2019年3月28日 (木)

上村雄高写真展「Call My Name」&「LOVE & PEACE」

 2019.3.28(木)、タイトルの写真展に行ってきました。
上村先生のブログでの紹介はこちら

会場は祖師谷大蔵の Gallery Paw Pad さん
駅から活気のある商店街を歩く。可愛いバルタン星人がはためくその道には多くのお店が並んでいる。商店街を進み、昔ながらのお店が多くなった辺りにこのギャラリーはある。20190328a

入口には上村先生の写真展でよく使われている綺麗な写真が出迎えてくれた。

引き戸を開けて中に入ると、両側の壁に多くの綺麗な写真が並んでいる。シャープなラインと青空と緑など見事な色彩。晴れた日の草原にいるような気分になれる。
20190328b写真の話の前に、引き戸を開けて真正面のこのスペースのことについて書いておく。このスペースは、いつも一工夫ある展示になっている。

「Call My Name」にはサブタイトルが付いている。「原発被災地の犬猫たち」。
今回の展示は、上村先生の写真展がメインですが、大規模災害時に犬や猫をどうするのかをテーマに小さな展示が幾つかある。

(左の写真の)正面奥のバッグなどが置かれたスペースは、ちょうど避難所で個別に割り当てられるだろうと予想される広さだそうだ。世田谷区のような人間が多く暮らしている地域で、皆が避難所に身を寄せるようなことが起こったら最低限の一人当たりのスペースとなるだろうから、人一人が横になれるだけになるだろう。

見える部分以外にも細工(?)がしてあります。多くの人が押し寄せた避難所をよりリアルに想像したい方は、是非ここに入って座るなり横になるなりしてみてほしいものです。

20190328c この窪んだスペースの左には、こんな展示があった。とある三人が大規模災害時のことを考えた結果をまとめた。
     20190328d

よく出来ているというか、とても身近に感じる。現実的に一生懸命考えたらこういう結論になって、ちょっとやってみるとこんな感じになるのか、と参考になるし、考えることが色々出てくる。

さて、上村先生の写真、といきたいのですが、もう一つミニコーナーが。
世田谷区や渋谷区、新宿区などの行政や災害時のペットの扱いについて活動している団体の冊子が並んでいるコーナーがあった。(写真がボケボケなのはご勘弁。とにかく幾つも並んでいます。)
このように幾つもの区のものが並ぶことは珍しいのではないでしょうか。気になる方は是非読み比べてほしいです。(ちょっと時間かかってしまうかも。)
20190328e   20190328f      

やっと写真の話です。

奥から入口に向かって右側は「Call My Name」。
原発災害により人が住むことが出来なくなった飯館村での写真。こちらも色々と考えさせられること、感じることがあります。
犬も猫も人と共に生きるべく動物であり、そこに人が暮らすことが出来なくなることがどのような結果を生むのか。写真から伝わってくるものがあります。

左側が「LOVE & PEACE」。犬や猫たちの幸せそうな写真が所狭しと並んでいます。写真そのものの技術、構図などデザイン、笑顔の引き出し方など「すごいな~」と感じる写真の数々。
20190328g   20190328h

20190328i 最後に。
上村先生と言えばこのクッション(右の写真だと生首に見えますね)。とても大きいのですが、印刷は繊細。
「他では真似出来そうもないな」とおもうものです。

 
今回の展示は、金曜と土曜を残すだけになりました。
祖師ヶ谷大蔵をご存知ない方は、飲食店やお菓子屋さんなどをチェックの上、訪れることをお勧めします。
桜の季節なので、近くの桜の名所をチェックしてから行くといいかも。

素敵な出会いがあるといいですね。

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2019年3月17日 (日)

淡々とやっていられない時代(その1:実は20年以上続いている「犬とゆく」)

ホームページ運営の技術的な話です。
html、JavaScript、php なんてことの話です。
そして、運営上の言い訳です

 

今、「犬とゆく」の基本的なメンテナンスをしている。約2000のhtmlファイルを見ながら、ちまちま直している。
今やっている具体的な作業は、ページの上に右向きの赤い三角マークを付けること。
「犬とゆく」には、二つの表示方法がある。運営側としては「シンプルページ・モード」と「フルページ・モード」と呼んでいる。

昔はパソコンの画面は小さかった。表示できるドット数が限られていた。
640×480からはじまり、800×600、くらいまでは、一枚の紙のような表示でないとキツかった。
それ以上の表示が当たり前になった頃から、周りを付けることを考えて「フルページ・モード」を作ることにした。

ここで、トップページを例に、二つのモードを紹介しておきます。
こちらがシンプルページ・モード、こちらがフルページ・モード
現在やっている作業は、シンプル・モードの時に、全てのページに右向き赤三角が表示できるようにすること。

フルページ → シンプル は、画面右側に「シンプルページ」というボタンを用意したのですが、シンプル → フルページ は各ページからできなかった。なので、右向き赤三角を(気が付いたものだけ)付けていた。

遠い昔に作られたページも多々ある。
公表では、2000年からやっていることになっていますが、その二年くらい前から別の名前(サイト名)で運営していました。
あるとき、その名前を付けた商品が発売されて、「他の人が付けようとしない名前にしよう」と考え「犬とゆく」にしたのが、2000年でした。

2000年以前に作られたページもあるので、それらにぶつかると驚くし、ため息も出る。「こんなので動くんだ」とブラウザの懐の深さに感謝。

 

作業していて、途中まで何の違和感なかった自分が怖いというか情けないというか。
ソースを基本に考える時代ではないけど、これだけ古い(古典?、泥臭い?)ものでも動くんだなと、驚いた記録です(爆)

次回は、今も動く昔仕様のソースコード(html、JavaScript、phpなど)について。

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2019年2月 5日 (火)

猫の殺処分数@東京都

私のブログはいつでも広く一般の人に向けて書いているつもりです。
そのことをご理解の上、読み進めていただくようお願いします。

 

この何年かで、「殺処分数ゼロ」という言葉を耳や目にすることが出てきたとおもいます。この言葉の意味は何なのか?

動物のことに限らず、行政が発表する数字を理解するにはややこしいことや風評などが絡まり合っている場合があります。そんな説明だとおもってください。

ただし、ここに書かれていることは、東京都の猫に限った話です。

 

私の頭に入っていた「噂」。
(犬猫合わせた)殺処分数は昭和の頃に比べると著しく減ってきましたが、子猫の数はまだまだ多い。季節により多く持ち込まれることもあり、人手もまわらず仕方のないことである。とはいえ胸が痛む。
これを解決するには(対応の問題にするのではなく)、飼い猫も地域猫なども避妊去勢手術していただくしかない。そのような情報を広めるしかない。

(参考)
昭和の終わり頃まで、犬猫合わせた殺処分数は、約100万頭。
平成29年度は、4万3227頭だそうだ。(参考ページ

 

そもそも「殺処分数」って、な~に?
大昔、狂犬病予防法による「犬抑留所」、その後「犬を捕まえる保健所」とか言われ、今では動物愛護センターとか呼ばれる施設(現在、東京では「動物愛護相談センター」)に持ち込みや捕獲依頼で収容された犬や猫の内、施設内で死亡した数、とおもってだいたい間違いないです。

 


さて、私の勘違い。

東京都が公表している数字に以下のものがあります。
(平成29年度に、収容中に死亡したもの及び動物福祉の観点から致死処分をしたものを除いた殺処分数は)犬は0頭、猫は16頭
それに対して(全てを含めた致死処分数は)犬15頭、猫439頭

こちらにもその数字がでています(微妙に数字が違うのが気になりますが、私が見たものは上記の数字です)。

 


今出てきた、殺処分致死処分という単語について説明しておきます。

国のルール(総理府告示の「動物の殺処分方法に関する指針」というものや環境省統計のルール)では、全て込みで「殺処分」とする、となっています。

しかし、この5年くらいでしょうか、「殺処分ゼロ」とか云う言葉を見聞きする機会が増えてきました。
しかし、息も絶え絶えの動物が収容後に息を引き取ったものも含めるこのルールだと「殺処分ゼロ」は実現不可能です。
そこで東京都では、それらと、健康だけど(設備や人員などの関係で仕方なく)息を引き取ってもらうことになった動物の数を分けよう、となった訳です。
健康だけど...の数を殺処分数。それらも含めて全てを含む数(=国の数え方)を致死処分数、とすることにした。

 


話を戻します。平成29年度、東京都の猫の話です。
殺処分数16頭、致死処分数439頭

私の勘違い。
「多くの子猫が殺処分されていると聞いている。16頭では全然多くないし、致死処分数が多すぎる。これはきっと何か誤魔化しがあるのではないか!」

と強い疑いを持った私は、東京都の窓口に質問しました。


東京都の引取りの基準の基本は、「自活出来ている猫は引き取らない」があります。

引取る猫のほとんどは、自活出来ないほど健康に何らかの問題があるとおもっていいらしいです。
子猫は特に、状態が良くない場合も多いし、収容までに時間がかかり、その間のケアが適切でないと命を落とすこともあるらしいです。

つまり数字には何も間違えも誤魔化しもない、ということでした。

そのように聴かされても、年間400頭以上もの猫がセンターの中で命を落としたり、そうした方がベターだろうと判断されている現実を直ぐには受け入れられなかった。

 


わざわざ東京都の窓口に電話を架けて質問をしたのには理由があった。
その夜、その数字についてボランティアで知り合った人たちと話をする予定だったから。

その話の中で次のようなことも分かった。

(先にも書きましたが)引き取るのは自活出来ない(そのまま放っておいたら死んでしまうだろう)状態でなければ引き取らない
このことは知っていましたが、どこまで厳格にやっているのかは知りませんでした。具体的なことは書きませんが、「その状態でも引き取らないの?」という実例も聞きました。

これが基本なので、子猫の場合も状態が悪くて保護しますが、持ち込むまでのケアが少しでも足りなければ死んでしまうことは珍しくないそうです。

ちなみに、東京都で「子猫」「成猫」の区別は、自分で食べ物を食べられるようになったら「成猫」としているそうです。つまり、母猫から離れたら成猫扱いみたいです。

 


ここまでで、一度まとめます。

国のルール => 施設に収容された動物が原因を問わず死亡した数全てを殺処分数にカウントする

東京都のルール => 国が殺処分数と呼ぶ数を致死処分数とする。そこから収容中に死亡したもの及び動物福祉の観点から致死処分をしたものを除いて殺処分数とする。

---

東京都の猫の収容基準 => 自活出来ない状態であることが条件(または余程のやむをえない事情がある)

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以上の背景があるので、年間400頭以上の猫がセンター内で命を落としたようです。

 

■■
ここまでで、言葉としての「殺処分数」については、ご理解いただけたとおもいます。

 

この先は、「400頭以上」 について考えてゆきます。

 


少し冷静になって数字を見直すことにしました。

東京都が今の区分で数字を公表し始めてのは最近で、たぶん、平成27年度から。
その数字はこちらにありました。
致死処分から殺処分を除いた数字は、27年度で約600頭で、28年度、29年度と減っていることが分かります。

 

27年度以前は、このように分けた数字がありませんので総数で見てみる。

ネットですぐに見つかる資料として、こちらがあります。昭和55年からの数字です。犬と猫が分かれていませんが、平成12年(西暦2000年)でも(東京都だけで)一万頭以上であることが分かります。

私の手許にあってすぐに見つかった資料で平成14年の数字がありました。

現在でいうところの致死処分数(当時は殺処分数と表示)
(総数) 11,190
(犬)     980
(猫)   10,196
(うさぎ)   14

猫だけで(東京都だけで)1万頭以上だったのです。

この頃は「自活できない猫のみ」のルールがなかったか厳格ではなかったのだとおもいますし、現在ほど「室内飼い」の理解は進んでいなかった(進み始めた時期だとおもいます)ことも関係しているとおもいます。

昭和50年台は(犬猫併せてですが)5万頭以上ですから、一万頭でも随分と減ってきていることになります。

そして平成29年度は(私が見た資料では)439頭。

東京都の広さや、室内飼いがまだまだ徹底しきれていない点、明らかに飼い主がいない(常時外で暮らしている)猫もまだまだいることなどを考えると、439頭はおかしくない範囲に入りそうです。

 


おまけ的に数字を見ていておもったこと。

よく「子猫の致死処分数が多い」と耳にすることがあります。
(東京都が公表している致死処分数に子猫・成猫の区別がありませんが、他の数字から想像というか逆算すると、東京都の場合)、子猫と成猫の割合は半々に近いようです。

---
(参考)
29年度負傷動物として収容された子猫は24頭、成猫は291頭。
拾得者からの引取りでは、子猫が353頭、成猫が3頭。
所有者からの引取りは、子猫9頭、成猫31頭。
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譲渡の数は、子猫が192頭、成猫が55頭。
返還の数は、子猫/成猫の区別がなく22頭。
そして、致死処分が子猫/成猫の区別がなく439頭。

これらを見て、職員の方のお話し、猫の活動をしている人の話が感覚的に理解できてきました。

東京都では、基本的に命の危険があるくらいでなければ引き取らないので、殺処分以外の致死処分数がある程度あることをやっと理解できました。

そして東京都で言うところの「殺処分数」がゼロに近づいていることを歓迎すると同時に、国が言うところの「殺処分数」、東京都が云うところの「致死処分数」もゼロに近づいてくれればと願ってしまいます。


それには、やはり猫を外に出さないことしかないのではないでしょうか。
それと、避妊去勢を広めること。

 

 

最後に。

以上の内容を理解するまでに、お忙しい中ご協力してくださいました方々には、この場を借りて、お礼申し上げます。
ご多忙中、お付き合いいただき、ありがとうございました。

「子猫の殺処分数が多い!」との噂からの思い込みで、ご多忙の方々のお時間を頂戴したことを申し訳ないと反省しております。
私と同じことをする人が一人でも減るように、また、東京の猫の現状を広く一般の方々に知っていただきたい気持ちから、これを書きました。

今一度、私たち人間と猫との関係の在り方を考える機会になれば幸いです。

 

個人的な感情として、外で猫を見ることが出来なくなることは寂しいことです。
私が子供の頃(前の東京オリンピックの直後くらい)と今とでは、町の中の風景は全く違います。これから町の中で猫の姿を見ることが難しくなることは、時代の流れの一つとなるのだとおもいます。

私たちは町中で健康な猫の姿を目にしますが(子猫・成猫に限らず)病気や事故などによる怪我で苦しみ、命を落とす猫も多いということが、猫たちを助けようとする人たちの活動で明るみになってきたと、上記の数字から私は理解しました。

この問題に多くの人が関心を寄せて、誰もが一度は考えていただければと、願っています。

 

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

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2019年1月22日 (火)

夜ノ森駅が解体

前の書込みで、夜ノ森駅のことを書いた。

2020年に運転再開という情報があった。「あの味のある駅舎が復活するんだ、おぼまが捕獲された駅前のロータリーもそのままだろうか」、と想像していた。

その後、解体のニュースが入ってきた。
あの駅舎は、「1921(大正10)年から使われていたもの」らしい。

そして解体が始まるニュースが入ってきた。
地元の人の悔しさがにじむ発言もTwitterにあった。

 

おばまを迎えるにあたって、夜ノ森という町のことを調べたことがある。
一般的な情報としてWikiPedia。夜ノ森駅夜ノ森(町)の項目がある。それを基に以下書き進める。

夜ノ森という場所は、少なくとも戦国時代から「境界地帯」であったらしい。領地の境目でもあったし、文化的にも自然地理面でも境界地帯であったと書かれている。

そのような場所は何かと問題が起きて栄えないものだとおもっていましたが、そこに夜ノ森駅を作ろうとなった。
鉄道の当初の計画は、「富岡小良ケ浜から熊町(大熊町熊)を通って」とある。富岡小良ケ浜とは、夜ノ森の海側の地域だ。つまり、夜ノ森に鉄道が通る計画はなかった。
それをなんとか夜ノ森に鉄道を通し、駅を作るまで漕ぎつけた。

駅が開業したのは1921(大正10)年。
有名な桜並木を作ったのは、「戊辰戦争後の1900年に、旧中村藩士の息子である半谷清寿が、農村開発の着手を期して桜の木を植えたことに始まる。」とある。
重機のない時代に、約1500本の桜を植えることは大変なことだっただろう。観光が立派な産業資源とみなされない時代に、である。
この地に対する想いが強い人たちがいたのだろう。

当初の計画を変更して夜ノ森駅を作る条件として、地元に多くの負担をお願いしたそうだ。その負担の大きさには驚くばかりでした。

昔は、その土地を愛する有力者が大きなプロジェクトを私財を投じて行うことは珍しくなかった。地元庶民は仕事をもらえることになる。きつい仕事だったと思うが、地元の人たちは、地域の将来を夢見ることが出来ただろう。
夜ノ森については、駅が出来たことで多くの人が住むようになったこは確かなようです。

 

WikiPedia 他で色々と調べて、明治・大正時代に夢見ていた人たちのことを想像した。そしてあの駅舎は、私の想像にぴったりな姿だった。そこにおばまが暮らしていたことも。
大正時代当時のことを覚えている人は、もう生きていないとおもいますが、語り継がれていることもあるとおもいます。

新しい駅舎が出来て、後世にどんな話が語り継がれるのだろうか。

 

そして一日も早く、帰還困難区域と指定されている状況が改善され、夜ノ森で安心して暮らせるようになることを祈っています。

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2019年1月 7日 (月)

夜ノ森駅

今日、福島の方から以下の YouTube を教えていただいた。
https://youtu.be/hgZyB3NJ-Go

ばまちゃんが捕獲された夜ノ森駅の最近の映像だ。

私はシェルターに通っているときに一度近くまで行ったことがあるだけだし、駅の間近までは行けなかったので、駅舎や駅前ロータリー、連絡通路の形などの記憶はほとんどない。

上記 YouTube を見る限り、随分と綺麗になっている。
私が訪れたのは初夏で、斜面には無秩序に草木が生い茂り、ホームがよく見えないような状況だった。

この動画では(季節柄もあるとおもいますが)草木は綺麗に刈られている。
ホームも綺麗になっている。連絡通路がないし、他にも何かがあったとおもう。

 


見終わったら次の動画が勝手に流れるのが YouTube 。
流れてきたのが以下。
https://youtu.be/sK59rU6u0f0

動画の内容は YouTuber の方が夜ノ森駅を見に行った記録。
帰還困難区域は入れませんが、もしかしたら入れる所があるのでは?、とチャレンジしているため、辿り着くまで少々長いです。

動画内のコメントで気遣いが足りないなと思った内容もありましたが、レポートしてとても有難い内容です。
(動画内のコメントにもありますが)実際に行かないと、本当の感覚は分からないとおもいます。しかし、動画をあげてくださったことで、多くの人が興味をもってくださればと嬉しいです。

私が見た夜ノ森駅もこの動画にある駅の西側からでした。
昨年(2018年)三月には、未だ連絡通路やホーム上の待合室などがあったようです。


冒頭に紹介した YouTube から、現在は運転再開に向けて工事が進んでいることが分かります。

YouTube には紹介欄がありますが、そこに以下のサイトが紹介されています。
富岡インサイド http://www.tomioka.jpn.org/

トップページにある「更新情報」を見ると、夜ノ森駅の記録が幾つか。
(2018年)9月9日には、ホームの工事も一段落ついていたようです。
そして 2020年に運転再開予定らしいです(YouTuberの方の動画内で字幕が出ていました)。

 


私がこの駅に興味をもっているのは、ばまちゃんが我が家にいるから。
二つめに紹介したYouTubeを見て「気遣いが足りない」と感じたのも、ばまちゃんが我が家にいるから。

以前から思っていたことですが、東電の社員や原発を推し進めている人たちには、帰還困難区域で捕獲された犬や猫を一頭ずつでいいので、家族として引き取ってもらえればとおもっています。
それは簡単なことではないし、そうなったところでまた善からぬ結果になるケースもあるだろうから、あくまで「思い付き」的な話であり、現実として望んでいることではありませんが。

2020年、オリンピックの年に運転再開。
どんな形での再開になるのだろう。

複雑な気持ちです。

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2018年12月25日 (火)

(読書感想文)ドン・キホーテ (下)

上と中で、概要と感想を書いた。
今回は、ふとおもったことを書いておく。

今の世の中にも、当時の騎士道物語のような存在のものがあるのではないか。それは、ネットからの情報。
そんなことが頭に浮かんだ。

ネットに物事の善悪の判断を問う人が多くなったという。
しかし(そのネットで)次のようなタイトルの記事も見た。
----------
ネットで質問し、期待するものは「答え」ではなく「共感」
----------

ドン・キホーテは騎士道物語の中に自分の理想の世界を見出し、そこに入っていけば、周囲の人たちは共感してくれると信じていたのかもしれない。
しかしそうはならず、現実の人間関係、村での立場はなくなってしまった。

ネット社会に自分の立ち位置を求めすぎる人たちは、顔と顔を合わせる付き合いにストレスを感じてゆくのではないか。最近では実店舗で買い物をするのが苦手な人が増えてきていると聞いたこともある。

昔はネット社会がありませんでした。人付き合いの基本は「顔と顔を合わせる付き合い」。なので、お中元お歳暮は直接届けた。盆暮れには親戚は集まり、職場では節目節目に飲み会があるのは当たり前。それが変わってきた。
それらが好きだった人は、それほどいなかっただろう。しかし当たり前の慣習になっていた。
今はこれらを行おうとする(行わせようとする)とハラスメントになりかねない。

(このような付き合いのない)ネットの中に友達を見つけることは当たり前になりました。友達でなくても、ネット上で意見を言い合う(←話し合いとはちょっと違う)こともあちこちで行われています。
それは良いことだとおもいますが、そこから導き出される結果が、顔と顔を合わせる社会での問題解決に必ず役立つものなのだろうか。
勿論、役立つこともあるだろう。しかし、そうでなくこともあるだろう。そうなったとき、本人がより辛くなるだけではないかと考えることがある。

 

ネット社会で得た(訊いた)世の中の常識により行動した結果、騎士道物語の常識により行動したドン・キホーテと同様の影響を周囲に与えることもあるのではないか、と頭によぎった。

20181225aこのようなことを考えるようになったのは、あの20数年前だ。
犬との生活は手間がかかる。しかしその手間以上の見返りがある。それを知ってもらいたいと願った。
知ってもらいたい人の多くは、(当時はネットが今ほど普及していなかったので)、書籍や一部の専門家と称していた人たちの言葉の中から、自分が共感できるものだけを選び出し、言い訳の理論武装のようにしていた。
勿論、何も改善されない。残念である。残念な生活が続くのは本人だけではなく、犬もだ。

これと同じことを今でも感じる場面がある。
ネットがこれだけ普及したので、その数は増えた。

 

ドン・キホーテは、1605年に前編が1615年に後編が出版されていますが、21世紀の現在でも「こういう人、いるな」と感じる内容となっていることに気が付いた。

名著と称される理由が分かったような気がした。

いつか、全6巻バージョンを読んでみたいとおもうようになった。

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2018年12月24日 (月)

(読書感想文)ドン・キホーテ (中)


(読書感想文)ドン・キホーテ (中)

ドン・キホーテを読んでみた。全然違った(苦)


まず感じたこと。

大きなテーマもありますが、しっかり小分けになっていて、まるで子供の頃に観たアニメ番組ようだった。各回パターンは決まっている。どうなるかある程度先が読める。そんなところも似ていた。その意味では面白い。

当時の人たちも大いに楽しんだようだ。
Wikipedia のドン・キホーテのページでも、当時の人気について書かれている。

大きなテーマは、宗教と騎士道物語。当時のスペイン(ヨーロッパのキリスト教圏?)で尊重されていたものらしい。それらに対して風刺的な内容を書くことで、大衆に考え直してほしいという感じだろうか。

決して浮き足立った内容ではない。騎士道物語という魔法まで出てくるバーチャルなものに影響されている世の中に対しての問いかけなのだろう。
そのような内容でありながら、娯楽物として多くの人に読んでもらえることが出来る内容に仕上がっている。



以下、私の感想

思慮分別なくその場の思いつきや雰囲気だけで、風車を巨人の化身であると決めつけるとおもっていたがそうではない。彼なりの知識から導かれた確固たる答えなのだ。
現実から離れてしまう原因は、騎士道物語に出てくる魔法である。彼はそれを信じ込んでいる。(信じ込んでいる振りをしているのか?、とおもうこともあった。)

私は、騎士道物語を読んだことありませんが、ドン・キホーテを読む限り、日本で云うなら武者たちの武勇伝なのだろう。
日本でも昔は妖術などが出てくる話があり庶民が楽しんだようですが、騎士道物語では「魔法」がストーリーの中で大きな役割を担っているようです。

騎士道の根底にはキリスト教の精神が流れている。日本の武士道の根底に日本古来の宗教観などが流れているのと同じなのでしょう。命のやり取りをするのであればそうなることとおもいます。
今のヨーロッパの人たちにとっても、キリスト教というものが人々の心の拠り所になっていることは話に聞きますが、当時は今まで以上にその影響は大きかったようです。

そのような世の中で、騎士道物語を読みふけり「自分は世の為人の為に遍歴の騎士になるべきだ」と思い込み実行する。その道中は(魔法が出てくる)騎士道物語の常識により判断し、問題を解決をしようとする。

現実は魔法もなければ、問題さえないことが多い。しかし、騎士道物語の常識で考えれば、彼が出す答えは間違えではないのだろう。

馬鹿げているとおもうのは簡単。
今の世の中でも、何らかの教えによってゴタゴタを起こす人はいる。そのようなことを語りたいのだろうなと感じた。



私が抱いていたイメージとの違いを書いておく。

とにかく手柄を立てたくて、思慮分別なくその場の思いつきや雰囲気だけで、風車を巨人の化身であると決めつける話だと想像していた。お気軽なドタバタ小説だとおもっていた。つまり子供向けの単純な話だとおもっていた。
そのイメージとの違いを書いておく。

彼には「こいつと戦わねばならぬ」と決め付けるだけの、膨大な数の騎士道物語という根拠があった。
読み始めた頃は「それにしてもただのいかれたオヤジだ。人間としてもダメ。周りの人にどんだけ迷惑かければ気が済むの?」と感じたのですが、読み進めてゆくと「人間としては、いい人かも」とおもうようになる。騎士道物語に出会わなければ、いい人として一生過ごしただろうなとおもう場面が幾つかでてくる。それをおもわせるストーリーもある。

20181224a従者であるサンチョ・パンサは、無学であり欲深い人間のようにも読めるが、こちらも読み進めると、多くの諺を知っているし、思慮深く、生きるために必要なもののみを欲しっているだけであることに気づく。それに対し、学があり、生きるためには必要不可欠ではないもの(つまり必要以上のもの)までも欲するドン・キホーテ。この二人が対照的に描かれていた。

騎士道物語や騎士道、キリスト教の昔からの慣わしなどに疑問を抱くべきという想いが著者にはあり、その裏返しをドン・キホーテに投影した。
生きるためには、世間で云われているほど格好良くなくてもいいし、実際そんなことを言っていられない。そのようなことを伝えたかったのだろう。

読み始めるにあたり、少し調べた。
著者は(苦労の連続という意味で)波乱の人生であったことを知る。何度か投獄もされているが、真面目に仕事をしていただけではなかったのだろうか、生きることに真剣だった結果、投獄されたのかも、とおもう。

20数年前「自分はドン・キホーテに似ているのでは?」は明らかな間違えで、著者であるセルバンテスに似ているのかもしれない。
しかし、自分と比べるのはおこがましいの一言である。

このバージョンは、子供も楽しめるものだし、大人が真剣に読むには単純すぎる。
いつか完全バージョン(全6冊らしい)を読んでみたいものだ。

 

読み進めている内にあることに気が付いた。
そのことを次回書きたいとおもう。

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2018年12月23日 (日)

(読書感想文)ドン・キホーテ (上)

20181223a読書感想文、二つ目は「ドン・キホーテ」。
書いてみたら(毎度のこと?)長くなったので3つに分けて、上中下にします(苦)

Wikipedia のドン・キホーテのページを読むと、以下のような一文がある。
===========
2002年5月8日にノーベル研究所と愛書家団体が発表した、世界54か国の著名な文学者100人の投票による「史上最高の文学百選」で1位を獲得した。
===========

世界的に有名な小説らしい。

作者はセルバンテス。私が読んだものは牛島信明編訳。
「編訳」とある通りアレンジがしているものらしい。
ドン・キホーテは前後編に分かれているが、それを上手く繋げたバージョンとのこと。また、とても長い小説らしいのですが、これは一冊にまとまっている。

この本は図書館で借りたものですが小中学生向けの場所にあったものです。
その本は既に返してしまったので、記憶を手繰りながら感想文を書いてみます。

 

20181223b
子供の頃からこの「ドン・キホーテ」のことは知っていた。しかし本を読む習慣がない私は読まなかった。
「頭がおかしくなった男が英雄気取りで風車に戦いを挑む話」と聞かされ、それだけ知れば満足だった。

 

二十数年前、犬を迎えた。当時の私は一日のほとんどを犬と過ごした。また、犬について的確な知識を与えてくださる人たちにも恵まれた。
「恵まれた」ことに気が付かず、「なぁ~んだ、犬との暮らしって簡単じゃん。みんなちょっと勘違いして苦労し過ぎ~」と勘違いした。

その頃「犬とゆく」をはじめることを考える。
「ここを入口に、皆が勘違いに気付くれるよな、きっと」と勘違いしながら。
そして勘違いに気が付いてゆく。一つ気付き考え直して進むと、それも勘違いだと気が付く。

遠くの目標が見えるのに、次の一歩を何処に出していいのか分からない。そんな自分を情けなくおもいイライラもした。

そのようなとき、ドン・キホーテもこんな感じなのかな、とおもった記憶がある。
誰でもいいから相手を見つけて戦いを挑めば楽になれるだろうけど、その(とりあえずの)相手さえも分からない自分。
ドン・キホーテは戦う相手決め付けることによって手柄を得ようとしたが、戦いに負ける。そのように想像していた。
私は、おもいつく相手が本当は戦うべき相手ではないことを、的確な知識を与えてくださった人たちから教えてもらい、自分でもそれを確認していった。その違いはある。
違いはあるものの、その焦りのようなものは似ているだろうと想像していた。

今でも、勘違いが確認されたり、焦りを感じるとき、ドン・キホーテが頭に浮かぶ。
なので、そのことを確認したくて、いつかはこの本を読んでみようとおもっていた。

先日、女房に付き合って図書館に行った時、何気なくこの本を(図書館内の検索サービスで)検索したら館内にあったので借りてみた。

つづく

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2018年12月22日 (土)

(読書感想文)人生の旅をゆく2

年末になったので今年読んだ本の読書感想文幾つか簡単に書いておこうとおもう。


まず、「人生の旅をゆく2」、著者は、よしもとばなな(現:吉本ばなな)さん。エッセイ集。
小説をほとんど読まない人間なので、今まで彼女の本を読んだことはない。

この本は女房が誰かからいただいてきた。犬との生活の話もあるので、それで我が家に辿りついたのだろう。

 

冒頭の方に犬との話が幾つかあった。次は、著者の子供の頃、若かりし頃のエピソードなどがあり、さらに読み進めると亡くなった忌野さんへの想いを語る。そして、東日本大震災に関わる話になる。震災の翌年お父様(吉本隆明氏)を亡くし、自身の在り方を考えさせられる内容が多くなる。

このエッセイ集は書下ろしではなく、あちこちに書かれたものを集め編集し直したものらしい。それらは 2008年から2012年に書かれたものであり、出版は2012年の秋。
東日本大震災と存在感の大きなお父様が亡くなったこともあってか、心の内側に目が向けられる内容のものが多いと感じた。

下町で育った著者は、子供の頃、隣近所の家では留守でも鍵がかかっておらず、留守のときに子供がお邪魔して台所のテーブルの上に置いてある(用意されている)お菓子などを勝手に食べることが当たり前だったと書いてあった。
子供の頃、ご近所さんと生活を共有し合って日常を過ごしてきた著者は(震災やお父様が亡くなる以前から) 現代における人間関係の常識に違和感をもっていたようです。
なので尚更、もっと人と人は直接関わるべきではないのか、と震災の時に感じたのだとおもいます。

 

東日本大震災から8年経った今読むと、「あの時はみんなこんな感じだった。今読むと大袈裟に読める」と感じた。それが正直な感想。

そしてふとおもった。 

あれはブームだったのか。それとも心から願ったのか。
遠くの地で甚大な被害があっても、自分はそれほどでもなかったから、忘れてしまえばそれまでなのか。
世の中に対してよりも、自分に対しても問いかけたい。

あのとき自分は何を書いただろう。
今、大袈裟といわれようとも、綺麗事といわれようとも、この本に書かれていたようなことを、たまには書こうとおもった。

そんな一冊でした。

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2018年12月14日 (金)

補助犬のステージ

先の日曜日、昼食は女房と外食をした。
帰り際、区役所の中庭で福祉関係のイベントがやっていたので寄ってみた。後から調べてみたら、障害者週間記念事業「第38回区民ふれあいフェスタ」、というものらしい。

通りかかったときに、ちょうど補助犬のステージをやっていた。その時のことを前々回少し触れましたが、もう少し詳しく書いてみたいとおもいます。

 

「何かイベントやっているね」と小さなテントが並ぶ世田谷区役所の中庭に入ってゆくと、ステージ上に犬がいて男性が何やら喋っている。補助犬を知ってもらうためのステージのようだ。屋外の小さなステージ前には50席くらい用意されていたが、半分も埋まっていなかったので、二人で最前列に座りステージを見た。

座った時、介助犬の見習いが物を拾うのを見せようとしていたのですが、集中力が定まらず、どうにか口で持ち上げるまで出来ても、ワチャワチャしてしまい上手く手渡せなかったり、ついにはキョロキョロした挙句、ステージから一人で降りてしまったり。

次に介助犬の退役犬が出てきました。さすがに落ち着いていました。なんてことなく、落としたものを拾い、人に渡す。それだけなのですが、前の犬がとてもストレスを感じていたのは分かったし、上手く渡すことが出来なかったので、こちらの犬には「貫禄だな」と見入ってしまいました。

この間15分くらいでしたが、足をとめた人の半分くらいは移動していました。見習い犬のときは私も「見る意味ないかも」とおもいました。退役犬はあまりに当たり前のように作業するので、犬のことに詳しくない人はこちらも興味を持たないかも。

貫禄の、介助犬の退役犬の後は、聴導犬の見習い君。
この犬はステージ上でマーキングしていました。それでも話続ける人も凄いなと思いましたが、やはり「食い入るように見る」という感じにはなれませんでした。

デモンストレーションは食い入るように見てしまうくらいの内容がいいのではないか、とおもったものでした。

 

犬の動きとは別に、お話の中には興味深いものがありました。その中から2つ紹介します。

(その1)
補助犬とは障害者が暮らすことが許される犬で、その生活の中で障害者をサポートする。

そうだよなとおもった。先日こちらで「補助犬はハイテク補助具に代わるのか」という3ページに渡る記事を書きました。その中でも似たようなことを書きましたが、ここまでの認識はありませんでした。
障害者には犬と暮らす権利はない、では寂しすぎる。このような考えには、ほっとしたものを感じました。

(その2)
補助犬を連れていることで、障害者であることを周囲に伝えることが出来る。

特に聴導犬だそうですが、聴覚障害者の方は街中を歩いていても周囲の人はそのことが分かりません。自転車のベルを鳴らされても避けなければ自転車の人はイラつくことでしょう。結果として怖い目に遭うこともあるそうです。
つまり、聴導犬がいることで視覚障害者であることを周囲に伝えることが出来るそうです。
聴覚障害者の方は街中を歩くときに、自分が聴覚障害者であることが周囲に分からないことで起こるトラブルに、常にヒヤヒヤしながら歩いているとのことでした。

「うんうん、ためになった!」とおもったものですが...

 

ステージが終わりに近づき、まとめに入ったとき、「補助犬には、盲導犬、介助犬、聴導犬という三つが法律で定められています」というようなことを説明していました。そして終わりの時間になり、総合司会と思われる女性がステージ上に現れます。
「介助犬といっても、、、」、補助犬と言うべきところを介助犬と間違って喋っていました。

小さなステージといえども区のイベント。プロの司会の方だとおもいます。正しく情報を伝えるのが仕事な人でさえ、この程度の認識なんだなと残念に思わざるをえませんでした。
補助犬については、福祉関係の中でもあまり興味をもたれない分野なのかもしれません。数がいないので仕方がないのかも。

 

ステージに立っていたのは、A.W.D.S.A という団体でした。この団体には、ほんの少しだけ思い出があります。

今から15年くらい前だと思います。うーにーは生きていました。私は東北のとある場所でうーにーと散歩していました。人家は全く見えないような所でした。そんな所で、初めて会った人と話をしていました。その人が語っていたのが、この団体でした。「今後、この団体の協力していこうとおもう」、とかお話されていたような記憶があります。

当時(ある程度情報を集めていた私でも)この団体を全く知りませんでした。そのような状態からですし、世の中としても、補助犬法が出来た頃だったので「補助犬の育成はとても大掛かりなので苦労しそうだな」と思った記憶があります。

 

HPを見てみると、災害救助犬の育成からはじめ、現在は介助犬と聴導犬の育成をされているようです。

このような団体を運営されている以上、ご苦労は絶えないとおもいますが、これからも日々研鑽を積んでいただければと願っています。
そして補助犬がどんな犬なのか、障害者の方とどのような生活をしているのか、広めていっていただけたらと願っています。

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