2019年4月18日 (木)

独り言、備忘録(早川さん~宇多田さん~佐久間さん)

完全な独り言、備忘録。うたた寝したときに見た夢のような意味のないことです。
自分以外には意味のないこと。読む価値はないです。

でも、私が見たおぼろげな夢が正夢になることを、(それは一縷の望みもないことはわかっていますが)願って備忘録的に書いておこうとおもいました。

 

先日、ネットで早川義夫さんの奥様が亡くなられたことを知り、そのことで少し FaceBook に書いた。
そこに続けて(コメントで)「できればスタジオアルバムを出してほしい。プロデューサー探しに苦労するとおもうけど。」と書いた。

音楽は少しは聞くが、熱心に聴くとというほどではない。楽器も出来ない。好きなアルバムなんてほとんどない。
そんな私の好きなアルバムの一つが、早川義夫さんの「ひまわりの花」。
今は亡き、佐久間正英さんプロデュース。

佐久間さんが亡くなる前に、早川さんのスタジオアルバムは出ないかなと願っていたのですが、そんな雰囲気ではありませんでした。

佐久間さん亡き後、早川さんをプロデュースして私好みのものを作ってくれそうな人は誰だろうと、奥様の訃報を知ったときに再び考えてみました。

音楽のことを深く理解し形に出来ることは勿論ですが、「日本語の歌」を大事にする人、「日本人の心」を忘れない人、そんな人は誰だろうと考えた。
日本の音楽シーンは、世界(欧米?)との境界線がなくなりつつある。日本独特の歌が少なくなった。そんな中、日本語を大切にしている人たちの輪郭が見えてきたりもしてきた。私のような一般大衆は「日本語の歌」が好きではあるが、聞き続けているので、新たに「お、これは!」とおもうことが少ない。

「この人、日本人だなぁ」とおもえる人で、大衆が聞いても安心して聞くことが出来ると同時に飽きない、そして「お」とおもわせてくれる。そんな人で、他人のプロデュースも出来そう人、とおもったときに、宇多田ヒカルさんが頭に浮かんだ。

早川さんのアルバムを宇多田さんがプロデュース。もし完成することが出来たら(私の中では)とんでもないものが出来ることを確信できる。そんなものを作ってほしいとおもった。
しかし現実を考えれば、うたた寝の寝ぼけた夢に過ぎない。口にするのも恥ずかしい程度のものだ。
あり得ないし、佐久間さんと宇多田さんが繋がるはずもない、とおもっていた。

 

数日前、宇多田さんが、「猫飼いたい」とTwitterに書き込んでいた。宇多田さんのことはフォローしていないのですが、私がフォローしている誰かが、RTしたのか、いいね、したのか知りませんが、偶然その書き込みを読んだ。

宇多田さんがアーティスト活動を中断しはじめるときに、その理由を知り「やはり、そういう人なんだな。復活して心に染みる歌を作ってくれるんだろうな」とおもった記憶が蘇りました。

そして、反射的に以下のコメント書いた。

==============
突然失礼します。
原発災害で人が暮らすことが許されなくなった場所で保護された猫を迎えていただけたらと願います(お子さんのことを考えると難しいと思いますが)。
日本のこと、生きること、生き続けること、人のこと、人と共に生きている動物のこと、そんなことを感じ、考えるようになりますから。
==============

一人の人(勿論本人ではない)から「いいね」をいただいただけのコメントとなっていますが、もし、宇多田さんがおばまのような猫を迎えて日々暮らしてくだされば、きっと今までの以上の歌を作ってくれるだろうなと、おもったことは事実です。

 

それから数日経ったときのこと。
タブレットで Twitter を立ち上げたら、宇多田さんとフォローしませんか、という感じのメッセージが出てきた。そして、私がフォローしている人の中で、宇多田さんをフォローしている人が数人ピックアップされていた。

その先頭に出ていたのが、佐久間さんだった。
言葉を失った。
二人とも計算しつくしたような基礎の上に、他の人が真似できないようなプレイをのせてくるやり方は似ていると思うのですが、交わることはない存在だとおもっていた。先頭に出てくるのは(その数人の中で)きっと最もやりとりがあった人なのだろう。

もしかしたら、一縷くらいの望みをもってもいいのかも、とおもってしまった。
そしてここに書込んでいる。

  

もしかしたら、佐久間さんも空の上で私と同じことを考えているのかな。

とにかく早川さんには復帰をしてほしい。

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2019年4月 7日 (日)

砧公園の夜桜

昨日(2019年4月6日・土)、女房が「砧公園は花見の人で混雑していたって」と誰かからか話を聞いてきた。

ふとおもった。
砧公園の半分以上はファミリーパークとして区切られ、とても広い芝生の公園となっている。そこに桜の木が数多く植えられている。珍しく、枝が地面すれすれまで垂れているものも多い。きちんど横に広がってだ。お花見の時、座っていても(上を見上げずとも)視線に桜が入ってくる。
そして、ファミリーパークは夜も閉鎖しないし、ジョギングの人も来るので、ある程度の照明がある。
であれば、夜桜見物に来る人も多いのでは?、とおもった。

夜、行ってみた。
駐車場に入れないのではないかという心配をしながら車で行ってみたが(ガラガラではなかったですが)結構空きがありました。
駐車場から歩き始めると(臨時の)仮設ゴミ置き場が設置されていた。ゴミが溢れるほとでもない。皆さん、持ち帰るのが当たり前になってきているのだろう。
 20190407a  20190407b_1

てくてく歩いてファミリーパークへ。
照明があるといっても暗い。

桜の木の周りに、こちらに人の気配、あちらにも、、とポツン、ポツン、と人の塊の影が見える。
もちろん各自明かりを用意してきているので、それで人の塊が分かりますが、無ければ見えないかもしれない。それくらいの照明しかありません。

 20190407c  20190407d

右上の写真は望遠などは使っていません。顔の真ん前まで桜が垂れ下がってきています。

ここで自分も花見(宴会)をやりたいかと問われたら、「暗さと他の人の少なさ(寂しい雰囲気)でやりたくないな」と。
闇鍋などスリリングな宴会をしたい人や静かに夜桜を楽しみたいカップルなどはいいかもしれません。闇鍋が行われていたかは分かりませんが、カップルで桜を見て歩いている人たちはいました。

 20190407e  20190407f

直ぐ上の写真、右側の明かりの点いた建物はトイレです。広い公園なのでこのようなトイレが何箇所かあります。
こんなこともあり、夜桜見物にはいいかなとおもったのですが、やはり本格的なライトアップがないと、暗いし人も集まらないしで、気分的に「やろう」とならないことが分かりました。

 

来年は昼間に敷物を持って行ってみたいなと、当たり前のことをおもったりしました(笑)

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2019年3月19日 (火)

淡々とやっていられない時代(その3:文字コード)

「犬とゆく」を20年以上続けている。
20年前といえば、Windows98 の頃である。「パソコンといえばMS-DOS」の時代は終わったとはいえ、多少引きずっていた。ファイル名は8文字.3文字でないと誤動作するプログラムがあったり、ハイホンやスペースが使えなかったり。なので未だに「犬とゆく」のhtmlファイルの拡張子が「htm」なのです。

その程度ことは可愛いもので、この10年くらいは諸々の進歩が速い。気が付いたときには、「照れ笑いして誤魔化すしかない」状態になっていたりする。

笑って誤魔化しても表示されればいい。中身を見られて「ここまでド素人なのか」と思われるのは当然のこと。しかし、表示されなかったり、文字化けして読めなかったりしたことが何度かあった。

その原因のほとんどが、文字コードによるものだった。

私が本格的にパソコンに触れるようになったのは、30年ちょっと前くらいだろうか。バブルの頃にプログラマーという仕事をしていた。もう少しでシステム・エンジニアと呼ばれてもいい領域に入りそうだったが、体がもたなかった。

その頃のパソコンは、世界的に見れば、アメリカ中心で言語は英語。アルファベットが基本。日本語なんて日本人しか使わないし、世界中がネットで繋がっている世の中ではなかったので、自分の所のことだけ考えていればいい時代だった。

英語を表現するには、16進数で 0x00 から 0xFF までの256個の数字で表現すれば良かった。大文字小文字のアルファベットと数字と幾つかの表示できる記号と表示出来ない記号、制御文字などが、256で収まっていた。

コンピューターの本場の人たちは日本語のことなんて考えてくれる必要もない。なので、日本語対応は日本で考えられた。そして、一般的に使われるようになったのが、Shift JIS と呼ばれるコード。今でもこれや、これとちょっとだけ違うものが使われている。

 

日本国内の利用であれば、これらで良かったのですが、世界が繋がるようになると、海外のパソコンでも日本語を見たい人が増えた。日本に暮らしていても、英語以外の文字で作られたサイトを見る人も多くなった。
そして出来たのが、Unicode という文字コードで、現在はこれが主流になっています。 UTF-8 というものが日本でも標準になっている。

UTF-8 が主流になりつつあった時点で千以上のページを作ってしまっていたので、変えることは出来ず、今に至っています。

ちょっと詳しい人にこれを知られると、「生きる化石?」と思われてしまうが仕方ない。


何を思われても動けばいい。しかし、急に動かなくなったり、文字化けを起こすようになったこともあった。

一つはブラウザが、文字コードに対して厳格になった時期がった。
昔は、Shift JIS で書いておけば、どうにか処理してくれたものですが、その後、UTF-8 が標準になり、Shift JIS で書いた場合は、しっかりその旨を書かねばならなくなり、書き忘れていたりすると、文字化けしてしまった。

さらに、フルページ・モードを動かすための PHP というプログラム言語もバージョンを上げる度に、日本語処理の仕様を変えてきて、急に不具合が起こることがありました。
しっかり、仕様変更を勉強して対応すべきなのですが、そこまでやっている余裕がなくなってきました。

世の中、昔のやり方で淡々と続けられなくなりました。世界標準が変わってしまう。今まで表示されていた html が文字化けしたり、PHP が正しく動かなくなったり。長年やってきた方法では許してくれない。

こんな愚痴っぽいことをダラダラ書いて何を言いたいかというと、以上のような問題で「犬とゆく」が続けられなくなることが、遠くない将来ありそうだ、ということです。

急に辞めざるを得なくなったときの言い訳をしておいたようなもの

 

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2019年3月18日 (月)

淡々とやっていられない時代(その2:JavaScript と HTML)

名前が変わる前の「犬とゆく」が始まったのは、1990年代後半。やっとインターネットを使う人が増えてきた頃。ネットに繋ぐときに「ピ~~~、ガ~~~~」と言わずに高速(当時基準)でネットを閲覧できるようになり始めた頃。つまり、ADSLが普及し始めた頃。

当時、JavaScript と類似品(?)との間に多少の違いがあり、ブラウザによる動作の違いも大きかったので、使いませんでした。主要な動作で使うようになったのは、フルページ・モードを作った頃(2005年頃)だと記憶している。

投稿されたページに写真がある場合、クリックすると大きな写真が表示される。そこで使うようになったのが、その頃だとおもう。

前置きが長くなりましたが、今更ながら 「こんなの必要なくなったんだ」 と気が付いたこと、幾つか。

 

・ head 内に以下の一行を記述
----------------
<meta http-equiv="Content-Script-Type" content="text/javascript">
----------------

HTML は(勿論?)5ではなく、4.01 なので、作法上これを入れることが正しいのですが、今のブラウザは無くても動きます。

最近は、head 内に SNS関連の記述をすることもあるので、余計なものは入れたくありません。なので入っていたり、なかったり。

 

・ HTML に埋め込むとき
----------------
<script language="JavaScript">
<!--
-- ここにコード --
// -->
</script>
----------------
としていた。

しかも先頭とその次、最後の二行は、行の頭に持ってこないとならないというルールがあったようで、「犬とゆく」内では、全て行頭に寄っている。

ちなみに、HTML5 では
----------------
<script>
-- ここにコード --
</script>
----------------
だけでOK。今のブラウザなら、HTML4 系 で書かれたものでも動く。
行の頭にもってくる必要もない。

タグのことは今でも書かれている(説明ページがいっぱいある)のですが、
<!-- ~ ・・・・ ~ // --> についての記述がされているのを見たことがない。昔過ぎる話なのだろう。
このようなとき、「浦島太郎な私」とおもわずにはいられない。

コードをいじるなんて、一年に一回くらいになっているので当然かも。

HTMLのソースを見ていたら、タグが大文字で書かれているものがあった。HTMLであれば間違えではないが、わざわざ大文字で書く人もいないだろう。
大昔はソースを見易くしたいために大文字にするという考えがあった。その後、タグは小文字で書かねばならない XHTML が登場したことも、小文字することが一般的になった理由の一つだとは思う。
今は、ソース(特にタグ)をしっかり見ることもないし、ソースに入力する文字数が多くなったので、大文字にすることは面倒なだけだ。

HTMLといえば、冒頭に書く <!DOCTYPE ・・・・・・ > を書き間違えていたら、ある日突然表示が崩れてたことがあった。入れ忘れていたり、違うものを入れていたりしていた。それまでブラウザは優しく対応してくれていたのに、何故か急に厳しくなった。

この10年くらいからだろうか、規格やルールが変わるスピードが速い。突然厳格になったりする。それが原因で表示がおかしくなっても、咄嗟に対応出来ないこともあったが、大事に至ることはなかった。どうにか動いてくれていたり、1日かければ対応できていた。

それらは、JavaScript や HTML 上のことだった。
それら以外のことで、動かなくなったり、文字化けして使い物にならなくなることもあった。次回は、そんなことを書きたいとおもいます。

 

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2019年3月 2日 (土)

松任谷家が犬を迎えたときの話

ラジオを聴いていたら、松任谷正隆さんの声が聞こえてきた。「ブログを書こうをおもったんだ」と思い出し、そのためにとっておいた、JAFMateをひっぱり出してきた。
(急いで書いたので、ヘンな個所があるかも。後から所々書き直すかも。)

JAFとは長い付き合いですが、2年前くらいからJAFMateで連載されている2つのコーナーが好きで、よく読むようになった。

一つは「幸せって何だろう」。毎回違う著名人が幸せについて語る。幅広い人が書くので興味深い。単純に年齢だけを考えても、若い人は「今」の中から探し、高齢になってくると昔の幸せ体験の話になることが多い。

そしてもう一つ私が好きな「車のある風景」が松任谷正隆さんの連載。
車の話なのですが、ちゃんと「落ち」を用意してくれている。最も記憶に残っているのは、結婚前の奥様と隠れるように車の中デートを重ねていた。ある時、納豆スパゲティーを持っててきてくれたのですが、それを車の中にぶちまけてしまい、とんでもないことになったという話。

 

最近掲載されたものは「犬に振り回される」。興味深く読ませていただいた。
とても簡単に紹介するので誤解を与えてしまうかもしれません。細かいことはスルーしてくだい。概要は以下の様な感じ。

 

結婚してすぐの話だそうです。
一頭の犬を迎えた。一頭では寂しいとおもいもう一頭迎えた。
後から迎えた犬が、迎えてから一週間目の朝、植木鉢の上で冷たくなっていた。

もちろんその犬を迎えたショップに電話を架けた。その対応に不満はあったが、ペットロスは収まらず、また犬を探してくれないかとお願いする。
探してもらっている間に犬種団体の存在を知る。そことやり取りをした結果、犬の流通のブラックな部分に遭遇する。そして自力で犬を探すことを決意する。

業者の人の手を借りず、今のようにネットで情報を得ることも出来ない時代に。まずは紙媒体で情報を集める。犬種団体を知ったのも厚い図鑑の終わりの方に載っていたとか。

そして、あるブリーダーと知り合う。週一でそこに通って色々と教わったそうだ。
犬を譲る条件は「チャンピオンにしてやってくれ」。つまり、ドッグショーに出してやってくれ。

 

(ここから松任谷家の記事から離れます。後で戻ります。)

ドッグショーを知らない人は、「お金をかけて着飾るように仕上げた犬が勝つんでしょ!」と言うことがあります。犬が全く同じであれば、そうだろう。しかし犬は生まれた時から違う。人間が一人一人違うように。
それを良く知っているのがブリーダー。細かい違いが分からなければ健康な犬を産み出すことは出来ない。なので、犬の世話についてもきめ細かい。若かりし日の松任谷ご夫妻はそのようなことを学んだようです。

たしかにドッグショーは、ある程度の誤魔化しやハッタリのようなことも行われる。実際に足を運ぶことで、どのようなことが行われるのが見て知ることができる。
これが分かるためには、犬の体のことを勉強しなくてはならない。大した勉強でもないですが、数多くの犬を同じ動きで見ないとならないので、本やネットでは難しい。

ドッグショーに行き、犬の体について色々と気付き、ショー会場や関連の場所で多くの飼い主さんと知り合い、様々な犬との生活の在り方を知ると、犬がどれだけ人に寄り添ってくれているのか分かるようになる。

松任谷家がこの犬を迎えて気が付いたことは、しっかりとした性格であるということ。チャンピオンになれる犬というものは、そうでなければならない。
多くの人に囲まれたリングで動じず、ハンドラーの指示に従い、ジャッジに触られたりする。その間だけでもお行儀よくしなければならない。チャンピンになるには、何回も勝たなければならないので、まぐれでは駄目なのだ。お行儀よいことが身についていなければならない。

このようなことに気が付いてくると、ブリーダーという仕事は大変そうだなとおもうようになる。普通の感覚の(お金を儲けるための)仕事では無理なことに気が付く。
体のことだけでも数多の要素がある。それらについて完全にクリアすることは不可能だろう。さらに人間と暮らすための相性のようなものも含めると(完全は無理なので)、もう「好み」になってくる。

最近、繁殖業者のことが議論になることがあるが、このようなことが議論されることがほとんどない。飼育環境さえよければOKのような風潮がある。私はそれに恐ろしささえ感じている。
犬のことを語る人の中に、体のことだけでも数多くのチェックポイントがあることを知らない人がいる。それが露呈していることにさえ気づかない人も。

 

(松任谷家の記事に戻ります)

少々引用
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犬を連れてあちこちのデパートの屋上に行き、ドッグショーに出した。最後のポイントを獲得したのは京都のデパートであった。これで普通に暮らせるね、なんてかみさんと話ながら犬を後席に乗せ、帰途についた。
----------

ドッグショーの多くは週末や休日に行われる。松任谷ご夫妻の仕事のことを考えると、ブリーダーとの約束とはいえ無理をしたのだとおもいます。それだけの価値があると感じられたから続いたのだとおもいます。

続きの文章を印象します。以下の文で、このコラムは終わります。
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黒い犬は後席背もたれの後ろの指定席へ。東名高速を走りながらバックミラーを見ていたら、夕日の中にシルエットになった新チャンピオンは、むっくり起き上がり背中を丸めた。「やめろ!」と叫んだが、もちろんやめてはくれなかった。
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コラムの構成としての「落ち」ですが、一緒に暮らしていて楽しい犬とは、こういうこともあるとおもいます。人前ではお行儀よく、家で家族の中ではしっかり自分を主張する。
「やめろ!」と叫びましたが、「自分たちも大変だったけど、お前も大変だったよな。お疲れ様」という気持ちもあったとおもいます。

幾つものショーに出たという大変な体験を通して、お互い理解を深め合ったこともあるでしょう。その区切りにこのようなことをしてくれる。

私は、こういう犬が「いい犬」であり、「いい犬との関係」だとおもっています。

 

(松任谷家の記事とは関係ない、私の考えていること)

犬の細かいことを知り、自分の生活スタイルも分かった上で、犬の好みの話をしたい。「私の感覚はこうで生活スタイルはこうだから、あの犬種のこういうタイプが好き」というような話だ。

マスコミで犬のことをあれこれ語っている人が書いていることを読んでいても、犬の細かいことも人間側の生活スタイルの話も読み取れることがほとんどない。
こんな情報ばかりでは、犬との生活を楽しむ人が増えることは難しいのかもしれない。そもそも、そのようなことは紙媒体でもネットでも伝えるのは難しいのだろう。

松任谷ご夫妻はペットロスを経て、業界のブラックな部分を知った後に、ブリーダーと知り合い、色々なことを教えてもらい、そしてショーに通った。
そこで、幾つもの出会いがあったこととおもいます。実際の犬も見て、人と話をする。ビデオなどではなく実際の犬と、その犬と生活している人と話をする。

これが犬の勉強の基本なのではないかとおもっています。
色々な飼い主さんと話をすると、色々なことを試す人たちに出会います。トレーニング、日々の食事や散歩の仕方、獣医療などなど、色々なやり方があり、そこに辿り着くまでの紆余曲折を聴くことができることもあります。

そういうことをやってきた人間からすると、世間で注目されている先生の中には「この人、日常では犬とどれだけ向き合っているのだろうか。たぶんこの人が考えている理想の犬との生活なんて、自分には物足りな過ぎるだろうな」と思わずにはいられない人が少なくない。

 

犬は人間に寄り添ってくれます。人間の生活を豊かにしてくれます。
それに気づき、より生活を豊かにすること(それは犬にとっても喜びだろう)を目指す人が、一人でも増えることを心から願っています。

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2019年2月20日 (水)

インフルエンザ ~ 大人喘息?

自分の健康のための備忘録。
(たぶん)インフルエンザに感染して、(たぶん)インフルエンザが治ったとおもったら、女房がインフルエンザに感染したと診断される。私は高熱などの症状は治まったものの、咳と怠さが残る。

インフルエンザの症状があまりに辛かったのでメモをとっていた。その後も「何故、咳が止まらない」とメモをとっていた。それを自分の備忘録としてまとめておきます。

 

1月19日(土)
仕事で打合せ。この季節は人前でもマスクをするようにしているのですが、このときはしていなかった。

1月20日(日)
喉が痒いような。
そしていがらっぽくなり、少し咳が出るようになる。
痰が切れないような感じ。

1月21日(月)
午前中 仕事で外出。
帰宅し、14時頃、土曜日に打ち合わせた人と電話で連絡。
土曜日私と打ち合わせた後からインフルエンザの症状が出て
現在寝込んでいるとのこと。後日、インフルエンザAと診断
されていたことを聞く。
咳のことなどあり自分もそうなのかもとおもうようになる。
(夜)
咳が多くなる。何故か眼球とその周り(こめかみなど)が痛む
体温を計ってみる。 36.8度(平熱は36度弱)

1月22日(火)
主な症状は、眼球とその周辺の痛みは増す。
倦怠感が増してゆく。倒れるように寝ていた。
(夜) 38.8度
インフルエンザと考えたが、体も気持ちも動かず病院にいけない。
女房に、ゼリー状の水分&ビタミン等を補給できるものを買ってきてもらう。
これで一時的に調子が落ち着くことが分った。スポーツドリンクも常備する。

1月23日(水)
(朝) 37.2度 (昼過ぎ) 36.7度
体調も楽になり、昨晩の体温は一時的なもので、
やはりインフルではないと考え病院に行かなかった。
(昼)ヨーグルトを口にしたら「苦い」と感じた
昼過ぎ、36.7度。やはりインフルではないと考えるが動けない。
咳は時々、鼻水もときどき。ひどい時もあった。
思考能力は明らかに落ちている。何も出来ない

1月24日(木)
(朝) 37.3度
火・水、と昼食を食べることが出来なかったがこの日は食べた
ゼリーやスポーツドリンクのお陰か、少し落ち着いた感じだが
休養することに努めた。
(16時頃) 37.0度
倦怠感、若干の筋肉痛や関節痛、頭痛など。
咳や鼻水は落ち着き傾向。

1月25日(金)
(朝) 36.0度
だいぶ体調(思考能力含む)も回復、洗濯をする。
久しぶりに布団を上げる。
(11時) 36.8度
昼食を摂る。
用事があったので外出。
発熱があってから48時間経過すると薬は効かないと聞いて
いたので、病院には行かなかった。
帰宅後、部屋が埃っぽいこと感じたので掃除。
掃除機の埃の処理をしたら、呼吸困難の時の様な息苦しさ。
動きが止まる。
(18時) 36.2度
息苦しさあり。
晩ご飯後、ダラダラとネットサーフィンをしていたら、
急に眠くなり、倒れるように少し眠る。
(25時) 35.8度

1月26日(土)
(朝) 36.2度
体調はほとんど元に戻った。
ときどき胸に息苦しさが残る。
健康時と変わらない感じで家の中で過ごす(外出なし)
ほとんどパソコンに向かっていた(仕事が忙しい季節)。
(22:30) 36.0度

1月27(日)
(朝) 35.5度 (これくらいが平熱)
体がなまっている感じがしたが大事をとって家で過ごした。

1月28日(月)
少し運動した方がいいと考え、ドン・キホーテ
(徒歩10分ちょっと)に行ってみる。問題なさそう。
(17時過ぎ) 35.8度

1月29日(火)
(朝) 36.0度
平熱はもう少し低い。
何か運動を、と考えたが、歩く距離が長いと
よくないと考え、下高井戸シネマで「教誨師」を観る。

1月30日(水)
(朝) 36.8度
微熱が出始める。
体調的には良くも悪くもならない感じ。
咳が出る、胸が苦しい、痰が出きらない感じ。

1月31日(木)
(朝) 36.0度
体が少し軽い感じ。
午前中、女房からメール
体調悪いので早退 → 病院に寄る →
インフルエンザAと診断される → 昼近く帰宅
夜、友達に誘われて、浅草に落語を観に行く。
咳込んだら友達が飴をくれた。それを舐めたら
溶けた飴がヘンな所に入ってゆき余計に苦しくなる。

その後
体調は、普通だったり怠い日があったり。
体温は、36.5~37.0度くらいを行き来する。
咳が止まらない
まさかとおもうが、インフルエンザだったら
他の人にうつすといけないので外出は控える。
咳が全く減らず。胸は苦しく感じる。
この間、仕事が忙しく、病院は後回し。その後、
仕事も一段落ついたので、病院へ行く覚悟を決める。

2月19日(火)
呼吸器専門医のいる病院へ行く。
好酸球呼気NO測定とかいうものをやったら、
結果が26だったのでアレルギーっぽいって
ことになりました。
胸のレントゲンも撮りました。
咳が出続けるほどの影などは見えないとのこと。
「では、他人にうつらないですよね?」と確認したら
「そうですね」と言われたので安心して外出することに。
咳止めの薬が3種類出ましたが、量は最低限のようです。
(私が理解した先生の診立て)~~~~
インフルエンザは喉やその周辺にダメージを与える。
その辺りがやられているときに、アレルギー的な
症状が出始めたのだろう。喉のダメージが治まれば
治りそう。なので咳止め。
~~~~~~~~~~~~~~~~~
薬についてはプラシーボ効果も期待しているのだと
おもい、それに応えるよう「咳は治まる」と自分に
言い聞かせる。
19日の晩御飯後から薬を飲む。
夜遅くから、咳の数が減ったような気がした。

2月20日(水)
季節外れの暖かさ。四月くらいの陽気とラジオで言っていた。
少し歩きたかったので「るぴなす」(徒歩10分弱)で昼食。
今までのことを話すと「それって大人喘息っていうんですよ。」
と教えてくれた。
帰宅後、調べたら確かにそんな感じだ。
夕方以降、咳は随分と減ってきましたが喉は痒い。
咳を出さないように気を付けているから出ないだけかも。
取り敢えず、これで改善に向かうと信じる。
信じることで治してみせる!!

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2019年2月 5日 (火)

猫の殺処分数@東京都

私のブログはいつでも広く一般の人に向けて書いているつもりです。
そのことをご理解の上、読み進めていただくようお願いします。

 

この何年かで、「殺処分数ゼロ」という言葉を耳や目にすることが出てきたとおもいます。この言葉の意味は何なのか?

動物のことに限らず、行政が発表する数字を理解するにはややこしいことや風評などが絡まり合っている場合があります。そんな説明だとおもってください。

ただし、ここに書かれていることは、東京都の猫に限った話です。

 

私の頭に入っていた「噂」。
(犬猫合わせた)殺処分数は昭和の頃に比べると著しく減ってきましたが、子猫の数はまだまだ多い。季節により多く持ち込まれることもあり、人手もまわらず仕方のないことである。とはいえ胸が痛む。
これを解決するには(対応の問題にするのではなく)、飼い猫も地域猫なども避妊去勢手術していただくしかない。そのような情報を広めるしかない。

(参考)
昭和の終わり頃まで、犬猫合わせた殺処分数は、約100万頭。
平成29年度は、4万3227頭だそうだ。(参考ページ

 

そもそも「殺処分数」って、な~に?
大昔、狂犬病予防法による「犬抑留所」、その後「犬を捕まえる保健所」とか言われ、今では動物愛護センターとか呼ばれる施設(現在、東京では「動物愛護相談センター」)に持ち込みや捕獲依頼で収容された犬や猫の内、施設内で死亡した数、とおもってだいたい間違いないです。

 


さて、私の勘違い。

東京都が公表している数字に以下のものがあります。
(平成29年度に、収容中に死亡したもの及び動物福祉の観点から致死処分をしたものを除いた殺処分数は)犬は0頭、猫は16頭
それに対して(全てを含めた致死処分数は)犬15頭、猫439頭

こちらにもその数字がでています(微妙に数字が違うのが気になりますが、私が見たものは上記の数字です)。

 


今出てきた、殺処分致死処分という単語について説明しておきます。

国のルール(総理府告示の「動物の殺処分方法に関する指針」というものや環境省統計のルール)では、全て込みで「殺処分」とする、となっています。

しかし、この5年くらいでしょうか、「殺処分ゼロ」とか云う言葉を見聞きする機会が増えてきました。
しかし、息も絶え絶えの動物が収容後に息を引き取ったものも含めるこのルールだと「殺処分ゼロ」は実現不可能です。
そこで東京都では、それらと、健康だけど(設備や人員などの関係で仕方なく)息を引き取ってもらうことになった動物の数を分けよう、となった訳です。
健康だけど...の数を殺処分数。それらも含めて全てを含む数(=国の数え方)を致死処分数、とすることにした。

 


話を戻します。平成29年度、東京都の猫の話です。
殺処分数16頭、致死処分数439頭

私の勘違い。
「多くの子猫が殺処分されていると聞いている。16頭では全然多くないし、致死処分数が多すぎる。これはきっと何か誤魔化しがあるのではないか!」

と強い疑いを持った私は、東京都の窓口に質問しました。


東京都の引取りの基準の基本は、「自活出来ている猫は引き取らない」があります。

引取る猫のほとんどは、自活出来ないほど健康に何らかの問題があるとおもっていいらしいです。
子猫は特に、状態が良くない場合も多いし、収容までに時間がかかり、その間のケアが適切でないと命を落とすこともあるらしいです。

つまり数字には何も間違えも誤魔化しもない、ということでした。

そのように聴かされても、年間400頭以上もの猫がセンターの中で命を落としたり、そうした方がベターだろうと判断されている現実を直ぐには受け入れられなかった。

 


わざわざ東京都の窓口に電話を架けて質問をしたのには理由があった。
その夜、その数字についてボランティアで知り合った人たちと話をする予定だったから。

その話の中で次のようなことも分かった。

(先にも書きましたが)引き取るのは自活出来ない(そのまま放っておいたら死んでしまうだろう)状態でなければ引き取らない
このことは知っていましたが、どこまで厳格にやっているのかは知りませんでした。具体的なことは書きませんが、「その状態でも引き取らないの?」という実例も聞きました。

これが基本なので、子猫の場合も状態が悪くて保護しますが、持ち込むまでのケアが少しでも足りなければ死んでしまうことは珍しくないそうです。

ちなみに、東京都で「子猫」「成猫」の区別は、自分で食べ物を食べられるようになったら「成猫」としているそうです。つまり、母猫から離れたら成猫扱いみたいです。

 


ここまでで、一度まとめます。

国のルール => 施設に収容された動物が原因を問わず死亡した数全てを殺処分数にカウントする

東京都のルール => 国が殺処分数と呼ぶ数を致死処分数とする。そこから収容中に死亡したもの及び動物福祉の観点から致死処分をしたものを除いて殺処分数とする。

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東京都の猫の収容基準 => 自活出来ない状態であることが条件(または余程のやむをえない事情がある)

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以上の背景があるので、年間400頭以上の猫がセンター内で命を落としたようです。

 

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ここまでで、言葉としての「殺処分数」については、ご理解いただけたとおもいます。

 

この先は、「400頭以上」 について考えてゆきます。

 


少し冷静になって数字を見直すことにしました。

東京都が今の区分で数字を公表し始めてのは最近で、たぶん、平成27年度から。
その数字はこちらにありました。
致死処分から殺処分を除いた数字は、27年度で約600頭で、28年度、29年度と減っていることが分かります。

 

27年度以前は、このように分けた数字がありませんので総数で見てみる。

ネットですぐに見つかる資料として、こちらがあります。昭和55年からの数字です。犬と猫が分かれていませんが、平成12年(西暦2000年)でも(東京都だけで)一万頭以上であることが分かります。

私の手許にあってすぐに見つかった資料で平成14年の数字がありました。

現在でいうところの致死処分数(当時は殺処分数と表示)
(総数) 11,190
(犬)     980
(猫)   10,196
(うさぎ)   14

猫だけで(東京都だけで)1万頭以上だったのです。

この頃は「自活できない猫のみ」のルールがなかったか厳格ではなかったのだとおもいますし、現在ほど「室内飼い」の理解は進んでいなかった(進み始めた時期だとおもいます)ことも関係しているとおもいます。

昭和50年台は(犬猫併せてですが)5万頭以上ですから、一万頭でも随分と減ってきていることになります。

そして平成29年度は(私が見た資料では)439頭。

東京都の広さや、室内飼いがまだまだ徹底しきれていない点、明らかに飼い主がいない(常時外で暮らしている)猫もまだまだいることなどを考えると、439頭はおかしくない範囲に入りそうです。

 


おまけ的に数字を見ていておもったこと。

よく「子猫の致死処分数が多い」と耳にすることがあります。
(東京都が公表している致死処分数に子猫・成猫の区別がありませんが、他の数字から想像というか逆算すると、東京都の場合)、子猫と成猫の割合は半々に近いようです。

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(参考)
29年度負傷動物として収容された子猫は24頭、成猫は291頭。
拾得者からの引取りでは、子猫が353頭、成猫が3頭。
所有者からの引取りは、子猫9頭、成猫31頭。
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譲渡の数は、子猫が192頭、成猫が55頭。
返還の数は、子猫/成猫の区別がなく22頭。
そして、致死処分が子猫/成猫の区別がなく439頭。

これらを見て、職員の方のお話し、猫の活動をしている人の話が感覚的に理解できてきました。

東京都では、基本的に命の危険があるくらいでなければ引き取らないので、殺処分以外の致死処分数がある程度あることをやっと理解できました。

そして東京都で言うところの「殺処分数」がゼロに近づいていることを歓迎すると同時に、国が言うところの「殺処分数」、東京都が云うところの「致死処分数」もゼロに近づいてくれればと願ってしまいます。


それには、やはり猫を外に出さないことしかないのではないでしょうか。
それと、避妊去勢を広めること。

 

 

最後に。

以上の内容を理解するまでに、お忙しい中ご協力してくださいました方々には、この場を借りて、お礼申し上げます。
ご多忙中、お付き合いいただき、ありがとうございました。

「子猫の殺処分数が多い!」との噂からの思い込みで、ご多忙の方々のお時間を頂戴したことを申し訳ないと反省しております。
私と同じことをする人が一人でも減るように、また、東京の猫の現状を広く一般の方々に知っていただきたい気持ちから、これを書きました。

今一度、私たち人間と猫との関係の在り方を考える機会になれば幸いです。

 

個人的な感情として、外で猫を見ることが出来なくなることは寂しいことです。
私が子供の頃(前の東京オリンピックの直後くらい)と今とでは、町の中の風景は全く違います。これから町の中で猫の姿を見ることが難しくなることは、時代の流れの一つとなるのだとおもいます。

私たちは町中で健康な猫の姿を目にしますが(子猫・成猫に限らず)病気や事故などによる怪我で苦しみ、命を落とす猫も多いということが、猫たちを助けようとする人たちの活動で明るみになってきたと、上記の数字から私は理解しました。

この問題に多くの人が関心を寄せて、誰もが一度は考えていただければと、願っています。

 

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

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2019年1月 7日 (月)

夜ノ森駅

今日、福島の方から以下の YouTube を教えていただいた。
https://youtu.be/hgZyB3NJ-Go

ばまちゃんが捕獲された夜ノ森駅の最近の映像だ。

私はシェルターに通っているときに一度近くまで行ったことがあるだけだし、駅の間近までは行けなかったので、駅舎や駅前ロータリー、連絡通路の形などの記憶はほとんどない。

上記 YouTube を見る限り、随分と綺麗になっている。
私が訪れたのは初夏で、斜面には無秩序に草木が生い茂り、ホームがよく見えないような状況だった。

この動画では(季節柄もあるとおもいますが)草木は綺麗に刈られている。
ホームも綺麗になっている。連絡通路がないし、他にも何かがあったとおもう。

 


見終わったら次の動画が勝手に流れるのが YouTube 。
流れてきたのが以下。
https://youtu.be/sK59rU6u0f0

動画の内容は YouTuber の方が夜ノ森駅を見に行った記録。
帰還困難区域は入れませんが、もしかしたら入れる所があるのでは?、とチャレンジしているため、辿り着くまで少々長いです。

動画内のコメントで気遣いが足りないなと思った内容もありましたが、レポートしてとても有難い内容です。
(動画内のコメントにもありますが)実際に行かないと、本当の感覚は分からないとおもいます。しかし、動画をあげてくださったことで、多くの人が興味をもってくださればと嬉しいです。

私が見た夜ノ森駅もこの動画にある駅の西側からでした。
昨年(2018年)三月には、未だ連絡通路やホーム上の待合室などがあったようです。


冒頭に紹介した YouTube から、現在は運転再開に向けて工事が進んでいることが分かります。

YouTube には紹介欄がありますが、そこに以下のサイトが紹介されています。
富岡インサイド http://www.tomioka.jpn.org/

トップページにある「更新情報」を見ると、夜ノ森駅の記録が幾つか。
(2018年)9月9日には、ホームの工事も一段落ついていたようです。
そして 2020年に運転再開予定らしいです(YouTuberの方の動画内で字幕が出ていました)。

 


私がこの駅に興味をもっているのは、ばまちゃんが我が家にいるから。
二つめに紹介したYouTubeを見て「気遣いが足りない」と感じたのも、ばまちゃんが我が家にいるから。

以前から思っていたことですが、東電の社員や原発を推し進めている人たちには、帰還困難区域で捕獲された犬や猫を一頭ずつでいいので、家族として引き取ってもらえればとおもっています。
それは簡単なことではないし、そうなったところでまた善からぬ結果になるケースもあるだろうから、あくまで「思い付き」的な話であり、現実として望んでいることではありませんが。

2020年、オリンピックの年に運転再開。
どんな形での再開になるのだろう。

複雑な気持ちです。

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2018年12月26日 (水)

久しぶりの豪徳寺 2018.12.26

年末だからか何かと忙しい。そんなとき、急に散歩に行きたくなる。
今夜はボランティア関係の忘年会のようもの。何気なく集まって近況報告の予定。昨年は、夜の集まりの前に豪徳寺にも行った。そのことを思い出し、豪徳寺に行ってきました。

豪徳寺には幾つかのお堂がありますが、どのお堂の中にも年末年始の準備と思われるダンボールが置いてありました。大晦日の夜は多くの人で賑わいます。(近くの世田谷八幡の方が凄いですが。)
今年は暖冬だからでしょうか、年末でも色づいた葉をつけたままの木が何本か。

2018122601  2018122602

いつも凄い数の絵馬がさがっていますが、今日はとても少なかったです。
お堂に近い方には日本語の絵馬が多かった。外のは諸々の外国語のものがほとんどでした。

2018122603  2018122604

招き猫の奉納所の看板の裏に「梅月」と書いてあった。
「そんな月、あったかな?」と調べたら「梅雨の月」で陰暦五月だそうです。ちなみに「ばいげつ」と読む。「梅つ月」は「うめつつき」で陰暦二月。

2018122605  2018122606


周囲の会話が耳に入ってくる。日本語が聞こえてこない。世界的な観光地になったみたいです。

今日気が付いたのですが、山門近くに自転車置き場が出来ていました。大晦日対応ですね、きっと。

2018122607  2018122608

ついでに、豪徳寺のちょっとしたお話。
猫以外にも井伊家縁の寺として有名ですが、その関係と言われている(詳しいことは分からないらしい)赤い門があります。この門の存在をしっていると効率的にお寺内を動けます。

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2018年12月25日 (火)

(読書感想文)ドン・キホーテ (下)

上と中で、概要と感想を書いた。
今回は、ふとおもったことを書いておく。

今の世の中にも、当時の騎士道物語のような存在のものがあるのではないか。それは、ネットからの情報。
そんなことが頭に浮かんだ。

ネットに物事の善悪の判断を問う人が多くなったという。
しかし(そのネットで)次のようなタイトルの記事も見た。
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ネットで質問し、期待するものは「答え」ではなく「共感」
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ドン・キホーテは騎士道物語の中に自分の理想の世界を見出し、そこに入っていけば、周囲の人たちは共感してくれると信じていたのかもしれない。
しかしそうはならず、現実の人間関係、村での立場はなくなってしまった。

ネット社会に自分の立ち位置を求めすぎる人たちは、顔と顔を合わせる付き合いにストレスを感じてゆくのではないか。最近では実店舗で買い物をするのが苦手な人が増えてきていると聞いたこともある。

昔はネット社会がありませんでした。人付き合いの基本は「顔と顔を合わせる付き合い」。なので、お中元お歳暮は直接届けた。盆暮れには親戚は集まり、職場では節目節目に飲み会があるのは当たり前。それが変わってきた。
それらが好きだった人は、それほどいなかっただろう。しかし当たり前の慣習になっていた。
今はこれらを行おうとする(行わせようとする)とハラスメントになりかねない。

(このような付き合いのない)ネットの中に友達を見つけることは当たり前になりました。友達でなくても、ネット上で意見を言い合う(←話し合いとはちょっと違う)こともあちこちで行われています。
それは良いことだとおもいますが、そこから導き出される結果が、顔と顔を合わせる社会での問題解決に必ず役立つものなのだろうか。
勿論、役立つこともあるだろう。しかし、そうでなくこともあるだろう。そうなったとき、本人がより辛くなるだけではないかと考えることがある。

 

ネット社会で得た(訊いた)世の中の常識により行動した結果、騎士道物語の常識により行動したドン・キホーテと同様の影響を周囲に与えることもあるのではないか、と頭によぎった。

20181225aこのようなことを考えるようになったのは、あの20数年前だ。
犬との生活は手間がかかる。しかしその手間以上の見返りがある。それを知ってもらいたいと願った。
知ってもらいたい人の多くは、(当時はネットが今ほど普及していなかったので)、書籍や一部の専門家と称していた人たちの言葉の中から、自分が共感できるものだけを選び出し、言い訳の理論武装のようにしていた。
勿論、何も改善されない。残念である。残念な生活が続くのは本人だけではなく、犬もだ。

これと同じことを今でも感じる場面がある。
ネットがこれだけ普及したので、その数は増えた。

 

ドン・キホーテは、1605年に前編が1615年に後編が出版されていますが、21世紀の現在でも「こういう人、いるな」と感じる内容となっていることに気が付いた。

名著と称される理由が分かったような気がした。

いつか、全6巻バージョンを読んでみたいとおもうようになった。

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