2018年5月 3日 (木)

たまには福島のことを思い出す

東日本大震災の後、幾つかの大規模災害もあったためか、東京の人間の記憶から福島のことは、年々薄れているように感じます。我が家には、今でも人が暮らすことが出来ない地域で保護された猫(おばか)が居ますので、福島のことを忘れることはありません。福島から送られた電気で、このパソコンが動いていることも忘れることはありません。

最近、そんな自分がおかしいのかなとおもうことがあります。もう多くの人の興味は福島に向いていませんから。

何かアクションを起こしてほしいのではなく、忘れないでいてほしいとおもっています。若い人たちには特に。たまに思い出すくらいの機会を作っていただけたらと願っています。

明日・明後日(2018.05.04 & 05.05)、お時間ある方は、難しいことは抜きにして、代官山に行ってみて、福島のことをちょっと思い出し、そして福島とは全く関係のないライブやマルシェ、その他、代官山の街を楽しんでみたらとおもいます。

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ここ何年か私は、代官山でゴールデン・ウィークに行われるイベントの手伝いをしています。イベントの手伝いというと本格的なものもありますが、誰でもできるようなことを、予定が空いていたら手伝うという感じ。
今年は、朝、看板の組立て設置をしました。それだけ。

ボランティア活動で知り合った人が、春花祭という大きなイベントの中で、動物関係の展示やフリーマーケットなどをやっています。フリーマーケットは、掘り出し物いっぱい(今日でなくなったかな)。自分も買いたいものがあったけど、そこは我慢。
会場は、サイバード2階。地図はこちらですが、私のPCだと左上の「+」を何度もクリックしないとよく見えませんでした。駅から少し歩きますが、「ひまわりガーデン代官山坂」のマルシェを見ながら行くといいかも。

今日の私は、午前中、組立て・設置を済ませ、その後、展示を見て、絵本の講座を聴きました。展示は、太田さん、上村さん、吉沢さん。

毎年、福島の動物を展示している太田さんは、今年は、ぽーちゃんを中心に展示。書籍を手にとった方も多いかとおもいますが、ぽーちゃんが身近に感じられる展示です。
会場は、外階段を昇り二階へ行き少々通路を歩くのですが、この辺りから ぽーちゃんの写真がちらほら。
今日(2018.05.03)、太田さんはブログを更新していました。
福島関係、野良猫関係のものもやはりありました。過去の春花祭のときは、ず~っと在廊していたとおもいます。たぶん今年もそうだとおもいます。太田さんから生のぽーちゃん話を聞くことができるかも(私が写真を見ていたときに、そんな話をしていた方が何人かいらっしゃいました)。

上村さんの写真を今まで間近で見る機会は今までありませんでした。
写真の下にコメント文があるのですが、これが長い。「う~ん、これを読めってか?」とおもいながらも読んでみると、写真と相まってイメージが膨らむ。「ふむふむ、へ~、そうなっちゃたんだ」と一枚一枚読んでゆく。気が付くと全ての写真のコメントを読んでしまった。
部屋をぐるっと一周したことになりますが、ちょうどそこに上村さん。照れ隠しに、「いや~、最近老眼が進み始めて、ちょっと辛かったですよ~」と訳の分からないことを言ってしまったにも関わらず、相手をしてくださったいい人です。
グッズの展示もあるのですが、オーダーメイドのクッションはなかなかです。こちらのページのXLの顔だけクッションが展示されていましたが。鼻のところが出っ張っていてなかなかリアルな出来でした。
上村さんもブログを更新していました。全日在廊だそうです。

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希望の牧場~ふくしま~(代表 吉沢さん)の展示もあります。
ご存知ない方のために簡単に紹介しておきます。東京だけでなく、世界に向けて福島に残された牛たちのことを訴え続けている吉沢さん。マスコミにも多少取り上げられているので記憶にある方もいらっしゃるかもしれませんが、軽自動車に牛の形をした電飾を乗せている人です。
絵本も出版されています。商品の説明を読むと「牛を守る」とだけ読めますが、何故それをやろうとおもったのか、それを続けて分かってきたことなど、これからの日本を担う若い人に興味をもっていただけたらとおもいます。
明日(2018.05.04)は吉沢さんもいらっしゃるようですが、展示の部屋のスタッフの方からも、お話を聞くことができるとおもいます。

吉沢さんのお話は、明日(2018.05.04)14:00~14:30 ひまわりガーデン代官山坂にて。この枠の中でバジルさんのライブもあります。

そしてもう一部屋。お洒落な雑貨(犬猫関係)や絵本(こちらも犬猫関係)、ペーパークラフトのワークショップ場所などがある部屋があります。こちらの部屋は福島には関係ないようですが、私は絵本に興味がるので、ちょっと覗いてみました。すると「1時から絵本講座をやりますので」と声をかけていただいた(この講座は5月3日のみのようです、残念)。
幾つか素敵な絵本を読んでくださり、お子さんに読み聞かせするときの心得等を教えていただいた。桃太郎には、お話をしてくださった先生が知っているだけでも60以上のバージョンがあるらしい。今日は、その中から2つのものを持ってきてくださり。比べてくださいました。
明日・明後日は講座はありませんが、絵本を見ることは可能のようです。

以上、展示につきましては、こちらのページから探すことができます。色々な展示・イベントがありますので、ご興味のある方は覗いてみてください。

 

以上、今日あったことをダラダラ書かせていただきました。

東京に暮らして何気なく電気を使っている人には、たまには福島のことを思い出していただけたらと、おもったゴールデン・ウィークの一日でした。

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2018年4月30日 (月)

狂犬病予防接種におもうこと

2018.04
忙しい時期に書いた「個人的におもうこと」なので、多少ヘンなことも書いてあるとおもいますが、ご興味のある方は、ご一読していただければ幸いです。

 

■ 狂犬病のこと以前におもうこと ■

狂犬病の予防接種の是非について色々な意見が何十年も前から飛び交っている。30年以上前(1980年代以前)だと、「法律でそうなっているからね」と多くの飼い主さんは接種していたのではないだろうか。疑問を抱いていた人はいましたが、今ほど目立っていませんでした。激しい意見の対立の記憶もないし、そのような昔話をほとんど聞かない。
また、今ほど(全体としては)人と犬との結びつきが強くなかったし、獣医療も発達していなかったので、副作用が出ても「こんなこともあるんだね」で終わってしまったことがほとんどだったのではないでしょうか。

1990年代後半(20年前くらい)から小型犬ブームが起こりました。その頃から犬と暮らす人が増え、意見の交わし方が力強くというか乱暴に感じるとことが増えてきました。
それは犬と暮らす人が増えたこと以上に、インターネットの普及によるところが大きく、どんな話題でもその傾向を感じていた。つまり、インターネットという話合いの場が出来たことが大きかったのだとおもいます。

一時期は、「ネット上でもマナーを」とか、ネチケットなる言葉をよく耳にするような時期があったりとかあり、少しずつ落ち着きを感じるようになってきましたが、SNSの発達や技術の進歩で大きな画像や動画までが日常的にやり取りされるようになり、個人のあり方の中で、ネット上の存在が占める割合が増え、自分がどうしても主張したいことは、しっかり主張する人も増えてきたように感じます。

現在(2018年)、ネット上の書き込みは、生の人間同士の(個人的な)意見交換よりも多くなっているのではないかと思われるくらいになってきました。その結果でしょうか、ビッグデータなどと言われて(最近、あまり聞きませんね、この言葉)、経済や政治にまで影響するようになっています。
そうなってくると、ネット上の情報に影響される人も多々存在するようになります。そのような人たちに確実に自分の考えを伝えたいのか、少々乱暴ではないかと感じる書き方も、まま見ることがあります。

この問題を例にすると、狂犬病予防接種を良からぬものと(なんとなく)感じている人が、その考えを主張できる論文を一つ見つけて、それが世界中の人が従うべき内容かのように「ほ~ら、絶対悪いものだよ!」と力強く書き込む。それを読んだ人が「ほ~、そんなに悪いものなのか、それは大変だ!、よし、私も広めてあげよう!!」と(なんとなく)拡散する。拡散された複数の書き込みを読んだ人たちが(なんとなく)「必要ないものなんだな」と自分の判断とする。

「なんとなく」からの力強い発言が、大きく確かな動きを起こし、「本当はどうなの?」と検証を始め、世の中が動き、変わった問題もあります。力強い発言をした人たちが実行動に出て、確実に世の中を変えてゆくこともあります。しかし狂犬病予防接種を取り巻く諸々の事柄が、大きく動くことはありませんでした。あったのかもしれませんが、私は変わったとは感じていません。

長年、身近な動物に関わる問題に興味をもっていると、この問題を力説する人を何人も見聞きしてきました。その度に「またか・・・」と思ってしまいます。
自分も釈然としない気持ちをもっているので、「どうせ変わらないよ、今までだってそうだったんだから」と無力さのようなものを感じてしまうのです。

 

■ これから書くこと ■

冒頭に、「色々な意見が何十年も前から飛び交っている」、と書きました。そして、その何十年の間、狂犬病予防法もワクチンもほとんど変わっていないのではないでしょうか。

犬のワクチンといえば他にもあります。それらは、飼い主の自由意思で獣医師に接種していただく。接種の前に(問診だけかもしれませんが)検査もするだろう。それでも副作用がでれば、メーカーへ報告をし、メーカーはそれなりの対応(被害に対する対応もあれば、ワクチンそのものを改善することを検討するなど)をとるだろう。そうしなければ売れなくなってしまいますから。
狂犬病の予防接種は、これらと感覚的に違うものを感じている。そこにも釈然としないものがあります。

この何十年かで狂犬病のワクチンが大きな改良があったと聞いた記憶がない。その変わらないワクチンについて、長年色々なことが言われている。「おかしいんじゃないの?」と感じる人たちが少なからずいて、力強く訴える人もいる。それを見聞きして同調する人たちもいる。
それでも状況が変わらないのは、「おかしいんじゃないの?」と感じることが間違っているのかもしれない。しかし、間違っていると納得できるだけの理由が、よく見えるところに出されていない。なので、納得できない人たちが後を絶たない。

この書き込みは、この部分について考えてゆくものです。
何故、「おかしいんじゃないの?」と感じる人がいるのに、その人たちを充分に納得させるだけの情報が出てこないのか。そうなっている理由について考え、(一飼い主の素人考えですが)改善策を提案したい。

この先書かれている長い長い書き込みは(日本における狂犬病の現状を書くこともありますが)、基本的にこれらのことについて書いてゆきます。

私は、獣医師でもないし、法律を変える政治家でもないし、法律に従って従事している行政の人間でもない、一飼い主ですから、その立場の人間が納得できるだろう世の中を願い、提案させていただきます。

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法律の下で行われていることですから、これらのことを変えるには簡単なことではありません。しっかりと何をどう変えるべきかを認識できなければ変わりません。「なんとなく」では変えられません。変えるべきと確信できる認識へのヒントになるような内容です。

釈然としない狂犬病予防接種の現状を理解し、改善の可能性を模索したい方は、先に読み進めてください。
そうでない方は、ここで終わりにしていただければ幸いです。途中までで読むのをやめてしまうと、情報が偏ってしまいますので、この先を読むのであれば、最後まで読むお気持ちをもって読み進めるようお願いいたします。

ワクチンに限らず、薬の使用は非常に慎重でなければならないはずです。薬に限らず、体に入れるもの全てがそうでなければなりません。ほとんどの人がなんら問題なく摂取しているものを口にして命を落とす人もいます。
しかし、多くの人(社会全体)のことを考えると、極少数の人が健康被害に遭ってしまうことは、社会としては仕方ないことと考えなければならないのかもしれません。
このようなことを含め、割り切ることが難しい内容もあり、幅広い視点で客観的に考えなければならない内容でもあります。俯瞰的視点も必要になってきます。読み進める方は、そのことをご理解の上、読み進めていただきますよう、お願います。

 

■ 過去の報告書を見てみる ■

問題になるのは副作用。国が把握している内容は、以下のページの品名欄に「狂犬病」と入れて「GO!」ボタンをクリックすると見ることができます。
http://www.nval.go.jp/asp/se_search.asp

公開されている、この情報のことは最近知りました。

全体を見たときに、「一年でこれだけなの?」と不思議におもった。そして一つ一つ内容を見てゆくと、まず分かることは、死亡報告ではない報告書もある。
「製造業者等の意見」を読むと、どうも別紙があるケースもあるようで、これだけでは経過報告の全ては分からない。しかし、概略だけでも知ることができるのは有り難い。

接種数の参考数字は以下のページ。28年度、27年度ともに、460万台の数字になっている。更に前の数字もあり減少傾向にあることが分かりますが、今でも450万頭くらいは接種していることでしょう。
http://www.mhlw.go.jp/bunya/kenkou/kekkaku-kansenshou10/01.html

400万頭以上が接種を受けて、回復したものも含めて報告書が出ているのがこれだけなら仕方ないと言ってもいいんだろうと思うべきなのかもしれませんが、犬とその飼い主の苦痛・無念は想像するまでもなく伝わってくる。
彼らの苦痛や無念を感じながら読み続けると、やはり「改善できないのか。もっと掘り下げて副作用の研究ができないものなのか。制度として改善策があるのではないか」と疑問が湧く。

上記ページは、何年にも渡る報告書が載っています。
これを書いているは30年ですが、29年のものはこれから載るかもしれないし、修正があるかもしれないので、28年のものを見てゆきます。
一覧では報告日付でソートされていますので、報告日付で 28年のものをピックアップしてゆきますが、以下には投与日付を書きます。

左から、投与月日、生死(生=、死=×)、年齢(単位がないものは「才」)。
年齢を横に広げたのは、一回目(だろう)、二回目(だろう)、高齢犬などを分かり易くするため。
尚、であっても報告書時点で「治療中」のものもあることを書き添えておく。

28年

08/18 ○      6
03/29 ×                15
06/28 ○     2
06/18 ○           9

05/28 ×           9
04/06 ×           9
06/08 ×              13
05/07 ×                 16
05/12 ○            11
04/13 ×             12
05/03 ○        7
05/11 ×            10
04/20 ×        7
04/17 ×           9
04/14 ○ 9ヶ月
04/14 ○   1

04/23 ×             12
04/14 ○             12
03/23 ○ 6ヶ月

全19頭(○9・×10)
6才以下(○5×なし
7才8才(○1・×1)
9才以上(○3×9

28年だけに限られますが、だいたいの傾向が見えてくるとおもいます。

とても大まかですが、9才以上はそれ未満よりは慎重に考える(猶予を検討する)ようにすれば改善されそうです。

一頭だけ9才未満で亡くなっています。4月20日に投与し亡くなった7才の犬は、オスのチワワで投与時健康であり、7年前に混合ワクチンを接種後に発熱があっただけで、今まで特に問題はなかったように読めます。しかし、投与から20分以内に体調が変化し、結果として亡くなっています。
飼い主さんのお気持ちを察するに有り余るものがあり、お悔やみ申し上げます。このようなケースはしっかり調べていただきたいものですが、現状、そこまでの取り組みはなされていないようで残念です。

 

■ 私にとっての、この問題 ■

ここで横道に逸れますが、私にとってのこの問題の経過を書かせていただきます。

昔から興味があった問題ですが、この問題を意識をもって取り上げようと思ったのは、東日本大震災の後でした。直後ではなく震災後1~2年経った頃。調べ始めて情報がある程度集まると、「やはり、おかしい」と感じました。

当時、上記、報告書ページのことは知りませんでした。しかし大まかな死亡率や著しい副作用症状が出る割合については聞いたことがありました。非常に少ない数字であると記憶していました。
これが一つの情報。

もう一つの情報として、個人的に「うちの犬は副作用がでたことがある」「私の知り合いで、こんなことになった犬がいる」という話。そのような話を以前にも聞いた事がありましたが、よりそのような情報を集めるように努めることにしました。
しかし、狂犬病予防接種頭数は100万頭単位であるのに対し、毎年数えるほどしか副作用がでないと言われていたので、新しい話を聞くのは難しいだろうと思っていました。同時に、記憶の中にそのような話が複数あることに疑問を持ったものでした。
とにかく機会があれば聞くようにしてみたら、幾つかの話を聞くことができました。

個人的に聞いた話が嘘でなければ(わざわざ嘘をつく必要はないでしょうから、嘘ではないとおもいます)、厚生省の発表がおかしいことになります。把握が不充分なのではないか。

それに気がついてから、個人的に話が入ってきたとき、「それを獣医師に報告しましたか?」と聞くようにしました(報告がされていたら、獣医師に「報告書を書きましたか?」と聞きたいのですが、さすがにそこまでは出来ない)。

(飼い主感覚で)重い副作用が出た場合でも、獣医師に報告しないことが多いことが分かりました。ほとんどのケースが、集団接種で受けたか、かかりつけの病院といっても、年に1~2回行くくらいの付き合いで(以前体調を崩したことを伝えても)半ば強制的に受けさせられた後のことであり、気分を害し(報告せずに)「もう絶対に接種しない!」と決心する。このようなパターンがありました。

やはり、猶予の基準を飼い主が納得できるような制度に出来ないのかと考えました。納得できないから「もう話もしない!」と報告をせずに決心するのだとおもいます。
飼い主だけでなく、獣医師も猶予の判断に苦しむことがあるでしょう。
双方のことを考えて、判断の負担を軽減する必要があるのではないかと感じました。

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高齢になり散歩もままならず、体調を著しく崩すことを繰り返すようなケースや、恒常的に衰弱している場合などは、獣医師は猶予の書類を書いてくれるとおもいます。

その一歩手前と云えば良いでしょうか、日常的にはちょっと衰えを感じるくらいで、飼い主は過去、接種に後体調を崩したことが気になり猶予にしていただきたいが、獣医師としては判断に苦しむケースが解決できれば現状は変わってくるのではないかと考えています。
さらには、いつもはとっても元気!、しかし、いつも接種後1~2時間くらい経つと体調を崩す場合などもどうなんだろうと思う。

28年の報告書を読む限り、そのような(過去に繰り返し症状が出た)ケースはないようですが、まずそのようなケースのデータを集めるべきではないかとおもいます。もし、既にあるなら公表してほしいですが、前述の通り、獣医師に報告しない飼い主さんもいるので、もっとしっかりデータ収集をしていただきたいと願っています。

制度として、そのような姿勢を見せることで、狂犬病予防接種に対する気持ちが少しは変わる人もいるかも、と感じました。

 

■ 今まで書いたことから、猶予について考える ■

先にも書きましたが、9才以上は猶予の基準を(ある程度明確に)設ける必要があると考えました。
9才以上ですから、それまでに何回か接種を受けたことがあるはずです。そのときに体調を崩したことがあるから、猶予を考える。それを客観的にする制度が必要なのではと考えました。

素人の思い付きですが、

「今までに接種後何時間以内にこのような症状が何度か出たことがあったら猶予を認めるようにしましょう」とし、「今までに」の意味は「過去にそのような症状が出て、獣医師に報告があり、獣医師は行政に報告している場合」とする。これで猶予の判断による負担が軽減できるはずです。

報告書を複写にして、その内一枚を、副作用診断書(と仮にさせていただく)として飼い主が保管する。これなら病院が変わっても大丈夫。(飼い主保管だけではなく、保健所に届け出るようにすれば紛失の心配もなくなりますが、今回は考えない。)

ある程度の年齢になって、毎年同じような症状が出ていたら(同じでなくても何らかの異常が明らかに=診断書に書ける様な体調の変化が、毎年出ていたら)、つまり、副作用診断書(仮名)が複数枚たまり、ある程度の年齢に達していたら、獣医師は猶予を前向き考えるようにする。健康のことですから、杓子定規には判断できないはずですから(何らかの検査の数値で杓子定規に判断できるのであればとっくにそれを採用しているとおもいますから)、最終的な判断は担当獣医師に任せることになりますが、今に比べれば判断し易いとおもいます。

このようにすれば、接種を嫌がり登録さえもしない飼い主は減るのではないでしょうか。
獣医師側はこの副作用診断書(仮名)を書くことで、多少の料金をいただければ、著しい負担になることもないとおもいます。

28年の報告書を見る限り、今まで毎年体調を崩すようなケースはあまりないようです。高齢で何かしらの治療を受けていて日常的な投薬があるようなケースが幾つかあり、(体質的というより)病気やその治療との関係の方がありそうだと、私には読めました。
どうであれ、副作用診断書(仮名)を作ることにより、飼い主・獣医師共に接種時の判断や経過観察の意識が高まり、データが数多く集まることで、副作用について何かしらの発見があるかもしれません。その結果、悲しい事態を減らせるのではないのかと願っています。

もしこの制度を採用するとしたら、狂犬病予防法の改正が必要になるなど、大掛かりなことになりますが、現在の人と犬との関係からして、是非前向きに考えていただきたいし、すべきであると、心から願っています。

現状の制度の中で、次のようなことも思いました。
飼い主側から見て毎年同じ症状がでて心配であっても猶予にならない場合、獣医師に「もしかして報告書を書いていんですか!」と確認してみてほしい。報告が多く出されれば、接種に対して何らかの改善がなされることも期待できますから。
そのためにも、接種後に体調を崩した場合、必ず獣医師に報告するようお願いしたいものです。報告したら、先に紹介したページに載るかチェックするといいかも。

行政側も「症状が軽くても報告書を提出してくださいね」としてほしいです。

 

■ 猶予ばかり増えるのでは? ■

上記の考えは、安易に猶予を促すものではない、と考えていますが、それでも現在よりは増えるとおもいます。ただし、それは本来であれば猶予すべきものだったのではないでしょうか。

現在、接種率が問題になっていますが、同時に登録をしない犬のことも問題になっています。この数が多いのではないかと言われています。

猶予の基準を、飼い主にも理解が得られるようになれば、そして獣医師にも判断の負担を減らせれば、猶予が増えてもそれ以上に登録が増えるのではないかと考えています。

冒頭にも書きましたが、「予防接種は良くない、やる必要すらない!」と声を大きくして主張する人たちがいます。その人たちに影響されて「詳しいことはよく分からないけど、良くないことみたいだし、やらなくもいいらしい。だったら、もうやめよう!」という人もいれば、それを聞き一回も接種せずに、「やらないのであれば、登録しないことだ!」と考える人たちも少なからずいるでしょう。

先に書いたような取り組みが行われれば、このような人たちの中から「ちゃんと考えてくれているみたいだな」と考え直してくれる人もいると考えています。

少なくとも(「ちゃんと犬のことを考えてくれているみたいだな」と思えるくらいの)、猶予されない理由を示してほしいものです。飼い主からみて「危険」とおもえても、獣医師が「接種すべき」と判断する理由を、理解できるように説明してほしいものです。

 

■ ちょっと狂犬病そのものの話 ■

「一度、猶予したら、二度と接種しようと思わないのでは?」とお考えになるかもしれませんが、私はそう考えません。

そのことを説明するために、一旦、狂犬病そのものについて書かせていただきます。

多くの方がご存知のこととおもいますが、発症したら(狂犬病だと明らかに疑われる症状が出たら)、助かることはないと考えるべき病気です。まだ一般的になっていない治療方法で生還した人もいるらしいですが(世界規模でみても、現在狂犬病のない日本なら尚更)、その方法を受けることはまずできないのでやはり助かることはないと言っていいとおもいます(生還した人の数は世界で一桁だったとおもいます)。

ちなみに、狂犬病ウィルスに感染しているかどうかを、発症前に検査で調べる方法はないそうです。なので狂犬病で亡くなる人が毎年報告される地域では、犬に噛まれたら(その犬が狂犬病予防接種を受けていることが確実でない限り)暴露後ワクチンを打つことになっているそうです。

人間が狂犬病に感染する場合、この日本においては、過去のデータからも犬から感染すると考えられます。日本くらいの緯度、気候のアジアの地域であれば、ほぼ犬からの感染ではないでしょうか。

そんな感染源となる、狂犬病にかかった犬がどのような行動をとるのかご存知でしょうか。

多くの方のイメージは、
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ガウガウと唸り、俊敏に力強く動き回り、噛みつく対象を探し、見つければ駆け寄り、ガブリと噛みつき、しっかり噛み締め、振り回したり、執拗に何度も噛み続ける。
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こんな感じではないでしょうか。
私もそのような症状だと思っていました。しかし、問題になるのは、そのような症状ではないようです。
そのような症状であれば、狂犬病か判断するまでもなく捕獲・隔離されることでしょう。その後、狂犬病の可能性も考え、経過観察することになると思います。そうではなく下記のような、症状が問題になるそうです。

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ただただだるそうにしている。行動はだらだら。方向性が定まらない感じ。ただ、口が届きそうな所に何かあると、噛んでみる。噛み方は、個体差や病気の進み具合によって違うようですが、決して激しく噛みつくとか噛み締めるという、如何にも「狂犬」!という感じではない。
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即座に狂犬病とは分からないし、疑いもしないだろう症状のこともあるそうです。このような情報もほとんどない日本においては、「何で調子が悪いんだろう」「具合悪いからご機嫌斜めで噛んじゃうのかな」としか思わないかもしれない。
狂犬病が流行している地域であっても、狂犬病の犬なのか違うのかは分からないそうです。なので、犬に噛まれたら(その犬が予防接種をしていることが確実でない限り)人間は暴露後ワクチンを接種することになるそうです。

発症していないのにウィルスを持っている場合もありますが、発症しているのかただの不機嫌なのかも分かり難いケースもあります。噛まれた人間が先に発症し(お亡くなりなることになります)、「あの犬は狂犬病だったのか」となるケースもあるとか。つまり後から、「あのとき噛んだのは既に発症していた」となるそうです。

気休め的なことも書いておきます。
狂犬病とおもわれる犬に噛まれた後、ワクチンを打たなくても発症しなかったケースもあるそうです(発症しないので感染したかも分からない)。その犬が狂犬病かどうかは定かではないこともあっただろうし、何らかの(ワクチンなどではなく傷口の)処置をして、感染を免れたようなケースもあるようですが、狂犬病の犬に噛まれて何もせずに、命を落とさないこともあるみたいです。
それは、狂犬病ウィルスが非常に弱いものだからと聞いたことがあります。
しかし、もちろん命を落とす可能性は充分にあります。
潜伏期間は、一般的に30日~90日と言われていますが、数年という記録もあるそうです。
とことん(?)、分かり難い病気です。

「把握し難い」「感染し発症したら、まず命はない」。この地球上全体ではほとんど地域で感染者とおもわれる人が死亡し、世界全体での年間死亡者推計数は5万人以上。(推計数となってしまうのは、分かり難い病気で確定診断ができないケースも多々あるかららしい。)
このような病気なので、日本が清浄国(狂犬病がない国)であることは、とても有難いことだとおもいます。

 

■ 一度猶予になった犬を再び接種しようとする飼い主がいるか? ■

さて、話を元に戻します。
一度猶予になった我が飼い犬を、再び接種しようとおもうか、です。

この地球上で狂犬病がないとされている地域は、日本以外には一握りの地域といっていいでしょう( http://www.mhlw.go.jp/bunya/kenkou/kekkaku-kansenshou10/ )。日本のこの状態が奇跡なのです。それは島国であること、気候、そして予防接種が根付いたからだと考えるべきだとおもいます。
最後の「予防接種が根付いた」ことで、「根絶した」のではなく「根絶し続けている」と表現するのが正しいかもしれません。

地球上のほとんどの地域にありますし、現在の人や他の動物の入国状況を考えれば、日本に狂犬病が入ってくる可能性は充分に考えられます。入ってこないのが不思議なことで、実は既に野生動物では感染が根付いているのではないかと推測している人もいるくらいです。

これらのことを正しく理解した上で、先のような副作用診断書(仮名)が制度になれば、以下のようなことは考えられるのではないだろうか。

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副作用の診断書がたまり、9才になったので猶予にしてもらった。日常はとても元気で、他の犬と遊ぶこともあるし、他人にじゃれつくこともある。山に入ることもある。ただ9才なので、ときどき元気がないこともある。
そのようなとき日本国内で、野生動物から犬に狂犬病の感染が認められたとニュースで流れた。それから月日が流れ、咬傷事故が起こるとニュースになる。予防接種を受けていない犬が起こした場合の犬の扱いは厳格になる。ついでに、狂犬病に罹った犬の症状の解説もされるようになる。

そのような世の中の変化をみて、飼い主は「予防接種を受けていない(猶予してもらっている)、9才を過ぎた我が犬が咬傷事故を起こし、狂犬病の疑いをかけられた時、どのように扱われるのだろうか。10日間の隔離は自分も精神的に耐えられない。しかし、狂犬病の疑いがあれば、私自身も怖い。
であれば、来年は体調をよくみて体調のいいときに接種を前向きに考えてみよう。
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このようになる人もいるのではないでしょうか。

「狂犬病の分かり難さを含めた脅威」を理解し、それと「自分の犬の健康」を天秤にかけて猶予を選んだ飼い主が、日本国内で狂犬病の発生(感染)が報告されたことで、天秤の傾きが変わり、再び接種を前向きに考える可能性は充分にあるのではないかと考えています。

私は、このような制度が、飼い主感情として納得できる制度ではないかと考えてます。

 

■ 犬の把握(登録等)を確実にする ■

またまた脇道。狂犬病だけではなく、犬や猫全体にに関わる話です。
「飼い主感情」なる言葉が出てきたので、それに関係すること。

飼い主感情は、とても個人的なものです。しかし、この20年間だけでも何度か大きな改正があった「動物の愛護及び管理に関する法律(以下、動愛法)」と、それに関連する基準や指針がある現在、飼い主感情も、ある程度、世の中の決まり事に合わせなければなりません。それが出来ずに多頭飼育崩壊や虐待(積極・消極とも)が起こっているのだと考えています。

「それが出来ず」なのは、飼い主個人でもありますが、飼い主が合わせる機会を得られない世の中にも「それが出来ない」責任があるのではないでしょうか。機会を与えてあげるには、行政が飼われている犬や猫を把握しなければなりません。現在であれば狂犬病予防法に基づく登録です。猫にも同様の制度がほしいですが、現在はありません。

以下、「こんな制度にすれば、今以上に把握(登録等)できるのでは?、という、私の素人考えです。

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まず繁殖業者が繁殖した(産まれた)時点で登録する。
繁殖業者から仕入れて販売する業者は、個体ごとの帳簿(動愛法第22条の六)に、登録で得られた記号番号を必ず記載し、販売時には必ずその情報を飼い主に伝え、居住地で登録する義務があることを伝える。
飼い主が登録しなかった場合、販売業者が罰せられる。販売業者が登録の代行を行えるようにする(行政書士などに委託でもいいとおもう)。
飼い犬や人に飼われていない犬が繁殖した場合、飼い主、または取得者が登録を行う。登録がない犬を保護した団体はすみやかに登録を行う。
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こうなると、重複登録の可能性などを考えてマイクロチップの話になるだろう。マイクロチップと登録を繋げて考えることは賛成です。ただし、登録が主でありマイクロチップはその手段であることを明確にしておきたい。

マイクロチップは獣医師しか入れられないので、繁殖業者と獣医師との結びつきが強くなることも期待できる。
個人的に感じてることですが、犬猫等健康安全計画(動愛法第10条3-二)の制度がどれほど機能しているか疑問をもっています。繁殖業者と獣医師がしっかり結びついてくれることが当たり前になって欲しいと願っています。

さらにもう少し、突っ込んで考えてみる。
今の世の中の風潮で、漏れなく登録していただくか、登録していただけなくても把握できるようにするには(急に行政の体制を変えることは出来ないだろうから)次のようにするしかないと考えました。

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登録すると鑑札の交付を受けるがそれと同時にマイクロチップを入れないとならない。
ペットショップから購入した場合やレスキュー団体から譲渡を受けた場合は、既に登録が済んでいるようにする。
その他の場合は、行政に出向き登録する現在の方式ではなく(それだと、現状のようになってしまうので)、獣医師はマイクロチップを入れたら、登録の手続きを代行できるようにする。

登録されていない犬が診察にきたら、登録とマイクロチップを勧め、拒否された場合でも、その犬の存在を行政に報告することを義務付ける。報告にあたっては、その旨を飼い主に伝えなければならない。報告を受けた行政はそれを基に指導も行わない。把握のみ。(個人情報の問題がありますので、しっかりとした法整備が必要ですが。)

狂犬病の登録は、狂犬病予防法の範囲でしか使えないのが本来の姿だとおもいますが、動愛法で定められている犯罪についても利用できるように改める。

動愛法で定めることができれば、獣医師だけでなく、取扱業者全てが(販売業者やレスキュー団体だけでなく、トレーナーやシッターなども)扱う犬は、登録の確認を行い、登録されていなかったら、上記の獣医と同じく行政に報告をする。登録を拒否し続ければ、獣医師他、ペットのプロにお世話になる度、同じことを言われることになる。

ちょっとまた横道にそれますが、獣医師および取扱業者に登録の確認・報告を義務付けることで、現在、よく耳にする「死亡の届出が出難い」という問題も改善されると考えています。獣医師や葬儀業者が届出を勧めたり、代行できるようにできれば大きな改善が望めるのではないでしょうか。
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以上のような感じしかないのではないか。
先にも書きましたが、登録の促進は、狂犬病だけではなく、幾つかの問題解決に寄与することになると考えています。
なので、猫も登録するようにできれば良いのではと考えています。現在は、狂犬病予防法に基づく畜犬登録ですが、動愛法で登録を義務付け、猫も登録するようにした方が良いのではと思うことあります(幾つかの法律にまたがる大きな改正になりますが)。

接種率の向上と同時に、登録数(率?)の向上が、狂犬病の問題に限らず身近な動物との問題解決には必要だと考えておりますので、この点については、多くの人が関心を寄せてくださることを願っています。

 

■ 登録や狂犬病予防接種の必要性 ■

直前で書いたように、登録は色々な問題に対応するためのデータとして必要だと思いますが、近年、災害時にも登録や接種のことが注目されることがあると言われていることを書いておきます。

東日本大震災以降、飼い主がペットを連れてどれだけ避難できるか、それに対しどれだけの避難所が、どのような体制で受け入れてくれるのか、ということが、(ペット関連のこととしてではなく)避難所運営一般の議論でもされるようになってきました。

そのときに(犬に関わりがない人の中には)、「犬は狂犬病の予防接種しているんだよね?、他の病気も気になる人がいるけど、法律で決められているんだから、狂犬病の予防接種は当然みんなしているよね?」と言われることがあるそうです。
具体的な避難所運営を検討する場合、不安を抱えた人たちが集まることを意識しなければなりませんので、避難所に新たな不安を持ち込むことは、したくないと考えるのは当然だとおもいます。

こんなこともあるので、接種しなくても登録し、正式に猶予の手続きをとる人がほとんどになってほしいものです。

「えっ?、接種していないの?、健康上の理由で獣医さんもしない方がいいって判断して、お役所もそれを認めたんだったら仕方ないね」となるとおもいます。

現状のように「予防注射どころか登録もしていない飼い主がいるの?」とか「刑事罰まである狂犬病予防法を犯している犬の飼い主もそこそこいるらしい」と見られるのとは大違いです。

 

■ 接種に関わる体制について ■

登録される割合が増えて、犬が把握できる状況になることが、現状の目標になるのではないかと感じているので、このような妥協的な方向性(猶予を増やす結果になるかもしれませんが、正式な登録でなくても把握を含めて、把握総数を増やす)が現実的で、社会の利益にもつながる方法ではないかと考えています。

腰砕けのような話になってしまいましたが、このような考えに至ったのにはそれなりの理由があります。

狂犬病予防法は人間の病気予防のための法律ですから厚生省の管轄です。獣医療は農水省。動愛法は環境省。何かと縦割り行政が問題視されている日本では、これだけでも「上手く機能しないんじゃないの?」と勘ぐってしまします。

現場を考えてみると、各都道府県のセンターとか保健所と呼ばれる施設が、狂犬病予防法・第21条でいうところの「抑留所」となっていますので、そこが業務の主体になるべきなのだろうなと思いますが、実際は市区町村の保健所などが地元獣医師会と協力して予防接種業務を行っているところが多いようです。

ここで、何かがおかしい、と感じました。
狂犬病予防法で定められた抑留所には獣医師がいるので、犬の健康について、診ることが出来、判断することもできます。
しかし市区町村の保健所などの多くは(現在ではほとんどだとおもいますが)獣医師はいない。接種を担当する獣医師先生方のほとんどは狂犬病の専門医ではない。行政の方に判断を仰ぎたいこともあるだろう。しかしそれは出来ない。

とてもアバウトな話ですが、これだけでも「なんだかなぁ~」と感じてしまいます。獣医師も判断の責任を負担に感じることもあるだろうし、飼い主の中には納得できず不安を抱く人が出てきても不思議ではないとおもいます。
また、全体の体制がしっかりしていなければ、「どうせ取り締まられることはないだろうから、好き勝手にさせてもらうよ」という人が出てくるのが現実だとおもいます。

そして昨今は、ネットで感情に任せるように書き込む人がいて、それを信じて拡散する人もいる。偶然そのような内容を立て続けに読めば、「予防接種ってそんなに危ないの?」「やる必要ないの?」と純粋に信じきってしまう人がいても責めることは出来ないのではないでしょうか。

そのようなことを減らすためには、まず、狂犬病の正しい知識を広めることだとおもいます。その結果、社会全体が狂犬病対策を考え直そう!となった時、大きな動きになるのだとおもいます。

しかし(狂犬病に限らず)正しい知識を広めることは容易ではありません。容易ではない活動を社会に求めるには、問題としての優先順位を上げなければなりません。数々の問題を抱える現代社会で、優先順を上げてもらうことも大仕事です。

法律に関わる政治の問題、業務に関わる経済的な問題など大きな仕組みを検証しなおさなければなりませんが、そのようなことに、私たちのような普通の飼い主が関わることは出来そうにありません。
私たちのような普通の飼い主にも出来ることはないのか。そんなことを考えてみたいとおもいます。

 

■ 私たちにできそうなこと ■

今まで書いたように、狂犬病予防接種に関わる行政の業務は、力不足を感じざるを得ません。狂犬病予防法が出来た頃とは、犬の数も犬との暮らしの在り方も大きく変わってきています。根本から考え直してほしいものです。

それには世の中の雰囲気として、その必要性を訴えなければなりません。しかし、平成28年に提出された副作用の報告書は19件のみ。これだけを見れば「安全なワクチンと言っていいのでは?」となり、議論も研究もなされないとおもいます。(報告書の最下段二項目を読む限り、そのように感じます。)

国は「副作用が起きる割合は非常に低い」と発表し、飼い主たちの中には「ときどき耳にする程度はある。もしかしたら我が犬がなるかも」と心配する人もいる。この溝を埋めることが必要ではないでしょうか。

それに対して出来ることといえば(先に書きましたが)副作用と思われる症状が出たら、必ず獣医師に報告する。そのときに「報告書ってものがあるそうじゃないですか。それをしっかり提出してくださいね」とお願いする。
皆さんがこれを行えば、19が190くらい、もしかしたらもっとになるのではと予想しています。
副作用の報告書が急増すれば、対策を取らざるを得なくなることでしょう(実数はもっと多いとおもうので、対策対応がよりしっかり、そしてきめ細かく行われることが本来の姿だとおもいます)。

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今まで書いてきたようなこと(副作用診断書(仮名)や登録やそれに準じた把握を確実に行うようにする)を行うのであれば、行政には今まで以上に予算・人員が必要になります。ただでさえ借金を抱える国や都道府県、市区町村が多々ある現状で、「犬や猫のことに、大事な税金が使えるか!」と言われることは当然のことでしょう。世の中に、犬や猫と無関係に暮らししている人は少なくありません。その人たちは、「税金をかけなくてもいいこと」と考えて当然だとおもいます。

私たち一般飼い主が、犬や猫、その他身近な動物たちと無関係・無関心の人たちに、地道に(そして無理をせず)アプローチすることも必要なのでは、と考えています。

では、狂犬病や登録の問題に限らず、身近な動物との共生を、世の中全体の重要な問題と捉えるべきだと理解していただくためには、どのようにアプローチするべきなのか。

たまに「命の問題だから重要と考えるのが当たり前!」と言う人がいます。犬や猫に無関係に暮らしている人がそれを聞いても、ピンとこないことでしょう。「よく分からないから、聞き流そう」で終わりだと思います。少し興味を持ったとしても、何を勉強すればいいのかわかりません。

私が考える、「こんな感じで話をすれば(勉強しなくても)とりあえずの理解を示してくれるのでは?」と思える話し方を書いてみます。

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・ 現在、身近な動物に対する虐待が明るみになってきました。犬や猫、特に猫を対象にした報告が多いです。今まで隠れてやっていたのかもしれませんが、そのようなことをする人が増えているのではないか、とみている専門家もいるようです。
・ 虐待の方法ですが、猫を煮たり焼いたり切り刻んだりと、信じられないようなこともする人もいます。それが明るみになったのは動画投稿サイトにアップされたからです。なので本当にやっているのです。それを賞賛する人もいるらしいです。アップしていない人も多々いるでしょう。また、猫を譲り受けてはとりあえず可愛がり、飽きたら、高い所から落として殺す人も報告されています。車で轢き殺す人の話もニュースになっていました。
・ こういう人が近所や同じ職場に居たらどうおもいますか?、これらの人の中には、日常生活を送っているとき、普通の人、いい人に見える人もいるらしいです。この人は絶対にそんなことしない!、と思っている人がそうだったりするそうです。猫を譲り受けることを繰り返す人は、里親審査に慣れている人をも欺くそうです。里親審査で自宅訪問をしても見抜けなかったケースがあるそうです。
・ こういう人たちの中には、人間、特に子供を狙った犯罪を起こす人たちがいることも知られてきました。もしかしたら身近にそういう人がいるかもしれないんです。怖いですよね。現在は、法律で動物に惨いことをしたら犯罪です!として罰金や懲役を規定しているのですが、まだまだ理解が広まっていないからか取締りがゆるい感じです。法律はいっぱいありますから警察も限られた人員の中で優先順位が高いものを扱わざるを得ないので仕方ないかもしれません。
・ みんなで、動物虐待ってこんなにあるの?、こんなことまでするの?、その中から人間に対して危害を与える人が出てくるの?、そういう人たちが結構いるって分かってきているのなら、お巡りさん、しっかり取り締まってよ!、とお願いしたくなりますよね?
・ 自分や家族の身に危険が降りかかるかもしれないのですから、お巡りさんのお給料に限らず、税金で犬や猫の管理をしてもらうのは仕方ないですよね。そういう人たちは隠れて虐待していることがほとんどですから、見つけるのは大変です。なので、そこに税金が幾らか投入されても仕方ないですよね。
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狂犬病から離れていってしまったように読めた人もいると思いますが、動物に対する虐待も狂犬病も人間に対する脅威になることです。それを未然に防いだ方がいいですよね、そのために税金使うこと理解してくださいよ、とお願いすることが必要だと言いたいのです。

「だったら、犬や猫を日本からいなくすればいい」という人がいるかもしれません。その考えに対しては、「他の動物に同じことするとおもいますよ。そしてそれは、犬や猫よりも目に付き難い。管理したり、取り締まるのが困難になるとおもいますよ」と答えればいいとおもいます。

狂犬病に対しての理解としては、
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人も犬も感染したのかしていないのかはっきりしたことが分からない。
はっきりとした症状が出る前には、感染したか検査では分からない。
つまり、狂犬病なのか分かり難いこともある(日本にはあまり情報もないし)。
はっきりとした症状が出たら(発症してしまったら)命はないと考えなければならない。
日本に狂犬病がないことは奇跡的なことであり、もしかしたら、既に入ってきていのではと考えている人もいるくらいである。
入ってきているかもしれない狂犬病が根付かないのは、犬に予防接種をしているから。
その接種率や、接種率の分母になる(日本に居る犬全体の数である)登録している犬の数が低下してきていると考えられていること。
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これらを一人でも多くに知っていただくことだとおもいます。

 

■ 最後に、誤解しないでほしいこと、二つ ■

一つ目は、飼い主感情からみた制度的なことばかり書いたことについて。
それは私自身が、ただの飼い主だからです。
そして、私なりに調べた結果、狂犬病予防接種業務に関わる方々の多くは、今の制度の下、とてもよくやってくださっていると感じていること。その結果として、今の制度では限界があり、見直しを強く感じるようになりました。
現場の方々には、今後も慎重に確実に業務を遂行していただけたらと願います。

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もう一つは、以下のような発言について批判的に読めるかもしれないことについて。

「予防接種は良くない、やる必要すらない!」
「命の問題だから重要と考えるのが当たり前!」

全体の文脈から否定的におもえるかもしれません。それらの発言は、私個人の考えとして何らかの悪影響があるとは思っています。
しかし、各個人の考えの発表、表現の自由の範囲だと思うし、私自身、遠い昔には似たようなことを考えました。そして今でも、そう考えてしまうこと、感じることもあります。

予防接種については(必要性は感じますが)既に書いたように、副作用が出ている犬がどれくらいの数いるのか、もしかしたら命を落としても報告されていない数も結構あるのではないかと思うこともあります。
しかし、それを言っただけでは(400万頭以上接種して、命を落とすのは10頭くらいだよ、と言われて)世の中は変わらないでしょう。
そんな現状で上記のような発言は、世の中から注目を集める機会になるかもと思っています。冒頭にも書きましたが、ネット上の発言には世の中に影響を与える力があります。なので多くの人が注目します。どんな発言であったとしても、動物に関わりのない人に注目していただける機会になることは力になると考えています。

 

■ 最後に、とても個人的な考え、感じていること ■

最後に言っても意味のない、私のとても個人的気持ちを書かせていただきます。報告書を読んで感じた率直な気持ちが中心です。

400万頭以上接種して10頭だからいいなんて言ってほしくない。これが人間の子供だったら絶対に許されないことですよね。ゼロを目指してほしい。
報告書の「意見 ・対応処置等」欄は、もう少し飼い主感情を考えてほしい。報告書なので慰め的な言葉は必要ありませんが、本気で改善する(10頭をもっと減らそうという)気持ちが伝わってくる内容にしてほしい。
狂犬病予防接種は日本の国民の義務です(その結果清浄国になっています)。その日本は、法律がどんどん変わるくらい、人と犬との関係は変わってきました。その変化を理解した上で対応してほしいし、報告書を作成してほしい。

「ペットは家族」と言われる今の日本を理解して、あの報告書を作成しているか。そして、10頭くらいだから積極的な改善(副作用の研究など)はしなくてもいいと考えているか、と悶々とした気持ちになっています。

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ここ数年、情報を集めても、自分の中で悶々としているだけでした。
ここに書いたこともオープンに書けることだけですが 、それだけでも書ける機会がありませんでした。それを吐き出す機会として、書こうとおもいました。

私の私的な考えを吐き出す書き込みを読むために、貴重なお時間を使っていただき、ありがとうございました。

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とても長くなりましたが、ここまで読んでくださり、感謝しております。

間違ったことも書いているかもしれません。とても個人的な考えが多々書かれています。それでも、狂犬病予防接種について、身近な動物(特に犬と猫)との暮らしについて、理解が深まっていただければ幸いです。

普通の飼い主の理解の向上と、身近な動物に全く関係のない人たちの理解が、今、必要とされていると感じています。

この書き込みが少しでも、そのような現状の改善に寄与できれば幸いです。

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2018年4月 6日 (金)

(映画の感想文)僕のワンダフル・ライフ

映画と言ってもレンタルDVD。公式サイトはこちら

公式サイトに流れる予告でも分かるように、何度も生まれ変わった末に忘れられない飼い主に会いにゆく。そんな感じのストーリー。

アメリカの映画。舞台もアメリカ。
虐待や安楽死に対する考え、警察犬の在り方など、日本との違いが分かる。人と犬との関係も。日本はまだまだ「人と犬と違う」との感覚が強いと個人的に感じている。

また、日本人の多くの人の無意識の中には、哀れみや慈悲・施してあげる対象として犬を見ているのではと思うことがある。
欧米では、対等にみようとするし、そのような存在であることを(日本よりも多くの人が)否定しない。

私は「飼う」という言葉が好きになれない。
今の作家の何人かが、「昔、野良犬に食べ物をあげて名前をつけたら、飼っていることになった」と書いているが、飼うということは「食べ物を司る」つまり、与えてあげる、施す、という感覚なんだろうと理解している。こちらからは与えるだけ。犬からはそれ以上のものなんて絶対に得られるはずがない、と(感覚的に)感じているのだろうな、と。
結果として、犬から贈られるものを受け取ることを拒否することになる。なので得られない。そして、「なんでこの犬は言うことを聞かないんだろう」と言う。「言うことを聞かないはあなたでしょ?」、と私は心の中で呟く。

何か特定の対象を見て心がときめくか否か。それは知識とか訓練の問題ではなく、感覚の違い。犬をどのような存在とおもうか・感じるか、もそれと同じなのだとおもいます。

なので、飼う、すなわち餌をあげるのが飼い主で、それが犬との関係の基本であり、ほとんど、と思っている人を否定しないし、考えを改めてほしいともおもわない。

私が言えることは、そのような人が犬と暮らすことは、時間的・経済的・精神的なコストがかかり、得られるものは非常に(非情に?)限られている。つまり、犬を迎えるメリットはほとんどない。それでも犬を迎えますか?、と言うことは出来るだろう。

 

話が逸れましたが、この映画を見ていて、ミスター・チルドレンの「花の匂い」という歌を思い出した。歌詞はこちら。ライブバージョンですが一曲聴けるのがこちら

きっとまた会いに来てくれる

そう想うことができる、望むことができる自分は、ある意味、幸せ者だとおもいます。

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2018年3月23日 (金)

失見当(識) ~避難所に身を寄せるようなときに気をつけたいこと~

単語の備忘録。

大規模災害の発災直後、見当がつかなくなる人が多くなるという。ほとんどの人が程度の差はあれ、この状態になってしまうらしい。
非日常な状況を突然強いられれば、平常心ではいられないだろうと想像は出来る。しかし、どの程度のものなのか、よく分からないというのが本音だった。

それを分かり易く語ってくださったセミナーが昨年(2017年)11月にあった。話を聴いたときに「うんうん、そうだよな、そういえばそういう話を聞くし辻褄が合う」という感じでした。

最近の私は、このような話を聞いても、とりあえず放置する。時間を経て本当に大事なこととして広く伝えなければならないことなのかよく考える。
この4ヶ月間、「あ、あの単語、なんて言ったっけ」と思ったことが何度かあったので、「この単語は覚えなくちゃ」という気持ちで、この書き込みをすることにしました。

 

以降、失見当識という言葉の説明をします(識をなくして「失見当」ということもあるらしい)。昨年拝聴したセミナーの内容が主ですが、その後私なりに調べたり、自分の経験などからの考えを書くものであって、先生のお話そのままではないし、裏づけが不充分な部分もあるでしょうから教科書的に読まないでください。個人の備忘録です。

ネットで調べたらコトバンクの次のページがヒットした。
https://kotobank.jp/word/%E5%A4%B1%E8%A6%8B%E5%BD%93%E8%AD%98-283454

一般的には(私の理解では)、意識障害や記憶障害により、周りの状況の認知が不完全なのか、認知は出来ても判断が健全に行われないのか、結果として異常に見える行動をとってしまう状態と言えばいいだろうか。俗な言葉でいえば、「上の空」とか「別の世界にいってしまっている」と、私は理解した。
上記ページで書かれていることは、医療現場で診断に用いるときの説明であり、災害時のことは「そのような状態」と理解するべきで、このページの通り解釈すべきではないとおもいます。

 

この言葉が出てきたのは、「ほとんどの人は、大規模災害の発災直後はまともな判断が出来ないと心得ておかなければならない」という話からでした。

「なるほど、みんなそうなっていると思って(自分はしっかりまともだと自覚して)冷静に行動しましょうってことだよね」と思ったら、ちょっと違う。「たぶん誰もがなる、私もなる、あなたもなる、と自覚して欲しい」、とのことです。

そこで、幾つかの実例が出されました。私も似たような話を幾つも聞いていたので納得。

この20数年間の大規模災害直後、現場で被災しながらも懸命に救護活動などにあたった方々の何人かから「あの1~2日の記憶が全くない」とか、「あそこでこんなことしたじゃないですか」と話をしても、「私、あそこに行きましたっけ。行ったことないとおもいますけど」などと返事が返ってきたとか。そのときの記憶が全てない人もいれば、所々ない人もいるそうです。

問題は、記憶のあるなしではなく(理屈はともかく)異常な行動してしまうこと。

明らかにおかしな行動を起こす人もいるでしょう。動けなくなってしまう人もいるでしょう。イライラしていつもやらないようなことをしてしまう人もいるでしょう。
そのように分かり易いケースよりも、特定の知識・意識が抜け落ちてしまっているケースが危ういことになりそうです。「この人に任せておけば大丈夫」と思ったら、いつもと違う行動をして任せておけない人になってしまうこともありそうです。

発災直後には、そのような人たちが避難所など安全とおもわれる場所に集まります。そのことを心得ておくこと。

自分も含め誰もが、そのような状態になることを認識しておくこと。

 

発災直後に、少しでもその状態(の自分)を和らげる方法をセミナーでは紹介していました。これも私の勝手な解釈をつけてしまいますので、先生のお話そのものではありません。

1.まず「どうしよう」と途方に暮れている自分に気がつくこと。正常だとか、冷静にならなくては!、など考えたところでなれないこと(失見当識になっていること)を自覚すること。

2.周囲の状況からの判断を誤って認識してしまったり、認識さえ出来なくなってしまうようですが、情報は必要です。そのために、スマホなどを手にとる。地震災害であれば地震速報が鳴るはずなので、その気になると思います。
そのことを想定して、(例えば)「まずスマホを手に取ろう!」と声に出す、と予め決めておき、実行することだそうです。
声を出すことにも意味があると思いますが、平時に決めたルールを守れているか、の確認にもなります。発災直後の状況からだけで判断するのではなく、平時に考えたこと(声に出す)を実践できるかを確認することも大事なのだろう、と思いました。

3.スマホなどから、ある程度の情報収集や行動の方向性を考えることが出来始めたら(情報収集したら、たぶん尚更焦るでしょうから)、深呼吸やストレッチで体も心もほぐす

4.3.までは個人の考え・行動ですが、次は、他の人とコミュニケーションをとることについて。まず連帯感を意識する。「不安ですよね!」「一緒にやりましょう!」という感じで。
やってはいけないことは、安易な安心情報を出すこと。「大したことないです」「あそこ(避難所など)に行けば絶対に大丈夫だから」など。
大規模災害時は何が起こるか分かりません。大丈夫と言われたことがそうでなかったら、とても混乱したり悲観的に感じる人も出てくるとおもいます。また、連帯感を持たねばならないときに、不信感を抱くことになるでしょう。

 

私の現状の理解は、こんな感じです。

 

ところで、今更このことを書こうとおもった動機を書いておきます。

前の書き込みで、「ファースト・ミッション・ボックス」について書きました。避難所を立ち上げるときに利用するものです。名前はどうでもいいのですが、このようなようなものが普及してくれないと、避難所運営の(平時からの)準備も進まないだろうなと考えています。

避難所を立ち上げるのは発災直後です。ほとんどの人が失見当識状態になっていると考えるべきです。

平時に避難所運営を論じるときは、「こんなケースは?」「もし、このような問題が発生したら?」など多視的に考えることでしょう。当然それらの議論や準備は必要です。しかし、発災直後、それを論じていた人たちの頭の中に、それがあるとは限らないし、認識能力・予測能力は著しく低下していると考えるべきなのでしょう。

ファースト・ミッション・ボックスは、今まで一度も訓練に参加したことがない人でも実行できるように書かれている、と言われていますが(どれだけ訓練に参加したかではなく)、失見当識の人でも動けるように書くべきなのだ、と気がつきました。

 

失見当識なる言葉で、発災直後の混乱を少し整理できました。
もし大規模災害に直面したら、他人のこと、世の中のことも大事ですが、自分は正常ではいられないと心得ることが、最も大事なことかもしれません。
正常ではない自分のために、出来る限りの備えをした方がいいと思う反面、しすぎても使う余裕がないかもと思ったり。

災害時という(自分の心も)混乱しているときに、どう動けばいいのか、どう使えばいいのか、分かり易い、忘れてしまっても直感で分かりそうな、モノや方法を準備しておくべきなのだと理解できました。

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2018年3月20日 (火)

避難所運営 ~二つのシンポジュウムを拝聴して~

ここ何年も、セミナーとかシンポジュウムは自分の興味で行かないようにしている。誰かに誘われないと行かない。
自分が興味のあるものばかり行っていた頃、ふと気がつくととても視野が狭くなっていることに気がつくことが何度か。そのような経験から、誘われたら&都合がついたら行く、こんな感じで行くように心がけている。
そんな感じなので、足を運ぶ回数も少ない。最近(書いているのは、2018年3月)この一ヶ月では二つのシンポジウムに行きました。どちらも大規模災害時にペットをどうするか、特に避難所ではどうなるのか、に多くの時間が割かれた内容でした。
先に書きましたが、誘われたから行っただけですが、偶然同じテーマの内容となりました。
 

一つ目は、2月25日に環境省主催の"シンポジウム「人とペットの災害対策」"
https://www.env.go.jp/press/105042.html

行ってみたら、行政や施設運営者向けの内容でした。
施設運営者というのは、区市町村や都道府県の体育館などの運営を委託されている業者。それらと行政、つまり避難所を管理・運営することになるだろう立場の方々。
「自分には関係ないのでは?」と思いながら聴いていると、「知って良かった」と感じたことが多々ありました。

そのような方々が気にすることは、インフラがどれだけ使えるか・避難所となる施設が安全か、など。
そして物資。備蓄はすぐになくなったり不足のものが出るだろうから、支援をしてもらうことを考える。支援を受けること、これを「受援」という。このシンポジウムでは、この言葉がキーワードの一つになっていました。

支援と聞くと、支援物資(モノ)を想像しますが、専門家やノウハウの支援も必要になる。
避難所一般の問題として、小児科の先生がなかなか来てくれない(確保できない)ということがあるそうですが、それに似て、獣医さんがなかなか来てくれないという経験談もありました。

専門家というのかどうか分かりませんが、動物関係のボランティアが駆けつけて「こんなことさせてください!」と申し出てくれるのは嬉しいのですが、過去の経験から、その団体のことを何も知らずに「では、お願いします」とは言うことは出来ない、との話や、避難されている人たちに必要なことであっても、何かしらの危険が発生する可能性があれば、とても慎重に判断しなければならず、そのような団体からも被災者の方たちからも理解されないこともある、とか。
そのようなことを減らすためには、ボランティア団体と、事前(平時)から連携が必要だとの話の中に出てきました。
行政同士も具体的な支援・受援の取り決めが必要だという話もありました。そのためにも災害想定や災害時の情報伝達手段の検討(何を支援してほしいかを挙げてもらう)などが重要だとか。小さなことのように思えますが、避難所に入ってきた人の名簿を統一できているだけでも随分と違うとか。

他のキーワードとして「ファースト・ミッション・ボックス」。セカンド、サードまであるらしい。
以下、どんなものか説明を書きますが、私は実物を見たことないので、誤解があるかもしれませんのでそのつもりで読んでください。同様の理由で詳しいことも書きませんので、ご興味あるかたは、よく調べてみたください。

ファーストは避難所立ち上げまで何をやればいいのかが書いているそうですが、そこに来た人が、どんな人でもあっても、分かるように書いてあるそうです。「そんなこと出来るのか?」と私も思っていますが、実際にそのようなものを見た人から聞いた話だと、図入り、写真入りでとても懇切丁寧に説明されているもののようです。
「ファイル」ではなく「ボックス」なのは、詳細に書かれているが故、嵩張るのかなと勝手に想像しましたが、どうも違うようです。以下のような記事がありました。
https://www.mlab.ne.jp/columns/columns_20180319/

私が今まで聞いた話の中では、この記事のものよりも、もっと詳しく分かり易いものが用意されている避難所もあるようです。

これは動物関係なしの避難所一般の話です。まず調べて考えて作り、それを基に訓練し、誰でもその中にあるものを見れば役割が担えるように、ブラッシュ・アップさせてゆくようです。

避難所にこのようなものがあり、その中に、ペットを連れて来た人の対応もしっかり記載されていることが珍しくない世の中になってほしいなと願うばかりです。

その他、細かい(具体的な)話がいっぱい出てきました。避難している人たちは「なんでやってくれないんだ!」と思うようなことも「そういうとこも考えないとならないのか」と気付かされることが多々ありました。
また、避難所に身を寄せている人たちが落ち着いている、いい人ばかりなら判断もし易いとおもいますが、異常事態でもありますし、怪我している人もいるでしょうし、精神的にも不安定になる人も少なからずいることでしょう。そして知らない人たち集まりであることが多いです。そのような場所ですから、何事にも慎重にならざるを得ないということでした。過去の大災害時に、そのような記事を読んだ記憶があるので、「なるほど」と思ったものでした。

 

もう一つは、3月17日に、行政書士ADR東京センター主催で行われた、 『ペットトラブルシンポジウム』 〜 ペットの同行避難トラブルをADRで解決!〜  です。

こちらは飼い主一般向け。避難所に身を寄せる立場の人向け。

話が前後しますが、環境省主催のシンポジウムが行われた経緯として、以前よりある「災害時におけるペットの救護対策ガイドライン」の見直しがなされ、平成30年2月下旬に「人とペットの災害対策ガイドライン」が発表されることを受けのことでした。ガイドラインが見直されることになった背景は、新しいガイドラインの1ページ目をご覧ください。

こちらのシンポジウムでも、その話が少しありました。大規模災害時でも、「とにかく避難所に行くべき!」など一括りの考えではなく、多くの選択肢と自分のおかれた状況から判断してください、ということでした。

また「同行避難」という言葉についても説明がありました。ネットなどで「同行避難は、避難所に一緒に行くけど、同じスペースで暮らすことが出来ないパターンで、同伴避難は同じスペースで暮らすことが出来るパターン」と書かれていることがあるそうですが、そうではないと定義していました。同行避難は公の文書によく出てくるので、こちらの説明をしっかりしていました。
同行避難とは「ペットと共に移動を 伴う避難行動」(新しいガイドライン5ページ。同伴避難ついても書かれています)であり、その行動のことを指し、避難所でどのような状態になるかを指しているものではない、とのこと。

話の多くは、自分の立場(普通の飼い主)の人間が対象なので、「うんうん、分かっている」という内容が多く、特に書くこともありませんが、環境省のシンポジウムを聴いてから日も経っていなかったので、「受け入れる避難所や物資を提供する人たちも大変なんだよな~。だから平時からちゃんと考えておかないといけないんだよな」と、頷きながら聴いていました。

少々目新しかった内容として、(特に東日本大震災のときのことや、大島や三宅島の全島避難で)ペットを置いてきてしまったため、後から多くの費用や労力を必要とすることになったことが何度か話にでてきました。
同行避難を促進しないと結果として社会として大きなコストがかかる、ということがまだ知られていないんだろうなと思いながら聴いていました。

このシンポジウムの本題的な部分は、ペットの同行避難におけるトラブルをテーマにした「模擬調停」、ですが、川の氾濫によって数日間避難所で暮らさなければならなくなった飼い主同士のトラブルでした。
避難所に身を寄せると聞くと、数ヶ月から数年の避難生活を送るようなものを(私は)想像してしまいますが、数日間のケースもあるんだな、と改めて思ったものでした。
人もペットも不安になっているときです。イライラしたり、いつもと違う行動をしてしまうこともあるでしょう。そんな状況・状態でのトラブル。経験もないし話もあまり聞いたことがなかったので、「こんな感じなのかなぁ」と参考になりました。

ペットのトラブルは「裁判にするほどでもないけど...」の程度のものが多いとおもいますので、ADRとは相性がいいかも。

 

二つのシンポジウムを聴いて思ったこと・感じたこと。

昔は、行き当たりばったりの感じがあった避難所運営も、過去の記録も集まってきて、科学的な方法論が確立されてきたようです。
今までは、「避難所運営なんて何が起こるか分からないものだから大変そう」と思っていましたが、「(実物を見たことないので想像も出来ないけど)誰でも運営できる方法を(危機管理の専門家たちが)考えて、それを実践している(準備をはじめている)避難所があるんだな」ということは分かりました。
「よく分からないから大変そう」から「やり方を勉強すれば、みんな出来るかも」と考えが変わってきました。

二つのシンポジウム双方で課題とされていたことが、動物が苦手・嫌いな人、そうではないけど全く興味がない人などに、避難所におけるペットの扱いや、(避難所に限らず)ペットに関する支援をどのように情報発信してゆくか、が課題とのことです。
そのような方々への情報発信は、災害時のことに限らず、今まで以上に必要になってくるのではと感じているところです。

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2018年3月10日 (土)

ボブという名の猫

昨年(2017年)話題になった映画。DVDで観た。
有名な映画なので説明も、私の感想も必要ないとおもうけど、ここはブログなので書いておきます。

 

イギリスの実話。ノンフィクションの映画化。

主人公は長年、薬物中毒に苦しむ。福祉のお世話になり、少しずつ更正してゆくが、薬物の魔の手は彼を完全には手放さない。ストリート・ミュージシャンとして生きているが、雨露しのぐ家さえない。
更正への決意を見抜いた福祉の担当者が、彼に部屋の面倒みてあげる。部屋があっても、仕事がない。つまりお金がない。そんなとき、一匹の猫がやって来る。野良猫なのか飼い主がいるのかも分からない。飼い主を探すが見つからないので飼い主になる決心をする。飼い主探しをしているときに同じ建物に住む女性と知り合う。猫にボブという名前をつける。

街角で歌っても生活できるほどの収入は得られなかったが、ボブと一緒なら今までとは比べ物にならない収入が得られた。それを妬んでか嫌がらせをうけトラブルになり、公共の場での演奏を禁止されてしまう。
仕方なくビッグ・イシューの販売を始めるが、やはり妬まれてのトラブルになる。また、「その猫が欲しい」という女性と口論しているとき、ボブが消えてしまう。二晩くらい姿を消す。そんなとき、再び薬に手を出してしまいそうになるが踏みとどまる。
ボブが有名になり新聞にも取り上げられた。もちろんネットでも知られるようになってゆく。

最終的に、完全に薬と手を切ることができた。それまでは、メタドンという薬を常用することを義務付けられていたが、本人の申し出で断ち切ることになる。常用していても日常生活に問題はないが、完全に断ち切るための苦痛はヘロイン以上だという。
それもクリアし、さらに自伝を書かないかという話も入り、この話の原作になる。

 

以下、日本と違うなと感じところ。ちなみにこの映画の舞台はロンドン。

主人公の支えとなったのはボブだけでなく、同じ建物に暮らす女性も。その女性が居たからボブの飼い主になる決心をする。その女性は犬の散歩やさんのようだ。ビーガンでもあり、家畜の開放を訴えて路上でアピールしたりする(これが意味するところは多くの日本人には分からないとおもった)。彼女の最愛の兄は薬物常習者で亡くなっている。映画を見る限り、イギリスでは簡単にそして安価に薬物が手に入るようだ。だから薬物常習者は珍しくないようです。

また、ボブとバスに乗ったり、お店に入っても咎められることはない。ただし、ボブがリードをつけ始めたときに、あるお店に入ろうとしたとき、主人公はそれを止めた。許される店とそうでない店を、ほとんどの人は区別がつくらしい。
RSPCAやバタシーが有名ですが、生活が苦しい人たちのために、無料でペットの診療してくれる病院があるが、薬代は有料であることを知った。(これも多くの日本人は分からないと思いますが、日本とイギリスとでは動物病院に連れてゆくことのハードルが全然違うことを感じた。更に言えば、福祉の精神がしっかり根付いていることが日本との大きな違い。)


http://bobthecat.jp/
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9C%E3%83%96%E3%81%A8%E3%81%84%E3%81%86%E5%90%8D%E3%81%AE%E7%8C%AB_%E5%B9%B8%E3%81%9B%E3%81%AE%E3%83%8F%E3%82%A4%E3%82%BF%E3%83%83%E3%83%81
https://movies.yahoo.co.jp/movie/%E3%83%9C%E3%83%96%E3%81%A8%E3%81%84%E3%81%86%E5%90%8D%E3%81%AE%E7%8C%AB%E3%80%80%E5%B9%B8%E3%81%9B%E3%81%AE%E3%83%8F%E3%82%A4%E3%82%BF%E3%83%83%E3%83%81/360616/



メタドン → メサドン(最近、獣医さんと話をしていると出てくるケタミンも出てくる)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%82%B5%E3%83%89%E3%83%B3
映画とは全く関係ありませんが、こんな資料も出てきました。日本の薬の承認システムは
利用者のためになっているのかな。 http://www.ytakashi.net/contents/0.cancer/report07/070226methadon.pdf

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2018年3月 7日 (水)

非常食

3月11日が近くなったから書く訳ではなくタイミング的には偶然です。

数日前、ばたばたしていて昼食をとりそこなってしまった。午後三時を過ぎて何を食べようかと考えた。ふと棚を開けると、昨年の秋に同行避難訓練のお手伝いをしたときにいただいたと思われる非常食があった。簡単に出来るみたいだし、これにすることにした。

二袋あった。味がついているものと、おかゆ(おもゆ?)のような味のついていないもの。

 

まずは、味のついているほうから。
非常食というと、勝手に地味なイメージをもっていましたが、お洒落なパッケージ。避難所に身を寄せて地味なデザインを見ながら食事をしたら、たぶんとても落ち込むとおもうので、これでいいとおもいます。

20180307a1 20180307a2

20180307a3作り方は、熱湯は20分、水なら60分。

水で試したい気持ちもありましたが、寒い日であったこともあり、熱湯コースにしました。

当然のことながら、アレルギーの表示もしっかりある。

作り方は分かったので、やってみる。

袋を開ける。立たせる。スプーンが目に入ったので取り出す。そして、熱湯をいれる。

内側に「ここまで入れてください」の「注水線」なるものが描いてある。それを超えないよう熱湯をいれる。入れてゆくと、袋が横に広がり注水線が逃げてゆくような感じになる。よく見て熱湯をいれた。

20180307a4 20180307a5

20180307a6そしてチャックを閉めようとしたとき、「脱酸素剤を取り除いてください」の文字が目に入った。急いで熱湯に浸かった小さな四角い袋を取り除いた。空腹だったので、焦っていたようです。
私は健康を害することはありませんでしたが、本来であれば食べるべきではないのかもしれません。私と同じ過ちを犯さないように、気をつけましょう。

こうやって写真を見ると、何箇所にも注意書きがありますね。ちょっと忙しかっただけの私でさえ、これに気がつかなかったのですから、被災された方々の中には、全く気がつかない人もいるかも。

20180307a720分待って開けてみるとこんな感じ。味はしっかりついていた。気分が落ち込んでいても食べることができそうです。


このブログを書いていて気がついたことがもう一つ。「アルファ米」ではなく「アルファ米」。
WikiPedia で調べてみたら、やはり、アルファ化したお米を乾燥させたものでした。
アルファ化については、ペット・フードの勉強をすると出てきます。
お米と炊いたご飯は、如何にも別ものですよね。分子構造が違うんです。お米をアルファ化したのがご飯です。日本語で糊化とも言います。

つまりアルファ化米とは、炊いたご飯を乾燥させたもの。お米に水や熱湯を入れても炊けない(ご飯にならない)ことくらいは私でも分かります。でも、ご飯を日々食べる日本人が(カップヌードルを開発してから)このようなものを開発するまで時間がかかったのか不思議です。自分が知らなかっただけであったのかな。

続いて、こちら。「白がゆ」と書いてあります。

20180307b1 20180307b2

こちらは、熱湯5分、水40~50分とありますが、やはり熱湯で。
もちろん、脱酸素剤は出しました。袋の形が同じなので、熱湯を入れてゆくと、「そろそろ止めなければ」とおもうと袋が膨らんで「まだまだ」となる。

20180307b3    20180307b4
出来上がり写真を撮り忘れましたが、真っ白なお粥。お米を砕いているのか粒が小さいので、ふわふわというかさらさらというか。するすると入ります。
味は全くついていません。醤油や塩をかけたくなりましたが、よく味わって食べました。
体調を崩して食欲がないときなど、無理してでも食べるときに良さそうな感じでした。

 

2~3年前、賞味期限がとっくに切れていた乾パンの缶詰が出てきた。乾パンと氷砂糖の塊が入っていた。「非常食ってこういうものだよな」と思って食べた。その時、そのことをネットに書いたら、「今はもっとよくなっていますよ」とお言葉をいただいた。
今回食べたようなものがあるのは知っていましたが実際食べたことがありませんでした。

こんなに良くなっているとはビックリです。

ニーズがあれば確実にいいものが出来るんだな、と当たり前のことを思ったりしました。

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2018年2月16日 (金)

1月の「犬とゆく」

今回も忙しさの中で忘れそうになっていました (^_^;)

東京は一月に雪が降り、我が家の周りでは2週間くらい残っていたとおもいます。それも完全に消えましたが、まだ寒い日が続きそうです。暖かさを感じる日もありますが、春が日々が待ち遠しいです。
雪深い地域ではご苦労、ご不幸もあると伝え聞きます。皆様のご無事を祈っています。

 
1月の「犬とゆく」。
昨年の年初には、「ペースダウンして、年26更新(2週に一回)くらいでいいかな」と思っていたのですが、昨年も週一回ペースで終わることができました。さてさて、今年はどれくらい更新できるのか。

1月は、週一ペースでのスタートでした。
ランキングを入れずで、4件の更新でした。

 

2017年 年間 ランキング
アクセス・カウンター部門では、既に犬連れNGの別施設に生まれ変わった「ブランシェ草津」が凄い数字になっていました。その理由は予想外のことでした。
投票3部門は寂しい感じなので、皆さんお気軽にポチっとお願いします。

CAFE MOJAVE(カフェ モハベ)
久しぶりに私の投稿。うーにーが生きていた頃からの知り合いに誘われて利用しました。
秋川駅近くにある有名店。我が家をはじめ遠方から来ていたお客さん多かったみたいです。いいお店は何処で営業してもお客さんがくるものですね。

美ヶ原高原美術館 展望テラス (道の駅)
展望テラスがニューアルしてとても広くなりました。今もラーメン・メニューがあるらしい。利用時は、山賊焼ラーメンもあったとか。
広々としたテラスは、ドライブの疲れを癒してくれそう。大人数での利用もいいかも。

カフェ&トラットリア クオーレ・ヴェルデ
伊那にある飲食店。ランチはピザやパスタ。犬連れには専用のテラス席がある。
写真を見る限り、席も雰囲気あるし、料理も美味しそう。
場所は「ここにこんな雰囲気のお店があるとは想像もしなかった。しかも犬が一緒でも利用が出来る!、嬉しい!!」という感じ。

手打ち麺処 さんさい
山中湖西岸にある、そば・うどん・ほうとうなどの麺類を食べることが出来るお店。犬連れ専用の建物があるので、室内での利用ができる。寒い季節・暑い季節には良さそう。
麺類に自信があるようですが、かき揚げや天ぷらも良さそうです。富士五湖で天ぷらが食べたくなったら利用するといいかも。

 
さてさて、今年は何軒くらい紹介できるかな。

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2018年1月29日 (月)

映画 猫が教えてくれたこと

今日は月曜日ですが女房が休みで、一緒に映画館に行きました。観た映画はタイトルのもの。
以下、映画の中のセリフや内容を書きます。ネタバレというヤツが含まれます。それらには私の記憶違いや誤解も含まれるかもしれないことご了承ください。

猫の街として知られるイスタンブールにおける、猫と人の物語を集めて紡いだような映画。
東京の地域猫活動に日々ご苦労されている方々には「誤解を招く!」と叱られてしまいそうな映画でもある。外を自由に歩き、飼い主がいるのかいないのか分らない猫たちと、その猫たちを世話をする人たち、救われる人たちの話。

トルコのイスタンブール。私は歴史も地理も苦手で、この地がどんな場所なのか長い間知らなかった。
私が、猫の問題を見聞きするようになって間もなく、この街が「世界で最も猫に優しい街」と耳に入ってきた。実際に行った猫好き人から「理想的な街。何故、日本ではできないのか」と迫られたことがある。そこで、この街のことを少しだけ調べた。簡単に言えば、アジアとヨーロッパの境目。地理的にも文化的にも。
映画の中にも、それを感じる映像がある。また、トルコには大きな港があり世界の多くの国々の船が寄った。それらの船には猫が乗っていて、この地に残った猫も多いとか。(出航だから船に戻っておいで、と伝えても戻って来ない猫はいるでしょうから。)

基本的に、猫好きの人の話を集めた話ですが、猫嫌いな人についての話も出てくる。やはり糞尿が問題になるらしい。今までのイスタンブールは土の場所があった。ここのところ(登場人物が生きている間のそう遠くない過去に)大規模な開発が始まっているという。話を聞いている市場のような場所も再開発が決まっていて(自分たちのことよりも)猫のことが心配だと言う。

何年も前になるが「何故、日本ではできないのか」と言われた私としては、日本以上の猫天国かと思って、この映画を観ていましたが、日本の何処かの街では在り得る光景ばかり。少なくとも私は見たことがある。(その場所が今もそのまま猫が暮らしているかはしらないが。)
映画なので、テーマにあった風景や人を探したのだろう。それを考えると、土の多い場所であれば、日本でも似たような場所を見たことはある。

以上、前置き。
タイトルは「猫が教えてくれたこと」。

比較的始めの方に「動物を愛せない人は、人間も愛せない」と語る人がいる。私もそう考える。だから動物愛護は社会として看過できない事柄なのだと考えている。

最後の方に餌やりおじさんが出てくる。自分の活動について語る。その間、何箇所かの猫たちに食べ物を与えた映像が流れる。さらにその後(まだまだ餌やり映像が続く)、猫に救われた話になる。
病気になり人と話も出来くなり、病院に行っても治ることなかった。そんなときに、猫と付き合うようになり、餌やりを少しずつ始めた。そして改善してゆき、人と会話できるようになり、人を愛することもできるようなった、と。

別の男性も猫で救われたという。
捨てられた乳飲みの猫の世話をしている映像から始まる。まとめて捨てられていたそうだ。そして猫との関わりの話になる。
自分の財産のほとんどを処分し、やっと手に入れた船を悪天候で失ってしまう。手に入れてから一週間で。もちろん生活に困る。途方にくれて海岸を歩いていると、病気か怪我でもしているように大きな声で鳴いている猫を見る。しかし相手をする余裕はない。一度は無視するが、いつまでも耳に入ってくる声。猫の近くに寄るとそこには財布が落ちていた。そのときどうしても必要だった金額、ちょうどその金額だけその財布には入っていた。(ネコババしたのか?、と思ったが、金額のことやその他詳細は語られない。)

その後、別の人の話になり、この人はもう終わりと思っていたら、最後の方に再登場。
「神は人に試練を与えるという。猫は神様の使いだとおもう。」と語る。その場面では現在の船の上。船は海の上を走っている。彼の腕の中には猫。船の中には、他にも猫がいる。犬も一頭。

イスタンブールは、宗教も境目的な位置にあると聞いたことがある。
映画中、ある男性が「昔、兄と猫のお葬式をやった。ある映画の十字架が格好良くて墓石の代わりに、枝で作った十字架を置いた。自分たちとしては全く宗教的な意味はなかったが、それを見た父が焦って私を宗教学校に入れた」と。

街中の飲食店やお菓子屋さん、魚屋さんなどで食べ物をもらっている猫たちもいた。
東京の街中だったら「不衛生だ!」とお店や保健所に苦情を言う人がいるだろう。この映画の中では、そのようにしてきている店が幾つも出てくる。それらのお店は賑わっている。

観ていて思ったというか感じたことは、やはり「宗教」の存在。

私の個人的な知識として「国は国民の身体・生命・財産を守らねばならない」というものがある。不衛生や泥棒猫は許してはならことなります。今、身体・生命・財産と書きましたが、ここには精神が含まれていません。それは身体に含まれるからだと考えています。宗教や宗教的といわれる事柄が、人の精神を救ってくれるのであれば、他の権利と秤にかける価値は充分にあるだろう。それは無宗教の国に産まれた無宗教の私だから「価値は充分にあるだろう」と感じるのであって、宗教が個々人に根付き、日々の生活を救ってくれている人が多い国の人にとっては「価値は当然ある」と感じているのかもしれない。
その意味では、日本人には難解というか、誤解する人もいるかも。

最後の方に、こんなことを言っていた人がいた。開発で街の姿が変わってゆくことを暗示される映像と共に。
街には猫の問題もあるが、人間の問題もある。街が変わってきているので仕方ない。それらは別々の問題ですが、きっと何処かで繋がっている。
冒頭の「動物を愛せない人は人間も愛せない」に通じるものを感じた。

この映画を観ている限り、猫から被害を受けている人がほとんどいないように感じてしまいましたが「本当のところどうなの?」と心配になった。「嫌いな人がいる」「野良猫はどんどん少なくなるだろう」「開発が進めば猫の居場所はなくなる」など、断片的な話が入ってくるので尚更だった。

映画としてはよく作られていた。映像や編集もいい。イメージも統一されている(地下の暗視カメラの映像は仕方ないとおもう。あれはあれで楽しかった。ただし、チーズらしきがぶら下がって見えたのは疑問を感じた)。

最後の最後になって話も大体まとまり、終わりを感じた頃「映像もよかったなぁ」と思っていたら、街を空から撮ったシーンになる(たぶんドローンで撮影)。大きな川(ボスポラス海峡?)には橋がありその前後に大きな船が行き交っている。道には車が動き続けている。ドローンのゆっくりとした動きと、それらののんびりと見える動きが印象的でもあり、誰にも止められない動きのようにも見えた。屋根の茶色と日の光の具合は夕方の始まりをイメージさせた。茶色の屋根がひしめく中、巨大で真新しいビルの存在感が大きい。

この映画は「イスタンブールが猫に優しい街」であることが過去になってしまこと、そして、猫だけでなく人も輝いて生きてゆける街が変わってしまうのではないかという憂慮が根底に流れている。それを裏付けるかのような映像は美しく、制作者としても価値あるものなのだろう。

Google検索 https://www.google.co.jp/search?q=%E7%8C%AB%E3%81%8C%E6%95%99%E3%81%88%E3%81%A6%E3%81%8F%E3%82%8C%E3%81%9F%E3%81%93%E3%81%A8

映画.com   http://eiga.com/movie/87608/
YAHOO!映画  https://movies.yahoo.co.jp/movie/%E7%8C%AB%E3%81%8C%E6%95%99%E3%81%88%E3%81%A6%E3%81%8F%E3%82%8C%E3%81%9F%E3%81%93%E3%81%A8/361611/
映画の時間 https://movie.jorudan.co.jp/cinema/34040/
シネマティデイ https://www.cinematoday.jp/movie/T0022332

 

メインテーマとあまり関係のないこと。自分の周囲の外猫さんたちとの違い。
映画中、餌やりさんがあげている食べ物の内、カリカリ率はたぶん50%にも満たないような気がした。手作りが目についた。お店のものをあげたりしていた。
そしてお腹がぼよ~んとしている猫もいなかったような気がする。

 

最後に。映画とは全く関係のないこと。
文中、ネコババとタイプしたら「猫糞」と出てきて吃驚。本を読む習慣がない私は、このように書くとは知りませんでした。気になってパソコンの辞書(広辞苑)で調べたら「(猫が脱糞後、脚で土砂をかけて糞を隠すからいう) 悪行を隠して知らん顔をすること。落し物などを拾ってそのまま自分のものにしてしまうこと。」とのこと。
ネコババという言葉を知ってから50年くらい。子供の頃、身近かに猫がいない環境だったため、糞を隠すことを知らなかった。
見たことのないことは知らないし、想像もできない。
そんなことはともかく、猫糞(ねこばば)と言われるくらい、猫はしっかり糞を隠す習性があるということですね。

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2018年1月10日 (水)

「動物愛護法」は本当に動物を守れている? 現行法が抱える問題点とは

https://petokoto.com/1433

上記、なかなか参考になる記事だと思ったので、自分の備忘録。そして、私の活動を理解してくださっている方々にも読んで、ご意見いただけたらと願います。

現在の法運用の限界のようなものを具体的にみることができる内容もあるし、将来についての方策が見えてくる内容もあります。

 

司会:細川先生

 

1 法律を運用する「現場」が抱える課題
 大熊伸悟さん(高崎市動物愛護センター職員)

不幸な犬や猫を減らしたいと考える人には、是非読んでいただきたい。
今までセンターがなかった場所にセンターが出来ること、そこに熱意ある方が就かれ、改革を進めてゆく。行政という大きな組織の中で、今までやっていなかったことを行うことがどれだけ大変であり、また、そこまでしなくても良いという選択肢がある中、茨の道を進むが如くの日々を選んでいます。

「あなたたちなんかは動物のことちっともわからないでしょ」と言われたりと悔しいおもいを抱き、さらに勉強も重ね、実情にあった指導が実ることになったのでしょう。

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例えば飼い主から電話で「うちの馬鹿犬は私の手を噛むんだ、散歩もしてあげてる、餌もあげてるのに噛むんだ、けしからん」といった話をされたときには、・・・・
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と書かれた前後を読むと並々ならぬ熱意を感じます。このレベルのことを、どこのセンターでもやっていただきたいものです。

今までも熱意ある職員さんが、保健所やセンターを変え、その地域を変えた例が幾つかあります。このような方が活躍できることを心から願っています。

記事の順序とは前後逆になりますが、業者を刑事告訴するまでのプロセスについて、ここまでネット上に書いてくださったことにも感謝しています。
法律があるのだから裁判にかけられるはず、と考える人が多いようですが、現場はこんな感じだし、地域によって絡み合う諸事情があることもあります。

これは、後述の「4 動物取扱業、登録制から許可制へ……?」も併せて読んでいただきたい。
都道府県(センターや保健所)の権限を強くしていただくことと、動愛法に何回か出てくる「環境省令で定める基準」を現場で物差しとして使えるものにしていただくことを願うばかりです。

 

2 劣悪なペットショップ 東京都の法律運用は?
 川崎亜希子さん(公益社団法人「日本動物福祉協会」栃木支部長)
 太田匡彦さん(朝日新聞記者)

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2年ほど前に東京都昭島市のペットショップで一つ事例があったので・・・・
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と、この事件についてのお話です。

この事件については、公ではお話し出来ない内容があるのではと思っています。
以前、この件についてのシンポジウムが近所で行われたので拝聴させていただいたことがありますが、そのときに公では話せないことがあることを感じさせる内容を目にしました。私が以前から抱いていた疑問に対する答えを見つけることができましたが、それば逆に大きな問題があることを突き付けられたような気持になり、正直なところショックでした。

そのことについてはここでは書けませんが、とても難しい問題であり、それをどうにかしない限り(業者の問題だけでなく、動愛法の運用全体が)大きな前進は難しいのではないかと危惧しています。

 

3 「8週齢」を条例で 札幌市の事例
 藤野真紀子さん(元衆議院議員)
 太田匡彦さん(朝日新聞記者)

業者に対して既に8週齢の規制をしておいて、飼い主を対象にしようとしたら「科学的知見はあるのか」との考えから、ちょっと待ったをかけようとした、ということですが、逆に環境省に、8週齢の規制を業者だけに行う「科学的知見はあるのか」と問いたくもなる。
これについては、以前議連の先生が「決めの問題である」と発言していたのを記憶していますが、環境省が客観的な「科学的知見」に拘るのか、「決め」を作り、悪質な(思慮深くない?)繁殖者(業者、飼い主、その他繁殖する者全て)に対して、繁殖行為について意識を高めてもらう方向で進めるのか、今後を見定めたいとおもいます。

業者でない人が(繁殖する必要も意思もなく)安易に繁殖することは倫理上も問題があるとおもうし、一般飼い主が繁殖するのであっても、せめて8週くらいまでは親元に置いてあげてほしいものです。

 

4 動物取扱業、登録制から許可制へ……?
 大熊伸悟さん(高崎市動物愛護センター職員)
 太田匡彦さん(朝日新聞記者)

冒頭の、1 法律を運用する「現場」が抱える課題 の解決策的内容。
法改正により、登録制から許可制にしたい、とありますが、その通りだとおもいます。以下、現場ではそのような場面に遭遇することがあるかとおもいます。
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現状の法律では、それを運用する地方自治体の職員は布の服にこん棒みたいな状態で現場に行かなくてはいけないので・・・
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現場職員の方々の熱意が報われる法律にしていただきたいです。

最後の方にある
====
繁殖用の犬猫を畜産動物にするということです
====
には、ギョっとしましたが、そのようなことが進んでいるという現状は記憶しておく必要がありそうです。そこまでして繁殖するメリットがまだまだあるということですから。

(参考)
http://www.ray-office.jp/authorization/%E8%A8%B1%E5%8F%AF%E5%88%B6%E3%80%81%E7%99%BB%E9%8C%B2%E5%88%B6%E3%80%81%E5%85%8D%E8%A8%B1%E5%88%B6%E3%80%81%E4%BD%95%E3%81%8C%E9%81%95%E3%81%86%E3%81%AE%EF%BC%9F/
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%8A%E5%87%BA%E5%88%B6

 
 
5 動物を守りたい――アニマルポリスの実現可能性は?
 大熊伸悟さん(高崎市動物愛護センター職員)
 川崎亜希子さん(公益社団法人「日本動物福祉協会」栃木支部長)

現場で起こっている問題が、公の場でここまでしっかり議論されるようになった現在、アニマルポリスの必要性は明らかだと感じています。
名称や組織の構成手法はこれから議論してゆくとして、まず、動愛法をしっかり守る必要性を国民に理解していただくことが必要だと考えています。広く理解されれば、職員の権限を強くするのは当然であり、職員の数も増え、しっかり監視・指導できるようになれば世の中、変わってくるとおもいます。また、センター内部に置くのではなく、指導・取り締まり等を仕事としてきた人を中心にした別組織になってもいいのではないでしょうか。

どのような形であれ、動愛法が理解され、人と身近な動物とが心穏やかに暮らすことが当たり前の世の中になることを祈っています。その世の中は、きっと人間同士も心穏やかに暮らすことができる世の中だと信じています。

 

※オマケ――虐待について

記事を読んでいて、この説明も必要なのでは?、と思ったことを書いておきます。
一言で「虐待」と言っても種類(?)があります。とても大まかな分け方を書いておきますので、考えていただけたらと願います。
また将来的に、法律やそれに付属する基準などで記載されることを願っています。

・ 積極的虐待と消極的虐待
「積極的虐待」は、猫を対象にしたものが多いです。惨いことをする。さらにその死体等を人目のつくところに遺棄したり、その行為をネットにアップしたりするので、他者への影響もあります。
「消極的虐待」は(時間的理由、経済的理由等で)手が回らない。つまり、ケージや部屋が劣悪な環境になったり、その他、健康面の最低限の配慮が出来なくなってしまう状況が続いてしまうことです。

・ 虐待を行うのが、「業者」なのか「個人」なのか
今回の記事でも8週齢規制を業者だけでなく飼い主にも、との内容がありましたが、(虐待に限らず)業者が行う場合と飼い主が行う場合では、違ってきます。
「業者」は消極的虐待になることが多いと思いますが、行政は業者を登録制にしていますから、把握、指導できる関係にあるはずです(それがしっかり出来ないのが現状で、このような議論がある訳ですが)。
「個人」は積極的虐待も飼育崩壊などの消極的虐待もありますが、行政は把握することも難しいです。そして現在の法律の運用では指導も(やることは出来ても従っていただくことは)難しいのが現状です。

現在、大括りに「虐待」と云いますが、最低限上記の分類を国民が意識できるような取り組みが必要なのではと感じています。

 

以上、自分の備忘録と私の活動に理解ある方々へのメッセージでした。
一年後には、どれだけ前進できるのか。来年の年明けに、これを読み返したいと考えています。

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