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2019年9月21日 (土)

見識と識見

※見識と識見の認識が逆ではないか?、とのご指摘を受け、改めて調べましたが正直なところ分からなくなりました。
とりあえず、以下の文章は「勘違い文章」として読んでください
はっきりとした違いは分かりませんでしたが、文末に参考になりそうなことを追記しました。「動物の愛護及び管理に関する法律」で使われるべくして使われたのだろうと思いましたが「たぶん、こうだろうな」程度のことしか書けませんでした。 m(_~_)m
見識と識見でお悩みの方は、文末をご覧ください。

 

何年前のことか忘れてしまっていますが、愛玩動物飼養管理士の勉強をしていて「動物の愛護及び管理に関する法律」を読んでいた。
その中に「識見」という言葉が出てくる。その条文は、末尾にコピペします。

ネットの中にある広辞苑で調べると、大した違いはないように書いてある。
なので「ふ~ん、じゃ、なんで逆さにするの?」と程度に思っていた。

最近、やなせたかし先生の「アリスのさくらんぼ」という本を読んだ。短編集といえばいいのか絵本なのか。絵と文がある作品集です。
ご本人もなんと呼べばいいのか悩んでいたら、誰かが「やなせメルヘン」と名付けてくれたので、そういうことにしているらしい。

この本の中に「識見」という単語が出てきて、改めて調べてみた。

 

本題に入る前に、この本の紹介。
幾つかの作品がり、目次には各作品の簡単な説明が書いてある。

正確に書くと「目次」とは書いていない。「表題と内容早わかりガイド」とタイトルがあり、その横には

とりあえず短い時間で立ち読みする人、あるいは手取早く内容を知りたい人、または読まないで批評文をかく人の為の親切ガイド、でなければ読む前の胸おどる予告編。

これを読んだだけでも、一つのことを幾つもの視点で見ようとする人であることが分かる。世の中には色々な見方の人がいることを常に意識している。

この目次のようなもののはじめに出てくるのが、本のタイトルにもなっている「アリスのさくらんぼ」。その「内容早わかりガイド」は次のようになっている。

たとえばビフテキを喰べながら動物愛護を説く人にこの一編を捧げる。

これを見て、読んでみたくなった。

本全体を一通り読んでおもったことは、どの作品も誰かがやっていることにどう見るかがテーマのようだ。

 

アンパンマンが出てくる作品もある。まだアンパンマンが有名になる前。
この本の「あとがき」の日付は、一九七三年十月 となっている。

タイトルは「飛べ! アンパンマン」。
アンパンマンは(本の中で)実在し餓死しそうな子供たちを救っている。顔を食べられたアンパンマンは「なくなってしまうが、何度でも生き返る」。彼の姿は「漫画を描く才能のある人間にだけしかみえない」。
この活動を知った主人公はアンパンマンのことをかいて編集者にみせるが「こりゃあ、ダメですよ。」と言わる。子供にみせれば「全然、面白くないや、」。

人知れず子供たちを救い続け、自分は何度もなくなってしまう。ほとんどの人はその姿が見えず、見えた人が他の人に伝えても悪口ばかり言われてしまう。主人公は考える。

君はいうだろう。
「だれもしらなくていいおれは好きでやっているんだ。おれがやらなくて誰がやるのかね」と。

やなせ先生が有名になった後、行政の仕事を格安または無償で行うこともあったと聞く。この話を読んでいて、そのことを思い出した。

 

この本の中で一番長いのが「はだかのワニ」。
ある夜、流星らしきものに運ばれ空からワニがやっきて、アル島でのんびり暮らしていた。そこに年をとったターザンがやってくる。昔のスターが大通俗娯楽冒険ストーリィを大熱演して見せる。純情可憐、素朴実直なワニはスターに憧れ、ターザンからレッスンを受ける。
そんなある日のこと・・・
洪水がやってきて流された先は街。そこで皮を剥がされ、はだかにされてしまう。はだかにされたワニと出会ったテンプラア博士は新種として発表し、テンプラアーノ・カキアゲーノ・ゾオルスと命名する。そしてワニはスターになる。

そこでの一節。

 国家としてこれを見のがすわけがない。現代では政治的識見よりも人気が先行する時代で芸能人が大臣になろうかという風ですから、たちまち国立ゾオルス記念館をつくってそこにはだかのワニを入れたのです。

この作品はそこそこ長い。皮を剥がされてしまうまでも、スターになるまでも、スターになってからの日々も丁寧に語られている。それはら誰にでも起こりそうな災難ですが、誰が悪いとは言い切れない。「そういう世の中だから」としか言いようがない。それにより、純情可憐、素朴実直に生きている者たちは翻弄される。ワニを通して現代社会の生きづらさを綴っている。

しかし、ラストは御伽噺的に幕を閉じる。話としてはまとまる。しかし「これは実社会に置き換えられないな」とおもってしまう。

それに対して、アンパンマンは終わらない。
先ほど引用した行に続き、次のような一文で作品は終わる。

 しかし、おぼえておいてほしいんだ。世界中でたったひとりぼくだけは熱烈な君のファンだよ。たとえ誰もよろこばなくても、編集者は反対しても、ぼくは君の物語をかきつづけるよ。

先にも書いたが、この本のあとがきの日付は「一九七三年十月」となっている。現在、誰でもしっている「それいけ!アンパンマン」は、1975年に出版される。

 

(やっと結論)

「はだかのワニ」をお話の構成上まとめ上げるために、完全に終わらせる形をとったのが作家としての「見識」によるもの。
アンパンマンを(物語の終わりらしく)終わらせず、書き続けると意思表示したのが人としての「識見」。
こんな感じなのだとおもう。

Google で「見識と識見の違い」で検索すると幾つも出てくるが、中には広辞苑のことから「大して変わらない」と書かれているものもある。
「違うんだ」と書かれているものとして以下を紹介しておく。
https://senemon.exblog.jp/15673000/
小説や文学作品で使われている箇所を抜粋しているページ
http://kotoba.quus.net/syousetu/%E8%AD%98%E8%A6%8B/

 

冒頭に書きましたが、私が「識見」に興味をもった「動物の愛護及び管理に関する法律・第三十八条(動物愛護推進員)」をコピペしておきます。
======================
動物の愛護及び管理に関する法律
第三十八条(動物愛護推進員)
都道府県知事等は、地域における犬、猫等の動物の愛護の推進に熱意と識見を有する者のうちから、動物愛護推進員を委嘱するよう努めるものとする。
2 動物愛護推進員は、次に掲げる活動を行う。
一 犬、猫等の動物の愛護と適正な飼養の重要性について住民の理解を深めること。
二 住民に対し、その求めに応じて、犬、猫等の動物がみだりに繁殖することを防止するための生殖を不能にする手術その他の措置に関する必要な助言をすること。
三 犬、猫等の動物の所有者等に対し、その求めに応じて、これらの動物に適正な飼養を受ける機会を与えるために譲渡のあつせんその他の必要な支援をすること。
四 犬、猫等の動物の愛護と適正な飼養の推進のために国又は都道府県等が行う施策に必要な協力をすること。
五 災害時において、国又は都道府県等が行う犬、猫等の動物の避難、保護等に関する施策に必要な協力をすること。

 

==========

(以下、後日追記)

先に「識見」について以下のページを紹介しました。

小説や文学作品で使われている箇所を抜粋しているページ
http://kotoba.quus.net/syousetu/%E8%AD%98%E8%A6%8B/

同様に「見識」が使われている箇所を抜粋したページがこちら。

https://kotoba.quus.net/syousetu/%E8%A6%8B%E8%AD%98/

この2ページを見比べて、私がおもった違いは以下の通りです。

見識は日常会話でも出てきますが、基本的に一般人が関わる範囲でのことのような気がします。
その人が身につけた知識や教養と、人柄からくる行動を評価する時に使われているような気がします。評価される行動はその人が自身のために行ったものであり、結果として他人に影響もでる程度のものを評価するときに使うようだと感じました。
ある意味人間性の評価でもあると考えられます。

識見は、政治家や将軍、学者や芸術家など(一般人とは違う)プロの中のプロ(勿論知識や教養は身につけているが、その世界のトップレベルの人たち)が行う判断や作り出される作品を評価する時に付随的に用いられ、それらは不特定多数の人に影響を及ぼすことが前提にある行動・行為・活動のような気がしました。
対象になる(評価される)行為や作品はとてもレベルの高いものですが、その人たちにとっては(人間性や感情よりも)とても豊富な知識・経験から産み出される(凡人には理解できない、普遍性かつ先見性をもった)行為・作品であり、発表され世に出ることが前提(本人がそうおもっていなくても世間が注目してしまうことも含む)の事柄を評価するときに使われるようです。
その人が「凄い人」と思ってしまうと「見識」と区別がつかなくなりますが、世に出るもの、他人に作用するもの、のレベルの高さを評価することが基にあり、そこからその人を評価しているように思えてなりません。

私にとって分かり難いのは、私のような凡人には「識見」と呼ばれるくらいの知識・経験がどれほどのものなのか理解できない。
また、私自身が「不特定多数の人に影響を及ぼすことが前提にある行動・行為・活動」なんてことを経験したこともなければ、身近で見たこともない。

 

こんな感じであれば「はだかのワニ」に出てくる「政治的識見」も、「動物の愛護及び管理に関する法律・第三十八条(動物愛護推進員)」に出てくる「愛護の推進に熱意と識見を有する者」も辻褄があるような気がしてきました。

ネット上には、以上のような理解を書いている人はいないようですが、私的の理解はこんな感じでした。

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2019年9月16日 (月)

8月の「犬とゆく」

今年も猛い八月になりましたね。
お盆のときに西日本では大きな台風が来たりしました。
先日(九月に入ってからですが)は関東にも台風が来て被災されている方々が心配です。
まだ暑い日がありそうなので、くれぐれも暑さ対策を忘れずにお願いします。

 
こんなときに不謹慎かもしれませんが、以下、犬や猫との旅行の参考になれば幸いです。

 


情報の修正など

8月は(暑さで)パソコンが使える時間が限られてしまい、修正を素早く行っていたのですが、その時についメモをするのを忘れてしまいます。
もっと多くの修正をした記憶があるのですが思い出せません(笑)

笑みごはん
HPが出来たとお知らせいただいたので掲載しました。
以前からブログがあるのに気が付きませんでしたので遅くなりましたが載せました。 

 


一般の公開
8月の公開は、なんと10!。やっている自分が驚いています。通算で72です。
暑くてお出かけ出来なかった方たちに、涼しくなってからの旅行の計画の参考になる情報をお届けできていたら幸いです。

くるみ沢旅館
長野県木曽郡王滝村にある人間メインですが犬も受け入れてくれている昔ながらの宿。廊下などは抱っこ。食事は隣の部屋で。
普通の宿で犬も受け入れてくれています。

道の駅ひだ朝日村内ペットの遊び広場
岐阜県高山市朝日町にある道の駅ひだ朝日村内にあるペットの遊び場(ドッグラン?)。広くはありませんが山の中にあるのは嬉しいです。
知らない土地の山の中はどんな危険があるか分かりませんので。

白馬47マウンテンスポーツパーク
白馬にあるスポーツパーク。ゴンドラで山頂にあるドッグランに行けます。外のテーブルで食事できる所もあります。
犬連れに限らず、家族連れで楽しめそうな施設も幾つかあります。

湯沢高原パノラマパーク アルプの里(ロープウェイ、リフト)
新潟県の越後湯沢駅から程近くにあるロープウェイに乗って山頂駅へ。気軽に歩ける範囲に楽しめる施設色々。本格的なトレッキングコースの入口でもあります。
ロープウェイに乗るには「顔や体が出ない入れ物」が必要です。

笑みごはん
千葉県佐倉市(最寄駅は京成臼井)の住宅街の中にあるマクロビカフェ。食事の利用には予約が必要。また、犬を連れて利用する場合は事前にFacebookにある説明文やHPなどを一読して下さい。条件があります。

麺屋 惣市(飛騨高山おみやげ処惣市・板蔵ラーメン)
岐阜県高山市丹生川町にあるドライブイン(飛騨高山おみやげ処惣市)にあるラーメン屋さん。ワンコは店内NG。食事はテラス席での利用になります。

ICHI cafe
上信越道・小布施SA直結の小布施ハイウェイオアシス内にあるカフェ。店内OKですが足を拭いてマナーを守って(201907現在)。

民芸ミュージアム匠の館・森の水族館
岐阜県高山市丹生川町にある民芸博物館と小さな水族館。博物館内ワンちゃんは抱っこ。水族館は外のような場所ので歩いての利用ができます。一般の水族館のイメージとは少々違います。

M's cafe
神奈川県藤沢市の引地川親水公園近くにあるカフェ。コーヒー通、ソーダ通の方は是非。木~日の営業ですが不定休なのでInstagramで確認を。
バイク好きの方が集まるお店のようです。

レールマウンテンバイク「ガッタンゴー!!」(まちなかコース)
多くのメディアで取り上げられているようですが、私は投稿があるまで知りませんでした。
岐阜県飛騨市神岡町東雲にあるトロッコのような乗り物。動力はバイクか(電動)自転車。どんな乗り物か説明できないのでHPを見てください!

 

以前の日本では考えられないような気象現象が起きるようになりました。
私自身、日常生活や旅行に限らず常日頃から天候の変化に注意をするように心がけたいと思います。

皆様の、日々の無事と安全をお祈りしています。

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2019年9月14日 (土)

マヌル猫の脚 と 動物園のこの先

今日はボランティアで上野の噴水広場に行って来ました。
16時に終わったので俺、つしま !」展をやっていた東京藝術大学のアートプラザに寄ってきました。

現在、藝大もののけ祭り 百鬼夜行展なるものをやっています(リンクは最新の展示のものになるので、後日この記事を読んだ方は違う展示が表示されます)。

お化けものがテーマのようですが写実的な絵もありました。その中にマヌル猫の親子を描いたものがありました。母猫が座っていて、その横に居る子猫が一歩前へ歩き出そうとしているところです。

その絵を見て、なんをおもったかは書きません。
実はつい先日、子マヌル猫の観察をしてきました。そこで「ほ~、脚がこうなのか」とおもったので、写真を載せておきます。

20190914a 20190914b

マヌル猫の肘から上はこのようなになっているのです。たぶん(後ろ脚の)膝から上も似たような感じだとおもいます。
この骨格だとパフォーマンスはイエネコと比べ物にならないとおもいます。

 

この写真は那須どうぶつ王国でのものですが、何故行こうとおもったのか。
行くんだったらマヌル猫を見なければと思いましたが、わざわざ行ったのは、今、日本で最も動物園に通っていると言われている人から「あそこの猫のショーと鳥のショーは日本でトップクラスだよ」と教えてもらったから。

私もその手のことは少しは分かるので「ふ~ん」と答えながらも「あの人が言うのであれば」としっかり見ることにしました。
見た感想は「ほ~、動物のショーとしてレベル高いし、福祉も考えているんだなぁ」と感心しました。
動画をしっかり撮ってきたのでYouTubeにでもアップすればいいのですが、他の観客の方の顔がしっかり入っているので、アップ出来ないのが残念です(子マヌルの動画も)。ご覧になれば「ほ~」とか「へ~」とか「うわ~」とか言いたくなるとおもいます。

当日途中から雨が降ってきたのですが、室内展示も充実していて、人間が動物のエリアの中に入って行く(柵などがない)造りのものが幾つかありました(近年出来たらしい)。
中に入るとワオキツネザルが目の前までやって来たり、気が付くとクロエリセイタカシギが足元に歩いていたり。ハシビロコウも間近で見ることが出来ました。

個人的な考えとして「この先、動物園は展示よりも種の保存に重きを置く方向にならざるを得ないのでは?」と思っていたのですが、動物たちのこのような動きは、見る人のマナーが良いから動物たちも寄ってくるのだろうし、ショーもそれなりに考えられていたし、平日なのに観客も多かったです(猫のショーは特に)。この状況であれば、もう少し展示で頑張れるかもと思い直しました。

ただしコストはかかります。動物福祉を考えれば当然です。
なので、たまに動物園に行ってお金を使うこともいいのかな、と思ったりもしました。

実際に行ってみないと分からないことって、ありますね。

 

以上、東京芸大でマヌル猫の絵を見て思ったことあれこれでした。

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2019年9月10日 (火)

2019年 台風15号

今回のは今までのと明らかに違うので備忘録。

「東京に凄い台風がやってくる」とニュースなどでも伝えられていましたが「大丈夫だろう」とおもっていました。
前夜は深夜2時過ぎに就寝。
「雨も風も強いけど騒ぐほどのことはないんじゃない?」とおもっていた。

朝、起きるともう台風は過ぎ去っていた。
ネットで天気予報を確認すると、この後、もう一度少し雨が降って、その後は猛暑らしい。

家の中でダラダラ過ごし洗濯をする。
洗濯機が止まったのが10時頃だったとおもう。そしてベランダへ。

「うわっ!、これは初めて!」と驚いた。ベランダに出しておいたコンテナボックスが動いているし、一つはひっくり返っている。(文末に写真)
もう20年以上出しているが、こんなことは初めてだ。
ひっくり返っているコンテナボックスを起き上がらせて中を開けてみると、中に水が入っていた
中のもを出して被害を確認。干したり、拭いたりすれば大丈夫なものばかりだった。一つだけ、可愛いマットが入っていたが、適当にビニールテープ袋に包んでいただけなのですが、濡れていませんでした。

中のものを確認した後、ベランダに並べて、まず洗濯ものを干す。
そして、コンテナボックスの中にあったものを拭いたり、乾かしたり。

ベランダへ出たり入ったりしたときに、この窓から随分と家の中に雨が入ってしまったことに気が付く。
被害が大きかったのは、カーテンとアイロン台。これだけでよかった。

 

家の中のことを凡そ把握したら、外に出てみる。
玄関に行く前に小さなドアがあるのですがここから随分と水が吹き込んだ跡がある。
玄関ドアからも随分と吹き込んだみたいだ。

草木が多少乱れているくらいだとおもったら、一本の木が見事に曲がっていた(文末に写真)。これも初めて。
その木の下にある小さなドアも、まるで蹴破られたように外れていた

細かく見て回れば、もっと多くの被害があるとおもいますが、分かると怖くなりそうなので、やめておきました。

 

東京にもこんな台風がくるようになった。
異常気象と言われますが、確かに変わってきているとおもいます。

20190909a 20190909b

<追記>
翌日(9月10日)、駒沢公園を歩いていたら、公園内の広い道に大きなクレーンが入っていました。その先を見てみたら、マンションの三階くらいから五階くらいまでのベランダの手すりやボードがひしゃげて、その辺りに緑色のものが付いていました。
公園の木が倒れて、マンションに直撃したようだ。
一室からは、不安そうに公園方面を見ている人の姿も見えました。

確かに今までにない大きさの台風だったようです。

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2019年9月 6日 (金)

藤城清治美術館

我が家から駒沢公園を越えて、九品仏方面に抜ける道の途中に「深沢」という交差点がある。もう五年くらい前かもっと前に、突然「藤城清治美術館」の看板が出来た。
「どこにあるのだとう?」と見たら那須高原と書いてある。「何故、那須の美術館の看板が?、ここに在っても意味がないのでは?」とその時はおもい、その後は素通りするようになった。

 

先日、那須の藤城清治美術館に行かねばならぬ用事が出来た。スルーしようと思えば出来たのですが成り行きとして行くことにした。

私の中の藤城先生と言えば、東京電力のCMくらい。ケロヨンのプロデュースのことも後から知った。その程度だった。

 

美術館の駐車場に着いた時、雨が少し降ったりやんだり。大きな門から林の中を歩く。まずチャペルがある。ステンドグラスが(私的基準で)素敵というより不思議な感じ。微妙なナウさのデザインと色彩。決して、クールやヤッベーではない。微妙なナウさだ(私的基準)。懐かしさがある。

さらに林の中を進むと池があり、その向こうに美術館がある。

建物に入ると、まず入館券を買う。自動販売機ではない。
発券の男性の方が、熱っぽく館内について説明してくださる。トイレの天井や一番奥の合わせ鏡のコーナーを強く薦められた。
この時も「東京電力の切り絵しか知らないしな~」程度にしか思えなかった。

トイレと売店の横を通り、廊下のような所に、自画像と猫の絵、それと若い頃描いたの絵(の写真も)があった。
このとき、「この人ヤバイ人だ、この人のものは観ないといけない」と直感した。
そして「もしかしてヒグチ先生って、藤城先生の影響受けているの?」と頭に浮かんだ。全く対局と思われる画風なのですが、猫の捉え方が似ているなとおもった。

館内を進み「白いねこの女王さま」を見たとき(私は白いねこの女王さまを除いて見ていました)に「えっ、え、えーーーー、この雰囲気って・・・・」と心の中で叫んでしまった。
(宗教画コーナーにあったノアの箱舟の後に、被災地コーナーの共徳丸の絵が来るのも不思議な感じもありましたが)その先にあった、ケロヨンのコナーを「うわぁぁぁ~~~」と目をひん剥いて見てしまいました。ケロヨンにこんな趣味があって、こんなことをやっていたとは!、センチュリーのV8エンジンを積んだこの車でレースって、、、、。(ごめんななさい。個人の感想です。)

この話の続きとして、一通り観て回って、売店に戻ってきたらmoe(絵本の雑誌)の2019年1月号(ヒグチ先生がメインで特集されていて、藤城先生も特集されている)が販売されていた。「やはり影響を受けているのか!」とおもって購入し読んだのですが、そのような内容はありませんでした。
やはり個人の「おもったこと」(素人の勘違い?のよう)です。

私は、ヒグチ先生のこともよく知らない。女房がヒグチ先生を好きでボリス絵日記を読んだりしていたので、たまにそれを私も読んだりした。また、何処から手に入れたのかシールが持ち物に貼られていることもあった。
そんな女房に誘われて、今年二月に世田谷文学館で開催されたCIRCUSを観たくらいで、深くは知らなかったが、このCIRCUSを観たときも「日本にもこんな凄い人がいたんだ」とおもったものでした。

両先生とも深くは知らない私が、猫の絵とレースから共通点を感じるなぁ~とおもった話でした。
なんの話かよく分からない人がほとんどだとおもう話はここまでにします。
(館内の配置は変わるかもしれないので、上記の順番ではない時もあるかもしれないし。)

 

冒頭にも書きましたが、私はこの美術館に特別の興味をなく訪れました。しかし、入って直ぐに自画像、猫の絵、そしてもう一つのテーマの絵を見て、一般的な芸術鑑賞以上の特別な興味を持ちました。moeに記事が載るように絵本的な要素(優しく分かり易い)が多分にありながら、人間のとても根源的なものに突き動かされながら(喜怒哀楽その他の混沌とした感情を自分の中で否定せず)創作活動を続けていらっしゃる先生なんだろうな、と感じました。また、表現方法について(影絵という手法によるもの以外にも)慎重にならざるを得ない何かがありそう、とも感じた。

 

それらを強く感じたのは、軍艦島や被災地の絵だった。
気仙沼の共徳丸の他、福島で防護服に身を包みデッサンしている写真もあった。そのデッサンで作られた作品には、宮沢賢治の言葉が添えられ、平和への願いを強く感じた。

絵本は空想・架空の世界で、被災地の作品は現実を模写し作られている。
それらには明らかな違いがありますが、どの作品も平和を願い、各個人(人に限らずです猫その他生き物もですが)が輝ける世の中を願っているのだろうなと思わざるをえませんでした。

 

館内はテ-マ毎の展示であり時系列には並んでいないと思いますが、表現方法が少しずつ変わっているのを感じた。最も奥の(発券の方が熱く語っていた)合わせ鏡の作品群は一つの到達点だろう。難しいこと抜きに楽しめる作品でもありますがが、これらの作品にも平和への願いを感じ、その意味でも到達点なのかも。

キリスト教との関わりからなのか、生きてきた時代的なものなか分かりませんが、今後も注目したいなと思える先生です。
1924年(大正13年)生まれの(2019年9月)現在、95歳。ピカソ画伯よりも長生きで、現役です。

 

素敵な美術館なので、改めてゆっくり訪れたい。

決して大きな美術館ではないので、平日のオフシーズンに行かれることをお勧めします。
観光地である那須を楽しみ、その中に少し時間を多めに割いてゆっくり回るのが良いかとおもいます。

先生は(極めて個人的に感じたことですが)とても個性的な方だとおもいますので、人によっては好き嫌いがあるかもしれませんが、50代以上の人であれば、想い出すものが幾つかあるとおもいます。
建物を出てから門までの林の中の道が、その余韻を楽しませてくれたりもします。

林の中のチャペルも、往きに見た時と帰りでは印象が違いました。微妙なナウさは、人を引き付ける普遍的な表現と力強い平和への願いを感じました。

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