2019年12月 6日 (金)

11月の「犬とゆく」

気がつけば12月。年賀状作業も全然進んでいない私です。
「年賀状なんて、今時書いているの?」と言われてしまうかも(^^ゞ
年賀状のやり取りをしない方も増えてきましたね。昔は、お中元お歳暮も当たり前でしたが、今となっては珍しがられるかも。
世の中、どんどん変わってゆきます。

身近な動物との生活も変わってゆきます。
飼い主の意識も変わってゆきますが、飼い主と犬や猫を取り巻く環境も変わってゆきます。
「犬とゆく」を続けていると、それを感じることがしばしばあります。

 


修正など
相変わらず、きちんとメモっていないので、抜けていることがあるとおもいます。
お店の引っ越し、閉店情報、HPの変更など、皆様からの情報をお待ちしています。

八ヶ岳 カントリー・キッチン
HPアドレスが変わっていました。

花鳥野
こちらもHPアドレスが変わっていました。
また、会計システムの変更があるのでその旨記載(レジで先会計→券売機)。

ドッグカフェ WILD★WAN
既に閉店済みのお店ですが、移転先が分かりました。
その情報が書かれたHPアドレスを掲載しました。

森のログホテル カムループス
いつの間にかHPがなくなっていましたが、犬連れOKの営業はされているようです。
じゃらんから予約できるようになっていました。

ていれぎの湯 わんわん温泉
読者の方から「ワンワン温泉に行こうとしたら去年年末に無くなったみたいです」とのメールをいただきました。
残念です。


 


一般の公開
11月の公開は5件。年間通算90件。
「犬とゆく」では珍しい西日本の情報が寄せられている しげちゃんさんの長期旅行のレポートがまだまだ続きます。

人力車えびす屋 宮島店
人力車で有名な「えびす屋」さんの(嚴島神社で有名な)宮島店。時間もコースも色々選べる。今回は120分。清盛茶屋、大元公園、大聖院、紅葉谷、千畳閣、石鳥居などに寄ったり見たり。

宮島弥山大本山 大聖院
広島県の嚴島神社から南へ少し歩いた所にある千年以上の歴史のあるお寺。犬と入れるのは嬉しいですがマナーはしっかり守りましょう。

東筑波ユートピア
TV番組で「日本一客が来ない動物園」と紹介されている茨城県石岡市にある動物園。珍しい動物は居ません。ほぼ日本の固有動物。ショーもあります。

川中島古戦場史跡公園のドッグラン
長野市小島田町にある川中島古戦場史跡公園内にあるドッグラン 。2018年11月22日に設置。無人ですが受付(申込用紙記入)があります。ドッグトイレ あります。

吉香公園・錦帯橋
山口県岩国市にある錦帯橋 (日本三名橋の一つ)と吉香公園。駐車場のことも書かれています。岩国城も見えますが犬連れではちょっと難しそう。

 

11月は下旬から急に寒くなってきましたが、体調など崩していないでしょうか(人も犬も猫もその他みんな)。
季節の変わり目、寒暖差の激しい時期、そして年末年始は健康に、火事に、事件・事故に巻き込まれないように気を付けましょう。
そして素敵な一年を迎えましょう!

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2019年11月15日 (金)

10月の「犬とゆく」

9月の台風15号では今も被害から回復されていない方がいらっしゃるかとおもいます。
10月は19号、その後にも台風ではないですが雨量の多い低気圧がやってきましたね。
亡くなられた方のご冥福を祈ると共に、被害に遭われた方々には一日も早い復旧を祈っています。
 

■修正など

〇カーロ・フォレスタを運営されている会社の方より料金変更のお知らせをいただき修正いたしました。
(以下、全て「税別」)
●ペットの料金は何処の宿でも同額。
 超大型・大型3,150円/中型犬2,625円/小型犬2,100円/その他1,575円/2頭目以降1,050円
●人の料金(最低料金として、ご利用の多い1泊2食付き2名宿泊時のお1人様料金(最低額としてオフシーズンの平日料金)を表示しました。)
CARO FORESTA 那須高原 VOLPE(栃木県)14,595円~
鬼怒川 湯わん。         (栃木県)23,625円~
CARO FORESTA 北軽井沢 RIO (群馬県)10,290円~
CARO FORESTA 館山 DIANA (千葉県)13,950円~
CARO FORESTA 三浦海岸 ARENA(神奈川県)14,150円~
CARO FORESTA 元箱根 LUCIA (神奈川県)15,540円~
CARO FORESTA        (山梨県)10,290円~
CARO FORESTA ELFO     (山梨県)27,800円~
ドッグリゾートWoof       (山梨県)12,600円~
Class The Wolf         (山梨県)68,250円~
CARO FORESTA 軽井沢 GIARDINO(長野県)14,700円~
CARO FORESTA 菅平 CASOLARE (長野県)8,960円~
はんなり伊豆高原          (静岡県)30,000円~
玉響の風                (静岡県)23,625円~
CARO FORESTA 伊豆高原 Cuore (静岡県)16,170円~

 

■一般の公開
10月の公開は6。年間通算は85。昨年の80を越えました!
数はともかく、皆様のお役に立てていれば嬉しいです。

筑波山ケーブルカー
男体山・女体山で有名な、茨城県の筑波山に登れるケーブルカー。犬の乗車にはケージが必要。貸ケージもあります。

安芸の御宿 みやじま庵廣島
広島県廿日市市宮島にあるお宿。犬と一緒の宮島観光に最適。ワンランク上の宿。犬連れ「も」OKの宿。部屋以外は抱っこかケージ等での移動になります。

JR西日本宮島フェリー
広島県の宮島口駅から宮島(嚴島)へのフェリー。ペットはリードを繋ぐかケージで利用できます。客室内には入れません。

嚴島神社
広島県にある国宝でもあり世界文化遺産でもある嚴島神社。有料エリアは「ワンちゃんは抱っこのまま降ろさないで」となっています。

清盛茶屋
広島県にある嚴島神社 から少し歩いた所にあるお茶屋さん。犬連れはテラスですが屋根もあります。テラス席は喫煙可。

つくばわんわんランド
茨城県つくば市にある犬のテーマパーク。犬連れでも犬なしでも犬好きなら楽しめる。ドッグランあります。ねこハウスもあります。

 

世の中全体としては、台風のことは既に過去のことになってしまったようですが(しつこいようですが)災害関係のことを書かせていただきます。

避難所が開設されると、ペットと共に避難することが話題になりますが、日常から(犬専用ではない場所に)お出かけをして、どのような配慮が必要なのかを感じとっておくことも、犬との生活に於いて必要なことではないでしょうか。

取ってつけたように読めるかもしれませんが「犬とゆく」は(「ペットは家族」など言葉だけではなく)身近な動物が人間社会に受け入れられるようになることを願っています。
平時にお出かけして、世の中がどれだけ受け入れてくれているのかを理解・実感しておくことは災害時にとても役立つはずです。
「一般論として」と「私と私の犬」についても別々に考えてほしいのです。

災害時は、まず「自分が助かる」ことです。世の中のみんなのことよりも「まず自分」「そして身近な人たち(ペット含む)」です。
その感覚を身につけるためにも、ペットと行動する人が増えてくださることを祈っています。

 

それにしても、もう11月。すぐに12月がやってきて、来年が来るんですね。
早いものです。

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2019年10月30日 (水)

同行避難(追記)

前回の書込みは、いつものようにほとんど方に読まれていないようです。
同時に、少数ですがしっかり読んでくださり考えようとしている人が必ずいることが確認できたことは嬉しい。

毎度、基本的なことを理解していただきたくて長くなりますが、長いが故に読んでいただけない(悲)。

なので今回は誤解を招くだろうことを覚悟で短く書きます。

■ 前回の要点

平時に、役所に「自分が何処の避難所を利用すべきか」「その避難所でペットの対応がどのようになっているか」確認する。
・同じく平時に、その避難所にペットの対応」を確認する。

 

■ 気づいていただきたいこと

避難所運営は公的サービスではない。(発災初期は時に)地域住民の共助によって行われるもの。
※各自が地域の住民として、避難所運営団体が平時から何をやっているか、自分が手伝えることがないのか、そのような意識を持っていただきたい。
 先の書込みで書きましたが、避難所運営マニュアルの雛型にはペットの受入れが書かれています。しかしそれを実現する準備が進まない。つまり、誰かが協力してその部分を担えば同行避難は現実します

 

■ アメリカのこと

前回の書込みで書いたこと
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日本人は(動物関係は特に)「欧米を手本に」と考えている人が少なからずいるようですが、アメリカのカトリーナ後に整備された法律のことや、その後の避難所のことも調べてみていただきたい。
===========

(私の書込みとは関係なしに)カトリーナ後に出来た法律について書いているのを読んだ。それは好ましいことだし、そのような情報が広まってほしいとおもうことを先に書いておく。

私が「その後の避難所のことも調べてみていただきたい」と付け加えたのは、法律が出来た(正確には改正された)からと言って、大規模災害が起きたら(手続きなしに)すぐに機能する訳ではないし、法律が機能し始めても、全ての避難所、交通機関が人間の避難と同等に扱ってくれてはいない現実を、自分で調べてみて欲しかったから。

簡単に見つかる記事として、こんなものがある。2017年のバービーの時の記事。
https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2017/08/post-8333.php

日本の大規模災害の時のことを思い出してほしい。
避難所に行くことを諦め自宅で静かに避難している人たちがどれだけ多いことか。たぶんアメリカでも同じだと、私は想像している。

アメリカは懐の深い国ではありますが、結果として(歴史的にも)弱者が存在する国でもあり(災害時だけでなく、いつでも)そのような人たちに手を差し伸べてきているので、同行避難についても弱者保護の一つとして、多く人が自然に捉えることが出来たのだとおもいます。
そのアメリカでも上記記事のような現状があります。

他の何処かの良い部分を参考にすることは良いことですが「他の国がOKなんだから大規模災害時は私も助けらえるべきだ!」と要求し続けるだけではなかなか先に進まないのではないでしょうか。

 

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ここから下は長くなりますので、ご興味ある方だけでお読みください。
感情的な情報に流されずに自分が共に暮らす動物を守りたいと考えている人、次の時代について現実として考えたい人だけ読んでいただければ幸いです。
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■■ 考えてほしいのです ■■

アメリカでも法律で同行避難をするように、としています。日本も同行避難しましょうとしています。そのような風潮にもなっています。
法システムの成熟度は明らかに違い、着実な運用という意味では大きく違いますが、法を基にした制度が存在すること世論感情として「ペットも共に避難すべき」となっていることに違いはないとおもいます。
日本の現状から(私が知る限り)足りないことは、避難所運営について平時から皆で考え協力する姿勢だと感じています。
日本でも平時から対策を考え行動している人たちがいます。そこに目を向けてほしいのです。

外を自由に出歩く猫の問題が誰の目にも分かるような効果が継続的に現れるようになってきたのは、理解・協力してくださる方が増えてきたからだと、私はおもっています。
少数の地道にやってきた人たちの行動から継続的な効果が出てきて、それを見た人たちの中から、少しずつ理解・協力してくださる人たちが出てきて、共に働きかけ、地道な作業を続け、明らかな効果があると認められるようになり、その結果さらに協力者が増え、目覚ましい効果をあげています。
猫の活動は法的な裏付けがほとんどない状況で続けていましたので、一般の方が想像も出来ないようなご苦労があったと耳にしています。それでも理解・協力を積み重ねることが出来れば、先に進めるのです。

同行避難の問題も、理解者・協力者が少しずつ増え、やり方を試行錯誤し、効果が得られるような形にもっていかない限り、円滑な同行避難運営は出来ないのではないでしょうか。
現状、発災時に避難所運営を開設し、苦労しながら運営しても「あの対応が不満だ!」「ペットを一緒に入れてくれないなんて!」と言われてしまいます。これでは、より良くする気持ちも、それ以前の続ける気持ちも萎えてしまっても不思議はありません。
まずは「避難所の運営とは」の理解が広がることを心から祈るばかりです。

 

他に可能性としてあるのは「同行避難・同伴避難ビジネス」が注目されることです。
言葉として不適切かもしれませんが、ペット用の備蓄品や避難時も使えるキャリーなどが出てくるとマスコミなどで扱われ、全体として意識があがることは確かです。
現実として、営利が基本となるものほど情報発信力が強く確実に伝わるものです。
「ビジネス」なる言葉がよろしくないかも知れませんが、行政が行うものや非営利も含むと考えてください(こちらは発信力が弱くなるのが常ですが)。

今まで人間用のモノとして、避難所で床上げできる段ボールや、プライベートを確保するための仕切りなどが開発されたことがマスコミで流れたことがありますが、大きなビジネスにはなっていようです。
人間用のモノが先にないとなかなか難しいのが現実ですから、モノを扱うビジネスは難しいかもしれません。

 

となると、システムというか情報の扱い方、分かり易い形として「アプリ」でしょうか。

現状、同行避難・同伴避難の問題で最も必要とされているのは、発災時に「どの避難所がどのように対応しているか」の情報となります。何度も書きましたが、対応は各避難所の避難所運営マニュアルに書かれていて、事前に情報を集めることが出来ます。
なので、何処かの会社がアプリを作り、情報を集め・整理することが出来れば、大きな一歩となるし、ここから派生するビジネスは幾つもありそうです。

今の話は発災時の運営に焦点をあてた話でしたが、平時の試行錯誤の段階でも、基本情報(災害の種類によって、その避難所にどれらくいの人が来るだろうか、避難経路はどうか、備蓄がどれくらいあって補給をどうするなど)の収集や、平時と発災時の連絡の取り方などを、総合的に円滑にできるアプリがあれば、こちらかも(ビジネス含めて)色々なことが生まれてくるとおもいます。

各避難所別にそのようなデータや手法を積み重ねることに留まらず、広域的にデータを蓄積し、より良い方向性を見出すことが出来るのではないかと考えています。この部分でもITは大いに力になってくれることでしょう。

 

既に「長くて読めねぇよ!」言われること必至なのでここまでにしますが、最後に私の願いを一つだけ書いておきます。

役所や避難所に「確認(電話)して」と先の書込みでは書きましたが、本当にしていただきたいことは、

      避難所運営に目を向けて!

ということ。

 

ペットのことは別にしても、大規模災害時に最後の頼みの綱は、避難所が確実に運営されてるか、ですよね?
そこに目を向けませんか?
それだけなんです。

 

~~~~~~~
避難所の運営に深く関わっている方が読んだら「それは出来ない」「理想だよ」「絵に描いた餅」と思われることを、わざと書きました。
現状、一般の人には理解され難い苦労が避難所運営にはあります。今まで書いたことを真剣に検証してゆけば、それに気付くとおもいます。
この書込みが、そのような機会になれればと密かに祈っています。

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2019年10月22日 (火)

同行避難とか同伴避難とか

先の台風15号や19号は来る前から大きいと報道もあり、実際大きな被害がありました。亡くなられた方々のご冥福をお祈りするとともに、被害に遭われた方々の生活が、一日も早く以前の生活に戻れることを陰ながら祈っております。

そのような大きな災害が来る度に、ペットを連れて避難したいが受け入れてくれる避難所がない、という話が出てきます。
2011年の東日本大震災の時は、避難所に入れないことが当然のような風潮がありました。しかし国は阪神淡路大震災(1995年)以降、同行避難を示していましたが、世の中はほとんど反応しませんでした。「あんな大きな地震は当分来ない」と多くの人が思っていたからでしょうか。
2004年中越地震の時、孤立した村から犬もヘリコプターで救助されて話題になりました。この時の映像が大きな反響を呼び、その後はペットも一緒に救助することを後押しする声が多くなっていきましたた。(担当者が当時のやり取りについて語っているのをYouTubeで見たことがありますがやはり基本的にNGだったようです。しかし現場の誰もが助けるべきだと考えていたようです。)
そのようなこともあり、中越地震後、市区町村の中には、改めて同行避難の普及をはたらきかけた所も出てきました。
それでも、先に書いたように東日本大震災の時は(特に原発災害による避難命令を受けた地域では)多くの(ほとんどの?)人が家に犬や猫を置いて避難した。そのように指示されたと云う人もいれば、避難所には当然連れていけないと思っていた人がほとんどだったとおもいます。また、同行避難という言葉を知らない人も多かったとおもいます。

東日本大震災後、また改めて同行避難の普及を試みた市区町村も少なからずあったようですが、なかなか各避難所は(人間に対応することを考えるだけで)手いっぱいでペット連れの対応まで手がまわらないのが実情のようでした。

まだ記憶に残っている方も多いであだろう 2016年の熊本地震の時でさえ、ペットと避難所に行くこと(同行避難)がなかなか難しい状況でした(今もですが)。そのような状況の中、龍之介動物病院が同行避難を望む人たちに病院を開放したことが話題になりました。

 

さて「同行避難」とは何だろうか。
現在は「ペットと共に避難する行動を指す」ことになっている。あくまでも「避難する行動」のことである。
以前は少々違った。ここまでしっかりと定義されていなかった。なんとなく「避難所に一緒に行きましょう」的なニュアンスで、それ以上のことを読み取ることは出来なかった。
「同行避難」という言葉は随分と前から役所が出している文章にありました。それに対して「同伴避難」は、同行避難が知られてくるようになり、避難所までは一緒に行くが、避難所で同じ空間で過ごせないことがほとんどであることが知られるようになってから、広まった言葉です。

ちなみに、何故ペットと共に避難することを推奨しているのか、これをご存知ない方は、一度調べてみていただければとおもいます。法律で(直接的な表現ではありませんが)書かれているから、と云うのが分かり易い答えがありますが、法律で書くほど大事な理由は何だろう、と考えていただきたい。これはネットで調べれば見つけることが出来るはずです。
少々意地悪に感じるかもしれませんが、調べてみると色々なことが分かってきて、驚いたり、過去の出来事に胸が痛くなったり、多少は疑問をもったり。人と身近な動物との生活について、より深く・柔軟に考えることが出来るようになりますし、今後、身近な動物との社会問題を考える時に、現実的に考えることが出来るようになります。
日本人は(動物関係は特に)「欧米を手本に」と考えている人が少なからずいるようですが、アメリカのカトリーナ後に整備された法律のことや、その後の避難所のことも調べてみていただきたい。

理由や背景、現実はともかく、国は同行避難をしましょうと言っています。しかし(この2019年の大きな台風の時も)「同行避難とか言っているけど、受入れてくれる避難所ほとんどないじゃん!」の声を幾つもネットで目にしました。

 

やっと本題です。

このようなことにならないように、私は東日本大震災後から同じことを繰り返して書いたり発言してきました。しかしこの2~3年はトーンダウンしました。一つは、防災について語られる機会が減ってきたことがある。もう一つは、私が書いたり発言したことを「やってみた?」と聞くと9割以上の人が「未だ」と答えが返ってきたから(虚しくなって諦めた)。
つまり、私の考えを大きな団体や先生と呼ばれる人たちは、言わなかったのです。
私一人が言っている状況なので、皆さん「意味あるの?」と思ったことなのでしょう。しかし、今回の台風がきたら、やるしかなかったのです。それを平時にやっておきましょう、それだけです。

その話の前に基本的なこと。
各市区町村は予め何処を避難所にするか決めています。多くの場合、学校であることが多いようです。
そこには備蓄品など「物」も準備されていますが、災害発生時に避難所が開設されたときに運営する人たち(団体)が準備されています。もちろんどのように運営するかも話し合うように(国からトップダウンで、直接には市区町村から)指示が出ています。なので各避難所毎に運営マニュアルを作ることになっています。

という言うことは、ペットを受け入れるのであれば、そのマニュアルにそのことが書かれているはずです。
先にも書いたように、運営マニュアルは各避難所毎に作るものであり、内容を役所から押し付けられることはありません。
運営団体の人たちはボランティアです。行政の人たちが運営するのではなく、地域の人たちの善意で運営されるのです。
大規模災害が起こった時、行政の人たちが各避難所に駆け付けることが出来ないであろうことは、阪神淡路大震災や東日本大震災を体験した人ならご理解いただけるとおもいます。現実的に考えて、地域の人がやるしかないのです。
その地域の人たちが「この避難所はこのように運営しましょうね」とマニュアルを作るのです。

とは言っても、ゼロから作るのは大変です。なので国が作った雛形を都道府県がアレンジし、さらに市区町村がアレンジしたものを「これを基本的な形にして作ってみてください」としています。
その中に同行避難(してきた人やペットの受入れ)について書かれています。国が同行避難を推奨していますので「この避難所は受入れません!」とキッパリと決めている所は少ないとおもいます。多くの避難所は「検討中」や「準備中」のようです。
しかし受入れないと決めた避難所はあります。各避難所の事情から仕方なくそのような結論に至ることがあるようです。

ところで、あなたは、ご自分が避難すべき避難所が何処で、その避難所で同行避難がどのように決まっているのか・いないのか、ご存知ですか?

 

やっと、私がやってほしいこと(だけど、ほとんど方がやってくださらなかったこと)。

まずお住いの(市区町村の)役所に電話を架けて「私は〇〇町の〇丁目に住んでいますが、災害時に利用すべき避難所は何処になりますか?」と確認し、避難所を教えていただいたら、「その避難所ではペットの扱いはどうなっていますか?」と訊いてください。訊くことに意味があります。答えが分かっていたとしても訊いてください。多くの人が問い合わせたことは役所内で検討事項になるからです。
答えはだいたいこんな感じです。「ペットの扱いは各避難所で決めることなので避難所にお問い合わせください」。
その答えをいただいたら「連絡先を教えてください」とお願いします。または「避難所の連絡先は(区市町村の)HPに出ていますか?」と訊いてください。
そして、避難所に連絡し「ペットの受入れはどのように決まっているでしょうか」と尋ねてみてください。こちらでも多くの人から問い合わせがあれば、積極的に検討してくれることになるとおもいます。

 

避難を余儀なくされたとき、役所や避難所に確認のために連絡した人も少なからずいらっしゃったとおもいます。
それを平時にやっておきましょう、とそれだけです。

長々と書きましたが、たったそれだけのことが言いたかっただけでした🐶🐱

 

(余計なこと)
「避難所はボランティアでやってくれているのか。何もしない自分が同行避難をお願いするのも気が引けるな」と感じることもあるでしょう。たしかに現状、やる人・やらない人、が分かれてしまう運営方法になっています。
今の世の中、物だけではなくシステム(ルール)も新しいやり方が考えられる時代です。皆さんが声をあげ「出来ることがあれば協力するよ」と一言いえば、避難所運営のルールも今までは考えられなかったような方法が出て来るかもしれません。
素晴らしいアプリが出来て、皆で少しずつ協力し合って避難所が運営出来るようになるかもしれません。
そうなるように、もう一歩前に前進出来たらと何年も前から願っています。

こんなに長い長い文章を読んでくださり、ありがとうございます。
あなたは、より良いペットと暮らす社会を心から願っている方だとおもいます。
であるなら、もう少しお付き合いください。

日本にはまだまだ、犬や猫、その他の動物を粗末に扱うことは許されることとおもっている人がいるようです。
また、不特定多数の人が集まる場所に、犬や猫などを連れてゆくことをタブー視しているこ社会であることも感じます。それを考えれば、同行避難が広まらないことも仕方ない、となってしまいます。

避難所には、アレルギーの人もいるでしょう、本人も理由など分からず「とにかく犬や猫は嫌い」という人もいます。そのような人たちへの配慮は必要です。
ここまで考えると、面倒になってきますね。それらの問題をクリアするのは無理そうだから、やはり無理か、諦めたくなります。だからタイトルを「余計なこと」としました。

でも、私たちは進まなければなりません。このままではいつまでも同じです。そして発災時に不安になります。

前に進むために、どんな形であれ、避難所で受けれていただけるようにする。そして訓練を重ねる、経験を積む。問題点を洗い出す。
実際の災害時は特に、予想と実際は違うものです。 訓練もやってみたら「こんなはずではなかった」となることもありあす。特に動物関係は。(実際の災害は来ないで欲しいので来ないこと祈り)訓練でも数多く経験することで、先に進めるようになります。自信が付いてきます。

 

そのような状況を作るために、先に進むために、一人でも多くの方に「自分が避難する避難所が何処か」「その避難所ではペットの扱いがどのように決まっているのか・いないのか」を確認していただくことを心から祈っています。

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2019年10月19日 (土)

三茶de大道芸(2019.Sat.)

今日と明日は、三茶de大道芸というイベントがある。場所は三軒茶屋の各所。イベントのサイトはこちら

三軒茶屋のあちこちがステージになり、多くの大道芸人(?)がパフォーマンスを行う。
それを見に、昼食も兼ねて三茶へ。

正午前、世田谷線の駅前でオープニング・セレモニーに続いて、チャラン・ポ・ランタンの二人が登場。元々お姉さんはストリート・パフォーマーでこの三茶de大道芸にも出ていた。

これだけ有名になったので、多くの人が集まっていた。ファンの方たちと思われる人たちが、各曲の盛り上がり所も心得ていて、ポイント毎に大合唱なる。
ムスターファを演ったとき「60歳!」で盛り上がったとき、ちょっと寂しい気持ちになった。昔の60歳はそういうものだったのだろう。今の60歳はそうでもないとおもうけど。

ステージがほとんど終わりになった時、おひねりタイムに移行する。これも「上手い!」と思った。
先月、生まれて初めて大衆演劇というものを見た。平日だったので席はガラガラ。おひねりは熱心な常連さんが渡すだけで「大変だな~」とおもった記憶がある。それに対して、チャラン・ポ・ランタンの盛り上げ方やおひねりタイムへの流れ、そして次から次へと出てくる千円札に驚くばかりでした。

続いては、四家卯大。(ミスチル繋がり?、と云われればそうかも・笑)
なんと「ゆうらく通り」である。ラジオ焼きのお店の近く。世田谷線の駅前とは大違いだなとおもったのですが、ここがとってもナイスでした。
四家さんといえば砧公園での演奏に親しみがある人も多いとおもいますが、ホールやレコードでしかチェロを聴く機会のない私にとっては「なんか音が違うな」と思っていました。屋外なので楽器などの機材が限られてしまうので仕方ないんだろうなとおもい込んでいました。
しかし「ゆうらく通り」では、あの狭さで微妙な反響があるためか、とてもいい音に聴こえます。「いいものを聴かせていただきました」と正直におもえる内容でした。


午後一時も過ぎたので、近くの中華料理店で昼食。その後、大駱駝艦を見る。
あまり観る機会がないタイプのパフォーマンスなので細かい所を見てしまう。ご存知の方も多いとおもいますが、基本的な衣装(?)は最低限。紐と小さな布だけ。これが(どんな動きをしても)全くずれることがない。更に衣装を羽織ることがあるのですが、この質感も「う~ん」と唸らせるものだし、使い方も「えっ、えっ、、そんなことし続けるの?」と驚きの連続。
舞踏は「そこでそう来る!」「え~、そんなのあり?、あるよね!、出来ちゃうんだ、やっちゃうんだ」と驚きの連続。はじめの内は体の各所の細かい動きに目がいっていましたが、全体を見る余裕が出て来たらまたまた驚き。表情というか顔を含めての舞踏、表現。

 

このステージは二時頃に終わった。
二時半から四家さんが、今度は、あい・あい・ロードという場所でやるらしい。何処だろうと思ったら、昔よくマグロの解体ショーをやっていた辺りだ。
行ったけど時間が早すぎる。近くの烏山川緑道で「アート楽市」がやっているとプログラムに書いてあったので行ってみたが、雨のためキャロットタワーの4階で開催しているとか。
時間が潰せず、帰宅することに。

 

若林駅に向かい、駅近くの喫茶店「STEPS」へ。
毎年、つまみぐいウォーキングでコーヒーをご馳走になっているので、いつか行こうとおもっていたが、なかなか行けないでいた。
入店してマスターが若くて吃驚。つまみぐいの時には見たことがない。たぶん店内で次から次へとコーヒーを淹れてくれているのだろう。
昼食をしっかり食べた後だったので、私はケーキとコーヒーのセット、女房はウィンナーコーヒーのみ。味は、私たちの世代には「これだよね、ケーキやコーヒーって」という味。
私たちの後から高齢男性のお客さんが入ってきて席に着いたとおもったら、何も語らずコーヒーが出てきたようだ。コーヒーを飲む姿も洒落た方だった。この店に似合っていた。
店内では何かのCMの撮影をやっていた。マスターも出演するために、その打合せをやっていた。たしかに撮影に使いたくなる店である。

若林駅近くに来ると、ピーターセンに行くのが我が家のいつもの行動。
明日の朝のパンもゲットできた。午後の二時半くらいでしたが、お得な袋詰めが売っていた。
小さいながら多くの種類のパンがあり、飽きないパン屋さんだ。

STEPSもピーターセンも世田谷区内共通商品券というものが使える。
この商品券が使えるお店は、まずいいお店だ。

 

なかなか充実した土曜日の午後でした。
明日(2019.10.20)もイベントはあるので、興味のある方はまず三茶de大道芸のサイトを確認してみてください。

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2019年10月16日 (水)

リブレ(血糖値の経過観察)その2

その1 からのつづき

 

さて、血糖値を経過観察して何をするのか。

今まで、約二ヶ月に一度の血糖値検査(その時の血糖値と糖化アルブミンという約2週間くらいの状態(平均値)が分かる検査)でインスリン量を考えていた。
その1にも書いたように、それだけでは実際の体調を反映していないような気がしてならなかった。
一般的な話として、インスリンの過剰投与で血糖値が激しく上下することが知られている。その結果、平均値(糖化アルブミンの値)が良くなってしまうこともある。その時の血糖値(一般的な血糖値検査)はその時だけの値。それらだけでは、なかなか判断が難しい。

また、インスリンは人間用が元なので、猫に使用する場合は少量になる。なので少し量を変えただけで大きな影響が出ることがある。薬の効きも個体差がある。
人間用には血糖値を日常的に経過観察出来るものが他にもあるようですが、それを猫に使うのは難しい点が多かったので、薬の効き目をリアルタイムで確認することが出来なかった。

色々書きましたが、簡単に言えば

「今の薬の使い方で適切に効いているのかを確認したい。負担がかかっているようなら量を変えたり、薬を変えたいが、確認するいい方法がなかった。リブレなら出来るみたいだ。試してみよう」

こんな感じです。

 
この後、リブレの血糖値グラフを載せますが(簡単な状況説明は書きますが)インスリンの種類や量、血糖値グラフの読み方などは書きません。それは獣医師が判断し説明することで、素人の(しかも、おばまという特定の個体の)結果から、基本的な説明や詳しい状況説明なしにしたことを、参考にされたらとても危険なことになりそうだから。
糖尿病は個体差もあれば、その日のコンディションによっても変わります。体調が悪くなっても「何も変えてないのに、何故?」と思うこともしばしばです。
そんな訳で、大雑把な状況説明くらいで、詳しい解説はしないことをご理解願います。



・9月15日から、はじめてみて吃驚。
低い時間が長すぎる。こんな日もあり高血糖な時もありなら糖化アルブミンはそこそこの数字になるだろう。
この時までのインスリンの打ち方だとこのようになってしまうようだ。

2019libre_0915    2019libre_0916
※グラフの天井と底については、後述します。

・それまでのインスリンで量を調節したけどこんな感じにするのがやっと。

2019libre_0919    2019libre_0920

 

・薬を変えてみる。なかなか調整が難しい。変えた日は天井に張り付いたまま。

2019libre_0921    2019libre_0922

 

・薬を変えて量を調節しましたが、二週間のタイムアウトを迎える。

2019libre_0928    2019libre_0929

 

※このグラフの天井(高血糖)と底(低血糖)について

低血糖はそのまま命を落とすこともあるし、重篤な症状を起こしたり後遺症が残ることもあるので、とても気を付けねばなりません。
このグラフを見た感じ、50よりも少し下まではあるようですが、その下が気になります。しかし、人間のものなので、それより下の詳しい数値は分からないようになっているみたいです。
ある程度を下ると「LO」になります。ばまの記録の中で数字が表示されて最も小さいのは「47」でした。


高血糖は、短時間であったり、400くらいが2~3時間続くのは、おばまの場合、目に見えた症状が出ず(一時的な数値として)400、500は珍しくないことがよく分かりました。

このグラフなのですが 350で天井です。しかし、500未満までは個別の数値を見ることが出来ます。500以上は「HI」表示なり、それが600なのか800なのか分かりません。
リブレには過去3回の個別測定値を表示出来る機能があるのですが、下の左と右では大違いなのです。

2019libre_hi   2019libre_hinon

ブラフでは、どちらも350を超えていますので天井に張付いて表示されますが、左のように「HI」表示になると、どれだけ高血糖なのか見当つきません。右は「その辺りか」と今後の参考にもなります。
どちらも9月19日で、その日のグラフは上の方にあります。グラフ上天井になっていても、未明と正午頃では状況が違う訳です。

 

猫は何かつけて個体差が激しいですが、糖尿病はそれをとても感じます。
おばまは、低血糖による痙攣などの症状は起きたことがないし、高血糖により急な体重減少もほんの少しだけで済んでいます。
赤ライン(低血糖)の時間が長かったり、天井に張り付くような一日があった場合、顕著な症状が出てもおかしくないとおもいます。しかし今のところ症状はほとんどありません。おばまは我慢強いのかも。

 


先にも書きましたが、もしあなたの猫が糖尿病だとしても、参考にしないでください。このブログは「リブレはこんなものでした」という記事であり、決して「リブレ、最高!」という記事ではありません。

血糖値の経過観察が出来るので、インスリンの量を調整したり薬を変えましたが「低血糖で大変なことになったらどうしよう」と落ち着いていられないこともありました。ある意味、あっても無くても同じです。
外したら、また手探りの日々になります。なので外した直後は何かと不安でたまりません。

一つ言えることは、リブレを着けている間、血糖値が許容範囲に入っているときと入っていないときの様子をよく観察し、外した後、それを思い出し少し参考にすると気が紛れます。

リブレをやるまでは、飲水量を一つの指標にしていましたが、血糖値との相関性は見られないように感じました。
タイムラグがあったり、激しい上下があると飲水量が増えるのかもしれませんが、単純に血糖値が高いから飲水量が多い、ということはありませんでした。
となると、この多飲は何なのかが気になりますが(BUNやクレアチニンは正常範囲内)。

再び、戻すことや咳込むことが多くなったら、またリブレのお世話になれると思うと、少し気が楽です。

 


リブレをよく勉強している先生は今のところ少ないようなので、その意味でも皆さんにはお勧め出来るものではありません。

先生とよく話し合い、飼い主自信が判断する。これが原則です。
医療行為は獣医師しか出来ません。先生が勧めるからやるのではなく、自分が判断し、自分では出来ないから先生にしていただくのです。
いつもお世話になってる先生との話し合いの結果、リブレを使った方が良いとなっても先生が勉強している時間がないのであれば、詳しい先生を紹介していただけばいいと思います。もちろん猫のストレスもよく考えて。

 

猫の糖尿病はよく分かりません。さじ加減がとても難しいケースも多々あるようです。インスリンの取り扱いも繊細だし。「何がいけなかったの?、何も変えていないはずなのに?」と思うことしばしば。

リブレってものもが猫でも使えるみたいだけど、どんなものなのだろうと興味をもっている飼い主さんや獣医師先生の参考になれば幸いです。
 

どんな病気であれ、躾の問題であれ、飼い主さんが納得できる方法を見つけられることを祈っています。
また、より多くの情報を提供することが出来る獣医師先生が増えてくださることも祈っています。

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2019年10月13日 (日)

リブレ(血糖値の経過観察)その1

このブログには、1ページあたり写真は10枚の制限があるようなので「その1」と「その2」に分けました。
内容も分けました。
1は、やることになった経緯や服を着せてみたらどうだったとか。
2は、数値(血糖値)がどうだったのか。


ばまちゃんは糖尿病。
糖尿病とは尿に糖が出る病気。尿に糖が出れば糖尿病。何処がどう悪いのかは色々ある。
人間の場合、色々検査してその原因を調べ、きめ細かい対応をするみたいです。

猫の場合そこまで出来ないみたい。その理由が色々あることは私自身も理解出来てきた。ある意味、諦めモード。

糖尿病と診断され、インスリンを毎日打つようになってから5年くらい経つ。最近、激しく咳き込むことや吐くことが多くなってきた。今まで以上に動かなくなってきた。「年だから」とはちょっと違うのではと思っていたが、どうしようもないかなと思っていた。


そんな時のこと。
もう半年くらい前だろうか、もっと前かも。

ラジオを聞いていたらタイトルの商品の話が聞こえてきた。人間用である。
ゲストの方が実際に着けてみたら、一日の内の血糖値の変化に驚いていた。何気なく「猫にもできたらな~」と思っていた。
オフィシャルサイトがあるのですが医療関係者以外は見てはいけないらしい。
http://www.myfreestyle.jp/

人間のレポートアがあったので参考まで。
http://www.fukuyamabingo.info/entry/2017/02/06/205148
http://www.fukuyamabingo.info/entry/2017/03/02/223104

グラフが青い帯の中に入るように調整するのが基本らしいです。


おばまが病院に行くのは2ヶ月に一回くらい。半年くらい前、先生に「こんな話を聞いたけど、猫には無理ですよね~」と冗談半分で言ったら「それ、今、勉強しています。近い内に使ってみようとおもいます」と。


なんだかんだと半年くらい経ってしまいましたが、9月の中旬から下旬でやることになりました。
毛を刈った所にバツンと着装。音に驚くかと思ったら驚かなかった。着けて気にするかと思ったら気にしなかった。

2019libre_a  2019libre_b

舐めたり齧ったりすることを考えて着せた服も気にしなかった。

2019libre_c  2019libre_d  

人間のレポートにあるように、装着したら1時間待つ。病院で一時間待ち、血糖値が測定出来ることを確認したら、家に帰ることが出来る。
この日、普通の血糖値の血液検査もした。その値とほぼ変わらないので「正確なんだな」と確認できた。


家に帰ってからは、いつもの病院帰りの行動と同じ。服やリブレを気にする様子は全くない。
お腹がポッコリなので、服がまくれ上がり、リブレを舐めてしまうのではないかと心配もしたが不思議なくらい気にしなかった。

夕方、インスリンを打つにあたり困ったことがありました。背中が覆われているので首の後ろに打てない。
先生に確認したら「穴開けてください」とのこと。服を持ち上げてハサミで切ればいいらしい。その通りにやったらちょうどいい穴が開きました。

2019libre_e  2019libre_f
こんな感じで2週間、血糖値の経過観察をしました。

リブレ終了後、バツンと着けたものを外したのですが、針の長さに吃驚。
刈ったところでも、貼っていない場所は毛が生えていましたが、貼った所は毛がほとんどありません。毛が生える猫の場合、2週間前に数値が出なくなることもあるとか。ばまちゃん、いい子だ!

2019libre_g  2019libre_h

服の姿が可愛いし、すぐに脱がすと舐めるかもしれないとおもい、リブレをはがしてから三日間服を着せていました。
脱がせる時は、ちゃんと脱がせるのは面倒なので、ハサミで背中側をジョキジョキ切る。あとは脚を抜くだけ。
切っている時も気にしない。背中側を切り終わって前脚に引っかかっている服も気にせず、そのままで10分くらい過ごしていました。その後、何事もなかったように立ち上がり、歩きだして、抜けました。
脱がしても舐めることもありませんでした。

下は、10日くらい経った時の写真。やはり貼った所はあまり生えていません。
でも気にする気配なし。

2019libre_i  2019libre_j

今回のことで、おばまの毛が厚いことがよく分かりました。

その2 へ つづく

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2019年10月 8日 (火)

9月の「犬とゆく」

9月に入って涼しくなってきましたね。
台風15号には吃驚しました。まだ被災されている方たちもいらっしゃいます。陰ながら一日も早い復旧をお祈りしています。
そして、犬や猫たちと以前と同じように暮らせることを心から願っています。

10月に入っても暑い日もありました。次の週末にはまた台風が来るのではとニュースに書かれています。
穏やかな日が続いて欲しいものです。

 

■修正など

ホテル里杏
以下の情報をネット上で見つけたとの情報をいただいたのでその旨掲載。
==============
2018年1月16日より、リニューアル改装工事の為、全館休業とさせていただきます。
==============

 


一般の公開
9月の公開は7。年間通算は79。
この10年間の活動からすれば「頑張り過ぎ」くらいな数字です。
皆様のお役に立てていれば嬉しいです。

ゆ宿 おさんぽ日和
岐阜県高山市奥飛騨温泉郷にある犬連れ「も」OKの「ゆ宿」。露天風呂2、内湯2。お風呂好きなら人間だけも利用したくなるとおもいます。

たにはま公園ドッグラン
新潟県上越市にあるたにはま公園内のドッグラン。とても広い芝生のドッグラン。公園内は芝生の場所が多く、お散歩だけでも気持ちよさそう。

神津牧場
群馬県甘楽郡下仁田町にある我国酪農発祥の地 。今も牧場なので山羊 羊 馬 牛に会える。広い芝生のドッグラン もあります。更に進むと「荒船風穴」もあります。周りに他の観光地などが見当たりません。そんな場所がお好きな方にもお勧め。

喫茶 中ノ島亭
京都市右京区にある超有名観光地渡月橋の南側にある中ノ島にある喫茶店。店連れはテラス席になります。にしんそばもあります。 

人力車えびす屋 京都嵐山總本店
人力車で有名なえびす屋さんの京都嵐山總本店 。有名観光地で人力車は邪魔にならないのか心配になりますが専用の道もあります。雨降り時のレポートです。雨でも利用できます。

宿屋 きよみ荘
滋賀県大津市、琵琶湖が目の前の宿。2001年からペットを受けれている。リラックスして利用できそう。格安のプランもある。

平和記念公園・原爆ドーム
広島県広島市にある平和記念公園と原爆ドーム。犬と一緒に平和について考えるのもいいし、ただ散歩するのもよさそう。

 

地域にもよりますが、やっと舗装路の照り返しをあまり気にしなくても良い季節になってきたのではないでしょうか。
犬や猫と一緒にお出かけして、素敵な時間を過ごしていただきたいのですが、また台風が来るみたいですね。
無理せず安全第一で行動していただきたいと願っております。

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2019年10月 7日 (月)

犬種特性

つい先日、犬の繁殖業のことについて書いた(とても驚いたこと(後書きブログ))。長編なこともありますが、何度も書き直している間に「犬のことに興味を持っている人たちに読んで考えてほしいな」とおもった記事がネットに載っていた。
残念なことですが、時間が経ったら2ページ目が会員登録しないと読めなくなってしまった。
ですが備忘録として、このブログに書いておきます。

 

昨今の日本では犬や猫の殺処分数が話題になることが時々あります。以前はなかなか一般のニュースにはなりませんでした。

この問題を議論するとき「問題行動」がテーマになることがあります。ここでは「攻撃性」とは書きません。攻撃性について焦点に絞って語りたがる人が少なからずいらっしゃいますが、それだけではないし、攻撃性の定義についても人によって違うようなので、ここでは人間に対して「問題」になる「行動」として話をしたい。

以前SNSで(殺処分数の話題の中で)犬の攻撃性について話し合っている人たちがいました。その中に「産まれて来る時は皆同じ。その後の環境で変わってしまう(攻撃性を獲得する)」と書いている人たちを見た。ここまで犬を知らないことに驚いたが、日本人の中には少なからずそのような人たちがいるのかもと思ったりもした。

ただ殺処分の問題を論じるのなら、それなりに調べた上で発言していただきたいものである。

 

そのような人たちに読んでいただきたい記事が以下のもの。

イヌは品種によって脳の構造も違う、お役目と関連
品種改良で「脳の進化が急激に進んだ」と研究者
https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/19/090400515/

 

動物の基本的なことを学んだことがある人は「時間の無駄だった」と感じるかも。
人と身近な動物の関係を学んだことのある人なら「えっ、今更?」と感じたかも。

この記事の中で面白いと思った言葉があります。

「偽の動物」
(内容が2ページ目に書いてあります。公開当初は登録しなくても2ページ目が読めました。今は読めない・悲)

では「本物の動物」って何?、そこをちょっと考えてみていただきたい。

(英語で云うところの)「野生動物」と「家畜」の違いについて学び、それらどちらにも接した経験もあり、犬が産まれながらにして(野生動物との違いは勿論のこと)多くの「家畜」とも違うことを体感している人であれば、「偽の動物」の意味は感覚的にも理解できるとおもいます。

 

ついでにもう一つ。
アメリカ教育省が1993年に定義した「ギフテッド」という言葉をご存知だろうか。
人間の話です。産まれてきた時にもっているものがあり、多くの人とは明らかに違う人のこと。WikiPediaはこちら
「産まれて来る時は皆同じ」ではなことが、今の世の中の定説になっています。

他の動物と同じだった犬が、今の犬になった歴史を考えてみます。
(偽の動物である)犬になる前の状態から、犬になるまでの間、人間によって選択繁殖されてきただろうことを想像する人は多いとおもいます。
どのような選択繁殖か?
人間とのコミュニケーション能力に長けている能力、その意味での「ギフテッド」の犬を選んできた。訓練(人間の言葉もどれだけ発達していたか分からない時代に、動物の訓練なんてあったとしても大したものではないはず)しなくても人間とコミュニケーションがとれる個体を選択繁殖したのだろう。
「選択繁殖」と書くと固く聞こえるかもしれない。こう書けばいいかな。

自分ととても分かり合える動物に出会った。その動物の子供欲しいとおもって子供をとった。

こいうことだ。

 

話がどんどん逸れてきたので、思いっきり逸れてみたいと思う。
冒頭に紹介した先に書いたブログの続きのようなこと。

このような(選択繁殖の)積み重ねが、今の犬となっている。
その副作用が問題行動や遺伝性疾患。
(野生における生存競争のような)外的要因全てを考慮した生命力ではなく、人間とのコミュニケーションを優先した選択繁殖なので、そのようなことになってしまうのだろう。

繁殖業のプロの人たちは、このようなことが感覚として身についている人だ。
人間がやってきたことの積み重ねによるリスク、自分が行うことによるリスクも重々承知。
素晴らしいとおもう犬の子供と暮らしたい。勿論、繁殖した犬に一生について責任をもつ。譲った犬に対しても。
どれだけ大変なことか分かっているが、繁殖した全ての犬の一生を知らなければ、素晴らしい犬がなんであるかさえ分からない。ただの自分勝手な「好み」になってしまう。そのことも理解している。だからオープンな場であるショーにも顔を出す。

 

多くの犬の一生に携わる。
犬が産まれる前から携わり、その一生を知り、思い出になったその後も。
さらに客観性も備えるように気を配る。

繁殖業とはそのような人たちであるはず。

 

英語では、ブリーダーに対してパピー・ミルという言葉がある。長年、この言葉を(マスコミが)どう訳すか悩んでいたようですが3年くらい前から「子犬工場」とすることが一般的になってきた。
子犬を作り出し商品として売る。ほとんどの場合(命のない商品と同じく)最終購入者とは接しない。それで良いと思っている最終購入者がほとんどだかから。
最終購入者(飼い主)の意識が変わらない限り、根本的な解決に繋がらないと私は感じている。

 

紹介した記事の2ページ目の最後に書かれていること(IDを取得しないと読めないことなのでここにはコピペしませんが)が印象的でした。
私の言葉で言い換えれば、

人間は周囲の環境をより暮らしやすいものにしてきましたが、他の動物の脳をも変えてきた。だから今の人間に暮らしやすい世の中がある。その代償もあるはず。それを認識しつつ恩恵を享受すべきだろう。

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2019年10月 4日 (金)

俺、つしま の台湾バージョン

20191004 女房が「俺、つしま」の台湾バージョンをゲットしてきた。一巻である。

外国語と言っても漢字なのでなんとなく分かる。
二冊並べてみると、日本語と漫画の相性の良さが分かる。それは「漫画との相性の良さ」ではなく「日本人である自分が馴染んできた感覚」なのかもしれない。

 

有名なシーンを挙げてみる。

「やさぐれ会」で「食べ物が出てくるときに手だけでいいのに、なんで人間の本体がなんでついてくるんだろう」と話しているページ(127ページ)。
このページは、上下2コマに分かれていて、今書いた猫たちの会話は下のコマ。上のコマには、お爺ちゃんがそびえ立って「お食べ」と言っている。それに驚くオサムが「フゥー」と言う。

オサムがそびえ立つお爺ちゃんに気付いたときの擬音が大きな字で書かれている。
日本バージョン「ぬん」、
台湾バージョンは「出現」。
(参考 https://twitter.com/tsushimacat/status/943782578288332800

こんな感じのことがあちこちにあり、
中国語は「動詞」で物事を受け止めようとするんだなぁ、擬音はあまり使わないんだな、
と思った。

 

全くない訳ではない、、、、とおもったけど。

家出した「つしま」をお爺ちゃんが探すシーン。
公園で食べているナゲットを「つしま」に手から奪われた女の子が悲鳴をあげる。それを聞きつけたお爺ちゃんが女の子の所に駆け付け、手のにおいを嗅ぐ(110ページ)。

日本バージョンでは「くん くん くん」、
台湾バージョンでは「聞 聞 聞」。
(参考 https://twitter.com/tsushimacat/status/935799272628301824

「聞」は、日本語で「けん」だから台湾だと「けん けん けん」と云うのかとおもったら、
中国語の「聞」は「におい」を意味するらしい!!!

やはり擬音はないのか。
 

擬音はともかく、動詞の表現から、その場の雰囲気を想像することに慣れているのだろう。
そのような人たちにとって、動詞(何をしたか)よりも副詞や形容詞(どうしたか)で説明し、話の流れを作る日本語は難解なのでは?
「なんで動詞を隠すの!」とイライラするのでは。

 

ふと思った。

日本には「動物愛護」という言葉がある。戦後に出来たと何処かに書いてあった気がする。
元になった英語を日本語にすると「動物福祉」や「虐待防止」だけど、日本人の感覚にすんなり受け入れられないだろうから「動物愛護」という言葉を作ったと、何処かに書いたあったような気がする。
そして、1999年の法改正では法律の名前にまで入り、何度か改正がされて、今ではとても立派な法律になった(あまりに立派で読むのに苦労します)。

この動物愛護という言葉は「何をする」よりも「どのようにする」を重んじる日本らしさなのかもしれない。

 

そんなことはさておき、
最近「俺、つしま」が進まないのが残念。

漫画じゃなくても、大きな絵を描いて展覧会とかやってほしい。
自分が大金持ちだったら、是非コレクションしたい。

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2019年10月 3日 (木)

とても驚いたこと(後書きブログ)

何度も書き直してぐちゃぐちゃになってきたのでもうアップちしゃいます(苦)
「長くて読み難いものなんてアップするな!」と言われてしまいそうですが、この書込みは万人向けではありません。身近な動物たちとの環境を総合的に把握できる若い人が出てくることを祈ってアップしておきます。

 

ゴールデン・ウィーク辺りに色々とあり、その頃のことを後書きブログとして幾つか書いた。
今回の内容はその時のものではない。今年のことでもなければ昨年でもない。一昨年かもしれないし、もっと前かもしれない。
そんな昔のことを今更なぜ書くのか?、私にとって、それはあまりにショッキングな内容だったから。これから書くことを理解できる人は、誰が何を言ったか気になって仕方がなくなるとおもいますが、それが誰なのか特定しないで欲しいから。したところで大勢は変わりませんし、良い方向に向かうことはありませんから。

読んで(「なんとなく」でいいので)分かってほしいのは、動物愛護とか動物福祉と呼ばれる範囲は幅も広く、各分野の奥行きも深いということ。
それと繁殖業つまり繁殖のプロとはどのような仕事で、素人繁殖とは何が違うべきなのかを、各自「考えて」ほしい。これは「分かって」ほしいではありません。何故なら、繁殖するにあたり、何を考慮したらどれくらい違いが現れるのかを、ここで細かく書いても理解されないから。書いたくらいで理解されるのであれば、誰かが書いて(日本に限らない)繁殖業への誤解はなくなっているはずだから。
(本当の意味での)ブリーダーと呼ばれている人たちが、繁殖に、そして生まれ来た犬たちにどれだけ心血注いでいるかは、そのような人と付き合わなければ分からないとおもうから。

これから書くことで「繁殖」を行う際に、どれくらいの範囲のことをどれくらいの注意と責任をもつべきなのか(答えが出なくても)「考えて(想像して)」ほしいのです。
考えていただける人が増えれば、安易に純血種を求める人は減るだろうし、経験・実績豊富なレスキュー団体(里親探し団体)から犬や猫を譲り受けることがどれだけ価値があるかも理解していただけるだろうから。

  

■ まず、私が遭遇した吃驚したこと。

とある人たちが「ホビーブリーダー」という言葉について論じていました。何をもってそう呼ぶのかという話もあった。話の流れから、私が抱いていたその言葉のイメージと同じだろうなとおもった。
私は「個人というか家庭でオスとメスを持ってきて繁殖しているような人たちのことだよね。日本のチャンピオンだったりするけどれど、それだけでいい犬が生まれてると思っていたら恐ろしい。でも、いっぱいいるよな。つまり、飼っている環境は良い様に見えるけど、犬の健康をよく考えるという意味での環境は備えていない人たち。備えていないというか、広い意味での健康を理解していない人たち。私はあまりお付き合いしたくない人たちだな」とおもった。不思議なことですが、世の中には、このような繁殖者を「素晴らしいブリーダー」と呼ぶ人たちがいることも事実なのですが、人前で議論していた人たちの中にも「何か誤解しているんじゃない?」と思う人もいて「テーマとして扱うと分かっているのであれば調べてきた?」と思ったのですが、たぶん調べても分からなかったのだと思います。つまりその人の周囲の人には、そのような知識がある人がいなかったのではないか、ということに驚いたのです。

人前で議論をするような人に中には「犬の繁殖の現場について、こんなにも知らない人がいるのか。この人がこの程度のことしか話が出来ないということは、この人の周辺の人も同程度の知識しかないのか。そのような現状で人前で論じるのか?」と吃驚でもあり、悲しくもなりました。
 

■シリアスホビーブリーダー
言葉遊びは嫌いですが、繁殖者のタイプには幾つかタイプがあるということを知ってほしいので、書かせていただきます。

ホビーブリーダーに似た言葉で、シリアスホビーブリーダーという言葉がある。
私はこちらの人たちとは積極的に付き合いたい。しかし世の中には「ショーとかやっている人たちでしょ?」と一瞥する人さえいる。その通り、世界基準で犬の健康を見極める場に出ている人たち。

「ショーってインチキいっぱいなんでしょ?」という人がいます。「そうですけど」と私は笑顔で答える。「そんなインチキくらいすぐに見破ることが出来なくて、犬の健康が分かるんですか?」と続ける場合もありますが、相手によっては口には出さないこともあります。

 

この文章を書いていて具体的なことを書いては消した。(とても残念ことですが)書いたところでほとんどの人には理解されないだろうから。
消し過ぎて意味が通じないかもしれない。それでも書くのは、広い意味での「犬の健康」への理解が広まれば「犬や猫を気軽に迎える人は減るだろう」から。そして「気軽に捨てる人はいなくなるだろう」から。

 

プロの繁殖家がどれだけのことを考え実行しているかを知れば、また、ほとんど何も考えず(衛生環境くらいはよくしておいて)繁殖することの恐ろしさを知れば、それがショップであろうとブリーダーと呼ばれる人であろうと、どんなところからでも仔犬を入手することには慎重になるはずです。
そして(先にも書きました)歴史と経験のあるレスキュー団体(里親探し団体)が如何に価値があるか、気づくことになるでしょう。

では、どんな理解が進めばいいのか書こうとおもいます。
 

それを書く前に、驚いただけで知らないことを非難・批判するつもりはないことを書いておきます。
繁殖することを批判する人たちは、悲惨な問題の直近の解決に尽力してくださっている人たちなので、「とにかくもう繁殖しないで!」という気持ちになることは理解できます。とにかく凄い犬猫余り状態なのです。なのでそのような人たちが理解する暇もないということは理解しています。

そのような人たちが(時間的に難しいとおもいますが)理解してくだされば、全体的な話の進み方もよくなるだろうという気もちもありますが、何より私が理解してほしいと願う人たちは、一般の飼い主さんたち。犬や猫を飼っている多くの人たち。これから迎えようとする人たち。今でなくても、いつか迎える人たちです。

 

やっと本題。

■プロの繁殖者ってどんな人?

繁殖者のプロに求められるものって、なんだろう。いや、もう一歩手前から考えてみましょう。
「その仕事で「プロ」と呼ばれる人たちって、どんな人?」と問いを変えてみます。

素人でも知っているコトは当然知っていて、更に知識があり、技術的に普通の人が出来ないことを確実に行う人。
料理人は料理のレシピを知っている。普通の人が知らない知識や普通の人が出来ない技術もある。普通の人が作る段取りとは違う場合もある。
それは、お客さんがやってきて、数分の内にある程度のレベルのものを確実に出さなければならないから。
お店で「いつも通りに作れなかった」とか「失敗して作り直し」は論外ですですよね(年に1~2回ならいいかな)。
それともう一つ。接客といかお客様対応。お客様に商品を理解してもらうこと。
「ラーメン」だけの看板を出していて、激辛ラーメンしかないお店だったら、お客さんの中にはメニューを見て店を出る人もいますよね。
自分が何を提供するかを出来るだけ伝える、そして心地よく利用していただく。このようなこともプロの仕事に含まれると、私は考えています。

では、繁殖者に求められるものってなんだろう。
健康な雌雄を持ってきて子供を産ませること?

これ、誰でもできますよね。プロと呼べるでしょうか?
プロ用の道具を揃えて、仕込みの仕方を教えてもらって、それで飲食店が開業できるでしょうか?、ファストフードのように、誰でも間違いないような仕込みがしてあり、マニュアル通りに作る技術があれば、どうにかなるでしょう。
それを個人のお店がやって、続くと思いますか。まず初期コストが膨大になり、回収までに時間がかかり、個人経営では続けるのは難しいとおもいます。
そのようなお店が出来たとしても、たぶんチェーン店に行った方が、無難に美味しいものが出てくるし、お店もゆったりしているでしょう。お客側の「そのお店に行くメリット」は何でしょうか。出てくるものが同じなら、店内の環境が良かったり駐車場があるお店に行ってしまいます。

「そのお店にしかない雰囲気やサービス」がなければ、たぶんお店として続かないはずです。そしてもし続くことが出来たら、つまり「行く価値のあるお店」と多くの人に認められたなら、それはプロと呼んでもいいとおもいます。
でも(お客側の勝手な高望みですが)「材料に拘って、全体的にも作り立てで、店内も気持ちよく、給仕・接客も心地よい」を私は望みます。
全てに(拘るというか)細心の注意と向上心をもって仕事に向き合ってほしいとおもいます。それは誰もが出来ることではなく、心からその仕事が好きだから苦労も厭わず続けることが出来、その積み重ねで、経験も知識も豊富になり、それが料理に現れるのだと思っています。

私は以上のように考えます。ではもう一度。
--------------
では、繁殖者に求められるものってなんだろう。
健康な雌雄を持ってきて子供を産ませること?
--------------

これだけでプロと呼ぶのはおかしいのでは?、と私は思います。
飲食業で例えるなら、それなり道具を揃えているだけではないでしょうか。

「いや飼育環境が問題なんだ!、ハード面ではなく、ソフト面だよ」と言い出す人がいるかもしれません。
それは、繁殖者だけに言うべきことなのでしょうか。繁殖ではなく飼育する人、全てに求めるべきものであり、繁殖を語る以前の問題なのではと、私は考えています。

(余談になりますが、、、あくまで余談です)
現在、そのようなことを第一種動物取扱業者(大まかに説明すると、第一種は商売で動物を扱っている人たち、第二種はボランティア団体など)に酷い飼育環境にしないでもらうことを強く求める動きがありますが、なんで第一種(商売の人たち)だけなんだろう?、と私は不思議でなりません。
第二種(ボランティアなど)だって、一般飼い主にだって求めるべきなのでは?、とおもっています。
平成30年度の東京都の審議会で私の考えと同様の意見が出てくれたのは、とれも嬉しかったです。近い将来、法律かその手前の文書にこれらが記載されることを祈るばかりです。
(余談ここまで)

 

では、プロの繁殖者に求めるものは何か?
まず「健康である子を産ませる」こと。
たぶん「はぁ?」とおもう人も多いとおもう。しかし「健康」には色々な意味が含まれています。

「犬や猫って、みんな健康に産まれてくるんでしょ?」と思う人も多いとおもいます。
犬や猫のお産の手助けをしてきた人たちから話を聞くと、呼吸が停止して生まれてきたり、犬種によっては難産が当たり前のこともある。
こういうこともよく分からず、何気なく繁殖を続けてる人もいると聞きます(これはすぐに気づくとおもいますが)。

人間を含め動物にも植物にも遺伝というものがあります。
この20数年で遺伝性疾患という言葉を知る人も増えました。それらの中で幾つかは(遺伝子検査の技術の発展で)検査もし易くなったこともあり、情報が広まりました。しかしそれは遺伝の中のごく一部の話です。
難産かどうかも遺伝が関わっていることがあります。難産と肥満が関係することもありますが、肥満も遺伝が関わることもあります。命ある者の行動の全てに、遺伝が関わっている可能性があると言っても過言ではありません。
とにかく遺伝というものがあり、膨大な情報が受け継がれる。そこのことを何気なく知っている方は多いとおもいます。

 

■犬を選ぶ

犬は長い歴史の中で、人間により選択繁殖されてきました。人間に都合の良い遺伝子を持った犬を積極的に繁殖してきました。その結果「犬を選ぶ」ということが出来るようになっています。

現在、日本では「犬種が決まれば、あとは縁」とか「犬種なんて何でもいいし、雑種でもいい、出会いだ!」などの話は珍しくありません。犬を選らぶことが悪いことのように言う人すらいます。犬余り、猫余りの、今の日本ではそのように感じても不思議はありません。

私は経験上「犬との幸せな時間を求めるのであれば、犬を選ぶべき」と考えています(「不幸な犬や猫を救うこと」が目的であればその必要はないかもしれませんが)。
人間が何を求めるかが決まっていれば、犬種を絞ることができます。犬種の中でもタイプがあります。そのタイプの中でも血統で、より自分の好みの犬を探すことができます。それは、犬との幸せな時間のためです。犬にとっても幸せな時間になってもらうためです。不幸な犬を生まない意味でも理解していただきたいと祈っています。

人間は犬に特徴付けをしてきました。それは遺伝子を偏らせたと言ってもいいとおもいます。その副作用(?)として遺伝性疾患などが現れることもあります。

遺伝により気を付ける(繁殖の長い歴史の中で分かっている)項目数は、繁殖の現場をご存知ない方には驚かれるくらいの数があります。
とても分かり易い(見えて判断し易い)話をすれば「容姿」。容姿を語るには、その基本的な体型が分かっている必要があります。それと比べないと話が噛み合いません。

容姿だけではありません。分かり易く言えば「体」だけではなく「心(脳みそ?、性格?)」についても。
スタンダードという言葉を聞いたことがある人もいるとおもいます。ドッグ・ショーなどでは、そのスタンダードを基準して審査をします。そのスタンダードの中に「習性や性格」などの規定もあります。
しかしそれら(体や心の基準)はとても大まか。ちゃんとその動物に向き合っている繁殖者の話を聞けば、大まかでなければやっていられない現実は分かってきます。書いても理解されないとおもいますが、厳密することによる弊害もある。またチェックポイントは無数と云ってもいいくらいあり、それらは関連していることもあり、厳密にしてしまうと矛盾が出てくることもあります。
されに言えば、健康という意味では、それほど重要ではない事柄で「好み」として幅をもっていい事柄もある。

それらの事柄の「優先順位」も「好み」の問題になる。
とっても大雑把で乱暴な話として「体(形)」と「心(性格)」のどちらを優先するか。(実際問題、これらはある程度関連があることが分かっていますので、話として適当ではありませんが)「あなたは、どちらを優先しますか?」と問われたら、なんと答えますか?

 

「見た目なんていいんだよ。特別性格がいいとかも望まないけど」と考える人も少なくないとおもいます。私も昔はそう思っていました。
しかしまともな繁殖者(私がブリーダーと呼ぶ人たち)と話を重ねる毎に、考えが変わりました。

繁殖のプロと呼んでいい人たちが常に考えていることは、自分が繁殖した子たちが一生幸せに過ごすことです。なので、直接飼い主に譲ることを基本とします。そして譲るときに「どうしても手放すときは連絡して」といいます。引き取る覚悟があるのです。
彼らは繁殖した動物たちが幸せかどうか気になって仕方がありません。なので、飼い主たちと付き合い続けます。現実は、全ての飼い主さんがそれに応えてくれません。いつの間にかお付き合いがなくなる人も出てきます。なので尚更出来るだけ付き合おうとします。

その結果、自分が繁殖した動物の一生がどうだったのか、を知ることになります。同業者同士、そのような話の情報交換をすることもあります。結果として膨大なデータ・ベースのようなものになります。
そのようなことから分かっている分かり易い例として、高齢になったときにどのような病気が出易いか。
獣医療が発達した現在「原因は分からないけど死んじゃった。それなりの歳だったので寿命だよ」の時代ではありません。何かしらの病気で亡くなるか、病気といえなくても「腎臓が弱わっちゃってね」などある程度のことが分かるものです。そのようなことの傾向も分かってきます。
自分が繁殖した動物が、どのような最期を迎えるかを知り、次に繋げるのです。
最期なんて縁起でもない話をしましたが、分かり易い事柄だと考え例に出しました。

最も気になることは「その家庭に喜んで受け入れられるか」「馴染むことが出来るか」だとおもいます。それが出来れば、最期も穏やかに迎えることができるでしょう。思い出の中でも、幸せに暮らすことが出来るでしょう。

このようなことをことを語るときに「見た目」が如何に意味あることか、私は知ることになりました。
「見た目がそんなに重要なのか。そんなヤツに犬や猫を飼う資格ない」と言いたくなる人もいると思いますが、見た目(仕草などを含む)が気に入るか否かで、その犬や猫の幸せが変わることを、多くの話を聞き実感しました。また、私が犬と暮らした時間の中で、それを強く感じたことは何度もありました。

簡単な例でいれば「しつけ」です。人間と上手くコミュニケーションが取れるようになれば表情が変わります。人間から見て穏やかにに感じ、共に過ごす時間に安らぎを覚えたり、共に感情を共有しあえたりしてきます。
「しつけ」し易さ(人間とのコミュニケーションの取り易さ)も遺伝に依るところが大きいです。

 

■作り話

ここまで「プロの繁殖はとは?」と「遺伝」がテーマになっているので、少々長い「作り話」を書きます。

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ある人が純血種の犬を迎えようと考えました。ある程度勉強はしました。どんな犬種かくらいは分かっていました(本人として周囲の人に比べればとても勉強して、その犬種のことを熟知していると思っているレベル。本やインターネットで一所懸命調べたレベル)。なのである程度のブリーダーと呼ばれる人たちの所をまわりました。犬を迎えるにあたって出せる経費は、全部で(ショー通いやブリーダー巡りの交通費なども含めて)100万円くらいと決めていました。もちろん、仔犬のための食器やサークル、その他犬具、車に乗せるためにも揃えるものがあるのに気が付きます。家の中にも造作が必要だなと思ったりします。すると、犬そのものの対価としては30万円くらいしか使えなくなってしまいました。
自分が欲しいレベルの犬を手に入れられる金額ではありません。ショー会場やブリーダーさんのことろで多くの犬に接し(「接する」ことが大事です。何故なら日々接することになるからです。)「自分と相性がよければ、見た目は二の次でいいな」とおもうようになりました。

この人の犬探しが熱心なことは、その犬種関係の人たちの中でちょっとした話題になりました。

(話の続きの前に、余談)
犬に「接する」ことが大事ですが、できれば何度か同じ犬に接してほしい。それは子犬よりも、繁殖に使われる雄犬・雌犬たちにです。
今まで書いてきたように「体(見た目)」も「心(性格)」も遺伝します。また、繁殖に使う犬(繁殖に使うといことは、素敵な犬たちであり、素敵な状態であると繁殖者がおもっているだろう犬)の飼い主である繁殖者にその犬たちの世話の仕方、付き合い方を学ぶ上ことで「この子は、こうだから、こう接している」ということを教わることが出来るのです。これは実際に接しみないと分からないことです。
そこから、各犬の違いが分かるようになってゆきます。違いが分かることで「健康」に敏感になってゆきます。比べることが出来るようになるからです。
その「違い」が分かるためにも、ショー会場などでも多くの犬を見て、接してほしいのです。その経験を通して、多くの犬好きと知り合い、話を聞いてほしいものです。
(余談終わり)

 

話の続き。

その人が通っているブリーダーさんのところで、ショーでいうところのスタンダードから少々外れた犬が産まれたとします。普通の人がちょっと見ただけでは分からないようなことです。しかしその犬種に詳しい人なら「まぁ、ときどき出るよね、こういう犬、ショーには出せないね」という感じのことです。

「見た目」の中の「健康」には何ら問題はありません。「見た目」の「外見」だけの話です。
例えば毛の色の出方です。遺伝性疾患と関連することもありますが、今回の「例え話」では関連しないことが歴史的に分かっていることだと思ってください(余談で説明します)。

(余談)
「見た目」と「健康」について。
犬が健康かどうか、何で判断しましょうか。血液検査や尿検査、レントゲン、DNA検査?、最終判断ならする人もいるかもしれませんが、ショーを見に行ったり、ブリーダーさん巡りをしている段階では、見せていただく犬の、そのような情報まで求めなられないですよね。
ドッグショーに通うことで、血統書を調べることや、犬の(動いていないとき、動いているときの)「見た目」から犬の健康をある程度想像できるようになってゆきます。検査をする訳にはいかないし、犬のことに詳しくなれば(遺伝性疾患などのこも知るようになれば)世間で知られている範囲の検査くらいでは不充分だと気が付きます。
骨格に関わる遺伝性疾患の(現在ある)検査に検査に全てパスしたとしても、歩様に「なんか違う」と感じることのある犬はいます。そのような項目がいっぱいあるのです。
結局(現実として)「見た目」で「どうみても健康に見える」を最低条件にすることになります。その目を養うにはやはり、同じ犬種が並ぶショーに行き、同じ犬種と付き合い続けているブリーダーのところに通い、同じ犬種の犬たちと接し続けることが大事なのです。
最終的に「よし、この犬とこの犬の仔犬を譲ってもらうことにしよう!」と思った時に、「この犬たちの仔犬を欲しいのですが、この犬たちはどれくらい遺伝性疾患について考慮されていますか」と聞き、検査の結果などについて教えていただくのがいいと思いますが、ブリーダー通いして話を聞いていれば、既にそのような話が出ているとおもいます。
(余談ここまで)

(余談、もう一つ)
「外見」だけの問題として(先にも書きましたが)分かり易い例は「毛色」の出方です。「模様」と言えばいいでしょうか。犬種紹介ページに載っているような色の出方の犬もいれば、そうでない犬もいます。
ダルメシアンの斑点やビーグルの色の出方などが身近ではないかとおもいますが、毛色の問題は奥が深く単純ではありません。
DNA解析技術が進んだ現在ですが、そのような技術のない時代から「この毛色の子は、こんな疾患をもっている(今後出る)可能性がある」と経験上分かっていました。目や耳の疾患と関わりがあることをご存知の方もいらっしゃるとおもいます。
今回の例え話では、このような歴史的な経験上、この毛色はスタンダードから外れるが、健康には関係「なと」分かっている「外見」だけの問題だとします。
(やっと余談終わり)
 

ブリーダーさんたちは、健康に問題ないけど見た目に問題ありの犬の飼い主探しに苦労します(理由は後述)。勿論自分の手元に置くという選択肢もあります。

勉強をしっかりしたために、お金を使ってしまい、更に必要なものを揃えるためのことを考えているから、犬そのものに支払うお金が限られてしまっている人に、その犬を託してみようかと考えました。代金はもちろん激安です。
その話を本人としました。本人も犬種という言葉を理解していたので、それが軽いことではないことを理解していました。軽くない話を自分にしてくれたことを嬉しくもおもいました。それなりの覚悟が必要なことも理解していました。

多少の毛色の違いですから、その人が夢見てきた「その犬種とのその犬種らしい暮らし」は実現できるはずです。
(出来れば)犬種図鑑に載っているような犬との時間を過ごしたい気持ちもあるし、この犬を迎えれば多少の中傷を受けることも予想出来ました。
しかし、経済的に限られているという現実と、毛色以外は素晴らしい犬であることを理解できていたので、この話を受けることにしました。

ーーーーーーーーー

犬が幼いときは日々大忙しです。そしてやっとやってきたその犬種との時間に幸せを実感していました。

性格がいいことも分かっていたし、自分との相性がいいことも分かっていましたので、しつけも順調に進み、誰からみても「いい子」になりました。
そして、色々な所へ出かけるようになりました。
子犬と呼ばれるような時期は、それだけで皆が可愛がってくれました。2歳から4歳くらいはまでは元気な盛りで、一緒に遊ぶのに精いっぱい。それは幸せな時間でした。

6歳を迎え、落ち着き始めた頃、違和感というか罪悪感のようなものを感じるようになりました。

共に過ごした時間の中で問題の「見た目」を指摘されたことはほとんどありませんでしたが、全くなかった訳ではありません。ブリーダーさんのご苦労も理解しているので、ブリーダーさんの名前を明かすこともしませんでした。
自分が何らかの当事者になると、同じような問題に目を向ける結果になることが多々あります。インターネットの(自分とは関係ない)書込みにも犬種という言葉に対する誤解を感じるようになります。
自分は勉強し納得して、この子を迎えました。何度か「見た目」ことを指摘されたことはありますが、きちんとお話しし納得していただけたとおもいますし、自分とこの犬の生活が幸せであることは、その方にも伝わっていたとおもいます。しかし「自分の人生」という限られた時間の中で「無理をしてでも理想を追い求めるべきだったのでは」と思うようになりました。
この子との時間は幸せに満ちていますが、もしより理想を求めていたら、もっと幸せになれたのではないか。私たちだけではなく周囲をももっともっと幸せに出来たのではないか。自分はそのために時間もお金をかけてきたのではないか。
そんな漠然とした違和感というか罪悪感を覚えるようになりました。

それは、この子に対してではありません。自分の生き方についてです。

自分が置かれた立場に落ち着くことが出来ず、一度諦めた夢を追ってみたいとおもうようになりました。
今なら体力もあるし、経済的にも(あの時に比べてれば)余裕があり、どうにかお金の工面もつくかもしれません。
「見た目」に問題ありの犬を連れて、またブリーダー巡りをしてみようかと、おもうようになりました。

そして、はじめに起こした行動は、今の子のブリーダーに相談することでした。

(終わり、、、にします)

 

■何が言いたいの?

さて、私は何が言いたいのでしょうか?
プロは、お客さんの気持ちに応えるのが仕事だと私はおもっています。今まで書いてきたのは「お客さんの気持ち」の一例です。
このようなことに応えるのがプロの繁殖者だと私はおもっています。

犬を迎えることを考えている人(お客さん候補)が訪ねた時に、そこが不潔だったら。犬のための衛生環境だけでなく、お客さんの気持ちにも応えていないことになります。もし犬に対して酷い扱いをしていたら。これもお客さんの気分を害しますよね。
それらを繕っていたとします。しかし犬と接すれば分かります。犬の汚れや人間との接し方などから分かります。
お客さんは「こんな人から犬をもらいたくない」と思うことでしょう。

現在の犬や猫の(ペットショップを通した)販売システムでは、このようなことはありません。繁殖者と飼い主が接することは、まずありません。

何故そうなのか。そうなったのか。それを考えていただきたいです。可能であれば「調べて」ほしいです。もし本当に調べることが出来れば、大きな戸惑いを覚える結果になるでしょう。
マスコミなどでは「悪い業者がいなくなればいい」と主張しているように見えます。そこだけで解決出来るのか?

私は違うとおもいます。
求める人がいる限り、違法行為になっても繁殖し販売する人はいるだろうし、その業界(?)は存在し続けるとおもいます。
現在、他の売買が法律で禁止されているものが違法に販売されているように。

「求める人がいる」限りこの問題はなくならないとおもいます。勿論「求める人」をゼロにすることは無理です。出来るだけ減らすこと、減らし続けることになるはずです。
その活動が始まれば、それは殺処分をゼロにしようと尽力している活動に似ているかもしれません。手を緩めれば元に戻りそうな問題という意味で。

 

■蛇足
既に結論めいたことを書いてしまいましたが、各飼い主さんの意識の移り変わりについて。

(最近ではありませんが)実際聞いた話として(ほとんど人と同じようにほとんど勉強せずに)純血種を気軽に迎え、その後、見た目のことを指摘されてから少し経ったら、その犬の姿が見えなくなった、という話を幾つか聞きました。

(これも最近の話ではなく、昔の話になりますが)ある繁殖者が以下のような話をしてくれました。
昔はね(昔の昔なので凄い昔のことです)、色の出方が悪かったり、その犬種らしくなかったら捻ってたんだよ。そのような犬は手元に置きたいけど、それをネタに「レベルの低い繁殖屋」って裏で中傷されちゃうし、自分はそんなことしないけどペットショップに売ったとして、ペットショップで売れ残ったらどうなるか知っているだろ?、あんなことさせたくない。売れたとしても、捨てられることがあるんだよ。安く売られるから「また買えばいい」って思うのかな。その犬種らしくない点を誰かに言われてイヤになるのかな。とにかく犬は居なくなって、何処にいったか話してくれない。返してくれればいいんだけど、何故かそれはしないんだよね、そういう人は。ショップじゃ返しても受け付けないだろうけど。だから、とってもしたくないけど捻っていたよ。そういう時代だったんだよ。

この「昔の昔なので凄い昔」は、純血種の犬や猫をペットにするのは珍しい時代で、飼われている多くの犬や猫は雑種で、犬は外飼い、猫は家の中と外を自由に行き来するのが当たり前の時代です。今話題の殺処分数は、今の10倍以上。インターネットも普及していないどころか「インターネット」という言葉をしらない人がほとんどの時代。遺伝子に関する学問も未熟で実用的ではないレベルの時代でした。

長くなったついでに書いておきます。
インターネットという言葉を、コンピューターの仕事をしていない人でも、知っている人が出てきたような時代のことです。
当時の日本では以下のように言われることもありました。
「犬は人につく。大人になって落ち着いた後に飼い主が変わることは、犬にとって大きなストレスでとてもかわいそうなこと。なので、そのような年齢になって、その一家が手放さなければならないことになったら、安楽死も選択肢に考えないとね。」

この30年、犬との暮らしに関する情報は膨大になり、感覚・考え方・常識は大きく変わりました。法律の変わりようは、ただただ驚くばかりです。

そのような中、繁殖した動物の幸せを祈り、時間と財産をつぎ込んでいる人たちが昔からいるを知ってほしいです。
彼らが繁殖者として培ってきた知識と経験から、純血種の犬が、どれだけ素晴らしく、どれだけリスクを持っているか、学んでほしいものです。それを知れば「それを知らないが故の不幸な結果」がどれだけ多いか気が付くはずです。

一般の飼い主が、その犬種のメリット、デメリット、特徴(良い可能性も悪い可能性も)くらいを調べて、更に血統(メリット、デメリットの出易さ)くらい考えるくらいになってほしい。
猫のことは詳しくありませんが、やはり遺伝性疾患が問題になっている猫種があるそうです。もう20年以上言われていても、そのことをちょっと猫のことに詳しい人に云っても「なんかそんなこと言っている人たちいるね。でも現在いっぱい飼われているし、普通に売られているから問題ないんでしょ?」と言われることあります。

 

■今の世の中、今までの世の中、これからの世の中

飼い主を失ったり、酷い環境で日々過ごしているペットの問題は、個別に迅速に解決しなければならないのが今の日本です。なので、作り話で書いたような理想を追い求めることは不謹慎と言われてしまうかもしれません。
私は、ある程度の理想を求める人たちが現れ、その人たちの姿を見ることで、幅広い人の意識が変わってくるのだと信じています。うーにーを迎える準備の期間からの25年間でそれを強く感じます。

罰則の強化は必要です。それに尽力されている方たちがいらっしゃり、法律が改正されてきています。
それに対し、日常の犬や猫との暮らしについてより良くしてゆく情報は、ビジネスベースに乗ればしっかりと伝わってきますが、遺伝性疾患などビジネスにはネガティブなことは、あまり伝わりません。
(鬱陶しく、理解されないと思いますが書いておきます。)遺伝性疾患が悪いとはおもっていません。それは完全にゼロには出来ないものですから。常になくす方向への努力が必要です。しかし理解が広がらず「遺伝性疾患があるからダメな犬」と言われることがあります。
その他のことでも、標準に合わないと「ダメ」の烙印を押されることがあります。生き物なのですから千差万別。人間の場合「障碍も個性」と言われる時代になりましたが、犬や猫も、そのような受け止め方が広まることを願っています。

それには、遺伝性疾患や人間との暮らしに不向きな部分を出さないことを心掛けている繁殖者たちが居ることを知るべきです。それが当たり前になるべきです。
深く考えず、調べず、雄と雌を持ってきて繁殖するようなことが当たり前の現在では、遺伝性疾患を発症してしまった犬の繁殖者は非難されて然るべきかもしれません。考慮せずにそうなってしまった犬が、たぶん99%以上でしょうから。

このようなことが分かってくれば、多くの人が、仔犬から迎えるリスク、(純血種でなくても遺伝性疾患やたぶん遺伝が原因だろう問題行動はありますが)純血種であれば尚更リスクがあることを知り、そのような子たちも含めて、幅広い犬たちの世話をし、その後のケアをしてきた、歴史と経験、知識のあるレスキュー(助けて里親探を探す)団体の価値(「偉大さ」と言ってもいいとおもいます)が分かるはずです。

まず識者と呼ばれるよな人たちが、プロの繁殖者が何に気を付け、どれだけのことをしているのかを知り、それを幅広い人たちに知らせることを心から願っています。
その結果、レスキュー団体から犬を引き取ることが、今以上に加速すると信じているからです。

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2019年9月21日 (土)

見識と識見

※見識と識見の認識が逆ではないか?、とのご指摘を受け、改めて調べましたが正直なところ分からなくなりました。
とりあえず、以下の文章は「勘違い文章」として読んでください
はっきりとした違いは分かりませんでしたが、文末に参考になりそうなことを追記しました。「動物の愛護及び管理に関する法律」で使われるべくして使われたのだろうと思いましたが「たぶん、こうだろうな」程度のことしか書けませんでした。 m(_~_)m
見識と識見でお悩みの方は、文末をご覧ください。

 

何年前のことか忘れてしまっていますが、愛玩動物飼養管理士の勉強をしていて「動物の愛護及び管理に関する法律」を読んでいた。
その中に「識見」という言葉が出てくる。その条文は、末尾にコピペします。

ネットの中にある広辞苑で調べると、大した違いはないように書いてある。
なので「ふ~ん、じゃ、なんで逆さにするの?」と程度に思っていた。

最近、やなせたかし先生の「アリスのさくらんぼ」という本を読んだ。短編集といえばいいのか絵本なのか。絵と文がある作品集です。
ご本人もなんと呼べばいいのか悩んでいたら、誰かが「やなせメルヘン」と名付けてくれたので、そういうことにしているらしい。

この本の中に「識見」という単語が出てきて、改めて調べてみた。

 

本題に入る前に、この本の紹介。
幾つかの作品がり、目次には各作品の簡単な説明が書いてある。

正確に書くと「目次」とは書いていない。「表題と内容早わかりガイド」とタイトルがあり、その横には

とりあえず短い時間で立ち読みする人、あるいは手取早く内容を知りたい人、または読まないで批評文をかく人の為の親切ガイド、でなければ読む前の胸おどる予告編。

これを読んだだけでも、一つのことを幾つもの視点で見ようとする人であることが分かる。世の中には色々な見方の人がいることを常に意識している。

この目次のようなもののはじめに出てくるのが、本のタイトルにもなっている「アリスのさくらんぼ」。その「内容早わかりガイド」は次のようになっている。

たとえばビフテキを喰べながら動物愛護を説く人にこの一編を捧げる。

これを見て、読んでみたくなった。

本全体を一通り読んでおもったことは、どの作品も誰かがやっていることにどう見るかがテーマのようだ。

 

アンパンマンが出てくる作品もある。まだアンパンマンが有名になる前。
この本の「あとがき」の日付は、一九七三年十月 となっている。

タイトルは「飛べ! アンパンマン」。
アンパンマンは(本の中で)実在し餓死しそうな子供たちを救っている。顔を食べられたアンパンマンは「なくなってしまうが、何度でも生き返る」。彼の姿は「漫画を描く才能のある人間にだけしかみえない」。
この活動を知った主人公はアンパンマンのことをかいて編集者にみせるが「こりゃあ、ダメですよ。」と言わる。子供にみせれば「全然、面白くないや、」。

人知れず子供たちを救い続け、自分は何度もなくなってしまう。ほとんどの人はその姿が見えず、見えた人が他の人に伝えても悪口ばかり言われてしまう。主人公は考える。

君はいうだろう。
「だれもしらなくていいおれは好きでやっているんだ。おれがやらなくて誰がやるのかね」と。

やなせ先生が有名になった後、行政の仕事を格安または無償で行うこともあったと聞く。この話を読んでいて、そのことを思い出した。

 

この本の中で一番長いのが「はだかのワニ」。
ある夜、流星らしきものに運ばれ空からワニがやっきて、アル島でのんびり暮らしていた。そこに年をとったターザンがやってくる。昔のスターが大通俗娯楽冒険ストーリィを大熱演して見せる。純情可憐、素朴実直なワニはスターに憧れ、ターザンからレッスンを受ける。
そんなある日のこと・・・
洪水がやってきて流された先は街。そこで皮を剥がされ、はだかにされてしまう。はだかにされたワニと出会ったテンプラア博士は新種として発表し、テンプラアーノ・カキアゲーノ・ゾオルスと命名する。そしてワニはスターになる。

そこでの一節。

 国家としてこれを見のがすわけがない。現代では政治的識見よりも人気が先行する時代で芸能人が大臣になろうかという風ですから、たちまち国立ゾオルス記念館をつくってそこにはだかのワニを入れたのです。

この作品はそこそこ長い。皮を剥がされてしまうまでも、スターになるまでも、スターになってからの日々も丁寧に語られている。それはら誰にでも起こりそうな災難ですが、誰が悪いとは言い切れない。「そういう世の中だから」としか言いようがない。それにより、純情可憐、素朴実直に生きている者たちは翻弄される。ワニを通して現代社会の生きづらさを綴っている。

しかし、ラストは御伽噺的に幕を閉じる。話としてはまとまる。しかし「これは実社会に置き換えられないな」とおもってしまう。

それに対して、アンパンマンは終わらない。
先ほど引用した行に続き、次のような一文で作品は終わる。

 しかし、おぼえておいてほしいんだ。世界中でたったひとりぼくだけは熱烈な君のファンだよ。たとえ誰もよろこばなくても、編集者は反対しても、ぼくは君の物語をかきつづけるよ。

先にも書いたが、この本のあとがきの日付は「一九七三年十月」となっている。現在、誰でもしっている「それいけ!アンパンマン」は、1975年に出版される。

 

(やっと結論)

「はだかのワニ」をお話の構成上まとめ上げるために、完全に終わらせる形をとったのが作家としての「見識」によるもの。
アンパンマンを(物語の終わりらしく)終わらせず、書き続けると意思表示したのが人としての「識見」。
こんな感じなのだとおもう。

Google で「見識と識見の違い」で検索すると幾つも出てくるが、中には広辞苑のことから「大して変わらない」と書かれているものもある。
「違うんだ」と書かれているものとして以下を紹介しておく。
https://senemon.exblog.jp/15673000/
小説や文学作品で使われている箇所を抜粋しているページ
http://kotoba.quus.net/syousetu/%E8%AD%98%E8%A6%8B/

 

冒頭に書きましたが、私が「識見」に興味をもった「動物の愛護及び管理に関する法律・第三十八条(動物愛護推進員)」をコピペしておきます。
======================
動物の愛護及び管理に関する法律
第三十八条(動物愛護推進員)
都道府県知事等は、地域における犬、猫等の動物の愛護の推進に熱意と識見を有する者のうちから、動物愛護推進員を委嘱するよう努めるものとする。
2 動物愛護推進員は、次に掲げる活動を行う。
一 犬、猫等の動物の愛護と適正な飼養の重要性について住民の理解を深めること。
二 住民に対し、その求めに応じて、犬、猫等の動物がみだりに繁殖することを防止するための生殖を不能にする手術その他の措置に関する必要な助言をすること。
三 犬、猫等の動物の所有者等に対し、その求めに応じて、これらの動物に適正な飼養を受ける機会を与えるために譲渡のあつせんその他の必要な支援をすること。
四 犬、猫等の動物の愛護と適正な飼養の推進のために国又は都道府県等が行う施策に必要な協力をすること。
五 災害時において、国又は都道府県等が行う犬、猫等の動物の避難、保護等に関する施策に必要な協力をすること。

 

==========

(以下、後日追記)

先に「識見」について以下のページを紹介しました。

小説や文学作品で使われている箇所を抜粋しているページ
http://kotoba.quus.net/syousetu/%E8%AD%98%E8%A6%8B/

同様に「見識」が使われている箇所を抜粋したページがこちら。

https://kotoba.quus.net/syousetu/%E8%A6%8B%E8%AD%98/

この2ページを見比べて、私がおもった違いは以下の通りです。

見識は日常会話でも出てきますが、基本的に一般人が関わる範囲でのことのような気がします。
その人が身につけた知識や教養と、人柄からくる行動を評価する時に使われているような気がします。評価される行動はその人が自身のために行ったものであり、結果として他人に影響もでる程度のものを評価するときに使うようだと感じました。
ある意味人間性の評価でもあると考えられます。

識見は、政治家や将軍、学者や芸術家など(一般人とは違う)プロの中のプロ(勿論知識や教養は身につけているが、その世界のトップレベルの人たち)が行う判断や作り出される作品を評価する時に付随的に用いられ、それらは不特定多数の人に影響を及ぼすことが前提にある行動・行為・活動のような気がしました。
対象になる(評価される)行為や作品はとてもレベルの高いものですが、その人たちにとっては(人間性や感情よりも)とても豊富な知識・経験から産み出される(凡人には理解できない、普遍性かつ先見性をもった)行為・作品であり、発表され世に出ることが前提(本人がそうおもっていなくても世間が注目してしまうことも含む)の事柄を評価するときに使われるようです。
その人が「凄い人」と思ってしまうと「見識」と区別がつかなくなりますが、世に出るもの、他人に作用するもの、のレベルの高さを評価することが基にあり、そこからその人を評価しているように思えてなりません。

私にとって分かり難いのは、私のような凡人には「識見」と呼ばれるくらいの知識・経験がどれほどのものなのか理解できない。
また、私自身が「不特定多数の人に影響を及ぼすことが前提にある行動・行為・活動」なんてことを経験したこともなければ、身近で見たこともない。

 

こんな感じであれば「はだかのワニ」に出てくる「政治的識見」も、「動物の愛護及び管理に関する法律・第三十八条(動物愛護推進員)」に出てくる「愛護の推進に熱意と識見を有する者」も辻褄があるような気がしてきました。

ネット上には、以上のような理解を書いている人はいないようですが、私的の理解はこんな感じでした。

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