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2017年1月13日 (金)

ボロ市の周辺 2016,17 その5

ボロ市周辺の無責任情報です。詳しくは、そのをご覧ください。

年末年始の慌ただしさや、年が明けたら通常業務が忙しくなったりして、このシリーズのことを完全に忘れていました。もう明後日がボロ市ですね。

 

今回は松陰神社前駅方面のことを書こうかと思ったのですが、それはネットで調べれば簡単に出てきそうなので、世田谷通りに点在する飲食店を中心に書きます。
チョイス基準は、我が家が利用したことがあり、ある程度の年月やっているお店です。庶民的な店ばかり。ユニークなお店も含まれていますので、詳しいことはネットでよく調べてください。

 

ボロ市通りは、世田谷通りとほぼ並行している通りです。ボロ市から上町駅方面に向かって歩いて行き、世田谷通りに出て、歩道橋の近くにあるのが、ボヌールどんどん(旧名:ほるもんだいにんぐ万山。一年くらい前に看板が変わりました)
上町駅の向こう側まで行くと、トレジャーというカフェありテラスは犬OKなので うーにーがいたときはよく利用しました。
世田谷駅の向こう側には、アイビーという老舗の喫茶店(夜はお酒の店になります)がありますが、こちらは利用したことありません。
世田谷駅と上町駅の間、世田谷通り沿いには東鮨があります。ここも老舗。

ボロ市は、ボロ市通りだけでなく、一部世田谷通りにも続いているいる(その先更に横道に続く)。世田谷通りにも露店が並んでいる辺りで、世田谷通りを渡ると来々軒という店がある。ユニークな町のラーメン屋さんという感じ。昔はよくあったパターンですが、今となっては懐かしさを感じます。

世田谷通りを三軒茶屋・環七方向に進むと、大吉長崎ちゃんぽん皿うどん(これが店名なのか不明ですが誰もがこの名前で呼びます)、一心などは地元では定番。

逆に馬事公苑・環八方向では、北京飯店カカポなど。北京飯店は世田谷通りから少し入りますが、更に進むとロゴスキーの工場があり販売もしていますが土日はやっていないかも。
更に進みボロ市会場からは離れますが、馬事公苑までの間に、何軒ものラーメン屋さんが並んでいる所もあります。よく行列になっている店もあります。

方向は全く別、南側(駒沢公園方向)にある店。
歩いて10分くらいかかるし駅から遠くなりますが、我が家がよくお世話になったのが、ルピナス。昭和の香りが強く漂う喫茶店。ドッグカフェなんて言葉が知られる前からペットOKにしています。とても自然にペット連れが来るし、他のお客さんも気にしません。外で散歩しているときの感覚そのまま。
ある時、客さんが店内で犬とボール投げをするという信じられない光景を見たことがありますが、他のお客さんが平然と食事を続けていることにも驚きました。
ルピナスは、住宅街の中にある商店街(この辺りでは「向天神橋の商店街」と呼んでいます)にありますが、周囲には駅もなく、奇跡的に残っている商店街です。その中には、最近できた有名なカレー屋さんやパニーニやさん(イケメンがやっているとの噂)もあります。

その商店街からは少し外れた住宅街に入った所にある舟よしもいいのですが、お酒を飲みたくなるお店です。

 

以上、大急ぎで思いつくままに書いてみました。

では、世田谷ボロ市を楽しんでいただけることを祈っています!

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2017年1月 7日 (土)

さよなら、にゃんこ先生

かつて福島のある場所で、にゃんこ先生と呼ばれていた猫が最近この世を去ったそうだ。微妙な立場の猫だったので詳しいことは書きませんが、多くの人が知っている猫ででした。
彼の存在は根本的な問題を投げかけていた。彼はそのために彼の地に現れたのではないかと私は感じていました。
その問題は、一時期大きく取り上げられました。しかし、多くの人はもう忘れているようなので敢えて書いておきたい。

 

東日本大震災が起きて、動物救援本部が義援金を集めた。その使い道は、「飼い主とそのペットのため」であり、野良猫・野良犬には使えないということで問題になった。確かに当初からそうなっていた。

原発災害という特殊な災害が起こり、立ち入りを厳しく制限される区域が設定されるという今までにない状況が発生した。入れないのなら、そこから動物たちを出せばと考えるが、立ち入りは禁止されているし、その動物が被ばくしている可能性もある。その他、諸々の事情で簡単には出せなかった。そして同じことが今も続いている場所が今もある。

その中に取り残された犬や猫の内、飼い主がはっきりしているものは、はじめの一年くらいでほとんどいなくなっただろう。そうなると、立ち入りを制限されている区域の動物たちに、救援本部が集めたお金を使うことはルール違反になり、使えない。

しかし、お金や物を送った人たちがそんなことまで考えただろうか。救援本部も原発災害後のことを考えただろうか。つまり、想定外のことだったのだ。それに対応できなかったのが問題だと、私は考えている。

 

ところで、そもそも何故「飼い主とそのペット」となるのだろうか
それは、私たちが暮らしている社会は人間社会であり、その基本ルールは、当然のことながら人間社会のことを考えてつくられているからだ。

よく、「命は全て優先する」との考えで全てを解決しようとする人たちがいますが、「命」だけでは説得力がありません。

「あなたは蚊も殺しませんか?、害虫、害獣を殺さずに心地よい暮らしができますか?、また、生きてゆくためには(植物を含め)命あるものの一部をいただいて生きているのではないですか?、命を奪わずして生きてゆけるのですか?」

「命」とだけ言われてしまうと、このように感じる人は多いのではないでしょうか。ここまで具体的に考えなくても直感的に「何言ってんの?、それが判断基準?」と首を傾げる人もいるでしょう。「命」を理由にするのであれば上記の問いに答える必要があるでしょう。

 

人間社会のルールは、人間の利益に適うものでなければなりません。そこから逆算するように考えれば、最も分かり易い現実的な言葉は「飼い主とそのペット」ではないでしょうか。

さらに、「人間の利益に適う」視点での議論が深まれば、地域社会に及ぼす影響の視点から、飼い主がいない、または、いるかもしれないけど不明な犬や猫についても、人間社会がどのように責任を持つべきかの規定が出来てくるでしょう。

そのような取組みが行われることを願っています。

 

義援金とは被災者(人)に直接届けられるものである。その考えからすれば、救援本部の考えも(あまりに杓子定規だけど)間違ってはいないことになる。
あの件で強く疑問を抱いたのは、当初の規定を考え直すことが出来なかったこと。結果的に出来ないとしても、充分に議論し、その過程を(議事録などで)公表してほしかった。

将来、大規模災害が起こったときに、飼い主不明な動物たちの救援・救護・救助は、数々のボランティアが各自の判断で行うことになるのだろうか。

 

にゃんこ先生が伝えたかったことは、飼い猫ではないけど人々に愛される猫やその他の動物の在り方(人間側の責任の持ち方)をもっときちんと考えるべきであると、私たちに伝えにきたのではと、私はおもっています。

にゃんこ先生、さようなら。
私はあなたのことを忘れません。

もし私の考えが間違っていたら、空の上からご指導・ご鞭撻よろしくお願いいたします。

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