2017年9月24日 (日)

どうぶつ愛護フェスティバル2017(上野恩賜公園)

昨日、タイトルのイベントに行ってきた。愛玩動物協会東京支所が出しているテントでちょっとだけお手伝いをしてきた。

日本中で、同じような名称のイベントがありますが、これは、法律で「動物愛護週間」が定められているから。この週間は、9月20日から26日と決められた(固定された)日にちになっているのも面白い。
国民の休日が、秋分・春分を除いて日にちが決まっていた時代に、「国民の休日くらい定着させよう!」と考えてのことなのかも。今となっては9月の何週目とした方が定着し易いと思ったりしています。

今年の(国をあげての)動物愛護週間のテーマは「ペットも一緒に防災訓練」。
1995年の阪神淡路大震災の以降、国は災害時のペットのことを真剣に考え始めました。しかしなかなか皆さんが注目してくれません。動いてくれません。どうしようと思っていたら、中越地震が起こってしまい、ペットのために車で避難生活を送る人が多々いらして、エコノミー症候群でお亡くなりになる方もいらっしゃいました。
これは大変だ!、とまた力を入れるも今一つ。その後も大きな災害がありましたが、そして、2011年、東日本が起きてしまい、今までなかった原発災害という悲劇が起こってしまいました。
国は、2004年の時点でしっかりと同行避難を打ち出しています。同行避難というのは、ペット一緒に避難所まで同行し、避難所内では(基本的に)人間とペットは別の場所で暮らす、というものです。とにかく避難所という、目の届く範囲にペットを連れてゆくことが出来る方法です。
しかし、これが国民に伝わっていない。避難所運営の基礎は(国民でもある)地元住民です。避難所の準備は、なかなか完璧には進みません。優先順位の高いものから準備を進めていきます。ペットの優先順位が低いことが多く、準備が実現されていない避難所がほとんどです。

しかし、東京やその周辺ではペットと暮らす人が増えました。もし大規模災害が起きて、皆が避難所にお世話になる状況が起こったら、避難所に多くの人がペットを連れてくることになるでしょう。

「決まりはある」 でも 「準備はされていない」

この矛盾を解決すべく、今回のテーマなのだとおもいます。

 

昨日の私は、おばまの関係があったので、ほんのちょっとの時間だけのお手伝いしか出来ませんでしたが、それでも吸収できるものがありました。

限られた時間で行ったことは、○×クイズの答え合わせ係。このクイズ、今回のイベントに向けて作ったものです。
災害時に飼い主がどのように行動するのがいいとされているのか、を皆さんに知っていただくためのものです。なので、「同行避難という決まり」に関わる内容が幾つかありました。
先にも書いたように、国は同行避難をしましょう!、と言っていますが、現場である各避難所では準備が進んでいません。クイズの答え合わせの時、その辺りのことを質問してくださる方もいて、同行避難がどのようなきまりごとなのか、ご存知ない方がまだまだ多いこと、そして同行避難を望む人が多いこと、を感じました。

遅く行って早く帰った私ですが、帰り際、ペットの災害時対応で尽力されている方に会い、現状を伺うことができました。
国は随分と前から考えて、地方自治体も関係団体との連携(協定など)を(書類上?)結んできました。しかし、大規模災害が起こっても想定していたようには機能しない。枠組みは出来ているのだから、それを上手く機能させればいいはず。そう言いながら阪神淡路から20年以上。東日本の時でも15年の時間がありました。それでもあれだけの混乱がありました。
新しい枠組みを作るか、今ある枠組みをより実用的にしてゆくか。現実味があるのは、基本は今ある枠組みをより実用的にし、それには、新しい補助的な力を取り入れる必要もあるだろう。そのような組み合わせが難しいのだろうな、と感じました。

でも、私たち普通の飼い主は、まず自分のこと、は何だろう。

自分が身を寄せる避難所が何処であるか確認する
そして、その避難所では同行避難の準備がどれだけされているのか確認する
満足な準備でなければ、されるように要望することが必要なのではと思います。

要望もしなければ、このままかもしれませんから。

 

共に暮らすペットが社会一般に認められる日がくることを、心から願っています。

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2017年9月17日 (日)

「多頭飼育」対策

「多頭飼育」対策で指針=飼い主ケアで連携-環境省
https://www.jiji.com/jc/article?k=2017091500167

上記の記事を読んだ。
私と動物愛護系の付き合いが長い人は、同じようなことを、ず~っと言っていたことをご存じだとおもう。私が思いついた訳ではなく、海外でそのような取り組みを行っている行政があり、これでないと確実に止めることは出来ないと思っているから。

なので、この記事に書かれていることはいいことだと思いますが、今までの法律や基準などが(私が想像していた様には)守られない現状からして、また絵に描いた餅にならないかが心配です。

まず、福祉部局との連携は必須だと考えていますが、それでも解決されない(再び同じ状況になる)ケースは無視できないだけ出てくるはずです。
そのようになったときに、多頭飼育崩壊と言える状況になった時点で所有権を放棄させるように法律が改正されればいいと思いますが、まず線引きが難しいと思うし、そもそも所有権を強制的に放棄させることは日本の法律では難しいことだとおもいます。
法律(動物愛護管理法)の中に、44条の2程度の飼育(飼養)が出来ないのであれば、飼育を諦めなさい(所有権の放棄とは言わない)とするくらいでしょうか。

実質的に出来るとすれば、法律でこんなことを書けばいいのかも。
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飼育活動が出来ない状況(長期の入院や収監等、また、在宅していても疾病などで飼育活動が出来ない場合を含む)が続いた場合(その状況が予想できる場合はその時点で)、飼い主は確実に飼育をしてくれる人(もちろん法に書かれている虐待をしない人、法に書かれていることから考えられる通常の飼育が出来る人)を指名し、その人が責任を持って飼育を行うこととする。指名できない場合は国が指名する。この期間の費用は飼い主が全額負担する。
この費用が担保できないのであれば、国が動物たちを買い上げる。その金額は動物たちの取得費用とする。
===========
というような感じで「あんたには無理でしょ?」と諦めさせるしかないのかな、と思っています。
「えっ?、国じゃないでしょ?、都道府県でしょ?」と言いたい人もいると思います。法で都道府県に任せる理由は、地域によって動物による付き合い方が違うからということのはずです。この件は、法律の44の2に書かれていることを基準にするので、国が判断するべきことです。都道府県で判断がまちまちであってはならないことではないでしょうか。

海外では飼育禁止命令を出すことがありますが、私の知る限り、日本でそれをやっても無視というか再び同じ状況になることでしょう(海外でもそのようだし)。
飼育禁止命令を出すという形式はいいと思うので、その後のケアと言えばいいのか監視がしっかり出来ればいいのではないかと思います。その意味ではこの記事の方向性はいいとおもいます。
先ほどの飼育を任された人だって信用できない人がいるでしょうから、やはりケアというか監視が必要になるはずです。

では、この飼育代理人(勝手に命名)や飼育状況監視人(これも勝手に命名、代理人の飼育も監視)を誰がやるかです。いい加減な人にやってほしくありませんが、日本の社会の慣習からして、これらの人がビジネスになるならば認められる可能性は大きいと考えます。
生体販売が厳しくなってきたペットショップの店主や店員の転職先、シェルターや一時預かりさんの活動資金の獲得先として、考えることができれば現実的になってくるのではないでしょうか。
つまり、動物取扱業者であり、特別な資格(←代理人や監視人という資格か免許を作る)を持った人。優良な飼育知識をもっているというお墨付きにもなる。個人的には、今までシェルターワークで頑張ってきた人(里親の見定め、アフターフォローもしてきた人)たちになってほしい。

言いたいことはいっぱいありますが、時間がないのでここまでにします。

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2017年9月 7日 (木)

アニマル・ウェルフェアサミット2017

先月の終わり(日曜&月曜)にタイトルのイベントに行ってきました。
https://peraichi.com/landing_pages/view/aws2017-programs

行くまでは、あまり良い印象がありませんでした。
実際行ってみても、「もうちょっと考えた方がいいのでは?」という発言もありましたし、「それはこのテーマで話すことではないのでは?」と感じる内容を連発していた登壇者もいらっしゃいましたが、多方面の行政と向き合い、地元の人たちに理解・協力していだき結果をだしている人の話はとても勉強になったし、話し方も気持ちよく聴くことが出来、このような話し方で物事を進めていくんだろうなと思ったりしました。

一日目で、とても勉強になったのが、「日本の動物たち ~動物園、野生動物、エキゾチックアニマル~」。

各分野で活躍している先生方のお話。明るく冗談ぽく話をするのですが、それを行うまでのご苦労がどれだけのものなのか想像すると、胸が熱くなるものがありました。

このプログラム内では、具体的な活動の話がとても良かったのですが、それ以外の一般的な話の中で「うんうん」と思ったこと。

・ (犬や猫は)家族だけど社会の一員ではないと考えている

・ 欧米では生体販売がほとんどされていない地域が多々あるが、それらの多くは、法律によって禁止されたのではなく、幅広い人たちがそのように考えるようになった結果。日本もそうなってほしい。

このプログラムの中では、如何に社会と向き合い解決してきたか、その事例が多々発表されました。何かを無くすのではなく、進歩することで解決することが、その状態が根付く結果(斉藤先生の言葉だと「環境治療」)になるんだなと思いました。

 

二日目では、刺激的過ぎて目が白黒してしまった発言のオンパレードのプログラムもありました。これを皆様にどう伝えたらいいかなと悩んでいるところです。

法律のプログラムでは、日本における法律の歴史がとても興味深かった。
(皆さんは資料をいただいていたようなのですが、私は「その封筒はもう3つもいただきましたから」と拒否してしまい、いただいていないので、私のつたない記憶で書きます。記憶間違えがあったらゴメンナサイ。)

日本の記録に残っている動物愛護は、生類憐みの令がはじめだろうと思っていたら、大化の改新の時代に二つあったという。
一つは(仕事をしてもらう)牛馬に酷いことをするんじゃないよ、という内容で、もう一つは、必要ない動物は野に放しましょう!、というような内容。後者の感覚が今でも続いているのでは?、という話もありました。

びっくりした話として、明治以降の法律として(プログラムの中では説明がなかったが一般的に狂犬病予防法のはじまりであると言われている)畜犬規則の説明です。
「畜犬登録」以前の日本には、特定の飼い主という意識が希薄で、「里犬」と呼ばれる、人間の集落(里)に居ついた犬(現代的に言えば町中の野良犬?、地域猫的な地域犬?)という存在だったと海外の文献に書いてあったという。余談ですが、里犬に対して山犬であり、これは、人と関わらない、今でいうところの(野良犬ではなく)野犬(ノイヌ)的存在で、オオカミも含まれていたと考えられているそうです。
何故、飼い主をはっきりさせるようにしたかというと(プログラム中では狂犬病の話はなく)、「欧米からの指導」だったらしい。

現在でも、「放す」「犬も犬で勝手に(?)生きてゆく」的な感覚が今でもあり、飼いきれなくなった犬(に限らないけど)を放してしまう人が後を絶たないのかも。

動物愛護管理法の「愛護」の部分の基本的な考えは、動物虐待を許していると風紀が乱れてよろしくないから。1999年の改正のキッカケになったのは、1997年の神戸連続児童殺傷事件の犯人が動物虐待をしていたということもある。
少々違うが、風紀を乱すという意味で、公然わいせつ罪の話があった。公の場で、裸になったらイケナイですよね。しかし家の中でも問題にならない。動物の虐待は家の中でも法に触れるところが違う。

この部分の説明が、この辺りで切れたのが気になった。法の第一条(目的)の一部からこのことを説明していたのですが、公の場とそうでない場所(自宅内など)では、考え方が少し違うのかな、とも思いました。

動物をみだり殺したり、傷つけると、2年以下の懲役又は200万円以下の罰金(44条)ですが、法改正がある前は、軽犯罪法の器物損壊等で、3年以下の懲役または30万円以下の罰金もしくは科料(刑261)で、罰金の金額は動物愛護管理法(現在=改正後)の方がとても高くなっている。こんな話も尻切れ感ありで、ありました。

時間がとても限られていた都合上なので、改めて何処かで聴くことができたらなと思っています。

 

こんな話を聴いた翌日、以下のような報道を目にした。
http://www.sankei.com/life/news/170829/lif1708290022-n1.html

ネットでダウンロード出来るという意味では風紀を乱しまくっていると思います。13匹という数からもそれなりの刑事罰としなければ、この法律はなんなんだろうと悩んでしまいます。

容疑者は「有害動物の駆除だから」と主張しているようですが、殺人罪の「殺意の立証」のようなことが動物虐待でも必要になるのかなと思ったりもしますが、44条を読む限り、そのような必要はないと思うのですが。

 

現在の動物愛護管理法はどても大きなものになりましたが、あまり機能していないのではと感じる部分が多々あります。この事件がどのように扱われるのか注目しているところです。もしこの事件が裁判にもならなければ、この法律は絵に描いた餅を並べているようなもの、と理解しなければならなくなるかも。

 

最後は、アニマル・ウェルフェア・サミットとは関係ない話になってしまいましたが、この事件を理解するためにも、行って良かったと思います。
その他、自分と理解・見解が違う部分も勉強になったし、危機感を抱くこともありました。それらは全て有意義でした。

動物愛護は、考えの違う人、自分と違う経験をしてきた人等々が議論し、方向性がまとまらないことが多々ありました。そのようなことは最近は減ってきたと実感していいましたが、今回参加して、まだまだ残る「まとまらなさ」の現状を感じることが出来たとても貴重な機会でした。

来年も、時間が許せば参加したいです!

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2017年9月 4日 (月)

狂犬病のロバのニュースにおもうこと

自分の周りで取り上げている人がいなかったので、頭に浮かんだことを書いておく。

日本で報じたのは、ここだけかな。
http://news.nicovideo.jp/watch/nw2927596

検証したのが、こちら。このような作業は簡単ではないので有難い。日本の動物愛護報道もこれくらい念入りに調べてほしいものです。
http://www.netlorechase.net/entry/2017/08/25/080000

全くのガセではありませんが、狂犬病に罹ったというのは確証がないようですね。そもそも狂犬病に罹った確証がもてるのは、亡くならないと、ね。
 

狂犬病のことをあれこれ言う人がまだまだいますが、まず狂犬病の確定診断の方法をご存知だろうか。人間の場合、それらしい動物に噛まれて、その後、噛んだ犬にそれらしい症状が出たことで、その犬は「狂犬病だろう」になりますが、科学的な「断定」とは言えません。

噛んだ動物にはお亡くなりなっていただき、髄液からのウィルス分離するなどしないと「確定」は出来ません。確定出来るのは、噛んだ犬。人間が感染した可能性はありますが、これも確定ではありません。

生きている時の症状だけで確定出来るのでは?、と考える方は、狂犬病臨床研究会が行っているセミナーなどで、狂犬病の犬や猫の行動を見てみてください。他の病気の症状を幾つも知っている人なら尚更かも。

なぜ臨床研究会の資料が貴重かといえば、WHOは狂犬病の「疑い」のある動物にはお亡くなりなってもらってください、としているので、明らかな狂犬病の犬や猫の映像が少ないのだそうです。

ロバの記事を読んだ時、ロバが狂犬病ウィルスに暴露されてから発病し死に至るまでの行動様式(犬ならば身近なものに齧りつくなどの特異的な行動とその期間)はどうなのだろうか、というものが気になった。

昔、狂犬病の草食動物の映像を見た記憶があるのですが、映像ではあまり動いていなかったような記憶がある。ただし、そのときの説明では何かしらの特異な行動を起こすような説明があったような記憶がある。とにかく、全く忘れたに等しい状況です。

感染が成立するくらいの状態で、ロバがどれだけ(感染して「いない」とおもうくらいの)正常な動きをする期間がどれだけあるのだろうか。もしそのような期間があった場合、ツバを飛ばすことで有名なロバですから、そこからは感染しないのだろうか、などと考えてしまった。

ここまで読んで分かると思いますが、哺乳類が狂犬病に罹ることは分かっていますが、罹った動物がどのような行動をとるのか知らない人がほとんどで(WHOが「疑いがあったらお亡くなりになっていただいたね」と指導しているから資料がない)、もしかしたら、健康な動物と区別つかない動物が実は罹っていたということも有り得るということです。

現在、日本国内で感染がないからと安心していますが、住宅街に生息するハクビシン(家の中に入ってきますから)などで感染が始まった場合、初期の感染拡大を止めるのは困難になるのではないかと思われます。(台湾では野生のイタチアナグマに狂犬病の流行があり、人間の家の中に入り込み噛みついてから騒ぎになった。)

もちろん、仮の話ですが、「人間が知らなかっただけで既にハクビシン間では狂犬病に流行がありました」となったら「犬にも感染しているかもしれない」となるでしょう。その時、どのようなことが起こるのか、恐ろしくて考えたくもありません。

 

狂犬病は、国長らく内での感染が「確認」されていないので、「もう対策の必要もないだろう」と考える方もいらっしゃるようです。しかし、確認されていないだけで、どこかで感染がおきているかもしれません。台湾でも、「よくよく調べたら(山の中の野生のイタチアナグマ同士で)何年も前から流行していた」となりました。
この病気の面倒なところは、感染したかどうかがはっきりさせられないということ。もし日本も(世界のほとんどの地域同様)狂犬病が存在する国になったとしたら、咬傷事故の意味合いや、シェルターでの殺処分基準も変わってくることでしょう。今、犬を飼っている人の中でも飼い主が処分を検討する人が出てくるかもしれないと、私は考えています。

現在、日本に於ける狂犬病対策の混乱について、私なりに調べ続けてきました。やっとその答えが見えてきましたが、それについては、改めて書くことにします。

 

こんなに長い書き込みなので、ここまで読まない人も多いと思うので、狂犬病以外のことを書いちゃいます。元ニュースや検証記事で出てくる「獣姦」の問題です。

日本にもそのような文化があったことをご存知の方は多いと思います。日本ではヤギですね(有名な映画にも出てきましたね)。
そのような文化・風習の話や昔話のようなことではなく、身近なペット(犬や猫)が相手であるということをご存知でしょうか。猫は普通に考えたら無理だと思うのですが、私は30年以上前に、欧米ではそのような問題があると耳にした記憶があります。

そして2~3年くらい前のことになります。何処かの団体が譲渡した犬にそのようなことをしている輩がいるらしいとなり、該当犬を確保し、獣医に診てもらったそうです。獣医に「これはやられている」と確認していただき、警察に突き出すなり、何らかのことをしようとしたそうです。
確保までして診ていただいたのですが、日本の獣医さんは、そのようなことをされた犬の体がどうなるのかという教育は受けていません。情報もほとんどないでしょう。なので獣医さんの答えは「この状態ならば確実にやられているとは判断しかねる」となってしまいます。
つまり、(今の日本の現状では)犬を確保しただけでは訴えることはできないのです。(本人がビデオでも撮っているなど明確な証拠がない限り。)

そんな問題もこのニュースを見て考えてしまいました。

 

いつも思うのですが、こういうことを何故私のような普通の飼い主が書かねばならないのだろう。きっと誤解や勘違い、知識不足もいっぱいあると思いますが、恥を承知で書かねばと思わずにはいられないことが多々あります。
早く、全体についてコメントしてくれる先生が出てきて、しっかりした情報・知識を広めていただけることを心から願っています。

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2017年8月18日 (金)

新宿のデパートで譲渡会

最近、ネット上の情報を見るのが億劫になってきた。
犬猫関係の情報は色々と有益なものが多々あり、頭に入れておきたいと思うのですが、それを幅広い(動物愛護や動物福祉に関心を持っていない人も含む)人たちに知らせることは、困難だと感じている。自分だけ知って、「オレ、知っているぜ~」と言っても世の中、変わらない。そんなことを長年感じていましたが、その足踏み状態を、最近は特に感じています。

なので以前に比べてネットを見る時間が減った。目に入る情報は偶然に見た!、という感じ。その中に、こんなブログがあった。

後悔?|NPO法人ねこけん Official Blog
http://ameblo.jp/naoofjapan/entry-12300426639.html

賃貸の共同住宅で、ペットOKではないけど「結構飼っている人いるみたいですよ」という噂(とれとも仲介業者の甘い囁き?)を耳にして入居してしまい、入居後にトラブルとなる話。(ブログでは共同住宅とは書いてないですが。)

「NOP法人ねこけん」という団体は、命の危機にさらされている猫を保護し、健康を快復させてあげて、新しい飼い主を探すという活動(←私の理解)をしている。
そのような団体に「バレちゃったから、どうにかして!」と連絡が入るという話である。

ルールに反して入居したことを自覚しているのですから、そのツケを他人にまわすというのは如何なものか。

この問題は以前からあった。しかし、こちらのような活動をしている団体に余裕がなく、このようなケースを対応することは出来なかった。今でも対応できるだけの余裕がある団体はとても少ないと思う。
ブログの冒頭に「増えて来ている」とありますが、対応出来なかっただけで、対応してくれると知れ渡ったらどんどん増えると思います。

このような飼い主たちは、今まではどうしていたのでしょう。もし自分で対応出来るのであれば、今もそうすることでしょう。出来ないとなると?
たぶん、猫たちは命の危機にさらされて運のいい猫は、巡り巡ってこのような団体に保護されることになるのでしょう。

このブログで、いざとなったら逃げてしまうような飼い主が、この日本には多いことが、どんどん明るみになってゆくことでしょう。もしかしたら、あなたの知り合いの中にもいるかもしれません。

 
そんなことを考えながら読んでいたら、文末に、新宿の京王百貨店で譲渡会をやると書いてある。「わんにゃんEXPO」というイベント内とのことですが、新宿の百貨店で譲渡会です。

※開催日は、2017年 8月19日(土)、20日(日)
(このブログ公開日の翌日からです。)

譲渡会というのは、飼い主に放棄されてしまった猫などに、新しい飼い主を探すイベントです。会場に来た人は、そこに並んでいる猫からお気に入りの猫を探したりするのです。

ほんの10年くらい前までは、23区内であれば譲渡会の会場として貸してくれる場所を探すのにとても苦労しました。借りられるようになると、いつもそこで行うような感じでした。(今でも貸してくれる所は少ないと思います。)

このような団体の日々の活動が認められ、少しずつ借りられる所が出てきたのですが、イベントの中での開催とはいえ、百貨店に猫を持ち込めるとはスゴイです。

会場に猫が居ることもスゴイですが、会場は7階の催事場。そこまで猫が通るのです。もちろん箱(キャリーやケージ)に入ってのことだと思いますが。
今の日本では、猫の毛にアレルギー反応が顕著に出る人がいることを理由に、建物内に入れることを拒むのが普通です。(犬は粗相と吠えるのを心配されますが。)
百貨店内を通って、催事場に何時間か居るというのは、百貨店の懐の深さを感じます。

私は、今後、新宿の百貨店に用事が出来たら、迷うことなく「京王百貨店」を選ぶことにします。

 

この団体のHPに行って、この譲渡会についての説明ページを探してみたら、下記のページがありました。

http://nekoken.jp/jotokai/schedule/

アドレスからして、この催事が終わったら別の内容に書き換わってしまうと推測されます。
「新宿の百貨店でやった!」という事実が残ったら嬉しいなと思ったのですが、残念。

 

イベント全体のページを探したら、ありました。

https://www.keionet.com/info/shinjuku/event/wannyan.html

上記ページの真ん中よりも少し下辺りに情報が掲載されています。
以下の文字も!
=====================
「都内最大級で開催」
両日ともに約150匹の保護ねこが来場します。
=====================

150匹の猫を7階まで運ぶだけでも大変そう(色々な意味で)。

 

陰ながら、色々な意味で成功を祈っています。
数多くの猫に、新しい飼い主さんを見つけることが出来た!、も嬉しいですが、例えば、猫が150匹通っても、催事場の中にいても、問題は起こらなかった!、という実績だけでも大きな収穫です。
譲渡会に限らず、盲導犬をはじめとするイベントを検討し易くするかもしれないし、このような積み重ねは、賃貸住宅での飼育の許可を検討する大家さんの増加にも影響することでしょう。

「猫を飼ってみようかな」と思っている人は是非、足を運んでいただきたい。
本気で行こうと思う人は、先日のこちらの書込みも読んでいただければ幸いです。こちらの団体が、この漫画に書かれているような条件なのかは、私は知りません。
しかし、前半に書いたように「たぶん大丈夫だろう」と飼いはじめ「やっぱりダメだった」にならないように。

熱心に活動されている団体のご苦労、ジレンマをご理解の上、来場されて、飼い主にならなくとも、譲渡の条件等について理解を深めていただけたらと願います。

猫を目の前にして、一生懸命頑張っている人たちの話に耳を傾ける。そこに、その猫たちが居る。そんな場所で聴いた話を誰かに話ししていただければ嬉しいです。

文字だけでは伝わらないことありますし、都合のいいことだけ書けますし。

 

とにかく、譲渡会の成功を祈っています!

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2017年8月10日 (木)

写真展『写真家チェ・ゲバラが見た世界』

タイトルの写真展に「行きたいな~」、と思ったのですが、ここのところなかなか自由に動けない。「近くだったらな~」と思ったら、まま行き易い場所。ちょっと無理して行ってきました。

20170810
写真展『写真家チェ・ゲバラが見た世界』
http://che-guevara.jp/

展示は、「写真」と「説明文が書かれた大きなボード」、そして何箇所かに設置された「モニタから流れるビデオ」。ビデオは全て違った。

会場がそれほど広くなかったこもありますが、全てのモニタに人だかりが出来て、皆真剣に見ている。その周囲の写真は見ることが出来ない。
ほとんどが中高齢者でかつ、幅広い感覚の人たち。男女比も半々くらい(女性の方が多かったかも)。そして皆、写真、説明ボード、ビデオをよく見ていた。

 

彼の名は、エルネスト・ゲバラと言うらしい。「チェ」は何かというと、(ボードに書いてあったのでうる覚えですが)何処だかの言葉で「ねえ、君」を親しみをもって投げかける時に使う言葉だという。旅先で彼がよく使っていたとか。

このことが記されたボードは、入場してすぐにあった。
このことを読んだ私の頭の中には、井上陽水さんの桜三月散歩道が流れた。デートの行き先を彼女と話あう歌なのですが、人が死んだり狂ったりする不思議な歌詞の曲なのです。
http://www.kasi-time.com/item-12222.html

ゲバラの人生は奥さんに支えられた部分も大きかったようだ。ビデオの中でインタビューに答えている姿が幾つもあった。とても知的な雰囲気の人である。
『写真家チェ・ゲバラが見た世界』となっているが、やはり私には「革命家」ゲバラとしか見えなかった。奥さんや子供も命を狙われることもあったのではないかと思いますが、インタビューでは、そのようなことは全く感じなかった。話の内容は、素敵なご主人を思い出話の範囲を出ない感じだった。

 

写真は確かによく撮れている。記者としても職を得ていた時期もあったようだ。
しかし、世界を駆け巡るようになった彼の写真を見ていると、写っている向こうやその手前のことを考えします。工場、遺跡、戦場、それらの背景やこれからなどを考えてしまう。工場や大きな遺跡には人の姿が少ないものが多々あった。そこに写ってなくとも、多くの人が関わったことは感じ取れる。
そんなこともあってか「写真家」ではなく「革命家」「政治家」としか、彼を見ることが出来なかった。

 

あれだけのカリスマ性はどのように築かれたのかに興味があった。
一つは、現場でよく働く。指揮するだけでなく自分が体を動かす。休むことはないそうだ。
このような人は見たことがある。これだけではないと思っていた。

彼は、本をよく読んでいたという。医師の資格も持っていた。勉強が好きだったのだろう程度に思っていたが、とにかく本が好きで文学は、小説だけでなく詩もとても多く読んでいたらしい。そして哲学にのめり込み、マルクス主義に傾倒してゆく。

多くの文字を残したゲバラですが、口から出る言葉もとても魅力的だったのではと想像した。奥さんが二人だけの会話を話すシーンがありますが、ラブラブな雰囲気が伝わってきます。
「チェ!」と声をかけられ、共に働き、語り合えば、彼の魅力の虜になってしまうのでしょう。

キューバの主導者になった彼が「これから国をどうしょうと考えてますか?」と質問されて「それは私が考えることではない。国民が考えることです」とか答えていた。

世の中を変えるには、現場を理屈で組み立てるのではなく、現場の人たちの気持ちを一つすることだ、ということを再認識しました。

 

ゲバラの有名な写真がありますが、若い人はあの写真のTシャツを着ていたりします。私には理解出来ないので、あるとき着ている若者(と言っても渡りより10も若くないと思う)に「あなたは彼の思想を支持しているのですか?」と訊いたことがある。「そういうことはよく知りません。ファンションとして着ているだけです」と。
ゲバラはそういう人じゃないと思うんだけど、と口から出そうになりましたが、「そうですか」で終わりにした。

顔写真だけでも魅力的なゲバラ。

私は、子供の頃、彼のことをゲリラの親分くらいにしかおもっていなかった。今は、歴史上、最もカリスマ性のある人間の一人だと確信している。なので、プリントされたTシャツを何気なく着てしまう人もいるのだろう。

 

子供の頃から本が好きだったのだろう。そして遊ぶことも好きだったようです。病弱にも関わらず激しく体を動かすことを好んだとか。そして大学生から続けた旅。
本の中で多くの人と出会い、遊びで実物の人間を感じ、旅で多くの人と出会い「チェ!」と語り掛け共に働き、しっかり結果を出す。

彼の魅力が理解できた展示でした。

 

それでも最後まで「写真家チェ・ゲバラ」とは思えませんでした。「革命家」の方が本人象に近いですが、「素敵な人」ゲバラが彼を表しているとおもいます。

彼には、どんな肩書をつけても、それ以上のものを感じしまうのでしょう。

人生の何処かで、そんな人と出会いたいものです。

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2017年8月 8日 (火)

夜廻り猫 【第二九一話】

この漫画を見て、「私もそうおもう」と感じた方、少なからずいるではないだろうか。

http://www.moae.jp/comic/yomawarineco/291

団体側の対応ももっともだとおもう。そうならざるを得ない状況も理解している。

それは譲渡会だけではない。
2000年施行以降、約五年ごとに改正される「動物の愛護及び管理に関する法律」とその周辺の基準や規則を読んでいると、同様のことを感じる。

もう一年近く前だろうか。「お金のない人は犬を飼ってはいけない」というような発言が注目された。これももっともだとおもう。しかし、何かがしっくりこないものがある。

この日本において、この若者のように考えるのは普通のことでした。それに対し、生涯飼育の全うすることを考えれば三コマ目の考えは当然であり、それをしっかり考えていない人の中から問題を起こす人も出てきてしまったことも事実。
そんな時代の流れを知らずに譲渡会へ行った人が、「時代は変わったんです。もうこれが常識なんです。だからあなたには渡せません」は酷だと思う。

東日本大震災が起こる前は、引き取りたいという人は(今に比べれば)少なかった。引き取りたいと考える人間が増えた理由については、流行と言ってもいいような側面もありますが、基本的なことが知られるようになった。その知られるようになった原動力の一つが「流行」であったことも否めない。

知られるようになったこととして、住宅街に於いては完全室内飼育が原則であることと、避妊去勢した猫であれば、猫にとってもストレスが少なく室内飼い出来ることがある。インターネットを利用する人が増え、そのような情報に触れる人が増えたことも大きいだろう。書籍や雑誌なども出版されている。

このように「里親になりたい!」と考える人が増えたことはなんとなく理解できる。

 

この漫画の中の三コマ目で、猫の里親にと申し出た若者に以下の説明をもって「無理です」と告げる。

------------------
あなたの
収入が途絶えたら?
病気になったら?バックアップ体制は
無しですか?
------------------

このような活動をしている団体の中にも、資金繰りが上手くいかず、動物たちの管理がお手上げになった団体もある。
代表の人が倒れたらやっていけないのでは?、と思う団体もある。
「私達頑張ります!」と孤軍奮闘しているような団体も昔は多かった。

そのようなことから、このような団体は法律で監視される対象となった。しかし、その監視もまだまだ行き届いていないと感じる。現実問題として、「さてどうやって監視しましょう」となると確かに大変なことである。常に見張っている訳にもいかないし。

団体の監視の方法が確立されれば、里親希望者の判定方法にも活かせるかもしれませんね。

 

発展途上の現状が、よく分かる漫画だとおもいました。

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2017年7月23日 (日)

いい記事だとおもったら

最近、マスメディアの記事が酷いと感じることがある。ペット関連のものだけではない。Twitter の書込みを持ってきて、それを記事にしたり、構成の要にするのには「手抜きじゃないの?」と感じてしまう。その発言について、裏付けを示せばいいのですが「こんな書き込みがあったから、私の考えは正しい」と言わんばかりの使い方には、呆れるばかり。

個人のブログなどで表現の自由の範囲で書込むことと(このブログのようにね)、プロが責任をもって(お金もらって)書いている記事との境目が分かり難くなっている。また、キュレーション(まとめ文書)とプロの方の記事の境目も分かり難い。

読み手として、プロ記者の記事は信頼して読みたいです。その信頼を裏切らないようにしていただきたいものです。
 

ペット関連にしても、「上っ面だけの情報を集めて、思い込みで構成している」と感じるものが多々ある。その原因は(取材する相手の)プロとか先生と呼ばれる人たちが現場から離れていってしまっているからだろう。表現を変えれば、多様性を認める現在、身近な動物との関わりというパーソナルな部分の多くを、プロであっても網羅することは困難になってきている。
また技術の進歩の速さもある。新しい技術を知らない先生、知っていても活用の仕方を理解していない先生をよく見受ける。

そんな中、以下の記事は、「いい記事だな」と頷けながら読めた。

マンションでペットをめぐるトラブルが絶えない理由
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20170721-00135885-diamond-bus_all&p=1

「へぇ~、どんな記者の人が書いているんだろう。こういう人の記事を読みたい」と思ったら、不動産管理などをやっている会社の社長さんだった。現場のことをよくご存じな訳ですね。

マンションに限らず共同住宅は、入ってしまってから、「えぇ~~~、こんなことがあるの?」「こんな人が入居しているの?」、という話は多々聞く。逆に「規約には厳しいこと書いてあるけど、実はこんな感じで過ごし易いよ」ということも。

この記事の締めくくりが「ペット問題は 元を正せば人間関係の問題」となっていますが、共同住宅内は、プライバシーが守られていると言っても、やはり地域共同体とならざるを得ませんから、人間関係、つまりコミュニケーションは必須といえるでしょう。

ペットを飼って人間関係から距離を置きたいと考える方が少なくないようですが、私はペットを通じて人間関係を広めていってほしいと願っているし、そうしないと、この記事のような問題が起こり続けるのではないでしょうか。

 

余談(この記事とは関係ないこと)。

私は、ペットという言葉があまり好きではありません。出来ればコンパニオンアニマル(なので、ペットを通じて人間関係を、と考えます)と言いたい。
しかし、現実としてペットとして付き合っている人は多い。

同様のことで、この記事中に「ブリーダー」という単語が出てきますが。日に当たることが出来る運動場を持たない人をそう呼ぶのは如何なものかと思っていますが、現在、日本における認識としては、この記事を書いている社長さんの感覚が圧倒的多数だと思うので、記事としてはいいと思います。
しかし、プロとか先生と呼ばれる人たちには、ブリーダーはただ衛生管理や健康管理をしっかりして繁殖するだけではないことぐらい知っていてほしい。

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2017年7月 2日 (日)

都議選の日となりましたが

昔は選挙の度に似たようなことを書いていたような気がする。ここのところ書いていないけど、たまには書いちゃいます。

ニュースでは政治に関わることを連日流しています。まるで国民全体が政治に興味があるかのように。それはネットも同じ。

与党のやっていることはおかしい!、政策がおかしい!、、、、などなど。

マスコミやネットでは、そのようなことが流れる。まるで多くの人が興味をもっているように。若い頃は、大きく盛り上がる度に期待したものです。

しかし、日常生活ではどうだろう。学校で、会社で、友達同士で、家族で、話をすることはどれくらいあるだろうか。

今回も都政には色々問題がありますが、投票率はどれくらいになるのだろうか。40%台にはのってほしい。良くても50%くらいだろうか。過半数に満たない人の投票で決まってしまうことに疑問をもっているのは私だけだろうか。
数字はともかく、投票率が上がらない限り、世の中は変わらないだろう。

SNS 上で特定の話題が盛り上がることはありますが、日本全体からみれば小さなコミュニティー。内輪の話。
同じ考えの人が集まって話合うことだけを続ける限り、大きな変化は見られないでしょう。
一人一人が個人として、「私はこう考えています」と口に出来て、それを聞いた隣の人が「あなたはそうですか、私はこう考えます」と会話が出来る世の中にならない限り、大事なことほど見えない所で決まるような世の中は続くのだろう。

 

身近な動物のことも同様のことを感じる。
多くの人が頑張って、一歩一歩前進して来た。それは私の予想を超えて凄いスピードで進んできている。
しかし、少し距離を置いて見てみると(日本全体からすれば)限られた人たちの活動であり、同じ感がを持った人たちが少し仲間を増やしだけの意識改革にも見える。
「日本全体」としての進歩を望むなら(動物に関係ない人も)一人一人が問題について認識し、ここまで進んできた法律などを知る必要があると感じている。

 

さて、今日の天気はどうだろう。そして、投票率はどれくらいだろう。
ちなみに、私は期日前投票を済ませています。期日前投票というお手軽な方法があるのだからもっと投票率が上がってもいいとおもうのですが。

残念です。

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2017年6月23日 (金)

友達が逝った(その3)

つづきものです。

友達が急逝して、もう一ヶ月以上が経ったことになる。もうそんなになるのか、と不思議な感じだ。まだ、彼を身近に感じる。

何事に於いても綿密に準備をし、ことを進め、終わったら分析するような人間だったので、急逝したことを恥じていることだろう。
彼の予定では、亡くなる前日に退院し、帰宅後、事務的なことをしっかり済ませ、その後は何があっても周囲に迷惑をかけないようにするつもりでいたことだろう。しかし、それが叶わず、周囲の者は何かと混乱しています。

冷静に考えれば「迷惑をかけやがって!」のはず。
しかし、それらに対応していて不快に感じない。

知らない人と連絡をとりお願いすることが何回か。恐る恐る連絡をし、用件を伝え、今後のことを話し合うと、「いい人だなぁ、今後も付き合いたいな」とおもう人ばかり。来年の(亡くなった友達が毎年主催していた)花見に誘う約束を交わした人もいる。
通夜・告別式には久しぶりに顔を見た友達もあった。疎遠になっていた友達たちもまた、集まりに顔を出してくれそうです。

「普通、この書類は分かり易い所に置いておくだろう」というものが幾つか見つかりません。そのため遺族は右往左往で、私達友達はそのサポートをすることもあるのですが、何故かそれが苦にならない。亡くなったことだけでも悲しいはずなのに暗くならない。

人は亡くなった後に、その人の価値が分かるといいますが、まさにそれを実感しているところです。

 

市川海老蔵の奥様である小林麻央さんが亡くなったとのことで、海老蔵が会見しているのをるぴなすのテレビで見た。
奥さんが亡くなっても仕事をこなすのは芸の道に生きる者として当然だけど、会見は辛かったのではないかとおもう。

旅立つまでの時間があるこの病気は、その時間を充実させるものにも出来れば、本人や家族を追及するような時間になることもある。それは各自の考え方により変わることかもしれません。

旅立ちに関わった人たちが、何を得るかは本人次第のところは大きいとおもいますが、旅立った人間がそれまでにしてきたことも大きいのだなと日々感じているところです。

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