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2018年3月23日 (金)

失見当(識) ~避難所に身を寄せるようなときに気をつけたいこと~

単語の備忘録。

大規模災害の発災直後、見当がつかなくなる人が多くなるという。ほとんどの人が程度の差はあれ、この状態になってしまうらしい。
非日常な状況を突然強いられれば、平常心ではいられないだろうと想像は出来る。しかし、どの程度のものなのか、よく分からないというのが本音だった。

それを分かり易く語ってくださったセミナーが昨年(2017年)11月にあった。話を聴いたときに「うんうん、そうだよな、そういえばそういう話を聞くし辻褄が合う」という感じでした。

最近の私は、このような話を聞いても、とりあえず放置する。時間を経て本当に大事なこととして広く伝えなければならないことなのかよく考える。
この4ヶ月間、「あ、あの単語、なんて言ったっけ」と思ったことが何度かあったので、「この単語は覚えなくちゃ」という気持ちで、この書き込みをすることにしました。

 

以降、失見当識という言葉の説明をします(識をなくして「失見当」ということもあるらしい)。昨年拝聴したセミナーの内容が主ですが、その後私なりに調べたり、自分の経験などからの考えを書くものであって、先生のお話そのままではないし、裏づけが不充分な部分もあるでしょうから教科書的に読まないでください。個人の備忘録です。

ネットで調べたらコトバンクの次のページがヒットした。
https://kotobank.jp/word/%E5%A4%B1%E8%A6%8B%E5%BD%93%E8%AD%98-283454

一般的には(私の理解では)、意識障害や記憶障害により、周りの状況の認知が不完全なのか、認知は出来ても判断が健全に行われないのか、結果として異常に見える行動をとってしまう状態と言えばいいだろうか。俗な言葉でいえば、「上の空」とか「別の世界にいってしまっている」と、私は理解した。
上記ページで書かれていることは、医療現場で診断に用いるときの説明であり、災害時のことは「そのような状態」と理解するべきで、このページの通り解釈すべきではないとおもいます。

 

この言葉が出てきたのは、「ほとんどの人は、大規模災害の発災直後はまともな判断が出来ないと心得ておかなければならない」という話からでした。

「なるほど、みんなそうなっていると思って(自分はしっかりまともだと自覚して)冷静に行動しましょうってことだよね」と思ったら、ちょっと違う。「たぶん誰もがなる、私もなる、あなたもなる、と自覚して欲しい」、とのことです。

そこで、幾つかの実例が出されました。私も似たような話を幾つも聞いていたので納得。

この20数年間の大規模災害直後、現場で被災しながらも懸命に救護活動などにあたった方々の何人かから「あの1~2日の記憶が全くない」とか、「あそこでこんなことしたじゃないですか」と話をしても、「私、あそこに行きましたっけ。行ったことないとおもいますけど」などと返事が返ってきたとか。そのときの記憶が全てない人もいれば、所々ない人もいるそうです。

問題は、記憶のあるなしではなく(理屈はともかく)異常な行動してしまうこと。

明らかにおかしな行動を起こす人もいるでしょう。動けなくなってしまう人もいるでしょう。イライラしていつもやらないようなことをしてしまう人もいるでしょう。
そのように分かり易いケースよりも、特定の知識・意識が抜け落ちてしまっているケースが危ういことになりそうです。「この人に任せておけば大丈夫」と思ったら、いつもと違う行動をして任せておけない人になってしまうこともありそうです。

発災直後には、そのような人たちが避難所など安全とおもわれる場所に集まります。そのことを心得ておくこと。

自分も含め誰もが、そのような状態になることを認識しておくこと。

 

発災直後に、少しでもその状態(の自分)を和らげる方法をセミナーでは紹介していました。これも私の勝手な解釈をつけてしまいますので、先生のお話そのものではありません。

1.まず「どうしよう」と途方に暮れている自分に気がつくこと。正常だとか、冷静にならなくては!、など考えたところでなれないこと(失見当識になっていること)を自覚すること。

2.周囲の状況からの判断を誤って認識してしまったり、認識さえ出来なくなってしまうようですが、情報は必要です。そのために、スマホなどを手にとる。地震災害であれば地震速報が鳴るはずなので、その気になると思います。
そのことを想定して、(例えば)「まずスマホを手に取ろう!」と声に出す、と予め決めておき、実行することだそうです。
声を出すことにも意味があると思いますが、平時に決めたルールを守れているか、の確認にもなります。発災直後の状況からだけで判断するのではなく、平時に考えたこと(声に出す)を実践できるかを確認することも大事なのだろう、と思いました。

3.スマホなどから、ある程度の情報収集や行動の方向性を考えることが出来始めたら(情報収集したら、たぶん尚更焦るでしょうから)、深呼吸やストレッチで体も心もほぐす

4.3.までは個人の考え・行動ですが、次は、他の人とコミュニケーションをとることについて。まず連帯感を意識する。「不安ですよね!」「一緒にやりましょう!」という感じで。
やってはいけないことは、安易な安心情報を出すこと。「大したことないです」「あそこ(避難所など)に行けば絶対に大丈夫だから」など。
大規模災害時は何が起こるか分かりません。大丈夫と言われたことがそうでなかったら、とても混乱したり悲観的に感じる人も出てくるとおもいます。また、連帯感を持たねばならないときに、不信感を抱くことになるでしょう。

 

私の現状の理解は、こんな感じです。

 

ところで、今更このことを書こうとおもった動機を書いておきます。

前の書き込みで、「ファースト・ミッション・ボックス」について書きました。避難所を立ち上げるときに利用するものです。名前はどうでもいいのですが、このようなようなものが普及してくれないと、避難所運営の(平時からの)準備も進まないだろうなと考えています。

避難所を立ち上げるのは発災直後です。ほとんどの人が失見当識状態になっていると考えるべきです。

平時に避難所運営を論じるときは、「こんなケースは?」「もし、このような問題が発生したら?」など多視的に考えることでしょう。当然それらの議論や準備は必要です。しかし、発災直後、それを論じていた人たちの頭の中に、それがあるとは限らないし、認識能力・予測能力は著しく低下していると考えるべきなのでしょう。

ファースト・ミッション・ボックスは、今まで一度も訓練に参加したことがない人でも実行できるように書かれている、と言われていますが(どれだけ訓練に参加したかではなく)、失見当識の人でも動けるように書くべきなのだ、と気がつきました。

 

失見当識なる言葉で、発災直後の混乱を少し整理できました。
もし大規模災害に直面したら、他人のこと、世の中のことも大事ですが、自分は正常ではいられないと心得ることが、最も大事なことかもしれません。
正常ではない自分のために、出来る限りの備えをした方がいいと思う反面、しすぎても使う余裕がないかもと思ったり。

災害時という(自分の心も)混乱しているときに、どう動けばいいのか、どう使えばいいのか、分かり易い、忘れてしまっても直感で分かりそうな、モノや方法を準備しておくべきなのだと理解できました。

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2018年3月20日 (火)

避難所運営 ~二つのシンポジュウムを拝聴して~

ここ何年も、セミナーとかシンポジュウムは自分の興味で行かないようにしている。誰かに誘われないと行かない。
自分が興味のあるものばかり行っていた頃、ふと気がつくととても視野が狭くなっていることに気がつくことが何度か。そのような経験から、誘われたら&都合がついたら行く、こんな感じで行くように心がけている。
そんな感じなので、足を運ぶ回数も少ない。最近(書いているのは、2018年3月)この一ヶ月では二つのシンポジウムに行きました。どちらも大規模災害時にペットをどうするか、特に避難所ではどうなるのか、に多くの時間が割かれた内容でした。
先に書きましたが、誘われたから行っただけですが、偶然同じテーマの内容となりました。
 

一つ目は、2月25日に環境省主催の"シンポジウム「人とペットの災害対策」"
https://www.env.go.jp/press/105042.html

行ってみたら、行政や施設運営者向けの内容でした。
施設運営者というのは、区市町村や都道府県の体育館などの運営を委託されている業者。それらと行政、つまり避難所を管理・運営することになるだろう立場の方々。
「自分には関係ないのでは?」と思いながら聴いていると、「知って良かった」と感じたことが多々ありました。

そのような方々が気にすることは、インフラがどれだけ使えるか・避難所となる施設が安全か、など。
そして物資。備蓄はすぐになくなったり不足のものが出るだろうから、支援をしてもらうことを考える。支援を受けること、これを「受援」という。このシンポジウムでは、この言葉がキーワードの一つになっていました。

支援と聞くと、支援物資(モノ)を想像しますが、専門家やノウハウの支援も必要になる。
避難所一般の問題として、小児科の先生がなかなか来てくれない(確保できない)ということがあるそうですが、それに似て、獣医さんがなかなか来てくれないという経験談もありました。

専門家というのかどうか分かりませんが、動物関係のボランティアが駆けつけて「こんなことさせてください!」と申し出てくれるのは嬉しいのですが、過去の経験から、その団体のことを何も知らずに「では、お願いします」とは言うことは出来ない、との話や、避難されている人たちに必要なことであっても、何かしらの危険が発生する可能性があれば、とても慎重に判断しなければならず、そのような団体からも被災者の方たちからも理解されないこともある、とか。
そのようなことを減らすためには、ボランティア団体と、事前(平時)から連携が必要だとの話の中に出てきました。
行政同士も具体的な支援・受援の取り決めが必要だという話もありました。そのためにも災害想定や災害時の情報伝達手段の検討(何を支援してほしいかを挙げてもらう)などが重要だとか。小さなことのように思えますが、避難所に入ってきた人の名簿を統一できているだけでも随分と違うとか。

他のキーワードとして「ファースト・ミッション・ボックス」。セカンド、サードまであるらしい。
以下、どんなものか説明を書きますが、私は実物を見たことないので、誤解があるかもしれませんのでそのつもりで読んでください。同様の理由で詳しいことも書きませんので、ご興味あるかたは、よく調べてみたください。

ファーストは避難所立ち上げまで何をやればいいのかが書いているそうですが、そこに来た人が、どんな人でもあっても、分かるように書いてあるそうです。「そんなこと出来るのか?」と私も思っていますが、実際にそのようなものを見た人から聞いた話だと、図入り、写真入りでとても懇切丁寧に説明されているもののようです。
「ファイル」ではなく「ボックス」なのは、詳細に書かれているが故、嵩張るのかなと勝手に想像しましたが、どうも違うようです。以下のような記事がありました。
https://www.mlab.ne.jp/columns/columns_20180319/

私が今まで聞いた話の中では、この記事のものよりも、もっと詳しく分かり易いものが用意されている避難所もあるようです。

これは動物関係なしの避難所一般の話です。まず調べて考えて作り、それを基に訓練し、誰でもその中にあるものを見れば役割が担えるように、ブラッシュ・アップさせてゆくようです。

避難所にこのようなものがあり、その中に、ペットを連れて来た人の対応もしっかり記載されていることが珍しくない世の中になってほしいなと願うばかりです。

その他、細かい(具体的な)話がいっぱい出てきました。避難している人たちは「なんでやってくれないんだ!」と思うようなことも「そういうとこも考えないとならないのか」と気付かされることが多々ありました。
また、避難所に身を寄せている人たちが落ち着いている、いい人ばかりなら判断もし易いとおもいますが、異常事態でもありますし、怪我している人もいるでしょうし、精神的にも不安定になる人も少なからずいることでしょう。そして知らない人たち集まりであることが多いです。そのような場所ですから、何事にも慎重にならざるを得ないということでした。過去の大災害時に、そのような記事を読んだ記憶があるので、「なるほど」と思ったものでした。

 

もう一つは、3月17日に、行政書士ADR東京センター主催で行われた、 『ペットトラブルシンポジウム』 〜 ペットの同行避難トラブルをADRで解決!〜  です。

こちらは飼い主一般向け。避難所に身を寄せる立場の人向け。

話が前後しますが、環境省主催のシンポジウムが行われた経緯として、以前よりある「災害時におけるペットの救護対策ガイドライン」の見直しがなされ、平成30年2月下旬に「人とペットの災害対策ガイドライン」が発表されることを受けのことでした。ガイドラインが見直されることになった背景は、新しいガイドラインの1ページ目をご覧ください。

こちらのシンポジウムでも、その話が少しありました。大規模災害時でも、「とにかく避難所に行くべき!」など一括りの考えではなく、多くの選択肢と自分のおかれた状況から判断してください、ということでした。

また「同行避難」という言葉についても説明がありました。ネットなどで「同行避難は、避難所に一緒に行くけど、同じスペースで暮らすことが出来ないパターンで、同伴避難は同じスペースで暮らすことが出来るパターン」と書かれていることがあるそうですが、そうではないと定義していました。同行避難は公の文書によく出てくるので、こちらの説明をしっかりしていました。
同行避難とは「ペットと共に移動を 伴う避難行動」(新しいガイドライン5ページ。同伴避難ついても書かれています)であり、その行動のことを指し、避難所でどのような状態になるかを指しているものではない、とのこと。

話の多くは、自分の立場(普通の飼い主)の人間が対象なので、「うんうん、分かっている」という内容が多く、特に書くこともありませんが、環境省のシンポジウムを聴いてから日も経っていなかったので、「受け入れる避難所や物資を提供する人たちも大変なんだよな~。だから平時からちゃんと考えておかないといけないんだよな」と、頷きながら聴いていました。

少々目新しかった内容として、(特に東日本大震災のときのことや、大島や三宅島の全島避難で)ペットを置いてきてしまったため、後から多くの費用や労力を必要とすることになったことが何度か話にでてきました。
同行避難を促進しないと結果として社会として大きなコストがかかる、ということがまだ知られていないんだろうなと思いながら聴いていました。

このシンポジウムの本題的な部分は、ペットの同行避難におけるトラブルをテーマにした「模擬調停」、ですが、川の氾濫によって数日間避難所で暮らさなければならなくなった飼い主同士のトラブルでした。
避難所に身を寄せると聞くと、数ヶ月から数年の避難生活を送るようなものを(私は)想像してしまいますが、数日間のケースもあるんだな、と改めて思ったものでした。
人もペットも不安になっているときです。イライラしたり、いつもと違う行動をしてしまうこともあるでしょう。そんな状況・状態でのトラブル。経験もないし話もあまり聞いたことがなかったので、「こんな感じなのかなぁ」と参考になりました。

ペットのトラブルは「裁判にするほどでもないけど...」の程度のものが多いとおもいますので、ADRとは相性がいいかも。

 

二つのシンポジウムを聴いて思ったこと・感じたこと。

昔は、行き当たりばったりの感じがあった避難所運営も、過去の記録も集まってきて、科学的な方法論が確立されてきたようです。
今までは、「避難所運営なんて何が起こるか分からないものだから大変そう」と思っていましたが、「(実物を見たことないので想像も出来ないけど)誰でも運営できる方法を(危機管理の専門家たちが)考えて、それを実践している(準備をはじめている)避難所があるんだな」ということは分かりました。
「よく分からないから大変そう」から「やり方を勉強すれば、みんな出来るかも」と考えが変わってきました。

二つのシンポジウム双方で課題とされていたことが、動物が苦手・嫌いな人、そうではないけど全く興味がない人などに、避難所におけるペットの扱いや、(避難所に限らず)ペットに関する支援をどのように情報発信してゆくか、が課題とのことです。
そのような方々への情報発信は、災害時のことに限らず、今まで以上に必要になってくるのではと感じているところです。

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2018年3月10日 (土)

ボブという名の猫

昨年(2017年)話題になった映画。DVDで観た。
有名な映画なので説明も、私の感想も必要ないとおもうけど、ここはブログなので書いておきます。

 

イギリスの実話。ノンフィクションの映画化。

主人公は長年、薬物中毒に苦しむ。福祉のお世話になり、少しずつ更正してゆくが、薬物の魔の手は彼を完全には手放さない。ストリート・ミュージシャンとして生きているが、雨露しのぐ家さえない。
更正への決意を見抜いた福祉の担当者が、彼に部屋の面倒みてあげる。部屋があっても、仕事がない。つまりお金がない。そんなとき、一匹の猫がやって来る。野良猫なのか飼い主がいるのかも分からない。飼い主を探すが見つからないので飼い主になる決心をする。飼い主探しをしているときに同じ建物に住む女性と知り合う。猫にボブという名前をつける。

街角で歌っても生活できるほどの収入は得られなかったが、ボブと一緒なら今までとは比べ物にならない収入が得られた。それを妬んでか嫌がらせをうけトラブルになり、公共の場での演奏を禁止されてしまう。
仕方なくビッグ・イシューの販売を始めるが、やはり妬まれてのトラブルになる。また、「その猫が欲しい」という女性と口論しているとき、ボブが消えてしまう。二晩くらい姿を消す。そんなとき、再び薬に手を出してしまいそうになるが踏みとどまる。
ボブが有名になり新聞にも取り上げられた。もちろんネットでも知られるようになってゆく。

最終的に、完全に薬と手を切ることができた。それまでは、メタドンという薬を常用することを義務付けられていたが、本人の申し出で断ち切ることになる。常用していても日常生活に問題はないが、完全に断ち切るための苦痛はヘロイン以上だという。
それもクリアし、さらに自伝を書かないかという話も入り、この話の原作になる。

 

以下、日本と違うなと感じところ。ちなみにこの映画の舞台はロンドン。

主人公の支えとなったのはボブだけでなく、同じ建物に暮らす女性も。その女性が居たからボブの飼い主になる決心をする。その女性は犬の散歩やさんのようだ。ビーガンでもあり、家畜の開放を訴えて路上でアピールしたりする(これが意味するところは多くの日本人には分からないとおもった)。彼女の最愛の兄は薬物常習者で亡くなっている。映画を見る限り、イギリスでは簡単にそして安価に薬物が手に入るようだ。だから薬物常習者は珍しくないようです。

また、ボブとバスに乗ったり、お店に入っても咎められることはない。ただし、ボブがリードをつけ始めたときに、あるお店に入ろうとしたとき、主人公はそれを止めた。許される店とそうでない店を、ほとんどの人は区別がつくらしい。
RSPCAやバタシーが有名ですが、生活が苦しい人たちのために、無料でペットの診療してくれる病院があるが、薬代は有料であることを知った。(これも多くの日本人は分からないと思いますが、日本とイギリスとでは動物病院に連れてゆくことのハードルが全然違うことを感じた。更に言えば、福祉の精神がしっかり根付いていることが日本との大きな違い。)


http://bobthecat.jp/
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9C%E3%83%96%E3%81%A8%E3%81%84%E3%81%86%E5%90%8D%E3%81%AE%E7%8C%AB_%E5%B9%B8%E3%81%9B%E3%81%AE%E3%83%8F%E3%82%A4%E3%82%BF%E3%83%83%E3%83%81
https://movies.yahoo.co.jp/movie/%E3%83%9C%E3%83%96%E3%81%A8%E3%81%84%E3%81%86%E5%90%8D%E3%81%AE%E7%8C%AB%E3%80%80%E5%B9%B8%E3%81%9B%E3%81%AE%E3%83%8F%E3%82%A4%E3%82%BF%E3%83%83%E3%83%81/360616/



メタドン → メサドン(最近、獣医さんと話をしていると出てくるケタミンも出てくる)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%82%B5%E3%83%89%E3%83%B3
映画とは全く関係ありませんが、こんな資料も出てきました。日本の薬の承認システムは
利用者のためになっているのかな。 http://www.ytakashi.net/contents/0.cancer/report07/070226methadon.pdf

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2018年3月 9日 (金)

2月の「犬とゆく」

今回も忘れそうになりました。別のブログを書いていて思い出しました。

淡々とやっている「犬とゆく」ですが、時にはイレギュラーな業務もあります。それは、犬連れを受け入れている施設の方々のご苦労が垣間見ることができる機会でもあります。
宿泊業や飲食業は、犬連れのお客様を受け入れなくても大変な仕事。犬連れを受け入れることで更に仕事が増えます。それでも受け入れてくださることは、大変有り難いこと。そのことをご理解の上、利用してくださる人が増えることを願っています。

 

では本題の、2月の「犬とゆく」

1月は週一ペースを守ることが出来ました(ランキングを除く)。2月も週一ペースです。
1月は公開4件(ランキング除く)、2月も4件で、年間通算8件です。

睦 (BOKU)
我が家も昔、利用したことがある睦のレストラン。開業は1985年らしいです。これだけ続けることができる飲食店はとても珍しいと思います。
手打ちの「うどん」や「ほうとう」が自慢のようですが、その他にもメニューが豊富でしっかり食べることができる。何度も足を運びたくなる気持ちになる人も多いのではないでしょうか。

ワンぱくパラダイス アイリック
トリミング施設やドッグランもある総合施設の中の軽食施設だとおもっていたら、しっかりしたメニューもある。
ご近所さんのご利用が多いと思いますが、軽井沢方面と松本や諏訪方面の中間地点になるので、途中休憩地点としての利用もいいかも。

トロッコ
我が家の近所。正直なところ、全く興味のなかったお店ですが、雑誌でペットOKと知り行ってみたらビックリ!。美味しいです。価格も手ごろで、食べて嬉しい気持ちになれました。

ニューヨークランプミュージアム&フラワーガーデン(旧 伊豆四季の花公園)
投稿をいただいたとき、なんか凄い(長い横文字の)施設が出来たんだなと思ったら、元・伊豆四季の花公園でした。
フラワーガーデンは四季の花公園の延長的なものだとおもいますが、ランプミュージアムもペットの入場を(抱っこ、または、カートやバスケットなどを利用することで)受け入れてくださっていることは嬉しい。ペットと一緒だから諦めなければならないことが一つでも無くなることは嬉しいことです。

 
これから犬連れの外出にはいい季節になってきます。皆様の犬との外出をより楽しいものに出来れば嬉しいです。
投稿もお待ちしています。また(場所が分かり難いですが)アフィリエイトもご利用ください。よろしくお願いいたします。

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2018年3月 7日 (水)

非常食

3月11日が近くなったから書く訳ではなくタイミング的には偶然です。

数日前、ばたばたしていて昼食をとりそこなってしまった。午後三時を過ぎて何を食べようかと考えた。ふと棚を開けると、昨年の秋に同行避難訓練のお手伝いをしたときにいただいたと思われる非常食があった。簡単に出来るみたいだし、これにすることにした。

二袋あった。味がついているものと、おかゆ(おもゆ?)のような味のついていないもの。

 

まずは、味のついているほうから。
非常食というと、勝手に地味なイメージをもっていましたが、お洒落なパッケージ。避難所に身を寄せて地味なデザインを見ながら食事をしたら、たぶんとても落ち込むとおもうので、これでいいとおもいます。

20180307a1 20180307a2

20180307a3作り方は、熱湯は20分、水なら60分。

水で試したい気持ちもありましたが、寒い日であったこともあり、熱湯コースにしました。

当然のことながら、アレルギーの表示もしっかりある。

作り方は分かったので、やってみる。

袋を開ける。立たせる。スプーンが目に入ったので取り出す。そして、熱湯をいれる。

内側に「ここまで入れてください」の「注水線」なるものが描いてある。それを超えないよう熱湯をいれる。入れてゆくと、袋が横に広がり注水線が逃げてゆくような感じになる。よく見て熱湯をいれた。

20180307a4 20180307a5

20180307a6そしてチャックを閉めようとしたとき、「脱酸素剤を取り除いてください」の文字が目に入った。急いで熱湯に浸かった小さな四角い袋を取り除いた。空腹だったので、焦っていたようです。
私は健康を害することはありませんでしたが、本来であれば食べるべきではないのかもしれません。私と同じ過ちを犯さないように、気をつけましょう。

こうやって写真を見ると、何箇所にも注意書きがありますね。ちょっと忙しかっただけの私でさえ、これに気がつかなかったのですから、被災された方々の中には、全く気がつかない人もいるかも。

20180307a720分待って開けてみるとこんな感じ。味はしっかりついていた。気分が落ち込んでいても食べることができそうです。


このブログを書いていて気がついたことがもう一つ。「アルファ米」ではなく「アルファ米」。
WikiPedia で調べてみたら、やはり、アルファ化したお米を乾燥させたものでした。
アルファ化については、ペット・フードの勉強をすると出てきます。
お米と炊いたご飯は、如何にも別ものですよね。分子構造が違うんです。お米をアルファ化したのがご飯です。日本語で糊化とも言います。

つまりアルファ化米とは、炊いたご飯を乾燥させたもの。お米に水や熱湯を入れても炊けない(ご飯にならない)ことくらいは私でも分かります。でも、ご飯を日々食べる日本人が(カップヌードルを開発してから)このようなものを開発するまで時間がかかったのか不思議です。自分が知らなかっただけであったのかな。

続いて、こちら。「白がゆ」と書いてあります。

20180307b1 20180307b2

こちらは、熱湯5分、水40~50分とありますが、やはり熱湯で。
もちろん、脱酸素剤は出しました。袋の形が同じなので、熱湯を入れてゆくと、「そろそろ止めなければ」とおもうと袋が膨らんで「まだまだ」となる。

20180307b3    20180307b4
出来上がり写真を撮り忘れましたが、真っ白なお粥。お米を砕いているのか粒が小さいので、ふわふわというかさらさらというか。するすると入ります。
味は全くついていません。醤油や塩をかけたくなりましたが、よく味わって食べました。
体調を崩して食欲がないときなど、無理してでも食べるときに良さそうな感じでした。

 

2~3年前、賞味期限がとっくに切れていた乾パンの缶詰が出てきた。乾パンと氷砂糖の塊が入っていた。「非常食ってこういうものだよな」と思って食べた。その時、そのことをネットに書いたら、「今はもっとよくなっていますよ」とお言葉をいただいた。
今回食べたようなものがあるのは知っていましたが実際食べたことがありませんでした。

こんなに良くなっているとはビックリです。

ニーズがあれば確実にいいものが出来るんだな、と当たり前のことを思ったりしました。

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