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2018年8月 9日 (木)

「進化」について

前回のブログを書いていて、進化について考えた。

ダーウィン的な進化論は、その環境下で優位な遺伝子をもった個体が突然出てきて、生存競争で残り、そして子孫を残していった結果、と私は理解している。
つまり、ある種の突然変異を起こした(他の個体とは遺伝子が違う)固体が、種としての進化の引き金となる、と理解している。

10年以上キアゲハの幼虫を見ていて思ったことは、遺伝子の変化がなくても、種としての行動に変化が起こることがあるということ(形の変化はないようですが)。

 

幼虫たちが姿を現した当時は、食べ物(イタリアンパセリの葉)にも余裕があった。
余裕がなくなると姿を消してゆくものもいる。成長を遅くするものもいる。
それ以外に、今まで食べなかったものを食べるものが出てきた。

 
一つは、明日葉。
これを食べられるようになる個体の数はとても限られている。ほとんど個体は生まれたときに口にしない限り、まず食べることはないようです。
どちらも「セリ科」ではあるが、イタリアンパセリは「オランダゼリ属」、明日葉は「シシウド属」。見た目からして全く違う。
前回も書きましたが、これを食べても消化しきれていないようで、黄色い液体状の排泄物をを出します。
これらの数は、その時々で多少の幅はあるのですがとても少数であることは変わりない。(明日葉が食べて黒い丸い排泄物が出せるようになるには遺伝子レベルでの変化が必要とおもわれます。)

二つ目は、イタリアンパセリの種を食べる幼虫だった。
まだ実の形になったばかりの緑色の種を食べていた。葉に比べて栄養が多いためか、一気に食べることをしない。彼らに共通なことは、最終齢の手前で色白になる。
このような個体は、葉も食べることが出来るし、次の茎も食べることが出来る。

三つ目は(種のところで書きましたが)茎を食べるようになった個体。
実を食べた後、その付け根まで食べたことが始まりではないかと想像している。平たく言えば、実を食べた勢いあまって食べたのではないかと思っている。
葉だけ食べている個体にとって茎を食べることは咀嚼する力を考えると難しいだろう。

種や茎を食べる個体は葉も食べる。そして争わない。
昔、皆が葉だけ食べていた頃は、近くに他の固体が来ると角を出し、音を出し、威嚇していましたが、最近はそれを見聞きしなくなった。

四つ目は、茎の皮。
これが出来る個体数は少ないのですが、確実に増えているのを感じます。明日葉を食べる個体のより多くなりました。
何故、茎そのものを食べないのか不思議だったのですが、茎の先が枯れてしまうと食べないようです。仕方なく、先端以外の所を齧ったら皮を食べることが出来たのでしょう。
彼らは、葉を見つけることが出来れば、このようなことしません。

 

イタリアンパセリの何処まで食べることが出来るか、ではありますが、食性が変わったように見えてなりません。
葉を食べるだけであれば、それに必要な口の能力があればいいのであり、実や茎を食べるほどの頑丈な口は必要ないとおもいます。

たぶん、「実を頑張って食べたら、すぐにお腹いっぱいなった」(食事のために使うエネルギーが少なくて済んだ)ことから、この方向に変化していったのだと想像しています。

理由は分かりませんが、一匹だけということはなく、周囲の個体の中から同じことをやる個体が出てきます。実を食べる個体がいると、1~2日経つとその周囲で他の個体が食べ始めることがあります。
犬や猫が他の個体から行動様式を得ることに似ていると思いますが、コミュニケーション能力のツールである、視覚等の能力が違いすぎるので、信じられない気持ちはあります。

補足(前回も書いたことですが)。
イタリアンパセリは実をつける前、花を咲かす頃から葉の形を変える。この葉は、彼らは食べることが出来ない。なので、実のある株に登った幼虫は、実または茎を食べるしかない。
それでも実をつけている株に居続ける個体がいる(色白になる)。

 

環境の変化に合わせられるようになった個体が増え、色々な部分が食べられるようになっただけ。そして、仲良くなって団体行動がとれるようになっただけ、で進化とまではいないのかもしれない。

戦後、日本人は肉を多く食べるようになり、生活習慣が変わり、体が大きくなった。これは進化とは呼べないかもしれない。きっと誰も呼ばないだろう。
これに似ているような気がする。

最近のことですが、ラジオを聴いていると「ここまで成功できた理由はどのようなところにありますか?」とアーティストや起業家に問うことがありますが、その答えの中に「常に努力し続け、チャンスを確実に前進につなげる」との内容であることをときどき訊く。
これにも似ていますね。

 

キアゲハの幼虫同士がコミュニケーションをとれるとは思っていませんでしたが、行動を真似ることや団体行動をみると少しはあるのかもしれないとおもうようになってきました。
それであっても、世代を重ねて行動が強化してゆくのが不思議です。何処かに書いておく能力があるとは思えないし、蝶になってから幼虫に教えに来るとも思えない。
世代が進むときに、行動が記憶されてゆくように見えてならなりません。もしかしたら、それにより、身体の形や能力も変わってくるのではないだろうか。例えば、実を食べるのに適した口に変えてゆくとか。
それが進化の一助になることがあるのではないか。もしそうであるなら、その情報の伝達は遺伝子に載せる以外にないだろう。そうであるなら、一種の突然変異と解釈されても良いのではないか。

 

進化に遺伝子レベルで証明できる突然変異が必要なことは理解できますが、それが起こる前に、努力する個体がいること。そして、その努力が世代を超えて伝えられるのではないか。伝える方法はやはり遺伝子なのではないか。

 

昔、うーにーのトレーニングに没頭していたとき、始めの内は、「もし言葉が通じれば、こうしてね、と私が言い、うーにーが理解し、これからはそうするね、と答えてくれれば、済むだけのことなのに」と思ったこともありましたが、そういうことではないと、比較的すぐに感じるようになりました。
犬は「言葉が通じない相手」ではなく、「言葉そのものを持たない相手」であることを感じることが出来た。

もし、うーにーが子供を産んでいたら、生まれながらにして私とのコミュニケーションをとり易い能力を持っていたかもしれない、と思ったりもしますが、私はそれは望まない。それを望むのは擬人化というものだろう。「人は言葉という特殊能力をもち、犬は(他の動物と同じく)その能力を持たない」からこそ、素敵な関係が築けるとおもっている。人と犬との出会いから、それを乗り越えることの素敵さを体験している。

それが出来る関係をソウル・フレンドと呼ぶ人もいるだろう。私もそのように感じることもある。しかし、ある程度の知識(個体選びを含む)と技術でカバーできる部分もあると確信している。

 

いつかまた、犬と暮らせる日が来るだろうか。
我が家の周りに懸命に生きる幼虫たちを見続けながらそんなことを思った。

 

20180809_102848右の写真は、玄関前で皮だけ食べて生きながらえていた個体。8月9日、関東から台風が去った朝に撮影。
ほとんど動かず成長も遅かったのですが、ついに最終齢になることができました。
この写真からも皮を少しずつ食べているだろうことが窺えます。

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コメント

関連する記事があったのでメモ
https://academist-cf.com/journal/?p=7702

外来ナメクジとそれを捕食するカワカツクガビル。
カワカツクガビルがナメクジを捕食するとは考えられなかったそうだ。

投稿: 弓削明久 | 2018年8月11日 (土) 08時38分

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