体が扱う年間手術数が、60を超えることは珍しくないようです。

TNRをやってやって頑張って、現状がある。現在の927は、TNRの数を無理矢理増やすようにしても、それほど減らないだろうことは、なんとなく想像できると思います。つまり、取りこぼしのような部分の数字と見てもいいのではないか

1つのカップル(猫は添い遂げることはしないと言われているので、この表現・これを基にした計算はインチキかもしれません。これについては、連載の最後に書きます。)を放っておくと、一年間で20匹になると書きました。なので、30カップル=60匹減らせば、一年後に負傷動物を差し引いた 600をゼロに出来る計算だし、負傷動物を含めても、46カップル=92匹になる。東京都全体で。

しかし、その猫たちを東京都の中から探し出すのは困難だろう。そもそも、この考えは無茶苦茶すぎて現実味がありません。上手い具合に、殺処分される運命にある(まだ交尾もしてない将来産まれる)猫の親たちだけを探し出したとしても、たぶん、他の猫がそのような運命になってしまうような気がしてならない。

今まで、TNRを頑張ってきた、そして続けてくださっているボランティアの人たちがいます。その結果、ここまで来た。この活動は続けていただかないと、元に戻ってしまいます。それを前提として、600 さらには、927という数字を、ボランティアの人たちだけの努力でゼロに近づけるのは難しいのではないかと感じないでしょうか。つまり、どうしても探し出すことが出来ない、取りこぼし部分と感じないでしょうか。
(※ 927というんは、ちょっと誤魔化しが入っています。この説明は連載の最後にします。)

そうだとしたら、取りこぼしがなくなるには、どうすればいいのか。取りこぼしとはどのように起こるのか。

TNR活動の各現場をリードするのは専門的な知識・経験をもったボランティアさんたちです。そのような人たちが増えることが一つですが、そのような人たちが活動し易い環境作りも必要なはずです。

猫が増えて苦情が増えたとき、昔は「保健所に持っていけ!、餌をやるな!」で解決できると思っていた人が多かった。しかし、解決されなかった。また猫が増えてしまう。それでTNRという方法が試され、猫が増えず、そのうち減ってゆくし、人が猫を管理することで苦情が出なくなることが分かりました。

しかし、まだまだそのことを知らない人がいる。「持ってけ!、餌やるな!」で解決できると思っている人がいる。手術しても問題解決にならないと思っている人がいる。(TNRをした後、責任をもって面倒をみることになっているし、手術を行うことで、尿スプレーや鳴き声の問題が少なくなることも知られています。)

このような人たちが、TNRとその後のお世話をしてくれれば、問題解決されるのですが、そのような方法を知らない人もいる。知っていても、どうすれば実現出来るのか分からない人もいる。

もし、TNRという方法を実行する具体的な方法を広く知ってもらえれば、927という数字は一気に減るだろう。こちらから積極果敢に現場を探さなくても、行政の窓口やボランティアさんに相談に行く人が増えれば、どんどん減っていくのではないか。増えてしまってから、どうしようもなくなり、他人に相談したり、他人からTNRを勧められたり、それらもなく崩壊と呼ばれる状況になる人がいますが、そのような人たちが、はじめからTNRを知っていたら、927は、どんどん減っていくのではないでしょうか

(動愛法に付属している「家庭動物等の飼養及び保管に関する基準」の第3の4に書かれている通り)、日本に住む全ての人が「去勢手術、不妊手術、雌雄の分別飼育等その繁殖を制限するための措置を講じ」ることが、当たり前の世の中になれば、TNRは当然のこととして、皆が行うようになるでしょう。

繁殖制限が、誰もが当たり前と考える社会になれば、猫の処分数も、猫以外の処分数も限りなくゼロに近づくことができるはずです。そうなるように、国も上記基準をだしましたが、まだまだ知らない人がいる。

では、どうすればいいのか?

(つづく)

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2016年2月17日 (水)

猫の殺処分数をゼロに近づけるために、出来ること(1)

はじめに書いておく。「殺処分数ゼロを目指して」という旗印は好きではない。行政が行っている殺処分数だけに注目することがいいことなのか疑問をもっている。日本人がやってきた、今もやっていることを知っているのだろうかと、首を傾げてしまう。

しかしながら、行政が行っている殺処分がなくなるのであれば、それまでの過程で、日本人の心は変わってゆき、私的な殺処分も減ることになると推測できるので、応援したいと考えています。

ということで、殺処分数を減らすことを考える。
私が住んでいる東京都が昨年度(平成27年3月終了年度)の数字を見てみる。

総数 981、犬  52、猫 927、うさぎ等 2、となっている。やはり、猫が多い。

これ以上の内訳は私の手元にないので、勝手に推測する。以降、おもいっきり数字のお遊び的なこじつけ理論を展開します。

猫が多いので、猫(927)のことを考える。
負傷動物収容数を見る。こちらは成猫・子猫の別がある。成猫 316、子猫52。(入ってきた総数は、成猫 447、子猫 880

猫の負傷といえば交通事故だろう。きっと助からないと勝手に推測して話を進める。殺処分数 927から負傷動物収容数(316+52)を引いて、少しは助かるヤツもいるだろうから、600 くらいが人間の都合で殺処分されたと考えてみる。

ならばその 600 の猫が産まれてこなくすればいい(と、とっても乱暴な数字合わせで)考える。(東京都に於いては、殺処分数の6割以上が子猫だと言われています。)

 

では、TNR(外を自由に歩いている猫を捕まえて、不妊(=避妊・去勢)手術をして、また放す。手術をするので、それら猫から新たに猫は産まれない)によって、600 減らすには、どれくらいやればいいのだろうか。

東京都が「ネコふえちゃった!?」という紙を配布している。猫が増えないように不妊手術しましょう!、と広めるためのものだ。
これによると、1カップルの猫の出産を放っておくと、1年で20匹、2年で80匹になると書いてある。検算してみたことがあるのですが、大袈裟ではないです。少な目と言ってもいいくらいです。(猫の繁殖力はすごいです。カップルという考え方はよろしくありませんが、こじつけ理論ということで。)

600から逆算すると、600を一年間の数字20で割って 30カップル、猫60匹のTNRを行えば、一年後に600の命は産まれなくなることになります。東京都全体として。

こんなのこじつけ過ぎて、「何を言っているんだ!」と言いたくなりますよね。
実際、東京都内で行われているTNRは、数千は行われていると思います(もっとかも)。それくいらい行うことによって殺処分数が維持(少しづつ減っているようです)できていて、60増やしたところで、一気に減るようなことはないでしょう。

では、TNRは現状維持でいいのか?、別の方法があるのか。

(つづく)

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