2017年11月22日 (水)

三峰神社参り (2017.11.14)

先日(2017.11.14)、三峰神社に行った。埼玉県の東の方にある。地図だとこんな感じ。

今年の7月、腰を痛めて弱っていた私のために、山に詳しいボランティア仲間が快気祝い的に企画してくれた。「何処がいいですか?」と聞かれたので、犬というかオオカミの神様がいるこちらを希望した。

一般的に言われる三峰神社はバスでも行ける。幾つものお社があり、お土産屋さんや立ち寄り湯もある。そこだけでもなかなか楽しめる。
そこから1時間半くらい山道を歩くと、三峰神社の奥宮がある。山歩きの距離は手頃そうだし、犬関係なので、こちらを希望した。(WikiPedia

※ブログに使えそうな写真が撮れませんでした。基本的に文章だけになります m(_~_)m
奥宮往きのレポートは、ネット上に多々ありますので、写真等は他でみてください。文章もそちらをみればいいかな (^^ゞ

 

7:30 池袋発のレッド・アロー号

集合場所が「特急の改札」と言われて「?」と思った。早めに行って良かった。いつも使っている改札は、地下一階の改札。そこではない。その真上くらいに一階改札があり、その近くに特急券などを売っているカウンターがある。ちなみに、改札はもう一つあるようですが、反対側にあり、他の鉄道を利用した場合、関わることはないだろう。

長距離列車にほとんど乗らない私は、レッド・アロー号も初めて。なかなか快適。お喋りに花を咲かせつつ、気がつけば車窓はのどかになり、今日の山登りを期待させてくれる。

 

8:59 西武秩父駅着 ~ 9:10 西武観光高バス三峯神社行き乗車

駅に着いたらバス停まで走るように指示される。「平日なので混んでいる訳ないだろう」と思っていたら、既に長蛇の列。走って良かった。

 

10:30 三峰神社着 ~ 奥宮へと向かう

池袋 7:30発でこの時間に到着ですから、遠い場所という感じ。でも、登山口着でこの時間は嬉しい。
バスはラッシュアワーの時のように混んでいたので、奥宮へ行く人もそこそこいるのだろうと思ったら、ほとんどいなくて、のんびりと楽しい山登りが出来ました。

まずは、普通の山の中。でも傾斜はそこそこあります。だらだら登りという感じ。
少し行くと、木の根、枯葉が多く、気を抜くと足がとられそう。
目的地が近づいてくると、岩場っぽい所が増えてくる、アップダウンが急で階段に手すりが設置されている所もありました。
最後は、階段&手すりから、階段も無くなり鎖場になります。「ここで怪我しても神社まで担いで帰れないだろうな」という場所もあったので、気を引き締めて登りました。

20171114a1220171114a11全行程中、2か所くらいテーブルと椅子があったとおもいます。また、屋根付きの東屋も一ヵ所ありました。体力のない方でも、無理せずゆっくり歩けば楽しめるルートだとおもいます。

焦らず確実に登れば事故が起こることはないと思いますが、山に入るときは登山届は忘れずに。今は、ネットでも出来るのですね。

20171114a13道中、両側の木がネットで覆われていましたが、たぶんそれは鹿などの害から守るためではとのこと。歩いていて見つけることが出来た動物の排泄物は、季節を考えると少な目に感じましたが、熊も出るようになので、充分に気を付けて歩いた方が良さそうです。

 

正午頃 奥宮到着

小さな祠があります。狛犬のように左右にオオカミが配されています。長年の間、交代があり、隠居したオオカミたちが祠の横にひっそり置かれていました。その中の一つは、夜になると動き出しそうな感じでした。

20171114a02 20171114a04

祠のすぐ下に、半畳ほどの板張りの場所があり、そこで昼食。最後の鎖場の直ぐ上で、ちょっとスリルある場所でした。20171114a03そこには「妙法」と書かれた石がありました。
20171114a01


13:30頃 神社まで降りてきました

往きに比べて(道も分かっているし)、楽に降りてくることが出来ました。
変化に富んでいて、楽しい山歩きです。また行こうとおもいます。

 

三峰神社のあちこちを見てまわる

メンバーの中に最近、来たことがある人がいて、とても詳しく案内してくれた(感謝!)。三峰神社に行くのであれば、一通り下調べしてから行くことをお勧めします。離れた所にもお社があり、とても趣があったりします。

山から降りてくると、まずお土産屋さんがある。犬を連れた人が何やら食べていたりした。
お土産屋さんが右に左にと続いたあとに、大きな鳥居がある。三つの鳥居がくっついたような形をしている。その両脇にも、狛犬のようにオオカミが鎮座している。
その左手には博物館がある。この日(11月14日)は埼玉県民の日で、入場料が無料(いつもは 300円)なので観たかったのですが、時間の関係で見送りました。

大きな鳥居をくぐり、坂道を登り、左手にある階段を登ると、奥宮が見えるという見晴らし台(遥拝殿・ようはいでん)がある。行ってみましたが、何処が奥宮なのかよくわかりませんでした。次回は双眼鏡を持って来よう。

階段を降りてくると、立派な山門(随身門・ずいしんもん)が見えてくる。近年修復したかの色鮮やか。
この先、幾つもの社があるのですが。各社の前には左右に犬神様(オオカミ)が鎮座している。時代の違いか何らかの意図があってか、各々が違うイメージのものなので、とても楽しめる。

文末に、狛犬というかオオカミの写真を幾つかアップしておきます。

その他、神社として楽しめる要素は多々ある。
また、お土産屋さん以外にも飲食店があったり、立ち寄り湯もある。

帰りのバスの時間が、15:30。その関係で博物館を見ることができなかった。入口までは入り、中を覗いたのですが、大きなオオカミの剥製があったりして、とても興味を惹かれました。次回は是非!

 

15:30発 帰りのバス

少し早目に停留場に並び、座ることができました。一時間以上のバスなので、座れないとキツイです。

 

17時前に西武秩父駅到着 ~ お土産を買って ~ 17:25発のレッド・アロー号

バスが駅に到着し、次のレッド・アロー号を確認すると、少々時間がある。「素通りしないでお土産を買って!」という考えなのかも。素直にその誘いにのってお土産屋さんへ。

お土産屋さんはとても綺麗。最近、改装されたみたいです。
そのお土産の袋に「祭の湯」と書いてあったので調べてみたら、お土産屋さんの奥に温泉があるらしい。ちなみに公式ページのアクセスページが示している位置にはありません。こちらのページが分かり易いです。

 

18:47 西武池袋到着 ~ 解散

帰途は少々お疲れモードでしたが、これから仕事!、というメンバーも。
私は素直に帰宅し、静かに過ごしました。

 

以上、三峰観光をお考えの人向けレポートでした。

 

 

三峰神社 オオカミ(狛犬?)コレクション

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2017年11月 9日 (木)

動物虐待事件におもうこと(6.日本の文化)

前回で終わらすと書きながら、続いてしまいました。
今回の分は書かないつもりでしたが、前回分の調べ物辺りから、「自分の認識はちょっと違っていたかも」と思うようになり、更に調べて、そこから書いておいた方が良さそうなことを書いておきます。

書きたいことは、「動物(特に猫)虐待はしっかり取り締まらないと(動物愛護と関係なしに)、国として問題なのでは」ということ。
 

ちょっと、お断り。
私は「犬との幸せな生活」を皆さんに知ってもらいたいと考えています。今、日本に流れている情報だけでは、残念な結果になることが多々ありますので、足りない部分を捕捉しようと考えています。
逆に、身近な動物と接することから生じる暗い部分は、避けて通りたい人間です。動物虐待については特に避けていますので、あまり知りません。周りの人たちは、虐待動画を見たことがある人が多いですが、私は見たことがありません。動物虐待については全く詳しくありません。

しかし、動物虐待がなくなってほしい気持ちはあります。惨いことをされる動物がいなくなってほしいし、動物虐待しなければならない人間もいなくなってほしいと願っています。

株価がバブルの頃よりも高くなったとか言っているようですが、庶民の生活は不安だらけです。そんな世の中だから、動物虐待に向かってしまうのかと考えたりします。日々の生活が充実していれば、わざわざお金や時間を使って、そんなことはしないでしょうから。

とにかく動物虐待がなくなってほしいのです。それには「動物虐待はいけないことなんだ」と広く伝えなければならないものですが、今の日本にはそのようにおもっていない人も多々いるようです。
法律で取り締ることになっても、想像していたほどは取り締まりが行われません。それは取り締まる人たちの多くもそのように考えているのでは、と思わざるを得ないのが現状です。

現場の人は上からのお達しで動いていますから、上の方の人たちに納得していただくには、1~5の中に何度か出てきた「二つの意見書」が出されるのが基本的な方向性だと思いますが、今回動物虐待のことを調べていて、以下のようにも考えました。

 

幾つかの虐待事件の経過(逮捕されたか、起訴されたかなど)を調べ始めたら、各事件について語っているブログなども読みました。そこから大手掲示板などで盛んに話がされていることも知りました。そのような場所では、動画をアップし、やり方について使う道具からコツまで話し合っています。もちろん、起こったこと(猫がもがき苦しむ姿など)についても。
隠語も数多く、その意味を知ると頭がおかしくなりそうなものもありました。凄惨な虐待は珍しいことではなく、猫に対する凄惨な虐待を楽しげに興味深く語り合っていて、幾つかの定番の虐待方法があるのですが、それを行うとどのようにもがき苦しみ死んでゆくか。またはどのような後遺症や苦痛をもちながら生きているのかを語り合っているのです。そのような掲示板を見つけることは、それほど難しいことではないことも分かりました。

また、虐待を行う人間の分類、社会がどうみているか、批判された場合にどのようjに反論すればいいのかなどが、既に出来上がっていることが分かりました。
「害獣を駆除する目的」はそこでの常套句でした。既に刑を軽くする方法さえも広まっているのです。

このように少し調べただけで、動物(ほとんどが猫)虐待が日本のアンダーグランド文化になっていたことが分かりました。

これらはネット上の話です。昔のようにインターネット(特に動画の投稿)がなかったら、このような場はなく、猫に八つ当たりしたくても方法が分からず反撃にあったことでしょう。(そう考えると、スマホの普及が動物虐待に拍車をかけたのかも。その他の犯罪も、出会い系のSNSやLINEなどでやりとりして犯罪に繋がることが多々あるようですが、それらと似ているかも。)
また、猫から人間の子供へ、についても「なんとなく分かる」ようになりました。何回もやっていれば、次の段階へ進みたくなるんだろうなと吐き気を催しながら想像しました。

 

誰かの「生命・身体・財産」に被害が及ばない犯罪を思い出しました。被害者はいないけど刑事罰が規定されているもの。「ギャンブル、売春、覚せい剤など」。(参考

その場の行為だけを考えれば、本人たちは納得ずくなので被害者はいません。しかし感覚がおかしくなり、常習性や依存がでてくると、それを行うためにお金が必要になったり、社会行動の基本的な価値観にズレもでてくる。そういうことが広まらないように取り締まる。そんな感じだとおもいます。
現在の動物虐待は、これらに入るのではないかと考えるようになりました

私は動物虐待をもっと単純なものだと思っていました。13匹の被疑者のように、専用の場所まで用意する人間は稀だと思っていました。しかし、少し調べただけでも、似たようなことをやっていると思われる人は結構な数いて、動画を見せ合い、話し合っているようです。見つけられる場所にもあるのですから、隠れた場所には幾らでもありそうです。もしかしたらそのような人が、自分が住んでいる町内に居てもおかしくないくらいの数だと感じました。

ネットで公開されているのだから、やってもいいことなんだと思い込む人もいるでしょう。はじめは見るだけ、それから少しやってみたくなる、苦しむ姿を見たくなる。何度かやってしまう。それをある程度繰り返したら飽きて次の段階が欲しくなり、人間(幼児)を対象に考えるのでしょう。または、凶器を持って大人に向い、めった刺しにして苦しむ姿を見たがるのでしょうか。

これらの事実を知り、想像してしまった結果、動物虐待をするような人たちの存在が(分かり易い言葉で言えば)「怖い」と感じるようになりました。

なので、警察の方々に「お願いだから、もっとしっかり取り締まって」と言いたくなります。余暇の時間を猫が苦しむ姿を見ることに没頭するような人間が身近にいるとおもうと恐ろしいです。

 

動物虐待は既に、日本の(闇の部分ではありますが)文化になっていました。ここで歯止めをかけていただかないと、今以上に暮らしにくい国になりそうです。

動物が好きな人たちだけではなく、国民全体が動物虐待(特に猫)の取り締まりについて、議論していただきたいと、切に願っています。

 

1.はこちら<<<   一つ前(5.)はこちら<     <こんどこそ終わり>

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2017年11月 6日 (月)

動物虐待事件におもうこと(5.証拠)

前回からまたまた続くことになってしまいました。

前回紹介した事件は、初公判のニュースが少し残っていて、それも個人のブログでニュース記事のコピペが残っているものが多く、マスコミの記事自体は既に削除されていました。逮捕が2014年、初公判が2015年なので消されてしまっても不思議はありませんが。

4.を書くにあたり「判決は?」とばかり探し、大事なことを忘れていました。
この事件を教えてくださった方はこんなことも言っていました。

裁判になっても、証拠がしっかりとれてないと、ね。

 

その事件は、猫を40匹以上殺しています。数が多いので、13匹事件の参考になると考えたのですが、大きな見落としがありました。

この事件は、初公判の記事もあまり残っていないし、その後のことは全く見つけることができませんでしたので、何か特殊な事情があるのではと推測しています。なので、ここでも具体的なことは書かないでおきます。

概要は以下のような感じ。

事件は、2014年。
ある地域で、外を自由に出歩く猫が毒餌を与えられて次々に殺された。犯人は騒ぎになるのを恐れ、死んだ猫を回収してまわったそうです。しかしあるとき、毒餌を食べて(死にきれずに)苦しんでいる猫をみつけ、殺してあげた(ニュースでは「介錯」を書かれていたとおもいます)らしいのですが、この方法は地面(たぶんアスファルトだったのでしょう)に叩きつけたらしい。
ちなみに動機は、ストレスのはけ口もありましたが、そのときに、近所で野良猫に餌をやり、多くの猫が居着いたことに憤慨していた、ことと供述していたと書かれていました。

逮捕時は、40匹以上の猫を殺したことを認めるような報道がありましたが、改めて初公判のニュースを読んでみると、起訴事実は、叩きつけて殺した一匹のみ!!
毒餌の40匹以上については起訴されなかったのです。

 

こんなことがあるので、「証拠を」と教えてくれたのだと思います。

 

13匹事件のこと、こちらの事件のこと、その他虐待事件のことを、少し考えてみたいと思います。

毒餌で殺害については、虐待行為に快楽を感じての行為ではないようです。叩きつけての行為も「苦しんでいるのを見るにみかねて」のようだし。13匹事件やその他、ネットにアップするような、虐待行為に酔いしれている感じがありません。死体を回収していることからも、他人に見せたい気持ちはなく、逆に隠そうしていた感じを受けます。
なので証拠が乏しく、毒餌分は起訴されなかったのでしょう。

この犯人が、虐待殺傷行為に快楽を感じ、依存傾向にあったかは私には分かりませんが(少ない情報からですが)虐待行為が目的ではなく殺すことを目的としていたように感じます。

(一般論して)人間に向かう傾向にあるのは、(殺すことではなく)虐待行為に快楽のようなものを感じている人たちと言われていますので、そのような人たちを見定めることが出来れば、収監なり、措置入院なりで世の中に出てこれないようにしてほしいです。

行為だけでなく、ネットにアップし、見せびらかすようなことをする場合は強く取り締まってほしいし、ネット上でそのような人を称賛する人たちも、予備軍としてマークしてもらえればと願います
現在、警察もネット上での操作技術が身についているでしょうから、ある程度の特定は可能かとおもいます。

ネットにアップすることが許されている(逮捕されない)と思われてしまうと、動物虐待自体も許されると認識されてしまいますから、ネットでの公開についてはしっかり取り締まりをしてほしいものです。

そうなると、隠れてやるようになると思います。証拠が残り難いそれを見つけるのはやはり社会の目、地域の人の目、個人個人の目、になり、それを喚起するには、動物虐待事件のニュースが世の中の話題になり、幅広い人たちに、動物虐待が及ぼす社会への悪影響について認識していただけることを心から願っています

そのためにも二つの意見書が提出されることを願っていますが、それは個別の裁判ではなく、次の法改正に向けた話し合いにて行われるのが適当だと考えるようになりました。

そうなれば、まず、現場で動いている行政の方々、地域猫活動などを行っている方々の負担を大きく減らしてくれることでしょう。

 

幅広い人の「考え」「感覚」を変えることは容易ではありませんが、そのような情報や活動が多くの人の目にとまり、身近な動物と暮らすことそのものが社会全体に受け入れられ、例えば、ペットと入れる高齢者施設が増えるなど、ペットが何らかの排除理由にならない社会になってくれることを心から願っています

(ほんとは「ペット」ではなく「コンパニオンアニマル」と書きたいんですけどね。)

 

(最後に備忘録)
これも世田谷動物フェスティバルの休憩時間に立ち話で聞いた話。
2年くらい前に警察庁だか警視庁だかの上の方から、動愛法関連でもちゃんと動くようにとお達しがあったとか。
たしかにここ2年くらい、「また動いてくれた!」と嬉しくなることがあったような気がします。

 

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2017年11月 3日 (金)

動物虐待事件におもうこと(3.動物虐待を法律で取り締る理由)

前回の終わりに以下のように書きました。

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ここまで読んで、「何故、人間に対する危害のことばかり語るのか。動物に対する危害そのものを取り締まる話ではないのか?」という疑問をお持ちの方もいらっしゃると思います。
また、冒頭の3.「動物虐待を取り締まる法律を軽く見ている人(今回の犯人など)が多いのは何故なのか」についても書いていません。
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とても基本的なこと
どのような行為が法律で取締られるのでしょうか。色々な法律を読んでいるとたまに見かける言い回しとして「生命、身体及び財産」というものがあります。「動物の愛護及び管理に関する法律」の第一条にも、「人の生命、身体及び財産に対する侵害」を防止するように、と書いてあります。他の法律でも前後に付いている文言は違っていても、似たようなことが書いてあることがあります。
つまり多くの法律で、「国民の生命、身体、財産を正当な権利の下、守ってあげよう」と考えているのです。

この基本的な考えを理解すれば、前回「人間に向かう」ことを中心に書いたことを理解していただけると思います。

また、このような考えは改めて説明されなくてもなんとなく(感覚的に)理解してしている人がほとんどなのではないでしょうか。
なので、「誰か(人間)を怪我させた訳でもないし、誰かのものを壊したり盗んでもないのに取り締まられるの?、そんなのあり得ない!」と考える人が、この法律を軽視しているのではないでしょうか。その中に、法を運用する人たち(警察・検察・裁判所)も含まれていると、私は個人的に感じています。

 

この記事を書こうとおもわせた、猫13匹を虐待し起訴された事件の被疑者が「害獣を駆除しただけ」と動機を語っているようですが、これが動機であるなら、惨たらしい虐待をしたい欲求が動機ではなり、「生命、身体及び財産に対する侵害」に繋がらなくなります。
被疑者が(法律も関わる仕事をしていましたから)このことを理解した上で語っているとしたら、恐ろしいことだと感じています。(だからこそ、区別してほしくありません。)

 

動物に対する危害そのものを取り締まる」ことについて。
まずはっきりさせておきたいことが、「その動物の経済的な価値とは無関係である」こと。
昔は、刑事では器物破損、民事では動物の経済的な価値を失った損害賠償として争うこととなっていました。しかし、現在の「動物の愛護及び管理に関する法律」では、その視点ではない(物とは違う「命あるもの」としての)「動物の愛護」の考えから取り締まる必要があるとなっています。

私はこれが長年の疑問でした。
例えば今回の事件。誰か(国民=人間)の生命、身体、財産を侵害したのか?、していないとなると、どのような考えで、取り締まるのか。

経済的な価値以外の価値を守る法律は何だろう、と考えてみました。
まず頭に浮かんだのは、「文化財保護法」。でもよく考えたら、文化財には芸術的な視点から発生する経済的な価値があるような気がしてきました。
次に頭に浮かんだのは、「環境保護法」を根幹とする諸法律。環境保護を考えなければ化学製品のコストを抑えることが出来るだろう。その反面、工場周辺住民の身体に影響を与え、生命まで奪われた人もいました。やはりこちらも、「(国民)の生命、身体、財産を侵害」の考えから理解できるような気がしてきました。

 

となると、私の答えは

どのような考えの下、法で取り締まるのが分からない、説明が出来ない

です。

 

※※
今回の事件は裁判が行われるようですが、その裁判に、以下の二点が提出されなければ、今まで通り、動物の愛護及び管理に関する法律の運用は軽いものになるのではと、想像せざるを得ません。

・ まず一つ目は、
心理学(医学)の視点から、動物(特に猫)の惨たらしい虐待を繰り返す者の中には、本人ではコントール出来ない人間への殺意を抱いてしまう者がいることを意見書として提出(もちろん犯罪心理学者どの専門家が)。
そのような者はもちろんのこと、これからそうなるかもしれない者たちへの影響として、そのような犯罪は厳罰に処することが必要だ、と法廷で説明してほしい。

・ もう一つは、
動物愛護の精神に反する行動が、国民の不利益になる理由を、やはり専門家の意見書として提出。
軽度の行為であっても最終的に上記に行きつく可能性を社会として重要視する必要があることを理由にできるのであれば、それでも良いのですが、今までそのような論文を読んだとこがありません。
教育関連の学問、その他で、説得力のある論文等があれば、是非この法廷に提出していただきたい。

 

もしそれが出来ないのであれば、猫を13匹を惨たらしい方法で虐待し続けた人間が、社会の中に紛れ込むことが許される世の中ということになります。逮捕された時点で氏名が公表されますので社会的制裁も受けますが、罰金刑となれば、それを支払えば法律的に清算されたことになります。
それは感覚的におかしいと感じているので、理論的に証明してほしいのです。私と同様に感じている人は多々いるとおもいます。

前半で「動物の愛護及び管理に関する法律」の第一条の中から、人の生命、身体及び財産に対する侵害」を防止するように書かれていると紹介しました。第一条には、以下のことも書かれています。

動物を愛護する気風を招来し、生命尊重、友愛及び平和の情操の涵(かん)養に資する

簡単に言えば、動物愛護の精神を広めて、命の尊さや他者を愛する気持ちを国民レベルで育みましょう、ということだと理解しています。

個人的には「私もそう思う」のですが、このようなことが国の利益に繋がらないと考えている人がいることも知っています。そのような人たちに、「あなたが個人的に思うことは個人の自由ですが、それは国の利益に反しますので、そのような行動はしないでね」と説得するときの材料がほしい、と言えば良いでしょうか。

今回の書込みをした理由の一つに、長年の疑問がありました。
1999年の大改正の時、上記二つの意見書があって然るべきと考え、それを探し続けていますが、学者先生の意見書も、管轄省庁である環境省の文書の中にも、それらを説明する文書を見つけることが出来ません。

この二つの説明が、日本社会における動物愛護の基礎だと考えています。これなくして、国民的総意に基づく理念の形成は為し得ないはずです。

 

今回のこの裁判で、二つの説明がなされたとき、この法律が国民に認められるようになってゆくのだと考えています。
動物愛護を仲間内だけの話題にするのではなく、社会全体の課題と受け止められるきっかけになればと心から願っています。

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2017年11月 2日 (木)

動物虐待事件におもうこと(2.動物虐待の基礎知識)

前回の終わりに書いたこと

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私の「一般人的感覚からしての疑問」

1.10匹以上の猫を虐待した映像をアップしている人間が世の中にいて、その人間の行為を称賛していた人間もいる。もしかしたら彼らはネットだけでなく繋がりをもっているかもしれない。そのような人間に対して最高2年でいいのか。今回のケースは、どれくらいの量刑になるか。

2.わざわざ猫を虐待するという行為自体が理解できない。今回の容疑者も色々と道具を揃えていたようだし、もちろん時間も必要だ。そこまでしてやりたいものなのか。

3.動物虐待を国として(国民が国民に対して)罪とし罰を与えることをどのように(国民は)考えているのか。現状からみて、動物虐待を取り締まる法律を軽く見ている人(今回の犯人など)が多いのは何故なのか
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1.については、これから裁判が行われるようなので、経過を注目したい。

今回は、2.の、何故、わざわざ猫を虐待し続けるのか、を考えるために、動物虐待についての、私の知っている基礎的な部分を書いてゆきます。

以下、私個人の考えです。何かおかしな点があれば指摘いただければ有難いです。

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人間への虐待でも積極的虐待と消極的虐待があるように、身近な動物に対しても同様です。

積極的虐待は、暴力をふるうなど積極的な働きかけで虐待すること。
消極的虐待は、最低限の世話もしないこと。厳密には「したくても出来ない」ことを言うので、消極的虐待とネグレクトは完全にはイコールではありません。(このことについての説明は、今回は必要ないとおもわれるので省略します。)

定義を書いても分かり難いので、分かり易いを挙げます。
積極的虐待 : 殴る、蹴る(これ以上は書きたくありませんが、その他暴力行為などです)。暴力以外にも動物の健康を害する対応を積極的に行う。
消極的虐待 : (してあげるだけの経済力・体力・時間などがなくて)食べ物や水を与えない。身の回りを清潔に保ってあげない(ケージの中で排泄をさせてそのままにするなど)。ほぼすべての時間、狭い場所で一人で過ごさせるなど。

消極的虐待は「したくても出来ない」ので、本人が誰かに助けを求めるべきでしょう。
積極的虐待は、放っておけばどんどん行うかもしれません。冒頭にも書きましたが、お金や体力、時間をかけてわざわざやるくらいなのですから。

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消極的虐待については、昔から色々とおもうことがあるので文末に書いておきます。興味のある方は読んでいただければ嬉しいです。日本における身近な動物に対する認識が、この20~30年くらいで変わってきたことを感じている方もいらっしゃるとおもいますが、まだまだ色々な考え・感覚の人がいると感じています。
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本筋に戻ります。
動物虐待を法律で取締るは何故でしょうか?、私はこんなことを聞いたことがあります。

動物虐待、特に、猫への惨たらしい積極的虐待がエスカレートすると、次は人間(幼児の場合が多いらしい)へとその刃が向かうと言われています。ある程度の年齢以上の人なら記憶にあるとおもわれる「宮崎勤」「神戸連続児童殺傷事件」などがその例ですが、この10年間くらいに起きた不可解な動機(「人を殺してみたかった」など)の殺傷事件の犯人の内、多くは猫への虐待を行っていたと言われています。

前日の書込みに最近起こった4つの動物虐待事件を書きましたが、全て対象が猫なのです。

もちろん、猫を虐待している人間全てが人間を襲うようになる訳ではありません。(逆も。猟奇的な殺人や連続殺人を行う人間が全て猫を虐待していたという文献は読んだことがありません。)
昆虫や小さな動物に惨いことをし、それを見ること、行うことに快楽を覚え、対象が少しずつ大きくなり猫にいきつく場合が、次に人間へとなる可能性があるそうです。
「快楽を覚え」るので中毒性というか常習性が起こるそうです。文字通り中毒的になるともう自分でも止められないそうです。動物を虐待することに依存してしまう。ストレス解消にお酒が絶対に必要な人たち(アルコール依存症)と同じように、動物虐待が必要な状態になってしまうとか。
このような人たちの中から、人間を対象にしたい衝動が止められなくなる人が出てくるそうです。

お酒の例で分かるように、これは精神科にお世話になる必要がある状態です。アルコール依存症もなかなか治すのが難しいそうです。性犯罪者も同様で、ある程度の割合の人は再犯を犯すし、犯さなくてもその衝動がある人が多いと何かの本で読んだことがあります。
同様に、猫への惨たらしい虐待をする人たちの中には、どうしてもその衝動が起こってしまう人がいるとのことです。

猫への虐待から人間に向かう人たちは、自分では抑えることができない衝動があり、行動となってしまうようです。精神科にお世話になるべきと私は考えますが、現在は、惨たらしい動物虐待だけで、必ず病院にお世話になるべきという認識には至っていないようです。

また横道に逸れ過ぎてしまいましたが、「動物虐待を法律で取締るは何故でしょうか?」の話です。

今ある「動物の愛護及び管理に関する法律」の大改正(1999年)の理由の一つが、「神戸連続児童殺傷事件」だったと聞いています。
猫を虐待する人の中から、次は人間へと考える人がいるから、つまり、人間に危害を与える可能性が高い人を取締ろうとの趣旨があると記憶しています。これは多くの人が、納得できるとおもいます。

 

しかし、この考えには2つの問題点があります。

1.精神科にお世話になるとしたら、病気なのだから犯罪にならないのではないか?
アルコール依存症は病気であり犯罪ではありません。動物に虐待をしたい衝動を日常的に抱いている状態だけでは犯罪ではなく、病気なだけと私は考えます。しかし、先にも少し書いたように、現在日本では動物虐待だけでは病気とみなしていないようです。しかし、動物虐待を自分でも抑えられないような状態を症状の一つとは捉えている病気はあるとのことです。
どうであれ、病気と捉えられてしまうと、罪が軽くなったり、あるいは無罪になることもあるのではと考えてしまいます。
その代りに治療をしっかり行っていただければいいのですが、それについての話を見聞きしたことがありません

2.惨たらしい積極的虐待をしていても「自分でも抑えられない人(人間にも危害を与える可能性が高い人)」とそうでない人を分けられるのか?
分けられないと思います。
しかし、今抑えることが出来る人も将来どうなるかは分からないとおもいます。
そしてもう一つ。やった本人がどうであるかと別の問題として、虐待の事実を公衆に見せたり、公衆でなくとも個人的に見せたとしても、見せられた相手が抑えられない人(予備群を含む)だったらどうでしょうか。その人の衝動をさらに強いものにすることでしょう。まだ衝動を罪悪感によって抑えることが出来ていた人が、虐待動画を次々と見て、そしてやっている人は取り締まられることもないことを知ったら、衝動が抑えられない方向に進んでゆくのではないでしょうか。

このように考えれば、分ける必要なく、取り締まるべきだと、私は考えています。


ただし、1999年の改正から今まで、この法律がそのような観点で取り締まりをしている根拠になる意見書や国の見解を見た記憶がありません

以上はあくまで私の個人的な考えです

 

ここまで読んで、「何故、人間に対する危害のことばかり語るのか。動物に対する危害そのものを取り締まる話ではないのか?」という疑問をお持ちの方もいらっしゃると思います。
また、冒頭の3.「動物虐待を取り締まる法律を軽く見ている人(今回の犯人など)が多いのは何故なのか」についても書いていません。

次回に、動物虐待と法律で取締ることを、幅広い多くの人はどのように捉えているのが、私の考えを書いておきます。

 

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以下は、個人的な「消極的虐待」についての思い出です。ご興味ある方だけ読んでください。

消極的虐待というとネグレクトを頭に浮かべる人も多いとおもいます。(消極的虐待とネグレクトは、厳密にはイコールではありませんが細かい話は省きます。その区別が分かるページとしてWikiPediaのネグレクトのページがあります。人間に対しての説明ですが動物に対しても同様に考えています。)
私はこのような問題に興味を持ち始めたのは、1990年代中頃でした。当時は、動物への消極的な虐待は誰も口にしませんでした。

そして2000年を過ぎた頃です。テレビでペット番組が増えてきた頃であり、当時、番組内のクイズを最も正解した人に犬をプレゼントするという企画がありました(すぐに中止になりましたが)。プレゼントされた芸能人が忙しい中、可愛がっている映像が出たのですがが、犬は朝から夜遅くまで一人で留守番。
当時の私は、トレーニングも少しは勉強していました。脳科学的なアプローチ情報が広まってはきたものの一般には広まっていない状況でしたが、私は個人的な知識や経験でそのようなトレーニングをしていました。そんな私はすぐに「これは虐待だ!」と感じたのです。しかし、そのことを誰に話しても「確かに可哀相だけど、虐待というのはちょっと…」と返事が返ってきたものでした。

欧米の幾つかの地域では、長時間の留守番は虐待とみられます。日本でもやっとそのような考えが知られるようになってきました。
2000年前後から2010年くらいまで若い(たぶん遊びも忙しいんだろうなと思ってしまう)芸能人含め「こんなペット飼っていま~す」と自慢している記事が多々ありましたが、どれだけ一緒にいられる時間があるのだろうと心配になったものでした。

私が気にし始めてから20年以上経ちます。長時間の留守番が虐待と捉えられる地域が(世界の中には)あるということが知られてきたことは、確かな前進だと思いますが、日本国内に目を向ければ、大きな前進が見られないのが残念です。

現在も次の法改正に向けて議論されているようですが、法律を作るだけでなく、その法律を守るべき根拠もしっかり伝えてゆくべきではないかと考えています。
何故、犬(幼犬を含む若い犬は特に)を長時間一人にすることが虐待となるのか。何故、動物虐待を国が取り締まる必要があるのか。

このようなことをしない限り、「ペット好きの感情論のせいで前科がつくなんてありえない!」と感じる人はいなくならないでしょう。動物虐待を取締る根拠を、専門家の意見書などと共に国として見解を示して欲しいと願ってやみません。

 

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2017年11月 1日 (水)

動物虐待事件におもうこと(1.一般人的感覚からの疑問)

8月末辺りから、猫十三匹を虐待し、中には死に至った猫もいるという事件が報道されましたが、もうお忘れの方もいらっしゃるのではないでしょうか。
その虐待行為をネットで誰でも見ることが出来るようにもしていたとのこと。恐ろしいことは、ネット上にその行為を称賛している書込みがあること。
今までも虐待の動画をアップした者はあったようですが、今までに比べれば数が多いし、称賛する人たちがいることも不気味なものを感じます。そのような人間が一般社会に潜んでいることをおもうと、日々の生活も不安になる方も多いのではないでしょうか。

上記の事件の記事(消えてしまうので複数載せておきます)
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20171003-00010739-jprime-soci
https://sirabee.com/2017/08/30/20161270923/
https://ameblo.jp/momokohime7/entry-12305871023.html

この頃、他にも、女性が猫13匹を虐待
http://www.sanspo.com/geino/news/20170605/tro17060521370014-n1.html
ペットフードを扱っている会社の役員による猫虐待
http://www.asahi.com/articles/ASK804TYVK80ULOB00C.html
さらには、「理想の猫じゃない」と次々に殴りつけたり踏みつけて20匹殺したという事件も
https://news.goo.ne.jp/article/nishinippon/nation/nishinippon-20171012113854097.html

 

あまりにも次から次へと出てきますが、動物の愛護および管理に関する法律の第四十四条は、以下のように書かれています。

第四十四条 愛護動物をみだりに殺し、又は傷つけた者は、二年以下の懲役又は二百万円以下の罰金に処する。

愛護動物を一匹だけでも虐待したらこの法律に引っかかると読むのが普通だとおもいます。今回は分かっているだけでも十三匹に虐待を行い、死に至らしめた猫もいるとのことなので(一般市民の感覚からすれば)最高刑である、懲役二年以外にないとおもうのですが、そこまでならないのでは、というのが専門家の見方のようです。

今までも、猫を虐待しネットで誰でも見ることが出来るようにしていた人間はいたとのこと(ニュースなどで読みましたが私自身はそのような動画は見たくないので見ていません)。
それらがどのような刑事罰を受けているかというと、100万円以下の罰金刑が相当と考えられる場合に使われる、略式起訴になっているとか。

その略式起訴とかいうものを調べてみた。
その罪を犯したと思われる者は警察に捕まり取り調べを受ける。次に検察に送られて、ここでも調べる。その結果、罰金100万円以下の刑が相当だと判断された場合、略式起訴になるらしい。懲役を求められることはない

先に書いたように、猫に酷いことをしてそれをネットに堂々とアップする。つまり「私はやりました!」と公表する。そこには「この行為の何が悪いんだ!」という考えがあるのではないでしょうか。
身近な動物を虐待することは非常に悪いこととは考えず、せいぜい悪戯程度のことにしか感じていないのでネットにアップする」という人たちだけでも、そこそこ居るようです。わざわざアップしない人はもっと居ることでしょう。その数を考えると恐ろしくなります
恐ろしいと同時に、今の日本はそんな世の中なのかと不思議にも思う。

ネットにアップすれば、上記の法律があることを指摘されるだろう。それでも公開し続けるのは、法律で取り締まられることはないと考えているのか、されたとしても微罪と考えているのか

 

私の「一般人的感覚からしての疑問」

1.10匹以上の猫を虐待した映像をアップしている人間が世の中にいて、その人間の行為を称賛していた人間もいる。もしかしたら彼らはネットだけでなく繋がりをもっているかもしれない。そのような人間に対して最高2年でいいのか。今回のケースは、どれくらいの量刑になるか。

2.わざわざ猫を虐待するという行為自体が理解できない。今回の容疑者も色々と道具を揃えていたようだし、もちろん時間も必要だ。そこまでしてやりたいものなのか。

3.動物虐待を国として(国民が国民に対して)罪とし罰を与えることをどのように(国民は)考えているのか。現状からみて、動物虐待を取り締まる法律を軽く見ている人(今回の犯人など)が多いのは何故なのか。

次回、これらの疑問に対して考えたことを書いていきたいとおもいます。

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2017年9月 4日 (月)

狂犬病のロバのニュースにおもうこと

自分の周りで取り上げている人がいなかったので、頭に浮かんだことを書いておく。

日本で報じたのは、ここだけかな。
http://news.nicovideo.jp/watch/nw2927596

検証したのが、こちら。このような作業は簡単ではないので有難い。日本の動物愛護報道もこれくらい念入りに調べてほしいものです。
http://www.netlorechase.net/entry/2017/08/25/080000

全くのガセではありませんが、狂犬病に罹ったというのは確証がないようですね。そもそも狂犬病に罹った確証がもてるのは、亡くならないと、ね。
 

狂犬病のことをあれこれ言う人がまだまだいますが、まず狂犬病の確定診断の方法をご存知だろうか。人間の場合、それらしい動物に噛まれて、その後、噛んだ犬にそれらしい症状が出たことで、その犬は「狂犬病だろう」になりますが、科学的な「断定」とは言えません。

噛んだ動物にはお亡くなりなっていただき、髄液からのウィルス分離するなどしないと「確定」は出来ません。確定出来るのは、噛んだ犬。人間が感染した可能性はありますが、これも確定ではありません。

生きている時の症状だけで確定出来るのでは?、と考える方は、狂犬病臨床研究会が行っているセミナーなどで、狂犬病の犬や猫の行動を見てみてください。他の病気の症状を幾つも知っている人なら尚更かも。

なぜ臨床研究会の資料が貴重かといえば、WHOは狂犬病の「疑い」のある動物にはお亡くなりなってもらってください、としているので、明らかな狂犬病の犬や猫の映像が少ないのだそうです。

ロバの記事を読んだ時、ロバが狂犬病ウィルスに暴露されてから発病し死に至るまでの行動様式(犬ならば身近なものに齧りつくなどの特異的な行動とその期間)はどうなのだろうか、というものが気になった。

昔、狂犬病の草食動物の映像を見た記憶があるのですが、映像ではあまり動いていなかったような記憶がある。ただし、そのときの説明では何かしらの特異な行動を起こすような説明があったような記憶がある。とにかく、全く忘れたに等しい状況です。

感染が成立するくらいの状態で、ロバがどれだけ(感染して「いない」とおもうくらいの)正常な動きをする期間がどれだけあるのだろうか。もしそのような期間があった場合、ツバを飛ばすことで有名なロバですから、そこからは感染しないのだろうか、などと考えてしまった。

ここまで読んで分かると思いますが、哺乳類が狂犬病に罹ることは分かっていますが、罹った動物がどのような行動をとるのか知らない人がほとんどで(WHOが「疑いがあったらお亡くなりになっていただいたね」と指導しているから資料がない)、もしかしたら、健康な動物と区別つかない動物が実は罹っていたということも有り得るということです。

現在、日本国内で感染がないからと安心していますが、住宅街に生息するハクビシン(家の中に入ってきますから)などで感染が始まった場合、初期の感染拡大を止めるのは困難になるのではないかと思われます。(台湾では野生のイタチアナグマに狂犬病の流行があり、人間の家の中に入り込み噛みついてから騒ぎになった。)

もちろん、仮の話ですが、「人間が知らなかっただけで既にハクビシン間では狂犬病に流行がありました」となったら「犬にも感染しているかもしれない」となるでしょう。その時、どのようなことが起こるのか、恐ろしくて考えたくもありません。

 

狂犬病は、国長らく内での感染が「確認」されていないので、「もう対策の必要もないだろう」と考える方もいらっしゃるようです。しかし、確認されていないだけで、どこかで感染がおきているかもしれません。台湾でも、「よくよく調べたら(山の中の野生のイタチアナグマ同士で)何年も前から流行していた」となりました。
この病気の面倒なところは、感染したかどうかがはっきりさせられないということ。もし日本も(世界のほとんどの地域同様)狂犬病が存在する国になったとしたら、咬傷事故の意味合いや、シェルターでの殺処分基準も変わってくることでしょう。今、犬を飼っている人の中でも飼い主が処分を検討する人が出てくるかもしれないと、私は考えています。

現在、日本に於ける狂犬病対策の混乱について、私なりに調べ続けてきました。やっとその答えが見えてきましたが、それについては、改めて書くことにします。

 

こんなに長い書き込みなので、ここまで読まない人も多いと思うので、狂犬病以外のことを書いちゃいます。元ニュースや検証記事で出てくる「獣姦」の問題です。

日本にもそのような文化があったことをご存知の方は多いと思います。日本ではヤギですね(有名な映画にも出てきましたね)。
そのような文化・風習の話や昔話のようなことではなく、身近なペット(犬や猫)が相手であるということをご存知でしょうか。猫は普通に考えたら無理だと思うのですが、私は30年以上前に、欧米ではそのような問題があると耳にした記憶があります。

そして2~3年くらい前のことになります。何処かの団体が譲渡した犬にそのようなことをしている輩がいるらしいとなり、該当犬を確保し、獣医に診てもらったそうです。獣医に「これはやられている」と確認していただき、警察に突き出すなり、何らかのことをしようとしたそうです。
確保までして診ていただいたのですが、日本の獣医さんは、そのようなことをされた犬の体がどうなるのかという教育は受けていません。情報もほとんどないでしょう。なので獣医さんの答えは「この状態ならば確実にやられているとは判断しかねる」となってしまいます。
つまり、(今の日本の現状では)犬を確保しただけでは訴えることはできないのです。(本人がビデオでも撮っているなど明確な証拠がない限り。)

そんな問題もこのニュースを見て考えてしまいました。

 

いつも思うのですが、こういうことを何故私のような普通の飼い主が書かねばならないのだろう。きっと誤解や勘違い、知識不足もいっぱいあると思いますが、恥を承知で書かねばと思わずにはいられないことが多々あります。
早く、全体についてコメントしてくれる先生が出てきて、しっかりした情報・知識を広めていただけることを心から願っています。

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2017年8月25日 (金)

鈴木直樹さん(クラリネット)

もう一年以上前だろうか。とあることがあって、必要性がない限り、ブログを直ぐに書くのはやめようと決めた。直ぐに読んでくれる人もいないようだし。
そうやって放置すると、「書くのを辞めよう」と思うことも多々ある。しかし「あ、後にしたらダメじゃん」と思うものも。今回はそんな感じ。
 

今月(2017年8月)の上旬、近所の世田谷区役所と若林公園で「せたがやふるさと民祭り」があった。今までは、馬事公苑前のけやき広場で行われていたのですが、オリンピックへ向けての改修のため、こちらでの開催となりました。

若林公園に行ってみると各地の特産品などの屋台が所狭しと並んでいた。見ているだけで楽しかった。

ふと思い出した。何年か前に、馬事公苑前のけやき広場で行われたイベントに、鈴木さんと青木さんとのステージがあった(そのときのブログはこちら)。このイベントには来ないのかなと思いましたが、調べた結果、来ないことが判明。

残念だな~と帰宅し、その2日後に鈴木さんから案内の葉書が届いた。「なんという偶然!」と喜んだのですが、既に予定が入っていたりと行けない日ばかり。

既に終わってしまったものもありますが、見えるか見えないか程度の画像を貼っておきます。

8月27日の「クラシックのジャズの融合」なんてコピーに惹かれます。
9月26日の西脇基金のチャリティーコンサートは、昨年聴きました。なかなかの迫力で良かったし、楽しかったです。こちらは今年も行こうと思っています。

鈴木さんのスケジュールはこちら

20170810a  20170810b

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2017年3月 9日 (木)

狂犬病についてのセミナー(2017年3月12日)

今度の日曜日(2017年3月12日)、こんなセミナーがある。(こんな直前に書いても、行けない人が多いと思うけど。)

https://www.jpc.or.jp/tokyo/archives/2286/

タイトルは、「ひとと動物の共通感染症-恐ろしい狂犬病(仮題)」。
主催は、「公益社団法人 日本愛玩動物協会 東京都支所」ですが事前申し込みは必要ですが一般の人も参加OKです

申し込みの方法は、こちらのページにあります。
協会会員でない方、管理士でない方は、会員番号、管理士 1級・2級は、不要です。
一般の方は、こんな感じになると思います。
 


件名:
ひとと動物の共通感染症-恐ろしい狂犬病(仮題)

本文:
ひとと動物の共通感染症-恐ろしい狂犬病(仮題)参加希望
お名前
連絡のつく連絡先電話番号


 
メールメールアドレスも書いた方がいいと思いますが、メールで送るのですから分かることでしょう。
これだけ書いて、上記のページに書かれているメールアドレスに送ればOKのはず。
たぶん、まだ定員になっていないと思います。

 

狂犬病について、おもうこと。

今の時期になっても(仮題)というのも如何なものかと思いますが、それくらい扱いが難し問題なんだと思います。

何故わざわざ宣伝するかといえば、狂犬病についての基礎知識がないまま、ネット上に無責任な書き込みが、年に1~2回盛り上がることがあるから。
今年に入って書いた昨年日付のブログにも書きましたが、特定の情報だけをもってきて、狂犬病全てに通用するような書き方をしている人の発言が、Twitterなどを中心に拡散される。

上記ブログにもありますが、知っているつもりだった私も、ちょっと本気で調べれば(ネットじゃなくて書籍とか携わっている先生に伺えば)、あまりに無知だったことが分かるし、世間一般で言われているような単純な病気ではありません。

今回のセミナーの講師の先生は、狂犬病臨床研究会という(教科書の中ではなく)実際の狂犬病についてリアルタイムで情報収集している団体の会長さんでもあります。
 

今回、講師の先生がどのような内容にスポットを当てるのか分かりませんが、狂犬病がない日本に(お隣の台湾のように)狂犬病が入ってきてしまったら、犬や猫、そして現在は放置に近いアライグマなどに対する接し方が変わります。その対象は、レスキューした犬や猫もです。

さらにワクチンのことをちょっと突っ込んで調べると、「これは気軽に語ってはいけない」ことに気が付きます。

幅広い意味で恐ろしい病気、狂犬病。
今度の日曜日のセミナーは、その基礎知識を得るいい機会だと思います。

ご興味ある方は、是非!!

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2016年10月31日 (月)

日本における、犬食文化について

とっても後書きの記事です。書いているのは、2017年に入ってから。今年(2016)の暮れに、「書いておきたい」思った内容の一つです。

 

狂犬病ネタをネットでチラチラ見る時期には、何故か犬食についても見るようになる。そして「昔、日本でも食べていた」と書く人がいる。その程度の書き方なので、まるで日本人が日常的に食べていたのかもと読めてしまう。どの程度の人が、どれくらいの頻度で食べていたのか、書いて欲しいものだ。

 

話は変わりますが、以前ラジオで話をしていたので、差別についての本を少々読んだ。
子供の頃から本を読まず、記憶型の勉強が全くダメな私は辞書的な本が苦手で、物語的なものならなんとか頭に入る。
差別関係の書籍でそのようなものとなると、上原善広さんという人のものがなかなか良い。実家が食肉店だったからだろうか、食べ物文化から差別を見るという手法を採ったものがある。それらが読みやすい。

その中に犬食についても少し書かれている。明治から戦時中のことを中心に、限られたページ数だが書かれている。
その内容を要約したものを書こうと試みたのですが、誤解される可能性があるのでやめます。

少しだけ引用すると、「戦後になると、(中略)、食糧事情の改善と共に食べられなくなった」とあります。

具体的なことを書かないで申し訳ないのですが、当時の世の中のことや日本人の考え方から結果的にそうなってしまった、と私は理解しました。本の中には書かれていませんが、私の頭の中に浮かんだキーワードは、開国、狂犬病、戦争。食べるものが乏しかった時代であり、殺生するのであれば出来るだけ無駄にしないという考えからであったからではないかと推測した。

また、健康改善を目的として食する文化を持つ地方のことも書かれていますが、日常的に食べていたものではないようです。
日本には食用犬牧場があったという話は聞いたことありませんから、多くの人が食べる文化はなかったはずです。
一時期、出荷業者があったことが書かれていますが、最も食されていたであろう時期であっても、(比較が不適切かもしれませんが)現在のスッポン料理よりも食べられてはいなかったと思われます。(本の中でも、それを仕入れていたのは、とても限られた地域であることが書かれています。)

 

「日本人も食べていた」と書くのであれば、いつの時代に、どれくらいの数の人たちが、どのような目的・状況で食べたのかくらいは書いてほしいものです。

端的に「食べていた」という文を読むと、「日本人は野蛮だった!」と言いたいんだろうなと読めてしましますが、私の知識だと、「日本人はいつの時代でも犬に助けてもらったんだな」と感じています。

 

参考までに、この本文中に出てくる私が読んだ本
被差別のグルメ 新潮新書 / 上原善広 〔新書〕

2017.1.22

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