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2018年12月25日 (火)

(読書感想文)ドン・キホーテ (下)

上と中で、概要と感想を書いた。
今回は、ふとおもったことを書いておく。

今の世の中にも、当時の騎士道物語のような存在のものがあるのではないか。それは、ネットからの情報。
そんなことが頭に浮かんだ。

ネットに物事の善悪の判断を問う人が多くなったという。
しかし(そのネットで)次のようなタイトルの記事も見た。
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ネットで質問し、期待するものは「答え」ではなく「共感」
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ドン・キホーテは騎士道物語の中に自分の理想の世界を見出し、そこに入っていけば、周囲の人たちは共感してくれると信じていたのかもしれない。
しかしそうはならず、現実の人間関係、村での立場はなくなってしまった。

ネット社会に自分の立ち位置を求めすぎる人たちは、顔と顔を合わせる付き合いにストレスを感じてゆくのではないか。最近では実店舗で買い物をするのが苦手な人が増えてきていると聞いたこともある。

昔はネット社会がありませんでした。人付き合いの基本は「顔と顔を合わせる付き合い」。なので、お中元お歳暮は直接届けた。盆暮れには親戚は集まり、職場では節目節目に飲み会があるのは当たり前。それが変わってきた。
それらが好きだった人は、それほどいなかっただろう。しかし当たり前の慣習になっていた。
今はこれらを行おうとする(行わせようとする)とハラスメントになりかねない。

(このような付き合いのない)ネットの中に友達を見つけることは当たり前になりました。友達でなくても、ネット上で意見を言い合う(←話し合いとはちょっと違う)こともあちこちで行われています。
それは良いことだとおもいますが、そこから導き出される結果が、顔と顔を合わせる社会での問題解決に必ず役立つものなのだろうか。
勿論、役立つこともあるだろう。しかし、そうでなくこともあるだろう。そうなったとき、本人がより辛くなるだけではないかと考えることがある。

 

ネット社会で得た(訊いた)世の中の常識により行動した結果、騎士道物語の常識により行動したドン・キホーテと同様の影響を周囲に与えることもあるのではないか、と頭によぎった。

20181225aこのようなことを考えるようになったのは、あの20数年前だ。
犬との生活は手間がかかる。しかしその手間以上の見返りがある。それを知ってもらいたいと願った。
知ってもらいたい人の多くは、(当時はネットが今ほど普及していなかったので)、書籍や一部の専門家と称していた人たちの言葉の中から、自分が共感できるものだけを選び出し、言い訳の理論武装のようにしていた。
勿論、何も改善されない。残念である。残念な生活が続くのは本人だけではなく、犬もだ。

これと同じことを今でも感じる場面がある。
ネットがこれだけ普及したので、その数は増えた。

 

ドン・キホーテは、1605年に前編が1615年に後編が出版されていますが、21世紀の現在でも「こういう人、いるな」と感じる内容となっていることに気が付いた。

名著と称される理由が分かったような気がした。

いつか、全6巻バージョンを読んでみたいとおもうようになった。

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