2018年11月22日 (木)

補助犬はハイテク補助具に代わるのか(3.将来のこと)

つづいた

「補助犬に対し酷い扱いをするユーザーがいるから、補助犬なんてやめてハイテク補助具にすればいいのでは」、と考える人たちがいます。

酷い扱いをするユーザー対策は各協会も腐心されていることでしょう。
「この人なら大丈夫」とユーザーになってもらったら、酷い扱いをされてしまった。しかし犬を返えしてもらうにはそれなりの手続きが必要で簡単なことではない。

そのような人たちはどれくらいいるのだろうか。

補助犬の稼動頭数はこちらのページに出ていました。この記事を書いている時点で1000~1100の間です。尽力してきた歴史を考えると(私は)「これだけ?」と感じてしまう。

一人(一頭)でも約0.1%。悪質なケースですから、割合としても絶対に見過ごしてはならない数字ではないでしょうか。

補助犬になるまでには多くの人の善意の協力が必要だし、お金もとてもかかります。現場で関わった人、陰ながら支えている人、皆がユーザーも犬も幸せになって欲しいと願っているはずです。しかし酷い扱いをするユーザーがいる。

その対策には協会も力を惜しまないはずですですが、そのようなユーザーが後を断たないのであれば、今まで以上の対策が必要なのかもしれません。

それが、「ハイテク補助具に代えること」になるのは、技術的に「今すぐ」は無理でしょうから、せめて各協会への通報をし易くすることと、そのような場合は迅速に返してもらえるような仕組みにしていただければと願うばかりです。

 


私が「犬とゆく」を始めた理由の一つは、公の場で犬を連れているときにされる対応に驚いたことです。1990年代中頃です。
まずは「その場」のことを考えましたが、そのような対応をする人が犬をはじめ身近な動物に対しどのような感覚を持ち、その感覚からどのように接しているかを想像したとき、「その場」だけでは解決にならないことを理解しました。

犬が好き勝手に排泄をしないようにしつけることも出来れば、気分任せに勝手な行動をすることもない。(初めての場所であっても)その場の状況を理解し、それに応じた振舞いが出来る。
そのようなことを理解してもらうには「言葉」だけでは(足りないどころか)全く意味がないことを実体験として感じました。

実際の行動を見てもらうこと。それも一回だけでなく「いつもこうしていますよ」「これが普通です」「犬はそれを身につけることが出来るんです」「これが犬なんです」と見てもらい続けること。それには連れて歩く人が増えなければなりません。

そんなことを考えていた頃、日常的に犬を連れて歩いている盲導犬ユーザーに関心をもちました。そして盲導犬に関わる人たちの話を聞かせていただきました。お話から想像するご苦労には、ただただ頭が下がるばかり。それでも盲導犬と暮らしを続けるのは、犬と密に暮らすことが素敵だからなんだろう、と犬と暮らす初心者だった私は憧れのようなものを抱いた記憶があります。

 


1990年代の後半、集合住宅でもペット可の物件が増えていきました。その後小型犬ブームがやってきて、ペット産業は一大産業と言われるようになりました。
身近な動物に関わる法律が1999年に大改正があり2000年に施行され、動物愛護に関わる活動も社会に理解されるようになってきました。それらの活動の広まりと共に、社会全体の意識も変わってきていることを感じています。

別の視点から考えると、この10年くらいで、インターネット・インフラの整備やスマホの普及により、写真や動画が撮り易くなり、ネットにアップすれば情報共有し易くなりました。良いことも悪いことも明るみに出やすい時代です。

2000年以降の社会の変化と、近年の携帯端末の高度化やインターネット・インフラの充実を考えれば、今後、補助犬がユーザーから酷い扱いを受けることは減るのではないかと考えています。

それでも(コストの面から考えれば)時代はハイテク補助具に向かう可能性は大きいといわざるを得ないでしょう。

 


補助犬はハイテク補助具に代わるのか。

介護現場のことも考えれば、ハイテク補助具の開発は進むことでしょう。
リアルな人間関係が薄れてゆく時代の流れを考えれば、犬を使うことは難しくなってゆくし、ハイテク(補助具に限らず)器具を使うのが当たり前の世の中になってゆくと考えています。(スマホがこれだけ普及し、ネットビジネスが当たり前になったように。)

それでも補助犬は残してほしいと願っています。
「健常者がペットを飼う意義と同じなのでは?」と指摘されても、その考えは変わりません。
細かいことを言わせていただければ「ペット」ではなく「コンパニオン・アニマル」と言い換えてほしいです。

補助犬の価値は、コンパニオン・アニマルであることだと私は考えています。
(そのように考えなかったり、付き合えない人はユーザーにならないでほしいと、関わっている人たち全てが考えていることでしょう。)

現在の技術から考えると、ハイテク器具がコンパニオンと呼べる日も来そうです。その方向に向かえば、ペットもコンパニオン・アニマルも減少してゆくことでしょう。
そのとき、補助犬の姿が消えはじめるのかもしれません。

個人的な心情として、そんな時代が来ても補助犬を残してほしいと願っています。
ユーザーや補助犬に関わる人全てが得られる、お金に換えられないものを今後も受け取れることを願うからです。

 

以上が、今、私が考える「補助犬はハイテク補助具に代わるのか」に対して出せる答えです。

(終わり)

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補助犬はハイテク補助具に代わるのか(2.最近読んだ記事)

つづいた

最近、「命ある存在だからこそ」を感じる紙媒体の記事を読んだので紹介したい。
そのページをスキャンし、ここにアップするのが今時のやり方なのかもしれませんが、私にはそういうことがどうしても出来ません。私のつたない文章と引用でお伝えすることをお許し願います。

少し前のことになりますが、JAFの会報(JAF Mate)10月号に「もっと知ってほしい補助犬の世界」という特集があり、その中に紹介したい記事がありました。

ユーザーの方はこのとき46歳。18年前に事故で胸から下が麻痺したそうです。
リハビリの日々を過ごし、その後の数年も病院の目の前に暮らし、事故から9年くらい経った頃、やっと生活は落ち着いたという。
そして、福祉関係のイベントで介助犬を目にするのですが

(以下、引用)==========
 実は僕、ネコ派で、犬はあんまり得意じゃなかったんです(笑)。車イスの自分に大型犬の世話ができるとも思えず、正直、ほしいと思いませんでした。
(引用ここまで)==========

それでも協会の人に誘われたりして、訓練施設を訪れるようになったそうです。

(以下、引用)==========
実際に介助犬に接してすごさを知り、いろいろな人と話したりするうちに、自分も仲間に入りたいと思うようになったのです。
(引用ここまで)==========

そしてユーザーになります。
介助犬には世話が必要であり、そのことを心配していたのですが、ユーザーになってみると。

(以下、引用)==========
世話に一生懸命になっていると、かえってほかの仕事が効率よくできるようになったり、あれこれ悩んでできずにいたことが、いつの間にか、できていたりするのです。まわりから「表情がやわらかくなった」と言われたり、気を張っていた自分に気づくようになりました。(引用ここまで)==========

この文章につづき

(以下、引用)==========
体が不自由でも普通に接してもらいたいと思いながら、僕自身が無意識のうちに、社会やまわりの人との間にバリア(壁)を作っていたのかもしれません。ティティーがそれをきれいになくしてくれました。
(引用ここまで)==========
          ティティー = 介助犬の名前

この後、少々文章があり、この記事は以下の文章で締めくくられています。

(以下、引用)==========
朝、目が覚めると、下肢が硬直して動きづらいのですが、足元で眠るティティーを見て、「がんばろう」と心の中でつぶやき、よいしょと起き上がります。僕の一日はこうして始まるのです。
(引用ここまで)==========

命あるものだからこそ、世話の時間が必要で忙しくなっているはずなのに「他の仕事が効率的に」なったり「あれこれ悩んでできずにいたことが、いつの間にか、できていたり」するのではないでしょうか。
また、無意識のうちに作っていた壁のようなものもなくしてくれるし、介助犬を見て「がんばろう」とおもうのではないでしょうか。

訓練施設に行くようになったときに、「仲間に入りたい」と思うようになったことからも、多くの素敵な人たちが関わっていることが窺えます。

そして、補助犬にとっても負担だけではないのではないだろうか。このユーザーが、負担があるからこそ受けることが出来る恩恵を、補助犬も得ているのではないのだろうか。

もし補助犬がハイテク補助具に代わったら、(特にユーザーにとっては)全く別のものになると、私は考えています。

つづく

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補助犬はハイテク補助具に代わるのか(1.昔考えたこと)

一ヶ月くらい前にも「補助犬の入店拒否」という補助犬ネタを書きましたが今回も。

この20年くらいでロボットの技術は大きく進みました。そうなると、補助犬ではなくハイテク補助具にすべきではないか、となる。確かにそれも一理あるだろう。

命あるものに人間の障がい者の助けをさせることは負担が大きすぎるのではないか、という疑問は、私もかつて持ったことがあり、多方面の方々の話を聞いて回った。
当時(1995頃)は補助犬法もなく、法で認められた補助犬(補助犬という言葉もなかったとおもいますが)は盲導犬だけだったので、盲導犬ユーザーさんや協会のセミナーや関わっている人からお話を聴かせていただきました。

 


私なりの当時(1995頃)の結論。

当時の技術では盲導犬に代わるものを作るだけのハイテク技術はなかった。(機械ではなく)介助者が常に付いていることは現実的な議論ではないし。

盲導犬を利用すれば白杖よりも効率的に動けるということも分かった。
しかし、利用するだけでなく世話もしなくてはならない。世話という負担をしてまでも利用するだけの価値があることも、なんとなく分かった。

しかし大型犬であることはネガティブな面もありました。
現在のように犬や猫を飼っている人が多い時代ではありませんでした。更に「大型犬といえば外で番犬」と認識している人も多かったので、近寄られることを好まない人も少なからずいました。
盲導犬を公の場に連れて歩くことは当時も権利として守られていましたが、現実の街中では入店拒否や乗車拒否されることが当たり前の時代でした。

世話もしなければならない。白杖であれば利用できる施設・サービスが利用できない現実。
それでも盲導犬を伴侶として暮らす価値があるのだと教えていただきました。

どれだけ話を聞かせていただいても、視覚障がい者の日常のご苦労や健常者の社会の中で暮らすことがどれだけ大変であるを的確に理解できた自信はもてませんでしたが、とても大変なのだろうと、漠然と想像することはできました。そのような大変な暮らしの中、世話をすることがどのようなことなのか、理解しきることは出来ませんでした。

大変な暮らしを過ごしているからこそ、(生きている)犬との(世話を含む)生活や(公の場に出て他者と関わる)行動が彼らにとってプラスになるようであることは、ある程度理解できました。

色々な話を聴き、自分なりに考えてゆけはゆくほど、犬が持つ特殊な存在感を感じたものでした。出来なかったことが出来るだけでない、プラスアルファがあることを感じました。

そのようなことを考えるとき、あの当時知った「コンパニオン・アニマル(伴侶動物)」という言葉が何度も頭に浮かんだものでした。

つづく

本文とはあまり関係ありませんが、子供向けの「盲導犬の歴史

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2018年10月 4日 (木)

野鳥を助けたい

9月30日から10月1日かけて、とても風の強い台風がやってきた。東京では、JRが台風が来る時間にあわせて運行を見合わせることを発表していた。日曜日だったので、大きなイベントも開催を取りやめるほどだった。

そんな9月30日の朝、「店の駐車場に野鳥がうずくまっています。どうしたらいいでしょうか」と電話が架かってきました。場所は東京ではなく、「では、そちらまで参ります」とは言えない距離の場所だった。

もう2年以上前になりますが黒鵜を助けたことがあります。そのときに、犬や猫と違って自分だけではどうにもならなかったし、その他の協力者を得るのが難しかった記憶があります。

 

もし、あなたの家の敷地や隣家との境に野鳥がうずくまって動けない場合、どうしたらいいのか?、そんなとき、お役に立てそうなことをまとめておきます。

 

 

動物病院や町内の掲示板で「巣から落ちてきた野鳥の雛をみつけても、保護しないように」と書かれたポスターなどを見た方もいらっしゃるとおもいます。

東京都の場合、こちらのページに以下のようなことが書かれています。

・近くに巣がある場合は、巣に戻してあげましょう。
・少し離れて遠くから見守りましょう。

危険な状態であれば

・小さな箱などに入れて、近くの木の枝などに移してあげてください。

そしてこんなことも書かれています。

・ なお、産まれた全てのヒナが成鳥になるわけではありません。小さな小鳥を食べて生きている動物もたくさんいます。ヒナの生命が他の生き物へ受け継がれていくことは、自然の生態系の中でとても重要なことなのです。

 

以上は「雛」のことですが、黒鵜も今回の鳥も雛ではありませんでした。ケガをした野鳥を見つけたとき のことは、こちらのページ(前述と同じ)にありました。

・保護して東京都に連絡してください

・動物病院を紹介できる場合がありますが、動物の種類によってはできません。

 

実際に、目の前に動けなくなっている野鳥がいたら、これだけで対応できるでしょうか?
黒鵜のときも、今回も「どうやって捕まえよう?」と悩んだのです。黒鵜のときは公園だったので公園管理事務所の方が来てくださったのですが、今回は私有地なので自分でどうにかしなければなりません。

下手な捕まえ方をして、更にケガをさせてしまうのではないか、また、逃げられて道に出て行ってしまい、車や自転車に轢かれてしまったり、猫に襲われたりしないかと心配になり、捕まえるのに躊躇しました。

もしかしたら回復するかもしれないと考え、食べ物を与えることを思いついたとしても、野鳥の場合、食べるものが限られていることがあります。また、目の前にいつも食べている物を置いても食べないケースもあるそうです。

こんなこともあるので、まずやることは、種類を特定すること
写真を撮り詳しい人に見てもらい、鳥の種類を特定してもらうこと。そこから、捕まえ方など、その後のことを教えてもらうのが良さそうです。
法律上も種類によって扱いが違うことがありますので、種類の特定は重要だとおもいました。

 

今回の場合、ここまでもなかなか進みませんでした。
近づくと移動してしまい道に出てしまったらどうしようと心配で、近くで写真もなかなか撮れませんでした。
また、この日は日曜日でお役所や日本野鳥の会など、どこも連絡がつかなかったのです。あれこれと情報を集めていたら、動物病院ペットショップでいい情報が得られるかも、ということになりました。

今回のケースでは、車で行けそうな範囲で鳥を得意としている動物病院に電話を架けても「こちらでは捕獲できません」だし、相談できそうなペットショップも見当たりませんでした。

 

悩んだ末に素手で捕獲を試みてみようとなりました。その結果、やはり走って逃げてしまい捕まらなかったそうです。そのときに、どうも羽がちょっと折れているようだということが分かりました。

 

その鳥は駐車場から隣家との間の隙間に移動し、あの強風の台風の一夜を過ごしたそうです。

 

台風一過の晴れた月曜日。
現地の人は、お役所や野鳥の愛護団体などに電話を架けまくったそうです。その返答はどこも「こちらでは捕獲しません」。とあるところは「連れてくれば対応します」と。しかし、捕まえ方が分からない。

電話を架けまくった中の愛護団体で、そのような種類の鳥の一般的な捕まえ方を教えていただいたそうです。その通りにやってみたら、実に呆気なく捕まったそうです。

 

やはり、種類を特定し、詳しい人に聞く、これが大事だなとおもいました。

法律で野生動物は勝手に保護してはいけないことになっていますので、必ずお役所に相談することもお忘れなく(だったら日曜日も連絡つくようにしてほしいですけど)。

 

今回の鳥は準絶滅危惧種でした(検索ページはこちら)。「そういうことなら、特別扱いしてあげよう」となるかとおもったのですが、そのようなこともなく野鳥一般として扱われました。
絶滅危惧種や準絶滅危惧種は動物園が対応してくれる可能性があることも教えていただいたのですが、現場周辺にそのような余裕がありそうな動物園は見当たりませんでした。

街中で暮らしている人間は「怪我をしたら治療」とおもってしまうのですが、野生ではそのようなことはせず自然のルールに任せる(前述の文章だと「ヒナの生命が他の生き物へ受け継がれていくことは、自然の生態系の中でとても重要なことなのです」など)のが(法律などでも)基本なんだなと再認識しました。

この辺りに違和感を抱きましたが、このような決まりごとの下、お役所は対応していることを頭に入れて行動すると、効率よく動けるだろうと感じました。

 

私も知識がなく色々調べたり、詳しい人、似たような経験をした人に連絡をしまくり、つくづく犬や猫とは違うな、とおもった二日間でした。
野鳥と比べると、犬や猫は動愛法で守られているし、情報も多々あるし、協力者も見つかり易いです。

 

最後に、この二日間無知な素人のどたばたに真摯にお付き合いいただいた皆様には心から感謝申し上げます。

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2018年9月 1日 (土)

血糖値の経過観察(人間&猫)

おばまは糖尿病である。朝夕のインスリンが欠かせない。正直に言うと面倒。どうにかならないものかと糖尿病のことを、つい調べてしまう。

猫の場合、何が面倒かと云えば、ストレスで血糖値が上下する個体がいる。以下のページの「症例2」を読んでいて、「あ、ばまちゃんもこんな感じ」と。
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jpan/20/2/20_128/_pdf/-char/ja

しかし確証がある訳ではない。何故なら(飼い主以外が触れる)採血でさえ大きなストレスであるからだ。もっと基本的なことを云えば、未だに診察台の上で、失禁・脱糞をすることがある。検査以前に通院だけで大きなストレスなのだ。

そのようなことから、「家の中の日常で血糖を経過観察できないものか」と考えることがある。  

 

たぶん一ヶ月以上前だとおもう。人間用のものですが、正に私が求める商品が発売されていて、ラジオで宣伝されていた。
ネット上に、その商品の解説ページがあるだろうと探したのですが、利用している人や医療関係者以外は見ないでね的な表示なっている。ここここ。読んじゃいかん!と言われたので、読んでないです。

記事的なページとしては、こちら
(人間の場合)腕に丸いものを貼る。これがセンサーで血糖値を自動的に計測してくれる。それにリーダーをかざす。非接触でOKのようだ。データをゲットできたら、グラフを作ってくれるらしい。

これは絶対に猫の糖尿病に使えるはずだ!、とおもった。まだ早いけど、近いうちに獣医さんに提案してみようと考えていた。

「近いうち」と思っていたら、今日(2018年9月1日)病院に行ったら、先生の方から「こんなものがあるのですが」と話をしてきた。先生も未だ詳しくは調べていないようですが、期待できそうです。

ちなみに商品名は「リブレ」という。なので、「リブレ 糖尿病」と検索をかけると、なんとAmazonのページが引っかかったりする。こちらのセンサーリーダーだ。病院経由でなくても買えるようにも読める(レヴューなど)。


おばまの糖尿病の経過はあまりよくない。コントロールできている範囲内ですが、インスリン量が増えている。このまま増やし続けていいものなか不安があった。
薬を替えるという選択肢がありますが、その場合、入院して血糖値の変化を調べないとならない。それはおばまにとって大きなストレスだし、そのような状況での数値をどのように判断すべきは悩む。
これが使えるようになれば、とっても嬉しい。

早く使ってみたい!

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2018年7月27日 (金)

お腹が空かない

この10年くらいで、味覚・臭覚・視覚・聴覚が明らかに衰えた。加齢というものだろう。

子供の頃から、自分でも困っている身体の癖のようなものがある。それは衰えない。
美味しいとおもって食べた後に体調を崩すことがある。何が原因なのか、だいたいの見当はついているのですが正確には分からない。アレルギーと呼ぶべきものなのか消化器系の不具合なのか、それも分からない。とにかく、著しく体調を崩すことがある。

口で美味しいと思っても、一時間後に後悔することがある。同じようなものを食べても飲んでも全く問題ないこともある。食べ合わせもあるのかも。

美味しくて体調崩さないものを食べたときは、何故か長時間お腹が空かない。時には、次の日も空腹感がやってこないことがある。
うーにーと旅行をしていたときは、そんな経験を時々していた。うーにーが居なくなってからは、そのようなことが少なくなった。

 

しかし先日、そんなことがあったので、備忘録的な意味も含めて書いておく。

何年か振りに、犬友達あり猫友達でもある人のお宅にお邪魔することになった。うーにーが若かった頃からの付き合い。その人は、そう遠くない将来、飲食店を開く予定らしい。折角の機会なのでお昼をご馳走になることに。

ご馳走になったものはこんな感じ(分かり難い写真ですみません)。

20180726_1  20180726_2

20180726_3  20180726_5

20180726_4ビシソワーズに見えるのは桃のスープ。
デザートのケーキは、我が家の近所のお店(トロッコさん)のパウンドケーキ。
お店の人に「一本売りしてくれますか?」とお願いしたら「いいですけど、動物性のものを使っていないので三日くらいしかもたないです。日にちが経つと、植物性の油が酸化してにおいがしてくるようになってしまいます」とのこと。事前に冷凍で送っていただき、解凍後二日経っていただきましたが、そのようなことは全く感じませんでした。

車で伺ったので飲み物はノンアルコール。(簡単に言えば)炭酸入り葡萄ジュース。甘めなのですが、食事時に飲めました。「どこが扱っているんだろう」と裏を見たら、我が家の近所の会社(カルディ)。

 
美味しいし、体にすんなり入ってくるし、見た目も綺麗。色々な意味で「気持ちよく」いただけました。

食事全体として、量的に多いことはないし糖分多目とか脂が多いとかもない。気持ちよく身体に入って、ちゃんと吸収されたようです。
晩御飯の時間になってもお腹が空きませんでした。一緒に行った女房も同じコトを口にした。

 

お店が開店したら通いたいですが、近所ではないのが残念。

食事も美味しかったですが、ゴールデンと遊ばせてもらえたことも嬉しかった。開店したらお店にいつもゴールデンが居てほしいとおもいますが、それは難しいかな。

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2018年4月30日 (月)

狂犬病予防接種におもうこと

2018.04
忙しい時期に書いた「個人的におもうこと」なので、多少ヘンなことも書いてあるとおもいますが、ご興味のある方は、ご一読していただければ幸いです。

 

■ 狂犬病のこと以前におもうこと ■

狂犬病の予防接種の是非について色々な意見が何十年も前から飛び交っている。30年以上前(1980年代以前)だと、「法律でそうなっているからね」と多くの飼い主さんは接種していたのではないだろうか。疑問を抱いていた人はいましたが、今ほど目立っていませんでした。激しい意見の対立の記憶もないし、そのような昔話をほとんど聞かない。
また、今ほど(全体としては)人と犬との結びつきが強くなかったし、獣医療も発達していなかったので、副作用が出ても「こんなこともあるんだね」で終わってしまったことがほとんどだったのではないでしょうか。

1990年代後半(20年前くらい)から小型犬ブームが起こりました。その頃から犬と暮らす人が増え、意見の交わし方が力強くというか乱暴に感じるとことが増えてきました。
それは犬と暮らす人が増えたこと以上に、インターネットの普及によるところが大きく、どんな話題でもその傾向を感じていた。つまり、インターネットという話合いの場が出来たことが大きかったのだとおもいます。

一時期は、「ネット上でもマナーを」とか、ネチケットなる言葉をよく耳にするような時期があったりとかあり、少しずつ落ち着きを感じるようになってきましたが、SNSの発達や技術の進歩で大きな画像や動画までが日常的にやり取りされるようになり、個人のあり方の中で、ネット上の存在が占める割合が増え、自分がどうしても主張したいことは、しっかり主張する人も増えてきたように感じます。

現在(2018年)、ネット上の書き込みは、生の人間同士の(個人的な)意見交換よりも多くなっているのではないかと思われるくらいになってきました。その結果でしょうか、ビッグデータなどと言われて(最近、あまり聞きませんね、この言葉)、経済や政治にまで影響するようになっています。
そうなってくると、ネット上の情報に影響される人も多々存在するようになります。そのような人たちに確実に自分の考えを伝えたいのか、少々乱暴ではないかと感じる書き方も、まま見ることがあります。

この問題を例にすると、狂犬病予防接種を良からぬものと(なんとなく)感じている人が、その考えを主張できる論文を一つ見つけて、それが世界中の人が従うべき内容かのように「ほ~ら、絶対悪いものだよ!」と力強く書き込む。それを読んだ人が「ほ~、そんなに悪いものなのか、それは大変だ!、よし、私も広めてあげよう!!」と(なんとなく)拡散する。拡散された複数の書き込みを読んだ人たちが(なんとなく)「必要ないものなんだな」と自分の判断とする。

「なんとなく」からの力強い発言が、大きく確かな動きを起こし、「本当はどうなの?」と検証を始め、世の中が動き、変わった問題もあります。力強い発言をした人たちが実行動に出て、確実に世の中を変えてゆくこともあります。しかし狂犬病予防接種を取り巻く諸々の事柄が、大きく動くことはありませんでした。あったのかもしれませんが、私は変わったとは感じていません。

長年、身近な動物に関わる問題に興味をもっていると、この問題を力説する人を何人も見聞きしてきました。その度に「またか・・・」と思ってしまいます。
自分も釈然としない気持ちをもっているので、「どうせ変わらないよ、今までだってそうだったんだから」と無力さのようなものを感じてしまうのです。

 

■ これから書くこと ■

冒頭に、「色々な意見が何十年も前から飛び交っている」、と書きました。そして、その何十年の間、狂犬病予防法もワクチンもほとんど変わっていないのではないでしょうか。

犬のワクチンといえば他にもあります。それらは、飼い主の自由意思で獣医師に接種していただく。接種の前に(問診だけかもしれませんが)検査もするだろう。それでも副作用がでれば、メーカーへ報告をし、メーカーはそれなりの対応(被害に対する対応もあれば、ワクチンそのものを改善することを検討するなど)をとるだろう。そうしなければ売れなくなってしまいますから。
狂犬病の予防接種は、これらと感覚的に違うものを感じている。そこにも釈然としないものがあります。

この何十年かで狂犬病のワクチンが大きな改良があったと聞いた記憶がない。その変わらないワクチンについて、長年色々なことが言われている。「おかしいんじゃないの?」と感じる人たちが少なからずいて、力強く訴える人もいる。それを見聞きして同調する人たちもいる。
それでも状況が変わらないのは、「おかしいんじゃないの?」と感じることが間違っているのかもしれない。しかし、間違っていると納得できるだけの理由が、よく見えるところに出されていない。なので、納得できない人たちが後を絶たない。

この書き込みは、この部分について考えてゆくものです。
何故、「おかしいんじゃないの?」と感じる人がいるのに、その人たちを充分に納得させるだけの情報が出てこないのか。そうなっている理由について考え、(一飼い主の素人考えですが)改善策を提案したい。

この先書かれている長い長い書き込みは(日本における狂犬病の現状を書くこともありますが)、基本的にこれらのことについて書いてゆきます。

私は、獣医師でもないし、法律を変える政治家でもないし、法律に従って従事している行政の人間でもない、一飼い主ですから、その立場の人間が納得できるだろう世の中を願い、提案させていただきます。

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法律の下で行われていることですから、これらのことを変えるには簡単なことではありません。しっかりと何をどう変えるべきかを認識できなければ変わりません。「なんとなく」では変えられません。変えるべきと確信できる認識へのヒントになるような内容です。

釈然としない狂犬病予防接種の現状を理解し、改善の可能性を模索したい方は、先に読み進めてください。
そうでない方は、ここで終わりにしていただければ幸いです。途中までで読むのをやめてしまうと、情報が偏ってしまいますので、この先を読むのであれば、最後まで読むお気持ちをもって読み進めるようお願いいたします。

ワクチンに限らず、薬の使用は非常に慎重でなければならないはずです。薬に限らず、体に入れるもの全てがそうでなければなりません。ほとんどの人がなんら問題なく摂取しているものを口にして命を落とす人もいます。
しかし、多くの人(社会全体)のことを考えると、極少数の人が健康被害に遭ってしまうことは、社会としては仕方ないことと考えなければならないのかもしれません。
このようなことを含め、割り切ることが難しい内容もあり、幅広い視点で客観的に考えなければならない内容でもあります。俯瞰的視点も必要になってきます。読み進める方は、そのことをご理解の上、読み進めていただきますよう、お願います。

 

■ 過去の報告書を見てみる ■

問題になるのは副作用。国が把握している内容は、以下のページの品名欄に「狂犬病」と入れて「GO!」ボタンをクリックすると見ることができます。
http://www.nval.go.jp/asp/se_search.asp

公開されている、この情報のことは最近知りました。

全体を見たときに、「一年でこれだけなの?」と不思議におもった。そして一つ一つ内容を見てゆくと、まず分かることは、死亡報告ではない報告書もある。
「製造業者等の意見」を読むと、どうも別紙があるケースもあるようで、これだけでは経過報告の全ては分からない。しかし、概略だけでも知ることができるのは有り難い。

接種数の参考数字は以下のページ。28年度、27年度ともに、460万台の数字になっている。更に前の数字もあり減少傾向にあることが分かりますが、今でも450万頭くらいは接種していることでしょう。
http://www.mhlw.go.jp/bunya/kenkou/kekkaku-kansenshou10/01.html

400万頭以上が接種を受けて、回復したものも含めて報告書が出ているのがこれだけなら仕方ないと言ってもいいんだろうと思うべきなのかもしれませんが、犬とその飼い主の苦痛・無念は想像するまでもなく伝わってくる。
彼らの苦痛や無念を感じながら読み続けると、やはり「改善できないのか。もっと掘り下げて副作用の研究ができないものなのか。制度として改善策があるのではないか」と疑問が湧く。

上記ページは、何年にも渡る報告書が載っています。
これを書いているは30年ですが、29年のものはこれから載るかもしれないし、修正があるかもしれないので、28年のものを見てゆきます。
一覧では報告日付でソートされていますので、報告日付で 28年のものをピックアップしてゆきますが、以下には投与日付を書きます。

左から、投与月日、生死(生=、死=×)、年齢(単位がないものは「才」)。
年齢を横に広げたのは、一回目(だろう)、二回目(だろう)、高齢犬などを分かり易くするため。
尚、であっても報告書時点で「治療中」のものもあることを書き添えておく。

28年

08/18 ○      6
03/29 ×                15
06/28 ○     2
06/18 ○           9

05/28 ×           9
04/06 ×           9
06/08 ×              13
05/07 ×                 16
05/12 ○            11
04/13 ×             12
05/03 ○        7
05/11 ×            10
04/20 ×        7
04/17 ×           9
04/14 ○ 9ヶ月
04/14 ○   1

04/23 ×             12
04/14 ○             12
03/23 ○ 6ヶ月

全19頭(○9・×10)
6才以下(○5×なし
7才8才(○1・×1)
9才以上(○3×9

28年だけに限られますが、だいたいの傾向が見えてくるとおもいます。

とても大まかですが、9才以上はそれ未満よりは慎重に考える(猶予を検討する)ようにすれば改善されそうです。

一頭だけ9才未満で亡くなっています。4月20日に投与し亡くなった7才の犬は、オスのチワワで投与時健康であり、7年前に混合ワクチンを接種後に発熱があっただけで、今まで特に問題はなかったように読めます。しかし、投与から20分以内に体調が変化し、結果として亡くなっています。
飼い主さんのお気持ちを察するに有り余るものがあり、お悔やみ申し上げます。このようなケースはしっかり調べていただきたいものですが、現状、そこまでの取り組みはなされていないようで残念です。

 

■ 私にとっての、この問題 ■

ここで横道に逸れますが、私にとってのこの問題の経過を書かせていただきます。

昔から興味があった問題ですが、この問題を意識をもって取り上げようと思ったのは、東日本大震災の後でした。直後ではなく震災後1~2年経った頃。調べ始めて情報がある程度集まると、「やはり、おかしい」と感じました。

当時、上記、報告書ページのことは知りませんでした。しかし大まかな死亡率や著しい副作用症状が出る割合については聞いたことがありました。非常に少ない数字であると記憶していました。
これが一つの情報。

もう一つの情報として、個人的に「うちの犬は副作用がでたことがある」「私の知り合いで、こんなことになった犬がいる」という話。そのような話を以前にも聞いた事がありましたが、よりそのような情報を集めるように努めることにしました。
しかし、狂犬病予防接種頭数は100万頭単位であるのに対し、毎年数えるほどしか副作用がでないと言われていたので、新しい話を聞くのは難しいだろうと思っていました。同時に、記憶の中にそのような話が複数あることに疑問を持ったものでした。
とにかく機会があれば聞くようにしてみたら、幾つかの話を聞くことができました。

個人的に聞いた話が嘘でなければ(わざわざ嘘をつく必要はないでしょうから、嘘ではないとおもいます)、厚生省の発表がおかしいことになります。把握が不充分なのではないか。

それに気がついてから、個人的に話が入ってきたとき、「それを獣医師に報告しましたか?」と聞くようにしました(報告がされていたら、獣医師に「報告書を書きましたか?」と聞きたいのですが、さすがにそこまでは出来ない)。

(飼い主感覚で)重い副作用が出た場合でも、獣医師に報告しないことが多いことが分かりました。ほとんどのケースが、集団接種で受けたか、かかりつけの病院といっても、年に1~2回行くくらいの付き合いで(以前体調を崩したことを伝えても)半ば強制的に受けさせられた後のことであり、気分を害し(報告せずに)「もう絶対に接種しない!」と決心する。このようなパターンがありました。

やはり、猶予の基準を飼い主が納得できるような制度に出来ないのかと考えました。納得できないから「もう話もしない!」と報告をせずに決心するのだとおもいます。
飼い主だけでなく、獣医師も猶予の判断に苦しむことがあるでしょう。
双方のことを考えて、判断の負担を軽減する必要があるのではないかと感じました。

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高齢になり散歩もままならず、体調を著しく崩すことを繰り返すようなケースや、恒常的に衰弱している場合などは、獣医師は猶予の書類を書いてくれるとおもいます。

その一歩手前と云えば良いでしょうか、日常的にはちょっと衰えを感じるくらいで、飼い主は過去、接種に後体調を崩したことが気になり猶予にしていただきたいが、獣医師としては判断に苦しむケースが解決できれば現状は変わってくるのではないかと考えています。
さらには、いつもはとっても元気!、しかし、いつも接種後1~2時間くらい経つと体調を崩す場合などもどうなんだろうと思う。

28年の報告書を読む限り、そのような(過去に繰り返し症状が出た)ケースはないようですが、まずそのようなケースのデータを集めるべきではないかとおもいます。もし、既にあるなら公表してほしいですが、前述の通り、獣医師に報告しない飼い主さんもいるので、もっとしっかりデータ収集をしていただきたいと願っています。

制度として、そのような姿勢を見せることで、狂犬病予防接種に対する気持ちが少しは変わる人もいるかも、と感じました。

 

■ 今まで書いたことから、猶予について考える ■

先にも書きましたが、9才以上は猶予の基準を(ある程度明確に)設ける必要があると考えました。
9才以上ですから、それまでに何回か接種を受けたことがあるはずです。そのときに体調を崩したことがあるから、猶予を考える。それを客観的にする制度が必要なのではと考えました。

素人の思い付きですが、

「今までに接種後何時間以内にこのような症状が何度か出たことがあったら猶予を認めるようにしましょう」とし、「今までに」の意味は「過去にそのような症状が出て、獣医師に報告があり、獣医師は行政に報告している場合」とする。これで猶予の判断による負担が軽減できるはずです。

報告書を複写にして、その内一枚を、副作用診断書(と仮にさせていただく)として飼い主が保管する。これなら病院が変わっても大丈夫。(飼い主保管だけではなく、保健所に届け出るようにすれば紛失の心配もなくなりますが、今回は考えない。)

ある程度の年齢になって、毎年同じような症状が出ていたら(同じでなくても何らかの異常が明らかに=診断書に書ける様な体調の変化が、毎年出ていたら)、つまり、副作用診断書(仮名)が複数枚たまり、ある程度の年齢に達していたら、獣医師は猶予を前向き考えるようにする。健康のことですから、杓子定規には判断できないはずですから(何らかの検査の数値で杓子定規に判断できるのであればとっくにそれを採用しているとおもいますから)、最終的な判断は担当獣医師に任せることになりますが、今に比べれば判断し易いとおもいます。

このようにすれば、接種を嫌がり登録さえもしない飼い主は減るのではないでしょうか。
獣医師側はこの副作用診断書(仮名)を書くことで、多少の料金をいただければ、著しい負担になることもないとおもいます。

28年の報告書を見る限り、今まで毎年体調を崩すようなケースはあまりないようです。高齢で何かしらの治療を受けていて日常的な投薬があるようなケースが幾つかあり、(体質的というより)病気やその治療との関係の方がありそうだと、私には読めました。
どうであれ、副作用診断書(仮名)を作ることにより、飼い主・獣医師共に接種時の判断や経過観察の意識が高まり、データが数多く集まることで、副作用について何かしらの発見があるかもしれません。その結果、悲しい事態を減らせるのではないのかと願っています。

もしこの制度を採用するとしたら、狂犬病予防法の改正が必要になるなど、大掛かりなことになりますが、現在の人と犬との関係からして、是非前向きに考えていただきたいし、すべきであると、心から願っています。

現状の制度の中で、次のようなことも思いました。
飼い主側から見て毎年同じ症状がでて心配であっても猶予にならない場合、獣医師に「もしかして報告書を書いていんですか!」と確認してみてほしい。報告が多く出されれば、接種に対して何らかの改善がなされることも期待できますから。
そのためにも、接種後に体調を崩した場合、必ず獣医師に報告するようお願いしたいものです。報告したら、先に紹介したページに載るかチェックするといいかも。

行政側も「症状が軽くても報告書を提出してくださいね」としてほしいです。

 

■ 猶予ばかり増えるのでは? ■

上記の考えは、安易に猶予を促すものではない、と考えていますが、それでも現在よりは増えるとおもいます。ただし、それは本来であれば猶予すべきものだったのではないでしょうか。

現在、接種率が問題になっていますが、同時に登録をしない犬のことも問題になっています。この数が多いのではないかと言われています。

猶予の基準を、飼い主にも理解が得られるようになれば、そして獣医師にも判断の負担を減らせれば、猶予が増えてもそれ以上に登録が増えるのではないかと考えています。

冒頭にも書きましたが、「予防接種は良くない、やる必要すらない!」と声を大きくして主張する人たちがいます。その人たちに影響されて「詳しいことはよく分からないけど、良くないことみたいだし、やらなくもいいらしい。だったら、もうやめよう!」という人もいれば、それを聞き一回も接種せずに、「やらないのであれば、登録しないことだ!」と考える人たちも少なからずいるでしょう。

先に書いたような取り組みが行われれば、このような人たちの中から「ちゃんと考えてくれているみたいだな」と考え直してくれる人もいると考えています。

少なくとも(「ちゃんと犬のことを考えてくれているみたいだな」と思えるくらいの)、猶予されない理由を示してほしいものです。飼い主からみて「危険」とおもえても、獣医師が「接種すべき」と判断する理由を、理解できるように説明してほしいものです。

 

■ ちょっと狂犬病そのものの話 ■

「一度、猶予したら、二度と接種しようと思わないのでは?」とお考えになるかもしれませんが、私はそう考えません。

そのことを説明するために、一旦、狂犬病そのものについて書かせていただきます。

多くの方がご存知のこととおもいますが、発症したら(狂犬病だと明らかに疑われる症状が出たら)、助かることはないと考えるべき病気です。まだ一般的になっていない治療方法で生還した人もいるらしいですが(世界規模でみても、現在狂犬病のない日本なら尚更)、その方法を受けることはまずできないのでやはり助かることはないと言っていいとおもいます(生還した人の数は世界で一桁だったとおもいます)。

ちなみに、狂犬病ウィルスに感染しているかどうかを、発症前に検査で調べる方法はないそうです。なので狂犬病で亡くなる人が毎年報告される地域では、犬に噛まれたら(その犬が狂犬病予防接種を受けていることが確実でない限り)暴露後ワクチンを打つことになっているそうです。

人間が狂犬病に感染する場合、この日本においては、過去のデータからも犬から感染すると考えられます。日本くらいの緯度、気候のアジアの地域であれば、ほぼ犬からの感染ではないでしょうか。

そんな感染源となる、狂犬病にかかった犬がどのような行動をとるのかご存知でしょうか。

多くの方のイメージは、
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ガウガウと唸り、俊敏に力強く動き回り、噛みつく対象を探し、見つければ駆け寄り、ガブリと噛みつき、しっかり噛み締め、振り回したり、執拗に何度も噛み続ける。
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こんな感じではないでしょうか。
私もそのような症状だと思っていました。しかし、問題になるのは、そのような症状ではないようです。
そのような症状であれば、狂犬病か判断するまでもなく捕獲・隔離されることでしょう。その後、狂犬病の可能性も考え、経過観察することになると思います。そうではなく下記のような、症状が問題になるそうです。

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ただただだるそうにしている。行動はだらだら。方向性が定まらない感じ。ただ、口が届きそうな所に何かあると、噛んでみる。噛み方は、個体差や病気の進み具合によって違うようですが、決して激しく噛みつくとか噛み締めるという、如何にも「狂犬」!という感じではない。
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即座に狂犬病とは分からないし、疑いもしないだろう症状のこともあるそうです。このような情報もほとんどない日本においては、「何で調子が悪いんだろう」「具合悪いからご機嫌斜めで噛んじゃうのかな」としか思わないかもしれない。
狂犬病が流行している地域であっても、狂犬病の犬なのか違うのかは分からないそうです。なので、犬に噛まれたら(その犬が予防接種をしていることが確実でない限り)人間は暴露後ワクチンを接種することになるそうです。

発症していないのにウィルスを持っている場合もありますが、発症しているのかただの不機嫌なのかも分かり難いケースもあります。噛まれた人間が先に発症し(お亡くなりなることになります)、「あの犬は狂犬病だったのか」となるケースもあるとか。つまり後から、「あのとき噛んだのは既に発症していた」となるそうです。

気休め的なことも書いておきます。
狂犬病とおもわれる犬に噛まれた後、ワクチンを打たなくても発症しなかったケースもあるそうです(発症しないので感染したかも分からない)。その犬が狂犬病かどうかは定かではないこともあっただろうし、何らかの(ワクチンなどではなく傷口の)処置をして、感染を免れたようなケースもあるようですが、狂犬病の犬に噛まれて何もせずに、命を落とさないこともあるみたいです。
それは、狂犬病ウィルスが非常に弱いものだからと聞いたことがあります。
しかし、もちろん命を落とす可能性は充分にあります。
潜伏期間は、一般的に30日~90日と言われていますが、数年という記録もあるそうです。
とことん(?)、分かり難い病気です。

「把握し難い」「感染し発症したら、まず命はない」。この地球上全体ではほとんど地域で感染者とおもわれる人が死亡し、世界全体での年間死亡者推計数は5万人以上。(推計数となってしまうのは、分かり難い病気で確定診断ができないケースも多々あるかららしい。)
このような病気なので、日本が清浄国(狂犬病がない国)であることは、とても有難いことだとおもいます。

 

■ 一度猶予になった犬を再び接種しようとする飼い主がいるか? ■

さて、話を元に戻します。
一度猶予になった我が飼い犬を、再び接種しようとおもうか、です。

この地球上で狂犬病がないとされている地域は、日本以外には一握りの地域といっていいでしょう( http://www.mhlw.go.jp/bunya/kenkou/kekkaku-kansenshou10/ )。日本のこの状態が奇跡なのです。それは島国であること、気候、そして予防接種が根付いたからだと考えるべきだとおもいます。
最後の「予防接種が根付いた」ことで、「根絶した」のではなく「根絶し続けている」と表現するのが正しいかもしれません。

地球上のほとんどの地域にありますし、現在の人や他の動物の入国状況を考えれば、日本に狂犬病が入ってくる可能性は充分に考えられます。入ってこないのが不思議なことで、実は既に野生動物では感染が根付いているのではないかと推測している人もいるくらいです。

これらのことを正しく理解した上で、先のような副作用診断書(仮名)が制度になれば、以下のようなことは考えられるのではないだろうか。

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副作用の診断書がたまり、9才になったので猶予にしてもらった。日常はとても元気で、他の犬と遊ぶこともあるし、他人にじゃれつくこともある。山に入ることもある。ただ9才なので、ときどき元気がないこともある。
そのようなとき日本国内で、野生動物から犬に狂犬病の感染が認められたとニュースで流れた。それから月日が流れ、咬傷事故が起こるとニュースになる。予防接種を受けていない犬が起こした場合の犬の扱いは厳格になる。ついでに、狂犬病に罹った犬の症状の解説もされるようになる。

そのような世の中の変化をみて、飼い主は「予防接種を受けていない(猶予してもらっている)、9才を過ぎた我が犬が咬傷事故を起こし、狂犬病の疑いをかけられた時、どのように扱われるのだろうか。10日間の隔離は自分も精神的に耐えられない。しかし、狂犬病の疑いがあれば、私自身も怖い。
であれば、来年は体調をよくみて体調のいいときに接種を前向きに考えてみよう。
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このようになる人もいるのではないでしょうか。

「狂犬病の分かり難さを含めた脅威」を理解し、それと「自分の犬の健康」を天秤にかけて猶予を選んだ飼い主が、日本国内で狂犬病の発生(感染)が報告されたことで、天秤の傾きが変わり、再び接種を前向きに考える可能性は充分にあるのではないかと考えています。

私は、このような制度が、飼い主感情として納得できる制度ではないかと考えてます。

 

■ 犬の把握(登録等)を確実にする ■

またまた脇道。狂犬病だけではなく、犬や猫全体にに関わる話です。
「飼い主感情」なる言葉が出てきたので、それに関係すること。

飼い主感情は、とても個人的なものです。しかし、この20年間だけでも何度か大きな改正があった「動物の愛護及び管理に関する法律(以下、動愛法)」と、それに関連する基準や指針がある現在、飼い主感情も、ある程度、世の中の決まり事に合わせなければなりません。それが出来ずに多頭飼育崩壊や虐待(積極・消極とも)が起こっているのだと考えています。

「それが出来ず」なのは、飼い主個人でもありますが、飼い主が合わせる機会を得られない世の中にも「それが出来ない」責任があるのではないでしょうか。機会を与えてあげるには、行政が飼われている犬や猫を把握しなければなりません。現在であれば狂犬病予防法に基づく登録です。猫にも同様の制度がほしいですが、現在はありません。

以下、「こんな制度にすれば、今以上に把握(登録等)できるのでは?、という、私の素人考えです。

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まず繁殖業者が繁殖した(産まれた)時点で登録する。
繁殖業者から仕入れて販売する業者は、個体ごとの帳簿(動愛法第22条の六)に、登録で得られた記号番号を必ず記載し、販売時には必ずその情報を飼い主に伝え、居住地で登録する義務があることを伝える。
飼い主が登録しなかった場合、販売業者が罰せられる。販売業者が登録の代行を行えるようにする(行政書士などに委託でもいいとおもう)。
飼い犬や人に飼われていない犬が繁殖した場合、飼い主、または取得者が登録を行う。登録がない犬を保護した団体はすみやかに登録を行う。
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こうなると、重複登録の可能性などを考えてマイクロチップの話になるだろう。マイクロチップと登録を繋げて考えることは賛成です。ただし、登録が主でありマイクロチップはその手段であることを明確にしておきたい。

マイクロチップは獣医師しか入れられないので、繁殖業者と獣医師との結びつきが強くなることも期待できる。
個人的に感じてることですが、犬猫等健康安全計画(動愛法第10条3-二)の制度がどれほど機能しているか疑問をもっています。繁殖業者と獣医師がしっかり結びついてくれることが当たり前になって欲しいと願っています。

さらにもう少し、突っ込んで考えてみる。
今の世の中の風潮で、漏れなく登録していただくか、登録していただけなくても把握できるようにするには(急に行政の体制を変えることは出来ないだろうから)次のようにするしかないと考えました。

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登録すると鑑札の交付を受けるがそれと同時にマイクロチップを入れないとならない。
ペットショップから購入した場合やレスキュー団体から譲渡を受けた場合は、既に登録が済んでいるようにする。
その他の場合は、行政に出向き登録する現在の方式ではなく(それだと、現状のようになってしまうので)、獣医師はマイクロチップを入れたら、登録の手続きを代行できるようにする。

登録されていない犬が診察にきたら、登録とマイクロチップを勧め、拒否された場合でも、その犬の存在を行政に報告することを義務付ける。報告にあたっては、その旨を飼い主に伝えなければならない。報告を受けた行政はそれを基に指導も行わない。把握のみ。(個人情報の問題がありますので、しっかりとした法整備が必要ですが。)

狂犬病の登録は、狂犬病予防法の範囲でしか使えないのが本来の姿だとおもいますが、動愛法で定められている犯罪についても利用できるように改める。

動愛法で定めることができれば、獣医師だけでなく、取扱業者全てが(販売業者やレスキュー団体だけでなく、トレーナーやシッターなども)扱う犬は、登録の確認を行い、登録されていなかったら、上記の獣医と同じく行政に報告をする。登録を拒否し続ければ、獣医師他、ペットのプロにお世話になる度、同じことを言われることになる。

ちょっとまた横道にそれますが、獣医師および取扱業者に登録の確認・報告を義務付けることで、現在、よく耳にする「死亡の届出が出難い」という問題も改善されると考えています。獣医師や葬儀業者が届出を勧めたり、代行できるようにできれば大きな改善が望めるのではないでしょうか。
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以上のような感じしかないのではないか。
先にも書きましたが、登録の促進は、狂犬病だけではなく、幾つかの問題解決に寄与することになると考えています。
なので、猫も登録するようにできれば良いのではと考えています。現在は、狂犬病予防法に基づく畜犬登録ですが、動愛法で登録を義務付け、猫も登録するようにした方が良いのではと思うことあります(幾つかの法律にまたがる大きな改正になりますが)。

接種率の向上と同時に、登録数(率?)の向上が、狂犬病の問題に限らず身近な動物との問題解決には必要だと考えておりますので、この点については、多くの人が関心を寄せてくださることを願っています。

 

■ 登録や狂犬病予防接種の必要性 ■

直前で書いたように、登録は色々な問題に対応するためのデータとして必要だと思いますが、近年、災害時にも登録や接種のことが注目されることがあると言われていることを書いておきます。

東日本大震災以降、飼い主がペットを連れてどれだけ避難できるか、それに対しどれだけの避難所が、どのような体制で受け入れてくれるのか、ということが、(ペット関連のこととしてではなく)避難所運営一般の議論でもされるようになってきました。

そのときに(犬に関わりがない人の中には)、「犬は狂犬病の予防接種しているんだよね?、他の病気も気になる人がいるけど、法律で決められているんだから、狂犬病の予防接種は当然みんなしているよね?」と言われることがあるそうです。
具体的な避難所運営を検討する場合、不安を抱えた人たちが集まることを意識しなければなりませんので、避難所に新たな不安を持ち込むことは、したくないと考えるのは当然だとおもいます。

こんなこともあるので、接種しなくても登録し、正式に猶予の手続きをとる人がほとんどになってほしいものです。

「えっ?、接種していないの?、健康上の理由で獣医さんもしない方がいいって判断して、お役所もそれを認めたんだったら仕方ないね」となるとおもいます。

現状のように「予防注射どころか登録もしていない飼い主がいるの?」とか「刑事罰まである狂犬病予防法を犯している犬の飼い主もそこそこいるらしい」と見られるのとは大違いです。

 

■ 接種に関わる体制について ■

登録される割合が増えて、犬が把握できる状況になることが、現状の目標になるのではないかと感じているので、このような妥協的な方向性(猶予を増やす結果になるかもしれませんが、正式な登録でなくても把握を含めて、把握総数を増やす)が現実的で、社会の利益にもつながる方法ではないかと考えています。

腰砕けのような話になってしまいましたが、このような考えに至ったのにはそれなりの理由があります。

狂犬病予防法は人間の病気予防のための法律ですから厚生省の管轄です。獣医療は農水省。動愛法は環境省。何かと縦割り行政が問題視されている日本では、これだけでも「上手く機能しないんじゃないの?」と勘ぐってしまします。

現場を考えてみると、各都道府県のセンターとか保健所と呼ばれる施設が、狂犬病予防法・第21条でいうところの「抑留所」となっていますので、そこが業務の主体になるべきなのだろうなと思いますが、実際は市区町村の保健所などが地元獣医師会と協力して予防接種業務を行っているところが多いようです。

ここで、何かがおかしい、と感じました。
狂犬病予防法で定められた抑留所には獣医師がいるので、犬の健康について、診ることが出来、判断することもできます。
しかし市区町村の保健所などの多くは(現在ではほとんどだとおもいますが)獣医師はいない。接種を担当する獣医師先生方のほとんどは狂犬病の専門医ではない。行政の方に判断を仰ぎたいこともあるだろう。しかしそれは出来ない。

とてもアバウトな話ですが、これだけでも「なんだかなぁ~」と感じてしまいます。獣医師も判断の責任を負担に感じることもあるだろうし、飼い主の中には納得できず不安を抱く人が出てきても不思議ではないとおもいます。
また、全体の体制がしっかりしていなければ、「どうせ取り締まられることはないだろうから、好き勝手にさせてもらうよ」という人が出てくるのが現実だとおもいます。

そして昨今は、ネットで感情に任せるように書き込む人がいて、それを信じて拡散する人もいる。偶然そのような内容を立て続けに読めば、「予防接種ってそんなに危ないの?」「やる必要ないの?」と純粋に信じきってしまう人がいても責めることは出来ないのではないでしょうか。

そのようなことを減らすためには、まず、狂犬病の正しい知識を広めることだとおもいます。その結果、社会全体が狂犬病対策を考え直そう!となった時、大きな動きになるのだとおもいます。

しかし(狂犬病に限らず)正しい知識を広めることは容易ではありません。容易ではない活動を社会に求めるには、問題としての優先順位を上げなければなりません。数々の問題を抱える現代社会で、優先順を上げてもらうことも大仕事です。

法律に関わる政治の問題、業務に関わる経済的な問題など大きな仕組みを検証しなおさなければなりませんが、そのようなことに、私たちのような普通の飼い主が関わることは出来そうにありません。
私たちのような普通の飼い主にも出来ることはないのか。そんなことを考えてみたいとおもいます。

 

■ 私たちにできそうなこと ■

今まで書いたように、狂犬病予防接種に関わる行政の業務は、力不足を感じざるを得ません。狂犬病予防法が出来た頃とは、犬の数も犬との暮らしの在り方も大きく変わってきています。根本から考え直してほしいものです。

それには世の中の雰囲気として、その必要性を訴えなければなりません。しかし、平成28年に提出された副作用の報告書は19件のみ。これだけを見れば「安全なワクチンと言っていいのでは?」となり、議論も研究もなされないとおもいます。(報告書の最下段二項目を読む限り、そのように感じます。)

国は「副作用が起きる割合は非常に低い」と発表し、飼い主たちの中には「ときどき耳にする程度はある。もしかしたら我が犬がなるかも」と心配する人もいる。この溝を埋めることが必要ではないでしょうか。

それに対して出来ることといえば(先に書きましたが)副作用と思われる症状が出たら、必ず獣医師に報告する。そのときに「報告書ってものがあるそうじゃないですか。それをしっかり提出してくださいね」とお願いする。
皆さんがこれを行えば、19が190くらい、もしかしたらもっとになるのではと予想しています。
副作用の報告書が急増すれば、対策を取らざるを得なくなることでしょう(実数はもっと多いとおもうので、対策対応がよりしっかり、そしてきめ細かく行われることが本来の姿だとおもいます)。

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今まで書いてきたようなこと(副作用診断書(仮名)や登録やそれに準じた把握を確実に行うようにする)を行うのであれば、行政には今まで以上に予算・人員が必要になります。ただでさえ借金を抱える国や都道府県、市区町村が多々ある現状で、「犬や猫のことに、大事な税金が使えるか!」と言われることは当然のことでしょう。世の中に、犬や猫と無関係に暮らししている人は少なくありません。その人たちは、「税金をかけなくてもいいこと」と考えて当然だとおもいます。

私たち一般飼い主が、犬や猫、その他身近な動物たちと無関係・無関心の人たちに、地道に(そして無理をせず)アプローチすることも必要なのでは、と考えています。

では、狂犬病や登録の問題に限らず、身近な動物との共生を、世の中全体の重要な問題と捉えるべきだと理解していただくためには、どのようにアプローチするべきなのか。

たまに「命の問題だから重要と考えるのが当たり前!」と言う人がいます。犬や猫に無関係に暮らしている人がそれを聞いても、ピンとこないことでしょう。「よく分からないから、聞き流そう」で終わりだと思います。少し興味を持ったとしても、何を勉強すればいいのかわかりません。

私が考える、「こんな感じで話をすれば(勉強しなくても)とりあえずの理解を示してくれるのでは?」と思える話し方を書いてみます。

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・ 現在、身近な動物に対する虐待が明るみになってきました。犬や猫、特に猫を対象にした報告が多いです。今まで隠れてやっていたのかもしれませんが、そのようなことをする人が増えているのではないか、とみている専門家もいるようです。
・ 虐待の方法ですが、猫を煮たり焼いたり切り刻んだりと、信じられないようなこともする人もいます。それが明るみになったのは動画投稿サイトにアップされたからです。なので本当にやっているのです。それを賞賛する人もいるらしいです。アップしていない人も多々いるでしょう。また、猫を譲り受けてはとりあえず可愛がり、飽きたら、高い所から落として殺す人も報告されています。車で轢き殺す人の話もニュースになっていました。
・ こういう人が近所や同じ職場に居たらどうおもいますか?、これらの人の中には、日常生活を送っているとき、普通の人、いい人に見える人もいるらしいです。この人は絶対にそんなことしない!、と思っている人がそうだったりするそうです。猫を譲り受けることを繰り返す人は、里親審査に慣れている人をも欺くそうです。里親審査で自宅訪問をしても見抜けなかったケースがあるそうです。
・ こういう人たちの中には、人間、特に子供を狙った犯罪を起こす人たちがいることも知られてきました。もしかしたら身近にそういう人がいるかもしれないんです。怖いですよね。現在は、法律で動物に惨いことをしたら犯罪です!として罰金や懲役を規定しているのですが、まだまだ理解が広まっていないからか取締りがゆるい感じです。法律はいっぱいありますから警察も限られた人員の中で優先順位が高いものを扱わざるを得ないので仕方ないかもしれません。
・ みんなで、動物虐待ってこんなにあるの?、こんなことまでするの?、その中から人間に対して危害を与える人が出てくるの?、そういう人たちが結構いるって分かってきているのなら、お巡りさん、しっかり取り締まってよ!、とお願いしたくなりますよね?
・ 自分や家族の身に危険が降りかかるかもしれないのですから、お巡りさんのお給料に限らず、税金で犬や猫の管理をしてもらうのは仕方ないですよね。そういう人たちは隠れて虐待していることがほとんどですから、見つけるのは大変です。なので、そこに税金が幾らか投入されても仕方ないですよね。
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狂犬病から離れていってしまったように読めた人もいると思いますが、動物に対する虐待も狂犬病も人間に対する脅威になることです。それを未然に防いだ方がいいですよね、そのために税金使うこと理解してくださいよ、とお願いすることが必要だと言いたいのです。

「だったら、犬や猫を日本からいなくすればいい」という人がいるかもしれません。その考えに対しては、「他の動物に同じことするとおもいますよ。そしてそれは、犬や猫よりも目に付き難い。管理したり、取り締まるのが困難になるとおもいますよ」と答えればいいとおもいます。

狂犬病に対しての理解としては、
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人も犬も感染したのかしていないのかはっきりしたことが分からない。
はっきりとした症状が出る前には、感染したか検査では分からない。
つまり、狂犬病なのか分かり難いこともある(日本にはあまり情報もないし)。
はっきりとした症状が出たら(発症してしまったら)命はないと考えなければならない。
日本に狂犬病がないことは奇跡的なことであり、もしかしたら、既に入ってきていのではと考えている人もいるくらいである。
入ってきているかもしれない狂犬病が根付かないのは、犬に予防接種をしているから。
その接種率や、接種率の分母になる(日本に居る犬全体の数である)登録している犬の数が低下してきていると考えられていること。
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これらを一人でも多くに知っていただくことだとおもいます。

 

■ 最後に、誤解しないでほしいこと、二つ ■

一つ目は、飼い主感情からみた制度的なことばかり書いたことについて。
それは私自身が、ただの飼い主だからです。
そして、私なりに調べた結果、狂犬病予防接種業務に関わる方々の多くは、今の制度の下、とてもよくやってくださっていると感じていること。その結果として、今の制度では限界があり、見直しを強く感じるようになりました。
現場の方々には、今後も慎重に確実に業務を遂行していただけたらと願います。

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もう一つは、以下のような発言について批判的に読めるかもしれないことについて。

「予防接種は良くない、やる必要すらない!」
「命の問題だから重要と考えるのが当たり前!」

全体の文脈から否定的におもえるかもしれません。それらの発言は、私個人の考えとして何らかの悪影響があるとは思っています。
しかし、各個人の考えの発表、表現の自由の範囲だと思うし、私自身、遠い昔には似たようなことを考えました。そして今でも、そう考えてしまうこと、感じることもあります。

予防接種については(必要性は感じますが)既に書いたように、副作用が出ている犬がどれくらいの数いるのか、もしかしたら命を落としても報告されていない数も結構あるのではないかと思うこともあります。
しかし、それを言っただけでは(400万頭以上接種して、命を落とすのは10頭くらいだよ、と言われて)世の中は変わらないでしょう。
そんな現状で上記のような発言は、世の中から注目を集める機会になるかもと思っています。冒頭にも書きましたが、ネット上の発言には世の中に影響を与える力があります。なので多くの人が注目します。どんな発言であったとしても、動物に関わりのない人に注目していただける機会になることは力になると考えています。

 

■ 最後に、とても個人的な考え、感じていること ■

最後に言っても意味のない、私のとても個人的気持ちを書かせていただきます。報告書を読んで感じた率直な気持ちが中心です。

400万頭以上接種して10頭だからいいなんて言ってほしくない。これが人間の子供だったら絶対に許されないことですよね。ゼロを目指してほしい。
報告書の「意見 ・対応処置等」欄は、もう少し飼い主感情を考えてほしい。報告書なので慰め的な言葉は必要ありませんが、本気で改善する(10頭をもっと減らそうという)気持ちが伝わってくる内容にしてほしい。
狂犬病予防接種は日本の国民の義務です(その結果清浄国になっています)。その日本は、法律がどんどん変わるくらい、人と犬との関係は変わってきました。その変化を理解した上で対応してほしいし、報告書を作成してほしい。

「ペットは家族」と言われる今の日本を理解して、あの報告書を作成しているか。そして、10頭くらいだから積極的な改善(副作用の研究など)はしなくてもいいと考えているか、と悶々とした気持ちになっています。

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ここ数年、情報を集めても、自分の中で悶々としているだけでした。
ここに書いたこともオープンに書けることだけですが 、それだけでも書ける機会がありませんでした。それを吐き出す機会として、書こうとおもいました。

私の私的な考えを吐き出す書き込みを読むために、貴重なお時間を使っていただき、ありがとうございました。

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とても長くなりましたが、ここまで読んでくださり、感謝しております。

間違ったことも書いているかもしれません。とても個人的な考えが多々書かれています。それでも、狂犬病予防接種について、身近な動物(特に犬と猫)との暮らしについて、理解が深まっていただければ幸いです。

普通の飼い主の理解の向上と、身近な動物に全く関係のない人たちの理解が、今、必要とされていると感じています。

この書き込みが少しでも、そのような現状の改善に寄与できれば幸いです。

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2018年3月23日 (金)

失見当(識) ~避難所に身を寄せるようなときに気をつけたいこと~

単語の備忘録。

大規模災害の発災直後、見当がつかなくなる人が多くなるという。ほとんどの人が程度の差はあれ、この状態になってしまうらしい。
非日常な状況を突然強いられれば、平常心ではいられないだろうと想像は出来る。しかし、どの程度のものなのか、よく分からないというのが本音だった。

それを分かり易く語ってくださったセミナーが昨年(2017年)11月にあった。話を聴いたときに「うんうん、そうだよな、そういえばそういう話を聞くし辻褄が合う」という感じでした。

最近の私は、このような話を聞いても、とりあえず放置する。時間を経て本当に大事なこととして広く伝えなければならないことなのかよく考える。
この4ヶ月間、「あ、あの単語、なんて言ったっけ」と思ったことが何度かあったので、「この単語は覚えなくちゃ」という気持ちで、この書き込みをすることにしました。

 

以降、失見当識という言葉の説明をします(識をなくして「失見当」ということもあるらしい)。昨年拝聴したセミナーの内容が主ですが、その後私なりに調べたり、自分の経験などからの考えを書くものであって、先生のお話そのままではないし、裏づけが不充分な部分もあるでしょうから教科書的に読まないでください。個人の備忘録です。

ネットで調べたらコトバンクの次のページがヒットした。
https://kotobank.jp/word/%E5%A4%B1%E8%A6%8B%E5%BD%93%E8%AD%98-283454

一般的には(私の理解では)、意識障害や記憶障害により、周りの状況の認知が不完全なのか、認知は出来ても判断が健全に行われないのか、結果として異常に見える行動をとってしまう状態と言えばいいだろうか。俗な言葉でいえば、「上の空」とか「別の世界にいってしまっている」と、私は理解した。
上記ページで書かれていることは、医療現場で診断に用いるときの説明であり、災害時のことは「そのような状態」と理解するべきで、このページの通り解釈すべきではないとおもいます。

 

この言葉が出てきたのは、「ほとんどの人は、大規模災害の発災直後はまともな判断が出来ないと心得ておかなければならない」という話からでした。

「なるほど、みんなそうなっていると思って(自分はしっかりまともだと自覚して)冷静に行動しましょうってことだよね」と思ったら、ちょっと違う。「たぶん誰もがなる、私もなる、あなたもなる、と自覚して欲しい」、とのことです。

そこで、幾つかの実例が出されました。私も似たような話を幾つも聞いていたので納得。

この20数年間の大規模災害直後、現場で被災しながらも懸命に救護活動などにあたった方々の何人かから「あの1~2日の記憶が全くない」とか、「あそこでこんなことしたじゃないですか」と話をしても、「私、あそこに行きましたっけ。行ったことないとおもいますけど」などと返事が返ってきたとか。そのときの記憶が全てない人もいれば、所々ない人もいるそうです。

問題は、記憶のあるなしではなく(理屈はともかく)異常な行動してしまうこと。

明らかにおかしな行動を起こす人もいるでしょう。動けなくなってしまう人もいるでしょう。イライラしていつもやらないようなことをしてしまう人もいるでしょう。
そのように分かり易いケースよりも、特定の知識・意識が抜け落ちてしまっているケースが危ういことになりそうです。「この人に任せておけば大丈夫」と思ったら、いつもと違う行動をして任せておけない人になってしまうこともありそうです。

発災直後には、そのような人たちが避難所など安全とおもわれる場所に集まります。そのことを心得ておくこと。

自分も含め誰もが、そのような状態になることを認識しておくこと。

 

発災直後に、少しでもその状態(の自分)を和らげる方法をセミナーでは紹介していました。これも私の勝手な解釈をつけてしまいますので、先生のお話そのものではありません。

1.まず「どうしよう」と途方に暮れている自分に気がつくこと。正常だとか、冷静にならなくては!、など考えたところでなれないこと(失見当識になっていること)を自覚すること。

2.周囲の状況からの判断を誤って認識してしまったり、認識さえ出来なくなってしまうようですが、情報は必要です。そのために、スマホなどを手にとる。地震災害であれば地震速報が鳴るはずなので、その気になると思います。
そのことを想定して、(例えば)「まずスマホを手に取ろう!」と声に出す、と予め決めておき、実行することだそうです。
声を出すことにも意味があると思いますが、平時に決めたルールを守れているか、の確認にもなります。発災直後の状況からだけで判断するのではなく、平時に考えたこと(声に出す)を実践できるかを確認することも大事なのだろう、と思いました。

3.スマホなどから、ある程度の情報収集や行動の方向性を考えることが出来始めたら(情報収集したら、たぶん尚更焦るでしょうから)、深呼吸やストレッチで体も心もほぐす

4.3.までは個人の考え・行動ですが、次は、他の人とコミュニケーションをとることについて。まず連帯感を意識する。「不安ですよね!」「一緒にやりましょう!」という感じで。
やってはいけないことは、安易な安心情報を出すこと。「大したことないです」「あそこ(避難所など)に行けば絶対に大丈夫だから」など。
大規模災害時は何が起こるか分かりません。大丈夫と言われたことがそうでなかったら、とても混乱したり悲観的に感じる人も出てくるとおもいます。また、連帯感を持たねばならないときに、不信感を抱くことになるでしょう。

 

私の現状の理解は、こんな感じです。

 

ところで、今更このことを書こうとおもった動機を書いておきます。

前の書き込みで、「ファースト・ミッション・ボックス」について書きました。避難所を立ち上げるときに利用するものです。名前はどうでもいいのですが、このようなようなものが普及してくれないと、避難所運営の(平時からの)準備も進まないだろうなと考えています。

避難所を立ち上げるのは発災直後です。ほとんどの人が失見当識状態になっていると考えるべきです。

平時に避難所運営を論じるときは、「こんなケースは?」「もし、このような問題が発生したら?」など多視的に考えることでしょう。当然それらの議論や準備は必要です。しかし、発災直後、それを論じていた人たちの頭の中に、それがあるとは限らないし、認識能力・予測能力は著しく低下していると考えるべきなのでしょう。

ファースト・ミッション・ボックスは、今まで一度も訓練に参加したことがない人でも実行できるように書かれている、と言われていますが(どれだけ訓練に参加したかではなく)、失見当識の人でも動けるように書くべきなのだ、と気がつきました。

 

失見当識なる言葉で、発災直後の混乱を少し整理できました。
もし大規模災害に直面したら、他人のこと、世の中のことも大事ですが、自分は正常ではいられないと心得ることが、最も大事なことかもしれません。
正常ではない自分のために、出来る限りの備えをした方がいいと思う反面、しすぎても使う余裕がないかもと思ったり。

災害時という(自分の心も)混乱しているときに、どう動けばいいのか、どう使えばいいのか、分かり易い、忘れてしまっても直感で分かりそうな、モノや方法を準備しておくべきなのだと理解できました。

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2017年11月 9日 (木)

動物虐待事件におもうこと(6.日本の文化)

前回で終わらすと書きながら、続いてしまいました。
今回の分は書かないつもりでしたが、前回分の調べ物辺りから、「自分の認識はちょっと違っていたかも」と思うようになり、更に調べて、そこから書いておいた方が良さそうなことを書いておきます。

書きたいことは、「動物(特に猫)虐待はしっかり取り締まらないと(動物愛護と関係なしに)、国として問題なのでは」ということ。
 

ちょっと、お断り。
私は「犬との幸せな生活」を皆さんに知ってもらいたいと考えています。今、日本に流れている情報だけでは、残念な結果になることが多々ありますので、足りない部分を捕捉しようと考えています。
逆に、身近な動物と接することから生じる暗い部分は、避けて通りたい人間です。動物虐待については特に避けていますので、あまり知りません。周りの人たちは、虐待動画を見たことがある人が多いですが、私は見たことがありません。動物虐待については全く詳しくありません。

しかし、動物虐待がなくなってほしい気持ちはあります。惨いことをされる動物がいなくなってほしいし、動物虐待しなければならない人間もいなくなってほしいと願っています。

株価がバブルの頃よりも高くなったとか言っているようですが、庶民の生活は不安だらけです。そんな世の中だから、動物虐待に向かってしまうのかと考えたりします。日々の生活が充実していれば、わざわざお金や時間を使って、そんなことはしないでしょうから。

とにかく動物虐待がなくなってほしいのです。それには「動物虐待はいけないことなんだ」と広く伝えなければならないものですが、今の日本にはそのようにおもっていない人も多々いるようです。
法律で取り締ることになっても、想像していたほどは取り締まりが行われません。それは取り締まる人たちの多くもそのように考えているのでは、と思わざるを得ないのが現状です。

現場の人は上からのお達しで動いていますから、上の方の人たちに納得していただくには、1~5の中に何度か出てきた「二つの意見書」が出されるのが基本的な方向性だと思いますが、今回動物虐待のことを調べていて、以下のようにも考えました。

 

幾つかの虐待事件の経過(逮捕されたか、起訴されたかなど)を調べ始めたら、各事件について語っているブログなども読みました。そこから大手掲示板などで盛んに話がされていることも知りました。そのような場所では、動画をアップし、やり方について使う道具からコツまで話し合っています。もちろん、起こったこと(猫がもがき苦しむ姿など)についても。
隠語も数多く、その意味を知ると頭がおかしくなりそうなものもありました。凄惨な虐待は珍しいことではなく、猫に対する凄惨な虐待を楽しげに興味深く語り合っていて、幾つかの定番の虐待方法があるのですが、それを行うとどのようにもがき苦しみ死んでゆくか。またはどのような後遺症や苦痛をもちながら生きているのかを語り合っているのです。そのような掲示板を見つけることは、それほど難しいことではないことも分かりました。

また、虐待を行う人間の分類、社会がどうみているか、批判された場合にどのようjに反論すればいいのかなどが、既に出来上がっていることが分かりました。
「害獣を駆除する目的」はそこでの常套句でした。既に刑を軽くする方法さえも広まっているのです。

このように少し調べただけで、動物(ほとんどが猫)虐待が日本のアンダーグランド文化になっていたことが分かりました。

これらはネット上の話です。昔のようにインターネット(特に動画の投稿)がなかったら、このような場はなく、猫に八つ当たりしたくても方法が分からず反撃にあったことでしょう。(そう考えると、スマホの普及が動物虐待に拍車をかけたのかも。その他の犯罪も、出会い系のSNSやLINEなどでやりとりして犯罪に繋がることが多々あるようですが、それらと似ているかも。)
また、猫から人間の子供へ、についても「なんとなく分かる」ようになりました。何回もやっていれば、次の段階へ進みたくなるんだろうなと吐き気を催しながら想像しました。

 

誰かの「生命・身体・財産」に被害が及ばない犯罪を思い出しました。被害者はいないけど刑事罰が規定されているもの。「ギャンブル、売春、覚せい剤など」。(参考

その場の行為だけを考えれば、本人たちは納得ずくなので被害者はいません。しかし感覚がおかしくなり、常習性や依存がでてくると、それを行うためにお金が必要になったり、社会行動の基本的な価値観にズレもでてくる。そういうことが広まらないように取り締まる。そんな感じだとおもいます。
現在の動物虐待は、これらに入るのではないかと考えるようになりました

私は動物虐待をもっと単純なものだと思っていました。13匹の被疑者のように、専用の場所まで用意する人間は稀だと思っていました。しかし、少し調べただけでも、似たようなことをやっていると思われる人は結構な数いて、動画を見せ合い、話し合っているようです。見つけられる場所にもあるのですから、隠れた場所には幾らでもありそうです。もしかしたらそのような人が、自分が住んでいる町内に居てもおかしくないくらいの数だと感じました。

ネットで公開されているのだから、やってもいいことなんだと思い込む人もいるでしょう。はじめは見るだけ、それから少しやってみたくなる、苦しむ姿を見たくなる。何度かやってしまう。それをある程度繰り返したら飽きて次の段階が欲しくなり、人間(幼児)を対象に考えるのでしょう。または、凶器を持って大人に向い、めった刺しにして苦しむ姿を見たがるのでしょうか。

これらの事実を知り、想像してしまった結果、動物虐待をするような人たちの存在が(分かり易い言葉で言えば)「怖い」と感じるようになりました。

なので、警察の方々に「お願いだから、もっとしっかり取り締まって」と言いたくなります。余暇の時間を猫が苦しむ姿を見ることに没頭するような人間が身近にいるとおもうと恐ろしいです。

 

動物虐待は既に、日本の(闇の部分ではありますが)文化になっていました。ここで歯止めをかけていただかないと、今以上に暮らしにくい国になりそうです。

動物が好きな人たちだけではなく、国民全体が動物虐待(特に猫)の取り締まりについて、議論していただきたいと、切に願っています。

 

1.はこちら<<<   一つ前(5.)はこちら<     <こんどこそ終わり>

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2017年11月 2日 (木)

動物虐待事件におもうこと(2.動物虐待の基礎知識)

前回の終わりに書いたこと

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私の「一般人的感覚からしての疑問」

1.10匹以上の猫を虐待した映像をアップしている人間が世の中にいて、その人間の行為を称賛していた人間もいる。もしかしたら彼らはネットだけでなく繋がりをもっているかもしれない。そのような人間に対して最高2年でいいのか。今回のケースは、どれくらいの量刑になるか。

2.わざわざ猫を虐待するという行為自体が理解できない。今回の容疑者も色々と道具を揃えていたようだし、もちろん時間も必要だ。そこまでしてやりたいものなのか。

3.動物虐待を国として(国民が国民に対して)罪とし罰を与えることをどのように(国民は)考えているのか。現状からみて、動物虐待を取り締まる法律を軽く見ている人(今回の犯人など)が多いのは何故なのか
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1.については、これから裁判が行われるようなので、経過を注目したい。

今回は、2.の、何故、わざわざ猫を虐待し続けるのか、を考えるために、動物虐待についての、私の知っている基礎的な部分を書いてゆきます。

以下、私個人の考えです。何かおかしな点があれば指摘いただければ有難いです。

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人間への虐待でも積極的虐待と消極的虐待があるように、身近な動物に対しても同様です。

積極的虐待は、暴力をふるうなど積極的な働きかけで虐待すること。
消極的虐待は、最低限の世話もしないこと。厳密には「したくても出来ない」ことを言うので、消極的虐待とネグレクトは完全にはイコールではありません。(このことについての説明は、今回は必要ないとおもわれるので省略します。)

定義を書いても分かり難いので、分かり易いを挙げます。
積極的虐待 : 殴る、蹴る(これ以上は書きたくありませんが、その他暴力行為などです)。暴力以外にも動物の健康を害する対応を積極的に行う。
消極的虐待 : (してあげるだけの経済力・体力・時間などがなくて)食べ物や水を与えない。身の回りを清潔に保ってあげない(ケージの中で排泄をさせてそのままにするなど)。ほぼすべての時間、狭い場所で一人で過ごさせるなど。

消極的虐待は「したくても出来ない」ので、本人が誰かに助けを求めるべきでしょう。
積極的虐待は、放っておけばどんどん行うかもしれません。冒頭にも書きましたが、お金や体力、時間をかけてわざわざやるくらいなのですから。

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消極的虐待については、昔から色々とおもうことがあるので文末に書いておきます。興味のある方は読んでいただければ嬉しいです。日本における身近な動物に対する認識が、この20~30年くらいで変わってきたことを感じている方もいらっしゃるとおもいますが、まだまだ色々な考え・感覚の人がいると感じています。
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本筋に戻ります。
動物虐待を法律で取締るは何故でしょうか?、私はこんなことを聞いたことがあります。

動物虐待、特に、猫への惨たらしい積極的虐待がエスカレートすると、次は人間(幼児の場合が多いらしい)へとその刃が向かうと言われています。ある程度の年齢以上の人なら記憶にあるとおもわれる「宮崎勤」「神戸連続児童殺傷事件」などがその例ですが、この10年間くらいに起きた不可解な動機(「人を殺してみたかった」など)の殺傷事件の犯人の内、多くは猫への虐待を行っていたと言われています。

前日の書込みに最近起こった4つの動物虐待事件を書きましたが、全て対象が猫なのです。

もちろん、猫を虐待している人間全てが人間を襲うようになる訳ではありません。(逆も。猟奇的な殺人や連続殺人を行う人間が全て猫を虐待していたという文献は読んだことがありません。)
昆虫や小さな動物に惨いことをし、それを見ること、行うことに快楽を覚え、対象が少しずつ大きくなり猫にいきつく場合が、次に人間へとなる可能性があるそうです。
「快楽を覚え」るので中毒性というか常習性が起こるそうです。文字通り中毒的になるともう自分でも止められないそうです。動物を虐待することに依存してしまう。ストレス解消にお酒が絶対に必要な人たち(アルコール依存症)と同じように、動物虐待が必要な状態になってしまうとか。
このような人たちの中から、人間を対象にしたい衝動が止められなくなる人が出てくるそうです。

お酒の例で分かるように、これは精神科にお世話になる必要がある状態です。アルコール依存症もなかなか治すのが難しいそうです。性犯罪者も同様で、ある程度の割合の人は再犯を犯すし、犯さなくてもその衝動がある人が多いと何かの本で読んだことがあります。
同様に、猫への惨たらしい虐待をする人たちの中には、どうしてもその衝動が起こってしまう人がいるとのことです。

猫への虐待から人間に向かう人たちは、自分では抑えることができない衝動があり、行動となってしまうようです。精神科にお世話になるべきと私は考えますが、現在は、惨たらしい動物虐待だけで、必ず病院にお世話になるべきという認識には至っていないようです。

また横道に逸れ過ぎてしまいましたが、「動物虐待を法律で取締るは何故でしょうか?」の話です。

今ある「動物の愛護及び管理に関する法律」の大改正(1999年)の理由の一つが、「神戸連続児童殺傷事件」だったと聞いています。
猫を虐待する人の中から、次は人間へと考える人がいるから、つまり、人間に危害を与える可能性が高い人を取締ろうとの趣旨があると記憶しています。これは多くの人が、納得できるとおもいます。

 

しかし、この考えには2つの問題点があります。

1.精神科にお世話になるとしたら、病気なのだから犯罪にならないのではないか?
アルコール依存症は病気であり犯罪ではありません。動物に虐待をしたい衝動を日常的に抱いている状態だけでは犯罪ではなく、病気なだけと私は考えます。しかし、先にも少し書いたように、現在日本では動物虐待だけでは病気とみなしていないようです。しかし、動物虐待を自分でも抑えられないような状態を症状の一つとは捉えている病気はあるとのことです。
どうであれ、病気と捉えられてしまうと、罪が軽くなったり、あるいは無罪になることもあるのではと考えてしまいます。
その代りに治療をしっかり行っていただければいいのですが、それについての話を見聞きしたことがありません

2.惨たらしい積極的虐待をしていても「自分でも抑えられない人(人間にも危害を与える可能性が高い人)」とそうでない人を分けられるのか?
分けられないと思います。
しかし、今抑えることが出来る人も将来どうなるかは分からないとおもいます。
そしてもう一つ。やった本人がどうであるかと別の問題として、虐待の事実を公衆に見せたり、公衆でなくとも個人的に見せたとしても、見せられた相手が抑えられない人(予備群を含む)だったらどうでしょうか。その人の衝動をさらに強いものにすることでしょう。まだ衝動を罪悪感によって抑えることが出来ていた人が、虐待動画を次々と見て、そしてやっている人は取り締まられることもないことを知ったら、衝動が抑えられない方向に進んでゆくのではないでしょうか。

このように考えれば、分ける必要なく、取り締まるべきだと、私は考えています。


ただし、1999年の改正から今まで、この法律がそのような観点で取り締まりをしている根拠になる意見書や国の見解を見た記憶がありません

以上はあくまで私の個人的な考えです

 

ここまで読んで、「何故、人間に対する危害のことばかり語るのか。動物に対する危害そのものを取り締まる話ではないのか?」という疑問をお持ちの方もいらっしゃると思います。
また、冒頭の3.「動物虐待を取り締まる法律を軽く見ている人(今回の犯人など)が多いのは何故なのか」についても書いていません。

次回に、動物虐待と法律で取締ることを、幅広い多くの人はどのように捉えているのが、私の考えを書いておきます。

 

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以下は、個人的な「消極的虐待」についての思い出です。ご興味ある方だけ読んでください。

消極的虐待というとネグレクトを頭に浮かべる人も多いとおもいます。(消極的虐待とネグレクトは、厳密にはイコールではありませんが細かい話は省きます。その区別が分かるページとしてWikiPediaのネグレクトのページがあります。人間に対しての説明ですが動物に対しても同様に考えています。)
私はこのような問題に興味を持ち始めたのは、1990年代中頃でした。当時は、動物への消極的な虐待は誰も口にしませんでした。

そして2000年を過ぎた頃です。テレビでペット番組が増えてきた頃であり、当時、番組内のクイズを最も正解した人に犬をプレゼントするという企画がありました(すぐに中止になりましたが)。プレゼントされた芸能人が忙しい中、可愛がっている映像が出たのですがが、犬は朝から夜遅くまで一人で留守番。
当時の私は、トレーニングも少しは勉強していました。脳科学的なアプローチ情報が広まってはきたものの一般には広まっていない状況でしたが、私は個人的な知識や経験でそのようなトレーニングをしていました。そんな私はすぐに「これは虐待だ!」と感じたのです。しかし、そのことを誰に話しても「確かに可哀相だけど、虐待というのはちょっと…」と返事が返ってきたものでした。

欧米の幾つかの地域では、長時間の留守番は虐待とみられます。日本でもやっとそのような考えが知られるようになってきました。
2000年前後から2010年くらいまで若い(たぶん遊びも忙しいんだろうなと思ってしまう)芸能人含め「こんなペット飼っていま~す」と自慢している記事が多々ありましたが、どれだけ一緒にいられる時間があるのだろうと心配になったものでした。

私が気にし始めてから20年以上経ちます。長時間の留守番が虐待と捉えられる地域が(世界の中には)あるということが知られてきたことは、確かな前進だと思いますが、日本国内に目を向ければ、大きな前進が見られないのが残念です。

現在も次の法改正に向けて議論されているようですが、法律を作るだけでなく、その法律を守るべき根拠もしっかり伝えてゆくべきではないかと考えています。
何故、犬(幼犬を含む若い犬は特に)を長時間一人にすることが虐待となるのか。何故、動物虐待を国が取り締まる必要があるのか。

このようなことをしない限り、「ペット好きの感情論のせいで前科がつくなんてありえない!」と感じる人はいなくならないでしょう。動物虐待を取締る根拠を、専門家の意見書などと共に国として見解を示して欲しいと願ってやみません。

 

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