2019年10月13日 (日)

リブレ(血糖値の経過観察)その1

このブログには、1ページあたり写真は10枚の制限があるようなので「その1」と「その2」に分けました。
内容も分けました。
1は、やることになった経緯や服を着せてみたらどうだったとか。
2は、数値(血糖値)がどうだったのか。


ばまちゃんは糖尿病。
糖尿病とは尿に糖が出る病気。尿に糖が出れば糖尿病。何処がどう悪いのかは色々ある。
人間の場合、色々検査してその原因を調べ、きめ細かい対応をするみたいです。

猫の場合そこまで出来ないみたい。その理由が色々あることは私自身も理解出来てきた。ある意味、諦めモード。

糖尿病と診断され、インスリンを毎日打つようになってから5年くらい経つ。最近、激しく咳き込むことや吐くことが多くなってきた。今まで以上に動かなくなってきた。「年だから」とはちょっと違うのではと思っていたが、どうしようもないかなと思っていた。


そんな時のこと。
もう半年くらい前だろうか、もっと前かも。

ラジオを聞いていたらタイトルの商品の話が聞こえてきた。人間用である。
ゲストの方が実際に着けてみたら、一日の内の血糖値の変化に驚いていた。何気なく「猫にもできたらな~」と思っていた。
オフィシャルサイトがあるのですが医療関係者以外は見てはいけないらしい。
http://www.myfreestyle.jp/

人間のレポートアがあったので参考まで。
http://www.fukuyamabingo.info/entry/2017/02/06/205148
http://www.fukuyamabingo.info/entry/2017/03/02/223104

グラフが青い帯の中に入るように調整するのが基本らしいです。


おばまが病院に行くのは2ヶ月に一回くらい。半年くらい前、先生に「こんな話を聞いたけど、猫には無理ですよね~」と冗談半分で言ったら「それ、今、勉強しています。近い内に使ってみようとおもいます」と。


なんだかんだと半年くらい経ってしまいましたが、9月の中旬から下旬でやることになりました。
毛を刈った所にバツンと着装。音に驚くかと思ったら驚かなかった。着けて気にするかと思ったら気にしなかった。

2019libre_a  2019libre_b

舐めたり齧ったりすることを考えて着せた服も気にしなかった。

2019libre_c  2019libre_d  

人間のレポートにあるように、装着したら1時間待つ。病院で一時間待ち、血糖値が測定出来ることを確認したら、家に帰ることが出来る。
この日、普通の血糖値の血液検査もした。その値とほぼ変わらないので「正確なんだな」と確認できた。


家に帰ってからは、いつもの病院帰りの行動と同じ。服やリブレを気にする様子は全くない。
お腹がポッコリなので、服がまくれ上がり、リブレを舐めてしまうのではないかと心配もしたが不思議なくらい気にしなかった。

夕方、インスリンを打つにあたり困ったことがありました。背中が覆われているので首の後ろに打てない。
先生に確認したら「穴開けてください」とのこと。服を持ち上げてハサミで切ればいいらしい。その通りにやったらちょうどいい穴が開きました。

2019libre_e  2019libre_f
こんな感じで2週間、血糖値の経過観察をしました。

リブレ終了後、バツンと着けたものを外したのですが、針の長さに吃驚。
刈ったところでも、貼っていない場所は毛が生えていましたが、貼った所は毛がほとんどありません。毛が生える猫の場合、2週間前に数値が出なくなることもあるとか。ばまちゃん、いい子だ!

2019libre_g  2019libre_h

服の姿が可愛いし、すぐに脱がすと舐めるかもしれないとおもい、リブレをはがしてから三日間服を着せていました。
脱がせる時は、ちゃんと脱がせるのは面倒なので、ハサミで背中側をジョキジョキ切る。あとは脚を抜くだけ。
切っている時も気にしない。背中側を切り終わって前脚に引っかかっている服も気にせず、そのままで10分くらい過ごしていました。その後、何事もなかったように立ち上がり、歩きだして、抜けました。
脱がしても舐めることもありませんでした。

下は、10日くらい経った時の写真。やはり貼った所はあまり生えていません。
でも気にする気配なし。

2019libre_i  2019libre_j

今回のことで、おばまの毛が厚いことがよく分かりました。

その2 へ つづく

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2019年10月 8日 (火)

9月の「犬とゆく」

9月に入って涼しくなってきましたね。
台風15号には吃驚しました。まだ被災されている方たちもいらっしゃいます。陰ながら一日も早い復旧をお祈りしています。
そして、犬や猫たちと以前と同じように暮らせることを心から願っています。

10月に入っても暑い日もありました。次の週末にはまた台風が来るのではとニュースに書かれています。
穏やかな日が続いて欲しいものです。

 

■修正など

ホテル里杏
以下の情報をネット上で見つけたとの情報をいただいたのでその旨掲載。
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2018年1月16日より、リニューアル改装工事の為、全館休業とさせていただきます。
==============

 


一般の公開
9月の公開は7。年間通算は79。
この10年間の活動からすれば「頑張り過ぎ」くらいな数字です。
皆様のお役に立てていれば嬉しいです。

ゆ宿 おさんぽ日和
岐阜県高山市奥飛騨温泉郷にある犬連れ「も」OKの「ゆ宿」。露天風呂2、内湯2。お風呂好きなら人間だけも利用したくなるとおもいます。

たにはま公園ドッグラン
新潟県上越市にあるたにはま公園内のドッグラン。とても広い芝生のドッグラン。公園内は芝生の場所が多く、お散歩だけでも気持ちよさそう。

神津牧場
群馬県甘楽郡下仁田町にある我国酪農発祥の地 。今も牧場なので山羊 羊 馬 牛に会える。広い芝生のドッグラン もあります。更に進むと「荒船風穴」もあります。周りに他の観光地などが見当たりません。そんな場所がお好きな方にもお勧め。

喫茶 中ノ島亭
京都市右京区にある超有名観光地渡月橋の南側にある中ノ島にある喫茶店。店連れはテラス席になります。にしんそばもあります。 

人力車えびす屋 京都嵐山總本店
人力車で有名なえびす屋さんの京都嵐山總本店 。有名観光地で人力車は邪魔にならないのか心配になりますが専用の道もあります。雨降り時のレポートです。雨でも利用できます。

宿屋 きよみ荘
滋賀県大津市、琵琶湖が目の前の宿。2001年からペットを受けれている。リラックスして利用できそう。格安のプランもある。

平和記念公園・原爆ドーム
広島県広島市にある平和記念公園と原爆ドーム。犬と一緒に平和について考えるのもいいし、ただ散歩するのもよさそう。

 

地域にもよりますが、やっと舗装路の照り返しをあまり気にしなくても良い季節になってきたのではないでしょうか。
犬や猫と一緒にお出かけして、素敵な時間を過ごしていただきたいのですが、また台風が来るみたいですね。
無理せず安全第一で行動していただきたいと願っております。

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2019年10月 7日 (月)

犬種特性

つい先日、犬の繁殖業のことについて書いた(とても驚いたこと(後書きブログ))。長編なこともありますが、何度も書き直している間に「犬のことに興味を持っている人たちに読んで考えてほしいな」とおもった記事がネットに載っていた。
残念なことですが、時間が経ったら2ページ目が会員登録しないと読めなくなってしまった。
ですが備忘録として、このブログに書いておきます。

 

昨今の日本では犬や猫の殺処分数が話題になることが時々あります。以前はなかなか一般のニュースにはなりませんでした。

この問題を議論するとき「問題行動」がテーマになることがあります。ここでは「攻撃性」とは書きません。攻撃性について焦点に絞って語りたがる人が少なからずいらっしゃいますが、それだけではないし、攻撃性の定義についても人によって違うようなので、ここでは人間に対して「問題」になる「行動」として話をしたい。

以前SNSで(殺処分数の話題の中で)犬の攻撃性について話し合っている人たちがいました。その中に「産まれて来る時は皆同じ。その後の環境で変わってしまう(攻撃性を獲得する)」と書いている人たちを見た。ここまで犬を知らないことに驚いたが、日本人の中には少なからずそのような人たちがいるのかもと思ったりもした。

ただ殺処分の問題を論じるのなら、それなりに調べた上で発言していただきたいものである。

 

そのような人たちに読んでいただきたい記事が以下のもの。

イヌは品種によって脳の構造も違う、お役目と関連
品種改良で「脳の進化が急激に進んだ」と研究者
https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/19/090400515/

 

動物の基本的なことを学んだことがある人は「時間の無駄だった」と感じるかも。
人と身近な動物の関係を学んだことのある人なら「えっ、今更?」と感じたかも。

この記事の中で面白いと思った言葉があります。

「偽の動物」
(内容が2ページ目に書いてあります。公開当初は登録しなくても2ページ目が読めました。今は読めない・悲)

では「本物の動物」って何?、そこをちょっと考えてみていただきたい。

(英語で云うところの)「野生動物」と「家畜」の違いについて学び、それらどちらにも接した経験もあり、犬が産まれながらにして(野生動物との違いは勿論のこと)多くの「家畜」とも違うことを体感している人であれば、「偽の動物」の意味は感覚的にも理解できるとおもいます。

 

ついでにもう一つ。
アメリカ教育省が1993年に定義した「ギフテッド」という言葉をご存知だろうか。
人間の話です。産まれてきた時にもっているものがあり、多くの人とは明らかに違う人のこと。WikiPediaはこちら
「産まれて来る時は皆同じ」ではなことが、今の世の中の定説になっています。

他の動物と同じだった犬が、今の犬になった歴史を考えてみます。
(偽の動物である)犬になる前の状態から、犬になるまでの間、人間によって選択繁殖されてきただろうことを想像する人は多いとおもいます。
どのような選択繁殖か?
人間とのコミュニケーション能力に長けている能力、その意味での「ギフテッド」の犬を選んできた。訓練(人間の言葉もどれだけ発達していたか分からない時代に、動物の訓練なんてあったとしても大したものではないはず)しなくても人間とコミュニケーションがとれる個体を選択繁殖したのだろう。
「選択繁殖」と書くと固く聞こえるかもしれない。こう書けばいいかな。

自分ととても分かり合える動物に出会った。その動物の子供欲しいとおもって子供をとった。

こいうことだ。

 

話がどんどん逸れてきたので、思いっきり逸れてみたいと思う。
冒頭に紹介した先に書いたブログの続きのようなこと。

このような(選択繁殖の)積み重ねが、今の犬となっている。
その副作用が問題行動や遺伝性疾患。
(野生における生存競争のような)外的要因全てを考慮した生命力ではなく、人間とのコミュニケーションを優先した選択繁殖なので、そのようなことになってしまうのだろう。

繁殖業のプロの人たちは、このようなことが感覚として身についている人だ。
人間がやってきたことの積み重ねによるリスク、自分が行うことによるリスクも重々承知。
素晴らしいとおもう犬の子供と暮らしたい。勿論、繁殖した犬に一生について責任をもつ。譲った犬に対しても。
どれだけ大変なことか分かっているが、繁殖した全ての犬の一生を知らなければ、素晴らしい犬がなんであるかさえ分からない。ただの自分勝手な「好み」になってしまう。そのことも理解している。だからオープンな場であるショーにも顔を出す。

 

多くの犬の一生に携わる。
犬が産まれる前から携わり、その一生を知り、思い出になったその後も。
さらに客観性も備えるように気を配る。

繁殖業とはそのような人たちであるはず。

 

英語では、ブリーダーに対してパピー・ミルという言葉がある。長年、この言葉を(マスコミが)どう訳すか悩んでいたようですが3年くらい前から「子犬工場」とすることが一般的になってきた。
子犬を作り出し商品として売る。ほとんどの場合(命のない商品と同じく)最終購入者とは接しない。それで良いと思っている最終購入者がほとんどだかから。
最終購入者(飼い主)の意識が変わらない限り、根本的な解決に繋がらないと私は感じている。

 

紹介した記事の2ページ目の最後に書かれていること(IDを取得しないと読めないことなのでここにはコピペしませんが)が印象的でした。
私の言葉で言い換えれば、

人間は周囲の環境をより暮らしやすいものにしてきましたが、他の動物の脳をも変えてきた。だから今の人間に暮らしやすい世の中がある。その代償もあるはず。それを認識しつつ恩恵を享受すべきだろう。

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2019年10月 4日 (金)

俺、つしま の台湾バージョン

20191004 女房が「俺、つしま」の台湾バージョンをゲットしてきた。一巻である。

外国語と言っても漢字なのでなんとなく分かる。
二冊並べてみると、日本語と漫画の相性の良さが分かる。それは「漫画との相性の良さ」ではなく「日本人である自分が馴染んできた感覚」なのかもしれない。

 

有名なシーンを挙げてみる。

「やさぐれ会」で「食べ物が出てくるときに手だけでいいのに、なんで人間の本体がなんでついてくるんだろう」と話しているページ(127ページ)。
このページは、上下2コマに分かれていて、今書いた猫たちの会話は下のコマ。上のコマには、お爺ちゃんがそびえ立って「お食べ」と言っている。それに驚くオサムが「フゥー」と言う。

オサムがそびえ立つお爺ちゃんに気付いたときの擬音が大きな字で書かれている。
日本バージョン「ぬん」、
台湾バージョンは「出現」。
(参考 https://twitter.com/tsushimacat/status/943782578288332800

こんな感じのことがあちこちにあり、
中国語は「動詞」で物事を受け止めようとするんだなぁ、擬音はあまり使わないんだな、
と思った。

 

全くない訳ではない、、、、とおもったけど。

家出した「つしま」をお爺ちゃんが探すシーン。
公園で食べているナゲットを「つしま」に手から奪われた女の子が悲鳴をあげる。それを聞きつけたお爺ちゃんが女の子の所に駆け付け、手のにおいを嗅ぐ(110ページ)。

日本バージョンでは「くん くん くん」、
台湾バージョンでは「聞 聞 聞」。
(参考 https://twitter.com/tsushimacat/status/935799272628301824

「聞」は、日本語で「けん」だから台湾だと「けん けん けん」と云うのかとおもったら、
中国語の「聞」は「におい」を意味するらしい!!!

やはり擬音はないのか。
 

擬音はともかく、動詞の表現から、その場の雰囲気を想像することに慣れているのだろう。
そのような人たちにとって、動詞(何をしたか)よりも副詞や形容詞(どうしたか)で説明し、話の流れを作る日本語は難解なのでは?
「なんで動詞を隠すの!」とイライラするのでは。

 

ふと思った。

日本には「動物愛護」という言葉がある。戦後に出来たと何処かに書いてあった気がする。
元になった英語を日本語にすると「動物福祉」や「虐待防止」だけど、日本人の感覚にすんなり受け入れられないだろうから「動物愛護」という言葉を作ったと、何処かに書いたあったような気がする。
そして、1999年の法改正では法律の名前にまで入り、何度か改正がされて、今ではとても立派な法律になった(あまりに立派で読むのに苦労します)。

この動物愛護という言葉は「何をする」よりも「どのようにする」を重んじる日本らしさなのかもしれない。

 

そんなことはさておき、
最近「俺、つしま」が進まないのが残念。

漫画じゃなくても、大きな絵を描いて展覧会とかやってほしい。
自分が大金持ちだったら、是非コレクションしたい。

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2019年10月 3日 (木)

とても驚いたこと(後書きブログ)

何度も書き直してぐちゃぐちゃになってきたのでもうアップちしゃいます(苦)
「長くて読み難いものなんてアップするな!」と言われてしまいそうですが、この書込みは万人向けではありません。身近な動物たちとの環境を総合的に把握できる若い人が出てくることを祈ってアップしておきます。

 

ゴールデン・ウィーク辺りに色々とあり、その頃のことを後書きブログとして幾つか書いた。
今回の内容はその時のものではない。今年のことでもなければ昨年でもない。一昨年かもしれないし、もっと前かもしれない。
そんな昔のことを今更なぜ書くのか?、私にとって、それはあまりにショッキングな内容だったから。これから書くことを理解できる人は、誰が何を言ったか気になって仕方がなくなるとおもいますが、それが誰なのか特定しないで欲しいから。したところで大勢は変わりませんし、良い方向に向かうことはありませんから。

読んで(「なんとなく」でいいので)分かってほしいのは、動物愛護とか動物福祉と呼ばれる範囲は幅も広く、各分野の奥行きも深いということ。
それと繁殖業つまり繁殖のプロとはどのような仕事で、素人繁殖とは何が違うべきなのかを、各自「考えて」ほしい。これは「分かって」ほしいではありません。何故なら、繁殖するにあたり、何を考慮したらどれくらい違いが現れるのかを、ここで細かく書いても理解されないから。書いたくらいで理解されるのであれば、誰かが書いて(日本に限らない)繁殖業への誤解はなくなっているはずだから。
(本当の意味での)ブリーダーと呼ばれている人たちが、繁殖に、そして生まれ来た犬たちにどれだけ心血注いでいるかは、そのような人と付き合わなければ分からないとおもうから。

これから書くことで「繁殖」を行う際に、どれくらいの範囲のことをどれくらいの注意と責任をもつべきなのか(答えが出なくても)「考えて(想像して)」ほしいのです。
考えていただける人が増えれば、安易に純血種を求める人は減るだろうし、経験・実績豊富なレスキュー団体(里親探し団体)から犬や猫を譲り受けることがどれだけ価値があるかも理解していただけるだろうから。

  

■ まず、私が遭遇した吃驚したこと。

とある人たちが「ホビーブリーダー」という言葉について論じていました。何をもってそう呼ぶのかという話もあった。話の流れから、私が抱いていたその言葉のイメージと同じだろうなとおもった。
私は「個人というか家庭でオスとメスを持ってきて繁殖しているような人たちのことだよね。日本のチャンピオンだったりするけどれど、それだけでいい犬が生まれてると思っていたら恐ろしい。でも、いっぱいいるよな。つまり、飼っている環境は良い様に見えるけど、犬の健康をよく考えるという意味での環境は備えていない人たち。備えていないというか、広い意味での健康を理解していない人たち。私はあまりお付き合いしたくない人たちだな」とおもった。不思議なことですが、世の中には、このような繁殖者を「素晴らしいブリーダー」と呼ぶ人たちがいることも事実なのですが、人前で議論していた人たちの中にも「何か誤解しているんじゃない?」と思う人もいて「テーマとして扱うと分かっているのであれば調べてきた?」と思ったのですが、たぶん調べても分からなかったのだと思います。つまりその人の周囲の人には、そのような知識がある人がいなかったのではないか、ということに驚いたのです。

人前で議論をするような人に中には「犬の繁殖の現場について、こんなにも知らない人がいるのか。この人がこの程度のことしか話が出来ないということは、この人の周辺の人も同程度の知識しかないのか。そのような現状で人前で論じるのか?」と吃驚でもあり、悲しくもなりました。
 

■シリアスホビーブリーダー
言葉遊びは嫌いですが、繁殖者のタイプには幾つかタイプがあるということを知ってほしいので、書かせていただきます。

ホビーブリーダーに似た言葉で、シリアスホビーブリーダーという言葉がある。
私はこちらの人たちとは積極的に付き合いたい。しかし世の中には「ショーとかやっている人たちでしょ?」と一瞥する人さえいる。その通り、世界基準で犬の健康を見極める場に出ている人たち。

「ショーってインチキいっぱいなんでしょ?」という人がいます。「そうですけど」と私は笑顔で答える。「そんなインチキくらいすぐに見破ることが出来なくて、犬の健康が分かるんですか?」と続ける場合もありますが、相手によっては口には出さないこともあります。

 

この文章を書いていて具体的なことを書いては消した。(とても残念ことですが)書いたところでほとんどの人には理解されないだろうから。
消し過ぎて意味が通じないかもしれない。それでも書くのは、広い意味での「犬の健康」への理解が広まれば「犬や猫を気軽に迎える人は減るだろう」から。そして「気軽に捨てる人はいなくなるだろう」から。

 

プロの繁殖家がどれだけのことを考え実行しているかを知れば、また、ほとんど何も考えず(衛生環境くらいはよくしておいて)繁殖することの恐ろしさを知れば、それがショップであろうとブリーダーと呼ばれる人であろうと、どんなところからでも仔犬を入手することには慎重になるはずです。
そして(先にも書きました)歴史と経験のあるレスキュー団体(里親探し団体)が如何に価値があるか、気づくことになるでしょう。

では、どんな理解が進めばいいのか書こうとおもいます。
 

それを書く前に、驚いただけで知らないことを非難・批判するつもりはないことを書いておきます。
繁殖することを批判する人たちは、悲惨な問題の直近の解決に尽力してくださっている人たちなので、「とにかくもう繁殖しないで!」という気持ちになることは理解できます。とにかく凄い犬猫余り状態なのです。なのでそのような人たちが理解する暇もないということは理解しています。

そのような人たちが(時間的に難しいとおもいますが)理解してくだされば、全体的な話の進み方もよくなるだろうという気もちもありますが、何より私が理解してほしいと願う人たちは、一般の飼い主さんたち。犬や猫を飼っている多くの人たち。これから迎えようとする人たち。今でなくても、いつか迎える人たちです。

 

やっと本題。

■プロの繁殖者ってどんな人?

繁殖者のプロに求められるものって、なんだろう。いや、もう一歩手前から考えてみましょう。
「その仕事で「プロ」と呼ばれる人たちって、どんな人?」と問いを変えてみます。

素人でも知っているコトは当然知っていて、更に知識があり、技術的に普通の人が出来ないことを確実に行う人。
料理人は料理のレシピを知っている。普通の人が知らない知識や普通の人が出来ない技術もある。普通の人が作る段取りとは違う場合もある。
それは、お客さんがやってきて、数分の内にある程度のレベルのものを確実に出さなければならないから。
お店で「いつも通りに作れなかった」とか「失敗して作り直し」は論外ですですよね(年に1~2回ならいいかな)。
それともう一つ。接客といかお客様対応。お客様に商品を理解してもらうこと。
「ラーメン」だけの看板を出していて、激辛ラーメンしかないお店だったら、お客さんの中にはメニューを見て店を出る人もいますよね。
自分が何を提供するかを出来るだけ伝える、そして心地よく利用していただく。このようなこともプロの仕事に含まれると、私は考えています。

では、繁殖者に求められるものってなんだろう。
健康な雌雄を持ってきて子供を産ませること?

これ、誰でもできますよね。プロと呼べるでしょうか?
プロ用の道具を揃えて、仕込みの仕方を教えてもらって、それで飲食店が開業できるでしょうか?、ファストフードのように、誰でも間違いないような仕込みがしてあり、マニュアル通りに作る技術があれば、どうにかなるでしょう。
それを個人のお店がやって、続くと思いますか。まず初期コストが膨大になり、回収までに時間がかかり、個人経営では続けるのは難しいとおもいます。
そのようなお店が出来たとしても、たぶんチェーン店に行った方が、無難に美味しいものが出てくるし、お店もゆったりしているでしょう。お客側の「そのお店に行くメリット」は何でしょうか。出てくるものが同じなら、店内の環境が良かったり駐車場があるお店に行ってしまいます。

「そのお店にしかない雰囲気やサービス」がなければ、たぶんお店として続かないはずです。そしてもし続くことが出来たら、つまり「行く価値のあるお店」と多くの人に認められたなら、それはプロと呼んでもいいとおもいます。
でも(お客側の勝手な高望みですが)「材料に拘って、全体的にも作り立てで、店内も気持ちよく、給仕・接客も心地よい」を私は望みます。
全てに(拘るというか)細心の注意と向上心をもって仕事に向き合ってほしいとおもいます。それは誰もが出来ることではなく、心からその仕事が好きだから苦労も厭わず続けることが出来、その積み重ねで、経験も知識も豊富になり、それが料理に現れるのだと思っています。

私は以上のように考えます。ではもう一度。
--------------
では、繁殖者に求められるものってなんだろう。
健康な雌雄を持ってきて子供を産ませること?
--------------

これだけでプロと呼ぶのはおかしいのでは?、と私は思います。
飲食業で例えるなら、それなり道具を揃えているだけではないでしょうか。

「いや飼育環境が問題なんだ!、ハード面ではなく、ソフト面だよ」と言い出す人がいるかもしれません。
それは、繁殖者だけに言うべきことなのでしょうか。繁殖ではなく飼育する人、全てに求めるべきものであり、繁殖を語る以前の問題なのではと、私は考えています。

(余談になりますが、、、あくまで余談です)
現在、そのようなことを第一種動物取扱業者(大まかに説明すると、第一種は商売で動物を扱っている人たち、第二種はボランティア団体など)に酷い飼育環境にしないでもらうことを強く求める動きがありますが、なんで第一種(商売の人たち)だけなんだろう?、と私は不思議でなりません。
第二種(ボランティアなど)だって、一般飼い主にだって求めるべきなのでは?、とおもっています。
平成30年度の東京都の審議会で私の考えと同様の意見が出てくれたのは、とれも嬉しかったです。近い将来、法律かその手前の文書にこれらが記載されることを祈るばかりです。
(余談ここまで)

 

では、プロの繁殖者に求めるものは何か?
まず「健康である子を産ませる」こと。
たぶん「はぁ?」とおもう人も多いとおもう。しかし「健康」には色々な意味が含まれています。

「犬や猫って、みんな健康に産まれてくるんでしょ?」と思う人も多いとおもいます。
犬や猫のお産の手助けをしてきた人たちから話を聞くと、呼吸が停止して生まれてきたり、犬種によっては難産が当たり前のこともある。
こういうこともよく分からず、何気なく繁殖を続けてる人もいると聞きます(これはすぐに気づくとおもいますが)。

人間を含め動物にも植物にも遺伝というものがあります。
この20数年で遺伝性疾患という言葉を知る人も増えました。それらの中で幾つかは(遺伝子検査の技術の発展で)検査もし易くなったこともあり、情報が広まりました。しかしそれは遺伝の中のごく一部の話です。
難産かどうかも遺伝が関わっていることがあります。難産と肥満が関係することもありますが、肥満も遺伝が関わることもあります。命ある者の行動の全てに、遺伝が関わっている可能性があると言っても過言ではありません。
とにかく遺伝というものがあり、膨大な情報が受け継がれる。そこのことを何気なく知っている方は多いとおもいます。

 

■犬を選ぶ

犬は長い歴史の中で、人間により選択繁殖されてきました。人間に都合の良い遺伝子を持った犬を積極的に繁殖してきました。その結果「犬を選ぶ」ということが出来るようになっています。

現在、日本では「犬種が決まれば、あとは縁」とか「犬種なんて何でもいいし、雑種でもいい、出会いだ!」などの話は珍しくありません。犬を選らぶことが悪いことのように言う人すらいます。犬余り、猫余りの、今の日本ではそのように感じても不思議はありません。

私は経験上「犬との幸せな時間を求めるのであれば、犬を選ぶべき」と考えています(「不幸な犬や猫を救うこと」が目的であればその必要はないかもしれませんが)。
人間が何を求めるかが決まっていれば、犬種を絞ることができます。犬種の中でもタイプがあります。そのタイプの中でも血統で、より自分の好みの犬を探すことができます。それは、犬との幸せな時間のためです。犬にとっても幸せな時間になってもらうためです。不幸な犬を生まない意味でも理解していただきたいと祈っています。

人間は犬に特徴付けをしてきました。それは遺伝子を偏らせたと言ってもいいとおもいます。その副作用(?)として遺伝性疾患などが現れることもあります。

遺伝により気を付ける(繁殖の長い歴史の中で分かっている)項目数は、繁殖の現場をご存知ない方には驚かれるくらいの数があります。
とても分かり易い(見えて判断し易い)話をすれば「容姿」。容姿を語るには、その基本的な体型が分かっている必要があります。それと比べないと話が噛み合いません。

容姿だけではありません。分かり易く言えば「体」だけではなく「心(脳みそ?、性格?)」についても。
スタンダードという言葉を聞いたことがある人もいるとおもいます。ドッグ・ショーなどでは、そのスタンダードを基準して審査をします。そのスタンダードの中に「習性や性格」などの規定もあります。
しかしそれら(体や心の基準)はとても大まか。ちゃんとその動物に向き合っている繁殖者の話を聞けば、大まかでなければやっていられない現実は分かってきます。書いても理解されないとおもいますが、厳密することによる弊害もある。またチェックポイントは無数と云ってもいいくらいあり、それらは関連していることもあり、厳密にしてしまうと矛盾が出てくることもあります。
されに言えば、健康という意味では、それほど重要ではない事柄で「好み」として幅をもっていい事柄もある。

それらの事柄の「優先順位」も「好み」の問題になる。
とっても大雑把で乱暴な話として「体(形)」と「心(性格)」のどちらを優先するか。(実際問題、これらはある程度関連があることが分かっていますので、話として適当ではありませんが)「あなたは、どちらを優先しますか?」と問われたら、なんと答えますか?

 

「見た目なんていいんだよ。特別性格がいいとかも望まないけど」と考える人も少なくないとおもいます。私も昔はそう思っていました。
しかしまともな繁殖者(私がブリーダーと呼ぶ人たち)と話を重ねる毎に、考えが変わりました。

繁殖のプロと呼んでいい人たちが常に考えていることは、自分が繁殖した子たちが一生幸せに過ごすことです。なので、直接飼い主に譲ることを基本とします。そして譲るときに「どうしても手放すときは連絡して」といいます。引き取る覚悟があるのです。
彼らは繁殖した動物たちが幸せかどうか気になって仕方がありません。なので、飼い主たちと付き合い続けます。現実は、全ての飼い主さんがそれに応えてくれません。いつの間にかお付き合いがなくなる人も出てきます。なので尚更出来るだけ付き合おうとします。

その結果、自分が繁殖した動物の一生がどうだったのか、を知ることになります。同業者同士、そのような話の情報交換をすることもあります。結果として膨大なデータ・ベースのようなものになります。
そのようなことから分かっている分かり易い例として、高齢になったときにどのような病気が出易いか。
獣医療が発達した現在「原因は分からないけど死んじゃった。それなりの歳だったので寿命だよ」の時代ではありません。何かしらの病気で亡くなるか、病気といえなくても「腎臓が弱わっちゃってね」などある程度のことが分かるものです。そのようなことの傾向も分かってきます。
自分が繁殖した動物が、どのような最期を迎えるかを知り、次に繋げるのです。
最期なんて縁起でもない話をしましたが、分かり易い事柄だと考え例に出しました。

最も気になることは「その家庭に喜んで受け入れられるか」「馴染むことが出来るか」だとおもいます。それが出来れば、最期も穏やかに迎えることができるでしょう。思い出の中でも、幸せに暮らすことが出来るでしょう。

このようなことをことを語るときに「見た目」が如何に意味あることか、私は知ることになりました。
「見た目がそんなに重要なのか。そんなヤツに犬や猫を飼う資格ない」と言いたくなる人もいると思いますが、見た目(仕草などを含む)が気に入るか否かで、その犬や猫の幸せが変わることを、多くの話を聞き実感しました。また、私が犬と暮らした時間の中で、それを強く感じたことは何度もありました。

簡単な例でいれば「しつけ」です。人間と上手くコミュニケーションが取れるようになれば表情が変わります。人間から見て穏やかにに感じ、共に過ごす時間に安らぎを覚えたり、共に感情を共有しあえたりしてきます。
「しつけ」し易さ(人間とのコミュニケーションの取り易さ)も遺伝に依るところが大きいです。

 

■作り話

ここまで「プロの繁殖はとは?」と「遺伝」がテーマになっているので、少々長い「作り話」を書きます。

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ある人が純血種の犬を迎えようと考えました。ある程度勉強はしました。どんな犬種かくらいは分かっていました(本人として周囲の人に比べればとても勉強して、その犬種のことを熟知していると思っているレベル。本やインターネットで一所懸命調べたレベル)。なのである程度のブリーダーと呼ばれる人たちの所をまわりました。犬を迎えるにあたって出せる経費は、全部で(ショー通いやブリーダー巡りの交通費なども含めて)100万円くらいと決めていました。もちろん、仔犬のための食器やサークル、その他犬具、車に乗せるためにも揃えるものがあるのに気が付きます。家の中にも造作が必要だなと思ったりします。すると、犬そのものの対価としては30万円くらいしか使えなくなってしまいました。
自分が欲しいレベルの犬を手に入れられる金額ではありません。ショー会場やブリーダーさんのことろで多くの犬に接し(「接する」ことが大事です。何故なら日々接することになるからです。)「自分と相性がよければ、見た目は二の次でいいな」とおもうようになりました。

この人の犬探しが熱心なことは、その犬種関係の人たちの中でちょっとした話題になりました。

(話の続きの前に、余談)
犬に「接する」ことが大事ですが、できれば何度か同じ犬に接してほしい。それは子犬よりも、繁殖に使われる雄犬・雌犬たちにです。
今まで書いてきたように「体(見た目)」も「心(性格)」も遺伝します。また、繁殖に使う犬(繁殖に使うといことは、素敵な犬たちであり、素敵な状態であると繁殖者がおもっているだろう犬)の飼い主である繁殖者にその犬たちの世話の仕方、付き合い方を学ぶ上ことで「この子は、こうだから、こう接している」ということを教わることが出来るのです。これは実際に接しみないと分からないことです。
そこから、各犬の違いが分かるようになってゆきます。違いが分かることで「健康」に敏感になってゆきます。比べることが出来るようになるからです。
その「違い」が分かるためにも、ショー会場などでも多くの犬を見て、接してほしいのです。その経験を通して、多くの犬好きと知り合い、話を聞いてほしいものです。
(余談終わり)

 

話の続き。

その人が通っているブリーダーさんのところで、ショーでいうところのスタンダードから少々外れた犬が産まれたとします。普通の人がちょっと見ただけでは分からないようなことです。しかしその犬種に詳しい人なら「まぁ、ときどき出るよね、こういう犬、ショーには出せないね」という感じのことです。

「見た目」の中の「健康」には何ら問題はありません。「見た目」の「外見」だけの話です。
例えば毛の色の出方です。遺伝性疾患と関連することもありますが、今回の「例え話」では関連しないことが歴史的に分かっていることだと思ってください(余談で説明します)。

(余談)
「見た目」と「健康」について。
犬が健康かどうか、何で判断しましょうか。血液検査や尿検査、レントゲン、DNA検査?、最終判断ならする人もいるかもしれませんが、ショーを見に行ったり、ブリーダーさん巡りをしている段階では、見せていただく犬の、そのような情報まで求めなられないですよね。
ドッグショーに通うことで、血統書を調べることや、犬の(動いていないとき、動いているときの)「見た目」から犬の健康をある程度想像できるようになってゆきます。検査をする訳にはいかないし、犬のことに詳しくなれば(遺伝性疾患などのこも知るようになれば)世間で知られている範囲の検査くらいでは不充分だと気が付きます。
骨格に関わる遺伝性疾患の(現在ある)検査に検査に全てパスしたとしても、歩様に「なんか違う」と感じることのある犬はいます。そのような項目がいっぱいあるのです。
結局(現実として)「見た目」で「どうみても健康に見える」を最低条件にすることになります。その目を養うにはやはり、同じ犬種が並ぶショーに行き、同じ犬種と付き合い続けているブリーダーのところに通い、同じ犬種の犬たちと接し続けることが大事なのです。
最終的に「よし、この犬とこの犬の仔犬を譲ってもらうことにしよう!」と思った時に、「この犬たちの仔犬を欲しいのですが、この犬たちはどれくらい遺伝性疾患について考慮されていますか」と聞き、検査の結果などについて教えていただくのがいいと思いますが、ブリーダー通いして話を聞いていれば、既にそのような話が出ているとおもいます。
(余談ここまで)

(余談、もう一つ)
「外見」だけの問題として(先にも書きましたが)分かり易い例は「毛色」の出方です。「模様」と言えばいいでしょうか。犬種紹介ページに載っているような色の出方の犬もいれば、そうでない犬もいます。
ダルメシアンの斑点やビーグルの色の出方などが身近ではないかとおもいますが、毛色の問題は奥が深く単純ではありません。
DNA解析技術が進んだ現在ですが、そのような技術のない時代から「この毛色の子は、こんな疾患をもっている(今後出る)可能性がある」と経験上分かっていました。目や耳の疾患と関わりがあることをご存知の方もいらっしゃるとおもいます。
今回の例え話では、このような歴史的な経験上、この毛色はスタンダードから外れるが、健康には関係「なと」分かっている「外見」だけの問題だとします。
(やっと余談終わり)
 

ブリーダーさんたちは、健康に問題ないけど見た目に問題ありの犬の飼い主探しに苦労します(理由は後述)。勿論自分の手元に置くという選択肢もあります。

勉強をしっかりしたために、お金を使ってしまい、更に必要なものを揃えるためのことを考えているから、犬そのものに支払うお金が限られてしまっている人に、その犬を託してみようかと考えました。代金はもちろん激安です。
その話を本人としました。本人も犬種という言葉を理解していたので、それが軽いことではないことを理解していました。軽くない話を自分にしてくれたことを嬉しくもおもいました。それなりの覚悟が必要なことも理解していました。

多少の毛色の違いですから、その人が夢見てきた「その犬種とのその犬種らしい暮らし」は実現できるはずです。
(出来れば)犬種図鑑に載っているような犬との時間を過ごしたい気持ちもあるし、この犬を迎えれば多少の中傷を受けることも予想出来ました。
しかし、経済的に限られているという現実と、毛色以外は素晴らしい犬であることを理解できていたので、この話を受けることにしました。

ーーーーーーーーー

犬が幼いときは日々大忙しです。そしてやっとやってきたその犬種との時間に幸せを実感していました。

性格がいいことも分かっていたし、自分との相性がいいことも分かっていましたので、しつけも順調に進み、誰からみても「いい子」になりました。
そして、色々な所へ出かけるようになりました。
子犬と呼ばれるような時期は、それだけで皆が可愛がってくれました。2歳から4歳くらいはまでは元気な盛りで、一緒に遊ぶのに精いっぱい。それは幸せな時間でした。

6歳を迎え、落ち着き始めた頃、違和感というか罪悪感のようなものを感じるようになりました。

共に過ごした時間の中で問題の「見た目」を指摘されたことはほとんどありませんでしたが、全くなかった訳ではありません。ブリーダーさんのご苦労も理解しているので、ブリーダーさんの名前を明かすこともしませんでした。
自分が何らかの当事者になると、同じような問題に目を向ける結果になることが多々あります。インターネットの(自分とは関係ない)書込みにも犬種という言葉に対する誤解を感じるようになります。
自分は勉強し納得して、この子を迎えました。何度か「見た目」ことを指摘されたことはありますが、きちんとお話しし納得していただけたとおもいますし、自分とこの犬の生活が幸せであることは、その方にも伝わっていたとおもいます。しかし「自分の人生」という限られた時間の中で「無理をしてでも理想を追い求めるべきだったのでは」と思うようになりました。
この子との時間は幸せに満ちていますが、もしより理想を求めていたら、もっと幸せになれたのではないか。私たちだけではなく周囲をももっともっと幸せに出来たのではないか。自分はそのために時間もお金をかけてきたのではないか。
そんな漠然とした違和感というか罪悪感を覚えるようになりました。

それは、この子に対してではありません。自分の生き方についてです。

自分が置かれた立場に落ち着くことが出来ず、一度諦めた夢を追ってみたいとおもうようになりました。
今なら体力もあるし、経済的にも(あの時に比べてれば)余裕があり、どうにかお金の工面もつくかもしれません。
「見た目」に問題ありの犬を連れて、またブリーダー巡りをしてみようかと、おもうようになりました。

そして、はじめに起こした行動は、今の子のブリーダーに相談することでした。

(終わり、、、にします)

 

■何が言いたいの?

さて、私は何が言いたいのでしょうか?
プロは、お客さんの気持ちに応えるのが仕事だと私はおもっています。今まで書いてきたのは「お客さんの気持ち」の一例です。
このようなことに応えるのがプロの繁殖者だと私はおもっています。

犬を迎えることを考えている人(お客さん候補)が訪ねた時に、そこが不潔だったら。犬のための衛生環境だけでなく、お客さんの気持ちにも応えていないことになります。もし犬に対して酷い扱いをしていたら。これもお客さんの気分を害しますよね。
それらを繕っていたとします。しかし犬と接すれば分かります。犬の汚れや人間との接し方などから分かります。
お客さんは「こんな人から犬をもらいたくない」と思うことでしょう。

現在の犬や猫の(ペットショップを通した)販売システムでは、このようなことはありません。繁殖者と飼い主が接することは、まずありません。

何故そうなのか。そうなったのか。それを考えていただきたいです。可能であれば「調べて」ほしいです。もし本当に調べることが出来れば、大きな戸惑いを覚える結果になるでしょう。
マスコミなどでは「悪い業者がいなくなればいい」と主張しているように見えます。そこだけで解決出来るのか?

私は違うとおもいます。
求める人がいる限り、違法行為になっても繁殖し販売する人はいるだろうし、その業界(?)は存在し続けるとおもいます。
現在、他の売買が法律で禁止されているものが違法に販売されているように。

「求める人がいる」限りこの問題はなくならないとおもいます。勿論「求める人」をゼロにすることは無理です。出来るだけ減らすこと、減らし続けることになるはずです。
その活動が始まれば、それは殺処分をゼロにしようと尽力している活動に似ているかもしれません。手を緩めれば元に戻りそうな問題という意味で。

 

■蛇足
既に結論めいたことを書いてしまいましたが、各飼い主さんの意識の移り変わりについて。

(最近ではありませんが)実際聞いた話として(ほとんど人と同じようにほとんど勉強せずに)純血種を気軽に迎え、その後、見た目のことを指摘されてから少し経ったら、その犬の姿が見えなくなった、という話を幾つか聞きました。

(これも最近の話ではなく、昔の話になりますが)ある繁殖者が以下のような話をしてくれました。
昔はね(昔の昔なので凄い昔のことです)、色の出方が悪かったり、その犬種らしくなかったら捻ってたんだよ。そのような犬は手元に置きたいけど、それをネタに「レベルの低い繁殖屋」って裏で中傷されちゃうし、自分はそんなことしないけどペットショップに売ったとして、ペットショップで売れ残ったらどうなるか知っているだろ?、あんなことさせたくない。売れたとしても、捨てられることがあるんだよ。安く売られるから「また買えばいい」って思うのかな。その犬種らしくない点を誰かに言われてイヤになるのかな。とにかく犬は居なくなって、何処にいったか話してくれない。返してくれればいいんだけど、何故かそれはしないんだよね、そういう人は。ショップじゃ返しても受け付けないだろうけど。だから、とってもしたくないけど捻っていたよ。そういう時代だったんだよ。

この「昔の昔なので凄い昔」は、純血種の犬や猫をペットにするのは珍しい時代で、飼われている多くの犬や猫は雑種で、犬は外飼い、猫は家の中と外を自由に行き来するのが当たり前の時代です。今話題の殺処分数は、今の10倍以上。インターネットも普及していないどころか「インターネット」という言葉をしらない人がほとんどの時代。遺伝子に関する学問も未熟で実用的ではないレベルの時代でした。

長くなったついでに書いておきます。
インターネットという言葉を、コンピューターの仕事をしていない人でも、知っている人が出てきたような時代のことです。
当時の日本では以下のように言われることもありました。
「犬は人につく。大人になって落ち着いた後に飼い主が変わることは、犬にとって大きなストレスでとてもかわいそうなこと。なので、そのような年齢になって、その一家が手放さなければならないことになったら、安楽死も選択肢に考えないとね。」

この30年、犬との暮らしに関する情報は膨大になり、感覚・考え方・常識は大きく変わりました。法律の変わりようは、ただただ驚くばかりです。

そのような中、繁殖した動物の幸せを祈り、時間と財産をつぎ込んでいる人たちが昔からいるを知ってほしいです。
彼らが繁殖者として培ってきた知識と経験から、純血種の犬が、どれだけ素晴らしく、どれだけリスクを持っているか、学んでほしいものです。それを知れば「それを知らないが故の不幸な結果」がどれだけ多いか気が付くはずです。

一般の飼い主が、その犬種のメリット、デメリット、特徴(良い可能性も悪い可能性も)くらいを調べて、更に血統(メリット、デメリットの出易さ)くらい考えるくらいになってほしい。
猫のことは詳しくありませんが、やはり遺伝性疾患が問題になっている猫種があるそうです。もう20年以上言われていても、そのことをちょっと猫のことに詳しい人に云っても「なんかそんなこと言っている人たちいるね。でも現在いっぱい飼われているし、普通に売られているから問題ないんでしょ?」と言われることあります。

 

■今の世の中、今までの世の中、これからの世の中

飼い主を失ったり、酷い環境で日々過ごしているペットの問題は、個別に迅速に解決しなければならないのが今の日本です。なので、作り話で書いたような理想を追い求めることは不謹慎と言われてしまうかもしれません。
私は、ある程度の理想を求める人たちが現れ、その人たちの姿を見ることで、幅広い人の意識が変わってくるのだと信じています。うーにーを迎える準備の期間からの25年間でそれを強く感じます。

罰則の強化は必要です。それに尽力されている方たちがいらっしゃり、法律が改正されてきています。
それに対し、日常の犬や猫との暮らしについてより良くしてゆく情報は、ビジネスベースに乗ればしっかりと伝わってきますが、遺伝性疾患などビジネスにはネガティブなことは、あまり伝わりません。
(鬱陶しく、理解されないと思いますが書いておきます。)遺伝性疾患が悪いとはおもっていません。それは完全にゼロには出来ないものですから。常になくす方向への努力が必要です。しかし理解が広がらず「遺伝性疾患があるからダメな犬」と言われることがあります。
その他のことでも、標準に合わないと「ダメ」の烙印を押されることがあります。生き物なのですから千差万別。人間の場合「障碍も個性」と言われる時代になりましたが、犬や猫も、そのような受け止め方が広まることを願っています。

それには、遺伝性疾患や人間との暮らしに不向きな部分を出さないことを心掛けている繁殖者たちが居ることを知るべきです。それが当たり前になるべきです。
深く考えず、調べず、雄と雌を持ってきて繁殖するようなことが当たり前の現在では、遺伝性疾患を発症してしまった犬の繁殖者は非難されて然るべきかもしれません。考慮せずにそうなってしまった犬が、たぶん99%以上でしょうから。

このようなことが分かってくれば、多くの人が、仔犬から迎えるリスク、(純血種でなくても遺伝性疾患やたぶん遺伝が原因だろう問題行動はありますが)純血種であれば尚更リスクがあることを知り、そのような子たちも含めて、幅広い犬たちの世話をし、その後のケアをしてきた、歴史と経験、知識のあるレスキュー(助けて里親探を探す)団体の価値(「偉大さ」と言ってもいいとおもいます)が分かるはずです。

まず識者と呼ばれるよな人たちが、プロの繁殖者が何に気を付け、どれだけのことをしているのかを知り、それを幅広い人たちに知らせることを心から願っています。
その結果、レスキュー団体から犬を引き取ることが、今以上に加速すると信じているからです。

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2019年9月21日 (土)

見識と識見

※見識と識見の認識が逆ではないか?、とのご指摘を受け、改めて調べましたが正直なところ分からなくなりました。
とりあえず、以下の文章は「勘違い文章」として読んでください
はっきりとした違いは分かりませんでしたが、文末に参考になりそうなことを追記しました。「動物の愛護及び管理に関する法律」で使われるべくして使われたのだろうと思いましたが「たぶん、こうだろうな」程度のことしか書けませんでした。 m(_~_)m
見識と識見でお悩みの方は、文末をご覧ください。

 

何年前のことか忘れてしまっていますが、愛玩動物飼養管理士の勉強をしていて「動物の愛護及び管理に関する法律」を読んでいた。
その中に「識見」という言葉が出てくる。その条文は、末尾にコピペします。

ネットの中にある広辞苑で調べると、大した違いはないように書いてある。
なので「ふ~ん、じゃ、なんで逆さにするの?」と程度に思っていた。

最近、やなせたかし先生の「アリスのさくらんぼ」という本を読んだ。短編集といえばいいのか絵本なのか。絵と文がある作品集です。
ご本人もなんと呼べばいいのか悩んでいたら、誰かが「やなせメルヘン」と名付けてくれたので、そういうことにしているらしい。

この本の中に「識見」という単語が出てきて、改めて調べてみた。

 

本題に入る前に、この本の紹介。
幾つかの作品がり、目次には各作品の簡単な説明が書いてある。

正確に書くと「目次」とは書いていない。「表題と内容早わかりガイド」とタイトルがあり、その横には

とりあえず短い時間で立ち読みする人、あるいは手取早く内容を知りたい人、または読まないで批評文をかく人の為の親切ガイド、でなければ読む前の胸おどる予告編。

これを読んだだけでも、一つのことを幾つもの視点で見ようとする人であることが分かる。世の中には色々な見方の人がいることを常に意識している。

この目次のようなもののはじめに出てくるのが、本のタイトルにもなっている「アリスのさくらんぼ」。その「内容早わかりガイド」は次のようになっている。

たとえばビフテキを喰べながら動物愛護を説く人にこの一編を捧げる。

これを見て、読んでみたくなった。

本全体を一通り読んでおもったことは、どの作品も誰かがやっていることにどう見るかがテーマのようだ。

 

アンパンマンが出てくる作品もある。まだアンパンマンが有名になる前。
この本の「あとがき」の日付は、一九七三年十月 となっている。

タイトルは「飛べ! アンパンマン」。
アンパンマンは(本の中で)実在し餓死しそうな子供たちを救っている。顔を食べられたアンパンマンは「なくなってしまうが、何度でも生き返る」。彼の姿は「漫画を描く才能のある人間にだけしかみえない」。
この活動を知った主人公はアンパンマンのことをかいて編集者にみせるが「こりゃあ、ダメですよ。」と言わる。子供にみせれば「全然、面白くないや、」。

人知れず子供たちを救い続け、自分は何度もなくなってしまう。ほとんどの人はその姿が見えず、見えた人が他の人に伝えても悪口ばかり言われてしまう。主人公は考える。

君はいうだろう。
「だれもしらなくていいおれは好きでやっているんだ。おれがやらなくて誰がやるのかね」と。

やなせ先生が有名になった後、行政の仕事を格安または無償で行うこともあったと聞く。この話を読んでいて、そのことを思い出した。

 

この本の中で一番長いのが「はだかのワニ」。
ある夜、流星らしきものに運ばれ空からワニがやっきて、アル島でのんびり暮らしていた。そこに年をとったターザンがやってくる。昔のスターが大通俗娯楽冒険ストーリィを大熱演して見せる。純情可憐、素朴実直なワニはスターに憧れ、ターザンからレッスンを受ける。
そんなある日のこと・・・
洪水がやってきて流された先は街。そこで皮を剥がされ、はだかにされてしまう。はだかにされたワニと出会ったテンプラア博士は新種として発表し、テンプラアーノ・カキアゲーノ・ゾオルスと命名する。そしてワニはスターになる。

そこでの一節。

 国家としてこれを見のがすわけがない。現代では政治的識見よりも人気が先行する時代で芸能人が大臣になろうかという風ですから、たちまち国立ゾオルス記念館をつくってそこにはだかのワニを入れたのです。

この作品はそこそこ長い。皮を剥がされてしまうまでも、スターになるまでも、スターになってからの日々も丁寧に語られている。それはら誰にでも起こりそうな災難ですが、誰が悪いとは言い切れない。「そういう世の中だから」としか言いようがない。それにより、純情可憐、素朴実直に生きている者たちは翻弄される。ワニを通して現代社会の生きづらさを綴っている。

しかし、ラストは御伽噺的に幕を閉じる。話としてはまとまる。しかし「これは実社会に置き換えられないな」とおもってしまう。

それに対して、アンパンマンは終わらない。
先ほど引用した行に続き、次のような一文で作品は終わる。

 しかし、おぼえておいてほしいんだ。世界中でたったひとりぼくだけは熱烈な君のファンだよ。たとえ誰もよろこばなくても、編集者は反対しても、ぼくは君の物語をかきつづけるよ。

先にも書いたが、この本のあとがきの日付は「一九七三年十月」となっている。現在、誰でもしっている「それいけ!アンパンマン」は、1975年に出版される。

 

(やっと結論)

「はだかのワニ」をお話の構成上まとめ上げるために、完全に終わらせる形をとったのが作家としての「見識」によるもの。
アンパンマンを(物語の終わりらしく)終わらせず、書き続けると意思表示したのが人としての「識見」。
こんな感じなのだとおもう。

Google で「見識と識見の違い」で検索すると幾つも出てくるが、中には広辞苑のことから「大して変わらない」と書かれているものもある。
「違うんだ」と書かれているものとして以下を紹介しておく。
https://senemon.exblog.jp/15673000/
小説や文学作品で使われている箇所を抜粋しているページ
http://kotoba.quus.net/syousetu/%E8%AD%98%E8%A6%8B/

 

冒頭に書きましたが、私が「識見」に興味をもった「動物の愛護及び管理に関する法律・第三十八条(動物愛護推進員)」をコピペしておきます。
======================
動物の愛護及び管理に関する法律
第三十八条(動物愛護推進員)
都道府県知事等は、地域における犬、猫等の動物の愛護の推進に熱意と識見を有する者のうちから、動物愛護推進員を委嘱するよう努めるものとする。
2 動物愛護推進員は、次に掲げる活動を行う。
一 犬、猫等の動物の愛護と適正な飼養の重要性について住民の理解を深めること。
二 住民に対し、その求めに応じて、犬、猫等の動物がみだりに繁殖することを防止するための生殖を不能にする手術その他の措置に関する必要な助言をすること。
三 犬、猫等の動物の所有者等に対し、その求めに応じて、これらの動物に適正な飼養を受ける機会を与えるために譲渡のあつせんその他の必要な支援をすること。
四 犬、猫等の動物の愛護と適正な飼養の推進のために国又は都道府県等が行う施策に必要な協力をすること。
五 災害時において、国又は都道府県等が行う犬、猫等の動物の避難、保護等に関する施策に必要な協力をすること。

 

==========

(以下、後日追記)

先に「識見」について以下のページを紹介しました。

小説や文学作品で使われている箇所を抜粋しているページ
http://kotoba.quus.net/syousetu/%E8%AD%98%E8%A6%8B/

同様に「見識」が使われている箇所を抜粋したページがこちら。

https://kotoba.quus.net/syousetu/%E8%A6%8B%E8%AD%98/

この2ページを見比べて、私がおもった違いは以下の通りです。

見識は日常会話でも出てきますが、基本的に一般人が関わる範囲でのことのような気がします。
その人が身につけた知識や教養と、人柄からくる行動を評価する時に使われているような気がします。評価される行動はその人が自身のために行ったものであり、結果として他人に影響もでる程度のものを評価するときに使うようだと感じました。
ある意味人間性の評価でもあると考えられます。

識見は、政治家や将軍、学者や芸術家など(一般人とは違う)プロの中のプロ(勿論知識や教養は身につけているが、その世界のトップレベルの人たち)が行う判断や作り出される作品を評価する時に付随的に用いられ、それらは不特定多数の人に影響を及ぼすことが前提にある行動・行為・活動のような気がしました。
対象になる(評価される)行為や作品はとてもレベルの高いものですが、その人たちにとっては(人間性や感情よりも)とても豊富な知識・経験から産み出される(凡人には理解できない、普遍性かつ先見性をもった)行為・作品であり、発表され世に出ることが前提(本人がそうおもっていなくても世間が注目してしまうことも含む)の事柄を評価するときに使われるようです。
その人が「凄い人」と思ってしまうと「見識」と区別がつかなくなりますが、世に出るもの、他人に作用するもの、のレベルの高さを評価することが基にあり、そこからその人を評価しているように思えてなりません。

私にとって分かり難いのは、私のような凡人には「識見」と呼ばれるくらいの知識・経験がどれほどのものなのか理解できない。
また、私自身が「不特定多数の人に影響を及ぼすことが前提にある行動・行為・活動」なんてことを経験したこともなければ、身近で見たこともない。

 

こんな感じであれば「はだかのワニ」に出てくる「政治的識見」も、「動物の愛護及び管理に関する法律・第三十八条(動物愛護推進員)」に出てくる「愛護の推進に熱意と識見を有する者」も辻褄があるような気がしてきました。

ネット上には、以上のような理解を書いている人はいないようですが、私的の理解はこんな感じでした。

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2019年9月16日 (月)

8月の「犬とゆく」

今年も猛い八月になりましたね。
お盆のときに西日本では大きな台風が来たりしました。
先日(九月に入ってからですが)は関東にも台風が来て被災されている方々が心配です。
まだ暑い日がありそうなので、くれぐれも暑さ対策を忘れずにお願いします。

 
こんなときに不謹慎かもしれませんが、以下、犬や猫との旅行の参考になれば幸いです。

 


情報の修正など

8月は(暑さで)パソコンが使える時間が限られてしまい、修正を素早く行っていたのですが、その時についメモをするのを忘れてしまいます。
もっと多くの修正をした記憶があるのですが思い出せません(笑)

笑みごはん
HPが出来たとお知らせいただいたので掲載しました。
以前からブログがあるのに気が付きませんでしたので遅くなりましたが載せました。 

 


一般の公開
8月の公開は、なんと10!。やっている自分が驚いています。通算で72です。
暑くてお出かけ出来なかった方たちに、涼しくなってからの旅行の計画の参考になる情報をお届けできていたら幸いです。

くるみ沢旅館
長野県木曽郡王滝村にある人間メインですが犬も受け入れてくれている昔ながらの宿。廊下などは抱っこ。食事は隣の部屋で。
普通の宿で犬も受け入れてくれています。

道の駅ひだ朝日村内ペットの遊び広場
岐阜県高山市朝日町にある道の駅ひだ朝日村内にあるペットの遊び場(ドッグラン?)。広くはありませんが山の中にあるのは嬉しいです。
知らない土地の山の中はどんな危険があるか分かりませんので。

白馬47マウンテンスポーツパーク
白馬にあるスポーツパーク。ゴンドラで山頂にあるドッグランに行けます。外のテーブルで食事できる所もあります。
犬連れに限らず、家族連れで楽しめそうな施設も幾つかあります。

湯沢高原パノラマパーク アルプの里(ロープウェイ、リフト)
新潟県の越後湯沢駅から程近くにあるロープウェイに乗って山頂駅へ。気軽に歩ける範囲に楽しめる施設色々。本格的なトレッキングコースの入口でもあります。
ロープウェイに乗るには「顔や体が出ない入れ物」が必要です。

笑みごはん
千葉県佐倉市(最寄駅は京成臼井)の住宅街の中にあるマクロビカフェ。食事の利用には予約が必要。また、犬を連れて利用する場合は事前にFacebookにある説明文やHPなどを一読して下さい。条件があります。

麺屋 惣市(飛騨高山おみやげ処惣市・板蔵ラーメン)
岐阜県高山市丹生川町にあるドライブイン(飛騨高山おみやげ処惣市)にあるラーメン屋さん。ワンコは店内NG。食事はテラス席での利用になります。

ICHI cafe
上信越道・小布施SA直結の小布施ハイウェイオアシス内にあるカフェ。店内OKですが足を拭いてマナーを守って(201907現在)。

民芸ミュージアム匠の館・森の水族館
岐阜県高山市丹生川町にある民芸博物館と小さな水族館。博物館内ワンちゃんは抱っこ。水族館は外のような場所ので歩いての利用ができます。一般の水族館のイメージとは少々違います。

M's cafe
神奈川県藤沢市の引地川親水公園近くにあるカフェ。コーヒー通、ソーダ通の方は是非。木~日の営業ですが不定休なのでInstagramで確認を。
バイク好きの方が集まるお店のようです。

レールマウンテンバイク「ガッタンゴー!!」(まちなかコース)
多くのメディアで取り上げられているようですが、私は投稿があるまで知りませんでした。
岐阜県飛騨市神岡町東雲にあるトロッコのような乗り物。動力はバイクか(電動)自転車。どんな乗り物か説明できないのでHPを見てください!

 

以前の日本では考えられないような気象現象が起きるようになりました。
私自身、日常生活や旅行に限らず常日頃から天候の変化に注意をするように心がけたいと思います。

皆様の、日々の無事と安全をお祈りしています。

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2019年9月14日 (土)

マヌル猫の脚 と 動物園のこの先

今日はボランティアで上野の噴水広場に行って来ました。
16時に終わったので俺、つしま !」展をやっていた東京藝術大学のアートプラザに寄ってきました。

現在、藝大もののけ祭り 百鬼夜行展なるものをやっています(リンクは最新の展示のものになるので、後日この記事を読んだ方は違う展示が表示されます)。

お化けものがテーマのようですが写実的な絵もありました。その中にマヌル猫の親子を描いたものがありました。母猫が座っていて、その横に居る子猫が一歩前へ歩き出そうとしているところです。

その絵を見て、なんをおもったかは書きません。
実はつい先日、子マヌル猫の観察をしてきました。そこで「ほ~、脚がこうなのか」とおもったので、写真を載せておきます。

20190914a 20190914b

マヌル猫の肘から上はこのようなになっているのです。たぶん(後ろ脚の)膝から上も似たような感じだとおもいます。
この骨格だとパフォーマンスはイエネコと比べ物にならないとおもいます。

 

この写真は那須どうぶつ王国でのものですが、何故行こうとおもったのか。
行くんだったらマヌル猫を見なければと思いましたが、わざわざ行ったのは、今、日本で最も動物園に通っていると言われている人から「あそこの猫のショーと鳥のショーは日本でトップクラスだよ」と教えてもらったから。

私もその手のことは少しは分かるので「ふ~ん」と答えながらも「あの人が言うのであれば」としっかり見ることにしました。
見た感想は「ほ~、動物のショーとしてレベル高いし、福祉も考えているんだなぁ」と感心しました。
動画をしっかり撮ってきたのでYouTubeにでもアップすればいいのですが、他の観客の方の顔がしっかり入っているので、アップ出来ないのが残念です(子マヌルの動画も)。ご覧になれば「ほ~」とか「へ~」とか「うわ~」とか言いたくなるとおもいます。

当日途中から雨が降ってきたのですが、室内展示も充実していて、人間が動物のエリアの中に入って行く(柵などがない)造りのものが幾つかありました(近年出来たらしい)。
中に入るとワオキツネザルが目の前までやって来たり、気が付くとクロエリセイタカシギが足元に歩いていたり。ハシビロコウも間近で見ることが出来ました。

個人的な考えとして「この先、動物園は展示よりも種の保存に重きを置く方向にならざるを得ないのでは?」と思っていたのですが、動物たちのこのような動きは、見る人のマナーが良いから動物たちも寄ってくるのだろうし、ショーもそれなりに考えられていたし、平日なのに観客も多かったです(猫のショーは特に)。この状況であれば、もう少し展示で頑張れるかもと思い直しました。

ただしコストはかかります。動物福祉を考えれば当然です。
なので、たまに動物園に行ってお金を使うこともいいのかな、と思ったりもしました。

実際に行ってみないと分からないことって、ありますね。

 

以上、東京芸大でマヌル猫の絵を見て思ったことあれこれでした。

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2019年9月10日 (火)

2019年 台風15号

今回のは今までのと明らかに違うので備忘録。

「東京に凄い台風がやってくる」とニュースなどでも伝えられていましたが「大丈夫だろう」とおもっていました。
前夜は深夜2時過ぎに就寝。
「雨も風も強いけど騒ぐほどのことはないんじゃない?」とおもっていた。

朝、起きるともう台風は過ぎ去っていた。
ネットで天気予報を確認すると、この後、もう一度少し雨が降って、その後は猛暑らしい。

家の中でダラダラ過ごし洗濯をする。
洗濯機が止まったのが10時頃だったとおもう。そしてベランダへ。

「うわっ!、これは初めて!」と驚いた。ベランダに出しておいたコンテナボックスが動いているし、一つはひっくり返っている。(文末に写真)
もう20年以上出しているが、こんなことは初めてだ。
ひっくり返っているコンテナボックスを起き上がらせて中を開けてみると、中に水が入っていた
中のもを出して被害を確認。干したり、拭いたりすれば大丈夫なものばかりだった。一つだけ、可愛いマットが入っていたが、適当にビニールテープ袋に包んでいただけなのですが、濡れていませんでした。

中のものを確認した後、ベランダに並べて、まず洗濯ものを干す。
そして、コンテナボックスの中にあったものを拭いたり、乾かしたり。

ベランダへ出たり入ったりしたときに、この窓から随分と家の中に雨が入ってしまったことに気が付く。
被害が大きかったのは、カーテンとアイロン台。これだけでよかった。

 

家の中のことを凡そ把握したら、外に出てみる。
玄関に行く前に小さなドアがあるのですがここから随分と水が吹き込んだ跡がある。
玄関ドアからも随分と吹き込んだみたいだ。

草木が多少乱れているくらいだとおもったら、一本の木が見事に曲がっていた(文末に写真)。これも初めて。
その木の下にある小さなドアも、まるで蹴破られたように外れていた

細かく見て回れば、もっと多くの被害があるとおもいますが、分かると怖くなりそうなので、やめておきました。

 

東京にもこんな台風がくるようになった。
異常気象と言われますが、確かに変わってきているとおもいます。

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<追記>
翌日(9月10日)、駒沢公園を歩いていたら、公園内の広い道に大きなクレーンが入っていました。その先を見てみたら、マンションの三階くらいから五階くらいまでのベランダの手すりやボードがひしゃげて、その辺りに緑色のものが付いていました。
公園の木が倒れて、マンションに直撃したようだ。
一室からは、不安そうに公園方面を見ている人の姿も見えました。

確かに今までにない大きさの台風だったようです。

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2019年9月 6日 (金)

藤城清治美術館

我が家から駒沢公園を越えて、九品仏方面に抜ける道の途中に「深沢」という交差点がある。もう五年くらい前かもっと前に、突然「藤城清治美術館」の看板が出来た。
「どこにあるのだとう?」と見たら那須高原と書いてある。「何故、那須の美術館の看板が?、ここに在っても意味がないのでは?」とその時はおもい、その後は素通りするようになった。

 

先日、那須の藤城清治美術館に行かねばならぬ用事が出来た。スルーしようと思えば出来たのですが成り行きとして行くことにした。

私の中の藤城先生と言えば、東京電力のCMくらい。ケロヨンのプロデュースのことも後から知った。その程度だった。

 

美術館の駐車場に着いた時、雨が少し降ったりやんだり。大きな門から林の中を歩く。まずチャペルがある。ステンドグラスが(私的基準で)素敵というより不思議な感じ。微妙なナウさのデザインと色彩。決して、クールやヤッベーではない。微妙なナウさだ(私的基準)。懐かしさがある。

さらに林の中を進むと池があり、その向こうに美術館がある。

建物に入ると、まず入館券を買う。自動販売機ではない。
発券の男性の方が、熱っぽく館内について説明してくださる。トイレの天井や一番奥の合わせ鏡のコーナーを強く薦められた。
この時も「東京電力の切り絵しか知らないしな~」程度にしか思えなかった。

トイレと売店の横を通り、廊下のような所に、自画像と猫の絵、それと若い頃描いたの絵(の写真も)があった。
このとき、「この人ヤバイ人だ、この人のものは観ないといけない」と直感した。
そして「もしかしてヒグチ先生って、藤城先生の影響受けているの?」と頭に浮かんだ。全く対局と思われる画風なのですが、猫の捉え方が似ているなとおもった。

館内を進み「白いねこの女王さま」を見たとき(私は白いねこの女王さまを除いて見ていました)に「えっ、え、えーーーー、この雰囲気って・・・・」と心の中で叫んでしまった。
(宗教画コーナーにあったノアの箱舟の後に、被災地コーナーの共徳丸の絵が来るのも不思議な感じもありましたが)その先にあった、ケロヨンのコナーを「うわぁぁぁ~~~」と目をひん剥いて見てしまいました。ケロヨンにこんな趣味があって、こんなことをやっていたとは!、センチュリーのV8エンジンを積んだこの車でレースって、、、、。(ごめんななさい。個人の感想です。)

この話の続きとして、一通り観て回って、売店に戻ってきたらmoe(絵本の雑誌)の2019年1月号(ヒグチ先生がメインで特集されていて、藤城先生も特集されている)が販売されていた。「やはり影響を受けているのか!」とおもって購入し読んだのですが、そのような内容はありませんでした。
やはり個人の「おもったこと」(素人の勘違い?のよう)です。

私は、ヒグチ先生のこともよく知らない。女房がヒグチ先生を好きでボリス絵日記を読んだりしていたので、たまにそれを私も読んだりした。また、何処から手に入れたのかシールが持ち物に貼られていることもあった。
そんな女房に誘われて、今年二月に世田谷文学館で開催されたCIRCUSを観たくらいで、深くは知らなかったが、このCIRCUSを観たときも「日本にもこんな凄い人がいたんだ」とおもったものでした。

両先生とも深くは知らない私が、猫の絵とレースから共通点を感じるなぁ~とおもった話でした。
なんの話かよく分からない人がほとんどだとおもう話はここまでにします。
(館内の配置は変わるかもしれないので、上記の順番ではない時もあるかもしれないし。)

 

冒頭にも書きましたが、私はこの美術館に特別の興味をなく訪れました。しかし、入って直ぐに自画像、猫の絵、そしてもう一つのテーマの絵を見て、一般的な芸術鑑賞以上の特別な興味を持ちました。moeに記事が載るように絵本的な要素(優しく分かり易い)が多分にありながら、人間のとても根源的なものに突き動かされながら(喜怒哀楽その他の混沌とした感情を自分の中で否定せず)創作活動を続けていらっしゃる先生なんだろうな、と感じました。また、表現方法について(影絵という手法によるもの以外にも)慎重にならざるを得ない何かがありそう、とも感じた。

 

それらを強く感じたのは、軍艦島や被災地の絵だった。
気仙沼の共徳丸の他、福島で防護服に身を包みデッサンしている写真もあった。そのデッサンで作られた作品には、宮沢賢治の言葉が添えられ、平和への願いを強く感じた。

絵本は空想・架空の世界で、被災地の作品は現実を模写し作られている。
それらには明らかな違いがありますが、どの作品も平和を願い、各個人(人に限らずです猫その他生き物もですが)が輝ける世の中を願っているのだろうなと思わざるをえませんでした。

 

館内はテ-マ毎の展示であり時系列には並んでいないと思いますが、表現方法が少しずつ変わっているのを感じた。最も奥の(発券の方が熱く語っていた)合わせ鏡の作品群は一つの到達点だろう。難しいこと抜きに楽しめる作品でもありますがが、これらの作品にも平和への願いを感じ、その意味でも到達点なのかも。

キリスト教との関わりからなのか、生きてきた時代的なものなか分かりませんが、今後も注目したいなと思える先生です。
1924年(大正13年)生まれの(2019年9月)現在、95歳。ピカソ画伯よりも長生きで、現役です。

 

素敵な美術館なので、改めてゆっくり訪れたい。

決して大きな美術館ではないので、平日のオフシーズンに行かれることをお勧めします。
観光地である那須を楽しみ、その中に少し時間を多めに割いてゆっくり回るのが良いかとおもいます。

先生は(極めて個人的に感じたことですが)とても個性的な方だとおもいますので、人によっては好き嫌いがあるかもしれませんが、50代以上の人であれば、想い出すものが幾つかあるとおもいます。
建物を出てから門までの林の中の道が、その余韻を楽しませてくれたりもします。

林の中のチャペルも、往きに見た時と帰りでは印象が違いました。微妙なナウさは、人を引き付ける普遍的な表現と力強い平和への願いを感じました。

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2019年8月31日 (土)

亡骸をどうするか(個人的な考え)

ブログなんて個人的な考えの塊であることは分かり切ったことがですが、たぶん「それって一般常識から離れ過ぎ」と思われる方も、少なからずいらっしゃるとおもいますので「個人的な考え」と前置きしておきます。

 

先日、こんなFacebookの記事を読んだ。
なるほど、こうやれば効率がいいというか、迷惑もかけないし、しっかり自然に帰るんだろうな、と納得した。
記事を書いている方とは知り合いではなく、どのような方なのか存じ上げません。偶然、この記事を読みました。

まず思ったことは「これを風葬呼ぶの?」ということ。
日本の幾つかの島での葬儀の方法を聞いている私としては違和感をもった。

Wikipediaで風葬を調べる。Wikipediaに書いてあるのは人間の場合ですが「風にさらし」とあるので、やはりちょっと違うような。でも、そんなことはどうでもいい。
沖縄のことも書いてある。私が沖縄に居た時に聞いた話とは違う部分があるが、そうしないとならない理由も分からないでもないので気にしない。

 

子供の頃、「墓」は自分に関係のない迷惑なものくらいに感じていた。父に連れられて行く墓参りにいい思い出がない。
成人して「そのうち自分も墓に入るのだろな」とおもったら、なんだか嫌になってきた。

若い時に、幾つかの土地で仕事をしながら滞在したことがあった。一ヶ月の場所もあれば半年以上の場所もあった。
島へ行き、ある程度島の人と仲良くなると、死体をどうするかという話になった。今、考え直してみると、私が滞在した時期がちょうどお先祖様が帰って来ると言われる時期であったからだとおもう。

Wikipediaの風葬を読むと、日本に於いて火葬をしなかったのは、少なくとも50年以上前のように読めた。私がお世話になった小さな島には火葬場はなかった。大きな島の病院で亡くなれば火葬となるが、私が居た島では高齢者でも島に残る人もいた。
そこで昔(50年とかではなくてもう少し最近)はどうしたかという話を聞いた。風葬の所もあった。風葬であっても墓が存在する。しかし自然に帰る部分も多い。

「墓」が好きになれない私は、風葬に魅力を感じた。

 

(ここで余談)
10年くらい前だろうか。
家の前のアスファルトの道にメジロが死んでいた。このままでは車に轢かれてしまう。以前、スズメが轢かれてペシャンコになった姿はなんとも哀れだった。
なので、我が家の庭とも呼べない建物と塀の間の場所に運び、地面を少し綺麗にならして横たえてあげた。
この場所は、アナグマの記事中にあるような微生物も多々いる場所で、菌類やミミズ、ナメクジ、ダンゴムシ、蟻、蜘蛛、ヤスデ、その他多様な生き物が生息している。ナメクジが増えた後にコウガイヒルが居ついていたこともある。
初夏の晴れた日だったと思う。メジロを横たえた後、どうしたものかとおもっていた。そして一時間くらい放置して見に行くと、小さな蟻たちがメジロの周りから土の粒の毛布を掛けてゆくように覆い始めた。三時間もすると綺麗な土饅頭のようになり、その下にメジロの骸があるとは分からなくなった。
それから何日を要したか覚えていないが骨もなくなった。全て自然に(命の循環に)帰ったのだ。
この時の感情を何と表現していいのか分かりませんが、たぶん「羨ましい」が近いのかもしれない。
(余談ここまで)

 

三年くらい前だろうか。長野県の南の方を車で走っていた。同乗者が急に、元善光寺に寄りたいと言い出した。
そこで九相図のようなものを見た。このとき九相図というものを知らず、後からそのようなものがあることを知った。(Wikipediaのページはこちら

そして小野小町の老後といえばいいのか、死との向き合い方を知る。

更に、日本に於いて、市井の方々が亡くなった場合、火葬し埋葬することが義務の当たりなったのは、遠い昔ではないことも知る。
飢饉などがあると死体があちこちにゴロゴロしてよろしくないので埋葬するように、とお達しが出るようになったとか。それから誰でも何らかの形で埋葬され、私が産まれた時代では墓地の墓に入るのが当たり前だった。
この30年くらいだろうか。子供がいない(=墓守がいない)者が増えたからか、散骨そして樹木葬が広まりつつあるのを感じる。

それらは火葬が前提のようですが、個人的な考えとして、そのまま動物や微生物に喰われて自然に帰りたいとおもうこともある。

ならば検体や臓器移植がいいのかも。

 

元の記事に関連した話。

車で旅行をしていて、動物の死体に出会うことがある。
はじめの内は、車を止めて端に寄せてそれ以上のことは出来ないかと考えたこともあるのですが、その周りの土地は(山の中であっても)私有地だろうから、道の近くの土の場所に運ぶのも気が引ける。だからと言って、車に乗せて一緒に旅をするのも気が引ける。結局何も出来ないのがもどかしい(動物愛護法に従い通報すればいいんですよね)。
 

またまた話は変わります。

自宅の周りでも、動物愛護法の大改正施行(2000年)以後は道路で事故に遭った犬や猫の死体を見る回数がどんどん減ったとおもいます。最近はほとんど見ません。

 

これまた「とても個人的な考え」ですが、死体、つまり死そのものと直面する機会が減るのはいいことなのかな、とおもうことがあります。
人が死を嫌う理由の一つに(身体的・精神的)苦痛が伴うだろうということもありますが、死や苦痛がバーチャルなものとして感じる人が増えたような気がします。つまり苦痛という感覚について考えない人が増えたような気がします。とにかく、現実の死については、とても距離をとっているように思えてなりません。

もちろん、道路で犬や猫、メジロやスズメが死んでいるのがよいとは思いませんが、何か直面する機会があった方がよいのではとおもえてなりません。
昔は三世代世帯が当たり前だったし、家で息を引き取るのも当たり前だった。なので子供も死に際に直面した。
と、書いている自分も、その後の世代で核家族で育った。祖父母の死に際には立ち会っていません。記憶を手繰ってみても、誰か(人間)の死のその時に立ち会ったことはないかも。

亡くなった直後に病院に駆け付けたら、病室から霊安室に移され、すぐに葬儀の話になったことは記憶にあります。これは気が紛れていいとおもったこともありますが、その通り「紛らわしていて」受け止めることを避けているのかも。

そんなことを考えると、火葬場のない小さな島で高齢で亡くなることは、それだけでも価値のあることなのかも。

 

以上、散らかった文章になってスミマセン。
「個人的な考え」でした。

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2019年8月28日 (水)

いただきもの(桃、梨、水羊羹、アーモンド)

お世話になってばかりで、何もお返しが出来ない人間の備忘録。
宝くじで1億以上当たったら、お返ししよう。

 

先の土曜日、昼から出かけていて帰りは夕方。その途中、とあるターミナル駅で電車からバスへの乗り換える。7~8分行列に並び、上手いこと座席に着くことが出来た。乗車時間は約30分なので座れると嬉しい。
席に着き、タブレットを開き、何か連絡が入っていないか確認する。「おどろき、送りました」とある。
「おどろき」って何?、と調べると桃であることが分かった。すぐにお礼の連絡をして桃の到着を待つ。

次の日、日曜日の午前中に届いた。

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冷やすといい、と書いてあるので冷蔵庫に入れる。
晩御飯の後に食べることにして、昼食は外食に出かけた。
 

外食から帰宅し、のんびりしているとまたまた荷物が届いた。今度は梨である。
毎年いただいているので、こちらのブログで見たことがある人もいるとおもう。富山県の呉羽梨。
こちらも、冷蔵庫で保存するようにと書いてある。

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う~ん、、、、入らない。
こういう時は、ご近所さんにお裾分け。
そしたら水羊羹をいただいてしましまった。「極上本、水羊羹」と書いてある。
羊羹一本なので、これなら冷蔵庫に入る!

 

その晩、何から食べようかと女房と相談。
実は女房が金曜日にパウンドケーキをいただいてきて、土曜日に開けてしまっている。これも食べないといけない。
水羊羹は急がなくても大丈夫みたい。梨の方が数があるので梨にしてみました。
美味しいです。甘いです。今年は特に甘いです。今年は当たり年(少なくとも私に届いたものは)。

呉羽梨とは、富山市にある呉羽丘陵で採れる梨のことで品種ではないようですが、幸水がほとんどみたいです。
今回送っていただいたものは、庄司梨園というところからでした(Facebookにページがありました)。

ご興味のある方はネットで調べてみてください。
生産量が限られているようなので、時期がずれると入手できないかもしれませんが。

 

次の日の晩、おどろき桃を食べる。
この桃の説明は「バリっとした触感」とある。桃で?、とおもいながら、まず皮をむく。
ペロンとはむけない。リンゴの皮のようにむいていった。
むきながら一つ食べてみる。やはり硬い。でも甘い。
このももの特徴は大きいこともある。確かに大きい。

いい加減にむいた桃を皿に入れ、女房と食べる。大小色々、形も色々。
食べるのが早すぎたのかもしれない。硬さ(柔らかさ?)が場所によって違う。味も場所によって違う。甘味の強いところ、いい感じで酸味が入っているところなど。
考えながら味わうことに慣れている人向きだとおもった。

硬くても美味しいのですが、何故か素直に受け入れられない自分を不思議におもって考えてみた。
子供の頃、本物の桃を食べたことがないような気がしてきた。食べたのは桃缶。あのトロトロ&甘々が自分の中の「桃」になってしまっているのかも。

ご興味を持った方は「おどろき、桃」で検索すると見つかるとおもいます。

 

桃を食べた次の日は、アーモンドをいただいた。
このアーモンドは時々いただくのですが、好みのものなので嬉しい。

 

いただいてばかりでお返しが出来ない私です。
いただきものがこんなにあることは、年に1~2回しかないのですが、忘れてしまう私です。
宝くじが1億以上当たったら、お返ししますので、そのときをお待ちください。

そのための備忘録ブログでした。

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