2017年8月16日 (水)

今日、映画館で黒澤明の「乱」を観た。
デジタル・リマスターの4K版とかいうものだ。

この映画、観たはずなのだが、全く憶えていなかった。影武者を観た記憶もあるし、幾つかのシーンを憶える。乱は「あれ?、初めて観るような…」という感じだった。

最近、女房がツタヤでDVDを借りてくるので一緒に見ることが多い。たまには映画館で壮大な戦闘シーンや城内のシーンを見るのもいいかな、という感じで足を運んだ。

映画館は下高井戸シネマというこじんまりとしたところ。スクリーンは小さめで、比較的近くで見ることが出来、老眼が進んだ私には有難い。そして4Kリマスター。空、雲、緑も綺麗だが、仲代達也演じる主人公の皺や髪の毛、すね毛なども美しくよく見えた。甲冑の微妙なテカリ具合もよかった。外での土煙なども。

他によく見えて「やはり観ていないとおもう」と感じたのは落馬シーン。乱の落馬のシーンは見たことがあるはずなのだ。見せてもらっている。
この撮影当時、私は馬の世話をする仕事をしていた。先輩たちの何人かはエキストラで出演している。「落馬シーンはギャラがいいからやってみないか」と冗談半分で言われたことがあり、公開後、落馬シーンの幾つかだけを見た記憶がある。しかし、当時の画質ではよく分からなかった。今日、よく見えて「あぁ、やらなくて良かった」と。

それは自分が年をとったからかもしれない。私に後輩が居て、馬たちの世話をする人間がいたら、若気の至りで挑戦していたかもしれない。しかし、4Kリマスターで馬の脚の動きがよく見えるようになってみると、踏まれなくてよかったね、というシーンが幾つも。
今おもうことは、「とにかくやらなくて良かった」(笑)

全然、映画の内容と関係のないことで分かったことも。
昔の日本の人は、馬の右から馬に乗っていたらしい。今とは逆だ。たぶん帯刀しているからだろうとは思っていた。今日はそれを確信した。和鞍の鐙の形が、輪っか状になっていない理由もだいたい想像できた。
これも馬に乗るときの刀の動きがよく見えたからだ。

馬のシーンだけでなく、風景も人の表情もよく分かり、やはり黒澤映画はすごいな、と感じた。
最近、DVDの映画を観ていると、映画を撮っている現場が目に浮かんでくることが多い。映画の中の世界に引き込まれない。演技がどうとか、セットにリアリティーがないとか、ライトが派手だとか、風の吹き方が妙だとか、そんなことばかり気になる作品がほとんど。
この映画はそのようなことはほとんど感じなかった。(三の城がちょっと…。)仲代達也の演技は如何にも演技なのですが引き込まれてしまう。他の人の動きも、人間の動きとして自然。合戦のシーンも何百人もの一人一人が本気で戦っている感じ。大袈裟な力みはない。
カメラ位置も自分がそこで見ている感じ。今の撮影でよくある、「現実では、こんな高い位置から自分が見ることはない。まぁ、映像としては綺麗だけどね」というものは一つもない。自分がそこに居るような感じになる。
そして構図も美しい。自然の中のシーンも「まさか山の形を変えた訳でもあるまいに」と思ったし、廃城のシーンはセットだと思いますが、構成の中の構図としてよく考えられたものだと、後から感じました(見ているときは、映画の世界に引き込まれているので、そんなことを考える余裕はない)。後から感じるということは、各シーンを覚えているということですが、最近のDVDの映画を観ても、各シーンどころか粗筋でさえ、すぐにあやふやになることもある。

音楽は武満徹。「映画の迫力を引き立たせていいな」と思ったのですが、帰宅後、Wikipedia を読んだら音楽の使い方で、黒澤明と武満徹は喧嘩別れしたとか。低音を強調した使い方に不満があったようですが、映画館での音の聴こえ方を熟知している黒澤明と、純粋に音楽や音として扱ってほしかった武満徹との意見の食い違いだったのかも。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B9%B1_(%E6%98%A0%E7%94%BB)

映画館で観て良かったな & 今更ながら黒澤映画ってすごいな、と思った映画鑑賞でした。

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2017年8月10日 (木)

写真展『写真家チェ・ゲバラが見た世界』

タイトルの写真展に「行きたいな~」、と思ったのですが、ここのところなかなか自由に動けない。「近くだったらな~」と思ったら、まま行き易い場所。ちょっと無理して行ってきました。

20170810
写真展『写真家チェ・ゲバラが見た世界』
http://che-guevara.jp/

展示は、「写真」と「説明文が書かれた大きなボード」、そして何箇所かに設置された「モニタから流れるビデオ」。ビデオは全て違った。

会場がそれほど広くなかったこもありますが、全てのモニタに人だかりが出来て、皆真剣に見ている。その周囲の写真は見ることが出来ない。
ほとんどが中高齢者でかつ、幅広い感覚の人たち。男女比も半々くらい(女性の方が多かったかも)。そして皆、写真、説明ボード、ビデオをよく見ていた。

 

彼の名は、エルネスト・ゲバラと言うらしい。「チェ」は何かというと、(ボードに書いてあったのでうる覚えですが)何処だかの言葉で「ねえ、君」を親しみをもって投げかける時に使う言葉だという。旅先で彼がよく使っていたとか。

このことが記されたボードは、入場してすぐにあった。
このことを読んだ私の頭の中には、井上陽水さんの桜三月散歩道が流れた。デートの行き先を彼女と話あう歌なのですが、人が死んだり狂ったりする不思議な歌詞の曲なのです。
http://www.kasi-time.com/item-12222.html

ゲバラの人生は奥さんに支えられた部分も大きかったようだ。ビデオの中でインタビューに答えている姿が幾つもあった。とても知的な雰囲気の人である。
『写真家チェ・ゲバラが見た世界』となっているが、やはり私には「革命家」ゲバラとしか見えなかった。奥さんや子供も命を狙われることもあったのではないかと思いますが、インタビューでは、そのようなことは全く感じなかった。話の内容は、素敵なご主人を思い出話の範囲を出ない感じだった。

 

写真は確かによく撮れている。記者としても職を得ていた時期もあったようだ。
しかし、世界を駆け巡るようになった彼の写真を見ていると、写っている向こうやその手前のことを考えします。工場、遺跡、戦場、それらの背景やこれからなどを考えてしまう。工場や大きな遺跡には人の姿が少ないものが多々あった。そこに写ってなくとも、多くの人が関わったことは感じ取れる。
そんなこともあってか「写真家」ではなく「革命家」「政治家」としか、彼を見ることが出来なかった。

 

あれだけのカリスマ性はどのように築かれたのかに興味があった。
一つは、現場でよく働く。指揮するだけでなく自分が体を動かす。休むことはないそうだ。
このような人は見たことがある。これだけではないと思っていた。

彼は、本をよく読んでいたという。医師の資格も持っていた。勉強が好きだったのだろう程度に思っていたが、とにかく本が好きで文学は、小説だけでなく詩もとても多く読んでいたらしい。そして哲学にのめり込み、マルクス主義に傾倒してゆく。

多くの文字を残したゲバラですが、口から出る言葉もとても魅力的だったのではと想像した。奥さんが二人だけの会話を話すシーンがありますが、ラブラブな雰囲気が伝わってきます。
「チェ!」と声をかけられ、共に働き、語り合えば、彼の魅力の虜になってしまうのでしょう。

キューバの主導者になった彼が「これから国をどうしょうと考えてますか?」と質問されて「それは私が考えることではない。国民が考えることです」とか答えていた。

世の中を変えるには、現場を理屈で組み立てるのではなく、現場の人たちの気持ちを一つすることだ、ということを再認識しました。

 

ゲバラの有名な写真がありますが、若い人はあの写真のTシャツを着ていたりします。私には理解出来ないので、あるとき着ている若者(と言っても渡りより10も若くないと思う)に「あなたは彼の思想を支持しているのですか?」と訊いたことがある。「そういうことはよく知りません。ファンションとして着ているだけです」と。
ゲバラはそういう人じゃないと思うんだけど、と口から出そうになりましたが、「そうですか」で終わりにした。

顔写真だけでも魅力的なゲバラ。

私は、子供の頃、彼のことをゲリラの親分くらいにしかおもっていなかった。今は、歴史上、最もカリスマ性のある人間の一人だと確信している。なので、プリントされたTシャツを何気なく着てしまう人もいるのだろう。

 

子供の頃から本が好きだったのだろう。そして遊ぶことも好きだったようです。病弱にも関わらず激しく体を動かすことを好んだとか。そして大学生から続けた旅。
本の中で多くの人と出会い、遊びで実物の人間を感じ、旅で多くの人と出会い「チェ!」と語り掛け共に働き、しっかり結果を出す。

彼の魅力が理解できた展示でした。

 

それでも最後まで「写真家チェ・ゲバラ」とは思えませんでした。「革命家」の方が本人象に近いですが、「素敵な人」ゲバラが彼を表しているとおもいます。

彼には、どんな肩書をつけても、それ以上のものを感じしまうのでしょう。

人生の何処かで、そんな人と出会いたいものです。

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2017年8月 8日 (火)

夜廻り猫 【第二九一話】

この漫画を見て、「私もそうおもう」と感じた方、少なからずいるではないだろうか。

http://www.moae.jp/comic/yomawarineco/291

団体側の対応ももっともだとおもう。そうならざるを得ない状況も理解している。

それは譲渡会だけではない。
2000年施行以降、約五年ごとに改正される「動物の愛護及び管理に関する法律」とその周辺の基準や規則を読んでいると、同様のことを感じる。

もう一年近く前だろうか。「お金のない人は犬を飼ってはいけない」というような発言が注目された。これももっともだとおもう。しかし、何かがしっくりこないものがある。

この日本において、この若者のように考えるのは普通のことでした。それに対し、生涯飼育の全うすることを考えれば三コマ目の考えは当然であり、それをしっかり考えていない人の中から問題を起こす人も出てきてしまったことも事実。
そんな時代の流れを知らずに譲渡会へ行った人が、「時代は変わったんです。もうこれが常識なんです。だからあなたには渡せません」は酷だと思う。

東日本大震災が起こる前は、引き取りたいという人は(今に比べれば)少なかった。引き取りたいと考える人間が増えた理由については、流行と言ってもいいような側面もありますが、基本的なことが知られるようになった。その知られるようになった原動力の一つが「流行」であったことも否めない。

知られるようになったこととして、住宅街に於いては完全室内飼育が原則であることと、避妊去勢した猫であれば、猫にとってもストレスが少なく室内飼い出来ることがある。インターネットを利用する人が増え、そのような情報に触れる人が増えたことも大きいだろう。書籍や雑誌なども出版されている。

このように「里親になりたい!」と考える人が増えたことはなんとなく理解できる。

 

この漫画の中の三コマ目で、猫の里親にと申し出た若者に以下の説明をもって「無理です」と告げる。

------------------
あなたの
収入が途絶えたら?
病気になったら?バックアップ体制は
無しですか?
------------------

このような活動をしている団体の中にも、資金繰りが上手くいかず、動物たちの管理がお手上げになった団体もある。
代表の人が倒れたらやっていけないのでは?、と思う団体もある。
「私達頑張ります!」と孤軍奮闘しているような団体も昔は多かった。

そのようなことから、このような団体は法律で監視される対象となった。しかし、その監視もまだまだ行き届いていないと感じる。現実問題として、「さてどうやって監視しましょう」となると確かに大変なことである。常に見張っている訳にもいかないし。

団体の監視の方法が確立されれば、里親希望者の判定方法にも活かせるかもしれませんね。

 

発展途上の現状が、よく分かる漫画だとおもいました。

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2017年8月 6日 (日)

7月の「犬とゆく」

梅雨が明けたらと思ったら曇る日が多くなり、蒸す日が多くなりましたね。それは嫌ですが、雨が降った後に少し涼しくなるのは嬉しいです。
旅行に行って雨が降ると暗い気持ちになることもありましたが、うーにーやまいすと一緒だと宿で過ごしたり、長居させてくれる飲食店などがあれば、それだけで楽しい旅行でした。
我が家の旅行は、何処かへ行く旅行よりも誰かと会う旅行だったのかも。雨の飲食店で、はじめて会った人と話こんだり(もちろん、うーにーやまいすも参加して)。

曇りや雨が多くてもこの暑さは犬連れ旅行には危ないかも。秋からの旅行のために「犬とゆく」を見て、家族旅行のあれこれを考えてみてください。

 

7月の「犬とゆく」
月間公開数5件、年間31件。

タングラム斑尾
「斑尾って何処?」と思う方もいるかも。野尻湖の近くです。
タングラムからトンネル抜けた所にあるペンション村をよく利用しました。あの頃は、このような施設もなければ、リフトの営業もしていませんでした。
リフト(大型犬は利用できないようですが)に軽食、釣り堀まで!、一日楽しめそうですね。

ほたる
中央道・大月 I.C.から少し車を走らすと、リニアの実験線の看板をみたことがあります。そちら方面にあるらしい。山の中の雰囲気が思いっきり味わえそう。料理も注文してからの手作りのようで、よくある観光地で出てくる料理とは違うようだ。お店の造りも独特の雰囲気。個人的に興味あり。

親ゆづりの味
長野道・岡谷 I.C.を出て20号を塩尻方面で坂道を登ってゆく途中にある。道から見た感じだと分からないが、テラス席からの景色はとても良いらしい。ユキちゃんはもう常連のようですね。

engawa cafe
この宿、全く知りませんでした。近くにある有名な施設は、道の駅「南きよさと」&南八ヶ岳 花の森公園。清里辺りをウロウロする人ならよく通る道からちょっとだけ入った所にこんなに趣のあるカフェがあって、店内もOKなんて。雨の日もゆっくり出来そうです。

もみじ亭
中央道・河口湖 I.C.から河口湖方面へ向かい、河口湖大橋を渡り、少し入って行った所にある。
店内OK。そうするため入口を別にしたようです。有難い。
うどん、そば、ほうとうもある。隣の空地も素敵です。そしてもみじ回廊も。
 

犬は湿度が高いと熱中症になり易いです。暑い場所から涼しい場所に辿り着いても当分は様子をみてあげてください。体内に溜まった熱が臓器や血液に作用して起こるので、体温が平熱まで下がるまでは様子をみてあげてください。
胸の深い大型犬は、水のがぶ飲みによる胃捻転にも気を付けてあげてください。

早く涼しくなってほしいですね。

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2017年7月23日 (日)

いい記事だとおもったら

最近、マスメディアの記事が酷いと感じることがある。ペット関連のものだけではない。Twitter の書込みを持ってきて、それを記事にしたり、構成の要にするのには「手抜きじゃないの?」と感じてしまう。その発言について、裏付けを示せばいいのですが「こんな書き込みがあったから、私の考えは正しい」と言わんばかりの使い方には、呆れるばかり。

個人のブログなどで表現の自由の範囲で書込むことと(このブログのようにね)、プロが責任をもって(お金もらって)書いている記事との境目が分かり難くなっている。また、キュレーション(まとめ文書)とプロの方の記事の境目も分かり難い。

読み手として、プロ記者の記事は信頼して読みたいです。その信頼を裏切らないようにしていただきたいものです。
 

ペット関連にしても、「上っ面だけの情報を集めて、思い込みで構成している」と感じるものが多々ある。その原因は(取材する相手の)プロとか先生と呼ばれる人たちが現場から離れていってしまっているからだろう。表現を変えれば、多様性を認める現在、身近な動物との関わりというパーソナルな部分の多くを、プロであっても網羅することは困難になってきている。
また技術の進歩の速さもある。新しい技術を知らない先生、知っていても活用の仕方を理解していない先生をよく見受ける。

そんな中、以下の記事は、「いい記事だな」と頷けながら読めた。

マンションでペットをめぐるトラブルが絶えない理由
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20170721-00135885-diamond-bus_all&p=1

「へぇ~、どんな記者の人が書いているんだろう。こういう人の記事を読みたい」と思ったら、不動産管理などをやっている会社の社長さんだった。現場のことをよくご存じな訳ですね。

マンションに限らず共同住宅は、入ってしまってから、「えぇ~~~、こんなことがあるの?」「こんな人が入居しているの?」、という話は多々聞く。逆に「規約には厳しいこと書いてあるけど、実はこんな感じで過ごし易いよ」ということも。

この記事の締めくくりが「ペット問題は 元を正せば人間関係の問題」となっていますが、共同住宅内は、プライバシーが守られていると言っても、やはり地域共同体とならざるを得ませんから、人間関係、つまりコミュニケーションは必須といえるでしょう。

ペットを飼って人間関係から距離を置きたいと考える方が少なくないようですが、私はペットを通じて人間関係を広めていってほしいと願っているし、そうしないと、この記事のような問題が起こり続けるのではないでしょうか。

 

余談(この記事とは関係ないこと)。

私は、ペットという言葉があまり好きではありません。出来ればコンパニオンアニマル(なので、ペットを通じて人間関係を、と考えます)と言いたい。
しかし、現実としてペットとして付き合っている人は多い。

同様のことで、この記事中に「ブリーダー」という単語が出てきますが。日に当たることが出来る運動場を持たない人をそう呼ぶのは如何なものかと思っていますが、現在、日本における認識としては、この記事を書いている社長さんの感覚が圧倒的多数だと思うので、記事としてはいいと思います。
しかし、プロとか先生と呼ばれる人たちには、ブリーダーはただ衛生管理や健康管理をしっかりして繁殖するだけではないことぐらい知っていてほしい。

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2017年7月 7日 (金)

6月の「犬とゆく」

6月の中旬くらいから暑い日が増えてきて、7月に入ったら暑い日ばかり。7月なので当然といえば当然ですが、雨の降り方が異常ですね。

豪雨で被災された方々には、心よりお見舞い申し上げます。
一日も早く、以前の生活に近づき、そして戻ることを心より祈っております。

 

避難所に犬や猫を入れるか、入れたとしてどのような扱いにするのか、熊本地震のときも議論があったようですが、私個人の考えは、入れていいエリアとそうでないエリアを区切ればいいと思います。「一緒にいていいよ」という人は無視できないくらいいると思います。たぶん都市部では特に「一緒にいたい!」という人の数は結構いるとおもいます。

ただし、それが許されるのは、それは飼い主が常識的な人で、犬も人間社会のマナーを理解している場合。
コマンドで人の指示に従う犬ではなく、マナーが身についている犬。人間社会に入っても迷惑をかけない振る舞いができる犬です。
そうでない犬は、やはり、人間の居住区域とは別の場所に置くのが、犬のためにもなると思います。(その場合、クレート・トレーニングが必要になりますが。)

 

おっと、予断が長くなりました。
今回も、ほとんど犬連れ「も」OKの施設ばかりです。

6月は4件。通算、26件。ぎりぎり週一ペースです。

 

ローズファーム  
中央道・一宮御坂I.C.からR137を(河口湖方面に)少し南下した所にある、ばらとコーヒーのお店。
ドッグ・ランもありますが、全体としては、犬連れ「も」OKであり、専用のお店ではない。
メニューは、ピザやパスタ、カレーやオムライスなどのご飯ものがある。

Creperie et Cafe L.C.d.B.(クレープリーカフェ エル・セー・ド・ベー)
代官山の駅からは近いはずなのですが、駅からなかなか行けないお店。私は、だいたいの店の位置を教えていただき、一人で行こうとして行けなかったことがあります。犬なしでも一息つくのにいいかも。ただし、お店には、ボーダー・コリーのサブちゃんがいますので、犬が苦手な人は行かない方がいいかも。

TheCAFE L.D.K
中央道・甲府昭和 I.C.を出て左折(韮崎方面)しR20を進んだ所から住宅街に入ったところにあるカフェ。犬連れはテラスのみ。
たぶん、地元の人をターゲットに考えたカフェだと思います。
ベーコンの大きさにビックリ!

Jマート 八田店
「犬とゆく」では常連的になってきている、Jマート。今回は、南アルプス市の八田店。
もう説明の必要もないと思いますが、ドッグランがあって、店内へはペット用カートに乗って入店します。

 

暑さで熱中症などにならぬよう、お気を付けください。
また豪雨が降るかもしれません。いつも天気予報には注目しておきたいものです。

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2017年7月 5日 (水)

壁掛け時計落下事件(その2)

ちょうど一ヶ月前、こんなことがあった。
7月5日の夕方、16:40頃、今度は作業部屋の壁掛け時計が落ちた。地震はなかったようだ。

ここのところ暑い日が続いているので、100均で買った粘着式の金具が弱って落ちたのだろう。でも、落ちるのであれば暑さが激しい正午頃でもいいような気がする。そして、私がいない時に落ちてもいいような気がする。

約一ヶ月半前の、同じ水曜日のこの時間、私は友達の病室にいた。私と話をしている最中に、「薬、飲むの忘れた」と痛みどめを飲み、うつらうつらしはじめたので、話を切り上げはじめた頃だった。

その三日後の朝、予定外の急逝となってしまった。

 

言いたいことは分かっている。

時間を大切にしろ

そう言いたいのだろう。

 

皆よりも短い持ち時間の中で、皆のために頑張った。
楽しませてもらった。勉強させてもらった。仕事をもらったことも何度か。

いいヤツだった。
そういう人間は早死にしてしまうのだ、と改めておもった。

 

今度の土曜日が四十九日。

また楽しませてもらうだけになるかも。

逝ってしまった人間に言うのは不謹慎かもしれなが、言いたい言葉は「ありがとう」。

照れて視線を逸らす素振りが目に浮かぶ。

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2017年7月 2日 (日)

都議選の日となりましたが

昔は選挙の度に似たようなことを書いていたような気がする。ここのところ書いていないけど、たまには書いちゃいます。

ニュースでは政治に関わることを連日流しています。まるで国民全体が政治に興味があるかのように。それはネットも同じ。

与党のやっていることはおかしい!、政策がおかしい!、、、、などなど。

マスコミやネットでは、そのようなことが流れる。まるで多くの人が興味をもっているように。若い頃は、大きく盛り上がる度に期待したものです。

しかし、日常生活ではどうだろう。学校で、会社で、友達同士で、家族で、話をすることはどれくらいあるだろうか。

今回も都政には色々問題がありますが、投票率はどれくらいになるのだろうか。40%台にはのってほしい。良くても50%くらいだろうか。過半数に満たない人の投票で決まってしまうことに疑問をもっているのは私だけだろうか。
数字はともかく、投票率が上がらない限り、世の中は変わらないだろう。

SNS 上で特定の話題が盛り上がることはありますが、日本全体からみれば小さなコミュニティー。内輪の話。
同じ考えの人が集まって話合うことだけを続ける限り、大きな変化は見られないでしょう。
一人一人が個人として、「私はこう考えています」と口に出来て、それを聞いた隣の人が「あなたはそうですか、私はこう考えます」と会話が出来る世の中にならない限り、大事なことほど見えない所で決まるような世の中は続くのだろう。

 

身近な動物のことも同様のことを感じる。
多くの人が頑張って、一歩一歩前進して来た。それは私の予想を超えて凄いスピードで進んできている。
しかし、少し距離を置いて見てみると(日本全体からすれば)限られた人たちの活動であり、同じ感がを持った人たちが少し仲間を増やしだけの意識改革にも見える。
「日本全体」としての進歩を望むなら(動物に関係ない人も)一人一人が問題について認識し、ここまで進んできた法律などを知る必要があると感じている。

 

さて、今日の天気はどうだろう。そして、投票率はどれくらいだろう。
ちなみに、私は期日前投票を済ませています。期日前投票というお手軽な方法があるのだからもっと投票率が上がってもいいとおもうのですが。

残念です。

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2017年7月 1日 (土)

不要なパソコンの処分に困ったら

宣伝的な内容ですが、私的には備忘録。

何年か前から、不要なパソコンが増えてきたら以下の業者に頼んでいた。
ここを利用し始めたのは友達が働いているから。話を聞いたら、HDDの消去はしっかりやってくれるとのことなので、そこがポイント高かった。
利用してみて有難いと思ったのは「梱包不要」。会社のワンボックスが取りに来てくれるのだ。

パソコン回収.com   http://www.pc-kaishu.com/

 

以前は、お客さんからパソコン処分を頼まれることも多々あった。その度にHDDの内容をしっかり消去していた。今もお客さんから頼まれればそうするだろう。
自分のHDDも新しいのに変えたりすると、古いのが溜まってくる。こちらの消去は時間のあるときにやったり、消去以前に動かなくなったり。
動かなくなっても消去するべきなのですが、自分のものはそこまではやらない。でも、こちらにお願いすれば安心みたいなので、肩の荷が下りた感じです。
HDDはともかく、パソコンやプリンター自体の処分は結構面倒だったり、廃棄するまでスペース取ったり。
 

そんなときに友達が勤めているこの会社のことを知った。信用できる友達だからということもあるけど、その後何度かテレビで取材されたのを知ったり、ラジオ番組を持っていたりもしているので、使ってみることにした。

はじめの内はよく分からないので、その友達経由でお願いしていた。
わざわざ取りに来てくれるのですから、他の友達やお客さんに声をかけて廃棄パソコンを集める。それを家の中に置いておくと邪魔になる。早く取りに来てくれると嬉しいのですが、友達経由でお願いしていたら、1週間から最もかかったときで2週間くらいしてから取りにきた(わざわざ友達本人が来たこともあったけど)。

これはどうにかならんかなと思っていた。

先日、知り合いたちに声を掛けたら家の中に置いておくには「邪魔だなぁ」と感じるくらいの量になった。
今回は友達を通さず、普通に会社のHPに載っている電話番号に架けてみた。

http://www.pc-kaishu.com/visit.html

受付けの人に電話番号を伝えたら、登録されていて話はすんなり進んだ。
いつ取りにきてくれるかなとドキドキしていたら、なんど2日後!!
で、実際、二日後に取りに来てくれました。
ただし、その日の何時頃になるかは当日にならないと分からないとのこと。

回収していただいたものは、以下のもの。

デスクトップPC 4台
(内2台はフルタワー)
ノートPC 7台
プリンタ(A3横長) 1台
内蔵HDD 51台

HDDを捨てられなくてため込む人は多いようです。
集まったHDDを一つの箱に入れて持ち上げようとしたら持ち上がらない。HDDってこんなに重いんだ、とビックリ。取りに来てくれて有難い。

 

私としては、2日後に取りに来てくれたことの備忘録
たぶん、いつもこんなにタイミングよく回収してくれないとは思うけど。
最近、自社回収を強化したのかも。

次回、電話してから何日で回収に来てくれるか。そのときのための備忘録です。

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2017年6月23日 (金)

友達が逝った(その3)

つづきものです。

友達が急逝して、もう一ヶ月以上が経ったことになる。もうそんなになるのか、と不思議な感じだ。まだ、彼を身近に感じる。

何事に於いても綿密に準備をし、ことを進め、終わったら分析するような人間だったので、急逝したことを恥じていることだろう。
彼の予定では、亡くなる前日に退院し、帰宅後、事務的なことをしっかり済ませ、その後は何があっても周囲に迷惑をかけないようにするつもりでいたことだろう。しかし、それが叶わず、周囲の者は何かと混乱しています。

冷静に考えれば「迷惑をかけやがって!」のはず。
しかし、それらに対応していて不快に感じない。

知らない人と連絡をとりお願いすることが何回か。恐る恐る連絡をし、用件を伝え、今後のことを話し合うと、「いい人だなぁ、今後も付き合いたいな」とおもう人ばかり。来年の(亡くなった友達が毎年主催していた)花見に誘う約束を交わした人もいる。
通夜・告別式には久しぶりに顔を見た友達もあった。疎遠になっていた友達たちもまた、集まりに顔を出してくれそうです。

「普通、この書類は分かり易い所に置いておくだろう」というものが幾つか見つかりません。そのため遺族は右往左往で、私達友達はそのサポートをすることもあるのですが、何故かそれが苦にならない。亡くなったことだけでも悲しいはずなのに暗くならない。

人は亡くなった後に、その人の価値が分かるといいますが、まさにそれを実感しているところです。

 

市川海老蔵の奥様である小林麻央さんが亡くなったとのことで、海老蔵が会見しているのをるぴなすのテレビで見た。
奥さんが亡くなっても仕事をこなすのは芸の道に生きる者として当然だけど、会見は辛かったのではないかとおもう。

旅立つまでの時間があるこの病気は、その時間を充実させるものにも出来れば、本人や家族を追及するような時間になることもある。それは各自の考え方により変わることかもしれません。

旅立ちに関わった人たちが、何を得るかは本人次第のところは大きいとおもいますが、旅立った人間がそれまでにしてきたことも大きいのだなと日々感じているところです。

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2017年6月22日 (木)

友達が逝った(その2)

前回からのつづき。
先月亡くなった友達との話から、在宅緩和ケアについて。

彼とは30年近く前からの友人で、彼の病気は約13年に分かった。
日々の行動の仕方は全く違う人間でしたが、「楽しいことが好き」「流されてはいけない」という考えは共通していました。

彼と親しくなって数年経ったとき、インターネットの時代がやってきた。「楽しいこと」「流される・流されない」は情報化社会に影響されることになる。

病気が治ることはないだろうとなった頃だったと思う。彼もブログをはじめる。その内容の濃さは驚くばかりだった。しかしマニアックになるこはなく、さらっと書く。一見すると「もしかして、ただの知ったか振り?」と思うような書き方もあった。暗くならないように書くのだ。

 

あるとき、彼のブログにコメントしたことがある。それまでもコメントしたことはあった。
大した内容ではなかったと記憶しているが、具体的な内容は覚えていな。2~3行の書込みで「へ~、そうなんだ」ということを軽く書いた記憶がある。
この時、「悪いが消させてもらう。思いっきり勘違いしている」とメールが来て、コメントが削除された。
何か言いたいことがあった訳ではないので削除されたこと自体はいいのですが、自分が患者さんたちの気持ちを理解できていないことに、私自身が驚いた。以降、コメントしないようになっていた。

しかし、ブログ自体は読んでいた。医療の日進月歩がよく分かった。
彼の病状が深刻になるにつれて、二人だけのときは、医療のこと、ブログのことを話すことが多くなった。

最後に会ったのは、亡くなる三日前。このときもブログの話がほとんどだった。具体的な内容としては、在宅緩和ケアのこと。

 

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以下、緩和ケアとはどういうものか、ご存知の方だけ読んでください。それを説明するのは手間がかかるし、中途半端に書いて誤解を招きたくありません。また、ご存知ない方、興味のない方には不要な情報です。
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治療を打ち切った後、入院ではなく在宅での緩和ケアを選択した。対応してくれる病院がとても少ないのですが、たまたま徒歩圏内にあった。
楽しいこと大好きな人間だったし、仕事も大好きだった。なので、最後の時まで入院したくなかったのだ。

そのような選択をしてくれたことで、私も在宅緩和ケアというものを感覚的に知ることが出来た。ブログにも在宅緩和ケアのことが書かれるのだが、今一つ突っ込んで書いてくれない。
最後に会ったとき、私から、「在宅緩和のことをしっかり書いてほしい。この選択のことを多くの人に知ってもらい、要望の声をあげてもらい、このような病院、先生を増やしてほしい」と。

答えは、「それは出来ないんだよ」。耳を疑った。しかし彼の説明は理路整然とし、私は理解できた。

 

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以下、私独自の理解や考えも含んでいる。彼の考え方そのものでない内容が含まれています。そして、先にも書いたように、私は命と向きあう人たちの気持ちを理解できない部分をもっています。なので気分を害する方もいらっしゃると思います。気分を害すると感じたらスルーしていただきたい。または、しっかりとコメントいただければ幸いです。
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一般的に、緩和ケア=ターミナルケア と捉えている人が多いことでしょう。私も実質そういうものだと思っています。しかし、彼は「必ずしもイコールではない」と言う。たぶん、「自分を見てくれ!」と言いたかったのだと思う。
最期の入院をする少し前まで仕事をしていました。「今回はしんどいので、迷惑をかけることになるかもしれないので、申し訳ないけど他の人にお願いしほしい。今回の処置で体調が戻れば、またやらせていただけたら」とか言っていた。

とても最期とは思えなかった。
本人は、あと数ヶ月生きるつもりでいたし、誰もが最低あと1ヶ月は生きることが出来るとおもっていただろう。それくらい、仕事をし、人と会い、楽しい時間を過ごしていた。

私が最後にあったのは、午後から夕方にかけて。その日の夜、友達三人がやってきて、そこで酒盛りをしたそうだ。治療がある訳でもないので、本人も飲んでOK。いつもは一緒に飲み食いしていたのですが、このときは、珍しく口にしなかっと聞いている。

 

結果としてターミナルとなってしまいましたが、「終わりを見据えるのみの日々ではなかった」ことは確かです。その意味では、ターミナルではありませんでした。

彼のブログを読んでいると、如何にQOLを保ち、可能であれば上げたいと考えていたことは分かる。ならば、緩和ケアのことを多くの人に知ってもらうですが、それは出来ないと言いました。

 

現在、治療と緩和がチームを組むことはまずありません。治療に区切りをつけたら緩和。
だから、緩和=ターミナルと捉える人が多い。
このようになっているのは、大きな力が及んでいるらしい。なので、このことを公で論じると、お世話になっている方々(病院や先生)に迷惑をかけることになるだろうし、本人や同じ病気と共存しながら生きている人たちが、緩和ケアを受けるハードルを高くしてしまう可能性があるらしい。多くの人のQOLを考えるからこそ、声を大に出来ないという。

人生の終わりが確実やってきてしまう病を患っていない私にはピンとこない話でしたが、何気なく「そういうこともありそうだな」とはおもいました。

 

他に、こんなことも話していました。
現在、緩和ケアは治療をしないことが前提ですから、治療を終わりにする決断をしなければならない。それが出来ない人が多い。つまり、奇跡を期待する人が多いのだそうだ。
「奇跡」とは、常識的には起こり得ないことが起こることですから、起こらないのが当たり前。しかしいつまでも、「自分には起こるかも」と願い、ダメージを受け続け体がボロボロになっても治療を続ける人が多いという。そして緩和の恩恵をほとんど受けることなく時間が尽きてしまうのだろう。

さらにこんな話も。
緩和ケアを受けたとしても、それがターミナルとなっている現在、緩和ケアを受けた本人は亡くなりそのことを語ることは出来ない。遺族は、闘病期間全体からみれば緩和ケアは短期間のこととなり、記憶の多くは苦痛を伴う治療のことなので、緩和ケアの重要性を忘れてしまうとおもわれる。
なので声があがり難いらしい。

また、緩和ケアは本人が知識と意識を持ち続けないと高い効果を得られないとも言っていた。
例えば、痛みを我慢して薬を飲まないと痛い状態に体(脳)が慣れてしまい痛み止めが効かなくなることがある。我慢することがそのような結果になるという知識と、その知識を得ようとする意欲、QOLを保つために医師としっかり話し合う意識が必要になる。
自分に残された時間のためならこれくらいやる人がほとんどだと、私は思ったのですが、実はそうでもないらしい。自分で自分の体の状態を理解し、それに必要な知識を積み重ね、主治医に自分の体の状態や苦痛の程度を伝え、選択肢をいただき、判断する。
このようなことに慣れていない人が多いと言っていた。
 

近年科学の進歩は著しいものがある。しかし痛みをはじめとする苦痛を客観的に測定する方法は未だない。同じ怪我をしても、とても痛いと感じる人もいればそうでもない人もいる痛いと感じても我慢できる(するべき)程度とおもう人もいれば、処置して欲しい(緩和処置を受けるべき)とおもう人もいる。皆が同じではないのだ。薬の効き方にも個人差がある。このことを理解しないとならない。だからこそ積極的に自分の症状を理解し伝えなければならない。このようなことに慣れていない人が多いと言う。

それは現在の医療が検査の数値により判断されるようになったからだろう。苦痛どころか違和感を感じなくても治療が始まることもあれば、明らかな自覚症状があっても検査で異常が出なければ何も出来ないことも多い。このような時代なので、自分の苦痛を伝える機会が少なくなっているのかもしれない。
  

彼がよく使っていた言葉に「ミスリード」がある。横文字全てが苦手な私は、それが好きではなかった。ピンとこなかった。それについても、最後に会った日に聴いてみた。

先ほども書きましたが治療の効果は当然のこと、全てのことに「個人差」がある。同じものを食べても同じように栄養を吸収できる訳ではない。同じご飯を食べても太る人もいれば太らない人もいる。
しかし、科学の著しい進歩のため、それを忘れてしまうのか、奇跡のようなことが起こった人が「こうやればみんな良い方向に向く」と声を大にして伝え続けると、それに望みを託してしまう人がいる。その方法と結果のみを信じ、痛みをこらえ続け(健康な部分にもダメージを与える)治療を続ける人が少なからずいるらしい。

方法と結果だけでなく、その人の体のこと、それまでに受けてきた治療、などなど総合的に情報を集めてみれば、多くの人に当てはまらないことが多いと言っていた。逆に結果が出た人は、そうなるべき状況が重なっていたのだろう。
伝える人は大事な情報を伝えているつもりであろうが、全ての情報ではなく、情報が不足し過ぎてミスリードに繋がるという。

彼の使う言葉、「奇跡は起こらない」も説明しておく。
奇跡が起こったと思っていてもよくよく調べてみれば、「起こるべくして起こったこと」ということのようです。(具体例を挙げて説明してくれたことが何度かありますしたが、ややこしいので全て忘れました。)

奇跡を祈るよりも、情報を収集し知識を高め自分の体の状態を理解し、心から信頼できる主治医との巡り合いを願う方が現実的であり、それがあれば現実としての奇跡(のようなこと)を目指せるかもしれないし、奇跡が起きなくても相対的に心安らかに過ごせたり、納得できるだろう。

 

QOLを保つための材料は、まず「自分が自分の体を理解すること」であり、その理解に必要な医学・医療の知識、そして家族や医療関係者とのコミュニケーションが大事。
ネットに書かれている奇跡を求める人たちのほとんどは、このようなこをせずに「書かれている通りの奇跡がきっと起きる」と信じるらしい。つまり、ネットで書かれた内容がそのような人たちの人生を導く(リードする)結果となるらしい。

 

ミスリードとは違いますが、「先生が一番いいと思うようにしてください」という考えもやめた方がいいと常々語っていました。そのような人のほとんどは、自分の体のことを理解しようとしないので、体の細かいことまで主治医に相談しない(出来ない)。主治医側も限られた判断材料での治療方針を決定するのはリスクも高くなるだろう。

 

彼の言いたいことをまとめるど、たぶん、こういうことだったとおもいます。
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・奇跡みたいなことを伝えるのであれば、薬などの情報だけでなく、自身の体のこと・生活のことなど全て詳細に書いてほしい。
・奇跡を信じるのであれば、自分の体のことをよく理解してほしい。医学的な基礎知識、それを基に医療行為による効果を理解し、自分の体にどれだけ効果が見込めるかを考えてほしい。
・心から信頼できる主治医に、自分の考えを伝え、それを実現していただく(信頼できる医師との出会いにも基礎知識は必要です)。
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以上が、友人が立場上言えなかったことを含んだ、彼の基本的な考えだとおもいます。一部「現実はそうなのか?」と思ったこともありますが、基本的な考えは私も同じです。
私の思い込みや、健康上の立場の違いから誤解していることなどで、嫌悪感を抱く方もいらっしゃかもしれませんが、大きく間違っていないと考えておりますし、大事なことだと思っています。

 

最後に、個人的な考えの違いを。

彼の病気には、日常生活を送る上で苦痛を伴うこともある症状がありました。それに対して「自分だったら、その日常を受け入れられないかも」と話すと、「それくらい自分でコントロールするものだろう!」と返ってくる。この話は何度もしているので、最近はすぐにこの話題は終わっていた。最期に会ったときもこの話題が出てすぐに終わった。

何故、何度も同じ話題をするかと言えば、彼がブログでそのこと(自分の症状の出るタイミングや対応方法を学習し、対応すればいいことで、何年間も同じことで苦しいと言い続けずに受け入れるしかない)を書き続けていたからだ。

彼はそのようなことを乗り越えることが出来たが、私はきっと出来ない。そこで諦める、悲観的になるだろう。

彼は経済的に裕福な立場ではなかった。しかし、人生を確実に縮める病に侵されながらも最期まで充実した時間を過ごしていた。
私は同じ立場に立たされても、同じだけのQOLを保つことは出来ないだろう。
彼はブログの中で「頑張れって言葉が嫌いです。自分も頑張っているし、みんな頑張っていることを知っているから」というようなことを時々書いていた。

言い換えれば、こんなことだろう。 
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頑張れ!
頑張れば必ず報われるとは言わないが、頑張らない人間はまず報われない。
報われるとしたら「奇跡」か「よく調べていない(改善が見込まれて当然の状況だった)だけの偶然」だ。
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(身近な動物との生活も似たようなことあるかも)

 

優しい文章を書けない自分がもどかしい。
彼は読者への配慮を最大限していた。そのために「何がいいたいの?」と思うこともあった。たぶんストレスを感じていたこともあっただろう。それでも書き続けた。仲間にエールを送り続けた。

もう少し頑張ってほしかったけど運命だったのだろう。
お疲れさま。

でも、安らかに眠るのはもう少し待ってほしい。
まだ四十九日も迎えていないし。もう少し楽しませてくれ。

(つづく)

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2017年6月21日 (水)

友達が逝った(その1)

これは、私の備忘録。誰かに何かを訴えたいとか、知らせたいとか考えて書いているものではない。
関係者の心情に配慮すれば書くべきではないことも含まれています。
もし読むのであれば、そのようなこともご理解の上、読み進めていただきたい。

 

約一ヶ月前のこと。友達が急逝した。
急逝といっても長年闘病生活をし、そろそろなことは分かっていた。しかしまだその時ではないと思っていた。処置入院の退院予定日に急変し、次の朝、逝ってしまった。

彼の闘病ブログはいつもランキングの上位に入っていたので、彼のことを知らなくても、その病気の人なら彼のブログを読んだことがあるとおもう。

彼は、ブログ上の人格とリアル世界の人格を使い分けていた。
ブログ上の人格というより病人であることを見せなかった。リアルの付き合いの人の中には、彼が病気と闘っていたことを知らなかった人もいるはずだ。

なのでこのブログを読んでも、コメントをつけたり、病人である彼とリアルの彼を結びつけるようなことはしないで欲しい。

 

彼とよく話をするようになったのは、私の結婚式のとき。それは山の中で行われた。馬に乗りパレードを行った。当時、大手制作会社に勤めていた彼にビデオの撮影や編集をお願いした。1990年。当時はビデオの編集も専用のスタジオで行った。

打合せからロケハン、そして色々あって撮影、編集、完パケまで、もしお金を払ってやったら幾らかかっただろう。都内の結婚式場ならともかく、山の中の牧場で式を挙げ、山の中、田んぼの脇をねり歩いた。打ち合わせやロケハンだけで何回足を運んだだろう。撮影はどんなに苦労したことだろう。

よく覚えていないが、実費も支払っていないような気がする。若かったら勢いで頼んだし、やってくれたのだとおもう。

結婚式よりも何年も前から同じ店でよく顔を合わせていたが、個人的に話をすることはなかった。共通の友人もいたが、何かが合わないという感じだったのだろう。
結婚式以来、共通の友達含め、付き合いは続いていた。

 

私達の結婚後、約十三年経ったとき、彼は病気の宣告を受ける。
それから更に約十三年後、ついに余命宣告を受ける。そのとき告げられた期間以上に頑張った。しかし、もう少し大丈夫だと誰もが思っていた。なので、知らせのメールを受けた時、あっけにとられた。現実味がありませんでした。

 

彼はブログで、「QOLを保ちましょう」と書いていた。「生活のQOL」よりも「人生のQOL」という言い方もした。

私も少しは医学的なことが分かるので、内臓を取った体がどうなるとか、薬の話とかをよくした。もちろん社会福祉のことも。彼は全てに於いて、よく勉強していた。涼しい顔で「自分のことだから当たり前だろう」と言っていたが、社会人が限られた時間の中で、彼ほど知識を身につけるのは容易ではなかっただろう。

 

彼は何人もの医師と話し合い、とてもいい結果を出し続けていたと思っていた。大きな手術をしても、一般的にいわれている期間の最短で退院し社会復帰し、そして遊んでいた。
表に出れば、病人面することはなかった。苦しくなると、トイレなどに隠れてその時が過ぎるのを待つこともあったというが、それが出来ない時は、涼しい顔して仕事を続けたという。
彼の苦しい顔を見たことがある人はいないのではないだろうか。体全体の感じから辛いのかもと思うことはあったが、少なくとも顔だけは辛さを見せなかった。

彼の日常生活がどれだけのものなのか、彼の話と調べ物をしてだいたいのことが分かったとき、自分には耐えられないとおもった。この病気になったら治療はせずに自然に任そうととおもったものでした。

 

彼はいつも人生のQOLを求めていた。だから苦しい顔を見せなかったのだろう。
亡くなって駆け付けたときも、悪戯っ子のような笑顔でした。最期まで周りに気を遣っていたのでしょう。

彼とは亡くなる三日前に会いました。そのとき、彼が最期の時の過ごし方として選んだ在宅緩和ケアについて話をした。そのことを続けて書きたい。

更にもう一つ。「人は死んだとき、その人の価値が分かる」といいますが、正にそんな感じでした。死んでも人を人を結びつけ、ときに楽しませてくれる。
人生のQOLとは本人の中で完結するものではないことを知った。そんなことも書きたい。

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