2019年3月19日 (火)

淡々とやっていられない時代(その3:文字コード)

「犬とゆく」を20年以上続けている。
20年前といえば、Windows98 の頃である。「パソコンといえばMS-DOS」の時代は終わったとはいえ、多少引きずっていた。ファイル名は8文字.3文字でないと誤動作するプログラムがあったり、ハイホンやスペースが使えなかったり。なので未だに「犬とゆく」のhtmlファイルの拡張子が「htm」なのです。

その程度ことは可愛いもので、この10年くらいは諸々の進歩が速い。気が付いたときには、「照れ笑いして誤魔化すしかない」状態になっていたりする。

笑って誤魔化しても表示されればいい。中身を見られて「ここまでド素人なのか」と思われるのは当然のこと。しかし、表示されなかったり、文字化けして読めなかったりしたことが何度かあった。

その原因のほとんどが、文字コードによるものだった。

私が本格的にパソコンに触れるようになったのは、30年ちょっと前くらいだろうか。バブルの頃にプログラマーという仕事をしていた。もう少しでシステム・エンジニアと呼ばれてもいい領域に入りそうだったが、体がもたなかった。

その頃のパソコンは、世界的に見れば、アメリカ中心で言語は英語。アルファベットが基本。日本語なんて日本人しか使わないし、世界中がネットで繋がっている世の中ではなかったので、自分の所のことだけ考えていればいい時代だった。

英語を表現するには、16進数で 0x00 から 0xFF までの256個の数字で表現すれば良かった。大文字小文字のアルファベットと数字と幾つかの表示できる記号と表示出来ない記号、制御文字などが、256で収まっていた。

コンピューターの本場の人たちは日本語のことなんて考えてくれる必要もない。なので、日本語対応は日本で考えられた。そして、一般的に使われるようになったのが、Shift JIS と呼ばれるコード。今でもこれや、これとちょっとだけ違うものが使われている。

 

日本国内の利用であれば、これらで良かったのですが、世界が繋がるようになると、海外のパソコンでも日本語を見たい人が増えた。日本に暮らしていても、英語以外の文字で作られたサイトを見る人も多くなった。
そして出来たのが、Unicode という文字コードで、現在はこれが主流になっています。 UTF-8 というものが日本でも標準になっている。

UTF-8 が主流になりつつあった時点で千以上のページを作ってしまっていたので、変えることは出来ず、今に至っています。

ちょっと詳しい人にこれを知られると、「生きる化石?」と思われてしまうが仕方ない。


何を思われても動けばいい。しかし、急に動かなくなったり、文字化けを起こすようになったこともあった。

一つはブラウザが、文字コードに対して厳格になった時期がった。
昔は、Shift JIS で書いておけば、どうにか処理してくれたものですが、その後、UTF-8 が標準になり、Shift JIS で書いた場合は、しっかりその旨を書かねばならなくなり、書き忘れていたりすると、文字化けしてしまった。

さらに、フルページ・モードを動かすための PHP というプログラム言語もバージョンを上げる度に、日本語処理の仕様を変えてきて、急に不具合が起こることがありました。
しっかり、仕様変更を勉強して対応すべきなのですが、そこまでやっている余裕がなくなってきました。

世の中、昔のやり方で淡々と続けられなくなりました。世界標準が変わってしまう。今まで表示されていた html が文字化けしたり、PHP が正しく動かなくなったり。長年やってきた方法では許してくれない。

こんな愚痴っぽいことをダラダラ書いて何を言いたいかというと、以上のような問題で「犬とゆく」が続けられなくなることが、遠くない将来ありそうだ、ということです。

急に辞めざるを得なくなったときの言い訳をしておいたようなもの

 

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2019年3月18日 (月)

淡々とやっていられない時代(その2:JavaScript と HTML)

名前が変わる前の「犬とゆく」が始まったのは、1990年代後半。やっとインターネットを使う人が増えてきた頃。ネットに繋ぐときに「ピ~~~、ガ~~~~」と言わずに高速(当時基準)でネットを閲覧できるようになり始めた頃。つまり、ADSLが普及し始めた頃。

当時、JavaScript と類似品(?)との間に多少の違いがあり、ブラウザによる動作の違いも大きかったので、使いませんでした。主要な動作で使うようになったのは、フルページ・モードを作った頃(2005年頃)だと記憶している。

投稿されたページに写真がある場合、クリックすると大きな写真が表示される。そこで使うようになったのが、その頃だとおもう。

前置きが長くなりましたが、今更ながら 「こんなの必要なくなったんだ」 と気が付いたこと、幾つか。

 

・ head 内に以下の一行を記述
----------------
<meta http-equiv="Content-Script-Type" content="text/javascript">
----------------

HTML は(勿論?)5ではなく、4.01 なので、作法上これを入れることが正しいのですが、今のブラウザは無くても動きます。

最近は、head 内に SNS関連の記述をすることもあるので、余計なものは入れたくありません。なので入っていたり、なかったり。

 

・ HTML に埋め込むとき
----------------
<script language="JavaScript">
<!--
-- ここにコード --
// -->
</script>
----------------
としていた。

しかも先頭とその次、最後の二行は、行の頭に持ってこないとならないというルールがあったようで、「犬とゆく」内では、全て行頭に寄っている。

ちなみに、HTML5 では
----------------
<script>
-- ここにコード --
</script>
----------------
だけでOK。今のブラウザなら、HTML4 系 で書かれたものでも動く。
行の頭にもってくる必要もない。

タグのことは今でも書かれている(説明ページがいっぱいある)のですが、
<!-- ~ ・・・・ ~ // --> についての記述がされているのを見たことがない。昔過ぎる話なのだろう。
このようなとき、「浦島太郎な私」とおもわずにはいられない。

コードをいじるなんて、一年に一回くらいになっているので当然かも。

HTMLのソースを見ていたら、タグが大文字で書かれているものがあった。HTMLであれば間違えではないが、わざわざ大文字で書く人もいないだろう。
大昔はソースを見易くしたいために大文字にするという考えがあった。その後、タグは小文字で書かねばならない XHTML が登場したことも、小文字することが一般的になった理由の一つだとは思う。
今は、ソース(特にタグ)をしっかり見ることもないし、ソースに入力する文字数が多くなったので、大文字にすることは面倒なだけだ。

HTMLといえば、冒頭に書く <!DOCTYPE ・・・・・・ > を書き間違えていたら、ある日突然表示が崩れてたことがあった。入れ忘れていたり、違うものを入れていたりしていた。それまでブラウザは優しく対応してくれていたのに、何故か急に厳しくなった。

10年くらいからだろうか、規格やルールが変わるスピードが速い。突然厳格になったりする。それが原因で表示がおかしくなっても、咄嗟に対応出来ないこともあったが、大事に至ることはなかった。どうにか動いてくれていたり、1日かければ対応できていた。

それらは、JavaScript や HTML 上のことだった。
それら以外のことで、動かなくなったり、文字化けして使い物にならなくなることもあった。次回は、そんなことを書きたいとおもいます。

 

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2019年3月17日 (日)

淡々とやっていられない時代(その1:実は20年以上続いている「犬とゆく」)

ホームページ運営の技術的な話です。
html、JavaScript、php なんてことの話です。
そして、運営上の言い訳です

 

今、「犬とゆく」の基本的なメンテナンスをしている。約2000のhtmlファイルを見ながら、ちまちま直している。

今やっている具体的な作業は、ページの上に右向きの赤い三角マークを付けること。

「犬とゆく」には、二つの表示方法がある。運営側としては「シンプルページ・モード」と「フルページ・モード」と呼んでいる。

昔はパソコンの画面は小さかった。表示できるドット数が限られていた。
640×480からはじまり、800×600、くらいまでは、一枚の紙のような表示でないとキツかった。
それ以上の表示が当たり前になった頃から、周りを付けることを考えて「フルページ・モード」を作ることにした。

ここで、トップページを例に、二つのモードを紹介しておきます。
こちらがシンプルページ・モード、こちらがフルページ・モード
現在やっている作業は、シンプル・モードの時に、全てのページに右向き赤三角が表示できるようにすること。

フルページ → シンプル は、画面右側に「シンプルページ」というボタンを用意したのですが、シンプル → フルページ は各ページからできなかった。なので、右向き赤三角を(気が付いたものだけ)付けていた。

遠い昔に作られたページも多々ある。
公表では、2000年からやっていることになっていますが、その二年くらい前から別の名前(サイト名)で運営していました。
あるとき、その名前を付けた商品が発売されて、「他の人が付けようとしない名前にしよう」と考え「犬とゆく」にしたのが、2000年でした。

2000年以前に作られたページもあるので、それらにぶつかると驚くし、ため息も出る。「こんなので動くんだ」とブラウザの懐の深さに感謝。

次回は、今も動く昔仕様のソースコード(html、JavaScript、phpなど)について。

作業していて、途中まで何の違和感なかった自分が怖いというか情けないというか。
ソースを基本に考える時代ではないけど、これだけ古い(古典?、泥臭い?)ものでも動くんだなと、驚いた記録です(爆)

 

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2019年3月 2日 (土)

松任谷家が犬を迎えたときの話

ラジオを聴いていたら、松任谷正隆さんの声が聞こえてきた。「ブログを書こうをおもったんだ」と思い出し、そのためにとっておいた、JAFMateをひっぱり出してきた。
(急いで書いたので、ヘンな個所があるかも。後から所々書き直すかも。)

JAFとは長い付き合いですが、2年前くらいからJAFMateで連載されている2つのコーナーが好きで、よく読むようになった。

一つは「幸せって何だろう」。毎回違う著名人が幸せについて語る。幅広い人が書くので興味深い。単純に年齢だけを考えても、若い人は「今」の中から探し、高齢になってくると昔の幸せ体験の話になることが多い。

そしてもう一つ私が好きな「車のある風景」が松任谷正隆さんの連載。
車の話なのですが、ちゃんと「落ち」を用意してくれている。最も記憶に残っているのは、結婚前の奥様と隠れるように車の中デートを重ねていた。ある時、納豆スパゲティーを持っててきてくれたのですが、それを車の中にぶちまけてしまい、とんでもないことになったという話。

 

最近掲載されたものは「犬に振り回される」。興味深く読ませていただいた。
とても簡単に紹介するので誤解を与えてしまうかもしれません。細かいことはスルーしてくだい。概要は以下の様な感じ。

 

結婚してすぐの話だそうです。
一頭の犬を迎えた。一頭では寂しいとおもいもう一頭迎えた。
後から迎えた犬が、迎えてから一週間目の朝、植木鉢の上で冷たくなっていた。

もちろんその犬を迎えたショップに電話を架けた。その対応に不満はあったが、ペットロスは収まらず、また犬を探してくれないかとお願いする。
探してもらっている間に犬種団体の存在を知る。そことやり取りをした結果、犬の流通のブラックな部分に遭遇する。そして自力で犬を探すことを決意する。

業者の人の手を借りず、今のようにネットで情報を得ることも出来ない時代に。まずは紙媒体で情報を集める。犬種団体を知ったのも厚い図鑑の終わりの方に載っていたとか。

そして、あるブリーダーと知り合う。週一でそこに通って色々と教わったそうだ。
犬を譲る条件は「チャンピオンにしてやってくれ」。つまり、ドッグショーに出してやってくれ。

 

(ここから松任谷家の記事から離れます。後で戻ります。)

ドッグショーを知らない人は、「お金をかけて着飾るように仕上げた犬が勝つんでしょ!」と言うことがあります。犬が全く同じであれば、そうだろう。しかし犬は生まれた時から違う。人間が一人一人違うように。
それを良く知っているのがブリーダー。細かい違いが分からなければ健康な犬を産み出すことは出来ない。なので、犬の世話についてもきめ細かい。若かりし日の松任谷ご夫妻はそのようなことを学んだようです。

たしかにドッグショーは、ある程度の誤魔化しやハッタリのようなことも行われる。実際に足を運ぶことで、どのようなことが行われるのが見て知ることができる。
これが分かるためには、犬の体のことを勉強しなくてはならない。大した勉強でもないですが、数多くの犬を同じ動きで見ないとならないので、本やネットでは難しい。

ドッグショーに行き、犬の体について色々と気付き、ショー会場や関連の場所で多くの飼い主さんと知り合い、様々な犬との生活の在り方を知ると、犬がどれだけ人に寄り添ってくれているのか分かるようになる。

松任谷家がこの犬を迎えて気が付いたことは、しっかりとした性格であるということ。チャンピオンになれる犬というものは、そうでなければならない。
多くの人に囲まれたリングで動じず、ハンドラーの指示に従い、ジャッジに触られたりする。その間だけでもお行儀よくしなければならない。チャンピンになるには、何回も勝たなければならないので、まぐれでは駄目なのだ。お行儀よいことが身についていなければならない。

このようなことに気が付いてくると、ブリーダーという仕事は大変そうだなとおもうようになる。普通の感覚の(お金を儲けるための)仕事では無理なことに気が付く。
体のことだけでも数多の要素がある。それらについて完全にクリアすることは不可能だろう。さらに人間と暮らすための相性のようなものも含めると(完全は無理なので)、もう「好み」になってくる。

最近、繁殖業者のことが議論になることがあるが、このようなことが議論されることがほとんどない。飼育環境さえよければOKのような風潮がある。私はそれに恐ろしささえ感じている。
犬のことを語る人の中に、体のことだけでも数多くのチェックポイントがあることを知らない人がいる。それが露呈していることにさえ気づかない人も。

 

(松任谷家の記事に戻ります)

少々引用
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犬を連れてあちこちのデパートの屋上に行き、ドッグショーに出した。最後のポイントを獲得したのは京都のデパートであった。これで普通に暮らせるね、なんてかみさんと話ながら犬を後席に乗せ、帰途についた。
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ドッグショーの多くは週末や休日に行われる。松任谷ご夫妻の仕事のことを考えると、ブリーダーとの約束とはいえ無理をしたのだとおもいます。それだけの価値があると感じられたから続いたのだとおもいます。

続きの文章を印象します。以下の文で、このコラムは終わります。
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黒い犬は後席背もたれの後ろの指定席へ。東名高速を走りながらバックミラーを見ていたら、夕日の中にシルエットになった新チャンピオンは、むっくり起き上がり背中を丸めた。「やめろ!」と叫んだが、もちろんやめてはくれなかった。
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コラムの構成としての「落ち」ですが、一緒に暮らしていて楽しい犬とは、こういうこともあるとおもいます。人前ではお行儀よく、家で家族の中ではしっかり自分を主張する。
「やめろ!」と叫びましたが、「自分たちも大変だったけど、お前も大変だったよな。お疲れ様」という気持ちもあったとおもいます。

幾つものショーに出たという大変な体験を通して、お互い理解を深め合ったこともあるでしょう。その区切りにこのようなことをしてくれる。

私は、こういう犬が「いい犬」であり、「いい犬との関係」だとおもっています。

 

(松任谷家の記事とは関係ない、私の考えていること)

犬の細かいことを知り、自分の生活スタイルも分かった上で、犬の好みの話をしたい。「私の感覚はこうで生活スタイルはこうだから、あの犬種のこういうタイプが好き」というような話だ。

マスコミで犬のことをあれこれ語っている人が書いていることを読んでいても、犬の細かいことも人間側の生活スタイルの話も読み取れることがほとんどない。
こんな情報ばかりでは、犬との生活を楽しむ人が増えることは難しいのかもしれない。そもそも、そのようなことは紙媒体でもネットでも伝えるのは難しいのだろう。

松任谷ご夫妻はペットロスを経て、業界のブラックな部分を知った後に、ブリーダーと知り合い、色々なことを教えてもらい、そしてショーに通った。
そこで、幾つもの出会いがあったこととおもいます。実際の犬も見て、人と話をする。ビデオなどではなく実際の犬と、その犬と生活している人と話をする。

これが犬の勉強の基本なのではないかとおもっています。
色々な飼い主さんと話をすると、色々なことを試す人たちに出会います。トレーニング、日々の食事や散歩の仕方、獣医療などなど、色々なやり方があり、そこに辿り着くまでの紆余曲折を聴くことができることもあります。

そういうことをやってきた人間からすると、世間で注目されている先生の中には「この人、日常では犬とどれだけ向き合っているのだろうか。たぶんこの人が考えている理想の犬との生活なんて、自分には物足りな過ぎるだろうな」と思わずにはいられない人が少なくない。

 

犬は人間に寄り添ってくれます。人間の生活を豊かにしてくれます。
それに気づき、より生活を豊かにすること(それは犬にとっても喜びだろう)を目指す人が、一人でも増えることを心から願っています。

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2019年3月 1日 (金)

2月の「犬とゆく」

1月は寒い寒いと云いながらも、この数年の冬を思い出せば穏やかな日も多かったのではないでしょうか。暑がりな犬にはいいお出かけ日和の日もあったとおもいます。

2月もお出かけ日和の日とおもえる日がありましたが、皆さんはお出かけなさったでしょうか。「犬とゆく」がお出かけの参考になれば幸いです。

 

1月の公開数は8件と少々頑張りすぎたかなとおもっていましたが、2月も8件。年間通算16件。
一般の更新以外に修正が10件以上。正直に云ってしまうとヘロヘロです
でも、どうにかやってゆけています。投稿や修正情報などあっての「犬とゆく」。それらがいただける限り、頑張ります!

 

■更新以外

以下のページのリンク切れ(リンク先変更)に対応しました。
この他のリンク切れにお気づきの方はご連絡ください。
手打ちそば処 うえだ
愛犬と泊まれる温泉宿 伊豆ワン倶楽部
きがるな・・宿・シーガル
伊豆高原わんわんパラダイスホテル
旅籠屋 浜名湖店

以下のページは、リンク切れになり新しいHPが見つかりません。
また、情報サイトやブログなどでも利用された書込みなども見つかりません。
DOG CLUB HOUSE いいら
cottage2cv

去来庵 松城館
平成29年末に屋上ドッグラン閉鎖済み

ドッグカフェ WILD★WAN
店舗移転準備の為、昨年に閉店致しました」とブログに書込みがありました。
また「新店舗は着工し、今春オープンに向けて、DIYにて建築中です」とのことです。
HPのアドレスも変わっていたので対応しました。

ラトゥール
2017年春に閉館されていたようです。

Cafe & Restaurant ELPERRO
2011年5月に閉店していたとのこと。
今頃気付いてすみません。

CARO FORESTA 伊豆高原 Cuore
利用料金の変更(なんと値下げ!) 。最低料金が、17,860円 → 15,400円
一口コメントに「また、CARO RESORT全館のチェックアウトが11:00に統一されました!」との書込みがありました。

草加公園ドッグラン広場
以前は有料・会員制でしたが現在はそれらは廃止されたようです。

 

■2月に更新した情報

昇仙峡/昇仙峡ロープウェイ
甲府駅からは車で10キロ以上。ロープウェイはケージなしでも乗れますが混雑時は注意。山頂駅から山歩きも楽しめる。

洋食屋さん With Dog HANASHINOBU
山梨県の河口湖近くにある洋食屋さん。昔から犬連れ「も」OKのお店で、今もそのスタイルは変わっていないようです。

ワンコが主役
栃木県那須塩原市の黒磯・板室ICからほど近くにある区画貸切のコテージ&ドッグラン。オートキャンプも可能。

こもれび森のイバライド
茨城県稲敷市にある、体を使って体験するテーマパーク。ドッグランあります。犬禁アリアもありますのでご注意。

高崎白衣大観音
高崎市の市街地から西の方に行った所にある大きな観音様。周りが公園になっている。遊歩道もあります。

上信越道・甘楽PA
上信越道・吉井インターと富岡インターの間にあるPA。ウンチゴミ箱あります。目的地に行く前にコレがあると有難いですよね。

霧ヶ峰夏山リフト
長野県の霧が峰高原の夏山リフト。犬と乗れることを積極的に宣伝していないようです。暑い季節は高原で涼むことができたらいいですね。

プチホテル パディントンハウス
長野県の北志賀高原よませ温泉にあるプチホテル。ワンワン露天風呂やアジリティーフィールドも。館内もなかなか。

 

もう三月。犬の散歩にはいい季節になりそうです
お出掛けして、投稿や情報提供よろしくお願いします。

それにしても、月日が流れるのが早く感じる今日この頃。年齢のせいでしょうね

三月も今のペースで頑張ります!
お楽しみに

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2019年2月23日 (土)

ヒグチユウコ展 CIRCUS

20190223a2月21日(木)、平日の午後に世田谷文学館で行われている、タイトルの展示を観てきました。

消えてしまうとおもいますがプレスリリースはこちら。特設サイトはこちら
観てきた感想を一言でいうと、「これで 800円は安い!」。見応えある作品がいっぱいでした。

女房に誘われて行きましたが、私はヒグチユウコという人のことをよく知りませんでした。
会場に入ったら、「なんか見たことある」となり、「あぁ、これ知ってる」というキャラクターも。そんなこと抜きにしても楽しい、そして興味深い展示でした。

20190223i絵や立体作品が並べられているだけではく、覗き穴やシートをめくったり絵本の見本が何箇所にも置かれて見ることが出来たり。初期の作品を見ることができたのもよかったです。

上半身が猫、下半身が蛸、手は蛇のギュスターヴくんやひとつめちゃんなど定番のキャラクターだけではなく、今井昌代さんとのコラボ、カカオカー・レーシング、女の子の一連の作品(ホラーと名付けられているようです)などなど。こちらの本 (「バベルの塔」展はタラ夫くんが宣伝していましたね)の中の絵の原画も何点かありました。
どれも独特な世界観があり、時に衝撃的なのですが、最も衝撃的だったのは「きのこ会議」。きのこたちが自分を守るために策を講じるのですが、その結末は!!

多くの作品を見ていて、創作活動が好きで好きで仕方がない人なんだな、と感じたと共に「どんなものも見てみよう」または「自分が嫌いなもの、拒否したくなるもの、醜いとおもうものこそしっかり見よう」とおもっているのか(怖いもの見たさ?)、何をどう描いても自分のものにしている。しっかり見ている。
なので、緻密な絵の隙間に埋められた何気ない絵もしっかり描かれてことに驚く。動植物をモチーフにした絵がほとんどですが博物画のような雰囲気があり、内臓が描かれていたりもする。

ギュスターヴくん他、猫をモチーフにしたものが多かったのですが、猫の他にインパクトがあったのがワニ。オブジェもありました。
そんなこともあり、「俺、つしま」や「ワニ男爵」を思い出した。どちらの作者よりも、ヒグチさんの方が幅広くそして深く対象を見ようとしている。表現も幅広く深い。その情熱のようなものに恐ろしさすら感じた。

何をするのもネットやパソコンを使い、すぐに答えを出すのが当たり前の時代に、それとは別の世界がありました。

会場の世田谷文学館は不便な場所にありますが、そこを差引いても、これらの展示が、800円で観ることが出来たのはラッキーでした。

 

有料の展示会場は撮影禁止でしたが、一階の広間に大きな展示があり、これらは撮影NGではないようだったので撮ってきました。

20190223b 20190223c

20190223e 20190223d

20190223g 20190223f

20190223hこれらが展示されている近くに、グッズ売り場があり充実していました。
GUCCI ともコラボしているアーチストなので、高いかなとおもったのですが、そのようなことはありませんでした。

会期末まで一ヶ月以上ある平日に行ったにも関わらず、ガラガラという感じではなく、人気の高さを実感しました。行列が進まなければ見ることが出来ないという程でもありませんでしたが、覗き穴や見本の絵本はゆっくり見ることはできませんでした。

ヒグチさんが好きな方、一度よく見たいとおもっている方、興味をおもちの方、早めの平日に行くことをお勧めします。

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2019年2月22日 (金)

映画「ねことじいちゃん」のパンフレット

今日、2月22日は「猫の日」でもあり、岩合さん監督作品「ねことじいちゃん」の封切日でもある。
その10日ほど前に女房がパンフレットを入手してきた。

20190222a私たち夫婦は(昨日のブログにも書いた)「俺、つしま」のファンである。このパンフレットに「俺、つしま」の作者が何やら描いているという情報を得たので女房が入手してきた。

横長の紙を両側から横に四つ折りになっている。
一回開いて表裏を並べると、右のようになる。裏側の写真を見る限り、映像は綺麗に仕上げているようだ。岩合さんが監督なのでそこは期待できそう。
写真展や写真集もあるらしい。猫いっぱいの現場だっただろうから、岩合さんはカメラを持ち出し(監督業を忘れる勢いで)猫の写真を撮ったような気がする。写真展や写真集に納得。

右上の状態を裏返すと左下のようになっていた。「俺、つしま」の作者が描いたコメントが紙面いっぱい。志の輔さんが猫に見えてくる。何気ない絵のように見えて、猫が猫らしい。リアル猫を直接的にイメージできる。人間も雰囲気が伝わってくる。「あの俳優さんがこんな演技しているんだな」と想像できる。

20190222b 20190222c

左上の状態から更に広げると、右上のように広がる。何人もの著名な方から、絵と文章でコメントが寄せられている。
その中には「人間までも猫に見えてくる」という文も。
素敵なイラストばかりで、猫のイラストもありますがリアル猫とは別な雰囲気。

 

ついでに個人的な岩合さんの写真の思い出を書かせてもらう。
私は20歳~25歳くらいまで一人暮らしをしていました。その頃、毎年壁に掛けていたカレンダーは岩合親子のものでした。
子供の頃からお父様(徳光)の写真が好きでした。海外の野生動物写真をカレンダーなどに使われていた写真家は限られていましたが、その中でも動物の生活や習性を感じることが出来るものだったので特に好きでした。

今の岩合(光昭)さんの写真を目にするようになると、お父様の写真よりも「いいな」とおもう写真が増えていきました。
何故だろう?、と考えたら、お父様の写真の良さに、一般的な写真の良さの要素をしっかり取り入れているからだと、当時の私はおもいました。時代の感覚というものでしょうか。

ポップでキャッチーなものが好きな私は、そのような岩合(光昭)さんの写真がどんどん好きになりました。
我が家にはテレビがないので、皆さんがよく話題にしている猫の番組を観たことないのですが、岩合さんの作ったものであれば、多くの人の心を掴むだろうなと想像しています。

そんな岩合さんの監督作品なので、まず映像が素敵だろうし、猫の見せ方、人の見せ方も素敵なものになっているだろうと期待しています。

 

ついでに、昨日に続き、「俺、つしま」のこと。
決してポップでキャッチーではない感じがするのですが、「こううい作り方あるよな」とおもうポイントがあちこちに。「これってあの作品(有名な映画やドラマ、小説など)へのオマージュか?」とおもうことしばしば。

昨日書いた「さんぶんこ物語」のストーリーもよくよく考えると、ストーリー作りの基本をしっかり踏襲している。ある意味、キャッチーとも言える。

下の二つの写真を見てほしい。「俺、つしま」の表紙。帯び付きと帯なし。帯なしではセミを持っています。

20190222d_2 20190222e

この書籍中、セミが出てくる話が幾つかある。10ページにも満たない。それを読んでいるだけでも、幾つもの映画などを思い出す。
この作者の頭の中の引き出しには、多くの有名作品が入っているような気がしてならない。

 

岩合さんにはまだまだ映像作品を作り続けていただきたいし、「俺、つしま」(偶然、今日2月22日第二巻の告知があった)の作者にも漫画以外に進出してほしい。

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2019年2月21日 (木)

猫が幸せならばそれでいい 猫好き獣医さんが猫目線で考えた「愛猫バイブル」

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書籍の紹介です。
動物行動学を専門とする獣医師「入交眞巳」先生の著書です。本のタイトルは、このブログのタイトルの通り。長い。

入交先生のお話は何度か拝聴させていただいたことがありますが、私にはレベルが高い感じ。
猫や犬の行動を学問的にどのように理解すれば、生活に活かせるか、問題解決できるか、生活の質を改善できるか、などの話でした。
テーマも、結論である「こうするのがいいですよ」も、難しいことはないし説明も分かり易いのですが、その間にある理論が私には「レベルが高い」と感じてしまいました。

20190221aさて本題。こちらの書籍の話。

冒頭の章、「猫は夜行性」は勘違い、で以下の文があります。
=====
ノクターナル(夜行性)かダイアーナル(昼行性)かといえば、猫はこのどちらでもありません。猫は、クリパスキュラー(薄明薄暮性)、つまり早朝や夕暮れの薄暗い時間帯に最も活発に動く動物です。
=====

これを読んだ時に「こんな横文字言葉は知らなくていいよ」と感じ、「やはり小難しい理論の羅列や横文字がいっぱいなのかな」とおもったのですが、その先はこのようなことはほとんどなく、多くの部分は、ご自分が共に暮らしてきた猫とのことを例にしたり、身近なものを感じました。

20190221b読んでみて、皆さんにお勧めしたいとおもったので、ここに書いているのですが、冒頭に書いたように、この書籍を手にするまでは、あまり期待をしていませんでした。

しかし、日本人のある程度の数の人が、猫や犬に対して古い固定観念をもっていて、その中には間違えや今の世の中では理解されないことが多々あることを、私は危惧しているので、それを改めていただくには、入交先生のような方に活躍していただきたいと、陰ながら願っています。それで読んでみたのです。

実はそれもあるのですが、本音を書いてしまうと、(本書では「漫画」となっていますが)挿絵に惹かれて買いました。
描いているのは、「俺、つしま」で有名な、おぷうのきょうだい先生です。

「俺、つしま」は、Twitter で始まりました。はじめの頃は、気ままに書いている感じのもので、形式も決まっていませんでした。今もそんな感じです。
この漫画は、「つしま」と呼ばれるようになった猫を中心に起こったことを模写している漫画なので、伝えるために最適な形式をとっているようです。形式にとらわれず、最適な「絵で伝える」方法が私には気持ちよく入ってきます。

つまり散文なのです。内容も。
Twitter で読んでいると、「唐突に何これ?」と思う作品が載ったことがありました。それらの幾つかが繋がるだろうことは読み続けていると分かったのですが、一つの物語としてまとめることはありませんでした。しかしそれが随分と後になって、ビックコミックBUROS.NETに物語として載りました。

「俺、つしま」の書籍は既に第一巻は発売されています。それには散文のまま(途切れ途切れの話のまま)幾つかが載っています。
ビックコミックBUROS.NETにアップされたものは、ある程度の期間が過ぎると消えてしまいます。現在その物語全体を読むには過去のTwitterから探し出すしかありません。

 

何故、入交先生の書籍の紹介で、こんなことを書くかというと、この本の175ページ全体に、一人の男性高齢者と一匹の猫の絵がありますが、この男性が前述の物語に登場するのです。

ぱっと見ると「なんで猫の本に、男性高齢者を大きく、猫を小さく描いた絵に一ページ使っちゃうの?」とおもう人もいることでしょう。
この絵を見ていると、猫と男性の存在感の大きさが同じように感じてきます。猫も高齢であり、この二人には特別な繋がりがあるようにも見えてきます。

前述の物語にはタイトルらしきものとして「onece upon a time in somewhere(いつか 知らないところで)」と表示されていましたが、私は「さんぶんこ」物語と呼んでいます。それが今年五月に発売される第二巻に載るのか、それが気になって仕方がありません。

その「さんぶんこ」物語に出てくる魚屋さんが、175ページの男性にとても似ているのです。
店の魚を泥棒猫して追われたりもするのですが、ヤマ場の一つである夜明け前に、主人公のつしまがTNRのトラップにかかった「テルオ」のために闘う決意をしたときにも、彼の頭の中に出てきたりもします。

もし、この「onece upon a time in somewhere(「さんぶんこ」物語)」が映画化されたら絶対に観に行きます。しかし、映画化は出来ないでしょう。
猫の自然な動きや逆に擬人化された動きを実写で撮ることはできないだろうし、アニメ化したら、この作者の画の魅力を半減してしまうだろうから。
ストーリーを思い出すと涙が込み上げてきますが、それはあの絵があるからです。擬人化しても猫であると見えるところに凄みさえ感じる画力です。

 
そんな猫を猫らしく描く漫画家を選んだ入交先生なので買いました。読んでみて、「うんうん、この選択はとっても正しい」と再確認。猫の生活を説明する挿絵にはベストチョイスだとおもいます。やはり入交先生は凄い先生だ!

本書の中の絵は、猫の習性を説明する補足として使われていることがほとんどですが、何ページか魚屋さん似の高齢者が描かれたページのようにイメージを伝えるページがあります。
猫が擬人化され、鮨屋のウィンドウをながめていたり、他の人(猫)が使用中の個室(トイレ)のドアを開けてしまい驚いたり、母親(猫)連にれられて町中を歩いていたり、みんなで読書していたり、服を着てお洒落をしていたり。
魚屋さん似の男性が描かれているページは、認知症について語られている章であり、絵が人間の高齢者と猫の高齢者であることから使われたのだとおもいます。

 
挿絵の素晴らしさもありますが、猫について現在分かっていることを科学の裏付けをもって説明してくれている本書は、現在(いま)猫を飼っている人なら一読しておいた方がいいとおもいます。
猫のことに限らず、「過去の常識が現在(いま)の非常識」であることもあります。共に暮らしている猫を、そしてご自分を守るためにもお薦めの一冊です。

猫が幸せならばそれでいい: 猫好き獣医さんが猫目線で考えた「愛猫バイブル」

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2019年2月20日 (水)

インフルエンザ ~ 大人喘息?

自分の健康のための備忘録。
(たぶん)インフルエンザに感染して、(たぶん)インフルエンザが治ったとおもったら、女房がインフルエンザに感染したと診断される。私は高熱などの症状は治まったものの、咳と怠さが残る。

インフルエンザの症状があまりに辛かったのでメモをとっていた。その後も「何故、咳が止まらない」とメモをとっていた。それを自分の備忘録としてまとめておきます。

 

1月19日(土)
仕事で打合せ。この季節は人前でもマスクをするようにしているのですが、このときはしていなかった。

1月20日(日)
喉が痒いような。
そしていがらっぽくなり、少し咳が出るようになる。
痰が切れないような感じ。

1月21日(月)
午前中 仕事で外出。
帰宅し、14時頃、土曜日に打ち合わせた人と電話で連絡。
土曜日私と打ち合わせた後からインフルエンザの症状が出て
現在寝込んでいるとのこと。後日、インフルエンザAと診断
されていたことを聞く。
咳のことなどあり自分もそうなのかもとおもうようになる。
(夜)
咳が多くなる。何故か眼球とその周り(こめかみなど)が痛む
体温を計ってみる。 36.8度(平熱は36度弱)

1月22日(火)
主な症状は、眼球とその周辺の痛みは増す。
倦怠感が増してゆく。倒れるように寝ていた。
(夜) 38.8度
インフルエンザと考えたが、体も気持ちも動かず病院にいけない。
女房に、ゼリー状の水分&ビタミン等を補給できるものを買ってきてもらう。
これで一時的に調子が落ち着くことが分った。スポーツドリンクも常備する。

1月23日(水)
(朝) 37.2度 (昼過ぎ) 36.7度
体調も楽になり、昨晩の体温は一時的なもので、
やはりインフルではないと考え病院に行かなかった。
(昼)ヨーグルトを口にしたら「苦い」と感じた
昼過ぎ、36.7度。やはりインフルではないと考えるが動けない。
咳は時々、鼻水もときどき。ひどい時もあった。
思考能力は明らかに落ちている。何も出来ない

1月24日(木)
(朝) 37.3度
火・水、と昼食を食べることが出来なかったがこの日は食べた
ゼリーやスポーツドリンクのお陰か、少し落ち着いた感じだが
休養することに努めた。
(16時頃) 37.0度
倦怠感、若干の筋肉痛や関節痛、頭痛など。
咳や鼻水は落ち着き傾向。

1月25日(金)
(朝) 36.0度
だいぶ体調(思考能力含む)も回復、洗濯をする。
久しぶりに布団を上げる。
(11時) 36.8度
昼食を摂る。
用事があったので外出。
発熱があってから48時間経過すると薬は効かないと聞いて
いたので、病院には行かなかった。
帰宅後、部屋が埃っぽいこと感じたので掃除。
掃除機の埃の処理をしたら、呼吸困難の時の様な息苦しさ。
動きが止まる。
(18時) 36.2度
息苦しさあり。
晩ご飯後、ダラダラとネットサーフィンをしていたら、
急に眠くなり、倒れるように少し眠る。
(25時) 35.8度

1月26日(土)
(朝) 36.2度
体調はほとんど元に戻った。
ときどき胸に息苦しさが残る。
健康時と変わらない感じで家の中で過ごす(外出なし)
ほとんどパソコンに向かっていた(仕事が忙しい季節)。
(22:30) 36.0度

1月27(日)
(朝) 35.5度 (これくらいが平熱)
体がなまっている感じがしたが大事をとって家で過ごした。

1月28日(月)
少し運動した方がいいと考え、ドン・キホーテ
(徒歩10分ちょっと)に行ってみる。問題なさそう。
(17時過ぎ) 35.8度

1月29日(火)
(朝) 36.0度
平熱はもう少し低い。
何か運動を、と考えたが、歩く距離が長いと
よくないと考え、下高井戸シネマで「教誨師」を観る。

1月30日(水)
(朝) 36.8度
微熱が出始める。
体調的には良くも悪くもならない感じ。
咳が出る、胸が苦しい、痰が出きらない感じ。

1月31日(木)
(朝) 36.0度
体が少し軽い感じ。
午前中、女房からメール
体調悪いので早退 → 病院に寄る →
インフルエンザAと診断される → 昼近く帰宅
夜、友達に誘われて、浅草に落語を観に行く。
咳込んだら友達が飴をくれた。それを舐めたら
溶けた飴がヘンな所に入ってゆき余計に苦しくなる。

その後
体調は、普通だったり怠い日があったり。
体温は、36.5~37.0度くらいを行き来する。
咳が止まらない
まさかとおもうが、インフルエンザだったら
他の人にうつすといけないので外出は控える。
咳が全く減らず。胸は苦しく感じる。
この間、仕事が忙しく、病院は後回し。その後、
仕事も一段落ついたので、病院へ行く覚悟を決める。

2月19日(火)
呼吸器専門医のいる病院へ行く。
好酸球呼気NO測定とかいうものをやったら、
結果が26だったのでアレルギーっぽいって
ことになりました。
胸のレントゲンも撮りました。
咳が出続けるほどの影などは見えないとのこと。
「では、他人にうつらないですよね?」と確認したら
「そうですね」と言われたので安心して外出することに。
咳止めの薬が3種類出ましたが、量は最低限のようです。
(私が理解した先生の診立て)~~~~
インフルエンザは喉やその周辺にダメージを与える。
その辺りがやられているときに、アレルギー的な
症状が出始めたのだろう。喉のダメージが治まれば
治りそう。なので咳止め。
~~~~~~~~~~~~~~~~~
薬についてはプラシーボ効果も期待しているのだと
おもい、それに応えるよう「咳は治まる」と自分に
言い聞かせる。
19日の晩御飯後から薬を飲む。
夜遅くから、咳の数が減ったような気がした。

2月20日(水)
季節外れの暖かさ。四月くらいの陽気とラジオで言っていた。
少し歩きたかったので「るぴなす」(徒歩10分弱)で昼食。
今までのことを話すと「それって大人喘息っていうんですよ。」
と教えてくれた。
帰宅後、調べたら確かにそんな感じだ。
夕方以降、咳は随分と減ってきましたが喉は痒い。
咳を出さないように気を付けているから出ないだけかも。
取り敢えず、これで改善に向かうと信じる。
信じることで治してみせる!!

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2019年2月 9日 (土)

1月の「犬とゆく」

1月も公開数が、週一ペースを上回りました。投稿してくださる皆様、ありがとうございます。
昨年の年間更新数は80だったので、今年もそれくらいになれば嬉しいです。それ以上だと私が辛くなります。(昔は、倍の160くらいやっていたとおもいますが年というものでしょうか

最近感じていることは、サービスが広がってきているということ。誰でも利用できるサービスも増えてきました。
昔は、イルミネーションそのものもありませんでしたが、今はそれを犬と楽しむことが特別なことではなくなりました。高速道路のSAやPAのドッグランも珍しくなくなりました。

これからもどんどん広がっていってほしいものです。

 

更新以外の目玉は、昨年の年間ランキング。
更新は、8件。少々飛ばし過ぎかも

 

■更新以外

2018年 年間 ランキング
昨年スパム対策をしたら、アクセスランキングの入れ替わりが激しくなりました。今までの上位はスパムによるものが多かったのかも。

さがみ湖リゾート プレジャーフォレスト
イルミネーションのみ利用時の入場料が上がっていた。

以下3館は、閉館または長期休業のようです。はっきりしたことは分かりません。
ペット連れ専用 プチホテル サンロード
理想郷 迎賓館
愛犬と泊まれる天然温泉宿 風の音

 

■1月の更新

アクアライン 海ほたるパーキングエリア
アクアラインの海ほたるの3階デッキの一部エリアが《ドッグレスト》というペットの休憩所になっています。
水飲み場はありますが、ドッグランはありません。マーキング禁止は当然ですが排泄が許されている場所がありません。

館山道 市原サービスエリア(上り) のドッグラン
館山道の市原サービスエリア(上り)にあるドッグラン。小型犬用と、中・大型犬用に分かれています。利用当日、周辺も綺麗に整備されていました。
市原サービスエリアは下りにもドッグランがあるようです。

マザー牧場
先月も投稿がありましたが、今回はイルミネーションです!
暗くなると多くの施設が利用できないからか、(16時以降)入場料金が安くなり、犬料金は無料、駐車場代も無料になるようです。

武田神社
中央本線甲府駅から北へ真っ直ぐ延びる道の突き当りにある神社。武田信玄の居館跡。
昔は粗相を理由に入場を拒否する神社仏閣が多く「そのうち全て入れなくなるのでは」とおもっていましたが、まだまだ入れてくれるところは結構ありますよね。特に神社は。
これもマナーについて考える意識が広まってきたからだとおもっています。

臥竜公園(がりゅうこうえん)
長野インターから約2キロのところにある公園。名前の通り武田信玄と上杉謙信の戦いで有名な川中島古戦場跡。入場無料駐車場無料。(犬は入れませんが)須坂市動物園もあります(隣接?)。

中央道 諏訪湖SA(上り、東京方面)ドッグラン
諏訪湖が一望できる中央道・諏訪湖SA(上り)のドッグラン。小型犬用と大型中型犬用の二箇所が有ります。出来たのはそれほど前ではなさそうです。SAやPAのドッグランはどんどん増えているようです。

八ヶ岳リゾートアウトレット
山梨県北杜市小淵沢町にあるアウトレット。ドッグランや犬連れでも店内OKの飲食店、ドッグ・デプトもあります。
ここは、出来た当時から(清里が近いし、小淵沢も犬連れOKの飲食店が幾つもあるから?)犬連れが多かったとおもいます。年々、犬連れに嬉しいアウトレットになっていっているような気がします。

さきたま古墳公園
埼玉県行田市にある大きな公園。犬に関する施設やサービスはなさそうですが、広い芝生や幾つもの古墳の間を歩ける散策路があります。駐車場も広かったです。のんびり過ごすのに良さそう。
私が「犬の散歩に良さそうだなぁ」と何気なくおもったので、久しぶりに投稿してみました。
(どうでもいいことですが)この辺りが「埼玉」発祥の地とか。

 

世の中、確定申告の季節になりますが、「犬とゆく」のアフィリエイトを集計したら、、、びっくりな少額。今までも少なかったのですが、昨年はいつもの半分以下、後半になって全くなくなっているので、何か設定などが間違っているのかも
とにかく使ってみていただけるとありがたい&嬉しいです!

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2019年2月 5日 (火)

猫の殺処分数@東京都

私のブログはいつでも広く一般の人に向けて書いているつもりです。
そのことをご理解の上、読み進めていただくようお願いします。

 

この何年かで、「殺処分数ゼロ」という言葉を耳や目にすることが出てきたとおもいます。この言葉の意味は何なのか?

動物のことに限らず、行政が発表する数字を理解するにはややこしいことや風評などが絡まり合っている場合があります。そんな説明だとおもってください。

ただし、ここに書かれていることは、東京都の猫に限った話です。

 

私の頭に入っていた「噂」。
(犬猫合わせた)殺処分数は昭和の頃に比べると著しく減ってきましたが、子猫の数はまだまだ多い。季節により多く持ち込まれることもあり、人手もまわらず仕方のないことである。とはいえ胸が痛む。
これを解決するには(対応の問題にするのではなく)、飼い猫も地域猫なども避妊去勢手術していただくしかない。そのような情報を広めるしかない。

(参考)
昭和の終わり頃まで、犬猫合わせた殺処分数は、約100万頭。
平成29年度は、4万3227頭だそうだ。(参考ページ

 

そもそも「殺処分数」って、な~に?
大昔、狂犬病予防法による「犬抑留所」、その後「犬を捕まえる保健所」とか言われ、今では動物愛護センターとか呼ばれる施設(現在、東京では「動物愛護相談センター」)に持ち込みや捕獲依頼で収容された犬や猫の内、施設内で死亡した数、とおもってだいたい間違いないです。

 


さて、私の勘違い。

東京都が公表している数字に以下のものがあります。
(平成29年度に、収容中に死亡したもの及び動物福祉の観点から致死処分をしたものを除いた殺処分数は)犬は0頭、猫は16頭
それに対して(全てを含めた致死処分数は)犬15頭、猫439頭

こちらにもその数字がでています(微妙に数字が違うのが気になりますが、私が見たものは上記の数字です)。

 


今出てきた、殺処分致死処分という単語について説明しておきます。

国のルール(総理府告示の「動物の殺処分方法に関する指針」というものや環境省統計のルール)では、全て込みで「殺処分」とする、となっています。

しかし、この5年くらいでしょうか、「殺処分ゼロ」とか云う言葉を見聞きする機会が増えてきました。
しかし、息も絶え絶えの動物が収容後に息を引き取ったものも含めるこのルールだと「殺処分ゼロ」は実現不可能です。
そこで東京都では、それらと、健康だけど(設備や人員などの関係で仕方なく)息を引き取ってもらうことになった動物の数を分けよう、となった訳です。
健康だけど...の数を殺処分数。それらも含めて全てを含む数(=国の数え方)を致死処分数、とすることにした。

 


話を戻します。平成29年度、東京都の猫の話です。
殺処分数16頭、致死処分数439頭

私の勘違い。
「多くの子猫が殺処分されていると聞いている。16頭では全然多くないし、致死処分数が多すぎる。これはきっと何か誤魔化しがあるのではないか!」

と強い疑いを持った私は、東京都の窓口に質問しました。


東京都の引取りの基準の基本は、「自活出来ている猫は引き取らない」があります。

引取る猫のほとんどは、自活出来ないほど健康に何らかの問題があるとおもっていいらしいです。
子猫は特に、状態が良くない場合も多いし、収容までに時間がかかり、その間のケアが適切でないと命を落とすこともあるらしいです。

つまり数字には何も間違えも誤魔化しもない、ということでした。

そのように聴かされても、年間400頭以上もの猫がセンターの中で命を落としたり、そうした方がベターだろうと判断されている現実を直ぐには受け入れられなかった。

 


わざわざ東京都の窓口に電話を架けて質問をしたのには理由があった。
その夜、その数字についてボランティアで知り合った人たちと話をする予定だったから。

その話の中で次のようなことも分かった。

(先にも書きましたが)引き取るのは自活出来ない(そのまま放っておいたら死んでしまうだろう)状態でなければ引き取らない
このことは知っていましたが、どこまで厳格にやっているのかは知りませんでした。具体的なことは書きませんが、「その状態でも引き取らないの?」という実例も聞きました。

これが基本なので、子猫の場合も状態が悪くて保護しますが、持ち込むまでのケアが少しでも足りなければ死んでしまうことは珍しくないそうです。

ちなみに、東京都で「子猫」「成猫」の区別は、自分で食べ物を食べられるようになったら「成猫」としているそうです。つまり、母猫から離れたら成猫扱いみたいです。

 


ここまでで、一度まとめます。

国のルール => 施設に収容された動物が原因を問わず死亡した数全てを殺処分数にカウントする

東京都のルール => 国が殺処分数と呼ぶ数を致死処分数とする。そこから収容中に死亡したもの及び動物福祉の観点から致死処分をしたものを除いて殺処分数とする。

---

東京都の猫の収容基準 => 自活出来ない状態であることが条件(または余程のやむをえない事情がある)

---
以上の背景があるので、年間400頭以上の猫がセンター内で命を落としたようです。

 

■■
ここまでで、言葉としての「殺処分数」については、ご理解いただけたとおもいます。

 

この先は、「400頭以上」 について考えてゆきます。

 


少し冷静になって数字を見直すことにしました。

東京都が今の区分で数字を公表し始めてのは最近で、たぶん、平成27年度から。
その数字はこちらにありました。
致死処分から殺処分を除いた数字は、27年度で約600頭で、28年度、29年度と減っていることが分かります。

 

27年度以前は、このように分けた数字がありませんので総数で見てみる。

ネットですぐに見つかる資料として、こちらがあります。昭和55年からの数字です。犬と猫が分かれていませんが、平成12年(西暦2000年)でも(東京都だけで)一万頭以上であることが分かります。

私の手許にあってすぐに見つかった資料で平成14年の数字がありました。

現在でいうところの致死処分数(当時は殺処分数と表示)
(総数) 11,190
(犬)     980
(猫)   10,196
(うさぎ)   14

猫だけで(東京都だけで)1万頭以上だったのです。

この頃は「自活できない猫のみ」のルールがなかったか厳格ではなかったのだとおもいますし、現在ほど「室内飼い」の理解は進んでいなかった(進み始めた時期だとおもいます)ことも関係しているとおもいます。

昭和50年台は(犬猫併せてですが)5万頭以上ですから、一万頭でも随分と減ってきていることになります。

そして平成29年度は(私が見た資料では)439頭。

東京都の広さや、室内飼いがまだまだ徹底しきれていない点、明らかに飼い主がいない(常時外で暮らしている)猫もまだまだいることなどを考えると、439頭はおかしくない範囲に入りそうです。

 


おまけ的に数字を見ていておもったこと。

よく「子猫の致死処分数が多い」と耳にすることがあります。
(東京都が公表している致死処分数に子猫・成猫の区別がありませんが、他の数字から想像というか逆算すると、東京都の場合)、子猫と成猫の割合は半々に近いようです。

---
(参考)
29年度負傷動物として収容された子猫は24頭、成猫は291頭。
拾得者からの引取りでは、子猫が353頭、成猫が3頭。
所有者からの引取りは、子猫9頭、成猫31頭。
---
譲渡の数は、子猫が192頭、成猫が55頭。
返還の数は、子猫/成猫の区別がなく22頭。
そして、致死処分が子猫/成猫の区別がなく439頭。

これらを見て、職員の方のお話し、猫の活動をしている人の話が感覚的に理解できてきました。

東京都では、基本的に命の危険があるくらいでなければ引き取らないので、殺処分以外の致死処分数がある程度あることをやっと理解できました。

そして東京都で言うところの「殺処分数」がゼロに近づいていることを歓迎すると同時に、国が言うところの「殺処分数」、東京都が云うところの「致死処分数」もゼロに近づいてくれればと願ってしまいます。


それには、やはり猫を外に出さないことしかないのではないでしょうか。
それと、避妊去勢を広めること。

 

 

最後に。

以上の内容を理解するまでに、お忙しい中ご協力してくださいました方々には、この場を借りて、お礼申し上げます。
ご多忙中、お付き合いいただき、ありがとうございました。

「子猫の殺処分数が多い!」との噂からの思い込みで、ご多忙の方々のお時間を頂戴したことを申し訳ないと反省しております。
私と同じことをする人が一人でも減るように、また、東京の猫の現状を広く一般の方々に知っていただきたい気持ちから、これを書きました。

今一度、私たち人間と猫との関係の在り方を考える機会になれば幸いです。

 

個人的な感情として、外で猫を見ることが出来なくなることは寂しいことです。
私が子供の頃(前の東京オリンピックの直後くらい)と今とでは、町の中の風景は全く違います。これから町の中で猫の姿を見ることが難しくなることは、時代の流れの一つとなるのだとおもいます。

私たちは町中で健康な猫の姿を目にしますが(子猫・成猫に限らず)病気や事故などによる怪我で苦しみ、命を落とす猫も多いということが、猫たちを助けようとする人たちの活動で明るみになってきたと、上記の数字から私は理解しました。

この問題に多くの人が関心を寄せて、誰もが一度は考えていただければと、願っています。

 

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

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2019年1月22日 (火)

夜ノ森駅が解体

前の書込みで、夜ノ森駅のことを書いた。

2020年に運転再開という情報があった。「あの味のある駅舎が復活するんだ、おぼまが捕獲された駅前のロータリーもそのままだろうか」、と想像していた。

その後、解体のニュースが入ってきた。
あの駅舎は、「1921(大正10)年から使われていたもの」らしい。

そして解体が始まるニュースが入ってきた。
地元の人の悔しさがにじむ発言もTwitterにあった。

 

おばまを迎えるにあたって、夜ノ森という町のことを調べたことがある。
一般的な情報としてWikiPedia。夜ノ森駅夜ノ森(町)の項目がある。それを基に以下書き進める。

夜ノ森という場所は、少なくとも戦国時代から「境界地帯」であったらしい。領地の境目でもあったし、文化的にも自然地理面でも境界地帯であったと書かれている。

そのような場所は何かと問題が起きて栄えないものだとおもっていましたが、そこに夜ノ森駅を作ろうとなった。
鉄道の当初の計画は、「富岡小良ケ浜から熊町(大熊町熊)を通って」とある。富岡小良ケ浜とは、夜ノ森の海側の地域だ。つまり、夜ノ森に鉄道が通る計画はなかった。
それをなんとか夜ノ森に鉄道を通し、駅を作るまで漕ぎつけた。

駅が開業したのは1921(大正10)年。
有名な桜並木を作ったのは、「戊辰戦争後の1900年に、旧中村藩士の息子である半谷清寿が、農村開発の着手を期して桜の木を植えたことに始まる。」とある。
重機のない時代に、約1500本の桜を植えることは大変なことだっただろう。観光が立派な産業資源とみなされない時代に、である。
この地に対する想いが強い人たちがいたのだろう。

当初の計画を変更して夜ノ森駅を作る条件として、地元に多くの負担をお願いしたそうだ。その負担の大きさには驚くばかりでした。

昔は、その土地を愛する有力者が大きなプロジェクトを私財を投じて行うことは珍しくなかった。地元庶民は仕事をもらえることになる。きつい仕事だったと思うが、地元の人たちは、地域の将来を夢見ることが出来ただろう。
夜ノ森については、駅が出来たことで多くの人が住むようになったこは確かなようです。

 

WikiPedia 他で色々と調べて、明治・大正時代に夢見ていた人たちのことを想像した。そしてあの駅舎は、私の想像にぴったりな姿だった。そこにおばまが暮らしていたことも。
大正時代当時のことを覚えている人は、もう生きていないとおもいますが、語り継がれていることもあるとおもいます。

新しい駅舎が出来て、後世にどんな話が語り継がれるのだろうか。

 

そして一日も早く、帰還困難区域と指定されている状況が改善され、夜ノ森で安心して暮らせるようになることを祈っています。

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