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2012年8月27日 (月)

できるよね、きっと

昨日の続きですが、多くの方は「?」、または「はぁ~?」と言いたくなる部分もあると思いますが、分かる人だけに分かってもらえればいいし、頷いてもらえれば嬉しい程度のことですが、書いておきます。

昨日の終わりの方で書いた「リスク」についてです。

先に紹介した「ゼロ」の中でも「出来るはずがない」と思われる場面が出てきます。しかし、出来たのです。
そして今、あそこを見習い、多くのセンターが改革し、成果を上げ始めています。(仕事が随分と増え、現場の方々は大変だと思いますが、他でも出来ることはあったのです。)

何故出来たのか。一つは、現実を見る力でしょう。
無謀と思われながらも一つ一つ改善していきます。もちろん、現場の人たちは大変です。しかし「出来るはずだ」と信じて進みます。
それは、動物愛護というものをきちんと理解し分析し、それに基づいて行動していたからではないでしょうか。

各章の冒頭に(熊本弁で)「こんなことはおかしい!」という内容(とても具体的なことが書かれています)が書かれていることがあります。タイトルにも「こぎゃんかわいか動物がなぜ死なねばならんと?」と添えられていますが、そのような気持ちが彼らの行動の源でした。
それが荒唐無稽なのか、現実問題として改善できるものなのか。法律にまでなっている動物愛護精神の下、この日本で改善するべきことなのではないだろうか。しなければ法律が荒唐無稽になってしまう。法律があるくらいなのだから、きっと出来る。
そんな判断もあったのではないでしょうか。

 
勿論、誰にでも出来るものではありません。周囲の諸事情と自分の体力、その他持てる力を総合的に判断して「出来るだろう」と判断したはずです。
「結果オーライでしょ?」と言われれば、そうかもしれませんが、大の大人の判断として行ったことです。充分に現実味を感じていたことでしょう。

動物愛護というと感情的なものだと解釈されることもありますが、現場では現実問題として日々粛々と対応されていきます。現実問題としての動物愛護というものがあります。

シェルターにしてもセンターにしても、施設の運営についての情報が蓄積されつつあります。つまり10年前に比べれば、リスクは随分と軽減できるはずです。

そのようになってきたのですから、行政または大きな動物愛護団体が、オープンなシェルターを作っていただきたいものです。

そんなことをボランティアに参加して感じています。

(さらに続きます)

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